製造両数356両 京急旧1000形
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1959年から2010年まで51年間走った京急旧1000系を語るスレである。 >>1乙
車幅の狭いといわれる元800系列の1000、最初からの1000との違いがよくわからなかった。 前面の行先幕が独立してない初期車が好きだったな。
末期の幌付き先頭車は実に渋かった。
幌付き先頭車って旧1000だけだよね? >>3
正面2枚窓の時代の一番の違いは、他が4両固定だったのが、これは2両固定だった。
貫通タイプに改造された後は、一見見分けにくくなったが、正面の両側の窓と側板の間が“気持ち”狭く見えた。
車内に入ると、運転室と客室の仕切り板にある窓と側板の間隔が明らかに狭く、
窓枠のサッシュと側板の押さえのサッシュがぶつかっていた。
>>4
幌付きの先頭車は、旧1000形以外にはない。そもそも貫通タイプの先頭車自体旧1000形と700形、1500形だけで、営業では貫通ドア自体使われなかった。 >>5
たまに2+2の普通列車があって繋がれてない幌が淋しく垂れ下がっていた 白幕1000の最後の頃、朝8時台の4+4+4の特急新町行を選んで乗ってた。 京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください >>6
5年前まで2+2走ってたな。8連固定最後の1本と組み替えて4連3本になっちまったが‥‥ 1351-1356+1345-1346-1295-1296-1347-1348 民鉄協会の数年前のイメージポスターに車内が出できたな。
窓框にヨソの電車の、んゲージキットを組んでピンクに塗ったのが置いてあった。
客室側の凝った窓の形ですぐに1000だとわかるが、
一般人には、国鉄っぽい寒色系の内装で違いは理解してもらえなかったのかな… 地味だけどトラッドでキリッとしたスタイル。
好感が持てる。
一方トンネルの向こう、同世代は…
目立つがセンスが悪くてケバケバ。
田舎っぽい。 890:回想774列車 :2013/06/19(水) NY:AN:NY.AN ID:a7nDaoEZ [sage]
もともと3枚窓の連中とか、2枚窓の連中とか、700&1000とか、似たようなのばかりだったじゃないか。
891:回想774列車 :2013/06/19(水) NY:AN:NY.AN ID:qXnuVWqo [sage]
そうそう。もともと京急は塗装にせよ窓配置にせよめぼしい異端車がなく車両趣味的には面白味がない会社だね。運転や運用面は風変わりな独自性があるね。
892:回想774列車 :2013/06/19(水) NY:AN:NY.AN ID:Zu+fp/zn
そうか?
大雑把には個性がないようにも見えるが、同系列でも仔細に見れば“微妙な”違いがあるじゃないか。
それがまたマニアックなんじゃないか?
894:回想774列車 :2013/06/19(水) NY:AN:NY.AN ID:SzaB9KMz [sage]
異端車というほどではないが、グループ分けはあったな。
そういうのは確かに減ったな。
895:回想774列車 :2013/06/19(水) NY:AN:NY.AN ID:qXnuVWqo [sage]
一言で言えば京急は
乗って楽しい電車
見て楽しむ電車じゃないな。 土砂崩れに乗り上げて脱線した1701の後ろじゃなかったっけ。シートで覆ってるが。 >>19
あそこのローソンに京急のイベントの時、必ず2100仕様の車が停まってる。
ローソンに許可取ってるのかな? 琴平線の1000はお疲れ気味か
700ばかり見るのは、気のせいか
朝ピークと昼間で運用数が極端に違うから、仕方ナシ? なんかの本に
スマートな頑固親父という形容があった。
禿同。 栃木に旧千の頭だけあるね。
しかも別の場所に2つ。 >>25
920:回想774列車 08/18(日) 19:51 J5fROa6Z [sage]
ttp://c5557.kiteki.jp/html/keikyu1185.htm
ttp://c5557.kiteki.jp/html/keikyu1052.htm >>26
こういうやり方もあるよ
ttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1320818807/920 3次車の1049編成が真っ先に廃車されたのは何故なんだろう なぜ1049〜が、ということなら、たまたま。運が悪かった。
非冷房車を廃車にして冷房化率を(実質100%)にしたかったんだよね。 あと主抵抗器の劣化が酷かったのも原因らしい
4連で普通車の運用に入ることが多かったので
加減速の繰り返しで相当傷んだとか
同じ理由で他の4連1053〜1068も冷房改造されたものの
改造後6年くらいで廃車になってしまったし、他社への譲渡も無かった >>31
それは1000形全般の問題であって
1049〜固有のものではなく廃車理由にあたらない
>>30のいうように帳尻合わせの犠牲になっただけ >>28
京成に移籍した1000と京急から京成に乗り入れた1000が擦れ違う光景もあったのかな? 最初はその2本組み合わせて8連急行だの特急もやっていたからあったかも知れないね。
4連単独が主体になり、一方がなくなってもう一方が千葉急に行ってからは
多分なかったと思われ。
むしろ北総に行った車の方がその割合が多かったからね。しかも行った車が
ほぼ全部が極初期OK台車の大爆音車だったし。
琴電に最初行った車が初期から中期だが爆音モーター車を選択しなかったんだよね。 >>34
普通にあったぞ。4連になっても押上金町の運用があったから。 京成リース車は千葉急行に事実上又貸し状態でリース移籍したが
最後の華は、4連で自走して京急ファインテックに廃車回送かね?
その頃は青い千葉急カラーだが >>36
千葉急車は完全に京成4連組と共通運用だったから、金町系統に入り浸ったまま自社線に来ない日も多かった。
今だと芝山3500形が千葉線内折り返し運用に入るようなものか。 3600形当時なんか朝と夜しか8両編成が入んないから、その日1日も入らない
のが数日間も続く位ざらだった。 旧1000が引退して、京急に乗るのがつまんなくなった。 自分は関西在住だが今から約15年ほど前、所用で東京に行ったときに1000形使用の下り特急の先頭部分に
かぶりついて速度計を見ていたが、子安の急カーブに110キロで突っ込んだときは怖さを感じるぐらいスリル満点だった。
揺れも激しかったからか、隣に立っていたカップルの女のほうが速すぎて怖い、と言っていたのが記憶に残っている。
それと言われているほど1000形の高速性能は悪くなかった印象がある。この時も子安の手前で先行の急行に追いついたので
一度減速したが急行が子安の待避線に入った途端、一気に加速してあっという間に110キロに達して急行を追い抜いた。
普段地元の京阪の非VVVF車のトロい高速性能に慣れているだけに余計に速く感じた。 40年前に初めて京浜急行に乗った時、何より驚いたのは1000形の
高加速高速性能だった。
補極補償線輪付のオールM車両は他社にもあったが、日比谷線の
3000系(公称加速度4km/h/s)より明らかに上回っていたし、
京成3000系,都営5000系は加速・高速性能とも論外で、京急内では
回復運転ができないやっかいものだった。
加速度だけなら、阪神ジェットカー,札幌地下鉄1000系が上回って
いたが、高速性能との両立を実現したのは、当時は京急1000形のみ
だったと思う。
以上、40年前の話です。 昔、京急線内で北総7150カラードア車が来るのをしぶとく待ったことがあるが、
乗ってしまうとカラードアは見えないから、ただの1000形だった。 末期に幌を渡した貫通編成が出現したが、幌自体はストックされていたのだろうか?或いは貫通する時に用意したのだろうか?
先頭に幌を畳んで走る姿は野武士を思わせ実に格好良かった。 >>44
一応京成3000系も都営5000系も公称加速度3.5なのだが。 オールMだと粘着制限は少ないので、あとは1号線規格の加速度3.5と指定限流値を
満足するよう各社歯車比と進段特性を設計しているが、各社発表している公称値は
1号線規格値そのもののようで、実力値ではないですね。
当時、私が実際に乗った体感では、
札幌1000系 > 京急1000系 > 日比谷線3000系 >> 京成3000系・都営5000系
といった感じでした。 >>31 京急はどうか知らないれてど、廃車が出ると廃車の良品を確保して他車の不良品、
破損品とすり替えるコトは結構あるよ。
鉄屑としての目方をあわせる為、(車両諸元にもとずいて鉄屑却価格が決まっているため) >43&50
京急1000 京成3100 都営5000は公称ほぼ同性能となっているけれど
乗ってみるとかなり違う。そこで電気車の科学の各社 牽引力曲線と速度関係の
グラフで計算してみるとやはり京急1000が良かったです。
各車定員乗車で各速度の牽引力では
スタート時
京急 1000 3.2 最弱め25% ギヤ5.5
京成 3200 2.9 最弱め33% ギヤ6.0
都営 5000 3.0 最弱め40% ギヤ6.5
となっており 京急車がやはりよいです。都営5000は界磁率は
低いのでやはり苦しくせいぜい時速100km
あとの速度域はやや京急が良い程度でどんぐりの背比べ。
公称120kmの釣り合いとするも1000形も実質110km+
程度です。
意外と良かったのは東武2000系で京急1000と酷似。
釣り合い速度も115kmというのはあながちウソではない気がします。 >それと言われているほど1000形の高速性能は悪くなかった印象がある。
90kw車はなかなか瞬足ですね。とはいえ起動加速は遅いですが阪急車の
3000系などは100kmまで約60秒、(1000形は70秒以上かかります)100kmでも
加速度約1km程度のパワーがありますので高速性能という点では関西もあながち
すてたもんでないですよ。w 高速での落ち込みが結構激しかったからな
700と連結すると80km/h辺りで加速度が逆転する >>56
1000形ですら高速域の落ち込みが激しい扱いされた日にゃ、51Kでの京成車はどうなっちゃうんだよ?
走らない止まらないで故障車扱いされたんだっけ? 最後に残った2両はちゃんと保存して頂きたいですなぁ… >>58
H車は高速域からの落ち込みが激しい、
K車は中速域からの落ち込みが著しい。
T車は起動後からの落(ry ツリカケ400・500形は、高速域では1000形を上回る加速だったそうだね。 >>61
2M2Tでは流石に負荷が重いが
2M1Tだと2代目700形に似た爆発力と伸びがあった
当時の荒唐無稽な運転方では120km/hを超えることもあった
ただしブレーキは問題外でそんな走り方をしたら600mで停まれる訳がない
尚、東京都の低速域の加速度を舐めてはいけない
50km/h辺りまで1000形は追いつくことが出来ない
一方、京成車は乱暴な言い方をすると2代目600形に近く
それ以上の要求がなかったのか
赤電は増備重ねても性能はあまり変化がなかったようだ >>61
デハ400グループ、デハ420グループ、デハ440グループの全M編成は最高だってことだ。 >>64
MM編成とMT編成は2代目600形と二代目700形に準えるといい
400、420、440は出足は良いが、弱界磁が短絡界磁で1段しかなく高速域では伸び悩む
460、470、500は加速度は悪く特に470は極端に悪かった
しかし弱界磁が分流界磁で3段あり高速域がかなり伸び均衡速度も高い >>62
都5000形は京急800形に近い走りという感じですか?
さすがに地下鉄線内の条件に合ったセッティングなんですね。
乗り入れ先の優等ではキツいわけだ。 >>65
230形はどんな走りだった?
やっぱり400〜440形みたいな感じだったのかな。 >>67
多分期待を裏切ることになるとは思うが小型なぶん性能まで小粒
100km/hは出るには出るが85km/h辺りまでを念頭に置いた車だと思う
晩年は老朽化から限流値は絞られ大師線用車は更に弱界磁も殺されていて
実用的には60km/hがせいぜい
例えば港町を出発した230形はライオン橋を越えてもまだ力行を続け下り坂の途中で漸く60km/h
そしてブレーキオフでどうにか鈴木町をはみ出ずに停まれるかというところ
文字通り老体に鞭を打つような使われ方、今の1500形からは想像も出来ない隔世の貧脚です >尚、東京都の低速域の加速度を舐めてはいけない
>50km/h辺りまで1000形は追いつくことが出来ない
うーん。どちらも加速度の高い電車というのは大変共感できますが
また、喧嘩を売る気はないのですが、調整のないオリジナルとしての
電気車の科学のノッチ曲線を比較すると
京急1000 100%乗車 1両42トン換算 定格75w 電流310Aで
スタート時〜30km付近 牽引力約 4400kG/ton
30〜40km付近 牽引力約 3760KG/ton
40〜50km付近 牽引力約 2800KG/ton
都営5000形 100%乗車 1両42トン換算 定格85kw 電流300A
スタート時〜30km付近 牽引力約 4000kG/ton
30〜40km付近 牽引力約 3200KG/ton
40〜50km付近 牽引力約 2400KG/ton
で低速域でも1000形の方が有利であるような感じです。
しかし、運転士がちょっとノッチ新段を遅らせると2から5秒程度の差が
いずれにせよでてきますから営業運転では加速度0.5の差ぐらいは
はすぐに逆転してしまうことも十分ありえますよね。 カムの回るスピードなんかも結構効いてくるから、そういうグラフ上のデータって案外あてにならない。 >70
あれま。そうなんだ。ということはカム軸のチンタラ
回る電車はなるほどトロイんだ。w
しかし、103系の大好きなファンの方がきいたら・・・ 230って60年代まで海水浴特急の運用に入った写真を良く見るから
本気を出せば結構俊足だったんだろうね。 1009-1010-1121-1122-1011-1012
遠目からも、方向幕・パンタの位置で
すぐに1009とわかる編成だった。 /⌒ヽ
_( ^ω^) il| 京急はやるぞ!
(´ \ \|il |il il|
/ \. \ノ\. \il| |il| 背・負・い・投・げ!
i===ロ== ヘ. \. i|!l !l\il|
ノ:::::::::::::::::ヽ \ ヽη /')/')
/:::::::::::へ:::::::::ヽ ヽ_,,..) /
/::::::_/ \:::::::) ) ( / /
/::_ '´ |::::| ⊂(v )⊃
レ しつ`) \ 〆 (´ ̄
/⌒Y⌒ヽ⌒\ 230型の最高速度は104km/hという記述がどこかにあったよ。 230形の急行で通った経験があるが、
屏風浦の手前、トンネルを出た場所からフルノッチ投入し続けて加速しても、坂の底の杉田は100km/hが精一杯。
その先の登り坂は、そのままフルノッチ入れ放しでもジリジリ速度が落ち、
トンネルの手前では85km/hくらいになっていたね。
その登り坂を同じように走っても、400形は100km/hを何とかキープ、1000形は登り坂でも少しずつ速度を上げられるくらいの差があった。 大師線で230に乗ったら、見かけによらず加速は良かった。 >>73
琴電に行った230の台車、モーターはそっくり琴平線用の大型車に転用されたからねぇ。
30形一本買い戻して動態保存して欲しかったな。
久里浜の一般公開で体験乗車とかやれば話題になったろうに。 1号線規格で3社は同じような車両を作っていたはずなのに性能面は3社でぜんぜん違うんだよね。 87.4改正でBグループの4+4の8連が3編成実現。
1001-1002-1003-1004+1005-1006-1007-1008
1017-1018-1019-1020+1041-1042-1043-1044
1033-1034-1035-1036+1037-1038-1039-1040 >>82
これと同時期に、D・Eグループの一部の6連を
8連と4連に組み替えも。
1201-1202-1203-1204-1181-1182-1205-1206
1219-1220-1221-1222-1215-1216-1223-1224
1231-1232-1233-1234-1193-1194-1235-1236
1179-1180-1183-1184
1191-1192-1195-1196
1213-1214-1217-1218 A1095-1098
B1001-1048
C1049-1078 1101-1130
D1131-1196 1201-1206
E1207-1242
F1243-1298 1301-1348 1351-1380 1381-1382(1079-1080)
という形態差によるグループ分け
wiki見れば詳しく書いてある A〜Fグループって、ヲタ雑誌が発祥?
C1・C2と細かく分けたのも読んだ気が 初期車(A〜Dグループ)は、同一年次の投入であっても
電装品が東洋か三菱かで仕様が大きく異なる上、
川車ー東洋の変則車が単一ロット内に混ざってたりするから
○次車という表現だともっと細かい分類になる、、とか?
N1000も1001〜が一次車、1009〜、1017〜が二次車とかいう話があったけども
これを言い出すと、国鉄よろしく○年度予算○次債務車、みたいな言い方せなあかんようになるか、、 1〜5次車はロンの分類か。
結局1000形の分類なんて言いふらしたもん勝ちみたいなところがある。 >>82 >>84
その頃の集中冷房車の8連はこうだな。
番号通りの1243〜1298の他は
1301-1326-1327-1338-1339-1302-1303-1304
1317-1318-1319-1310-1311-1322-1323-1320
1351-1358-1361-1352-1353-1354-1355-1356
1363-1364-1365-1366-1359-1360-1367-1368
1369-1370-1371-1372-1377-1378-1373-1374
1375-1376-1379-1314-1315-1346-1347-1380 短期間に終わったが逗子エア急運用もあったな、
種別新設から旧1000形営業終了まで1か月半ぐらいしか無かったため。
そのためかエア急幕は入らず急行幕で代用。 700形と繋いでやってた朝の通勤快特の話で質問なんだけど、
1000形って必ず8両貫通でやってたの?
『1000形(分冷)4連+1000形(集冷)4連+700形4連』
みたいな三段重ねってあったら胸熱。 >>94
4+2+6は当たり前にあったよ
700は非冷房
1000もまだ非冷房が多かった頃 >>95
“当たり前”というほどはなかったと思うがね。
都営線内が6両から8両で乗り入れを始めた初期に、
8両固定の編成が不足していたために暫定的に2両固定の編成を6両固定の編成に繋げて乗り入れしていた程度だったと思う。
8両固定の編成が増えるに従い解消したはず。
後年、4+4の編成が地下乗り入れしたこともあったけどね。 >>96
700形を1000形に併合するようになったのは1977年
当時は都に乗り入れる列車は6両編成なので後部2両を品川で分割した
当初700形が使われた列車は多くはなかったが
この時点では4+2+6以外の組成は有り得なかったわけ
それは翌年平日ラッシュ時の8両編成6本の乗り入れが始まるまで続いた つまり、8連が揃わなかった初期の頃までは4+2+6があったけど、
>>94みたいな4+4+4の通勤快特は無かったって事で…OK?
地下直運用じゃないから割りとそういう面白編成があると期待してたんだけどなぁ。
末期の朝B快特はオール旧1000形で4+4+4みたいなのは見た事あったんだけど。 4+4の8コテ扱いの編成が基本編成側に入ることならままあったが、
それは質問の意図からは若干外れそうだな。 >>99
その4+4の8コテが集中+分散で、
700形と繋がって朝の通勤快特入ってたら質問の意図通りw >>101
そんな編成過去に存在してないだろ、さすがに、、 富岡南太田の待避線完成前はB特は原則8M使用
中間運転台のデッドスペースが惜しい位混雑が酷かったのです
逆に比較的混雑率の低いD急は貫通編成がほとんど無くて
4+2の6連や6+2の8連などが多く使用されてました >>102>>103
ん〜やっぱ無いのか。
旧1000形だけだったらB快特とかで割りと普通に見たから(冷改と分冷の混結で4✕3)、
700形との併結運転でも同じB快特系統の通勤快特ならよく見るんじゃないかと思って聞いたんだが…。 幌つなぎのブチ抜き8コテ化してある4+4に、
分散集中混ぜこぜがいなかった、っていいたかった。
しかし、4コテの3本繋ぎで700と1000の混成があった、って話は聞かないな。 おっ!
ピットの中に入って再整備かな?
ともかく最後に残った2両だからちゃんと保存して欲しいな。
出来れば自走可能な状態で…
久里浜公開の時に車庫内をデモ走行してくれたらネ申 初めて1351に乗車したとき、客室内の乗務員室仕切り上部に取り付けられて
いた製造所のプレートが「東急車輛 平成52年」となっているのを見たとき
には「え?」と思った。(もちろん「昭和52年」の誤りなのだろうが)
あれは今もそのままなのかな? >>81 京急の設計思想に個性(悪く云えばアク)が強すぎるからでしょ。
京成も国鉄と並行しているけど、何故かそこまで高速運転に躍起になってこなかった。
寧ろMT編成で経済性重視。
都交も当初5000を赤電色で用意した所を診ると京成に合わせていく考えだったのでは? >>113
そりゃ京成と京急では同じ国鉄と並行してるとは言え、地場が違うんだから。
とんでも無い田舎の習志野方面と、政治家を始め大企業の重役クラスが住んでいた三浦半島の違い。
とくに京急は逗子と横須賀方面が重要で、横須賀線が古くから皇族・海軍御用達だったから、
国鉄(当時は鉄道省)に負ける訳にはいかなかった。 99.7の白紙ダイヤ改正で、1000形は大規模な編成替えが行われた。
この時に黒幕車で貫通8連のまま残ったのが
1243・1251・1259・1267・1283
まあ1243は02年9月に6連化されたが。 そのなかでは、1251、1259も最晩年に組み替えを経験してる。
共に僅かな期間、中間ユニットを外して編成短縮したまま運用され、そのまま離脱してたな。
1251は4Mに、1259はADL無し6Mになってたはず。
しかし不思議なのが、1259から抜いた1263ユニットを
1275に組み込み、1263ユニットの検査切れまで8Mとして1年程度使い続けたこと。
結局1263もろども1275は8両一遍に離脱したし、
これなら1259をそのまま検査期限まで8連で
引っ張ってもよかったんでは、と思ったもんだわ。
単に調子の問題だったのかなぁ。 琴電で阪神ジェットカーとの競演が見たかった。
微妙なタイミングで出会いは、無かった。 >>115
ちょうどこの時、所属も変更になった。
この改正以前では、1243〜1298の連番の貫通8連は
全て久里浜(現在の車両管理区)の所属だったが、
1243・1251・1267→新町
1259・1283→久里浜
この時6連化された1275→金沢
1291→新町になった。 >>118
琴電では1000に限らず元京急車は冷房付で転属してきたので
利用者には大変歓迎されて初運転時にはテレビニュースにもなったくらいだという話を
撮影旅行の時に地元の人から聞いた。 旧千引退後の京急がどんどんつまらなくなってる気がする ところでファインテックの留置車がそろそろ限界らしいぞ
誰か募金でもやるか? >>127
伊豆急みたいに短編成のイベント列車として使えないのかね?
それにしても、旧千って栃木に2ヵ所顔だけの保存車があるのみで、地元には全然保存車ないですね。
あれだけお馴染みの車両だったのに。 あまり知られていない様だが、オールM方式の京急が1000系を増備していた時代は、
変電所も絶えず増設、容量アップしていたの?
MTの700系導入時は一時休止?
また都営や京成では、電気馬鹿食いで相互の車両使用料換算でレートを低くされたりしなかったの? 全Mつっても75kw/95kwだからなあ
更新対象の釣り掛けは全M110kwとか2M2T/2M1T150kw
一両あたりの電力はトントンかむしろ省エネだと思う
こういう大電力車を戦前戦中から採用してたから供給には余力が多少あったと思われ
運用の増加での変電所の増強はあったと思うけど
ちなみに直通開始の時の相手の都営5000は全M85kw、京成3000は全M75kw
一号線直通規格があるから性能もある程度は統一されてた 【横浜最強】上大岡グループ
https://twitter.com/minamigaoka_OB
シンクタンク(頭脳集団)老若男女を問わずフォロー宜しくお願いします! 8M末期の [特急57H] [三崎口]は良く乗った。 >>134
57H(2)→三崎口泊→翌53H(1)は
あの頃の8M固定運用だったな。
それとこの運用は1219と1283の充当率が高かった記憶。 今まで当たり前すぎて、横浜あたりで待ってたらひょっこり普通4両で来そうな感覚がするよ 京急1000に乗った後に
阪神ジェットカーに乗ってもそんなに加速度の高さは感じなかった
慣れとは恐ろしいものだ 1079-1080が末っ子という不思議
関東だと他には半蔵門線の8110Fだけ? 1095〜98をお忘れですよ。
1349-1350か、1299-1300でもよかったのにね。 Wikipediaによれば末っ子は1243-1250となってるが・・・ 1079-1080が最終次車にいる、て話なら1069-1078が2両5本だったから揃えたかったんじゃないのか? 13xxは6連ばかりだったのを快特用の8連に組み替えたから
先頭車が余って2連が出たんだな
運転席の「8両固定編成」のラベルが誇らしげだった。 13xxの編成組み替えで誕生した8両貫通の固定編成
1317-1318-1319-1310-1311-1322-1323-1320
1351-1358-1361-1352-1353-1354-1355-1356
1363-1364-1365-1366-1359-1360-1367-1368
1369-1370-1371-1372-1377-1378-1373-1374
1375-1376-1379-1314-1315-1346-1347-1380 旧1000が全廃されてから、京急への関心がほとんどなくなった
最近、新車が入ったらしいね 両先頭がパンタ無の初期車は地方に譲渡してないよな?
工事費ばかり掛かって仕様が無い! >>155
うどんの国でお元気にしてらっしゃいますが何か? 僕らの好きな京浜急行は、2010年に死んだんだよ… 加減速性能が良く高速性能も決して悪く無くて最高に使い勝手がよかった 小出力モーターを全軸に装架した、郊外電車最後の量産車…かな? どこまでを小出力というのかに寄るけど、
1500のF-chのオールMもそれなりにその部類かと。 うどん国じゃリミッター付けられ牙を抜かれた猛獣。
揺れはらしいが。 リミッターもそうだけど、弱め界磁全カットだから、実質3ノッチまでしかない電車。
>うどんの国のボロ1000 今日だけ、1000形の形見が大師に。懐かしくて涙でた。 1079-1080が末っ子とかブッ飛んでる車両計画だな
(営団8110Fも大概だが…) 1243も穴埋めだな
これも別に1243-50じゃなくて1081-88でもよかった 1351-1356が車体修繕のために
久里浜工場に入場したとの事。 今のスピード自慢の京急があるのも旧1000型があるからこそのこと。 言えてる。
品川〜川崎あたりは線路際まで家屋が建て込んでいて
実測以上にスピードが出ているように感じた 冷房なしで夏は窓を開けるし、スピード「感」は今の比じゃないわな ガンガン揺すられながらだったしなぁ
今は静かにすすすーっと走るから「ぶっ飛ばしてる」感がイマイチ 最後のOK-18三菱車の1225と1237
末期はよく1071と組んで夕方のA特に入っていたな OK台車は高速走行に不向きだったのかな。
95年に快特120km化に際して特急も110kmに引き上げられたが
それを持ってOK車の8連は消滅してしまった。
94年の時点で分散冷房車の8連はOK車が1161、1225、1231
TS車が1143、1201、1219が在籍していたが
95年に1161が廃車、1225、1231は中間車を元の編成に戻して6連化。
TS車の1219は2001年までしぶとく8連で残っていたな。 台車も何かあったかもだけど、電動機がいっぱいだったのかも。
TDKは75kWでも余裕があったんじゃなかろうか。 AR2の唸りは忘れなかった。でも全編成に搭載…と言う訳ではなかったんだね。おまけにことでん譲渡車は交換されたんよね。 旧1000形が引退して、京急の車両は一気につまらなくなった 今年も撮影会をやってくれるそうですね
里帰りする230形の方は新本社にて保存の方向で進めているそうですが
残った1000形の動向が気になります 旧1000形白幕東洋に似てる!
こんな音のする車両、トンネルの向こうにあった?同世代のブタ鼻ライトでは?起動時と停車時唸りが懐かし
https://m.youtube.com/watch?v=42ZSUP0erjs デハ236みたいに
みなとみらいの新本社に収蔵されるのかな?>旧1000
その時は2両編成で展示して
運転シミュレータと車掌シミュレータの両方が出来る様な感じで
それからその頃には高松の1070にも廃車がでるかもしれないから
2枚窓に復元して‥
まあ無理か‥w >>194
昨夜、八景に到着したらしいです
途中、川崎埠頭に寄ったらしいから見てみたかったは フェスタの1351、ピカピカになって今でも本線走れそうな姿だったようで ホームに止まって人が乗り降りしてる光景を見て吐きそうになった 白幕半減車が好きだったな。停車寸前に電制が切れるのだけど、1ノッチ入れると電制は生きたまま。川崎製の唸るモーター音も良かったよ。トンネルの向こうだけど、運転士時代は楽しませて頂きましたよ。 白幕半減車が好きだったな。停車寸前に電制が切れるのだけど、1ノッチ入れると電制は生きたまま。川崎製の唸るモーター音も良かったよ。トンネルの向こうだけど、運転士時代は楽しませて頂きましたよ。 トンネルの先では荒川の低い橋梁を渡っている、そんなイメージが今でもありますね 白幕東洋は京成赤電の8M車東洋と近いが京成は停車時電制が失効すると聞いた。だがこの音は停止寸前まで効いてる。
改造でもしたのか?モーターは似てたのだが。
https://m.youtube.com/watch?v=BW-_4temoq4 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています