>>918

仮に資料がないで断言できる事はあくまでも「解らない」でしかない。
今、君の主張をそのまま鵜呑みにすれば、本部の古い著書には掛け試しの事は記載されて居なかった。
でも、そのお孫さんは掛け試しに関しては知って居た。
これがいわゆる「現時点で解っている客観的な事実」

朝基の古い著書に載っていないから存在しないはただの「論理の飛躍」。
また、そこで仮に「それはお孫さんの朝正氏の創作である」という推察が出たとしても、
それを裏付ける何らかの資料がなければそれは、所詮は個人の推察の域を出ないので、それに一々反応する気も無い。
何の資料もない個人の推察による否定を一々相手にしていたら何も話は進まない。
これは学問での基本的な考え方。


仮に悪魔であり、ツチノコで言えばこれらは逆説的な資料が数多く存在する。
今でも新種の生物の発見が出てくるので、やはり100%コレラの存在を否定はできないが、
それでもツチノコや悪魔ほどのサイズのある生き物で今日まで発見されていない時点で、その存在を疑われるのは当然の話。

だが、空手の型に関して言えば、悪魔やツチノコほどの逆説的な資料があるのか?
私が提示しているのは、明確な資料の提示。
それを悪魔の証明という時点で、既にその主張は破綻している。
資料が存在しない事実の一体何が事実になるのか?