その時代の資料じゃなきゃ信用出来ないってのは、先ずは後の時代の資料を明確に否定出来て初めてそう言えるのであって、それも出来ないのなら、
後の時代の資料だってそれなりの情報源として無視は出来ない。

少なくとも、歴史上の人間の孫やその子孫の証言ってのは現代でも普通に歴史を調べる上での資料として重宝される。
それを否定する場合、その反論になる資料が出ない限りは否定は出来ない。

最近出てきた斎藤一の顔写真だって実はその子孫がねつ造しているかもしれないし、或いはその子孫も勘違いしているかもしれない。
けれど社会一般では子孫の証言には一定以上の信用を置くのが一般的だからそれを受け入れている。

なんだって難癖をすれば否定できる。