仙台市電
モハ400形の一部は、直角カルダンだったといいますよね。乗りたかった〜 >>2
それ花巻電鉄。
>>3
確かカルダン駆動の分際で直接制御だったような。 >>2
>>4
馬面まではいかなかったと思うけど、端部は車体幅を絞ってたから細面だった。地下鉄1000系も運転席部分の車体幅を若干絞ってる。仙台市電の伝統を引き継いでると言えなくもない。 地下鉄が着工したころ、市電の保存車があると電話で聞いて、
名取にあったバスの車庫の片隅のプレハブの中のそれを見せてもらった。
確か4両、復元1号と123号車、そのほかにも400形とかあったと思う
が、メモを紛失してしまった。
富沢には未だに行けずにいるが、あそこで展示されてないのは解体されたんだろうか… 当初は、1号車、123号車と200形が1両、400形が2両保管されていたと聞きましたが、200形と
400形の1両は解体されて、台車のみ展示されたんでしたっけ? 乗ったことある!
母と一緒に長町の病院に行ったとき。家の近くはバスしか無かったから、珍しいものに乗って妙に喜んだ記憶が。
俺は昭和46年生まれだから、乗った記憶のある最若年代かも。
もちろん路線・車両・歴史については後付けの知識しかない。 保管状態が悪くて解体されたのは410と208でしたっけ? 京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください >>3
いすゞのバス用のデフギアだったってホント? アイデアマン佐藤技監は、地下鉄計画でも活躍されてたな なぜか9・10系統では見かけたことがない2000形と3000形 木造連接車300形は、改造後10年ほどで廃車になったというけど、
台車は他の新造車両に流用されたのかな? 300型が廃車になった以降の新造車はないはず。既存車の台車を履き替えたりしたのかな?でも中間台車は無理か。。
300型って原の町線で使ってたのかな?2000型や3000型みたいに長町〜八幡町系統限定? >>21
その後の木造車と単車追放のため,琴参,茨交,呉市から中古ボギー車を買いまくったので,流用はされなかった。 >>22-23
どうも。
誠文堂新光社の、東工大鉄研編の路面電車ハンドブックには、仙台市電も載ってたような。 >>16
そういや黒とか赤って言ってたw「黒さ乗って三越さ行ぐ」、「赤さ乗って藤崎さ行ぐ」 仙台の注文流れだといわれる、名古屋市電の1070形(千台・流れ)の写真
をネットで見かけない。 >>26
4本のセンターポールが廃止まで建ってた。 >>29
ありがとう。古いロードマップを見た記憶違いのようですみません。 >>30
どうも。
昔からセンターポールで続いていた箇所は全国でも珍しいですよね。
ひょっとしたら岡山の旭川わたるところに残っているかもしれないです。
最近は軌道移設までして各地に導入されているようですけど。 「○○局前」停留所
郵政局前
交通局前
鉄道管理局前
ほかにありましたか? 一足先に廃止された北仙台線ってワンマンカー走った実績あるんですか? 300形は「大きすぎてダイヤを乱す」ので朝限定だったとか? >>34
ないね。
今日「交通局50年史」見て来た。
「電車ワンマンカー運行実績表」いうのがあって,昭和42.11.6から45.6.22まで計54両が投入され,投入路線名も載ってたが,北仙台線はなかった。 >>37
ありがとうございます。
北仙台線の写真ってツーマン仕様の100型しか見た事なかったので…やっぱりツーマンだけだったんですね。 戦時中、秋保電鉄の貨車が木炭や野菜を積んで乗り入れてたらしい。 仙台鉄道はゲージが違うな。
秋保のマハは由来不明、後に改称されたな。 >>14
いわば自由回転車輪ですね。
付随車軸はリジットだったのでしょうか。
直線での蛇行動が気になります。 あれはデフまるごと使っていたのかしら?
使ってたのはハイポイドのピニオンとリングギアだけで
差動用のデフピニオンなしで左右直結だと思ってた。 NK-71は外側軸受で荷重を受けているから
もし車軸がギヤケース内部で左右に分割されていると
自動車のリジットアクスル同様に
左右一杯に伸ばしたアクスルチューブで荷重を支持しなければ
ギヤケース付近に曲げ応力が集中して壊れてしまう
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF++%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AB#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D93
写真で見る限りギヤケースの横幅は短くアクスルチューブは無いので
曲げ方向の荷重を支えられない
したがって駆動軸は通常の左右通し軸でギヤケースを貫通していると思われる
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cadzy500/sendai_400_nk71_2.jpg
http://rail.hobidas.com/bogie/archives/NK71a.jpg
付随軸も普通の車軸に普通車輪だね…
結論:NK71はデファレンシャル機構なし、そして独立車輪ではない…ような気がする
デファレンシャル機構付き台車の例
http://ktymtskz.my.coocan.jp/matuda/m7.htm#3a
写真が不鮮明だがアクスルチューブが左右一杯に伸びている >>27
現在、「ガス局前」というバス停がありますが、
そこは八十年代後半に「東支所前」から改称されたのです。
かつて、あの場所には仙台市役所・東支所があったのです。東支所廃止後もガス局が残ったので、「ガス局前」になりました。 >>49
国見小学校だったが,西公園でサーカスあって学年単位で観に行く時,わざわざ八幡神社前電停まで
歩いて,そこから貸切の市電で行ったことがあった。 >>51
そもそもガスは清水小路に工場があった。
そこがガス局だった。
いまのバスの車庫 もし今も八幡町線が残ってたらどんと祭の時の行き先は「どんと祭」って表示してたのかな?笑 >>54 市営バスの車庫が新寺に引っ越す前は広瀬通りに車庫があった。今のガス局のショールーム(&ベガルタのオフィシャルショップ)がある所。つまり交通局とガス局で用地を交換した形。 >>58
現役時代に見た覚えはないし,記録もないような… >>28 1074
tp://mokugoho.web.fc2.com/2sub12.html >>63
ある意味一番痕跡が残っている路線、なにしろ走っていた区間だけ道が広い。