【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】 9
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>>915
NHKで7月に放送された「明鏡止水〜武のKAMIWAZA〜」を見れば
おれの言ってることが分かるはず
あなたが合気道経験者だったらの話ですがね >>923
おれは気の技には興味ないので
宇城先生の体さばきを、たとえ真似事でもできるようになりたい
開祖の体の開き方に通じるものがある
塩田先生も気や神仏うんぬんではなく、開祖の武術的側面を徹底的に学び取った
それと同じかな
極真空手の全日本チャンピオンである数見肇氏が心服している事実だけでも
大したレベルだと思いますね>宇城先生
安藤先生の多人数掛けみたいなインチキじゃないし
あれは全員が同時に仕掛けてくるので、目の前の相手がいつ攻撃を仕掛けてくるか見れば
後ろの人間が仕掛けてくるタイミングも分かるという、ただそれだけの事 >>928
宇城氏の体捌きねぇ・・・
数見さんが心服っていつの話??
気の技云々やりだしてから、空手の技に魅了されて入門した弟子はみんな、離れて自分たちで稽古会やってるよ。
離れた元弟子曰わく、あれやりだしてから腕が落ちたって。
多人数かけどうこうは置いておいて(宇城氏はできないと思うよ。)、安藤氏が特段、劣るようには見えないね。
本部主席師範の肩書きは、そんなんでなれるもんじゃない。 >>912
手首を掴むこと自体は、即反則というわけではないのですが、手首を掴んだら5秒以内に技を施さないと指導
ってなってんだから、全力で襟と腕掴んでもらって5秒以内に崩せるかやればいいんじゃない?
その掴まれ方だと合気は使えないってこと? 誰も柔道ルールでやれなんて言ってないのに曲解して最初から逃げてんだよなコイツ
まぁやってもワンパンマンにゃ何もできないことは明らかだけどねー >>929
>数見さんが心服っていつの話??
wikiでは2003年に独立して会派を興してから宇城先生の指導を受けてるって書いてあるね>数見肇先生
宇城空手のDVDでも宇城先生とスパーリングしてたし
>気の技云々やりだしてから、空手の技に魅了されて入門した弟子はみんな、離れて自分たちで稽古会やってるよ。
>離れた元弟子曰わく、あれやりだしてから腕が落ちたって。
なんかもっともらしい事を書いてるけど、あなたは病的なウソつきにしか見えない
それとも、おれの気のせいかな? >>902
勘違いした喧嘩自慢ばっか選考されるんだろうなこれ。
朝倉も勘違いがわかってるからタチが悪い >>933
なんで出してくる事例が宇城氏じゃないんだよ
>>932
なぁ、数見氏が今でも宇城氏と関係を保ってるソースを提示してくれよ。
03年て18年前だぞ??
その頃に心酔してたのは知ってるよ。
>病的な嘘つき
その当時の高弟の多くが宇城氏との関係を絶ってるよ。
セミナーに数回通って気の技も受けたけどさぁ・・・あれを全面に出しちゃいかんよ。 >>908
>螺旋状の奇経らしき錐体外路(?)を発見したことが有ります。
裏芸でそんな難しそうなことを、、、わたしも意思に関係なく首と後頭部側頭部の筋緊張が持続するんで可能性あるのかな、、?
ジストニアなどは心因性のことがけっこうあるようですね
ちょうど、ゆうべツボ押しをしたあと寝ていたらいつもと違って体の垂直方向でなくて水平(というか螺旋状)の血流が回復しまして
おーなんじゃこれ新しい!とか思っていたところでした ただ急に代謝が良くなったためにかえっていつもより頭痛の圧がつよひ、、
しばらくこれ続いて、そのあと軽くなる予感です
偶然、「螺旋」というキーワードがかぶるのですよ、、
また、さきほどなぜか「仁義なき戦い」の大友勝利が脳裏に浮かんで超悪党ぶりを発揮しているのを思い出しながら
PCを起動しましたらサニー千葉大先生が亡くなったとのお知らせが、、、
>例の警備員の方とは再会など果たされましたか?
じつは、その警備員の方の記憶も取り留めなく想起されてたとこなのです
微妙にキムタク似だったような気がしたからか、、、身のこなしが只者ではなかったのですがね
もう2年ちかくなりますか、残念ながらあれっきり会えていません
公共工事自体、コロナ以降は近隣でやってないんですよね 武神館は初見氏を含め、本当に使える方が1人だけいらっしゃいましたね。
日本の表立った伝統的門派で、真の意味で戦える方はこちらの方のみなのではと思えるほどでした。
もちろんB面の方はさておき、云わゆる合気系全体にもこのような方はおいでなさらず。
そして案の定メディアが申し合わせたかのようにこちらの方に、一切ノンタッチだった姿が武神館ならぬ不信感を募らさせられたものです。
>>930
着衣を掴まれていればこちらは持たずとも、手を当てるのみで好いわけですしね。。
持たれる前に持つならばやはり持つ必要が有りますが。
>>939
新たな路線の血流が回復されましたか!
月並みなコメントですが、それは好かった。。
頭痛圧は悲喜綯い交ぜですね。
一時的にでも余り強い場合は血管拡張剤なども(処方を受けたうえで)。。
・・・それにしても偶然性の延長ながら、故人は返す返すも残念です。。
私はスタントの現場では入れ違いの世代だったも、故人のアクション理念からは常にオマージュをとさせていただいていたつもりです。
警備員の方も、本当に奇遇に思います。
今やそうしたニッチな方々がどちらで何をされているのか。。
コロナ奇禍、五輪終了、テーパリング開始?・・・音を立てて世の中が、大きく様変わり、キャストの刷新を行なう兆候が現われているのやも判りませんね。
大きな変動の数々には。 >>942
むかーし、むかし、のことじゃったー
今でも通ってるかい?? >>930
大東流合気柔術の一ヵ条から五カ条の技全てが柔道では反則になるよ。
俺は佐川幸義先生の体の合気の様な技はやれないしね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>946
では腕を掴まれた状態で、その接点のみで相手を崩すのは無理ってこと? だから誰が柔道ルールでやれって言ったよ?都合良く話をすり替えんなや >>937
おれは宇城先生じゃなく、安藤先生と比較してるんだけど>背後の殺気を感じて攻撃をかわす
今のお二人の関係は知らないな。おれじゃなく数見先生か宇城先生に聞けば?
>その当時の高弟の多くが宇城氏との関係を絶ってるよ
だから何?としか言えませんね
おれには全く関係のない話だ
その高弟たちは単に宇城空手を理解できなかった落伍者なのでは?
あなたも含めて 今回の動画は素晴らしかったな
まさか平井稔系統の合気道と交流するとは思わんかった 達人ではないのかもしれないが、
合気道全体(-合気会)のプロモートの姿勢には好感持てる 勝つとか負けるとか、一体全体 何をして 勝負つけたというのか…
まさか本気のスパーとかしたわけじゃあないだろうしな >>946
手ではなしに手首を持っての施技は原則的にされないということでしょうか。
四方投げはいかがでしょう。
>>954
伝承者の方と聞き及んでいましたも、目を拝見した時点で視聴を中断しました。
やはり難しい世界なのかも判りません。
武徳流は前記10段の方の系統が出色なのかなと思われます。
それ以外の斯道は技術というより、塩田祖父子の自然体などをこそ学ぶべきと云えるのでしょう。 >>957
四方投げは肩関節極めて投げる技だぞ
いかがもなにも一番駄目だろw >>941
>新たな路線の血流が回復されましたか!
本当におかげさまで。ありがとうございます
しかしこの後の一山がかなりキツそうです
痰だとか膿くさいものがけっこう排出されてきてますし圧迫感マックスですね
でわ新スレにて 心道流は宇城さん以外の人が使えたな。
技はまんま大東流。
もともと小林流にああいうのがあったってことなんかな。 >>961
座波氏が幼少の頃に空手家が首里城に集まって、取手の研究をされたらしい。
で、瑞泉拳と名付けたそうだよ。 知花氏が本部朝勇大師に学ばれた体系が更にベースに有るのでしょうね。
云わゆる合気系発祥の時代以前から同様の体系が存在して来た模様です。
もしかしたら1870年代後半に輸入されたのかも判りません。
>>958
肩は極まりますかね?
無理に捻ったり耐えようとすると肘が極まったりはするかなと。
>>959
アドバイスといった大それたものが出来たかは不明ですが、何がしかインスピレーションにでもなれていましたら望外の喜びです。
ご縁有れば(←甲野氏的風味)またぞろ宜しくお願いします_(_^_)_ >>968
那覇の空手家が集まって取手(捕手)の研究会をしてた。
そこで得た技術群を瑞泉拳と名付けた。瑞泉は首里城の第二門にあった泉の名前(そこの門は瑞泉門)
瑞泉拳て空手の型から取り出した投げ技集なんだけど??
どこに捏造の要素があるの?? >>969
古流じゃないし捏造だろ
創造って言って欲しいのか?w >>970
古流なんて言ってないんだが、どっから勘違いしたんだ??
空手の流儀の成立って、古くても明治〜昭和
瑞泉拳もその時代の話
座波仁吉氏は本部朝基にも会った人で、その時代を知ってる人
これを捏造と言うなら、座波仁吉氏が一人で空手の型から捕手の分解を創作したことになるから、逆に凄いわ。
捏造って言いたかっただけやろ??
君、アホの子なん?? >>971
だから捏造やろキチガイ
言い方を変えた美化が創造やキチガイw >>972
ああ、捏造言いたかっただけのお子ちゃまか
相手して損したわ
根拠も示さずに捏造って叫んでたらええんやから、楽なお仕事でんなぁ >>973
沖縄空手にも系統があり流派があり、型も分かれているんだが??
分けて名称つけたらあかんのか?? >>974
>>975
2レスも使うなアホw
改めて改称する必要はないから捏造
言い換えて美化したいならば創造 >>976
お前の中ではそうなんだろ
お前の中ではな
バカは黙ってろよ >>977
お前やキチガイw
伝統の積み重ねで新たに別の名称を名乗ることは無いわキチガイ 取手ってのは御殿手の事でしょう。
でも御殿手なんて物は無かった。
もっと言うと御式内なんて物も無かった。
一子相伝なんて詐欺師の口上でしょ? >>978
>伝統の積み重ね
ほほぉー、大正〜昭和にかけて起こった空手流派、全部ディスってるの良い度胸じゃねぇか
>>979
違う、空手の型から取り出した投げ・崩し、の事
https://youtube.com/shorts/Fg3H_RG3j28?feature=share
御殿手は名称が元々なくて、上原氏がつけたんだったな。 空手には流派自体なかったのよ
師弟関係で伝えられたそれぞれの流儀はあったけどお互いに普通に交流していた。
本土に進出してきたら日本人はいきりに何流か何段かと聞くから納得するように適当に答えていたら段々影響されて流派が固定化されてしまったのだ。 >>982
それは全部、ID:KAvjZwmx0 こいつ理論だと、捏造、らしいよ >>980
お前
大正や昭和を馬鹿にしてんのか
平成の馬鹿ゆとり >>984
馬鹿にしてる平成のゆとりは
→ID:KAvjZwmx0 だ、間抜け 座波仁吉は塩田剛三よりも強かったと思う。
ソースはどっちとも会った俺w 強いっても所詮、地上最強の空手な時代の強いでしょ。 >>967
これは貴重な情報ですね。
武術として探究していればどうしてもこうした柔法の装備が必要となる、ということでもあるのでしょうね。
>>979
例えば玄制門の源流にも既に、対手の棒を用いた柔法が存在した模様です。
>>981
そう云えば小林門にはチンオーの型が有りますね。
>>986
当て技の威力が有る(と感じる)同士ですね。
塩田氏はそういうイメージで見られていませんが。
>>991
縁起の好い師弟ですね。 心道流の気の話が出たところで
最近の塩田先生と白石先生の動画は非常にわかりやすかった
気とは意識の向け方であると。ここらを曖昧に説明する先生が多いのに、実に単純明快。
植芝翁が意識は光速を超えるといって月に意識を向けたりしてたそうだけど
実際にそういう操作をしてたんでしょうね >>967
この動画の人は本当に心道流なの?
こんな当たらない突きを捌いて何やってるんだか… >>996
これは型の一動作を使って「崩しをかける」稽古
突きを捌くことが目的じゃない。
稽古には段階があるのが普通だろ。
それぐらい分かれよ >>995
刃が下向きだったりするのですね。
狭い場所で、まさに腰のまわり(を動かす)を具現されている姿と感じられました。
>>998
無かったように思われます。
戦中は入れ違い、戦後は1948・49年が同時在籍でしたが、本部と支部(?)とで所属が相違しました。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
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