テンプレ案

備中伝が無視する歴史的事実
『西暦839年、平安京を守護するため平安京を北から一望できる釈迦谷山の鷹ケ峰に妙見菩薩を配置するため、
 元々鎮座していた愛宕神が移動させられ、釈迦谷山鷹ケ峰は平安京総鎮守の妙見信仰の聖地となりました』

備中伝の根拠のなき主張
釈迦谷は元愛宕=愛宕神を信仰していた流祖が幼少の頃、今出川から歩いて源氏の剣法を修業しに行ったんやー

妙見信仰の平安京総鎮守の山に、愛宕信仰だからという理由だけで流祖が通ったというのは
当時の歴史的事実と信仰を完全に無視した、無知な現代人の発想にしか過ぎません

HPで ttps://www.geocities.jp/minamoto_hitotsugu/takenouchikeifu.html
【元服前、京都元愛宕山(現、大宮釈迦谷山)に於いて家伝の源氏の剣法を修行】
などと歴史的事実のように書かれてますが

ちゃんと根拠を示してください
妙見様を祀ってる地元民を馬鹿にしないでください