過去のJRバス 2
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嬉野温泉は鉄道空白地帯だが国鉄バスがあった
現在もJR九州バスが路線を持ってるが西九州新幹線開業で再編される? >>125
彼杵駅ではJR九州バスの乗車券を硬券で出していた。
嬉野温泉は良い所であったし、バス駅では出札窓口も
営業していてノスタルジックだった。
武雄温泉に抜けると、けばけばしい中華門やソープが
あったりして俗世に引き戻された感があったが、駅前の
古本屋で「キップくん」のコミック単行本が入手できたので
良い思い出になっている。 瀬戸記念橋とかみどりの窓口のマルスがあって新幹線の指定券を買える自動車駅があった 時刻表索引地図で、JRバスの黒小丸がさりげなく緑色に
なってるのは、瀬戸記念橋と草津温泉だったかな。
嬉野温泉みたいな直営のバス駅だと、鉄道線の小駅で
やってたように電話取次で指定券作ってくれたのだろうか。 現在だと陸前高田駅がマルス設置の自動車駅に限りなく近い
BRT化で線路が?がされたがマルスが残ってる >>127
瀬戸記念橋、マルスあったっけ?
日本交通観光社が業務受託して、電話取次で補充券で手書き発行していた記憶。
最晩年は知らんけど。 日交観というと国鉄時代でしょうか。
JR化後は東海地区から日交観は撤退したと思うので
窓にいたのはジェイアール東海バス直営職員だったの
かもしれません。みどりの窓口設置もJR化(バス分社後)
の増収策の一環でしょうか。
隣の瀬戸追分もバス駅扱いで、実態は停留所隣接の
瀬戸自営に窓口がありましたね。こちらは索引地図の
緑丸にはなってなかったと思います。 草津温泉は落ちぶれたな
接続駅である長野原草津口駅ですらマルス撤去して指定席券売機のみとなった
吾妻線のもっと奥の方の万座・鹿沢口駅は無人駅になってしまった >>133
都心ーJRー長野原ーJRバスー草津温泉
よりJRバス的には上州ゆめぐり号利用を願いたいところかも かつては鉄道がメインでバスは目的地までのラストワンマイル輸送を担ってたのに高速道路網の普及で主従逆転してる ワンサと押し寄せる観光客を直通特急で観光地に大量輸送
するような時代から、観光客はマイカーにシフトしたり、公共
交通利用の人でも安い高速バスや観光バスに移っていったね。 襟裳岬も日高本線様似駅からバスで行くのが主流だったのに高速道路が出来て札幌からそのままバスで行くのが主流に変わって日高本線が滅多打ちにされた
それで日高本線が高波被害に遭って復旧できず廃線に えりも岬だと来た道を戻らず、様似から来たなら広尾へ抜けて広尾線で
帯広へ向かうというコースも定番だったようで。
日高線には定期急行があったし、広尾線も単なる地域輸送ローカル線
というだけでなく夏には観光急行が走ったそうだから。
どこへ行くにも鉄道という黄金時代は、ローカル線といえども急行が
走っていたり、オンシーズンには臨時列車で観光需要の受け皿となっていたね。 愛知環状鉄道が国鉄岡多線だったときは新豊田駅にはみどりの窓口が無くて、
出札窓口の中にズラリと並んだ常備硬券の中にドリーム号の指定券も有った。 JR東海バス瀬戸南線が乗り入れてなかった名鉄東岡崎駅には現在ドリームなごや号が
乗り入れているが、南口の屋根が無い新免系の乗り場ではなくちゃんと屋根が有る11番
乗り場を使わせてもらってる。
日中は名鉄バスの岡崎高校方面行きのポンチョが停まる場所に、夜はJR東海バスの
東京方面行きアストロメガと大きさが全然違うバスが停まる。 1回だけ鶴舞駅のみどりの窓口で購入したマルス券の
都市間往復割引乗車券で名古屋−東京間に乗ったわ JR化後も割と後まで残ってたんじゃないかな。
川俣通って福島までの路線。 ドリーム号などのマルスで扱っていた路線、いつ頃に扱いが終了したんだっけ? 志賀草津高原線が長野側で走っていたのはいつまでですか 国鉄時代は新車を>>133のような多客の観光地の路線を担当する営業所に配置し、
オフシーズンになったら本来の営業所へ転属させるなんてことがあったんだね。 今の十和田湖は悲惨すぎる・・・
ちょっと前までは各支店で使ってた車を青森に集めて
十和田湖で使ってから廃車にするケースもあった 東京から愛知県の瀬戸まで乗り換えなしで行けたとか凄かったな 瀬戸はオマケみたいなもんで、主眼は豊田市だったのだろう
ドリーム号再編でも岡崎経由と豊田経由は便は別々になったが
残った訳だし。 中央ライナーの瀬戸行きもあったな
最初は中津川でその後多治見・瀬戸と延長された どうせ瀬戸自営に入庫するなら、営業運転してやれという考えだったり 瀬戸発着新宿行きは営業所閉鎖後も
名古屋から回送してきて暫く残ってたんだっけ?
五時位に発車して多治見中津川経由とか一度乗ってみたかったな 17時発の夜行とは、えらい早い(そして使いにくい)よな
やっぱ中津川あたりに有効時間設定してるんだろうな
(それでもちょいと早めだが) 静岡のあの事故はフェード現象が原因と言われてるが国鉄専用型式はディスクブレーキでフェード耐性が強かった
100キロからフルブレーキしても耐えられる
スポーツカーみたいなバスだったとか凄すぎw >>158
ニワカ知識、お疲れさん。
もっと勉強してから来てくださいね。
尤も元々このスレ自体がニワカばっかなようだが。 国鉄時代に運転士が渋滞回避のために迂回したいと点呼に無線を入れても許可されたかな?
(何のことかは昼特急のスレを見て) 昭和63年度運輸白書より
分離後のジェイアールバス各社においては、国鉄改革の趣旨に沿って、早期に安定的な経営基盤を確立し、地域に密着したバス会社としてその役割を果たしていくことが期待される
前者はともかく地域に密着って、在来線がほとんど消えた今役割は果たせていないよな むしろ路線を持つ方が今となってはリスクにしかなってないような 先日の皆既月食のとき、国鉄時代のハイウェイバスのポスターに
「いい夜だなあ。月の砂漠に寄ってみるか。」ってのがあったのを
思い出したわ。 国鉄時代は東名ハイウェイバスやドリーム号にグリーン車を設定しなかったな
あくまで鉄道のバックアップで採算性を考えてなかった
プレミアムドリーム号はだいぶ時代が下ってから
新幹線の若返り工事で半日運休した時は東名ハイウェイバスを増発したがみんな移動をやめたので閑古鳥鳴いてしまった 国鉄時代に748型がドリーム号に使われたことってあった? 季刊のバスジャパンの国鉄バス特集内の東名・名神専用車の紹介を見るとドリーム号使用車両と、昼行便使用車両と分けている様で前者はD仕様、(補助席無し側窓固定で開閉不可)後者はD補(補助席付きで側窓開閉可)で紹介されていました。
また鉄道ジャーナルのドリーム号乗車記の写真にも748型は写って無い所からすると日デ車は原則使っていないんではないかと思われますね。
仮に使っていたとしても2サイクルのV8RA120形の方に当たったらあの騒音で苦行だったかも知れませんね。
尚D仕様は
三菱ふそうのS49、52年製MS504QとS56、57年製K-MS504Rと59〜61年製P-MS735SA
D補仕様車は
S54・55年製で三菱ふそうK-MS504Rと日デ製K-RA60S(こちらは4サイクル車)がS54〜57年製までとなっておりました。 やはり748型がドリーム号に使われたことはなかったんですね 会社から持たされている携帯電話が機種変更されて
自分のと違う操作にイラつく今日この頃
国鉄時代の7型がメーカーにかかわらず運転席周りの
仕様を統一するという思想が理解できるわ 丹波篠山の城東公民館二階。
その他1階ロビーに国鉄篠山線関連展示物あり
https://i.imgur.com/o0FcDmU.jpg 東京ディズニーランドが40周年ということは
デカつばめのデザインも40周年ということか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています