空手の型はやるだけ無駄と言う現実126
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実125
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1611629552/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 前スレハイライト
960 名無しさん@一本勝ち (バットンキン MMdf-114u [153.233.244.103]) 2021/02/23(火) 20:39:31.71 ID:859Q3SPjM
>>959
まあ此処に書き込んでる奴は皆馬鹿だしね
君も含めてw
963 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd5f-DiVd [49.98.112.179]) 2021/02/24(水) 00:01:21.21 ID:72LVXzJsd
>>960
へえ、自分は馬鹿だという自覚はあるんだ。
そこだけはまともな内容だね。
>>961
話云々の前に君のこれまでの書き込みを全て見せて、君の書き込みが納得されるかどうかを試したほうが君も色々考えるんじゃないかな?
あと、オフ会をすっぽかしたから勝ったという書き込みは都合の良い解釈だろう。
そもそも論だが、オフ会に出て、実際に私と会った場合、君は勝てていたのかな?
会って、私が複数人で待っていたら君はどうしていたかな?
ボコボコにされ、最悪傷が元で身障者になったり、戦いで死ぬこともないとは言えない。
そうなる可能性もちゃんと覚悟していたかな?
これまでの5ちゃんねるのやり取りで君は100%恨まれてないと言えるだろうか?
そんなリスクある待ち合わせ場所になんらかの身を守る手段を君は持っているのか? 964 名無しさん@一本勝ち (バットンキン MMdf-114u [153.233.244.103]) 2021/02/24(水) 00:21:08.24 ID:bUoX7k3lM
>>963
ただのオフスパーで怯えてるのオマエくらいだよ
そんな事言ってたら何も出来ねえ
とんだ腰抜けだな
965 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd5f-DiVd [49.98.112.179]) 2021/02/24(水) 00:28:28.95 ID:72LVXzJsd
>>964
まあそういう想像力や予測がないのがお前の格闘技や武術の限界であり、型の意味を理解できないところだな。
お前のは勇気や度胸があるとは言わない。
単に無知なだけだ。
漫画や映画で真っ先に死んでいく役はお前みたいな無謀な馬鹿だ。
とんだ勘違い君だねwww そして正論
966 名無しさん@一本勝ち (バットンキン MMdf-114u [153.233.244.103]) 2021/02/24(水) 00:34:38.70 ID:bUoX7k3lM
>>965
自信ないなら喧嘩を最初から売るなよw
そもそも型の考えが闘争を避ける事ならオマエの挑発は矛盾してるんだぞ?
馬鹿なんだからそれくらいは考えろよw
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1611629552/966 そして型ヲタの負け惜しみ
968 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd5f-DiVd [49.98.112.179]) 2021/02/24(水) 01:04:38.12 ID:72LVXzJsd
>>966
相手の実力を知らない奴が、型など勝手に使えないと思い込んでいる時点でお前ごときは私からすれば恐るるに足らん。
お前レベルが逆に変に自信満々なところが身の程を知らずだろう。
まあ阿呆には言葉は一生理解出来んだろうけどな。
自信と無謀の違い理解できますかー?www
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1611629552/968 以上終わり
自分で喧嘩を売りながら現場に来れない惨めな型ヲタの一礼です 次スレからのテンプレに
【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果
を追加してくれ↓
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。 スレ立て乙
前スレ最後に源流の話題も希望とあったが、源流の話題って面白いのかな?
個人的に唐手の歴史を色々と調べてきたが、最初は空手ではなく昔の唐手の姿を
知りたい興味からで、次に調べたその唐手が本当に真実なのかを調べるためで
結論として唐手はロクに組手せず型ばっかで大した技術なかった、という結論になった
調査の副産物として結果的に源流にも迫れたが、大した技術が無いと分かってしまった現在では
源流がどうとかってあまり関係なくね? だって、どういう源流であれ大した技術がない以上は
それ以上発展のしようがないと思うのよね。
自分は沖縄の舞手(めーかた)の武術をモチーフにした踊り部門がいつしか独立して型になり唐手になった
と思ってたし、今でもその可能性は非常に高いと思ってるのだけど、仮にそうであってもそうじゃなくても
結局唐手に大した技術がないのなら、舞手が源流でもそうでなくても別にいいかな、という事に気づかされた。
どんな源流であっても結局のところ低レベルという結果は変わらないもの。
もし技術的なことじゃなくて学術的だったり文化的な意味で唐手の源流を知りたいという奇特な人が居るのなら
ごめんなさいだけど、あまりにも技術とかけ離れた流れになるとそれこそスレ違い(というか板違い)になると思う。
型は技術的に大した意味がない、ということが歴史から判明してしまった以上、もう源流さんの出番は特に無いかと。 あ、舞手じゃなくて舞「方」だったか。スマン。
この舞方だが、ひらたく言えば踊りで例えば棒を使った舞方にこんなものがある↓
https://www.town.haebaru.lg.jp/kankou/docs-kankou/2015060300050/
冒頭3〜4行を読むだけで充分理解できる。
無形民俗文化財の踊りになってるけど、これってこういう分かりやすい衣装を着ずに
バックにも音楽も流さず、メリハリをつけて動作をすればもうそれだけで棒術の型に
お手軽変身できちゃうと思うのよ。
舞いとして踊るのではなく、もっと武術寄りでやりたいって一派が自然に分かれたのが
琉球武器術や唐手の型の源流かなと。武器術と唐手、どっちか片方だけ対人稽古があって
どっちか片方は型だけとかだったら、そりゃ考えものだけどさ。武器術も型もどっちも
対人稽古をロクにやらず独りでやる型だけで、すぐお隣に喜屋武の舞い方棒だの
クーシャンクー踊りだのがあったら、そりゃ無関係の方がおかしいかなと。
そこにさらに中国拳法の伝聞が断片的に入ってきたりとか、あとごく少数だろうけど
沖縄土着の今でいう筋トレみたいな筋骨鍛える一派とか、巻藁殴って手足を固くする一派とか
そういうのが合わさったのかもしれない。あるいはそういう一派が舞い方を見て自主トレとして
突いたり蹴ったり出来る踊りが欲しくて舞い方を見て型を模倣したのかもしれない。
舞方なんか関係なく、中国から来た貿易商人に套路の概要を聞いて創作した可能性もある。
でもどんなルートであれ、結局対人稽古をやってない時点で唐手は詰んでる訳で、それ以上の考察は不要かと。 過去スレで、もう大分言いたいことも書いてきたし俺の役目も終わった気がするけど
念のためもう一回だけ言っとく。
全空連の競技用の指定型、改変されまくったフルコンの型
そういうのしか習えず、源流の型、あるいは動作を改変していない古い唐手の型を
習ってる人達に羨望やコンプレックスをもってる方が居ましたら、安心してください。
沖縄の古い型だろうが本土の指定型だろうが、技術的に大した意味がない時点で一緒です。
沖縄の有名な唐手家の高弟、あるいは直系の系譜や道場に憧れや羨望がある人
安心してください、昔の唐手家は自由組手したことないので、大した技術は伝わっていません。
もし伝わってるとしたら、それは近代になって創作したりこじつけたものが大半なので
これ読んでる貴方も同様にこじつけたり創作すればOKです。やってる事は一緒です。
わざわざ習いに行く必要はありません。コンプレックスを持つ必要も大してないです。
型が改変されてようが昔のままだろうが、大した意味は込められてない時点で、瑣末なことなのです。
有名な先生の系譜とかいうのも同様です。有名だろうが無名だろうがロクに対人稽古してない時点でザコです。
有名な先生とか古い型とかに囚われず、貴方らしい空手を修行してください。おわり。 実際、空手は流派が分かれまくってるのは根本となる教えがない、伝わってないからこそ、各人がそれぞれに自分なりの解釈をして一流一派を立ててしまっているのが現実だからな。 そう言えば元極真の岩崎達也が剛毅會っての作って9段を名乗ってるの引いたな
そんな年齢じゃないだろと 30年くらい前かな?
「裏当て」とか「本当の空手の突きは帯が横に揺れるんじゃなく縦に揺れる」とか聞いたのは
(裏当てって本土武術用語だったっけ?)
当時は神秘的な技なので習得が難しく、ちゃんと伝承されなかったらフルコンや寸止めが
出来てしまっんだ、と思ってたわ
だからうちの流派には本物の技術が伝わってないんだと
そんなもんは最初からなかったからフルコンや寸止めが出来たんだ事やったんや
逆 逆ぅってかw
まぁそれが真実でも今でも空手は好きだしそれでええんちゃう アンチはわざわざ駅まで行かされ
カタ派の彼は家で缶ビールを飲み
高みの見物を決め込んでいた
燃えよドラゴンの冒頭で
リーがあの島で戦おうと提案し
それにまんまとだまされて
ボートにのって行ったのがアンチ
無手勝流でだましたリーがカタ派の彼
カタ派の方が実際に戦わずして
勝ちをおさめたわけだから
どう考えてもカタ派の勝ち
結論
カタをやると戦わずして勝つことができる >>13
俺は空手歴数十年なんだけど裏当てってコータローまかりとおるで初めて知った
だけど実際に出来た人って聞いた事も見た事もないな あの時
わざわざお金をはらって
いつもは使わない駅で降りたのなら
相手を確かめもしないで
ホームにもどるまでが早くない?
もどるの早すぎ!
速攻で逃げ帰るんじゃ
元々来ない方の圧勝 「たとえばなし」だから
島が北浦和
ボートが電車
あの映画では空手じゃないとか
島に行こうとしたんであって北浦和じゃないとか
ボートを使ったんであって電車じゃないとか
本質はそこではない >>11
俺が調べた限りでは、型として古いのはまず間違いなく那覇手ではなく
首里手及び泊手。この2つはどっちが古いのかは分からんし、そもそも
首里手だの泊手だのという括りも比較的近代のものだからアテにならない。
過去スレで少し話題に出した、確認できる最古の3つの型はどれも首里手と
泊手に今でも存在する。が、型が古いのは首里や泊だけど、実際問題として
唐手、もっと古い唐手ではなく手、原初の巻藁突くだの筋骨鍛えるだのの流れは
実は首里や泊ではなく那覇手が発端なんじゃないかと思ってる。那覇手は唐の手
つまり中国拳法由来とかいう尾ひれがついてるから錯覚しやすいけど、妄想やデマを
全部取っ払うと部位鍛錬、筋骨を鍛える、体を固める、などの原始的な「手」の特徴と合致する。
船越が戦前の雑誌での寄稿で古老達は唐手と沖縄手という2つの名称を使っていたという旨の回想を
しているが、今ではその2つはどういう区分けだったのか判然としない、みたいな感じに結論づけてた。
唐手の型は全て沖縄や本土の言葉ではなく中国語を模した名前がつけられているので、
カテゴリーとしては日本以外の存在という事に一応なる。
俺は唐手というのは実は首里手や泊手の(特に型の)事を指してたんじゃないか?と思う。
そして対する沖縄手というのは、型とかではなく、土着の武術(というより鍛練法)として
行われていた部位鍛錬、巻藁を突く、体を固めるなどの那覇手を指していたんじゃないかと。
那覇手は東恩納が中国で修行してきたから「手」ではなく「唐手」というイメージが現代では強いけどね。
そういうおぼろげな認識だったものが、ある時期を境に(本土への普及、あるいは戦後開祖格が没してから)
おぼろげ故に後世の人の解釈で逆転したのかなと。特に那覇手の人にとっては「沖縄手」よりも「唐手」の方が
都合がいいからねw まあ「手」にしろ「唐手」にしろ「沖縄手」にしろ大した技術レベルじゃないから詮無い話なんだが。 古流や型・形をバカにするヤツが
北浦和に電車でおびきだされて
ほったらかしにされる
まさに映画の冒頭の「本質」のとおり 「カラテキッド」のリメイクは
どう見ても中国拳法なのに
「カンフー」キッドでなく
「カラテ」キッド わざわざお金をはらって
駅をおりたのに
早々に逃げ帰るなら
元々来ない方の勝ち >>13
帯が縦に揺れるのが本当の突き、からもうちょっと時代が過ぎると今度は
サンドバッグが縦に揺れるのが本当の突き、になるw
多分だけど、寸止めにしろフルコンにしろ、その世界でトップを取れる層ってのは一握りで
年々業界全体で技術レベルが上がっていくほど、トップどころか中堅の層に入るのも一苦労になる。
空手が好きでやってるだけで楽しいとか、あるいはトップや中堅になれなくても以前の自分より成長してる
それだけで満足っていう層は健全に空手を全う出来るんじゃないかと思う。でもトップに行きたいけど行けない自分
頭の中で思い描いてるほど強くなれない現実の自分、そういうのにコンプレックスを感じてる人とかが何とかして
自尊心を保とうという時に都合がよいのが、対人を必要としない帯やサンドバッグを使った曲芸まがいの現象。
競技や試合で結果は出せないけど、普通の人には出来ない、普通の人とは違うというプライドは一応保てるからね。
似たようなプライドの保ち方として、改変されてない型をやってる、とかね。○○先生の直系とかね。
やってるのは改変された型だし習ってる先生も無名だし帯やサンドバッグも縦に揺れないけど
組手には自信がありますよ、オフスパーも構いません、って方がやっぱ健全だしまぶしく映るよね。 補足として、那覇手の型は東恩納より前の時代は痕跡が皆無なんだよなぁ。
同時代の糸州が那覇手をやってた割には残していないし、東恩納が三戦と
ペッチューリン(スーパーリンペー)と首里や泊のセーサンを改造して作った
那覇手の十三、その3つあたりを作って、残りの那覇手の型は宮城と許田が量産
したってのがまあ大体のところかと。ちしょうきんとかいうアホな話は論外として。 >>20
ブルース・リーは挑発されて争いを避ける為に闘争避けたのであって
喧嘩を自ら売って争いの場を指定したのは型ヲタを全然違うんだが?
まして後輩が捕まった
事情聴取を受けてる
オーナーに道場の使用を禁止されたとかありもしない事ならべ立てたでしょ?
これで勝ちとは誰も思わないよ 型とは通常ならば困難であろう動作をする事によってその流派独自の武術的な躰に
仕上げる為にあると書いたはずだが 型に困難な動作なんてあるの?
ヒザ悪い人が跳躍の動作難しいくらいしか思いつかないんだが 例えばナイハンチ
空手を習い始めると真っ先に教わる型だが極めて難しい もう寝るんで、
その難しいナイハンチのどこら辺が難しいのか抽象的にではなく具体的にお願い。
そして難しい箇所やその教えが戦前の唐手家達の時代から存在し技術として認識され
伝承されて今に至るという歴史的な根拠もお願いします。
そうじゃなくて本来の意味じゃないけど、僕がただ難しいと思うから難しい、
という個人的な感情論ならそれはそれで別に構いません。ではおやすみなさい。 ニュアンスが難しくて上手く説明出来ないけど簡単に言うと型は拳立てと同じ >>30
自分は茶色帯で辞めた
だから偉そうな事は言えない
自分の教えに責任持てない 隠されていた空手の桧恒先生は20年前の当時、伝統派の人もフルコンの人も指導していた
色々な人が集まってたみたいだからね
伝統派でも会派が違えば同じ型でも違いというは当然出てくるし
それが伝統派同士ではなく伝統派とフルコンになればより違いは顕著に出てくる。
分かりやすいところでいえば平安に多く登場する手刀受け。本土では胸前の中段に払うけど
沖縄では下段に払う。フルコンの極真では本土と同じ中段に払うけど腰元からシュパっと大きく
回すように持って来る。この時点でそれぞれ全然違うといえる。
だけど桧恒先生は、平安を指導する時にこれらの動作の違いを特に直すことはせず
自分が習った型のやり方でいいっスよ?というスタンスだったらしい。
桧恒先生の売りは「分解」だったから、型をやる時にちょっとくらい手の位置が違ってようが
動作がオーバーアクションになってようが、中身として教える分解にはあんま関係なかった。
俺はこれは今でも桧恒先生の良い点だったと思う。
桧恒先生は教えるれる内容があったからそういう指導スタンスだったけど、
ロクに型の中身について教えれる技術が無い人達は、中身じゃなくて型の
外見の動作にやたらこだわるよね。本来の動作はこうだ、手の位置が違う
ここはゆっくり動作して、ここの足幅はこうで、みたいにさ。いちいちうるさい。
平成の中頃まで沖縄唐手の人達がこれだった。教えれる中身が無かった故なんだろうね。
結論として、伝統芸能として型を正しく行うことに意味を求めたりなら別にいいのだけど
そうではなくあくまで組手の強さが目的であったり、その組手と型を正しく行う事がリンク
していなかったりするのなら、ちょっとくらい足幅が違ってようが手や足の高さが違ってようが
それこそ動作自体が部分的に違っていても、別にいいんじゃないかな。そこは多分大事ではない。
なので型肯定派の人は他の会派や流派の人が自分と違う型をやってても気にしないでいこう。
そこにこだわるよりも前に、もっとこだわったりこじつけたりしなきゃいけない事が沢山あるハズ。 >>20
>古流や型・形をバカにするヤツが
>北浦和に電車でおびきだされて
>ほったらかしにされる
後付けの勝利宣言カッコ悪いよ(笑)
おびきだして勝ちだったら下記の発言は何だったの?おびきだして写真見た段階でネタバラシしてればまだ説得力あるけど、実際にアンチに駅まで来られてビビりまくって、アンチが通報して後輩が警察に逮捕されたからオフ会が流れたと嘘ついて誤魔化す意味が全くないよね。
110 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd70-Lq7L [49.98.80.149]) 2020/12/23(水) 17:12:57.02 ID:+ZjgCDmNd
じゃあ、今日やるか。
仕事終わりが19時前たから、19時半でお願いするわ。
後輩にも連絡する。
お前は今日北浦和駅の改札口に19時半に来てちょうだいよ。
よろしく。
119 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd70-Lq7L [49.98.80.149]) 2020/12/23(水) 18:47:31.01 ID:+ZjgCDmNd
仕事終わりは19時くらい。
練習場所に移動して準備済むのは19時40分、
後輩迎えに行くのは19時半。
組手したいの分かるが、もう少し待っとけ。
141 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd70-Lq7L [49.98.80.149]) 2020/12/23(水) 19:47:50.65 ID:+ZjgCDmNd
あと、今後輩から電話連絡来て、警察官になんか話聞きたいと言われて移動すると来たんだが。
誰か連絡した?
私も今から駅向かうよ。
151 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd70-Lq7L [49.98.80.149]) 2020/12/23(水) 21:04:01.70 ID:+ZjgCDmNd
来たかどうかは不明だが、アンチには申し訳ないことした。
後輩は最後まではそんな探しに来た人や質問してる人は居なかったそうだが。
後輩と一緒にいた警官の話だと、こちらが一方的に暴行しようとしてると通報が入り、警察にて事情聴取をされた。
オフ会するだけで武術の交流するだけと伝えて、話は理解された。
ただ、どこで練習してるかと借りてる場所含め、道場として非認可でしてたことがオーナーに伝わり、今後は練習場所が利用不可になってしまった。
オフ会についてはまた場所が決まり次第、連絡するよ。 つうか、ボクシングの強豪県の高校生大会の参加選手
新人戦
各階級一人、人気のある
バンタム級四人
フェザー級三人
で、基本参加=優勝みたいな感じで進むんやぞ?
そもそも、プロ格闘家みたいなノリの練習を軽々しくやるなんて夢のまた夢だぞ???
型がキレイに出来て、一応寸止め組手と、ミットや巻藁に打ち込みやってる奴以上の経験者なんて数えるほどしかおらん >>36
それはある。
KOルールやると分かるけど、体に悪いから止めとこってなるよ。
センスがあって世界チャンピオンになれないのであればやらない方がいい。 >>38
自分が出ろよ
名無し型アンチエックス
とか名乗って出ろよ
で、第2回からは、型マン1号が、対戦表明してく形式にしようぜ その前に試合から逃げて型の兵法で勝ったと言い出すから(笑) 型をやらない空手道場あるんですか?あるなら習いたい。頭悪いんで型とか覚えられない >>41
試合に二回出るだけで、明確に型オタに勝ったということが出来るんだから良いじゃん
逃げたとしてもさ
名無し型アンチエックス
なら誰かも分からないし 前屈後屈騎馬は、同じ立ち方の方向転換や重心の変化みたいなものだけど、
これを縦横無尽にやるためのエクササイズというのが一番重要な意味合いだと思うよ
最初のうちは。
だから、最初は覚えられなくてもいんじゃね? >>43
>試合に二回出るだけで、明確に型オタに勝ったということが出来るんだから良いじゃん
逃げたとしてもさ
試合に出るだけで勝ち?ただ出るだけで勝ち?
それって、どういうスペシャルな理論なんですか?(笑) 型オタのオフスパーから逃げても勝ち、試合に出るだけで勝ち、つまりこれって内容は一切関係ないということにねるよね。
つまり半島で有名なことわざ「泣く子は餅を一つ多くもらえる」駄々をこねて泣けば要求が通るというあれか(笑)
前スレのようにオフスパーから逃げたのに勝った勝ったと駄々をこねて泣きわめいて周りが呆れて黙ったら、自分が勝ったから周りが黙ったんだと、延々と勝った勝ったを繰り返し、何回もアホ理論を蒸し返していたもんな。 >>42
寸止めの道場は一応やるからねえ。
全くやらないわけにはいかないよ。
後、余程の馬鹿じゃない限り、型は意外に簡単に順番を覚えることが出来るよ。
もちろん、試合で勝てるレベルにまで上達するのは簡単じゃないけどね。
昇給、昇段審査程度なら誰でも出来るよ。 >>46
>型オタのオフスパーから逃げても勝ち、試合に出るだけで勝ち、つまりこれって内容は一切関係ないということにねるよね。
「···一切関係ないということにねるよね。」
ねるよね?
お得意の泣き寝入りかな?www
>つまり半島で有名なことわざ「泣く子は餅を一つ多くもらえる」駄々をこねて泣けば要求が通るというあれか(笑)
ファビョって前々スレの話を延々とするのを見て半島の方かなと思ってたが、例えが出て確信したわ。
遺伝じゃファビョるのは仕方ないねwww
>前スレのようにオフスパーから逃げたのに勝った勝ったと駄々をこねて泣きわめいて周りが呆れて黙ったら、自分が勝ったから周りが黙ったんだと、延々と勝った勝ったを繰り返し、何回もアホ理論を蒸し返していたもんな。
お前は何回も負けた負けた書いてるというか宣伝してるよな。
周りはお前の話に、今のところほぼ寄ってきてないのが負け犬と認めている証拠であり、相手にするのも馬鹿らしいからだろう。 >>48
型オタは何も勝ってないとは指摘してるけど型オタが負けた負けたなんて一言も書いてないよ(笑)
誰も言ってもないのに負けた負けたなんて言われたと感じてるということは、型オタが敗北を感じていたということなんだね。わかりやすいねー。
オフスパー逃げて勝った勝った言ってるの半島のフェンシングの選手が判定に納得いかないと試合場に座り込んで抗議してたのにそっくりだったから、自己紹介しないでも大丈夫だよ(笑) で、結局質問に答えてないじゃん
>>43
>試合に二回出るだけで、明確に型オタに勝ったということが出来るんだから良いじゃん
逃げたとしてもさ
試合に出るだけで勝ち?ただ出るだけで勝ち?
それって、どういうスペシャルな理論なんですか?(笑) まずは、素人のぷろたん辺りに勝って、型が闘いに役に立つ証明をしないとな
まあ十中八九負けると思うけどw 戦わないで逃げて勝った勝ったと言ってる、戦いの土俵にすら立てないのが型オタだから無理だろ。
例え試合やったとしても試合結果に主張が通るまで勝った勝ったと泣き叫ぶのがお家芸だからねー https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12597657424.html
これを読むと安里先生の空手は相当に実戦的だったことが分かる。
戦えないと書いた馬鹿がいたが、研究不足並びに知識不足ということだ。
昔日の武人はやはり大した方々である。 >>53
それに比べて戦わずに逃げて勝った勝ったと泣き叫ぶ現代の型オタの情けないこと、情けないこと >>53
そのブログの方が「当時、ほとんどの空手家は掛け手をやんない、約束組手も本部が最初」と言ってるから
その方の主張を信じるならアンチの否定にもなってないんよなぁ
アンチは本部のような実戦派は極一部にいたってのは認めてるし
そもそも船越の言葉が独り歩きしたのだって「実戦派じゃない人が多かったから」という証でしかない
残念 そして現代の型オタは逃げてばかりだから過去に型も組手もできた人がいても、現代には失伝していれば型はやるだけ無駄なことには変わらないんだよな。
結局、このスレの型の兵法(笑)は逃げて勝った勝った言ってる半島のお家芸レベルなんだから。 歴史研究はアンチの方が相当やってる感じだから過去の話で戦わない方が懸命だよ
歴史研究したからアンチになったんだろうし
オフ会どうのこうのでグダグダ誤魔化してる方がマシなんじゃね >>50
試合に出ずに勝ったって言うのが型だというのだから、出ただけでも当然勝ちになるよね。 >>53
昔の達人は強かったってことにしないと、威厳が保てないだろう
本当に型ヲタは世間知らずだよなw 型にスペシャルの効果があって昔の達人が強かったとしても、その型の意味が現代において失伝していたらやるだけ無駄という現実だよね。
実際にこのスレの型オタはオフスパーから逃げて勝った勝った型の兵法で勝ったと五歳児のように泣き叫んでるだけの腰抜けなんだから、
結局は昔の達人が型で実戦に強くなったという証明に何もなってないからな。
型オタは何でオフスパーから嘘ついてまで逃げてしまったの? >>60
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、隠遁する場合において逃げるという言葉が適用される。
私は嘘は間違いなくついているが、逃げる以前に行くつもりなく、相手を動かし、その様子を眺める間に上記に適する理由も原因もなく、その動作もない。
したがって、相手が逃げたということにして、一方的にいいように騙された自分が情けないことを誤魔化すためだけに相手が逃げたということにしたいアンチ側の理由により私を逃げたとしたい話なだけだ。
まあ逃げたということにしても全く構わない。
アンチが私に操作され、私の望むように動き、それを眺めながら私がビールをゆっくり味わい、楽しんでいたのは事実であり、アンチが随分前の話を未だに忘れられないのはやられた側の悔しさが解消されないからなのは明らかだ。
やられたことを認めず、相手が逃げたことにしたいアンチのスレでの文面はお隣の国のファビョった奴と同じ自身の傷ついた心から目を背ける逃避であり、真の逃避者はアンチ本人なのである。 >>53
どこが実戦的だったのかまるで分からないんだが?
まず記事に出てくる「今日の戦術に矛盾する」ってのは文脈から察するに
当時日露戦争での大勝利を皮切りに戦時色が年々強くなっていった日本の世相を
反映しての言葉だと思うが(特に主力であった海軍の旗振り東郷元帥は「制機先」
を事さら掲げていた)、まず唐手にロクな戦術というものが存在しない。
いや、存在する!という人は、是非その戦術とやらを当時存在した記録もまじえて解説していただきたい。
次に「これ等は唐手で云うと、敵に先を制せられた時は受けると同時に入れ反えしをせよと云う意味になる」だが、
これこそ輪をかけてゲンナリした現実で、要は「先に殴られたらこっちも殴り返せ」って言ってるだけやがな。なんぞこれ?
無抵抗主義でいる訳にもいかんし、殴り返せって言ってるだけで「相当に実戦的だ!」とか信者の頭は怖いねえ。
武術的には、その一撃で本来なら死んだものと思え、とかさ。あるいは、虚を突かれたならば
血気にやり返すのではなくまずは旦間合を取れ、何となればその場を逃げ離れ体勢を立て直せ
とかなら「殴り返せ」よりかは少しは拝聴の価値もあるってもんだがなぁ。あ、別に「殴り返せ!」
ってのが悪いと言ってるわけじゃないよ? 別に悪くない。ただ高度でもない当たり前の話ってだけ。 >また、(剣術では)「先の先」を制することができなければ、「後の先」を制しなさいと言われている。
>これらを唐手に当てはめて言うと、
安里はこんなことを↑言ってるけどさ。なんで唐手に当てはめる必要がある?
そもそも剣術様の「先の先」とか「後の先」なんて用語をいじましく借りなくても
唐手に元々そういう意味やあるいは独自の戦術が本当にあれば、わざわざ剣術様の
こんな言葉を借りて語る必要ないわけ。
先の先や後の先に相当する用語がないから剣術を先に引き合いに出さなきゃいけない。みじめだねえ。 ま、用語がないのも秘密主義。記録が残ってないのも戦火で焼けたから。
殴り返せは高度な戦術、これにて型オタの頭は今日も平和です。ちゃんちゃん。 >>61
日本語が不自由過ぎるだろ(笑)
半島の母国語じゃないと言いたいことが言えないという事だけはよくわかった。 >>61
>なぜ逃げたか?
ようやく逃げたの認めたんだな(笑)
>その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、隠遁する場合において逃げるという言葉が適用される。
隠遁??隠遁に逃げる意味ないぞ(笑)
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
つまり無職で引きこもりということをアピールしたかったの?(笑) >>61
約束をすっぽかしただけ
勝ち誇れる部分はどこにも無いぞ? 約束をすっぽかして、責任転嫁するやり口はお隣の国の思考回路と同じですね。
リアルで相手をしなければならない外交官には本気で同情しますわ 半島の固有語には約束という言葉がないから、約束をすっぽかした事に対して日本人が、なぜ怒ってるのか理解できないので、
型アンチが悔しい?とか騙された自分が情けない?とか的外れな事ばかり言ってるんだね(笑)
約束破って逃げたのが型オタ。それ以上でもそれ以下でもない。 しかし泣く子は餅を一つ多くもらえるとかw
慰安婦でも本気で実践してくるメンタルがすごいw
たしかに目先の利益は得たのかも知れんが失ったものの方が遥かに大きんだけどね。
アホだから総合的に物事を判断する事ができないんだろうなw 目先の利益=相手を誘い出して交通費を使わせて待ちぼうけさせてやったぜバーカ、バーカ。
失ったもの=型オタのいう空手の型の勝ちって約束破って嘘ついて騙して逃げただけで何も勝ってないし、もはや何を言っても説得力ないそ、やはり空手の型はやるだけ無駄だということなんだね。 >>66
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
のがれる→逃れる
「隠遁??隠遁に逃げる意味ないぞ(笑)」
やはり日本語が不自由なんだね。
日本に来て日が浅いのかな?
頑張って早く上手くなって下さいねwww
あと、馬鹿みたいに、いや、馬鹿だからだと思うけどだらだら駄文長文多いよね。
もう少し頭の中でまとめてから書いてみたらどうかな?
多分無理だと思ってるけどwww 外国人の創作型の動画 ちょっと10秒でいいから眺めて欲しい
https://youtu.be/arWnJ13nb2c?t=32
型っていうより、ダンスやパフォーマンスに近いのかな? どうもそういう競技っぽい。
まあ、ここは分かりやすく空手の型とひとくくりにして話をすすめる
上の動画を見たあとに、次はこの動画を見てもらいたい
知花朝信の貴重なナイハンチの映像 これも5秒くらいでいいわ
https://youtu.be/H51f6-qwly8?t=5
さて、上で挙げたこの2つの動画に違いはあるでしょうか?
外人の型は高い身体能力が要求されますし、知花の型は伝統的な価値があります。
では、この2つの型に武術としての価値はあるでしょうか?
特になにも。 型に武術としての明確な技術や術理が込められていない以上は、古い沖縄人の型も新しい外国人の型も
等価値なのです。そして殴り合いという面で見たら無価値といっていいかもしれない。そして、残念ながら
これを読んでる貴方がやってる型も同様に等価値であり無価値なのです。
強さとか関係なく型をやるのが好きだから、ちょうど良い運動量で気持ちの良い汗がかけるから
というのであればまったく問題ないし、むしろ一番賢い部類の人です。そういう人は今までどおり
型を愛好すればいい。だけどもし型に意味がないと薄々気づきながらも自分の心に嘘をつき続けて
殴り合いの強さに直結すると夢見ているのであれば、、、。
そういった現実から目を逸らしつつ惰性で夢を見続ける行為が一番不健全です。型を捨てるなら捨てる
こじつけるならこじつける、どちらを選んでも痛みを伴いますが現実的で健全な一歩を踏み出しましょう。 ところで再度投下するが、この知花の型どう思う?
https://youtu.be/H51f6-qwly8?t=5
俺は歳相応にフラッフラでヨボヨボな型をやってるなあ程度にしか思わんが
リンク先のコメント欄を見ると、まあ気持ち悪いの何の。
珠玉だの恐ろしい次元に達してるだの、みんな好きだなあオナニーが。
珠玉だったり恐ろしい次元だったりは、知花の実力がどうこうではなくて
そう見たい人にはそう映るってだけの話だと思うわ。そういう人がコメ欄に集まってる。
多分これ、外国人がまったく同じテンポと動きでやっても同じような賞賛のコメントはつかんだろうね ねえねえ、馬鹿なアンチのドヤ顔が歪む返信、見たいという人手を上げて♪
↓
>>66
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
のがれる→逃れる
「隠遁??隠遁に逃げる意味ないぞ(笑)」
やはり日本語が不自由なんだね。
日本に来て日が浅いのかな?
頑張って早く上手くなって下さいねwww
あと、馬鹿みたいに、いや、馬鹿だからだと思うけどだらだら駄文長文多いよね。
もう少し頭の中でまとめてから書いてみたらどうかな?
多分無理だと思ってるけどwww >>77
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
オフスパーから隠遁する。
俗世間から交わりを絶って俗世間のオフスパーから逃れて暮らすこと。
つまり引きこもりだということだよね(笑)
無職で引きこもりの自己紹介乙www >>79
現代において失伝していたらやるだけ無駄だと既に書いてあるだろ。
やはり日本語読めない奴なんだな(笑)
60 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sreb-VSrb [126.208.159.32]) 2021/03/03(水) 16:25:09.52 ID:qb5+GkQ0r0303
型にスペシャルの効果があって昔の達人が強かったとしても、その型の意味が現代において失伝していたらやるだけ無駄という現実だよね。
実際にこのスレの型オタはオフスパーから逃げて勝った勝った型の兵法で勝ったと五歳児のように泣き叫んでるだけの腰抜けなんだから、
結局は昔の達人が型で実戦に強くなったという証明に何もなってないからな。
型オタは何でオフスパーから嘘ついてまで逃げてしまったの? 映画「酔拳2」のジャッキー・チェンの技
失伝してない頃の型の実戦での使い方はあんな感じかもしれない
物理が得意なんだけど一応理にかなっている
ただ効くかどうかはわからんが >>78
学習したつもりになってるんだね。
隠遁の使い方が間違ってるよ。
この場合は
オフスパーから隠遁する。
↓
オフスパーしなくて胸を撫でおろし、いち早く北浦和から離脱する。
だよね。
まだまだだね。
日本語の習得頑張り給え。 >>76
単純なスピードじゃなくなくて先を取り相手より速く動き懐に入り、当破で強力な打撃を叩き込む
型を見ればその実力は想像できる
とか解説すればあっさり信じるような奴らがコメ欄に大集合してるな >>61
>去る、避難、隠遁する場合において逃げるという言葉が適用される。
オフ・スパーから去る
オフ・スパーから避難する
オフ・スパーから隠遁する
>>82
普通の日本語ではオフ・スパーから逃げる意味で隠遁は使わないんだけど(笑)
自分でオフ・スパーから隠遁が正しい日本語だと主張しているのだから
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
つまり俗世間から交わりを絶ってオフ・スパーから逃れて暮らすこと。
やっぱり引きこもりだということだよね(笑)
無職で引きこもりの自己紹介乙www 俗世間から逃(のが)れるという表現と、単純に逃げるという意味の区別がついていない、
>>82
>オフスパーから隠遁する。
↓
>オフスパーしなくて胸を撫でおろし、いち早く北浦和から離脱する。
>
>だよね。
ガチで日本語のできない半島のお方と判明しました。嘘ついて逃げて勝った勝ったと泣き叫ぶファビョーン(笑)は本家本元のものと判明しました。
コトバンクより
隠遁
(読み)いんとん
隠×遁
ブリタニカ国際大百科事典
世俗を離れて生活すること。
goo辞書より
隠遁
いん‐とん【隠×遁】 の解説
[名](スル)俗世間を逃れて隠れ住むこと。遁世 (とんせい) 。「庵を結び隠遁する」「隠遁者」 こいつ、完全に型の弊害が人格にまで影響しているよな。
型にスペシャルな妄想を抱くあまりに、
型は絶対正しい→型を肯定している自分の発言も絶対正しい→絶対に正しい自分の日本語も絶対に正しい→
だから隠遁の意味はアンチが逃げる意味にならなければ絶対に間違っているんだー
というような心理で、こんな辞書で明確になっている日本語の意味ですらねじ曲げて無理やり自説を通そうとする基地外っぷりを発揮している。
空手の型はやるだけ無駄な現実だけでなく、スペシャルな妄想を抱くあまりに人格までが歪んでしまうという現実。 型は昇級昇段や型試合以外は深く考えなくて良いだろ
もし組手に必要なら荒賀や植草がもっとやり込みしてるよ >>86
完全にドン引きされて、ほかの型ヲタが全く姿を見せなくなったなw
いくら型ヲタでも良識が残っているなら同類だと思われたくわないわなw >>83
気持ち悪いよね。何が気持ち悪いって、
実体があって信じるのではなく実体がないのに信じてるからね。
神様みたいに居るのか居ないのか観測が難しいものを信じる信じないとかなら「まだ」分かる。
でも、唐手は神様でも何でもないからね。普通に観測できる人間が主体。なのに、
恐ろしい次元とやらに居る知花の組手を誰も見てないのに強い前提で賞賛してる。気持ち悪いわ。
俺は知花が強いとか弱いとか関係なく、あの歳でも型をやれる体力や
空手衣を着て映像に残そうとする気概、そういうの持ってるってだけで
充分だと思うんだ。皮肉でも嫌味でもなく、それで充分良い事だと思う。
でも、信者はそれだけじゃ満足できず、知花は恐ろしい次元の強さを持ってないと嫌みたい。
あれに似てる、昨日今日創った型じゃなく100年以上前から伝わってる型じゃないと嫌だ!ってのと似てる。
結局知花の賞賛にしろ古伝の型にしろ、欲してるのは権威なんだろうね。自分がやってる唐手はこんな古い技術
がある、こんな強い人が居る、こんな境地がある、そういう箔付けが欲しい。でも無いから、無理やりあると思いこむ。
これは適当に検索して出てきた外人がやってる型の動画
https://youtu.be/LNAVqdVtgbo?list=PLhSSFM_C_y4PwgptinH_mbmJzriXQ1dRX&t=16
多くの型オタはこれを見て、失笑するだろうな。大した根拠もなくダメ出しするだろう。
俺は知花の型を見て過大にありがたがる必要はないけど、同様にこういう外人の型を見て
事さら過小評価をする必要も無いと思ってる。本質的にも論理的にも、武術としてどっちも大差ないのだから。 隠遁の話もそうだけど、隠遁には俗世間から離れるとか、世の中から隠れるとかいう意味で、
ただ単純に逃走する意味ではないのに
>《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
という辞書の説明の
>のがれる→逃れる
ここの部分だけを切り取って、逃げるの意味だとして
>ねえねえ、馬鹿なアンチのドヤ顔が歪む返信、見たいという人手を上げて♪
とか
>やはり日本語が不自由なんだね。
>日本に来て日が浅いのかな?
>頑張って早く上手くなって下さいねwww
これだもんな。
しかも、この返しが本人の中では会心の返しだと本気で思ってるようで
>>73と>>77で2回も連投してイキってるアホ丸出しだから、型肯定の考えの人でもこんなのと同類に思われたくないわな。 >>63
>>また、(剣術では)「先の先」を制することができなければ、「後の先」を制しなさいと言われている。
>>これらを唐手に当てはめて言うと、
>安里はこんなことを↑言ってるけどさ。なんで唐手に当てはめる必要がある?
自己レスになって悪いけど、空手の悪しき習慣。型オタの悪しき習慣と言ってもいい。
過去にも似たようなこと書いたけどさ、やめようよこういうみっともないの↓
白鶴拳:「この套路ではこういう攻防の意味がありまして・・・」
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ攻防あるよそれ!」
柔道:「柔道にはこういう変わった投げ技もありまして・・・」
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ投げ技あるよそれ!」
合気道「合気道には相手の意識と反射を利用した合気というのがありまして・・・
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ使い方があるよそれ!」
システマ「私達はこういう身体操作を使った特殊なパンチの打ち方をしてまして・・・
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ身体操作があるよそれ!」
太極拳「うちにはこういう相手の力を無力化する技がありまして・・・」
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ無力化の技があるよそれ!」 一同:「(うんざり)」
空手:「唐手の型には先人の英知が沢山詰まってるからねえ(ご満悦)」
一同:「じゃあさ、今度は我々ではなく君の方から先に、空手にどんな技術があるのか答えてくれる?」
空手:「・・・・・・・」
後出しジャンケンばっか。やめようようこういう型にあるある詐欺。みっともないよ。 ブルース・リーの映画を見て
「あ〜、それ空手の型の兵法の勝ち方だよそれ」
(現実は自分から挑発して争いを仕掛けておいて逃げたのに勝った勝ったを繰り返す別物、結局は後付けのこじつけだから) 型オタ「オフ・スパーから逃げたのではない。隠遁したのだ。」
いん‐とん【隠×遁】
[名]俗世間を逃れて隠れ住むこと。
一同「型オタは無職で引きこもりだったんだwww」 >>90
下の文章はアンチの書き込みだが自分から調子に乗って無知を晒す馬鹿なくせによくまあ人にイキってるとか書けるよな。
そういうとこが半島の恥晒しな民族っぽくてダサいよなwww
↓
0066 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sreb-VSrb [126.194.72.18]) 2021/03/03 20:59:17
>>61
>なぜ逃げたか?
ようやく逃げたの認めたんだな(笑)
>その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、隠遁する場合において逃げるという言葉が適用される。
隠遁??隠遁に逃げる意味ないぞ(笑)
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
つまり無職で引きこもりということをアピールしたかったの?(笑)
2
ID:4arKDKmwr0303
プゲラ(・∀・)あほ丸出しだなwww >>95
何一つとして具体的な反論になってないぞ(笑)
型オタの名言↓
型オタ「オフ・スパーから逃げたのではない。隠遁したのだ。」
いん‐とん【隠×遁】
[名]俗世間を逃れて隠れ住むこと。
一同「型オタは無職で引きこもりだったんだwww」 >>92
三戦はやるだけ無駄スレ覗いたらまさにそれだわな
「中国拳法やったら三戦の意味が分かった」
「弟子には三戦の本当の意味を隠してる」
中国拳法やって三戦が意味のあるものになるのは良いのだけど
「空手にも伝わってた」前提になってるのが不思議 >>97
>「弟子には三戦の本当の意味を隠してる」
あのスレも気持ち悪いねえ。隠したもなにもその本当の意味とやらの存在を証明
できていない時点で無いものと判断されるってことを分かっていない。
前にも書いたが
「俺、100億円もってんだよねw え、ウソだって? じゃあ俺が持ってないってお前が証明してみろよ!」
ていうバカが居たらうんざりするよね。
「俺は持ってる証拠出せないけど、お前も持ってないって証明できないなら、どっちとも言い切れないよね?」
「つまり俺が100億持ってない可能性は否定できないwww」とか言ってるバカがいたら同様に可哀想になる。
存在を主張する側が証明できないのならそこで無いと見なされて話は終わりやがな普通の思考ならな。
まあ貧乏な現実は辛いだろうから、そっとして夢くらい見させてあげるのが大人の対応なのかもしれない。 205 :名無しさん@一本勝ち:2016/05/05(木) 13:31:13.84 ID:dOFQ6K1c0
あのね「三戦は全てに通じる基本の型」とかって言われたことがある。
五十音だってさ、日本語を喋ってる限りは絶対に当てはまるんだよね。
あいうえおってのは日本語の基本だから。
でもさ、じゃあ何で日本人の大人が五十音を毎日練習しなくてもいいかって言ったら
それは日常生活で使ってるからなんだよね。日常生活で使ってるから、復習もかねてる。
だからわざわざ五十音を個別に抜き出して練習なんかしなくても良い。
言わんとしてることが分かりにくいなら、例えばこのスレに書き込むという行為でも良い。
未経験のうちはキーボードの配列を意識して憶えて一文字ずつ時間をかけて打ち込まなきゃいけない。
掲示板に書き込みしたり、チャットやったり、メール書いたりで、だんだんと憶えていく。
で、一度憶えたらもうわざわざ打ち込むときにキーボード見なくてもいいだろ? 今このスレに
参加してる人も、打ち込むときにいちいちキーボードの配列を確認したりしなくても良い。
でも、人間って面白いもので、せっかく憶えた記億でも使わないと脳が必要ないと思って忘却してしまうんだ。
本来なら、ブラインドタッチが出来るようになっても、定期的にキーボードの配列を実際に目で見て
「この文字のキーはこの場所にあって、押すときはこの指で・・・」って定期的に確認する作業を
しなければならない ハズなんだよな。
初心者の頃にはやっていたいのに、なぜマスターしたら必要がなくなるのか?
なぜブラインドタッチを一度マスターしたら、とりたて初心者の時みたいに意識しなくても忘れないかというと
それは忘れないのではなく普段PCで書き込みをしている時に復習や確認を兼ねてるからなんだよな。
基本が繋がってるから、書き込むという行為がそのままブラインドタッチのキーボードの配列を認識する
という確認作業を兼ねてるのよ。これは日本語でも同じことであって、日常生活があたり前過ぎて見過ごされ
やすいけど、普段喋ってる日常会話によって五十音の発音とか単語とか、そういったものの日本語という体系の
確認作業を兼ねてる。無意識に。だからわざわざ復習なんかしなくても忘れない。 206 :名無しさん@一本勝ち:2016/05/05(木) 13:37:42.33 ID:dOFQ6K1c0
海外生活が長くて日本語を何年も使わない生活を続けてると、三文字とか四文字の日本語の単語が出にくくなる、
という海外生活者の悩みを聞いた事がある。まあ、確認作業をしない(日本語を使わない)のだから、当たり前だわな。
これと同じことが空手にも実は当てはまる。本当に、絵空事ではなく、三戦が那覇手の全ての型に通じる最重要基本型とやらで
あるはずなら、当然全てに共通してるのだから、セーサンなりセイエンチンなりサイファなりサンセールーなり一百零八なりを
練習する過程で同時に三戦に必要な身体操作の復習を兼ねてる、というかそれ(三戦の身体操作)が出来なければ他の型を行う
ことが出来ない、ということになる。だから、三戦は五十音とかと同じく、大事ではあるけどそれはあくまで基本であって、他の
型を練習するときに同時に三戦で必要な技術を復習するし、むしろそれが出来ないと三戦以外の型が出来ないという事態に陥る。
本当に、三戦というものが他の型の基本になっていて、さらに技術が共通しているのなら、の話だけどな。
でも、実際は共通なんかしていない。だからわざわざ五十音のあいうえおや、自転車の補助輪よろしく
とっくに卒業しなきゃいけないのに三戦だけを「生涯に渡って鍛錬しなければならないんだ」とかいう訳分からない
事態になってる。共通してるのなら、三戦なんか長くやる必要ないんだ。長くやらなければならないのなら、それは
共通なんかしていないってことであって、それはそれで良いけど、それなら三戦は基本でも何でもないんだから
あまり調子に乗って大事大事、重要重要言うなって話なんだよね。
あくまで「三戦は大事」「三戦は基本」という根拠がないけど盲目的に信じてる信者は文句言うだろうけどさ。
別に那覇手の三戦を例に出しただけであって、首里手だろうと泊手だろうと、平安とかナイハンチとかが
他の型と共通していないっていう面では同じ穴のムジナなんだけどね。
・・・・↑5年前にした書き込みだけど、5年経った今でも現状は何も変わらんね。
おそらく50年後でも変わらんかもしれんな。いつもはリンク張るだけだけど
携帯からだと読めない人が居るかもしれんので、今回に限りコピペしてみた。 >「つまり俺が100億持ってない可能性は否定できないwww」とか言ってるバカがいたら同様に可哀想になる。
あ、持ってない可能性じゃなくて、持ってる可能性は否定できないだった。まあどっちでもいいか。ツチノコと変わらん。
話は変わって、みんな型やる時やりにくい動作ってない? 俺はやりにくい動作があったけど
道場の仲間に聞いたらその動作は別にどうとも思わないけど、こっちの動作はやりにくいって
言われたことがあった。人によって違うんだなー、って当時は印象に残ったよ。
俺は型肯定派だし、伝統は変えずに伝えるべきだと思ってる。だから型もそのまま伝えるべきだと思う。
ただし、やりにくいと思った動作は別に変えてもいいと思ってる。だけど何故だか空手界では型の動作を
変えることがタブーになってるし、義珍が歩幅を広げただけでも凄いバッシングされてる。
伝統を変えずにそのまま伝えることと型の動作を変えること、何となれば型を新しく創作することは
両立するんだが、どうも空手界ではそこら辺をごっちゃにしてるらしい。 >>101
>ただし、やりにくいと思った動作は別に変えてもいいと思ってる。だけど何故だか空手界では型の動作を
>変えることがタブーになってるし、義珍が歩幅を広げただけでも凄いバッシングされてる。
日本の古流だと、鋳型の型は良くないとして形の字を当て形の本質が変わってなければ、年令、体格に応じて形の動きは変わっても許される。
むしろ若者が熟練の枯れた動きを真似したらもっと伸び伸びやれ、大きくやれと注意される。
流派バレるから正確な言葉では書かないけど、師は自分のコピーの弟子を作ってはいけないという教えがあり、体格や体型が違えば当然に技も変わってくるので、師は弟子の体型や体型に応じて長所を伸ばしていく。
このスレでわかりやすくいうと、往年の極真のウィリー・ウィリアムズとウィリアム・オリバーを同じ一つの鋳型の形に当てはめて個性を潰したらああいう真逆の名選手は生まれなかったということ。 その動作に意味があって意味が変わるなら変えちゃダメだけど船越批判した方々は意味を説明出来たのだろうか?
極真は三戦立ちで基本稽古するけど「三戦は安定した立ち方」だって程度の説明だったな
大山総裁の内弟子の方でもその程度の説明
型アンチ(実は肯定派)の説に「昔の空手は型と筋トレと部位鍛錬」ってのがあったが、拳児の原作者が大山が藁を巻いてないただの木の板をガンガン突いてるのを見て「空手は肉体的な才能がないと駄目だ」と思ったそうな
空手から1番離れたように見える極真が実は昔の空手に近かったりして たまに駅とかで、ずっとブツブツ話してるキモメンが居るんだけど、アンチの書き込みってそれと一緒だなwww
誰も話してないのに、ずっとブツブツ1人で話してる。
しかも誰も同意してないのに馬鹿な自説を説いている。
半島出身か知らんけど、頭良くなくて、しかもブツブツ話してるとかキモメン過ぎだろ。
多分こういうことだろ。
↓
アンチ「挑戦者来てない。やった!今のうちオフ・スパーから逃げちゃおう。これを機に隠遁しよう。」
いん‐とん【隠×遁】
[名]俗世間を逃れて隠れ住むこと。
一同「型アンチは最初からブツブツ1人でつぶやく陰キャで無職の引きこもりだったんだwww
今更隠遁とかwww
元々俗世間から弾かれてんじゃんwww」 >>104
型の動作を変える是非について真面目に話し合っている今この流れや空気を完全に無視して、
ブツブツと一人で自己紹介を始めてる奴がいるwww >>102
なるほど。本土の武術はそういう感じなのか。勉強になる。
俺の考えはちょっと違ってて、もっと根本的なことを言いたかった。
根本的というか、常識の範囲内の事なので
わざわざこんな事を指摘される空手の世界がそもそもおかしいのだけれど・・・。
型を普通にやる空手を習った事がある人なら分かると思うけど、型をやる時って先生に動作を
事細かに注意される。この動作の手の高さはここ、この時の足はこういう感じでみたいにさ。
下段払い1つやるだけでも、ちゃんと耳の横まで持ってきてから下段に振り払う!みたいにさ。
別に耳の横からだろうが胸の前からだろうが下段に払う動作に大した違いはないけど、でも細かく注意される。
その一方、空手の世界は同じ型であっても動作が違うという事は珍しくない。
○○のパッサイとか××のクーシャンクーとか頭に名前がついてる型は、同じパッサイやクーシャンクーでも
全体的な構成は似てても各部分の動作が違う。これらについて「長い年月沖縄で型が伝えられていく内に
伝言ゲームのように少しずつ変化していった」とか言う説明をよく聞く。でもね、これ都合の良いウソなんだわ。
だって、冒頭でも書いたように、
第一動作の平行立ちが長い年月によってハの字立ちに変わった、とかなら「まだ」ありえるけどさ。
松村のパッサイと糸州のパッサイとじゃ、最初の一歩踏み込んでからの裏拳(内受け)を出した後の挙動がもう全然違う。
いくら伝言ゲームとてここまでは変わらんわ。そうでなくても冒頭で書いたように事細かに動作を先生に注意されるのにさ。
何が言いたいかというと、長い年月の末変わったなんて都合の良い誤魔化しではなく、意図的に動作を変えた。
昔から伝わる××のクーシャンクーとか古い時代の型に限らず、現代でも流派や会派が違えば同じ型でも違ってくるよね?
ハッキリ言おう、明確に変えてる。過去レスで手刀受けひとつ取ってもやり方が違うと書いた。
下段に払う沖縄の手刀受け、胸の前に払う伝統派の手刀受け、同じ胸の前に払う手刀受けでも腰に両手を構えて
オーバーに持ってくる極真の手刀受け、これらも伝言ゲームなんかじゃなく明確に変えたからこうなってるんだよね。 で、本題。
義珍は型の歩幅を大きくした。大山は手刀受けをダイナミックにした。
俺は伝統はそのまま伝えるべきだと思ってる。そして義珍も大山も別に問題ない範囲だと俺は判断してる。
なせかというと、義珍も大山も別に伝統を変えてないから。沖縄唐手の人達はこれを「改悪」と言っている。
だけどね、こんなん改悪でも何でもないのよ。型に大した意味がないから、とかそういう問題でもないんだ。
仮に型にきちんとした意味が詰まって伝えられていたとしても、それでも義珍や大山のスタンスは間違ってない。
なぜなら、義珍も大山も動作を変えただけであって、伝統そのものは別に変えてないから。
そこを沖縄唐手の人は勘違いしてると思う。
「動作変えてるなら伝統を変えてるって事じゃん」「改悪だろ」って見方も一理ある。
一理あるけど、義珍は松濤館流空手として教えていたし、大山は極真空手として教えていた。
俺は義珍がさ、「この歩幅の広さこそが『本来の沖縄唐手の型』なんですよ」とか
大山がさ「この大きくダイナミックに回す手刀受けこそが古伝の動作なんですよ」とか
そういうのを言った記録って見たことないんだよね。みんなも見たことないでしょ?
型の動作を変えたところで、「××のパッサイ」みたいにこれは××さん流のパッサイですよ
っていうスタンスは昔からあったし、義珍も大山も自身が教える空手の内容としてそうやっていた
だけであって、俺は伝統を変えたとか、まして「改悪」なんていう範疇には入らないと思うんだ。
じゃあ、逆に伝統を変える行為とは何か? それはもう現代のみなさんの方が詳しいよね。
「これこそが本来の唐手の突きですw」「これこそが古伝の唐手の身体操作ですw」ってさ。
義珍や大山が動作を変えたどころの話じゃない。動作どころか唐手の歴史や伝統そのものを
都合よく捏造している。俺はそれこそが改「悪」だと思うよ。 >>91
>>92
これテンプレにして次スレ以降に貼った方がいいかもね。
スレが126も続いているのにテンプレがないから話題がループしているのも事実だから。
実際に前スレで合気道経験者が同じような事を書いてたしね
241 名無しさん@一本勝ち (オッペケ Src5-xrIa [126.166.239.188]) 2021/02/03(水) 16:55:34.65 ID:frDamqIVr
沖縄空手の型の意味が解説されてる本を読んだんだけどさ、沖縄空手の型に柔術技法の取手があると書いてあってワクワクしながら読んでたら、空手の突きは合気道の小手返しになると書いてあって???
なんで現代武道の合気道???
元々空手の型に小手返しと同じ技があるなら合気道を引き合いに出す必要はない。
というのも合気道でも会派によって小手返しのやり方は全然違うから合気道で説明すると逆に分かりづらくなるんだよ。
しかも空手の小手返しは相手の手首をクラッシュさせる恐ろしい技みたいに書かれてて???
このスレのこじつけってこういう事かとよくわかったよ。
壊すのは簡単だけど傷付けずに制圧するのが日本柔術の考えだから、手首をクラッシュさせる空手スゲーみたいな書き方されてもそれ小手返しじゃないよとしか思えない。 義珍や大山は動作を変えたけど、これが本来の意味ですとか技ですなんて教えてはいない。
対して、現代の多くの型肯定派や崇拝者たちは? 伝統を正しく伝えるどころか捏造してるわけさ。
俺は伝統は正しく伝えるべきだと思う。だから、型に意味がないなら無いと正しく伝えればいいし
自分がやりにくい動作があればそこを変えて、人に聞かれたら「これは私が動作を変えた私なりの型です」
と答えればいい。これこそ本来の動作です、とかのたまわなければ伝統を変えたことにはならない。
伝統を変えてない型を教えて欲しいという人にはそれを教えればいいし、そういう人にまで自分が改変した型を
教えない限り問題はないハズなんだ。ましてその型をさも昔からある型だとか限られた人しか教えてもらえてない
だとか主張しない限りね。だから伝統は変えるべきではないけど改変はOKだと思ってる。それを隠さない限り。
別に義珍や大山は事さら「これは私が変えました!」と聞かれてもないのに自分から宣伝は
していないと思うが、さりとて人に尋ねられたら普通に「私が考えたやり方です」あるいは
「私の空手です」と答えたんじゃなかと思うよ。本部が私の唐手術と題したみたいにね。
では、現代の型オタたちは? 知らない人に尋ねられたら「これは私が考えたやり方です!」と認めることが
出来ますかねえ。認めるどころか、聞かれてもいないのに自分から古伝だ本来の意味だと吹聴する始末。
伝統を悪い意味で変えてるのは現代の型オタ達ですよ。それは現在進行形で増えています。おわり。 245 名無しさん@一本勝ち (オッペケ Src5-xrIa [126.255.10.240]) 2021/02/03(水) 19:26:43.83 ID:jpYVrbtzr
合気道は植芝盛平が大本教の信者で
「剣を使う代わりに、自分のいきの誠をもって、悪魔を祓い消すのである。つまり魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。」
というような宗教の説明で弟子がわけわからず、結局は弟子それぞれが自分なりの理論を組み立てて伝承していったから、植芝盛平の直弟子の数だけ理論が違ったりする。
植芝盛平が生前に10段を与えた藤平光一なんかは小手返しを小手下ろしに名称を変えるほど理論も形も別物に変化させている。
合気道の小手返しなんて一言でいえないのに、空手の形にも合気道の小手返しがあるというのは合気道を知ってる人間からすると暴論でしかない。
247 名無しさん@一本勝ち (オッペケ Src5-xrIa [126.255.10.240]) 2021/02/03(水) 20:19:14.88 ID:jpYVrbtzr
同じような技があるくらいならいいんだけど、空手のは手首をクラッシュさせるから凄いんだぞ的にこじつけるだけでなくマウント取ってるのは正直不快だな。
合気道では手首から相手の中心を崩して怪我させないで争いなく納めるのが理想なんだから、手首を壊してイキがってるレベルの解釈
で同じ技とか言われるの腹立つわ。
252 名無しさん@一本勝ち (オッペケ Src5-xrIa [126.255.10.240]) 2021/02/03(水) 21:45:15.84 ID:jpYVrbtzr
俺は合気道の指導者の資格を持ってる。
合気道は技がいっぱいあるように見えるけど、取り口(片手取り、交差取り、両手取り、突き、手刀、後ろ取り等)と、技(小手返し、四方投げ、一教、二教、三教、四教、五教など)の組み合わせなだけで、同じ技を何年も何年も色んな人に掛け続ける対人稽古を通して技を極めて行くのに、
独りでやってる空手の型で合気道の技が身に付くなんて絶対にあり得ないよ。
相手も抵抗するわけで、その抵抗する力の方向でまた技も変わっていくのだから、対人稽古しないと、ただ単純な筋力で劣ってる相手にしか通用しないレベルの小手返ししか身に付かないと思うよ。
自分より筋力の劣った弱い相手の手首をクラッシュさせるのが空手の小手返しというなら、武道的にそれはどうなの? >>103
>その動作に意味があって意味が変わるなら変えちゃダメだけど船越批判した方々は意味を説明出来たのだろうか?
元々大して意味ないんだから説明もクソもないよね。
むしろ俺は義珍は動作をダイナミックにしたことにより改良してくれたとさえ思うよ。
結局、沖縄唐手の人達は義珍をスケープゴートにしたんじゃないかと思うよ。
義珍も沖縄の唐手家も、対人稽古をしてない時点で実力的に大差ない。
義珍 = 沖縄唐手 この図式でまず間違いない。間違いないのだけど、それだと都合が悪いから
義珍が弱いのは沖縄唐手が弱いのではなく義珍自体のレベルが低いからだ、大して習ってないからだ、ってね。
自分達(当時沖縄に居た唐手家達)まで弱いと思われたくない、って考えが透けて見える。
1日だけ習おうが10年習おうが、組手やらなきゃ大差ないのにね。都合の悪い現実を全部義珍におっかぶせて
本来の沖縄唐手は違う、って事にした。だから義珍のやる事はすべて文句言つけてる印象が非常に強い。
逆に、本部を批判する沖縄の唐手家は居ないもんね。だって 本部 = 沖縄唐手 だと都合が良いもの。
自分達もそっち側として見てもらえるかも?というおこぼれが期待できるからさw
ロクに組手をやったこともない、もうすぐ60になろうかという人間が単身本土に渡って
乱捕り有り対人稽古バチバチやってる本土の武道関係者の中に飛び込んで唐手を普及させた
それだけでも安全な沖縄に居て文句言ってるだけの唐手家よりかは俺は義珍の方がマシだと思うな。 >「空手は肉体的な才能がないと駄目だ」と思ったそうな
>空手から1番離れたように見える極真が実は昔の空手に近かったりして
首里手・泊手の型しか無かった沖縄において、東恩納以降突如として那覇手の型が急に出現したからね。
当然首里手や泊手の人達は昨日今日創った型で生意気な、みたいに思ったことだろうけど、新興勢力の那覇手が
潰されず肩を並べて地位を確立できたのは、単純に那覇手特有の体を鍛えるという伝統が功を奏したのかも。
宮城の昔の指導写真が残ってるけど、普通に弟子達に器具使って体をガンガン鍛えさせてるからねえ。
例え対人稽古してない同士でも、型オタとボディビルダーじゃ、そりゃやる前から勝負ありですな。
そういう意味では、技術よりも肉体というのが唐手の本質に一番近いのかもしれない。
>>108
あるある詐欺は本当にみっともないからねえ。上で那覇手の器具鍛練の話が出たのでちょうどいいけど
剛柔流の宮城は海外に行ったとき「金剛圏」というレスリングの鍛練器具を持ち帰って稽古に取り入れた。
https://youtu.be/gZKj3pVVxGI?t=4
俺はこうあるべきだと思う。健全だよね。宮城はレスリングからこの器具を取り入れたのを認めてるし
その弟子達も隠していない。普通に稽古として馴染んでいるし、令和の今ならそれこそ剛柔流の伝統鍛練具
と称しても良いかもしれない。技も同じであるべき。
「あー、それある! それ型にすでにあるよ!」じゃなくてさ。
「ああ、それは空手に無いです。良い技だと思うので今日からうちでも取り入れます」ってね。
実際、「金剛圏」をレスリングから取り入れて今でも上手く機能してる訳だし、技もそうすればいい。
あるある詐欺は、貧乏な家の子がそのオモチャ持ってるw ああそれもウチにあるw って言ってるのと同じくらい哀しい。 やるだけ無駄っていうか、ボクシングのワンツーでさえ、シュガーレイロビンソンが1950年代に完成させるまではあれだったのに、
それよりも半世紀は早く普及してる平安は
前蹴り逆突き
前蹴りワンツー
バックバンドブロー→ストレートパンチ
高速上段突き
等々が普通に身につくんだからやるだけ無駄な訳はないだろ
時の経過で、MMAのミットトレーニングでも教えてもらえるようになって新しみを感じなくなっただけでな。
25年前大人気だったカーフへのキックが、新技かのようにブームになった2021年
マクレガーがやられたのとほぼ同じ展開でジェイソンデルシアが倒されてる1996年の動画にアメリカMMAファンが驚愕してるけど、型みたいな程度でもやってないとこんな風になるから型を残す >>113
>>771名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW 4e0e-F0Vu [223.219.154.61])2021/02/15(月) 14:53:53.62ID:Bv0xf4A30
>本部も船越も組手が必要だと著作で書いてるけど、
で、結局どこにそんなの書いてあるのよそれ? https://youtu.be/UABIIXRBgqI
1996年のカーフキック
当時は失脚蹴り、脛蹴りの一種、低いローキック等と言ってた
たった25年なのに、MMA界ではほぼ失伝
テクニシャンのトレーナーは保存していたけど、YouTubeで直ぐに確認出来る現代でさえ25年でほぼ忘れ去られる 型は無意味じゃないけど、ミット打ちで動きながら強打打つ練習して、
マススパー(本当にキチンと寸止め)で攻防感覚を掴む
トレーニングを日常的につんでるボクサーやキックボクサーとやったら型だけの空手なんて世界チャンピオンでも勝てない
ただ、無意味ではない >771名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW 4e0e-F0Vu [223.219.154.61])2021/02/15(月) 14:53:53.62ID:Bv0xf4A30
>本部も船越も組手が必要だと著作で書いてるけど、
俺は義珍が戦前の雑誌や新聞に寄稿したものをサルベージして随分見てきたし
現在復刻されてない著書なども見たけど、こんな事書いてるの見た記億は無いんだよねえ
著書で思い出した。義珍の琉球拳法唐手や空手道教範は復刻されてるけど「空手入門」は
復刻されたんだろうか? もう空手書の世界から10年以上遠ざかってるので近況もとんと分からんが
俺の記億では「空手入門」と「空手道真髄」は復刻されてないからヤフオクでエラい値がついていた
記億がある。確か「空手入門」は当時18万を超えてまだ競り合ってたっけかな。
2冊とも何で復刻できないのか(著作権の関係か?)分からないけど、しかるべきところに行って手続き踏めば
普通の人でも閲覧できるよ。確か空手入門だったかな、義珍が挙げ受けについて最近ようやく分かってきた、
という旨の記述をしてる。当時はふーんと思ってたけど、隠されていた空手の久保田先生が戦前義珍に型の研究の成果を
披露して三段だったかな? 授与されたという話を聞いて、もしかしたら久保田先生が披露した研究の中に挙げ受けが
あったのではないか?と思った。少し調べてみようかとも思ったけど、でもまた手続き踏んで閲覧するのも面倒だし
そもそもそこまでするギリも価値も特にないからまあいっかと思って現在に至る。
他にも低い変わった姿勢で突いてる写真もあったっけかな。こっちの方は空手道真髄だった気がする。
>本部も船越も組手が必要だと著作で書いてるけど、
で、結局どこにそんなの書いてあるのよ? >>104
「オフ・スパーから隠遁(笑)」は型オタが言い出した事なのに、アンチが言った事にしようと必死に事実を捏造してるよwww
型オタってこうやって嘘つくことしかできないから、型の効用も嘘にしか聞こえなくなるんだよな。
型オタの言動こそが真の型アンチという現実(笑) 型アンチが隠遁には、俗世から逃れるとか隠れ住む意味だからただ逃げる意味はないと言ったら、俗世から逃れるの辞書の説明の、逃れるの部分だけを抜き出して、型アンチは日本語がわからないと言い出してる始末で、
いん‐とん【隠×遁】
[名]俗世間を逃れて隠れ住むこと。
でも結局、オフ・スパーから隠遁が正しい日本語だと型オタが言い張れば言い張るほど、
型オタは家の中に引きこもってオフ・スパーから逃れたという意味になってしまうのだから、
一同「なんだ型オタは無職で引きこもりだったからオフ・スパーに来なかったんだwww」
としかならないんだよな(笑) 【空手の悪しき習慣。型オタの悪しき習慣】
白鶴拳:「この套路ではこういう攻防の意味がありまして・・・」
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ攻防あるよそれ!」
柔道:「柔道にはこういう変わった投げ技もありまして・・・」
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ投げ技あるよそれ!」
合気道「合気道には相手の意識と反射を利用した合気というのがありまして・・・
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ使い方があるよそれ!」
システマ「私達はこういう身体操作を使った特殊なパンチの打ち方をしてまして・・・
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ身体操作があるよそれ!」
太極拳「うちにはこういう相手の力を無力化する技がありまして・・・」
空手:「あ〜、それある! 型にも同じ無力化の技があるよそれ!」
一同:「(うんざり)」
空手:「唐手の型には先人の英知が沢山詰まってるからねえ(ご満悦)」
一同:「じゃあさ、今度は我々ではなく君の方から先に、空手にどんな技術があるのか答えてくれる?」
空手:「・・・・・・・」
後出しジャンケンばかりの空手の型に何でもあるある詐欺。
伝統は正しく伝えるべきだだからこそ、型に意味がないなら無いと正しく伝えればいい。
現代の多くの型肯定派や崇拝者たちは伝統を悪い意味で変えてるどころか捏造までし、現在進行形で増えています。 わかりやすい指摘だったのでテンプレっぽく勝手にまとめさせてもらったけど、こういうのテンプレにして毎回スレに貼っておくと話題がループしなくていいと思う。
型肯定だからこそ型に存在しない意味を捏造しないで欲しいというバランスの取れた良い意見だと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=mejRTGkmW8E
自分が唐手の歴史や文献を長い間ずっと調査し続けられたのは
やればやるほど発見があったから。そういう意味では上の動画の
成長と同義なのかもしれない。
沖縄の戦前の新聞も随分閲覧した。琉球新報とかさ。沖縄タイムスなんかも。
でね、戦前の新聞を見てて思ったことがあるんだけど、当たり前の話だけどその新聞が発行
された当時も普通に生活してる人達が居てね、今でいうネットに近い公的メディアの役割を
新聞が担っていた。新聞の読者投稿欄で読者同士の煽り合いのレスバトルが発展したりとかさ
オフ会の告知があったりとかね。言ってみればこのスレと遜色ないのよ、やってる事はほとんど。
そういう人達にとってそれは、日常の何てことないひとコマであって、それがたまたま時代によって
ネットじゃなく新聞上だったってだけ。そして100年後とかに俺みたいなのがわざわざその日常の
何てことないやりとりを時間をかけて閲覧するとか、思いも寄らなかったんじゃないかな。
でも俺は実際に沢山の記録を見たし、その中には唐手を解明する上で役に立ったものもあれば
役には立たないけど押さえておいて今後損はないネタとかも転がってたりね。とにもかくにも
今の100年後の俺に充分影響を与える内容だったりする。当時の人にとっては露知らずの話だろうけど。
そんな訳で、何が言いたいかというと。俺のような輩が居るということは、おそらくこれから先の100年後にも
同じようなヤツが現れて、そしてこのスレを閲覧する可能性も大いにあると思うんだ。過去を調べてきた俺みたいにね。
だから、まあおせっかいだとは思うが、このスレもどうせ記録として後世に残るのなら
つまらないレスや煽り合いではなく、自分なりに身になると思う何かを書いておいた方が
いいんじゃないかと思う。それこそ100年後の人間が読んでも何かしら影響を受けるようなものをね。おわり。 >>124
このスレの型オタの狂いっぷりが>>91-92の指摘どおりだから、
ブルース・リーの映画見て
型オタ「あ〜、それある! 型にも同じ兵法の勝ちがあるよそれ!」
一同「自分から挑発してオフ・スパーから逃げたから全然違うじゃん。」
と、見事に指摘と一致してるから、つまらない煽り合いの中にも意味はあると思ったよ。
いまも現在進行形で日本語の辞書の意味をねじ曲げてまで正しさを主張している型オタの思考は、型を絶対視することにより、型は正しいから自分も正しいと人格の歪みが見事に出ているからね 中身0の長文書いてる暇あったら、その辺でも散歩してくれば?
少しは気が腫れるかもよ? 中身のあるレスどこ???
118 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 9f6c-jyUf [123.225.202.9]) 2021/03/06(土) 11:05:45.08 ID:wxXDhTiQ0
形だけの空手・・探す方が大変。
121 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 9f6c-jyUf [123.225.202.9]) 2021/03/06(土) 11:42:43.67 ID:wxXDhTiQ0
金持ってるなら無職で引きこもりでも
問題なくね?
125 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 9f6c-jyUf [123.225.202.9]) 2021/03/06(土) 11:51:32.53 ID:wxXDhTiQ0
だから何だよ・・ははは
127 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 9f6c-jyUf [123.225.202.9]) 2021/03/06(土) 12:10:32.92 ID:wxXDhTiQ0
中身0の長文書いてる暇あったら、その辺でも散歩してくれば?
少しは気が腫れるかもよ? 散歩する気力も無いなら昼寝でもしてろ・・
その内、楽になれるかもよ?ははは 別に、平安の型の動きだけで、既にプロ格闘技のスター選手並の内容の濃さじゃん?
剛柔流は、割合新しいのもあるけど、組技の動きもあるけど、今尚斬新な打撃を昔からやってた系の立ち位置は首里手だしょ 義珍に直接教えてもらった戸川幸夫(系譜によっては高弟に位置づけされてる)は
小説家で色々と著作を残してる。戸川は忙しくて通常の稽古の時間には習えなかったので
船越に個人授業を受けていた。戸川同様、例外として個別授業を受けていた本土の女性も
一人居るがここでは割愛。で、戸川さんは職業は小説家で色々と著作を残している。
その中でおそらく義珍に聞いたであろう当時の琉球での実戦譚を著作で紹介している。
義珍が唐手を修行していた若かりし頃、近隣の村境で夜な夜な一人の男が現れては
道行く人に喧嘩を吹っかけて問題になっていた。どうやら相手は唐手をしていて
腕に憶えがあるらしい。拳骨が異様に大きいとのこと。
義珍はその噂を聞いて、真夜中にその村境に赴いた。暗がりで男の顔は見えないが
屈強な体格をしている。男は義珍と向き合うと、まず義珍の腕を取り自分の拳骨を
触らせた。普通の人なら拳ダコで盛り上がってるその拳に恐れおののき、及び腰に
なるところだが、、、義珍は男のその拳に顔を近づけ、拳ダコをペロリと舐めた。
男はその度胸に肝を冷やし慌てて退散した。以来、その男が夜現れることは無くなった。
・・・戸川はこんな話を書き記してる。今野敏が平成に義珍を題材にした小説を発表してるけど
この話は出てるのかな? 読んだことないから分からないけど、戸川が書いたこの話が本当か
どうかは分からない。本当だとしても、イコールで実戦が強いということにはならない。ただし
もし実話ならその場に赴いた義珍の胆力は評価すべきだと思う。オフ会逃げ出した型オタとは違ってね。
>>127
>中身0の長文書いてる暇あったら、その辺でも散歩してくれば?
お、いいねえ。じゃあちょっと出かけてくるわ。 実戦で強い弱いっていうけど、格闘競技が世界中で頻繁に行われている現代と、
船越の時代の実戦では、全く違うはずだけどな
現代のようなパンチャーやキッカーや寝業師とやることは少ない代わりに、
相撲的な飛びついて投げる、組みついて殴る頭突きする相手は沢山いたはずだからね
ボクシングとか空手の動きするのが多数派の現代とそれが希少種の船越時代ではやるべきことが違う
ボクシングも、組ついてきた相手にアッパー打ち込むテクニックとかがやたら発達してた >>130
どんだけ中身のある素晴らしいレスを書いてくれるのか期待してたのになんだそれ?
他人にケチつけてくる以上は空手の型について内容のあるレスのお手本見せてくれよ。 これもテンプレに追加だな(笑)
ブルース・リーの映画見て
型オタ「あ〜、それある! 型にも同じ兵法の勝ちがあるよそれ!」
一同「自分から挑発してオフ・スパーから逃げたから全然違うじゃん。」
型オタ「逃げたのではない、隠遁したのだ。」
一同「隠遁とは俗世間から離れて隠れ住むこと。なんだ無職の引きこもりかwww」 >>135
はっ?
なんすかおっさん?
コテンパンにされたの悔しいんすか?www
例えるなら人の歩き方出来てないとかかっこ悪い言いながら滑って転んでケガしたって話で、要はアンチは鼻くそ以下って話っしょ?www
あと、日本語は根本的におかしいし半島出身っぽいメンタルだし、理解不足知識不足のモラル不足だから。
まあ雑魚っしょwww >>136
>あと、日本語は根本的におかしいし半島出身っぽいメンタルだし、理解不足知識不足のモラル不足だから。
確認だけど
「オフ・スパーから隠遁する」
これ日本語としておかしくないの?
それと日本では約束破って嘘ついて現地に来ない事をモラルがないというんだよ(笑) オフ・スパーの前には、嘘の道場の住所貼ったり、関係ない他人の道場の電話番号晒して
武器持ってきても相手してやる等と嘘のオンパレードをしていた奴が今、なんとモラルを語っています(笑)
さすが嘘つきの半島のメンタルですね。なんか怒ってるので引きこもりの無職というも本当だったみたいですwww >>137
へえ、記憶障害なのかな?
これ書いたの型オタって奴なの?
↓
0078 名無しさん@一本勝ち (アークセー Sx0b-vgLE [126.146.86.57]) 2021/03/05 01:04:37
>>77
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
オフスパーから隠遁する。
俗世間から交わりを絶って俗世間のオフスパーから逃れて暮らすこと。
つまり引きこもりだということだよね(笑)
無職で引きこもりの自己紹介乙www
1
ID:Hpz5cM3Zx
自分で書いたのを忘れて、「確認だけど「オフ・スパーから隠遁する」これ日本語としておかしくないの?」ってアホじゃんwww
いいかね?
自分で書いたのを忘れて自分の言葉使い、日本語がおかしいと自分で認めたんだよ?君は。
いかに型アンチが頭悪いかを示す良い文章ですなwww >>138
習ってしっかり練習すると強くなるだけでなく、知能も上がります。
型をやらず戦う中で強くなるという戦闘至上主義の型アンチみたいにしてると自分が書いたことを他人が書いたとかおかしくなります。
>>140 型だけで強くなった気分の人は変な人が多いけどな。
普通、型を通じて実践も強い人は、基本や型も実戦や組手にリンクしながら説明するじゃん? >>142
型だけなんてどこにも書いてないだろ?
大体これを書くやつはアンチしかいないから、お前アンチだろwww
1人何役もすると分からなくなってんじゃないのwww >>140
おいおい自分のレスをなかったことにして逃げるのかよ。
隠遁を初めに使ったの型オタで、隠遁にオフ・スパーから単純に逃げる意味はないという指摘に対して、
82 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/05(金) 08:01:52.64 ID:Ug3z+zcqd
隠遁の使い方が間違ってるよ。
この場合は
オフスパーから隠遁する。
↓
オフスパーしなくて胸を撫でおろし、いち早く北浦和から離脱する。
だよね。
まだまだだね。
日本語の習得頑張り給え。
と、「オフ・スパーから隠遁」が正しい日本語だと主張して解説までしているの型オタだぞ?
こうやって事実を捏造して嘘を塗り重ねていく本場の半島メンタルは流石だね(笑)
で、質問に答えてないけど
「オフ・スパーから隠遁」
これ日本語としておかしくないの? >>107>>1096
書き忘れてた。それで何が言いたかったかというと
要するに××のパッサイとか○○のクーシャンクーのように
型の動作を変えて自分流の型を作るのは昔から唐手にあることなので
気兼ねしなくていい。
型の根底に流れる技術や思想がそもそも無いので、動作を変えようが変えまいが特に技術的な問題は無い。
型が好きだけどこの型のこの部分が窮屈、やりにくい、そういうストレスが感じる動作があると思うけど
空手を生涯の趣味にするなら型をやるたび一生そのストレスと付き合っていかなければならない。
しかもその窮屈な動作に大した技術的な根拠も無いのに、やらなきゃいけない。
それも含めて空手とか型だと納得できるのならそのままやればいいし、自分流(××のパッサイ等)を作るのが空手
だと思う人は動作を変えちゃえばいい。昔の人がやってたのに今の人がやっちゃいけない理由なんてどこにも無い。
問題は、動作を変えるではなく型そのものを創作する事は?だが。俺が調べた限りでは、本土に普及に来た主な唐手家のうち
摩文仁・宮城・本部・上地・船越義豪らは自分で型を創作してる。その型を創作だと公言してる場合もあれば、古来より伝わる
型としてシレっと教えてる場合もある。後者のケースが多いがな。船越だけは創作に明確には着手していない。
沖縄に居る唐手家であっても、糸州や東恩納や許田や花城なども自分で型創作してた可能性は濃厚。
100年も満たない前にこれら創作活動が行われていたのに、現代の人間はしちゃダメ、ってのもおかしな話だ。
なので型の創作もしたい人はすればいいと思う。勿論昔と今、彼らと我々では立場が違うから創作したら公言するのがスジ。 空手の型はやるだけ無駄なんてことはないけど、
現実として空手の型だけやってる大多数の伝統派空手家は変な人が多い 基本的に戦うための技術を学ぶのは強くなるため勇敢になるためだけど、
スパーリングからの逃避として型的なのばかりやってると認識がおかしくなる
最初からダンス気分の人の方が健全で強くなったりするのは不思議だが >>146
同意。
このスレの型オタ見てると完全に頭おかしいもんな(笑)
オフ・スパーから逃げたのに勝った勝ったと未だに言い続けてるもんな。
今はオフ・スパーから隠遁が正しい日本語だと解説して、無職で引きこもりなのもバレて火病まで発症して面白いことになってるwww 型を強くなるための軸に置く
これは悪くない
強くなるかどうかは置いといて楽しいからやってる
これも悪くない
けど、型だけやって強くなったつもりの変な人が型へのアンチを作り出してる
組手を合法的なイジメ暴行だと思ってる極真経験者が極真アンチを作り出してるのと同じに。 ちょっt待て・・いつ誰がオフスパ^から逃げたんだ? 子供の時にやるお稽古としての空手は
どういう道場で何をやらせたいかが大事だよな
結局 おいおい話そらすなよ・・何時? 誰が? 逃げたんだ? >>152
お前は誰だ?あと、過去ログ読め。
逃げた型オタはこのレスで逃げたのと無職で引きこもりなのを認めてる。
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
>>60
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、隠遁する場合において逃げるという言葉が適用される。
私は嘘は間違いなくついているが、逃げる以前に行くつもりなく、相手を動かし、その様子を眺める間に上記に適する理由も原因もなく、その動作もない。
したがって、相手が逃げたということにして、一方的にいいように騙された自分が情けないことを誤魔化すためだけに相手が逃げたということにしたいアンチ側の理由により私を逃げたとしたい話なだけだ。
まあ逃げたということにしても全く構わない。
アンチが私に操作され、私の望むように動き、それを眺めながら私がビールをゆっくり味わい、楽しんでいたのは事実であり、アンチが随分前の話を未だに忘れられないのはやられた側の悔しさが解消されないからなのは明らかだ。
やられたことを認めず、相手が逃げたことにしたいアンチのスレでの文面はお隣の国のファビョった奴と同じ自身の傷ついた心から目を背ける逃避であり、真の逃避者はアンチ本人なのである。 空手の型は
健康法
技の素振り
テクニックの基準となる詰め合わせセット
だからやる意味は多い
ただ、一番大事なスパーリング、ミットや巻藁等の打ち込み
をやらない理由にされると無駄じゃん的な話になる >>155
>空手の型は健康法
これなんだよなぁ。女はどうか知らんけど、男なら味気ないラジオ体操よりかは
同じ運動量なら空手の型の方がよっぽど面白味を感じると思うのよ。 やっぱ男って
本能的に闘争を好む面もあるからねえ。60代や70代の人ほど自分のペースで続けて欲しい。
問題は、健康法や体操という立派な役割があるのに、何故だか殴り合いの強さにまで
その役割を求めるから変なことになる。求めるなら求めるで別にいいから、ちゃんと
因果関係を確立させるが型肯定派のこれからの課題。 巻藁は微妙だけど組手やミットくらいはどこの道場でも
やるんじゃないか? >>157
ある型オタがオフ・スパーの時間と場所を指定して、型アンチが待ち合わせ場所に行ったら、型オタは後輩が警察に捕まってオーナーに無許可とバレたからオフ・スパーはできなくなったとオフが流れた。
警察の話が不自然だから問い詰めたら、全部嘘だと白状して、騙されて現場に行ったのは空手の型の兵法の誘いだ。だから型が勝ったんだと言い出した。
それで逃げたのに勝ったとはどういうことだという話が未だに続いているところに君が
150 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 9f6c-jyUf [123.225.202.9]) 2021/03/06(土) 17:18:08.88 ID:wxXDhTiQ0
ちょっt待て・・いつ誰がオフスパ^から逃げたんだ?
152 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 9f6c-jyUf [123.225.202.9]) 2021/03/06(土) 17:21:54.47 ID:wxXDhTiQ0
おいおい話そらすなよ・・何時? 誰が? 逃げたんだ?
こう言い出したんだよ。
型オタが逃げた云々の話は理解できた? オフ・スパーから隠遁したの解説までしている型オタは>>144に反論できないで嘘ついて逃げるなら次スレからのテンプレにこれ追加するからな(笑)
ブルース・リーの映画見て
型オタ「あ〜、それある! 型にも同じ兵法の勝ちがあるよそれ!」
一同「自分から挑発してオフ・スパーから逃げたから全然違うじゃん。」
型オタ「逃げたのではない、隠遁したのだ。」
一同「隠遁とは俗世間から離れて隠れ住むこと。なんだ無職の引きこもりかwww」 >>157
むしろ、組手をやる道場でもミットやサンドバッグやらなかったりするよ
本当は技のキメが上手くなるからやった方が良いとも言われてるけど、全空連教義的には不要と考える先生がおおい
堀口のイメージで寸止め組手やりたいと思って入ると肩透かしくらうよw >>156
大橋ジムのトレーニングで、大股開きで腰を落としてリング内を動き回る鍛錬とかあるけど、空手の型はああいう鍛錬の意味もあるじゃん?
あと、
高速上段突き
前蹴りワンツー
前蹴り逆突き
横蹴り肘打ち
回し蹴り肘打ち裏拳
バックハンドブロー右ストレート
等のコンビネーション練習にもなってるから、殴り合いのテクニックも多様性出るよ
現代のMMAやキックボクシングでも、平安型のコンビネーションと、基礎的ボクシング出来れば充分なストライカーになるわけで、殴り合いの強さに型は無意味というのはあり得ないよ
ただ、ミット打ちやスパーリングを否定するとおかしくなる
これは、本部ちょうきの空手術の本にもある通り
「近年は、組手をやらずに型のみをやるのが正統派と申し立てるものが多いが、空手では組手と型は両方やらなければならないものだった」
と100年前に書いてる
松村そうこんも、型を3回ほどやり巻藁をついたら、組手という段取りだったという https://www8.cao.go.jp/okinawa/okinawakarate/ijin/matumura/matumura.html
内閣府の公開資料だと、空手の祖とも言われる松村そうこんは、
型、分解、組手が一体となった稽古をしていたとある
出典は本部ちょうきの著作
型は意味があるけど、無意味なものにしてれば、無意味
でも、前蹴りワンツー素早く出来ればそれだけでも、結構強いと思うけどな https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/motoburyu/entry-12201368200.html
本土普及世代の船越義珍、本部ちょうきの前の世代の空手家は当たり前のように組手をやっていたとされる
ただ、普及期、型だけやる派閥が人気を博したから、空手に組手はないという話が生まれた
大体本土でのスパーリングの呼び名は乱取りなのに、組手がないっておかしな話になるんだけどね 組手を作ったとされるのは、和道流宗家大塚だけど、
大塚は、本部ちょうきのもとで組手を学んでおり、
大塚の前に組手は無かったというのは嘘
殺人技的なのが多い本部の約束組手に対して、和道流は、平安型の動作を生かしたカッコいい約束組手を生み出したという意味で今までに無かった組手を作ったという感じ 100年前つまり、今と同じくコロナ大流行、ニートという名の失業者と富裕層が大量に生まれた時代
踊るだけで強くなれるwww
的なノリのチャラい奴が空手を始めることが多くておかしなことになった
まあ、大正のオマエらみたいなんが居なかったらこんなに大幅に広がらなかったろうからアレなんだがw >>161
>殴り合いの強さに型は無意味というのはあり得ないよ
俺は無意味とは言ってないよ? 型をやってれば何もやってない人よりかは
少し有利かもねと認めてる
>「近年は、組手をやらずに型のみをやるのが正統派と申し立てるものが多いが、空手では組手と型は両方やらなければならないものだった」
>と100年前に書いてる
つまり本部の時代ですでに型しかやらない人が大半だったってことでしょ?
その前の時代についてはもう言ったもん勝ちだよね。例えば本部以外に夫婦手なんて
誰も言ってないけどさも昔からある唐手の技術のように吹聴してる前科があるからねえ。
本部は郷土愛に溢れ(王族だから当たり前だが)唐手を好み擁護する立場だっというのを踏まえて耳に入れる必要がある。
>内閣府の公開資料だと、空手の祖とも言われる松村そうこんは、
沖縄県の唐手の歴史に対する見解や沖縄人の大学教授(唐手家でもある)などがさんざん
イイ加減なことを言ってるのを見たきた私にとっては、内閣府の肩書き程度特にどうとも思えません。
著書の引用部分を見ましたが組手という言葉は使っておらず恣意的に解釈したフシもありますしね。
内閣府の言ってる型分解や組手を重視した、と言ってるその「分解」や「組手」という
用語自体が本土で生まれたものである時点で察してください。そんなものが普遍的に存在していたら
とっくに沖縄の言葉で既に根付いてるハズです。わざわざ本土の言葉なんか借りなくともね。
とはいえ、私は松村が組手をしていた可能性自体は同意しますし過去スレでも語っています。
本部同様、型しかやらない唐手家達の中で松村が頭ひとつ飛びぬけた存在なのは実際の殴り合いをしていた
可能性が高いからだと思います。まあ例外のような存在ですから、今でいうフルコンの青帯程度だと思いますが。 >>166
本部の同世代は組手皆んなやってて
その次の世代で、型しかやらない人が現れた(ニワカ空手家)
その次の世代は、極真大山倍達と日本空手協会の学生だから、大正期に一気に空手が普及したころ、型のみの人が増えたんだよ >>165
>100年前つまり、今と同じくコロナ大流行、ニートという名の失業者と富裕層が大量に生まれた時代
>踊るだけで強くなれるwww的なノリのチャラい奴が空手を始めることが多くておかしなことになった
沖縄人じゃあるまいし、そんなノリでは寸止めやフルコンや防具といった組手様式は生まれようがありません。
戦前の本土には船越なんかが来るよりも前に多数の沖縄出身の学生や社会人がすでに生活していましたが
唐手の組手に関しては本土の人間は随分試行錯誤をして一から作り上げています。
沖縄の人間には、頭にチップか何かを埋め込まれて本土の地を踏んだ瞬間に
唐手修行者や唐手を見聞きしたことある者の記億から組手のやり方が消去される
呪いか何かが発動して、それで「沖縄ではこういう風に組手をしてましたよ?」と
誰もアドバイスが出来ず、仕方なく本土の人間は手探りで組手を確立させてきたのかもしれません。 型しかやらない人
というのは
本土で空手が広められた1920年代から1930年代に現れた
その前は本部ちょうきらは組手をやってるし、普及が一巡した1940年代以降は、組手競技大会が行われている
1940年にいきなり組手競技大会やる訳にはいかないから、1930年代は実際は組手が好きな若者も増えていたはずだし
1920年代はそれ以前の組手で育ったものが指導者だった
1920年代に空手をかじって先生になった人
に変な屁理屈こねて組手から逃げる人が多かったらしい >>167
>本部の同世代は組手皆んなやってて
皆んなやってるけど、どういう組手だったのか誰も見たことがない。不思議な現象ですなあ。
>その次の世代で、型しかやらない人が現れた(ニワカ空手家)
その次の世代が現れたら、本部の世代の人達は沖縄中の組手の記録を焼却して
自分達がどういう組手をやっていたのかも一切口をつぐんで墓に持っていって
結局現在残されてる記録は、1冊か2冊の本に1〜2行組手やってた、と書かれ
てる程度ですか。たかだか100年にも満たないのに、結構なことですな。 >>168
沖縄人じゃあるまいし
↑
これが重要なワードで、1920年代はインフルエンザがコロナな感じで流行り
高等遊民という2ちゃんねらーがネトウヨ化して、沖縄や東北の人を小馬鹿にしてたんだよな
それでいて、踊るだけで強くなれるww空手を習って先生ぶる、ハジメリュウキ的な空手家が大増殖した
沖縄人のことはバカにしてるので、箔をつけるためには利用するが、師のことはバカにしてるのも沢山いた
本部に喧嘩挑んで障害者にされた弟子の話なんてのもある >>170
本部ちょうきの組手書があり、和道流は本部の組手を取り入れて現行空手競技を作ったんだから、現代のそれと大差はないだろ。
寸止め防具フルコングローブ
100年前に組手をやってる写真全部あるじゃん >>169
>本土で空手が広められた1920年代から1930年代に現れた
>その前は本部ちょうきらは組手をやってるし、
ええ、ですから
その次の世代が現れたら、本部の世代の人達は沖縄中の組手の記録を焼却して
自分達がどういう組手をやっていたのかも一切口をつぐんで墓に持っていって
結局現在残されてる記録は、1冊か2冊の本に1〜2行組手やってた、と書かれ
てる程度ですか。たかだか100年にも満たないのに、結構なことですな。
>普及が一巡した1940年代以降は、組手競技大会が行われている
そりゃ本土で1930年代(大学によっては1920年代後半)には組手が模索され始めていたのですから
そっから10年15年と経てば確立されてもおかしくありませんな。大学空手部間での交換稽古も盛んでしたしね。
もしかして本土ではなく沖縄で組手競技大会が開かれたというのならソースをどうぞ。
>1920年代に空手をかじって先生になった人
>に変な屁理屈こねて組手から逃げる人が多かったらしい
仮に多かったとして、それがどうしたの? 多かろうが少なかろうが
沖縄で本当に組手が行われていたのなら本部の世代が沖縄で急に組手を
中断する理由にはならない。しかしその割には組手の記録が見当たりませんなあ。
つーか、お前 「>本部も船越も組手が必要だと著作で書いてるけど、」とか書いて突っ込まれて逃げた
(ワッチョイW bf0e-1fT3 [223.219.154.61])じゃねーの? >>171
>本部に喧嘩挑んで障害者にされた弟子の話なんてのもある
ソースは?
>100年前に組手をやってる写真全部あるじゃん
現代人でも鎧兜を装着した写真を撮影として取ることはありますね。だからといって合戦なんかやってませんけど。 組手をやらない世代が増えて〜、とか言ってることが
(ワッチョイW bf0e-1fT3 [223.219.154.61])とまったく一緒なんだよなぁ
ありもしないそれっぽいハッタリ(開祖は組手が必要だと言っていた、や
お前の道場行くから場所教えろ等)を言って、相手がビビればそれで良し
ハッタリだってバレると姿を消してほとぼりが冷めたらまた現れるって所も
(ワッチョイW bf0e-1fT3 [223.219.154.61])そっくりだ。 >>172
>寸止め防具フルコングローブ
>100年前に組手をやってる写真全部あるじゃん
おっと見落とすところだった。100年前にグローブつけて唐手の組手をしてる写真ってどれ? 組手をやらないことを正統派したい高等遊民
組手を開発したのは自分と言いたい高等遊民
のあとを、それぞれ2ちゃんねらーが引き継いで烈火のごとく猛り狂ってんだよな
カフカ変身の毒虫の再来が2ちゃんねらーとはよく言ったもんだ 基本的にアンチは、基礎知識がないのに断言なんだよな〜 カフカの変身
も、カフカとしてはギャグ小説として書いたけど、2ちゃんねらーを抱える家族からしたら痛ましい話にしか見えず、世紀の悲劇ホラー小説認定されたんだよな〜
歴史は繰り返すとはよく言ったもんだわ >>「近年は、組手をやらずに型のみをやるのが正統派と申し立てるものが多いが、空手では組手と型は両方やらなければならないものだった」
本部はそもそもこんなこと書いてたっけ?
書いてなかったらハッタリだし、書いてあったのならそれはそれで
「本部の同世代は組手皆んなやってて 」ってのと矛盾することになる。
さっきも書いたが、そういう世代が出たところで本部の世代が急に組手をやめる必要ないからな。
相変らず本部の世代は沖縄で組手をやってておかしくないんだが、「ものだった」と書いてる時点で
本部以外にそういう存在は以内ことを示唆している。
まあ何が言いたいかとういと、こうやって無理やり弁護しようとするとす〜ぐボロが出るという話。
>>177
だからソースは?
ちなみに沖縄で組手が行われておらず、それに不満を持った戦前の大学空手部の学生達が
中心となって組手を模索を始めたんだから、当たり前といえば当たり前なんだが(無論東大も含まれる)、
まずはソースを確認しようか? あ、いつものハッタリならそれはそれでいいですよ(ワッチョイW bf0e-1fT3 [223.219.154.61])さんw こんなに偉そうにアンチ活動してるけど、基本的な空手書さえも読まずにソース連呼する
匿名掲示板ならではだよな >>178-170
分かったから話を逸らさないで、東大で100年前に
グローブつけて唐手の組手をした写真のソースは? もし本土伝来以前の空手でも自由組手が普遍的に行われていたのなら、どこどこの誰誰が強かったとか伝わったそうだけど
そういった話が一切伝わってないのはなぜだろう?
乱捕ではその当時、楊心流の戸塚一派が斯道最強と言われておりました(by嘉納治五郎)
北京に太極門の楊という者がいて彼はつねに打拳をしては相手を打ち負かしていた(by翁同龢)
本土伝来以前の空手ではこのような話が一切伝わっていない
それどころか自由組手をやっていたこと自体がある種の武勇伝のように言われているところを見ると
そのようなものはなかったか或いはごく一部の人だけしかやってなかったというのが真相ではないかな >>182
>こんなに偉そうにアンチ活動してるけど、基本的な空手書さえも読まずにソース連呼する
まず、俺はアンチではない。型肯定派。
そして基本的な空手書どころか、こんなの存在したのかよ?っていうものまで随分見たわ。
空手古書道連盟の会長さんとも名詞を交換して歴史や文献の談義に華を咲かせたこともある。
そしてこれは、あんまり自慢になるから言いたくないけど、もう唐手史の研究は10年以上やっていない。
例えばライトなところで武道関係の雑誌(月刊空手道とか秘伝とかJKfanとか)も10年以上見ていない。
沖縄の唐手の大家達が書いた技術や歴史を語った本とかについても、もう10年以上全然チェックしていない。
ついでに、持ってる資料も大分処分したしな。だから俺の頭の中に入ってる唐手史の知識というのは
基本的に10年以上更新されてないのよ。言うなれば昔の貯金で食ってるだけの話。
にも関わらず、俺がこのスレで書いてきた唐手の歴史や正体に関する主張や指摘は崩されたことない。
自分で言うのも何だが、たぶん正しく研究した結果、根源的な答えに到達したのだと思う。
1+1=2 っていうのは10年前も10年後も一緒だもの。だから俺が知識を更新しなくても大して問題ない
結局、対人稽古をロクにやってこなかった以上、唐手家は弱かったし型に大した意味も詰まってない(詰めようがない)
という答えは真理なんだろうね。だから今後も別に唐手の歴史に関する調査を再開したりは無いし、新たな知識を詰め込む
予定もない。10年分の時間を埋めてあれこれ調べれば、またミリ単位で新たな発見や考察も生まれるかもしれないけど
もうそんなことで時間を使うべきではないし、そもそも過去の貯金だけでも充分ここで遊べるから、結局その予定はない。
たぶん、空白のここ10年の間に型オタや唐手の御大たちがまた都合の良いことを書籍で発表してるんだろうなあとは思うw >>184
講道館の本部に行くと、同時代の資料がいっぱいあるけど、凄いよ?
どういう試合展開でどういう時間にどんな攻防が成されてどういう技で
決着がついたのか、有名な柔道家も無名な柔道家も腐るほど記録が残ってる
唐手は組手どころか、技のデモンストレーションすら無いからね。
組手はやらなくても、突きを腹に体験させるとかも無い。
実際唐手のどの流派の開祖の突きも弟子が体験した記録はない。
今ではセミナーで当たり前のように参加者にやってるし、youtubeでもゴロゴロ出て来るアテファなのにねw
組手どころの話じゃなくて、単純に突くというその技術すら発展していなかった。あるのは
ヒネりながら突く(正拳突き)程度。それすら実際の対人稽古をしてないから本当に有効か
どうかは分からなかった。本部は試した結果、一本拳の方が「マシ」って現実に気づいたんだろうね。
上で講道館の本部の話が出たけど、本部があるビルには資料室もあって、そこには柔道以外にも
武道関係の貴重な文献がたくさんある。実はそこに空手に関する古い書籍もあったりする。
今はコロナの影響で入れないかもしれないけど、手続きさへ踏めば一般人でも利用できるから
文献に興味のある人は利用してみると良い。下手な図書館よりも蔵書が充実してるよ。
もしかしたら100年前にグローブをつけて組手をしてる唐手の写真も見つかるかもしれないw ちょっと話は変わるが大卒の人は教養の際に生物学の講義で聞いたことあるって人も多いと思うけど
鶏の雄には闘争を好む雄とそうでない雄がいて後者は全然雌から相手をされない
ところが後者の雄にエナント酸テストステロンを注射すると闘争的になり雌も積極的にその雄と交尾するようになる
生物はすべて必然的に闘争心の強い個体を優先的に残すように本能にプログロムされていてスポーツなどもそれを証明する手段に過ぎない
でも沖縄では競争式の伝統スポーツがほとんどないっての生物学的に見て不思議な話だよね?
沖縄相撲やハーリーぐらいだけどあれも士族はやらないしな
鶏では雄が喧嘩しないと雌が強引にオス同士で喧嘩させて強弱付けさせるらしいよ 本当かどうか知らんが、温暖な気候で生まれた黒人達はほっといてもバナナとか
食える植物がほいほい育つから働かないって聞いた事ある。本当かよ?と思ったけど
よく考えたら南国の沖縄も離職率がヤバいしニートも多いんだっけか。何か関係してるのかもな。 型オタはソース出すだけで勝てるのに、何でソース出さないで誤魔化して逃げてばかりなの?
オフ・スパーで型の強さを証明するとは言って逃げて、
ソースがあると言っては逃げて、型オタって本当に口だけの嘘つきなんだな。 逆に型しかなかったから本土で自由組手が発達して伝統派だのフルコンだのが出来、空手がこんなポピュラーな武道になったと考えよう サイタマって極真は全空連より何十年も前から組手やってたとか嘘を平気で書き込む奴だぞ?(全空連創設と極真創設時期はほぼ同じ)
そんなアホにソース求めても時間の無駄 >>183
大体約100年前になる昭和4年、1929年の防具組手は小手らしきグローブを着けた防具を使用した組手をしていたのはWikipediaの組手の大正の欄に載っている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%84%E6%89%8B_(%E7%A9%BA%E6%89%8B) >>192
おやおや、100年前から急にだいたい100年前に訂正ですか
まあ100年前といったら1921年ですからねえ、義珍が本土に普及にすら来ていない。
で、組手をやらず型ばっかの沖縄唐手に嫌気がさした本土の大学空手部(東大含む)が
写真のように組手を本土で模索し始めたのは私の主張どおりですしまた現実でもあるのですが
それが何か?
むしろ、>>165で貴方が言っている「踊るだけで強くなれるwww的なノリの
チャラい奴が空手を始めることが多くておかしなことになった」というレスと矛盾するのですが、大丈夫ですか? あ、よく見たらサイタマって言われてるヤツとは別人か。
まあ俺の主張に変わりはないが、これは失礼。 >>193
???
明治と大正の順番も分からんのか??
バカは論に負けず
を20年実践してる奴はスゲーな
やっぱ >>193
相変わらずアホだな。
お前は写真のソースを出せと書いただろ。
とりあえず写真を出したから謝れよウンコ。
本当に口だけのカスだなwww
終わってんなアンチは。
弱いし、頭回らないし、日本語だめだし、兵法知らないし。
また船から下ろすぞ。
ほら、写真あったこと謝らんかい! >>192
どの程度の組手か気になるね。
型重視の流派からしたら異端だったろうね。 >>198
いや、もともと型しかやってなかったわけだから、組手重視は異端だったと思うよ。 >>195
悪いが意味不明で何を言いたいのか分からん。
>>196
出したのはご苦労様だけど、何で謝るのか分からん。
その写真は俺の主張を裏付けるし、むしろサイタマの主張に矛盾を発生させるだけなんだが。 リンク先を読んでも、大正時代に普遍的に組手が存在していたなんてのはまったく読み取れないんだが。謎だ。 >>167
>本部の同世代は組手皆んなやってて
本部の同世代の唐手家は皆、組手やってたという主張に対してソース出せといったら
東大の写真があるという話になってWikipediaの写真がソースだと言ってるんだよね?
>>196
一人で勝ち誇ってるところ申し訳ないが、
この東大の写真が沖縄の唐手家が皆、組手をやっていた証拠だというの?
むしろ沖縄で組手やらないから本土で組手の試行錯誤してる写真にしか見えないんだが?
写真に関連する文書の内容もそうなんだけど日本語読めない人??? >>200
はあ?
>>167で書いたことに対して>>170と書いて、その後、>>172と書いたから>>176と書いたんだろうが。
大した記憶持ってねえのにドヤ顔で否定してんだろ?
オラ、組手の写真出したから謝れよウンコ。
あと、アンチは知らんだろうが、最新の歴史では本土に空手の紹介は船越義珍先生より前に空手は知られている。
Wikipediaより
最近の研究によれば、最初に本土へ唐手を紹介したのは、明治時代に東京の尚侯爵邸に詰めていた琉球士族たちであったと言われている[32]。彼らは他の藩邸に招かれて唐手を披露したり、揚心流や起倒流などの柔術の町道場に出向いて、突、蹴を披露していた。
また、1908年(明治41年)、沖縄県立中学校の生徒が京都武徳会青年大会において、武徳会の希望により唐手の型を披露としたとの記録があり、このとき「嘉納博士も片唾を呑んで注視してゐた」[33]というように、本土武道家の中にはすでにこの頃から唐手の存在に注目する者もいた。 それにしてもWikipediaがソースで勝ち誇ってるアホ初めて見たわwww
>>196
で、相変わらず逃げ続けてるけど、
「オフ・スパーから隠遁」
は正しい日本語だと思ってるの? >>203
しかも2回線で自演してるのバラしてるし、真性のアホだこいつwww >>203
すまんが何を言いたいのか分からんわ。
ようするに俺の主張どおり型しかやらない沖縄唐手に嫌気がさした本土の学生達が組手を模索した
ってことに同意したいってことかな? それなら別に構わんけど。
>あと、アンチは知らんだろうが、最新の歴史では本土に空手の紹介は船越義珍先生より前に空手は知られている。
いや、知ってるよ。だからあえて>>193で「普及」と書いたんだ。お前のは「披露」や「紹介」な?
これも俺の説の裏づけになるが、義珍だけが沖縄人ではなく、義珍が来る前の時点で
すでに沖縄出身の学生や社会人は本土に居たわけ。当然唐手を修行したものや見聞してる者も居るわけ。
そんな状況で、本土の学生は一から組手を模索しなきゃいけなかったという無理ゲーを行ってきた。
まったくもってご苦労様としか言えないわ。周囲に居る沖縄の人間にどうやって組手をしていたか聞けば
そんな苦労も無かったでしょうにねえ。まあ聞いたところで答えが無いから暗中模索したんだろうけど。 >最近の研究によれば、最初に本土へ唐手を紹介したのは、明治時代に東京の尚侯爵邸に詰めていた琉球士族たちであったと言われている[
ちなみに、義珍の師匠といわれる安里が確かこれに該当するんだよな。数年東京に居た。ただし、そのせいで
今度は義珍が安里に唐手を習った時系列に少し怪しい矛盾が出て来てしまうんだよなぁ。割愛するけど。
義珍の師匠については糸州にも安里にも疑惑がつきまとう。さて本当の師匠はいったい誰だったのでせう。 >>205
はあ?
お前と一緒にすんなよ。
お前のは自演バレバレだからwww
1人で会話のやり取りしてるのを皆孤独でかわいそうな奴と思ってるから誰もツッコまんだけだから。
あと、Wikipedia信用できんと書いてるが、信用できんなら否定するソースだせよ。
Wikipediaの書いてあることは尚国王が本土に使節団と来た時の歴史上合致し、揚心流などの披露の話は古流柔術研究家の第一人者の平上信行先生の話の中に江戸時代から大島筆記で空手の話は本土に伝わっているとあるから藩邸の武術好きな者が直接話を聞いたり見たりはあり得る話だ。
あり得ないないならソースだせよウンコ。
>>196
で、相変わらず逃げ続けてるけど、
「オフ・スパーから隠遁」
は正しい日本語だと思ってるの?
↓
>>140に書いたが、お前が最初に書いてんだよマヌケwww
私から問おう。
日本語分かりますかぁ?www >>205
言ってることも支離滅裂だし、やっぱ相手にしない方がいいのかもな。ちょっと疲れてきた。 ただ昔の東大の写真に脊髄反射で飛び付いちゃっただけで、沖縄の唐手家が組手をやっていた証拠の写真でも何でもないんだよね、これ。
それで引っ込みつかなくなって逆ギレして謝れと泣き叫んでるのが型オタということか(笑)
相変わらずファビョってばかりだよね型オタって。
泣き叫んで嘘ついて主張を通そうとする半島マインドは今日も絶好調だねwww >>208
おいおい自分のレスをなかったことにして逃げるのかよ。
隠遁を初めに使ったの型オタで、隠遁にオフ・スパーから単純に逃げる意味はないという指摘に対して、
82 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/05(金) 08:01:52.64 ID:Ug3z+zcqd
隠遁の使い方が間違ってるよ。
この場合は
オフスパーから隠遁する。
↓
オフスパーしなくて胸を撫でおろし、いち早く北浦和から離脱する。
だよね。
まだまだだね。
日本語の習得頑張り給え。
と、「オフ・スパーから隠遁」が正しい日本語だと主張して解説までしているの型オタだぞ?
こうやって事実を捏造して嘘を塗り重ねていく本場の半島メンタルは流石だね(笑)
で、質問に答えてないけど
「オフ・スパーから隠遁」
これ日本語としておかしくないの? >>199
型しかやらない流派というのは、大正ころに即席で出来た同好会が母体の道場で、
船越も本部も組手をやっていた。
東大の防具を開発した組織のトップは船越義珍 長文書いて自分が言ってることを相手の言ったことだと改変してく手法
欧米人みたいな奴だな >>211
お前は文章読めないんだね。
半島出身確定かなwww
ちゃんと訂正してるのが読めないんだね。
オフスパーから隠遁する。
↓
オフスパーしなくて胸を撫でおろし、いち早く北浦和から離脱する。
間違い直してんだろ?
離脱が正解だ。
隠遁の意味まで出して素でオフ・スパーから隠遁はひいたよwww 空手自体が無意味的な論理を展開する上で、型はやるだけ無駄と言いたいので、同時に組手も存在しなかったと結論付けたいんだよな〜 >>210
同様に、摩文仁が防具をつけて組手をしている写真をたまにドヤって主張する人が居るけど
摩文仁が沖縄時代に組手をしている写真ならいざ知らず、本土に来て本土の学生の組手熱が高まって
防具組手を模索している写真に何の価値があるのかなと。むしろ沖縄で組手をしてこなかったからこそ
防具とか持ち出して模索するハメになった。結局その防具も性能の面から上手くいかんかったみたいだけどね。
東大といえばさ、東大の唐手部は義珍や大塚のいわゆる首里手の流れなんだけど
何故か一百零八が伝わってるのよね。誰経由で伝わったのか少し興味が湧くところ
ではある。東大ではなく慶應大学の唐手部も義珍が教えていた首里手系なのだけど
戦前の昇段審査の項目(当時は三段が最高位)に三戦や一百零八があったりする。
ということは・・・。色々なルートが考えられるけど、その中のひとつとして義珍は
スーパーリンペーもしくはペッチューリンを習得していた、というルートも見えてくる。
そうであるなら義珍に伝えた人は誰か・・・と色々妄想を書きたてられるのが唐手史の面白いところでもある。 >>212
どうせ今回も義珍が組手をやってたソースは出せないけど、
やってた事にしたいんですよね。ハイハイご苦労さん。 >>215
とりあえずハッタリかまして相手がビビって信じちゃえば良し
そうじゃなければ姿を消してID変えてほとぼり冷めたらまた出て来る
その手口はよく分かったから。
話が広がり過ぎないように、まずひとつひとつ解決していこう。
まずこれね↓
>本部も船越も組手が必要だと著作で書いてるけど、
で、結局どこにそんなの書いてあるのよ? 先生が直接指導してるのに、先生ではなく、18歳くらいの学生が全て開発した
と言ってしまえるのは、100年前の2ちゃんねらーこと高等遊民のネトウヨ的差別思考回路によるものなんだよな〜
沖縄人ごときではなく、本土のエリート学生が開発したのであり、沖縄人が開発したのではない
という論理展開
こんなアホなことを主張する人がいるとは平成初期ころは理解できなかったので混乱があったが、高等遊民のリバイバルというばき2ちゃんねらーが現れると、このめちゃくちゃな論理がどういうものなのかハッキリ分かるようになった。
多くの空手家の著作、組手競技開発した団体の指導者が船越や本部にも関わらず、
沖縄人などはお飾りで本土のエリート学生が開発したのである
というのが正しい歴史で
沖縄人のごときは飾りかつ嘘つきである
という主張を根拠もなく真実と信じ込める人々がいるんだよなぁ >>214
はい逃げたねwww
書いてあんの気づかずドヤ顔ダッサーwww
マジ半島の方には悪いけど、半島の駄目なところ全て持ってるクソだねwww >>214
>オフスパーしなくて胸を撫でおろし、いち早く北浦和から離脱する。
>間違い直してんだろ?
おいおい今度は主格が変わっちゃってるぞ(笑)
後付けのその場しのぎで言い訳して誤魔化してるから文の主格が変わってる事にすら気づいてないのかよwww
しかも隠遁と離脱って一文字もかぶってない(笑)
せめて遁走にしておけば誤魔化せたのに型オタって本当に日本語ができない文法も知らない半島人だったと自ら証明してるんだもんな。 相手の言葉尻を捉えて批判と質問責めにするって手法なんだよなぁ
でも、空手に組手があるなしを論じるなら最低限知らないとな著作を読んでないのを証明してるようなもんだから、そのままの君でいてください ということで、少林寺拳法東京別院に行ってみんなでオフスパーするってことで良いのかな?
コロナ解除されたら、皆んなで集まろうよ
少林寺の乱取りってことでやれば、死人が出ても問題ないだろ >>219
>先生が直接指導してるのに、先生ではなく、18歳くらいの学生が全て開発した
>と言ってしまえるのは、100年前の2ちゃんねらーこと高等遊民のネトウヨ的
>差別思考回路によるものなんだよな〜
誰もそんなことは言っていないが、そもそも義珍が東大の師範を辞任したのは
東大の学生が暴走して勝手に自由組手の模索を始めたからだぞ?
現にグローブをつけた写真の昭和4年(1929年)に辞任している。
まじめに突っ込むのも疲れるが、もう少し勉強してくれ。 しかも>>73と>>77で隠遁は逃げるの意味だと同じ内容を連投して主張してたのをなかったことにしてるし(笑)
型オタは記憶障害ですかwww
73 名無しさん@一本勝ち (スププ Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/04(木) 20:48:46.86 ID:fOxLSEBbd
>>66
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
のがれる→逃れる
「隠遁??隠遁に逃げる意味ないぞ(笑)」
やはり日本語が不自由なんだね。
日本に来て日が浅いのかな?
頑張って早く上手くなって下さいねwww
あと、馬鹿みたいに、いや、馬鹿だからだと思うけどだらだら駄文長文多いよね。
もう少し頭の中でまとめてから書いてみたらどうかな?
多分無理だと思ってるけどwww
77 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/05(金) 00:41:24.12 ID:Ug3z+zcqd
ねえねえ、馬鹿なアンチのドヤ顔が歪む返信、見たいという人手を上げて♪
↓
>>66
いんとん
【隠遁】
《名・ス自》交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすこと。
のがれる→逃れる
「隠遁??隠遁に逃げる意味ないぞ(笑)」
やはり日本語が不自由なんだね。
日本に来て日が浅いのかな?
頑張って早く上手くなって下さいねwww
あと、馬鹿みたいに、いや、馬鹿だからだと思うけどだらだら駄文長文多いよね。
もう少し頭の中でまとめてから書いてみたらどうかな?
多分無理だと思ってるけどwww >>221
マジで書いてんならすごい頭悪いな。
字が被るとかって何の関係が?
オフ・スパーからいち早く関わらないように逃げたのは実際に現地に行ったお前。
私はお前の行動をその他スレを眺めていた人達と同じ見ていただけで逃げる以前に行ってもいない。
お前だけだよ。
オフ・スパーに参加してたのは。
居ないと分かるやいち早く現場から逃げるように去った。
これを離脱と呼ばず、遁走したならそれはお前の本音が遁走したってことだ。
はい、自爆したねwww
皆さん、アンチは実はオフ・スパーから遁走しましたwww 結局、Wikipediaの東大の写真は本土で組手をやっていた写真であって、
沖縄の唐手家が100年前に組手をやってた証拠の写真ではないという事でオッケー? 遁走
トンソウ[名](スル)逃げ出すこと。逃がれ去ること。逃走(とうそう)。「敵前から遁走する」
アンチは遁走しましたwww >>227
>これを離脱と呼ばず、遁走したならそれは>お前の本音が遁走したってことだ。
お前が言い出した隠遁と文字が被っている似たような逃げるだけの言葉は遁走だと連想しただけなんだけど、この理屈で自爆になるなら
ブルース・リーの映画見て
型オタ「あ〜、それある! 型にも同じ兵法の勝ちがあるよそれ!」
一同「自分から挑発してオフ・スパーから逃げたから全然違うじゃん。」
型オタ「逃げたのではない、隠遁したのだ。」
はい、自爆したねwww
皆さん、型オタは無職で引きこもりと確定しましたwww ほら、型オタの理論だと自爆になるんだろ(笑)
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、【隠遁】する場合において逃げるという言葉が適用される。
無職で引きこもりだからオフ・スパーから逃げましたと、自爆した証拠(笑) >>222
>でも、空手に組手があるなしを論じるなら最低限知らないとな
>著作を読んでないのを証明してるようなもんだから、
俺は自分が膨大な唐手の文献に目を通してきた自負はあるが、さりとてそれを誇りには思っていない。
というか、その数が多くなればなるほど、失伝したのではなく元から大した技術なかったんですよって事実に
自分の頭で気づくことが出来ず資料から少しでも情報を拾おうとしてたって事の表れでもあるから
むしろ恥ずかしくすらある。
現に、少数とはいえこのスレで唐手の歴史の正体を理解してくれた人達が居る。
そういう人達は、別に俺みたいに膨大な資料に目を通さずとも正しい答えに
たどり着いたわけ。俺がさんざん長文の説明を投下したというのもあるけど
それを差っ引いたとしても、資料ではなく現在の空手界を取り巻く環境を冷静に
観察すれば、心当たりが大であり得心すること多数で、分かることなんだよね。
昔の唐手家はロクに対人稽古をしてなくて、型にも大した意味は詰まってないって。
本屋に並んでる復刻された本程度を読んでドヤってる奴や、あるいはそれすら読んでない
お前のような奴に唐手の歴史や文献について講釈垂れられるのは心外だが、さりとて文献を
多く読んだことがどれほどのものかというと、むしろ自身の中で寂寞しか感じない。
これからは、もっと有意義なことに時間を使うべきかもなあ。 >>232
有意義なことが何もないアンチは現実から遁走しましたwww
社会から遁走し、5ちゃんねるに避難したアンチはそのまま隠遁しました。
ごめん。
これ敢えてのボケじゃなくてリアルな話だったね。
だから、こういう「これからは、もっと有意義なことに時間を使うべきかもなあ。」って感想が出るんだね。
はい、>>231はアンチ自身を書いてましたねwwwwww 型オタや多くの型肯定派は、同じ肯定派である俺の話を最初っから真面目に聞こうとせず
否定ありきで反論して来るから損をしてると思う。客観的に見れば俺の言ってることは
動かしようのない現実だし、それを認めた上でそれでも昔の唐手家が組手を少しでもしていた
可能性は?と真摯に問われたら、少ないながらも実はありますよと論拠を出せる。前にも書いたけど
自分の主張と相反するから別段言及しないだけで、昔の唐手家が組手をしていた痕跡はいくつか存在する。
まあそれを踏まえても全体としてはごく一部なので結論は変わらんけどな。
>踊るだけで強くなれるwww的なノリのチャラい奴が空手を始めることが多くておかしなことになった
沖縄の唐手家はほとんど型しかやってなかったが、しかしこういう↑考えはもってなかったと思うぞ。
例えば義珍が残した松濤二十訓に「形は正しく実戦は別物」ってのがある。もし本当に型だけで強く
なれると思ってるのなら俺はこんな事は書かないと思う。>>132の義珍の立会い(?)の話がどこまで
本当かは分からんが、おそらく義珍は本部並に唐手が好きだったから型だけでは飽き足らず実戦(自由組手)
も若いころに試したことがあるんじゃないかと思ってる。
そこで型と現実の剥離を痛感したからこそ「実戦は別物」とわざわざ喚起しているのかなと。
じゃあそこで本部のように実戦を模索し続けなかったのかというと、おそらく2〜3回の実戦で
結局他の唐手家と同様型だけやる方向にシフトしたんだと思う。結局、割に合わないからね。
結婚もしてるし子供も居るし教職にもついてるのに、一回の実戦で体を不具にするのもされるのも
割に合わない。仮に勝っても後日報復も考えられる。どこぞの王族と違って、生活全てを唐手には回せない。
>>233
貴方の日本語が意味不明なので何が言いたいのかさっぱりなんだが。ひとつ言えるのは俺はアンチじゃなくて肯定派だよ? >>223
そこは全く関係ない部外者でも自由に使わせてくれるなら行ってもいいけど許可とってあんの? そういや宮城も王族じゃないけど商家だったから遊んで暮らせるくらいの財産はあったみたいね。
その財産を使って中国にも視察に行った。現代では源流の拳法を探すために行ったって言われてるけど
実際のところ宮城は東恩納が中国で修行してきたなんて信じてないし、そもそも東恩納自身もそんなことを
言ってはいないと思う。ルールーコーなんて名前が世に出だしたのも後の世代になってからだし、
そもそも何年も顔をつきあわせて稽古してるのに嘘をつき続けるのなんて無理だよ。ついても絶対バレる。
宮城が中国に行った本当の理由は、唐手と立場が似ている中国拳法の人達の練習方法、特に組手について
知るために中国に行ったんじゃないかと思う。型や套路と組手はどこまで摺り合わせる事が出来るのか
仮に刷りあわせは無理にしても手足を使った自由な殴り合いというのを中国拳法ではどうやっているのか、等々。
でも当時の中国拳法でも唐手でいう約束組手が主で自由組手はあまり主流じゃなかったみたい。
結局、得たいものは中々得られずに帰国した、と。白鶴拳にぞっこんだったとか決してそういうのではない。 >>233
>はい、>>231はアンチ自身を書いてましたねwwwwww
全然違うのに一人で勝手に盛り上がって大丈夫?全く反論になってないからやりなおしだな(笑)
ブルース・リーの映画見て
型オタ「あ〜、それある! 型にも同じ兵法の勝ちがあるよそれ!」
一同「自分から挑発してオフ・スパーから逃げたから全然違うじゃん。」
型オタ「逃げたのではない、隠遁したのだ。」
一同「隠遁とは俗世間から離れて隠れ住むこと。なんだ無職の引きこもりかwww」
231 名無しさん@一本勝ち (オッペケ Sr0b-vgLE [126.166.172.193]) 2021/03/06(土) 23:02:28.31 ID:6K2hrXgvr
ほら、型オタの理論だと自爆になるんだろ(笑)
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、【隠遁】する場合において逃げるという言葉が適用される。
無職で引きこもりだからオフ・スパーから逃げましたと、自爆した証拠(笑) それと>>196>>203で謝れ謝れ言ってたWikipediaの東大の写真は本土で組手を工夫していた写真であって、
沖縄の唐手家が100年前に組手をやってた証拠の写真ではないという結論でいいんだな?
結局これも型オタが証拠でも何でもないものを振りかざしていつもの一人でアホ躍りしてたということなんだなwww 組手をしていなかった事がそんなに大事な事なのかなあ?
俺の感覚が麻痺してるのかもしれんけど、
戦前の会った事も話た事もない沖縄人が組手してようがしてなかろうが、どうでもよくね?って思うわ
俺はそれを煽るのが楽しいから刺激するけど、一番つまらないのは本当に「どうでもいいわ」
ってスルーされる事なんだよね。
「お前の先祖をたどっていくと、石器時代にウホウホ言ってたんだぜー!w」って言っても
「当たり前だろボケ。その時代にナニを期待してんだ?」って返されるとグウの音も出ない。
むしろそんな事を揶揄してる自分が情けなくなってくるみたいなね。でもそれこそが当たり前なんだよね。
俺は匿名の5chはもちろん表世界の空手界であってもそういう事をオープンに開き直りでもなく逆キレでもなく
肩ヒジ張らずに自然に認めれる日が来た時こそ空手界は古伝コンプレックスから抜け出せたと思えるのだけれども
どうもそういう日は当分こない見たいね。老後も煽って遊ぶネタに事欠かないみたいで個人的にちょっと嬉しい。 >>238
>謝れ謝れ言ってたWikipediaの東大の写真は本土で組手を工夫していた写真であって、
しかもその写真が取られた歳に義珍はその大学の唐手部の顧問を辞任してるというね。
辞任の理由が教えに背いて自由組手に固執してるって、もう完全に黒でしょこれw 前々スレくらいで書いたけど、平行立ちをしている人の両肩を前から押したら簡単に傾く。
だけど真横に回って肩を押しても耐えられる。事ほど左様にモノゴトには強い面と弱い面がある。
陰陽、強い面と弱い目が同居して初めて存在足りえる、という東洋の思想。これは型も例外ではない。
バケツ一杯に水を浸した状態で、バケツの半円を描くようなあの針金の取っ手を掴んで持つとき
縦拳で持つのと横拳でのの、どっちが持ちやすいでしょうか? なお肘は体側につけるものとする。
これは平行立ちにおける押される方向の強弱の問題と似てる。縦拳で持つのが正解。
ようするに人体の構造上、どんな時も強い面と弱い面、陰陽が存在するという訳やね。
存在というか、どうしても発生してしまう。では、横拳で持つのがいけないかというと
さにあらず。横拳だからこそ人体の理に適う状況があるわけで、だからこそなぜ型の突きは
横拳が多いのかの答えにも繋がる。それは物理学や解剖学と言う現実的な観点から観測可能で
三戦の天地と繋がった一体感がどうとかいう主観的なお花畑でオナニーしてる理論とは一線を画す。
過去スレでも書いたけど、アゴを引くこととアゴを上げること。肩を入れる事と肩を入れないこと。
陰陽の理に従うなら、どっちか片方だけが善という事はなくて、時と場合によってコロコロ変わる。
アゴを上げる(というか上げなきゃいけない)場合もあれば、肩を入れる(というか入れなきゃいけない)
場合も勿論ありえる。それはどんな動作でも起こりえるものであり例え正拳突きであっても例外ではない。
だから、凝り固まった先入観ではなく、既存の肩を入れず上体もまっすぐにしてアゴも引いて突き出す正拳突き
というのは一旦置いといて、建前重視ではなく実戦重視で、本当に効く突きとは何か、本当に無理のない力の出し方は
何か、というのを追求していかなければいけない。約束組手でしか使えない技ではなく、自由な攻防で体現できるものを。
そういう大事なことを恩ある人に昔2chで教えてもらったような気もするが、正直面倒なんよねえ。それ以外にも理由はあるが。
だけどまあ、文献を漁るよりかはまだマシな時間の使い方かもしれない。という訳で誰か試してみて(´∀`) でもこういう事を書くと型オタって見なされるから注意が必要なんだよなあ。
型オタは三戦スレにでも行ってろって思うけど、このスレでもフルボッコに
あっていた型オタが三戦スレでもイミフ扱いされててワラタw↓
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1614521060/l50 テンプレに入れるならこっちの方がいいと思う
12 :名無しさん@一本勝ち:2016/12/19(月) 19:23:14.35 ID:RmOp6J9T0
>形は現実にあっていない技で構成されているのが問題って言っていた師範がいたな。
これはとても大事な意見でね。よく考えて欲しいんだ。
現実にあっていない技というのは、そもそも「実戦性」を前提に考えるから
「あっていない」となる。
でもさ、何でわざわざ現実にあっていない技で型の動作を構成する必要があるのよ?
誰が好き好んで現実にあっていない技で構成しようとするんだ?めんどくせえ。
そうじゃなくてさ、むしろこう考えて欲しい。
現実(実戦)にあっていない技で型を構成した、のではなく
現実(実戦)なんてものは創作時から念頭に無かったから
現実(実戦)にあっていない技で動作が構成されているのは当たり前
こう考えた方がよっぽど自然な流れだし、理にかなってるのよ。
型が使えるかどうかっていう問題はここにあるんだ。議論になるとき、それは必ず
型が実戦を想定して作られたことが前提で、しかし使えないから議論になる。
でも、初めっから殴り合いなんて考慮せずに作った(演武や舞踊目的)なら
非現実的な動作も、現在みんなの道場に深い技術がまったく伝わっていないのも、全て道理なんだよ。
この考えを何べんも言ってんだけど、多くの人は受け入れてくれないんだよな。難しいことじゃないのに。 大正3 年(1904) 琉球新報「沖縄の武技」1月17日号掲載
「沖縄固有の武芸にして田舎の舞方(メーカタ)なるものが、
いわゆる唐手の未だ発達せざる時代のそのままであらう。」
寄稿者:安里安恒 本土の武術に対する劣等感が今でも根強く残ってるということなんだろうな。
本土でも武術流派の技が地方に伝わりお祭りの棒の手に残ってる例はあるけど、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%92%E3%81%AE%E6%89%8B
棒の手から元の武術の復元は不可能だし、沖縄の場合は元々の発祥が舞だから、
躍りの身体操法が武術に役立ったとしても、あくまでも身体操法であって武術の理合にはならんわな。 >>196>>203で謝れ謝れ言ってたWikipediaの東大の写真は本土で組手を工夫していた写真であって、
沖縄の唐手家が100年前に組手をやってた証拠の写真ではないという結論でいいんだな?
オフ・スパーから隠遁(笑)して無職の引きこもりがバレた事が悔しかったみたいで、的外れな写真を引っ張ってきて謝れ謝れだから、半島のメンタルってすごいよなー。
【結論】
型オタがソースだと主張する東大の写真は本土で組手を工夫していた写真であり、沖縄の唐手家が100年前に組手をやってたという裏付けになるようなものではありませんでした。 >>246
>沖縄の唐手家が100年前に組手をやってた証拠の写真ではないという結論でいいんだな?
というか、仮に写真が1〜2枚発見されたところで証拠としては弱すぎる。
複数の村で撮影された写真がせめて20〜30枚くらいあれば分からなくもないが…。
型オタは自由組手の証拠は分が悪いと判断したら、掛試しが〜とか掛手が〜ってすぐ言う。
これも結局本部の周囲程度でしか行われておらず、その本部すら重視してなかったフシがある。
空手史を調べてく過程で船越が本土に来る前の時代に、無名の青年同士が手首を合わせあって
いる写真も発見したが、それとて発見したからナニ?って話で、ポーズとして撮るなんて可能性は
いくらでもある(空手バカ一代全盛期は普段使わない飛び蹴りを記念に写してもらいたがる門下生が
頻出したらしい。わざわざ撮ってもらった後にバックに夕日を加工するイタいけど愛すべきバカも居たw)。
そもそもその発掘した写真だって本当に唐手をやってる者同士かどうかも怪しい。背広着てたしな。
昔の中国拳法の雑誌の表紙みたいに関係ないそこら辺のジイちゃんにポーズ撮らせて済ませた、なんて
可能性もある。仮に唐手家同士でさらに手首を引っかけあって攻防してたとて、現代のどこの道場でも
そんなのが伝わっていない時点でとても普遍的な稽古だったとは言えない。
つーか、そんなのが沖縄のあちこちで行われていたのなら、当然やったことある人や見たことある人が出て来るので
本土の学生が約束組手から自由組手への移行であそこまで試行錯誤することなかったわさ。
「約束組手じゃなくもっと自由な攻防したいんだけど、どうしたらいい?」「ああ、掛け試しってのがあるよ」で済む話。
まあこの話題も過去に語られつくしたから、わざわざここで書いても過去に書いたことの焼き直しで進展は無いんだけどね。 >>248
>というか、仮に写真が1〜2枚発見されたところで証拠としては弱すぎる。
>複数の村で撮影された写真がせめて20〜30枚くらいあれば分からなくもないが…。
本当にそうなんだよね。しかも本土で組手の工夫をしていた写真に過ぎないものをソースだと振りかざして謝罪と賠償を要求するニダとばかりの半島メンタル全開だったから型オタのお里が知れるよね。
196 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 21:36:57.98 ID:SXF3NKzMd
相変わらずアホだな。
お前は写真のソースを出せと書いただろ。
とりあえず写真を出したから謝れよウンコ。
本当に口だけのカスだなwww
終わってんなアンチは。
弱いし、頭回らないし、日本語だめだし、兵法知らないし。
また船から下ろすぞ。
ほら、写真あったこと謝らんかい!
203 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 22:06:07.96 ID:SXF3NKzMd
>>167で書いたことに対して>>170と書いて、その後、>>172と書いたから>>176と書いたんだろうが。
大した記憶持ってねえのにドヤ顔で否定してんだろ?
オラ、組手の写真出したから謝れよウンコ。 クソアンチとのやり取り飽きたから真面目にするとだけど、こちらの動画ではちょい出し過ぎだけど、古流空手のメリットをたくさん出している。
https://youtu.be/DeXu0hqpTG0
本当に誰彼構わず目立ちたいとかコンプレックス解消のために秘密を話しちゃうようなアンチみたいのは教えては駄目な奴だが、ちゃんと人格的にしっかりした秘密守れそうな才能ある人には教えて繋いでいく必要がある先人の知恵だよね。
型にはこういう技がたくさん入ってるけど、私含め、古流空手学ぶ修行者は大事にしたい教えと哲学を後世に伝えていきたい。 >>251
話そらしてるけど、あの東大の写真は沖縄で組手で行われていた証拠でもなんでもなく、本土で組手を工夫していた写真だったということは理解できたの? >>248
>というか、仮に写真が1〜2枚発見されたところで証拠としては弱すぎる。
>複数の村で撮影された写真がせめて20〜30枚くらいあれば分からなくもないが…。
本当にそうなんだよね。しかも本土で組手の工夫をしていた写真に過ぎないものをソースだと振りかざして謝罪と賠償を要求するニダとばかりの半島メンタル全開だったから型オタのお里が知れるよね。
196 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 21:36:57.98 ID:SXF3NKzMd
相変わらずアホだな。
お前は写真のソースを出せと書いただろ。
とりあえず写真を出したから謝れよウンコ。
本当に口だけのカスだなwww
終わってんなアンチは。
弱いし、頭回らないし、日本語だめだし、兵法知らないし。
また船から下ろすぞ。
ほら、写真あったこと謝らんかい!
203 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 22:06:07.96 ID:SXF3NKzMd
>>167で書いたことに対して>>170と書いて、その後、>>172と書いたから>>176と書いたんだろうが。
大した記憶持ってねえのにドヤ顔で否定してんだろ?
オラ、組手の写真出したから謝れよウンコ。 議論を通じて知らない知識を得るとかでなく、謝罪を要求する半島のメンタルってすごいよな。
これぞ半島のお家芸(笑)
日本語がでたらめでファビョーンしまくりの型オタはやはりかの国の民族だったかwww 昨夜の議論(と呼べるか怪しい不毛な煽り青い)で>>192が投下されたとき
リンク先にある1867年の冊封使節祝賀会について誰も言及しなかったのが
少し不思議であり残念でもある。
組手の最古の記録だ何だと鬼の首を取ったかのように型オタがドヤっても良いハズなんだが
さすがの型オタ達もこの祝賀会の記録の怪しさには気づいてて触れたくなかったのかな。 >組手の最古の記録だ何だと鬼の首を取ったかのように型オタがドヤっても良いハズなんだが
型オタは関係ない的外れな写真で鬼の首を取ったかのようにドヤるあまりに、別回線の別人から元の型オタのIDで写真これだぞなんてやって自演がバレちゃったというオチまでついたからな(笑) まあ、一つ確かなのは、身体能力アップなら、体操競技やダンス競技、球技の方が良いから、
型だけやって組手やらないような道場通っても、強くなれないのは確定ってこと
うちは、ボクシングの方をメインにしてるから、丁度いい調整種目(体操的な補助トレーニング)として型空手やってるけど、強くなるために型だけやるなんて無駄も良い話 型だけやってると、間違った自信着くだけだし、型の上手い下手で上下関係着くストレスあるから良くないよね
で、型上手いのを鼻にかけた奴をボディブローで倒すと乱暴されたwとか言い出しちゃう
少林寺拳法や型空手やると、イジメは上手になってイジメ力は強くなるけど、
イジメっ子にタイマン挑まれるとボコボコにされるカスみたいな人間になりやすい >>259
あれ?極真も型やってるから型は空手には必要ってのがサイタマ理論じゃなかった?
いつから型否定派になったんだ? >>260
型は必要だけど、型だけで強くなったつもりになるのは危険 >>261
結局>>195では何が言いたかったんだ? まるで理解不能なんだが。 >>261
強く為るために型は無駄って書き込みしてるじゃん
何の為に必要なんだよ 最近の流れのまとめ
167
>本部の同世代は組手皆んなやってて
>その次の世代で、型しかやらない人が現れた(ニワカ空手家)
と型オタが主張したので、本部の同世代つまり沖縄唐手が本土に伝わる前から組手を皆やっていたというソースを出せと言われて
172
>寸止め防具フルコングローブ
>100年前に組手をやってる写真全部あるじゃん
177
>東大で撮影された奴あるじゃん
192
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%84%E6%89%8B_(%E7%A9%BA%E6%89%8B)
と型オタが出したソースは昭和4年に撮影された東大=本土で工夫された組手の写真であって
>本部の同世代は組手皆んなやってて
のソースには当たらない的外れなものだったのにも関わらず
196
>相変わらずアホだな。
>お前は写真のソースを出せと書いただろ。
>とりあえず写真を出したから謝れよウンコ。
>本当に口だけのカスだなwww
>終わってんなアンチは。
>ほら、写真あったこと謝らんかい!
203
>オラ、組手の写真出したから謝れよウンコ。
と半島マインドの謝罪要求文化丸出しでファビョりだして謝れ謝れとやりだした。全く的外れな写真を振りかざして。 型から無駄を省いたのが基本稽古
つまり型は無駄なものなんだよ >>265
また日本語間違えてるぞ(笑)正しくは
型はやるだけ無駄だから省かれる現実 以前、沖縄唐手が本土の伝統派やフルコンに追いつくには素手素面の組手しかない
と提案した。今さら追いかけても寸止めにもフルコンにも追いつけないからね。
だからまだ未開拓の分野である顔面フルコンタクトならワンチャンあるんだけど
しかし今さらそんなのわざわざ追求するのは非現実的すぎる。本部じゃあるまいし。
なので、それ以外の道を考えなくてはならない。
一対一ではなく、一対多ならどうだろう? ありそうでなかったこの試み。
クラヴマガとかシステマくらいしか多分やってないじゃん。合気道も打撃メインじゃないし。
多人数がけという分野の開拓なら、沖縄唐手でもこれから一旗上げれるのではないかと思ったけど
よくよく考えたら結局その多人数を相手にしたとき寸止めとフルコンのどっちの方式で制圧するの?
という問題が発生する。どっちを選んだところでどっちにも結局追いつけない。歴史に差があり過ぎる。
ということで、素手対素手の世界ではもう一対一にしろ一対多にしろ、沖縄唐手が寸止めやフルコンに追いつくのは
もう無理だから、ここは素手同士という発想を離れて、素手対武器ならどうだろう?
これなら攻撃してくる相手が素手じゃないから寸止めやフルコンとの競争から離脱できるし
今いちパっとしない琉球武器術さんも巻き込んで自他共栄、win-winの関係になってみんな幸せ。
武器を制圧するための打撃は寸止めとフルコンのどっちにするの?っていう問題は大したことなくて
ウリは「武器をどう制圧するか」だから実際当てるか当てないかはあまり関係ない。寸止めが絵的に
美しいけど、顔面当てたいなら相手にヘッドガードでも付けさせればいい。
沖縄唐手が型を活かしつつフルコンや伝統派に対抗したいなら、型の解釈は対武器という路線でどうだろう。 まじめな話
隠されていた空手が登場 → 複雑な分解がブーム → みんなが模倣する → 飽和状態
沖縄拳法が登場 → 一撃の威力がブーム → みんなが模倣する → 飽和状態
こんな感じで飽和状態がになってるから、次に目立ちたいなら一対多か対武器のどっちか
だと思うんよね。どっちも空手界ではまだ手付かずの状態だから、どっかの会派なり個人
なりが始めれば市場としては一人勝ち出来ると思う。まあその勝ちもみんまが真似する束の間だけど。
次に型にこじつけるネタは対武器がバズると思う。これいってみよう。 >>264
最新の流れ
↓
アンチはわざわざ駅まで行かされ
カタ派の彼は家で缶ビールを飲み
高みの見物を決め込んでいた
燃えよドラゴンの冒頭で
リーがあの島で戦おうと提案し
それにまんまとだまされて
ボートにのって行ったのがアンチ
無手勝流でだましたリーがカタ派の彼
カタ派の方が実際に戦わずして
勝ちをおさめたわけだから
どう考えてもカタ派の勝ち
結論
カタをやると戦わずして勝つことができる >>269
カタ派がカタカタ震えてただけってとこまでは読んだ >>268
皆んなが模倣って言うより、ハッタリがバレたの方が正しいと思う >>271
まあ、真似して出来ちゃうようなモノなら敷居も低いけど程度も低いよな >>269
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、【隠遁】する場合において逃げるという言葉が適用される。
ブルース・リーの映画見て
型オタ「あ〜、それある! 型にも同じ兵法の勝ちがあるよそれ!」
一同「自分から挑発してオフ・スパーから逃げたから全然違うじゃん。」
型オタ「逃げたのではない、隠遁したのだ。」
一同「隠遁とは俗世間から離れて隠れ住むこと。なんだ無職の引きこもりかwww」 で、東大の写真が証拠でもなんでもないので型アンチは謝らなくていいの?
196 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 21:36:57.98 ID:SXF3NKzMd
相変わらずアホだな。
お前は写真のソースを出せと書いただろ。
とりあえず写真を出したから謝れよウンコ。
本当に口だけのカスだなwww
終わってんなアンチは。
弱いし、頭回らないし、日本語だめだし、兵法知らないし。
また船から下ろすぞ。
ほら、写真あったこと謝らんかい!
203 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 22:06:07.96 ID:SXF3NKzMd
>>167で書いたことに対して>>170と書いて、その後、>>172と書いたから>>176と書いたんだろうが。
大した記憶持ってねえのにドヤ顔で否定してんだろ?
オラ、組手の写真出したから謝れよウンコ。 >>268
>次に目立ちたいなら一対多か対武器のどっちかだと思うんよね。
>どっちも空手界ではまだ手付かずの状態だから、どっかの会派なり個人なりが始めれば市場としては一人勝ち出来ると思う。
>まあその勝ちもみんまが真似する束の間だけど。
>次に型にこじつけるネタは対武器がバズると思う。これいってみよう。
剣術で思い出したが、既にあるじゃん。
>本部御殿手は合戦の際、多人数を相手に戦うことを想定した武術です。そのため、剣などの武器を使う場合も二刀を使用することが基本で、常に歩きながら、歩を止めることなく技を使います。相手からの攻撃に対しては、体捌きでかわしながら、カウンター気味に攻撃を加え、攻防一体を理想とし、受けのみを目的とした技は使用しません。 >>276
ああ、うさん臭い流派だったんで完全に頭から除外してたわ。
じゃあ言い直して「ほぼ手付かず」だから武器対武器ではなく素手対武器のこじつけをおすすめする。 >>277
うどんでぃは型オタですら食い付かない胡散臭い流派ということなの? 型オタはラーメンやスパゲッティは食べない
そばかうどんしか食べない でも実際、型って空手の戦闘法をまとめた教本みたいなものなんだから
空手を名乗るならそれを学んで考察するのが正しいと思う。
実戦性云々やどっちが優れてるからはおいといて、顔面ナシも寸止めも
本来の空手じゃない別の格闘技だといえる。
だから空手を学ぶというのは型を学ぶ、研究することだと思う。
約束組手なんかは型をもとにやるべきだと思う。もちろん
型だけで強くなれないから間合い、圧、タイミング、闘志などを
磨くためにフルコンなり寸止めなりの試合はどんどんすべきだとおもうが >>280
空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない でもそのほとんどの意味が失伝してる、だから意味がない、
では空手の歴史はもう終わっちゃって新しい格闘技が戦後に
立ち上がった、というものでしかなくなるからな。
失伝したら失伝したで、ああだったんじゃないかこうだったんじゃないかと
こじつけ推測しながらも検証していくしかないんじゃないか ただ、空手の中にすさまじい奥義が秘められている、みたいな幻想はもうあきらめた方が
いいし、型だけやってても絶対強くなれないのも認識すべきだと思う。
型を何億回やっても現実の戦いの恐怖も間合いもタイミングも学べないのだから
それを学ぶには試合しかない。それはキックボクシングでもフルコンでも伝統でも
総合でもなんでもいい 結局、組手を突き詰めていくと、現実的にキックボクシングやムエタイを研究した方がいいとますます型から離れていくのが現実で、そうやって得た組手の研究成果ですら型オタが無理やり型にも同じ意味があるとこじつけだすからおかしな話になる。 型から乖離して発達し過ぎた現代の組手の技術は、もはや型との連続性がない空手とは別物になっている現実。
本来の空手など躍りに毛が生えたような武術としてレベルの低いものだったのは、型オタがソース(笑)だと出したWikipediaに書いてある通りなんだよな。
>空手は大正時代に沖縄から本土にもたらされたが、初期の頃はやはり型稽古が中心であった。一種の分解組手(型分解)のようなものはあったが、「分解して本に書いてあるわずかな組手しかなくてあれが中心でした」(小西康裕)[4]とされるように、わずかな数しかなく体系的なものでなかった。内容もいまほど精妙をきわめておらず、ずいぶん疑問な点があったが、質問しても「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」という[4]。また、約束組手や自由組手はまだ存在していなかった。しかし、当時すでに本土では柔道や剣道などで試合が行われており、また乱取り稽古も積極的に行われていたので、型のみの稽古に次第に本土の若者達は不満を募らせていった。 >>280
原初の空手家ってそもそも
戦闘してないからな。
戦闘してない人たちの脳内理論に
どこまで価値を見出すかではないかな。
ほとんど宗教の領域。 科学的合理的に考えると
空手の型に実用性なんてあるわけないんだけど、
あってほしいと信心する人がいるのは
理解できる。ほぼ宗教的な感情。
ただそれならそれで
よその実戦的空手をスポーツだ
武道じゃないなどとディスるのはやめよう。
負け犬の遠吠えにしかみえない >>278
上原は最初はあんなことしてなかったんだよ、、、
別に下手な空手家ではなかった
もともとは。
歳とって御殿手とか言い出してからの彼は
明らかに異常だよね。
認知機能低下してたんでは。 どうせ徒手での戦闘技術としてはどの武道格闘技も総合格闘技に劣るんだから
伝統芸能と割り切って型を使った戦闘方法を追求するのはいいんじゃないか >>287
>よその実戦的空手をスポーツだ
>武道じゃないなどとディスるのはやめよう。
>負け犬の遠吠えにしかみえない
同意。
よその伝統派空手など型ばかりの
踊りで戦いの技術じゃないとかディスる馬鹿が
いるけど、本当に負け犬だよねwww >>288
アンチも最初はこんなスレを書いてなかったんだよね。
別に害はない凡人だった。
もともとは。
勝手に狂ってきて総合やフルコンが強い!って書き出してからの彼は
明らかに異常だよね。
精神病とかになってきたんでは。 >>289
同意。
全てを習いもせず、勝手な憶測で総合が最強と書いてるのと同じ意味を書いてるけど、劣るのは認知能力のレベルだから、
戦闘方法を追求するのは無駄じゃないか >>290-292
ワッチョイで逃げて誤魔化してるのバレてるぞ(笑)
で、東大の写真が沖縄で組手が行われていた証拠でもなんでもないから型アンチは謝らなくていいの?
196 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 21:36:57.98 ID:SXF3NKzMd
相変わらずアホだな。
お前は写真のソースを出せと書いただろ。
とりあえず写真を出したから謝れよウンコ。
本当に口だけのカスだなwww
終わってんなアンチは。
弱いし、頭回らないし、日本語だめだし、兵法知らないし。
また船から下ろすぞ。
ほら、写真あったこと謝らんかい!
203 名無しさん@一本勝ち (スププ Sdbf-PBeO [49.98.41.148]) 2021/03/06(土) 22:06:07.96 ID:SXF3NKzMd
>>167で書いたことに対して>>170と書いて、その後、>>172と書いたから>>176と書いたんだろうが。
大した記憶持ってねえのにドヤ顔で否定してんだろ?
オラ、組手の写真出したから謝れよウンコ。 >>278
食いつかないというか、眼中にないって感じかな?
型って「本当に昔の人の経験による英知が詰まってるの? それとも詰まってないの?」
っていう真贋が不透明ところが面白いから、肯定派も否定派も人が集まるわけであってさ。
でもうウドンデはそれ以前の問題。真贋ではなくただただ贋でしかないから、興味の対象にならない。
まあ、たま〜にウドンデを本物だと力説する型オタも及びつかない重度にこじらせたバカが居るから
そういうバカ発見器としての意味でウドンデは価値はあるのかもしれない。 >>292
無駄の意味する所がよくわからない。
例えば他人と競うとか、競技としての結果だけを求めるというなら努力が無駄になるというのはわかるけど
仕事終わりに軽く汗を流す個人的な趣味として楽しむことに無駄という状況があり得るのかな? オフ・スパーから隠遁(笑)した型アホはウドンデ信じてるのかな? 型アンチはウドンデも調べてるだろ?
あれはどう言う経緯で捏造されたの? イースター島のモアイのように
型はいつ誰がなんの為に作ったのか
再び問う うどんでの歩法には柔道の捨て身の型と同じ理合があるよ。 >>297
アンチはそんなの調べるほどヒマじゃないんじゃない? 型を全部マスターするとどんな感じの人間になるんですかね
映画「ベストキッド」に出て来るミヤギさんみたいな感じですか
ミヤギさんならウドンデも当然マスターしてると思う >>302
型以外は何も出来ない人間になるだけじゃね?w カタカタした動きしかできないから、組手の時間が近づいてきたら今度は
ガタガタ震えだしてビビって「後輩が警察に捕まった。アンチが通報した」と嘘をついて逃げたのに、型の兵法で勝った「私がリーだ」と現実逃避して自宅に隠遁=無職の引きこもりするんじゃないかな。このスレに実例がいるもんなwww >>303
ピアノとかならそれだけしかできなくてもいいけど、型しかできないとなると人生詰んでるよねw
もちろん型の試合で結果出してる人は別だよ。 それで食ってるわけじゃない限りどんなに出来ても趣味でしかないんだし
型しかできなかろうが組手の試合で結果だそうが本人の自己満足次第だよ >>306
別にいいんだよ。弱いけど型がすきだからやrってると言うのはね。
でもさwピアノやってるって言ってんのにピアノ触った事がないとか
習字やってるって言ってんのに筆を持った事がないとかやばいじゃんw
型ってそう言うことだからねw >>308
型は守破離の守の段階だから、いつまでも型にこだわらないで、型を破って、型から離れていいのでは? 最近の極真空手のテレビ番組を見ていたら平安五段をやっていた
いよいよ日本の空手界も型の重要性に目覚めたか >>308
良い悪いというか何でただの趣味で人生詰んでるとかに繋がるのかがわからん
あなたは趣味に人生の意味をかけてるの? 三戦は打たれ強さを身につけるものではない! と言いつつ
じゃあ何のため?と問われたら、元々武術やってるっぽい自己満足を得るのが目的だから
大した武術的な技術も目的も語れない。でも打たれ強くなるって事はとりあえず否定したい。
型も踊りでは無い! と言いつつ
じゃあ何のため?と問われたら、元々武術やってるっぽい自己満足を得るのが目的だから
大した武術的な技術も目的も語れない。でも踊りって言われる事は嫌だからとりあえず否定したい
この「とりあえず否定」するという選択肢が間違い。根拠があって否定するのなら良いけど
感情的にとかプライド的に認めれないから、とりあえず否定する。これではいけない。
対処法は2つ。
現実を受け入れて黙る。
受け入れたくないなら武術的で現実的な型の目的をまず確立したのち反論する。確立できないなら黙ってる。
突き詰めるとこの2つに絞られるんだが
型肯定派は大した根拠は無いのに反論だけはしたいから現在のような状況になってる。頭が悪い。 >型肯定派は大した根拠は無いのに反論だけはしたいから現在のような状況になってる。頭が悪い。
持論なんだが、
頭の良いヤツ悪いヤツってのは感情を制御できるかどうかだと俺は思う。知識や発想以前の問題でね。 一度死んだ脳細胞は二度と復活しないから格闘技は多かれ少なかれ頭に悪いと思うけど
薬物の方がもっと危険、取り返しのつかない事になる
薬物乱用ダメ絶対 >>314
>>型肯定派は大した根拠は無いのに反論だけはしたいから現在のような状況になってる。頭が悪い。
>持論なんだが、
頭の良いヤツ悪いヤツってのは感情を制御できるかどうかだと俺は思う。知識や発想以前の問題でね。
まさにこのスレのオフスパーから逃げた型オタそのものだよな。
隠遁の辞書の意味ですらねじ曲げて自分の日本語が正しいとやりだしたのにはドン引きしたよ。 >>311
意味がない事をやって悦に入る事はどう考えても人生詰んでるよね。
せめて目標を持とうよ >>319
そういう意味があることなり果たさないといけない目標は仕事や家族との生活の中に必然的にあると思うんだけど
あなたには趣味の世界の中にしかないの? >>320
型ヲタは引きこもりで妄想の世界で生きている様だからちゃんと仕事した方がいいよね。そうすれば僕の言ってる事がわかる様になるよ。
型ってさw
俺は一日中時計の針を見続けたんだぜ!
すごいだろ!
って言ってるのと同じだからね。
意味のある事をしようよ お互いの立場を理解しない限り、見解は食い違ったまま議論は平行線となる
その立場の理解を邪魔するのが人間の感情。
相手が反論してきたから、とりあえず同意したくない、認めたくない
そういう人間的な感情は大事だけど今はちょっと置いといて、客観的に
現実を受け入れられる人だけになれば、このスレはとっくに終わってるハズ。 >>321
>型ヲタは引きこもりで妄想の世界で生きている様だからちゃんと仕事した方がいいよね。
>そうすれば僕の言ってる事がわかる様になるよ。
>型ってさw
>俺は一日中時計の針を見続けたんだぜ!
>すごいだろ!って言ってるのと同じだからね。
プゲラ( ´∀` )
何書いてんだ?
この阿呆はwww
こいつのレベルが働けるとかDQN会社かな。
一番暇で意味ないことをしながら生きてる阿呆が「意味のある事をしようよ」とか人生詰んでるなwww >>323
本当のこと言われて発狂してるなw
引きこもりのアホにはちょっときつかったかな?w 自分から逃げる事を【隠遁】とか言い出して【無職の引きこもりだとバレた】大マヌケだからな(笑)
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、【隠遁する】場合において逃げるという言葉が適用される。 型肯定派は逃げたの確定したし
サイタマは型は強くなるのに必要ないと書き込みしたからスレもそろそろ終了かね?
結論:型は昇級昇段と型試合以外には不要
やり込むと強くなるどころか弱くなる
やるだけ無駄どころか、やらない方が良い
かな? 身長165センチの型の達人はボブ・サップに勝てるか否か
一度見てみたい コギャルがUFOなんかいる訳がないと言ってたら
UFO研究家の矢追純一さんがあなたたちは一日中空を眺めた事があるんですかと言っていたが型もそれと同じだと思う
一説によると体重50キロの人が体重100キロの人を投げるらしいですよ
寝技で身動き出来なくする事も出来るらしい 最大の問題は「型を作った人間は強かったのか、素手で何十人も殺してるのか」
にある。立ち合いイコール殺し合いで何十人ものひとの命を手にかけたような
凄いやつが自分の戦闘法を型という形に残したのなら学ぶ価値はあるんだが
そうでなかったら正直言うほど学ぶ価値はないと思う。
殺したこともないのに「本土に輸出する時点で空手は牙を失くした」って
もともと牙なんかないということだから 三戦は無駄スレで「立禅やったら三戦の意味が分かった」と言ってる時点でお察し
このスレ通りすぎてこのスレの説を立証してるようなもん >>330
やるだけ無駄って事が分かったのでは?w >>328
>一説によると体重50キロの人が体重100キロの人を投げるらしいですよ
>寝技で身動き出来なくする事も出来るらしい
別に凄いとは思わないんだが。
それは小学生のパンチでもキンタマに当たったら悶絶するらしいよ、ってのと同じで
投げただの身動きできないだのは条件によっていくらでも発生する事。いつぞやで書いた
平行立ちの相手を正面から両手で両肩を押せば崩れるってのと理屈は一緒。結局条件の問題。
UFO云々に至っては、1日中眺めて仮に見れたとして、それが何になるんですか?って言いたい。
同一条件のもでと同一の結果が得られることによって始めて実証を伴う科学足りえるのですか
見た見た詐欺はカッパやツチノコ先輩がとっくにやってますわ。だけど学会では相手にされてないよね。当たり前だわ。
>>329
冒頭三行まったくもってその通り。ただ個人的には仮に実体験が伴ってなくても、それこそ頭だけで考えた出したものであっても
実用的なものや価値のあるものを作り出せる人は居ると思う。人間の体が物理に支配されてる以上は、物理的にどういう動きをすれば
強い衝撃を生み出せるかというのを計算できる学者も居ると思う。世の中の色んなことは体験と同じくらい頭の計算でも成り立ってきた。
問題は、強くなくても頭が凄く良くて創作性に富んだとんでもない天才唐手家が昔に居たとしても、結局
対人稽古をやって現実に通用するか検証してこなかった以上は、頭の中で考えただけで終わりなんだよね。
結局牙があるにせよ無いにせよ、あるいは有益なものを考えたにせよ、次のステップである「対人稽古」を
やってこなかったという時点でどういう状態だろうとゲームオーバー。 >>332
ここ数年「関トレ」というのが一部で流行ってる。関節トレーニングの略で
平たく言うとアイソメトリックのように重りを持たず関節可動域内で筋肉を
収縮しつつゆっくり動かして関節を支える筋肉の調和や強化を図る、というもの。
それなりに効果があるらしく俺は好意的に見てる。筋肉の強化というよりかは
筋力などの神経系統への刺激が増すことによって関節周囲の筋肉が活発になり
結果として関節の安定や痛みの減少につながってるんじゃないかと思う。
三戦はこの関トレの一環という見方が出来る。手首、肘、肩、首、股関節、膝、足首
それらの関節を強くする自重トレーニングとしてならありかもしれない。
問題は、もしそういう効果があったとしても、そういう意味で三戦が作られていない以上は
それが本来の意味とか耳が腐るようなこと言っちゃダメだと思う。
三戦スレを見てて、みんながみんな「僕が考えた三戦こそ本来の意味!」みたいに得意がってるけど
どういう意味をこじつけようが構わないし、こじつけた意味が実用的か現実的かとかも俺は大して興味ない。
興味あるのは「俺は三戦にこういう意味をこじつけた!」と言う人が一人も居ないこと。
みんながみんな、こぞって本来の意味はこれだと主張してる様はある意味で凄く不自然というか病んでる。
匿名の掲示板でくらい素直に言えないのかねえ、僕は三戦の意味が分かりません、だからこうこじつけました、ってさ。 >>334
このスレで散々言われてた「後付け」を
三戦スレでリアルタイムで見られて良かったやんw 型は分解や紐解くという作業をしないと意味も分からないし応用も出来ないんだから、それが嫌だ面倒という人は手っ取り早いボクシングや総合をやればいいだけじゃね >>336
頭と指を使う本やスマホの脳トレよりも、頭と体を使うシルエットクイズの方が
僅差だが優れてるんじゃないかと思う。だいたいの人はシルエットをこじつけただけで
実際にそれを対人で練習という段階にはいかない人がほとんどだと思うけどね。
>それが嫌だ面倒という人は手っ取り早いボクシングや総合をやればいいだけじゃね
シルエットクイズにしろ型を紐解くにしろ、どっちでもいいけど、その紐解いた分解を使って
ボクシングや総合に勝てる(ないし伍する)ことが出来ればその論理も成り立つけどさ。
出来てない以上は格闘技じゃなくて脳トレの域を出ないって言われても仕方ないよね。 >>107で伝統を捏造することを悪だと書いたけど、別に型に何も詰まってないからといって
何がなんでもそのまま後世に伝えなきゃいけない、という訳ではない。
というか、ほったらかしでいいんじゃないかなぁ?と思う。
昔、ポケベルというのが日本にあってみんな所持してたけど
その後に出てきた上位互換の携帯電話に取って変わられちゃったじゃん。
同じことが昔の沖縄でも起こってて、「手」という土着の武術(?)があったけど
その後に出てきた「唐手」に取って変わられた。吸収されたという方が正しいかもしれない。
唐手の型が大した武術的な意味を持たず創作された踊りだとしても、そういうものであるとしつつ
同時進行で「僕が型に意味をこじつけた新興創作拳法」を伝えればいい。ポケベルと携帯電話のように
本当に実用的ならそれが主流になる。
ポケベルが携帯に駆逐されても誰も困らないしむしろみんな便利になって得したよ。ポケベルの業者以外はw
日本拳法だって80年ちょっとの歴史しかないけど伝統武道といっても差し支えないし
あと100年か200年すれば立派な古伝武道になる。だから三戦スレに居る人達も含めて
みんな僕が考えた創作空手を胸を張って伝えればいいと思うんだけどなあ。何故だかそれをやらず
ポケベルはスマホに負けない最新機器だ! 隠されていた操作をして紐解くと凄い機能が!
みたいに無理のあることをおっしゃる。というか夢見る。やめようよそういうの。 型を紐解くのが楽しい人はやればいい。面倒な人はよそへいけばいい。価値観は人それぞれ >>339
紐解く事が出来ないから無駄だと言ってるんだけどね。
こじつけとは違うからな >>339
そもそも型をやらない少林寺の人間が言うとギャグだな
それこそ型のことを言わずに少林寺を頑張ればいいのに 型は紐解くように作られていないのだから紐の解きようがない。つまり必要性がない。
そう作られていなくても動きから自由に連想して技を抽出することが
大事なんだとかなら、型じゃなくラジオ体操を紐解いても結果は同じだよね
ってことになる。つまりこれも型である必要はない。
結局多くの型肯定派は、型を肯定してるのではなく自分の願望を肯定してる人がほとんどだよね。
アンチの方がよっぽど型の本質を直視してると思うわ。 >>342
ラジオ体操は紐解く必要ない
ラジオで動きの意味を教えてくれるからな
人によって解釈が違ってしまう型より余程優れてるよ >>341
少林寺が語ってたんだw
少林寺の演舞は何をやっているか分かってるからな。
それと同じ感覚で空手の型を語るのは完全に畑違いなんだよな。 空手の型も少林寺の法形も合気道の技も組手や乱取りでそのまま使えるような代物ではないから、どうしても紐解く作業が必須となる。
その上で初めて応用や変化させて使えるようになる。
そういう意味ではどの武道も型の位置づけは共通している >>345
>空手の型も少林寺の法形も合気道の技も組手や乱取りでそのまま使えるような代物ではない
>そういう意味ではどの武道も型の位置づけは共通している
他の武道はこうだから空手も、、、ってのが一番嫌いなやり口だわ
な〜んも努力してこなかったヤツが他の権威を例に出してちゃっかり便乗しようってのが見え見えでね。
>>91-92で書いたのがまさにそれ。今回は武道じゃなくて現代風に例えてみようか?
【同窓会にて】
社会人A:「学生の頃の経験って案外社会に出ても役に立つよな。」
???:「あ〜、ホントその通り! 俺も一緒だよそれ! 一緒!」
社会人B:「でも働くって大変だよな、上司には気を使うし部下には反抗されるし」
???:「あ〜、ホントその通り! 俺も一緒だよそれ! 一緒!」
社会人C:「俺結婚して8年目だけどもうすぐ離婚するわ。色々あってさ」
???:「あ〜、ホントその通り! 俺も一緒だよそれ! 一緒!」
一同:「(お前学生の頃から今までずっと家に引きこもってオナニーしてただけじゃん・・・)」 合気道や少林寺を見習って、空手も型武道として本当の意味で一歩を踏み出そう
って考えが出来ないかねえ? 一緒一緒詐欺や共通してるしてる詐欺はホント見苦しいわ 俺は平安初段の下段払い追い突きの分解に筋肉バスターをこじつけても
全然何とも思わんし、それが使えるかどうかもまったく興味ない
でもこれが「平安の作者の糸州はこの下段払い追い突きに筋肉バスターの意味を込めたんですよ(´∀` )」
とかってなると、こいつ頭大丈夫かな?って思うわ。頭は別にして、恥ずかしくないのかな?ってのも思う。
応用や変化の話にしてもさ、俺は唐手の色々な文献や資料を見てきて、確かに型は
応用や変化をさせてどうこうっていう意味の記述もいくつか目にしてきたよ。
分かりやすいところで言えば船越が残した「型は正しく、実戦は別物」とかって教えもそう。
だけどさ、じゃあ船越は自身が習得した唐手の型を実際の殴り合いに向けてどう応用や変化
させようと努力したのよ? 船越はしなかった、ではなく他のどの唐手家だってそんな事は
ロクにやってこなかったのよ。そういうのを日本語では「建前」とか「お題目」とか言う。
やってこなかったからこそ、空手の世界は今みたいな状況になってるわけでさ。
型オタに見苦しい言い訳される前に言っとくが、その乏しいわずかな建前の記録をもって
「ほら、応用とか変化させるって書いてある! だからこれ伝統! 唐手の伝統!」とか
言うのであればそれはあまりに情けない。頭がどうとか恥がどうとかじゃなくて
ただただ単純にプライドは無いのかな?って思うわ。そこまでバカじゃないと思いたい。 弱いヤツは何をやっても駄目
でも、そんな自分を認めたくないから、技術が悪い! と強弁する
そのほうが楽だし、惨めさをお手軽に忘れ去れるからなw >>345
>空手の型も少林寺の法形も合気道の技も組手や乱取りでそのまま使えるような代物ではないから、どうしても紐解く作業が必須となる。
合気道や少林寺は開祖が近代の人だから技の意味ちゃんと伝わってるよ。
型について質問されて
「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」
という唐手なんかと一緒にするなんて暴論だろ。 >>348
応用って人それぞれ持ち味が出てくるところだから。
単純に言うと、
小柄な人は相手に潜り込むのが得意でも、大柄な人はそれは苦手。それを一概に潜り込めと教える事は出来ない。
応用は個性が出る、出てもいい部分なのだよ。
どんな応用したかの記録や本が残ってればいいが、無けりゃ自分で研究すればいい。古い武道家は言う、そんなもの自分で研究しろと 追い突きからブレンバスターが分かっても、立禅からラジオ体操が分かってもそれはそれで良いんだよ。
個人個人の型の分解なのだから。
同じ型やってても理解力や発想力に差があるから。体格やらの個性もそれぞれだからね。
まあそれが有効か否かはまた別の話だけど。だから中達也とか上手い人の分解や応用は人気がある >>350
確かに少林寺も合気道も型の意味は伝わってるよ。ただそれは実戦でそのまま使う事は難しい、まず紐解いてから応用しないと。
その意味では空手も同じと言う事だよ >追い突きからブレンバスターが分かっても、立禅からラジオ体操が分かってもそれはそれで良いんだよ。
追い突きからブレインバスターとか立禅からラジオ体操というのは、もはや別物であって、これを応用だの個人の分解という範疇で語るからこじつけといわれてしまう。
あとづけのこじつけはみっともないよね?と指摘されている。 >>354
型について質問されて
「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」
という唐手なんかと一緒にするなんて暴論だろ。
この部分はスルーですか?唐手と一緒なんですか? 例えば合気道は人様を蹴るような真似はするなと教えられる。だから他の方法で反撃してる。
でも空手で蹴れるタイミングなら当然蹴ってもよい。
これが武道の特徴の違いだよ。
型から理を学ぶというのは同じ。
でも使い方に各武道で特徴の違いが出る。もちろん手刀とか共通のものもあるけどね >>357
>例えば合気道は人様を蹴るような真似はするなと教えられる。だから他の方法で反撃してる。
合気道はそもそも蹴りだけでなく、突きも含めて打撃で相手にダメージを与える勝ち方は求めてないんだけど?
それと唐手の形と何の関連があるというの? >>358
関連というより各武道の特徴の違いを書いただけだよ。型というものの位置づけは同じだが特徴が違う。
合気道でも手刀や体当たりでダメージ与える時もあるわけだし >>356
その部分は書いてる意味がよくわからないのでスルーしました >>359
手刀でダメージを与える合気道が植芝盛平の教えにあるなら根拠を示して欲しい。 >>360
そんなに難しい日本語だったか?
合気道や少林寺は開祖が近代の人だから技の意味はちゃんと伝わってるよ。
一方で唐手の型は近代に創始されたわけではなく昔から伝わっていて、沖縄から本土に伝わったときに型について質問されて
「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」
と型の意味を答えられなかった。
この両者を同じ土俵で語るのは暴論だよと指摘している。
合気道も少林寺も武道に対する思想や型の意味が残っているのに、
唐手に関しては舞方が起源なのか、中国拳法が起源の劣化コピーなのか、いずれにせよ近年には思想も意味も失われているようなものなのだから。 >>362
日本語の難しさじゃなくて、その発言がされた状況(いつ誰が誰に対して言った発言かやその前後の文)とソースを示してもらわないと
コメントのしようがないってことじゃないの >>363
このスレで既に話題になってるWikipediaの組手の項目に書いてある話だよ。
ちょっと前のログすら読まずに
>>その発言がされた状況(いつ誰が誰に対して言った発言かやその前後の文)とソースを示してもらわないと
>コメントのしようがないってことじゃないの
こんなこと書いてるの? 型なんて昔の奴が、半分妄想で作った一連の流れだろ。 >>365
こんな膨大な過去ログ読めなんて言わんよ。
ちょっと前とせめてこのスレのログ >>362
型について質問されてそのように答えた、その返事の意味が意味不明。
従って何とも言えない >>366
各派の達人たちが作った基本マニュアルのようなものですね なぜ礼式なら理由をはっきりできないのか。ここが分からん。日本語として意味通じてない >>368
型についての話だよ?
創始されて100年も経ってない合気道と少林寺の形と、
起源すらはっきりしない唐手の型、例えば久米三十六姓輸入説とか舞方からの発展説が正しいなら数100年前から伝わっていて、
沖縄から本土に伝わったときに型について質問されて
「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」
と型の意味を答えられなかったようなもの。
この両者を同じ土俵で語るのは暴論だよと指摘しているんだけど日本語がわからない人ですか?
どこがわからないの? >>370
このスレのログにリンクあるだろ。わからないなら調べて読んでから書けよ。
>空手は大正時代に沖縄から本土にもたらされたが、初期の頃はやはり型稽古が中心であった。一種の分解組手(型分解)のようなものはあったが、「分解して本に書いてあるわずかな組手しかなくてあれが中心でした」(小西康裕)[4]とされるように、わずかな数しかなく体系的なものでなかった。内容もいまほど精妙をきわめておらず、ずいぶん疑問な点があったが、質問しても「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」という[4]。また、約束組手や自由組手はまだ存在していなかった。しかし、当時すでに本土では柔道や剣道などで試合が行われており、また乱取り稽古も積極的に行われていたので、型のみの稽古に次第に本土の若者達は不満を募らせていった。 まだ創始者の直弟子を知る世代あたりまで健在の歴史の武術なら
>追い突きからブレンバスターが分かっても、立禅からラジオ体操が分かってもそれはそれで良いんだよ。
こんなの許されるわけないだろ。そんなもの教わってないし、教えてないで一蹴される。
比べる土俵が違う型を武術だから同じだというから暴論なんだよ。 掃除中にほうきで掃いたら小石が飛んでそれが竹に当たってカーン!と鳴った。
それで人生だか世界だかを悟ったなんて話を有難がってる団体もあるくらいだから。
つまり人の創造性は自由だし無限だよ。
だから追い突きからブレンバスター分かったくらいで目くじらを立てなさんな。
別にそれが立派に使える技だとまでは言ってないんだから 追い突きからブレンバスターが極端な例えだから意味不明なんだろう。
追い突きから、体捌きが分かった、運足が分かった、膝の抜きが分かった、そういう事なら納得出来るべ?実際そういう事は珍しくない >掃除中にほうきで掃いたら小石が飛んでそれが竹に当たってカーン!と鳴った。
それで人生だか世界だかを悟ったなんて話を有難がってる団体もあるくらいだから。
つまり人の創造性は自由だし無限だよ。
論理のすり替えも甚だしいな。
その次元の話をするなら唐手というジャンルの枠を越えちゃってるよね。
もはや武道でもない別の話にすり替えているだけだろ。 大気拳の練りをやったら当たり前体操の武術的意味がわかりました >>375
>追い突きから、体捌きが分かった、運足が分かった、膝の抜きが分かった、そういう事なら納得出来るべ?実際そういう事は珍しくない
そのレベルの話は誰も否定してないぞ。
せめてこのスレくらい初めから読んで書き込めよ。型オタが叩かれているのは後付けで他武道の理論があると言い張るからなんだけど。 >>375
空手をやってない少林寺の人間が言うから皮肉が効いてる >>378
そもそも空手をやってないのにイメージで語ってる人だからしょうがない >>1
>それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
少林寺の人は、せめてスレの1番くらい読んでから書き込めよという話。
型オタが叩かれている理由はこれであり、基本稽古の効用は否定してないよ。 >>345
だからさあw
そういうことじゃなくて、少林寺だったらこれは突き技、突きを避ける技って分かってんじゃん。
実は関節技だったとか、武器を想定していたとかならないだろ?
空手の型はそこから解釈が違ってる訳
意味が分かってる動作の精度を上げて組手に使えるようにすることは出来ても
意味不明な動作を組手に応用は出来ないのよ。 >>354
紐解いていくって意味がそれなら
空手の型は紐解けないって言ってんじゃんw
ワンツーって技を習って自分のものにするには努力が必要だけど自分のものにできる。
意味の分からない動作をまねして一体何をやれって言うんだよw >>373
>追い突きからブレンバスターが分かっても、立禅からラジオ体操が分かってもそれはそれで良いんだよ。
>こんなの許されるわけないだろ。そんなもの教わってないし、教えてないで一蹴される。
同意。平安初段に筋肉バスターをこじつけても全然構わないが、それをもって「船越義珍直伝です」だとか
「これが沖縄唐手です」とかは当然言えない。言えるとしたら船越やあるいは沖縄唐手の歴史で筋肉バスターが
すでに技として登場してなければおかしい。してないならそれはただのこじつけとなる。
で、こじつけは全然OKだと思う。その変わり、空手も唐手も名乗れない。新興創作拳法ってだけの話。
本人が名乗りたいなら名乗ればいいけど、伝統を名乗ってはいけない、名乗れるとしたら「空手」がせいぜいだね。
一番唐手から遠いと言われる大山倍達だって、古伝唐手はさすがに名乗ってはない。極真「空手」あるいは大山「空手」。
都合の良いときだけこじつけて都合の良いときだけ伝統や古伝を名乗るなんてのは通らない。まして同じ土俵とかアホかと。 >一番唐手から遠いと言われる大山倍達だって、古伝唐手はさすがに名乗ってはない。極真「空手」あるいは大山「空手」。
その文章なら唐手から遠いことと古伝唐手を名乗ることに繋がってるように取れるけども >>384
そしてこれは型ヲタのこじつけ解釈にも言えるんだよね。
型ヲタは自分のこじつけ解釈は本来の意味だと言うくせに
他人の解釈は認めないよね。
そしてもちろん根拠無しw
人として終わってるよw >>386
その程度で終わってるだなんて言うな!!!! 何か俺ムズカシイ事を言ってるかなあ?
技術が無いのは悪いことではないし、無いなら作ればいいし作ること自体も悪いことではない。
ただ作ったのなら作りましたよ、と認めればいいだけの話。伝統でも何でもない私の創作ですよ、と。
言い換えるなら
引きこもって就職経験が無くても悪い事じゃないし、働きたいなら働けばいいし、働くこと自体も悪いことではない。
ただ履歴書や職務経歴書にはそれをそのまま書いてねという話。一度も働いたことありませんよ、と。
その上で、そいつを採用するかどうかは客観的な判断にまかされるだけだし、使える人になれるかどうかもこれから次第の話。
ただ履歴書や面接ではぐちゃぐちゃ言い訳せずに「未経験です」と一言伝えれば済むことだし、偽るのはそれこそ経歴詐称になる。
ごくごく当たり前の話をしてる訳だし、むしろ引きこもって経験ゼロでも別に悪くないよと寛大かつ中立な見解を述べてるのに
なにが気に入らないんだろう? なぜ言い訳してまで正当化しようとするのだろう? 本気で意味が分からない。 >>385
ごめん、ちょっと意味が分からない
>>386
何の根拠もなく自分だけは正統を思ってるからね。俺も自分の意見は正しいと思ってるけど
それは俺の考えが正しいのではなく歴史や現実が正しいからそう判断してるだけであって
唐手家が対人稽古してたりとか型に技術が詰まってる証拠が出てくればすぐ方向転換する自信ある。
そんなんこのスレに20年近く居るけど未だに出てこないけどね
逆に型オタは何も根拠がないのに正しいと思いたがる。意味が分からない。
苦し紛れに「昔の武人は自由に技を創作することが〜〜」とか言って心の安定を計ってるが
自由に創作していいなら下段払い追い突きはマシンガンで撃ち殺す、で終わりってなるわ。
ダダダダダ!と撃って「はいこれ空手ですw平安初段ですw」が通ると思ってんだろうか。 >>390
まぁ好きで一生懸命やってた空手が中身のないものだったと一旦認める事になる
それって超ムズカシイ事なんだよ
冷静に考えれば「何もなかった」って考えた方がこの空手の現状にしっくりくるのだが >>391
難しすぎたようで申し訳ない
このスレの主題に関係ない話だから気にしなくていいよ 俺は過去に、型オタが頑なに自分がやってる創作こじつけ行為を
古伝だの本来の意味だのと主張して譲らないのは結局「権威」が
欲しいからだ、と喝破した。これとか分かりやすかな↓
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1393642554/889
何度考えても突き詰めると結局「権威」という結論になる。肩書きと言い換えてもいい。
過去スレにおいてそのことを完全に理解してくれたのは由利というコテだけだった。
昨夜>>346-348であれだけ言ったのに、まだ型オタは理解できないのならもうお手上げだなこりゃ。 >>392
>まぁ好きで一生懸命やってた空手が中身のないものだったと一旦認める事になる
>それって超ムズカシイ事なんだよ
分かる、それはよく分かるのよ。だって俺がそうだったもの。
でも、勇気を出して認めたらな〜〜んも特に変わらなかったよ。
だって、今までやってきたことにまるで変化ないもの。
理に適ってない稽古をしてたらそりゃ何も身につかないし
理に適ってる稽古をしてれば当然それ相応のものが身につくよ
なのに、型に意味ないと聞いた途端、昨日まで使えてた技術が突然使えなくなる
なんてありえるか? 俺は何も変わらんかったよ。逆もまたしかりで、意味ないと聞いた途端
急にパワーアップとかもしない。つーか現実はそんな甘くも辛くもないよ。大した問題じゃない。
もし認めるのが嫌という人が居たら、それは殴り合いの強さなんかじゃなくて
ただ権威が無くなるのが嫌だから認められないってだけだと思うよ。
型に意味がないと認めたら、型を練習する意味がなくなる!とかいうバカも居るけど
そもそも今までどういう目的で型を練習するのかあやふやなのに練習してたじゃん、何が違うの?
って聞き返したい。逆にハッキリ意図をもって練習して成果を挙げてたのなら、そのまま続ければ
いいだけじゃんって話だし。成果を挙げれていないなら今後やらなくても結果的に何も変わらんし。
まあ、くどくど言っても仕方ないのだけど、とにかく認めたところで何も変わらないのは俺が保証する。 昔の唐手家が型ばっかやって実際の殴り合い(対人稽古)をしてこなかったのは悪い事じゃないよ
殴り合いをしなくて大した技術が伝わってないなら、今から作ってこじつければいいよ
↑ 自分で言うのも何だけど、仏のような寛大な心だと思うんだけどなあ。
アンチの立場に回ってこれらを批判したり糾弾したり出来るところを
あえて肯定派という立場で良いよ良いよと許容してあげてるのに
な〜んで満足せずに、唐手家は強かっただの型に意味が詰まってるだの
意地を張りたがるんだろう。認めちゃえばラクになるって言ってんのになあ。 型に意味がないと認めたらアイデンティティーが崩壊しちゃうのかな?(笑) 型に意味がないと認めたら、昨日まで使えてた高速上段突きが急に使えなくなっちゃうのかな?
昔の唐手家が弱かったと認めたら、昨日まで使えてたローキックが急に使えなくなっちゃうのかな?
酷な言い方だけど、自分の技術や強さに自信がある人は認めれると思うよ。
だって認めたところで身につけた強さは変わらないもの。
強さに自信が無くて肩書きを頼りにしてる人は認めるの難しいだろうね。
僕が習ってる武術は過去にこんな強い人が居た、僕が習ってる武術は型という凄いシステムがある
そういうのに重きを置いてる人は、意地でも認めないw 今日の名言
唐手が本土に渡って空手になった真の意味が
空っぽの空だったとは皮肉だな。 結局
逆張り長文連投のかまっておじいちゃんは
平安の分解に
筋肉バスターをこじつけられていない
すなわちただのレス乞食 KYで悪いけど映画「シンデレラ・ボーイ」は空手を題材にした作品にも関わらず
型が出てこなかった
アメリカでは伝統空手でも寸止めはせず直接当てるらしい
その影響もあってか戦い方が日本の伝統空手とは違いジャッキー・チェンの映画に似ている
どちらも楽しいのだが >>404
おや、久しぶりに現れた。ワッチョイ変わるってどういう理屈なんだろうな
>逆張り長文連投のかまっておじいちゃんは平安の分解に筋肉バスターをこじつけられていない
アホかこいつ。そんなん誰でも出来るだろ(笑)
「こじつける」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%93%E3%81%98%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B/
平安の下段払いは相手を筋肉バスターの形にホールドしてその後の突きは落下して極めを示唆してまーす!
ハイこじつけた(笑) こじつけるってのはそういう事だよバーカ。誰でも出来る。
後の出来るかどうかは>>348で書いたとおりまったく興味ない。
じゃ、NG登録させてもらいますね〜バイバーイw 平安の下段払いで
相手を筋肉バスターの形にホールドできない以上
それはこじつけられていない
実証オフもできていない
ということは
それすなわち
ただのかまってちゃんのおじいちゃんが
レス乞食をしたいがために
必死に逆張りの妄想長文を
連投していることの実証にほかならない >>405
「ノーサレンダー」は
「カラテキッド」に対抗してつくられた
ブルースリーにジークンドーを直伝されるという
ブルースリーファンには夢のような内容
ジークンドーにカタはないので
主人公がブルースリーを師とあおぎ
父親の空手道よりジークンドーを選んでいるので
カタは出てこない まてまて応用なんてある意味ではこじつけなのかもしれないぞ。個人個人で体格など個性が違うんだから。
まあ実戦で使えるかどうかは別としてだが カーフキックだって初めに思い付いた人がいるんだろうし個人の発想力だよ
新しい技や攻め方を型をヒントに発想する。凄くいいじゃないか。 全然話が分かってなくて・・・
誰もそこは否定していないのに そうそう、個人の発想力により生まれたと明記すればいいのに、それを昔から伝わってるこれが型の本当の意味なんだとやることが叩かれているんだよ。
個人の発想力は誰も否定していない。 1.型を習う
2.自分で型の分解をおもいつく
3.「これが昔から伝わった技術だ」と嘘をつく
3がおかしいって話 実はいま型にはまってる。風呂上がりにやってる。
学生時代空手をやってた。懐かしいとは思うが野球とかとちがって痛くて
きついからもう二度とやりたくはない。でも空手と完全に縁をきるのはいやだ。
それで型の新垣清の本とか読んで平安をとナイファンチを毎日風呂上りにやってる。
自分で言うのもなんだがこういうリタイアした人間が再度空手をラクな手段で
やるのに型はうってつけだと思う。
気力体力充実してる時に型の研究なんかやってる場合じゃないと思うね。 あと型の価値をもうひとつ。
空手って星の数ほど流派がありルールがあり大会がある、
はっきりいって恥ずかしい。とてもじゃないけど柔道や剣道と並べない。
でも型だけは細部に若干の違いがあっても一緒だからな。
千の流派があっても共通してもってるものがひとつだけあるとするなら
それは型だ。だから無くすべきじゃない。
型の研究で意気投合して流派がまとまる可能性はあるんだから >>400
またまた自己レスになるが、今日分かったことがあるんだ
あまり実のある話じゃないけど、ヒマな人は補足程度に読んでくれ。
>型に意味がないと認めたら、昨日まで使えてた高速上段突きが急に使えなくなっちゃうのかな?
過去に伝統派(協会)のスレにお邪魔して昔の唐手家は弱かったよ〜とか型に意味無いよ〜と煽ったことがある。
だけどほとんど反応なかった。住人達は無視してるでもなく我慢してるでもなく、キョトンとしてる感じ。そりゃそうだよな、
伝統派の人達は船越や摩文仁強かったなんて思ってないし、型なんかなくても積み上げてきた組手の技術がある。
>昔の唐手家が弱かったと認めたら、昨日まで使えてたローキックが急に使えなくなっちゃうのかな?
同様に、フルコン(極真)のスレでも煽ったことがある。だけど反応は薄かった。彼らも伝統派の人達と
同じく、宮城や山口剛玄が強かろうが弱かろうがほとんど問題ない。大山倍達やその高弟達がガチの組手
やってて強かったから問題ないし、型なんか無くても積み上げてきた組手の技術がある。
型オタの人達も送ればせながら、ここ20数年の間に積み上げてきた技術(?)がある。
みなさんご存知シルエットクイズの分解。突いてきた相手が何故か突いた姿勢のまま固まっててくれて、
その間に反撃の心配もなく突いたり蹴ったり掴んで関節決めたり投げたりを好き勝手やれる分解。
あるいは「これが古伝唐手の突きの威力です」とか何とか言いながらナイハンチや三戦の突きの動作そのままに
棒立ちの相手の腹に突いてドヤる当破(アテファ)とやら。大まかに言ってこの突きと分解の2つこそが
ここ20数年の間に型オタや沖縄唐手が積み上げてきたものと一応言えます。
で、本土のフルコンや伝統派の人達は唐手家が弱かったことも型に大した意味ない事も認めれる(というか興味ない)のは
自分達が積み上げてきた技術があるからだと思う。だけど型オタや沖縄唐手の人達は積み上げてきた技術があるにも関わらず
頑なに認めようとしない。寸止めやフルコンの人達は自分達の寸止めやフルコンの組手の技術を古伝だ何だと言わずに
自分達が積み上げてきたものだと認めている。だけど型オタや沖縄唐手はシルエットクイズや当破を創作だと認めない。 長々書いたけど、結局、型オタや沖縄唐手の人達は自分達でもシルエットクイズのような一見武術っぽいけど非現実的な分解や
棒立ちで空気読んでくれる人にしか成功できない古伝の突きとか当破なんてものを、心の底では信用していない。
見ず知らずの相手に自由な攻防の場で使えるか?ってなった時に、使えないって心の底では分かってるんだと思う。
だから伝統派やフルコンの人達と違って認めれない。伝統派やフルコンの人達は、自分達の技術は勝敗は別にして
とりあえず見ず知らずの殴り合いの場でも使えるって自負も自信もあるもの。だから型なんか無くても関係ないし
昔の沖縄人が強かろうが弱かろうが別に興味もない。
初見の相手の下半身にとりあえずローキックかます、とりあえず顔面に上段突きを入れる、これは高確率で可能。
だけど、初見の相手にとりあえずシルエットクイズの分解を決める、とかさ。いやいや、さすがにねえ・・・。
連打もしてくりゃ自由にも動き回る相手に、ナイハンチの立ち方と突き方でとりあえず当破を入れる!とかもねえ。
それらが荒唐無稽、非現実的、実際の殴り合いでは危険とかじゃなくて都合良すぎる妄想だから使えない
ってのを実は型オタや沖縄唐手の人達自身が無意識に気づいちゃってるんだな、ってことが今日分かったよ。
そんだけ。 >>413
>3.「これが昔から伝わった技術だ」と嘘をつく
>3がおかしいって話
まったくもってその通り。そしてそれを指摘されて困った型オタが次に取る行為が
「型から自由に技を創作することこそが唐手の伝統だ」とかいう都合の良いちゃぶ台返しw
長いことスレを見てきて、困った型オタはだいたいこういう事を言い出すね。
つまり、令和の今日自分が攻防なり突き方なりを創作したら、それはただの新興創作拳法だけど
そういうのを創作することが唐手の伝統なら、僕がやってるのは古伝唐手といえる!という涙ぐましい論法。
そこまでして古伝やら唐手にこだわりたいのかねえ、と思うわ。歴代の唐手家達はさ、平安の下段払い追い突きに
何を連想してどういう攻防があると創作したの? 平安で都合悪いならウンスーでも五十四歩でもいいよ?ってね。
自由に技を創作するとか都合の良い妄想の伝統を主張したところで、肝心の歴代の唐手家が沢山型があるのに自由に技も攻防も
創作してないんだから説得力がない。100歩譲って、それを伝統としたところで、型から自由に連想したシルエットクイズが
組手で使えるのかって話だしね。言っちゃあ悪いが唯一の実戦派と言われた本部の十二本組手でさへ現実への適用は難しい。 結局
いくら妄想長文を連投しても
平安の分解に
筋肉バスターをこじつけられていない
結論
レス乞食をしたいがための
逆張り妄想長文連投かまっておじいちゃんは
何も実証できていない あいかわらず
「さへ」とか書いちゃう
妄想逆張り長文連投かまっておじいちゃん 空手をパクってテコンドーが生まれたのに、そのテコンドーが歴史を偽って
唐手より古いだとか言うのは見苦しい
剣道からコムド(韓国の剣道)が生まれたのに、歴史を偽って剣道の起源を主張するとは
なんて恥知らずなヤツラなんだ
みたいな問題が武道板でも盛り上がってあちこちにスレ立った時期があった
空手やってる多くの人も憤りを露わにしたレスをしてたよ。
でも「これこそがこの型の本来の意味なんですよw」問題は、程度の差こそあれ
やってる事は韓国人と同じだよね。 平安の分解に
筋肉バスターをこじつけられないのに
こじつけられると主張してるのは
まさしく韓国人と同じ
それこそが
妄想逆張り長文連投レス乞食の
筋肉バスターおじーさん >デジタル大辞泉の解説
>[動カ下一][文]こじつ・く[カ下二]関係のない物事を無理に理由をつけ関係づける。
>また、無理に理屈づける。「あとから―・けた理由」
無理に理屈づける行為をさしてこじつけると言うんだが、それを否定するって事は
>>423は俺がやってることを「無理に理屈づけてない!」と言ってるってことか。
つまり平安における俺の筋肉バスターのこじつけ分解は無理じゃなく筋道が通ってると。ありがとうw さて、お前等おはよう
昨日書き忘れたことがあったので補足
>追い突きからブレンバスターが分かっても、立禅からラジオ体操が分かってもそれはそれで良いんだよ。
よくねーよw
自由に連想をするってのは一見良いことを言ってるように思えるが、その実ただの綺麗事でね。
自由に連想をしていいのならそもそも型である必要がない。だって対象が何であれ自由に連想できるのだから
型から連想しようがラジオ体操から連想しようが連想する制約が無い以上は答えは一緒ということになる。
百歩譲って型でなければいけないとしても、型の動作が決まっている理由が存在しなくなる。
自由に連想して良いのなら動作が決まってても決まってなくても関係ないからな。何故なら連想は自由だからw
自由に連想するでは型そのものの存在理由が成立しない。なんでこんな事が起こるのかというと
そもそも自由に連想するとかいうのがその場しのぎで取り繕った浅い言い訳だから。
「決まった分解が伝わっていないということはロクに分解をやっていなかった」
↑型オタはこれを否定したいけど歴史的な事実だから否定できないし分解を豊富にやってた証拠も
もちろん存在しない。でも何とかして言い訳しないと型に大した意味ないって事なるし何より自分が悔しいw
で、決まった分解が無いのは、え〜とえ〜と、そうだその場その場で自由に色々分解を連想していいって事にしよう!
これなら決まった分解が残ってないことの言い訳になる!
という浅はかなその場しのぎが原因。その場はしのげるが結局別の矛盾が発生して自分の首を絞めることになる。 この「その場しのぎ」っては型オタがよくやる手段(というか失態)で。
唐手の型は中国拳法の白鶴拳の套路が源流と言ってるけど、どう見ても白鶴拳に見えない型が多すぎる。
もちろん沖縄のあちこちの人間が適当に妄想で創作したんだから種類がバラバラなのは当たり前だが
中国拳法伝来ってことにしたい型オタは何とか「その場しのぎ」で言い訳をしようとする。
結果「数百年という年月をかけて色々な拳法が中国から伝わったから種類がバラバラなんだ!」となる。
だが面白い事に別の問題が発生するw 中国拳法の套路には各動作を区切った攻防に四文字熟語のような技名が存在する。
唐手と違って対人稽古をしてきたから名称があるのあh当たり前なんだが、唐手はロクにやってこなかったから名前が無い。
ここで先ほどの件とリンクした問題が出て来る。もし唐手の型が1つか2つの中国拳法の門派から伝来されたものなら
その伝来した人が何らかの理由で套路のみを教えて分解を教えなかったり各分解についてる名称を伝えなかったりもありえる。
極端な話、1人の中国人が60の套路(型)を教えても、分解や攻防の名称を教えなければごそっと抜けてる理由にはなる。
だ・け・ど、型オタはその場しのぎで「数百年という年月をかけて色々な拳法が中国から伝わった」と言ってしまった。
つまり年代もバラバラで伝えた門派もバラバラなのに、何故だかみんなきっちり分解と名称は伝えなかった、という変な事になるw
時期もバラバラ、年代もバラバラなら、ひとつくらいは型の分解や名称が正式に残っててもおかしくないんだけどねえ。ひとつも無いやw
何度も言うが、これが1つか2つの門派が大量に伝えたというスタンスなら、この問題は回避できた。
その場しのぎで言い訳をすると、ひとつの問題はしのべても別の矛盾が発生して自分の首を絞めることになる。この自爆芸が型オタの特徴。 >>425
何から連想してもいいのなら、それこそ型から連想してもいい。
ブレンバスターは単なる例えで、
実際は空手に類した事を連想するでしょう。 >>391
ププッ(≧▽≦)
「そんなんこのスレに20年近く居るけど未だに出てこないけどね」
こんな早朝や昼間、夜中に孤独に駄文長文書く生活20年とか作家ですかな?www
むしろ、ニートって自分で書いてるようなものだ。
ダセえ人生だな。 >>427
>何から連想してもいいのなら、それこそ型から連想してもいい。
型から連想する必要性は? >>428
だから過去に何度も自慢できることじゃないし恥ですらあるって自分で言ってるがな。
だけどお前が居ないとこのスレが寂しいのは確かだから、まあちょくちょく書き込んでくれよ。 >>430
二十年てすごい情熱だな
空手の指導で食べてたりするの? >>427
>ブレンバスターは単なる例えで、実際は空手に類した事を連想するでしょう。
いえいえ、連想は自由ですし。桧恒先生もプロレスのパワーボムまがいの分解も昔
解説してた記億あります。師匠の久保田先生がコブラツイストのように足元に組み伏せ
た分解を解説してたこともありますからねえ。自由な連想ってのはそういう事です。
ちなみにわざわざ型から連想してもラジオ体操から連想してもいいのに、わざわざ型から連想する理由は
私なら「それが空手だから」あるいは「型の方が好きだから」になりますね。当然そんな理由では型である
必要性や存在理由にはなりませんんが、それを指摘されたら「ハイ、なりませんね」「型でなくてもいいですね」
とあっさり認めます。そこが私が他の肯定派(型オタ)とは違うところです。みなさんには無理な芸当ですね。
>>431
うんにゃ、ただ2chで遊んでるだけ。型オタに唐手家が弱いとか型に意味ないって煽るとす〜ぐムキになって楽しいよw あ、パワーボムの分解は桧恒先生じゃなくて沖拳の山城先生だったな。
桧恒先生は相手を完全に担ぎ上げてからびたーんって地面に投げつける分解だ。
どうでもいいが、久保田先生は武道空手攻究で義珍の「男子門を出づれば百万の敵あり」
という教えにすら著書で敵は正面に一人に関連づけて穿った見解を述べてた記億がある。
桧恒先生はこの本を手に入れて当然見てるんだが、読んだ以降もこういった自説を主張する
あまりに過度になってしまってる久保田先生の怪しい見解について、特に言及していない。
桧恒先生は久保田先生の言うことを信じちゃってた、騙されてた、という意見があるけど
俺は桧恒先生はかなり早くの時期から、あるいは最初から隠されていた空手だとか秘密協定だとかは
信じてなかったと思うんだよなぁ。ただ、それを信じてた、あるいは失伝するくらいなら公開するという
スタンスでなきゃ世に出ようにも出れなかったからそういうフリをしただけな気がする。まあこれこそ穿った見方か。 >>429
空手だから型から連想する。それでじゅうぶん >>434
あら、サル真似されちゃいましたか。少しがっかりです。 >>428
>むしろ、ニートって自分で書いてるようなものだ。ダセえ人生だな。
自分から逃げる事を【隠遁】と言って【無職の引きこもり】だと書いたダセえ人生は型オタなんだけどね(笑)また自己紹介?
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、【隠遁する】場合において逃げるという言葉が適用される。 要約すると客観的に型である必要はない、無価値に近いってことですな。
代替品がほぼ無限にある以上は値がつくほうがむしろおかしいわけですし。
また、技術的にも大したものはつまってないということが彼のおかげ(>>434)で証明されました。
何せ自由に連想して良いし他のモノでも代替可能なので、これも技術の所在の是非を問う方がおかしい。
型は無価値に近く技術も大して詰まっていない、ということを型オタが自ら認めたので、このスレもそろそろ終わりで良いかと。 結局
平安の分解を筋肉バスターと実証できていない
それが
レス乞食の逆張り妄想長文連投かまってちゃんの
筋肉バスターおじーさん おや、消えてるレスがあるってことは。上の書き込みはまーた俺のファンかw
NG入れてるのに律儀に応援ご苦労さん。頑張ってね。
>>426の続き。
本来は必要性があって生まれるものなんだが
存在するけど大して意味ないから無理やり意味づけしようとするとこうなる → 自由に連想していいんだ!
俺が再三言ってるように、シルエットクイズなんかじゃなく、棒立ちの相手に当破なんかでもなく、まず型に思想を
確立させることがいかに大事かこれで分かると思う。思想で分かりにくいなら存在理由でもいい。それをしなければ
肯定派はいつまで経っても否定派に論破される。根無し草がどんなに頑張っても風が吹いたら簡単に飛ばされるのと一緒。
「そうでなければいけない理由」がない限りは、どんな分解をこじつけても、どんな突きを創作しても
「でも、それと型とは別問題だよね?」ってことで、型は不要で無駄な産物と見なされる。
どうせこれ読んでる多くの肯定派はバカだから、俺が何を言ってるのか分からないだろうし
仮に分かってもやっぱりバカだからどうすれば思想を確立できるのかもさっぱりだと思う。
そんな君たちにアドバイスがあるとしたら、今やってるシルエットクイズや当破の創作じゃ全然足りない。
量でいえば、今の5倍から10倍創作してこじつけて、後世に伝えていけばいい。
何代か続くうちに頭が良くてやる気がある人が確立させるための手助けになる。そのためには量が必要。
だから動作を見て「連想」する、なんて悠長なことを言ってないで、あらゆる武道や格闘技から技をそのまま1秒でパクれ
ボクシングでいいパンチがあったらパクればいいし、柔道でいい寝技があったらパクればいい。とにかく量産する。
本来は思想を確立させるのならこんなあるある詐欺なんかじゃなく、もっと効率の良い別の方法があるんだが、どうせ理解
できないだろうしやる気もないだろうから、それでもより良い方向に『少し」でも空手界が進む方法を助言してみた。 つまり20年間も
逆張りの妄想長文を連投しているのは
ただのレス乞食
それこそが
筋肉バスターおじーさん 寸止めもフルコンも、制約があるからこそ独自の技術体系になり発展した。それが個性に繋がってる。
空手に限らず剣道でもそう。柔道でもそう。自由に解釈していい自由に連想していい、なんてのがいかに
綺麗ごとかこれで分かると思う。殴り合いと関係のない、絵や踊りのようなものなら自由になにを表現してもいい。
本来の唐手の型はむしろ人の鑑賞を前提とした絵や自己を満たすための踊りと非常に近しい存在だったから
自由にどうこうが大して問題になる事もなかった。それはオナニーする時に自由に妄想していいってのと一緒。むしろ都合が良い。
だけど殴り合いは都合の良いオナニーじゃなくて相手が存在するセックスだからねえ。
1人の時みたいに自由に妄想してどうにかなるほど甘い世界じゃない。むしろ制約下でいかに目的を達成するかという現実色の強い話になる。 ということはつまり
20年間も妄想逆張りの長文を連投していたのは
レス乞食をしたいがための
かまってちゃん行為にほかならない
結局
20年間進歩なしが実証されただけの
筋肉バスターおじーさん ここまでのレスだと20年間居続けて長文連投してる人が
相手がムキになって楽しいと言ってるのが一番笑いどころだった >>443
いやごめん、20年って時間はちょっと盛ったけどなw
正確には17年とか、もしか15〜6年かもしれないな。それでも充分長いから20年と大して変わらん。
そのうちの半分以上はROMってる事が多かったよ。現在のような主張で長文を投下
するようになったのは本当にここ数年かな。武道板がもっともっと活発だったあの時代に
唐手家は組手したことなくて弱かった〜〜だとか、型には大した意味が込められていない踊りが発端でーすとか、
そういうのを投下すればもっと面白かったし盛り上がったんだろうけどな。でも武道板が盛況だったころは
調査や研究がまだ進んでなくて今みたいな結論にはならなかったし、何となれば俺もここの型オタと大差なかったよ。
何とかして型の弁護を、何とかして昔の唐手家の擁護を、そういう風にしてた時期が結構な年数あるもの。
今みたいに唐手の歴史の結論にたどり着いた時には、もう武道板も人が少なくなっちゃったからねえ。
月井先生や桧恒先生もそれぞれ専用のスレがあって活発に意見交換してたし、他にも有名な先生や無名の実力者
たちも大勢居てコテを名乗ってた。そういう時代に今のような結論を投下したら、どうなってただろうな。
反発は必至だろうけど、でも話の分かるコテさんも居たからな。今の型オタと違って、型を肯定する立場だからこそ
冷静に事実を受け止める頭と心をもった人も居たから、案外荒れずに俺の説が主流の見解になった可能性もある。
でも、もう2ch(今は5ch)に彼らは居ないし、どこかで生きてるんだろうけど空手を辞めてしまった人も居るだろうな。
仮に続けていても、昔ほどの情熱はもう持ってないかもしれない。仮にもし自分が盛況だった時代に同じ主張をしたとしても
それでも型を使えるようにするにはどうすればいいか?というみんなの熱は冷めなかったと思うよ。それだけ熱い時代でした。 昔は型に元々意味があるかないかにはあまり興味はなく、どうすれば使えるかを気にする人が多かった。
今は型がどうすれば使えるかではなく、元々意味があった事にしようと無理やり弁護する人が圧倒的に多い。
武道板の住民の質が下がってるのかな。あるいはシルエットクイズや当破などの創作が昔と違って出揃って技術的に
満足したから、後は歴史の裏づけを欲してるのかな。それとも単に使えるようにするのが面倒なだけかもしれない。
昔を懐かしむのは老いの始まりって誰かが言ってたな。俺もいつまでも武板に残ってないで引退せんとなあ。 そんなこんなで20年間も
レス乞食をしたいがために
逆張りの妄想長文を連投し
平安の分解の筋肉バスターを実証できない
それが筋肉バスターおじーさん >>446
もはや具体的な内容に反論できないのに悔しくて泣きながら同じ言葉を繰り返しているこれが型オタの末路? あれか
北浦和にノコノコおびき出されて
速攻で逃げ帰ったアンチか
そりゃ泣きながら同じことを書くのも当然だな >>449
またその話を蒸し返すの?
本人それとも別人? オフスパーの件は
>>61
>私は嘘は間違いなくついているが、
>まあ逃げたということにしても全く構わない。
嘘ついた事も逃げた事も本人が認めてるんだけど、まーた蒸し返すの? もはや具体的な内容に反論できないのに悔しくて泣きながら筋肉バスターを繰り返すだけでなく、
嘘ついて逃げた話を勝った勝ったと悔しくて泣きながら蒸し返すのが型オタの末路なんだね。なんだか可哀想だね。 昔に比べて武板は人減ったと書いたけどさ、1〜2年前まではこのスレだってまだまだ
それなりに骨のある型オタは居たよ。軸が〜〜バランスが〜〜っていう低レベルな存在意義でも
頑張って型を弁護してたし、どっかで齧ってきた最新のスポーツ理論をパクって型の意味はこれ!
とか擁護してたり。そんな体たらくでも、今の反論すら出来ずコピペを繰り返す「だけ」のヤツらに
比べたらまだマシだったんだろうな。
ちょっと上の方の話題でも、型を選ぶ必要性について少し突っ込んできいたらもう黙っちゃった。
挙句の好きだから型をやるという俺が先に述べた回答を真似して終わり。好きだからやるなんて
そんなんただの感情論の域を出てねーだろって事にも気づいていない。
昔の武板じゃなくても少し前の型オタなら頑張って型のためにあれこれ言い訳の弁護をしてたけど
もうそういうヤツラすら居なくなって「好きだからやる」程度のヤツラしか居ないのは寂しい限りだ。
型に妄想を爆発させてるヤツを見るとアホかと思うけど、その妄想すら出来なくなったらもう終わりやね。 結局
平安の分解に筋肉バスターを実証できずに
レス乞食をしたいがための
逆張り妄想長文の連投を
繰り返すかまってちゃん
それは筋肉バスターおじーさん そして まんまと北浦和に
ノコノコとおびき出され
速攻で逃げ帰る
それが
このスレでのカタアンチ ん〜
伝統派やフルコンが空手の主流だから妄想幻想が入り込む余地なかったよね
試合が主流だから格闘技みたいに現実的
本当の分解や一撃必殺の当破が広まるにつれてオタク要素が入ってきた
他には空手やっていても歴史に興味がある奴なんてほとんどいない
なので昔からある武術がいい加減なもんだったなんて思いもしない
「本当の空手」とそれなりの人に言われると「そうなんだ」って信じちゃったり
取り留めのない話だが、「本当の空手」を信じてるのってこういう背景なんだろうなって
実際に山城さんみたいな人が実際に自由組手やって公表すると
幻想も消えるだろうが >>458
>伝統派やフルコンが空手の主流だから妄想幻想が入り込む余地なかったよね
>試合が主流だから格闘技みたいに現実的
そうね。同じことを昔の沖縄でほぼ唯一経験した人が居る。それが本部朝基。
本部は唐手に詳しかったから、型の中身がスッカラカンなのを早期に見抜いていた。
俺は本部もとりあえず喧嘩吹っかけていきなりボカスカ殴りあう現実から
入ったと思うんだ。型によって強くなるだの、複雑な分解だの、一撃必殺の
威力の養成だの、そういう型オタが喜びそうなのを最初にするのではなく、いきなり
ボカスカ殴りあって経験地を積んだ。本人はあくまで唐手の修行のつもりだろうけど。
そんで最初のうちは勝ったり負けたりしてたけどど、経験を重ねてくうちに
段々と自分の体で殴られやすい場所が分かってくるからそこのガード固めたり
どういう距離や角度だとパンチが当たりやすいのか、掴んでくるのはどんな状況下など
ようは喧嘩成れをしていって、段々自分なりの勝ちパターンを確立していった。
そこでようやっと、唐手大好きな本部が自分の経験と型との刷りあわせをしようとした時に
もうこれ無理だろってなったんじゃないかな。唐手の型と現実の殴り合いは剥離しすぎている。
だから本部はナイハンチの分解をほとんど残さなかったし、十二本組手だって著書の付録程度の
扱いで別段弟子に大事大事言って指導もしていないし残してもいない。分解にしろ十二本組手にしろ
現実の殴り合いを最初に経験してしまった本部から見たら、絵空事に見えたんじゃないかな。 由利ってコテも言ってたけど、本部の経験とかろうじて整合性が合うのがナイハンチだった。
だって、他の型だと一歩進んで受けて、一歩進んで攻撃、とかが基本だしね。間合いメチャクチャ。
仮にそれは一歩進むのではなく○○を現していて〜〜とか言ってもさ、そうやって紐解いた「分解」
というもの自体がまず非現実的。本部の時代じゃなく、現代だって分解を組手で使える人なんて居ない。
だから分解も大して残さなかったし、約束組手も事さら重要視してないし、型もナイハンチだけで十分ってのは
逆を返せば他の型じゃさすがの本部もフォローしきれねーよ非現実的過ぎて。ナイハンチですら「かろうじて」
であって、非現実的な産物に違いはない。だけど自分の経験をこじつけるのに何とか耐えられるのがそれだったってだけ。
本部が気に入ってた夫婦手もまあナイハンチならこじつけられなくもない。上地流の型とかならまだしも
首里手の型は基本右手と左手の動作が連携せず別個に独立した動作が多いしね。それじゃこじつけれない。
まあ本部の話は余談だったが、伝統派やフルコンの人は歴史でいえば70〜80年くらい。
独自の技術を確立させるのにはもっと短くて、戦後の高弟達が組織を率いる時代にはすでに完成されてたから
だいたい30年くらいで技術体系が整ったことになる。伝統派は30年だけどフルコンなら20年以内もありえる。
日本拳法もだいたい30年くらいで形になってるから、おそらくそれくらいが平均なんじゃないかな。講道館とかもそうかも。
何が言いたいかというと、沖縄唐手は100年とか150年以上の歴史があるにもかかわらず
たった30年で本土の人間に殴り合いという面で抜かれてしまった。だけど、何も問題はない。
逆を返せば30年という時間をかければ追いつける、フルコン(素手顔面あり)なら10年ちょいもありえる。
使えない技を創作して古伝だ何だとモテはやすより、実際の殴り合いで使える技術を10年15年と重ねて
本土の伝統派やフルコンと本当の意味で肩を並べられる存在になれる道は残ってる。でも、やらないだろうな。 山城さんと中さんと宇城さんと倉本さんなら誰が強いの? 俺は型を全否定したくない。極意があるとかは期待してないけど。
ただ、要は説得力なんだよな。
島津藩に武器を禁じられて、徒手の空手が発達したって
いくさで空手を使ったのか?
糸州が軍に空手を輸入したというけど日露戦争あたりで空手を使った
兵隊が軍功をあげたのか?日本兵の空手にロシア兵はおそれおののいたのか?
そういう事例があれば一生懸命俺は型を学ぶぞ >>461
そいういう空手を貴方が作ればいい。型にこじつければいい。 >>457
だからオフスパーの件は
>>61
>私は嘘は間違いなくついているが、
>まあ逃げたということにしても全く構わない。
嘘ついた事も逃げた事も本人が認めてるんだけど、まーた蒸し返すの?
で、本人なの?それとも別の型オタなの? 結論として
レス乞食をしたいがために
逆張りの妄想長文を連投して
かまってもらおうとしたが
平安の分解で筋肉バスターはできなかった そしてまんまとおびき出された
アンチは速攻で逃げ帰りました >>467
お爺ちゃんじゃよ。ワシも若い頃は無茶したもんじゃて。 >>461
空手ってややこしいんあよな。協会だの古伝だの武器術だの。
NO1を教えてくれ 20年前で40代から50代
今は60代から70代だろう
(それより若いと技術に興味を持つから
歴史などは調べてるヒマがない)
リアルに「さへ」と書いてるしガチじじい いやいや、2chの武板を見始めたのが小学生で今ギリ20代後半って線もあるよ?w
しっかし型の話題ならまだしも俺の事が気になるファンが現れるとは有名になったもんだ(しみじみ) そういやこのスレではこれ↓貼ってなかったな。一応毎回スレに投下してるから今回も貼っとくよ。
昔の沖縄の唐手家達はほとんど対人稽古をせず自由組手の経験もなくてクソ弱かったです。
本部朝基とその周囲数人くらいしか対人稽古してませんでした。本部が沖縄で猛威を振るえたのは
本部が強かったからではなく周りの唐手家達が実際の殴り合いというのを経験したことなかったからです。
そんな状態なので大した技術が育つ土壌はありませんでした。型も踊りが発祥なので元から殴り合いを想定しておらず
唐手家たちも技術をこじつける事が出来ず現代まで来てしまいました。
故に、みんなの道場に大した型の技術が伝わってないのも、失伝したとかではなく元から技術が無いのが原因です。
夢を見るのはやめましょう。そして現実を見て、胸を張って型に僕が考えた私が考えた「創作こじつけ作業」をしていきましょう。
関連参考URL↓
【実践王子】本部朝基【琉球唐手】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1393642554/682-1000
【空手の形は実戦には何の役に立たない】
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/budou/1482156376/102-486 >>462
体格的に劣る帝国陸軍はロシア兵と白兵戦になった場合に相打ち覚悟で抱きつきに行った。
いやがるロシア兵に腰の短刀なんかで刺されても同時に日本兵は両手でロシア兵の両目を掴んで突いて潰す。そんな覚悟の肉弾戦だったらしいよ。 >>462
戦争中じゃなくシベリア抑留中の話だけど、捕虜生活を経験してた人の中には
空手をやってた人も居てロシアの兵隊相手に空手を使った記述が確かあったよ。
「俺たちは捕虜じゃない」を書いた工藤張雄は松濤館流の空手をやっていて
作中でロシア兵相手に空手を使う場面が出て来る。どこまで本当か分からんが
殴ってきた相手をさばいてその腕を掴んだ描写があった。
まあ相手が素人で殴った拍子に体がそのままの格好で流れるように崩れてくれれば
可能かもしれない。確か剛柔流の山口剛玄もシベリア行ってたから、山口の自伝(
出してるかどうかは知らんが)を読めば抑留中かあるいはその前の戦争中とかで
空手を使ってる場面が出てくるかもしれない。 ところでさー、ちょっとスレ違いかもしれんけど、プリズナートレーニング読み終わったんだが
この本に出てくるステップ10のワンアーム・ハンドスタンド・プッシュアップって可能なの?
空手をやる人は体力作りや筋力作りって面では読んどいて損の無い本だと思うけど
紹介されてるワンアーム・ハンドスタンド・プッシュアップ(逆立ち片手腕立て伏せ)
だけはどうにもマユツバな気がする。Youtubeでやってる動画を探してみたけど
誰も成功させれた人が居ない。あの中国雑技団ですら現実にやれてるの見たことない。
探す過程で、この動画が気になった。
https://www.youtube.com/watch?v=hYnmRO37SRQ
筋力以前にそもそもバランスの問題で人間には無理じゃね? ってことを言ってるのだと思うが
俺は英語が分からんので詳しい内容は不明。英語出来る人が居たら要約してくれると助かる。
プリズナートレーニングの作者は出来る人から教わったし勿論自分も出来る、とは言ってるが
何せこれだけネットが発達してるのに誰一人成功させれてないのは不自然。空手の分解と同じく
実際は不可能なんじゃないかな・・・?と思うんだよね。作中の三戦に関係する記述は参考になったが。 NG登録したという設定を忘れてる
アルファベットを全角にするのはじじい コンビクトコンディショニングは
モチベをあげるのに読むのはいいが
あれにそってはやってない
三戦の記述なんてあったのか
ちゃんと読んでなかった
脚を閉じての片手腕立てふせとかも
無理なんじゃ? >>466
>そしてまんまとおびき出された
>アンチは速攻で逃げ帰りました
だからオフスパーの件は
>>61
>私は嘘は間違いなくついているが、
>まあ逃げたということにしても全く構わない。
嘘ついた事も逃げた事も本人が認めてるんだけど、まーた蒸し返すの?
で、本人なの?それとも別の型オタなの? >>477
>三戦の記述なんてあったのか
>ちゃんと読んでなかった
いや、三戦に「関係」する記述だよ。直接の名称は出ていないがグリップ
&関節編の178ページのくだりを読めば、剛柔流か上地流の人なら三戦の
ことを言ってるんだろうなってのはピンとくると思う
>脚を閉じての片手腕立てふせとかも無理なんじゃ?
脚を閉じた状態での片腕立て伏せは一応可能。若木の怪力法が手元にあるなら分かりやすいが
285ページみたいな感じになる。何年か前に黒人の動画でも似たようなの見たことある。
でもそのやり方ってポールが否定してるような上体メッチャ曲げてて、両脚もパっと見揃っては
いるんだけど片方のつま先があらぬ方向に向いてて腕立て伏せなのにカカトの内側が完全に地面に
接地してたりなど、まあ文章で表現するのは難しいがようするに両足を揃える、片手でやる、それらの
条件と引き換えに他の体の部分がバランスを取るためエラい事になるんだわ。
片腕立て伏せの上級者の標準がギネスを引き合いに出して片手で100回とかムチャクチャなこと
言ってるのも気になる。ちょっと信用できないところはある。覆面でも何でも被っていいから、
実際に本人が実演をしてくれたら少しは説得力があるんだろうけどな。
でも、書かれてる人体に関する考え方や段階を上げて習得する重要性などは大いに参考になったよ。 457 名無しさん@一本勝ち (アウアウウー Sae3-g/FV [106.154.0.243]) 2021/03/20(土) 20:26:53.63 ID:ZFgvNblWa
そして まんまと北浦和に
ノコノコとおびき出され
速攻で逃げ帰る
それが
このスレでのカタアンチ
あれーっ?ブルースリーはどこへいったの?(笑)
さんざんブルースリーを根拠に勝った勝った言ってたのに、これではオフスパーの約束から嘘ついてただ逃げただけになってるじゃんwww 聞いた話では、アメリカでは歴代大統領の遺物、例えば初代大統領のワシントンや有名なリンカーン
などが宣誓で使った万年筆や聖書、私物の外套などを色々と保管して永久保存にしているという。
日本人の自分達から見たら「何でわざわざそんなことを?」って思うけど、それは自分たち日本は
歴史のある国だから実感が湧かないだけで、歴史の比較的浅い国はそこら辺の価値を重々理解している。
日本で言えば、例えば徳川家康の陣羽織だとか、源義経が使ってた太刀だとか、あるいは歴代の天皇が
身につけていた宝飾、儀式で使用した神器とかと一緒で、200年とか500年とか1000年とか2000年後!に
その国の歴史や地位を裏付けるものとして価値を発揮する。世界の王様のアメリカが諸外国に唯一負けてるのが
国もつ歴史だけど、それをアイツらは充分理解してるから「今」は何の恩恵もないし自分達にとって得も何もない
けど何百年後のアメリカが強くあるために必要ってことで、それらの品をガンガン保管している、と聞いたことがある。
どこまで本当かは知らんが、ありえる話だとは思う。軍事や経済で優位に立っても金や外交で手に入らないのものが歴史。
目先の損得ではなく、自分の息子どころか孫やひ孫のさらに先の先の先の代を見据えての政策、と言ったら大げさだけど
本質的には間違っていない。軍事でも経済でも優位なアメリカが諸外国に対して唯一黙らなきゃいけないのが歴史だからねえ。 以前、沖縄土着の武術(?)であった「手」は唐手に駆逐ないし吸収されたと書いた。大した技術ねーから妥当な結果だろうどさ。
本土のフルコンや伝統派は、沖縄唐手から見たら邪道だの新参だのに見えるだろうけど、おそらく200年とか500年経ったら
「手」と同じ運命を辿るんじゃないかな? いや、これはマジな話で。だって、沖縄唐手がやってるアテファだの分解だのってのは
別に沖縄唐手だから出来る訳ではなく、フルコンも伝統派も「型」を持ってるのだから、いくらでもこじつけることが出来る。
結果、フルコンも伝派も沖縄唐手がやってるアテファだの分解だのと同じ内容のものを自分達がやってる型にこじつけてあるある詐欺を
主張できる。令和の今はアメリカと同じく歴史という面で浅いから差別されるけど、200〜300年も経てばその差もなくなる。
結局、どう取り繕ったところで、沖縄唐手は本土の伝統派やフルコンのように実際の自由な攻防で戦える技術体系を創作しない限り
「手」と同じく消えてく運命だと思うのよ。逆に、残ってると思える人の意見を聞きたいくらいだわ。
今沖縄唐手がやってる事は、全部伝統派やフルコンの勢力が出来ちゃうことだもの。棒立ちの相手に当破だのシルエットクイズだの。
逆に、沖縄唐手が今から寸止めやフルコンの技術を確立させて追いつけって言っても無理でしょこれ。俺は唐手をディスってるように
見えるかもしれないけど、伝統派もフルコンも勿論沖縄唐手も等しく今後より良いように発展していって欲しいと思ってる。なので、
沖縄唐手が今向かってる方向はマズイんじゃないかな〜と思って進言してみた。どうせやるならフルコンや寸止めに並ぶ何かをやるべし。 手始めに、プリズナートレーニングのビッグ6を空手の体力作りの根幹として据える
という流派を開いて後世に伝えてみるのはどうだろう?
室町時代から伝わる柔術でビッグ6の内容と同一の鍛練法のある古伝の柔術拳法なら歓迎するけど
昨日書店で本を買ってきてさっそく取り入れた拳法じゃ納得いかない! という方が居ましたら
ご安心ください。何百年伝わってようがさっきこじつけようが本質的には変わりません。
何百年前から伝わる腕立て伏せだろうがさっき貴方が思いついた運動だろうが、同じ腕立て伏せで
ある以上は本質的に体に与える影響は変わりないのと一緒です。なので歴史は気にせずいきましょう。
腕立て伏せではなくてこれが突きだろうが分解だろうが一緒です。なので胸を張って創作を認めましょう。 そうこう書いてるうちに、mixi終了のお知らせをさっき知ったわ…。
この武道板もこれから先、人が減ることはあっても増えることはないだろうしな。
わびしいねえ。別にそこまで歳取ってはないけど老兵は死せず去り行くのみなんかね。 いにしえのキャリステニクスは
スパルタ軍の時代より昔から 若木の怪力法ってググったら数万円する
それが手元にあるとは 平安の型
普通に使えるじゃん?
前蹴りワンツー
シフトブロー
前蹴りストレート
手刀受けから膝蹴り
横蹴りから肘打ち(肘打ち出来ればストレートもいける)
回し蹴りから肘打ち
裏拳→ストレート→フック
ストレート→バックハンドブロー→ストレート
等々
身につくんだから良いじゃん? >>487
の技って、MMAやキックボクシングが学べるようになった今でも、中々使いこなせる人は少なくて、使いこなしてる人はもれなくスタープレイヤー
打撃格闘技がボクシングと相撲しかなかった時代には、秘技もいいとこ
アクション映画やプロ格闘技で、見慣れてるから特別感を感じなくなっただけ >>488
ていうか、型の動作でやれる人は一人もいないんだけどね。
総合格闘家の動きにこじつけて使えると言いたいのだろうけど
それはお前が勝手に考えたこじつけだからな
勘違いするなよ。 型は戦い方を記録したもの。それでいいと思う。
型から真剣に戦い方を学び研鑽して実戦を積んだ人間は強かったろう。
本部朝基はやはり強かったんだろう。
型だけ何千万回も繰り返して実戦を積まなかったやつは間違いなく弱い。
それだけのことだろう。 どうやら空手をやっても心は鍛えられないみたいですね(笑) 最近急に悟ったこと。
型って油絵なんだなと。
それもずっと塗り続けていく油絵で、同じキャンバスにずっと描き続けるんだよね。
通常の油絵は一旦完成したら手直しとかしないで新しい作品に移行するけど、型はそうじゃないんだよ。
しかもペタペタ塗り続けていくと急に作品が変わり別の絵になることがある。
武術は人間対人間の戦いを一定の枠組みでまとめ一方的に制圧するアートなんだけど、型は対戦相手、周囲の外野、自分と三者三様のアート。
そこがやめられなくなる魅力という感じかな。
まあ、分かんない書き方して申し訳ないが、最近そう気付いてからより型が楽しくなったって感じ。
型はその人が最も出るから面白いね。 >>492
>通常の油絵は一旦完成したら手直しとかしないで新しい作品に移行するけど、型はそうじゃないんだよ。
この時点で油絵の例えが崩壊してる(笑) むしろ歴史的名画の修復をするのに他の作品の羨ましいところを真似して寄せ集めて上から塗りまくり
元の絵と全く別物になっているのに「これが何百年も前から伝わる歴史的な名画です。」と言ってるのが空手の型だぞ。 >しかもペタペタ塗り続けていくと急に作品が変わり別の絵になることがある。
そうやってオフスパーから嘘ついて逃げてたのにアンチに勝ったという捏造の絵を描いてしまうんだよね。
でも逃げるのに隠遁と書いてしまったから無職の引きこもりがバレちゃって必死に絵の具を上から塗って誤魔化してるんだよね。
つまり空手の型は、都合の悪いものをいくらでも上書きして変えてしまう人間のキャンバスにされてしまい、元の型の絵は誰もわからなくなってしまったということか。 >>495
知ったかぶりの奴は書くこと中途半端で浅い内容だわ。
まあカッコつけたつもりがダサいのに気づけてないのはある意味幸せかもな。 >>496
油絵の例えボロボロだぞ(笑)涙ふけよwww
型を塗り直しのきかない解釈で上書きするなんてとんでもない奴だな。本当に空手やってるとは思えないけど、もし師匠がいるなら聞いてごらん。破門されるぞ(笑) 型オタは油絵の具を上塗りしてるのではなく、
嘘の上塗り
恥の上塗り
をしてるだけだろwww
なんでオフスパーから嘘ついてにげてしまったの? 試合制度になると制約が多すぎて古来の空手の技術が変容する。
これはわかる。だったら制約なしの殺し合いの世界に身を置くしかない。
それができないならせめて試合に出るしかない。
試合を否定して、実戦も行わない、では100%弱い。
型を大事にしていいけど弱い奴が擁護してたんじゃかえって型の保管の足を
ひっぱるだけだろう >>490
>型は戦い方を記録したもの。それでいいと思う。
よくねーよ。
戦いの記録どころか元は武術をモチーフにした踊りが正体だったと認めたくないのは何で? 心が弱いから?
>型から真剣に戦い方を学び研鑽して実戦を積んだ人間は強かったろう。
>本部朝基はやはり強かったんだろう。
本部は強かったけどそれは実戦を積んでたから。型を真剣に学んだからではない。
都合よく実戦を積んだ本部に便乗して型の価値も上げちゃおうとかいう臭いマネはやめてくれませんかね?
>型だけ何千万回も繰り返して実戦を積まなかったやつは間違いなく弱い。
>それだけのことだろう。
それだけのことだろう、とか無理やり結論づけてるところに心の弱さを感じる。
型にはもともと大した意味はない、やっても強くはならない「だからこそ型に意味をもたせて
型をやる事によって得られる強さをこれから確立させていこう」って方がよっぽど潔いと思うんだがな。
いつまで本部の強さにあやかるつもりなんだろう。いつになったら現実を認めるんだろう。 自分は型好きだけどな
攻撃や防御、移動、運足をミックスして幅広く学べるから、
ウォームアップにダウンにいつもやってる。
型分解してアレコレ活用法を身体を動かして楽しめるし
組手ばかりやってると、どうしても技が固定されやすくて
身体と頭をほぐすのにとても好き。 昔の空手家は100%戦ってないよ。
平和だったから。
人口密度低いし
貧富の差が激しいから
空手やるような士族は
金持ち喧嘩せずだし
百姓は納税に必死で喧嘩するどころじゃなかった。
そもそも制約なしの戦いだったら
素手で戦う奴はいない。
紀校新書にも拳術は大戦の技じゃないから
いらないという奴がいるが
武器術と基本は同じだから
練習しましょうと書かれており、
戦争では役に立たないという意見が
明代にあったことや
戚継光も直接の役にたたないことは
認めていることがわかる
そういったなかで
実戦に役立たない空手が生まれたのは
沖縄が平和で士族もヒマで
真剣勝負の必要がなかったから 型は合理的科学的に考えると
実用性がないのは
戚継光も言ってるし
このスレでも証明されたし
現代格闘技で誰もやってないし
大体まともな奴が見ればすぐ分かることで
あまり議論の必要性はないと思う。
次の課題は戚継光も否定した
一人型が清代にすぐ復活したことや
現代でも好む奴がいるのは何故か
何故こんな実用性のないことを
好む人間が歴史上絶えないのか、
何が彼らの心をとらえるのか、という
文化的側面じゃないかな 【例1】
パッサイの動作にさっきyoutubで見た柔道の大外刈りの意味を当てはめる → 完全なこじつけ行為
【例2】
パッサイの動作を研究する → 分かった、この動作には柔道でいう大外刈りの投げ技が隠されてたんだ!
しかしパッサイの製作者が大外刈りの意味を込めて作ったかどうかの保証はない → 復元ではなく妄想の域を出ない
結局やってることは個人のこじつけ行為
例1は型オタがよくやってる「型を研究する」という行為だが、例2と同じで個人がこじつけてる事に変わりはない。
この2つに違いがあるとしたら、それは「自分が『こじつけてる』という行為から目を逸らしてるかどうか」ということ。
俺は大外刈りが使えない、と言いたいわけじゃない。使えるよ。実用的な投げ技だよ。
その投げ技を空手がパクって取り入れても全然いいと思う。実際、例1も例2も取り入れてる。
違いがあるとしたら、それは「投げ技が無いから他から『パクってこじつけてる』という行為から目を逸らしてるかどうか」ということ。
何度も言うが、例1も例2もやってる事(こじつけ行為)は一緒なのに、型オタがそれを認めないのは結局心が弱いからだと思うんだよな。
大して意味ない武術(型)をやってる自分とか、他人の目を恐れて見栄を張ったりとか。そういう心の弱さから目を逸らす。それが型オタ。 あ、文中で例1と2が入り乱れてて間違ってる箇所があった。これは失礼。 キンバスじーさん的マイブームというか
お気に入りのワードは「心の弱さ」らしいな
自重筋トレのプリズナートレーニングに
今ごろになってハマってるのはまさに心の弱さ
普通は
「自重じゃないウエイトトレーニング」
をやるからな
(自重もウエイトトレーニングではある) >>504
>大して意味ない武術(型)をやってる自分とか、他人の目を恐れて見栄を張ったりとか。
>そういう心の弱さから目を逸らす。
>それが型オタ。
これはアンチの間違い。
空想オフ会や空想道場に騙されたのを騙されてないとか、見栄を張り、大して意味ない武術の歴史や知識を晒すとか。
また、ロジックで責められると話をスルーしたり逃げたりする心の弱さから目を逸らす。
それが型アンチ。 >>507
スパー相手を自分で募集しておいで逃げたのを正当化するのはよくないよ
自分の未熟さを知りましょう >>507
またその話を蒸し返すの?
>>61
>私は嘘は間違いなくついているが、
>まあ逃げたということにしても全く構わない。
嘘ついた事も逃げた事も本人が認めてるんだけど、またそれ蒸し返すの?
しかも自分から逃げる事を【隠遁】とか言い出して無職の引きこもりバレして恥かいてるのにまた蒸し返すの?
61 名無しさん@一本勝ち (ヒッナー Sd5a-q7Hp [49.98.41.148]) 2021/03/03(水) 16:44:38.20 ID:VKg8wNSAd0303
なぜ逃げたか?
その前提には行く予定、または行ってたが何らかの理由、または原因により去る、避難、【隠遁】する場合において逃げるという言葉が適用される。 ゼロから格闘技始めた場合、
とりあえず、
松濤館の型をやっとけば、
基本的な身のこなしが身につくから子供に空手やらせんだよ
格闘技経験者の親はさ シフトブロー
前蹴り逆突き
前蹴りワンツー
裏拳(ジャブ)横蹴りから逆突き(逆肘打ち)
膝蹴りから肘打ち(体当たり)裏拳
バックハンドブロー >>511
格闘技の動きを身につけたいなら最初からキックや総合やればいいじゃん 型と組手は両輪
昔から未来永劫変わらぬ事実
どちらかだけの選手は空手家と呼ばない
理屈じゃなく、空手するなら型もちゃんとやってください
長くやっていきたいなら尚更
型のリズムはセロトニンの分泌良くしたり、左右対称で体幹をバランスよく鍛えて美容にもいい
若手ダンスグループの女どもが型を鍛錬の一つに取り入れてます
優先順位は
1.基本稽古
2.型、組手 >>516
中達也は高校大学と型殆どやってなかったけど空手家だぞ >>517
昔の人はほとんど大学空手からじゃん
今みたいに小中高と英才教育受けた人たちではない
型やってなかったっていっても
強豪校とかは基本稽古を正確にみっちりやるから土台があるねん
基本ができてる人は型と組手は枝葉や
習得は容易い
あの人の動画見ても立ち足は正確だし突き蹴りも綺麗。型やらしても上手いと思う
確か見たことあるわ >>511
>格闘技経験者の親はさ
本当に子供いる?親が特定の流派を押し付けるなら話は別だが、とりあえずで本人が何をやりたいかまだわからないなら、水泳と体操だろ。
特定の流派をやらせて、本人が別のものをやりたいと言ったときにその経験が悪い癖にしかならないから、うちは水泳と体操で基礎的な身体運用をとりあえずやらせているけど。
本人が武道、格闘技に興味持たなくてスポーツに行っても役に立つからな。
とりあえず松涛館の型って意味わからんわ。 まあ香川政夫さんの息子は中学までバスケしてたからな
そのあと空手で全日本王者になった
香川政夫さんは本当は野球をやらせたかったらしいw
というエピソードから小さいうちはなんでも良さげ
香川政夫氏もたぶん本格的なのは大学とかその辺から
でも松濤館流の型をやっとけばってのはある意味正しいと感じる
バランスよく格闘技の体捌きを体得できるとは思う
流派も近所の道場なら流派にこだわる必要もなさげ。
なんならフルコンでもいい
水泳体操はもちろん好きなのをやらせたらいい
水泳もバランスの良い体になると思う >>518
基本で身に付くなら型やる必要ないじゃん
実際に中達也は型やらなくても高校・大学で入賞してるんだし >>521
型は入賞してないでしょ
型をやらないのは
あなたは伝統派空手の何を習得したくてやってるの?
って聞きたい
組手の試合に勝つためだけならそれでいいけど
例えば大人になって、リタイアしてからも生涯空手続けたいとかなら型もやってた方がいいよ
フルコンと違う伝統派の醍醐味は型だから
中さんも指導員の立場として型もしっかり稽古してると思う >>522
別にやる必要ないじゃんw
何のためにやるんだよw >>522
組手の大会に勝つための組手技術だよ
試合で型技術なんて使う場面ないからな
型は老人になって組手出来なくなってからでも十分間に合うしね >>523
>>524
どこで稽古してんの?
道場なら普通に型はするじゃん
わざわざ型をやらない稽古って聞いた事ないわ
学生で組手に特化してる選手ならわかるけど
それでも型はある程度やってるよ 水泳のアイソカイネティクス的な運動は
スピード重視の競技にはご法度
(野球のピッチャーとか) なに
要は遅筋を使うからってことか
言うほど影響ないでしょ >>522
いや、フルコンも型あるよ
松濤館と剛柔流合わせた数覚えないと初段になれない 二十年前にロー山と倉本の対談で若者は型への不信感があると言ってたな。
今もあるな。
伝統はともかくフルコンの型は順番こなすだけでしょうが フルコンに型があるとか試験がどうこうとかそういうレベルの話じゃなくて
型が組手に生かされているか否かという話
型は全日本王者だろうが金メダリストだろうが一生研究し続ける事ができる先人の残した遺産だよ >>530
中身が詰まってないのに研究する理由は? 先人が適当に作ったものを有り難がってるわけや
偉い偉い >>532
>>532
格闘技ってそういうもんだよ。
一度でいいから何かの格闘技を体験してみるといい
先人達の技術の積み重ねが基本になるところが多いから >>533
格闘技の型って何だ?シャドーとか?
空手を武道ではなく格闘技といってるならそれは一部の団体流派の空手に限られるぞ? >>533
その積み重ねがないって皮肉すら通用しないオツムなんやな 型オタ「この受けには投げの意味がある」
船越「はぇ〜、知らんかったわぁ」
型オタ「お前の時代から後に積み重ねられたんだ」
こう言う事やろ?
型アンチと言うてる事は同じやんか
仲良くせなあかんよ >>536
型オタが見栄っ張りだから仲良くできないだけ
「意味がないから僕達で今意味をこじつけてる最中で〜す!」
って認めればアンチと別にそこまでの争いは生まれない >>528
フルコンの型って申し訳程度の型でしょ
合わせた数って言っても平安の型は同じ
立ち足が違うぐらい 昔、フルコンが「平安の挙げ受けは上段回し蹴りをブロックするための技だ」と
言ってたのを耳にしたことがあるが、普通に考えたら平安が創作された年代に
上段の回し蹴りなんか存在してない
型オタはそんな意味なんか無いって言うかもしれないが、じゃあどんな意味があるの?
って聞かれたら口ごもるか、苦し紛れに上段蹴りのブロックと同じく自分でこじつけた意味を
解説するしかない。結局やってることは一緒。こじつけの域を出ない
で、あるなら認めちゃえばいいと思うんだけどねえ。挙げ受けがハイキックをガードするためでもいいし
肘打ちだの投げだの関節でも構わない。どんな意味があるでもいい。使えるか使えないかも問わない。
「意味が分からないので私がそうこじつけました」or「意味が無いので私がそうこじつけました」ってさ。
結局この2択に絞られるんだが、何をどうしたら「これこそ本来の意味です」になるのかさっぱり分からないわ。 >>525
某大学の空手部OBで大学近いから学生と一緒に稽古してるよ
みんな黒帯で審査も受けないから型は殆どやらないよ
メニューは基本と打ち込みと組手と走り込みかな >>540
大学空手なら型選手とかいないの
俺は型も組手も両方そこそこやってたから
型をやらないと気持ち悪いわ
腰のキレとかは出るよ >>541
型選手一人もいないね
インハイ出た子もいるけど組手専門だし
まあ両方やってる人は物足りないなって感じると思う >>542
組手強い人いるんだね
型は熟練してくるとやってて気持ちいいからね
一挙動ごとに息を吐いて、緩急、リズムとか >>543
やってて気持ちがいいなんて程度のレベルでしかやってないから
型に下らない幻想を抱くんだよ >>544
型は学生時代に自分の流派の県大会は準優勝、全空連傘下の県連の大会ではベスト8に入ってるわ
お前らの気持ちいいとレベルが違うて で、型にはどんな意味があるの?
型の分解で戦ってますって人いないじゃん
大会でいい成績おさめました
で? >>548
俺は何度か入賞したことあるけどね。
まだ点数制の時だったけどな
何ども言うけど試合に出て結果出したりするのは全然OKなんだよ。
問題なのは型に秘伝が詰まってるとかさw
組手の練習だけでは習得できない組手に役立つ何かが習得できるとかさw
そういうしょうもないオカルトを信じてやるのが無駄だと言っているんだよ。 >>550
嘘つけ
文体から型のセンスあるとは思えない
型は左右対称のシンメトリー、美的バランス感覚とかのセンスがある人が上手くなる競技だから
文章のバランスとか構成とか見ればその片鱗は読み取れる
組手だけで練習した事ないから分からんけど、たぶん何かしらは組手に還元されてると思うよ 空手の型は何かしら程度の効果なんですって
大会で好成績をおさめ「お前らとはレベルが違うんじゃ」とまで言う方でさえ「何かしら」
という事は師匠にも型の意味を教えてもらってない
いや教える事がないってこと
これが空手の型の真実 >>539
そもそも型の挙動にはじめから何を想定しているかなんて決まってないと思うけどな
インスパイア元である中国武術も套路の個々の挙動に具体的な意味はないって教えられてるし
日本武術はこーきたらあーすると具体的に決まってるから答えを求めたくなるのだろうけど 言われてみたら緩急とか技の引き出し、間合いの出し入れとか気づかないとこで組手選手よりできるのかも
頭でっかちにならん方がええで
don't think,feel. >>554
ちなみに>>492の油絵の例えはどう思いますか? >>555
型はフィギュアみたいに個性を出して華が有るものではなく
あくまで実戦からフィードバックされた技を忠実に再現するもの。
フィギュアと対照的に没個性、地味、質素
師範の指導で教え方色々ある。
教本では型は機能美であって、派手ではなく質素でないといけないとオシエルだろうけど
トレンドや師範によりオーバーアクションや派手さを求めるケースもある。
絵画というより、刀鍛冶とか竹職人みたいに同じ工程をひたすら何度も何度も愚直に繰り返してその工程に深みが出てくるのに近いイメージ。
絵画みたいに人により個性があったり新しい絵ができるとかそんなのではないと思う >>553
>そもそも型の挙動にはじめから何を想定しているかなんて決まってないと思うけどな
俺も決まってないと思うよ。そしてそれは悪いことではないし恥ずかしい事でもない。
が、何故だか型オタは意味がないという事に負い目を感じるらしく、言い訳すんだよね。
俺は型に意味がないことが悪いとも恥だとも思わないんだが、型オタはどうも見解が違うみたい。
いや、動作に込められた意味があるのならそりゃ「意味があるのに『無い』だなんて言うな!」
ってムキになるのも分かるけどさ。意味が無い or 誰も分からないというこの現状において
頑なにそれを認めようとしない。これは一体なんなんだろうな?って思って出た答えが
権威を好む事と心の弱さの2つなんだけど・・・。違うのだろうか? 煽りでも皮肉でもなく真相を知りたい。 3歳の子供に落書きをさせてさ、出来上がった絵を見て
「なんで3人描いたんだ? この人はなぜ右を向いてるんだ?」
とか聞いても、大した意味ないよ。だって落書きだもの。
「背景にあるこの三角形はなにを表してる? こっちの3本の線はどういう意味だ?」
とか聞いても、大した意味ないよ。何となくそう描きたかったから描いただけ。
それを以て、これは悪だの恥だの言う方がおかしいし、それを真に受けて気にする方もおかしい。
大した意味なんか無くて「当たり前」。何となくそれっぽく描いただけの娯楽(絵)だもの。
型も一緒。武術っぽい勇ましい踊り、もしくは武術を練習してるっぽい気持ちになれるオナニーの道具
として生まれたものなのだから、大したものを求めるのは間違い。そしてそれは悪でも恥でもない。
それでも型を捨てられない人はいくらでも意味をこじつけていいけど、だからといってそれが本来の意味にはならない。
これ毎回同じことを書いてるんだけど、型オタは理解できないのだろうか? >>551
結局、お前も型の意味がわからずに練習をしていると言うことだよね。 >>554
組手においての緩急や間合いは型では絶対に身につかないよね。
現実を直視しろよ >>556
その割におまえですら型の動作の意味が答えられないよね。
本当に戦いの中で培った技術が詰まっているとしたらあり得ない事なんだよ。 >>561
型ヲタはアンチに難癖をつけている時は威勢がいいが、いざ型の話になるとあまりにも薄っぺらい知識で
秒で論破されるよねw
それなりの経験者が見てるこのスレでアホ丸出しで恥ずかしくないのかな とにかく型ヲタはまず組手をやって自分の弱さと向き合うことから始めないとね。
妄想の世界で一番でも虚しいだけ。
心のどこかで分かってるからオフ会も逃げ回るんでしょ?
そろそろ自分に嘘をつくのはやめようよ。
応援するからさw >>556
>絵画というより、刀鍛冶とか竹職人みたいに同じ工程をひたすら何度も何度も愚直に繰り返してその工程に深みが出てくるのに近いイメージ。
>絵画みたいに人により個性があったり新しい絵ができるとかそんなのではないと思う
型のイメージに関しては今までの型オタと違ってまともな事を言ってると思うぞ。
ただ空手の場合はその肝心な意味が型には伝わってないんだ。 >>560
俺は組手も流派の県大会では3位、全空連傘下の県連でも3位になってる
県連の大会は元国体選手も含め黒帯のみで150人近く参加した大会
自分で言うのもなんだが、型と組手両方、このレベルでやってた人はそう多くない
そんな俺が言ってるんだから型の効用はある程度感じてる
もう型は割り切ってやればいいじゃん
なんで意味を考える
流石にそれぞれの挙動の意味ぐらいは大体わかるけどね >>565
そもそも型はフィギュアや体操みたいに魅せるものじゃないから
ひたすらあるのは機能美。基本に忠実に動作をした結果、滲み出る渋さみたいなもの
人に魅せるのでもなく、稽古してたらたまたま人が通りかかって見てたみたいなニュアンス
前の師範が、型は派手ではなく質素であるべきと言ってた 重要なことは
型のはじめの挙動は全て受けから始まるってことな
空手の前提は護身
相手が攻撃してきた時にやむに止まれず受けて技を出すというのが基本 >>566
>もう型は割り切ってやればいいじゃん
なんで意味を考える
読書百遍意に通ずるというように、型の動作が正しく伝わっていたら意味がわからなくてもやり込めば意味はあるのかもしれない。
しかし、現代に伝わっている空手の型はこじつけの意味によって型の動作までもが変質してしまっている。
わからないならわからないで改変せずにそのままの動作で伝えていればいつか本当にセンスのある天才が創流当時の意味を読み解いて中興の祖になるかもしれない。
そのためには後付けの空手の型の意味を全て捨てて、型に意味が伝わってない現実を認めて、できるだけ古い時代の型の動作を再現して何も考えずやり続けるしかないと思う。 >>569
難しいと思うけど
手の位置とか握り方ひとつでもトレンドがあって例えば手刀受けの引き手の位置はみぞおちか下腹部どちらに置くか
手刀の親指は握るか、遊びを作るかとか
全く古典の型を再現してもそれですらその時代のトレンドの型であったわけだから
その前後では異なってた可能性がある
だから忠実に再現するのは困難かつあまり意味があるとは思わないので、ある程度割り切ってこんなもんかで良いと思う >>569
>わからないならわからないで改変せずにそのままの動作で伝えていればいつか本当に
>センスのある天才が創流当時の意味を読み解いて中興の祖になるかもしれない。
創作当時の意味なんか無いんだってば。唐手の型は60を超えるけど、なんで都合よく全部失伝してるのよ?
あの型は意味が全部伝わってるけど、この型はほとんど失伝していて、そっちの型は7割くらい意味が伝わってて
とかなら「まだ」分かるけど、ぜ〜〜〜〜〜〜〜〜んぶ都合よく失伝w 60を超える型が全部それw
日本各地にさ、ツチノコの目撃霊は大昔からあるけど、たまたま捕獲されだけなのかな? 昔から今に至るまで全部。
違うよ、そんなの元から居ないから捕獲されない。だから日本各地で目撃されるけど日本各地で捕獲されない。
同じく、60を超える型の意味が全部失伝したんじゃなくて、元から意味が無いから60を超える型の意味が失伝ってことになってんだよ
ツチノコと一緒。無い袖は捕獲できないならぬ振れない。型の意味も無い技術は出しようがない。イイ加減認めよう? それでもまだ、昔の唐手家が色んな分解を弟子に教えていたのなら
型にもそういう意味があったという可能性もあるけど
実際は組手で分解を使える唐手家が居ないどころか、組手「すら」やってなかった。
1人や2人の唐手家じゃなくて、ほとんどの唐手家がそれ。
いうなれば童貞がセックスの奥義を型に込める行為と同じで、経験ないものは込めようがないし
仮に妄想で込めたのならそれこそ現実的じゃない。もともと意味があったという前提がそもそも非現実的。
仮に平安の下段払い追い突きに意味があったとしても「下段で相手のパンチを払って、追い突きで攻撃!
え、これだと間合いが詰まって突けない? 現実で使う訳じゃないんだからいいじゃん別にw」程度だよ。 柔道整復師の不正請求にNO!
接骨院や整骨院での柔道整復師による施術を受ける場合、
健康保険が使えるのは「骨折、脱臼、打撲、ねんざ」といったけがに限られていますが、
実際はさまざまな不正請求の実態が確認されています。
http://www.tosyoku.org/jusei_seikyu/
(動画あり) で、600年前に作られた日本刀と500年前に作られた日本刀の2つがあったとする
600年前に作られた日本刀は粗悪でウンコのような作り。ただ鉄の棒に角度をつけただけ。
500年前に作られた日本刀は技術の粋を極めた英知の結晶。美術品としても実用品としても
申し分ない。多くの人が日本刀といわれて思い浮かべるスタンダード。これこそ日本人の魂。
600年前の日本刀はただ古いってだけの価値しかない。科学的に調査しても本当にただの鉄のウンコだった。
500年前の日本刀はどこに出しても恥ずかしくない名刀。現代の科学でも製造できない高い技術が詰まってる。
だけど、600年だろうが500年だろうがどっちも古い日本刀であって大差ないんだよ。
まったく同じことが空手の世界でも起こる。沖縄唐手の型がまったくもって意味のないシロモノだったとしても
令和の現代に型に意味をこじつけまくってバージョンアップさせればいい。5〜600年後には古伝唐手のスタンダードになってる。
だから、元々の唐手や型に意味があったとか夢を見るのはやめて、今からスタートを切って色々こじつければいい。
意味の無いものを意味のないものとして伝えるよりよっぽど生産的だし現実的だよ。 >>566
根拠もないのに信じろと言われてもなあ??
型の挙動が大体分かるとかw
大体ってなんだよ。
分かってないって事だろ?それ
後、お前さ、人の実績は信じないのに俺の実績は信じろとかアホじゃないの? >>567
アホすぎ。
どんなスポーツでも機能美は存在する。
型だけの事じゃないだろ >>568
その根拠はないよね?
お前の妄想の中でそういう解釈をしただけの事。
現実問題、先手必勝の事が多いから、そもそも受けからやるのが正義と言う考え方自体が机上の空論なんだよね。
型が実践から生まれたものではないことの証明になるんじゃないかな >>569
全空連の型の動作ですら、変わってきているのに、もうこの流れは停めることは出来ないだろうね。 >>569
あと、どんな動作であれ、意味が分からないと何をやっても駄目だと思う。
それこそ100%模倣出来たとしてもね。
意味が分かっている組手のワンツーですら、体格や戦術によって十人十色だよね。
一人ひとりの細かい動作の違いを間違っているだのあれが正しいだの論じても無駄でしかない。 >>568
>重要なことは型のはじめの挙動は全て受けから始まるってことな
えっ、「受け技は受け技じゃなくて攻撃だ!」なんでしょ?
「本土で『受け』という名称がついたから本当の意味が失伝したんだ!」とかさ。
なんで都合の良いときだけその動作を受け技ってことにするの? あ〜でも>>580みたいなことを書くと
「そう、受け技じゃなくて攻撃だから先手必勝という意味も内包してるのだ!」
とか妄想爆発させるんだろうな。
本当に意味を込めて作られ伝承してきた他の古武道の人達から見たら、失笑モノのあるある詐欺だわ
俺なら恥ずかしくて出来ないね。そういう意味を今私が当てはめました、と言ったほうがよっぽどマシだわ。 よくよく考えたら、複数の中国拳法の套路を年代もバラバラに伝わったはずなのに
軒並み受け技から始まる、とかも不自然だよな。不自然と思えないから型オタなんだろうけど。
代々沖縄人が創作するときただ単に右に習えの慣習でそういう様式になってっただけだと思うけどねえ。 屋台で飲んでた本部と弟子
本部「実戦とはどんなものか教えてやる」
と弟子に言った瞬間、隣の客をどついた
こんなエピソードあった気がするんだが >>583
多分このことかな?
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1608296388/496
昔赤塚不二夫が似たような体験談を語ってたね
飲み友達である大島渚はとにかく喧嘩が強かった。以前ある居酒屋で一緒に飲んでたときに
新しく客が入ってきた。有名人である大島に気づいたけど、しらないフリして近くの席に座り
ワザと聞こえるように大島の作品の悪口をベラベラとツレに語りだした。
大島はひととおり黙って聞いたのち「帰ろう」と言って立ち上がり、手にした灰皿でスレ違いざまその男の頭を一撃。
そのまま店主に金を払って悠々店を出て行った。一連の流れがあまりに自然で見事だから赤塚も大変印象に残ったらしい。
「俺に喧嘩売ってんのか?」「文句あるのか?」など口を出すのではなく先に手を出す。まさに先手必勝。 植草がパワハラ被害を暴露したね。
まあ、空手やってる人はあるあるだよねって感じだよw
ほんと空手は強くなるための練習以外のことをやり過ぎなんだよね。 本部はやりそうだよな。
社会に適応できない落ちこぼれのソシオパスだから。
年とってから
子供を菓子でつって喧嘩させて
親が文句を言ったら凄んで脅したという
下衆エピソードがあるが
これをこどもの喧嘩からも学ぼうとする
本部先生かっこいい!
とか言ってるオタクがいてゲンナリしたわ。 ピストン堀口のパンチを全部かわした
エピソードもあって
まあ100%ウソなんだが、
子供には殴りあいさせるのに
自分はしないことに
オタクは矛盾を感じないのかなと思うね。
本部は当時の空手家の中では強かったのは確かだろうが、
空手がなければヤクザになってた落ちこぼれの
人間のクズだし、
ピストン堀口と本当にやったら
殺されてただろうな。 >>585
型とかその最たるものだよね
型の強要もパワハラだろ 【前田日明が認めた天才!久保優太との接点】久保優太×前田日明 後編
https://youtu.be/gfsQsf_AYlE?t=588 >>588
避けられなかったら怪我する様な練習とかアホすぎなんだよね。
指導者が選べない学生はかわいそうだ >>580
割とこれはマジで答えて欲しい質問なんだよね。
以前、型に出てくる突きは肩を入れずに突く、空手の突きは肩を入れないから弱い
って書いたら型オタが反論してね。いくら言ったところで解剖学的にも物理的にも
無理があるんだが、論破されると急に「ナイハンチの最後の諸手突きは肩を入れてる!
だから唐手の突きは肩を入れる意味もある!」とか急に苦しい手の平返しをしてきてね。
受けワザは攻撃!とか言ってるクセに、型が受けから始まるのは自分から手を出さず受けてから技を出す!!
とか言ってるのも同じで、都合のよい時だけころころ使い分ける。これを世の中ではダブルスタンダードという。
都合の良いときだけ寸止めやフルコンの虎の威を借りて自分達空手は強いとのたまい
都合の良いときだけ寸止めやフルコンは本物の空手ではないとけなす。ダブスタ唐手。 香川って地位を悪用して下への暴力パワハラ全開しまくって絶望的に人望無い人だし
これからどんどん悪行リークされるだろなぁ。
なんせ、もしゴルゴへの依頼クラウドファウンディングやったら三時間で目標金額達成
すると言われしてたしw >>593
僕が大学の時も指導者は似たようなものだったからな。
常にトップを争う所の指導者だったからそりゃ調子に乗ってたろうなw
はっきり言って高校までに強くなっている選手の寄せ集めで自分の力で強く出来てるわけじゃないのに勘違いしすぎなんだよ。 竹刀で着いて避ける練習をするくらいなら型をやってたほうがはるかに有用だね
少なくとも失明することはないんだから そだよ
拳銃も撃つ練習はするけど
撃たれる練習はしない 残念な話だけどそのば突きを見ると上手いかどうかわかる 社交辞令だってハッキリ言っちゃえばダブスタだからね。全て本音なら生きづらいさ >>599
>>601
顔も名前も身元も分からない掲示板ですら本音を話せないとか頭悪過ぎ
例えるなら便所の落書きするにも社交辞令が〜〜とか気にしてるようなもんだ
本音を話せないんじゃなくて現実を認めたくないからこんな場所でも見栄を張る、願望にしがみつく
同じ二枚舌でも社交辞令とは大きな違いだよ 多くの人は日常生活の多くが頭で考えるよりも身体で動いてるけどな
でなけりゃ歩くことも食うことも出来ない 【全空連ニュース】
キレる空手老人コーチ(松濤館)が女子の顔面を竹刀で暴行
老人に罪の意識すらなかった・・・痴呆症?
空手の東京五輪・組手女子61キロ超級代表の植草歩(28)=JAL=が、全日本空手道連盟の香川政夫強化委員長(65)からパワーハラスメントを受けていたとの訴えを連盟に届けていることが24日、分かった。
植草は練習中に竹刀で顔面を突かれるなどして負傷したと主張しているという。全空連では31日に倫理委員会を開き、両者からも事情を聞いた上で、処分などを検討する方針だ。
植草は帝京大時代に同大の監督も務める香川氏から指導を受け、現在も練習拠点にしている。
関係者によると、昨年末から選手の顔面を香川氏が竹刀で突く行為が、練習として行われていた。植草は失明の危険性もあることから練習中止を求めたが、逆に叱責を受けたという。
植草はこの練習で目の打撲などのけがを負い、他にも五輪代表や強化指定を受ける複数の選手が目などを負傷した。
植草は17〜19日に都内で行われた強化合宿の参加も見合わせていた。
香川氏は「ビックリした。倫理委員会で全てお話しする。いろいろな指導をしてきたが、受け取り方の問題もある」と話すにとどめた。全空連関係者は「非常に驚いている」と困惑気味。報告を受けた日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「お互いに話をよく聞いて、間違いない判断を下されることと思う」とした。 いったん全部棚上げして、型の技術が実戦でも使えると仮定しよう。
秘伝だから外部に漏れるのを防ぐためカモフラージュした動きにしてると。
そこまではわかった。
つまりその動きに隠された意味がわかってしまえばその動きはただのカモフラージュであり
意味がないわけだ。でも寸止めだろうとフルコンだろうと足や手の位置にもうるさい、
ニセの動きを型どおりたがわずする意味があるんかな 極真の廣重毅の「城南支部 強さの秘密」を読んで型に対する認識が変わった
方を否定する人はあれを読んだ上でしてもらいたいくらい
空手の型稽古は突き蹴りのあるあらゆる格闘技に有効と信じる 柔道整復師の不正請求にNO!
接骨院や整骨院での柔道整復師による施術を受ける場合、
※健康保険が使えるのは「骨折、脱臼、打撲、ねんざ」といった【ケガ】に限られていますが、
実際はさまざまな不正請求の実態が確認されています。
http://www.tosyoku.org/jusei_seikyu/
(動画あり) 拳真館というフルコンの団体は顔面ありの組手を模索している
理由は知らんが相手の顔面を突くとき前を見ず下を見ながら突きを繰り出すらしい
パっと考えつくのは、対象を視認によって起こる無意識のセーブを解除するとか
顔面やアゴなどの急所を極端な下向きの角度を変えることによって相手から遠ざける、
前頭骨を縦にする事によってカウンターを被弾してもダメージを軽減する、とかかな
その突き方の是非は置いといて、これがその流派の基本とする突きであった場合、
型の分解の内容も必然変わってくる。相手を目視せずに突くんだから、当然相手を把握
できてないのでこちらの突きが外れた場合対応が遅れ反撃をモロに食らいやすくなる。
だから反撃を食らいにくい場所、反撃を食らいにくいタイミングでの攻防が道理となる。
例えば相手の突きにカウンターを合わせる。内側ではなく外側にポジショニングする。
特にこの外側にポジショニングするというのは突きの前提(相手を見ず突く)からこそ発生する条件。
で、ひるがえって巷に溢れる僕が考えたナイハンチの分解やら平安の分解やらはどうかというと
外側内側まったく考慮してないw カウンターの場合もあればこちらから突く場合もごちゃまぜw
まあシルエットクイズだからね、行き当たりばったりでこじつけてるから当たり前の話。
大事なのは、もし本当に相手を倒そうと創意工夫した突きがあるなら当然それを成立させる条件がつきまとう。
だからこそ分解にもその内容が反映されてしかるべきなんだが「分かった、この動作はこういう意味があるんだ!」
とかやってる人達には、まず前提となる突きが無いから統一性も整合性もないグチャグチャの分解になるんだろう。
別にこの拳真館の突きが優れてるだの本物だの言うつもりはないし、内側に位置して突いても有利になる反撃にも対応できる
そういった技術的な対策が整備されてれば内外を問う必要もないし、そもそもそんな対策があるのかどうかもあまり興味ない。
言いたいのは、根底となる突きが確立されてなければ分解の内容に整合性もへったくれもなくなるということ。
そしてyoutubeに溢れてる自称古伝唐手、型研究者の人達の分解を見る限りはこれに該当する。つまりオナニー。 >>607
>空手の型稽古は突き蹴りのあるあらゆる格闘技に有効と信じる
結局科学や物理や医学ではなく、信仰の世界になっちゃうんだよな。 >>606
だよねw
もし、隠された技術があって、型はそれを隠す意味があるとするなら、身内の練習では型など一切やらないはず。
そして、部外者が来た時だけ型をやって「普段こんな練習しています」って言うよな
だから、型ヲタは完全に騙されて型を信じてやっているって事になるんだよ。 つーか、そもそも「こんな練習やってます」って時点で謎だよな
どんな練習してるの?って聞かれても「大したことやってません」で何も見せなきゃいいじゃん。
それでもどうしても何か説明しなきゃいけない状況になったら、巻藁を突いてこの程度です、でいい。
なんでわざわざウソの型を用意してアピールする必要があるのかと。だって、唐手は秘密裏に稽古するものなんでしょ?w
「唐手は隣人はおろか家族ですら習ってるのを知られてはいけないほど秘匿性が高かった」とか言ってる割には
普通に庭に巻藁がおっ立ってるしな。家族どころか隣人にも丸分かりやんw
俺が思うに、型は非現実的で使えない → 使えないのはカモフラージュ→ カモフラージュは秘密にするため → 秘密裏に伝えられたんだ!
って流れで都合よく言い出したのが発端じゃないかと。秘密裏とかじゃなくて、唐手は単に人気がないから習う人が少なかっただけでしょ。
琉球には見つかってもクーシャンクー踊りとか元々いくらでも誤魔化せる舞踊が既にあったんだし、わざわざ使えない型なんか作る必要ないかと。
むしろ最初から型が使えないことの言い訳としてカモフラージュがどうこうとか都合の良い夢を言い出してるだけかと。 その通りだわ。
しかし、創始者が一子相伝みたいなイメージで作ったとしたら完全に不本意な結果となってしまったなw
挙げ句の果てに無数のヲタクが俺だけは秘伝を知っているって言いふらす始末w >挙げ句の果てに無数のヲタクが俺だけは秘伝を知っているって言いふらす始末w
ほんこれ
型は失伝しただけで本来凄い技術があったハズ。「これこそ本来の意味!」 → 型に意味をこじつける
型には凄い技術なんか無い。「だからこれから技術の構築をスタートしよう」→ 型に意味をこじつける
結局やってることは一緒なのよ。どっちも「僕が思うこじつけ」をしてる事に変わりは無い。で、あるなら
自分にウソをついたり現実逃避なんかしない分、よっぽど後者のスタイルの方が健全だと思うんだけどねえ。
俺はこじつける行為はまったく否定しない。ただ空手以外の本物の古武道関係者がこれを見た場合
前者が滑稽に映るのが目に見えるんだわ。ひいては空手そのものの評価を落とすことにも繋がる。
「あ〜、技術を積み重ねてこなかったのを必死に誤魔化してるわw」って思われるのと
「あ〜、現実を潔く認めて最初の一歩を踏み始めたんだな」って思われるのと、どっちがいいか。
いや、誰に思われるとかじゃなくてもいい。
自分自身が前を見ず後ろ向きのまま一生を終わるのと、しっかり前を見て歩くのと、どっちが気持ちいいかの問題。 そういう意味ではフルコンも伝統派もしっかり前を向いて技術の構築をしてきた。
フルコンや伝統派に無いのは歴史だけだが、それも時間の問題。
200年後とかにはフルコンも伝統派も古伝武道になってるからねえ。その時沖縄唐手は
まだシルエットクイズしてたり棒立ちの相手にしか通用しない突きでドヤってるのかなと。 広重師範の著作は2冊俺も読んだよ。俺は印象として「型を本音としてはあまり重要視するものと思ってない」と感じた。「こう来たらこう返すなんて私も何百個でも作れる」といってるとおり戦闘法としては参考にしようとしてないのはたしかだ。古来から伝えられてきたので無下に捨てるわけにはいかない。だからやらなきゃいけないものなら、型で得られるものを真面目に検討しよう、と割り切ってる感じだ。
型で得られるもの、動作で呼吸のタイミングを学ぶ、フォームの調整。どうも師範はこのふたつだけしか有用と考えてなかったようだな。三戦の型は呼吸法として重用してたようだけど。
だけど師範は戦闘法として型を評価してなかったようだけど、広重師範は死んで広重師範の考案したかもしれない戦闘法はもう現在残らない。でも型は残る。
戦闘法として優れてるかどうかはなんともいえないがちゃんと残っているのはたしかだし、その時代時代で発展させればいいのかもしれないな >>619
一行で要約すれば、型は使えないって事になるな 使えないと言い切ってしまうのはあれだが、
たとえば寸止めなりフルコンなり一生懸命やって鍛えた人間が
いまは道場に通える環境にないと。
そんな時に型を見直してみる、という独習にはいいんじゃないか。
正直あまり志の高い話ではないけど。
格闘技をやったことない、試合どころかスパーもしたことない
人間が型だけやって実戦で使うというのは100%無理だろうな。 >>621
型じゃくてシャドーで良くない?
型だって上手くなるには一人じゃ無理なんだよね。
自己満だけでやるならどうでも良い事だけどね >>621
>使えないと言い切ってしまうのはあれだが、
大筋で同意だけど
使えないと言い切るというよりも、逆に使える意味をこじつけた人だけが「使える」と言うべき。
そしてそれが出来ないのなら、否定派に使えないあるいは他で代替可能と言われても「そうッスね」
と認めるしかない。
例えば>>622に型じゃなくてシャドーで代替可能だし型よりも効率良いと言われたら
「そうッスね、おっしゃる通りですけど自分は型の方が好きなので効率悪いけど型をやります」と認める。
ひと昔前に言われてた型は軸やバランスを鍛える云々という主張に対しても同じで、もっと他に
効率良い代替トレーニングがあると言われたら「そうッスね、おっしゃる通りです(以下略)」と認める。
別に空手をやる人の誰もが型に意味をこじつけろ、漫然とやるな、と言ってる訳ではない。そんなの疲れるだけだし。
ただ、寸止めなりフルコンなり一生懸命やって鍛えた人間が道場に通えずその実力を維持するために行うのなら
俺も組手を想定した打ち込みやシャドーの方が良いと思う。そこであえてシャドーではなく型をやるのは実力維持
という目的に反してる。「実力維持」という大義名分にコーティングした自己満足(オナニー)と言われても仕方ない。
型に大した意味ないってのを認めるのと同じく、自己満足で型やってますってハッキリ認めれる人は俺嫌いじゃないし潔いと思うよ。 >>623
使える意味のこじつけ自体が無意味
役に立つトレーニングそのものをやればいいのに型で隠す必要が無い フルコンも寸止めも組手なしじゃ絶対強くなれない。天才であったとしても
無理だろう。昔鍛え上げて強くなった、今は道場に通えない、だから
シャドーだけ、で実力維持は不可能。組手ができなきゃ落ちていくしかない。
だからシャドーだけじゃむなしくなるだけだと思うね。型の研究のほうが新しい
発見があったりで楽しいと思う。
はっきり言ってしまえば人間多忙とはいえ本気になれば道場通いは可能。
道場に行けないというのはもう殴られたり吐くほどきつい練習は嫌ということ
そんないわば根性ナシには型というのは魅力的に映る
まあ俺のことなんだけど 俺はシルエットクイズ自体は別に嫌いじゃないけど、どうせやるなら他から攻防をパクって型に
こじつけた方がよっぽど良いと思う。youtubeを見てハイこの攻防をパクって型にこじつけよう、ってね。
検索も含めて5分もかからない。動作の整合性を気にしないなら分でなく秒で終わる。
だけどその指摘に対して「そうっスね、おっしゃる通りです。でも自分は人生の貴重な時間を使って
うんうんと何週間も考えてやっと1つの動作に1つの攻防をこじつける行為が好きなんです」って
本人が自覚して言うなら別にそれ以上は追求しない。でも今までそんな肯定派は見た事ないけどね。
>>624
>使える意味のこじつけ自体が無意味
それは客観であって意味があるかどうかはその人の主観の問題。
お前の人生に意味ないから生きてるだけ無駄って言われたらハイそうっすねって言って生きるのやめて死ぬ?
多くの人は死なないけど、だからといって何の社会貢献もせず人間的にもクズな野郎が
「俺の人生に意味あるよね!俺って価値ある人間だよね!」とか言われたら「ねーよバカ」
って言われても仕方ない。言われたくないなら理解される価値を身につければいい。
クズに「お前価値ない」と言うのは自由だが「そもそも生きるのが無意味」という権利はない。
もしあるとしたら他の人間に迷惑をかけてる場合だな。やるだけ無駄ではなくやるだけ害なら
存在を否定されても仕方ない。だから俺は三戦の締めだけは「この世から無くなれバカ」と言ってる。 >>625
>シャドーだけ、で実力維持は不可能。組手ができなきゃ落ちていくしかない。
>だからシャドーだけじゃむなしくなるだけだと思うね。
別にシャドーだけで実力の維持が出来るとは言っていない。
>型の研究のほうが新しい発見があったりで楽しいと思う。
新しい発見をしたいのなら、それこそ他の格闘技から学んだほうが大くのものを得られる。
すでに多くの格闘技を過去に学んでいるのなら、他の医学や生理学、あるいは物理学などでもいい。
ようするに発見が目的ならもっと他の効率の良い方法が沢山あるよねという話。
しかしそれをせずに効率の悪い型をやる、というのであればそれは結局発見という大義名分にコーティングした
自己満足(オナニー)ってことなのよ。それを覆すには、他の格闘技あるいは物理学や医学よりも型の方が優れている
という証左が必要になる。が、歴史的にそんなものが込められていないという事でそれはどうやっても成立しない。
結局同じことを形を変えて言ってるだけなんだけど、自己満足なら否定しない。ただし型である必要性はないよねという話。 >>626
お前の中ではそうなんだろうで終わる話に意味など無い >>628
俺の話は難しいからね。理解できない人が出て来るのもしょうがない。 >>629
話を難しくしてるのは型ヲタの捻くれた根性だけで、そんなものは他人には何の意味もない ああ、俺の話が理解できないのではなくて
型が使えると言ってるヤツに対して「お前の中ではそうなんだろう」というのであれば
まさにその通りで、だから自分の中だけでなく他者にも通用する意味をこじつけない限り
自己満足と言われても認めるしかないという話。これも形を変えて言ってることは結局一緒。 >>630
俺はそもそも否定派の貴方に対して意味のある話なんかしてないんだが? 型が使えるという幻想を信じる派と信じない派がいるだけで、幻想は幻想に過ぎない
突然、意味など無い >>633
それは私が今まで主張してる事そのままですな。 >>634
なるほど、肯定派は肯定派でも、スレタイの
「空手の型はやるだけ無駄」の肯定者の方だったのね
無意味に紛らわしいな >>635
いや、やるだけ無駄とは思わんよ。ラジオ体操くらいの運動量はあるからね。
だけど同じ運動ならそれこそ型よりラジオ体操やれよって話で、やるだけ無駄
というよりかは型はやる必要性が確立されてない派
必要とされてないものに意味があるか?といわたら、当然ない
本人が必要とするものに意味があるか?といわれたら、当然ある
だから自己満足(オナニー)としての型の存在意義なら認めてるし
そもそもそれこそが沖縄における型本来のあり方。
型やって「くぅ〜〜、なんか俺武術っぽい練習してる!」「俺いまカッコイイ!」
っていう精神的充実を味わいつつ運動不足の解消にも繋がり健康にも貢献する。
非常にすぐれたシステム。そこに痛い思いや怖い思いをする対人稽古なんて不要だったのよ。 こじつけに意味ないというのは正直同意だ。
隠された空手って本と新垣清の本の平安の解釈見るとまるっきし違う。
1流二人に同じ問題を出せば微差はあれど出る答えは大元は一緒であるべきだろう。
どっちもこじつけと思わざるをえないし、どっちも一流の武術家とは到底
思えない。
実戦経験豊かな軍隊格闘技の教官とかに一度研究してほしいな。
それで「役に立たん」と言われたら今度こそ本当に型は価値を諦めたほうがいい >>637
こじつけに意味ないというよりかは、使えない技をこじつければそりゃ使えないのは当たり前で
だから使える技をこじつければ当然使える。なので俺は伝統派の人はいつもやってる伝統派の
組手の技術をフルコンの人はいつもやってるフルコンの組手の技術をそのまま分解としてこじつけろ
と提案してる。そうすれば型の動作はすべて組手で使えるものになる。誰もそんなのやらんけどね。
>実戦経験豊かな軍隊格闘技の教官とかに一度研究してほしいな。
その教官が型肯定派なら結局バイアスがかかって「使える可能性がある」とかになっちゃうのよ。
そんなのいくらでも主観で可能。
だから俺は主観なんていう個人によってどうにでも結果が変わっちゃうアヤフヤなものではなく
歴史という客観的な動かざる現実を調べて「大した技術が育つ土壌はありませんでした、だって
そもそも殴り合いしてこなかったんだもん」という事を明白にしたんだが、多くの人は心が弱く認めない。 >>625
意味不明w
シャドーだって新しい発見ができるだろw
だから自己満だったらなんでも良いって言ってるだろ >>638
その通りだわ。
あと一つ付け加えるなら、心の弱さ
と商売によるポジショントークだな
型ヲタは心が弱く、世間知らずだからポジショントークだってことすらきがついてない
と言うこと だけどまあ>>625が言うことにも一理あって
スマホに入ってるアプリゲーとか数独などの脳トレは言ってしまえば頭の体操とヒマつぶし
くらいの価値しかないけど、同じ頭を使うならついでに体も動かせて楽しめる方が有益だよね
ってことになれば当然型の価値は増す。そして再三言ってるようにそれが型本来のあり方。
だから線引きは難しいけど、根拠もなく型が実戦の役に立つとか言ってる人はバッシングされてしかるべきだが
実戦と関係なく型を楽しむというスタイルの人には、それが自己満足であってもなくてもそこまで追求されるべきでは
ないのかもなと思う。
一番良いのは、型は別に好きでもなんでもないしむしろやりたくもないけど
組手に役に立つのは明白だからしぶしぶやってる、仕方なくやってる
っていう人が出てくれば、空手の世界における型の実用性確立されたとみていい。
スポーツにおける筋トレやジョギングとかも、疲れるしやりたくないけど
記録を伸ばしたり勝率を上げるのに必要なのは明白だからしょうがなくやってる人は多い。 使えると思う人は使えばいいし、使えないと思う人は使わないでいいんじゃない?こんなスレに貼り付いてるやつって型云々関係なく空手が使えない人だと思うよ。 那須川天心がシャドーはアップじゃない!って言ってるけど型にも当てはまるよな。
顔は一つしかないのに、色んなとこに突きや蹴りを出している
無駄としか言いようが無い >>642
こんなスレに貼り付いてるやつって型云々関係なく空手が使えない人だと思うよ。
根拠なさすぎて笑う
型肯定派の考え方って自分が信じたい結論から根拠もないのに理屈を組み立てるのが良く分かるレス >型肯定派の考え方って自分が信じたい結論から根拠もないのに理屈を組み立てるのが良く分かるレス
その最たるものがオフスパーで型の強さを証明すると言っておきながら嘘ついて逃げたのに型の兵法で勝った勝ったと泣き叫んでいた奴だよな(笑) ボクシングキック総合でガード上げて構えてる時点で妄想の産物なんだよな
あんなワケのわからん構えしてパンチを受けるなんてできるわけない
かと言ってステップワークやボディワークで躱す体制を作ってない >>608
長くなるけど今度時間がある時引用したい
完全に説得できるとは思わんが有益な示唆はあると思う
とにかくあの本はあらゆるフルコン空手技術者の中では決定版と言える
このスレの先輩全員に読んで欲しいくらい
型と組手がとても深いところで有機的に繋がっている
と言ってもシャドートレーニングやコンビネーションの原始的な動作というものでもない >>616
型の動きや型の突きはもちろんボクシングのパンチや動きもちろん違いさぎるほどに違うけど、読んでると型稽古を活用すれば手や足の打撃を使うあらゆる格闘技にプラスの効果をもたらすように思えました もちろん型稽古だけやってれば強くなるわけじゃない
試合に直接的に、直結したそのまま使える技術は見ればわかるように型の動作には無い
オフシーズンに型稽古も意味をわかってやれば、漆塗りのような、あるいは短距離走に例えればトップ選手のタイムを0.05秒縮めるような効果があるとは思うようになった
下のクラスの選手ならパワーとスピードで差はすぐつくけどトップ選手の僅かの差や選手寿命に影響しそうだなと 何を養成したいかじゃない?例えばボクシングでプッシュアップやランニング、縄跳びをするけど『それだけ』で戦うわけじゃない。空手もそうだとは考えられないかな。 すみません
それ空手の型を作った人がそう言ってるんですか?
組手をやってなかった人達が言うわけないですよね
違うなら後付けですよね?
ここの型否定派は後付けは否定してないでしょ
後付けをこれが本来の空手だと嘘つくのを否定してるだけで >>650
トップじゃない人間の根拠のない信仰かよ >>648
>それがそうでもないんですよ
それって主観ですよね? いや、そうとしか思えないんですよ
ってどんなに思っても結局主観である限りは私にとって無価値に近いです
平安の第一動作や三戦の第一動作の意味はコブラツイストなんですよ、そうとしか思えないんですw
って言ってる人に何を言っても通じないのと一緒。「僕がそう思うからそうなんです」を根拠に言われても
勘弁してくださいとしか言えません。これがコブラツイストなんかじゃなくワンツーからのローキックという解釈なら
また話は変わってくるのでしょうか? 変わりません、攻防の内容がどうこうの次元ではなく、それが主観である限り
「僕がそう思うからそうそうなんですw」の域を出ないのですよ。これがどんだけ狂ってる事なのか分かりますか?
この型のこの動作はこういう意味があるとしか思えない、唐手の型はこういうプラスの効果があるとしか思えない
そう思うのは勝手ですが「僕がそう思うからそうなんです」を根拠に反論や否定をされても困っちゃうのですよ。
私は唐手に大した技術が生まれる土壌がないことやロクに対人稽古をしてこなかったことを資料を元に歴史的に指摘
しましたし状況証拠も多数挙げました。これは私の主観でなく客観的な論理であり現実です。私がどう思う思わない
関係なく、これを読んでる人の多くが自分の流派の開祖がどんな組手をやってたのかすら分からないどんな組手どころか
三戦や平安にどんな分解や意味があるのかすらどう教えていたのか分からない、それは主観ではなく客観的な現実です。
前置きが少々長くなりましたが、ようするに結論としては>>652が既に述べてくれてる。
「それがそうでもないんですよ」の根拠が「僕がそう思うからそうなんですよ」ではなく
空手の型を作った人や歴代の唐手家たちが戦前に既にそれを示唆証明していた記録を願います。
歴史とかではなく新たな可能性というのでしたら、科学的にも医学的にも納得できる統計や論文
などのエビデンスの提示をお願いします。そういうのでもなくて、あの○○先生がそう言ってるから
きっとそうなんですよ、僕もそう思います、だから型は使えるんですというレベルの話でしたら
もうお腹いっぱいなのでお引取りを。 極真の廣重毅の「城南支部 強さの秘密」っていう本は読んだことがないんだが
中にナニが書かれてようが論理的に結論は変わらない
この本を読んで感銘を受けたから、今後は型にこの本に書かれてる意味があるという事で
これからやっていきたい、というのでしたら、ああ頑張ってくださいね、で終わる。それだけの話。 型は使えると思って首里手系の沖縄空手の流派に入門した経験から言えば分解組手と自由組手は別物
自分が未熟なだけじゃない
分解組手は上手い師範が寸止自由組手じゃ型の技なんて出ずに普通の組手になってたのを見て「そりゃ何を出してくるか分からん相手に分解組手のように技が出るわけない」と実感
型アンチが書いてる歴史や本部流の方のブログを読んで、自分が経験で感じた事の辻褄があった感じ
型は使えるって人は経験の辻褄が合うのだろうか?
広重さんの本で型の意味を学んだとしたら、何でそれを自分の師範は知らないのだろう?と疑問に思わないのかな?
ここで「広重さんが自ら編み出したもの」となるか「これが本当の空手なんだ」ってなるか別れるのだろうな
後者が他武道学んで型の意味が分かっただの、秘技だから簡単に教えてくれないんだ、とか言い出す 用法については、例えば鉄騎初段の最初の右手刀。あの動きで作られるベクトルや入見の角度として合致するなら打撃にしようが投げにしようが極めにしようが、なんなら対武器にしようがそれで良いと思う。
相手との身長差や体格差はもちろん、状況は毎回違うのだからひとつだけの用法とはならない。 ひとつだけの用法に限らないのは別にいいが
さりとて無限の応用があるとかは途端にウソ臭く聞こえますなあ
まずは用法は1〜2個に絞るべきじゃね?
最初にいくつも用法あるとか逃げ道作っちゃうから
打撃で上手くいかなくても「いや、きっと関節技の意味が・・・」で
関節が上手くいかなかったら「いや、きっと投げの意味が・・・」で
投げが上手くいかなかったら「いや、きっと武器の意味が・・・」で
武器が上手くいかなかったら「いや、これはきっと高身長の相手に決める技で・・」
いや、これは身体操作を養うとしての意味が・・・、いやこれはきっと他に意味が・・・
って延々続く。
で、どれも上手くいかなかったら
「上手くいかないのは自分がまだ未熟だから。さすが型が要求するレベルは高い!」とご満悦で
最初の手刀ではなく波返しの用法を考える、なんなら他の型に浮気して妄想を膨らます、と。
とてもコスパの良いヒマ潰しだしオナニーとしても優れてると思うけど、いつまでたっても実用化にはならないよね。
まず打撃なら打撃一本で、本当に組手で決めれるようになってから投げだの武器だのの用法に行くべきじゃない? >>659
無限な訳ないでしょ、用法無限なんて何流の誰が言ってるの?
ボクシングで例えてみようか、例えばジャブは前手での直線攻撃だけど、場合や戦略によっては間合い調節、フラッシュ、牽制、時間稼ぎにもなるし、体重を乗せれば強打にもなる。
型の分解もこんな感じでその動作のベクトルや、相手の反応反射としてどう活きるかを考え、実践して用いるんだよ。
このままボクシングで例えるけど、ジャブを練習しまくって『いや、これはフックでもあるし膝蹴りでもあるんですよ!』と言うやつがいたなら確かにおかしい。
でも、普通はそんなやつはいないよね。
おいらは見たことない。
もしいたならキミの言うとおり、こじつけだ。 で、それで既に組手で私はナイハンチの右手刀を使えますっていう人なら別に良い。
だけど大体は>659で書いたことを実現するのは難しい。打撃の用法ひとつ取っても
それを組手で使えるように検証したりカスタマイズするのは随分骨が折れる。
それを一気に解決するのが、検証とかカスタマイズとかじゃなくて
元から組手で多くの人が使ってる技やコンビネーション、空手に限らず柔道の乱取りでも
MMAのスパーでもなんでもいいから実際に使える技をパクってこじつけちゃう。これなら
型にこじつけた打撃や投げが即実用可能な技として成立する。時間の大幅な短縮になる。
まあ俺ならそんなマネみっともないし無駄に近いからやんないけど、実用化を目指してる人にはおすすめ。 いつも同じ相手とやるなら用法は2〜3あればいいだろうが、体格差が違えば技も微妙に変わる、それはボクシングも同じ。
アンチ派もある意味で型を特別視してるようだよ。形は特別なものじゃない、対人間をするのはどの武術も変わらない、そこはシンプルだよ。 >>660
>無限な訳ないでしょ、用法無限なんて何流の誰が言ってるの?
松濤館流の船越義珍が言ってた気がするが、船越に限らずそれに近いことを
唐手家や型オタはよく言ってますよ。過去スレを参照してください。
>型の分解もこんな感じでその動作のベクトルや、相手の反応反射としてどう活きるかを考え、実践して用いるんだよ。
用いるんだよってのが何流の誰が言ってるのか知りませんが、実用化目指して頑張ってください。
困難を感じたら>>661にヒントを書いときましたのでご参照を。
>もしいたならキミの言うとおり、こじつけだ。
いや、こじつけでいいんじゃない? 俺はこじつけの何が悪いのか分からないわ。 >>662
>いつも同じ相手とやるなら用法は2〜3あればいいだろうが、体格差が違えば技も微妙に変わる、それはボクシングも同じ。
ボクシングは打撃であって体格差が違っても投げ技や武器は使いませんからなあ。
>アンチ派もある意味で型を特別視してるようだよ。形は特別なものじゃない、対人間をするのはどの武術も変わらない
私は型肯定派なのでアンチの事は分かりませんが、唐手が対人間をする武術と呼べるほどのものかどうかは少々疑問ですな。
まあ、一応は武術のカテゴリーに入れてもいいかもしれませんが、どちらかといえば護身術程度かと。 でも型の分解を実際には自由組手で使えてないですよね
で終わる話 いや、型の分解そのままではなく相手の体格差によって微妙に形は変わってくるので
見た目は分解どおりではなくても実際には使えてますよ? とか言うかもね
型にあるある詐欺はもう古くて、これからは型が使えてる使えてる詐欺
あるいは分解は使えてる使えてる詐欺が今後のメインストリームかなと。 いや解らない奴は解らないままでいいんじゃないかな
必死になって教える必要あるのか? そうそのパターンw
これが空手なんだ 分からない奴がダメなんだ
空手やってるみんな冷静に考えてよう
型オタの言い分だとあなたの師範も知らない事が本当の型の意味なんだってさ
それを教えられない道場に通ってるって事だそうだ
他の武道や格闘技やった方が良くね? >>654
長々と書いてるが俺の主観というよりは廣重毅さんの書いたことだから
ロシアは知らんけど城南支部とかブラジルとか世界獲った支部は型を重視してんだよな
ベストキッド3みたいな型をそのまま試合に使って勝ったというのはSFだし型稽古だけでももちろん勝てないけど 移動稽古の目的
刺青・呼吸・バランスを学ぶ
なぜ移動稽古をするのか
この稽古は何のためにするのだろうか。
誰でも一度はこんな疑問を感じたことがあるはずだ。
基本や移動稽古についてである。
大きく開いたスタンス、腰をずっしりと落とした構えから大きく進む追い突き。
回転して下段払い。
あるいは騎馬立ちからの回転動作。
いずれも型に繋がる基本的な構えであり動作である。
ところが組手の稽古に入ると、これが一変する。
もはや先ほどの広いスタンスは影もかたちもない。
構えははるかに自然なものに変わり、フットワークも軽やかに間合いの内外を動き回る。
突きも蹴りも受けも、移動稽古をのときとは似ても似つかないものに変わっている。
だから基本と組手はまったくの別のものだ…こう思ってる人もいるだろう。
たしかに両者はかけ離れて見える。
したがって移動稽古や型の稽古などいくらやっても強くなるわけがない…こう考える人も多いはずである。
いや、ほとんどの生徒がそう思ってるのではないか?
では何のために稽古するのだろう。
先生に習ったからというだけで、納得できないまま、単なる習慣として繰り返しているのだろうか。
あるいはスクワットなどと同じような、体力強化メニューと考えてやっているのだろうか。
実際そう割り切ってこなしているかもしれない。
しかし、体力養成なら他にいくらでも方法はある。
初心者ならともかく上級者が移動稽古をどれだけこなしたところで、今の大会レベルで要求されるほどの体力は作れない。
一方で、こうした「無用の」稽古をするより、もっと組手に直結した稽古をすべきだ、という意見もあるだろう。
組手のための型、組手のための移動稽古といったものを新たに組み立てていった方がよい、と。
(つづく) じゃあやっぱり分解組手は使えない事をやってんだね
型だけしか稽古しない先人が作った型を練習して
あとからこじつけた分解を信じて稽古してる人は
何してるんやろね
そうそう世界を獲った所の選手はパンを食べてたからパンを食べれば今より強くなれるよ
0.05%くらいは差が出る
もちろんパンだけじゃなく基本稽古や組手もやらないとダメだけど (二)
組手では学べないものを学ぶ
(承前)
しかし、これは間違いだ。
移動稽古を単に初歩的な突き蹴りや受けの練習と考えては、大切な目的を見失ってしまう。
移動稽古には移動稽古の、組手には組手の目的がある。
目的とはつまり「その稽古で学ぼうとしていること」だ。
その学ぼうとするものによって、稽古の姿が違ってくるのは当然なのである。
組手の稽古では明確にならないものを見つけ出すために移動稽古をがあり、型がある。
そしてそこで学んだものこそが、実は組手にもっとも必要なものなのだ。
では、なぜ形が異なるのか。
それはより自覚的な体の運用を覚えるためだ。
決められた形にはめ込むことによって、望ましい姿勢、全身の協働動作、力の運用の要点がはっきりと自覚できるのである。
スタンスが広く腰を落とした基本の構えは、決して自由な姿勢とは言えないだろう。
言い換えれば、自然な立ち方よりも条件が厳しいフォームである。
しかしそれゆえに崩れ、歪みが自然の構えよりあらわに分かる。
逆に言うならば、組手の構えは横着な構えであり崩れやすく、また崩れを自覚しにくいものなのだ。
移動稽古で崩れを自覚してこそ、正しい方向へ修正し、よいものを作り上げていくことができるのである。
(つづく) 型を作った人達が組手もやってなかったのに
型をやれば組手が強くなれるってなんだかな
船越もビックリやで
まぁ組手の為の型を組み立てろって言うてるから
それが全てなんやろね
型アンチの「これからこじつけろ」と同じようにしか聞こえんわ ちなみに俺が習った沖縄の流派は極真のようや深い立ち方はせえへんで
横着な型やったんな
苦笑いや >>669
>長々と書いてるが俺の主観というよりは廣重毅さんの書いたことだから
だから>>654で言ってるでしょ?
あの○○先生がそう言ってるからきっとそうなんですよ、僕もそう思います、だから型は使えるんです
というレベルの話でしたらもうお腹いっぱいなのでお引取りを。 (三)
正しい姿勢は正しい呼吸のもと
(承前)
ではここで学ばなければいけないものを列挙しよう。
まず正しい姿勢、バランスの取れた姿勢である。
正確な姿勢とは、一言で言ってしまえば、正しい呼吸がちゃんとできる姿勢のことだ。
すなわち背骨、体の軸が垂直に立った、どこにも歪みのない姿勢である。
何だ当たり前ではないか、と言われるかもしれない。
そのとおり当たり前のことなのだ。
しかしこの当たり前のことを、いつでもどんな動きの中でも実現している人がどれほどいるだろうか。
ただつっ立っているならともかく、動きながらのことなのだ。
突き蹴り、あるいは受けをしながら体重移動を行う。
その一連の動作のどの瞬間を取り出して見ても、つねに体軸はまっすぐでなければいけない。
ましてそれが相手のいる組手の中であったらどうか。
これは容易なことではない。
だからこそ、この移動稽古の中でこつこつと作り上げていくのだ。
そして背骨が垂直に立ってこそ正しい呼吸ができるということ。
これがもう一つのポイントである。
腹式呼吸が武道の基本というのは常識だが、腹式呼吸で腹、つまり丹田に息を落とすには、体軸がまっすぐであるというのが絶対に必要なのだ。
息は垂直にしか落ちない。
傾いた姿勢、歪んだ姿勢では満足な呼吸すらできないということだ。
これがどれほど重要なことかは、いくら強調してもしすぎることはない。
また、こうして正しい姿勢を維持しようとすることは、バランス感覚のよさにつながる。
どんな動きをしても、つねに姿勢が崩れないということの大切さは、組手を考えてみればすぐに分かる。
腰の決まった突きでなければ威力は生まれない。
蹴りを放った後で体勢を崩してしまっては何にもならない。
相手の攻撃を捌く時、バランスが悪ければその圧力に押し込まれてしまうだろう。
ピタッと決まった姿勢はパワーも生むのである。
(つづく) 型を重視しない支部や先陣も世界獲ってるよね
で終わり (四)
無駄な動きにヤスリをかける
(承前)
つぎに大切な目的に、無駄な動きをなくすということが挙げられる。
なくて七癖、というが、どれほど注意しても悪い癖がついてしまうのが人間である。
これを発見し、ヤスリをかけるように削りとっていくのが基本、移動稽古、あるいは型なのである。
移動稽古では、決められたかたちをくり返し正確に行うため、こうした癖、つまり不要な動きを発見しやすい。
たとえばよく見られる間違いに、追い突きの時に一挙動で進まず、足を踏みかえてしまうというものがある。
これは足指のグリップをちゃんと意識していないということもあるが、明らかに余計な動作である。
1動作であるべき技が2動作になってしまっているのだ。
これをどれほど速く行っても2動作は2動作、1動作には及ばない。
遅いのだ。
それがほんのわずかの遅れであっても、空手では致命的になる。
無駄な動きをなくすことは、そのまま組手のスピードアップに繋がることをよく理解していただきたい。
あるいは体重移動の途中で拳をぷらぷらさせる、というのもよく見られる癖である。
初心者がモーションを付けたくなる気持ちは分かるが、これもまったく無駄な動作だ。
動かさない時は微動だにせず、踏み込んだと同時に一瞬にして突きを放つのが正しい。
よい動作には緊張と弛緩のめりはりがあるものだ。
こうして自然の状態では気づきにくい癖をひとつずつ削っていき、動きはより洗練されたものとなっていくのである。
(つづく) >>668
>型オタの言い分だとあなたの師範も知らない事が本当の型の意味なんだってさ
俺も色々皮肉を言ってきたが、この視点は無かったな。確かに滑稽だわw
>>678
えっ、なんで西洋格闘技する必要あるの?
普通に東洋の格闘技や武道をやればいいじゃん
東洋には唐手みたいな殴り合いしたことない人達が作った護身術モドキと違って
実際に乱捕りしたり打ち合いしたり試合したりの武道や格闘技があるんだしさ。 >>631
結局、客観的なデーターが出せないわけで、使えないと言われてしまえば言い返せないんだけどね。
で、型ヲタはくやしくて、俺の中ではそう思ってるんだ!って泣き言を言ってるだけなんだよ。 >>680
本当の型と言うのは誰も知らないのが大前提だから、
誰かが本当の意味を知ってしまったら本当の型と言うものは
存在しなくなると言うことか
なんともロマンチックな話じゃないか (五)
動作と呼吸を一致させる
(承前)
最後に挙げられるのが、動作と呼吸の一致である。
先に動作についてのみ言うならば、前屈立ちなら前屈立ち、騎馬立ちなら騎馬立ち、そして後屈立ちなら後屈立ちにと、要求されるスタンスに一挙動でぴたりと収めなければならない。
踏み込みと突きの完全な一致、体重移動の完了と腰の決めの完全な一致がここで要求されている。
加えてさらに重要なのが、これらの動作と呼吸の一致である。
体重移動の途中で吸い、踏み込みに合わせて突きが決まった瞬間、フンッと吐く。
吐いた時に息はドーンと丹田にまで落ちる。
先に述べたように姿勢が正しければ、この圧力は腹、背中とともに感じられるはずだ。
この丹田に落ちる力、それこそがパワーの源である。
この瞬間、ぎゅっと握った力から、無駄な力みが消える。
握っていながら力まない状態ができるのだ。
破壊力を出すコツとは、誰でも知っているようにスピードと力である。
だが、スピードを出すために力んではいけないし、力を出すためには筋肉をぎゅっと締めなくてはいけない。
そう、明らかに矛盾している。
この矛盾を統合するのが、ここで学ぼうとしている呼吸の力なのだ。
一挙動で行う技では吐く時に腹が脹れる逆腹式呼吸、連続的に繰り出される技ならば吐く時に腹がへこむ正腹式呼吸を使う。
いずれにしても動作、体重移動、緊張と脱力、そのものすべてに呼吸がついていかなければならない。
移動稽古の段階では、意識的に呼吸をコントロールすることで、動作と一致させる。
言い換えれば強制的に動作と呼吸を合わせることで、両者の統合を図っているのである。
こうした稽古で自分の意識と体を練りあげていけば、いずれ動作に呼吸が自然についていくようになる。
そして、何も考えなくても、どんな動きの中でも腹式呼吸ができるようになった時、稽古の目的は達せられたといえるわけである。
(つづく) (六)
自分の最高の状態を作るために
(承前)
私が生徒の姿勢を細かくチェックし、呼吸のコントロールを厳しく言うのは、そこに彼自身の最上の状態を作り出したいからだ。
きちんと移動傾向を行えば、誰でも動作と呼吸、意識と体の一致した、その人なりの最高の状態を身につけられる。
ここをおろそかにしてしまうと、先に進んでも結局いいかげんな組手しかできないことになってしまうのである。
だから今学んでいることの重要性をよく理解してほしい。
バランス、姿勢、無駄のない動き、呼吸……移動稽古で要求しているのは、実は全日本選手権の決勝戦で要求されているものと同じなのだ。
(「移動稽古の目的 刺青・呼吸・バランスを学ぶ」の項おわり。次「型稽古の意味 矛盾を統合する」の項につづく) でも不思議なんだよなぁ
型が使えるという根拠を考えたことあるんだが、色々突き詰めていくと
結局「突いたり蹴ったりの動作をしてるから」程度しか無いんだよね。
唐手家がどんな組手してたのかも分からない
どんな分解を教えていたのかも分からない
型にどんな意味が詰まってるのかも分からない
意味が記されている文献も存在しない
つまり今までの歴史上で型を組手で使った、使える、そういう事例がまったくない
唯一根拠になりえるとしたら、それは「型には突いたり蹴ったりの動作がある」くらいしか思いつかないんだわ
そんな薄弱な根拠でここまで使えることに拘る型オタってやっぱ頭おかしいんじゃないだろうか?
そんな事に夢見ず、使えないと割り切って使えるようにこじつけしたほうがよっぽどマシなのにね。
夢見ようが見まいが、自分が型に創作こじつけ行為をして悦に入ってる現実に変わりはないんだからw 最後に「姿勢」の変換を間違えて「刺青」になってしまった 呼吸と動作が一致すれば良い事が起きるかもw
って言う妄想から疑う事から始めた方が良いと思うんだ。 >>680
いや好きな方やれや
東洋武術でも西洋格闘技でも
ウェイトトレーニングガンガンやってマッチョになるのでも
好きなものやればいい
グダグダ言ってる間に歳食って何もやらなかったとかになったらシャレにならんぞ
マジで時間の無駄なんだよ >>687
>>676の文章を見ると違和感が凄いわ
「その一連の動作のどの瞬間を取り出して見ても、つねに体軸はまっすぐでなければいけない。」
「そして背骨が垂直に立ってこそ正しい呼吸ができるということ」
「腹式呼吸が武道の基本というのは常識だが、腹式呼吸で腹、つまり丹田に息を落とすには、体軸がまっすぐであるというのが絶対に必要なのだ」
まっすぐだから正しい、まっすぐじゃないと正しい呼吸はできない、腹式呼吸も当然正しい
というのを何も考えずただただ「正しい」ありきを前提にして話を進めてるから気持ち悪い文章になってる。
人間の背骨はS字を描いてるのでまっすぐに立つことはありえないし
踊りじゃあるまいし体の軸はその都度体勢に合わせて傾くからこそ自由な動きが出来る
腹式呼吸に至ってはもう、とりあえず正しい前提、とりあえず良いものありきで思考停止してる。
おそらく腹式呼吸が空手にとってどう必要なのか、突きにどう関係するのか
それを検証することすらせず盲目的に正しいありきで思考停止してるんだろう。
昔武板で知り合ったあるコテさんに、椅子から立ち上がる時や一歩踏み出すときに
吸うと吐くではどちらが早いかを教えてもらったことがある。ポイントは力強く
立つあるいは安定して立つではなくどちらが早く立てるか、ということ。
そしてそれを元に今度は息を吸いながら突くことによる意外な使い方を教えてもらった。
これもポイントは威力ではなくどういう目的でそれを行うのかということ。Kさんありがとう。 以前も書いたけど、呼吸にしろ姿勢にしろ、その都度その都度目的によって姿勢の是非も良悪も変わる。
まっすぐが正しい場合もあれば前かがみが正しい場合もある。吐くのが正しい場合もあれば吸うのが正しい
場合もある。それは「僕がそう思うからそうなんです」の世界ではなく、物理や人体の自然な法則に寄る。
分かりやすい例でいえば、様式で排便をする時に背筋をまっすぐしてれば正しい排便や自然な排便が行えるのだろうか?
残念ながら見た目がいくら良くても自分がいくらそう思いたくても、体にとって自然なのはやや前かがみの姿勢(35度)
であって、誰に教わらなくても多くの人がそれを行っている。それが一番人体にとって効率良く自然だからね。
だけどこれが事空手に限っては、何故か「まっすぐな姿勢!」「腹式呼吸!」を標榜するだけして思考停止になる。
とりあえず世間で正しいとされてるものを標準としてれば問題ないよね? 間違いじゃないよね? 検証なんて面倒だし
という怠惰な心の弱さが垣間見える。まあ、そこら辺も研究した上で腹式呼吸だのまっすぐな姿勢だのなら別にいいんだけどね。 >>688
「殴り合いしたことない人達が作った護身術モドキ」の部分の言及を
避けるあたりはさすがですなあ。
>>681
>で、型ヲタはくやしくて、俺の中ではそう思ってるんだ!って泣き言を言ってるだけなんだよ。
「俺の中での型の本来の意味はこうなんだ!」を「俺の中で型の本来の意味はこうこじつけた!」にすれば
苦しみから解放されるのにねえ。やってる事も結局こじつけって事では一緒なのに。何故そうしないのか分からん。 >>691
バカかてめぇは
そうやって一生くだらねぇ論議してろや
お前みてーな奴は一生武道も格闘技もやらずに終わるわ
なんだかんだ理由付けて実践しないタイプだわ >>692
昔の唐手家が組手したことないのがそんなに都合悪い?w
俺は型肯定派だけど全然都合悪くないけどね。
昔の会ったこともない沖縄人が強かろうが弱かろうがどうでもいい。
そう思える俺は心が強いのだろうか? 残念ながら心が強いのではなくて
本当にどうでもいいからどうでもいいという当たり前の結論。
これ読んでる人も、一度真剣に考えてみればロジックが解けるよ。
「あ、これ本当にどうでもいいわ」ってなる。
大事なのは「今」使える技術があるかどうかであって、「過去」がどうだったかではない。
「俺は改変されてない古い型を習ってるんだぜ〜!」とか
「俺はあの有名な唐手家の系譜の道場で習ってるんだぜ〜!」とか
そういうのが心の拠り所の人達は都合が悪いから認めにくいだろうけどね。
みなさんは「今」と「過去」どっちに心の拠り所があるタイプかな? >>693
お前はお前がこれだと思った武術をやればいい
そうやって欠点だけ探して他の武術をバカにしながらやらない理由を探してる
しかもなんかすげー長いことそんな事やってんだな
いい加減自分でやらない理由を探すのやめたら?
本当に武術格闘技やる気が無くなったのならこんなとこに来るな
ただ実践者をバカにするだけの為に来るな
126ってどんだけやってんだよ病院行ってこい >>694
ん〜〜〜
いやね、俺はバカにしてるつもりはサラサラないよ?
こう書くとウソ臭くなるけどさ、自分で言うのもなんだけど、俺はむしろ
型が好きだけど型の意味が分からずコンプレックスを抱えてる人とか
型が好きだけど改変された型しか習えずコンプレックスを抱えてる人とか
古い唐手に幻想をもってるけど近くに唐手の道場が無いから仕方なく
競技主体のフルコンや伝統派を習ってる人とか、
そういう人達に「コンプレックスなんか抱く必要ないよ」と救いの手を差し伸べてるだけなのよ。
そして空手界が今後より良く発展していくためにどうすればいいか、その中で遅れを取っている沖縄唐手が
今後どういう方向で進むべきか、そういったアドバイスも色々してるんだぜ? 感謝して欲しいくらいだよ。
俺の書き込みを読んで不快になるってのは、都合の悪い現実を指摘されたと思ってるからだよ。
今まで俺が指摘してきたことをちゃんと理解してる人は「こいつ何当たり前のこと言ってんだ?」
と気にもとめないし別に不快にも思わないハズだよ。かといって愉快になるとも限らんけどさ。
まあ結論として、俺はバカにしてんじゃなくてみんなのためを思ってあえて心を鬼にして書いてんだよw まあ、いっか。いくら言っても理解しない人はしないだろうしな。
そういや話はまったく変わるけどガルパンの3話が公開されたんだってな。週末見に行ってみっか。 やはり頭おかしかったか
そして当然のように空手未経験者だったな >>684
>私が生徒の姿勢を細かくチェックし、呼吸のコントロールを厳しく言うのは、そこに彼自身の最上の状態を作り出したいからだ。
>きちんと移動傾向を行えば、誰でも動作と呼吸、意識と体の一致した、その人なりの最高の状態を身につけられる。
何をもって呼吸と意識と体の「一致」としているのか。そもそも最上の状態とは何か。
そこら辺を非常に曖昧にして、何となくそれっぽい事を言おうとしている、何となくそれっぽくなってればそれでいいや
という感が凄く強い。
「なんとなくそれっぽくなってればそれでいいや」ってのは三戦が分かりやすい例で
カーハー息を吸ったり吐いたり、バンバン叩かれて筋肉をギチギチ締めてれば『何となく』
武術っぽい練習した気になれるってのと変わらない。そしてそれは何の解決にも発展にも繋がっていない。
じゃあ悪いことかといわれたら別に悪くない。本人がそれで謎の充実感を得られるからね。まさにオナニー。
>>672
>移動稽古を単に初歩的な突き蹴りや受けの練習と考えては、大切な目的を見失ってしまう。
>移動稽古には移動稽古の、組手には組手の目的がある。
ここら辺も違和感がヒドイな。そもそも稽古で練習って時点で何かおかしくない? 俺は結果的にだけどバカにしてんのは型オタだと思うんだよね
分かりやすい例で「隠されていた空手」なんて「お前の流派はニセの空手を教えられたんだ」
っ言ってんのよね
「本当の空手」も同じようなもの
当破が本当の空手の突きなら、出来ない流派は本当の突きじゃないの?
本当の分解ならそれが伝わってない流派は本当の空手じゃないの?
まぁこれは沖縄空手が流行りだした頃に「俺の流派には本物の技術は伝わってないんだな」って
思ったという経験から言ってるんだがw
本当の空手を信じてる人は自分の流派をどう思ってるんだろうか? >>693
ほんとそう。
総合だって30年前の技術はダメダメで試行錯誤されて今に至る。
昔未完成だったからと言って総合を否定するのは完全に間違ってるよね
空手が生まれたその瞬間から完全無欠の技術体系が出来上がるはずないじゃん。
普通に考えればわかる事なんだけどね。 空手はいうなれば柔道剣道と違って戦後始まった新興格闘技だな。
寸止めとフルコン。仲がめちゃ悪いけど。
そして最近になって大昔から踊りのように伝えられてきた型を
実戦として解析する動きが出てきたと。つまり型解析運動は21世紀の新興格闘技だな。
まあ型に内容があったとしても口伝が失伝したと。その解析をしたら
みんながみんなまったく違う解釈だと。それで互いが「どいつもこいつも
勘違いしてる」と馬鹿にしあってると。残念ながら基盤はものすごく
ぜい弱だと思う。
顔面ナシも寸止めも、格闘技として不完全で歪だ。だから実戦で使えるべき
技術を求めるのは必要だと思うので型解析は俺は必要だと思う。
だけどそれは従でないと。型解析は主にしちゃいけないと思う。
戦わない口先だけの輩になってしまう。 (七)
型稽古の意味
矛盾を統合する
動作と呼吸 意識を繋ぐ
さて、[移動稽古]の次は[型]である。
案外、誤解されているようだが「移動稽古をより複雑高度にしたものが型」ではない。
逆だ。
空手の稽古というものは、まず初めに型があったのである。
基本も移動稽古も型から派生したものなのだ。
したがって前項で学んだ正しい姿勢、無駄のない動作、動作と呼吸の一致といった要求も、もともとは型のなかで稽古すべきものだった。
ただ、初心者がいきなり型を行っても、これらの要求を満たすのは難しい。
そこで空手普及の過程で、型の動作を区切って練習することが行われるようになっていった。
それが移動稽古の始まりである。
型の稽古はいくつもの技を繋いで行う。
繋ぐのは動作だけではない。
技から技へ呼吸も繋がなくてはいけない。
さらに意識も繋ぐ。
一連の動作の中で動作と呼吸と意識とを繋ぐのである。
意識して行わなければならないのは、やはり背骨を真っ直ぐ立て、呼吸を丹田に落とすこと。
足指は床をつかみ、股関節、膝、足首を柔らかく使う。
体重移動の途中では一切無駄な動作をせず脱力し、そして技を発する瞬間には、ぴたりと腰を決める。
大切なのは、全身の強調とバランスの一致、これを始めから終わりまで意識して稽古することだ。
こうした意識的な稽古をせずに、単に形だけを追うのなら、型はただの踊りとなってしまうだろう。
型を踊りにするか武道の鍛錬にするかは、稽古する皆さんの意識ひとつにかかっている。
(つづく) こんなに労力さいて書き起こすってことはよほど感銘をうけたんだなw (八)
丹田が脳(=意識)をコントロールする
型稽古をすることで何が得られるのだろうか。
一言で言ってしまえば丹田の充実である。
型は丹田を鍛えるためである。
なぜ、鍛える必要があるのだろうか?
それは鍛えた丹田を通して脳(意識)をコントロールするためだ。
人は丹田経由で脳をコントロールすることによって、はじめて自分の全身を自在にコントロールできるようになる。
人間の動きは、もちろんすべて脳(意識)でコントロールされている。
しかし、この脳、実はなかなか自分の思い通りにはならないものだ。
皆さんにも経験があるだろう。
たとえば苦手な相手を前にして、固くなってはいけないと思いつつ、やはり固くなってしまったということはないだろうか。
あるいは思いもかけない事態に出くわして、動きが止まってしまったというようなことは?
きつい競り合いの中、前に出ようと思っていたのに、体が前に出ていかなかった経験はないだろうか。
いずれも分かっていてもどうにもならないことばかりだ。
自分の意志に反してバテてしまい、しかも不利な方へ不利な方へといってしまう。
いわばコントロール不能の状態である。
丹田にずっと意識を持ち続けていないと、こうした心身の不一致が起きるのである。
丹田を鍛えるとは、つまりは呼吸法を行うことである。
自分の内部の動きのうち、意志の力でコントロールできるものといえば呼吸だからだ。
型を練る中で腹式呼吸をし、息をドーンと下に落とすことで丹田が充実する。
この時に、丹田を呼吸に落としやすいフォームというものがある。
それがつまり前屈立ち、騎馬立ちといった基本的な立ち方である。
それはまた反面、「実戦的な立ち方でない」という理由で型が疑問視される元となったフォームでもある。
しかし、組手と型は稽古の目的が違うということを理解しなくてはならない。
整理してみよう。
呼吸のコントロールが丹田を強化する。
充実した丹田は脳の働き、つまり意識をコントロールする。
そして正しく働けるようになった脳(=意識)は、正しく全身をコントロールする。
これが呼吸と丹田と脳に(意識)の関係である。
(つづく) (九)
イメージトレーニングとしての型
したがって型を稽古する時には、まず丹田のイメージか重要た。
その意味では型は一種のイメージトレーニングと言えるだろう。
断っておくが、ここで言っているのは、敵を想定した組手のシミュレーションという意味ではない。
イメージするのはあくまで自分の内面の世界だ。
ご存知のように、人体を解剖したところで、丹田という臓器があるわけではない。
心身の働きの中心を求めれば、それがへその下に意識できるということだ。
もともとがイメージでつかまえるものなのだ。
中国拳法でも「意守丹田」という。
イメージならば現実には見えない自分の丹田を見、呼吸の流れ、エネルギーの流れを見ることができる。
型を行いながら、一つひとつの動作に応じて逆腹式呼吸、あるいは正腹式呼吸をする。
その瞬間に筋肉が緊張し、動作つまり技が決まるのである。
イメージによって、こうしたプロセスをありありと見つめるのである。
一人で三戦(サンチン)の型を稽古する時、私は深い瞑想に入るここのことができる。
自分の内面に入り込むには、まず自分のまつげを見つめる。
そうすると額の天目というツボ ー眉と眉の間よりやや上の部分ー に精神が集中する。
このことが意識を外部から内面へ向かわせるのである。
そして呼吸法とともに型の世界に入り込んでしまえば、すでに外界からは完全にシャットアウトされた境地である。
そのなかで私は、体内を巡る気の流れをはっきり感じ取っている。
おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法たったのだろう。
これは1回の稽古でそう何度もできるものではないが、継続して練れば大きな効果があるものだ。
(つづく) (十)
(承前)
ちなみに「まつげを見つめる」という意識の使い方は、仏教の言葉から発想したものだ。
こんな句である
「仏法は瞼(まぶた)の上のつるし物、あまりの近さに見る人もなし」。
これは
「悟りというものは、自分のまつげのように目の前にあるものだ。
人は特別な事のように思って他を探してしまうが、そうではない。
朝起きたら顔を洗い食事をする、当たり前の事を当たり前にするという、日常の中にこそあるのだ。
だが、あまりに身近すぎるので誰も気がつかない」
と解釈するのが普通である。
こういう教えを教学という。
宗教で一般の人に説明するのなら、もちろんこれでよいのだろう。
ただ私は極意とか悟りとをあらわす教えに必ず二面性があると思っている。
もう一つの面が、実際の修行者に教える実学である。
そこから実際にまつげに視線を持ってきたらどうかと考えたのだ。
教学と実学の違いで言うならば、空手はあくまで実学であるからだ。
(つづく) (十一)
型稽古の三つの意味
イメージトレーニングの話に戻ろう。
型には、もちろん相手を想定したイメージトレーニングとしての面もある。
一般的な型の解釈としては、まずこれが第一義である。
ただし「相手がこう来たから、こう受けて…」式にのみ捉えてしまうと、ピントがずれた稽古になってしまう危険があるので注意したい。
現実にはこれが主流である。
しかし大切なのは型を行う時、型が要求している呼吸、姿勢、バランス、緊張と脱力、そのすべてを満たす事だ。
実際の闘いは千差万別であり、型にあるような状況になることも、型通りに技が決まることもまず有り得ない。
ては闘いの何をイメージするのか。
これは実際に打ち合った時に受ける相手の圧力、衝撃である。
そしてまたその時自分の中で起こる反応をイメージするということだ。
反応の中でも最も大切なのは、呼吸による丹田の爆発であり、それに連動した筋肉のコントロールである。
たとえば相手の蹴りを下段払いで受けたとイメージするならば、その蹴りの衝撃をありありと思い浮かべ、実際に蹴りを受けても崩れない体勢を作るのだ。
つまりここでは一種の理想化された攻防を行なっているのである。
理想化されているのだから、自分の最高の状態での闘いが可能だ。
組手ではついつい力んでしまう者も、息が上がってしまう選手も、イメージの中では意識的に欠点を直すことができるだろう。
これが型の解釈の第二義である。
そして第三義についてはすでに述べた。
自分の内面を見つめるイメージトレーニングである。
(つづく) (十二)
型稽古の現状
ここで述べている型稽古の解釈は、むろん私自身の解釈である。
そう考えない人も当然いることだろう。
ただ、その解釈すらしないで稽古してる人も多いのではないか。
稽古する者の心の問題でもあるのだが、型に意義があると思わずに稽古している人がいる。
しかし「こんな稽古は無駄だ」と思いながら型を行なっているとしたら、それこそ無駄以外の何物でもない。
さっさと他の道場なり先生なりを探しに行ったほうがいい。
教える側にも問題がある。
型の意義を問いなおすこともせず、そのくせ口では「型が大事なんだぞ」などと言って、わけもわからず型と移動を繰り返させる。
これはたしかに無駄な稽古だ。
こんな指導者が多いのもまた事実である。
「型が大事だ」と言って型を指導する以上、型稽古の中から生徒の能力を伸ばしてやる責任があるはずだ。
どうだろうか。
(つづく) (十三)
型と組手は串団子である
「型と組手は、空手という車の両輪だ」とはよく聞く言葉である。
両方とも同じくらい大事なものだ、という意味なのだろうが、私にはどうもぴんとこない。
両輪と言うからには、これらは左右別々に独立したものということになる。
しかし同じ空手の稽古がどうして左右別々になってしまうのだろう?
両輪と言うからには、一方の稽古をやらずにいると車(=空手)は動かなくなるはずだが、実際にそうではない。
私にとっては型も組手も同じものである。
根本の原理はまったく同一、行う状況と稽古の目的が違うので、結果として表に現れる姿が違うだけなのだ。
だから私は「型と組手は串団子である」と言うことにしている。
一本の串、つまり空手の根本原理で貫かれた、同じ団子なのだ。
かつて50人組手を行った時(1991年。当時43歳)、私はそのすべての闘いを、型を表現するつもりで行った。
見る人によっては、地味でつまらない組手に映ったかもしれない。
しかし、私は自分の理想とする空手の表現を試みたのである。
きちんと学んでいくならば、組手であろうと試合であろうと、それは型の延長なのだ。
むろんより厳しい、一番厳しい稽古が組手である。
相手がいて自分の思い通りにならない状況で、なおかつ型と同じように呼吸できなくてはいけない。
同じように足の運びができるだろうか。
体の緩め、締めをコントロールできるだろうか。
組手ではそれが問われる。
だから大山総裁は「空手の命は組手にある」と言われたのだ。
もし組手の中で実現できないものがあるとすれば、結局のところ型の中でも本当には実現できていないのだ。
(つづく) (十四)
型稽古の重み
型をおろそかにすると、空手はうまくならない。
これは事実だ。
型や移動稽古が足りない選手の組手は一目見れば分かる。
技に重みと軽やかさがないのだ。
大地に根を生やしたような重みと電光のような素早さがない。
言い換えれば威力がない。
こういう選手は、どうしても技の未熟さから力に頼った組手をしたり、手数中心でポイント稼ぎの戦法を取ったりするしかなくなる。
しかし、これではつまらないだろう。
自分勝手な組手ばかりやっていると、技が荒れてくることがある。
自分勝手な組手とは、ルールに縛られた組手である。
このルールならこの手があるといった目先の勝ち負けに追われるばかりに、雑な動きや悪い癖が染み付いてしまうのだ。
こうした荒れ、崩れを削り落とすためには、やはり型や移動稽古がいい。
大会中心の稽古をやっている選手諸君も、オフシーズンには型を練って崩れを修正するべきだ。
全日本クラスの選手でもちょっと油断していると、いつのまにか余計な癖がついていたり、バランスが狂っていたりする。
そもそも組手の構えというもの自由で動きやすい反面、ちょっとした体重のかけ方の違いなどで崩れやすい一面がある。
しかも、これは自分ではなかなか気づきにくいものだ。
それを見つけ出すという点でも、型や移動稽古は非常にいい稽古なのだ。
(つづく) (十五)
矛盾を統合する道
空手が求めるものは考えてみれば互いに矛盾するものばかりだ。
筋肉を一瞬にして締めよと要求する一方では、無駄な力みをなくして脱力せよと言う。
蝶のような軽やかで素早い運味と同時に、大地に根を生やしたような重みもほしい。
すべてが矛盾だ。
だがその矛盾を矛盾のままで統合していく手段が、型という稽古なのだ。
呼吸という方法、丹田の力で矛盾する要求を満たす入れ物、それが型だ。
「型稽古の意味 ー 矛盾を統合する」の項おわり
(つづく) (十六)
指導するということ
才能と基本
大会に出て優勝する、という点で見る限り、空手は才能の世界である。
才能のない者は決して優勝できない。
才能のあるなしの差は冷酷なほどである。
空手のセンスという点で言えば、100人中10人はいいものを持った人間がいる。
さらにその中の数名に、これは本当に素晴らしい才能の持ち主がいる。
考えなくても体が勝手に反応するような機敏な動き、教えようとしても教えられない肉体そのもののセンスを持っている。
問題は、そういう人間にとっては基本なんてものは退屈なだけ、ということだ。
何しろ特に苦労なく、何の技でもそれなりにできてしまうのである。
基本や移動稽古、型を練って呼吸やバランスを学ぶなと、どうでもいいことに思えてしまう。
それよりは組手で相手をやっつけていた方が楽しい、というわけだ。
そしてまた実際、基本をきちんと積み重ねてきた生徒に勝ってしまうのである。
人を作っていく息の長い修行という面では見てみるなら、言ってみればフルコンタクトの空手は向いてない部分がある。
まず殴り合ってしまうからだ。
それですぐに結果が出てしまう。
どんなに基本を無視しても勝てば官軍である。
これではなかなか基本の大切さが理解できない。
(つづく) >>693
>みなさんは「今」と「過去」どっちに心の拠り所があるタイプかな?
私は「過去」だね
というか、空手の型なんて試合だろうがルールのない喧嘩だろうがあらゆる意味で使えるとは思っていないから
沖縄の中の一部での伝統的身体思想という意味において型に興味があるので
それが現実に即していようがいまいがどうだっていい
踊りと言えば踊りですわな。伝統舞踊のようなもの。
自分は沖縄が好きなので興味を持っているだけです。
とはいえ、それが9割ぐらいだけどw残り1割ぐらいになんか「本物」があるんじゃないかとかみたいな
幻想が捨てきれないと言うのも確かにあるww
だから、秘伝系の人山城氏とかウシロ氏とか新垣氏とかの話や本とか気づいたら買ったりして
ほうほうなるほどて読んでるけど、実際は話半分というか3分の1ぐらいにしか聞いてないw あらゆる意味において「強くなりたい」なら格闘技やるしかないよ?
若かろうが歳とろうがそれしかない
格闘技は歳とったらできなくなる?武道の型なら歳とっても強くなれる?
バカな事言うんじゃない
何歳か分からないけど、50、60でも格闘技ジムで習えばやった分だけは強くなるよ?
そりゃ20代のプロとやって勝てるかとか言ったら死ぬけどさww
50、60で型稽古しかした事ない武道愛好家なんかより圧倒的に強くなれる
40、50ぐらいなら言うまでもなくジム通いした方が伸びる、大怪我しなければね。
型稽古じゃ怪我はしにくいかもしれないけど、元々怪我する恐れのない練習してても強くなんかならない
歳とった空手の先生で強い人が居るというのは、型で強くなったんじゃなくて
昔から試合やりこんで強くて、歳とっても体が丈夫な人がたまたま残ってるだけです >>699
>本当の空手を信じてる人は自分の流派をどう思ってるんだろうか?
まあ、身を入れて稽古はできないだろうね。自分の会派や習ってる先生を
どっかで蔑む気持ちもあるんじゃないかな? だって型の分解について質問
をしても答えられないか非現実的な攻防の解説をされるんだもの。
で、なるほど〜って言いつつ内心ではこの人は本物の分解を知らないんだろうな、と。
でも前にも言ったけど、これは別にこの先生が悪いか?と言われたら別に悪いとは思わない。
この先生の先生がそもそもそういう分解しか教えてくれなかったんだろうし、大元を辿れば
琉球の時点でロクに分解なんか無かったんだからさ。居合いやってる先生に「鎖鎌の分銅が
この角度でこう来たら居合いではどう対処しますか?」って聞いても答えに詰まると思うよ。
弓道で遮蔽物に隠れた相手をどうおびき出すか?なんて質問するのと同じで、これは聞くほうがバカ。
そもそもそういうもんじゃないんだから。自分の先生が組手の技術についてあやふやだったり非現実的な
ことを言ってるのなら別だが、研究しなくても組手の強さに影響ない型なんかの質問に答えられなくても
あるいはこじつけとかしてこなくても、それは生徒の一方的な押し付けであってやっぱ先生は悪くないと思うの。
つーことで、質問する型オタが夢見すぎかと。
>>700
型を捨てた空道の東先生とか、あと寝技を取り入れた禅道会とかさ
型を信じてた当時の俺は「こいつら邪道だな」って素で思ったけど
今となってはその是非は置いといて、一歩を踏み出したという点では
とても評価できる。踏み出さず夢を見たがる人が多すぎる世界だもの。 >>719
沖縄は組手をやる土壌が存在しなかったから技術が発達しなかった。
では、組手(対人稽古)をやる土壌がある土地だったら?
唐手は船越が普及に来る50年以上前の明治の終わり頃にはすでに存在した。
そして船越以前にも本土に沖縄の人間は学生や社会人が沢山移住しにきてる。
信じるか信じないかはまかせるけど、船越以前に本土にもたらされた唐手が
あったとしたら? おそらくそれは唐手じゃなく全然別の武術に見えるだろうけど
型は存在するからそれを見ればやっぱり唐手なんだなって分かる。正拳ひとつ
とっても全然違うけど唐手と違って型と組手がリンクしてて自由組手でも攻防が出来る。
そういう前例があるから、俺は今からでも遅くないから技術を構築しろって言ってるの
だけれどまあ誰も信じないわな。1週間遅れのエイプリルフールってことでひとつ。
>>720
一言一句正論。テンプレに張ってみんなに読んでもらいたいレベル。 空手を習うならフルコンだろうが寸止めだろうが道場の稽古内容の半分は型と
基本にとられる、いや、俺はフルコンしかしらないが。
フルコンがそうなんだから伝統派は半分以上かもしれない。
型が無駄だと思ってたら道場稽古の半分は無駄。
だから型に意義があると思って型に真面目にとりくむか、
すっぱり空手はやめてキックボクシングか総合やるかどっちかのほうがいいと思う。 >空手が求めるものは考えてみれば互いに矛盾するものばかりだ。
筋肉を一瞬にして締めよと要求する一方では、無駄な力みをなくして脱力せよと言う。
全然矛盾してなくない?
脱力していないと次の動作に移るのにいちいち脱力しないといけないから、無駄な力は抜いて技を決める瞬間には筋肉を締めて当てを入れるんだから、こんなのごくごく当たり前の筋肉の使い方の話であって、何も矛盾してないんだけど?
これで型をやれば矛盾がなくなるとか言ってるのが有名な空手の先生なの? 有名な空手の先生の著書のお言葉だから有難やーと思考停止して型は素晴らしいと結論づけたいの? 例えば日常生活で箸を使って食事をする時に箸を力いっぱい握りしめ続けながら食べる人なんていないよね?
自然と脱力しながらオカズをつまむ時に最低限の筋肉の締めを使い口に運びまた脱力する。
ごくごく当たり前の人間の筋肉の構造上の使い方であって、これが空手というフィルターを通すと、やれ空手は大きな矛盾だらけだの、やれ矛盾を矛盾のまま統合するのが型だの、丹田ガー、呼吸ガー、と大袈裟な話になっちゃうから笑っちゃうよ。
型を通して丹田と呼吸で矛盾を統合しないと箸を使って食事もできないのかい?
こういうレベルの話なんだぞ(笑) 型を研究するのはいいと思う。
昨日も書いたがフルコンも寸止めもどっちも実戦性からは大きく剥離してる。
だから型を研究して対人稽古して実戦で使えそうな技を身に着ける。
その型の技自体の有用性はさておき、フルコンで身に着けたパワー、もしくは
寸止めで身に着けた速さがあればそれは凄い武器になるだろう。
そういうバックボーンなしではどれほど有用かはわからないが (十七)
(承前)
また基本的なことをやらなくとも、結果的にそれに代わる稽古をしているという場合もある。
例えば腹圧をつける稽古を特にしなくても、ウェイトトレーニングでスクワットをやっていれば、自然に腹圧も鍛えられるのである。
そういう者には腹圧強化の鍛錬など無意味に見えるだろう。
バランスの問題にしても動揺だ。
スキーをやっているので自然に体重を足の裏のどこに置くかが身に付いている者もいる。
知らず知らずのうちに習得した彼らにしてみればバランスをとることなど、特に意識するべきことではないだろう。
だがその”意識して”身につけたか否かが問題なのだ。
そんな彼らも、全日本選手権に出るとなると話が違ってくる。
そこで優勝を争うような人間は、誰もみな才能に恵まれた人間だ。
そこではじめて差が出てくるのだ。
基本的なことを無視して自分の才能・センスだけでやってきた者と、きちんと自分の空手を作り上げた者との差である。
ギリギリのところで競った時、センスだけでは競り勝てない。
ほんの少しの差ではあるが、無駄な動き、悪い癖が致命的になる。
(つづく) (十八)
(承前)
これは(128人から4回の試合を勝ち抜いて絞られた)ベスト8あたりの人間の話である。
何万人といる極真の中のベスト8。
そこまで行ってやっと気が付くことが基本の大切さ、なのだ。
いや、行ったとしても気がつくような者は少ないかも知れない。
(中略)
全日本選手権トーナメントの決勝のある2日目に残る32名は、総勢128名の中でもかなりのものである。
それなりに強い。
地方ではトップレベルといえるだろう。
ベスト8に入るのは、そこからさらに一段抜けている。
またベスト8に入れる者とベスト4に入れる者とは何かが違う。
そしてベスト4には入れるが決勝には行けない者がいる。
同じような感じがするが大きく違う。
そして最後に決勝までたどり着く者。
その差はよほど考えて稽古を作ってこないと絶対縮められないものだ。
「指導するということについて」の項目おわり
(つづく) >>723
道場はそんなんだろうね
余程試合志向のとこじゃない限りは
型教えてる方が楽だから
試合志向の部活とかだと違うだろうけど
大学の極真サークルなんて型なんかほぼやった事なかったわ >そんな彼らも、全日本選手権に出るとなると話が違ってくる。
そこで優勝を争うような人間は、誰もみな才能に恵まれた人間だ。
そこではじめて差が出てくるのだ。
基本的なことを無視して自分の才能・センスだけでやってきた者と、きちんと自分の空手を作り上げた者との差である。
ギリギリのところで競った時、センスだけでは競り勝てない。
ほんの少しの差ではあるが、無駄な動き、悪い癖が致命的になる。
これって前提として型に組手に役立つ意味が明確に存在しないと成立しないよね? 極真の大会で型を真剣にやってた人達が優勝してるならそうだろうね
実際には型を真剣にやってない人にも負けてるから終わり
単に自分がそうだって思い込んでるだけで 引用してる箇所は指導者として含蓄に富んでるけど
それは大会に出て優勝するにはどういう気持ちで日々の稽古を・・・
ということだから型はこれにかんしては関係ないな。
広重師範のスタンスとして型は明言してないけどオフシーズンの
フォームの矯正くらいにしか考えてないようだ。「これは持論だが
型の下手な奴は組手も下手だ」と言ってたから無価値だとはおもってないようだけど (十九)
空手を語る
基本について
基本の立ち方、構えというものは、要は根本の部分がきちんと押さえられていればいいのである。
たとえば引き手が腰にくるとか、いや脇の下にくる、といった違いなどは実はどうでもいいことだ。
大切なのは体軸かまっすぐ立っているか、腹式呼吸がちゃんとできているか、体重移動がスムーズにできるか、姿勢が崩れていないか、といったことである。
ちゃんとした基本の形は、どの流派であれ、こうした条件を満たしているものだ。
本質的な部分についての考え方さえきちんとしていれば「私の流派はこうだ」と決めていけるなら、それでいいのだ。
引き手の位置など別にどうでもいいことだ。
澤井健一先生(太気拳)から習った立禅、這、練といった稽古も、つまるところ前屈立ちとか後屈立ちといった稽古と同じだ。
呼吸を身に付け、動きを作る。
基本に関しては空手も太気拳も同じだと思う。
もちろん現実に言えば流派が異なるのだから違いもある。
たとえば意拳では意守丹田とは言わない。
しかし大本の部分は変わらない。
いかにそれをきちんと身に着け、自分のものにしていくかだ。
(つづく) (二十)
型について
よく「基本に返れ」などという言い方をする人がいる。
空手の大本の部分に目を向けよ、ということか。
しかしそれを言うなら「型に返れ」の方がふさわしい。
もともと空手には基本はなかった。
型があったのである。
それが変わったのは本土に渡ってきた時である。
当時の空手を学んでいた学生たちが、自分たちが型を学ぶために基本や移動稽古を作り出したのである。
まず型があって、そこから基本や移動稽古が生まれたのだ。
だから他の武道のように「基本に返れ」と言うと妙なことになってしまう。
もっとも他の武道も事情は一緒なのかもしれない。
たとえば剣道にしても、もとは組太刀(くみだち)という型が先にあって、そこから基本が生まれてきたものだろう。
空手の源流となった中国拳法も套路(とうろ)という型稽古が中心である。
型は先人の智慧が凝縮したものだ。
昔は型だけを練ることが修行だった。
実際、型だけを練り続けて強くなることは可能だと思う。
ただし、そこには膨大な時間と根気が必要だが。
本書の読者は組手で強くなりたい人たちだろうが、そういう方にこそ型を大切にしていただきたいものだ。
(つづく) >>727
>型を通して丹田と呼吸で矛盾を統合しないと箸を使って食事もできないのかい?
>こういうレベルの話なんだぞ(笑)
この先生は、知ってる知識を総動員して何とか型に意味がある、あるいは型を指導する自分の
大義名分にしたいように感じる。でも残念ながら知ってる知識が低レベルで、呼吸に関しては
腹式呼吸って言ってればたぶん間違いないよな、丹田もおそらく大事だし、まっすぐな姿勢が良くて、
だからえ〜とえ〜と、みたいな感じ。本当に自分が理解したり体得したり研究したものじゃないから
どんどんボロも出るし矛盾も出る。とにかく間に合わせればいいや、という突貫工事と一緒でモロいんだよね。
言っちゃ悪いけど、まともな頭をもってる人でこれを読んで感銘を受ける人って居ないんじゃないかな? >>683
俺は他の武道や格闘技から自分良いと思った攻防をパクって秒で型にこじつけろとさんざん言ってきたけど
それはシルエットクイズで何日も何週間もうんうん考えて時間をかけるのが無駄ゆえの提案であって
本来なら型のこじつけなんかよりもまず先に思想を決めるのが先決だと何回か話たことがある。
なぜなら、思想によって分解の内容も戦略も違ってくるから。分かりやすいところでは突きをメインに使う流派と
蹴りをメインに使う流派では分解に違いが出て来るのは当然だし突きにしても一撃必殺と連撃必倒では正反対だ。
それは短距離走と長距離走くらい違う。実際、100mのスプリンターとマラソン選手じゃ体つきがぜんぜん違うだろ?
>>こうした稽古で自分の意識と体を練りあげていけば、いずれ動作に呼吸が自然についていくようになる。
>そして、何も考えなくても、どんな動きの中でも腹式呼吸ができるようになった時、稽古の目的は達せられたといえるわけである。
自分がどういう場に身を置くのかによって、取るべき戦略も鍛えるべき能力も違ってくる。
短距離の選手と長距離の選手では獲得すべき心肺能力も習得すべき呼吸法も当然違ってくるのに
なぜかこれが空手になると「必要なのは腹式呼吸だ!」となるw
これがどれだけ頭イカれた思考停止か理解できるかな。まともな人なら出来ると思うけど、型オタは無理だろうな。 それにしても、型で身体操作とやらを身に着けてさ
どうなった?
型は試合で勝てないレベル
組手も全然勝てないw
格闘技も当然勝てない
球技もだめ
陸上もだめw
妄想の中限定で何でも万能w
だから、みんな型に見向きもしないんだよね。 (二十一)
(承前)
また、指導者としては競技志向でない生徒のことも考えたい。
年齢的に、あるいは体力的にガチンコの組手ができない生徒もいるのである。
そういう人たちに空手の本質的な部分を体得してもらうには、やはり型稽古であろう。
型を練ることでそれなりに強くしていくこともできるのである。
弱い人でも強くなるシステムが型なのだ。
もともとそれが空手の理論なのである。
かつて50人組手を行った時、私は型を行うつもりで戦った。
動作と呼吸をどう合わせるかという問題意識を持ち、すべてをその延長線上で行なった。
それは「意」を使うということである。
50人を相手にする間、自分の意識を途切れさせないようにする。
意を使うためには、自分の呼吸と動作をきちんとコントロールしなくてはならない。
要するに、自分の呼吸を最後まで持続できるかと言う問題点だ。
その意識があってはじめて腹式呼吸は可能になる。
型とは、そうした意識の鍛錬である。
(つづく) (二十二)
(承前)
型を大切に、と書いた。
ところで私と180度違う考えの指導者も、まったく同じ言葉を口にする。
これは誤解のないようにしておきたい。
「型が大切」と言いつつ、ただ外形だけをなぞり「こう来たら、こう受ける」式の稽古を十年一日の如く指導している人もいるのである。
呼吸もバランスも関係ない。
意識の使い方なども考えたこともない。
そんな指導者もやはり「型が大切」と言うのだ。
これが困る。
たくさん残っている型の中には、実はつまらないものもある。
ひどいのになると、自分で適当に流派をでっち上げて、わけの分からない型を作って教えている者もいる。
「こう来たら、こう受ける」式の型は、私でもすぐ作ることができるが、そのような型を稽古すること何の意味があるのだろうか。
(つづく) (二十三)
(承前)
ついでながら型競技についても一言触れておく。
型は稽古方法にしては非常に意義あるものだ。
だが、これを競技として行うのはどうだろう。
私個人としては型競技は、すでに述べてきた型本来の稽古目的を損なうものと考えている。
自分の内面と無関係に、外形だけを整え得点を争う方向に走りがちだからだ。
それでは何のためにに型を行うのかわからなくなってしまう。
ただ空手修行者には様々な人がいるので、競技にすることをあえて止めはしないが。
しかし競技というものは常にこうした問題をはらんでいるということを心に留めておいてほしい。
寸止めもそうだ。
もともと寸止め自体はいい稽古法なのである。
しかし、これが競技になるともう変質してしまう。
大会のビデオなども見ると、拳をちゃんと握っていないで、突いたふりをして戻している。
これでは本質から外れてしまうばかりだろう。
(つづく) それにしても、型で身体操作とやらを身に着けてさ
どうなった?
型は試合で勝てないレベル
組手も全然勝てないw
格闘技も当然勝てない
球技もだめ
陸上もだめw
妄想の中限定で何でも万能w
だから、みんな型に見向きもしないんだよね。 (承前)
「空手を語る」の項目おわり
(二十三)
城南流はいかにして生まれたか
ルールを利用した空手ができない
(1978年に城南支部を開設し、)やがて生徒も増え始め、試合に出場する者も出はじめるようになると、新たな悩みが生まれた。
指導者としての悩みである。
要するにルールを利用した組手を教えられないのである。
私の空手の根っこには本部道場の組手がある。
したがって突きに対して顔面をガードしないで組手をやるという発想がなかった。
しかし、顔に対する配慮なしに組手をやった方が、下のレベルでは試合に勝てるというのも事実である。
効率がいいのだ。
顔を打たなければ思い切り前に出ることが可能だ。
「顔なんか関係ない」と出てくるものを、あのルールの中で捌くには相当の実力差がなければできることではない。
しかし、あのルール自体「顔面突きはあるが、試合では危険なので禁止」というのが本来のものである。
ルールで禁止だから関係ないというふうには、割り切って教えられなかった。
そしてこの当時、こうした顔面を効率がしない組手が一般的になってきていたのである。
(中略)
頭を付けて押し込んでくる相手と対戦すると、城南の生徒はそのままずるずると押されて負けるしかなかった。
(中略)
それまでは、どうしてもルールを利用した組手に踏み切れなかったのだ。
しかしここで勝てる闘い方に軌道修正を始めたのである。
とはいっても私なりの規範はあった。
「ああいう組手はすまい」という思いである。
むろん、頭をつけてラッシュをするような組手のことだ。
ルールの中で闘い、勝つ組手はするが、仮に顔面ありであっても通用する空手。
それを私たちは模索し始めた。
(つづく) (二十五)
伝承されたもの
空手のもともとの型はどうやって決められたのだろうか。
そして、どうやって伝えられてきたのだろうか。
歴史的なことは私は知らないのだが、ちょっと考えてみる。
たぶん伝承が受ける人の理解の程度で変わったり、途中で勝手な形が付け加えられてしまった、ということはあるだろう。
今となっては原形と違ってしまっていることも、たぶんあるだろう。
船越義珍先生が空手を本土に普及された功績は言うまでもないことだが、そのお子さんが「おやじの空手はおかしい」と語っていたそうだ。
どちらが古い伝承から外れてるのか、どちらが古いものを伝えているのか、私には分からないが、何かが変わってしまったというのは大いにありうることだ。
昔の先生方の突きや蹴りに対する考え方というものは、本当に今の空手とは異質なものがある。
その考え方は文章にも残らず、すべてが口伝だった。
伝えられる側に受け取る力がなければ、伝承は別のものに変質してしまう。
先代のレベルに到達していなければ、その技術は途絶える。
私もここまで書いてきて、どれくらい先達の技術に近づいているのだろうか、と思う。
基本にしても何にしてもそういう意味では「これが正しい」とはとても言えない。
ただ「私はこうやってます」と言えるだけだ。
私の考えが正しいかどうかは分からない。
ただ、これまでやってきてそれなりに結果(緑健児・八巻建弍・数見肇・塚本徳臣 他)を出している、ということだけは言える。
そして私達城南支部の面々は現状に満足せず、さらに良い空手を目指して努力している。
私自身、現在も目標とする境地を目指して稽古を続けている。
生きている間に、そこに到達できるかどうかはわからないが、稽古を続けることに意味があると思っている。
「城南支部 強さの秘密」引用おわり >なぜかこれが空手になると「必要なのは腹式呼吸だ!」となるw
この空手の本の先生は空手界隈では有名なのかもしれないけど本の内容は相当レベル低いよな。
複式呼吸は明治期に健康法として広く普及していたもので空手の秘伝でも何でもないんだけどな(笑) 型オタには理解できないかな?
古来から空手の型に伝わる呼吸法なら明治期に流行した複式呼吸なんて名称はあり得ないということ。 それにしても、型で身体操作とやらを身に着けてさ
どうなった?
型は試合で勝てないレベル
組手も全然勝てないw
格闘技も当然勝てない
球技もだめ
陸上もだめw
妄想の中限定で何でも万能w
だから、みんな型に見向きもしないんだよね。 上の方でも言われてるけど、矛盾だらけなんだよな
>歴史的なことは私は知らないのだが、ちょっと考えてみる。
>私もここまで書いてきて、どれくらい先達の技術に近づいているのだろうか、と思う。
つまりこの人は昔の唐手については自分は詳しくないとここで言ってる。
基準が無いから昔の唐手家の実力も分からない、と。ここまではいい。多くの人はそんなもんだ。
>昔は型だけを練ることが修行だった。実際、型だけを練り続けて強くなることは可能だと思う。
>ただし、そこには膨大な時間と根気が必要だが。
えっ? なんで昔の唐手家が強かった前提で語ってるの? 歴史的なことは知らないし
強さも分からないから自分と比べようがないハズじゃなかったの? 矛盾というか全体を通して支離滅裂。 でもこの先生の書く文章はある意味で武道界における現在の空手の立場をよく表している。
仏教の修行者が真理について深く探求したり
哲学者が人間や人生について論じあったり
形而上学者が精神と世界について考察したり
そういう人達に混じって、飲み屋の酔っ払いが「俺が思う人生論」をその場しのぎで語ってる感じ。
一言でいえば場違い。一人だけレベルが低いけど、本人は気づかず肩を並べてるつもりになってる。
>>747
呼吸もそうだし、真直ぐな姿勢がどうとかも何の根拠もないんだよね。
多分型がまっすぐな姿勢で構成されてるからそれが正しいと思考停止してるんだろう。
これは重量挙げの写真
https://livedoor.blogimg.jp/baseball_motion/imgs/3/6/364acc80.jpg
これはピッチングフォーム
https://i.ytimg.com/vi/MIV1m43cS8g/maxresdefault.jpg
どちらも一連の動きにおいて体が前かがみにもなれば後ろに反る場合もある。もちろん真直ぐになる瞬間もある。
なんでそんなコロコロ変化するかといえば力を運用してるからなんだよね。物体を動かすのは完全に物理で
それは自分の体重の運用も例外ではない。だから変化して当たり前なんだが、これが空手になると何故だか
「姿勢はまっすぐ!」の一点張りになるんだよな(笑)姿勢だけじゃなく肩を入れて突かない!とかもそう。
根拠があってそうならいいけど、その根拠が「型がそうだから」で思考停止じゃ技術の発達もそりゃ停滞するわ。 正しい呼吸や正しい姿勢、あるいは姿勢の一致や呼吸の一致というのは、何も
真っ直ぐだから正しいだとか腹式呼吸だから正しいとかいう低レベルの話ではなくて
必要な時に必要な姿勢や呼吸が一致するからこそ正しいのだと思うよ。
アゴが上がったり肩が入ったり前かがみなったりが自然で正しい場合もある事を理解できない。
なんだろう、人類は四足走行での100mの世界記録15秒ちょっとだけど、二足走行なら9秒台の境地にある。
空手は姿勢真直ぐや腹式呼吸にこだわるのは別にいいんだが、それはわざわざ四足走行の世界でタイムを
縮めようとする行為に似てる。早く走るのが目的ではなくタイムを縮めるのが目的。
同様に、本当に効く突きや実戦で効く突きを目指すのではなく、型を肯定する動きが目的になってる。本末転倒。
空手も四つ足ではなく早く二足歩行の人間の世界にこれるといいですね。 かなり以前にサッカーの中村俊輔がプレーを安定させるために不安定な台の上に乗って体幹鍛えてますってのを見たことがある
長友の体幹トレーニングも話題になったよな
そういう話の範囲やな
あとは野球で言うと素振りでちゃんとしたフォームを身につけましょう、みたいな
好意的に見てもこの範囲の話
型の有効性を訴えるために理屈をつけすぎてオーバーな表現しすぎ
自分の研究成果を伝える為にそうなるのは理解するが
まぁ型をやらなければ、特に極真は他の打撃系の格闘技と何が違うの?ってなるから型を大事にするのは必要やとは思う
型を通して組手ルール以外の技を教えるとかさ
うちの先生はこの動作は顔突いたり相手の髪を掴んで引き込むんだよ、とか教えてたよ
単純だけど型の有効性と空手やってる感はあったよ >型の有効性を訴えるために理屈をつけすぎてオーバーな表現しすぎ
ほんそれ。当たり前の筋肉の使い方>>724>>727を、矛盾したものを統合するのが型なんだとかオーバー過ぎて、こんな本を有難がってる型オタは有名な空手の先生の名前に思考停止しているということがよくわかったよ。 空手のことだけを考え続け、一生を空手に捧げた先生が
5ちゃんねらー風情に「レベルが低い」とか
言われたんじゃ草葉の陰泣いてるだろうなあw 確信した
空手の型はトーナメントで勝ち進んだり多人数連続組手の後半のようなところで差が出る
ハイレベルな争いでこそ微妙な差で効果が現れる
やっといた方がいい
ハイレベルの話
低いレベルの皆さんはまずそれこそ体力やスピードのフィジカルや試合テクをを磨いてその次元をトップ選手に近づけた方がいい
型は真の上級者にのみ有効な領域 >>755
ある意味、裸の王様で、誰も批判できないから低レベルな内容を弟子たちが有難やーと崇め祭った結果だろ。 >空手のことだけを考え続け、一生を空手に捧げた先生が
こういう被害者を出さないためにも型はやるだけ無駄という現実を受け入れてはどうかな? 掲示板で何言ってんだか
俺は型やり続けたお陰で空飛べるようになったぞ 俺は型をやって宝くじ当たったし、彼女もできたぞ。型を信じる者は救われる。 現在の那須川が型の練習を取り入れてるなら0.1%位、有効性があるのかな?
とも思うが、おそらく1秒もやってないだろw
(あっ、子供の頃やってたとかは無しな)
競技と実戦は違うとか言う奴も出てくると思うが
競技で強い奴は実戦でも強いだろ。
柔道の強豪が目突きや金的できなくたって相当強いっつーの。 体力オンリーのラッシュ戦法以外で戦える技術の土台を培えるのが型
もちろん体力ありきで人間相手の話 >>755
本土の空手は船越の言うことを聞かずに進化してきたんだぞ
沖縄から空手を伝えに来た先生が「組手すんな」言ってんのに
今頃何言ってんだよ >>756
空手の組手のハイレベルな技術ってキックとかムエタイとかの格闘技から取り入れられたもので空手の型から発展したものではないという現実。
組手は格闘技として昔の空手とは別物になってるんだから、型をやればハイレベルの世界で差が出るというのは理論に飛躍がありすぎる。まさに結論ありきの妄言だな。 >>761
ていうか、型をやって出来るのが金的とかさw
誰でも思いつく技出来る自慢とか型ヲタは終わってんだよね。 >>764
そもそも型ヲタはハイレベルな組手をやった事がないという現実www ハイレベルの攻防の中で差が出るのが型。
フルコンの若い人は黒帯までは基礎体力やスピードやモノを叩いての威力の養成とコンビネーションやスパーなどの組手にダイレクトなテクニックを磨いてピンアン以降の型は黒帯になってからでよいとも思う 差が出る出ないで言えばあらゆるものが当てはまるでしょ
あえて体を休めるオフの日を1日多く設定しても差が出るし
瞑想を取り入れたりヨガを取り入れるのも差が出るといえば出る。
日ごろから水分を多く取るのも差が出るかもしれんし
その中で型をやるってのも差が出るかもしれんな。
ただし、優先順位は下から数えた方が早いポジションだろうね。
つまりコスパが悪い。型は必要性を確立させない限りラジオ体操にすら勝てないよ。 型を肯定する人達の中にも、どれくらい肯定させるのかに派閥というか温度差があることに最近気づいた。
好きだし準備体操代わりに代用する程度に必要って人も居れば
もう少し踏み込んで組手でちょっと差が出る程度でいいから必要で欲しい
って人もいるし、根拠はないけど絶対的に必要と盲信する信者も居る
俺は好きだからとかラジオ体操がわりとかヒマ潰し目的ってのは全然否定しない
むしろコスパ最強でとても良いと思うのだけど、出来ることならちょっと組手で
差が出る程度ではなく、がっつり技術体系の核を占めてる型と組手の関係性を構築
している唐手というのを肯定する人達には目指して欲しいな。まあ難しいだろうけど。 >>768
まあ、でも誰もやってないんだから、それはただの妄想だよね。 俺は型肯定派。
競技ルールでは実戦に対応できない局面は多い。
だからそれに対応しうるように型は研究しとかなきゃいけないのじゃないか。
型にある技術体系が他の武術より実践性で優れてるかどうかはわからない
劣ってる可能性は高い。しかし型が凄いのは何百ある空手の流派でもほぼ
共通で伝わってる。まったく共通点のない流派同士でも平安はみな知ってる。
型を完全に捨てた流派のほうが極めて少ない。
どんなに優れた実践に対応できる技術体系をもつ武術でも
その技術体系の伝承は極めて困難だ。
空手はとりあえずそれをクリアしてる。
最初から意味のない動きを記録する奴がいるはずがないから型の動きには
みな意味があるのだろう。でも今となっては無意味な動きも多々あるかもしれない。
それでも使える動きは多々あるはず。
でも型、をやることで組手にも差が出るとかまでは思わないな。
中途半端に投げ出したペーペーだから型はまったくの無意味とか
そんなもん言えるはずないけど。 >>776
>しかし型が凄いのは何百ある空手の流派でもほぼ共通で伝わってる。
>まったく共通点のない流派同士でも平安はみな知ってる。
共通点のない流派でも同じ型が伝わってるのか? 答えはこれ↓
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/budou/1482156376/324-326
>どんなに優れた実践に対応できる技術体系をもつ武術でも
>その技術体系の伝承は極めて困難だ。空手はとりあえずそれをクリアしてる。
上のリンクを読めば空手がクリアしていない事が分かります。実際伝承されてないでしょ?
>最初から意味のない動きを記録する奴がいるはずがないから
>型の動きにはみな意味があるのだろう。
これ何て読むか分かる? →「gmをえあgんをかんとぇおあkrlj」
意味のない文章なんて打つハズないから、これ↑にも意味があると思って暗号を解読するのかな?
そんな前列ひとつも見つかってない状態なのに? もっと意味のあるそれっぽい日本語だったら信じちゃうのかな?
>でも型、をやることで組手にも差が出るとかまでは思わないな。
組手に差はでないけど実戦では使える謎の技術って一体何?
空手の組手よりも自由度の高い格闘技の試合など証明の場はいっぱいありますよ。 琉球空手の組手って本土から逆輸入されたのかな?
型オタが主張する例の秘密協定(笑)で本土には本当の手を教えなかったとして、
本土では船越の意に反して組手が研究され発展していった。
となると琉球空手には独自の体系に基づいた型の延長の組手の技術が存在することになるよね。
それが本土と遜色のない組手をしているならおかしいよね? あ〜、失敗した。こっちの方がより分かりやすかったかな。
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/budou/1482156376/141-143
まあ読んでくれる人がどれだけ居るかは分からんけど。
>それでも使える動きは多々あるはず。
で、ようは意味は分からないけど使える動きを模索しようって事だよね?
意味は分からないけど型の意味を模索する → 殴った後に大外刈りで決める分解を読み解いた
意味が分からないから型に意味をこじつける → 殴った後に大外刈りで決める分解をこじつけた
分解じゃなくて身体操作とかでもいいよ。何をこじつけるのであれ
これが「正解」というのが分からない以上はどっちのケースも「こじつけ」の域を出ないのよ。
「gmをえあgんをかんとぇおあkrlj」 に例え意味があったとしても現代じゃ誰も分からないでしょ?
それと一緒で誰も分からない以上は何をどうしたところで「僕がそう思うからそうなんです」の域を出ない。
だったら、時間のかかる読み解きなんてモノはせず、とっとと使える技術を他からパクってこじつけましょ?って話。 ここは議論というより互いにまったく譲歩しないという場のようだな
およびじゃないから退散する >>778
組手で使えないけど実戦で使える、なんていう夢のような技があったとして
もしあるならそれは何だろう? ルールで禁止されてる目に指つっこんだり
キンタマ握りつぶしたりだろうか? 一見それらは実戦的かつ威力が高いように
思われるが、問題はそういう技術があるのなら当然練習する環境が存在しなきゃ
おかしいのだが、沖縄のどこに安全に目に指つっこむ練習法が存在するのだろうか?
目玉で都合が悪いのなら、安全にキンタマを握り潰す練習とかでもいい。
安全で都合悪いなら、危険を伴ってキンタマを握りつぶす練習とかでもいい。
目やキンタマで都合悪いなら、例えば髪を掴んで引きずり回すとかでも構わない。
髪を掴むのは手軽に相手の動きを封じてコントロールできる実戦にもよく現れる行為だが
安全危険を問わず沖縄に髪を掴んで殴る蹴るの練習が果たしてどこに伝わってるのか。
仮に今沖縄じゃ行われてないとしてもその痕跡すら残ってないとか不自然過ぎるよね。
前にも書いたけど、他の文化の記録は避けて唐手の組手の記録だけ狙うように戦火で
燃えちゃったのだろうか。記録はないけどそういう組手があったことを人々の記億から
一斉に消しさる流行り病のようなものが蔓延して島民たちは忘れ去ったのだろうか。
記録がないってことはそういう事なんだよね。型の意味が分からないってのも同じようなもの。
記録がないのじゃなく元から存在しない。意味が分からないじゃなく元から大した意味はない。
アンチはとっくに理解してるのに、なんで型オタはこんな簡単な事が分からないんだろう。 >>780
>ここは議論というより互いにまったく譲歩しないという場のようだな
>>398を読めば分かるけど、俺議論どころかメチャクチャ譲歩しまくってるじゃん。
俺じゃなくてアンチのことを言ってるのなら、ここのアンチはかなり優しいぞ?
議論にすらなってない型オタの主張にちゃんと付き合ってくれてるんだから。
貴方は比較的マシな肯定派だと思ったけど、残念だなあ。
去る前にせめて「組手に差はでないけど実戦では使える謎の技術」について答えて欲しかったわ。 ここはやるだけ無駄スレだから肯定派は「型は有効スレ」を立てるのがいいかもしれん 「今は型の意味が失われてしまったけど、きっと意味があるハズ」
の「きっと」の部分を保証するものが何もない
競技組手だろうが何でもありの喧嘩や殺し合いだろうが
殴り合いの経験を積み重ねてこなかった時点で沖縄唐手は無力なんだよ。何もできない。
何もしてこなかった人が昔の人実用的な型を創作するなんて出来ないし
次の世代も殴り合いをしてこなかったんだから意味をこじつける事も出来ない。
船越の代でやっと本土にバトンタッチして対人稽古が花開いたってだけの話。
そこに「きっと」は存在しない。これから意味をこじつける、なら成立する。 >>784
結局、今の沖縄空手の組手の技術は本土から逆輸入されたの? >>785
本土から輸入された。ただし本土から輸入されたけど上地流や沖縄拳法のように
戦前から組手を模索していた流派も少数だがある。上地流が戦後沖縄で広まった
ときに実戦的と言われたのは本部朝基が沖縄で猛威を振るえた時と理屈が同じで
他の流派や唐手家たちで組手をやってるところなんて皆無近かったから。
組手やったことない人間の群れにフルコンの熟練者を放り込めば結果は目に見えてる。 某琉球唐手の支部が東京にあって通ってたんだが、組手で回し蹴りを普通にやってて疑問に思ったんよ。
型には回し蹴りは出てこないのに、組手で回し蹴りを取り入れたのはフルコンのはずなのに、なんで琉球唐手の道場で回し蹴りやってんだろうと。
俺が琉球唐手に勝手な幻想を持っていただけなんだけど、琉球古武道と称した棒やサイを伝えてる道場なのに、回し蹴りやっちゃうんだーとガッカリした事があるんだ。 良いものを取り入れるというのは武道として当然の姿勢だよ。
しかし琉球古武道を名乗ってる以上は古伝を古伝のまま墨守してないと古武道ではないじゃんと思ってしまった。
琉球唐手の古伝は幻想なんだなと気づいてしまった。 (続き)
だけど俺が知る限りで本土の組手をそのまま輸入して同水準に達した沖縄唐手の会派
というのは聞いた事がない。本土の流派で沖縄に支部が出来た、とかのケースは抜きに
してな。沖縄発祥かつ現在の本土の組手を明確に受け入れてる、何となれば互角以上に
やりあえるっていうのは無いんじゃないかな。
理由としては本土の組手を輸入と言っても沖縄ではまだまだ伝統的に自由組手をしない
道場も多数なのと、仮に取り入れようという段になってもあれだけ批判してきた本土の
技術や組手を素直に受け入れられる訳がない。結果、中途半端に受け入れる、あるいは
参考にして自分達で組手を模索してみる。どっちにしても素直に受け入れるよりかは質が
下がるのを否めない。故に本土の組手に追いつく、追い越すは当分先の話になる。
最新の空手界の事情は詳しくないけど、沖縄唐手が伝統派やフルコンの大会で上位入賞
常連になってるとかは聞いた事ない。自由組手をやらない変わりに型の分解とか約束組手
に時間割いてるみたいだけど、約束組手で上手くなるのは約束組手だけだと俺は思う。
>>788
>しかし琉球古武道を名乗ってる以上は古伝を古伝のまま墨守してないと古武道ではないじゃんと思ってしまった。
>琉球唐手の古伝は幻想なんだなと気づいてしまった。
残念だけど幻想。だからそれは現実だから受け入れるしかない。
ひとつの案として、自分で作るってのも手だと思うよ。自分の中で理想として沖縄唐手
あるいは琉球古武道を自分で作ってしまえばいい。材料の核となるもの(型)はすでに
習得してるんだから、あとは自分が入門する前にイメージしていた型と組手が本当の意味で
両輪となる武道を立ち上げればいい。上で出てきた上地流だって100年も満たない前に上地
完文が剛柔流の型パクって本土で立ち上げた新興創作流派なんだしさ。貴方にも出来る。 >約束組手で上手くなるのは約束組手だけだと俺は思う。
これは約束組手と自由組手が繋がってないからであって
唐手は型と組手以外にも約束組手と自由組手も繋がっていない。
それらの原因が、型 → 約束組手 → 自由組手 という順番で発生したから。
最初の段階で非現実的なシロモノなんだから、上手くいくハズがない。
これを逆にして、自由組手 → 約束組手 → 型 の順に技術を収束(こじつけ)していけばいい。
本来なら型が生まれる過程でこの順番が歴史的に発生してるハズなんだが
何故だか沖縄唐手は突然「型」がこの世に登場して他はサッパリだからな。そりゃ上手くいくハズないよ。 いったん本土の組手を切り離して、琉球唐手の型から組手の技術を1から構築すれば面白いと思うんだよね。
日本古武道を元に組手を構築しようとした骨法みたいになるかもしれないけど。 >>786
今の上地流の組手は本土の影響は受けてないのかな? >>791
>いったん本土の組手を切り離して、琉球唐手の型から組手の技術を1から構築すれば面白いと思うんだよね。
俺もそれが一番良いと思う。沖縄唐手は、本土の組手には多分もう追いつけないよ。差が開きすぎてる。
それに追いつこうにも歴史的な問題でプライドが邪魔する。一番いいのは本土では行われていない組手の
スタイルを模索して構築すること。素手素面のフルコンタクトとか素手対武器の組手とか。あるいは一撃
必殺にこだわった組手でもいい。でもまあ沖縄の県民性や風土的にも自由組手は向いてないんじゃないかなと思う。
だからもし琉球唐手の型から組手の技術を1から構築する一派が出て来るとしたら、それは本土か外国からだろうね。
>>792
受けてると思うよ。というか、昔の時点で歴史が浅いからか特にこだわりが無かったみたいで
かなり早い時期から回し蹴りも宗家で取り入れられてた。おそらく伝統派からパクったんじゃないかな。 東京で竹内流名乗ってる団体も見学に行ったら基本で回し蹴りやりだしたからダメだこりゃと思って帰ってきた事がある。
400年の歴史をホームページでうたっていて基本で回し蹴りだからな。
古流の掛け声?で「ホッ、ホッ」とか言いながら回し蹴りしてやがるの。
現代の技術を別伝とか外物で取り入れるのは構わないけど、基本に取り入れちゃダメだろ。
現代の技術を基本にした400年の古流ってなんだよと思った。
古流に幻想を持たせるのは空手だけじゃないということで。 昔、船越が本土に来て唐手を教え始めたときは型と巻藁、あとは小手鍛え程度しか無かった。
高弟の中山が空手協会を設立させたから目立ってるけど、中山以外にも船越に習った高弟は居て
その高弟達は後年中山とは別の船越が初期に自分達に教えてくれた唐手をそのまま残そう、という活動をした。
そのひとつが木曜会。20年くらい前までは存在したけど、今でも続いているのかな?
別に船越の教えそのままだから凄いものがあるとかではなく、初期の稽古は型しかやってなかったから
当然組手はやらず型だけやるという稽古をそのまま保存して続けてる会で、この木曜会に限らず空手協会の
中山の動きに賛同できなかった他の高弟達は独自に空手の道場を構えて会派の活動を続けたりしてたけど
結局やってる稽古内容は木曜会と大同小異で、そして残念な事に現在それらの一派が主流になる事はない。
隠されていた空手の桧恒先生もこの一派に含まれる。一時期あれだけ空手界の注目を浴びたにも関わらず
それでもやっぱり空手協会に取って変わるなんてことはない。双璧を成す存在にもなっていない。
なぜかというと、言葉は悪いけど上位互換の存在には勝てないのよ。上位の存在が伝統派でありフルコンなんだ。
隠されていた空手の分解が組手で使えない以上、自由に組手を出来る技術を有してる伝統派やフルコンには勝てないし
売りである分解も現在は型を有する流派ならいくらでもシルエットクイズで量産できてしまう。空手協会でも可能。
木曜会に至っては型をやるだけの稽古ならどこの道場でも再現可能で、隠されていた空手にしろ木曜会にしろ
同じ船越の高弟の系譜ではあるけど中山の空手協会には勝てない。でもそれって残念なことなんだろうか? 一時期誰も彼も持ってたポケベルは上位互換の携帯電話の普及により駆逐された。
唐手の世界も一緒で、沖縄土着の武術であった「手」というものも今では「唐手」に駆逐された。
おそらく「手」は筋骨を鍛えたり巻藁を突く集団の事だったんだろうけど、筋骨を鍛えてさらに
型もやる上位互換の携帯電話のような存在(唐手)が現れたら、そりゃみんなそっちメインになるよ。
俺は>>107でも少し書いたけど、船越や大山が型を変えても別に良いと思ってる。彼らはこれこそ本来の唐手
とか言ってる訳じゃないし、かなり早い時期から改変されてるのを指摘されたけど2つとも伝統派とフルコン
というニ大潮流の祖になってる。竹内流の話もこれと同じで、新しいものを取り入れるのなら伝統にこだわる
なんていうムシの良いマネをせず「私なりの竹内流です」というスタンスで一派を立ちあげればいいと思う。
もしそれが本当に優れているのなら、手が駆逐され唐手が主流になったように
型しかやらない唐手よりも伝統派やフルコンが主流になったように
ポケベルが駆逐され携帯電話が主流になったように、「後発」であっても優れていれば評価され自ずと立場が決まる。
本土の多くの古武道はこれらを経験した上で今があるのだろうし、空手も例外ではないと思う。でも改変はするけど
独立せず肩書も捨てません、ってのは、何度も言ってるけど心の弱さというか、もう人としての醜さだよねこれ。 >>796
ほぼ同意なんだが
>竹内流の話もこれと同じで、新しいものを取り入れるのなら伝統にこだわる
なんていうムシの良いマネをせず「私なりの竹内流です」というスタンスで一派を立ちあげればいいと思う。
竹内流は岡山に一子相伝の宗家と相伝家が存在するから「私なりの柔術です」ならいいんだが、竹内流を名乗る以上は宗家や相伝家にない技を竹内流と言ってはいけない。実際に東京で竹内流名乗ってる備中伝は宗家から竹内流名乗るなとクレームついてるらしいからな。スレチすまそ。 >>797
>竹内流は岡山に一子相伝の宗家と相伝家が存在するから「私なりの柔術です」ならいいんだが、
>竹内流を名乗る以上は宗家や相伝家にない技を竹内流と言ってはいけない。
ここら辺、聞いたことあるなあ。開祖が天狗に習っただの河童に習っただのってのは
昔の人だってそれを真に受けてたからじゃなくて、伝系は事情により明かせないのよ
そういう事にしといてくれや、っていう暗黙の了解があったと聞く。
誰かに習ったにせよ自分が創作したにせよ、立場上バカ正直に言えないことってあるよね。
沖縄でも首里手や泊手の型を参考に創作したんじゃなくて中国に行って習ってきたんだよ、とか。
それをさらに二次創作でパクったんじゃなくて私も中国行って周子和に習ったんだよ、とかね。
話は少し逸れたけど、竹内流が名乗れないなら名乗れないで別に構わないとも思うのだが
使えるかどうかよりも肩書が気になる人達にとっては名乗れないのは諦めがつかないかもね。
普通に「柔術の一派です」「唐手の一派です」で俺はいいと思うけど、世の中にはそれじゃ満足できない人も居るみたいね。 >>798
>誰かに習ったにせよ自分が創作したにせよ、立場上バカ正直に言えないことってあるよね。
>沖縄でも首里手や泊手の型を参考に創作したんじゃなくて中国に行って習ってきたんだよ、とか。
>それをさらに二次創作でパクったんじゃなくて私も中国行って周子和に習ったんだよ、とか
空手は更に本土空手がそれを意図的に使い分ける二枚舌やるからな
本土の空手家は沖縄空手の伝系はデタラメだ、沖縄の空手家は本土に来るまで実戦をやった事もなかったと貶しながら、
そのデタラメな沖縄から伝わってきた型は協会の大先生が使えると言ってるから使える、我々は伝統武術だ。
あ、でも沖縄空手とか言ってる奴らは胡散臭い詐欺師だから空手協会の型だけが本物だからねww
みたいな事言う。
方や沖縄空手を散々貶しながら!一方でその沖縄から伝わって伝えてきたという「伝統」だけを武術だ、「伝統空手」だと強調して吹聴する
本当に二枚舌で沖縄の文化の簒奪に等しい行為は許せん!! フルコンなら試合ルール内で勝てる方法を考えていって基本稽古を準備運動にして移動稽古と型を捨て去って組手対策に特化した石井カンチョの正道会館が正しいってことか >>800
正しいわな
型をやったって試合に勝てないわ喧嘩でも使い物にならないわで、何一つ良い事ないじゃん 武板の某コテの先生も言ってたけど、切磋して琢磨すれば光るダイヤモンドは一握りで
多くの人は原石どころか石コロにすらなれない土くれの山。だからその場その場で形を
変えれる粘土になった方がいい。
武術が原石みたいな才能ある人用に作られたものではなく、その他大勢の凡人であっても
勝負を制する事に存在意義があるなら>>800にあるようなその場その場のルールに合わせて
本当に必要な事や勝つ事に特化させるってのはまさしく武術的。型を型のまま使う、なんてのは
ダイヤと勘違いした石ころを必死に研磨して宝石になろうとしてるのと一緒で無価値に等しい。 土はこねればダイヤの価値に匹敵する陶芸にもなりえるからそっちを目指した方がいい。
型のまま使うんじゃなくてあくまで理合いを現すモデルケースとしてこじつけるのを薦める。 型ヲタは冷静になって考えて欲しい。
なぜ完全無欠で、通常の練習では身に付かない高尚なテクニックが手に入るはずの型の練習をしても
誰にも勝てない最弱な自分がいると言うことを
そして強くなれないのは自分だけではなく誰一人として強くなれていないと言うことを
なぜこの現実を前にして頑なに型を信じるのか?
それは現実を直視する心の強さがないからなんだよ
そろそろ自分が弱いことを認めて、楽して強くなる方法などない事を受け入れる勇気を持とうよ。 そりゃ型だけやってたら勝てんよ
現代でも有効な稽古法の一つというのであって 型しかやってなかった先人達には型は何がどう有効なんだろ?
そして型だけなら勝てないのなら、やはり型しかやってなかった先人達は達人でも何でもなかった 伝説には尾ひれがつくもんだが先人にはその伝説すらない、というのもあるな。
本部以外に伝説的強豪ってきいたことない 型だけでは使い物にならないって言うけど、型ヲタは型には何が足りないか今まで答えられなかったよねw
型は万能だと言ってみたり、違うと言ってみたりどっちなんだよw 今は拮抗した上級者同士がミリの差を出すための精密緻密な稽古です
型稽古を必要とする域まで鍛え上げた人間が何人いるかは疑問だけど
だってその域まで鍛え上げることが前提だから
あと寸止めよりは当てて効かせるフルコンの方が型は有用で有効だろうね ハイレベルのトップクラスの一握りの人間(笑)でさえもミリ程にしか型は役に立たないなら空手の型はやるだけ無駄な現実 まあそうだね
ほとんどの選手は体力とスピードとスタミナと組手テクニックの習得に練習時間を費やして地方大会のベスト8が選手人生のピークだろうな >体力とスピードとスタミナと組手テクニックの習得
ミリどころか大いに役立つこれらから時間を割いて型をやるメリットは何なんでしょうかね(笑)
ゲームのパラメーターじゃないんだから体力とスピードと組手テクニックの数値がカンストして、そこからは型のパラメーターがミリ単位で高い方が勝つとかアホすぎる。 >>1
【全空連ニュース】
キレる空手老人コーチ(松濤館)が女子の顔面を竹刀で暴行
老人に罪の意識すらなかった・・・痴呆症?
空手の東京五輪・組手女子61キロ超級代表の植草歩(28)=JAL=が、全日本空手道連盟の香川政夫こと許 政夫(ホ・ジョンウン)強化委員長(65)からパワーハラスメントを受けていたとの訴えを連盟に届けていることが24日、分かった。
植草は練習中に竹刀で顔面を突かれるなどして負傷したと主張しているという。全空連では31日に倫理委員会を開き、両者からも事情を聞いた上で、処分などを検討する方針だ。
植草は帝京大時代に同大の監督も務める香川氏から指導を受け、現在も練習拠点にしている。
関係者によると、昨年末から選手の顔面を香川氏が竹刀で突く行為が、練習として行われていた。植草は失明の危険性もあることから練習中止を求めたが、逆に叱責を受けたという。
植草はこの練習で目の打撲などのけがを負い、他にも五輪代表や強化指定を受ける複数の選手が目などを負傷した。
植草は17〜19日に都内で行われた強化合宿の参加も見合わせていた。
香川氏は「ビックリした。倫理委員会で全てお話しする。いろいろな指導をしてきたが、受け取り方の問題もある」と話すにとどめた。全空連関係者は「非常に驚いている」と困惑気味。報告を受けた日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「お互いに話をよく聞いて、間違いない判断を下されることと思う」とした。
https://m.youtube.com/watch?v=C069jMMaOGY&t=194s >>811
>今は拮抗した上級者同士がミリの差を出すための精密緻密な稽古です
もうこれにすがってるように見える
最後の砦なんやろね 上級者がミリの差だったら、それ以外の一般人には型は必要ないということだね。
選ばれし一握りのスーパーアスリートだけが空手の型をやる意味があり?それでもミリの差しかつかない。うん、やはりやるだけ無駄としか思えない(笑) 組手に役に立つ、というところ捨てれば楽になると思うけどな 100メートル走9秒6台の人間が9秒5台になるためのような稽古
陸上競技にたとえるなら全員が9秒台の決勝レース
空手なら全日本ベスト4世界大会ベスト8の間で差をつけるための稽古だな
極限まで鍛え抜いた人間たちの中で差を付けるための
少年部のDQNな子供ももしかしたら将来必要になるかも知らん
強いけど伸び悩んだ時に
やらないだろうけど でもお前100m9秒どころか13秒でも走れないじゃん >>820
でも強くなれたサンプルないじゃん。
妄想を垂れ流すのはやめろw 型をやっとけばよかったと思うレベルまで到達できるかどうかだね
道を極める資格のある人だけに有効な稽古
極真も旧城西が型をやってれば松井を凌いで旧城南にも抜かれなかったかもしれない レベルに到達できるかどうかって、山のふもとにいるやつがなんで
そんなことわかるんだ?
まあそれをいうと山のふもといる奴等同士で必要!無駄!と罵り逢ってるんだが >>823
根拠のない妄想だから、根性論で話を逸らそうとしてるね。
やって良かったとか完全に主観でしかないしw 型不要派
ダラダラ何種類も型覚えるとか、表演目的の武芸でしょ、あんなの
拳なら、正拳突きとか裏拳など数種類の基本で十分
演武を通り越して、演舞になってる まあ聞いてくれよ。
昔々、武道板で総合野郎ってコテが居てね。ある日彼が疑問を呈した。
「稽古で『神前に礼』ってするけど、何の意味があるの?」と。
「お互いに礼」で稽古を共にした相手に対して礼をするのなら分かる。感謝や敬意。
でも、神前に礼をする意味は? 神社の敷地内を借りて稽古してる訳じゃなし、まして
無事怪我もなく稽古を終えたからとてそれは相手に対しての感謝こそあれ神様がどうこう
した訳じゃない。というか、仮に怪我をしたとしても結局最後に神前に礼はするよね。
みんなどういう意味でやってるのだろう? それとも意味や目的が無いのにやってるの?
当時の武道板は今の5倍くらい人が居て賑わってたけど、この疑問にみんな猛反発した。
もちろん俺も神前に礼を肯定する側として彼への反論に加わった。でも色々な反論が上がったけど
結局明確な答えは出なかったと記億してる。今でも完全な答えはおそらく出ないんじゃないかな。
総合野郎は煽りや皮肉ではなく、ただただ純粋に疑問に思ったからそう発言しただけなのだけど
問題は俺も含めてだけど、みんな感情を抜きにまず客観的に考える、ということをせずに反射的に
義憤というか正義感のようなものの発露で、日ごろ意識したり考えたりもしてないクセに反論する
側に回った事なんだよね。深く考えたことも無いから浅い反論になるのは当たり前。そもそも深く
考えるという行為を後回しにして反論ありきで神前に礼を肯定しようとしてた時点でみんな未熟だった。
何が言いたいかというと、過去に神前に礼をおかしな正義感からとりあえず肯定ありきで反論してた人と
現在空手の型を肯定する人の思考回路がそっくりだということ。今の自分は客観的にモノゴトを受け止めたり
考えてみたりすることの重要性を知ったから、神前に礼は確かに意味も分からず様式としてやってたなと認めれる。 そして昔と違って歪んだ義憤や正義感ではなく、意味がなくても存続させるために意味を付与するとしたら
それは武術というのは結局殴ったり殴られたり殺したり殺されたりなどの「非日常」を稽古する時間なので、
それをこれから行いますよという日常とは違う精神の切り替えとして神前に礼をしてスイッチを入れる。
当然稽古が終わればまた礼をしてスイッチを切る。その切り替えが無ければ常日頃から殴るだの殺すだのが
頭から離れないチンピラや殺人鬼と大差はなくなる。そういう意味で必要だと自分は思う。
ま、話は長くなったけど、型も一緒でさ。俺は肯定派だから同じ肯定派の人が居たら、
歪んだ義憤や正義感ではなく本当に型が必要かどうか、意味があるかどうかを客観的に考えてもらいたい。
もし抵抗があるなら、練習として神前に礼が本当に必要かどうかを考えてみるのも一興だと思う。よろしければ是非。 神前に礼は 元気に空手が出来ることへの感謝の気持ちかなと思ってたけど、どうなんだろうね。
それ以上は深く考えた事がない。
例えば外人が来て、俺は違う神を信じているから絶対にやらないと言われたらどうするんだろうね。
だったら二度とくるなでいいのかな。 柔道の試合で、イスラム教だったかな?
詳しくは忘れたけど神前に礼したくない選手が居て問題になったよね。
俺も含めて神前に礼を多くの人が深く考えたことがないっていうのは
それはむしろ健全なことで、多くの人にとってそれは重要じゃないもの。
重要じゃないからといって、不要だとか無駄だとか言うつもりは無くて
重要じゃないけど様式としてやってるなら私もその通りやりますよ。
自分が通ってる道場の先生が意味があるというならじゃあ私もその意味に
異論ないですよ、だって私にとってそこは大して重要じゃないもの。
これが本音だと思うんだ。
ないがしろにしてる訳じゃなくて神や礼というのは大事なものであるのは重々承知だけど
空手を習う場においてそこまでこだわる必要ないよね、だって必要なのは技術なんだもん。
だから神前に礼したくありません!なんて拒否することもなければ、逆に必要あるんだ!と
こだわって意味を考える事もないのは、多くの人にとって健全な証拠だと思うのよ。
むしろ空手を習いに道場に行ってて、そんな事にこだわってる人の方がヤバイw
んで、神前に礼が意味あるかどうかについては別世界みたいな話なんで割とどうでもいいんだけど
型が意味があるかどうかは空手を習いに道場に行ってる人間にとっては別世界どころか直球そのもの。
だから型を肯定する人は、そこのところをよく考えなきゃいけないねーという話。
まかり間違っても、神前に礼みたいに大して考えたことないのに「とりあえず」型も肯定する
なんて真似はもう良い大人なんだからやめましょう、という主張でした。 それは別スレ立てて議論していいんじゃない笑
「空手道場で神膳に礼は意味はないという現実」とか 城南支部の広重先生の型に対する見解がね、当時武板で神前に礼を擁護してた人達とそっくりなんだ。
必要か?ではなく、必要である!を「前提」として思考が出発するからイビツな見解になってしまう上に
型も神前に礼も本質的に必要性が無いのだから説得力に欠ける。客観的なと目いうのは本当に大事だわ。
ここまで読んで「そんなに言うなら神前に礼なんかしなきゃいいじゃん」とか言う人が居たら
自分が感情的な目線で俺の言ってることを理解してないってことだから要注意な。 鬼滅の刃読んでた時1巻で、炭治郎の修行時代が日記形式で鱗滝さんに
教えられたりしごかれたりしたことをつづるシーンがあるけど
「今日はなんか剣の型らしきものをいくつか教えてもらった」
それが最後まで炭治郎の武器になるけどなんというか型の本質を現してると
思ったな。
型どおりの動きなんて見よう見まねでできるし誰でもできる。
型の動きを覚えたらあとはもう実戦で使えるようにしていくしかないと。 型の動きをなぞってそのフォームを実戦に変えればいいなんて単純なものではないよ
だったら準備運動して最初から実戦的な動きを反復すればいい >>835
複雑に考えても使えないという結果は変わらないよ。 >>834
あれは漫画だからね。
現実とは違うよ。 型は伝統として、あるいは「演舞」として残した方がいいとは思うけど
あれって映像が撮れなかったり気軽に教えにいけなかったりスパーリングがやりづらかったりした時代の産物だと思うわ。 呼吸・姿勢・体幹・丹田・瞑想といった武術の核が凝縮されている
東洋の智慧・叡智の結晶だね
型は >>839
>呼吸・姿勢・体幹・丹田・瞑想といった武術の核が凝縮されている
東洋の智慧・叡智の結晶だね
型は
瞑想?具体的に何の型のどの部分に瞑想が含まれてる? 倉本成春も「昔の空手が凄いというけどおそらく知ってしまうと
がっかりするんじゃないかなあ」と言ってる。
型は知らない人間には使えないように仕組んである、口伝は失伝した、
というところからかえってミステリアスな魅力が型に加わった気がする。
考えすぎでは?という極端な解釈もたくさんうまれた。
もし、型を考案した先人の言葉が残っていて「本来の型の意味」がすべて
明らかになったとすれば。
そうとうがっかりする可能性は高い。
いまの空手の達人といわれるような人でも表立っては言わないが「型はそう
たいした内容のものはない」と思ってるフシがあるひとは多い。
それでも型だけが古来と現在を繋いでるものだ。型を否定するということは
空手を否定するということだ。
だから型から口伝が失伝したというのはかえって良かったかもしれない。
本来あまり内容のなかった(かもしれない)型に、あえて誤解をして
さまざまな解釈を与えるというのは空手の文化の継承と技術の発展に
ひと役買うかもしれない。 空手の型は筋肉とかよりも体の内側ほどに効果のあるものだから
炭田・呼吸・内臓・気・中枢神経・メンタル >>844
つまり気のせいってやつですね。
やる意味がない典型的なパターンです。 大体、効果のないもんはオカルトに走る傾向がある。
何でも効果があるとかガンに効くとか言い出すと大体末期症状なんだよ。 >>838
まあせめて文字で伝える位はできたはずだよね。
あと、型にしなくても組手の練習でワンツーを投げ技だって勘違いしてる奴が一人もいないように
普通に練習すれば良いと思うんだ。
型の殆どの動作一つ一つが攻撃なのか防御なのか打撃技なのか関節技なのか解釈が違うっておかしいでしょw
伝えると言う目的としては完全に間違った方法だったね。
自由に想像するのが型だと言うなら、動作も自由にやればいいのに創作して試合に出れない時点で
動作そのものに何か期待してるって事でしょ?
でも何のための動作か誰も答えられないんだから喜劇だよなw >>847
>まあせめて文字で伝える位はできたはずだよね。
その通りだね。源流である中国拳法が不明っていうけど、それがそもそもおかしい。
何十もの型が長い年月をかけてバラバラに伝わってきたんだから、どれかひとつ位は
○○拳だの○○門だの伝わっててもおかしくないんだが、まったく伝わっていない。
発音や中国語が分からなくても漢字で記録しとくことくらいは出来るのにね。
技術にしてもそう。立ち方、呼吸、攻防、要訣などなど、これらも発音や中国語が分からなくても
漢字として記録しとくことくらいは出来るのに、でもやっていない。
何十も型がある割には、伝えてくれた中国人の名前が伝わっていないし
2〜3人名前が伝わってても、なぜか漢字ではなくカタカナw
型の名前も套路の漢字ではなくカタカナw
まあ、下手に漢字をつけちゃうと「中国ではその漢字はそんな発音しません」だの
「中国ではその漢字をそういった名称には普通使用しません」だの出ちゃうから
仕方なくカタカナ表記にしてあとは中国語っぽい発音にして誤魔化すしかないわな。
昔の沖縄人が悪いんじゃなくて、それを疑いもせず信じちゃう現代の型オタが頭悪いと思う。 平安初段の目玉
シフトブロー
後ろ足重心、前足重心、センター重心の取り方
おまけ、撃ち落としの拳槌
平安二段の目玉
前蹴り→逆突き
重心については平安初段に同じ
おまけとして、
横への拳槌と足刀蹴り
平安三段の目玉
シフトブロー→バックハンドブロー→シフトブロー
回転サークリング時のバランス
おまけ、肘受けから裏拳、肘打ち
平安四段の目玉
前蹴り→ワンツー、裏拳横蹴り右肘打ち
重心については同じ
おまけは、手刀打ち→前蹴り→裏拳、膝蹴り
平安五段
目玉は、回し蹴り→肘打ち
重心移動回転動作を更に強化が主眼?
すっごくそのまんまで充分深い技ばかりだろ?
平安初段のシフトブローと平安二段の前蹴り→逆突き
出来るだけでも、先ず神技だけど 使えるようになると、これほど便利な技はない、シフトブローや前蹴り→逆突きだけど、中々実用レベルにならない訳で、そこから入る型が使えないというイメージになるのは仕方ない
伝統派の達人とはつまりは平安初段の達人で
フルコン空手の達人とはつまり平安二段の達人
だからね >>850
>伝統派の達人とはつまりは平安初段の達人で
フルコン空手の達人とはつまり平安二段の達人
だからね
こんなアホな事誰が言ったの? 型の真髄は体の外面の動きではなく外面を通して内側を鍛えることにある ここの人は空手の型ばかり議論にしてるけど
同じことが中国拳法の型にも言えるのでは? >>853
残念ながら言えない可能性の方が高い。第一に空手と違って中国拳法は数が多すぎるし
一つの流派や門派であっても系統が枝分かれし過ぎてる。あちこちの省にある聞いた事ない
農村に聞いた事ない拳法群がゴロゴロしてる。それは日本の空手の比じゃない数の規模。
だから一概に型の目線で套路をひとくくりにして語ることは出来ない
第ニに中国拳法は空手には無い、気の概念や勁の概念、呼吸法や武器術や各種の練功法などが
套路と結びついてる。それらが実戦で使えるかどうかはまったくの別問題だけどな。
つまり技術体系における套路の必要性や技術関連などの整備はとっくに終わっちゃってるわけ。
型がやるだけ無駄と言われるのは、必要性が確立されていないから。
型オタがバカにされるのは、必要性が無いのに無理やり弁護をしてるから。
なので、中国拳法みたいに型も必要性を確立させればいい。
実戦で使えるかどうかでなくても構わない。見栄えよくビシ!バシ!と型を出来るようにするためには
当然普段から型を練習しなければならない、というのであっても立派な一つの理由になる。むしろおすすめw >>854
その中国の日本人が知らないような武術まではわからんが
日本に入ってくるのはどれにもちゃんと勁の概念はあるからな
空手になると沖縄でもナイハンチやセーサンの意味がバラバラ
うちは昔ながらの空手と言う流派見てもバラバラ
沖縄拳法の先生が本部朝基のナイハンチの写真を見て「私がやってるのと一緒だ」的な事を言っていたが、本部の逸話でぶら下げた板を割る描写は沖縄拳法の突きとは違うし
元々型だけあって近代に各々が好き放題解釈してった説がしっくりくるわってくらい概念がバラバラ過ぎる >>850
ていうか、一人も出来ないのだから、使えないと言われても仕方ないんだよ。 >>853
言えるのかもしれないけど、よくわからんわ >>855
>本部の逸話でぶら下げた板を割る描写は
沖縄拳法が防具組手を始めたのは1960年代、という話は置いといて
本部の釣り下げた板を割る話は、どうなんだろうねこれ。個人的な見解でいえば
本当にそんな事があったのかな?と思うんだ。あった可能性も勿論あるだろうけどさ。
合気道の開祖(植芝)が、射撃場で軍人さんを横一列に並ばせて自分に向かって鉄砲を撃たせ
それを避けて距離を詰めて投げ飛ばした、という有名な話がある。植芝の証言では、撃つ前に
弾道が光の軌道で事前に見えるだの、距離を詰めるときは忍者のように前かがみになって走るだの
まあ夢と希望に溢れる話ではありますが、問題は植芝の証言といいつつもこの話を広めたのは高弟の
塩田が発端で、一説に塩田以外にそんな話は出てこないし塩田以前にそんな話も存在しなかったとのこと。
民間人に向かって6人もの軍人が一斉に発砲するなんて当時の常識では荒唐無稽だし
そもそもそんな理由じゃ射撃場の使用許可下りねーよ日本軍ナメんな、っていう見解もある。
ようするに何が言いたいかというと、良くも悪くも高弟が話を盛った。それと同じことが空手の世界でも行われたんじゃないかなと。 突きの威力がどうこうってのは、組手をやらないからこそ他の判断基準で優劣をつけるため
生まれる発想で、実際にストリートファイトをしていた本部が突きの威力にこだわっていた
というのは俺が調べた限りでは出てこないんだよな。
そもそも突きに威力があるなら一本拳なんかわざわざ使わなくてもいいわけだしさ。
威力を上げてダメージを与える、ではなく防御力の弱い箇所を狙って殴るというコスパの良い現実的な発想。
もっと根本的な話になると、そもそも吊るした状態の板を人の力で割れるのか?という物理的な問題も出て来る。
本部のこの逸話は有名だからマネする人が出てきてもおかしくないけど、やってる人見た事ないんだよな。
実際問題として、威力よりも確実に突きを当てれる精度の方が大事だと俺は思う。
想像してみて欲しい、手元にスタンガンがあったら、長い年月かけてボルトを必死に上げるよりも
まず先に確実に相手に押し当てれる技術を身につけるほうが先だと思わないか?
ちょっとくらいボルトが低かろうが、1〜2回相手に感電させればもう勝勢なんだしさ。
それと同じで、本部が吊るした板をどうこうってのをもし本当にやっていたのなら、割るではなく当てるため。
板を使った理由は吊るした状態で振り子のように動かしたときに、面の部分を狙って正確に当てれるようするため。
おそらく不規則に回転して動く板の面の部分を人の顔面に見立てて狙って当てる稽古をしてて、
その現場に居合わせた弟子が、後年話を盛ったんじゃないかと。まあ出来る限りに好意的に解釈しての話だけどね。
実際は、そんな稽古すらしてなくて弟子がでっちあげた可能性も高い。掛手で頬を叩いたとかの話も同様。言ったもん勝ち。 >>859
あぁそうだ、一本拳でも思ったわ
沖縄拳法の先生は使わないよなって 沖縄憲法が誇る突きを本部は使わずに得意なのは一本拳って別物じゃんと
話を盛るってのは沖縄の有名流派でも多いんでしょ?上○流とかさ
本土でも大東流は会津藩に伝わる武術じゃなくて実は武田が他の武術を学んで
作った説が最近では有力って話も聞く
師匠が「こうなんだ」と言ったら普通の道場生は歴史なんて研究しないから
「そうなんだ」って信じちゃうけど(俺もそうだった)
実は話を盛りまくりなのが武術界なのよね
だから「これが古伝の空手だ」と言われても「根拠は?」ってなる >元々型だけあって近代に各々が好き放題解釈してった説がしっくりくるわってくらい概念がバラバラ過ぎる
これ、ヒップホップのダンス動画
https://youtu.be/_9lsw2UksWA?t=6
この体の動きにどんな意味があるの?って聞いても、まあおそらくは
躍動感を表現したとか、緩急をつけたしなやかな動きを見せるのが目的とか、
そんな回答なんじゃないかな。意味というよりイメージに近い。
型も同じで、元は踊りだったから武道っぽく力強い様を表現しましたとか
キレのあるシャープな動きを表現しましたとか、そういうのが原初だと思うよ。
首里手のセーシャンや那覇手の三戦の両腕を曲げて力コブを誇示するような力感溢れる挙動とかさ
ウンスーの最初で手刀を下方向にシャッ!シャッ!と繰り出していったりとかさ
型の中にある意味が分からないけど何となく意味がありそうな動作というのは
それそのままに、大した意味はないけどそれっぽく見える動作というのが答え。
もちろん、ダンスによっては動作に物語性を付与したものもある。
恋人とデートの待ち合わせで遅刻して、ひたすら謝って、仲直りして、みたいなのをダンスを通して表現。
でも「実際のデートでそんな動きしてるヤツいない!」って言われても、それは言ってるヤツがむしろバカだよね。
同様に、型もそれっぽくだけではなく、ちゃんと意味が込められた型もあると思う。
下段払い追いつきは、相手の攻撃を払って突く、というそのまんまの意味。間合いは?とか指摘するヤツの方がバカ。
もともとそういうシロモノ、あるいはその程度のシロモノだったものを過大評価するバカが現れたから話がややこしくなっただけ。 >>860
いくら急所の顔面を殴ったとて、アドレナリンが分泌されて興奮状態にある人間には効きづらい場合もある。
だから一本拳は普通に殴るよりも指を故意に突出してる分、顔面殴ったときワンチャン目に入ればラッキーて
理由もあったんじゃないかと思う。痛みを感じなくても目視するセンサーがやられたら戦力大幅ダウンだしね。
>話を盛るってのは沖縄の有名流派でも多いんでしょ?上○流とかさ
盛ってるねえ。相手の肋骨を貫手で引っこ抜いたとかさ。
上地流の型の方が中国拳法の原型に近いとか剛柔流より古いみたいに言われてるけど実際は逆だからねえ。
剛柔流からパクった三戦を叩きやすいようわざわざ三方向への転進まで加えてさ。そこまでいくとある意味で清々しい。
>師匠が「こうなんだ」と言ったら普通の道場生は歴史なんて研究しないから
>「そうなんだ」って信じちゃうけど(俺もそうだった)
俺もそうだった。でも俺も貴方も、それ以外の多くの人も特別な人間ではなくて
「怪しいんじゃないの?」って指摘されたら「確かによく考えたら怪しいかもな」と
客観的に認めれる頭と心がある。でも世の中にはそういう指摘されても気づかないフリ
をする人が居る。便所の落書きですら本音を言わず自分にウソをつき続けるって、可哀相だなと思う。 上地の一番最初の弟子である友寄隆宏は上地に習う前は剛柔流の宮城に師事していたので
剛柔流の型の調達は可能。だけど習ってる期間はそれほど長くなかったので、基本とな三戦
とかは問題なくても、十三や三十六など上の型にいくほど修行期間の関係上習得は難しくなる。
おそらく十三はギリ習えたかもしれんが、三十六なんかは見学だけ。スーパーリンペーなんてもっての他。
上地流の型が三戦はよく似てても十三や三十六など上に行くに従い剛柔流と似なくなっていくのは
単純に上地の情報提供者である友寄の習得が追いつかず不十分だったことと比例している。
それでも十三ないし三十六は見る機会があったから何となく最初と最後の動作とか概要くらいはイメージできても
スーパーリンペーとかは見学する機会すらあまり無かったんじゃないかな。だから上地にスーパーリンペーが無いのは
中国での修行が不完全だったからとかじゃなくて、単純に上記のような理由。
まあ、他にもあまりパクり過ぎるとさすがに剛柔流から怒られるってのを懸念して三十六で打ち止めにしたってのもあると思う。
スレとはちょっと関係のない話でスマン。 >良くも悪くも高弟が話を盛った。それと同じことが空手の世界でも行われたんじゃないかなと。
自分の価値を高める方法として師匠の武勇伝を盛るのが手っ取り早いわな(笑) その通り。そして師匠がイマイチな人の場合は、習ってる先生ではなく、その師匠、さらに師匠
つまり先人を持ち上げる。自分が習ってる唐手は歴史上、こんな凄い人が居て〜〜。
そういう人が居ない場合、先生ではなく自分が習ってる型を持ち上げる。
自分が習ってる型はこんなに古くて〜〜。
習ってる先生がイマイチで習ってる型も改変されてた場合、他の持ち上げれるものを探す。
有名な中国拳法が源流で〜〜。一撃必殺の示現流の技術も入ってて〜〜。取手が〜〜、掛け手が〜〜
「私の道場でも型をやります。挙げ受けはハイキックのブロックの意味だと教えています。
総合の試合でも何人かの生徒が結果を残していますし、お疑いならこの場でスパーも構いませんよ?」
と平然と言える道場の方が、古伝でも何でもないけど潔いなと思う。 最初から型は役に立たなかった、踊り、ではなくもともとは実戦的な
技術を有していた、という立場で語ってみるけど
殺傷力ある殺人技術だけど、内にこもってるだけで発展性がない唐手。
それを本土に普及、ひいては沖縄の地位向上のために糸洲安恒が普及に
頑張ったと。体育用に平安という型を考案したと。
しかし本土の武道では他流試合も練習試合も当たり前、そのため剣道では
防具も発達してる。空手が防具をつけて実際の試合をするというのは
難しくなかったはず。
糸洲はすでにおじいちゃんだし沖縄にいたから仕方ない。それをする使命が
あったのは船腰義珍だったはず。現に講道館柔道は試合も異種格闘技戦も
バンバンやってどんどん栄えたとか。道なき道をゆけと言われたわけじゃない
船越の前にはレールが敷かれていたといっていい。講道館や剣道がもう手本を
見せている。なのに型以外教えなかった。試合とかになると説得力が
なくなるだろうと、全然自信なかったんだろうな。
本土の言葉が話せてコミュ力がある人材と言えば船越だったんだろうけど
弱かったことは間違いない。弱かろうが型に秘められた用法(くどいが
そういうものがあるという仮定で話を進める)を船越は直伝で
知らされていたぎりぎりの世代だったはずなのに。それも伝えなかった。
船越自身が型を健康体操以上のものとみてなかったんじゃないかな 型の効果否定派って中学生レベルのスポーツ理論しか言わないのな >>867
>道なき道をゆけと言われたわけじゃない
>船越の前にはレールが敷かれていたといっていい。講道館や剣道がもう手本を
>見せている。なのに型以外教えなかった。試合とかになると説得力が
>なくなるだろうと、全然自信なかったんだろうな。
う〜〜ん。これはちょっと難しい問題なんだけどさ、まず前提条件として
船越は、というか唐手というものは元来組手や試合を行うものではないのよ。
俺は船越の肩を持つ訳じゃないけど、講道館や剣道が手本を示してるのに自由組手や試合の開拓に
乗り出さなかったのは船越の責任、みたいに言うにはちょっと可哀相なんだ。
なぜかと言うと、あまり知られていないというか、みんな結構勘違いしてる話なんだけど
そもそも船越が沖縄に来るもっと前、屋部や糸州が沖縄の学校で教えていたその時代に
既に柔道や剣道は唐手なんかよりもとっくに学校の正科になって授業や部活で教えられてたの。
当然防具をつけての竹刀の打ち合いや柔道衣を着て乱捕りなんかも沖縄のあちこちでやってたわけ。
そしてその沖縄には当然船越はもちろん船越以外の唐手家もいっぱい居た。だから、船越が自由組手を
やらなかったから責められたり批難されたりするなら、それ以前に沖縄の唐手家全員の責任は?となるのよ。
で、俺は船越も含めて当時の沖縄の唐手家達に責任はこれっぽっちも無いと思う。
だって、そもそもからして防具をつけて殴りあったり、それが素手であっても組手をするものじゃないんだもの。
大事なのは船越が仮に弱かったとしても(というか、確実に弱かったと思うが)、さりとて弟子に自由組手を
させるかどうかは別問題なのよ。だって、自分は組手をしてこなかったから弱い、でも君達には強くなって欲しい
ということで組手を許可させてり奨励させる事だって出来るじゃん? でもしなかったのは、自分の実力とは別に
もっと根本的な問題として、唐手は実際に殴り合いをメインにするものじゃないのだから、反対するのはしょうがないのよ。 今これを読んでる人は多かれ少なかれ空手の経験があると思う。
貴方がもし貴方が東南アジアかどこかの地で、正しい日本の文化、正しい空手を
教えに行くことになったとする。生半可な気持ちではなく、出来うる限り正統な
ものを伝えようと決心していきました。
そこで現地の生徒に型を教えたら「先生、これからは多様性の時代です。教えてもらった型を改変して良いですか?」
「ボクシングの技術を知ってるのでそれを融合させて良いですか?」「拳銃と型を組み合わせた基本稽古を作りましょう!」
「殴られても痛くないように大麻を吸引して組手をするってのはどうでしょう?大麻は僕らの国では当たり前の文化ですし。」
例えば生徒がこういう事を提案してきたら、残念だけど空手はそういうものじゃないよと反対すると思うんだわ。俺ならそうする。
仮にボクシングの技術を取り入れるのが有効であっても、大麻を使ったほうが稽古の効率が良かったとしても
これからの時代、銃を想定しての分解や型の改変などをした方が有益だったとしても。
それでも反対すると思う。だって空手はそういうものじゃないから。個人でやるのはグレーゾーンだよね?
だけど、個人でやったとしても、それを彼らが現地で「空手」として横行する危険を考えたら、やっぱり反対するわ。
お前はいったい何を教えに行ったんだ?って事になる。部下が勝手にやった事なので私は責任取りません、とかいう
言い訳が社会で通用しないのと一緒。それでも時勢は変えられないのならその場から黙って身を引くのが唯一出来る抵抗。
だから船越は自由組手の模索で暴走した大学空手部の最高顧問の座を降りたわけだ。
もちろん、モノは言いようで「伝統に新しい風を吹き込む」とかいう名目で自由組手を模索する唐手家も
居ただろうけど、それはあくまで少数。沖縄の大多数の道場が本土普及前に自由組手を行わず、普及後も
やはり行わなかったのが一番モノ語ってる。逆に唐手にそれほど思いいれが無い人なら自由組手推奨するだろうけどね。 >そもそも船越が沖縄に来るもっと前、
間違えた。正しくは船越が「本土」に来るもっと前、ね。
で、沖縄では組手(どころか約束組手を含めた対人稽古全般)をやらないのが主流だった沖縄を
やっぱ唐手家は組手をしてナンボでしょ? と新風を吹き込んでくれたのが上地流。
>>863でディスってるように書いたけど、上地のおかげで沖縄の唐手のあり方も幾分変わったのは事実。
ありがたやありがたや。 船越に責はないことよくわかった。
沖縄で剣道や柔道がもう栄えていた、本土で栄えてる武術は
対人稽古をガンガンやって強くなってる、という実態を知っていたのに
それにかんしてはなんら対策してない糸洲が駄目だったんだな。
もっと糸洲は空手の実力云々は別として革新的な人材だと思ってたよ
本土の武道の実態を見ながらも型と巻き藁だけで「3〜4年で奥深くまで
いくものもでてくる」だの「ひとりで10人戦えるものも出てくる」だの
おめでたいことを言ってるような本当にたいした男じゃない。
普通なら「こりゃ唐手も防具つけて対人練習しなければ到底本土の
体育に採用されない」と危機感おぼえるはずだろう。船越にそれは無理でも
糸洲はそういう危機感がなかったのか。本当に型だけで警察や兵隊に実戦に
役立つと採用されると思ったのか。 >>872
>それにかんしてはなんら対策してない糸洲が駄目だったんだな。
ん〜、だからそれがちょっと難しいのよ。上でも書いたように
これは沖縄唐手家全員の問題で、そして沖縄の唐手家全員に
多分批は無いのよ。なぜなら、それが唐手だから。
前にも書いたけど、柔道で乱捕りをしたり剣道で防具をつけて打ち合いをしてても
それを目の当たりにしてきた居合いや弓道が、じゃあ防具をつけて打ち合うとか
流鏑馬なんてウマに乗って射るのは古いからバイクに乗って射る稽古を取り入れようとか
そういう変化や対策はしてこなかった。相撲だってこれからの時代蹴り技や武器を取り入れよう
とかそういうのもしてこなかった。それって悪い事かな? あるいは批難されることかな?
したいと思った個人やごく少数の一派は居るだろうけど、大多数はそんな事はしない。
だってそれが伝統や文化というものだから。だから、誰が悪いというものではないのよ。
もちろん、人間だから多少の見栄はあるよ? 居合いの人だって剣道の人と防具をつけて
試合をしたらそりゃ負けるだろうけど「お互い防具なしで真剣を持っての立会いなら別です」
とかくらいは言うんじゃないかな。それを見栄と取るか自負と取るかは別だけどさ。
だから、糸州が言う奥深い境地がどうだの口伝がどうだのってのは、対外的には見栄で
内心的には自負。弓道で無心の境地で100発100中で的を射る境地にたどり着く事は素晴らしいけど
拳銃に勝てるの? いやさ、別に相手が火器じゃなくてもいいから戦場で生き残れるの?って言われたら
それとこれとは別問題、みたいなね。だから唐手は元来武術ではあっても居合いや弓道寄りの性質なのよ。 なので、唐手が好きな人であればあるほど、唐手というものの文化や立場に重きを置くので
そのままを伝える。警察や軍隊でも当時すでに剣道や柔道は行われているし、関係者もいっぱい居る。
糸州も組手なんかロクにやってないんだから、建前上は戦えるとは言っても内心は彼らとやりあったら
マズイってのは実感してたんじゃない?
だけど別にそれは問題なくて、弓道や居合いが剣道や柔道に危機感を覚えるか? って言われたら
別段憶えないのと一緒。だって自分達はそういう次元やカテゴリーとは別のところに居るんだから。
学校で茶道を導入しても「今の時代、エナジードリンクより旨いお茶が出来るのかよ? モンスターに勝てるの?」
とか言われても、そういうものを目指してる訳じゃないから気にしないってのと似てる。
>逆に唐手にそれほど思いいれが無い人なら自由組手推奨するだろうけどね。
で、自己レスになるけど、唐手が好きで唐手の文化を大切にしてる人ほど組手はやらんけど
あまり唐手に思い入れが無い人は組手をやっちゃう。その代表格が本部。
本部は一見唐手が好きなように見えるけど、厳密には唐手が好きなんじゃなくて、根源的には
殴り合いが好きだったんだと思う。だからナイハンチ以外に本当は色々知ってたにも関わらず
普及として他の唐手家みたいにあれこれ他の型を教えなかったし、そのナイハンチにも分解を
こじつけれる事が出来たにも関わらずまったく残していない。ここら辺、上地と似てる。
上地も自由組手を推奨してたし三十六以外は剛柔流のパクりだし、その型だって3つしか教えていない。
上地にとっては唐手は多分、食い扶持になればいいかな程度でリスペクトもクソも無かったんじゃないかな。
あと本土で自由組手に関わったのは摩文仁くらいだけど、これは本人の実力もなく、そして教えてる内容が
首里手は船越、那覇手は宮城で、別に摩文仁である必要ないよね?っていう自身の商品の「売り」が無かったから
色々模索して防具組手とかしてた時期もあったんじゃないかなと。意外な事に、本土の人間は型のコレクションに
喜びを覚える層が居るってことに後々気づきだして自分の立場も安定しだしたけどね。といういつもの長文。 本来はこういう話題に乗じて、沖縄の唐手家は組手をする勇気が無い根性無しだったとか
技術の開発をせずに型やって自己満足してただけのオナニー野郎ばかりだったのが悪いとか
そういうディスりも出来るけど、俺は型肯定派だし沖縄唐手も昔の唐手家も別に嫌いじゃない
というかむしろ好きなのでちゃんと弁護するときはする。船越より前の世代の唐手家に非はない。
が、もし非があるとしたら、その次の世代。1950年代後半くらいから開祖格や関係者が没っして
高弟達が自分の会派を率いるようになった。その世代の人達は今後の沖縄唐手のあり方の舵切りを
する立場にあったんじゃないかなと思う。つまり組手や分解を導入するか、それとも今のまま型だけ
やって日々の楽しみと健康維持で終わらせる方向でいくか。そこで保留、ないし今のままを選んだ。
俺は組手や分解を導入した方が良かったんじゃないかな〜〜と思うのだけど、まあ伝統を守るのは
良いことだから高弟達の世代はそういう道を選んだのね、でまだ非はない。問題は次に続く孫弟子の世代。
組手もしなけりゃロクな分解もなくてあるのは古い型だけなのに本土の伝統派やフルコンに謎の上から目線。
そういうウンコは滅んでいいんじゃないかと思う。 曾孫弟子の世代である令和の今は、組手では本土の伝統派やフルコンに差がつき過ぎて
もう追いつけないので、これぞ本来の分解、と称してマウントを取りたがる傾向にあるね。
一昔前は、これが本来の型の動作、だったけどそれだけじゃ無理なのを学習したのはエライw 文化を継承しなければならない 自由組手のために防具、ルールを
もうければそれはもう空手じゃなくなる、
というのは正論だがコテコテの沖縄人、本土への発展を願わない人間の考え方だろう。
弓道や居合は、柔道や剣道とならぶ
メジャースポーツに、ってな大それた考えはなかったはず。
本土で学校体育で、警察武術で、軍隊の格闘技として発展していほしい、と
願うなら糸洲はそんなこと言ってる場合じゃない。
沖縄という閉ざされたところで柔道も防具剣道もなかった、と俺は思ってたから
ほなら糸洲は仕方ないなあ、と思ってたけど本土の潮流、実態をその目で
見ていたのならあまりにピンアンと巻き藁でメジャースポーツ目指した
糸洲はあまりにもあまちゃんだろう。沖縄で反発がすごいなら本土でそれを
推進させるべきだったし、物腰やわらかそうな船越を窓口に、急進派を
どんどん送るべきだった >>877
>本土で学校体育で、警察武術で、軍隊の格闘技として発展していほしい、と
>願うなら糸洲はそんなこと言ってる場合じゃない。
いや、発展させる必要はないのよ。ただ軍隊とかで導入したら有益だよって話。
>ピンアンと巻き藁でメジャースポーツ目指した糸洲はあまりにもあまちゃんだろう。
メジャースポーつを目指した訳でもないのよ。ただ軍隊とかで導入したら有益だよって話。
発展とかメジャーを目指したとか、ちょっと勝手な糸州像をこさえて一人で憤ってないか?
そもそも唐手が沖縄県や軍隊に注目されたのは元をただせば兵役の検査で屋部を筆頭に
糸州の弟子達が筋骨隆々だったからだよ。大事なのは、別に殴り合いが強いから注目された訳じゃない。
唐手は場所も取らず相手も要らず立派な体を作れて尚且つ(建前上は)武術性も身につくってのがウリで
海軍の狭い軍艦の中で水平の運動不足が問題になってたけどちょうど良いんじゃねーかって点も気に入られた。
当たり前の話だけど警察も軍隊も柔道や剣道はとっくに取り入れられてる。格闘技的な面ではなく身体的な強靭さを
養う方法が欲しかった側と、格闘技的な面は弱いけど身体的にはマッチョになれる側の利害がピッタリ一致したから
途中まで話が進んだだけ。導入が頓挫してしまった理由は色々説があるけど(沖縄を含めた地方部落への差別があった
とか既存の武道勢力が猛反対したとか)、糸州がもし本当に剣道や柔道に技術でも勢力でも打ち勝つのを目的としていた
のなら対人稽古をもっと発展させたろうよ。糸州はそれをしなかったし、船越だって本土に来る前に約束組手や分解を整備
することだって出来たハズだけどしなかった。マキワラや型で天下を取れるとか思ってたんじゃなくて、そもそもマキワラや
型をやって修養とするのが唐手なんだから、その沖縄の文化(武術)をただ本土にも紹介しようと思っただけだよ。
分かりやすく言うと、ラジオ体操。軍隊は海軍体操があるし、警察にも専用の体操があるだろ。
あの体操は健康維持やウォーミングアップ程度の存在だけど、同じ体操をするなら沖縄の唐手を
やらせた方が健康維持どころか体力増強だからコスパいいんじゃね? という感じ。そういうポジション。 >糸洲はあまりにもあまちゃんだろう。
貴方は船越であれ糸州であれ、誰か犯人探しをしないと気が済まないように見える。
唐手の型に大した意味なくロクに組手もせず技術もスッカラカンという現在の状態に
したのはいったい誰の責任だ?みたいな感じ。
もうさすがにスレ違いだからやめるけど、誰の責任でもないよ。元来そういうものだったってだけの話。 実はここひと月型がマイブームなんだがいろいろ型を観てたら
平安ってのは要は型のベスト選曲みたいなものなんだろう
平安とナイファンチだけで型は事足りるんじゃないか?
クーシャンクーなんて無駄に長いけど平安よりなにが優れてるんだ? >>880
クーシャンクーを初心者に学び易くしたのが平安の初段〜五段
クーシャンクーには平安にはない飛び蹴りなどの動作も入ってる
クーシャンクー出来るならば平安こそいらないよ 平安って糸州が創作したにしては各段の作風がバラバラ過ぎるよね?
ここら辺も調べてみると意外な発見があって面白いよ とび蹴りなんかまあ使わないだろ。無駄に長いし。跳び蹴りくらいしか
違いがないなら平安でいいか? >>884
クーシャンク―が上手くできる方が達人ぽいからクーシャンク―にしておきなよ。
いざとなれば型の試合でも使えるしな >>884
それを言うなら空手の型は型試合と昇級昇段審査以外ほぼ出番ない
そして試合に使えるのは圧倒的にクーシャンクー
少なくともクーシャンクーを避けて平安をやり続けてる有段者を俺は知らない 日本だけか知らんが空手家がラウェイルールで試合すると型のような動きになるって言ってる人いたな 古伝の型をオリジナルアルバム、平安をベストアルバムだとした場合
クーシャンク―はシングルカットされた曲も多い名盤って感じかな?
でも70分超で長すぎるし同じような曲も多いしで。
そらならベストアルバムでいいじゃんって思うのよ 何をもって優れてるというのかで違ってくるんじゃない?
武術として見るのか運動として見るのか身体芸術として見るのか
伝統性や娯楽性や商品性などによっても価値は違ってくる
そこを曖昧にして優劣を語っても堂々巡りだと思うよ 普段やるならないふぁんちとかさんちんで充分だろ。そればかりだと飽きたりつまんなかったりするからほかのかたをやるんだろ >>889
もう、語りつくされた事だけどさ
型の試合や昇段審査に有効
組手試合や他流試合に無効
戦えないと言う意味では武術性は皆無だな
芸術性と言うのはあるけど、組手だって芸術的だと言える。
娯楽としては空手をやっているマニアしか良さが分からんからなw 単に型練習についていけなかったヤツらが、俺らが駄目なんじゃない学ぶ価値がない技術だったんだ、と
すっぱい葡萄理論でゴネてるようにしか見えない
三戦ぐらいはやったことあるよな?
それを無駄、というのならもう何をいわんや、だ ああ サンチンは無駄だよ。
逆に聞きたいが型に一体何を求めているんだw 昨日北斎漫画展を観に行ったんだけどさ。北斎ってスゲエ。
ひとりアニメーションみたいなこともやってた。
型が使えるも、役に立たないも、どっちも根拠に乏しい。
多くが失伝してるから。
もし北斎が琉球に長逗留してメジャーな型をアニメーション風に描き切って
その文献が残ってたとしたら意味不明な動きも解明されたろうな。
そうすれば世界中の格闘術が知られるようになった現代でも型に学ぶ価値があるか
実は深みもなくいまとなっては学ぶ価値もないか、はっきりした答えが出ていたと思う サンチンは外国人がこれがサンチンの本当の意味だと本を出してるくらいだからな。
日本の空手家も知らなかった 三戦(サンチン)の「なぜ?」 身体構造に基づく姿勢・動作・呼吸・意識で最大のポテンシャルを引き出す!
如何に型の意味が失伝していてコジツケまくってるかという証拠だよな。 失伝っていうのも語弊があるけどな
まず根本的に型に本来武術的な意味があったということが全然証明されていない以上
失うもととなる技術の存在が不明瞭だから失伝そのものが成立しなくなる
仮に失われてしまった意味があったとして、どの程度のレベルかというと・・・もう語りつくされた結論しかない。 余談だけど、豆知識として古い時代に作られた型になればなるほどその意味は無いに等しいかあっても低レベルになるが
逆に新しい時代に作られた型になればなるほど(あと創作者が若いほど)昔の型に比べて武術というか技術性を帯びてくる。
クルルンファーの太刀を振り下ろすような動作とか、シソーチンの腕関節抑えとか
上地も明らかに金的を狙った手わざとか、棒術を焼き直して型にするなどしてる。
まあ武術性を帯びてるといってもその程度で、突いたり蹴ったりだけの型だとか
突き蹴りどころか舞踊と遜色ないナイハンチに比べたら、の話だけどね。 武術だけだよな 昔の方が凄い技術があるって言うのは
スポーツや格闘技はそんな事を言わない
サンチンやればナイファンチやればあんな力やこんな力が身につく、と言っても自由組手を重視してる武道や格闘技にボコボコにされる現実
型にはこんな分解がぁ、と分解組手じゃ複雑な綺麗に技を決めらるが自由に攻撃してくる相手には対応できない
あとは「実戦がぁ」「試合には使えない技がぁ」と言うしかない
弱くても伝統の技術を身に付けたいんだ、とかなら納得 型なんていくらやっても弱いままだし、永遠に武術的な技術が身に付くこともない。
だけど
幸い型の試合って言うのがあって、これが唯一活躍できる場なんだけど
その唯一活躍できる試合ですら、型ヲタは否定するよね。
型ヲタは型の試合に出ても勝てないから、否定しているんだろう?
試合に出ないで、自己満だけで型をやってりゃ誰にも否定されないからなw
そして、自分のやってる型は試合の型と違って高尚なものだと思い込んでいられるからなw 型の採点競技って意味わからん
型稽古の目的はあくまで組手への反映だしな >>902
組手に応用できないから意味がないって言ってんだよ >>903
浅い
近代体育の観点からしても表面的すぎる
空手は、いや格闘技は人の形をしたシャモの喧嘩ではない 浅いと言えばブルースリーの映画にこじつけてオフスパーから逃げたのに型が勝ったとか言ってたアホがいたな(笑)
いくら空手の型が浅いからってジークンドーに背乗りして勝った勝ったとか恥ずかしくないのかなと でもこれは舞踏という観点になるかもしれんがフルコンだろうが寸止めだろうが
いろんな型をやりこんでる選手の組手ってきっと美しくて人気出るだろうな >>905
結局空手は武術では使えないというアホの証明に終わったもんな 他武道を引き合いに出してしか空手の型の有用性を証明できないなら空手の型は浅すぎるだろ
サンチンですらアメリカ人に本当の意味(笑)を解説されてるんだもんな 多分、型の解釈やこじつけでも外人に負ける日が来るんじゃないかな
軸が〜バランスが〜とか小学生でも思いつくヌルいこじつけを言う日本人と違って
外国の場合は最新のスポーツ理論があったら「あ、じゃあこれサンチンの意味にしようぜ」
とか何の躊躇もなくこじつけちゃうかもしれん。変に武道性にこだわって丹田呼吸がどうだの
姿勢をまっすぐがどうだのって制約にとらわれてる日本人よりよっぽど先を行くんじゃないかな。 アメリカ人の三戦の解釈は実際に出版されてるから日本人の敗けだよ
このスレの型オタはオフスパーから逃げるのが型の解釈で勝ちとか出版できないレベルの雑魚だから本当に情けない >>907
アレは空手対空手の話で
型の動きで戦ってやるって言ってなかった?
後輩が〜とか警察が〜とか嘘を重ねて逃げたけど 確か【型の強さを証明する】だったな
それを後から現地に誘き出されたから【型の兵法で勝った】などと無理矢理ゴールポストを動かしてブルースリーの映画を引き合いに出して勝った勝ったと泣きわめいていたが
あくまでも最初に【型の強さを証明する】と言っちゃってるからオフスパーから逃げただけという現実 ゴールポストを動かして精神的勝利ってヤベーな型オタはwww 外人のサンチンの本は前に俺も買った。
でも難しくてページが進まなかった。
だいたい外人特有のチャプターごとになんかポエム添えたりするのが大嫌い しかしただの近代スポーツ組手競技にしかならないのもつまらんな
手先足先タッチゲームや首下どつき合いスポーツ競技でしかないのは 型にはよくわからない動きだらけで実戦で使えるかどうかも怪しい、いまとなっては
使えないだろうというのが過半数だろうけど残しておくべきものだと思う。
美としての側面もあるし。
ただ、それは組手稽古より大事かというとそれはありえない。
そのどつくだけ、タッチするだけに陥らないように保管として学ぶべきであって >>917
組手試合の役に立たないなら捨てて構わんてならんか?
俺は型が組手で勝つ役に立つと思ってる派だが >>918
まず>>840への質問に答えるのが先じゃないかな? >>919
文献から以下引用
一人で三戦の方を稽古する時、私は深い瞑想状態に入ることができる。
自分の内面に入り込むには、まず自分のまつ毛を見つめる。
そうすると額の天目というツボー眉と眉の間よりやや上の部分ーに精神が集中する。
このことが意識を外部から内面へ向かわせるのである。
そして呼吸法とともに型の世界に入り込んでしまえば、すでに外界からは完全にシャットアウトされた境地である。
そのなかで私は、体内を巡る気の流れをはっきりと感じ取っている。
おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法だったのだろう。
これは1回の稽古でそう何度もできるものではないが、継続して練れば大きな効果があるものだ。
ちなみに「まつげを見つめる」という意識の使い方は、仏教の言葉から発想したものだ。
こんな句である,
「仏法は瞼の上のつるし物、あまりの近さに見る人もなし」
これは
「悟りというものは、自分のまつげのように目の前にあるものだ。
人は特別の事のように思って他を探してしまうが、そうではない。
朝起きたら顔を洗い食事をする、当たり前の事を当たり前にするという、日常の中にこそあるのだ。
だがあまりに身近すぎるので誰も気づかない」
と解釈するのが普通である。
(廣重毅「極真空手 城南支部 強さの秘密」より。故 廣重氏は緑健児・八巻建志・数見肇・塚本徳臣らの極真王者を育成した) キックボクサーがボクシンググローブ着けて型稽古をすれば有用ではないかと今思った。
ひとつの型を最低でも1000回、効果を確実に得るには3000回くらいはやらないといけないらしいけど。 >>920
なるほど
自分の頭で考えたのではなく、やはり受け売りですか。
私は>>675で書いたように
「あの○○先生がそう言ってるからきっとそうなんですよ、僕もそう思います、だから型は使えるんです
というレベルの話でしたらもうお腹いっぱいなのでお引取りを。」というスタンスに変わりありません。
あとは>>840さんのレス待ちですね。呆れて閉口するかもしれないけど。 >>920
>そのなかで私は、体内を巡る気の流れをはっきりと感じ取っている。
気の流れねえ・・・。この先生は気についてどの程度知ってるのかな?
少なくとも経脈と絡脈の違いや性質くらいは理解してて言ってんだよね?
気の流れと言っても、奇経の中の任脈や督脈について言ってるのか
それとも十二正経(人体を流れる十二本の気の道筋)のことを言ってるのか
奇経にしろ正形にしろ流注の概念(十二の道筋を臓器を交えてどういう順番で巡るのか)
を理解してない事には気の流れもクソも無いんだがな・・・。そして俺が思うにこの先生は
そういう基本的な事すら多分勉強してないんじゃないかな、と説明を読んでて感じる。
この先生に限らずだけど、日本の武術の世界だとよく勘違いされてる事があって
気の流れは弱いとマズイけど強いのもそれはそれでマズイ。どっちも異常。
例えるなら、腕の筋肉が麻痺や衰弱してまったく力が入らないのはマズイけど、
さりとて四六時中ずっと力が入り続けてて関節すら曲がらないほど硬直してるのもマズイ。
ニュートラル、つまり普段は柔らかいけど力を入れれば固くなれる陰陽の調和が取れた状態が一番いい。
だから気の充実ってのは、気が不足している人はマイナスだからゼロポイントまで戻しましょうねって話で
あって、どこも悪くないのに事さら体に流れる気を強く強く、ってのは漫画や小説では良いけど実際は間違い。
日本の武術の場合、特に中国拳法と関係がある(とされてる)空手においてはここら辺を勘違いする先生が多い。
その原因は気について大して知りもしないのに「僕がそう思うからそうです」理論で語ろうとしたがること。 俺はたまたま東洋医学を学ぶ機会があったから知ってたけど、上で書いたような十二正経だの
任脈や督脈や流注だの、気なんて深すぎて勉強するのが面倒だよって人のほうが大半だと思う。
でも、実は俺が上で書いた気の概念なんてのは、ネットでググれば10分かからず得られる知識で
人に説明してもらうなら5分で終わる。初歩の初歩すぎる知識だからな。その程度の事なのよ。
そしてその程度のことを、面倒だからやらない、じゃあどうするかといったら
「僕がそう思うからそうなんです」理論に頼る。気の流れだけじゃない、呼吸にしてもそう。
本屋で解剖学の本を数ページ見れば肺や横隔膜の構造なんて書いてあるのに、それすらせず
とりあえず「腹式呼吸が良い」ってことで終わらせちゃう。全部が全部こんな感じ。検証すらしない。
なんでそうなのかな〜って考えたけど、まあ、つまり結局本気じゃないって結論になるんじゃないかな。
まつげを見る瞑想がどうだのってのも、腹式呼吸と同じくありあわせの知識でじゃあこれ流用しちゃおう
で終わり。現実的かどうかは気の流れを感じるのと同じく瞑想している感じが僕はしてるのでOKって事にする。
本当に型とは何かを探ったり、あるいは意味がなくても型を使えるようにしたいと思ってるのなら
こんなお粗末なマネはしないと思うけど、でもまあ結局、面倒の壁の前では型もこの程度でいいってのが本音なんだろうね。
>おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法だったのだろう。
で、僕がそう思うからそうなんです、の延長がこれ↑と。はあ・・・。
まあ、結論として型を肯定したい気持ちは分かるんだけどさ。
主張しますよ、でも面倒だから調べませんよ、だけど私の言ってる事は正しいですよ、は通らないよねって話。 >>918
俺は何者でもないから断言はしないけど型が組手に役立つと思わん。
そういう意識もってやれば役立つこともあるだろうけど必須とはどうしても
思えん。
でも組手の役に立たんから捨てていいとは思わない。
難しい型をいろいろ練習すれば組手の動きが美しくなるとは思うし
ま、それは装飾的な技巧となって武術、格闘技、護身術として退化になる
可能性もあるけど >>922
そりゃ実績も実感もない何者でもない自分の想像よりも世界的実績のある指導者の実感から言ったことの方が議論や考察に足るでしょう
もちろん型の効果は型をやらないと得られないし得れると信じてやらない限りはいくらでも否定できるとは思うし信用できない人は帯審査の前しか型をやらないでしょうね
フランシスコ・フィリォも師匠の方針で型はみっちりやらされている 小難しいそういうマニア化した知識こそ受け売りの無駄くさいかも
と言ってみる >>926
>そりゃ実績も実感もない何者でもない自分の想像よりも
想像、つまり頭の中で考えてただけという事ですか。
だったら自分の考えよりも権威ある人の意見におもねってしまうのも納得です。 >>927
>小難しいそういうマニア化した知識こそ受け売りの無駄くさいかもと言ってみる
そもそも気なんていう非科学的でマニアックなものを感じるとか言いだしたのが廣重氏ですからね。
よく知りもしないのに気がどうこう言う廣重氏の話が無駄くさいというなら納得です。 >>928
そっすね
自分の実感だけならまだ到達してない未知のものを学んだり教えてもらう必要もないわけで
自分がウォーリーが見つけられないからウォーリーはいないんだとか主張するタイプよりは体験した人の証言と実績などの例を出す方がまだ生産的だと思う >>929
東洋医学が非科学的でマニアックかどうかは自分にはわからない。
たぶん個人差が大きく再現が難しいものの科学的だとは思うけど。 体の中にあるツボは365ある、と中国の古典に書かれていて
実際に調べてみたらヤベー数がちょっと合わなくなったよw
っていう人間臭い話は置いといて(wHOが認定するツボは361)
東洋医学の本場である中国では上で上げたツボとは別の、独自のツボや
独自の経絡(気の流れ)を伝えてる一門だったり一派だったり一家だったりが
無数にあるのでそれと関係ある中国拳法が気の流れがどうこう言うのは、まあ置いとく。
だけど日本において、まして中国拳法と大して関係のない唐手が型において気の流れがどうこう
言うのは恥をかくだけだからやめた方がいいんじゃないかなー、と思いますわ。
那覇手の東恩納や宮城や許田が気の流れがどうこう言って指導してたなんて聞いた事ありませんしね。
>>930
>自分がウォーリーが見つけられないからウォーリーはいないんだとか主張するタイプよりは
>体験した人の証言と実績などの例を出す方がまだ生産的だと思う
そっすね 。どこに居たの?って聞いても「俺が居たと言うんだから居た」って人の意見を鵜呑みにしてください。
たぶん尊師が空中浮遊をしたって信者も同じような精神状態だったと思います。
>>931
空中浮遊してるウォーリーを見つけられる日が来るといいですね。応援しています。 じゃーちょっと出かけてくるので。適当にレスしてスレ盛り上げといて。よろしく。 鍼治療とか効果あるのかな
電流を流すといいのか
押す箇所によって体の部分別に効果あると言われる足裏のツボはどうだろう
組手技術や組手強化のための稽古の優先順序も指導者によって違いがあるから自分の信じたいもの、信じたい説に沿ってやっていくしかない
廣重氏のところやフィリオはもちろん型稽古メインではないけど型もやって史上最強レベルと評される実績は出している
あと見映えの問題だけど型や移動や基本といった空手の元々の動きに沿った稽古を無駄だからと排除して無くしてしまうと出来損ないのキックボクシングのような低劣なものしか残らなさそうで嫌というのがある
自分がもう一般部のトーナメントに出れないほど歳をとったせいもあるけどそういう空手的な動きの稽古は精神が浄化される気がする
それこそが気であり気のせいとも言えるかもしれませんがね >>906
実際はショボすぎて全く人気が出ないんだよ >>915
科学的な裏付けがないものは、ポエムでごまかすのはオカルトの十八番だよ。
これは世界共通だね。 >>916
本来打撃系の格闘技はそんなもんでしょう。
組手だけでもかなりのテクニックがあるから、十分面白いと思うけど、それがつまらないと言うなら仕方がないね。 >>918
そう思うのは勝手だけど、何年もここで議論されてきて、重要性を説明できた人が1人もいないから、結局無駄なんだと思うよ。 >>921
とりあえず、大きな数字だけ並べておけば、すごいものだと思われるよと思ってるかもしれないけど、逆効果だからやめたほうがいいよ。 >>925
前から言ってるけど、形をやると組手の動作が変わるなら、組み手の選手の動きを見たらどこの流派のどの型をやりこんでいるか当てることができるはずだけど、実際問題わからないよね。
これが答えだと思うよ。 >>934
昔強かった選手を持ち出して、形を練習に取り入れていたと言うのはどうかと思う。
そんなに凄く良いものであるなら、今の格闘家は型を取り入れているよね
結局のところ、もともと空手をやっていて形をやっていたか、実績に悩んでオカルトに走った選手ってだけだと思うよ まぁ、正直言って今格闘技で行われている練習方法が必ずしも正しいわけでもないし、ときには疑ってみるのも良いことだと思う。
人によって練習の時間配分も違う
ただ、型に限っては昔から普通に行われてきた練習方法だったのは間違いないので、その型が今一般的に行われている練習方法になってないと言う現実を見る限りでは、型は有効な練習方法でないとみるのが普通なんだよね
不必要、効率が悪くて無駄なものは淘汰されるのは仕方がないよね。 あれだけの運動神経と、手わざのように蹴りを操れるフィリオなのに
型があんだけモタモタしてるってのは稽古の比率のうち型は数パーセント
くらいだと思う。「師範がやっとけっつーからちょっとやっとかないと
怒られるし」程度のもんだろう 証言といえばラウェイの試合に出たり素手で顔面や金的攻撃、頭突きを認めるルールの空手興行をしてる村井義治という人がナイハンチの型は素手の正拳突きに大切な身体操作が身について、古伝の型はなんでもありを想定してるので掴まれた状態から、いかに効果的に打撃を放つか?という知恵も伝わっていると言ってる。
つかみにも対応し、短い間合いで強力な突きを放つ工夫がなされていると。
これをもって俺の意見として型は有効と大風呂敷広げないが、そういう証言もありますよという紹介をさせていただく。 オリンピックで金メダルを取ったんだから人格も金メダルのはず!
なんていう頭お花畑の人は笑われてもしょうがないよね。
その人の技術とその人の人格は別物なんだから。
技術と人格が別ということは、技術が高くて実績を残していても
人格が低くて平気でウソをつく輩も居るということ。
人格が低くなくても立場や思想によってはやはり人は結果的にウソをつく。
例えば弟子が自分より強くなると面倒だからウソをつく、誤魔化す
あるいは強くなって欲しいけど血族じゃないから仕方なく相伝も印可も
渡せず必要なことは全て教えたから後は自分で頑張ってと放任する。
日本はなまじ武道や武術の長い歴史があるんだから、そんなの珍しいことじゃないのに
なぜか有名な先生だから有名な選手だから、と肩書にコロっと騙されちゃう。
そういう純粋まっすぐ君が居る限り、空手にしろ宗教にしろ騙す側の人間は安泰だね。
まあ、かくいう俺も調査の初期は有名な大学教授だからとか、有名な郷土の研究者だからとか
そういう立派な人達が都合の良いウソや、まして捏造まがいの事に加担するするハズない!と
純粋に思ってて大分遠回りさせられたんだけどねw 人間、痛い目を見なければ目は覚めません。 >>925
>そういう意識もってやれば役立つこともあるだろうけど必須とはどうしても思えん。
>でも組手の役に立たんから捨てていいとは思わない。
殴りあいの技術を磨いたところで、じゃあ実際に1年のうちで何回殴り合いの機会に遭遇するの?
って言われたら、たぶん日本に住んでる限りは普通の社会人なら3年に1回あるかないか。
若い学生ならもうちょっと頻度は増えるけど、それでもこのご時世だしね、1年に1〜2回なんじゃね?
前にも書いたけど、1年に1回あるかないかのために殴り合いの練習なんてするよりも
残りの大半である360日以上を、日々型をやって自己満足に浸って楽しく過ごせるほうが
よっぽどコスパ良い。そういう意味で型は殴り合いの技術なんかよりもずっと価値があると思うよ。
実際、昔の沖縄はそういう状態だったから型が上手く機能して文化として残った。
組手に効果があるから残ったではなく、オナニーとしての価値が高いから残った
というところをちゃんと自覚してる分には、俺は型は廃止せず伝えていくのも良いと思う。 >>945
>古伝の型はなんでもありを想定してるので
もう散々その話は議論され尽くしたじゃん
過去の文献をいくら探してもそんなの誰もしてなかった
型稽古がメインで自由組手どころか分解組手もやってなかった
最近になって創作して「これは昔からあったんだ」と言ってるだけだと
まさにその人がそうじゃないか
だからその人が「ナイハンチの型を研究してみて試合でこう使えた」と言えば
それが実際そうなら「そうなんだ」で納得するやろ
「古伝です」なんて嘘言わないでこれから型の使い方を新たに考えて行けばいいんじゃね?って
「これは昔から伝わった技術です」と言うと「それは嘘」って突っ込むしかない
だって誰もやってなかったからって話
何も理解してないんだな >>947
殴り合いの機会が日本に住んでる限りは普通の社会人なら3年に1回あるかないか
っていったいどこに住んでるんだお前はw
俺は空手を習ってたのは学生のころだけだったけど結局喧嘩することなく終わったから
高校生の時以来一回も殴り合い機会に遭遇してないしそれが相場だろう。
よしんば俺の住んでるところがだいぶ治安のいいところだったとしても
平均して殴り合いの機会があるのは社会人で20年に一度くらいじゃないか >>949
>殴り合いの機会が日本に住んでる限りは普通の社会人なら3年に1回あるかないか
>っていったいどこに住んでるんだお前はw
スマン、確かに話を盛ったわw いやね、一応これでも気を使って言ったのよ
まったく使う機会ないものを練習してるだろってのも、それはそれでちょっと寂しいしさ…。
前にも書いたけど、沖縄の武器術はクーシャンクーだのナイハンチだの珍妙な名前はついてない。
○○さんの棒とか至ってシンプルな名前。この武器術ですらどこまで実用的であったかは甚だ疑問だけど
ただ世界中の国の歴史を見るに、素手よりも武器術の方が先に発達してるってのは共通してて
結局素手の殴り合いってのは小学生くらいならまだしも、大人になるにつれて非現実的なんだよね。
だって本当に治安の悪いところなら素手でやりあう必要なくて武器持った方が確実。だから武器術が先に発展する。
ボクシングとかムエタイみたいに興行や商売としてなら発達するかも知れんけど、そうでない以上は沖縄も含めて
わざわざ素手の技術を高めようなんて普通なりにくいわな。むしろ今の飽和した時代だからこそ可能なんだろうね。 関係ないけどここの言い争い流れ星のちゅうえいとTAKIUEの言い合いみたいな視覚イメージ 伝統派やってたけど、当時、型は奥深くて意味があるものだと思っていた
組手になるとステップ踏んで、全く関係ない動きになる。それでもちょっとした動きに影響あるのかなと
でも、型は変にこだわって意味ないものに進化してるのかな
型以前に組手の基礎で中段受け、下段受けとかやるけど、組手をやり始めるとそんな形ではやってられない
中国拳法も型はあるけど、実戦で使わなくなって使えないものになってるんじゃないかな
動画で、欧米で空手をやってる女の子の型が、クルクル3回転くらいしてて笑った >あとは>>840さんのレス待ちですね。呆れて閉口するかもしれないけど。
亀レスで申し訳ない840です。
>一人で三戦の方を稽古する時、私は深い瞑想状態に入ることができる。
>自分の内面に入り込むには、まず自分のまつ毛を見つめる。
これが空手に伝わる独自の瞑想法であり特定の型に付随された口伝であると文献資料等でも証明できるならば空手の型に瞑想が包括されてると言えよう。
しかし
>おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法だったのだろう。
> ちなみに「まつげを見つめる」という意識の使い方は、仏教の言葉から発想したものだ。
おそらく〜、仏教の言葉から発想、と明らかにこれはこの先生個人の独自の解釈によるものであり、果たして他の空手家が睫毛を見ながら型を打っているのであろうか???
普通に目を開けてると睫毛なんか見えない。
いわゆる座禅の半眼(半目)のような目付きになる。
こんな目付きで型を打ってる人がいますか?
この先生個人の工夫にケチをつけているのではなく、他に誰もやってないような一個人のやり方で、空手の型には瞑想が含まれてると一般化して主張するのは暴論ではありませんか?
既に書かれてますが、呆れて開いた口が塞がらないです。
こんなので空手の型に瞑想があるなんて主張するのは恥ずかしくありませんか? 使わないから微積や古文漢文の勉強が無駄って言ってるようなものかな >>954
空手の型は微分積分のような高レベルな数学のように見せかけておいて、実は中身が個人の思い付きやパクリやコジツケだったと判明するから叩かれている
空手の型は古典のように歴史があるように見せかけておいて実は後付けの本当の意味とやらが現代人の思い付きやパクリやコジツケだったと判明するから叩かれている 空手の型を数学に例えるところから間違ってる(笑)
近年に作られたピンアンですらいわゆる四大流派でも解釈がバラバラ
数学の定理のように誰がやっても同じになるような法則性は皆無
>>953のような一個人のやり方だけを普遍の法則のものとして主張するのも数学的ではない 型を分解した移動稽古も基本稽古も無駄かえ?
試合に勝つなら組手を想定したシャドーの突き蹴りに換えるべきかね?
ボクシングやキックみたいに >>954
>使わないから微積や古文漢文の勉強が無駄って言ってるようなものかな
古文漢文を勉強することは決して無駄じゃあないよ。
ただし微分積分を解くために源氏物語を勉強しても時間の無駄だよね。
>試合に勝つなら組手を想定したシャドーの突き蹴りに換えるべきかね?
本当に試合に勝ちたいなら、あるいは勝つためにそれがより良いなら当然そうすべき。
型の試合に勝ちたいのに組手を想定したシャドーにこだわる理由は?と聞かれても失笑されるのと一緒。
微積と古文のどちらが優れてるかという問題ではないし、型とシャドーどちらが優れてるかという問題でもない。
目的に対しての効果の問題。価値なんてのは条件によってコロコロ変わるから論じても意味はない。 >>954
>使わないから微積や古文漢文の勉強が無駄って言ってるようなものかな
えっw頭大丈夫? 組手のために型は役に立たないという解釈なんだなあ〜
そうかあ 空手の型を微分積分や古文漢文と同列に語ってることが頭おかしいという意味では? 空手の型は偽史に例えるのが適切かと。
>偽史は史料そのものを捏造したり、不適切な史料操作や不利な史料を無視したりすることにより歴史的叙述をでっち上げることで創造され、多くの場合自らの真正性を主張する。
>製作者の思い描く「本来あるべき理想」を真摯に記した偽史 むりやり現代の組手に役立つ解釈を型にこじつければ組手に役立つんじゃない?
このスレで叩かれてるのはそういう創作や他流のパクリを、これが本来の空手の型に伝わる意味なんだと歴史を捏造してることなんだけどな。 >>964
逆
現代の競技ルールにこじつけ様とすればするほど使えない、意味不明になる
理由としては結局伝統空手の型の内容を分解するとそれこそスポーツ空手じゃ禁止されてるようなののオンパレード状態になんだから >>965
そもそも空手の型にちゃんと意味が伝わってなく「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」程度のものだから現代人がむりやり意味をこじつけて本来の空手を講釈しているわけで(笑)
>空手は大正時代に沖縄から本土にもたらされたが、初期の頃はやはり型稽古が中心であった。一種の分解組手(型分解)のようなものはあったが、「分解して本に書いてあるわずかな組手しかなくてあれが中心でした」(小西康裕)とされるように、わずかな数しかなく体系的なものでなかった。内容もいまほど精妙をきわめておらず、ずいぶん疑問な点があったが、質問しても「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」という 組手試合から逆算した勝つためのトレーニングか一番合理的なんてそれはそれで嫌だな
それこそフルコンなら出来損ないのキックボクシングで伝統派は出来損ないの手足剣道みたいで >>966
沖縄で代表的な型である平安などが出来たのが明治後期、本土に伝わったのも同時期だよ
そして本格的に本土でも人口が増えだしたのが大正末
その後昭和に入ってから本土空手は沖縄との差別化のため柔術要素などを取り除き独自に型を編纂しなおした
これが今現在本土での伝統空手やそっから派生したののベース
俺が言ったのは琉球空手のほうな 意味の伝わってない、現代人のこじつけの型なんて合理的トレーニング以前の問題だろ。
>一人で三戦の方を稽古する時、私は深い瞑想状態に入ることができる。
>自分の内面に入り込むには、まず自分のまつ毛を見つめる。
普通に目を開けてると睫毛なんか見えない。
いわゆる座禅の半眼(半目)のような目付きになる。
こんな変な目付きで型をやって瞑想ごっこして自己満足してて強くなれるの?
この先生はフルコンで強くなった人なので決して後付けの型の瞑想ごっこで強くなったわけではないのだから、経験のない人間が一からこんな瞑想ごっこの型で強くなれるとでも? >>968
>俺が言ったのは琉球空手のほうな
本土に唐手の型の意味を教えるなという秘密協定の話ですかwww >>968
沖縄空手の何流の何の型が間違いなく昔からちゃんと意味が伝わっているのですか?
その流派名と型名を出せばこのスレの不毛な議論を終了させる事ができますよ
是非とも沖縄空手のその流派名と型名を書いて下さい >その後昭和に入ってから本土空手は沖縄との差別化のため柔術要素などを取り除き独自に型を編纂しなおした
これがファンタジーって話なんだがなぁ
船越さんを突っついても何もなかったから弟子が本土武術参考に分解を考えたってのが証言で残ってる
和道流の小西さんだっけ? 型の解釈が「これが口伝!」とか言い張っててもみんな全然解釈が違う。
新垣も桧垣源之助も勝手に言ってるだけ。
これはもうかつての昔ながらの型の用途をつきとめるのは不可能ということだ
舞踊として、こじつけながらも護身術として、新たにそれぞれ意味づけを
もたらして思い思いに発表するしかない、してけばいいと思う。
それで「おお、その解釈実戦的」と皆が感心すればそれが残ればいいし。
しかし舞踊として残すのはいいけど動きを勝手に変えたらだめだと思う 型否定派は型やらされる空手なんか最初からやめとけば? >>974
否定派も型試合と昇級昇段には必要と認めている
否定したい部分は同じ型なのに流派で解釈がバラバラって所だろうな >>974
>呼吸・姿勢・体幹・丹田・瞑想といった武術の核が凝縮されている
>東洋の智慧・叡智の結晶だね型は
こういう意見を無条件で受け入れなければ型否定派になっちゃうのか?
空手の型で瞑想ができるなら素晴らしいと思って何の型なのか質問したら結局は廣重先生の個人的な工夫で、しかも仏教から発想を得たと言ってるからこんなの空手でなくても何にでも言えるんだよね。
それを全ての空手の型に瞑想が含まれているかのように一般化して型を褒め称えるようなやり方を否定しているだけ。
型オタが勝手に思い描く「本来あるべき理想」の型の創作や捏造を否定しているだけで、現実のありのままの空手の型は否定していないんだけどなー >>977
>>1を読んだ?
空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。 >空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある
これは誰も否定してないんだよ 今野敏の小説義珍の拳を読んだけど
主人公船越義珍は虚弱児でただただ健康体操のつもりで毎日毎日
ナイファンチばかりを繰り返ししてたと。どうも作者の悪意を感じるけど
沖縄でも大なり小なりそんな感じじゃなかったの >>982
コケ脅しに使えることに気づいた
外国とか日本人空手使いと思ってるから なぜか空手の型アンチも中拳には寛容だが
中拳でも同じ流派の同じ套路で動作違ったり意味違ったりって結構あると思うけどな >>968
>その後昭和に入ってから本土空手は沖縄との差別化のため柔術要素などを取り除き独自に型を編纂しなおした
型のどこに柔術要素があったのかな、と。
>>984
寛容っつーか基本興味ないだけだと思うよ。だってここ空手スレだもの。 >>985
少なくとも琉球空手や一部の伝統空手には今でも四方投げとか柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れるのはあるぞ?
そういうのを廃して打撃のみに特化したのが所謂近代空手の原型 >>986
四方投げって合気道の投げ技の用語だよね。
沖縄では昔からその投げ技をなんて呼ばれたのかな?
昔の沖縄では秘密裏にどういう稽古をしてたんだろうね。
師匠「よし、今日は『柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れる技』の稽古をするぞ」
弟子「え、なんですか?」
師匠「だから、『柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れる技』の稽古だよ」
弟子「分かりました『柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れる技』の稽古ですね。
他に練習する技はありますか?
師匠「あと『合気道みたいな四方投げ』の稽古だ」
弟子「分かりました『柔道みたいな四方投げ』の稽古ですね」
師匠「違う、『合気道みたいな四方投げ』の稽古だ」
こんな感じかな。ずいぶん長々とした会話で不便だと思いますが、夢のある話ですね。 合気道師範「今日は小手返しと逆片手取り一教、それと横面打ち四教をやろうか」
弟子「はい」
柔術師範「今日は袖車と朽木倒し、それと片羽折りの練習をしようか」
弟子「はい」
唐手師範「・・・・・」
弟子「・・・」 約90年前
植芝「今日は正面打ち回転投げと後ろ両手取り小手返しを練習します」
古流柔術師範達「(なにその説明文みたいな技名w 新興創作武道は大変だなあw)」
でも令和の現代では誰も笑う人は居ないよ。
そもそも何も恥ずかしくないし笑われるような真似もしてないからね。誰でも最初は初めてなんだから。
もうスレも終わりか。1000まで行って気が向いたら誰か次スレ立ててね。 「空手の型はやったただけ効果的という現実」ってスレ立てたらおまえら荒らしにくるのか? >>990
それ逆に言うとこのスレの型オタは荒らしの自覚があって荒らしに来ていたということになるぞ
>>974
>呼吸・姿勢・体幹・丹田・瞑想といった武術の核が凝縮されている
>東洋の智慧・叡智の結晶だね型は
そしてこういう根拠のない病的な型マンセーを無条件で受け入れなければ荒らしになっちゃうのか? >>986
まぁ俺も今あるから昔から伝えられてんだって思ってたから気持ちは分かるよ
今ある物は昔からあるという訳でないって当たり前なんだがそれに気付けるかどうか >>992
現存してる日本で一番古い剣術と言われてる香取神道流だって二刀や居合は江戸期の伝書から初めて出てくるので創流当時には無かった可能性が非常に高い
今やってる技法だけを見て創流当時からあったんだと決めつけるのは早計
空手の柔術技法が柔道や合気道の影響で型の解釈に取り入れた可能性が高いのは空手の柔術技法に固有の名称がないというのも納得できる
空手の型名のクーシャンクーとかスーパーリンペーみたいに中国語っぽい中拳の擒拿術由来の技法名とかあればまた話は別なんだが合気道固有の四方投げとか言ってる時点でお察しなんだよ アンカーミス>>992に同意で>>986に対してな 次スレからのテンプレに
【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果
を追加してくれ↓
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。 このスレッドは1000を超えました。
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