木村政彦はなぜ 3
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ゴージャスマックの話は増田本にも普通に触れてたけど、それが再戦できなかった決定的な要因って話にはしてなかったな
そこに違和感感じる人がいるとはちょっと意外 >>100
>>101
力道山後の再起戦で警察沙汰になり
木村本人も事情聴取を受ける騒ぎになっています。
ゴージャスマックの騒ぎは木村も気の毒な面もありますが
そのような状況で再戦の話にならないと考えるのが常識でしょう。
その後にもウエイト別日本選手権が開催され参戦すれば
再戦のチャンスはありましたが参戦しませんでした。 >>100
「力道山が反則勝ちで人気になってプロレス団体一人勝ちになってただけじゃん」
↑
歴史的事実を無視したコメントですね。
1954/12 力道山対木村政彦戦、
1955/1 力道山対山口利夫戦後も
各団体は活動していました。
1956年ウエイト別日本選手権で各団体(四団体)が
日本プロレス協会の各ウエイトの選手に敗れ
日本プロレス協会以外の団体は消えていきました。 >>102
そりゃ事情聴取された直後は無理だろうけど
それを渡海するまで通じての再戦できなかった理由に考える人はあんまりいないんじゃないかなあ
この本が出版された時にネット上でプロレスファンの批判的な意見はたくさん見たけどそこ指摘してる人はいなかったし
プロレスファンの中でも結構レアな感覚なんじゃないの? >>103
1955の山口の試合でも56のウェイト別選手権で力道山(と日本プロレス協会)が勝つブックになってたなら
実質的にはその前の時点で一人勝ちだったと言ってそんな間違いじゃなくないですかね ウェイト別日本選手権は力道山に金で屈服するか否かを迫るもので、それを拒否したと見ることも出来るでしょう。
あくまでもプロレスの世界の興行だから。 >>106
金で屈服というと言い方は悪いけど、各ウェイトで協会の選手が勝つブックを飲んだ所を見るに
他の四団体の経営は相当苦しくなってたんでしょうな >>103
おまえが無視してんじゃん
プロレスがガチじゃないと言ったら
何度言ったらわかるんだよ
日本プロレスの力が強いからこそ
日本プロレスの選手が勝つブックになっただけだろ
他の団体は人気ないから人気の日本プロレスと
興行するだけで儲かるからってことだ >>99
岡野先生はおそらく好敵手の奥田義郎先生から、この技を学んだのでしょうね。
奥田先生は武専出のかたに寝技を授かったと云いますから、多分戦前の武専、高専には、広く知られた技だったのでしょう。
問題は、ではなぜ知られていた技に、木村先生ほどの人が返されそうになったのか?
あれだけ実力差のある相手に返されそうになるのは、正直考えられない事です。
既にスレに挙がったように、矢張り寝技のセンスに一部欠くところがあったのか?
センスが無いのを(もちろん一部のセンスですが)、ちからで補っていたのか。
ひょっとして木村先生は、実力差のある相手には極端に手を抜いたり、油断する人だったのかも知れません。
真剣勝負なだけに、あの一瞬の場面から本当のご性質が見てとれるのかも。 木村を返したエリオすげーじゃなく
エリオに返される木村しょぼいって話に帰結するところに2ちゃんらしさを感じる >>110
自分語りでスミマセンが、僕は高専柔道を学んだため正対(向かい合っての寝技の事)は言わば庭で、
初めてブラジリアン柔術のジムに入った日、初経験のデラヒーバスウィープ含め、返される事はありませんでした。
一人、名のとおった黒帯に、大きく浮かされはしましたが、それはデラヒーバではなく、また結局、返されはしなかった。
その黒帯とのスパーだけ、おされて終わったので、ポイントはゼロゼロでしたけれど、僕よりも強かったと言えるでしょう。
つまり何が言いたいか。
返されそうになるのは、そもそも自分より強い相手なのです。
自分より実力の下、もっと言えば簡単に(膠着もせず)パスれてしまう相手に、返されるなんて事、普通はない。
エリオがすごいなら、木村先生にそもそもパスをさせなかった猛者たちが、戦前は複数いたのですから、その人たちに返されなかったのはなぜという話に。 >>111
エリオ・グレイシーの凄さを全くわかってないようだけど
そもそもブラジリアン柔術は寝技主体で
エリオはバーリトゥード(なんでもあり)で約20年間無敗の
ブラジルの英雄
その寝技主体で不敗だった相手に寝技で勝ったことがすごい 俺はあの時点で木村がもう何年もまともに稽古をしていなかったという事実の方が本当に驚く。
もっと若くて、必死の稽古を積み重ねて漸く優勝できる、というのが当時の柔道のレベルを物語っているような気がする。 >>112
加藤幸夫五段もエリオに落とされてるしな 焼酎「キムラロック」
予約したぞ!
木村先生の地元川尻町有志が
企画し、当初ご当地販売だったが、
全国から反響が大きく通販を始めたようだ。
デザインも昭和レトロでグッド! 昨日、猪木が語ってたな。
今なら365日ワイドショーってw
あれは力道山じゃなくてワイドショーをバカにしてるんだな。 >>112
凄かったらそもそもパスされないと思うのですが・・・・
あ、ひょっとして「パス」をご存知ありません?
パスとは向かい合っての寝技の際、下になった選手の脚を、上の選手が「越えて」、抑え込む事です。
柔道では脚越え、または短く「越え」と云います。
寝技に於いて、この越えるか越えないかの箇所こそカナメでありハイライト、選手の実力(実力関係)を測る、最重要のインジケーターなのです。
「簡単に越えられてしまいます。でもその選手は強いです」なんて事は、だからありえないのを、おわかり頂けたらと。
勿論エリオグレイシーは、絶対的には強いです。
でも相対的には、戦前の正対師には大きく水をあけられていたと、言わざるをえないでしょう。
何せかれらは木村先生にも越えさせなかった。
それだけにああも易々越えられるエリオが、木村先生を返しそうになったのが不可解で・・・・ どうも木村先生、油断体質だったのかなあ・・・・? >>121
この本の中で増田が植松直哉(柔術黒帯日本王者)に木村vsエリオの映像見せて解説してもらってるけど
エリオが返しそうになった場面については、わざとだろうって言ってるね
植松曰「木村先生は返されてもまったく慌ててない、キムラロック狙ってわざと返させてるかもしれない
30秒押さえ込んでも一本にならないルールだから、隙作って動かしてやらんとエリオも簡単に腕を出さない」と つか木村はエリオの前の試合を見ただけで
楽々勝てると思ってたんだろ
むしろ興行面を心配して試合が早く終わりすぎないよう
かなり手加減してたと思われる 木村は戦う前まではエリオの事は舐めてたと思う
加藤曰「エリオ戦が決まっても木村先生は毎晩酒飲んで女抱いてた」
エリオ曰「試合数日前に木村が通訳連れて道場に現れて、怪我させたくないから俺の技が極ったら直ぐタップしてくれと言ってきた」と バーリ・トゥードなのに柔道ルールを基準に
試合を運んだらそれこそ勝てないわな
投げで頭から落として気絶させる手もあるが
受け身は流石に上手いだろうし
できたらできたで間接技や絞め技で落とすよりも
危険だからな まだ分かってないようだが、プロレスは勝負ではない、というだけで真剣ではあるのだよ。
では対極に位置する勝負とは何か?
競技による勝敗に過ぎない。
バーリチュード何だの言ったところで所詮は競技で相撲や柔道と変わらない訳だ。
木村って柔道屋は喧嘩のさじ加減を分かってなかった。
後でそれに気付いたからこそ報復で刀を持ち出したのである。
勝負でも真剣でもない。ヤっちまえばいいんだ、と。 >>129
そうだね君の言うとおり
木村先生が何百戦したうちの一戦を詳しく解説してくれてありがとう
ついでに阿部謙四郎に負けた一戦も詳しく頼むよ 木村屋さんは喧嘩したら雑魚だった。これが結論だろう。
実に悲しい事である。 >>122
冒頭部「この本の中で」が気になったので、一応申し上げておくと、
当スレpart1を参照するに、木村政彦はなぜ「こうも人を魅了するのか?」が、テーマだったようです。
マスダ氏の著作を語ろうというのが主旨じゃない(らしい)ので、若干お気をつけ下さい。
マスダ氏本に囚われると、スレちがいの人物の話ばかりに、荒らされかねないので。
デラヒバースウィープのわざと説は、>>123氏ご考察の理由で事実かも知れません。
ただキムラロックは、抑え込みからのほうが全然行きやすいので、植松氏考察はややどうかと思います。
勿論本音は>>123氏と同じである可能性も。
「実力差があるから手を抜いた」なんて、立場ある人が公刊所じゃ言いにくいでしょうし。 >>121
エリオの孫のヒーロンとガバオンが試合は最初ヒーロンが簡単に越えさせて一本だけ取られないように死守して
後半攻め疲れたガバオンをヒーロンが責めまくったらしい >>132
一本取られないように全力で守ってる状態より攻めてくれた方が、取りやすい場合もある
という事は(もちろん両者の攻撃力、防御力、得意不得意にもよりますが)
柔術をやっている人なら経験した事はあるのではないかと >>129
真性の馬鹿だな
木村を騙した力道山
おまえは詐欺の味方かよ >>133-134
木村先生をガバオン選手に、言わば置き換えて考えるのは、なかなかの着眼だと思います。
動画も見られるので、これをもとに以下数点、疑義を述べさせて頂くと―――
http://bjj-matome.com/ryron-gracie/
(1) ガバオン選手は87キロと重いがヒーロンも85キロあり、木村先生80キロくらいとエリオ63キロほど、差はない
(2) ガバオン選手はヒーロンより一歳若いが、更に木村先生はエリオより四歳若い
(3) 抑えても停まっちゃ反則になるのが競技柔術。そのルールに染まったガバオン選手は、過剰に動いてしまっている
(4) とは言えヒーロン選手が、若干なりとも攻めに転じ得たのは15分過ぎ。木村エリオ戦なら時間切れ
(5) ガバオン選手も比較的短時間でパスっているが、さすがに木村エリオはパスまでの時間等、その実力差は圧倒的
以上よりガバオン選手を「相対的に」木村先生とするのは、やや無理があると思います。
それと動かしてキメる事はあっても、攻めさせちゃダメでしょう・・・・
でもガバオン選手ですら返される気配すらなかったのに、改めて木村先生があの実力差で返されそうになったのは、なぜ・・・・ いや、だから手加減してただけだろ
木村のヘッドロックでエリオが耳から血流したとき、わざわざ技解いて大丈夫か?って聞いてるし そもそも木村はプロレス巡業や、勝手に柔道の段を売って荒稼ぎにブラジルに来てたんであって、真剣勝負なんて面倒な事やりたくもなかった
加藤が負けたとこで自分が出る気もさらさら無かったけど、加藤が負けた後にエリオの弟子達が棺桶担いで市内を練り歩くパフォーマンスして
怒った日系人が毎日大勢ホテルに押し寄せて、加藤を出せ!木村が仇を取れ!って騒ぎ立て収集着かなくなったから仕方なく試合しただけやし >>136
インタビューによるとヒーロンは無理に粘って消耗するよりパスさせる事を選んだらしい
サイドでの防御に自信があるから
ただしクロンからのアドバイスでバックだけは取られないように心がけたとか >それと動かしてキメる事はあっても、攻めさせちゃダメでしょう・・・・
格闘技やってたらわかるんだけど攻めさせる事で防御が甘くなる事が、実はあったりするんだけどもね
通常の抑え込みやポイントで勝負が決まるような試合なら返されるリスクが生じるくらいの隙を見せる事はないかもしれない。
ポイントを教えてあげると、この試合が一本取られないと勝負が付かず
そしてエリオは試合前から全力で分けるつもりでいたという事。
Imagine(想像してごらん) かなりの実力差前提じゃないと成り立たない話しだが、まぁそういうことだったんだろうな。 かなりの観客数だったからね
プロレスラーを経験した木村は
すぐ決めてしまうのは興行的にまずいと思ったんだろう
わざと少し長引かせて勝負をつけた >>140
桜庭もわざとバック取らせてキムラロック入るの得意だからね 剣術でもわざと隙を見せて打ち込ませる事で
相手の動きを限定させて返し技で勝つってパターンはあったりするね。
多分どんな格闘技にもあるんじゃないの。
結果して木村は返されたから作戦は失敗した訳だけど
それをセンス不足とか油断というのはちょっと疑問??かな そう、柔道王木村はプロレスに敗北した。
しかし完全敗北とはいえ立派に闘った。
後から武器を持ち出さなければと思うと…。
それだけが惜しい。
https://www.youtube.com/watch?v=wtwqmU2eV6M >>138
「勝手に段を売って――― 」から思ったんだけど(少し話ズレます)、まだブラジルには柔道が根付いておらず、伝道者も一人じゃなかったのかな?
複数の伝道者。
グレイシー柔術は今では前田光世だけじゃなく、何系統かの技術が合わさり成立したという説が、唱えられ始めています。
はたしてどなたの技術が、成立に一番影響を与えたのでしょう・・・・
>>140
>>144
キメに持っていく場合の「攻めさせる」は、>>136の「(相手を)動かして」になります。
抑えられた側の反撃は、 (1)逃げようとする → (2)抑え込みを解く(そして正対に戻す) → (3)スウィープを狙う(またはキメ) の、おおまかに三段階をふみます。
抑えた側がキメるには、相手の(1)を引き出すのが肝要で、これが「(相手を)動かして」という事です。
(2)まで行かれると既にキメには不適切な段階で、まして(3)はほぼキメが不可能、分けてもデラヒーバとなると、どのようなキメカウンターがあるのでしょう?
(1)も(2)も(3)もごちゃ混ぜに、「攻めさせる」の一言に詰め込むのは、寝技の場合抽象論になってしまい、格闘「技」とは呼べなくなるかと・・・・
(1)を「動かして」、(3)を「攻めに転じられてしまう」、このように具体的に分けて見るのが、技(観)じゃないでしょうか。
ただ一縷の可能性として、デラヒーバには脚関のカウンターもあり、また正対の上から、フロントチョークがあるいは。
とは言えいずれも木村先生が試合で使った形跡はありません。 >>147
木村がブラジルに行った時点で既に柔道は根付いてたよ、当時はブラジルに25万人の日系移民がいて、彼らが柔道場開いて指導してた
木村の来伯を記念してサンパウロ体育局とサンパウロ新聞が共催で柔道使節団歓迎柔道大会を開催(1951年7月28、29日)
大会には小野安一(木村の前にエリオと2回戦って2回引き分け)の小野道場を始め、サンパウロ市内の19の道場から100名以上の選手か出場した
サンパウロ市内だけでもこの数なので、日系移民コミニュティ中心とはいえそこそこの柔道熱があったのが分かる
ブラジル柔道の歴史も増田の殺さなかったのか?に詳しく書いてあるから機会があったら読んでみてはいかがか 木村はブラジルでは結構な歓迎ぶりで引っ張りだこだったらしい、日本人から毎晩差し入れ貰って豪遊
プロレスに加え、道場の看板書いて謝礼取る、紅白試合やらせて段位を与える
ブラジル巡業だけで現在の貨幣価値に換算してで3億円くらい稼いだとか
個人的に段位与えるって当時の講道館が一番嫌う事だけど、木村は既に柔道戻る気ゼロでやりたい放題になってた
プロレスは柔道なんかより楽に金が稼げると自伝の鬼の柔道にも書いてある >>148-149
そこまで広まってたら、グレイシーの技術因子になった個人も、多そうですね・・・・
私的に興味をいだいてるのは、↓のシザースウィープという技の伝播史です。
https://stat.ameba.jp/user_images/20150905/19/youwillneverwalkalone777/f4/02/j/o0470031213416565888.jpg?caw=800
これは実は、戦後の柔道にずっと失伝されてた技でした。
じゃあグレイシーのオリジナルかと思いきや、フランスに伝承されてました。
この二国に何か共通項はと調べたら、ブラジルとフランスどちらにも渡ってて、
他流試合を重ね柔道を普及した日本人が、前田光世以外にも一人いました。
小樽高商のOBで、現役時代から寝技のスペシャリストとして知られた人。
ひょっとしたらその人からシザーが広まったのかなとか、色々夢想しております。 木村が柔道しかやらなかったら生活は汲々として奥さんはとうに亡くなっていただろう。しかし清貧の最強柔道家としての名誉は残ったかも。
どちらが幸せだったかね?
牛島のプロ柔道に参加した時点でもうそれは無理か。ちなみに増田本にあれこれ書いてあるけれど、うちの父親が末期のプロ柔道を見たそうだ。感想を聞くと、プロレスみたいだったとw
まぁ後から如何に美化しようとしても所詮、こういうことだ。 ハワイ遠征のときに現地で薬(ストレプトマイシン)まとめ買いして大量に送りまくったんで
奥さんだけじゃなく同じ病室の人達も治ったって >>108
同じ団体内や招待された外国選手がブックを飲むというのは興行的にわかるが
他団体が飲むというのはイコールつぶれるという事。
そんな事を簡単に飲むと思うのはかなりお人よしの考え。
ギブ&テークのブックや
潰れた後に吸収合併などの話があれば別だが
このウエイト別日本選手権のあとに
他の団体は完全に興行的にジリ貧になり葬らされている。
また、ウエイト別日本選手権は日本プロレス協会主催ではなく、
日本プロレスコミッショナーの下で四団体が参加した大会。
木村はこの大会に参戦すれば
力道山への参戦チャンスはあったがメキシコ遠征に出かけた。
自ら挑戦のチャンスを放棄した。
木村政彦が何度も再戦要求をしたと思っている方は増田本の影響のせいか多いが
実際はそんなに長く、何度も再戦希望はしていない。
木村は1954年12月22日力道山戦後の翌日に再戦希望はしたが
12月24日に木村自筆、捺印入りの確約書が新聞報道され
その後、しばらく木村、力道山の
どちらが正しいかでメディアでも論争になり、再戦の話どころではなかった。
また、1955年1月26日に力道山と木村の勝者が
山口利夫と対戦する事になっていたのですぐ再戦は物理的にも不可能だった。
そして2月10日に力道山と木村政彦のお互いのバックである
暴力団組長の立ち合いの元で二人とも和解した。
この歴史的事実を見ても木村が再戦要求したのは1か月半くらいの間。
間に山口戦がある事を考えると実質的にはさらに短いという事になります。
その後、木村が再起したのが1955/12のゴージャスマック戦。
これは警察沙汰になってしまい、力道山再戦どころではなくなった。
その後も1956年ウエイト別選手権の時にチャンスはあったがメキシコ遠征に出かけた。
歴史的事実を振り返れば木村政彦が何度も再戦要求していない事がわかります。 >>157
まさか他団体同士の試合は基本ガチって思ってるのか? 要するに
ウエイト別日本選手権はブックなしの大会で
力道山とこの選手がガチンコで各ウェイトで勝った結果
力道山がプロレス会の覇権を握った
という事か
煽りじゃなくて純粋に感激するよ
あなたは真のプロレスファンだ 木村は割りとのんきに考えていたんだろうな、その時点では
再戦すればブックにしろ実力にしろ勝ちになる
(ブック的には最初の約束を守らせるし、ガチでやっても最初から本気で行けば負けることはない)
逆に力道山の方は戦わないで木村を封じる方向に持って行った、
報道陣の前で和解という形で
木村は気前良く受け入れてしまったけど、本人的にはそれで解決したと思ったけど
周りはそれを許さなかった、和解だけでは木村への評価が戻らなかった
実際に再戦してプロレス的にしろその実力を再び見せないことには周りを納得させることが出来なかった
本人的には良かれと思って承諾してしまった和解が、再戦の機会を封じてしまい
後悔しても後の祭りになってしまい、がんじがらめになってしまったって感じか >>157
他団体戦がガチとか
ガチの素人か
力道山が本当に強ければ
木村政彦の再戦要求を
尻尾をふって飛びつく
木村政彦が奥さんの病気で金がいる弱みをいいことに
金で和解したんだろうなあ 飛びつく訳ないだろw
互いに機会は一度きり。リッキーはチャンスをモノにした。
木村はすべてを失った。 >>162
飛びつくわけないよな
ガチじゃ勝てないんだから 動画見たけどあれが例えガチだとしても負けてたわな
打撃が見えてない 中年までの木村はタイソンと同じだよ
ダマト牛島が居なきゃただのデカい子供
相手が自分を陥れるとかそもそも自分が負けるとか考えもしなかったんだろ 木村が柔道できなくなったのは半分牛島のせいなんだよ
牛島は嘉納から進呈された講道館の段位の受け取りを拒否、しかし武特会の段位は受けとる
監督してた拓大柔道部を東京学生聯合会(講道館派閥)から離脱させ帝大柔道連盟(高専柔道)にねじ込む
柔道会場では三船久蔵(講道館の重鎮)だけには挨拶しない等、講道館に喧嘩売りまくってた
戦後講道館が柔道会を支配した時にその煽りで弟子の木村まで嫌われ居場所がなくなった
1949年の全日本選手権決勝では優勢だったのに審判を勤めた三船に八百判定で引き分けにされてる なんでそんなに三船を嫌ったんだろ
選手として強かったのは確かなのに きっと、ギャラを三倍にするから、当初の打ち合わせ通りに勝ち負け繰り返す興行を打って全国を回ろうって力道山から持ちかけられたらお人好しの木村は少し考えて受けたような気がするわ。 木村は握力何キロあったの?
増田は200あったろうとか書いてたけどほんまか >>172-173
武専の松本安市との試合で、手を直接握った話がありましたね。
「痛い!」と声があがったほどなので、確かに普通じゃない握力だったのでしょう。
硬貨を指で曲げたというエピソードもあります。
でもいくら握力が強くても、百台後半やコイン曲げは無かったと、個人的には思います。
木村先生の向かって右隣が全盛期両手とも百十オーバー、強化測定で針を振り切った人です。
https://archive.fo/xIXtD/4100cd4365f502867eb55d1ec3f1ef58560fb705
柔道は大学から始めたのですが、入学時のスポーツテストで右110左95をマーク。
道衣を着たその日から、弐段が相手にならなかったそうです。
大学一年の白帯で講道館の紅白戦23人抜きを達成、一日で参段になりました。
握力が生来強すぎて、試合で相手の腕を握った際、骨折させ相手が嘔吐、反則負けになった事も。
百十を超えるとヒビとかそういう事も起きてくるので、木村先生の松本戦が、そのあたり判断しうる材料になるかと。 日本人同士の逸話なんてのは吹かしが入ってるのは確実であろう。
柔道や握力がなんぼ強かろうが所詮先制攻撃を
喰らえばフルボッコにされる悲しさ。 握力が凄かった頃の木村とは別人だからねー。
増田も柔道経験者なら、稽古を怠るとどれだけの勢いで弱くなるか分かりそうなものだが。 そう、柔道は所詮一時しかピークを持続出来ないものなのである。
凄かったかどうかは身内同士の話しなので眉唾ではあるが。 この体重差で・・・・ 大野将平強いなあ。
https://youtu.be/oHOP3X50o0g?t=607
全盛期の木村先生とどうだったんだろう?
やっぱ無差別を制しまくった木村先生かなあ。
寝技に差があるような気する。 いきなり木村と比べるのは乱暴だろ
まずは体重の近い古賀吉田岡野あたりと比較してどうかってとこだな >>179
古賀さん吉田さんよりも、動きは明らかに大野将平だと思うんですよね・・・・
「動きがいい = より実力がある」じゃないかも知れませんが・・・・ >>174
木村政彦の握力は分からないが
柔道は握力が特に重要だなとは思う
どんなに腕力があったって握力なきゃ
本来の力を発揮できないからな
ハンドグリップとかやったけど
全く指太くならなかったなあ 柔道は掴むのが基本だものな。
握力は強くて損はない。 握力のギネス記録は1998年のワールドストロンゲストマンコンテストで
優勝したマグナス・サミュエルソンの192kg。
ベンチプレス300kgを持ち上げる怪力の持ち主。 >>183
握力計てちょっと旧くなったら1.5倍とか出るらしいよ・・・・
その人の「握力は」、そういうパターンだったと想像します。
て言うのは>>174に書いたみたいな実績を、そういう怪力コンテストの人が残せる気しないから。
ほんとにチカラだけの素人が、柔道の歴史に刻まれる記録作ったの知ると、同じ事出来そうもない人だと、そこまでチカラ無い気して・・・・ 自分の狭い了見に当てはまらないことは全て嘘間違い
実際ちょくちょくこういう人出くわすけど話すと気持ち悪い 怪力コンテストで数値だした以上の情報が無いのに出来そうもないって…ちょっと笑った >>168
三船はYAWARAに出てくる猪熊滋悟郎みたいなジジイだったので敵が多く、
いろんな人から嫌われていた。別に牛島だけが嫌っていたわけじゃない
あと、1949年の決勝で木村が優勢だったってのはキムコロの作者の希望的観測にすぎない。
むしろこれ以上続けると木村が負けそうだったので、体の小さい木村にシンパシーを
感じていた三船が木村をかばって二人優勝にしたのでは、という観測もある。 1949年の決勝で木村と引き分けたのは石川隆彦だろ?
石川は木村と一緒に写っている写真あるけど身長は木村と同程度に見えるから三船が身長のことで木村にだけ同情したという説はちょっとなぁ
石川は展覧武道大会では木村に負けてるわけだし、むしろ同情するなら石川の方にしそうな気がするが
まあ定説通りお互い延長2回で技がでなくて引き分けたってのがあってるような気がする
増田の証言を信じるなら石川本人から三船が自分を贔屓屋していたと臭わす台詞を聞いたようだけど マジかよ!
早く読みたいぜ。
不完全燃焼に終わった感のある
原田氏の漫画もどっかでやってもらいたいなあ〜 小説新潮、今日発売かと思って本屋行ったら明日発売かよ 力道山戦後に
もう一度ブラジル行って
グレイシーの弟子と戦ったのは知らなかった
動画無いのかな 三船十段とかの動画見ると腰がえらく軽く感じるんだけどこれが当時普通だったの? なんか身長175体重80くらいのおっさんたちがボクシングよろしく距離取りながら掴みあってたイメージしかない 三船十段は独特だろう
当時も弟子相手の八百じゃないかとも一部では言われてたのが、
実際に試合で実力者佐村嘉一郎(同じく後の十段)相手に空気投げ決めたからビビられた
徳三宝とか大柄重量級タイプもいたからスタイルはそれぞれだろう
もちろん寝技タイプもいたし 十段もかなり寝技が強かったって言うね
ナゼコロでも昔の有名な柔道家が挙げる立ってよし寝てよしの柔道を体現した人の中に入ってた 小説新潮売ってねえし
それなりに大きい書店2軒回ったけど置いてねえし(一軒は取り寄せ注文1冊あったらしいからか同じ目的の奴か?)
注文するしかないのね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています