武壇5ちゃんねる分壇32
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
やるにしても「何故やるのか?」を明確にしないとあんま効果無い
普段の練習でもよく考えて動かないと
コース練習じゃほとんど意味がない ボクシング世界チャンピオン京口紘人選手にパンチを教えてもらってきた!
https://youtu.be/XlFMlG3uWKY やっぱり馬弓捶はゆっくり行うべきだし
手首を回転させたりしちゃダメ >>347
力が溜まってる感覚を優先すべきなんだよ
動かずに行う定式なんだから当たり前だけど
イメージ的には形のある風船に水か空気をギューっと入れる感じ
長いこと掛かって最初にやる方法の有益さに戻ってきた 横レス失礼
https://youtu.be/W8DtmhwOA1g?t=144
劉雲樵も手首廻してないな
個人的には回すと拳に乗った体重(質量)がダイレクトに相手に伝わらないというか
横回転で逃げるような感覚ある >>350
わざと封印すんのよ
そうすることで身体を使う方を優先させる
それどころか動かさない方が強い可能性がある
ここら辺はまだまだ検証が必要だが
腕を棒と同じように伝えるだけの橋とするなら
動かない方がより伝えやすいと考える
そもそも劉雲樵大師が動画でそのようにやってるんだからな
変に「本当は〜実戦的には〜」って奴がくねらせてやってる
そのような変な発想や動きが劉雲樵曰く「雑念」って奴よ むかし自分が教わったのは、訓練段階や訓練目的ごとに、打ち出す方向や拳の種類を変える方法。 >>351
確かに。
しかしこうやってみると、自分が習った体の使い方とは全く違うな。
伝わる力が途切れ途切れにさえ見える???
>>354
>訓練段階や訓練目的ごとに、打ち出す方向や拳の種類を変える方法。
自分もそう。身体の使い方も力の方向も種類も歩法も手形も段階で変わっていく。
>>349 >>352
ちな、俺は股と肩、肘を纏絲させると習ったもので・・・。
動かさずにやってみると、確かに力が溜まる。
>腕を棒と同じように伝えるだけの橋とするなら
>動かない方がより伝えやすいと考える
ここは納得がいかないが、もう少し考えてみたい。
溜まった力は解放させなきゃいけない訳で
そこは省略されてんじゃないかとも思ってるが、
とにかく、「わざと封印させる」という考え方はした事がなかったので驚いたけど
物凄く参考になった。有り難う。 これは自分の勘違いかも知れないけど
小八極拳始めてから自分が人間大の地蔵のようになった感覚の時期があって
外観的にはちょこんと打ってるようでも全体重(質量)が
拳に乗ってるような感覚になってきた 軽く対人で縦拳で相手の腹をさするように乗せても
相手がのけぞって崩れたりするし ガチではちょっと怖くて打てない。
李書文がちょこんと突いただけで相手が絶命したって話もまんざら嘘では無いのでは?
って気になってきた。 とは言えプロ格闘家のパンチやキックの破壊力を上回ることはないのだから
やはり劉雲樵の凄さは当てる技術の凄さだと思う >>360
勘違いじゃない。それが成果のひとつ。
>>361
八極拳の突きは、破壊力で格闘技と比較する内容ではない。
そして戦いで必要なのは当てる凄さよりも、当てた後の凄さと当てられない凄さ。 24式の基準にしてるんだろうけど
競技の世界はめんどうくせえな
邱慧芳示範24式太極拳 - 最新便服版 24 Form Taijiquan - Master Qiu Huifang
https://youtu.be/uh7Jd4PIiNQ >>361
>とは言えプロ格闘家のパンチやキックの破壊力を上回ることはないのだから
ボクサーはケンカになったら強いのか!??アフリカに「路上の伝説」がいない理由
https://www.youtube.com/watch?v=V8ukM2LFVqA >>371
考えるまでも無いのよ
答えはとっくに出てる
屁理屈こねても、使うべき時には使わざるを得ないし
特に劉雲樵太師やその次の護衛の人たちは
仕事として身体と心を訓練し
拳銃と同じように使用出来るものとしてきた
じゃあ我々はどうするのかと言うと
その人たちから直接学ばないといけない
「やれ衝捶の実戦技法は〜猛虎硬爬山の真伝は〜」ではなく
実際に会ってその精神と技をコピーさせてもらうことが重要なんだ >>372
護衛官でも自衛官でも特殊工作員でもない人間が
そんなのコピーさせてもらってもな、、、何になるの?
ただの社会的不適合者が出来上がるだけでは? >>372 それで強ければよいが
強くない奴が精神だけコピーしても
ただ惨めでしかない罠
その上技がデッドポピーでしかなければ何の意味もない
その主張で一番怖いのは、デッドコピーをどうするのか、だよ 実際、武術を比類なき格闘技術と考えてるのは今どき日本人だけでは?
中国、台湾でももっと冷めた目で見てる感じ
アメリカ人にとってのニンジャになってないか? 古伝や真伝が残ってないから仕方がないのだろう
格闘技術どころではなく、
昔は比類なき戦闘技術だったんだがな
それも今は昔の話 >>390
> 昔は比類なき戦闘技術だったんだがな
まだこんな事言ってる人がいるのか >>393 無知なお前が威張っても仕方ないだろ、バーカwww 最近雷公勝ったぞ(笑)インチキでも頑張ったんやな(笑) インチキじゃない武術を自分が身につければ良い
他人は関係無い >>393 ま、カ゚ンフーって基本隠された技術だしね
表に出てきてるのだけで判断されると
こういう感想でも仕方がないのかなとは思うが
その程度の浅さで実践者に何かを語ろうという時点で
アホウの見本みたいな奴でもある >>299 ま、情弱、低能ってのはこんなもんだろw 呉陳比武って、最初から結論が決められてたヤオで
バラエティ番組みたいに、互いに技を出して受けを取りつつ
勝敗は極めない所で落ち着きましょうって約束があったと言うな
それを見て中拳を馬鹿にして笑う阿呆は恥ずかしいwwwww >>407>>408 二人の事前の取り決めの手紙が見つかってるから普通に知られた話だ ま、どうでもいいよ
そんなことは
興味があるのは自分がどれだけ身につけられるかだね そうだね
格闘技でも武術でも大事なのは自分が何処まで身につけられるかだと思うよ
あとは自分の中でのテーマに(護身だったり対格闘技及び伝統の保存など)近づけられるか 初めは理想する形がリアルにイメージ出来るかに掛かってるけど
それが難しいんだよね
目の前でやってもらっても
それと自分を重ね合わせるのが難しい ただ練習重ねてるうちに昔も達人の逸話に近い事出来るようになったりして
そうすると自派への信用が増したり修行が面白くなってくるのでそこから自分が
自然と正しい形に近づくこともあるしね
結局はとにかく初めはあんま考えずにただ修行する事も大事かなって気もする そこに至るのは、どれだけ口伝を受け正しく指導され
練功を重ねた上で、どれだけ戦闘技術に通じて慣れていくのか?
という課題が外せなかったりする
そこを外しまくってきたのが、文化大革命後の近代中国武術であって
まあ、何処まで昔に戻れるのか?
となれば絶望的かも知れないけどね 無理だね
同じことを繰り返しても上達しない
それはまやかしに過ぎない
毎回違うことやってるから進歩するんだよ 何処に同じ事を繰り返すという話があるんだろう? >>415の妄想? >>407 証拠出てるんだけど? 頭おかしいわ、お前。それともただの悔し紛れか? 俺はぶっちゃけ言葉で上手く説明できない領域が武術にはあると思うわ
俺達は三次元を生きてるのに、基本的に速度と距離という二次元的発想の中で武術を捉えているし、そこから発想が抜け出せない
空間を捻じ曲げて若しくは引き連れて動いてくるような動きをする達人も、ゆっくり動いてくるのに先に到達する、動かないのが一番速いという禅問答のような言葉を投げかけるのみだ
そういう領域に凡人が鍛錬を重ねたとはいえ到達できるか?というのは甚だ疑問だ
だが、だからこそそこを目指す 珍妙なことは一切無いけどな
単に知られてないだけで 知らない人には珍妙かつ不可思議に見えるんだよ
学んでみれば理しかないのが解る で、>>421は>>419が不思議がってるない世を
具体的に言葉で説明できて実演できるのか?
>空間を捻じ曲げて若しくは引き連れて動いてくるような動き
>ゆっくり動いてくるのに先に到達する、動かないのが一番速い
↑ こういうのをさ?
出来るんなら今、言葉で説明してみてくれないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています