魯粛が豪族共の反発は目に見えているにも関わらず最初に急進的な天下二分を論じたのは
誰よりもこれから仕える孫権に対して旗幟を鮮明にしておくためだった
だから曹操軍南下に際して豪族共の間で当然のように降伏論が蔓延していく中にあって
孫権は何かしら対抗の機運を掴んでくるはずと全幅の信頼を寄せて魯粛を荊州に送り出したわけだ