>なんでそんな稽古を道場じゃなく辻の遊郭街でやってたんだろうね?
別に辻町だけで行われていた訳ではなく、当時はどうそれぞれの稽古場でも偶に行われていた。
辻町で行われていたのは遊郭街なので血の気の多い若者達が集まりやすく、また掛け試しの後でそのまま遊ぶ事も出来るので当時の空手に熱中していた若者達には色々と都合のいい場所だったからだよ。
なお、当時は道場なんていう立派な物はなく空手修行者達が皆で合同で行う際には大きな庭や広場で稽古をするのが一般的だった。

>こんな調子だから権威ある先生が「実は昔はこういう稽古をやっていたのである」と言っててもあまり信用は出来ないな。

なら何なら信用できるんだ?
君の妄想なのか?それとも君が信じるに値する先生でもいるのか?
或いは、その先生達よりも信じられる書籍でもあるのか?

>どう見ても剛柔流はそういう拳法の流れとは違うと思うので不自然じゃないか?
君も知っての通り、沖縄剛柔流の当時のトップの人間達が中国に学びに行ったのは有名な話で、
その影響か上地流など他のいくつかの流派の人間達も後に中国に行ってる。
そしてカキエが沖縄剛柔や本土の剛柔流でも代表的な稽古法の一つとして広まっているのも一つの事実だよ。
君のいう通り、古伝の沖縄空手には本来カキエなどという稽古法ななくまた確認もできない。
では、どこから伝わったのかと言えば結論は一つしかないと思うがね?
それとも君は別の意見とそれを裏付ける資料があるのか?


>なんのためにやるのか?また空手の謎がひとつ増えるだけだよな。
そんなの空手の技術を身につける為の稽古法でしかないだろ。
それを謎にするのか稽古法の一つとして行うのかは個人の自由でしかない。
君にとっては謎でも俺とっては謎じゃない。
その程度の話だと俺は思っているけどね?