生涯続けられる武道・格闘技について考える
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「生涯武道」という言葉があるように、歳をとっても続けられる武道・格闘技って何でしょうか?
今、総合格闘技をやっていますが、この競技はとてもハードで、
歳をとっても続けられる競技とは思えない。
若いうちにしか楽しめない競技より、ずっと続けられる武道・格闘技を模索中です。 >>697
そうだね
最低限の備えはしておかないとね >>695
護身術を表看板にしてる先生ほど裏では武術の鍛錬や格闘技の研究をしてるけどね
そういう所の講習会に参加してきたら今師事してる先生にそんなことを聞かされて
セミナーや講習がアホらしくなった。素直に自分の流派を修行してりゃいいんだ
話がズレたが、自分の才能や環境とかの枠内で日々精進してこそ生涯武道だろ
プロじゃなくてもアマチュアなりに努力して上達する
好きで打ち込んでる趣味なら自発的にそうなるもんだと思うんだがな 運動不足解消のための手段の一つが武道。
ゴルフや水泳、山登りと同じ。
週2回身体動かして、練習の後に気の合った仲間と飲みに行く。
今はこんな感じ。
学生時代にガッツリ部活でやってた頃とは全然違うなあ。 武道・武術をただ、『やってりゃいい』と
そういう人を極言すれば、何の事はない、一般の動物とただその形が相違しているのと、
屁理屈や不平や不満をいうだけの相違があるだけで、些か露骨ではあるが、
犬や馬よりは幾らか気の利いている動物的人種であるといい得ると思う。
然しそれでは、折角優秀な理解力と自覚念というものを心に附与され、武道・武術を行い得る、万物の霊長としてこの世に人間と生まれたかいがないという事になる。 >>699
教える側の人はそういった研究はしてると思うよ
一般の会員は仕事や家庭など他に優勢事項があるから、そういうのは厳しくなると思うが
いずれにしても平均的犯罪者に格闘技選手レベルがいないという事は、そういった一般会員にとっては
護身がしやすいのでありがたい現実だわ 護身術に限って言えばほとんどの場合、格闘技未経験者のみ想定していると言って良いのかもね。柔道3段の奴に奥襟取られた時にこんな技掛かるかなぁとか、
ボクシングやってる奴がフック打ってきた時
に相手のサイドに入りながら攻撃出来るかなぁとか、そんな想定はそもそもなくて、
いかに素人に気取らせずに技を掛け、極められるかが重要だと。素人相手なんだから面白いように打撃は当たるんだという、ある意味ヘンな安心感は持って良いのだろう。 >>703
武道や格闘技の大会などでは、参加選手は相当の準備をして挑むわけだから、そうそうこちらのやりたい事をやらせてくれないよね
護身の状況、特に面識の無い人を相手にする場合は、予備知識がないと技が掛かりやすくなるのだろう 佐川幸義先生 道場訓
合気とは気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依りて円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により融和致させ、敵の既発に対しては同じく合気の理により転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。
大東流合気柔術 盛岡道場
代表師範 橋本英樹 >>681
素晴らしい
>>682 頑張って下さい >>660
本来の少林寺拳法の宗教的視点における武術の価値とは
暴漢に、より以上の罪を犯させず
火種が小さいうちに消してしまおう、と。
そんな発想ですね。
怪我をさせずに取り押さえるという、技術にもそんな性格が顕れています。 少林寺拳法をやってみたい方がいるようですが、
思い切って一度入門していれば良いのではないでしょうか?
合わなければ辞めればよいだけですし。(辞めるのは少し勇気がいりますが)
やらないで後悔するよりも、やって後悔した方が良いと思いますよ。
私もやりたい武道があって迷ってるので、言える立場ではないのですが(^^;) 暴力の現場において罪を犯させない、と言う以上は
少なくとも暴漢以上の強さは必要です。 それは警察などに任せるべきであって、
スレタイの生涯武道とはあまり関係ない気がするのですが・・・。 合気道の教え的には、強さイコール融和でいいのかな?
あるいは融和の核に武的強さを置く、と。
あるいは強さの外郭を融和でくるむ的な?
仮に強さ≦融和としても、でも強さを放棄してないですよね。
合気道的な融和は、強さの上に積み上げられた上澄みであり、
なんであれ、武道団体にとり強さは消しては存続し得ない宿命ですよ。
尤も、その宿命に内在する業に気が付くならば、
個人としては放棄も可能でしょうがね。 武が持つ業に気がつきこれを放棄する人なんて
現代の武道家にはたしてどれほどいますかね?
もしもそんな人が近くに現れたなら、
我々は「卒業おめでとう」と言って送り出すだけだろう。
我々の仕事とは、そこに至るまでの範疇のみ、といっても、
それだけでも十分な働きだと思いますが。 難しい事は考えずに好きなスタイルの武道を
楽しみながら無理なく続けられて
それが体力や気力の向上に繋がればいいと思います
副産物として自信がついたり上の書き込みであったが仲間できたり
そういうものが意識・無意識に関わらずつけば更に良しだと思う
一番は毎日の生活が今より充実したものになればいいので
上であった講話が嫌で少林寺に躊躇してるというならそれは勿体無いかなと思います
一時間も二時間も講話してるわけではないので
法話をしたとしても5〜10分程度
少林寺を修練してる大人のほとんどの人は良い人が多いという印象なので
そういうのも良いと思います
伝統武術も昔の伝統的な武術を学ぶという喜びもある 「強さ」とは何なのでしょうか?
試合で勝つことなのでしょうか。
組手・乱取り・スパーリングで一本を取ることなのでしょうか。
歳を取ってくるとどうしても筋力やスタミナは若者に劣ります、これは仕方ないことです。
そして組手でもどうしても負けることが多くなるでしょう。
そうなると、その競技における技の精度を上げることに関心が行きがちではありますが、
それはどの段階で目指すべきなのか・・・。
しかし、武道格闘技をやっている以上、強さ(ここでは相手から一本を取る)に憧れるのは宿命みたいなものだと思います。
私には型の鍛錬をし、それだけに拘るのは、少々「逃げ」のようにも思えます。
もちろん、その見事な型を創り上げるのにも相当な年数が必要なのは承知していますが・・・。
取り留めのない文になって申し訳ありません。 >>715
少林寺拳法の道院ではとても良くしていただきました。
しかしながら、形式上とはいえ、宗教法人への入会は抵抗があります。
何をするかは自ずと答が出てきました。今すぐは何もできないので3月末あたりの再スタートと思います。
これまでいろいろアドバイスいただいた皆様、心より感謝します。 >>717
そもそも強さの定義を示さないと結論が出ないですね
むしろ出ないのが正解かもしれんが
貴方のいう試合に勝つというのが強さと言うならそうでしょう
それはサッカーの試合や野球の試合で勝つのと同じように私は捉えてますが
スポーツ競技なので
逆境でも挫けない強い精神力も強さです
腕力が強くても精神力が弱い人なんて沢山います
極端な例ですが日航機墜落事故の時、ほとんどの男は不安や恐怖に負けて錯乱していたが
女の人は落ち着いていた人が多かったと助かった人が後に述べていたそうです
女の方がやはり精神的に強いかもしれませんねw >>715
>上であった講話が嫌で少林寺に躊躇してるというならそれは勿体無いかなと思います
人によりけり、合う合わないがあるだろうね。
個人的には、武道としての少林寺は評価するけど、宗教として宗道臣氏の教えには全く共感はできない。
まぁ、門外漢から見た感想だけどね。 オーム真理教や創価学会など新興宗教が問題になった経緯もあるから
宗教法人に抵抗あるのは仕方ないかもですね
入ると全然宗教ではないんですけどねw
学校で部活があるくらいだから
因みに何に決めたのか、ちょっと気になりますね >>711
少なくとも試合に出場する選手になるというよりは現実的なモチベーションになりうるかと思われます。 若い人は強さを求めるが燃え尽きてない壮年は何を求めるんだろね 老いて求める物は、
強い身体と
経験による技術、
強い精神。
強い身体と技術はなんとなくやっていても
手に入るが、やはり精神が一番大事。
これは意識し自己で努力しないと
手に入らない。 少林寺拳法も色々打撃、極め、投げ等流派としては好きだが、心の修行を考えると。
合気道の塩田剛三師と並んで評される、藤平光一師こそが、
最近の古今東西老若男女で一番武道の真我を理解解釈していた人物だと思う。
今も心身統一合気道を御子息がやっていらっしゃる。 >>722
少林寺の道院も大多数はそんな感じですよ。
自分は道場訓(鎮魂)をベースに独りで勝手に掘り下げただけで、
俺みたいな極端なのは少林寺でも稀なほうじゃないかな。
でもこれが俺なりの生涯武道のつもり。 >>694
宗道臣も喧嘩、格闘に強かったから人は魅力を感じ集まったんだよな >>711
警察なんて何もしてくれないよ、ただの役所 試合に関して言えば、勝つことより如何にダメージを残さず帰るかという事です。逃げ回るという意味ではなく、受け攻めをしっかりやって結果的に勝ってれば幸運ぐらいな感覚です ガードは重要だね
ボクシングの村田をを見ていて再認識 佐川幸義先生 道場訓
合気とは気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依りて円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により融和致させ、敵の既発に対しては同じく合気の理により転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。
大東流合気柔術 盛岡道場
代表師範 橋本英樹 >>726
少林寺マンセーの人間は、
強さ、技術を舐めすぎ >>736
なんでお前に説明しなきゃならないんだ? >>735
あなたのいう強さと技術とはなに?
そしてそれを常に使用してるのですか?
また日常的に必要なものなのです?
大人の意見として興味がわきました 横から口出しさせてもらうけどさ、強さとは何か?何をそんなに難しく考える?
殴り合い、取っ組み合いで(少なくとも素人には)勝てる、それで良いだろ
こんな物は常に使用するワケないし必要でもないが、それは草野球やってる人に
「プロじゃないのに野球が上手くなってどうすんの?」って難癖付けるのに等しい
まぁ結局は酸っぱいブドウ理論だと思うよ
本当は強くなりたいのに強くなれない、強くなる方法が分からないから
妙な理論や解釈を生み出す
少林寺の実情は知らないから全体的な批判をするわけじゃないが
古流柔術を教えてる先生は若い頃少林寺をやってて
そこにやたら説教(講和?)が長い先輩がいたそうだ
で、普段エラそうなことを吹いてるのに、たった一人のチンピラ相手に何も出来なかった
闘う力も覚悟も無い奴の平和主義はクソの役にも立たない 逆にいうと草野球をやってる人間に
野球を舐めすぎと言ってるのようなもので
休日に好きな野球を楽しみたい、フォットネス目的、レクの一環としてなどの層もいるわけで
幅広い考えや目的で人が集まってる
私の後輩も趣味でフットサルのチームに入っていて休日に楽しんでいますが上記のような感じです
プロは商売だから別として部活動やそういう本気でやってる人らと同じような土壌で
語るのもまた結論が出なくなりますよね
少林寺を庇護してるつもりはないのですが
実践格闘技を習ってる人でもチンピラ相手に何もできない人だって沢山います
それが別に恥ずかしいことでもないと思ってます
無事にその場が済めば護身としては成功なわけですし
まぁ色んな考えがあるのは当たり前なので
こういうふうに色んな書き込みがあって良いとは思いますね プロの格闘技選手でも永久に勝てるなんてありえないのだから、ましてや週に2回ぐらいしか
稽古できない一般の会員ならなおさら
あくまで自分の人生の範囲内で実現可能な強さで十分だよ >>741
的外れな言い訳だよ
別に趣味だから悪いと言っているわけじゃない。
あなたのように、他の粗探しをして、
自分の都合の良い所だけ引き合いに出すことが舐めてるんだよ 上の方で「修羅場」がどうとか書き込んだ時に、ちょっと違う感覚のレスをもらって
あれ?と思ってたんだが
これ、別に「生涯つづけられるスポーツ」でいいんじゃないかな
なんかちょっと自尊心をくすぐる趣味に手を出してる感じがする
○○道って名前のスポーツでいいじゃん
道なんて無いって気付こうよ 元高校球児が、将来金属バットで人を殴っても、野球は凶器だなんて言われない。
スポーツと武道の区別すらつかないなら、いっそスポーツに行って欲しい。 スポーツチャンバラなんてどうよ?
と思って動画検索したら意外とレベル高くて驚いたw スポチャンてどんな活動してるんだろね?
自分達はスポーツだとはっきり公言して割り切ってやってる人達なんだろ?
あそこも1つの成功例なんじゃないのかな? 浮気がバレて嫁さんと愛人が鉢合わせした時の修羅場にも役に立つ武術を教えて下さい。 >>728
少し違う。
「罪を犯させない」とは、その暴漢をも一個の人間とみなし
その人の将来をも案じる感性が背景にあります。
だからこそ、やっつけられた人達が開祖の回りに集まったのだと思いますよ。
人を壊さず殺すこともなく、急所攻めによる一時的な激痛で戦意を失わせ
手を離せば直ぐに痛みが引くという摩訶不思議な技術はその思想の体現なのです。 >>743
741の人は別に的外れでもないどころか、現実的だと思うぞ
君が君の言う強さとやらを追求したいのであれば、好きにすればいいけど、
他人に押し付けるのだけは止めたほうはいい
少林寺に限らず他流を稽古してる人間を心配するより、自分の事を心配したらどうかな >>752
的外れかどうかの話で、
現実的かどうかの話じゃないからな?
押し付けてんじゃなくて、
履き違えてるという話。
少林寺オタ気持ち悪 >>719
その手の話はあまり信用ならないと思うんだ
鬱病もPTSDもずっと女のほうがかかりやすいしね つか741以降、会話が成立しているらしきことの方が気持ち悪いわ。
741が支離滅裂すぎて。 >>753
少林寺は信者と言われるカルトな人と、真面目に練習する人で極端だよな。 精神的な強さがどうとか言う人に限って勝ち負けに拘っているように感じる
そういう人ってやたらと格闘技の選手と張り合いたがるけど
その時点でコイツの器小っちゃいなって思うわ >>708
>本来の少林寺拳法の宗教的視点における武術の価値とは
>暴漢に、より以上の罪を犯させず
>火種が小さいうちに消してしまおう、と。
>そんな発想ですね。
それは分かるんだが、宗教的には顕教的な、一般社会に膾炙するための
一般門徒様の広く浅い布教用の内容であってわざわざ拳法が必要だとも思えん
誤審術なら分かるが、わざわざ犯罪者と戦い改心させるなら
もう警察や坊さんの役目だしな。ま、一般人にはそういう説明が分かりやすかろう
本場の中国少林寺は、悟りを開く為の方法論として拳法や禅に取り組むのであって
顕教的な意味合いで拳法を修行しているのではないし
人を救う筈の坊さんがわざわざ殺人術を使用して極限まで身体を鍛え座禅に勤しむ矛盾には
とてつもなく深い意味合いがあると思う
そう言った事にキッチリと答えられるようになるには、先ず悟りとは何か?
拳法とは何か? 禅とは何か? それらが同館けするのか?
そういった事をきっちりと理解せねばなるまい >>758
しかも止せばいいのに
格闘技の技術も少林寺にはあるとかほざいて、知りもしない技術を平気で語るもんな
強さを求めるなら求めるで真摯に求める人間に失礼だわ >>759
日本の坊さんもヨーロッパの修道士も普通に武装してた歴史がある
特に中世ヨーロッパの剣術には修道士が伝えてた流派もあるし
剣の達人として武勇を馳せた人もいる
宗教法人は周辺地域に対して支配権を持ってたから戦闘集団になるのは当然
少林拳は厳密には少林寺周辺の民間武術を指すんだけど
まぁ少林僧も自衛のためにそれら武術を修めてたことだろう
現代はともかく、乱世で綺麗事なんか言ってられん >>759
708です。
少林寺拳法が創始されたのは終戦直後の占領下で警察機構が機能しておらず、自警団のようなものが存在したのみで、それも銃なども持てないような有り様だったと聞きます。
そんな時代背景での出来事なので`本来の`少林寺拳法の─と書きました。
少林寺拳法は少林拳ではありません。技術は勿論、修行体系も違います。崇山少林寺は文僧と武僧に別れて修行し、同じ理合いに到達するのだとか。
対して少林寺拳法は文武両道で極めて日本的。こんなところからも、中国の少林寺とは無関係なのだろうという印象です。
ここで書いたことは少林寺拳法の紹介として書いたので、自分の個人的な主観は省いております。
なので、悟りとは?以降の問いには少々ここではお答えしかねます。持論でよければ書きますが、それは少林寺拳法と無関係なので。 後、いつも使っていたブラウザがずっと不安定で、
急遽探した不馴れなブラウザから書き込みしています。何がどうなのかさっぱり分からんw
なので今日はこれにておやすみなさいですw >>761
>少林拳は厳密には少林寺周辺の民間武術を指すんだけど
今華。昔はそうじゃなかった。
少林寺内部の修行だった。
>まぁ少林僧も自衛のためにそれら武術を修めてたことだろう
自衛の麺はあるだろうがして敵を殺さないのが仏教武術。
それゆえに剣も刀も槍もないのが本来の少林拳らしい。
乱世の時代にあって命を掛けて
綺麗事を通すから修行になる訳で
少林僧はその為に活きその為に死んだのだろう
戦争の歴史がそのままキリスト教の歴史である
西洋合理主義と一緒にしてはならない点だと思うがな?
もちろん仏教にも腐敗はあったのだが、
キリスト教も他の宗教も本物の格の人達は
修羅場にあってなお殺し合いはしないと思うぞ しかし誤字脱字多いな。脳内修正してくれ
>>762
少林拳と少林寺拳法は確かに違うのだが
少林寺の名を冠す仏教で根底からからっきし違う事をされても正直困る
悟りや暴力との関係は
持論でいいから書いて? >>765
今の時代にこんな風に混同する人いないよ >>753
分かったから、とりあえず君は何の武道やってんの?
無論、このスレの趣旨に沿った生涯続けられる武道だよね
是非とも参考にしたいので教えてくれないかな >>767
私も気になりますね
>>753氏や、このスレの人達は何をやってるのか >>764
夕べは生知識で書き込んだが、ちょっとウィキを見ただけでも
>唐朝の創業期には、洛陽を本拠とした王世充の鄭国政権を見限り、
>唐の李世民(後の太宗)軍に対して自坊の僧兵たちを援軍として出すことで助力し、
>鄭の征討に貢献した。寺内には、「皇唐嵩岳少林寺碑」、「唐太宗御書碑」が残る。
自衛どころか軍事介入までやってたんだな
意思統一された大集団ってのは兵隊として使うのに非常に都合が良いんだろう
彼らが本願寺並にダーティだったかまでは知らんがね あとキリスト教は十字軍とかの汚点がクローズアップされがちだが
中世のイングランドはヨーロッパ一の無法地帯で僧侶の付き人は剣と盾で武装してたそうな
もっと遡れば修道院はヴァイキングの略奪のターゲットだった
アウトローや侵略者に説法は通じない
君は多分宗教家の例としてガンジー辺りを言いたいんだろうが
ありゃそもそも彼我の実力差が雲泥で戦いにならなかったからな
恐竜が全盛期の頃の哺乳類みたいなもんだ
闘う力があれば普通に闘う、もしくは戦いにならないために闘う力を備える
生涯武道ってのはそういう人類が歩んできた(平和ボケした日本人には分からない)
歴史や常識を学ぶというメリットもあると思う >>767
分かってないね
聞くなら自分の間違いを認めてからにしなよ 打撃はかわすのが基本だしスポチャンはやって損はない >>771
人の粗探ししてんはテメーだろww
俺は武道系の大学で少林寺拳法を中心にしながら、
授業ではボクシング・空手・柔道・合気道・居合道・剣道・講道館護身術などを選択し、
部活の武道連合ではキックボクシング部や日本拳法部、テコンドー部とも交流があったぞ
今でもフルコン空手、沖縄の空手、ムエタイ、MMA、キックボクシング、柔術、テコンドー、軍隊格闘技、システマ、ボクシングジム、その他護身術道場、警備員の講習会などとも交流してるわけやけど、、、
キミは何をやってるん???
真っ昼間から延々と
くだらん書き込みをポチポチ打ってる間に、こちらは砂袋をボカスカ殴っとるんじゃワレ
まさか避難してる少林寺拳法の俺よりも弱いわけ無いよなぁ?
やっぱり言えないかこの弱虫めwww オラ臆病者答えろや
少林寺拳法スレで言い負けたんが悔しかったん???
「ふざけんなよ」だったっけ?キミに何が出来るん(^^) >>774
国際武道大学ってとこ?
噂にゃ聞いてたが本当にスゴい所みたいだな
君みたいな人にとって「強くなる」ってのはガッツリ体育会系教育だろうな
そりゃ仕事が忙しい人や年配にはそんなもんは勧めないよ
つーかそもそも俺自身がそんなもん御免被る
が、そういう人なりに努力して日進月歩で上達することは可能なはず
「ただ楽しめればそれで良い」という意見だが
永遠にヒット1本打てずランナーも刺せない、三振エラー三昧の草野球なんか楽しいか?
多少は苦しい思いして練習して上達が実感出来るのが本当の「楽しい」だと思うよ >>774
交流してるからなんだ?
お前が本当にそういう経験をしたとしよう。で?
批判内容を棚に上げて逃げて何をほざいてるんだよ >>776
そうやって今日も逃亡ご苦労さま〜〜(^^)
でも実際の走るスピードは俺の方が上やろうけどなww
元陸上部&水泳部なめんなよオメーーww
武板の皆さん!彼はこのように真っ昼間から他スレでも人を貶してばかりの人物です
相手にするだけ無駄ですよー
建設的で生産的な意見を交換していきましょう♪ >>777
わかりやすいバカだな
そういう所が嫌いだわ
誰も聞いていないことで正当化をはかる、自分正しいアピールウザイわ >>777
軍隊格闘技とか言い出す奴ってオタクっぽいよなww >>772-773
剣道も少し噛っていましたので面白そうです。
剣道ほど費用かかるかどうかご存知ですか? 確かにスポチャンの話の方がずっと有益だわ
いい汗流して健全な闘争心燃やして、武道としての片りんも残して、イイスポーツじゃない?
それに引き換え・・・下らぬ話
噛みついて噛みつき返して、なにが生涯武道か 永年弱い弱いと言われ続けた少林寺拳法を名乗ってくれたこと
私は少々嬉しかったですがね。
それだけ多くやってるものの中から、何も少林寺拳法をチョイスしなくても、
と思います。 若者と同じ武道・武術をやって強いだ、強くないだ・・
ただ強いのは高校生・大学生だって出来る。
ここにいる人間はただやってれば何か見えてくると思ってる人がいる。
その消息は妄想で終わる可能性が極めて高い。
心身の統一こそが武の到達点。
心だけ、身だけなんてのは無いのです。 スポチャンは間合いの駆け引きが上達しそうだからやってみたいけど、あんまり費用が掛かるならパスだな。 生涯武道とか以前に、ここまで短気で喧嘩っ早い人達は武道じゃなくて書道とか茶道やって心落ち着けた方が良いんでね? スポチャン防具がそこそこする
でも剣道ほどじゃない
防具貸してくれるとこともあるし >>786
若い頃は多数の大会で優勝してきましたよ。武道・武術経験も一つや二つではない。
だがそんな過去の栄光にすがって生きるのは虚しいだけ。
我々は野蛮人ではない。ドラゴンボールみたいに強ければ良いのは若いときだけ。若者の肉体には勝てないし体力は衰えていく。
武道・武術を三十年以上続けて求めるものは剣禅一如・拳禅一如。 スポチャンって飛び込みまくりで膝に悪そうだけどどうなんだろ >>792
むしろ心がずっと若いともいえますねw
煽りではなく永遠の中学生というか羨ましいと思います
本当にそう思います
私なんかは社会に出て様々な経験をして社会的な修羅場をそれなりに経験し
苦労をしてそれを乗り越えてきたと自負してますので
やはり強さという価値観が子供の頃とは変わってます
拳禅一如とかそういうのを意識したこともないし
そういう宗教ぽいのはあまり好きではないのですが 小太刀とか刀とか色んな種目があるみたいだな。刀でなら剣道とどう違うのかな。膝を薙ぎ払っても良いとかかな 九州のどっかの町で、その地方に何百年も昔から続いてる小型の弓を座って射る弓道が有って、今でも小学生からお年寄りまでたくさんの人がやってるそうな。
そう言うのって何か良いな。 >>793
同じく鋭い飛び込みが売りで膝を悪くすると言われる八極の場合は
着地の直前に膝を抜いて沈身すれば大丈夫とのこと
ドシンドシン鳴らす踏み込みは膝に衝撃がダイレクトに来て痛める
そう言えば中学の体育の剣道の授業で、剣道部の連中は
いちいちドシンドシン鳴らしてたが、あれはどう考えても打ち込みの威力に関係無いし
普通に膝を痛めそうだったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています