生涯続けられる武道・格闘技について考える
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「生涯武道」という言葉があるように、歳をとっても続けられる武道・格闘技って何でしょうか?
今、総合格闘技をやっていますが、この競技はとてもハードで、
歳をとっても続けられる競技とは思えない。
若いうちにしか楽しめない競技より、ずっと続けられる武道・格闘技を模索中です。 未だに「健全な肉体に健全な魂が宿る」の筋肉脳ばっかだもんな。
本来は「健全な肉体に健全な魂が宿れかし」で、意味は「健全な肉体に健全な魂が宿ってくれればなあ…」という皮肉なんだけどね。
でも、文武両道の知徳体をバランスよく鍛えるなんて難しいもんなあ。
あらゆるジャンルの先達が「一生修行、生涯修行」というのもわかる。
若い時は肉:心=6:4で良いが、歳とったら肉:心=1:9だな。 その通り。
老齢になれば心を鍛えなければならぬ。
今の武道やってるやつは強けりゃいいだからな。
全く心が出来てない。なのに勘違いして武道やってりゃ心が育つと思っちゃってる。
即ち子供から成長してないんだわ、指導者も習う方も。
武道やってりゃ則してくるもんだと思い違いしてる。畢竟ただのチンピラ崩れの思想よ。 松田隆智の歴史本や技術書には中国拳法や古流柔術の達人の
老人が若者をすっ飛ばしたり投げ飛ばしたりする
話が出てくるが、やっぱ捏造や空想なのかな?
自分も100%は信じてないけど、武田惣角や合気道の開祖
(名前忘れた)も、いくつくらいまで強かったのかな? >>121
むしろ若い内に強くする方法論が発達したからでは? >>132
昔の人は寿命も短かったからねえ。
生涯武術というのが根づくのはこれからの課題ということでいいんんじゃないかなあ。 >>131
こういうこと言い出すと元も子もないけど年取っても武術を続けられるフィジカルエリートだから強くて当たり前とも言える >>134
だから老人の定義が今と違うんだって!
今の60歳なんかもう老人じゃねーよ
年金も65歳からだし
昔は60歳なんて生きられずに死んでる人ばっかりだったわ
どんなフィジカルエリートだって80歳にもなれば弱いよ そもそも武道の発祥である戦国の世で武芸百般を修めた武芸者達が活躍したのは、ヨボヨボのジジイになってからだろうか?
武蔵が吉岡70人を斬ったのが22歳、巌流島の決闘が29歳
若い者が強い、という姿が正しいような気がする >>136
体力は間違いなく落ちるから
長時間の戦場なんて無理だろw
老人なったら女子供居る所に
敵が来たら護る役 まあ特に運動に打ち込んだことのない中肉中背の成人男性より強いくらいには維持したいですね ヒョードルとかが60歳くらいになってもただの若者に負けないと思うよ お前らはただの武道やって意気がってる親父。ヒョードルとは全く違う。
俺が言いたいのは、心を鍛えろってことだ。
フィジカルで若者に負けても精神的に勝てなきゃ嘘だろう。
ま、空手・ボクシング・柔道・総合・剣道・合気・ジークンドウ・キック・中国拳法・古伝・柔術等々何をやっても心を鍛えなければ無意味。 >>136
武蔵が島原の乱に出陣したのが55歳んときで、しかも当時の食客先のボスの命で
宝蔵院流の使い手と試合をやらされたらしい。勝敗は分からん
つーかみんな言うこと極端だよね
人間の限界に挑んでるようなガチアスリートならそりゃ競技生活は短命だけど
細く長く取り組むアマチュアイズムで30以降の衰えなんか誤差だよ
>>131
若い頃に講道館で柔道やってたうちの道場の太極拳のおっちゃん(60代)は
取っ組み合いでその辺の兄ちゃんに負けることはないと思う >>140
俺の先生の言う「心」に当たる部分は
・恐れずに前に出る勇気
・的確に技を出す冷静さ
・ヤバい状況から生還する危機管理力と精神的タフネス
なんだけど、君が言う心ってのが全く具体的なこと言ってなくて分からんな
礼儀とか社会的人格?そういうのは家庭や社会で養うもんだよ >>143
>・恐れずに前に出る勇気
・的確に技を出す冷静さ
・ヤバい状況から生還する危機管理力と精神的タフネス
確かにこれらは精神性として戦う者には必要だが
武道であるからには道を求めるという発想が必要になって来るのではないかと思う
上のふたつはスポーツでも身に付くし
最後のひとつは危機管理関係の仕事であればもっと確実な内容が身に付く
では、武道にしかない、武道が求める精神的な修行とは何か?
そういう事が30代終わりぐらいから実感として分かりだした
それが何かは、もう答えそのものになるから後進の徒の為に
敢えてはっきりと書くべきではないかも知れないが、
戦わずして勝つ、或いは武道そのものを卒業することによって武道のある種の高みを知ると、
古来から言われている内容ではあると思う。
昔から禅宗の修行が武道に取り入れられてきたが、
その辺りを真剣に追及してみるのも良いのではないでしょうか? >>143あ、横からごめんね
が消えてました。済みません。>>140氏とは別人です。 >>143
正に猪武者だな。
極言するが先生共々、若い範疇を越えてない。
あなた方は
只強くなりたいという限局的に考えている傾向がある。
正しい理解が出来ていない。
正しい理解が確固不抜の人生観を確立し、その確立した人生観が一切の内的誘導力となって
自己を完全に統御し得るに至るのである。
然し『武』の本質に自覚する基礎的智識なるものはそうした手段のみでは到底完全にこれを啓発する事は
断然出来ないのである。
老年になり指導するにしても、
あなた方は畢竟武道、いや生き方自体理解してないだろう。 >>144
禅は武に役に立ちますね。
幕末三舟の山岡鉄舟師も『剣禅話』を書いていらっしゃいます。
正に不立文字・・・ >>136
巌流島ん時相手の小次郎は70過ぎてたって説もあるぜ >>148
戦国時代の武者修行者って様々な形態の「成りすまし」が多かったらしいね。 >>149訂正
江戸時代初期前後の武者修行者って様々な形態の「成りすまし」が多かったらしいね。 >>148
武蔵が28〜29小次郎が40くらいが
最近の有力説じゃない? >>151 だからお前はダメなんじゃね? (´・ω・`) >>153
人に心を鍛えろと上から目線で言う人間の心が鍛えられていない矛盾がわからないのか >>154 それはお前の被害妄想だという事実が解らないのか? まあ、修羅場くぐってこなかった武道家が心や道を説いても説得力無いけどな
今時は殺すか殺されるかなんて場面は滅多にないが >>154 ならばお前はよっぽど卑屈な奴なんだなとしか・・・(´・ω・`) >>156 修羅場をくぐってきた人にはそれなりの実力や運があるのは認めるが
正直、人殺しに道を説かれても
はいそうですかと、全てを受け入れる気にはなれんわ (´・ω・`) >>159
そんな自分にしか通じない意味不明な理論で自己正当化しちゃダメでしょ ま、>>144が上から目線で偉そうとは思えないな
>>151 >>154 >>159にこそ心の修行が必要だとは思えてもな
幼稚で卑屈、被害妄想があるとの指摘はその通りかと思われ 精神修行と言ったものがどれだけ難しく受け入れられないかが良く見えるよ
「精神修行は必要ですよ。自分の時はこうでした。こういう事がわかりました。
昔の武道の教えも禅の教えも色々と参考にしてはどうでしょう?」
「うるさい、上から目線で偉そうに!
お前こそ偉そうな態度が精神修行が出来てない証拠だ!矛盾してる!!」
……、やれやれ >>158
他人がどうこう言う前に、人を殺めた本人こそが「全てを受け入れる気に」ならんだろ
なればこそ、だ >>156
武術を極めたり修羅場(笑)を経験した心が優れている、という言い方に違和感を感じる
普通の人間だって修羅場をくぐったり精神的に強くなる経験をしてきているはず
大きな仕事を成功させたり、困難なノルマを達成した
はたまた仲間と目標に向かって頑張れた
こんな経験だって立派に精神を成長させる出来事だし、武道ってもんは日常生活とは切り離せないもののはず
相手を尊重するのが武道の礼儀だよ >>164
武とはなんぞや?
静かに,我自身を顧みて考えるとき
あなた方は果たしてこの問題を如何に解釈されるか?
勿論それを相対的に考えれば『武』とは人間なりとか、或いは『武』とは万物の霊長なりとか、
何人と謂えども即座に答えられる事と思う。
然しそう答える事に依って自分自身は本当に安心した気持ちになれるであろうか? >>156の発想は武道というよりは武術の発想だろうな
戦乱や修羅場を乗り越え、生きて返ってくる思想と技術
目標を遂げるその為にはどんな手段も辞さないという武術の思想
>>164 たぶんあんたは正しいと思うよ。
>>163 世の中そんな正常な奴ばかりだと良いな
だとしたら凶悪犯罪やワイドショーが世間を騒がせたり
面白半分で煽ったり商売にしたりしない。
あんたワル自慢とか見たことないか? なんでこんなにクソみたいな議論になってるんですか? >>167
自分は分かってると言いたげなヤツにカチンと来てるんだろ >>166
全然違うんだな、そんな意味じゃないんだわ >>144
>戦わずして勝つ、或いは武道そのものを卒業することによって武道のある種の高みを知ると、
>古来から言われている内容ではあると思う。
>昔から禅宗の修行が武道に取り入れられてきたが、
>その辺りを真剣に追及してみるのも良いのではないでしょうか?
>>147
>禅は武に役に立ちますね。
>幕末三舟の山岡鉄舟師も『剣禅話』を書いていらっしゃいます。
もうすこし詳しく具体的にお願いします >>144
>戦わずして勝つ、或いは武道そのものを卒業することによって武道のある種の高みを知る
先生や、先生と親交のある武術家の基本方針は「太刀を帯びてこそ抜かぬと言える」
戦わずして勝つために、戦って勝つ方法を身に付けておく
だから卒業ってのは無いと思う。スレタイと同じく生涯武道を目指してもいるし
禅に関してだけど、闘いで荒んだ心をクールダウンさせるためのセルフケアらしいよ
自分で自分の心と向き合うという精神治療
ちなみに、これが出来ない奴が酒やドラッグやその他快楽に溺れるんだとか 道場では、そんなパンチじゃ倒れない、そのタイミングだと刺される、なんて注意ばっかで
説法みたいなことは1ミリも聞かされない
そんな稽古で得られるであろう悟りはスポーツやビジネスとは全然異質のもんであろう >>168
>自分は分かってると言いたげなヤツにカチンと来てるんだろ
本当は自分こそが分かってるのにあいつらめ・・・ってか?www
>>151からの糞ループはその思い上がりが原因だというワケだな >>173
というバカの挑発が原因だな
自分が思い上がってるのを気づかないか >>171 まだまだ表面的な気がするな。それは。2つとも。
禅の本来は悟りを目指す為の物らしいし。
抜かない太刀なら、偽物でもいいんだから。そうなると卒業間近でいいんじゃない?
>>172 そういう悟りみたいなのを追及してくのが
スポーツと武道が違う点のひとつなんだろうね。 武とはなんぞやって金持ちの娯楽だろ
生活が安定してなかったらできないわけだし、 んなこたぁない。一日働いて夜1、2時間稽古するのも武道(^^) 毎日1〜2時間くらい目的意識を持ってコツコツやるのがいいね。
週二くらいで師匠に修整してもらって、たまに出稽古にいったりしてね。
そのくらいに調整しないと四十代で潰れていくことが多いよ。 塩田剛三と言う人の動画見たけど凄かった。
年行ってもあんなに強い人が居るんだな。
今なら科学的にも技術体系的にも解明されてるだろうから効率的に数年であのレベルになれそう。
塩田さんを片手で制圧出来る強さが欲しい。 >>170
『剣禅話』を書かれた山岡鉄舟師は
勝海舟師・高橋泥舟師
で幕末三舟と言われる。
山岡鉄舟師は一言で言うと
沈思黙考。
剣は新陰流→北辰一刀流を極め
(剣法は鍛練刻苦して無敵に至りたるを以て至極とす)として
無刀流を開眼する。
あなた方は正に
山岡鉄舟師が言われる
『優劣の考えが自分の中にあるときは無敵の状態とはいえない。心の問題』
を考査していないものね。
苟も吾人がその人生を大定の境涯に活きるにはよりもっと
高い真正の自覚に突入して、正しく
【武】というものの本体をその意識の中に把握せねばならない。 >>176
あなたのような本能階級に属する人は目に見える肉体を自己と思うがために、従って真我の本体も肉体であると考え、
理性階級に属する人は目に見えない心を自己なりと思うがために、真我の本体もまた心であると考定するのである。
そして本能階級の人々は口に吾が心とか吾が精神とかいってはいるものの、
肉体の要求や五官の感覚から構成されて本能的に発動する心を指していっているので、従ってこの種の人々はいわゆる心というものを
極言すれば肉体に付属した則ち肉体よりもより低級のものだと思惟している。 >今なら科学的にも技術体系的にも解明されてるだろうから効率的に数年であのレベルになれそう。
合気道の道場に見学に行ったら、塩田先生の強さは理解出来ない、何をやっているのか分からない、って指導者に言われたわ 詠春拳
それなりに強く
膝や腰を壊さず
練習は体力よりも技術や理論を重視
チーサオという安全な対人練習あり
だたし好みが思いっきり別れる門派 >>24
同意
職場で10代から長い事ボクシングやキックボクシングをやってる人がいて仲が良いのだが
なんせ物覚えが悪く仕事でいつもミスをして怒られてる
それでいて短気
それとは別に松濤館の指導員、剛柔流の先生、剣術の先生も働いてるが
礼儀正しく仕事も卒なくこなしてる
たまたまこういう感じで、逆のパターンもあるだろうけど
近くでこういうのをみると何か考えさせられるよね
勿論非日常(試合)ではボクサーの友達が強いのだろうが
日常に活かせるのが武道なんだなと思ってみてる
それもあってか伝統空手に興味ある >>180
まだまだ全然解明されとらんよ
どの流派も手探りで運の良い人が一部を手にするレベルだと思う 杖道、ハチダンキン、西野流呼吸法、
簡易太極拳、いろいろ >>55
中国武術を勧めたいがバリバリ体を使ってきた人には物足りないかもなぁ
効率的な体の使い方を学ぶのが目指す方向なんで
それが合致してたら面白く感じるかもしれません >>189
>>41です。ありがとうございます。
何とは言いませんが、中国武術もやったんですよ。素晴らしかったです。
ただし、人間関係が...
全ての会話がオスで成り立ってた私としては...
ちょっと人間関係が厳しかったです。実質追い出されたようなかんじで >>184
素晴らしいですよね。
でも、やっぱり、技術とかの前に人間関係、師弟関係が大事なので、そこらへんはどうなんでしょう? >>190
会社と同じでその組織とはたまたま合わなかっただけじゃないですかね?
みんな人間ですから合う合わないはあると思いますので。
そしてその組織の雰囲気を作るのはやはり先生なので
先生の人柄を一つの判断材料として探してみては?
当たり前のことを偉そうに申し訳ない >>191
私がやっていたところは師と生徒の古い関係とかは皆無でしたよ
詠春拳はそういう古いしきたりや気といった言葉を使わない門派ですからね
詠春拳というより葉問派詠春拳というべきですか
気なんてあるのですか?と先生に聞いたら
気は脱力だと言ってましたね
それくらい中国武術特有の難しい言葉や神秘的な言葉を使わないですね
ただスポーツ教室みたいな明るい雰囲気を求めるなら西洋の詠春拳がいいんじゃないでしょうか
それが好みに合うかは分かりませんが
私は現在教室は辞めてたまに独りで型を練ってる感じですが
いつかはまた教室に通いたいと思ってはいます… 完全に科学的に研究された武術・武道が生まれないのは何故?
そうすれば生涯○○として上達し続ける事など簡単だろうに >>183
今の指導者でもまだ塩田先生超えられないんか…
大山総裁と双璧をなす存在なだけはあるな。総裁の方が少し上だけど。 >>192
>>193
ありがとうございます。
良縁があると思いますので、信じて地道に探してみます。
とても助かりました >>197
長くやり、そして練習生もそうだし
練習が楽しかったのは少林寺拳法でしたね
ただ俺自身は当時若かった事もあって格闘技志向が強く
よく他校のボクシング部の友達らとスパーして
少林寺拳法の乱取りでは他格闘技の技術を使ってよく怒られてました(苦笑
極真も少しやりましたが私には肌が合わなかったですね
体も大きくないので…
詠春拳は地味なので練習は正直楽しいと思った事はないです
ですが頭の良い人が多いという印象を受けました
といいますか頭が良くないと上達しないのが詠春拳かもしれません
他の流派で興味あるのは小林流、和道流、剛柔流の伝統空手
中武だと八極拳や洪家拳、白鶴拳ですかね
最近になり小念頭での体の練り方が分かってきました
型は奥深いですね >>194
体格や骨格筋肉の位置でやり方が少し違う
まず漢方のように何種類かの体格体質に分けて数100年くらいの検証が居るんじゃないかな? >>199
グッときました。いろいろ追求されてきたんですね。
詠春拳をおすすめされる前、自分が昔、極真とJKDを弊習してたことがあるのを忘れてました。チーサオやトラッピングは大好きでした。
今はひとりだし、週末家族で公園に行った時、空手の型をやって、清々しかったです。しばらくこれでもいいのかなと思いました。
自分は極真が長かったですけど、少し未練を吹っ切れました。
のんびり次を探します。感謝です!
ありがとうございます。 中国武術系は体をバンバンに酷使したい人向けだと思うけどな
屁理屈メガネのキモオタのたまり場と化してるとこじゃなくて
散打・表演の選手が在籍してる真っ当なところね 合気道信者痛いよなー。
中拳も痛いの多いけど格が違うw 型やるなら首里手がいいよ。
極真とは身体の使い方が真逆だと思うので得られるものも多いはず。 私は極真をやってみたいのですが、前述にもあるように、やはりヒザとかいろいろ怪我が多そうですね。
歳をとったらスパーリングをするのは危険でしょうか。
顔面がなく、比較的に安全にスパーリングができるので良さそうなのですが。 >>207
道場稽古はどこも安全に気を配ってますよ。安心していいと思います(危険人物は見極めましょう)。一般の試合に出るならば事情は変わってきますけども。 松濤館と首里手は実際やってみると結構違いが大きくて驚きや発見があると思う。
糸東系は意外と首里手に移行しやすいかも? >>208
なるほど、しかし危険人物とのスパーリングは避けられるものでしょうか。
こういうスパーリングって、相手は指導者が決めるものだと思うので、
そう上手く回避できないのでは、と思ったりもします。 >>211
だいたい全員で回って総当たりしますから普通は当たりますね。師範や指導員が見てますし、見のがしても彼らも危険人物には注意しますので報告すればいいです。新しい方はとても大事にしますよ。 >>211
柔道は、どうですか?
多少、実力差が有っても受身さえしっかり習得していれば
ケガはし難いと思いますし。
危険人物も少ない気がします。 >>212
ありがとうございます。
極真は昔から興味ありまして、比較的安全にスパーができるというのが魅力です。 >>211
あとは、危険人物を倒す役割の人もいると思います。みんな大事にしてくれると思いますよ >>213
柔道は打撃以上に危険な気がします。
巻き込んだ投げとか、受け身が難しそうです。
私自身、別の組技をやっていますが、組技は腰とかに来るので、
今やってる競技だけで組技は十分かな、と。 >>210
首里手ですね。見たことありませんが探してみます >>216
しっかり受身をマスターして
あとは投げられた時に素直にしっかり受身を取れば
そうそう大怪我なんてしないですよー >>216
確かに、腰には来ますよね・・・・・・
巻き込みの件ですが、若い時は無理にでも
相手の投げを堪えていたので、結構、体を痛めましたが、
最近は、ヤバイと思ったら自分から飛んでるので、ケガをする事が
減りました。
もっとも、後輩達から「また、先輩飛んでる」て呆れられていますが。
柔道は膝を壊してる人が多い印象でしたね。どうしても横への荷重が乱取りを繰り返すうちには
負担として溜まってきて、若いうちはいいけど30も半ば過ぎると蓄積して来て、40で正座も片脚を
折り畳むのができないという3段指導者がいました。私も40過ぎて空手の輔けにと柔道を始めて
初段は取りましたが、同体で畳で頭を打ったり手指の骨折など、柔道は怪我は避けられないなというのが
実感です。始終掴み合い取っ組み合いしてるのだから当然と言えるでしょうか。
しかし還暦過ぎた6段の指導者が尋常ではない力の持ち主でテコでも動かない膂力で、投げ技は
さすがにお出来にならないが、足払いでぼんぼん床に落とされたことは経験しました。柔道恐るべしと
思ってますが、稽古が完全に競技ベースになってますので、空手でいう競技から離れた部分を
も含んでの生涯武道という意味では、柔道は相手を選ぶと思います。が、楽しんでやることも
できる武道だと思います。 >>218
>しっかり受身をマスターして
>あとは投げられた時に素直にしっかり受身を取れば
>そうそう大怪我なんてしないですよー
柔道の受け身はそんなに万能じゃないよ
未だにあの受け身は何をやりたいのか
何の為に何をしてるのか分からない
具体的な原理も分からない
多分きちんとわかっていて説明してしかも実際にできる人などいないと思う よっぽど体が丈夫じゃないと柔道やレスリングは30代からどんどんきつくなるね。 今はみんなウェイトやってるし筋力も平均体重も増えてるから投げは怪我をしやすくなるし年とるときつくなる。
大相撲も力士が体重増やしすぎて投げが決まりにくくなってるしね。 >>220
生涯武道って大切ですよね
武道はもとは武術であり戦技であり、相手を殺すか自分が 死んで終わりだったところを、武道になり相手は自分を向上させてくれるものとして尊重することで長い人生を成長に費やすことができるようになった
スポーツはどちらかというと武術に近いのかも
体に負担を強いても相手に勝つ文化ですよね、狩猟文化の欧米型ですよね
世間的には競技の柔道が認知されてますけど、武道としての柔道一筋って方はいるのか興味あります >>225
ミャンマーで空手が盛んらしくて、そのドキュメント番組を見たんだけど
まだ24の若者が就職か空手かの選択を迫られてて
「空手はもう引退するかも知れない」と悩んでいた
その苦悩はともかく「引退」という言葉に非常に違和感を覚えた
別に就職したって家で練習できるじゃねーかと思ったが
彼の中では空手をやる=競技選手として空手に取り組む
もしくは指導員として生き延びるってことなんだろう
そういう意味ではむしろ武道=スポーツで、このスレの大半の人もそうなんじゃないかな
生涯かけて取り組むのは武術の方が圧倒的に多いよ >>226
武道について理解されているあなただからこその視点ですよね
たしかに武道が普及するに伴って、本来なかったはずの勝負だったり権益とか発生してきて、それはそれで必要悪なのかもしれませんが、もともとの意味の武道は今は武術にしかないのかもしれませんね 生涯続けるなら指導員になるなり
ある程度やってなきゃ無理。
それでも空手なり腰や足壊している人は多数。極真なんてもっての他。
極真はどつきあい好きな人ばかりだからおっさんから始めると壊される。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています