青函連絡船5便 [転載禁止]©2ch.net
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去年の報道で見た気がするが、大がかりな慰霊祭はお終いにしたんだっけかな。
60年目の節目と遺族の高齢化のため…だったと思う。
何らか開催されてたらごめんなさい。
新幹線は函館駅に入らず海からも遠ざかるし、どんどん歴史が忘れられそうだな。 夏の時期だけ昼間の便が陸に少し近付いてくれた時に連絡船の
プロムナードデッキから見た、仏ヶ浦の奇岩は素晴らしかった >>108
俺が乗ったときは、逆に陸から離れて「すれ違う十和田丸をじっくり見よう!」
だったけどなぁ。 >>109
自分が乗ったリバイバル運航は1988年8月1日の2便(函館9:30→13:20青森)
でしたがかなり陸に近付いていましたよ。
だれかがブログで画像をアップしてます
ttp://blogs.yahoo.co.jp/xdptj870/6775327.html 子供の頃の記憶なので、恐らく40年位前
青森から函館に行く際に、寄港(大間?)した事があった
調べても分からないんだが、憶えている方おられるだろうか 40年前の1975年、高校2年生の時に修学旅行で北海道へ行って
往復青函連絡船に乗船したけどゆうづる1号接続の3便や、
ゆうづる5号に接続する4便に乗ったけど寄港は無かったですよ 台風だったかなぁ? 函館本線の石谷〜石倉の土砂崩れで連絡線が室蘭港に行った事はあったよ >>114
スレ違いだが、函館駅構内の0キロポストを219m移設したっていうのは、そこから先のすべてのキロポストも219m移動したんだろうか? >>114
どのカキコに対して114リンク先の何が「これかな?」だったのか、
全然分からなかった。 乗船する度にメダル買って刻印していた。
最古は津軽丸。石狩丸などの貨物からの転用組?は
デザインが違っていた。
一番多いのは羊蹄丸かな。 >>115
>>114のサイトにある「0km000m00/0km219m00」という標識は
「ブレーキングポイント」と呼ばれる距離読み替え標識。
つまりその標識のところで、標識に書いてあるキロ程の差額分
キロ程の読みがズレますよ、という意味。
0キロポストの横にこの標識が立っているってことは、「0km000m00
を0km219m00地点と読み替える」ということ。
こうすればその地点から先のキロ程は、工事などで路線が短く
なる前と変わらないから、キロポストの移設などもしなくて済む。
線形改良とかで路線距離が変わったところには、必ずこういう標識
が立っていて、短くなっていればキロポストが飛ぶし、長くなってい
ればキロポストがダブる。
函館駅の場合、この標識によって「0km1」「0km2」のキロポストが
撤去されている。 コンドロイチンを飲んでから階段もへっちゃらですよ
*個人の感想です*
みたいな事か 青函連絡船が廃止される年に、いち早く運航を終えて、
アワに係留してあるタマセを雪の中、見に行った事がある。
実に寂しそうな感じだった。 おれも終航間際に見に行った。
当時の有川は、桟橋に大雪が係留されてるだけじゃなくて、
ヤードを解体待ちの旧客とDLが埋め尽くしていて、
一種異様な寂寥感に包まれていたよね。
地上施設から置いてあるものまで、全部が「廃」の世界。 電略アワは安房鴨川駅だったりしてw
今時電報略号なんて使うのかな?
FAXから今はオンラインだしねぇ >>78
俺もこの乗り継ぎをよく利用した。
3便では津軽海峡の夜明けが楽しめた。
6便は俺は夜型人間なので上野9:18着の「はくつる」でゆっくり寝坊したかった
から。
本州〜北海道乗り継ぎの便ながらも昭和50年代に入るとシーズン以外は200名程度
しか乗船していなかったな。 ゆうづるやはくつるに接続する便が20番台になったのはいつからだったけ? 昭和55年は青5:25(3便)9:15函、青7:30(5便)11:20函、青9:50(7便)13:40函だった >>128
21便は青森12:15発、23便は青森発14:55だったよ 末期は、
青森5時25分発→21便
青森7時30分発→23便
青森10時10分発→25便
函館15時00分発→20便
函館17時00分発→22便
函館19時45分発→24便
…って、青森で夜行に接続する便が20番台だったけど、
いつからこういう番号の付け方になったんだっけ?
21便で見た津軽海峡の朝焼けが懐かしい。 たしか、東北新幹線がらみで大きく便名が変わったんだよ。
11便、12便が101便、102便になって、貨物便も甲、乙、丙が150台、160台、170台になった。 >>115
流石にキロポスト全部移動はとんでもなく手間が掛かるw
高松駅や阪急梅田駅は0キロポストが駅移転で消えた
逆に東武伊勢崎線や京急本線は0キロポストの手前に線路延伸したためにマイナスキロポストがある 1980年頃に広島県福山市の常石造船に来てたのを見たことある
検査か修理かもしかしたら解体なのか知らんけど その時期の解体だと二代目渡島丸かな
旅客はすべて船舶として売却だから
貨物船では、日高丸・十勝丸が84年解体、空知丸は廃止まで持った 渡島丸の解体は函館。
1980年頃には、工事はすべて函館で行われており、内地のドックは使われなくなっていた。 青函連絡船、良い思いでだな〜、今でも無くなって寂しいよ。 >>135
日高丸と十勝丸は、廃船になったのは84年だけど、解体は分割民営間際の87年春だよ。
記憶に間違いなければ、海外へ回航されて解体だったはず。
それまで有川に係留されていた。
ちなみに十勝丸の解体は85年、解体場所は函館どっく。 最古の一行は十勝丸じゃなくて、渡島丸のこと。
間違ってごめん。 1987年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR北海道函館支店に承継。
同時に船籍が東京から函館に移る もう15年くらい前だけど鉄道ジャーナル社の青函連絡船DVD
「長声一発!青函連絡船の旅路」を購入して偶に見てるよ 連絡船は出入港の折り折りに汽笛を鳴らしたけど、隣のカーフェリーはほとんど使わないんだな。
七重浜からの上りで後退の短声3笛は鳴らしたのは聞いたが、青森FT発着時の汽笛を聞いたことが無かった。
吹鳴義務や省略って法令上はどうなってるのかな? >>143
汽笛は、警告や信号でない限り鳴らさないのが普通でしょう。
青函連絡船はむしろ例外じゃない?
出航スタンバイで2発、出航で1発、入港スタンバイで2発、とも押せで短1発、make fastで1発。
それにしても良く鳴らしてたもんだ。
同じ国鉄の宇高連絡船は全くならさなかったけど、そっちのうほうが普通だと思う。 宇高の汽笛こそ「ダンプのクラクション」だよ。
青函のとは、性質が全然違うと思う。
港内とかで他船の挙動が危なく見えると、どけどけー!的に鳴らしていた。
あんな刺さるような音質の汽笛を、仮に、スタンバイだー、出航だー、着岸だー、と
パッパパッパ鳴らされたら、うるさくてかなわんw >>145
青函も、函館・昼間の出港スタンバイの汽笛は似たようなものだったけどね。 中学2年まで青森に住んでいたけど早起きの母が5:25発3便の汽笛が目覚まし時計代わりとよく言っていた 何もかもが懐かしい…
上野の地上ホームを夜行で出て、連絡船を乗り継いで函館が昼で、
暗くなる頃に着く札幌はまだ昔の地上駅で、そこから再度夜行を乗り継いで…
日本は広かったな…
来年には、いそいそと乗り込んだ連絡船が函館に着くのとほぼ同じ所要時間で、
東京から函館に…
トンネルは出れば北海道だけど、連絡船は北海道が近づいて来るんだよな。 >>147
今となっては、目覚まし代わりの夜行列車到着もなくなってしまいましたね。 >>146
音質が全然違う(という事は、意味合いも全然違う)。
青函のは、抒情的でさえあるが、宇高のは本当に警笛。
正面で鳴らされた時は、そこそこ距離あってもその音量と音質にビビった。 >>148
東北新幹線開業までは札幌から東京ですら日着できなかったのに、今は鹿児島中央までたどり着けるようになったんだよな。 >>150
青函のは、通常使うのはハーモニックのエアホーン。
函館の昼間のスタンバイだけ、モーターサイレンかピストンホーン(船により装備が違う)を使った。
宇高はピストンホーンだけ。
もともとホーンそのものが違うのだから、音が違うのはあたりまえ。
ちなみに、ほとんどのフェリーや商船はピストンホーンを積んでいるはず。 洞爺丸型の汽笛は甲高い音という証言が有ったというが、実際は「ボォー」という低い音だったかな。
ネット上に転がっている十勝丸(最後の蒸気船)の汽笛の音声データを聞いてみたが、低い音だった。
※当時のテープレコーダーで録音された音声である故に音質は悪い。 連絡船の音色が耳に焼き付くと、そこらのフネの単音が物足りなくなった。
同じ“ミ”音階でも『ブゥーッ』や『ベェーッ』て感じの大型船も多い。
そんな中で新・にっぽん丸のハモ音は通じるものがあったな。
横浜での出航をたまたま眺めてて、ハッとさせられた2012年夏。 青函フェリー「はやぶさ」(現)の汽笛の音は、あまりにも情けない音でずっこけた。
「プピィーーーーーッ」って感じでね。
まぁ、霧とかの時はあの音がよく聞こえるなどの理由があるんだろうけど。 船の科学館から何も発表されていないが、第7回連絡船講演会のお知らせが貼ってあった。
ttp://train-garakuta.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-da7a.html
前スレのN之湯氏なので確かな情報だろうけど、公式より前に出しちゃっていいのかな。 そういえばガキの頃は、夜と朝にボーとタグボートのピーがよく聞こえてたな。 青函連絡船のOBがいなくなれば
イベントも無くなり
このスレの住人もいなくなれば
郷土史家や鉄道史家位しか連絡船語る奴もいなくなる
当たり前なんだけど マリンガールの中の人も孫がいる年齢になってる位だしねぇ >>160
イベントって、やってるのほとんど東京だけだよね。
本場(?)の函館とか青森ではできないのかな?
OBも東京より多いんじゃないかと思うけど・・・ >>162
東京周辺で全人口の2割を占めてるからな
1万人に一人しか興味を持たないテーマだとしても2千人分のニーズが見込めるのが東京開催のメリット
函館や青森だと30人、札幌でも200人くらいにしかならない 青函連絡船の殆どがアジア諸国に売却したんだ
今でも現役なのかしら? >>164
もう現役なのは1隻もない、はず。
最終的に走ったのは「アジア諸国」ではなく地中海が多いと思うが。 宇高の方はインドネシアで大活躍だったみたいだけど、
青函の第二の人生は、それほど恵まれてない感じだよねぇ。 一昨年くらいに元空知丸がトルコで解体されてしまい、ついに稼働船は全滅したね。
羊蹄丸のプロペラは、今も船館そばの水辺で金色の姿を残している。 エンジン外されて係留しているのは、
廃船されてもエンジン有りだと船舶税かなんか課税されるの? >>168
エンジンがついていると
船舶の車検的なものが必要になるらしい 廃船の手続きすれば免れるんじゃないの?
船舶は違うのか。 途中で「書き込み」押してしまった
昨年が「天城越え」だったから順当にいけば今年は「津軽海峡・冬景色」なんだけど(基本的に交互に歌ってるので)
大穴で「能登半島」になる可能性も(北陸新幹線開業絡み&今年前半の朝ドラ) 前の方で話題にしてたレ汽笛
自分が乗船した時には津軽海峡中間地点でも鳴らした(1984年の夏)
レスを読むと必ずじゃないのかな?
鳴らしたのを聞いた時は青森港行きの上り便とすれ違う時だった >>177
通常は鳴らすことはないと思うよ。
行合船で鳴らしたりしてたのは最後だけ。
何か鳴らす事情があったのでは? >>178
あり
とすると夏休み期間中だったからサービス(演出)だったのかなあ
補足すると「間もなく津軽海峡中間地点になります云々」という案内があったし 常時汽笛を鳴らすのは、
@出港スタンバイ 出港定時30分前 長声2発 交替便は汽笛ではなくモーターサイレンで長声2発
A出港 汽笛で長声一発
B入港スタンバイ 湯の島(上り便)または葛登支燈台(下り便)並航 長声2発
Cとも押せ 入港操船で船尾を補助汽船に押させる指示 短一発
D着岸完了、可動橋接合終わり、メーク・ファスト 長声2発
そのほか
視界不良時のFog Signal
船の行き脚のある場合60秒を越えない間隔で長声1発、停泊船の場合長声2発。ブリッ全面のスイッチで自動で1発または2発自動吹鳴。
他船に対する警告、警笛
以下はめったにないが
後進、右転、左転、右舷追い越し、左舷追い越し・・・法令通り
売られて回航されていく元僚船への長声3発、ただし海上で行き合ったとき。
よほどのことがないと@〜D以外は鳴らさない。 数年前ヨウツベで上がっていた家族そろって歌合戦の青森での収録のやつエンディングで青函連絡船映っていたけどあれ何丸かな?
昭和51年くらいに放送したやつだ。 つい先日名門大洋の「フェリーきたきゅうしゅう」
が最終運航だったのをその直前に偶然知ったので
こんな機会もなかなか無いと乗ってきたんだが、
我々が聴きなじみのあるあの「別れのワルツ」の
テープ演奏が流れるなかの紙テープでのお別れは
実に心に沁みて良かった。
青函航路への訪問乗船は当時計画したんだけど
関西なのと年齢的に遠出がギリギリ難しかった
だから泣く泣く諦めたことを経験してるので
ちょっとだけ青函での出航イメージを重ね合わせた。 北海が1986年11月改正で廃止、おおとりが1988年3月改正で廃止。
だから連絡船と同時に廃止はおおとりだけ。 しかし昼行列車最後の
「食堂車営業列車」としての言わば「大おおとり」は
86-10-31でおしまい。
(イレギュラーのため「最終営業の列車」だけは
おおとりではなかったらしいが) >>190
JR化後直後は、今考えると楽しかったな。国鉄時代には及ばないけど。
「宗谷」や「天北」も14系とはいえ客車だったし、釧路から「狩勝」も残っていたし。
小樽から旭川への50系とか、それを引っ張っていたED78。
臨時の「北斗」でキハ80も残ってた。
それらも連絡船の後を追うように、消えていったんだよな… 細かい事言うようですが…
50系と言えば50系だけど、あれは51型だし、
ED78じゃなくて、ED76 500ですよあれは。 50系は突っ込まなくてもいいだろ
14系宗谷は乗ってないけど、利尻と天北は乗ったな。天北はハネに乗ったけど、ハネ繋げてるの下りだけだったんだな
DE10に牽かれた天北線よかった >50系は突っ込まなくてもいいだろ
んー、そうかな?
24系25形とかは、「24系」と言うと突っ込まれて、
むしろ「24系」なしで、ただ「25形」という方が一般的だったと思う。
51形も同じ例に入ると思ってるんだが。 いや、鉄ちゃん的には形式や系列の呼称は大事だよw
かつては、「デゴイチ」は間違いで「デコイチ」が正しい、って論争まであったぐらいだから。 50系と北海道向けのオハフ51・オハ51は違うよなぁ
何が正しいってのはないと思うけど、話するとき混乱するから
できれば51系なりオハフ51なり言ってくれると助かる 51系って言わないから。すぐ上のキチガイに突っ込まれるよ
あくまでも50系の中の50形と51形
間違ってないんだからいいだろ。個人的な思い込みと一般的は違うから
こういうこと言うのは脳が退化してるか、元から気持ち悪いヲタなのかどっちか。自覚しなよ 重箱の隅は鉄ヲタの病気の一症状だな。
そうでなくても日本人特有の性質だし。
北海道で50系と書かれていたら
ああこの人は51形のことを言ってるんだろうなと流して読むのが常人
いちいち指摘したがるのが鉄ヲタ
鉄ヲタ自体がもともとアスペルガー属性あるならな。 お言葉だけど、>>192はED76を78と書いた人だよ?
指摘したがるっていうけど、何も言わなきゃ言わないで、当時の知識がない人は
「北海道にも奥羽本線みたいなED78と50系の編成がいたのか」って思うかも知れない。
それとも、北海道の話でED78とあったら「ああこの人はED76と書きたかったんだろうなぁ」
って慮って、流して読む事が必要だったりする? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています