九星気学 2スレ目
気学を勉強中の人が実践結果や気学の占い師について語るスレです。
九星気学の占い師の実践方法についても研究しましょう。
このスレでは占い師個人の悪口や嫉妬メラメラな書き込みはしないように。
前スレ
九星気学スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1563434167/ 車はハイジャックされているからタイヤの摩擦が大きかろうが小さかろうが関係ないようだ 十月に将軍御所が新造されるため、敷地として
宇都宮辻子と若宮大路東頬(東側)に二つの候補地になり、
そのいずれかをきめるについて地相人の金浄法師(宿曜師)は、
頼朝の法華堂のある場所で、その西側に敷地を広げるべきえあると
主張した。宿曜師珍誉は若宮大路をとなえた。
仁治2年(1241)11月、武蔵野開発をともなうため、
将軍の方違えの必要がとなえらました。
方違え先は秋田城介安立義春の武蔵野鶴見別荘で、行列には力者・供奉人が
水干を著、宿老・若輩が弓箭を帯び、行粧を凝らして豪華なものでした。
宿所では笠懸が催され、犬追物もあり、新しい方式の方違えでした。 テスラはどうやったら地震を防止できるかということを考え、そして発明した。
地震が多発する地域に、船舶用の大型ジャイロスコープを、等間隔で地中に
突き刺す。そうしてジャイロスコープを回転させると、下に向かう強力な
推力が発生して、一定の感覚で振動が地殻に伝わっていく。
この振動によって弱い地層と共振状態を作り出すと、地震のエネルギーが
徐々に解放され、小さくなっていく。こうして大地震を予防することができると
いう提案だ。テスラによれば地球は絶えず、1時間49分の周期で膨張と収縮を
繰り返している。1時間49分ごとに、膨らんだり、縮んだりしているわけだ。
そこで地球が縮まる瞬間に、波動を与える。そうすると1時間49分、時間が過ぎた後に、
そのエネルギーは増幅されて帰ってくる。そしてさらに、
そのエネルギーが弱まっていく周期に、もう一度波動を与えると、
それがまた増幅して戻ってくる。これを繰り返していけば、そのエネルギーは
きわめて巨大なものとなっていくと、テスラは言うのである。
この方法では、数ヵ月から1~2年もあればよいし、短ければ、数週間で
できると言っている。 279
①35
68④
④は、辰という時間場によって凶。
①は、5という時間によって凶。
干支によって反対側にある方位は、時間場によって凶となる。
5によって反対側にある方位は、時間によって凶となる。
干支が酉だった場合、
干支と5が重なる方位となるので、
場と時間との二重の凶、強力に凶性がおこる。
5は時間による凶。干支は時間場による凶と考える。 279
①35
68④
5の反対側にある東は、全体的に凶。
辰の反対は、戌なので、戌の方位は取れない。
しかし、亥は辰の反対側でないので、亥の方位には、
歳破はない。
東西南北の場合、その範囲全体が凶となる。
北東、南東、南西、北西の角にある四方位は、半分の方位は利用することができる。
4と相性がいい人は、4は歳破だが、亥の方位の4は使用できる。
方位をとっても現象が起きないときは、北東、南東、南西、北西の角にある四方位を
微妙にとっているのかもしれない。 279
①35
68④
辰の場合、戌の方位は使えないが、4の亥の方位は使うことができる。
3の巳だった場合、戌の方位は使えるが、亥の方位は使うことができない。
これが、
年盤と月盤を合わせると、さらに複雑になる。
先生が、どうして、歳破の方位に向うのかなと疑問に思っていたが、
このような考え方をとっていた。
しかし、5の場合は、4戌亥とも向かうことはできない。 年盤
5①3
468
927
月盤
849
792
35①
年盤は子年とすると南①は全範囲が凶。
月盤は、巳月とすると、北西①の戌の範囲が使うことができる。
すると、年の①、月の①の中の全体として、①の20パーセントくらいが吉が
残っている。
80パーセント凶なのだが、残りの20パーセントの一白水星の
力を利用して、先生は、その①の一白水星の象意を取りに行くみたいなのである。 って言うより、「戌は月破はじゃないよ」として
北西の中でも先生は戌の方位を使う、ということなんでしょ?
80、20はどこから来た数字か知らないけど >北西の中でも先生は戌の方位を使う、ということなんでしょ?
そうです。難しいのですが、
年盤
513
468
92⑦
月盤
849
792
35①
例えば、年盤では5の反対側の7の方位はまったく使えません。
しかし、月盤では、巳月とすると、北西、戌の方位の半分が使う
ことができるので、先生は、その方位を取ります。
ものすごく難しい方位の取り方をします。
どうしても一白水星の象意、新基軸、潜在性をうまく活用するなどの
意味を方位で取りたいと考えているみたいな気がします。
九星気学には、先生によっていろいろな考え方があるみたいです。 どうもお久しぶりです、オマイラ=サン。本命も月命も五黄ニキです。 方位術の先生の話です。
五黄土星の戦国武将。
一代で方位エネルギーを使いつくした豊臣秀吉(1536)。秀吉の
足跡をトータルで見てみますと、非常に特徴がある、ということです。
大勝負に際して必ず五黄殺凶方位を用いている。
五黄殺を使うと、自分の運ばかりではく子孫の運までも
全部取ってしまい、一代で財を成して一代で華々しく散ってしまう。
秀吉は、まさに子孫、子々孫々のエネルギーすべてを奪って、
そのまま一代で華やかに逝きました。
五黄土星秀吉にまなぶべき点としては、名の無い者が一代で栄えるには
これくらい無茶なことをしなければならないということである。 秀吉は、凶方位作用のパワーを味方にして、のしあがっていきます。
そこが、さすがというべきです。
秀吉は、なにか大きな勝負に出る時には、五黄殺の方位を使っています。
なにかをやる時は必ずと言っていいほど五黄殺を使う秀吉は、一代の運、
ともかく一代ですべてを使いきる人でした。何代もの未来と過去両方の運を
一代で使いきる、というのはまさに五黄殺凶方位の連続の結果なのです。
一人の人物が、天下人の座まで駆け上がるためには、秀吉のような凶方位を
使い続けて、強烈なパワーをもって生きぬくしかなかったのかもしいれません。 >>770
色々苦労してますががんばるます
ありがとうございます(´・ω・`) 492
357
816
年盤5の場合、暗剣殺の方位はどこにもない。
しかし
73⑤
681
249
月盤で、丑月、寅月の場合、
月破で、5の方位が凶となるので、
年盤の中央5の力が弱められる。
中央が凶となる場合、
人間の身体において、心臓を意味する。 >>771
たしかに五黄を使うと超最大吉方的な働きをすることがあるみたいだね
ただ一般的にはやはり大凶方
安倍は五黄を犯して山上に56されたわけだし 真珠湾攻撃
1941年12月8日
年盤
492
3⑤7
816
日盤
624
⑤79
138
五黄の年に、日盤が東、五黄が巡って来た時に、東に位置するアメリカに対し攻撃。
九星気学は、、宿命打破、開運創造する唯一の占法。
禍福凛輪、動より生ず。
占い師は、その究明に捧げてきた。 つまり、それは五黄方位への仕掛けは失敗や敗北という凶なのではなく、
吉という勝利への証明なんですかね ? しかし、月盤・日盤の組み合わせならばわかるけど
年盤・日盤の組み合わせは不可解 ミッドウェー海戦の場合、
1942年6月5日。
月盤
492
3⑤7
816
月盤の中央に五黄が来ているときに海戦が開始した。
6月5日は、節入り前なので、5月の巳月となる。
5日は、丑日なので、丑ー巳の三合。
月日の三合、月、五黄月にミッドウェー海戦が開始された。 真珠湾の鑑かたは年盤・日盤の関係、ミッドウェ―の鑑かたは月盤
この違いは何なんですか? 盤を見るしかないのですが、
これも推測です。
真珠湾攻撃をした年が、
1941年の五黄の年で、この一年で戦争を終わらせる予定だったのが、
もつれて、1942年まで延びてしまった。
1942年の1月、2月の節分までは、前年の1941年五黄で計算します。
節分後、1942年は四緑な変わり、年で五黄が取れなくなった。
そのため月盤に五黄が巡って来た時に、ミッドウェ―海戦で、流れを逆転しようと当時の九星學の先生は
考えたのだと推測している。 普通の方位取りの場合、出発点の太極のある住まいから方位吉凶を見ますが、
宿泊する宿泊先で当方位の九星の状態は見ることはしません
攻撃や海戦のあった当日のものではなく、真珠湾、ミッドウェーへと艦隊が
出港した日の、九星盤はどういう状態はどうだったんでしょうか ある九星の先生は、
船は、着工ではなくて、
その船の進水した日付で占わなければならないと教えていた。
船が出来上がった日ではなくて、
その船を水に触れさせた日が大事であると教えている。
「不沈艦」「強運艦」と「雪風」は呼ばれていて、
このような船は、進水した日の九星が良いと先生は言っていた。
九星は、いろいろな考え方があるみたいです。
三碧木星、四緑木星の船がいいのかもしれない。 本命六白の大谷が明日会見するんだね
年盤三碧 月盤四緑 日盤四緑(現地はまだ3/25)
今月の六白は西回座
月盤で月破の上に年盤では五黄殺に乗ってる
日盤では月破の上に乗ってる
何か自滅的なやらかしがありそう? 隣国で、メジャーの開催があって、
そこで、今回のトラブルが発覚した。
アメリカから見て、西。
そして、また、アメリカに戻ったので、東。
大きな東西(卯ー酉)の移動。地球は、東西に回転している。、
3月は卯月。
4月は辰月。2024=辰年。
4月にはいって、新しいことが出てきたら、辰年、辰月。
辰の反対側の10月にリズムの線路ができる。
大谷=六白
735
⑥81
249
六白は東卯の位置にきている。
2024年は、辰なので、辰の位置にある七赤が巡っているので、
七赤の方は、人生決戦。年のエネルギーは、卯から辰にエネルギーが移動。
卯は、エネルギーが通り過ぎた後の場。
辰ー申ー子 三合を形成。
2024年1月は、中央に六白が来ていた。
2024年2月は、中央に五黄が来ていた。 >ミッドウェ―海戦で、流れを逆転しようと
「ミッドウェー」までは海軍は元気だったので、「逆転」はちょっと違うかな
という解釈 先生の話では、
ミッドウェー海戦のとき、
もっともあぶない暗剣殺の方角に
偵察機を飛ばして、いち早く敵機が来ていることを
発見し、報告できていたら、
世界の歴史はもうすこし変わっていたかもしれないと
言っています。
常に、暗剣殺のいる方角には、自軍の偵察機を一機でも飛ばしておくようにと
教えています。大勝利目前、
わずか五分後、暗剣殺の方位から、アメリカ軍の飛行機部隊が来襲してきた。 (´・ω・`)らんらん
(´・ω・`)本月五黄ニキだよー
(´・ω・`)残業と休日出勤だらけだよー
(´・ω・`)元交際相手さんの足元にも及ばない虫ケラみたいな従業員しかいなくてまともに仕事が回らないよー >>786
しかも水原氏の七赤は今年、善悪照見の南に来てるから今までの嘘や悪事が
一気に明るみに出ちゃったね 九星の先生によると、奥義は
2024辰なので、次に来る干支、巳の方位がエネルギーがあるとのこと。
2025年ならば、巳なので、午の方位にエネルギーがある。
2024年は、巳の方位、2025年は、午の方位がラッキーな方角となる。
ある方位へ決まった時間に行かなければ、出会いは実現しないのです。
見えない不思議さが興味をひく方位。助けの神がいます。
日蓮が滝の口より生還したのは、吉方位だったからであると
先生は言われています。 >>791
九星の先生というか…それは飯田天涯先生と後世の継承者が繰り返し言及して来たことですよね。
ただ、その巳の方位というのが、360度を12分割した「30度幅の巳」なのか?
或いは方迪類叢のように、360度を8分割×3分割した「15度幅の巳」なのか?
この点については、今日まで実例に基づいた説明はないように思われます。
また、後者の場合は、中央の巽15度をどう取り扱うかという問題があります。
巽15度の巳側7.5度を、巳15度に加えて「22.5度幅の巳」という解釈もあります。
この「22.5度幅の巳」は、前者の「30度幅の巳」に綺麗に含まれます。 279
①35
68④
2024=三碧、辰
辰なので、反対側にある戌の方位は、歳破で、行くことはできない。
5の反対側にある卯①の方位は、行くことはできない。
来年巳なので、エネルギーがある。
2025=四緑 巳
16⑧
924
57③
巳なので、反対側にある亥の方位は、歳破となる。
5の反対側は⑧なのである。
この場合5は、8全体を凶としているので、
干支、未と申の二干支、未の方位、申の方位が凶となる。
今年は、戌だけの方位だったのが、来年は、未申の二方位が凶となる。
5の反対側は、干支が一個のときと、二個のときと範囲が変動する。
干支は円を描きながら移動している。
5は、ジグザグに位置を移動する。
しかしどこから計算しても合計が15となる基本の魔法陣である。
東西の移動は、地球の回転に合わしての移動。
南北の移動は、磁力の移動であると先生は言っている。 >来年は、未申の二方位が凶となる
暗剣だとしてもその年の月盤の使い方では吉方として使えますよ 先生は、日蓮の鎌倉受難について、
恰もこの年は二黒中宮にして、しかも五黄が中宮に
入った月であったから、すべてを土に化すという気の強さが
災いしてか、危うく難を遁れることができたと
説明している。 「先生」は兎も角、それは気学をも否定可能に、また無にするものだから
慎重にした方がいいと思う 方位を取ると、耳の奥に何かしらの音がきこえてくるものだ。
何の音か。
「運命の音」である。
九星気学は、その不思議な音を分析する。 明日、神社参拝するんだけどお水取りって手水舎で
ペットボトルに入れてもええのけ? 木
吉方の植木屋へ行って、庭のある人なら竹(ちゃんと根のついている竹!)を、
庭のない人はなら松の盆栽を買います。念のために申し添えておきますが、
植木屋の店内で、じっとしている必要はありません。要は、そのへんをぶらぶら散歩する。
さて、吉方から住居に帰着したたら、庭のある人は買ってきた竹を
植えます。庭内における吉方、そこへ丁寧に植え込みましょう。
庭のない人は、松の盆栽を家屋内の吉方に飾ってください。
火
吉方のお寺へ足を運び、敬虔な気持ちで、お線香をあげます。
浄土宗の門戸なのに日蓮宗のお寺へ行って、お線香をあげる。
こういうことではいけません。
土
吉方の神社へ行って、土をひと握り、頂戴します。
庭のある人は、庭内の吉方に穴を掘って、その対を埋めましょう。
庭のない人は、その土を紙袋に入れ、家屋内の吉方に飾ってください。
金
現地の神社ないしは仏閣で守り札を求め、その札を金属球(たとえば砲丸投げのそれ)に貼りつけて、
庭のある人は庭内の吉方に埋め、庭のない人は家屋内の吉方に飾ります。
水
神社、境内、お寺のそれには水飲み場が設けられており、柄杓が置いてあります。
その柄杓で水をくみ、ゆっくり味わいながら飲むのです。
水筒を用意して行くと、くんだ水、吉水を住居へ持ち帰ることができます。
毎日、少しずつ飲めば、開運効果はさらに高まります。
なお、住居へ持ち帰った水は、絶対に沸かして飲んではいけません。
あくまでも生水として飲む、これを厳守してください。
方角がチャンスを迎えれば、あなたも必ずチャンスを迎える。
こうした動、こうした意識的な行為によって、方位で開運するわけです。
方位こそは人生のカギ、運命の回転軸。 >>800
飲用可の御手水ならそれでもいいし
神社によっては専用のペットボトルを買わなきゃ
水をもらえなかったり
自分では汲ませてもらえなくて
宮司さんが汲んできたりするとこもあるよ 竹植えない方がいいと思う
繁殖力強くて家のよかぶち破るから
根が張って駆除できないから植えたらダメ >>731です
2月末の年月日時での吉方位
北東550kmへの長期出張は
出発前日に突然起きた親戚の不幸で
数時間遅れとなり日盤だけ相剋の凶に…
それから2週間後
3月末には出張を終えて
4月頭には自宅に戻る予定だったのが
止むを得ない事情でもう1ヶ月延長
4/1~4/30で自宅から見て更に遠い
北東630kmで働く事に…
これは2月末に吉方位に出発して
2ヶ月吉方位に滞在できたと考えてよい?
3月4月と違う土地でホテル暮らし中 信玄と謙信の川中島への出兵。
川中島の戦いで一回戦と二回戦の間に
吉方位をとった信玄。
この間に凶の方位を取らざるを得なかった謙信との
差が出てきます。
その後、謙信は上洛します。
南西に六白がめぐった年ですから、大きなほうびを天皇や
将軍からもらう象意となります。
信玄が運気的に立ち直りをみせたのは、天文11年(1542.八白土星=令和元年と同じ)の
6月の出陣でした。