知恵袋とウィキペディアを駆使すると(笑)、昭和の六十三年間の殉職者数は441名。
年ちょうど七人の計算になります。
 
しかし、うち233人が1945年8月6日、広島市に於いてでした。
 
その余波、後遺症で、1946年までに同市で更に119名。
計352名が差っ引かれ、残るは89名となります。
 
大学紛争やゲリラ、あさま山荘、三菱銀行等、メジャーどころがいずれも投石、火炎ビン、射殺であり、
更に20名が引かれます。
 
残り69名、年ほぼ一名の計算になりますが、これで柔道が優位に多いなんて統計を出すのは、無理でしょう。