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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
垢版 |
2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0002名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/11(火) 06:23:38.00ID:QE4/wbCN
前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1480109875/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4.1 (Part1の再利用)
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/97-356

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/1-96

前スレは、512k容量オーバーで書き込めなくなりましたので、
スレを立て直しました。 (^^;
0003名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/11(火) 06:24:54.85ID:QE4/wbCN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
As has been described, the process of travelling the Paths has a definite effect
on the body.
ずっと記述され続けているように、「小径たち」を旅することの過程は、身体への明確な
影響がある。

The physical vehicle is subtly modified as the Light descends into it, and as the
Personality becomes increasingly aware of the presence and activities of the
Higher Self.
肉体的な乗り物は、「光」がその中に降りるにつれて、そして「人格」が、「高次の自我」
の存在と活動たちを、ますます意識するようになるにつれて、微妙に修正される。
--- ここまで ---

魔術では、「travelling the Paths/小径たちを旅すること」は、「タロット」を利用
した「パスワーキング」になるわけですが、それは大ざっぱに言えば、ここで解説されて
いるように、「エネルギーの引き降ろし」と「高次の自我の意識」となるわけです。
決して妄想だけが全て、というわけではありません。
要は、精神面では「ヨガ」に近いものがあるわけですが、肉体的な面での効果が全く無い
とわけではなく、何らかの「subtly/微妙」な影響があるということです。

まあ、人間の場合は、肉体と精神は、切っても切れない関係にありますので、当然と言えば
当然なのですが、「マルクト」に通じる「21:宇宙」「20:審判」「18:月」は、その肉体的
な効果を、割とはっきりと感じることが出来ますので、何か落ち込んだ時は、これらの
カードに頼ることで、下界のしがらみを洗い清め、そして上位世界のエネルギーをチャージ
するのもいいかと思います。
そして、ある程度回復してから、さらに「19:太陽」と「17:星」で、さらなるパワーアップを
図るという流れになるわけですよね。

とはいえ、肉体面でのパワーアップは、「タロット」の「パスワーキング」よりも、他の
手段の方が圧倒的に手っ取り早いですので、お勧めというわけではないですけどね。
0005名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/12(水) 06:14:59.08ID:nftPkYaH
>>4
応援ありがとうございます。 (^_^)/

勝手にカキコしてま〜す。 (^^;;

※前スレは、512k容量オーバーということではないみたいなのですが、
 なぜか書き込みが出来なくなってしまいました。
 おそらく何らかの書き込み規制がかかったのだと思うのですが、
 近頃の運営のやってることは、よくわかんないのです。
0006名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/12(水) 06:16:57.45ID:nftPkYaH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
Relative to the human body, the Path of THE MOON is an organizing (formative) one.
人体との関連においては、「月の小径」は、組織化する(形成的な)ものである。

It is described in the Thirty-Two Paths of Wisdom as the "Corporeal Intelligence,"
which Case tells us means "body consciousness."
それは、『知恵の32の小径たち』の中で「有形の知性」として述べられており、ケース氏は、
それが「身体の意識」を意味すると我々に話す。

He notes also that the root of the word "corporeal" in Hebrew means "to rain
upon." (*114)
彼はまた、ヘブライ語で「有形の」という言葉の起源が「雨のように降らせること」を
意味することも特筆している。 (*114)
--- ここまで ---

ちなみに、(*114)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
114. Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, Lesson 16, 1.
114. ケース著、『知恵の32の小径たち』、第16課、1ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「18:月」のイメージからすると、単細胞生物として発生した生命体が、複雑な組織を持つ
多細胞生物に進化し、最終的には人体となる「生命の発生と進化の過程」をバックアップ
しているように思えるのですが、残念ながら、ワタシはポール・ケース氏の教則本は持って
おりませんので、詳しいことはわかりません。

ちなみに、ゴールデン・ドーン版では、この「ヨッドの雨」は、「18:月」、「19:太陽」、
「20:審判」にのみ見られるものであり、このあたりで、人体の「有形の意識」なるものが
形成されているというになりますかね。
0009名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/14(金) 06:25:41.99ID:sv+5YuM5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
In each of the three cards Yods are shown "raining" down upon the Path.
3枚のカードたちの各々の中にある「ヨッド」たちは、「小径」の上に降り注ぐ「雨が降る
こと」として表される。

Or, as Pausanius described, these might be the tears of the Moon-Goddess, which
caused the Nile to rise and fall. (*115)
もしくは、パウサニアス氏が記述しているように、これらは、「ナイル川」(の水位)を、
上がり下がりさせる原因である、「月の女神」の涙たちであるかもしれない。 (*115)
--- ここまで ---

ちなみに、(*115)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
115. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, CXXXII.
115. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、132ページ。
--- ここまで ---
とあります。

既に述べたように、ゴールデン・ドーン版では、「18:月」、「19:太陽」、「20:審判」に
「ヨッド」の雨が降っているのが見られます。

なお、気をつけておきたいのは、ゴールデン・ドーンの「フィロソファス4=7位階儀式」の
「第二十九番コフの小径」においては、これは雲から降る「rain/雨」ではなく、冷えた
大気の中から凝集する「dew/露」として記述されていることです。
つまり、「ヨッド」は「火」であり「熱い」というイメージが強いのですが、ここでは
そういうエネルギー的なものを象徴するというよりも、文字として最初に「形を成す」と
いうような意味合いで使われているようです。

まあ、何で「ヨッド」なのかというと、空から「ヘー」が降ってくるよりは、デザイン的に
見て、違和感が無いというのもあるのかもしれませんよね。、
0011名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/15(土) 06:39:38.78ID:5r8AhK0j
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
There is, in any event, a general agreement that something descends from the Moon
to the Earth on this Path as is symbolized by the falling Yods.
いずれにしろ、この「小径」において、降っている「ヨッドたち」として象徴されるような
何かが、「月」から地球に降下していることが、一般的な合意である。
--- ここまで ---

「ヨッド」が降る「18:月」、「19:太陽」、「20:審判」の中では、最も上位にいるものが
「18:月」であり、そして「Corporeal Intelligence/有形の知性」と称されていること
から判断すると、この「18:月」の「ヨッド」は、
・火の玉宇宙が冷えて物質化していく時に、その物質化を促すもの
・母なる海から生まれた生命に対して進化のきっかけを与えるもの
という、物質と生命に対する二つの進化のステージとなっていることがわかります。

この「ヨッド」はあくまでも象徴ですので、それ自体が何らかの物質を表していると
いうよりは、あくまでも「象徴的な何か」ということであり、そして「18:月」は、急速に
冷却されて最初に「マルクト」に到達する、物質化や進化の「最初の核」となる「小径」
として、我々の世界にとって、とても重要な役割を担っているということになります。

ただ、この「核」は、後から物質化され進化してきたもので厚く覆われてしまって、
我々には、もはやそれが何であったのかさえ見えない状況にあるのも確かです。
まあ、無理に見なくてもいいですし、見えたところで特にメリットがあるわけでもないの
ですが、とにかく「最初にやった」のが、このカードです。

一般的に言って、「形なきもの」から「形あるもの」への変換、すなわち「夢を形にする」
という作業は、途方も無い才能と労力とエネルギーを必要としますし、そこにあるのは
今まで経験したことのないような「険しく孤独な茨の道」でもあるわけです。
要は、そういうものにチャレンジできるのは、よほどの物好きか変わり者ということです
ので、「18:月」へのチャレンジャーには、そういう常人離れしたルナティックな気質が
関係しているわけですよね。
0012名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/16(日) 06:54:04.59ID:fyoIXM5D
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
In Waite's card there are fifteen yods, a possible reference to the bondage of
matter symbolized by the fifteenth Key, THE DEVIL.
ウェイト氏のカードには、15の「ヨッドたち」があり、15番目の「大アルカナ」である
「悪魔」により象徴される物質の束縛への参照の可能性がある。
--- ここまで ---

「18:月」のカードで降っている「ヨッド」の数は、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、
トート版で、ぞれぞれ異なっています。
これはつまり、それぞれのカードが意味しているものが違うということに他なりません。

まず、ウェイト版においては、月から降る「ヨッド」の数は「15」個です。
そして、この15という数は、ウェイト氏自身は何も述べていないのですが、ベースと
なっているゴールデン・ドーン版を意識していることには間違いないわけであり、
ゴールデン・ドーン版では、「四大元素」を表す4つの「ヨッド」ですので、ウェイト版
においても、そういう「物質化」とか「肉体化」に関連していると推定されます。

ちなみに、ウェイト版の「15:悪魔」は、エデンの園で「善悪の知識の木の実」を食べて
しまったアダムとイヴの霊が捕らえられて、死すべき人間の「肉体」に閉じ込められ、
地上へと墜とされる直前の状態を描いたものです。
つまり、「18:月」のザリガニは、地上に墜とされた「最初の人間」を象徴していて、
空中から降ってくる15個の「ヨッド」は、「15:悪魔」の火のついた松明(たいまつ)から
降り墜ちて物質化しつつあるエネルギー体であるということですよね。

そういえば、宇宙創造の純粋エネルギーが、冷えて物質化し、そして組織化していく上
では、物理学においても、何らかの「束縛状態」を必要とします。
原始純粋エネルギーが束縛されてクォークとなり、それが束縛されて陽子などのハドロン
となり、それらが束縛されて原子核となり、さらに電子を束縛して原子となり、さらに
それらが束縛されて分子となり、最終的には、人間などの多細胞生命体を、そして地球
全体の生命環境を組織していくというわけですよね。
0013名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/17(月) 07:09:17.22ID:V15ENBti
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
ゴールデン・ドーン版カードは、「4つの世界たち」の各々の力たちを表すものである、
4つのヨッドたちを示し、一方、クロウリー氏は「イェソド」への参照として9を使う。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「18:月」で降っている「ヨッド」の数は、4つです。
これは、例の如く、『古代暗号文書』の36枚目に描かれている「月」のラフスケッチが
元ネタになっているのですが、その根拠については何も書かれていません。
ついでに言うと、「フィロソファス4=7位階儀式」の「第二十九番コフの小径」の中にも、
この「ヨッド」の数についての説明はありません。
とりあえず、ここでは、それが「4つの世界たち」の「力たち」を表すとしていますが、
元ネタが『暗号文書』ですので、あまり詮索しない方がいいと思いますし、他のゴールデン
・ドーン系のウェイト版やトート版は4つではありませんので、4つであることについての
説得力のある根拠は無いものと推測しています。

要は、ゴールデン・ドーン版で大事なのは、「ヨッドが露の如く降る」ことであるわけで、
原初の「力たち(形なきヨッド)」が、「火系」である「ネツァク」から、「水系」の
「18:月」を通じることで冷やされて、形ある「ヨッド」という文字になり、「地系」で
ある「マルクト」へと降り注ぐという構図です。

ここでややこしいのは、「ネツァク(火)」からは、「18:月(水系)」を通じて「水」の
エネルギーが「マルクト」に流れ落ちるのに対し、「ホド(水)」からは、「20:審判
(火系)」を通じて「火」のエネルギーが「マルクト」に流れ落ちるという、対称の構図に
なっているわけです。

もちろんこれが「大アルカナ(小径)」と「小アルカナ(セフィロト)」の次元の違いと
いうことなのですが、このことを通じて「大アルカナ」を直感的に解釈することの
難しさについても理解してもらえればいいかと思います。

あ、クロウリー氏のカードの話は、この次にやりますね。
0014名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/18(火) 06:08:46.66ID:20onodfs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
He describes these as "drops of impure blood," (*116) meaning the cycle of menstruation.
彼は、これらを、月経の周期を意味している「不浄な血の雫たち」(*116)と記述する。

He describes the Path as a stream of serum tinged with blood.
彼は、「小道」を、血液の混じった漿液の流れとして記述する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*116)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
116. Crowley, Book of Thoth, 112.
116. クロウリー著、『トートの書』、112ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「ヨッド」は、9つの「不浄な血の雫たち」と記述されており、ウォン氏は
その9という数が「イェソド」への参照であるとしていますが、『トートの書』には、
そのような説明は一切ありません
ただ、ウェイト版の15という数が「15:悪魔」を暗示しているのに倣うと、トート版では、
「ヨッド」と「処女宮」が配属される「9:隠者」ということになりますので、こっちの
方がいい感じもします。
ちなみに、「処女の経血」は、そっち系の魔術にとっては、貴重なネタになっています。

それはともかく、気持ち悪い記述の多い『トートの書』の中でも、「月」に対する記述は、
トップクラスに気持ち悪い感じです。
おそらく、この「月」のエネルギーが、クロウリー氏の原初的な妄想能力を活性化させ、
かなり下劣でエログロな表現となってしまったのでしょうが、結果として、聖なる世界の
大アルカナとして何が言いたいのか、よくわからないことになってしまっています。
もちろん、トート版の「月」とは、そういうものだと割り切ることも出来るのですが、
他のカードたちとはかなり異なる感じを持っているということは確かですよね。
0015名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/07/19(水) 06:24:43.96ID:iTMcg5mK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
Indeed, the activity of menstruation and its dark blood is intimately connected
to this Path, the Path of childbirth presided over by the Greek Goddess, Artemis. (*117)
実際に、月経とその黒ずんだ血の活動は、「ギリシャの女神」である、「アルテミス神」
により統括される、出産の「小道」である、この「小径」に親密に接続されている。 (*117)

As the sister of Apollo, the Sun, Artemis was the Moon.
「太陽」である「アポロ神」の姉妹として、「アルテミス神」は「月」であった。
--- ここまで ---

ちなみに、(*117)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
117. "Artemis," Oxford Classical Dictionary, 126-27; see also "Artemis," Larousse
Encyclopedia of Mythology, New York, 1960, 129-32.
117. 「アルテミス」、『オックスフォード古典辞典』、126-127ページ;以下も参照、
「アルテミス」、『ラルース神話百科事典』、ニューヨーク、1960年発行、129-132ページ。
--- ここまで ---
とあります。

なんか色々と話があらぬ方向に進んでいますが、この「18:月」と「アルテミス神」の
関係は、ウォン氏の独自解釈のようです。
つまり、「18:月」と「月経」についての関係は、クロウリー氏の拡張理論になるわけです
が、さらにウォン氏の拡張理論により、「18:月」と「アルテミス神」の関係が論じられる
ということですので、これはゴールデン・ドーンの標準理論ではないことにご注意ください。

ちなみに、この「アルテミス神」は、女性に関することなら何でもあり、という総合的な
婦人科最強レベルの女神であり、それゆえ色々と妄想が膨らむわけですが、あまりにも
守備範囲が広いので、取り扱いには若干の注意が必要となってきます。
要は、女性に関することであれば何にでもパターンマッチングが可能なため、焦点がボケて
しまいがちになるというか、ステレオタイプな女性観になりがちということですよね。
0018名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/20(水) 06:26:53.07ID:/BdfvfZZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Here it should be clear that THE STAR relates to a great many more Paths than most
other Keys and, as such, is of special importance.
ここで、「星」が、ほとんどの他の「鍵(大アルカナ)たち」よりも非常に多くの「小径
たち」と関連しており、そして、そのようなものとして、特別な重要性であることが明らか
になるであろう。
--- ここまで ---

この「17:星」のカードには、下位世界であるにもかかわらず、非常に重要な象徴たちが、
数多く出現しています。
それゆえ、数多くの「セフィロト」や「大アルカナ」とも関連を持つわけですが、その
理由としては、「女系の結びつき」の強さというものがあります。
「17:星」は、どちらかというと「母系」的な要素が強いのですが、それでも
・セフィロト:ビナー(土星)、ネツァク(金星)、マルクト(地)
・大アルカナ:女帝(金星)、宇宙(土星)
という、女同士の「地」という血縁的な関係が強く見えています。

要は、男系の中心が「ティファレト」の「セフィラ」であるとすれば、女系の中心は
より次元の高い「大アルカナ」の「17:星」であると見ることも可能なわけです。
その場合は、「17:星」は、何でこんな下位世界にいるのだろうという疑問が湧くわけ
なのですが、よくよく考えてみれば、「大アルカナ」の世界で、我々が認識可能なのは、
せいぜい「星幽的三角形」までであり、それ以上の世界に「17:星」を持ち上げてしまって
は、ありがたみに欠けてしまうということもあるわけですよね。

つまり、「おっぱい」は、頑張れば触れる距離にある方が、何となく励みになるわけで
あって、観賞用や保存用としてだけではなく、この「17:星」のおっぱいは、我々にとって
それなりに実用用になるものであると、ワタシとしては妄想しているわけです。

つまり、「17:星」には、色々と重要な象徴があるわけですが、その中で最も特別な重要性
を持つものは、「おっぱい!」であると、声を大にして言いたいわけなのでした。
0019名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/21(木) 06:14:53.20ID:2yHq1xYO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Crowley stated the reason for this better than other commentators.
クロウリー氏は、他の解説者より良く、これの理由を述べた。

He said that "here the Universe is resolved into its ultimate elements." (*127)
彼は、「ここでは、「宇宙」は、その根本的な要素たちに分解される」と言った。 (*127)
--- ここまで ---

ちなみに、(*127)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
127. Crowley, Book of Thoth, 109.
127. クロウリー著、『トートの書』、109ページ。
--- ここまで ---
とあります。

とはいえ、クロウリー氏の解説が、他の人、すなわちマサース氏やウェイト氏より良いと
いうのは、はなはだ疑問ではありますよね。

基本的には、クロウリー氏の解釈は、マサース氏の受け売りなのですが、「17:星」の解説
については、それ以外にも変態的妄想がテンコ盛りというか、一発キメて書いているだろう
というのがミエミエの文章となっているので、ワタシとしては、なんか気持ち悪いのです。

まあ、クロウリー氏は、明らかに「おっぱい!」のトラップに捉えられてしまったという
ことであり、結果的に、おっぱい目線での心理描写になってしまったということなのです
が、そういうふうに妄想が捗ってしまうというのも、まあわからなくはないんですよね。
つまり、この「17:星」は、これ以降に続く「16:塔」「15:悪魔」「13:死」などの、素人目
にもわかりやすい「トラップカード」の前段階の、ちょっとわかりにくい「トラップカード」
の役割を果たしているわけであり、多くのエロ目的の物好きな連中を、ここでふるい落とし
にかかっているというわけなのでした。
そう、エロ目線を持つ人は、ここから先の「エデンの園」には入れてくれないんですよねww
0020名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/22(金) 06:31:29.41ID:T7phRr7a
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
This resolution is implicit in the very figure of the central Star itself, which
is a merging of many lights.
この解答は、多くの発光体たちの合併したものである、中心にある「星」それ自身のまさしく
その姿の中に暗示されている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版においては、「17:星」の構図は、それと対になっている「19:太陽」
と見比べると、分かりやすいかと思います。

「19:太陽」は、既に地(エデンの園)が出来上がっていて、天空には「太陽」があって、
アダムとイヴがそこに生まれるという、「地球上」での出来事をイメージしたものです。

その一方で、「17:星」の大地は、おそらく「地球上」のものではないですよね。
天空にあるのは、「太陽」のような「恒星たち」が集まった、「銀河宇宙」のようなもので
あって、その周りに太陽系を構成する太陽と惑星たちがあり、そういう宇宙の万物たちを、
ここにいる「全裸女性像」が創造しているといったイメージになります。
そう、この女性が流しているのは、単なる地上にある「水」ではなく、至高の「ビナー」
の源泉から直接流出してきた、「宇宙の万物を創造する、生命の水」なのです。

つまり、「19:太陽」よりも、「17:星」の方が、圧倒的に次元が高いということですよね。

なんでここまで両者に差がついたのかと言うと、まあ繰り返しになりますが、ミナちゃんの
おっぱい大好きのマサース氏の「個人的な趣味」であるということだと思います。
さすがにそれはヤリ過ぎだろww、ということで、ウェイト版では、少々自重気味になっては
いますが、まあウェイト版も、おっぱい重視という点では、まんざらではない感じですよね。

とはいえ、この、下位世界にありながらも、(マサース氏の妄想により)突き抜けた上級
レベルの能力を持つに至ったカードを、どう解釈し、どう使っていくかというのは、何とも
悩ましいところではあります。
0021名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/23(土) 08:16:06.26ID:tLoC6qve
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
It is a shining forth from a central exalted point which has been related to Lucifer.
それは、「ルシファー(光をもたらす者、明けの明星)」に関連され続けている、中心の
高位の点からの外部への輝きである。
--- ここまで ---

元々は、この中心にある星は、全天で最も明るい恒星(ただし太陽を除く)ある「シリウス」
であるとされています。

でも、マサース氏は、神聖なるミナちゃんの肖像画の背景として、通常の「星」では満足
できずに、至上最高に「光輝くもの」を無理矢理描いています。
そう、カバラの世界において、至高かつ最強の「光輝くもの」といえば「ケテル」であり、
『創世記』の冒頭において、神が「光あれ」と言われたものに対応して出現した、宇宙で
最初の「原初の光」でもあります。
要は、この「17:星」は、『創世記』の物語の最初の部分、すなわち天地創造からアダムや
イブの誕生する前までを図案化したものとなっているわけです。

なお、ウォン氏が、この星を「Lucifer/ルシファー(光をもたらす者、明けの明星)」に
関連付けていますが、ワタシにはいまいち理解不能です。
この中心星は、「明けの明星」すなわち「金星」ではありませんし、堕天使「ルシファー」
でもありませんし、「いつか○○○○の一番星になる!」の星たちとも異なります。
敢えて言えば、クロウリー氏の解説の中には、それっぽい感じもありますし、トート版に
描かれている星が七芒星で、それは「金星」を象徴するものですが、クロウリー氏の解説
自体が意味不明ですので、何とも言えません。

ちなみに、「ケテル」自体には色はありませんし、そもそも絵に描けるようなものでも
ありませんので、この「17:星」のカードに描かれた「中心星」からの光は、「ケテル」
そのものの光ではなく、二次的な光線であるとも考えられます。
「ビナー」の水が壺から流れ出しているのと対比して考えるのであれば、この星の光は、
おそらく「コクマー」からの二次流出であろうと考えるのが、妥当なところですよね。
0023名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/09/24(日) 10:15:17.68ID:gZeyD5aL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
That angel is seen not as an underworld figure, but as the Light-Bearer, the
"Morning and Evening Star," usually considered the Planet Venus, the mundane
Chakra of Netzach.
その天使は、地下世界の形態ではなく、一般的には「ネツァク」の宇宙の「チャクラ」で
ある「惑星の金星」だと見なされている、「光の使者」である「明けと宵の明星」と考え
られる。
--- ここまで ---

「That angel/その天使」とは、前文にある「Lucifer/ルシファー(光をもたらす者、
明けの明星)」のことを指していますが、既に前レスに述べたように、この中心にある
輝く星は、「ルシファー」ではありません。

というか、ゴールデン・ドーン版においては、この「ネツァク」の宇宙の「チャクラ」で
ある「惑星の金星」は、大地と水の上にいる「全裸女神像」の方に関連付けされています。
つまり、マサース氏は、ミナちゃんこそが、オレの嫁の一番星、そして「愛と美の女神
ビーナス」そのものである、ということを、オリジナル・タロットを通じて、団員全員に
対してノロけたかったということなんですよね。
というわけで、何でわざわざウォン氏が、そういう空気を読まずに、「中心星」の方に、
「金星」を「ルシファー」として関連付けしようと考えたのか、よくわからないのでした。


さて、個人的に盛り上がった「おっぱい!」のカードの話題もここで終わりです。
ということで、今まで頑張って、ほぼ毎日カキコのペースを維持してきましたが、実は
仕事が超多忙となってきておりますので、しばらくの間、おそらく半年ぐらいは、カキコ
のペースを大幅にダウンしようと思っております。
ほぼ毎日のカキコを楽しみにしていた人もいたかとは思いますが、今後しばらくは、
週1〜2くらいのカキコのペースを維持できればいいなぁ、と思っております。
まあ、まだまだ完結するのは先の話ですので、最後まで、焦らず気負わず、のんびりと
マイペースで行きたいと思うのでした。
0025名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/10/01(日) 10:51:23.47ID:ITtOlpt5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
27. THE PATH OF PEH
27. 「ペー」の小径

The Tower


The Sixteenth Key
16番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ペーの小径」です。

とりあえず、ここが最後の「星幽的三角形」の、すなわち「我々が知覚可能な領域」に
ある、すなわちワタシの書いたどうでもいい文章が、ひょっとすると何かの役に立つかも
しれない最後の「大アルカナ」となります。

さて、この「16:塔」のカードですが、見方によって色々とあるのですが、「17:星」の
カードと別の意味で「対をなす」というか、補完するような位置付けと考えられます。
その一つとして、「17:星」が、「人類にとって究極の愛の女神」であったのに対し、この
「16:塔」は、その前に立ちはだかる「エロ目的で群がるパンイチのゲス男どもにとって、
最凶の神」であるということがあります。
そもそも、「ネツァク」の女神に到達するには、上下の隔たりがありすぎる「17:星」や
「18:月」では難しいので、「31:宇宙」−「19:太陽」ルートを使わざるを得ないのですが、
そこで最後に待ち受けている天罰というか神の試練が、この「16:塔」というわけです。

まあ、「ネツァク」は、「17:星」を通じて下界から眺めているだけならいいのですが、
実際にそこに到達しようとすると、そう簡単ではないということでもあるわけですよね。
0026名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/10/09(月) 06:14:56.42ID:HVyg+K6t
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
□ PATH COLOR.: Scarlet
□ 「小径の色」:緋色(ひいろ)

□ RELATED SOUND: C Natural
□ 「関連した音」:「Cのナチュラル」

□ PLANET: Mars
□ 「惑星」:「火星」

□ MEANING: Mouth
□ 「意味」:「口」

□ DOUBLE LETTER: Grace-Indignation
□ 「複字」:「恩寵と憤怒」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Hosts of the Mighty
□ 「秘伝的な称号」:「強力なるものの万軍の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「口(くち)」と、ヘブライ文字の「ペー」、および
「生命の木」における「ペーの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

この「小径」には、「火星」とか「強力なるものの万軍の主」とか、好戦的なイメージの
強いものが並んでおり、もちろん、そのイメージ通りではあるのですが、占いでよくある
「戦いにおける一方的な敗者」という意味は、ここには含まれてはいません。
要は、「複字」に含まれる表と裏の意味をよく理解しておかないと、短絡的に「戦争反対」
を唱えるだけでは、物事をきちんと見ることも出来ないし、何も解決に至らないという
わけであり、下界から登ってきた我々は、ステージクリアのために、敵役のボスキャラ、
いやいや「万軍の主」と、どうやって戦うのかが試されているわけですよね。
0027名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/10/15(日) 06:21:50.39ID:1m+JvdGx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-seventh Path is the Active or Exciting
Intelligence and it is so called because through it every existent being receives
its spirit and motion.
「知恵の32の小径たち」:「27番目の小径」は「活動的もしくは刺激的な知性」であり、
そしてそれは、全ての存在しているものは、それを通じて、その魂と動きを受け取るが
ゆえに、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です

さて、今までの「小径」は、どちらかというと「物質的もしくは身体的な創造」に関係する
ものでしたが、この「27番目」において、「spirit/魂(たましい)」が注入され、そして
それによる「自律した動き」が、身体に対してもたらされることになります。

つまり、ここで初めて、神により作られた受動的な操り人形から、神から自立した「Active
/積極的」な人間として進化するわけですが、それはまた、天界からは一旦「fall/墜落」
させられるいうことでもあるわけです。
そういう意味では、アダムとイヴが知恵の実を食べることと、人間がバベルの塔を築くこと
には類似点があるわけであり、つまりは堕ちることは失敗ではないわけであり、それゆえ
数多くのチャレンジを繰り返すこと自体が、この「小径」の真髄でもあるわけです。

要は、人間の飽くなきチャレンジ精神の根源となっているのが、この「27番目」のパワー
であり、この愚直というか懲りないという要素が無ければ、この「神への関門」は突破
できないわけであって、人が成功する上では、この挫折を繰り返してもへこたれない
「オトコの精神」というのは、重要なエネルギーとなっているわけです。
でもまあ、現代においては、「漢(オトコ)」は希少種になってきていますので、ヘタレ
な現代人のほとんどは、ワタシを含めて、この時点で挫折するわけなのでした。
0028名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/01(木) 05:47:23.36ID:PXgvShy+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
The Path of Peh, THE TOWER, connects the center of the reasoning process (Hod)
with the center of the intuition-desire nature (Netzach).
「ペーの小径」である「塔」は、論理的な過程の中心(「ホド」)と、直観と欲望の本質の
中心(「ネツァク」)を接続する。

It is the equilibriating Path of the Personality, related to Mars, and to the North,
the quarter known traditionally in the Mysteries as "the place of greatest darkness,"
because it is said that the Sun never shone in the North of Solomon's Temple.
それは、「火星」、そして、「ソロモンの神殿」の「北」の方では「太陽」は決して輝かな
かったと言われているので、「最大の暗闇の場所」として「神秘的教義」において伝統的に
知られている方角である「北」と関連する、平衡化させる「人格」の「小径」である 。
--- ここまで ---

「equilibriating」は、「equilibrating/平衡化させる」の誤植です。

さて、タロット占いでは、どちらかというと忌み嫌われがちな「16:塔」のカードですが、
「生命の木」においては、
・我々の意識が到達可能な範囲にある最高位の「小径」
・「人格」を形成する「星幽的三角形」の最上位の「小径」
・我々が遭遇する、「Balancing/平衡」の最初の「小径」
ということになっていて、そうであるからこそ、我々の世界から見ると、物質的な光が
到達し得ない「神殿の北側」、つまりは、「絶対領域」と「決して見えざる領域」の両面
を併せ持つ、我々の世界における「偉大なる神秘」という一面を持っているわけです。

要は、ここから先には、我々にとって、とても重大なものが隠されているという暗示でも
あるわけで、それを目がけて、「火星」パワーに刺激されたエロ男どもが群がって太ももを
よじ登るという光景が繰り広げられているのが、この「塔」のデザインのモチーフであると
いうことでもあるわけですよね。←復帰早々、何の根拠も無い断言w
0029名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/02(金) 06:18:45.57ID:5iLRrLq3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
Yet we are instructed that Light comes from Darkness, that "gold cometh from the
North," and that "Enlightenment has its origin in the hidden sources of power which
terrify the minds of the ignorant." (*128)
さらに我々は、「光」は「暗闇」から来ること、「金は北から来る」こと、そして、
「啓蒙は、無知の精神たちを恐れさせる力の隠された源たちの中にその起源を持つ」
ことを教えられている。(*128)
--- ここまで ---

ちなみに、(*128)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
128. These ideas are also related to the Midnight Sun which, to the Alchemists,
represented the Light coming out of Darkness.
128. これらの考え方たちは、また「真夜中の太陽」にも関連しており、それは、錬金術師
たちにとって、「暗闇から出てくる光」を表している。
--- ここまで ---
とあります。

参考までに、「Light comes from Darkness/光は暗闇から来る」は、『旧約聖書:創世記』
1の冒頭部分、そして「gold cometh from the North/金は北から来る」は、『旧約聖書:
ヨブ記』37:22を参照しています。

要するに、この「塔」は、太ももをよじ登るエロヲタ共が、聖地に到達する前に、その
神々しい輝きに打たれ、早漏エクスタシーで早々に堕ちていくという、いやいや、これは
無知なる人間どもが、大いなる神のご来光(雷光)を浴びて、恍惚のあまり堕ちていくと
いう様子であり、どちらかというと、M全開のド変態な展開となっているわけです。

つまり、これは、一般人が心象として抱いているような「神の罰」などでは決してなくて、
上級者にとっては、この上ない「神様からのご褒美」であるというわけあり、だからこそ、
一般人からは隔離された、「星幽的三角形」の最上位に位置しているというわけなのです。
0030名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/03(土) 06:32:19.37ID:O1ob1Q04
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
Peh is a double letter, meaning that it is one of the "Gateways of the Soul,"
with two possible directions of passage.
「ペー」は「複字」であり、それは、通行の2つの可能な方向たちを伴う、「魂の出入り口
たち」のうちの1つであることを意味している。

As a word, Peh means mouth, an orifice related both the taking of nourishment into
the system and to speech.
言葉として、「ペー」は、身体組織の中への栄養を取ることと、話すことの両方に関係した
開口部である、「口」を意味している。
--- ここまで ---

そもそも「小径」自体は、ある程度の双方向性を持っているのですが、この「ペーの小径」
は、他の「小径」が上下の関係を結んでいるのに対して、左右の関係を結んでいるため、
比較的「双方向性」が高い傾向があります。
そして、その「双方向性」は、「複字」という性質のために、その方向により、異なる性質
を持っている、という特徴もあります。
たとえば、鼻は、「空気」という単一の物体の出入り口であり、目は「光」を受けて物を
視ることと、ピーム光線を放つということになっている一方で、「口」は、物質である食物
を取り入れ、そして全く異なる「言葉」というものを放ちます。
要するに、神様に下界からの物質的な捧げ物をして、神様から上位の精神的な「ごほうび」
をいただくという行為が、これに当たるわけです。

つまり、「塔」のモチーフというのは、そういう下劣なる我が身そのものを「神」に捧げて、
女王様の聖なるムチで、いやいや神の聖なる雷で撃たれて、エクスタシーに達するという、
とんでもなくドMな行為であるわけですが、それを進んで、そして喜んで受け入れることが、
ド変態としての、いやいや神秘主義者としての、正しい道であるということなんですよね。

まあ、ワタシは、そういう過激なプレイは避けたいのですが、いわゆる「修行」と称して、
そういうドMな行為に走るオカルト団体って、決して少なくはないんですよね。
0032名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/04(日) 06:37:11.50ID:4YSR/iw+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
In the first case we understand that it is through the function of this devastating
Path that the higher energies are brought in to enervate the Personality.
最初の場合には、我々は、高次の精力たちが、この破壊的な「小径」の機能を通じて、
「人格」の気力を弱めるために採り入れられることを、理解する。

And while spiritual nourishment passes into the system via this symbolic mouth,
speech passes out of it.
そして、霊的な栄養物がこの象徴的な口を経由して身体組織に移り入ると同時に、
話すことが、それから移り出る。
--- ここまで ---

「higher energies/高次の精力たち」は、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」
から流出し、「人格」を形成する「星幽的三角形」へと流入してきます。
そして、その「入り口」のうちの重要な一つとなっているのが、この「16:塔」なのです
が、それなりに高位にあるがゆえに、解釈が色々と複雑になっています。

また、この「ペーの小径」は、平衡で水平ですので、他の縦に流れのある小径のような、
一方的な流れにはならず、基本的には双方向性のある流れとなります。
つまり、何かを得るには、それに対する対価が必要となるわけです。
そして、さらにややこしいのは、ここは単純に「ネツァク」と「ホド」だけを見ればいい
ということではなく、両者間の流れを引き起こす、すなわちそれらに上下に繋がって流れを
引き起こす「ケセド」から「マルクト」までを、全て巻き込んでいる流れなんですよね。

まあ、そういうわけで、ここは「神秘主義」にとっては、とても重要な「出入り口」と
なっているわけですが、その影響範囲は、上で説明したようにとても広くて大きくて、
それゆえ「ピンからキリまで」の応用範囲があるわけです。
要は、下々なる初心者から、高位の上級者まで、色々と自分の解釈と応用で、自由に楽しく
遊べるわけなのですが、それゆえ、人により解釈が一定しないという難点もあります。
ただし、頭ごなしに否定的に捉えるのは、ちょっと違うかなぁ、と思ったりするのでした。
0033名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/05(月) 05:52:38.80ID:KO7sSQCS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
Anyone who has done some practical esoteric work is aware of the singular importance
of words and of the sounds of which these words are composed.
何らかの実践的な秘儀的な作業をした者は誰でも、言葉たちの、そしてこれらの言葉たちが
構成される音たちの、特異な重要性に気づいている。

The vibration of a God Name (its utterance in such a way that it can actually be
felt in the body) has a definite effect on the physical vehicle as well as a
concomitant effect on the psychic vehicles.
「神名」(身体において、それが実際に感じられうるような方法での、その発言)の
「振動」は、霊魂の乗り物たちへの付随的な効果だけでなく物質的な乗り物への明確な
効果がある。

This is a fact easily tested by the student, although the effect on the psyche
may not be completely perceived by the waking consciousness.
これは、魂への効果は、目覚めている意識により完全に知覚されることはないかもしれない
けれども、学徒により容易に試された事実である。
--- ここまで ---

この「小径」の名前は、ヘブライ語の「ペー」ですが、日本人にとってはなじみのない
言葉ですので、とりあえず「口」という訳語と共に妄想する方がいいですかね。
ちなみに、この「小径」の位置を人体に例えると、お腹のあたり、女性だと、左右の
(ネツァクとホドを連想する)卵巣を繋いでいる、子宮の位置に相当します。
つまり、お腹の辺りに響かせるように(腹から声を出せ、という表現ですが)して、
「16:塔」の稲妻を轟かせている「聖四文字」もしくはそれに類する「神名」を唱える
ことで、身体的にも心霊的にも、何らかの影響を与えることができるということです。
そして、そのことが、この「16:塔」の「ペー(口)」の持つ意味を知る方法である、
とも言えるわけけですよね。
そもそも、考える「ホド」から、感じる「ネツァク」への移行の「小径」ですので、
「考えるな! 感じろ!」にふさわしい「戦い(火星)の小径」でもあるわけです。
0034名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/06(火) 06:22:36.99ID:gtyONeTy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
"Words of Power," properly vibrated with martian force, help to bring about the
destruction of our personal Towers, false concepts and institutions which we
believe to be reality.
火星の力と共に適切に振動される「力の言葉たち」は、我々が真実であると信じている、
誤った概念たちと慣例たちである、我々の個人の「塔たち」の破壊を引き起こす手伝いをする。

But it should be understood that to tear something down is to make room for
something new.
けれども、何かを破壊するということは、何か新しいもののための場所を空けることである、
ということが理解されるべきである。
--- ここまで ---

当たり前のことですが、何か新しいことを始めようとするのであれば、それまでやってきた
何かを止めることが必要となります。
まあ、単に止めるというよりも、新しいものに取って代わるということなのですが、要は
古くなった建物を解体して、新しく建て直すということですよね。

その際に、この「Words of Power/力の言葉たち」、言い換えれば、「魔法の呪文」とか
「言霊(ことだま)」とか、「聖四文字」とか、そういう、ある場面において特殊効果を
発動するための「コマンド・ワード」があって、それなりに役に立つということです。

ということで、この「16:塔」の解釈は、一見すると「破壊」がメインのようにも見えます
が、実はそうではなくて、極めて積極的な「創造」に関わるものとなっています。
つまり、「破壊」こそが、最初にして最大の「創造」であるということであり、それが、
初めてここで出現する「神の御雷光」、すなわち、我々人類が遭遇可能な「旧約聖書の
主なる神」の、最初で最後の「お出まし」として表現されているのですよね。
だからこそ、一般の人々は、そういう危ないものには近づかない方がいいわけですので、
こういうふうに、「危ないから登ってはいけません!」という、一般人立入禁止みたいな
図案になっているというわけなのです。
0035名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/07(水) 05:59:25.58ID:0RfXQpMJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 167) ---
Mars may be a god of war and destruction, but it is also the God which rules over
the fertility of crops. (*129)
「マルス(火星)」は戦争と破壊の神であるかもしれないが、しかしそれはまた、
作物たちの繁殖力を統治する「神」でもある。(*129)

And, relative to speech, we know that the Logos is also called the Word.
そして、話すことに関連して、我々は、「ロゴス(神の言葉)」が、また「言葉」と呼ばれて
いることを知っている。
--- ここまで ---

ちなみに、(*129)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
129. "Mars," Oxford Classical Dictionary, 651.
129. 「マルス(火星)」、『オックスフォード古典辞典』、651ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「マルス」は、ローマ歴の「March/現在の3月」を司り、春の種まきを象徴します。
その後、収穫系の女神が「April/ヴィーナス」、「May/マイア」、「June/ユーノー」
と続くわけですので、なかなかのモテ男でもあります。
つまり、「16:塔」も、単なる破壊というよりも、「春の種まき」を象徴するものと考える
ことができるわけで、厳しい冬を打ち破る「ブレークスルー」であるということですよね。

さて、ここでいきなり「ロゴス(神の言葉)」が出てきていて、いまいち理解が難しい
ところなのですが、これはひょっとすると『旧約聖書:創世記』1の冒頭部分の、
神の天地創造のための「コマンド・ワード」のことを示唆しているのかもしれません。

要は、我々の住む世界における、もしくは我々の内なる世界における「リストラクチャ、
再構築、破壊と再生」が、この「16:塔」のモチーフとなっているわけですかね。
0036名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/08(木) 05:56:20.94ID:aBPRVubF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
Most versions of this key picture a Tower, set in a desolate landscape, being
struck by lightning.
この鍵(大アルカナ)の大多数の版たちは、荒廃した風景の中に立てられ、稲妻により
打たれている、「塔」を描いている。

Figures fall from it as the Crown is struck off.
「王冠」が打ち落とされるのと同じように、人物たちがそれから転落する。

In the most simple of terms, this symbolizes the sudden destruction of our
perception of what constitutes reality.
最も簡単な言葉で言えば、これは、現実を構成しているものの我々の知覚の突然の破壊を
象徴している。
--- ここまで ---

「16:塔」は「Mars/火星」を属性に持つカードですので、大多数の人は、これを「戦争」
と結び付けて、どちらかというと悪い方向に考えてしまいがちです。
まあ、ほとんどの日本人にとって、「戦争=悪」という価値観は、戦後の自虐的歴史観を
刷り込まれてきた我々にとっては、ごく自然なことだと思うのですが、世界中を見回すと、
そういう価値観が、常に「正しい」というわけではないということは、何となくわかるか
と思います。

ここでは、そういう「世俗的な価値観」、つまり「クソみたいなリアルに対する物の見方や
考え方」が、とてもありがたい神様の御啓示により、破壊的な変革を遂げるということ
なのですが、これは実にやっかいなことでもあります。

要するに、「人格」を形成する「星幽的三角形」において、霊的に「今までとは全く異なる
自分」へと精神的に変革していくわけなのですが、その結果として、今までの世俗的価値観
に基づいた誰からも理解されるような行動から、いきなり全くわけのわからない行動に走る
わけですので、周囲にとっても(本人にとっても)、とても迷惑な事態になるわけですよ。
0037名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/09(金) 06:05:54.94ID:U+/99iOV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
The Tower is the concept of what most people call "I," the Personality awareness
being shattered by an influx of force revealing something of the nature of the
Higher Self.
「塔」は、大多数の人々が、「高次の自我」の何らかの性質を顕現している力の流入により
粉砕されている「人格」の覚醒という、「私」と呼ぶものの概念である。

The Tower also symbolizes all manmade institutions, whether that means government,
religion, or any accepted values.
「塔」はまた、政府や宗教や、どのような一般的に受け入れられた価値たちを意味するもの
であれ、すべての人造的な組織たちをも象徴している。
--- ここまで ---

「16:塔」は、ほとんどの人間が当然の如く教えられ、ごく当たり前に持つ、世俗的かつ
物理的な「価値観」、つまり「リアル」というものの破壊を象徴しています。

つまり、「人格」という「自我」が発達してくる「厨二期」において、ごく自然に発生
してくる「世間(学校)という組織に対する、漠然とした反抗期」に、極めてよく似た
ものであり、外見的には、ほとんど区別が付かないということでもあります。
それゆえ、外見的にツッパってみたり、学校のガラスを壊したり、バイクでバリバリいわせ
たり、とにかく既存の概念に対して否定的になってみることで、自分自身でもよくわからない
「高次の自我」に対処するということなのですが、ここに一つの問題があります。
それは、未熟なる「自我」にとっては、「高次の自我=霊的世界」と「低次の自我=獣的
世界」の区別が、はっきりと付かないことが多いというか、おそらく、まぜこぜの状態で、
我々の「自我」に訪れるわけなんですよね。

もちろん、「16:塔」は、「高次の自我」のみに関係するものなのですが、上に述べたよう
に、「低次の自我」と抱き合わせで解釈しないと、現実には、なかなか腑に落ちないという
ことであり、それゆえ、我々の「高次の自我」が、「塔」の中に囚われた「お姫様」である
なんていう綺麗事は、ファンタジーでしかないということなんですよね。
0040名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/10(土) 06:19:08.79ID:6fvFORQA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
Yet this is not to be construed as the striking down of evil.
それにもかかわらず、これは、悪を打ち倒すこととして解釈されることになっていない。

In fact one title of the card is The House of God.
実のところ、カードの称号の1つは、「神の家(教会)」である。
--- ここまで ---

今まで述べてきた「16:塔」の世俗的解釈は、どちらかというと、「おやじのカミナリ」
みたいな、お説教臭いというか、どうにも息苦しいものがあるのは確かです。

そもそも、「"T"の書」では、カード名は「Blastered Tower/雷撃を受けた塔」であり、
キーワードは「Lord of the Hosts of the Mighty/大いなるものの万軍の主」と書かれて
いますので、決して不吉な意味を持つものではないのです。
そして、この「The House of God/神の家」というのは、『旧約聖書:創世記』28:17 に
あるように、「神との突然のコンタクト」を象徴するものとされています。

要するに、この「16:塔」をネガティブに捉えることは、根本的な間違いであって、下界の
人間が、上位世界の「神」と直接コンタクトするための、極めてポジティブな舞台装置と
解釈しなければならないということなのです。

上位の神の雷に撃たれるために、高い山の頂上に高い塔を建てるのは当然です。
つまり、人は、自分自身を「高い塔」とし、それを人知れず、神に近い高い場所に建てて、
神に撃たれるのを待ち、そして「神の雷撃」に撃たれるという修行を何度も繰り返すこと
で、自らの「人格」を、さらに高めていくということになるわけです。

まあ、ハタから見れば、女王様のムチに打たれるのと同じくらいに超絶ドMな行為では
ありますが、神秘主義者は、間違いなく「ドM」ですので、全く問題は無いわけです。
でもまあ、自らを「塔」にして雷に打たれようとは決して考えない普通の人々にとっては、
ここから先は危険なので「立入禁止」ということで、良いのではないかと思われます。
0041名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/11(日) 09:08:05.14ID:+Ha4AptM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
The spiritual learning process involves the continual building up and striking
down of concepts formed only as useful stepping stones into the inner worlds.
霊的な学習過程は、内なる世界たちの中に、役に立つ踏み石たちとしてのみ形成される
概念たちの、継続的な築き上げと叩き壊しを必要とする。
--- ここまで ---

ということで、これが「16:塔」の本質となっています。

再度ここで確認しておきますが、この「ペーの小径=16:塔」は、我々の「人格」を形成
する「星幽的三角形」において、最も上位かつ最終的な「小径」です。
言うなれば、この世の師匠が、死に際において、最も優れた弟子に対し、「ワシの魂は、
この世の肉体を離れて、さらなる上の修行に旅立つ時が来たようだ。さあ、おまえには、
ワシが今まで、他の者にはずっと秘密にしておいた、この最終奥義の巻物を与えよう。
今のおまえには、これの本当の意味が、きっと分かるはずだ。」とか言って差し出した、
切り札のカードという位置付けになっているわけですよね。

まあ、あなたが、このカードを見て、苦笑しながら「なんだ、この不吉なカードは?」と
ウソぶくか、もしくは、涙を流しながら「真に有り難いものを授かり、誠にかたじけなく
思います。我も、この肉体が尽き果てるまで、このカードと共に修行に励み、師匠の後に
続く覚悟でございます。」などと綺麗事を並べるか、または、別のセリフを思い付くかは、
ワタシのあずかり知らぬ所でございます。
そして、この「16:塔」は、我々の世界において、最も上位の存在であるにもかかわらず、
唯一水平方向の「平衡」の属性を持っており、他とは全く違う、「現世輪廻理論」にも
通じる「この世における究極奥義」であることを物語っていますよね。

ちなみに、この「16:塔」の持つ特殊能力は、現代先端科学の分野においても、遺憾なく
発揮されており、今までコツコツと築き上げられてきた古典理論の象牙の塔が、神の
鉄槌により、一夜にして粉々にされ、さらなる奥深き試練を与えられるというコトが、
ごく当たり前にあるわけなんですよね。
0042名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/12(月) 06:05:49.92ID:MsSc8W4S
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
For example, on the Paths we first encounter the Archangels in anthropomorphic guise.
例えば、「小径たち」の上で、我々は最初に、神人同形論の外観の「大天使たち」に遭遇する。

This appears to be their reality, particularly if we may not have believed that
Archangels exist in the first place.
特に我々が、そもそも「大天使たち」が存在することを信じていなかったかもしれない
ならば、これはそれらが現実であるように見える。
--- ここまで ---

大アルカナのほとんどのカードには、人物像が描かれています。
それらの人物像は、大体において、神の力の擬人化であるわけですが、個人的な体験、
すなわち、大アルカナの瞑想によっても、様々な人物像、すなわち「大天使」が出現する
ことが、ままあるわけです。

その「大天使」は、ほとんどの場合は、我々が認識可能な外形、すなわち人の形態もしくは
か獣人の形態をしており、我々が認識可能な言語を操ることができます。
つまり、我々が良く知っているものが、脳内に出現するわけです。

でもまあ、「人間」の存在というのは、この宇宙においては、ちっぽけな存在であり、
本物の「大天使」が、人間に似ているなどというのは、実際のところ、ありえない話なの
ですが、そこはまあオトナですので、そういうのも含めて「ファンタジー」であると、
割り切って考えておきましょう。

ということで、「大天使たち」のような、このリアル世界の裏の存在を信じていない、
つまり、リアルには表の世界しかなくて、目に見えるものが全てであると思っている
愚かな者は、自分の目に見えるものが、全て真実と思ってしまうわけです。

つまりこれは、思考停止に近い状態なわけでして、そういう近視眼的な人々と付き合う
のって、実のところ、かなり疲れるわけなんですよね。
0043名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/13(火) 06:02:17.16ID:XTG9n/gW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
What we encounter are contact pictures which have been established through centuries
of meditative practice.
我々が出会うものは、何世紀もわたる瞑想的な実践を通じて設立され続けている、接触の
映像たちである。

These are a useful creation of man, rather than being the true and pure consciousness
of the Archangelic beings.
これらは、「大天使」の実存物たちの真実かつ純粋な意識であることというよりも、
人間の役に立つ作品である。
--- ここまで ---

いきなり、身もフタも無い言い方ですよね。

まあ、地上界に近い「天使」レベルのものは、人間に似た姿であると考えても、そんなに
おかしくはないのですが、宇宙を統べる「大天使」レベルの存在が、人間の姿形のコピー
というのは、さすがに違和感があります。

いずれにしても、「宗教界」の「擬人化された神々」の創作活動というのは、しょせん
人間の脳内で行っていることですので、言うなれば、現代におけるマンガやアニメの
創作活動と、何ら変わりは無いわけです。
極論すれば、「宗教」とは、一種の○○、いやいや無知なる大衆相手に、物質的価値の無い
ものを買わせるビジネスであるわけで、そういう手段として、こういった「天使」とか
「大天使」というような、大衆受けするような擬人化された神秘的な存在、まあ、二次元の
カッコいい絵や三次元の威圧感のあるフィギュアとかが必要とされるわけです。

ということで、とりあえず、我々が上の世界に昇るには、そういう商業主義的なイロモノ神
の存在を、一旦完全に破棄して、全く新しい視点と考え方で、真実かつ純粋な上位の存在を
探索に行くしかないわけなのですが、生まれてからずっと「神=人間のコピー」という意識
を刷り込まれてきた我々にとっては、なかなか難しいことだったりするわけですよね。
0044名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/14(水) 05:49:49.11ID:dB1bIlCE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
To encounter the Archangels as formless consciousness means to destroy another
Tower which we have created.
形の無い意識としての「大天使たち」に遭遇することは、我々がずっと創造し続けて
いる、別の「塔」を破壊することを意味する。

Yet these Towers are necessary and sacred.
それにもかかわらず、これらの「塔たち」は必要であり、そして神聖である。

They are, like the densest expression of ourselves, our bodies, temples of the
Holy Spirit.
それらは、我々自身の、我々の身体たちの、聖霊の寺院たちの、最も濃い表現のような
ものである。
--- ここまで ---

要するに、「塔」は、「人格」を司る「星幽的三角形」と「肉体」を司る「マルクト」の
下位世界の全てを象徴している存在であるということです。
そして我々は、それらの「殻」を完全に破壊することで、上位の「大天使」の世界、
すなわち、「高次の自我」を司る「倫理的三角形」へと到達できるということです。

でもまあ、ちまたでは、「大天使」である「the Higher Self/高次の自我」とは似ても
似つかない「ハイヤーセルフ」なるものが、期間限定で大絶賛バーゲンセール中では
ありますが、それとは全く別のものですので、くれぐれも混同しないようにしてください。

いずれにしても、「塔」を築き、塔に昇り、雷に打たれ、そして堕ちるという行為は、
上位に昇るためには必要なことであり、それゆえ神聖なることことでもあります。
「塔」を築きもせず、遠くから視るだけで、あれこれと批評するような連中は、決して
本当の上位世界を知ることは無いのでしょうね。
そう、「塔」から堕ちている人々は、真の「修行者」であり、俗界における成功者では
ないのかもしれませんが、決して人生の落伍者であるということではないのです。
0046名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/15(木) 06:05:49.81ID:tS0gotci
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
Appreciating this, we learn to apply the underlying principles of each Path without
being bound by their necessarily artificial outward manifestation.
これの真価を認めることによって、我々は、それらの必然的で人為的な外面だけの顕在化に
より縛られることなく、各々の「小径」の根本的な原則たちを適用することを学ぶ。
--- ここまで ---

我々人間は、ほとんどの情報を「目」から入力していますので、どうしても「見た目」で
判断してしまうことが多いです。
それは、オカルトの業界でも同じことであり、人が人である以上、ほとんそのどが見た目
だけで判断されてしまうことも、ままあるわけです。

この「16:塔」というのは、そういった「人が人であること」を、完全に否定するもので
あり、従来の「見た目だけによる価値観」は、完全に破壊し尽くされなければならない
ことも示しています。

とはいえ、人が人である以上、こういう「見た目の価値観」というのは、決して捨て去る
ことができないというのも確かなのです。
つまり、その折り合いをつけるためにも、「Appreciating this/これの真価を認めること」
という姿勢が大事であるということなんですよね。

要は、「16:塔」が単なる不吉なカードであると考えている人は、従来の「見た目だけに
よる価値観」に囚われているので、鍵である大アルカナのカードの本質的な意味を決して
理解できないであろうと言うことがてきるわけです。

まあでも、タロット占い師のほとんどは、カードの外見だけを見て喋っているわけですし、
客のほとんどは、カードの外見だけを見て納得しているわけですので、そういったものに
水を差すつもりは毛頭無いわけですが、タロットカードのファンとしては、そういった
見せかけだけの世間の風潮に対しては、何だかなぁ、と思ってしまうのでした。
0047名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/16(金) 06:08:38.06ID:YB5JnP74
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
We know that any Path we follow is, by definition, artificial, whether that be
Qabalah, Hinduism, Catholicism, Judaism or Buddhism, and that each carefully
laid brick of these structures will ultimately be destroyed.
我々は、我々が追求しているどのような「小径/道」であれ、定義上では、カバラ主義、
ヒンズー教、カトリック教、ユダヤ教、もしくは仏教であろうとなかろうと、人為的な
ものであって、そしてこれらの構造物たちの各々の慎重に積まれた煉瓦は、究極的には
破壊されることを知っている。
--- ここまで ---

我々が人である限り、何か知らないことを理解しようとする場合は、その何かを、何らかの
「既存の人為的な枠組み」に当てはめて、一つ一つ分解して理解していくということが
必要とされます。
その枠組みが、いわゆる「学問体系」であり、宗教も、その「学問」の一つと言えます。

我々は、その「枠組み」を用いて、「小径」を巡る階段を一つ一つ積み上げ、「神」に
直接コンタクト可能な場所まで上り詰め、そして、上り詰めた者は、最終的に「神の雷」
に打たれて、下に堕ちるというストーリーです。

つまり、「神の雷に打たれて堕ちる」というのは、「突然の悲劇」ということではなく、
真のエクスタシーであり「必然的なご褒美」ですので、神秘主義的には「神からの祝福」
と捉えるべきものです。

ということで、我々は、まずは我々自身を「既存の人為的な枠組み」で理解した上で、
誰よりも高い「塔」として積み上げなければならないということであり、そうすることで、
初めて「神の祝福」を得て、堕ちることができるということですよね。
言うなれば、自らを実験台にした、壮大なる人体実験の繰り返しということであり、
人が人である限り、その全ての試みは失敗することが分かっているのですが、それでも
そういう失敗の積み上げこそが、新しい煉瓦の積み上げということにもなるわけです。
そう、この「塔」は、そういった人類の進化の歴史により積み上げられてきたものなのです。
0049名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/17(土) 06:11:04.80ID:/4LjWkus
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
One key symbol of THE TOWER is its very isolation.
「塔」の1つの鍵となる象徴は、まさしくその孤立である。

It stands on a desolate mountain top.
それは、荒廃した山の頂上に立つ。
--- ここまで ---

さて、もう少し詳しく、この「16:塔」のカードを見ていくことにしましょう。

まず目につくのが、このカードが、今まで出てきた「21:宇宙」から「17:星」までのもの
とは全く異なる雰囲気にあるということです。
そして、雰囲気的には、この後に出てくる「9:隠者」に近いものがあります。

「塔」は、「人格」を司る「星幽的三角形」の最後のカードであり、この地上において、
ほぼ完成した「人格」を統合する立場にあります。

人が地上界の人間社会で馴れ合ったり忖度しながら生きていくためだけであれば、おそらく
この「16:塔」は不要というか、忌むべきものというか、神の前では慎み深くあるべきとか
言われて、ネットで叩かれるものとして扱われるのではないかと思われます。

まあ、このように、見た目がアレなカードですので、これの本質を理解してもらうのは
なかなか難しいかと思いますが、実はこれは、「上位世界への関門」であり、さらなる
「上への挑戦」のカードということになっているわけです。
全ての「大アルカナ」に描かれているのは、宇宙を読み解くための「鍵」となっており、
その鍵の全てが揃わないと、この宇宙の神秘を開くことは出来ません。

つまり我々は、自らを「孤高の塔」という「宇宙を読み解く鍵」として、誰も来ないような
高い山の頂きに立ち、繰り返し神への挑戦を行わなければならないということですよね。
まあ、その後で、神の雷に打たれて堕ちるというオチが付きますけど。(苦笑)
0050名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/18(日) 06:02:53.82ID:4ic0vco5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
Most individuals perceive themselves in this way, as totally separate units of
consciousness.
大多数の個人たちは、意識の全く別々の個体たちとして、彼ら自身を知覚している。

So the destruction of the Tower means to experience the True Ego, which is not
ours alone.
つまりは、「塔」の破壊は、我々が孤立しているのではないという、「真の自我」を
経験することを意味している。
--- ここまで ---

とりあえず、我々は、自らを遙かなる山の頂にそびえ立つ「孤高の塔」として建立し、
「神の雷」という、神からのメッセージを受け取る準備をするわけです。

神からのメッセージは、ぶっちゃけて言うと、「お前は、ぼっちではない」という、実に
ありきたりというか、お決まりの内容なのですが、これがマンガやアニメの決めゼリフと
決定的に異なのは、それが単なる「うわべだけの言葉」ではなくて、「内なる経験」である
という点です。

まあ、「内なる経験」という言葉が出てきた時点で、一般人お琴割ということになるの
ですが、そもそも、神の雷に打たれるなんてことは、一般人にとっては危険すぎるという
か、そもそも希望者がおりませんので、そういうわけで、この「16:塔」というものは、
一般人にとっては、全く人気の無いカードであるわけなのです。

まあ、「そんなことして、何か意味あるの?」と聞かれてても、言葉に出来る意味なんて
全く無いわけですので、「日々の生活には、全く何の意味もメリットも、ございません」
としか答えようがないわけです。
それでも、ド変態ども、いやいや神秘主義者たちは、意気揚々と「神との直接コンタクト」
を目指して、日々勤しむわけであり、いやもう、マジでヤバい連中だと思いますよね。
0051名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/19(月) 06:14:07.83ID:JSH/gunJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
The lightning flash on the Tower is a sudden realization, or flash of perception,
of our real identities.
「塔」の上の稲妻の閃光は、我々の真の自己同一性の、突然の実現、または知覚の
ひらめきである。

That lightning is in the shape of the circle and spear of Mars to indicate the
power which initiates the experience.
その稲妻は、経験を伝授する力を示すため、「火星」の円と鎗の形をしている。
--- ここまで ---

「神の雷」に打たれることで、「私」が築き上げてきたキャラが崩壊して、本当の自分が
露わになり、そして「真の私とは、一体何者なのか」を知るという「真のリアルの経験」
をすることが、このカードの真髄となります。

まあでも、これは「言うは易く、行うは難し」の典型的なものですので、普通の人は、
あまり近づかない方がいいわけです。
そもそも、この手の「自分を知るセミナー」なんてものは、ほとんどが何の役にも立たない
というか、まあ役に立たない方がまだマシというか、単なる詐欺商売のようなものも多い
ですし、どこかの本に出ているような「ワタシはこれで人生がバラ色に変わりました!!
(※個人的な経験談です)」なんてのは、ほぼ間違いなく、商業ライターが作文した
「釣りネタ」と考えておいた方がいいわけですからね。

それはともかく、まあ間違っても、「真の自分を知ると幸福になれる」なんて考えない
方がいいわけで、普通はどう考えても、「知らない方が幸せ」なんですよね。

まあ、「幸せ」というものの考え方は、人それぞれではありますが、M系趣味に興味の
無い、ほとんどの人にとっては、このカードは「不幸をもたらすもの」と考えておいて、
差し支えないとも思うのでした。
逆に、M系趣味の人々にとっては、最高の至福ではあるわけですが。(笑)
0052名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/20(火) 05:59:40.27ID:RtxQr3Ih
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
On the Golden Dawn and Waite cards the lightning strikes the Crown at the top of
the Tower, an obvious reference to the Crown of Kether.
ゴールデン・ドーン版とウエイト版のカードたちについては、稲妻が、明らかに「ケテル
の王冠」に関係する、「塔」の頂上にある「王冠」を打つ。

But what is symbolized here is the false crowns of our existence, those man-made
values which we believe to control us.
しかし、ここに象徴されているものは、我々の存在における偽りの王冠たちであり、
我々を支配していると我々が信じている、それらの人造の価値たちである。
--- ここまで ---

勘違いされないように、最初に言っておきます。
頭の悪い人ほど、「ワタシは悪くない。ワタシは常に正しくて、悪いのはいつも相手の
せいだ。」と思い込んでるフシがあり、その結果、この「塔」はワタシのことではなく、
常に相手に災いが起こるなどと考えて、全く反省しないというか成長できない人がいる
わけですが、そういうのは、言うまでもなく誤りです。
大アルカナというものは、ほとんどが「自らの内面世界」に関するイベントとなります
ので、「全ては自己責任」の世界ですからね。

さて、我々は、ここに存在して日々生活していると自覚しているわけですが、それは我々
自身の行動を支配している「自我」という存在があるからです。
つまり、神の稲妻が打ち砕いているのは、我々の持つ「自我」、すなわち「星幽的三角形」
が司る「人格」そのものなわけであって、要するに、今までこの場で勉強してきたことを、
神は「全否定」しているわけなのです。

要は、この「16:塔」を理解し突破できるのは、「人格的に良い人」とか、「万人に認め
られている人」というわけでは無いということなんですよね。
でもまあ、相手がどんな人であっても、神は「おまえのことなんて決して認めないぞ!」
とかホザきながら、とりあえず雷を落とすのではないかと思うわけなのでした。
0054名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/21(水) 06:48:28.63ID:+WmmWNjd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
And one of the meanings of the Crown here is the will, the Primal Will of Kether
which is the only true reality.
そして、ここでの「王冠」の意味たちのうちの1つは、「意志」、唯一の真の実在である
「ケテルの原初の意志」である。

Our conscious attempt to align ourselves with this Primal Will brings about the
destruction of our belief that we actually have a personal will.
この「原初の意志」と提携する我々の意識的な試みは、我々が実際に個人的な意志を
持っているという我々の確信の破壊を引き起こす。
--- ここまで ---

「ケテル」の神名は「AHVH」であり、これは、『旧約聖書:出エジプト記』3:13にある
「I AM/私はある」と名乗った神に由来しています。

つまり、この「16:塔」の王冠は、天上の「ケテル」の、下界における劣化コピーであり、
そしてそれは、神の「私はある」の、我々の内における劣化コピーでもあるわけです。

要するに、我々には「個人」としての自由意志は無くて、全ての人間は、しょせん「神の
意志」に操られる「劣化コピーロボット」であるということになるわけです。

とはいえ、ここまでの「真の悟りの領域」に到達できる人は、ほとんどいないわけですので、
世の中の多くの人々は、自分の意志を持ち、自分の判断で、まるで自身が「神」であるかの
ように振る舞っているわけなのですが、まあ、その方が幸せであるということですよね。

いずれにしても、「自らが神である」というような自覚は、世間知らずの無知からくる
錯覚であって、真の神の存在に気づくことができる者のみが、自らが「ニセモノ」である
ことを自覚できるということなのです。
え、そんなこと自覚できなくてもいいし、すこぶるどうでもいいって?
まあ、一般の人にとっては、この「16:塔」は、どうでもいいカードですからねぇ。
0055名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/23(金) 06:00:02.84ID:9mQD+yH/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
The reference to Mars on the 27th Path points to the Path's correspondence with
Geburah, the fifth Sephira.
「27番目の小径」に関する「火星」への参照は、5番目の「セフィラ」である「ゲブラー」と
「小径」との対応関係を示す。

Here the activity of Geburah in tearing away obsolete values takes place.
ここでは、廃れた価値たちを引きはがすという「ゲブラー」の活動が起こる。

Of course, it must be reiterated that the Sephiroth are the centers of objective
energy, while the Paths are our subjective use of those energies.
もちろん、「セフィロト」は客観的な精力の中心たちであり、その一方、「小径たち」は
それらの精力たちの我々の主観的な使用であることは、繰り返し言わなければならない。
--- ここまで ---

「セフィラ」である「ゲブラー」と、「小径」である「16:塔」には、同じ「火星」と
いう惑星が配属されています。
まあ、両者を同列で考えるのはどうかと思いますし、ほとんどの人は勘違いすることに
なりますので、あまり言葉で説明するべきではないとも思うのですが、ざっくり言うと、
その根底にあるのは、「火星」の精力の「顕在化したもの」と「潜在的にあるもの」と
いうことになります。

いずれにしても、「破壊」というものは、一般受けしないというのは確かですし、それゆえ
周囲からは、反発や疎外というものが起こります。
そういう困難に敢えて立ち向かい、これまでの意識の無い神の操り人形としての「リアル」
を断ち切り、覚醒した意識状態で「バーチャル」な道を切り開いていくというのが、この
「小径」の効用であるということなのですが、やっぱり一般受けはしないようにも思えます。

どう考えても、「リアル」にとっては良い方向には向かいませんし、それこそ一般人に
とっては、「何の得にもならない」ものですからねぇ。
0056名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/24(土) 06:07:16.46ID:zoy7JeCS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 168) ---
In varying degree, the energies of all of the Sephiroth are on all of the Paths,
in this case that of Geburah being predominent.
変化している段階においては、「ゲブラー」が優勢である、この場合においては、
「セフィロト」の全ての精力たちは、「小径たち」の全ての上にある。

We also recall that Netzach and Geburah, Venus and Mars, are integrally linked, and
that the Gods associated with both Hod and Netzach are called the Gods of Armies.
我々はまた、「金星」と「火星」である「ネツァク」と「ゲブラー」が一体的に連結され、
そして「ホド」と「ネツァク」の両方に関連づけられた「神々」が、「軍隊の神々」と
呼ばれていることも思い出す。
--- ここまで ---

「predominent」は、「predominant/優勢な」の誤植ですね。

「生命の木」においては、各々の「セフィラ」は、直接結合しているわけではなく、
必ず「小径」を経由して、周辺の「セフィラ」と結合しています。
このため、各「セフィラ」からの状態遷移の時は、必然的にその変化するエネルギーは、
全て「小径」に一旦流入した後に、隣の「セフィラ」へと流入するということです。

ちなみに、「ネツァク」の神名は「イェホヴァ・ツァバオス/万軍の主」であり、「ホド」
の神名は「エロヒム・ツァバオス/万軍の神」となっています。

要するに、この「16:塔」を通過する変化の過程において、この周辺には、「火星」とか
「軍隊」の影響が甚大であるということであり、そういう意味では、一般人にとっては、
結構しんどい場所だったりするわけですよね。

とはいえ、一方的な反戦主義や平和主義では、この世界に新しい変化をもたらさないわけ
ですので、我々は何も進歩できず、ただ腐敗し衰退していくいうことにもなるわけです。
まあ、我々みたいに下界に住む一般人にとっては、割とどうでもいい話なんですけどね。
0057名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/25(日) 06:07:33.40ID:Q2Qr1LjZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
It is for good reason that Crowley sub-titled his card War.
もっともな理由のため、クロウリー氏は彼のカードに「戦争」という副題を付けた。

Throughout esoteric literature spiritual self-development is often described in
martial terms.
秘伝的な文学の至る所において、霊的な自己開発は、戦争の用語で、しばしば説明される。

The Bhagavad Gita, for instance, describes a symbolic battle of the component
parts of the Self: Krishna is the Higher Genius, guiding Arjuna onto his inner,
and personal, field of battle.
例えば、『バガヴァッド・ギーター』は、「自我」の構成部分たちの象徴的な戦いを説明
する:「クリシュナ」は、「高次の聖霊」であり、「(低次の自我である)アルジュナ」
を、彼の内なる、そして個人的な、戦いの場へと導いている。
--- ここまで ---

「16:カード」の印象からは、どちらかというと「天罰」という、割と受動的というか
ネガティブなイメージを受けるのですが、そういう俗世的な解釈は、間違いですよね。

本当の意味は、神の雷光の助けを借りた、「自我の真の目覚め」を意味するものですので、
そこには、「真の自我」を取り巻く、全ての「偽りのもの」との、外なる戦いと内なる戦い
というものが、必然的に発生してきます。
要は、典型的な「反抗期」ということであり、「厨二病の発症例」ということですよね。

とはいえ、ほとんどの人は、こういう「反抗期」を経験しても、上位世界に目覚めること
なく、あえなく地面に堕とされて、大人しく「オトナ」になっていくわけですが、ごく
一部のド変態と呼ばれる、いやいや神秘主義者と呼ばれる人生の落伍者、いやいや神に
選ばれし方々は、まさしく死ぬまで「○○との戦い」に明け暮れることになるわけです。
まあでも、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」と言われるのがわかっているので、
「私たちは絶対にあきらめない!」とか言いながら、見えない敵と日々戦っているのでした。
0059名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/26(月) 05:55:51.49ID:/NuT8xLG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
Far too many people make the mistake of assuming the process of spiritual development
to be one of "sweetness and light," a misconception fostered primarily by Christianity.
あまりに多くの人々が、主としてキリスト教により助長された思い違いである、霊的な
開発の過程を「甘美と光明(温和と理性)」の1つであると思い込むことの誤りを犯す。

THE TOWER points out that inner growth must be a painful and overwhelming process.
「塔」は、内なる成長が、苦痛を伴う抗い難い過程であるにちがいないことを指摘する。
--- ここまで ---

大衆を勧誘する必要のある商業主義的宗教は、どうしても甘い言葉や、現状への不安を
煽る言葉を使って、客を勧誘する必要があります。
つまり、「これをヤレば、もっといいことがあるよ」とか、「この世は真っ暗闇だから、
もっと日の当たる世界に出よう」という、甘い言葉で誘うわけです。
まあ、騙されたままの方が幸せなことも多いですので、それはそれでいいのですが、
神様は、「天国ちゅうとこはそんなに甘いもんやおまへんのやもっとまじめにやれ」
とか言いながら、天から雷を落としてくるわけです。

ほとんどの人は、そういう「天からの痛み」を避けようとして、宗教に走ります。
つまり、「お賽銭」とか「お布施」を、プロ宗教者に払うことで、自らを変えることなく、
つまり成長することなく、苦しみから逃れたいということであり、プロ宗教者も、
そういう需要に応えることで、宗教がビジネスとして成立しているわけです。

でも、それって、何かおかしいですよね。
そう、宗教ビジネスは、個人の「内なる成長」を確実に阻害しているのです。
もちろん、我々のような一般人にとっては、「内なる成長」は無縁のものであり、
その点においては、宗教ビジネス自体が問題視されるべきとは思っていませんが、
その結果として、「内なる世界」のことを誤解してしまう、つまりキラキラでワクテカな
ファンタジー世界であると思い込む人が多発するというのは、ちょっとなんだかなぁ
という思いもあるのでした。
0060名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/28(水) 09:22:49.07ID:IOj8lRCv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
Most of all, it is often not what we expect.
何よりも、それは、よくあることだが、我々が予期するものではない。

The branches of the Tree of Life are, as this card suggests, filled with surprises!
「生命の木」の枝たちは、このカードが示唆するように、驚くべきことたちにより満たさ
れている!
--- ここまで ---

「Nature/自然」は、我々に親切であるわけでもなく、我々が「期待」したり「予期」
したりできるものでもなく、良い意味でも悪い意味でも、我々の予想のはるかに上を行く
ものであり、だからこそ、神は常に「人智を越えた存在」であり続けているわけです。

とはいえ、神は決して「神聖にして侵すべからず」という存在ではなく、神への挑戦は、
誰もが可能なことであり、我々の全ての者に対して、その門戸は開かれています。
でも、どうせ正面切って戦っても負け戦となるのが目に見えていますので、人はあらゆる
小細工を使って、神の一部だけでも知ろうとするわけですよね。
要は、「上に政策あれば下に対策あり」ということで、我々下々の者どもは、何とかして
「神の手」の一端だけでも知ることができれば、それを我々の日々の生活に活かすという
ことも、理屈としては可能なわけです。

でもまあ、そういう「神(自然)への本気のチャレンジ」というのは、一部の科学者に
任せておけばいいんじゃないのか、というのもあるわけで、どちらかというとワタシと
しては、興味本位で「神(自然)へのツッコミ」をネタにして、駄文を綴るいうことを
趣味の範囲で行っているわけでした。

え、もっとマジメにやれって?
まあ、マジメにやることが、結果に繋がるのであれば、努力しようかな、とも思うの
ですが、経験上、結果を「期待」できるというものでもないですからねぇ。
0061名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/29(木) 06:44:19.04ID:1qVAmIFA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
The surprise and suddenness of insight is symbolized both in the Golden Dawn and
in the Waite card by the lightning flash.
洞察力の不意打ちと突然さは、ゴールデン・ドーン版とウェイト版カードの中の両方に
おいて、稲妻の閃光により象徴されている。

Crowley's version represents the same principle, but attempts to demonstrate some
of the more subtle shades of meaning of the Path.
クロウリー氏の版は、同じ原則を表しているけれども、「小径」の意味のより微妙な相違の
いくつかを示すことを試みている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、そしてトート版の意味の原則は同じでありながらも、
微妙に解釈の違いが出ています。
まあ、カードだけを普通に見ていても、なかなかその違いは判別できないかと思いますが、
それぞれの作者の解説文を読んでいくと、その解釈の方向性の違いというか独自性というか
個性というものが、それなりに出てきているのが分かるかと思います。

この「16:塔」は、個性である「人格」を司る最後の「小径」ですので、そういう意味でも、
こういう上位概念の解釈の微妙な違いを、じっくりと比較検討してみるというのは、
それなりに価値があることだと思います。

いずれにしても、「神との出会い」は、突然であり、驚きであり、そして(象徴的に見て)
破滅的であることは、このデザインからは、何となくわかるかと思います。
そして、それが持つ深い意味は、「神」を知る者と「神」を知らない者の間では、おそらく
正反対の解釈になるということも、想像に難くありません。
まあ、「神(自然)とはそういうものなんだ」ということが、ある程度分かってさえいれば、
そんなにビクビク恐れることはありませんし、そういう「大いなるもの」に立ち向かう勇気
というか興味も出てくるのではないかと思ったりするのでした。
0062名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/30(金) 05:51:01.89ID:wyLrif97
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
He tells us also that his card represents the "preface" to the coming of a new
era shown in the 20th Key, JUDGMENT.
彼は、彼のカードが、第20番目の「鍵」である「審判」において示された新しい時代の
到来の「前触れ」を象徴していることを、また我々に語る。

His version of THE TOWER represents the destruction of the old order.
「塔」の彼の版は、古い秩序の破壊を表している。
--- ここまで ---

解釈上では、最も古いゴールデン・ドーン版が、若干ネガティブな解釈を引きずっている
のに対して、ウェイト版では、ネガティブさは減っており、そして最も新しいトート版の
解釈においては、より積極的な意味へと変化しています。

ここまで来ると、通常のタロット占いにおける「塔」の意味とは、全く異なる解釈になる
わけですが、ほとんどの(トート使いの)占い師は、そういう本来の意味を全く知らずに、
従来通りの勝手な解釈で占いをやっているわけです。
まあ、しょせん占いなんてエンターテインメントですし、お客様を楽しませてナンボの
世界ですので、細かいことはどうでもいいわけですが、もうちょっとマジメにやってくれ
てもいいのになぁ、とか思うわけです。

とはいえ、この「16:塔」の本来の意味を理解するには、それなりの「高度な知恵」や「深い
経験」が必要とされるわけですので、現状の占い師やお客のレベルを考えると、全く期待
できないというのも事実です。
まあ、そういう意味でも、ワタシは、タロット占いには「大アルカナ」は理解不能であり
役に立たないものであるため不要である、という暴論を持っているわけなのですが、でも
それだと、タロット占いという、見た目重視なエンターテインメントは成立しないわけです
ので、なかなかに難しい問題だったりします。

というわけで、「16:塔」のパワーで、色々と行き詰まった現状を打開していきましょう。
0063名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/03/31(土) 06:30:37.13ID:FA7Vhek6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
As in THE STAR, Crowley uses straight, geometric lines to mean that which is made
by man.
「星」と同様に、クロウリー氏は、人により作られたものを意味するために、直線的で
幾何学的な線たちを使用する。

He points out that since perfection is Nothing (literally no-thing): "all
manifestations, however glorious, however delightful, are stains." (*130)
彼は、完成とは「無」(文字どおり、何も無いこと)であるゆえに:「どんなに輝かしい
ことであっても、どんなに喜ばしいことであっても、全ての顕現は、染みたちである。」
ことを指摘する。(*130)
--- ここまで ---

ちなみに、(*130)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
130. Crowley, Book of Thoth, 108.
130. クロウリー著、『トートの書』、108ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要は、宇宙レベルで見ると、この顕現して物質化した宇宙は、大きな「染み(stain)」で
あり、そして、この宇宙の最終形(perfection)は「無(Nothing)」であるということです。
つまり、この宇宙の中で生まれた我々の存在は、ちっぽけな「しみ(stain)」にすぎないと
いうことになります。
そして、それらの「染み」は、「無」に帰することで究極の「完成」に至る、つまりは
真の輝きと真の喜びを獲得するということになるわけですよね。

何かアブない系の宗教のような教義ですし、しょせん我々のような一般人にとっては、
何のメリットも無い理論ですので、いずれにしても、ある程度のレベルに達していない
普通の人は、この危険思想の「16:塔」には、あまり近づかない方が賢明なのでした。
0064名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/01(日) 06:23:45.49ID:C4bOF/5p
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
In his card the all-seeing Cosmic Eye observes and directs the disruptive process
of the Tower's destruction, while Dis, a Roman God of the dead, belches flames
from the structure's base.
彼のカードにおいては、全てを見通す「宇宙の目」は、「塔」の崩壊の破壊的な過程を
監視し指揮する間に、死の「ローマの神」である「ディス」は、建造物の基部から火炎
たちを噴出している。

On either side are the Serpent and the Dove, representing "the two forms of
desire...the Will to Live and the Will to Die..."
右と左の側には、「蛇」と「鳩」があり、「生きる意志と死ぬ意志の…欲望の2つの形
たち…」を表している。

He says that they are also the "masculine and feminine impulses." (*131)
彼は、それらはまた「男性と女性の衝動」でもあると述べる。(*131)
--- ここまで ---

ちなみに、(*131)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
131. Crowley, Book of Thoth, 109.
131. クロウリー著、『トートの書』、109ページ。
--- ここまで ---
とあります。

クロウリー氏は、宇宙を支配する「ホルスの目」と、地下世界を支配する「ディスの火炎」
の両面攻撃で、この「塔」を徹底的に破壊し尽くす一方で、「男と女」を象徴する「蛇と鳩」
を描くことで、このカード全体を「死と生の一体性」という、この地上界における最終的な
究極奥義というものを表現しています。
でも、こういう最終究極奥義なるものは、決して常人には理解できるものではありません
ので、一般人は、全く気にする必要も無いものなんですよね。←ヤル気無しw
0065名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/13(金) 05:20:04.41ID:PCwKAFDN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
In both the Golden Dawn and Waite cards two figures are shown falling from the Tower.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードにおいて、2人の人物たちが「塔」から落ちて
いるのが示されている。

Case explained them as the dual modes of the lower personal consciousness (consciousness
and sub-consciousness) while Mathers called these the Kings of Edom.
マサース氏がこれらを「エドムの王たち」と呼ぶ一方で、ケース氏は下位の個人的意識
(意識と潜在意識)の二元的な様式たちとしてそれらを説明した。

Waite presumably agreed with Mathers insofar as his two figures both wear crowns.
ウェイト氏は、おそらく、彼の2人の人物たちの両方が王冠をかぶっている限りにおいては、
マサース氏に同意した。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版のデザインは、割と似ていますが、この最後の文の
「彼の2人の人物たちの両方が王冠をかぶっている」というのは、明らかに間違いであり、
一人は冠をかぶっていて「物質的な王」を表しているのかもしれませんが、もう一人には
冠はなく、さらに周囲に「聖四文字」の「ヨッド:火」に囲まれています。
つまり、物質的に「墜ちる」ことは敗北を意味することですが、精神的に「堕ちる」こと
は、祝福であるということを意味している可能性が高いのです。
そう、厨二病における「闇堕ち」の経験こそが、魂の進化の過程であり、そこで色々と
ダークサイドでの経験を積み重ねることで、真のラスボスとして、人類の究極進化を
目指すというストーリーが紡がれていくということなんですよね。

まあ、「ヒーロー/ヒロイン」と「ラスボス」というのは、単なる立場の違いというか、
要は「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということですので、何とも言えないのですが、
神秘主義世界を極めると、どちらかと言うとダークサイドのラスボス側として、人類を
最終的な破滅に導く傾向が強いようにも思えます。
要は、何事も、バランスというものが必要ということなんですよね。
0067名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/14(土) 07:51:09.99ID:dqQ3fLCD
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
Reference to the Kings of Edom leads us to some very subtle meanings of this card.
「エドムの王たち」への参照は、我々を、このカードのいくつかの非常に微妙な意味たちに
導く。

The fall of the Kings of Edom refers to the conquest of that nation by the Jews,
led by Judas Maccabeus.
「エドムの王たち」の落下は、ユダ・マカバイにより導かれた、ユダヤ民族による
その国家の征服に関係する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「16:塔」の詳細な説明、すなわち『黄金の夜明け魔術全書』の
「フィロソファス4=7位階儀式」の「第二十七番ペーの小径」には、「エドムの王たち」
についての言及があります。

普通に考えれば、この「エドムの王たち」とは、『旧約聖書:創世記』11章にある「バベル
の塔」に出てくる人物たちだと思うのですが、なぜかそれよりずっと後の時代の歴史書で
ある『旧約聖書外典:マカバイ記』に関係しているということです。
残念ながら、ワタシには、その関係性については、よくわかりません。

とはいえ、このゴールデン・ドーン版の「16:塔」の解説を読めば、『旧約聖書:創世記』
の「バベルの塔」とも全く違うものであるというのは、分かるかと思います。
そう、あくまでも「16:塔」が「バベルの塔」というのは、一種の象徴的な表現であって、
実際に意味するものは、全く異なっているということです。
この辺りの事情については、ウィキペディアの「バベルの塔」に誰かが簡潔にまとめて
いますので、参考にする(あくまでも参考ですが)と良いかと思います。

要は、従来のタロット占いで使われている「16:塔」の持つ物質的な意味は、これ以降は
全て忘れてください、ということなんですよね。
0068名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/15(日) 06:17:12.22ID:kFN29pTO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
There is, however, a much deeper meaning imbedded in that fall, a meaning which
is discussed at some length in the Zohar.
しかしながら、その落下の中に埋め込まれたずっと深い意味、『ゾーハル(光輝の書)』
において、かなり長く議論されている意味がある。

That book states that prior to the creation of our universe there were other
universes, or forms of existence, with which the Divine Creator was displeased,
and which he thus reduced to a state of chaos or nothingness. (*132)
その本は、我々の宇宙の創造の前に、他の宇宙たち、もしくは存在の形態たちがあったが、
「創造主である神」がそれらにより不快にさせられたことにより、彼は、それゆえ、混沌
もしくは無の状態に縮小した。(*132)
--- ここまで ---

ちなみに、(*132)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
132. Zohar, Sperling and Simon, v. I, 97.
132. 『ゾーハル(光輝の書)』、スパーリングとサイモン訳、第一巻、97ページ。
--- ここまで ---
とあります。

スパーリングとサイモン訳版の『ゾーハル(光輝の書)』が手元に無いので、確証はありま
せんが、おそらくこの部分は、
・『旧約聖書:創世記』1章の天地創造(楽園宇宙の創造)
・『旧約聖書:創世記』3章の楽園追放(楽園宇宙の破壊と地上宇宙の創造)
・『旧約聖書:創世記』6章のノアの大洪水(地上の破壊と地上の復活)
のあたりのことを指しているのではないかと思います。
要は、「バベルの塔」という時代の前にも、「16:塔」という「我々の宇宙」は何度も
建てられて破壊されているということを意味しており、それは原初から現代に綿々と続く、
創造と破壊の途切れることのない宇宙の輪廻の営みであることを語っているわけです。
0069名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/16(月) 05:59:03.48ID:Bj90cItG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 169) ---
The Tower, furthermore, has other biblical implications.
「塔」は、さらに、聖書に関する他の意味たちを持つ。

It is the Tower of Babel, a parable wherein the relationship of Speech-Tower is
clearly shown:
それは、「バベルの塔」であり、「言葉」と「塔」の関係が明確に示される寓話である:

After the flood the descendants are said to have settled in Babylonia (Babel)
where they built a city of brick.
洪水の後に、子孫たちは、彼らが煉瓦の都市を築いたバビロニア(バベル)に落ち着いた
といわれている。

They built a tower in a supposed attempt to reach up to, and conquer, the heavens.
彼らは、天に到達し征服するための推定上の試みにおいて、塔を建てた。
--- ここまで ---

タロットの「16:塔」と言えば、ほとんどの人はこの「バベルの塔」を連想すると思います。
ちなみに、この「バベルの塔」について誤解している人もいるかと思いますので、ちと
補足しておきます。
誤:「バベルの塔」は、そもそも建設不可能な愚かな計画である。
正:神は「建設不可能ではない」と判断し、人の言葉を混乱させるという妨害工作を行った。
誤:「バベルの塔」は、神の手により物理的に破壊された。
正:「バベルの塔」は、神の妨害により建設が中断したため、自然に崩壊した。

これらを考えると、タロットの「16:塔」と、聖書における「バベルの塔」の物語とは、
かなり性質が異なることがわかります。
つまり、タロットの「16:塔」は、「バベル」となってしまった「塔」ではなく、当初の目的
である「天に到達し征服するため」の「塔」であると考えられ、そして、この「小径」を
通じて、我々は神の妨害工作を回避し、天に到達することが可能となるわけなのです。
0070名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/17(火) 06:57:31.94ID:0oYjW/4G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
Seeing these men as coarse and ambitious, God sought to punish them.
粗野で野心的なこれらの人間たちを見て、神は、彼らを罰しようと努めた。

Where previously "the whole earth was of one language and of one speech," and men
could work in unison, God imposed diverse languages, forcing a dispersion across
the land.
以前は 「全ての地は1つの言語および1つの言葉であった」 、そして人々が一丸となって
働くことができた場所であったが、「神」は、様々に異なる言語を課し、土地の至るところ
に離散を強制した。
--- ここまで ---

このあたりの記述は、宇宙創世時には「全てを統一する究極理論」であったが、そこから
様々な力が分離して、「ダークエネルギー」「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」
などに分離していくという現代物理学の理論を思い出させます。

つまり、「バベルの塔」の物語は、「相変化」、すなわちフィールドがチェンジされたと
いうことであり、これにより、それまでの攻撃力や防御力や経験値が、一瞬にして変化する
ということになります。
まあ、バトルフィールドやシステムをコントロールしているのは「神」ですので、彼は
自分の好き勝手にパラメータを変更出来るわけですが、ユーザの態度が気にくわないから
システムを変更したりリセットするというようなワンマンな運営体制には、ちょっと一言
文句を言いたくなりますよね。

まあ、一般人は、そういう一方的で横暴な運営体制であることを知ることもなく、これが
運命だと信じて、じっと我慢するしかないのですが、魔術に目覚めた人々は、そういう横暴
に対して、敢然と挑戦していく・・・なんてことはありませんよね。

とはいえ、人類の進化の歴史は、こういう横暴なる「神」への挑戦の歴史でもあるわけで、
この「宇宙を司る神」に対する研究と対策は、今日もどこかで行われているのでした。
0071名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/18(水) 05:47:33.74ID:MYD2JaBn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
In symbolic terms, the building of a tower of false notions results in confusion;
it is acceptance of the limitations of "language," meaning the strictures of any
particular culture.
象徴的な用語たちにおいて、偽りの観念たちの塔の建築は、結果として混乱を生じる;
それは、あらゆる特定の文化の非難を意味する「言語」の限界たちの受容である。
--- ここまで ---

このあたりの概念は、人類が「宇宙」の謎を解明しようと努力してきた宇宙物理学の歴史
を紐解くことで、何となく理解できると思います。

当初の「宇宙を記述する言語」は、「寓話」や「伝説」、「哲学」や「聖書」というよう
な、特定の地方に根ざす「文化」でした。
それが、二次元や三次元の「幾何学」という普遍的な言語により記述されるようになり、
その後、さらに普遍的というか抽象的な「数学」の数式により記述されるようになって
います。
そして、「数学」で記述される概念も、天動説、地動説、相対性理論、量子力学、そして
超弦理論などと、色々と変化してきています。

つまり、人類は、決して「天に届く塔」の建設を諦めてはいないわけですし、現代に
おいても、あちこちで「塔」の建設は試みられているわけです。
もちろん、そのほとんどは間違った理論ですので、まだまだ試行錯誤の段階ではあり
ますが、「真実の塔」にたどり着くためには、いわゆる「偽りの塔の建設」自体は、
非難されるべきではないと思います。
問題なのは、こういう「偽りの塔の建設」に便乗して、「詐欺師による塔の建設」が
行われていることなのですが、これを見分けることは、そう簡単ではありません。

結果的には、この辺りで「言語の限界」というものが見え隠れするわけですし、何かネタが
出てくると、そのニセモノが雨後のタケノコのように林立するという現象も出てくることに
なるわけですが、この辺りの事情は、しょうがないとしか言いようがありませんけどね。
0072名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/19(木) 05:56:21.77ID:9DKsGDnK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
In this sense, then, the Tower also represents the structure of individual
religious systems.
この意味において、さらに、「塔」はまた個々の宗教体系たちの建造物も表している。

Those who are locked into the bricks and mortar of any system are unable to see
beyond that system to the Divine Unity and purpose which is the Light of all
true religions.
どんな体系であれ、煉瓦とモルタルに閉じ込められた人々は、全ての真の宗教たちの「光」
である、「神の単一性」と意図へと至るその体系の向こうを見通すことができない。
--- ここまで ---

この「宗教体系」は、「科学体系」にも置き換えることが可能です。

旧来の体系は、どうしても個別の「煉瓦」を、モルタルやしっくいやアスファルトで
固めて築き上げたようなものであり、現代の科学体系においても、それぞれの分野に
おいて、バラバラの理論(言語)で記述され表現されています。
でも、「神」に到達可能な理論(言語)は、人々がバベルの塔の建設した当時の、
ユニバーサルな「統一言語」になるというのが、ここでの示唆となります。

いずれにしても、「既存宗教の教え」は、こ我々の住む宇宙の真の解明には、何の役にも
立たないというか、それどころか邪魔をすることがあるというのが、現代での状況です。
でもまあ、既存宗教のように、地上の「象牙の塔」の内部に引き籠もった人は、神の雷に
打たれるということもないわけですしね。

それはともかく、高い山の頂上に、苦労して「神」へのちょっかい、いやいや「真実を知る
ための挑戦」の「塔」を築くことで、「神」から直接、「ご褒美の御雷光」を頂けるなんて、
超ドMの神秘主義者にとってみれば、なかなかの至福ですよね。
つまりは、地上の人間は、こうして神の雷に打たれることによってのみ、「神の単一性」や
「統一言語」のひらめきを受け取ることができるという、究極最終奥義なのかもしれません。
0073名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/20(金) 06:05:09.48ID:BQaf6/tp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
The extent to which the implications of this card go far above even the level of
the Christ center of Tiphareth is shown by the three windows in both the Golden
Dawn and the Waite cards.
このカードから推測される、「ティファレト」の「救世主」の中心の段階でさえもはるかに
上回る広さというものは、ゴールデン・ドーン版とウェイト版カードの両方における、
3つの窓により示される。

The number three is a reference to the Supernal Triangle, meaning that the activity
of THE TOWER somehow involves our cosmic selves.
3という数は、「至高の三角形」への参照であり、「塔」の活動が何らかの形で、我々の
宇宙それ自身を巻き込んでいることを意味している。

Crowley uses the symbol of the Cosmic Eye (the third eye of inner vision) but
the meaning is precisely the same.
クロウリー氏は、「宇宙の目(内なる視力である第三の目)」の象徴を使うけれども、
意味は正確に同じである。
--- ここまで ---

「16:塔」は、我々が到達可能な下界の最上位にある(つまり、生身の身体では、決して
越えることのできない)「大アルカナ=小径」ですので、そのラスボスの地位にふさわしい
「暗示」が、いくつも含まれています。

我々は、この一線を越えて、「生命の木」の全体像を把握しようとして、煉瓦とアスファルト
で作った「塔」で攻略しようとするのですが、三匹の子豚に出てくるオオカミさんと違って、
「神」は圧倒的に強く、煉瓦作りの塔は、いとも簡単に破壊されてしまうのでした。

いずれにしても、この「塔」の建設が真の神への憧れに基づくものであったとしても、
結果的には神により壊されるわけですので、ハタから見れば、この「16:塔」の苦行は、
賽の河原の石積みと同じようなものに見えるのかもしれませんね。
0076名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/21(土) 07:58:26.60ID:zYY6eShj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
Here is the involvement of God the Father.
ここには、「父なる神」の関与がある。

What happens is that the Path of THE TOWER may be considered the affirmation of
the Primal Will that It alone is the True Crown, thus bringing into balance in
the self the pure positive (Chokmah) and the pure negative (Binah) which stand
at the top of each Pillar in our individual, internal Trees of Life.
起こることは、「塔の小径」が、ただそれだけが「真の王冠」である「原初の意志」の
断言であると考えられうることであり、従って、我々個々の、そして内なる「生命の木」
にある各々の「柱」の頂上に立つ、純粋な正(「コクマー」)および純粋な負(「ビナー」)
である、自身の平衡をもたらす。
--- ここまで ---

「16:塔」には、「至高の三角形」、すなわち「息子」である「ティファレト」を越えた
存在である「父なる神」が、関わっています。
これは、甘やかしがちの「息子」ではなく、頑固で怒りっぽくて暴力的な「主」による、
とても厳しい「ちゃぶ台返し」的な巨人の☆の物語が、ここにあるということを示して
いるわけです。

つまり、ここでの修行は、一般人にとっては、かなり辛いというか、本当に盲目的な信心
が無ければ、到底耐えられないものになることは、確かなのです。
そもそも、この手のバランス感覚というのは、理論的に説明したり納得したりするのは
無理ですし、それこそ、何度も壊されても、何度も煉瓦をひとつずつ積み上げるような
苦行に満ちたものになることは否めません。
ということで、ほとんどの人は、この圧倒的なラスボスのイジメに抵抗できずに、ここで
脱落していくことになります。
でも、ワタシは、それはそれでいいと思うんですよね。
そもそも理解しようとしても、頭で理解できるものないですし、それこそ、そういう「激辛」
な仕打ちが大好きな「ドM」の人だけが、チャレンジすればいいと思うのでした。
0077名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/23(月) 05:56:53.83ID:Zc/pjm9z
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
In fact, the whole Tree of Life is involved in this Path.
実のところ、まるごとの「生命の木」が、この「小径」の中に巻き込まれている。

Waite suggests this by placing the Tower between two sets of falling Yods (the
descending Spirit), adding up to twenty-two, the number of the Hebrew letters
and of the Paths.
ウェイト氏は、ヘブライ文字たちと「小径たち」の数を意味する22の、落下する「ヨッド
たち」(降下する「霊」)の2つの集合の間に「塔」を置くことで、これを提案する。

Here it will be recalled that the Lightning Flash is the very means of creation
of all ten Sephiroth.
ここでは、「稲妻の閃光が、全ての10のセフィロトの創造のまさしくその方法である」
ことが思い出される。
--- ここまで ---

ウェイト氏は、従来のタロット占いの解釈、すなわち物質的な破壊や苦しみというものを
全否定し、ゴールデン・ドーンの霊的な成長というものを強く示唆しています。

ウェイト版カードでは、人間が築いた「王冠を頂く塔」すなわち下界の「生命の木」に
対して、天界から「ジグザグの稲妻」すなわち「生命の木」を創造する「燃える剣」が
落ち、さらに右側上方からは10個の「ヨッド」、左側下方には墜ちる人間を囲むように
して12個の「ヨッド」が配置されています。

そう、この図案は、何も知らない人から見れば「神の罰」になるのかもしれませんが、
知っている人が見れば、女王様がヒールで思いっきり踏みつけてくれるような、いやいや
「神からの大いなる祝福」にしか見えないわけです。
要は、知る人ぞ知る究極神秘のカードではありますが、それゆえに一般人は「立入禁止」
もしくは「禁忌」の領域であって、この世における、どうしようもない超ド変態どもの、
いやいや「究極の選ばれし民」のためのカードであるというわけですよね。
0078名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/24(火) 05:56:14.97ID:BdNCOYo7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
In the Golden Dawn card an even more profound suggestion is made concerning our
human value systems.
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、我々人間の価値の体系に関する、さらに一層
深遠な示唆がなされる。

On the right hand is seen the Tree of Life, while on the left is another Tree
which is the Qlippoth.
右手の側に、「生命の木」が見られ、その一方、左には、「クリフォト」である、
もう一つの「木」がある。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版カードの特徴となっているのは、稲妻が落ちた「王冠を頂く塔」の
右側にある、白い「光の生命の木」と、左側にある「闇の生命の木」です。

物理学風に言えば、高エネルギーの「粒子」が、バベルと称するターゲットに衝突して、
大量の「正物質=光の生命の木」と「反物質=闇の生命の木」を生みだしているという、
宇宙創生の粒子加速器による実験の構図となります。

つまり、この「16:塔」こそが、我々宇宙の物質を創造するための「小径」であると考える
ことが出来るわけで、このあたりは、「15:悪魔」による「霊の物質化」というイベントと
共に考察していく必要があります。

そういうことを考えていくと、この「塔から墜ちる2人の人」は、塔に登って墜ちたのでは
なく、天から創造されて、地へと下る「原初の人間たち」と見ることも出来るわけです。
この辺りは、『旧約聖書:創世記』2:7にあるように、神が「命の息」を吹き入れたという
ことと、関連がある可能性もあります。
まあ、いずれにしても、このカードは「至高の三角形」である天界と、地上界との関連を
強く示唆するものですので、そういう怪しげな世界に興味のある人は、色々と想像を
膨らませてみると宜しいのではないかと思うのでした。
0079名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/24(火) 07:31:01.94ID:Xmuv1jyp
>>78
12×20=15×16
=1×1×2×3×5×8
こういう事考え出すと止まらないね
0080名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/25(水) 06:04:04.93ID:Pf1zV6Qe
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
As the Tower is struck down, the opposites of "good" and "evil" are suddenly viewed
differently, and one knows that all that is in the Universe is a part of the
One Creator.
「塔」が打ち倒される時に、「善」と「悪」の反対物たちは、突然異なったように
見られるようになり、そして人は、宇宙に存在する全てのそれが「一人の創造主」の
一部であることを知っている。

And again, as has been repeatedly stated: every created thing contains the seeds
of its opposite.
そして再び、ずっと繰り返し述べられてきているように:どの創造された物もみな、その
反対物の種たちを含んでいる。
--- ここまで ---

このあたりの記述は、『旧約聖書:創世記』の冒頭の部分に関係しています。

つまり、最初の宇宙の状態は「混沌」で「平坦」であり、「善」も「悪」も「光」も
「闇」も関係無い状態であったところに、突然、神の「光あれ」という命令を受けて、
我々の宇宙の中に、様々な状態および物質が「対生成」されたことを表しています。

とはいえ、現代科学では、その「宇宙のビッグバン」を引き起こした「一人の創造主」の
真の姿を捉えるまでには至っておりません。
なぜなら、その「創造主」は、我々からは見えない時空、つまり「深淵」と呼ばれるものの
向こう側の存在だからなんですよね。

とりあえず、我々は、この「光」と「闇」、「善」と「悪」、「正」と「負」、「男」と
「女」という反対物が混じり合うカオスな秩序の中で暮らしているということなのですが、
これらの反対物は、しょせん根が一緒ですので、単に、常に反発し合うものということでも
ないわけですし、まだまだこの宇宙には解き明かされていない謎がたくさんあるということ
なんですよね。
0082名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/25(水) 07:24:30.69ID:8VddKvhK
>>81
>つまり、この「16:塔」こそが、我々宇宙の物質を創造するための「小径」であると考える
ことが出来るわけで、このあたりは、「15:悪魔」による「霊の物質化」というイベントと 共に考察していく必要があります。

こっから思い付いていった
吊るし人×審判=悪魔×塔
=フィボナッチ数列の積(黄金比)
0083名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/26(木) 05:59:27.39ID:2VxTvX8h
>>82

> 吊るし人×審判=悪魔×塔

なぜ、「吊るし人」と「審判」の掛け合わせが、「悪魔」と「塔」の掛け合わせと同じになるのか

> 悪魔×塔=フィボナッチ数列の積(黄金比)

なぜ、「悪魔」と「塔」の掛け合わせが、フィボナッチ数列の最初の6つの数の掛け合わせと
同じになるのか

が無理矢理にでも説明できれば、なかなか興味深いですよね。(^^)
0084名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/26(木) 06:00:32.46ID:2VxTvX8h
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
To this point we have considered the psychological implications of the Path,
ideas which may easily be derived from meditation on the card.
この点について、我々は、カードに基づく瞑想から容易に引き出すことができる考えたち
であり、「小径」の心理学的な暗示たちを考慮し続けている。

But THE TOWER involves some symbolism rarely found in print.
とはいえ、「塔」は、紙上において、まれにしか見られない、いくつかの象徴主義を巻き込む。

This symbolism is purely sexual.
この象徴的意味は、純粋に性的である。
--- ここまで ---

「16:塔」のデザインは、心理学的な見地から見れば、かなり性的なシンボルを含んで
いることは、おそらくカードを勉強したことがある人であれば知っていると思います。
というか、このカードに「火星」が配属されているわけですので、それ以外には見えない
わけですが、それゆえ、色々な下ネタ的な妄想が繰り広げられることになります。

とはいえ、こういった男と女の関係性における「男性性」の象徴については、このカードに
限らず、色々なところに出てきますので、神秘主義にとっては、そう珍しいものではないの
ですが、タロットにおいて、この「16:塔」の中で、非常に特異的に現れているという点では、
それなりに興味深いところではあります。

まあ、「16:塔」は、占いの世界では嫌われ者ではありますが、神秘主義から見ると、
ネタの宝庫となっていますので、もっと注目してほしいカードなんですよね。
0085名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/27(金) 06:18:00.30ID:Pyrrr2yS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
In the past the meaning of certain symbols was only broadly suggested because many
in polite society might find them shocking.
過去においては、上流社会の多くの人々は、それらが衝撃的であることを発見するかも
しれないので、確実な象徴たちの意味のみが広く提案されただけであった。

One such symbol is the Tower itself, which is a phallus.
1つのそのような象徴は、それが陰茎である、「塔」それ自身である。

Moreover the mouth (Peh) may be interpreted at one level to mean the opening of
the male reproductive organ, that from which the Yod, seed of life, issues.
さらに、「口(ぺー)」は、ある段階においては、男性生殖器官の開口部を意味しており、
そこから「ヨッド」である生命の種が、発していると解釈できるかもしれない。
--- ここまで ---

「16:塔」が「おちんちん」そのものであるという解釈は、ゴールデン・ドーンにおいては、
それが「火星」に配属されていますので、それほど衝撃的なものではありません。
ただし、それを知らない一般の人々は、このカードが本当は生命力に溢れた「おちんちん」
であることを知らず、変なふうに誤解してしまっていることも多いわけです。
人によっては、「性的不能を表す」というような正反対の解釈をする人もいるようですが、
かなり性的なシンボルですので、そのように拒絶的に見えてしまう人も少なくないですね。

何度も言いますが、このカードの真の意味は、天からの刺激を受けて励起された「男性性」
のエネルギーが、この宇宙全体に放たれるという、究極ポジティブなカードです。
ただし、それが我々の想像を超えるシロモノ、もしくはそういう想像をしたくないもので
あるがゆえに、我々はそれがあることを知らずにいるということでもあるわけですよね。

神秘主義にとって、エロ妄想は、決して害ではありませんし、どちらかと言うと、そっち
方面のネタが多いというのも確かです。
ということで、皆さんも、色々な妄想を試してみてくださいね。
0086名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/28(土) 07:05:47.79ID:5fMKINMA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
Crowley's card more than hints at this by the form of the mouth breathing fire on
the lower right.
クロウリー氏のカードは、右下にある火を吹き出している口の姿により、これ以上のことを
ほのめかす。

And in his diary of 1923 he is very explicit as he speaks of "the Blasted Tower
which is really a Phallus shooting forth lightnings of seed." (*133)
そして、1923年の彼の日記の中で、彼が「爆破された塔とは、実のところ、種の稲妻たち
を噴き出している陰茎である」と語っているように、彼は非常に明白である。(*133)
--- ここまで ---

ちなみに、(*133)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
133. Aleister Crowley, The Magical Diaries of Aleister Crowley, edited by Stephan
Skinner, New York, 1979, 37.
133. アレイスター・クロウリー著、『アレイスター・クロウリーの魔術日記』、
スティーヴン・スキナー編、ニューヨーク、1979年、37ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この『魔術日記』の書かれた1923年は、トート版タロット(1943年作成)の前ですので、
これは、ゴールデン・ドーン版の「16:塔」についての解釈ということになります。
つまり、天からのエクスタシーな性的刺激を受けた、そそり立つビッグな「おちんちん」
が、「宇宙の種」を炎の如く噴き出している姿であるということですかね。

とはいえ、トート版の「16:塔」のデザインは、ゴールデン・ドーン版とは、かなり差異が
ありますので、「キャー、なにこれー」とか言いそうな、ウブなミナちゃんとは違って、
怖いもの知らずのハリス女史は、「可愛いおちんちんさんね♪」とか言ってしまうタイプ
なのかなー、とか思ってしまうのでした。
0087名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/04/29(日) 06:27:50.25ID:A6q9TMVw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 170) ---
The Fire is the destroyer and the renewer, for it forces the transmutation of energy
from one form to another.
「火」は、それが1つの形から別のものへの精力の変化を強要するがために、破壊者と再生者
である。

It is, thus, the initial activator which will ultimately lead to fruition.
それは、従って、最終的に結実につながるであろう最初の活性体である。
--- ここまで ---

つまり、この「塔」のデザインは、「溶鉱炉」もしくは「るつぼ」みたいなものであって、
この塔の内部に詰められた原料となるものを、神の雷撃と炎で象徴される「火」のパワーで
変成させているという、錬金術の基本作業を表しているということになります。

まあ、そういう目で見ることが出来るようになれば、この「塔」は、我々の人生にとって、
まがまがしい存在などではなく、人が人として、コドモがオトナとして、本当に一皮剥ける
ためには、避けては通れない儀式であることが、何となくわかるのではないかと思います。

ここまで来れば、このカードに秘められた、もう一つの意味も、うすうす想像できると
思いが、それについての詳しい話は、また後ほどにすることにします。

いずれにしても、このカードのデザインは、「おちんちん」を激しく攻撃して射精させている
という、誰がどう見ても、「ドM」を象徴する性的行為そのものであることは、疑いようも
ない事実であり、そういう変態プレイを許容できない風紀委員派の人々にとってみれば、
これはまぎれもない変態行為、もしくはパワハラやセクハラに繋がる反社会的行為として
全面的に糾弾されて、ネットで炎上してしまうようなシロモノです。
つまり、この「16:塔」を、そのままモチーフとして、神秘主義的儀式を行おうとすれば、
現代では間違いなく社会問題化するようなエログロナンセンス的なものになるわけです。
そういうわけで、この「16:塔」は、その手の人々にとっての「究極最終奥義」であって、
一般人は決して近づけてはならない「秘密にすべき存在」であるということなんですよね。
0088名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/01(火) 05:58:17.65ID:FktfykxU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
This becomes clear as one asks the question: What happens to the Tower, here seen
in the process of being consumed?
これは、人が以下のような質問をする時に、明らかになる:ここで焼き尽くされている過程
に見える、「塔」に何が起こっているのか?

The answer is that what happens is exactly the same as in our physical world when
something burns.
答えは、起きていることは、我々の物質的な世界において何かが燃えている時と、全く同じ
である、ということである。

Energy is released to be restructured and to manifest in another way.
精力は、再構築され、そして別の方法で顕在化するために、投下される。
--- ここまで ---

つまり、我々の物質的世界における、「原子炉」や「溶鉱炉」や「るつぼ」などと呼ばれる
「reactor/反応炉」の中で、様々な物質がエネルギーを注入されて「metamorphose/変態」
していくという過程を表しているのが、まさしくこの「塔」であるということですかね。

とはいえ、この大アルカナである「16:塔」の場合は、「神」、すなわち異次元である
上位世界からのエネルギーが注ぎ込まれていますので、我々の世界における「反応炉」
とは全く違う意味の「変態」が起きているという点は、認識しておく必要があります。
つまりは、ミソクソや月とスッポンではなくて、もっと別次元の違いがあるということ
なのですが、そもそも、そういう「別次元」の話は、我々にはまだ認識できませんので、
結果的には、この「塔」の「変態行為」は、まだ誰にも理解できていないということに
なっているわけですよ。

まあ、そうであるからこそ、地上の「真のド変態ども」にとっては、この「16:塔」は、
地上における超絶難攻不落の攻略対象を象徴するものとなっており、それゆえに
チャレンジャーの訪問が絶えない、隠れた人気スポットとなっているわけですよね。
0089名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/03(木) 07:17:56.37ID:UrbkUZ9Z
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
Thus is an extremely important lesson about the nature of transmutation of energies
in the Universe imbedded in this card.
このように、このカードの中に埋め込まれた「宇宙」の精力たちの変成の性質についての
極めて重要な学課である。

The transmutation is so all-pervasive that it is found at every level of the Tree
of Life.
変成は、それが「生命の木」のあらゆる段階で見つけられるほど、とても全てに広がる。
--- ここまで ---

「生命の木」における「小径」は、その全てが、錬金術で言うところの「transmutation
of energies/精力たちの変成」に関係しており、この「16:塔」の「小径」だけが特別と
いうことではありません。

とはいえ、この「16:塔」における「変成」作業は、人間が到達可能な最大かつ最高の領域
にあるという点で、それなりに特別な扱いが必要となります。
つまり「transmutation/変成」というよりも、今までとは全く異なった状態に変化する
「metamorphosis/変態」と称する方が、より適切なレベルとではないかと思うのでした。

ちなみに、地上においては、人間は「不完全変態」する生き物ではありますが、それでも
「幼体」から「オトナ」へと脱皮する、すなわち「変態」する時期があるわけです。

つまり、この「16:塔」というのは、そういうオトナの階段を登るための、一つの儀式と
いうか、厨二病のすくつというか、そういうドロドロしたものが一杯詰まったもので
あって、かなりイタいというか、オトナになってからは他人には見られたくないものが、
ぎっしりと詰まっているというのも、何となく想像できそうな感じでもありますよね。

まあ、そういうこともあって、特に女子には、いまいち受けが良くないカードであるわけ
ですが、男の子にとっては、実はとても重要な節目となるカードだったりするわけですよ。
0090名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/04(金) 06:26:20.26ID:ofNzY3hu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
Knowing that the Mars energy is the universal sexual force of Microprosopus, and
that the image of the Tower is in some (though not all) ways the phallus, points
to one important meaning of the card.
「火星」の精力が「ミクロプロソプス(小さな顔)」の普遍的な性的な力であり、そして
「塔」の形が、いくつかの意味において(全てがそうではないが)陰茎であることを知って
いることは、 カードの1つの重要な意味に向けさせる。
--- ここまで ---

「ミクロプロソプス(小さな顔)」は、基本的には「男性性」を持ち、その中心にあるのは
「ティファレト」です。
そして、それに対応するのが、「ミクロプロソプスの花嫁」と呼ばれる「女性性」を持つ
「マルカ」であり、そして「マルクト」となります。
そして、「ミクロプロソプス(小さな顔)」の持つ「男性性」が、我々の世界に顕現する
時は、この「16:塔」という「おちんちん」の象徴となって現れるということですよね。
そして、それに対応する「おまんまん」は「21:宇宙」ではないかと思われます。

とはいえ、我々の知る「性的エネルギー」と、カバラで言うところの「性的エネルギー」
というのは、全く意味の異なるものではあるわけですが、どうしても、そっち方面の知識に
引きずられて、あらぬ方向へと瞑想、いやいや迷走してしまいがちになるわけです。
実際のところ、これが原因となって、多くの人間が、このトラップに引っかかってしまい、
ラスボスを倒すことなく、その餌食となってしまうこともままあるわけですよね。

つまり、我々は、ここを攻略するには、目先のエロの知識だけではなく、きちんとした
「宇宙における性」の知識を深めておく必要があるわけですが、はっきり言って、生身の
人間はみな、それについての「正しい知識」は、持っていないわけです。
つまり、我々人間は、自前での目先のエロの知識に基づいて、宇宙のエロの神秘を迷走
するしかないというのが現状なのですが、その迷走っぷりも、この「16:塔」のモチーフに
含まれているようにも思われます。
0092名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/05(土) 05:58:11.54ID:c6JQLttL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
It is the higher sexual energy destroying the perception of the Personality about
the nature of the sexual function; it is destruction of the perception of the
sex organ itself in orgasm.
性的機能の本質についての「人格」の知覚を破壊することが、高次の性的精力である;
それは性的絶頂感における性器自身の知覚の破壊である。

And, as earlier noted, one of the precepts of the Mysteries accurately states that
"God is sex."
そして、以前に言及したように、「神秘的教義」の教訓たちの1つは、「神は性である」
と、的確に述べる。

Needless to say, this precept was not much bantered about in the Victorian era.
言うまでもなく、この教訓は、「ビクトリア朝」の時代においては、大してからかわれる
ものでははなかった。
--- ここまで ---

古代よりずっと、「神秘」と「セックス」は、切っても切り離せない関係にあるというか、
「男性性」と「女性性」の交わりによる「orgasm/性的絶頂感」そのものが「ミステリー」
であるがゆえに、現代においても、色々と興味は尽きないわけなのです。
そもそも、肉体的な「性的絶頂感」を突き詰めた先には、さらなる「霊的絶頂感」がある
などという妄想を働かせるというのは、ごく当たり前のことですからね。

とはいえ、神秘主義者と呼ばれるド変態どもは、ド変態なるがゆえに、世俗的、いわゆる
男女の肉体的な性的快楽の感覚を拒絶し、精神的な迷走状態、いやいや瞑想の中に、その
「性的絶頂感」を求める、すなわち「上級者向け」の行為へと走るわけで、そのネタと
してあるのが、この「16:塔」の、ドMにしか見えないプレイであるというわけです。

それにしても、ビクトリア朝の時代を生きたウブなミナちゃんは、どういった気持ちで、
このエロカードのデザインを考えていたのか、ちょっと興味が沸いたりするのでした。
0093名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/06(日) 07:12:33.35ID:aiGzgmYK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
There is still another complex mystery to be encountered here.
ここで遭遇する、もう一つの複雑な神秘が、まだある。

This is the mystery of circumcision, an idea implied by the striking of the
"Crown" from the top of the Tower.
これは、「割礼」の神秘であり、「塔」の頂上から「王冠」の叩き落としにより暗示される
考え方である。

This is unquestionably one of the most secret meanings of the card, and one which
is supported by Gematria.
これは疑いなく、カードの最も秘密の意味たちのうちの1つであり、そして「ゲマトリア」
により支援されているものである。
--- ここまで ---

「割礼」は、「コドモ」から「オトナ」への脱皮という過程を象徴する儀式ですが、
それが、天からの雷撃により「王冠」を叩き落とすというデザインになっているのは、
なかなかに興味深いというか、それなりに妄想が捗ったりしますよね。

もし、この「王冠」が、自分自身で築いた「内なる傲慢」の象徴であれば、「厨二病」の
終焉を意味しますし、炭酸飲料の王冠のように、外からの物理的拘束という象徴であれば、
その後は、内容物が勢いよく噴き出すということになってきます。
おそらく、どちらの意味も含まれていると考えるべきですので、そういった意味でも、
これは「complex mystery/複雑な神秘」として扱うべきものであるということですし、
そういうものも含めて、色々と妄想が捗るわけです。

いずれにしても、ここは「神」と「人」の接点となる上位の場所であって、その接点となる
場所が「おちんちん」に象徴されるというわけですので、おちんちんの無い人にとっては、
若干理解しづらいカードだったりするのかな、とか思ってみたりするのでした。
0094名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/07(月) 06:13:39.99ID:umPiIVxM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
The letter Peh has a value of 85, which we discover to be the same value as the
Hebrew word for circumcision.
文字「ペー」は85の値を持ち、それを、私達は、割礼を表すヘブライ語と同じ値である
ことを発見する。

It might also be added that when they conquered the Edomites, the Jews forced
them to be circumcised, which allowed the Edomites to be absorbed into the
Jewish society.
ユダヤ人たちは、彼らがエドム人たちを征服した時、エドム人たちがユダヤ人の社会に
同化されることを認めるため、彼らに割礼を施されることを強制したことは、また追加
されるかもしれない。
--- ここまで ---

「割礼」についての記述は、『旧約聖書:創世記』17:10以降にあります。
「割礼」は、ヘブライ語で、[he=5][lamed=30][yod=10][mem=40]と綴りますが、この
ゲマトリアの値は85です。
ちなみに、神名を表す「エロヒム」は、[mem=40][yod=10][he=5][lamed=30][aleph=1]と
綴られますので、[aleph=1]のみの違いとなっているのは、「割礼」と「神」との間において
何か特別な意味があるのかもしれませんよね。

いずれにしても、この「旧約聖書の割礼」は、「旧約聖書の神」との契約の証、すなわち
「ユダヤ人であることの肉体的な証」の一つとなっており、割礼を受けていない男子は、
神とは契約できない、すなわち「選ばれていない民」ということになるわけですよね。

まあ、そういう「肉体的な証」が、神秘主義の修行に本当に必要なのかどうかは別問題と
して、そういう「精神的な象徴」、すなわち「神との契約により、一皮剥けた男になる」
ことが、この伝統的な「女人禁制」的ネタとなっている「16:塔」のモチーフであることは、
間違いないのではないかと思われます。
0096名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/08(火) 06:06:29.57ID:blKDbI1t
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
The rite of circumcision is of very obscure origin, but it is a practice known to
have been spread by the Egyptians. (*134)
割礼の儀式は非常にあいまいな起源のものではあるが、それは、エジプト人たちにより
広められたことがあることが知られている習慣である。(*134)

Biblical texts show that a number of ideas were involved:
聖書の原句たちは、多くの考え方が巻き込まれていたことを示している:
--- ここまで ---

ちなみに、(*134)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
134. "Circumcision," Dictionary of the Bible, edited by James Hastings, New York,
1963, 163.
134. 「割礼」、『聖書辞典』、ジェームス・ヘイスティングス編、ニューヨーク、
1963年、163ページ。
--- ここまで ---
とあります。

割礼の起源は、おそらく文字のない時代から行われてきた習慣であると考えられている
のですが、その根拠は、はっきりとは分かっていません。
あくまでも推定なのですが、原始文化において「オトナのオトコ」であることを
示すための示威行為の一種として、入れ墨とか派手なピアスとか、そういう「痛み」を
伴う「成人儀式」的なものがあるのではないかと考えています。
まあ、包皮とか耳たぶとかは、無くてもさほど困らない部分ですので、痛みを伴うような
何らかの示威行為には、うってつけの部位なのではないかと思うのでした。

ということで、ユダヤ教においては、この「割礼」が「選ばれた民族」としての象徴的な
宗教儀礼として取り入れられることになり、それが「16:塔」のモチーフにも取り入れら
れているということになっているというわけなのです。
0097名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/10(木) 06:11:16.77ID:ZGBb4LyW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
1) It was related to preparation for marriage.
1) それは、結婚のための準備と関連した。

In the case of the Mysteries, this may be taken to mean what is called by Alchemists
the "Chemical Wedding."
「神秘的教義」の場合においては、これは、「錬金術師たち」により、「化学の結婚」と
呼ばれるものを意味するように受け取られるかもしれない。

2) It was a rite of initiation into a social group.
2) それは、社会的な集団への参入の儀式であった。

3) It was a "redemption offering," as is described in Leviticus. (*135)
3) それは、『レビ記』に記述されているように、「償いの捧げ物」であった。(*135)

4) Most important, it was a token of the covenant between Abraham and God.
4) 最も重要なことは、それは「アブラハム」と「神」との間の契約の印であった。
--- ここまで ---

ちなみに、(*135)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
135. Leviticus, 19.23f.
135. 『旧約聖書:レビ記』19:23以降。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、色々な意見はありますが、ユダヤ教においては、無事に神より授かった子(収穫物)
の体の一部を神への「償いの捧げ物」とすることで神に収穫を感謝するということと、
「神」と新たな「人」との契約という点が、メインとなっているのではないかと思われます。
0098名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/11(金) 06:06:27.80ID:ruRA0SpV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
In ancient terms this meant an agreement between two parties, not as a contract
in the modern sense of the word, but as a bi-lateral pledge of loyalty. (*136)
古代の用語たちにおいては、これは、言葉の現代の意味においての契約としてではなく、
忠誠の相互的な誓約としての、2つの派閥間の協定を意味していた。(*136)
--- ここまで ---

ちなみに、(*136)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
136. Genesis, 7.11.
136. 『旧約聖書:創世記』7:11。
--- ここまで ---
とありますが、これは、『旧約聖書:創世記』9:11以降、の誤記ではないかと思われます。

まあ、これはどういうことかというと、個々の「個人契約」というよりも、血縁や地縁で
結び付けられた「家」や「一族」という「団体保険契約」に近いものであり、部族長である
ノアやアブラハムが、「神」に身も心も、そして「おちんちん」の一部も捧げることで、
「神」との間に一種の奴隷契約、いや植民地契約、いやいや安全保障条約および経済保障
条約を結ぶということになるわけです。

まあ、「選ばれた民」というのは、一種の「虎の威を借る狐」的な意味もあるわけですが、
現在の世界情勢を見れば、そういう隷属的な考え方は、ごくごく当たり前であって、決して
非難されるようなものでもないわけです。
そして、その起源がエジプトにあるのであれば、ユダヤ人がエジプトに隷属していた時代の
名残りなのかもしれませんよね。

まあ、そういう裏側の詮索はともかくとして、宗教的には、「割礼」は「神との契約」の
「証」となるものなのですが、ここで大きな問題、すなわち「おちんちん」の無い人は、
「神」とは契約できないという問題が出てくるわけです。
そして結果的に、このカードは、「女人禁制」にも繋がることになっているわけです。
0099名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/12(土) 07:37:12.14ID:AeRlVaBw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
Thus it may be interpreted that the fall from the Tower, the sacrifice of one's
perception of the sexual function (a symbolic circumcision) is required continually
of mankind to maintain the covenant between Abraham and God, i.e., to maintain
the given Path by which one may return to the Source of All.
したがって、「塔」からの落下という、性的な機能(象徴的な割礼)に属する人の知覚の
捧げ物が、アブラハムと「神」との間の契約を維持するための、すなわち、人がそれにより
「全ての源」に戻ることのできる与えられた「小径」を維持するための、人類に継続的に
要求されると解釈できるかもしれない。

But this is also initiatory; it is a preparation for the Knowledge and Conversation
of the Holy Guardian Angel of Tiphareth.
しかし、これはまた手始めである;それは「ティファレト」の「聖守護天使の知識と会話」
のための準備である。
--- ここまで ---

「16:塔」が「割礼」と結びつくことで、このカードが、アブラハムにより始まる「人類と
神との契約」を意味するという、なかなか面白いことになってきました。

いずれにしても、この「16:塔」が、我々自身の「人格」を構成する最後の「小径」であり、
ここから先は、上位世界である「ティファレト」やそれ以上のセフィロトに繋がることに
なってきますので、ここが入場のための重要な準備段階であることは確かです。

ちなみに、「the Knowledge and Conversation of the Holy Guardian Angel/聖守護天使
の知識と会話」は、ゴールデン・ドーン系の魔術界においては、割とポピュラーな業界用語
であり、要は、「人智を越えた上位の存在」とのコンタクトを個人的に体験するということ
なのですが、当然のことながら、この手の「上位存在」の実態は、「個人的妄想」もしくは
「設定されたキャラクタ」、つまりアニメやマンガによくある「擬人化された萌え娘」と
同等の存在ですので、なんで牡馬なのに「○○娘」なんだ、というような余計な詮索は
暗黙的に御法度となっております。
0101名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/13(日) 07:06:22.28ID:ypIlpWx1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
Interestingly enough, the biblical text calls for circumcision of all male children
on the eighth day of their lives.
大変興味深いことに、聖書の原句は、全ての男の子供たちの割礼を彼らの生涯の8番目の
日に要求する。

The correspondence with the eighth Sephira, Hod, connected to Netzach by the Path
of THE TOWER can certainly be suggested.
「塔」の「小径」により「ネツァク」と接続される、第8の「セフィラ」である「ホド」
との対応関係が、間違いなく示唆されることができる。
--- ここまで ---

生後8日目に「割礼」を行うことの明確な根拠は、『旧約聖書』には述べられていません。
なぜなら、それは「契約書」すなわち『旧約聖書』に書かれていることが「根拠」なわけ
であって、合理的な理由は無いからです。
結果として、その理由についての様々な「憶測」が可能となってきます。

医学的には、生まれたばかりの赤ん坊は、まだ生命力が安定していないので、割礼という
細菌感染という致命的リスクを伴う「儀式」に耐えられるだけの期間は必要だったという
ことで、それの最小期間が8日目であったということぐらいは推定できます。
あと、生まれてすぐであれば、母親からの免疫がありますので、その兼ね合いで、経験的に
生後8日目という期日が設定されたのかもしれません。

いずれにしても、この生後まもなくの、本人の承諾の無い生命の危険を伴う「割礼」の
儀式により、親が息子を「オトコにする」のと「神」との「相互安全保障条約を結ぶ」
ということが、「血の繋がり」を維持するために行われるわけであり、そういうものが、
ユダヤ人の血の繋がりと信仰を強固にしているということも、何となく理解できます。

いずれにしても、こういうものは良し悪しがありますので、一概にどうこう言えるものでも
ありませんが、種族の生存戦略という意味においては、興味深いものだと思うのでした。
0102名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/13(日) 07:56:02.32ID:2jmXK2yO
タロットの解釈にカバラは必要ないよ。

タロットはカードゲームのトランプ(プレイングカード)を原型としたものなので
トランプカードの意味や由来を解釈することが大切。
ユダヤ教におけるカバラはギリシア・ローマの思想を影響を受けたものなのでユダヤ
教徒とは関係がない。これは異端そのもの。

正統派というか普通のユダヤ教信者はキリスト教やイスラム教徒のムスリムのように
聖典と呼ばれる聖書を読み教会に行くものなのでカバラが秘密とか聖典と思っては
いけないだろう。
0103名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/13(日) 08:07:24.91ID:2jmXK2yO
さらに、ユダヤ教やキリスト教の経典の聖書には占いをするものには天罰を下す
という記述があるので、本当に聖書を読んでいるならばタロットなどの占いは手を出さない
ものだ。(唯一の例外はモーセや東方の三賢者達だが)
ユダヤ教でも御神託や占いをしていたような人々はシャバタイ派くらいなものだ。
タロットカードをユダヤ教のカバラで説明することには無理がある。
0104名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/14(月) 05:59:21.47ID:EsahUPPH
>>102
わざわざ、おちんちんの話の最中に割り込んで頂き、どうもありがとうございます。 (^^;;

> タロットの解釈にカバラは必要ないよ。
とりあえず、最初に、確認しておきたいことがあります。
一つは、「タロットの解釈」という意味です。
もし、この「タロットの解釈」の意味が、一般人相手のタロット占いのための「講釈作り」
という意味であれば、「カバラは必要ない」という意見には、特に異論はございません。
もう一つは、>>102さんが使っている「タロット」が、何のカードなのかということです。
もし、クラシック系カードであれば、「必要ない」という意見には、特に異論はございません。

> タロットはカードゲームのトランプ(プレイングカード)を原型としたものなので
> トランプカードの意味や由来を解釈することが大切。
今は、「16:塔」の話をしているのですが、「大アルカナ」は既読スルーですかそうですか。

> ユダヤ教におけるカバラはギリシア・ローマの思想を影響を受けたものなので
> ユダヤ教徒とは関係がない。これは異端そのもの。
実のところ、『聖書』自体も、その当時のその辺りの地域の思想を寄せ集めたもの
ですので、元のユダヤ民族とは関係の無いものも、いっぱい混じっています。
ここで今、ネタになっている「割礼」というのも、元々は「ユダヤ」が発祥のもの
ではなかったわけですしね。
それに、>>102さんは「ユダヤ教徒」と一概に言ってしまっていますが、その中の
レベルの違いを完全に無視していますよね。
カバラに関係していたのは、上級者であった熱心な「ユダヤ教徒」たちです。

> 正統派というか普通のユダヤ教信者はキリスト教やイスラム教徒のムスリムのように
> 聖典と呼ばれる聖書を読み教会に行くものなのでカバラが秘密とか聖典と思っては
> いけないだろう。
なんか、「正統派」とか「普通」という言葉の持つ胡散臭さが、ブンプンしてますね。
そういうのは単なる「教科書的な見方」であって、彼らも我々と同じ人間であることには
変わりはないわけですので、教会に行く以外にも、普通に聖書以外のものも、
読んだり書いたり話したりとか、○○なことも含めて、色々とやっているわけですよね。
0105名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/14(月) 06:04:07.86ID:EsahUPPH
>>103

> さらに、ユダヤ教やキリスト教の経典の聖書には占いをするものには天罰を下す
> という記述があるので、本当に聖書を読んでいるならばタロットなどの占いは手を出さない
> ものだ。(唯一の例外はモーセや東方の三賢者達だが)

このスレでは、占いについての直接的な話は、ほとんど出ていないのですが・・・。
ひょっとして、>>103さんは、タロット占い師なのでしょうか?
もしかすると、「私は聖書などは読まないから、タロットなどの占いに手を出しても、
天罰が下されることはない」とか考えてたりするのでしょうか?

ちなみに、「十戒」などの「禁忌」は、それを破る人が多数いて、そして今でも破る人が
多数いるので、現代においても「価値あるもの」とされているわけですよね。
ワタシは結構「聖書」を読んでいますし、「七つの大罪」にも色々と心当たりがあるわけ
ですが、ワタシ自身は、そういう「天罰」というものは、まだ経験しておりません。
まあ、ワタシは「本当に聖書を読んでいる」という範疇には入らないということなのかも
しれませんが、そもそも「占い」をすると「天罰が下る=神が怒る」という話自体が、
宗教業界のご都合主義のようにも思えますので、すこぶるどうでもいいわけですけどね。

> ユダヤ教でも御神託や占いをしていたような人々はシャバタイ派くらいなものだ。
> タロットカードをユダヤ教のカバラで説明することには無理がある。

ユダヤ人であったミナちゃんの立ち位置についても、考えてあげてくださいねww

ちなみに、「タロットカードをユダヤ教のカバラで説明することには無理がある」の
根拠が何も示されていないと感じるのは、ワタシのせいなのでしょうか?、

※つくづく思うんだけど、32行制限って、きちんと議論するのには不向きですねぇ。
0106名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/14(月) 06:07:12.99ID:EsahUPPH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
The Tower is the phallus.
「塔」は陰茎である。

But this symbolism does not mean in any way that the Path is exclusive to those
functioning in male incarnations.
しかし、この象徴主義は、「小径」が、男性の肉体化たちの中で機能しているそれらの
ために独占されていることを、全く意味していない。
--- ここまで ---

陰茎の肉体化、すなわち「胎児」におちんちんが生えてくるのは、この「16:塔」では
なくて、「マルクト」における肉体化の過程においてです。

つまり、「16:塔」は、見た目は明らかに「おちんちん」ではあるけれども、我々が良く
知っている「男性の肉体に付いているおちんちん」ではないという、微妙な立ち位置に
なっています。
要は、「女性」の精神の内部にある「隠されたおちんちん」の立場を排除しないという
ことなのですが、この辺りの性的なものに関する詮索は、セクハラで糾弾されるおそれが
ありますので、文章にすると、なかなか難しかったりするわけです。

大まかに言えば、「16:塔」は、「火星」の働きによる「パワーの変態」ということになって
いますので、この場において、我々には見えない「男性性のおちんちん」と「女性性の
おちんちん」の両方が、同時に対生成されることになっています。
構図的に、「15:悪魔」と「16:塔」は似ていますし、ざっくりと「使用前」と「使用後」
と捉えることで、その関係性も見えてくるのではないかと思います。

そもそも、双極性の概念である「男性性」は、「女性性」と対にして語らないと、
きちんと語ることは出来ませんからね。
0107名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/14(月) 06:46:29.46ID:HJDpjO9s
そんなオチンチンの話をする人はカトリックにもプロテスタントにもモルモン教徒にも居ませんよ(w

生命の木なるものがユダヤ的でなくてギリシアローマ的でトンデモ独自解釈系だから
カバラなどはユダヤ教ではないですよ。
日本でカバラをユダヤ教の秘教として広めた原因はカルトなので(w

生命の木などというものは聖書には記述はなく、ユダヤ教徒は皆コーランのように
聖書を読む。これが普通の姿です。
イスラム教の世界でもイスラム秘教のスーフィ派ですら攻撃の対象とされるくらい
に異端で問題になっているくらいなのに、さすがにオチンチン説はありえないな(w

>ユダヤ人であったミナちゃんの立ち位置についても、考えてあげてくださいねww

ひょっとして日本人がユダヤ人だと信じているバカな人ですかね。
ちなみに日本人がユダヤ教徒であったことは今の一度もありません。証拠もありません。
日ユ銅祖論は全部捏造です。
0108名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/15(火) 06:01:02.19ID:dAjjKlUg
>>107
あなたって、「ま」でもなく「う」でもない、「と」の人だったんですねww
まあ、オカルトの世界には、「と」の人は多いですからねぇ。

> そんなオチンチンの話をする人はカトリックにもプロテスタントにもモルモン教徒にも居ませんよ(w
このスレでは、英語で書かれた本を翻訳しながら勉強会をやっているのですが、今話題に出ている
「塔はおちんちんである」と書かれている本は、基本的にはキリスト教読者向けですが、それが何か。

> 生命の木なるものがユダヤ的でなくてギリシアローマ的でトンデモ独自解釈系だから
> カバラなどはユダヤ教ではないですよ。
元ネタはともかくとして、カバラを作ったのは、間違いなくユダヤ教徒なんですけどね。
料理は大陸から伝来したから、日本料理なるものは存在しないというトンデモ解釈と同義です。

> 日本でカバラをユダヤ教の秘教として広めた原因はカルトなので(w
今ここでやっているのは、アメリカで書かれ、英語圏の読者向けの本の翻訳ですので、
日本で誰がカバラを広めたかとかいう話は、すこぶるどうでもいい話ですけどね。

> 生命の木などというものは聖書には記述はなく、ユダヤ教徒は皆コーランのように
> 聖書を読む。これが普通の姿です。
> イスラム教の世界でもイスラム秘教のスーフィ派ですら攻撃の対象とされるくらい
> に異端で問題になっているくらいなのに、さすがにオチンチン説はありえないな(w
もしかして、「生命の木」=「おちんちん」であると誤読していませんか?
今のここでの話題は、「塔」=「おちんちん」ということなんですけど。

>> ユダヤ人であったミナちゃんの立ち位置についても、考えてあげてくださいねww
> ひょっとして日本人がユダヤ人だと信じているバカな人ですかね。
ひょっとして、「ミナちゃん」が日本人であるということが言いたいのですかね。
ちなみに、あなたの言う「ミナちゃん」って、具体的には誰のことを指しているのでしょうか?

> 日ユ銅祖論は全部捏造です。
いきなりそんなこと言われても、(´・ω・`)知らんがな
というか、字まちがってるし・・・
0109名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/15(火) 06:05:00.30ID:dAjjKlUg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 171) ---
The Path of Peh exists prior to the point of differentiation of the sexes for
incarnation, and is thus an amalgam of both masculine and feminine energies.
「ペーの小径」は、肉体化のための性たちの区別の時点より前に存在しており、それゆえ、
男性および女性の精力のアマルガム(水銀合金)である。

On this Path one must focus on the male component of the sexual force, as on other
Paths one must deal with its female components.
この「小径」においては、人は性的な力の男性的な構成要素に焦点を合わせなければなら
ないし、同様に、人は他の「小径」においては、その女性的な構成要素を扱わなければなら
--- ここまで ---

つまり、そそり立つ「16:塔」は、「男性性のおちんちん」を象徴するものではあるけれども、
男の肉体にある「おちんちん」そのものではないということであり、そしてこの「男性性の
おちんちん」は男性にも女性にもあるもの、内なる精神の中にあるものである、というのが、
ここでの結論となります。

まあ、「大アルカナ」ですので、すこぶる当然と言えば当然の結論に至るわけですが、
実のところ、「大アルカナ」って、こういう具体的でないというか、かなり主観的かつ
あいまいな解釈となってしまうので、占い、特に他人を占う場合には非常に使いにくい
シロモノであるわけです。
結局のところ、「大アルカナ」の場合は、パターン化した「占い的解釈」を一通り述べて
お茶を濁すことになってしまうわけですが、おそらくクライアントには、何の役にも
立っていないのではないかと思います。(占い自体が役に立つかという話は置いといて。)

とはいえ、自己探求という魔術的な目的に使うにしても、それなりに役に立ってくれるのは
「16:塔」ぐらいまでで、それ以上は、雲の上の世界になりますので、別の使い方というか、
全く違う方向で、主に妄想や空想などのネタとして使っていくしかないのが、ワタシの現状
だったりするわけなのです。
ということで、もっと勉強して応用が広がることを期待して、先に進みたいと思います。
0110名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/16(水) 05:55:38.56ID:grd/7DI7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 172) ---
A male or female body does, however, make some differences in the way one approaches
the lower Paths beneath Tiphareth.
しかしながら、男性もしくは女性の肉体は、人が「ティファレト」の下の、下位の「小径たち」
に接近するという点において、いくつかの違いをもたらす。

Energies are polarized differently in the experience of a Path, according to the
sexuality of the physical vehicle.
精力たちは、肉体的な乗り物の性別に従って、「小径」の経験の中で、異なって偏光させ
られる。

This makes no practical difference in individual working; only in group working
are such polarities of neccessity considered.
これは個人の作業においては、実践的な違いを全くもたらさない;集団での作業において
のみ、考慮される必要のある、そのような極性たちがある。
--- ここまで ---

「neccessity」は、「necessity」の誤植ですね。

「16:塔」は、肉体から離れた領域である「ティファレト」の下位にある「人格」の領域
の存在ですので、まだ「肉体的な乗り物」の縛りからは逃れられません。
とはいえ、「人格」の「小径」の中では、「肉体的な乗り物」からは最も離れています
ので、そう簡単には表に出てくることはないわけです。
まあ、肉体的な「男女」の違いは、見ればわかるわけですが、それでも、その内面にある
「男性性」と「女性性」というのは、そう簡単には区別できないということですよね。

つまり、この「16:塔」においては、そういう表面的な区別ではなく、「火星」に象徴
される「おちんちんパワー」が、「集団での作業」すなわち、「周囲との関係」において、
どのように発現していくのかを、きちんと理解し把握していくことが必要になるわけです。
まあ、「言うは易く、行うは難し」の典型的な例なんですけどね。
0111名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/05/16(水) 05:56:43.18ID:grd/7DI7
さて、盛り上がっていた「おちんちん」カードの話題も、ここで終わりです。
実はまた仕事が超多忙となってきておりますので、少しの間、おそらく1〜2ヶ月
ぐらい、翻訳カキコをお休みしようと思っております。
とはいえ、雑談に応じるぐらいの時間は取れると思いますので、もし何かあれば、
カキコしてもらえると嬉しいです。

まだまだ完結するのはずっと先の話ですので、最後まで、焦らず気負わず、
のんびりとマイペースで行きたいと思うのでした。
0112名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/02(土) 06:03:40.87ID:IhLoy6Z8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 172) ---
26. THE PATH OF AYIN
26. 「アイン」の小径

The Devil
悪魔

The Fifteenth Key
15番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「アインの小径」です。

ここからは、我々が知覚可能である「星幽的三角形」を飛び出し、未知なる領域というか、
人類にとっては禁断であり禁足であるデンジャラスな地帯へと突入していきます。
どれほどデンジャラスかと言うと、一言で言えば「18禁」とか「成人向け」とかと同じよう
な感じで、「人間禁」や「神様向け」という程度に、我々にとっては危険なシロモノです。
つまり、一般人の良い子は、絶対に、袋とじを開けて中を覗いてはならないのです。

さて、この「15:悪魔」のカードですが、その見た目はともかくとして、その下位にある
「16:塔」の「おちんちん」と、「17:星」の「おっぱい」の両者を司る、上位の支配者で
あることは、一目で分かるかと思います。
ただし、その「15→16→17」という小径の流れは、「生命の木」の本流である「燃える剣」
と対をなす「知恵の蛇」の流れに準じていますので、それはそれでまた、危険な「妄想」
が捗るということにもなるわけですよね。

いずれにしても、ここから先は検証不能な領域であるため、どのような議論も不毛であり、
ほぼ全てが「ネタ扱い」となってしまいますので、くれぐれも取り扱いにはご注意ください。
0114名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/06(水) 05:38:28.70ID:s/jOo3ZT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 172) ---
□ PATH COLOR: Indigo
□ 「小径の色」:「藍色(あいいろ)」

□ RELATED SOUND: A Natural
□ 「関連した音」:「Aのナチュラル」

□ SIGN: Capricorn (Cardinal Earth)
□ 「宮」:「磨羯宮(活動宮の地)」

□ MEANING: Eye
□ 「意味」:「目」

□ SIMPLE LETTER: Mirth
□ 「単字」:「歓喜」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Gates of Matter; the Child of the Forces of Time
□ 「秘伝的な称号」:「物質の門たちの主;時の力たちの子」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、人間のものとは思えない獣のような上向きの「目」と、
ヘブライ文字の「アイン」と、「磨羯宮(やぎ座)」の占星術記号、および「生命の木」
における「アインの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

ということで、この「目」はあくまでも上位存在である「悪魔」の持つ「目」であって、
我々人間の「目」を意味するものではないことに注意しておく必要があります。

あと、このカードに「物質的」という意味合いを感じる人もいるかもしれませんが、それは
我々下々の人間が考えるような「物質的」なものだけを意味するものではないということも、
併せて、くれぐれもご留意ください。
0115名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/11(月) 05:58:53.69ID:qfM31G4y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 172) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-sixth Path is called the Renovating Intelligence,
because the Holy God renews by it all the changing things which are renewed by the
creation of the world.
「知恵の32の小径たち」:「26番目の小径」は「更新する知性」と呼ばれており、なぜなら
「聖なる神」は、それにより、世界の創造により更新される全ての変化するものたちを
更新するからである。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です

この「26番目の小径」は、現代宇宙論的に言えば、「真空の相転移」に相当する部分であり、
「虚(バーチャル)」から「物質(リアル)」への遷移が行われるところになります。

そして、物質化の際には、様々な「(悪魔の)力」による「拘束」、つまり「関係付け」が
発生しますので、それが、このカードに象徴的に表されているということになります。
要するに、この「15:悪魔」とは、この我々の宇宙を司る物理法則を支配している根源的な
ものという位置付けですかね。

とはいえ、この分野は、現代においても、まだまだ研究途中のものであって、わからない
ことだらけですので、そう軽々しく現代物理学と関連して述べることも出来ません。
そういうことで、基本的には、妄想と妄言を使って、述べていくことにしましょう。

え、そんな無責任なことでいいのかって?
大丈夫です。
匿名のネットの情報は、昔から無責任なものと決まっていますから。←責任逃れw
0116名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/11(月) 08:26:47.91ID:kUbzY4o9
>>114
タロットカードと西洋占星術には何にも関係性がない。そのデタラメ説はいい加減に
やめるべき。

そのイカレタ、カバラタロット解釈の本など捨ててしまったほうがいい。
バカラーには判らないだろうが、タロットカードには元々キリスト教的な要素が
数多くある。教皇もその一つ。本当にユダヤ教に関係するなら教皇のカードが
モーセなどの預言者であるとか長老会議の長老になっているはずだ。

タロットはユダヤ教のカバラでは絶対に解けないし理解できない。
0117名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/12(火) 06:08:08.86ID:NPauwIaj
>>116
あ、「と」の人の再登場ですかね。 (^^;
再度お聞きしますが、あなたは、どんなタロットカードを使っているのでしょうか?

> タロットカードと西洋占星術には何にも関係性がない。そのデタラメ説はいい加減にやめるべき。
あなたの、その「タロットカードと西洋占星術には何にも関係性がない」という
「デタラメ説」は、何が根拠になっているのでしょうか。
それに、あなたは「タロットカード」って、ひとくくりに言ってしまっているけど、
「タロットカード」って、「カレー」や「ラーメン」みたいに色々な種類や流派があって、
そう簡単には決めつけられない難しさがあるんですよ。
ちなみに、ここは「(魔術)カバラ主義のタロット」を勉強するためのスレですので、
結論だけをまくしたてるのではなく、きちんと筋道を立てて説明してください。

> そのイカレタ、カバラタロット解釈の本など捨ててしまったほうがいい。
日本ではともかく、海外では、割とポピュラーで人気のある本なんですけどね。
まあ、日本のプロの「タロット占い師」で、英語の本が読めるような人は、ほぼ見た
ことはありませんし、それに、日本では、「タロット図解」というトンデモ翻訳本が
普通に売れるような国ですからねぇ。

> バカラーには判らないだろうが、タロットカードには元々キリスト教的な要素が数多くある。
それくらいは、わざわざ言ってもらわなくても知っていますよ。

> 教皇もその一つ。本当にユダヤ教に関係するなら教皇のカードがモーセなどの
> 預言者であるとか長老会議の長老になっているはずだ。
じゃあ、本当にユダヤ教に関係ないのであれば、天地創造も、アダムとイブの物語も、
バベルの塔も、黙示録も、タロットカードとは関係無いってことですかね。

> タロットはユダヤ教のカバラでは絶対に解けないし理解できない。
このスレを、Part1 からきちんと読んでいますか?
このスレで語っている「カバラ」は、「ユダヤ教カバラ」ではないと、何度も言っています。
あなたが英語が読めないのはともかく、せめて日本語を読んでから、カキコしてください。
そうでないと、基本的な部分で、会話が成立しませんので。
0118名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/12(火) 06:35:52.14ID:NPauwIaj
>>117
ちょっと訂正(^^;;

> バベルの塔も、黙示録も、タロットカードとは関係無いってことですかね。

これは、ヨハネの「黙示録」ではなく、旧約聖書の「黙示文学」のことを書こうとして
間違えましたので、訂正しておきます。
0119名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/06/14(木) 05:58:04.49ID:zPZjKSUt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 172) ---
The Path of Ayin, THE DEVIL, connects Tiphareth, the center of the Sun consciousness,
with Hod, sphere of Mercury and of the intellect.
「アインの小径」である「悪魔」は、「太陽」意識の中心である「ティファレト」と、
「水星」と知性の天球である「ホド」を接続する。

The twenty-sixth Path is formative and, in terms of the structure of the self,
is an intellectual bridge between the Personality and the Individuality.
26番目の「小径」は形成的であり、自我の構造の観点では、「人格」と「個性」の間の
知的な橋である。
--- ここまで ---

「Sun consciousness/太陽意識」は、上位存在である「ティファレト」にある「高次の
自我」に由来する「高次の意識」であり、「15:悪魔」は、その「formative/形成的」
な面から、個々の「知性」である下位の「ホド」へと橋渡しする経路となっています。

ちなみに、この「15:悪魔」と対を成す「13:死」は、「Activating/活動的」となって
おり、カードの見た目とその意味付けが、ちょっと違う感じがするかもしれません。

要は、この「15:悪魔」は、見た目とは違って、とても知的で冷静であって、我々の
考えているような下等で野蛮な存在ではなく、我々には手の届かない上位存在であり、
我々を知的な面から上位世界へと導く、神聖なる存在であるということです。
そういう意味では、この「15:悪魔」の姿は、「神の化身」というか、象徴的な「仮面」
であって、我々は実際には決して見ることのできないものであると言うことも出来ます。

とはいえ、何でこのカードの悪魔は、こんなに嫌われそうな姿をしているのでしょうか。
おそらく、「16:塔」や「13:死」のように、「ここから先は、一般人は立入禁止」という
意味も含まれているのではないかと思います。
そして、この辺りの「小径」の意味をきちんと理解できておかないと、高次世界へは、
決して到達することはできないという、一種の「外見的トラップ」という感じですかね。
0120名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/07/18(水) 05:15:27.85ID:9IFfKY/x
多忙ゆえ、長期離脱となってしまい、申し訳ありません。
おそらく、8月中旬くらいには、戻れると思いますので、
いましばらくお待ちくださいませ。 m(_ _)m
0121名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/16(木) 05:33:04.72ID:j2xTQQHd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
Of all the Paths, this may be the most difficult for those rooted in western
cultures to understand, for its interpretation flies in the face of the meaning
which most people have come to attach to the Devil.
全ての「小径たち」の中で、これは、たいていの人々が「悪魔」にずっと配属するに
至っている意味に、真っ向から反抗するその解釈のため、西洋文化に根付くそれらを理解
することは、最も難しいものであるかもしれない。

In Qabalistic terms, the Devil is not viewed as an evil entity having its own
separate existence.
「カバラ主義」の表現においては、「悪魔」は、それ自身が独立した存在を持つ、
悪の実在物とは見なされない。
--- ここまで ---

いきなり、「悪魔」は「悪」ではないという、少々自己否定気味の主張から入りますが、
ここで言うところの「悪」は、悪魔でも・・・いや、あくまでも、たいていの人々が
「悪魔」に対してずっと抱いているイメージ、すなわち一般人向けの宗教的二元論における
単純化された「悪」の概念であって、一般人向けではない、すなわち上級者向けのカバラ
主義の解釈とは全く異なるということです。

要するに、次元の違う話であるということであり、我々は、我々の持つ、従来的解釈の
「悪魔」に関するイメージを、一旦クリアしておかなければならないということです。
その上で、「悪魔は悪ではない」というカバラ的基本原則を、しっかりと頭に叩き込んで
おくことが必要になるわけです。

とはいえ、日本でのカードタイトルは「悪魔」になっていて、文字のイメージが「悪」
そのものですので、日本人にとっては、ちょっと難しいかもしれません。
イメージ的には、「悪魔」よりも「魔王」のタイトルの方が、しっくり来るのではない
かと思われますので、いっそのこと改名してもらった方が、いいのかもしれないですね。
0123名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/17(金) 09:12:17.91ID:X1W1bVKk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
Rather, it represents a special mystery which must be penetrated before one can
directly know the Higher Principle of the Self.
むしろ、それは、人が「自我の高次の原則」を直接知ることができる前に、見抜かれなけ
ればならない特別な神秘を象徴する。

The Devil, which is the adversary, is the Master of manifest form which we must
face and conquer.
敵対者である「悪魔」は、我々が直面し征服しなければならない顕現化した姿の「支配者」
である。
--- ここまで ---

このカードに描かれた、敵対者である「悪魔」の姿は、あくまでも、世を忍ぶ仮の姿で
あって、実のところ、おぞましい下劣なる存在ということではありません。
つまり、この姿形は、我々が「自我の高次の原則」を直接知るための試練というか「ワナ」
であり、その醜い外観のため、ほとんど全ての人々は、我々にとっては最も重要なこの
「小径」を避けてしまうわけです。
つまり、人が外観で物事を判断してしまうということが、ここでの最大の「ワナ」であり、
天界に至る上での、最初であり、かつ最も重要な試練となっているわけなのです。

とはいえ、この世の中に、あまた転がる「悪魔」の石ころの中から、この神秘の原石である
「試練の悪魔」を見抜くことは、全くもって容易なことではありません。
このことは、「15:悪魔」が「ホド」から「ティファレト」へと繋がる「小径」であること
からも、示唆されています。
つまり、ここでは、「知性」の力を完全に成熟させ、それを充分に発揮する能力を保有して
おかないと、次のステップへの挑戦ができないということになるわけですが、まだまだ
「ネツァク」の「感情と本能」が充分に成熟していない状態での「飛び級」ですので、
若干「アスペ気味」となってしまうことは、避けられないと思われるのでした。
0124名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/18(土) 06:05:56.70ID:RX+NuXI7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
Paul Foster Case, in his study course, went farther than any other writer in pointing
to the profound implications of this card.
ポール・フォスター・ケース氏は、彼の学習課程の中で、このカードの深遠な含蓄たちを
指し示すことにおいて、その他の作家よりも、さらに先に踏み込んだ。

He said: "Of all the keys of the Tarot, Key 15 is one of the most important.
彼は言った:「タロットの全ての鍵(大アルカナ)たちの中で、『15番の鍵』は最も重要な
ものの1つである。

It is the symbolic veil for the greatest practical secret of occultism.
それは、神秘学の最も偉大なる実践的な秘密のための象徴的なベールである。

It both conceals and reveals the secret of the powers ascribed by tradition to
Moses, David and Solomon.
それは、伝説によって、モーセ、ダビデ王、およびソロモン王に帰せられている能力たちの
秘密を、隠すものであり明らかにするものでもある。

This is the same great secret Pythagoras learned in Egyptian temple schools.
これは、エジプトの寺院の学校で学んだ偉大なる神秘のピタゴラスと同じである。
--- ここまで ---

ケース氏は、このカードに隠された属性が、地上における歴史上最強の魔術師である、
モーセ、ダビデ、ソロモン、そしてピタゴラスに大きく関係していると述べています。
なぜ、これほどまでに、このカードが「魔術師を目指す者」にとって重要なのでしょうか。

手っ取り早く言えば、このカードの「小径」は、生きたまま「魔術師」が「ティファレト」
の力に到達し、その力を利用するには、最も都合が良いというか、利用価値という点に
おいては、最も実用性の高い「小径」であるということなんですよね。
まあ、だからこそ、「悪魔」の姿形で封印されなければならないものでもあるわけです。
0125名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/19(日) 06:29:01.59ID:xYC2Eamh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
It is the great Arcanum of alchemy and magic.
それは錬金術と魔術の、偉大なる『奥義』である。

To know it is to be able to make the Philosopher's Stone and the Elixir of Life.
それを知ることで、『賢者の石』と『不老不死の薬』を作ることができる。

Yet those who know it cannot tell.
けれども、それを知る人々は『伝えることができない』。

For the essential point is beyond the power of words to express." (*137)
というのは、本質的な点は、表現する言葉たちの能力を越えたものであるからである。」(*137)
--- ここまで ---

ちなみに、(*137)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
137. Case, An Introduction to Tarot, Lesson 8, 5.
137. ケース著、『タロット入門』、第8課、5ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ケース氏の、こういった誇大表現、いやいや「最大級の褒め言葉」は、オカルトの世界に
おいては、よくある定番的な表現なのですが、ここで注意すべきなのは、こういう表現が、
伝統的に忌み嫌われてきた存在である「15:悪魔」に対して使われているということです。
何度も言いますが、カバラにおいては、「15:悪魔」は、いかなる意味においても「悪」
ではないということであって、我々は、その本能的な解釈を根底から覆すことを要求されて
いるわけなのです。
とはいえ、これが何を意味するのかは、『伝えることができない』、つまり本質的なことは
誰も知らないという、雲の上の存在でしかないわけです。
結局のところ、ここは「考えるな、感じるんだ!」以上のことは出来ない領域なんですよね。
0126名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/20(月) 05:54:32.84ID:CUPkHKGI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
Here we understand that we are dealing with a Path on the Tree of Life which is
a transition between the intellect of normal waking consciousness and true spiritual
consciousness.
ここで、我々は、我々が、通常の覚醒した意識の知性と真の霊的な意識の間の遷移である
「生命の木に基づく小径」を扱うことを理解する。
--- ここまで ---

一見して難しそうな文ですが、ここは単に
・「通常の覚醒した意識の知性」=「ホド」
・「真の霊的な意識」=「ティファレト」
・「の間の遷移である生命の木に基づく小径」=「15:悪魔」
であるということです。

ここで重要なのは、我々が最も得意とする「通常の覚醒した意識の知性」の状態から、
「高次の自我」へと進めるということであり、実用的かつ実践的な魔術にとっては、実の
ところ、ここが最も重要な「小径」となるわけです。(根拠の無い断言!)

やっかいなのは、そういう「効果的」なものには、必ず「副作用」が伴うということで、
きちんと「錬金術における象徴的な等価交換」なるものを準備しておかないと、後々
ひどく後悔することになりがちなのです。
そうならないように、「魔術師」を目指す者は、「通常の覚醒した意識の知性」をフル活用し、
周到な準備をした上で、この「15:悪魔」の「小径」へと踏み入れる必要があるわけです。
そして、「上位世界」を旅することで得られたものは、この地上界においても、何かの役に
立つものとなる可能性の高いものですので、再び「通常の覚醒した意識の知性」をフル活用
して、それを分析することが大事なのです。

そう、この「15:悪魔」の「小径」の領域は、「科学研究」の領域に重なります。
そういう意味でも、現代を生きる我々にとっては、とても重要な「小径」であり、難解では
ありますが、きちんと理解しておきたい「小径」でもあるわけですよね。
0127名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/21(火) 10:05:33.36ID:92Ctwdu/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
There are three Paths leading directly into Tiphareth: THE DEVIL, TEMPERANCE and DEATH.
「ティファレト」へと直接導く3つの「小径たち」がある:「悪魔」、「節制」、および「死」。

Each of these Paths represents a special trial.
これらの「小径たち」の各々は、特別な試練を表している。
--- ここまで ---

我々が、我々の住まう世界である「低次の自我」の領域から、「高次の自我」の世界へと
昇ることのできる登山ルートは、「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の3つが準備されており、
『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』にも、解説されています。

この3つの登山ルートですが、それぞれに特徴があり、そして誰もがそれを利用できるという
ことではありません。
ちなみに、オカルト界で最も人気のあるのは「14:節制」であり、そして誰もが一度だけ
経験可能なのが「13:死」であり、そして感覚的というか見た目的に最も敬遠されがち
なのが「15:悪魔」ということになっているわけです。

さて、「15:悪魔」ですが、「生命の木」において「13:死」と対になっているカードであり、
「死」に対して「生」の属性、つまり象徴的な「生殖行為」という「エロネタ」を多く含み
そうに見えるために、どうしても誤解されやすい性質を持ちます。
要は、死んで昇天するのが「13:死」であるのなら、生身のままで昇天するのが「15:悪魔」
ということで、この点で、どうしても「エロネタ」のバイアスがかかっていまうわけです。

とはいえ、「15:悪魔」の根にあるのは「ホド」ですので、実際には「エロ」成分は全く
含まれておらず、どちらかというと、覚醒したままの「知性」を足がかりにして、つかみ
どころのない「高次の世界」を探究するといったような感じですかね。
そういう意味では、思ったよりも学究的というか、論理的な部分をまだ多く残している
状態、つまり「生きたまま」の状態を保ったままで、上位世界へと少しだけ旅することが
可能な、唯一無二のルートとなる可能性を持っているということになるわけです。
0128名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/22(水) 08:54:55.18ID:FC6rxCF/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
But it must be reiterated that the student is not required to travel all three Paths.
けれども、学徒は、全ての3つの「小径たち」を旅することを要求されていないことは
繰り返し述べておかなければならない。

Those who choose the devotional Path of the Middle Pillar need deal only with
TEMPERANCE, leading from Yesod to Tiphareth.
「中央の柱」の信仰の「小径」を選ぶ人々は、「イェソド」から「ティファレト」へと
導く「節制」のみを扱う必要がある。

Yet the choice of following each and every Path means the acquisition of control
over the energies which each Path symbolizes; every Path confers a unique power.
けれども、以下のどの「小径」の選択であれ、各々の「小径」が象徴している精力たちの
支配の獲得を意味している;全ての「小径」は、独特な「能力」を授与する。
--- ここまで ---

「低次の自我」の状態から「高次の自我」の状態へと遷移する方法は色々とあるけれども、
人それぞれに能力とか適性とか趣味趣向の問題とか、まあぶっちゃけ言うと脚本上の進行の
都合というオトナの事情もあるため、とりあえず、いずれかの一本、できれば空気を読んで
「14:節制」を選択してもらうと嬉しいなぁ、ということですよね。

でもまあ、このオトナの事情は、クリスチャン・カバラの流れをくむ「薔薇十字団」を
ベースとした「ゴールデン・ドーン」にとっては、極めて重要な選択ではあるわけです。
とはいえ、「ゴールデン・ドーン」とは無関係な我々は、どの「小径」を選択しても、
それば自己責任です、というか、どれを選んでも大して関係ないというか、まあどうせ
「ティファレト」には到達できるとも思えませんので、好きなものを選んでチャレンジ
してみるというのも、人生の悪あがきとしては悪くないなぁ、と思うのでした。

とりあえず、ゴールデン・ドーンの教科書通りに進みたい人は、「14:節制」を選んで
もらうのがいいと思いますが、私は、「15:悪魔」から攻めてみようと思うのでした。
0130名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/23(木) 05:53:18.53ID:FjEtpsqh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
On the other hand, to travel the Middle Pillar means to understand and balance,
within the Self, the energies of all twenty-two Paths.
その一方で、「中央の柱」を旅することは、「自分自身」の内において、全ての22の
「小径たち」の精力たちを理解し、釣り合いを取ることを意味する。

The difference here is that one can understand these (conceptual) aspects of
consciousness, without necessarily developing the ability to manipulate these
same energies.
ここの違いは、人が、これらと同様の精力たちを操作する能力を必ずしも開発すること
なしに、意識のこれらの(概念的な)面たちを理解できることである。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンのアデプタス・マイナー(小達人)への昇級儀式である「予備門儀式」
において、「ティファレト」へと至る全ての「小径」の知識が伝授されます。
そして、その最後に伝授される「小径」が「14:節制」となっており、実質的には、ここが
「ティファレト」へと至る経路として、公式認定されています。
それまでには、それ以外の「小径」も全て伝授されているわけですので、順番から
行けば「ネツァク」から「ティファレト」へと至る「13:死」の「小径」を使うのが順当と
思われるのですが、残念ながら、危険だからという理由で、通行禁止です。
同じように、「ホド」から「ティファレト」へと至る「15:悪魔」も通行禁止です。

まあ、「イェソド」から「ティファレト」へと至る「14:節制」というのは、言ってみれば
この世を完全に理解し操作することが出来ない我々にとっては、「近道」であるわけです。
そしてその手法は、他力本願的な信仰と祈り、すなわち「あなたのこと絶対信じてる!」、
そして「おねがい!」という、あの「白い悪魔」の戦略そのものなんですよね。
さらに言うと、その戦略は、あの「ママ」からの厳しい教育の賜物でもあるわけで、
そういう厳しい試練を乗り越えて、受け継いだ者だけが、大いなる力を呼び起こし、
この世界を破滅に導くことが、いや救うことが出来るということなのでした。
0132名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/24(金) 18:01:56.75ID:6awIrdjZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
It might be said that what differentiates the student magician from the Catholic monk is a
greater level of curiosity.
カトリックの修道士と学徒の魔術師とを区別するものは、好奇心のより大きな段階であると言われる
かもしれない。

Some, of course, come to occult studies through a desire for raw power, but quickly learn
that if such power is acquired and misused there is a devastating price to pay.
もちろん、いくらかの人たちは、未開発な力の欲望を通じて神秘学の研究室たちに来るけれども、
迅速な習得は、もしそのような力が獲得され、そして誤用されれば、支払うべき代償は破滅的な
ものになる。
--- ここまで ---

宗教家と魔術家の違いというのは、どちら方面に関心があるのか、という点にあると思います。
つまり、大学受験で、文学系や法学系や経済系、もしくは理系のどの方向に進むかという、人生に
おける選択に近いものがありますよね。
ちなみに、私の勝手なイメージでは、宗教は文系で、魔術は理系に近い感じを持っています。

とはいえ、どの職業を選んだとしても、物事をよく理解しないままで、早急に物事を推し進めようと
すれば、失敗して大きな代償を支払うハメになるのは、同じようなものだと思いますし、ぶっちゃけ
言えば、魔術の学習において、「もしそのような力が獲得され」る可能性は、微塵も無いわけです
ので、そもそもそのような「真面目な心配」は、杞憂なのです。

まあでも、魔術そのものが、他の学問と比べて特別に危ないというわけではないんですが、どちらかと
いうと「元々危ない人々」が魔術に興味を持つことは、割とありそうな気がしますので、そういう
危ない人々を呼び寄せないようにするためにも、「魔術」に「危ない」というイメージを植え付ける、
すなわち、「15:悪魔」のカードのデザインにすることは、納得できるような気もします。

そう、「君子危うきに近寄らず」が一番なのですが、実は私は、そういう危ないものに、引き寄せ
られる「元々危ない人々」の一人であったりするわけなのでした。(自爆)
0133名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/25(土) 08:19:11.16ID:8eZ+hBZG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
There is no question that the devotional-meditational Path is a much safer one
than the magical Path.
信仰と瞑想の「小径」が、魔術的な「小径」よりも、ずっと安全なものであることは、
疑問の余地は無い。
--- ここまで ---

下界から「ティファレト」へと至る「13:死」「14:節制」「15:悪魔」のうちで、どれが
「安全」で、どれが「危険」かと言われれば、一般人にとっては、どれもが近寄りがたくて
「アブない」シロモノではあるわけですが、その中では、まあ一番マシかな、と思われる
ものが、「14:節制」であるということです。

そして、「14:節制」を通るためには、「13:死」と「15:悪魔」のパワーも必要とされる
わけですので、それゆえ、ゴールデン・ドーンのアデプタス・マイナー(小達人)への
昇級儀式においては、最後の切り札とされているわけですが、いずれにしろ、ここでも
道を踏み外してしまえば、人生の転落の危機に直面するのは、確かですので、
高みに登るには、途中で崖から落ちたりするような、それなりの危険が伴うことは、
覚悟しておいた方がいいわけです。

とはいえ、ワタシはゴールデン・ドーン系の魔術師ではありませんので、「ティファレト」
へと至るとか、「アデプタス・マイナー」を目指すとかいう、そっち方面の、つまりは、
「高い方を目指す」というようなマウンティング系の欲望は、全く無いわけでして、
どちらかというと、知的好奇心というか、もっと楽しめるものを探っていきたいという
ような、興味本位の気持ちですので、そういう意味でも、より下界に近い「15:悪魔」の
「小径」の方が、ワタシの俗的な興味の対象になっているわけなんですよね。

というわけで、これからも、どちらかというと「下から目線」で、魔術カバラの世界を
探究していこうと思っているのでした。(←超俗物的発言w)
0134名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/27(月) 17:58:26.95ID:4cS8TVjY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
That which is symbolized by THE DEVIL is, in fact, raw power.
「悪魔」により象徴されるそれは、実のところ、未開発の力である。

It is the force which brings about the transmutation of THE TOWER, a fact underscored
by the relationship of this card to Mars: THE DEVIL is the sign Capricorn in which
Mars is exalted.
それは、実際には、このカードの火星との関係により強調される、「塔」の変成をもたらす
力である:「悪魔」は、「火星」が高められるところ(高揚)の、「磨羯宮(やぎ座)」の
宮である。
--- ここまで ---

ここでは、「raw power」を「未開発の力」と訳していますが、未分化とか未精製とか、
とにかく「ナマモノ」という意味であり、不純物とか不要物とかノイズとか、とにかく
色々と我々の利用を邪魔するものを含む状態での「力」となっています。

なんでそんな「未開発の力」という形で出現しているのかというと、その姿こそが下界に
顕現した時に「見える姿」であって、決して「我々の誰もにとって、わかりやすい(天使の
ような)姿」では、この下界には出現しないということを表しているわけです。

そして、その「力」は、活性化された「火星」のパワーにより励起された「16:塔」に
強く関係付けられたものであるということです。
つまり、「13:死」と「15:悪魔」と「16:塔」で出来た、黙示文学的なトライアングルは、
「人格」を形成する「星幽的三角形」から「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」への、
最凶のワープポイントとしての、重要な働きを持っているということなんですよね。

まあ、一般人にとっては、あまりにも支離滅裂で危険な場所ですので、普通はここには
立ち入らずに、安全な「14:節制」の「小径」を通ってください、という話になっている
わけですが、まあ、他には無い神秘探検を味わうことのできるミステリースポットでも
あるわけなのでした。
0135名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/28(火) 06:35:45.79ID:q679baHu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
This is a weighty, even blind, sign of Earth, one which symbolizes both the highest
and the lowest.
これは、重々しく、さらに盲目的でもある、「地」の宮で、最高と最低の両方を象徴して
いるものである。

Yet it is considered a sign of initiation, or release from the limitations of matter.
にもかかわらず、それは、「秘儀伝授」、もしくは物質の制限たちからの開放の兆候と
考えられている。
--- ここまで ---

「悪魔」の「磨羯宮(やぎ座)」が、思いっきり貶めて、その後で、思いっきり持ち上げ
られていますが、要は、「悪魔」に対する評価は、完全に二分されているということで
あり、「一般人向けの解釈」と「上級者向けの解釈」が存在するということですよね。

要するに、「raw power/ナマモノの力」を利用できる人のみが、その恩恵に与れると
いうことであり、そうでない人にとっては、役に立たないどころか危険でもあるわけ
です。

このため、「ホド」に関連する知識を持たずに、興味本位でこの「小径」に近づく者は、
ことごとく「悪魔の毒気」にやられて、毒沼に落とされることになるわけですが、実は
それが「毒」ではなく、「未精製の薬」であることに気づいた者だけが、「上位世界への
切符」を手に入れることが出来るということになるわけです。

まあ、口で言うのは簡単ですが、実際に「ホド」を極めることは、そう簡単ではありま
せんし、出来る人がいるとも思えません。
でもまあ、地上では泥沼化しがちの「悪魔」であっても、その状態をそれなりに楽しむ
ことが出来る、ごく一部の「ド変態ども」は、「悪魔」の持つ、もう一つの「裏の顔」
というか「真の姿」を、垣間見ることが出来ているのかもしれませんよね。
0136名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/29(水) 17:41:38.87ID:UpMZYehL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 173) ---
It is limitation that is suggested by the rulership of Capricorn by Saturn, the
planet of Binah, the Great Mother.
「大母」である「ビナー」の惑星である「土星」による「磨羯宮」の支配により示唆される
ものは、制限である。

Capricorn governs the limitations of form, whether that means the enclosure of matter
or of time, the artificial system by which we meter and enclose all activities.
「磨羯宮」は、それが物質もしくは時間の囲い込みを意味しているかどうかにかかわらず、
我々が全ての活動たちを計測し囲い込むことによる人工的な体系である、形の制限たちを
支配する 。
--- ここまで ---

結局のところ、「15:悪魔」には、「火星」とか「磨羯宮」とか「土星」とか、色々なもの
が混沌として混じり合っているので、下界に住む人間にとっては、なかなか理解しづらい
シロモノとなっています。
いちおう基本となっているのは、知性の「ホド」と天上界の「ティファレト」との架け橋
という名目なのですが、まるで異なる属性どうしを繋いでいるわけですので、単純明快に
理論立てて説明できるものでもないというのが、やっかいなところです。
まあ、言い訳ばかりしててもしょうがないので、その「基本原理」について、ここで語られ
ていますが、それは「人工的な体系による、形の制限」、すなわち上位世界を下位世界に
引き下ろすための「基本原理」、まあ端的に言えば、「上(霊)の如く、下(精神・肉体・
物質)も然り」ということになるわけで、それを具体的に表現しているのが、この「悪魔」の
「上と下を指すポーズ」なのです。

要するに、この「悪魔」は、我々のすむ物質界の直接的な「創造主」の一つであって、
そういう意味でも「神」そのものではあるわけですが、その顔は「仮面」に覆われ、その
姿は獣となっているという、結構不思議なことになっているんですよね。

そう、「15:悪魔」って、闇に隠された神秘の臭いが、プンプンするカードなのです。
0137名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/30(木) 17:43:52.88ID:LrD1K8So
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
The Devil represents the average person's misperception of reality, the belief
that our material condition is "real" in the true sense of the word.
「悪魔」は、現実についての平均的な人間の誤認識、つまり、我々の物質的な状態が言葉の
真の意味における「現実」である、という信念を象徴している。

This misperception is symbolized here in two ways: First, the Devil is intended
to be seen as a humorous figure, the bogey-man of our collective childhood.
この誤認識は、ここでは2つの方法で象徴化される:第一に、「悪魔」は、滑稽な容姿で
あり、我々の集合的な幼年期のブギーマンのように見られることを意図している。
--- ここまで ---

「bogey-man/ブギーマン(怖い化け物)」というのは、日本昔話で子供を怖がらせる
「なまはげ」みたいな怪異であり、そして「泣いて親を困らせる子」とか「親の言うことを
聞かない子」を矯正してくれる、どちらかというと邪悪というより神聖なる存在なのです。

さて、最初は何の知恵も知識も持たなかった人類は、この地上において見えるもの、感じる
ものだけが、この世界の全てであり、それが「現実」でもあったわけですが、実際には、
この大地である地球は、自身で自転したり太陽の回りを公転していたりするわけです。
つまり、何も知らなかった人間は、「大地は不動である」とか「地球がこの宇宙の中心で
ある」というような、「天上天下唯我独尊」という悪魔、もしくは魔術師のポーズでもって、
この世界の誤認識をするわけです。

でも、この地上だけではなく、天に目を向けた一部の賢い人々は、その「天体」の動きの
中から「地動説」を生み出し、そして「天球上の天体の動きと、地上でリンゴが落ちる現象
は同一である」という、上位レベルの「上の如く、下も然り」を認識できるようになったの
ですが、残念ながら、同じように天に目を向けた多くの賢くない人々は、その「天体」の
動きの中から「星占い」を生み出し、地上界における下世話なネタに走っているのが、
オカルト界の現状なのでした。
0139名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/08/31(金) 17:53:41.25ID:7ow0EZcj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
Our belief in the illusion of matter created by the energies symbolized in this
card is actually laughable, and it is here more than implied that laughter and
good humor about our lives is a tool which will help us to transcend the illusion.
このカードにおいて象徴される精力たちにより創造される物質の「幻覚」という我々の信念は、
本当におかしくて、そして、我々の生活についての笑いと良いユーモアが、我々が幻覚を
超えることを手助けするであろう手段であることが、ここに暗示されている。

We must learn not to take our perceptions of the material world seriously.
我々は、物質的世界の我々の認知たちを真面目に受け入れないことを学ばなければならない。

Mirth is the first great corrective.
笑いは、第一の偉大なる矯正手段である。
--- ここまで ---

「悪魔」の姿は、未熟なガキ共にとっては、そのままで恐怖と畏敬の対象ではありますが、
オトナな人にとっては、もはや「現実」ではない空想ギャグでしかないわけであって、
ここは、一種の「お笑いネタ」として、笑い飛ばすことが必要だということですね。

まあここは、我々は「我々が肉眼で見ているものを、そのまま信用してはならない」という、
ごく当たり前のことを言っているわけですが、そういう「ごく当たり前」のことが、人類は
出来てこなかったし、これからもおそらく出来ないであろうということなのです。

それでも、「ホド」に接近できた、ごく一部の知恵ある人々は、「肉眼」と「脳内妄想」の
限界に気づいて、お笑いネタでしかない欠陥だらけの「肉眼」に変わる「新たな目」を
発明することで、それにより新たなビジョンが得られるようになってきてはいます。

とはいえ、そういう新たなビジョンと言えども、まだまだ真剣に信じるわけにはいかない、
新たな「お笑いネタ」の一つでしかないわけで、いつまで経っても、人類は「お笑い」の
底なし沼から抜け出せないというのも、お笑いネタの一つなのでした。
0140名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/01(土) 07:58:35.78ID:PGFeMeHl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
Second, our misperception of the real nature of things is suggested by the inverted
Pentagram on the Devil's head.
第二に、物事の現実の性質についての我々の誤認識は、「悪魔」の頭の上の倒立した
五芒星形により示唆される。

The sacred symbol of mankind, turned upside down, means that most people's vision
of the world and its relationship to a spiritual reality is itself upside down.
上下逆にされた、人間の神聖なる象徴は、世界の大多数の人々の視覚と、その霊的な現実
との関係が、それ自身逆さまであることを意味している
--- ここまで ---

真の「現実」と向き合うためには、まずは「無知」なる肉体から引き起こされる本能的な
「恐怖心」を拭い払いうために、とりあえず「聖なるお笑い」に走ること。
そして、その次に、人間の基本的な性質である「無知から来る誤認識」を、自分自身の特性
として、しっかりと自覚しておくということです。

つまり、この地上において「唯我独尊」状態の人間、というか、まあ、ほとんどの人間は、
自分に対して甘くて、「オレは悪くない」とか「ワタシは正しい」とか言ってるのが普通
なので、そうそう「身の程をわきまえた、お笑い人間」なんていないのですが、もしいると
すれば、そういう人は、この「15:悪魔」の本質についても、少しは理解できるかもしれない
ということですよね。

さらに言うと、「15:悪魔」の本質に触れるには、「ホド」に到達する必要があるわけですが、
「身の程をわきまえた、お笑い人間」であれば、謙虚に色々と学んで人間的に進化していく
ことが可能ですので、「ホド」に到達することは、それほど難しくはなさそうです。

まあ、いずれにしても、現状のオカルト界の人間のほとんどは、この「15:悪魔」の関門を
越えることは無理というか危険というか、まあおそらくは無縁の存在ですので、ここは
アンタッチャブルな領域として近づかない方が良いかと思います。
0141名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/02(日) 06:14:50.44ID:r1yuM/mV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
And the meaning of the letter Ayin, eye, means that the lesson of this Path is a
reorganization of perspective, a new vision of things.
そして、「アイン」の文字が意味する、「目」は、この「小径」の学課が、見方の再編、
物事の新しい視力であることを意味する。

Eye symbolizes both our acceptance of what we see in the sensory world as real,
and the greater vision which comes through the use of the inner eye.
「目」は、現実としての感覚の世界、そして内なる目の使用を通じて来るものより大きな
視力において私達が見るものの両方の我々の受諾を象徴する。
--- ここまで ---

我々の通常の生活は、自分自身の肉体的な感覚器官である「目」および総合的な情報処理
器官である「脳」から成る「視力」、すなわち「物事を目で見て、脳で認識する能力」に
よって、もたらされる情報に、かなりの部分で依存しています。

もちろん、我々が生活していく上では、それなりに重要であり利用価値の高いものでは
ありますが、より上の世界に行くには、致命的な能力不足というか、現状の能力レベル
では、誤認識してしまい、全く役に立たないレベルであることは、間違いありません。

要するに、ここから先は、「外なる目」と「内なる目」の、その両方の格段のレベルアップ
が必要ということが、この「15:悪魔」が示唆していることになります。
そして、この現実的な努力を要求する点が、「14:節制」や「13:死」とは異なる部分であり、
その点では、努力のしがいがある「小径」であるとも言えますし、少なくともワタシに
とっては、他の「小径」よりも、わかりやすく、親しみやすいということなわけです。

まあ、そういう意味では、「勉強も努力もせずに、楽して成仏したい」と願う一般の人々に
とっては、あまり親しみを持てない「小径」であるとも言えるわけですが、そもそも根っこが
「ホド」ですので、そもそも一般の人々は、「悪魔」の足元にもたどり着けないというのは、
確かなんですけどね。
0142名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/11(火) 09:09:50.69ID:ztOW4o0j
ゴミ入れです。
0143名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/11(火) 09:10:30.25ID:ztOW4o0j
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
To accept what our physical eye tells us is to be subject to illusion and bondage,
a state symbolized in the Golden Dawn and Waite cards by the chained figures.
我々の肉体的な目が我々に伝えるものを受容することは、幻覚と束縛に従属していること
であり、鎖でつながれた人物たちによってゴールデン・ドーンとウェイト氏のカードに
おいて象徴される状態である。

The figures are horned to show that they are, however unwittingly, the servants
of this comical creature.
人物たちは、彼らが、どんなに知らず知らずに、このふざけた生き物の従者であることを
示すために、角を付けられている。
--- ここまで ---

目に見えるものだけしか見ていない人々は、しょせんそれが「脳内幻想」であることも
知らずに、永遠に「大地が不動」のものであり、そして「自分が世界の中心である」と
いう未開人と同等の思い込みからは、逃れられない運命にあります。

そういう「肉体的な幻覚」の束縛から逃れるためには、「肉体的な目」だけに頼らない、
より広い視野と次元を持てるよう、自らの「拡張された知的脳内世界」を開発し、構築
していく必要があるわけです。

まあ、ほとんどの人にとっては、そういう知的な拡張作業は想像もつかないようなこと
であるために、この「小径」を真に理解できる人は、かなり限られてきます、
つまり、ごく一部の才能に恵まれた人々のみが、この「小径」の真の恩恵を受けて、
その先にあるものを知ることが出来るということなんですよね。

そもそも、一般人が、この手のものにうかつに近づくと「トンデモ」や「似非」に絡まれて
道を外れることは必至ですので、「15:悪魔」の姿に象徴されるように、なるべく関わら
ない方が身のためだと思うのでした。
0144名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/12(水) 06:39:55.07ID:EH+XIvUd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
One primary statement of this Path is that the Devil does not exist as he is
postulated by the ignorant.
この「小径」の1つの主要な声明は、「悪魔」は、彼が無知な人々によって仮定される
ような存在ではないことである。

As is written in the Emerald Tablet: "all things were from One, by the meditation
of One," meaning that there is nothing in the universe not of God, including the
so-called Devil.
エメラルド・タブレットの中に:「全ての物は『唯一(神)』から、『唯一(神)』の
瞑想により、存在する」と書かれているように、いわゆる「悪魔」と呼ばれるものを含む、
「神」の無い宇宙というものは無いことを意味している。
--- ここまで ---

無知な人々によって仮定されるような存在、つまり、よくあるタロット占いにおいて
「15:悪魔」に割り当てられているような俗物的な属性は、「カバラ主義のタロット」に
おいては、ほぼ完全に否定され、絶対的な「創造神」に近い存在として再定義されます。

これは、従来の「タロット占い」が間違っているという意味ではなく、カバラ系タロット
においては、従来の解釈とは全く異なっているということであり、そういう意味でも、
カバラ系タロットであるライダー版やトート版を、何も知らずに従来の解釈のままで使って
いる人を見ると、ミソクソ的な違和感しか無いわけなんですよね。

それはともかく、「ティファレト」からの流下路である「13:死」「14:節制」「15:悪魔」
は、いずれも「天地創造」に密接に関わる「小径」であり、様々な状況において、下界に
間接的な影響を与えています。
我々のような一般人が、それを直接感じることは、そう簡単ではないとは思いますが、
きちんと勉強していくにつれて、少しずつ理解できるようになってくるのでしょう。
0145名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/15(土) 08:19:53.44ID:5WrsWv/v
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
The card contains one of the greatest mysteries of the Qabalah, which is that the
Devil is the necessary means of reaching the Christ-Buddha consciousness of Tiphareth.
カードは、「悪魔」は「ティファレト」の「キリストーブッダ」の意識に到達するための
必要な方法であるという、「カバラ」の最も偉大なる秘法の1つを含む。
--- ここまで ---

カバラ系タロットにおいて、従来の解釈とは全く異なっているものの一つが、この
「15:悪魔」です。
「13:死」や「14:節制」と並んで、この「15:悪魔」が、この下界と「高次の世界」である
「ティファレト」を結ぶ「生命の木」の「小径」の一つに配属されているという点であり、
それゆえ、従来とは全く違う視点で、再解釈されなければなりません。

従来の「悪魔」が「下界と、さらなる下位世界である地獄とを結ぶもの」であったという
ことであれば、カバラの「悪魔」は「下界と、上位世界である天界とを結ぶもの」である
という、見た目に似ているげども、実は全く正反対の解釈となるわけです。
何でこんな「ツンデレ的解釈」になっているのかというと、その理由の一つして、間違い
なくド変態ども、いやいや魔術上級者たちの趣味というものがあると思います。

「15:悪魔」を立ち位置的に見ると、両性具有かつ中立的な「14:節制」を中心にして、
「Force/力」の「ネツァク」から「Activating/活動的」の「13:死」が上に伸びるのに
対し、「Form/形」の「ホド」から「Formative/形成的」の「15:悪魔」が上に伸びると
いう形であり、どちらかというと「13:死」が精神的・男性的で、「15:悪魔」が物質的・
女性的な面を持っています。
要は、この「15:悪魔」は、その醜い仮面と衣装を脱ぎ捨てると、天と地を結び付ける
偉大なる女神であるという可能性が、微粒子レベルで存在するということです。

そういう意味でも、この「15:悪魔」は、究極の「ツンデレ」的な存在であり、こういう
シチュが好きな人、いやいや「カバラ」の最も偉大なる秘法を理解する者にとっては、
とても魅力的なカードとして映るのでした。
0147名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/16(日) 10:57:44.58ID:1tS3mG6W
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
Described variously as the "source of the forms and appearance of relative existence,"
and as the "Lord of the Gates of Matter and Child of the Forces of Time,"
the Devil is both the Tempter and the Redeemer.
「相対的な存在の、形たちと外観の源泉」のように、そして「物質の門たちの主と、時の
力たちの子」のように、様々に記述される、「悪魔」は、(悪い)誘惑者と救世主の両方
である。
--- ここまで ---

この「15:悪魔」は、上位世界と下位世界の間の「相対性理論」、いや「相対的存在理論」に基づく
「物質化」に関係する機能を全面的に受け持ちます。
そういう意味では、我々にとっては、決して忌み嫌うような存在ではなく、むしろ物質的な恵みを
与えてくれる、とてもありがたい存在であることは間違いありません。

とはいえ、「人はパンのみにて生くる者に非ず」と言われるように、物質的な面だけの存在では
ありませんが、それでも、この言葉は、「パン=物質」の価値を否定しているわけではありませんし、
むしろ、人間には物質的なものも重要であり必要不可欠であることを表しているわけです。

まあ、一部の宗教業界やオカルト業界では、商売上の理由で、こういう「物質的な恩恵」については、
ことさらに否定することもあるのですが、魔術カバラの「生命の木」理論においては、これらを
否定的に捉えるのではなく、この直前の文にあるように、「カバラの最も偉大なる秘法」であると
認識されているわけです。

そもそも、「魔術カバラ」というものは、いわゆる空理空論ではありますが、実はとても
現実的であり実用的なものなのです。
だからこそ、その隠された謎を解いて「物質的に豊かになりたい」と願う人々を引きつける
「誘惑者」であり「救世主」でもあるわけですよね。
0148名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/20(木) 18:11:35.31ID:xQiHXAJJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
He is also described as the "Prince of the Powers of Air," indicating that this
energy is mediating in the flow of Astral currents.
彼はまた、「空気の力たちの王子」と記述され、この精力が「星幽的」流動たちの流れを
調停していることを示す。

Air is to be understood here as the whole of Yetzirah, the Astral Plane which
controls the ebb and flow of matter.
「空気」は、ここでは「イェツィラー界」の全体として理解される必要があり、物質の
引き潮と上げ潮を支配する「星幽面」である。
--- ここまで ---

「悪魔」に対する「Prince of the Powers of Air/空気の力たちの王子」という記述は、
正確には「the prince of the power of the air/空中の権威を持つ支配者」(『新約聖書:
エペソ人への手紙』2:2、新改訳)となっていますが、これは「悪魔」が、「天界」より
下、すなわち空中から下にある「下界」全てを、あまねく支配していて、誰もその支配と
束縛から逃れることはできないことを表しています。

そして、「15:悪魔」は、「生命の木」の「イェツィラー界(形成的段階)」という、
上位の精神的・自我的な「星幽面」の存在であって、下位の物質的・肉体的な「アッシャー
界(物質的段階)」を完全に支配しているというわけですよね。

つまり、「15:悪魔」は、アンダーグラウンドの世界に住まうクリーチャーの如くに
忌み嫌われたり討伐されるようなものではなく、この地上界の存在全てを支配下に置く、
いわゆる「全知全能の神」そのものであって、そういう意味でも、この「15:悪魔」とは、
我々が「現世利益の神」として最も崇拝するシロモノであると言えるわけですよね。

まあ、それゆえに、正統派の「○○○○教」からは、「悪魔」呼ばわりされる存在ではある
わけですが、我々からは、そのような「現世利益」を排斥する姿勢こそが「悪魔じみた行為」
にも見えてしまうわけなのでした。
0149名無しさん@占い修業中
垢版 |
2018/09/21(金) 07:12:25.24ID:DOFywUB1
実はまたまた公私にわたり多忙となってきましたので、
数ヶ月程度、翻訳カキコをお休みしようと思います。
それでも、雑談に応じるぐらいの時間は取れると思いますので、
何か言いたいことがあれば、カキコしてもらえると嬉しいです。
0151名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/01/01(火) 07:00:41.70ID:lPqNG8fo
新年早々の保守カキコでございます。
今のところ、2月から復帰の予定ですので、
いましばらく、お待ちください。m(. .)m
0152名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/03(日) 07:50:01.88ID:Zn/m8oZF
多忙ゆえ、まだ復帰できそうにありません。 (. .)
3月末までには、復帰したいです。(願望)
0153名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/19(火) 06:19:19.92ID:dICEJ7+p
やっと仕事が一段落しました。 (^^)/
が、脳ミソが翻訳モードに戻るまで、若干のリハビリ期間が必要なようです。
というわけで、いましばらくお待ちください。 (^o^;;
0155名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/20(水) 19:43:14.62ID:PjX2v5Ku
>>154
カキコありがとうございます。 (^^)/

とりあえず、自分で書いた文章を、つらつらと読み返してみましたが、
見事に厨房まる出しの、恥ずかしい内容ですよね〜。 (^^;;
まあ、乳房丸出しでないと、こんなリアル魔術系の解説文なんて
書けないないということでもあるわけですが、実のところ、
そういうイカレた、いやいやトランス状態に、自分自身を遷移させて
いかないと、それらしい文章が出て来ないということでもあるわけですよ。

そういうトランスという点では、これは占いにも通じることなのですが、
そういう遷移状態に自分を追い込むということを理解できる人というのも、
近頃は、かなり少なくなってきているのではないかと思うのでした。

ということで、明日から本格的に復帰していきたいと思います。 (^^)
0156名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/21(木) 06:31:54.02ID:Sqe8pu+t
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
This Path confers the ability to bring right-side-up the Devil's Pentagram and
to lift his torch upward.
この「小径」は、「悪魔の五芒星」を正しい方向に向け、そして彼のたいまつを上に持ち
上げる能力を授与する。
--- ここまで ---

この「15:悪魔」は、その恐ろしい見た目、つまり我々を地獄に堕とすような邪悪な存在
とは違って、どちらかというと、我を天に導いてくれるような存在であるということです。

まあ、実のところ、そういう存在であることは、概念としては理解できるとしても、
実際に、こういう外見をした「悪魔」に出会えば、ほとんどの人間は、それが「我々を
天に導く者」とは認識できませんよね。
だからこそ、「天界の秘密」は、我々のような「見る目の無い下層の人間」には明かされ
ないということであり、間違って「秘密の扉」を開けることもないということです。
要は、この「15:悪魔」こそが、「禁忌」すなわち「天界のセキュリティ」となっていて、
君子危うきに近寄らず、ということで、秘密が守られているわけなんですよね。

まあ、たまに「君子」ではないイカれた人間が、秘密の扉を開けてしまうこともあったの
かもしれませんが、その他の誰もが、道徳的な問題で、その重要性には気づかないという
ことで、秘密は守られるということなのでしょう。
要は、「悪魔」とは上下具有の存在、すなわち「上の如く、下も然り」そして「下の如く、
上も然り」という能力を持つ存在なのですが、その鍵(キーワード)の謎を解き、その能力を
得た人間というのは、この下界においては、どう見てもアレなわけです。
かくして、「悪魔の秘密」は守られるわけであり、そして我々人類は永遠に、そこにはたどり
着けないということになるわけなのでした。

でもまあ、量子論的に(つまり瞬間的に)ではありますが、我々にも「悪魔」の能力が
出現することもあるかもしれませんので、そういう時に備えて、「悪魔」についての
認識を深めておくことも必要ではないかとも思うのでした。
0157名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/22(金) 06:42:19.26ID:yP0wb6jO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
In practical terms, this means the ability to reverse the currents of Astral Light.
実用的な用語においては、これは、「星幽光」の流れたちを逆転する能力を意味している。

Intellect and disciplined meditation are the means by which this may be accomplished,
and by which the Philosophers Stone and Elixir of Life may be produced.
知性と訓練された瞑想は、これが達成されて、そして「賢者の石」と「不老不死の薬」が
製造できるかもしれない手段である。
--- ここまで ---

「15:悪魔」の持つ秘められた能力は「リバース」であり、そして「15:悪魔」の「物質化」
の能力を併せて悪用、いやいや人類の平和のために活用すると、神々の持つ能力、つまり
「大自然の偶然の賜物」に頼らずとも、色々と不思議なものを産み出すことが出来ます。
そして、時空間を逆転して前回とは異なる時空間へ遷移するとか、物質をエネルギーに
一旦戻して前回とは異なる物質へ遷移するとか、そして「今までのことを無かったことに
出来る」とかいう、とてもありがたい能力もあったりするわけです。

なお、現代においては、「知性と訓練された瞑想」というのは、「科学の進歩」そのもの
であって、我々は先人の知恵と能力の賜物である「現代科学技術」に、どっぷりと浸かった
優雅な生活を送っているというわけですよね。

ということで、我々のような現代における一般人の生活は、実はこの「15:悪魔」の能力に
頼っているという面は否めないわけですし、そういう意味では、先達の偉大な科学者達は、
悪い意味ではなく、「悪魔に魂を売った人々」と言い換えることも出来るわけです。

でもまあ、ほとんどの人間は、この「15:悪魔」に買われるような価値のある魂などは
持ち合わせておりませんので、この点においては心配する必要というか、気にする必要は
全くありませんが、「15:悪魔」ではない、いわゆる「下界の悪魔」に買いたたかれる
心配は常にありますので、そこは注意しておく必要はあるかと思います。
0158名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/23(土) 06:28:56.13ID:SHnRHCM/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
The process begins with the intellect of Hod, and leads into the intuition of Tiphareth.
過程は、「ホド」の知性で始まり、「ティファレト」の直観へと導く。

This is the meaning of the text of the Thirty-Two Paths of Wisdom, which describes
Ayin as the Renewing Intelligence.
これが、「アイン」を「更新する知性」と評する「知恵の32の小径たち」の聖句の意味である。

We understand that it is only through the forces of the Devil, and our right
understanding of them, that we may come directly to the Light of God the Son.
我々は、「悪魔」の力たちと、それらの我々の正しい理解を通じてのみ、我々は
「神の息子の光」に直接到達できるかもしれないことを、理解する。
--- ここまで ---

「15:悪魔」の「小径」は、「ホド」から「ティファレト」へと直接導くものなのですが、
ここでなぜ、「ネツァク」の属性である「intuition/直観」が「ティファレト」の説明と
なっているのかは、いまいち疑問だったりします。
まあ、いずれにしても、「知性」や「直観」は、「高次の自我」である「ティファレト」
へと至るためには必要不可欠なスキルではありますので、それをどこかで補う必要はあると
いうことですよね。

つまり、「15:悪魔」すなわち「知性」単独では、改めて言うまでもなく、「ティファレト」
には到達できないということなのですが、この「15:悪魔」の「小径」では、そんなに簡単
ではありませんが、「知性」が優位の状態、つまり「15:悪魔」の導きにより、上位世界の
「ティファレト」に直接到達できる可能性が微粒子レベルで存在するということです。

そういう意味では、なかなかに誘惑的というか魅惑的なカードではあるわけで、厨二病に
かかったヲタク心をくすぐるブラック系アイテムとしては、かなり上位に来るものでは
ないかと思うのでした。
0159名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/24(日) 06:22:53.44ID:ocpVB0pw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
The scriptures state that even Christ, Himself, passed through the temptation of
the Devil.
聖書の聖句たちは、「キリスト」でさえも、「彼」自身で、「悪魔」の誘惑を通過した
ことを述べている。

In this the way is pointed out for us more clearly than fundamentalist Christians
could ever begin to suspect.
このように、この通り道は、原理主義者のキリスト教徒たちが、これまでずっと感づき
始めることができたことよりも、より明確に我々に示されている。
--- ここまで ---

つまり、人であるイエスは、救世主たるキリストとなるために、「15:悪魔」の「小径」を
通過しなければならなかった、つまり、上位へのステップアップのための「単なる試練/
選択科目」というよりも、「必修科目」という位置付けであると言いたいわけです。

「生命の木」において、最速で「ティファレト」に到達するには、「21:宇宙」と「14:節制」
の「小径」を選択すれば良いわけですし、「9:イェソド→6:ティファレト」の「14:節制」
の方が、「8:ホド→6:ティファレト」の「15:悪魔」よりも簡単なように見えます。
つまり、「小径」の順番が「15:悪魔」と「14:節制」が入れ替わっている方が、体系的に
素直な感じに見えます。

つまり、この「15:悪魔」が「14:節制」の前にあるということは、「14:節制」に至る前に
「15:悪魔」の試練を通過しておくこと、つまり「必修科目扱い」であることを表します。
わかりやすく言うと、真の上級者になるためには、誰もが一度は通る厨二病の黒歴史を
経験し、その甘い誘惑の試練を最終的には乗り越えて、さらなる上位者となる茨の道を
目指さなければならないということでもあるわけです。

そういう意味では、「15:悪魔」と「14:節制」という対比は、我々の魂の成長にとっては、
なかなかに含蓄のあるコンビネーションではないかと思うのでした。
0160名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/25(月) 06:14:17.29ID:xGXuo2eH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
Eliphas Levi called this Path "The first physical manifestation of the Divine Breath."
エリファス・レヴィは、この「小径」を「神の息吹の最初の物質的な現れ」と呼んだ。
--- ここまで ---

この文は、レヴィ氏の著作である『Histoire de la Magic/魔術の歴史』 (仏語,1860年)の、
邦訳版(鈴木啓司訳、人文書院)であれば、「第一之書 魔術の起源、第七章 聖なるカバラ」
の128ページにあります。
ちなみに、この文は、この時点では「15:悪魔」の「小径」の説明ではなくて「Astral Light
/星幽光」について記述したものとなっていますので、取り扱いには注意が必要です。

とはいえ、「15:悪魔」の「小径」が、「The first physical manifestation of the Divine
Breath/神の息吹の最初の物質的な現れ」であることは、おそらく間違いありません。
ただし、この「The first physical manifestation/最初の物質的な現れ」が指している
ものは、我々が目にするような、いわゆる「目に見える物質」が出現するような現象では
ないという点にも注意が必要です。
要するに、魔術師が何も無いところからコインを出したり鳩を出したりするようなものは、
「15:悪魔」の力ではないということですよね。

比喩的に言うと、これは「ケテル」のような一瞬のビックバンではなくて、継続的に地球に
降り注ぐ「ティファレト」の太陽からの恩寵のようなものであって、その重力エネルギーに
より、地球のような惑星を産み出す母星となり、そしてその降り注ぐ太陽エネルギーにより、
生命の息吹が産み出されるといった感じですかね。
ちなみに、我々の知る「太陽」は、完全に物質的な存在ですので、ほとんど「星幽光」は
出ておりませんので、あくまでも比喩であることを、あしからずご了承願います。

じゃあ、この「星幽光」って具体的に何なの?、という話になるのですが、残念ながら、
「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」と同様に、我々の世界に充ち満ちているにもかかわらず、
その存在は具体的には掴めていない、幽霊のようなシロモノとしか言いようがありません。
0161名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/27(水) 06:35:03.44ID:szjpVDjh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
And here we recall that "Saturn eats its children," meaning that while the creation
of the illusion of form is essential to manifestation on the earthly plane (and
is what manifestation actually means) the "dissolution of these forms is essential
to the Path of Return."
そして、ここで我々は、形の幻覚の創造が、地上面における顕在化にとって必要不可欠なもの
(そして顕在化が実際に意味しているもの)である一方で、「これらの形たちの解体が、
『帰りの小径』には必要不可欠である」ことを意味する、「サターンはその子供たちを
食べる」ことを思い出す。
--- ここまで ---

この「Saturn/サターン」は、悪魔を意味する「サタン」ではなく、土星の「サターン」
の語源となっている、ローマ神話の農耕神である「Saturnus/サートゥルヌス」であり、
これはギリシア神話の農耕神「Cronus/クロノス」の系統の神となります。
そして、農耕神の特徴として、誕生と成長、そして死して消滅に至る一連の生命サイクル
を司る者としての特徴を持っています。

「生命の木」の対称性を考えると、「15:悪魔」が「形の創造」で、「13:死」が「形の解体」
であるようにも見えますが、「13:死」は、ほぼ地上面を離れて「形の無い世界」での話と
なっていますので、地上面における(本当は幻覚である)「形」の創造と解体は、主として
「15:悪魔」が司る領域となっています。
そして、「13:死」は、より上位概念における「生と死と再生」を司ります。

つまり、物質界を生きる我々にとっては、この「15:悪魔」こそが「万能なる創造主」と
いう位置付けであって、その見た目に恐ろしい姿も、一般人である我々にとっては、
「恐怖と畏敬の対象」であるということなんですよね。
まあ、人間にとって都合の良い「見目麗しい頼れる神々」なんてものは、詐欺、いやいや
ファンタジーの創作活動で飯を食っている人間たちの「脳内産物」でしかありませんので、
真の「神」が「悪魔」の姿をしていることは、必然的なことではないかと思うのでした。
0162名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/28(木) 06:33:35.84ID:L9iG4mYk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
For the Alchemists, dissolution means analysis, which is precisely what we apply
when we intellectually separate the component energies of ourselves and our universe
into twenty-two Paths on the Tree of Life.
錬金術師たちにとって、「解体(溶解)」は「分析」を意味しており、それはまさに、
我々が、我々自身を構成している精力たちと、我々の宇宙を、「生命の木」の22の「小径」に
知的に分割する時に、我々が適用するものである。
--- ここまで ---

錬金術師の作業については、専門外ですので、よく分かっていませんが、現代においては、
鉱石などから純度の高い金属や物質を抽出する際には、一旦、溶解、つまり、水などの
溶媒に溶かしたり、熱などを加えて液状にする工程を必要とすることが多くあります。
さらに、場合によっては、さらに熱を加えて気体化することもあります。

いずれにしても、元の固体である「形」を無くして、それぞれの構成成分を抽出する
ための準備段階として、「溶解/気化」は、欠くことのできない作業です。
そして、「溶解/気化」したものを、改めて「分析」して、その成分を「分離」していく
ことで、より純度の高い「原料」としてリサイクルし、そして次の世代を産み出すための
「原材料」として活用していくという流れになります。

我々は、これを利用して、「我々自身を構成している精力たち」すなわち「精神世界」と、
「我々の宇宙」すなわち「物質世界」を、クロマトグラフとしての「生命の木」を知的に
活用することで、これらを分析して精製していくことが可能となっています。

と、言葉では何とでも書けるのですが、実際に、我々の自我を解体し、「ドロドロとした
溶解物」と化すことは容易ではありませんし、さらにその状態から、「生命の木」に流し
込んで自己分析するいう作業も、なかなかに困難の伴うものです。
それゆえ、自己を溶解するための「溶媒」、すなわち「薬物」に頼る人も出てきそうですが、
できれば、合法的な「アルコール」までに留めておきたいところですよね。(笑)
0163名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/03/30(土) 06:22:23.88ID:CeyunpbQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
First we must conceptually (as well as practically) separate out these component
parts, then we must reintegrate them through our understanding of their operation.
最初に我々は、これらの構成部分たちを(実際的と同様に)概念的に分離し、それから我々は、
それらの操作についての我々の理解を通じて、それらを「再統合」しなければならない。

To extend an analogy made earlier: it is only by focusing on each part of our body
system, considering each organ separately that we come to an understanding of how
the organs work together to maintain our physical being.
以前に行った類推を拡張するために:それは、我々の肉体の体系の各々の部分に焦点を合わせ、
各々の器官を個別に考慮することによってのみ、我々の物質的な存在を維持するために、
どのように器官たちが共同して働いているのかを、我々は理解するに至る。
--- ここまで ---

ここは、初心者にとっては、難しい精神世界の分析作業の話の前に、まずは物質的な世界の
分析作業の類推から、話をしていこうということですよね。

我々は、物理世界においては、複雑な組織や機構を理解しようとするには、全体を漠然と
見るのではなく、まずは、理解可能なレベルの「part/部分」まで分解していき、それらの
個別の働きをしっかりと理解しておいた上で、より上位の組み合わされた機構の働きを理解
していく、つまり「ボトムアップ」的に理解していくという、極めて王道的かつ常識的な
手法が、精神世界においても有効であるということです。

まあ、精神世界の業界においては、「考えるな、感じるんだ」的な包括的手法が用いられる
ことも多いのですが、それだと、個々の世界観という「脳内世界」に留まってしまうことが
多々ありますので、個人的用途にはともかく、汎用的な用途には使いづらいという問題が
あります。

そのため、ここでは、精神世界の分析手法として、より学術的で汎用的なツールである
「生命の木」と「ボトムアップ的手法」の組み合わせを、提案しているわけですよね。
0164名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/04(木) 06:50:57.89ID:xrqsAulQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
The reintegration, in this sense, is our overall view of the interaction of the
organs.
再統合は、この意味においては、器官たちの相互作用の我々の全体的な見方である。

Having come to this overall view, we can then begin to actively apply the new
knowledge.
この全体的な見方に到達し終わることで、我々はその後、新しい知識を活動的に適用し
始めることができる。

This is a positive phase of using what we know.
これは、我々が知っていることを使うことの、実際的な面である。

It is the step which follows the dissolution and re-integration.
それは、解体と再統合に続いている段階である。
--- ここまで ---

このあたりの話は、通常の「ボトムアップ的手法」に準じて考えればいいと思います。

「森」を詳しく見るなら、まず森を構成要素に分解して個々に分析し、それらの要素毎に
それぞれの結びつきの関係を調べて、最後に全体的かつ組織的な動きを見ていく。
そうすれば、我々はもっと「森」のことを知ることが出来るし、それをもっと有効活用
していいくことも出来るということですよね。

とはいえ、これも実際には、人間にとっては「言うは易く、行うは難し」の典型例である
わけで、いくら地球環境全体の研究が進んでも、人類は温暖化による環境破壊から逃れ
られないという現実でもあるわけです。

まあ、そのあたりが、「15:悪魔」のカードに秘められた怖さというか、人類に対する
警鐘ということなんでしょうね。
0165名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/06(土) 06:54:06.71ID:X8aE62Sl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
But as we function within an earthly incarnation, everything must be related back
to our mundane condition.
しかし、我々は地上の肉体化の範囲内で機能しているので、全てのものは我々の現世の
状態に戻って関連させなければならない。

Each lesson must be grounded.
各々の学課は、接地されなければならない。

This is the psychological meaning of a process which has been described in symbolic
terms over the centuries.
これは、何世紀にもわたって象徴的な用語においてずっと述べられてきた過程の心理学的な
意味である。
--- ここまで ---

上位概念における理解は、そのままでは我々にとっては何の役にも立ちません。
なぜなら、我々は、上位世界の存在ではなく、物質界という下位世界の存在であり、
最終的には「上の如く、下も然り」の原理に従い、上位世界の概念を、下位世界の概念、
すなわち人間のアタマで理解可能なものに相変換させることが必要とされます。

とはいえ、とりとめのない意味不明な、いやいや膨大かつ崇高なる上位概念を、下位言語
に正確に翻訳することは、ほぼ不可能であり、地上への変換の際には、ほとんどのものを
捨て去る、つまり「水に流す」とか「大地へと帰す」という覚悟が必要とされます。
そして、残ったものが、地上における「沈殿物(物質ではない)」となり、我々に直接
恩恵もしくは害を与えるものとなるわけです。

ただし、うまく沈殿できなかったもの、もしくは接地できなかったものは「浮遊物(物質
ではない)」という形で脳内妄想領域に残ってしまうことも避けられないわけですが、
これは認知症におけるアミロイドのように、後々やっかいな存在となってくるわけです。
0166名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/08(月) 05:49:23.17ID:xrBGbTjK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
Our psychology has given us words for relationships of energies which the ancients
could only symbolize.
我々の心理学は、我々に、古代人たちが象徴することしかできなかった精力たちの関係たち
のための言葉を与えた。

Words such as "sub-conscious" and "unconscious" have become such an integral part
of our vocabulary that they are taken for granted.
「潜在意識」や「無意識」などの言葉たちは、我々の語彙のとても不可欠な部分であるので、
それらは当たり前のものと思われるようになっている。

We are thus, more prepared than any other age to deal with the concepts of the
Mysteries, including what has been variously termed the Akashic Fluid, the Odic
Force or the Astral Light.
我々はこのように、「アカシック流体」、「オドの力」もしくは「星幽光」と様々に
呼ばれてきているものを含む、「神秘的教義」の概念たちを扱うことが、他のどのような
時代よりも、より多く準備されている。
--- ここまで ---

古代では「象徴的」でしかない言葉や絵でしか表現することが出来なかった、すなわち、
分かる人にしか分からない「神秘的教義」の内容が、現代においては、心理学の学術的用語、
すなわち共通用語を用いて表現することが、ある程度までは可能となってきています。
まあ、それと同時に、「神秘的」のベールが剥がされ、単なる「脳内妄想」とか「薬物作用」
に帰するものも多く出てきているわけですけどね。

まあ、それはともかく、「神秘的教義」を解き明かすツールとしては、現状では「心理学」
が最も適しているのは確かだと思うのですが、そもそも「心理学」は、現代科学の中では、
どちらかというと「神秘的教義」に近い存在、すなわち「まだよく分かっていない境界領域」
のものですので、「心理学」を勉強することで「神秘的教義」が全て理解できるというもの
でもないわけですよ。
0167名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/10(水) 06:51:44.87ID:Z7NGcsQP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
This force is manipulated, for whatever end one may choose, through an understanding
of THE DEVIL.
この力は、人が選択するかもしれないどのような目的のためであれ、「悪魔」の理解を
通じて操作される。

Here Levi (who used the term "Great Magical Agent") describes the process of
manipulation as, to dissolve, to consolidate, to quicken, to moderate. (*138)
ここで、(「偉大なる魔術の代行者」という用語を使った)レヴィは、操作の過程を、
「溶解すること、固めること、速めること、緩和すること」と述べる。(*138)
--- ここまで ---

ちなみに、(*138)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
138. Levi uses the term "Great Magical Agent" interchangeably with the term "Astral
Light." Transcendental Magic, London, 1958, passim.
138. レヴィは、「星幽光」という用語と置き換え可能な「偉大なる魔術の代行者」という
用語を使う。『超越的魔術(邦訳名:高等魔術の教理と祭儀)』、ロンドン、1958年、諸所。
--- ここまで ---
とあります。

なお、「Great Magical Agent/偉大なる魔術の代行者」は、邦訳版(生田耕作訳『高等
魔術の教理と祭儀 祭儀篇』)では、「第四章 聖四文字」の92ページの冒頭にあり、
ここでは「魔術の大作因」と訳されています。
要は、「魔術」の作用の大元を司る「元締」もしくは「ラスボス」という感じですよね。

つまり、魔術や錬金術の分野において、「四大元素」を司るものは、「15:悪魔」である
ということであり、それゆえ魔術や錬金術の分野においては、「15:悪魔」、すなわち
「ティファレト」から「ホド」に至る「小径」を、真に理解し使いこなすことが必要不可欠
であるという結論へと至るわけですよ。
0168名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/11(木) 06:26:32.82ID:rtVlkC3Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
This is dissolution, re-integration, activity and grounding.
これは、解体、再統合、活動、および接地である。

The same qualities can be described as Fire, Water, Air and Earth.
同様の品質たちは、「火」、「水」、「空気」、および「地」と述べられることができる。
--- ここまで ---

魔術の操作は、「1:魔術師」のカードに描かれているように、我々の知る「四大元素」に
基づく操作が基本となります。
ここでの、「1:魔術師」と「15:悪魔」の違いは、抽象化レベルの違いということであり、
当然のことながら、「1:魔術師」の方が高い(つまり理解不能な)レベルにあります。

つまり、「15:悪魔」の「四大元素」の抽象化レベルは、我々にとってギリギリ理解可能
というか、実用可能というか、現世利益に繋がる可能性のある低レベルということであり、
それゆえ、我々は、これにチャレンジする意味があるということですよね。

まあ、裏を返せば、肉体を持つ我々が「1:魔術師」の超高レベルにチャレンジすることは、
まだロクに言葉も話せない幼児が大学受験にチャレンジするのと同じくらい「無意味」な
ことでもあるわけです。

ということで、我々のレベルで「魔術師」になろうとするド変態ども、いやいや崇高なる
精神で人類の繁栄に貢献しようとする者たちの師となる存在は、この「15:悪魔」である
ことは、ほぼ間違いありません。

ちなみに、ほとんどの人間は、「1:魔術師」が師であると思っているかもしれませんが、
地上において、「魔術師」を自称する者は、100%完全に間違い無く「詐欺師」です。
そういうことは、少し考えればわかることだと思うのですが、真に「魔術師」を志す者は、
「1:魔術師」ではなく「15:悪魔」を師と仰がなければならないということですよね。
0169名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/12(金) 06:23:37.59ID:8rHykvpu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
The requisite interaction of the Four "Elements" is also suggested in the Golden
Dawn and Waite cards: The inverted Torch is Fire, the Eagle's claws are Water,
the wings are Air, and the grotesque body of the Devil is earth.
四大「元素」の必須の相互作用は、また、「ゴールデン・ドーン」および「ウェイト」の
カードたちの中に示唆される。:上下逆にされた「たいまつ」は「火」、「ワシ」の鈎爪は
「水」、翼たちは「空気」であり、「悪魔」の怪奇な身体は「地」である。
--- ここまで ---

魔術を司る「15:悪魔」のカードには、「1:魔術師」に描かれているのとは少し異なる形、
つまり魔術ヲタク向けに、いやいや一般の人々にはこれが「魔術」であるとは容易には
気づかれないような形で、魔術の「四大元素」が象徴的に描かれています。

要するに、ゴールデン・ドーンでは、この「15:悪魔」のカードの悪用や誤用を防ぐと
いうか、外部の人間には知られたくないというか、あくまでも・・・まあ「あくま」でも
ヲタク趣味の身内の範囲内で、この「15:悪魔」のカードで色々とイケナい妄想を膨らませ
つつ、遊んでいたいということなんですよね。

つまりは、世俗世界と上位世界を繋ぐ色々なネタを満載にしているゆえに、この奇怪な
デザインに繋がっているというわけです。

そういう意味では、とても興味深いデザインのカードであることは間違いないわけですが、
当然のことながら、我々も、どちらかというと、そういうイケナい方向に思考がシフトして
しまいがちで、本質的なものを見逃してしまう恐れが大いにあります。
つまり、彼らが仕組んだ「15:悪魔」のトラップに、未熟な我々が陥る可能性が大いにある
わけですので、その点だけは、くれぐれも注意してくださいね。
0170名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/13(土) 07:15:15.98ID:MWpOXuS8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
One interesting, though even less obvious symbolism is in the Devil's being
represented with the ears of an ass, a mythological reference pointing toward
a sexual interpretation of the card.
1つ興味深いことは、さらに明確な象徴主義ではないが、ロバの耳と共に象徴化されている
「悪魔」の存在の中に、カードの性的な解釈についての神話の参照がある。

Priapus was the Roman God of the phallus, to whom the ass was traditionally
sacrificed. (*139)
「プリアーポス」は、男根の「ローマ神」であり、彼にはロバが伝統的に捧げられた。(*139)

(Readers will note that it is virtually impossible to make this statement without
seeming to intend a bad pun).
(読者は、悪い駄洒落を意図しているように見ることなく、これを述べることは、事実上
不可能であることに気づくだろう)。
--- ここまで ---

ちなみに、(*138)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
139. Oxford Classical Dictionary, 876.
139. 『オックスフォード古典辞典』、876ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ゴールデン・ドーン系の「15:悪魔」像のデザインは、基本部分はレヴィ氏の「メンデスの
バフォメット」すなわち、雄山羊の身体をベースにして、犬と牡牛とロバを合成した頭部を
持つ神像となっています。
ちなみに、「bad pun/悪い駄洒落」というのは、もはや改めて言うまでもないことですが、
「男根」に捧げられる「ass/ロバ、もしくは尻の穴」という、アッー!な関係のことを述べて
いるわけですよね。
0171名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/13(土) 07:16:57.10ID:MWpOXuS8
>>170
誤記訂正どすorz

> ちなみに、(*138)はNOTES/注記の項で、

ちなみに、(*139)はNOTES/注記の項で、
0172名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/14(日) 06:51:26.24ID:E5jUMiAy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
The symbolism of the Golden Dawn and Waite cards is essentially the same, with
one exception.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードたちの象徴主義は、1つの例外を除いて、
本質的に同じである。
--- ここまで ---

前に述べたように、ゴールデン・ドーン系の「15:悪魔」は、レヴィ氏の『高等魔術の教理と
祭儀』のネタを基本にしており、その悪魔像のデザインも、「メンデスのバフォメット」を
ベースとしてアレンジしたものになっています。
ネタの流れ的には、レヴィ氏の元ネタ→ゴールデン・ドーン版の大胆な改変→ウェイト版の
振り戻し→トート版の独善的解釈追加、となるわけですが、それぞれの思惑もあって微妙に
アレンジが異なっているのも、面白いところです。

とはいえ、彼らに共通しているのは、従来のタロット占いの「15:悪魔」の持つ意味とは、
全く異なっている、というか、そういう従来の意味を「表面的なもの」として併せ持ち
ながらも、この「悪魔」の実体が、大いなる「存在」であることを示唆していることです。

何でそうなっているのかというと、基本的には、レヴィ氏やゴールデン・ドーンのような
「魔術ヲタク」たちにとって、魔術活動というものは、「キリスト教社会」という世俗に
まみれた社会体制に対する反逆的な思想活動(つまり悪魔こそが真の善である)であり、
それは現代科学にも通じるような、どちらかというと革新的かつ進歩的な活動であったと
いうことですよね。
とはいえ、魔術というものには、「オトナ社会」に反抗する「厨二病」的な面もあることは
否定できませんが、「反抗期」や「厨二病」の発症は、人間および人類の成長に繋がる
ことでもありますので、ここは生暖かく見守る必要があるということです。

まあ、何が言いたいかというと、そういう「黒歴史」というものこそが、我々を真に進歩
させる原動力となるわけであって、そしてそういう闇墜ちした中でこそ、この「15:悪魔」
の真の理解が進んでいくということなのですよ。 ←かなりイタい主張 (^^;
0173名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/15(月) 06:24:18.98ID:nfHKLmae
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
In the Golden Dawn card the Devil holds a single horn in his right hand.
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、「悪魔」は、彼の右手に単一の角笛を持つ。

This is intended to be the horn of a Ram, the beast or Aries, the Path of THE
EMPEROR ruled by Mars.
これは、獣、もしくは「火星」により支配される「皇帝」の「小径」である「白羊宮」
でもある、「雄羊」の角笛であることを意図している。

In this, Mathers pointed to the most profound meaning of the card, for this is also
the Jewish Shofah, the ram's horn which sounds the call to prayer at Yom Kippur.
これにより、マサース氏は、カードの最も深遠な意味を指摘した。というのは、これはまた、
ユダヤ人の「ショファー」、「贖罪の日」に礼拝の呼びかけに鳴らす雄羊の角笛でもある
からである。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の特徴は、悪魔像の右手が持つ「雄羊の角笛(Ram's horn)」です。
これは、『旧約聖書:レビ記』23:24で述べられているように、「ローシュ・ハッシャー
ナー(ユダヤ暦7月1日の新年祭)」の日に吹くラッパであり、「ヨム・キプル(ユダヤ暦
7月10日の贖罪日)」まで、聖なる集会の招集の時に「ショファー/雄羊の角笛」が吹かれ
るそうです。
時期的には、初秋の頃ですので、収穫祭のような位置付けですかね。
要は、「雄羊の角笛」は、「聖なる呼びかけ」のためのツールということであり、我々を
俗世のしがらみから、生きたまま、あの世へと一時的に導く存在ということですよね。

なお、ゴールデン・ドーン版には、このようにユダヤ教に関するネタが、割と多く取り入れ
られていますので、絵柄を直観的に読んで理解することは、なかなかに困難というか、
ほぼ不可能ではないかと思います。
そういう意味でも、この本のように、きちんと象徴体系を解説してくれる文献というのは、
なかなかに貴重な存在であり、「教科書」にふさわしいものだと思うのでした。
0174名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/15(月) 10:40:09.90ID:fcmgePwe
ここの投稿もいい加減やめればいいのに。

独善的なデタラメな解釈と内容でしかない。
0175名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/16(火) 05:59:32.27ID:epmtWQyA
>>174
あ、いつものオナニーの人ですね。 (^_^)/

まあ、あなたたちの教科書の「独善的なデタラメな解釈と内容」から見れば、
ここのカキコが「独善的なデタラメな解釈と内容」にしか見えないのは
当然のことですので、特に異論はございませんが。

そういえば、この本の翻訳は、いつになったら出版できるんでしょうねぇ。
やっぱり、忖度されちゃったんでしょうかねぇ。
0176名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/16(火) 06:01:52.67ID:epmtWQyA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
Thus does the Devil hold up the very means of release from bondage.
従って、「悪魔」は、束縛状態からの解放の、まさしくその方法を掲げているのである。

In him is both that which enslaves and that which confers freedom.
彼の中には、奴隷にするものと、自由を授与するものとの両方がある。
--- ここまで ---

ほとんどの人は、「15:悪魔」は「束縛する者」という認識だと思いますし、実際のところ、
ほとんどの人にとっては、その程度の認識でも充分なわけです。
そういう意味では、一般人にとっての「15:悪魔」の存在は、「豚に真珠」とか「猫に小判」
のようなもので、何の価値も見いだせない、もしくは忌み嫌われる存在であるわけです。

でも、このカードの真の意味を知るならば、この「15:悪魔」は、我々の世界を支配する
「神」そのものということであり、それを通じて、我々からは見えない裏側の世界を知る
ことで、我々は「(肉体の一部である)目に見える世界」から、「目には見えない世界」
へと解脱することが可能になるというわけです。
要するに、我々は、見たり聞いたり触ったりという「肉体的な器官」の古典的な感覚や
直観に囚われることなく、「非肉体的」な思考により、より上位の世界へと進むことが
出来るようになることを、ここで示しているわけです。

とはいえ、自分が「悪魔による奴隷状態」にあることは、ほとんどの人は自覚が無いか、
自覚はあっても誤解しやすい概念ですので、そういう意味では、非常に理解しづらいカード
でもあるわけです。
一番やっかいなのは、まさしく「悪魔による奴隷状態」にある人間が、他人を「オマエは
悪魔に取り憑かれている」といって、宗教的な詐欺行為を働くことことなのですが、
そういうのは、ここでいう「神」である「15:悪魔」とは無縁のものですので、「悪魔」と
いう用語を混用してほしくはないのですが、まあ、なかなか難しいでしょうね。

とりあえず、「15:悪魔」は、色々と誤解されやすいので注意しましょう、ということです。
0177名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/16(火) 21:16:17.28ID:cKrw1nl5
>>175
あなたが独善的な狂ったことを書いているといっている。カードの解釈にカバラは必要ない
し、狂った狂信的な宗教やカルトのように解釈することは間違ってる。
タロットカードは遊びの道具として作られたものであって、トランプと呼ぶカードに
新たに二十数枚が追加されたもの。
例えその遊び方が「占い」というものであっても、カードは誰でもその答えを出す。
全く特別な遊び方ではない。その遊びを狂信的なカルトや魔術のように説明すること自体
が大きな過ちだ。
0178名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/16(火) 21:53:04.24ID:cKrw1nl5
ずいぶんとカン違いしている人のようだし偉そうなのでカルトコミュニティーに何か
"友愛"された人なのかもしれないが、老婆心で説明すれば、悪魔というカードは「中二病」
の必須アイテムではないし、
それにThe Magicianを魔術師として翻訳したり解釈するのは間違ってる。根本的に
間違ってる。The Magicianとは日本語では「手品師」のことであり「大道芸人」
または「芸人」のことだ。マルセイユ版やウエイト版でもそのような絵だ。
タロットカードの世界ではゴールデントーンとかクロウリーは独自解釈系の異端者だし
カバラですらユダヤ教の世界では独自解釈系でまともな教えではない。
カードのデザインはキリスト教文化圏の世界で製作されたものなのでユダヤ教などが入り
込む余地はない。根本的に間違ってる。
0179名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/17(水) 06:57:00.84ID:ySPxI8Yc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
Moreover, we are led to understand that what is symbolized by the Path of THE EMPEROR
is the pure energy (recalling Aries to be the first Sign of the Zodiac, and initiator
of Spring) which causes the fall of THE TOWER, and the testing of JUDGMENT.
さらに、我々は、「皇帝」の「小径」により象徴されるものが、「塔」の墜落と、「審判」
の試験を引き起こす(「黄道十二宮」の最初の「宮」であり、「春」の発動者である「白羊宮」
を想起する)純粋な精力であることを理解することに導かれる。
--- ここまで ---

「雄羊」の角笛が、「白羊宮」を連想させ、その繋がりで
・「4:皇帝」:「白羊宮」=「火星」
・「16:塔」:「火星」
・「20:審判」:「火」
へと飛び火しているわけですが、「15:悪魔」自体は「磨羯宮(やぎ座)」すなわち「地」
ですので、「15:悪魔」は「火」の仲介者的な存在ということになっています。

すなわち、天からの「火」を、右手の「雄羊」の角笛で受けて、左手のたいまつにより、
地へと流し出すという構図ですよね。
そして、「15:悪魔」の体を通じて流れ出すものは、「白羊宮」、「火星」、そして「火」
に象徴される「the pure energy/純粋な精力」であるということです。

ちなみに、「15:悪魔」のデザインは、「悪魔」像が、囚われの身であり、まだ角を生やした
ままの獣性を持つ原始の人類に、文明進化の象徴である「火」を授けるような構図となって
いるのも、また面白いところです。
そして、この「火」が、単なる「火」ではないことに気づくことが出来れば、我々はさらなる
進化を遂げることが可能であるということなんですよね。

というように、色々と妄想が膨らむカードではありますが、残念ながら、その進化、いや
真価に気づく人は、ほとんどいないというのが、現状だと思うのでした。
0180名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/17(水) 06:57:49.21ID:ySPxI8Yc
>>177
あら、オナニーの人ではなくて、無知蒙昧な人でしたか。
勘違いしてしまい、大変失礼しました。

> あなたが独善的な狂ったことを書いているといっている。

そう言われても、ワタシは単に、本を翻訳して解説している、つまり受け売りしている
だけですので、そういう苦情は、著者のロバート・ウォン氏に言って頂けますでしょうか。

あと、再度聞きますが、あなたの使っているタロットカードの銘柄は、何でしょうか?
0181名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/17(水) 07:02:46.86ID:ySPxI8Yc
>>178

> ずいぶんとカン違いしている人のようだし偉そうなのでカルトコミュニティーに
> 何か"友愛"された人なのかもしれないが、

「カルトコミュニティー」って、ずいぶんとアレな言い方をされておりますが・・・
残念ながら、ワタシ自身は無宗教派ですし、そういう占い系や魔術系のコミュニティに
参加したこともございません。
しいていえば、昔、占いの店をやっていたということがあるので、おそらく一部の人には、
ワタシの正体がバレているかとは思いますが・・・

> それにThe Magicianを魔術師として翻訳したり解釈するのは間違ってる。根本的に
> 間違ってる。The Magicianとは日本語では「手品師」のことであり「大道芸人」
> または「芸人」のことだ。マルセイユ版やウエイト版でもそのような絵だ。

マルセイユ版はともかく、ウェイト版は「魔術師」の翻訳や解釈で間違いないですよ。
ウェイト版タロットの作者であるウェイト氏の解説本『The Pictorial Key to the Tarot』
を読んだことのある人であれば、当然知っているはずのことです。
つまり、根本的に間違っているのは、あなたの方ですよ。

> タロットカードの世界ではゴールデントーンとかクロウリーは独自解釈系の異端者だし

世界で一番売れているウェイト版は、ゴールデン・ドーン系なんですけどね。
いくらなんでも、無知すぎるんとちゃいますか。

> カードのデザインはキリスト教文化圏の世界で製作されたものなのでユダヤ教などが
> 入り込む余地はない。根本的に間違ってる。

キリスト教には、『旧約聖書』の教え、すなわち「ユダヤ教」の教えも含まれるという
のは、ここであえて言うまでもないことだと思うんですけどね。

無知すぎるのにも程があると思うんですよね・・・。
0182名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/17(水) 22:43:17.43ID:fWtHowxK
>>181
ロバート氏の解釈自体は知らないが、そのデタラメで間違っている解釈を貴方が翻訳する
ことは一般に誤解を招く事だからやめた方がよいと書いている。
繰り返すがタロットカードの訳もThe Magicianを「魔術師」として訳すのは問題がある。
これは明らかに奇術師、手品師、広い意味では大道芸人と訳すべきものだ。図柄を見れば明らかだ。

キリスト教の教えの中にユダヤ教の経典が含まれるのは当然だが、こちらが書いている
のは「カバラ」と呼ぶものは正統なユダヤ教の教えではないということだが。
そのような「カバラ」に依存した解釈は誤解を招くからやめるべきだ。

ゲームから派生したタロットを魔術やカルト精神世界で説明することは間違いだし
悪影響しかないのでやめるべきだと書いてる。
タロットを説明する上でクロウリーが登場する必然性はないし、魔術が登場する理由はない。
このカードはトランプと呼ぶカードも一部含むので純粋な遊びの道具として理解するべきものだ。
カードゲームのタロットと魔術は全く異なる世界なので混同するのはよくない。

そもそも世界の宗教宗派は魔術的なものは禁止することを説いている。悪質な行為である
からだが、そのような行為は占いとは直接に関係しないし、魔術的なものはやめるべきものだ。
「カバラ」を持ち出した所で「魔術的なもの」は罪であり宗派的に禁止事項である事に変わりはない。
店を経営していた人が無責任なことを教えるのはどうかと思う。
0183名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/17(水) 23:05:09.94ID:fWtHowxK
あなたはその道の世界の人だから警告するが、世界の宗教が魔術を禁止するのは、
見えない嫌がらせのようなものが社会的秩序を乱すことと、それによって争いが発生する為だ。

具体例として示すと、中国では法輪功という気功集団が激しく弾圧されたが、そのように
政府が過激な取り締まりを行う背景には、この集団が健康法の普及という世界から次第に政治に
深く関与したことと、気功というある種のオカルトを政治的に利用(悪用)したからこそ、
ここまで中国政府と対立し過剰な弾圧に繋がっているといえる。
これは宗教的な呪いや祈祷、または超能力といって奇妙な行為を執り行う日本国内の悪質な
新興宗教テロ団体についても同様にいえることだ。

あなたがオカルトや魔術を推進する立場なら同様の危険がついてまわるだろう。
地獄に落ちるという表現そのままの際限のない争いを招く事になるからやめるべきものだ。
必ずその罪は生じる。
カードゲームの解釈でオカルトや魔術に偏った誤解を招くような解説はするべきではない。
0184名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/18(木) 06:42:25.68ID:etN78TOm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
All bear a relationship to Binah, which is a fiery red in Atziluth.
全ては、「アツィルト界」における火のような赤である、「ビナー」に関係を持つ。
--- ここまで ---

ここは、いまいち良くわかってないのですが、まず、「ビナー」の「アツィルト界」での
色は「Crimson/深紅」であり、ここで言う「fiery red/火のような赤」、すなわち、
非常に活動的でエネルギーに満ちた様相を表しています。
その活動的なエネルギーが、「生命の木」を下り、「15:悪魔」の「小径」へと流入し、
そして「たいまつの火」に象徴される形で、下界に「春」をもたらす原動力となって
降り注いでいるということですかね。

ちなみに、「15:悪魔」に配属される「磨羯宮(やぎ座)」の起点には「冬至」があり、
この時点から太陽が復活してくるという、とても大事な日でもあります。
つまり、この「磨羯宮」から、物事がプラスに転向するということであり、それを祝って
クリスマスや新年を迎えるということでもあります。
まあ、「15:悪魔」は、見た目とは違って、色々とおめでたいカードであるわけで、その
ポジティブな原動力となっているのが、ここで言う「深紅」の「ビナー」がもたらす、
純粋な「火」のエネルギーという意味なのかもしれません。
0185名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/18(木) 06:45:55.53ID:etN78TOm
>>182
完全に逝っちまった人なんですかねぇ。
まあ、この世界は、こんな人ばっかりですので、通常運転ですが・・・。

> ロバート氏の解釈自体は知らないが、そのデタラメで間違っている解釈を貴方が翻訳する
> ことは一般に誤解を招く事だからやめた方がよいと書いている。

知らないのに間違っていると断定するって、どうなんですかね。

> 繰り返すがタロットカードの訳もThe Magicianを「魔術師」として訳すのは問題がある。
> これは明らかに奇術師、手品師、広い意味では大道芸人と訳すべきものだ。図柄を見れば明らかだ。

だから、どの銘柄のタロットですか?、と質問しているのですが・・・。

> こちらが書いているのは「カバラ」と呼ぶものは正統なユダヤ教の教えではないということだが。
> そのような「カバラ」に依存した解釈は誤解を招くからやめるべきだ。

いやいや、ここで論じている「ゴールデン・ドーンのタロット」は、「カバラ」に全面依存して
制作されたカードですので、「カバラ」に依存した解釈になるのは当然のことでしょ。

以下、あなたの文章の一部の改変です。
------------------------------------------------------------
ゲームから派生したタロットを占術やカルト精神世界で説明することは間違いだし
悪影響しかないのでやめるべきだと書いてる。
タロットを説明する上で、占術が登場する理由はない。
このカードはトランプと呼ぶカードも一部含むので純粋な遊びの道具として理解するべきものだ。
カードゲームのタロットと占術は全く異なる世界なので混同するのはよくない。
そもそも世界の宗教宗派は占術的なものは禁止することを説いている。悪質な行為である
からだが、占術的なものはやめるべきものだ。
「占術的なもの」は罪であり宗派的に禁止事項である事に変わりはない。
------------------------------------------------------------
つまり、占術は良いが、魔術は悪い、という理由にはなっていないのですよ。
0186名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/18(木) 06:49:45.80ID:etN78TOm
>>183
> あなたはその道の世界の人だから警告するが、世界の宗教が魔術を禁止するのは、
> 見えない嫌がらせのようなものが社会的秩序を乱すことと、それによって争いが発生する為だ。

魔術が原因となった争いは、「クロウリー氏の乱」ぐらいしか知りませんが、
宗教により見えない嫌がらせのようなものが社会的秩序を乱したことが原因となった
戦争なら、腐るほど知ってますよ。

> 具体例として示すと、中国では法輪功という気功集団が激しく弾圧されたが、そのように
> 政府が過激な取り締まりを行う背景には、この集団が健康法の普及という世界から次第に政治に
> 深く関与したことと、気功というある種のオカルトを政治的に利用(悪用)したからこそ、
> ここまで中国政府と対立し過剰な弾圧に繋がっているといえる。

中国政府による「反政府勢力との決めつけによる、不当な弾圧と人権蹂躙」を正当化しますか。
まあ、そっち系の人には、よくあることですけどね。

> これは宗教的な呪いや祈祷、または超能力といって奇妙な行為を執り行う日本国内の悪質な
> 新興宗教テロ団体についても同様にいえることだ。

ワタシは、新興宗教テロ団体ではありませんし、ごく普通の会社員なんですけどね。

> あなたがオカルトや魔術を推進する立場なら同様の危険がついてまわるだろう。
> 地獄に落ちるという表現そのままの際限のない争いを招く事になるからやめるべきものだ。
> 必ずその罪は生じる。

新興宗教テロ団体って、「地獄に落ちる」とか「必ずその罪は生じる」というような、
脅迫めいた表現を、よくしますよね。

> カードゲームの解釈でオカルトや魔術に偏った誤解を招くような解説はするべきではない。

では、あなたは、どういう解釈をするべきだと、お考えなのでしょうか。
まさかとは思いますが、カードゲームとしてのみ使っているのでしょうか。
0187名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/19(金) 06:08:35.09ID:GdockifJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Crowley's card is far more complex than the others and is, again, explicitly sexual.
クロウリー氏のカードは、他のものたちより、さらにずっと複雑で、そしてさらに、明らかに
性的である。

He describes the Key as representing "creative energy in its most material form,
" and as "Pan Pangenetor, the All-Begetter."
彼は、「鍵(大アルカナ)」を、「その最も物質的な形をとる創造的な精力」、および
「パーン・万物の創造主、全ての男親」を象徴するものとして述べる。

His goat is Pan standing on the highest mountain-top on earth, against "a background
of the exquisitely tenuous, complex, and fantastic forms of madness." (*140)
彼の山羊は、「絶妙に希薄で、複雑で、そして幻想的な、狂気の形態の背景」を背にして、
地上で最も高い山の頂上に立つ「パーン神」である。(*140)
--- ここまで ---

ちなみに、(*140)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
140. Crowley, Book of Thoth, 105.
140. クロウリー著、『トートの書』、105ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Pan/パーン神」は、ギリシア神話に出てくる牧羊の神で、「15:悪魔」に配属される
「磨羯宮/やぎ座」のモチーフにもなっています。
クロウリー氏は、独自性を出すために、レヴィ氏の「メンデスの山羊/バフォメット」では
なく、この「パーン神」を選択したということですが、この「パーン神」には、「男性的な
セックス・シンボル」という一面もあり、結果的に、カードに、より性的な意味を秘めると
いう、一石二鳥の成果を得ることにも成功しているわけですよね。
0188名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/20(土) 07:05:36.77ID:K8U6pJSc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Between the legs of the goat is the wand of the Chief Adept.
山羊の足の間には、「首領達人」の棒がある。

It takes little observation to realize that what Crowley has represented in his
card is a penis with two testicles, appropriate in that he considered this card
to mean the most male of all male energies.
クロウリー氏が彼のカードの中で表現し続けているものが、彼が、このカードを、すべての
男性的な精力たちの中で最も多い雄性を意味すると考えたという点でふさわしいものである、
2つの睾丸を持つ男根であることを理解することは、ほんの少しの観察で足りる。
--- ここまで ---

トート版は、そのエロい表現により有名であることは言うまでもないのですが、その絵を
単なるエロ表現として見ている間は、まだまだ修行が足りないということですよね。
つまり、「首領達人」の棒がちんちんであることは自明ですが、両脇にある二つの円形は、
タマタマであって、決してパイズリをしている構図では無いということです。

それはともかくてして、この「15:悪魔」は、いわゆる悪魔にあらず、我々から見れば
「地上世界の創造主」もしくは「地上を繁栄させる精力の源」、つまり「万物の父」で
あることが、ここでも示されているわけです。
そして、「ティファレト」の「精力」、つまり地上における物質の源とエネルギー源で
ある「子種」が、「15:悪魔」を通じて、下位にある「雌性」のカードたちの畑に向けて
振り撒かれ、そして地上で大きく育った「収穫物」を、「13:死」を通じて効率良く回収
するというエコな循環ルートが、ここに構築されているいう感じですよね。

ただ、そのイメージとしては、どうしても「生殖行為」つまり「エロいこと」に繋がる
わけですが、それを修正版「悪魔」像としての上級者向けの暗示ではなく、包み隠さず、
ちんちん&タマタマを描いたものが、このトート版「15:悪魔」であるということです。
そういう意味では、トート版の方が、よりわかりやすくなっていますが、それはそれで
誤解を招きやすい表現でもあるわけです。
0189名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/22(月) 06:29:10.42ID:uz8nCwnx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
He makes a further statement by having the tip of the male organ outside the card,
symbolically in the greater heavens, while the testicles contain the bound-up forms
of physical manifestation.
彼は、男性器官の先端を、象徴的に、より大きな天界の中である、カードの外側に置き、
その一方で、睾丸が物質的な顕在化の拘束された形状たちを包含することによる、さらなる
供述を行う。
--- ここまで ---

「male organ/男性器官」、要するに、おちんちんのことですが、トート版「15:悪魔」
には、「首領達人の棒」のおちんちんと、山羊の背後にある山のように見える「木の幹」の
おちんちんがあり、前景の「首領達人の棒」のおちんちんが、カード外の地下へと突き
挿さっている一方で、背景の「木の幹」のおちんちんは、カード外の天上に向かって突き
挿さっているという構図になっています。

そして、顕在化の子種を象徴するタマタマが、その間に在るという、まさしく「天地創造」
すなわち「我々の宇宙の誕生の神秘」を、このカードの中に表現しているということであり、
その意味では、この「三つ目の山羊」は、我々が住む物質的宇宙を創造した「創造主」を
象徴する存在となっています。

どうしても使っているネタがネタだけに、そっち方向に思考がバイアスしてしまいがちでは
ありますが、エロネタ満載の割には、なかなか奥深い意味と解釈を持つカードですので、
たまには肉体的なエロ目線ではなく、神秘奥義的なエロ目線で、このカードを見つめ直して
みるのも良いかと思います。
0190名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/23(火) 06:15:30.90ID:DxpbbiVm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Undoubtedly there are many who will be made uncomfortable by the recurrence of
pointedly sexual symbolism in the cards.
疑う余地なく、カードたちの中にある、あからさまに性的な象徴主義の再発により、嫌な
気持ちにされるであろう人が多くいる。

This symbolism has been understood by initiates of the Mysteries for centuries,
but it is only recently that our society has reached a stage of maturity where
such ideas may be discussed openly and in proper perspective.
この象徴主義は、何世紀もの間「神秘的教義」の秘伝伝授者たちにより理解され続けて
きたが、しかしそれは、つい最近になって、我々の社会が、そのような考え方が、公然と、
そして適切な見方において議論されることのできる、成熟の段階に達したところである、
ということである。
--- ここまで ---

とはいえ、肉体的なエロ目線も、神秘奥義的なエロ目線も、割と昔からあることであって、
今の方が昔よりも成熟した社会であるとも、一概には言えないのではないかと思っています。

現在でも、脊髄反射のヒステリックな「エロ目線禁止」主義者もいるわけですし、今でも、
オープンに議論できる場所というのは、ここのような匿名のネット社会ぐらいしか、あり
ませんしね。
そもそも、どごぞの大学の入学式の祝辞とかで、神秘奥義的なエロ目線のネタを話せば、
間違いなく炎上してしまうことでしょうしね。

いずれにしても、エロネタは両刃の剣であり、それに頼りすぎてしまうと、どうしても
下ネタ好きたちのオカズにされてしまい、結果的に「商業主義」に取り込まれてしまう
危険性もあるわけですので、ワタシとしては、どちらかというと、あまりオープン化を
強く主張しない方が良いのではないかと思うのでした。
つまり、トート版に対しては、色々な意味で、少々距離を置いているということであり、
基本はコールデン・ドーン版とウェイト版をメインに使っているのでした。
0191名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/24(水) 06:29:01.13ID:8xIMlXSI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Certainly, any adult will agree that orgasm is the most powerful natural force to
affect the human body, yet it is merely an indicator of a power of God so overwhelming
that our minds cannot begin to conceive of it. (*141)
確かに、成人なら誰もが、性的絶頂感が、人体に影響する最も強力な自然の力であることに
合意するであろうが、それでも、それは単に、我々の知性がそれを考えることができない
ほどに圧倒的である、「神」の力を示すものである。(*141)
--- ここまで ---

ちなみに、(*141)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
141. A work of particular interest is The Sacred Fire: The Story of Sex in Religion
by B.Z. Goldberg, New York 1958.
141. 特に興味深い作品は、『聖なる火:宗教における性の物語』、B.Z.ゴルドベルク著、
ニューヨーク 1958年。
--- ここまで ---
とあります。

「orgasm/性的絶頂感」が、「生命の木」における「15:悪魔」に関わる「a power of God
/神の力」であるかどうかは、それなりに議論があるところであり、それは裏を返せば、
「我々の知性がそれを考えることができないほどに圧倒的である」、つまり知性では
説明できないものであるという証拠でもあります。

「15:悪魔」自体は、どちらかというと知性に関わるものですので、「orgasm/性的絶頂感」
は、どちらかというと「13:死」の側にあるものであって、それゆえ、「死ぬぅ〜!」とか
「逝くぅ〜!」とか「クる〜!(come)」とか「オーマイガッ!」いう表現、すなわち
肉体という「悪魔のしがらみ」からの解脱を意味する言葉で表現されているわけですよね。

というわけで、最後に、「15:悪魔」は、基本的には、そういう「肉体的な性」の意味は、
思いのほか薄いということを述べて、このカードの説明を締めくくりたいと思います。
0192名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/27(土) 06:09:25.42ID:T7ostCb1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
25. THE PATH OF SAMEKH
25. 「サメク」の小径

Temperance
節制

The Fourteenth Key
14番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「サメクの小径」です。

ここは、人類が到達可能な最高地点と言われる「ティファレト」へと通じる「15:悪魔」と
「13:死」に挟まれた、「14:節制」と呼ばれている「小径」です。

さて、魔術ヲタク界における「15:悪魔」は、本当は「悪魔」ではなかったわけですし、
この「ティファレト」へと通じる高位の三枚のカードのタイトルを、額面通りに受け取る
ような愚直な人は、既にいないとは思いますが、そもそも自分で「節制」なんて自己申告
しているような「天使」が、本当に「節制」であるはずもないという「魔術界の裏設定」
については、きちんと深読みしておく必要があるわけです。

あと、「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の関係は、「嬲」に通じるものもありますよね。
つまり「15:悪魔」の抽象化された高位の「おちんちん」に対応するものが、この「14:節制」、
すなわち抽象化された高位の「おまんこ」であり、さらに「13:死」により二本挿しされて
いるのが「14:節制」のポジションなのですが、これらは高度に象徴化されている概念、
すなわち「魔術的な裏ネタ」ですので、決して俗世での肉体的な関係性を述べたものでは
ないということに、くれぐれも注意しておく必要があるわけです。
0193名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/28(日) 06:35:54.36ID:2eG1Z2wz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
□ PATH COLOR: Blue
□ 「小径の色」:「青」

□ RELATED SOUND: G Sharp
□ 「関連した音」:「Gのシャープ」

□ SIGN: Sagittarius (Mutable Fire)
□ 「宮」:「人馬宮(柔軟宮の火)」

□ MEANING: Prop
□ 「意味」:「支柱」

□ SIMPLE LETTER: Anger
□ 「単字」:「憤怒」

□ ESOTERICTITLE: The Daughter of the Reconcilers, the Bringer Forth of Life
□ 「秘伝的な称号」:「調停者の娘、生命を産み出す者」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、ヘブライ文字の「サメク」と、「人馬宮(いて座)」の
占星術記号(ここで描かれている記号は、一般的なものとは異なり、矢印のアタマが二つ
あるもので、これはいわゆる「二本挿し」を示唆している可能性があります)、および
「生命の木」における「サメクの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

なお、このカードの天使像は、女性か男性かという議論がありますが、ゴールデン・ドーン
系においては、これは女性像である、ということを強く示唆しています。
ちなみに、「人馬宮」は、ギリシア神話の半人半馬のケイローンがモチーフですので、
男性的なイメージがあるのですが、ゴールデン・ドーン系の「14:節制」のカード自体は、
女性的なイメージが強いということに注意が必要です。
0194名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/29(月) 07:24:23.42ID:F1YoATnh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fifth Path is the Intelligence of Probation,
or is Tentative, and is so called because it is the primary temptation, by which
the Creator trieth all righteous persons.
「知恵の32の小径たち」:「25番目の小径」は「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、
なぜならそれは、それにより「創造者」が全ての正義の人たちを試される、最初の誘惑で
あるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。
が、原文の引用にミスがあるようで、「or is Tentative」の部分は「or Temptation」と
修正しておいてください。

この「25番目の小径」は、現代宇宙論的に言えば、ビッグバン以前の話、つまり「宇宙
創造の神」なる存在が、「宇宙創造のための初期値パラメータの無限の組み合わせ」から、
我々の宇宙を創造するための「各種宇宙定数」を取捨選択する場面であり、我々の宇宙を
生み出すことが可能なパラメータ調整のための試行錯誤の過程であると言うことができます。
(とまあ、言うだけなら勝手ですしね。)

まあ、パラメータ・チューニングに失敗すれば、収縮して消滅するか、爆発して発散するか
ですので、うまい感じにオペレーション可能なウィンドゥに入れ込むことが必要なのですが、
この宇宙創造のバラメータ調整作業の謎解きは、かなり難しいようで、現代においても、
その神秘を解き明かすまでには、全然至っておりません。
結局のところ、神秘学者も科学者も、この時点においてはドングリの背比べ、つまり、
現代においても、人類の宇宙に関する認識レベルは、競うほどの価値も無いほどの
低レベル状態というのが現状なんですよね。
まあ、それほどまでに「人」と「神」のレベルは違うんだよ、ということを、改めて
認識させられる「小径」である、ということなのでした。
0195名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/30(火) 10:08:51.09ID:Uc1KH/9o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
The Path of Samekh, TEMPERANCE, leads from Yesod to Tiphareth, from the Moon to the
Sun, from the Personality to the Higher Self.
「サメクの小径」である「節制」は、「イェソド」から「ティファレト」へ、「月」から
「太陽」へ、「人格」から「高次の自我」へと導く。

It is among the most important and difficult Paths of the entire Tree, and one on
which the very enormity of the Great Work may be experienced.
それは、全体の「木」の中で最も重要かつ困難な「小径たち」に囲まれ、そしてその上で、
「偉大なる作業」のまさしくその極悪非道さが経験されるかもしれないものの一つである。
--- ここまで ---

いきなり「14:節制」には似つかわしくない「enormity/極悪非道」という言葉が出てきて
面食らっているかもしれませんが、これは「14:節制」自体の属性ではなく、ここを通って
上位世界に至るには、それなりの、いやいやトンデモな覚悟がいるよ、という意味です。
要するに、陰湿なるイジメや、様々なハラスメント行為とか、命を危険に晒すほどの悪質な
アレやコレやの行為が蔓延しており、この先生きのこるには、「鉄壁のバリア」すなわち
「A.T. フィールド」の展開が絶対的に必要な領域なのです。

どれくらいの鉄壁さが必要かというと、アンチグラビティ属性を備えた鉄壁のミニスカート
と同じくらいの絶対防御であって、一般人は、たとえコマ送りにしても、決してその奥に
隠されたものを見ることは出来ないというぐらいの完璧さが要求されるわけで、そして、
よく訓練された上級者のみが、「見えた!」というキーワードで、その限界を打ち破る
ことが出来るという仕掛けなんでよね。

というように、この「14:節制」は、その清楚な見た目にもかかわらず、トンデモなく鍛え
上げられた熟練能力者であるということを忘れてはならないわけで、そして、女神像の
ローブの中に隠された世界は、「21:世界」のようなオープンな姿とは違い、我々の
ような凡人には、見ることも触れることも出来ない異次元世界であることを示唆して
いるのでした。
0196名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/01(水) 06:31:28.36ID:eWBsiOck
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
It has been called a Path which is the "Dark Night of the Soul,"(*142) a Path on
which one enters a deep tunnel in the belief that the Light is to be found at the
end of it.
それは、「魂の暗い夜」(*142)である「小径」であると呼ばれ続けており、「光」がそれの
終わりに発見されるはずであることを信じて、人が深いトンネルに入ることに関する「小径」
である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*142)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
142. Gareth Knight, A Practical Guide to Qabalistic Symbolism, Toddington, 1965.
v. II, 69.
142. ガレス・ナイト著、『カバラ主義の象徴主義に関する実践的入門書』、トディントン、
1965年、第二巻、69ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Dark Night of the Soul/魂の暗い夜」の元ネタは、16世紀のスペインのカトリック司祭
である「十字架のヨハネ(Juan de la Cruz)」と呼ばれたカトリックの聖人の著作であり、
要するに、「信仰心を強く持ち、あまたの困難を乗り越えて、神の領域へと至る」という、
よくある宗教的なサクセス・ストーリーと言えばそうなのですが、「生命の木」においては、
そういう「茨の道」が、この「14:節制」に対応するのではないかということですよね。

とはいえ、ワタシ自身は、そっち方面の「信仰心」が欠けておりますので、あまり深入り
出来ないというか、できれば避けておきたいところですので、そっち方面に興味のある方
は、ご自身の責任において研究してもらえると助かります。
ということで、ワタシはワタシの分かる範囲で、道を進むことにしましょう。
え、無責任にもホドがあるって?
いやいや、ネットでのカキコに責任なんて必要ありませんから。←確信的責任放棄ww
0197名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/05(日) 07:10:34.96ID:UnGAQZJi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
This is a Path of trial and temptation, called the Intelligence of Probation.
これは、試みと誘惑の「小径」であり、「試験の知性」と呼ばれる。

It is also known as the "Daughter of the Reconcilers, the Bringer Forth of Life."
それはまた、「調停者たちの娘、生命を産み出す者」として知られている。
--- ここまで ---

「イェソド/基盤」に至る「14:節制」「17:星」「19:太陽」は、ゴールデン・ドーン版
では、いずれも「水」と「地」と「天空」と「天空にあるもの」という、割と似たような
モチーフが並んでいる姉妹関係のカードです。
もちろんこれらは、『旧約聖書:創世記』をイメージしているものですが、それぞれの
カードに役割分担があって、そしてそれらを総括するオバサマ、いやいや最年長である
「長女」としての役割が、この「14:節制」にあるわけです。

まあ、絵が似ているとはいえ、やっていることは、
「14:節制」>>[越えられない壁]>>「17:星」>>[越えられない壁]>>「19:太陽」
であることは確かであり、それゆえ、我々からは理解しにくく、とっつきにくいカード
ではあるわけですし、そもそも我々の日々の生活とは、ほぼ無縁のレベルなのです。

そもそも、ここから先は、ワタシの理解レベルを越えた存在となっていますので、
ワタシの解説そのものが、既に意味の無いものとなっている可能性も高いわけです。
というわけで、ここから先は、なるべくワタシのお気楽な独り言的な解説に頼らず、
できるだけ読者自身による理解に努めていただければと思います。
0198名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/06(月) 06:05:02.70ID:ON782OPN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In his 777 Crowley made this comment on the letter Samekh: It is "The Womb preserving
Life. Self-control and Self-Sacrifice govern the Wheel."(*143)
クロウリー氏は、彼の『777の書』において、文字「サメク」について、以下のような注釈を
作成している:『「生命」を保護する「子宮」。「自制心」と「献身」が、「車輪」を統御
する。』(*143)
--- ここまで ---

ちなみに、(*143)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
143. Crowley, 777, 40.
143. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここは、邦訳版『777の書』だと、76ページにあります。

「14:節制」は、場所的には、王子である「ティファレト」の下流であり、その男性的なる
精力エネルギー、ただしまだ物質としては未顕現の状態のものの受け皿として機能します。
つまり、物質的な妊娠状態ということではなく、非物質的な妊娠状態ということになる
わけですが、そのような状態が何を意味するのかは、なかなか解釈が難しいところです。

例えとして言えば、苦労を重ねた末に、何かアイディアが閃いた瞬間とか、まだよくわから
ないけど何かが掴めそうな予感とか、「あ、妊娠したな」という予感とか、いまだ形になる
前の根拠の無い閃きに似たものみたいな、何かそういう心の奥底にある直観めいたものが、
まあ全くレベルは違うのですか、これに似たものかもしれません。

いずれにしても、我々の想像力を越える何かを産み育てる機能が、この「14:節制」にある
ということは間違いないわけであり、そういう意味では、我々の世界からは決して見えない
「母なる創造主」としての位置付けではないかと思われます。
0199名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/07(火) 06:28:02.46ID:rGgd3XHn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
All of these phrases direct us to the idea that behind this card, ultimately, is
the Great Mother, the [mem][yod][heh][lamed][aleph] [heh][vau][heh][yod] (YHVH
Elohim) of Binah.
これらの語句たちの全ては、我々を、このカードの背後にあるものは、究極的には、
「大母」である、「ビナー」の[mem][yod][heh][lamed][aleph] [heh][vau][heh][yod]
(ヤハヴェ・エロヒム/主なる神)であるという考え方に導く。

For this reason the central figure of both the Golden Dawn and Crowley cards are
female.
この理由のために、ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏のカードの両方の中央の人物像は
女性である。
--- ここまで ---

元々の「14:節制」のデザインの多くは「女性像」であり、ゴールデン・ドーン系では、
基本的には、従来からの流れを踏襲しています。
その結果、「中央の柱」の「小径」は、「2:高等女司祭」「14:節制」「21:宇宙」と、
全て女性で占められるということになり、ヲタク思想によくあるヒロイン偏重の傾向が
見られます。

ウェイト版では、そういうヲタク的な女性キャラ重視、いやいや女性優遇傾向を嫌ってか
どうかは分かりませんが、「14:節制」を、どちらかというと「男性的」なものとして描写
することで、「女女女」から「女男女」という、より妄想が捗る方向に修正しています。
そしてそれは、「ビナー」という「峻厳の柱」に引きずられることなく、中立公正の立場で
「中央の柱」を構築するということを意図しているのかもしれません。
ちなみに、ウェイト版「14:節制」の人物像のチニックの胸元には、「聖四文字」が刻まれ
ており、これも、どちらかというと「中立的」な「創造神」であることを示しています。

まあ、どちらのストーリーが良いということではありませんが、そういう脚本の違いが
あるということを知っておくと、さらに妄想が膨らむということですよね。
0200名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/08(水) 06:17:54.83ID:3ubX6jvx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
Moreover the Twenty-Fifth Path is that of Sagittarius, the Archer who is also Diana
the Huntress, Goddess of the Moon.
さらに、「25番目の小径」は、「人馬宮(いて座)」のそれであり、「射手」はまた、
「狩猟の女神」であり「月の女神」である「ダイアナ女神」でもある。

This repeats the principle that all of the figures of the Tarot (except THE FOOL)
are Mother-Binah and Father-Chokmah under different guises.
これは、「(愚者を除く)タロット」の人物像たちの全ては、異なる外観たちを装う「母なる
ビナー」と「父なるコクマー」であるという原則を繰り返す。
--- ここまで ---

「14:節制」の女性像は、ゴールデン・ドーンにおいては、「射手座」のイメージに近い、
ローマ神話の「月の女神ダイアナ」であるという説ですが、多産の地母神系でもあるので、
見た目のイメージとは少々異なっているので、ちと強引な感じもしますが、この人物像の
キャラ設定は、妄想する上の重要な鍵となりますので、そういうことにしておきます。

まあ、こういうキャラ設定は、多分にご都合主義的なものもありますし、そもそも神話
体系によるキャラ設定は、その人物設定にブレが多い、いやいや多くのバリエーションが
ありますので、解釈上の自由度が高いというメリットもあります。

そして、さらなる拡大解釈のための「principle/原則」となっているのが、『全ての
人物像は、「母なるビナー」と「父なるコクマー」の変化形である』という点であり、
ここまでくれば、もはや何でもありの完全無敵状態ですよね。

ということで、今後の解説において、何か矛盾点があっても、「全ては許されている」
わけですので、変なツッコミは無しでお願いします。

※実に素晴らしい言い訳のネタだなぁ・・・(笑)
0201名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/09(木) 05:58:21.36ID:tp6iHHRS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In her function as Diana she governs the tides of earth, and the fluctuations of
the Astral Current.
「ダイアナ女神」としての彼女の機能において、彼女は地球の潮の干満、および「星幽的
流動」の変動たちを統治する。

She is the natural framework and support for the waxing and waning of the energies
of existence.
彼女は、存在する全てのものの精力たちの満ち欠けのための、自然な枠組みであり、
そして支える者である。

She is the Prop, the very meaning of the word Samekh.
彼女は、まさに「サメク」という言葉の意味である、「支柱」である。
--- ここまで ---

「14:節制」は、「中央の柱」の中央にある「小径」であり、地上の我々からは直接見る
ことは出来ませんが、我々の世界を司る上で、宇宙の屋台骨として、世界全体を支えると
いう役割を持っていることは、容易に想像できます。

そして、「支える」ということは、単なる受動的な「framework/枠組み」だけではなく、
積極的に干満という変化をもたらすことで、世界を更新し続け、新たな誕生と成長と死の
生命のサイクルを回し続けているということです。

つまり、恒久的な「ティファレト」の太陽エネルギーを源泉として、潮の干満や四季の
変化などで、エネルギーの流れを周期的かつリズミカルなものにアレンジすることで、
地上における多彩な生き物たちの繁栄をもたらすという作用があるということですよね。
要するに、「14:節制」は、アレンジャーであり、指揮者であり、さらに屋台骨を支える
運営者でもあるということであって、この作用が無ければ、「生命の木」は支えを失って
崩壊し、我々の住む世界は決して創造されなかったということでしょうね。
※結局のところ、「ダイアナ=何でもありの無敵状態」というのが結論なのでした。
0202名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/11(土) 05:48:19.88ID:4WW+7VvZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
The Great Mother is, thus, the "Womb preserving Life."
「大母」は、このように、「生命を保護する子宮」である。

She is restriction and control over natural energies; all of the energies of the
manifest universe are controlled and manipulated within specific bounds and restrictions.
彼女は、自然の精力を覆う制限と制御である;顕現化した宇宙の精力の全ては、明確な
境界と制限の範囲内で制御され操作される。
--- ここまで ---

このあたりの記述は、「峻厳の柱」のトップであり、最初の形成的な「セフィラ」である
「ビナー」、そして「ダイアナ女神」に関する説明になっています。

「14:節制」は、「中央の柱」にある「支柱」であるため、あまり「左傾化」することの
ないよう、うまくバランスを取る必要があるのですが、ここであまりにも「ビナー」の
存在を表立って意識してしまうと、調和が取れなくなってしまいます。

つまり、「14:節制」の「女神像」は、「背景的な想像物」すなわち「見えざる存在」で
あって、隠された根本的な部分を司る存在であり、我々が見ることのできる「前景」は、
あくまでも二つの壺だけであるということになってくるわけです。

そういう意味では、この「女神像」は、「15:悪魔」の「悪魔像(悪魔の皮を被った神)」
と似たような性質を持っているわけであり、「女神」であって「女神」に非ず、すなわち
「女神の皮を被った神」であるという、なんかもうどうでもいい話になってくるわけです。
そして、ウェイト版では、従来の「女神像」ではなく「高位の天使」として描かれている
理由も、何となく、このあたりにあるのではないかと思います。

いずれにしても、キーワードとなっているのは、「支柱」となる「境界と制限」であり、
この「小径」は、そのような「宇宙の原則(方程式)」が選択され試される場所である
という認識で良いのではないかと思っております。
0203名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/12(日) 06:22:31.98ID:+mpJMnPo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In their Voice of Isis, Hariette and Homer Curtis describe the Universal Mother
as the "power of bringing forth in humanity the Divine Child or the Christ."(*144)
ハリエット・カーティス氏とホーマー・カーティス氏は、彼らの『イシスの声』の中で、
「普遍的な母」を、「人類の中において、「神の子」もしくは「救世主」を生み出す能力」
として述べる。 (*144)

It is that which in every individual brings about the contact of the Personality
with the inner divine light.
それは、あらゆる個人において、「人格」の、内なる神の光との接触をもたらすものである。
--- ここまで ---

ちなみに、(*144)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
144. Hariette and Homer Curtis, The Voice of Isis, Washington. D.C., 1946, Introduction.
144. ハリエット&ホーマー・カーティス著、『イシスの声』、ワシントンD.C.、1946年、
序論。
--- ここまで ---
とあります。

とりあえず、そういう意見もあるよ、ということなのですが、要は、人類史上において、
「ティファレト」から生み出された「神の子」、すなわち「イエス・キリスト」は、
人ではなく、この「14:節制」の「Universal Mother/普遍的な母」の子宮により受胎し、
人の世に生み出されたという話になっているわけです。

そして、その人類史上における出来事は、現代に生きる我々一人一人の中、すなわち
個々の「Personality/人格」の中においても、「Universal Mother/普遍的な母」に
より、もたらされる可能性のある出来事であるということですよね。

まあ、よくわかっていませんが・・・。
0204名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/13(月) 06:13:54.21ID:RVD5RqHS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
This is, in Qabalistic terms, the knowledge and Conversation of the Holy Guardian
Angel.
これが、「カバラ主義」の表現においては、「聖守護天使の知識と会話」である。

Rising on the Path of TEMPERANCE leads to our bearing of the Child, which is ourselves
reborn.
「節制」の「小径」に沿って昇ることは、我々自身の生まれ変わりである、我々の「子」の
出産をもたらす。
--- ここまで ---

人類が、その歴史の中で、「神の子」であるイエス・キリストを生み出したのと同様に、
我々の一人一人は、「神の子」を生み出すことが可能という、いつものミソクソ理論、
いやいや「上の如く下も然り」の普遍的な原理です。

ここで問題となるのは、我々が「節制」の「小径」に沿って昇ることが可能なのか、
という点ですが、これはもう考えるまでもなく、「100%不可能」です。

もちろん、「微粒子レベルの可能性が存在する」という、量子力学的な解説をすることも
可能と言えば可能なのですが、それはシュレーディンガーの猫が針の穴を通るくらいの
微粒子レベルであって、普通に言えば「不可能」なのです。

まあ、「不可能」と言ってしまえば、話はこれで終わるわけですが、そう簡単には終わり
たくない人も中にはいるわけですので、そういう人向けに、無駄な努力をするための
「茨の道」という役割が、この「小径」にあるわけです。
そして、その「無駄な努力」は、「結果」を求めるためではなく、言ってみれば、ヲタクが
「二次元との結婚」を求めるのと同じくらいにド変態、いやいや崇高なる伝道者として、
その一生を捧げるくらいに、とても尊い行為ではあるわけです。
さらに、その報われない努力こそが、新たな価値の発見へと導くことも多々あるわけで、
ヲタクの一途さを、決してあなどってはいけない、ということにもなるわけでした。
0205名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/14(火) 05:59:48.00ID:bPWKxWba
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
Key 14 is the beginning of an awareness of the Higher Self of Tiphareth.
14番の「鍵(大アルカナ)」は、「ティファレト」の「高次の自我」の気づきの始まりである。

The card demonstrates not the experience itself, but how the experience is brought
about, i.e., through an exchange and balance of opposites which can only be
symbolically described.
カードは、経験それ自身ではなく、経験がどのようにして、すなわち、象徴的にのみ
説明可能な反対物たちの交換と均衡を通じて、もたらされることを説明している。
--- ここまで ---

我々にとっての「14:節制」の利用価値は、「聖守護天使の知識と会話」にあり、そのため
「the Holy Guardian Angel/聖守護天使」は、「14:節制」の人物像として象徴化されて
いるわけですが、この人物像は、高次の存在ですので、実際に見えるわけではありませんし、
見ようとしても見えるわけでもありません。
まあ、これが見えると言っている人は、間違いなく頭の病気あるいは詐欺師ですよね。

つまり、低次の存在である我々は、背景にある「しょせん見えざる人物像」ではなく、
前景にある「象徴的な二つの壺」に注目する必要があるということです。
まあ、象徴的すぎて、何が何やらわからない感じではありますが、しょせん究極奥義なんて
ものは、一般人にとっては「わけわからないもの」であるわけですので、余計な詮索は
不要ですし、理解する必要も無いものですし、役に立つようなものでもありません。

とはいえ、これが「生命の木」における「聖守護天使の知識と会話」のための「究極奥義」
のカードであることは間違いないわけですし、それゆえ物好きな連中、いやいや高位の
セカンド・オーダーを目指す魔術師にとっては、避けては通れない「関門」となっている
わけです。
まあ、その手のややこしいことは、ゴールデン・ドーンの儀式の中で、色々と象徴的に
説明されておりますので、無駄な詮索をしたい方は、そちらを参考にして頂ければと
思います。(説明責任を完全放棄)
0206名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/18(土) 05:43:23.99ID:lhUxljhJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The use of symbols here has nothing whatsoever to do with secrecy, but is merely
reflective of the inadequacy of language to describe the process.
ここでの象徴たちの使用は、何らかの秘密主義のためによるものではなく、単に過程を
記述するための言語の不十分さを反映しているにすぎない。
--- ここまで ---

「14:節制」の過程、すなわち我々が「ティファレト」の「高次の自我」へと至る過程の
説明においては、言語による記述は、ほぼ役に立たない、すなわち単純明快な論理化は
不可能であり、曖昧かつ本人の内なる理解に基づく「象徴表現」に頼らなければならない
ということです。

これはつまり、説明責任の放棄、いやいや「客観的な正解は無い」ということであり、
「あなたが理解できないのは、ワタシの説明が悪いわけではなく、あなたの○○力が
絶対的に足りないからである」と言っているのに等しいわけです。

残念なことに、ワタシは、その手の「○○力」なるものに欠けているので、おそらくこの
「14:節制」を理解できることは、ほぼ無いと思いますし、たとえ理解できたとしても、
それを誰かに伝えるということは、ほぼ無理であるということになるわけです。

そう、ここで「人」と「人」とのコミュニケーションは、肉体的にも精神的にも霊的にも
途絶えてしまうという場所であり、人は集団ではなく「個人」で、この「14:節制」の
「小径」を辿って、「高次の自我」へと至る必要があるということですよね。
つまり、「書かれた教義」に頼る組織的かつ集団主義的な宗教では、この「14:節制」を
辿ることは決して出来ないということであり、最後には、個人単位での「内なる理解」が
必要不可欠であるということになるわけです。

とはいえ、ワタシには、そこまで苦労して「上の世界」に到達する必要性も必然性もあり
ませんし、そもそも「下界大好き」な俗な人間ですので、「14:節制」とは、あくまでも
「話のネタ」程度の「お付き合い」に留めておこうと思うのでした。←いまいち興味なし
0207名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/19(日) 07:16:17.75ID:sk3ap188
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
Crowley's card is the most specific, showing the process in alchemical terms, where
Fire becomes Water and Water becomes Fire.
クロウリー氏のカードは、最も具体的であり、「火」が「水」になり、そして「水」が「火」
となるところの、錬金術の用語たちにおける過程を示している。

And, as we appreciate that the primary alchemy takes place within the body of the
alchemist himself, we can also appreciate that this card is describing an actual
physical effect.
そして、我々が、錬金術師自身の身体の内で、根本的な錬金術が起こっていることを認識
するにつれて、我々はまた、このカードが実際の物質的な効果を説明していることが理解
できる。

It is not nearly so symbolic as some might believe.
多少の人が信じているかもしれないほどの、象徴的なものでは到底ない。
--- ここまで ---

「14:節制」の「小径」が、上から下への一方的な流れであるとすれば、これは象徴的な
「生命」を生み出すための錬金術的な過程を描いたものであり、ある意味、物質的かつ
肉体的な効果を説明していると理解することが可能です。

つまり、トート版においては、赤い火と白い水は「大いなる父からの精子」と「大いなる母
からの卵子」であり、それらが受精して「子宮」へと注がれ、「イェソド」を経て物質的な
「マルクト」での生命誕生となる、最初の過程が示されているということです。

それはそれで、さほど問題無いのですが、その程度の肉体的な理解では、この「小径」を
遡って霊的な「ティファレト」に至ることは、到底不可能となってしまいます。
そして、その一方通行を解消する手段として、「霊的エクスタシー」なる概念が出てくる
わけですが、そこを物質的な俗的理解に基づいた論理拡張で済まそうとすると、エログロ
というか、ミソクソ的な論理破綻が生じることになってしまうわけなんですけどね。
0208名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/21(火) 05:58:22.70ID:fxp3ZMWy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The willful interchange of Fire and Water is the merging or tempering of energy
opposites within the body, here symbolized by a stream poured back and forth from
one vase to another.
「火」と「水」の意図的な交換は、身体の内にある精力の反対物たちの、融合または焼き戻し
であり、ここでは、1つの壺からもう一つのものへと、行ったり来たりして注がれる流れにより
象徴される。

This is the Living Water, consciousness vivified by being merged with the Fiery
Spirit.
これは、「生ける水」であり、「火の精霊」と融合されることによって生命を与えられた
意識である。
--- ここまで ---

この「Living Water/生ける水」は、『旧約聖書』や『新約聖書』のあちこちに出てくる
「聖書用語」であり、神より賜る「命を育む水」という感じのものです。
これを、神より賜る「命を育てる火」と混ぜ合わせて、ちょうどよい湯加減、いやいや
究極的なる万能薬「エリクサー」を調剤しているという感じですかね。

まあ、ここでいう「神の火」も「神の水」も、しょせん「象徴的」すなわち「抽象的」なる
ものですので、これが具体的に我々の何の役に立つのかと言われれば、特に何の役にも
立たないということになるわけですが、強いて言えば、物事をうまく進めるには「火加減」と
「水加減」が大事であるという程度の、いい加減な返事に留めておきたいと思います。

要は、この「14:節制」は、優等生すぎるというか、教科書的というか、建前メインの話で
あって、神ならぬ人には「出来ないこと」を参考にしろと言われても困るわけですし、
面白味に欠けるというか、そもそもバランスを欠いた思考回路を持つワタシにとっては、
全くもって無縁なる存在である感じがしてしまうワケですよ。

まあ、「節制」という説教的なタイトルに、ちょっと反発してるだけなんですけどね。(←反抗期)
0209名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/28(火) 06:27:40.49ID:TJB5oXQ7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The process is one of bringing the Spirit into the body so that it tempers the
consciousness, and is itself tempered by the consciousness, thus forming something
new, something which is "more than the sum of its parts."
過程は、それが意識を「鍛える」ために、身体の中に「霊」をもたらすことの一つであり、
そして、それ自身、意識により鍛えられ、従って、新しい何か、「その部分たちの合計
より多い」何か、を形成することである。

This is the personal application of the Yod (Fire) and Heh (Water) uniting in the
individual to produce Vau (Air) within the body which is Heh-final and Earth.
これは、「最終ヘー」と「地」である身体の内に「ヴァウ(空気)」を生み出すために、
個人の中で合体する「ヨッド(火)」と「ヘー(水)」の個人的な適用である。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」は、例えて言えば、個人の内にある「鋼=最終ヘー」というマテリアル
を鍛え上げる「鍛造」の過程において、「火=ヨッド」や「水=ヘー」で「焼き入れ」や
「焼きなまし」「焼きもどし」などの工程を経て、優れた名刀として「魂=ヴァウ」を
吹き込むという作業であり、それっぽい錬金術の象徴表現を使って説明されています。

もちろん、この「魂を入れる技術」というのは、我々のような下々の者が、見よう見まねで
使えるような技術ではなく、あくまでも上位世界の神々のためのものですので、良い子は
決して真似をしてはならないという禁断のテクニックであるわけです。
つまり、「14:節制」の適用は、我々にとっては、どちらかというと危ないシロモノである
ということを知っておく必要があるということです。

とはいえ、我々人類の科学技術の進歩は、この「生命と意識を生み出す」ための飽くなき
チャレンジを続けておりますので、そっち方面については、今後は何らかの期待は持てそう
な感じはしています。
でも、あっち方面の人々の、そういう話題については、決して近づかない方が良いという
ことなんですよね。
0210名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/29(水) 05:59:30.69ID:+toh9UVL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The process involves an inner manipulation of sexual energies.
過程は、性的な精力たちの内なる操作を巻き込む。

Indeed, the symbolism of the arrow released upward is one of spiritual orgasm.
実を言うと、上向きに放たれた矢の象徴性は、霊的な絶頂感の1つである。

Such an interpretation may appear extreme, but is actually well-accepted in
Christian iconography.
そのような解釈は極端であるように見えるかもしれないが、キリスト教の図像学においては、
実はよく受け入れられている。
--- ここまで ---

「the arrow released upward/上向きに放たれた矢」とは、「14:節制」に配属される
「人馬宮(いて座)」の記号のことであり、それゆえ、カード自体が、上昇する「火」の
エネルギー成分多めである、すなわちイキやすい体質であることを意味します。

そのため、「14:節制」には、そのタイトルのイメージとは違って、かなりの「上級者向け
エロ成分」が含まれているということになります。
もちろん、「上級者向け」ですので、我々のような下々の人間にとっては、見逃しやすいと
いうか、すこぶるどうでもいい象徴的な表現なのですが、それこそ、分かる人だけにしか
分からないという、身内ウケ狙いのものとなっているわけですよね。
とはいえ、薄めの衣装の女神が、二つの壺を持って水を出し入れしている姿は、何かエロい
ことを誘っているようにしか見えないわけですので、あまり隠す気は無いのかもしれません。

それはともかく、「14:節制」は、そういう上級者向けのプレイを暗示していることは確か
ですし、それゆえ魔術指向の人にとっては、それなりに人気のあるカードであるわけです。
ただし、「14:節制」の名が示すように、そっち系のプレイから得るものは何もありません
ので、あくまでも「霊的」なものである、すなわち何かの役に立つようなものではないと
いうことは、きちんと頭では理解しておく必要があるわけですよね。
0211名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/31(金) 06:08:23.38ID:ufM8EPEY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The ecstasy of Theresa, the sixteenth century mystic and Saint, is described as
an angel thrusting a flaming arrow into her heart.
16世紀の神秘家および聖人である、聖テレサの法悦は、燃え上がる矢を彼女の心臓の中に
突き刺している天使として記述される。

This symbolism of the piercing arrow which brings ecstasy and enlightenment appears
to be a universally applicable (indeed archetypal) description of a real process.
法悦と啓蒙をもたらす、この貫く矢の象徴的意味は、実際の過程の普遍的に適用可能な
(実に原型的な)記述であるように見える。
--- ここまで ---

この「心臓を貫く矢」の象徴が、よく知られた「キューピットの矢」と結びついている
ことは想像に難くないわけであって、そしてこれは、ローマ神話の「クピードー」であり、
さらにはギリシア神話の「エロース」、すなわち「エロ信仰」の総本山となる、とても
偉大なる神様へと繋がるわけです。

つまり、その「矢で心臓を貫くことでエクスタシーに達する」という原型的なる表現は、
どう考えてもセックスそのものであるわけです。
そして、肉体的なセックスにより得られるものが「次世代の誕生」であるならば、霊的な
セックスにより得られるものが「内なる高次の世代の誕生」と考えることも可能なのです。

いずれにしても、この「14:節制」を「聖テレサ」の○○系文学と結び付けて考えることは、
色々な意味、というか、薄い本系の話で妄想が捗るわけですが、そういう意味でも、一般の
人は、「14:節制」という清純系タイトルに惑わされることなく、あまり深入りしない方が
良いということなんですよね。

要は、なぜここでわざわざ「節制」が必要なのかを考えれば、この「14:節制」の立ち位置
というものが理解できるということであり、それゆえ、人類にとっては最大の難関であり、
一般人には決して攻略できない難攻不落の関門になっているということです。
0212名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/01(土) 06:36:14.04ID:Pf/od2sZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
What happens is the establishment of a rhythmic masturbatory motion of inner energy.
起きていることは、内なる精力のリズミカルなマスターベションの動きの確立である。

The mental control of this energy, its conscious manipulation, is symbolized by the
interchange of Fire and Water, or by the interchange of fluid between vases.
この精力の精神的な制御、その意識的な操作は、「火」と「水」の交換により、もしくは
壺たちの間の流体の交換により、象徴化されている。

The key to this actually simple process is the infinity symbol, the figure eight
which Waite uses above the figure of his MAGICIAN.
この実に単純な過程の鍵となるものは、無限の記号、ウェイト氏が彼の「魔術師」の人物像
の上で使う8の字の形である。
--- ここまで ---

「中央の柱」の女神たちって、エロ目線で見れば、とても魅力的な存在です。
「21:宇宙」の女神の持つ2本の棒、「14:節制」の女神の持つ2つの壺、そして「2:高等女
司祭」の持つ杯、そのいずれもがエロ目線で見れば、すなわちアレになるわけです。
とはいえ、エロ目線の解釈が通用するのは「21:宇宙」までですので、「14:節制」では、
より精神的なもの、つまりは脳内妄想、もっとはっきり言えば脳内マスターベションという
ことになっているわけです。

ややこしい話を抜きにすれば、この「14:節制」とは、我々は高次元のオナニーによって、
さらなる高次元のエクスタシーの次元に達することが出来るということであり、そして
逆に言えば、高次元の存在のオナニーによるエクスタシーにより、我々の住む次元が存在
しているということを説明しているカードであるということですよね。

要は、我々が存在する物質宇宙は、創造主の制御されたリズミカルなオナニーの無限の
動きにより生み出されたということであって、そのオカズとなっているのが「中央の柱」
の女神たちという話になってくるわけなのですよ。
0213名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/02(日) 06:35:10.40ID:/3SklQAj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
It is an ebb and flow which is confined, i.e., is used within very specific perimeters
(thus the womb symbolism) but which is taken in either direction at will.
それは、限定された潮の満ち引き、すなわち、非常に明確な周囲の範囲内(従って、子宮が
象徴するもの)で行使されるが、それは意のままに、どちらの方向にでも受け取られる。

As one changes the rate of vibration of this inner energy, one raises or lowers
the level of consciousness, i.e., moves from Chakra to Chakra or from Path to Path.
人が、この内なる精力の振動の速度を変更するに従って、人は意識の段階を上げたり下げたり
する、すなわち、「チャクラ」から「チャクラ」へ、もしくは「小径」から「小径」へと動く。
--- ここまで ---

まあ、子宮の中で振動するのか、膣の中で振動するのか、TENGAの中で振動するのか、
もしくは右手が振動するのかは置いといて、「14:節制」の脳内オナニーにおいては、
右の壺と左の壺との間の、リズミカルなエネルギーの交流振動として表現されます。
そして、このオナニーから副次的に得られたものは、「17:星」と「19:太陽」のエネルギー
として、下界の「イェソド」へと漏れ出してくるという流れになるわけです。

そういう意味では、この「14:節制」から漏れ出すもので我々の役に立つようなものは
少ないというか、あまりご利益が無いわけですが、それは、この効果が、神秘学的に言うと
霊的な次元、数学的に言うと虚数空間、一般人向けに言うと脳内オナニー、すなわち
スビ系ネタ(笑)に限定されてしまうからなのです。

要は、「高次の自我」の世界は、神々ならぬ我々の脳ミソでは到底理解できないシロモノで
あるため、如何なる言葉による説明も「的外れ」であって、ここから先は「各自、お好きな
ように脳内オナニーしてみてください」としか言いようのない、正解の無い領域なのです。

結局のところ、我々にとっては、理解しようにも理解できない領域での過程を象徴している
という程度の、開き直った理解で良いのではないかと思うのでした。
0214名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/03(月) 06:14:54.65ID:ZwGOSBYl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
To explain all of this in a more simple way: At the lowest level, Water (which we
have previously described as consciousness) being acted upon by Fire (the sexual,
Kundalini energy) produces the images of the astral, the pictures which form in
our minds.
より簡単な方法で、これの全てを説明すると:最も低い段階では、「火(性的、クンダリニー
の精力)」によって作用される「水(我々が以前に『意識』と述べたもの)」が、星幽界の
映像たち、我々の精神たちの中で生じる絵たちを創作する。

These are the Air (Vau) quality, as our minds are the grounding Earth.
我々の精神たちが地上に置かれた「地」であるので、これらは「空気(ヴァウ)」の品質
である。
--- ここまで ---

この説明が、「14:節制」の脳内オナニーの方法の直接の説明というわけではなく、ここは
あくまでも「At the lowest level/最も低い段階」での話です。
つまり、「21:宇宙」などの下層の「小径」によって、「地」から「空気」に達する手順の
説明であって、それ以上のレベルへのイキ方については、直接的な説明が不可能であると
いうことなんですよね。
とはいえ、「地/アッシャー界」から「空気/イェツィラー界」の段階まで登らないこと
には、その上の「水/ブリアー界」にも行けないので、何事も基礎は大事にしないと
いけませんよね。

ということで、我々の「地」の体内にある「水」の成分、すなわち「精神と意識」を、
「火」、すなわち「性的」な「クンダリニーのエネルギー」で活性化して上昇させること
から始めないといけないわけです。

つまり、これが「14:節制」へと至る第一歩ということですので、魔術界における「14:節制」
の立ち位置は、我々が勝手にイメージするような「純粋無垢の清純派」では決して無いと
いうことでもあるわけなんですよね。
0215名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/04(火) 06:17:12.13ID:rXHDvaab
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The principle is one of producing a consciously-controlled vision, one which is
limited by the will.
原理は、一つは意識的に制御された幻想を生み出すことであり、それは意志により制限
されるものである。

The important point to understand is that most of the word symbols of Alchemy,
Hermeticism, Qabalah, etc., describe processes to which anyone can relate.
理解しておく重要な点は、「錬金術」、「ヘルメス主義」、「カバラ主義」などの言葉の
象徴の大部分は、誰でもが関係することのできるものの過程たちを記述しているという
ことである。

They are neither remote nor complicated, especially at the level of Assiah.
それらは、特に「アッシャー」の段階においては、遠く離れたものでもなく、複雑なもの
でもない。

And, in some respects, this whole symbolic language has been totally superseded
by the language of psychology as established by Carl Jung and others.
そして、いくつかの点において、このすべての象徴言語は、カール・ユング氏と他の人々
により確立されたような心理学の専門用語により、すっかり取って代られてしまっている。
--- ここまで ---

「14:節制」に至る道の途中には、「21:宇宙」などの下層の道があり、そこでの経験は、
あくまでも「アッシャー」のレベルのもの、すなわち「脳内妄想」レベルのものであって、
そういうものは、現代の「心理学用語」で全て置き換えて説明できる、言い換えれば、
「14:節制」の真髄は、言語化できない、その先に存在するということになります。

要するに、「14:節制」は、我々が良く知っている「節制」という言葉のイメージとは
かけ離れたモノであるということなのですが、はっきり言って「TEMPERANCE」を「節制」
と訳した時点で、その翻訳が間違っているということなんですよね。
0216名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/05(水) 06:30:05.96ID:678cBRYd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
It should be added that the Metals described in Alchemical literature are the
same as the Seven Chakras of the Hindus, the Seven Planets and the Sephiroth of
Microprosopus.
「錬金術」の文献の中で述べられる「金属たち」は、「ヒンズー教の7つのチャクラ」、
「7つの惑星」、および「ミクロプロソプス(小さな顔)のセフィロト」と同じものである
ことは追加されるべきである。
--- ここまで ---

「錬金術」の金属と言えば、金、銀、水銀、銅、鉄、錫、鉛の7種ですが、数の一致(6つで
ある「ミクロプロソプス」は、その嫁であるマルクトと合算すれば7つ)は、単なる偶然の
一致なのか、もしくは元ネタが同一であるのかは、まあどうでもいいわけですが、基本的
には、我々の脳内妄想による、いやいや哲学的な分類方法によると、7分類あたりって、
素数ですし、細かすぎず粗すぎず、割と脳内では使いやすい値なんですよね。

そして、この「14;節制」の機能を使って、そういう7種の「マテリアル」を取り扱って、
宇宙の生命を司る「エリクサー」を合成していくわけですが、それはつまり「15:悪魔」
から「21:宇宙」までの7つの「小径」のマテリアルを操作するということでもあります。

この場合、「13:死」は、「14;節制」の対称パートナーもしくは監査役としての役割という
ことになり、そういう意味でも、「14;節制」から「ティファレト」へと遡る道は、そう簡単
には通れそうもないのでした。
0217名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/06(木) 05:51:37.24ID:lnjx5w4V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
These words have been used as codes over the centuries, meaning seven distinct
levels of objective consciousness.
これらの言葉たちは、何世紀にもわたって記号たちとして使われ、目的の意識の7つの
別個の段階を意味している。

Thus, when one speaks of a Planet ruling a sign of the Zodiac, what is meant is
the relationship of a Sign to a given center of energy both in the Greater
Universe and in the Human body.
従って、人が「黄道十二宮」の宮を支配している「惑星」について話す時は、意味される
ものは、「より大きな宇宙」と「人体」の両方における精力の与えられた中心と「宮」
との関係である。
--- ここまで ---

ここでいきなり「七惑星」と「黄道十二宮」の話に飛びますが、これは「14:節制」が、
「ミクロプロソプス(小さな顔)」と「マクロプロソプス(大きな顔)」の関係とか
「小宇宙(人体)」と「大宇宙」との関係性、すなわち「上の如く下も然り」という、
魔術にとって最も重要なミソクソ理論を展開するための「要(かなめ)」の位置にある
ということです。

まあ、「ティファレト」への到達という目的にとっては、この「14:節制」はイマイチ使い
にくいのですが、内なる魔術の実践という点においては、この「14:節制」という内なる
壺の中に、様々な魔術ネタを詰め込んで、それらをうまく調和させることで、何らかの
「内なるもの」を生み出せるという点においては、それなりに使い道のあるカードです。

とはいえ、我々のレベルでは、あくまでも「内なるオナニー」でしかありませんので、
言うほど実用的というわけでもありませんし、さらには、「節制」というキーワードが
邪魔をして、どうしても「器の中の世界」に留まってしまうという問題もあるわけです。
やっぱり最後には、「13:死」の「いっぺん死んでみる?」程度の破壊的なインパクトが
必要なのではないかと思うのでした。
0218名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/07(金) 06:16:10.72ID:K6KDHDwX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Sagittarius is the sign of the Zodiac related to TEMPERANCE.
「人馬宮(いて座)」は、「節制」に関連した「黄道十二宮」の宮である。

Its Planetary ruler is Jupiter, meaning Chesed, but also to some extent the WHEEL
OF FORTUNE, tenth key of the Tarot.
その「支配星」は「木星」であり、「ケセド」だけでなく、ある程度は「タロット」の
10番目の鍵(大アルカナ)である、「運命の輪」をも意味している。
--- ここまで ---

「いて座」は、占星術的には「男性的」「火」「柔軟」という属性を持ち、その支配星の
「ジュピター=ゼウス」という勇壮奔放な男性神のイメージとも相まって、タロットの
「14:節制」の持つ清楚な女神のイメージとは、少々というか相当に異なる感じがあります。

ここでちょっと気になるのは、「生命の木」のタロットの配属において、「14:節制」と
「15:悪魔」の配属に関する法則性に乱れがある、すなわち本来の位置と異なるというか、
元々の属性とは異なるのではないかという点なんですよね。

要は、「生命の木」においては、その感覚のズレを、支配星である「木星」が「ケセド」
と「10:運命の輪」という「慈悲の柱」に関連付けすることで、半ば強引に修正している
ような感じもあるわけです。
まあ、何が言いたいかというと、そもそも我々が持つ「14:節制」の清楚なイメージという
ものが、根本的に間違っている可能性が高いということなんですよね。

そう、「14:節制」は、「生命の木」のセンターの位置に、なりふり構わず押し入ってくる
ような、そういう「裏の顔」というか、かなり押しの強い一面があることは否めません。
つまり、「節制」というタイトルは、あくまでも営業上の表の顔であって、その裏には、
巧妙に隠された秘密というか、週刊誌向けのスキャンダルが山ほどありそうな、実に
魔術ヲタク向けな仕上がりとなっているわけなのでした。
0219名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/08(土) 06:58:21.38ID:9hLSEyKs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Chesed is suggested by the blue colored robe worn by the Golden Dawn angel, the
color of the Twenty-Fifth Path in Atziluth.
「ケセド」は、ゴールデン・ドーンの天使により着用される、「アツィルト界」における
「25番目の小径」の色である青で着色されたローブによって示唆される。

On the figure's breast is a golden square, a further reference to Chesed, to the
number four and to matter.
人物像の胸の上には、数値「4」および物質への、「ケセド」へのさらなる関連である、
金色の四角形がある。
--- ここまで ---

「ブリアー界(女王の位階)」における「ケセド」の「blue/青」は、「アツィルト界
(王の位階)」における「2:高等女司祭」および「14:節制」と同じ色です。
また、「金色」は「ティファレト」を示唆しますので、「ケセド」と「ゲブラー」を示唆
する左右の壺とのバランスを考えれば、この人物像のローブの「青」は、「14:節制」の
「青」がメインであると考えられます。

そして、全体的に見て「青みがかった」カードであり、「青の壺」が上位にあることからも
分かるように、ここはみだらな「青」ちゃんの領域であって、それゆえ色々とイケない妄想
が捗ることなるわけなのでした。

ちなみに、「青」には、元々が勉強熱心で理知的な固定イメージがあり、そういう指向の
人にとっては、「青いいよね」というような隠れファン的なものがあったのですが、近年
では、「青」とか「蒼」という分野で、色々と従来の固定概念を覆す、本来あるべき姿が
垣間見られるような人物像が見られるようになったのも、時代の流れなのだと思います。

まあ、何が言いたいかというと、「青いいよね」ということが言いたいわけですよ。
0220名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/09(日) 07:15:26.08ID:E3x0y776
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
In the Waite card the square is covered by a triangle, meaning that all of the
manifest Universe is governed by the Supernals.
ウェイト版カードにおいては、四角形は三角形により覆われており、顕在化した「宇宙」
の全てが「至高なるものたち(至高の三角形)」により統治されることを意味している。

Here we recall that Chesed is the architect of all manifestation, working with
the pure "potential to form" of Binah.
ここで我々は、「ケセド」が全ての顕在化の設計者であって、「ビナー」の純粋な
「形成する可能性」によって働いていることを思い出す。
--- ここまで ---

ウェイト版においては、ゴールデン・ドーン版の金色の四角形ではなく、白い四角形と
その内側にある金色の三角形として描かれています。

これが、本当に「4:ケセド」と「至高の三角形」、あるいは「3:ビナー」を意味している
のかは不明なのですが、ウェイト氏自身は、これは「3+4=7」であり、「7」を意味して
いると述べています。
つまり、以前に出てきた「錬金術の7種の金属」というネタですよね。

個人的には、「14:節制」は「ティファレト」以下の存在であり、我々がギリギリ手の届く
領域ですが、「ケセド」や「ビナー」、そして「至高の三角形」は、我々の理解を超える
存在ですので、あまり近づきたくない領域ではあります。
というか、詳しく説明されても、「はぁ、そうですか」以上のことは言えませんしね。

ということて、せっかくのご提案ではありますが、ワタシとしては、ウェイト版の四角形
と三角形は、「3+4」の錬金術レベルのネタであるとしておこうと思います。
そして、この記号の直上に、「四大元素」を表す「聖四文字」があるのも、錬金術レベル
の話であれば、ネタとして使いやすいですしね。(←割と身勝手な理由)
0221名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/10(月) 05:55:28.15ID:7DWD+4+u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
To reiterate the important meanings of TEMPERANCE:
「節制」の重要な意味たちを繰り返して言えば:

1) It refers to an actual physical process, one which has been the secret of
mystics for centuries.
1) それは、実際の物質的な過程であり、何世紀にもわたって神秘家たちの秘密であり
続けているものに言及している。

2) This process involves an interchange of opposite energies directed by the will.
2) この過程は、意志により導かれる正反対の精力たちの交換を巻き込む。

3) The process is set in motion at the level of the Higher Self.
3) 過程は、「高次の自我」の段階で発動される。

It is instituted in Chesed, the most refined level of Microprosopus to which the
Higher Self is central, and the Sephira where the will to form of the Great Mother
is enacted.
それは、「高次の自我」が中心的であるところの「ミクロプロソプス(小さな顔)」の最も
精錬された段階であり、そして「大母」の形成への意志が演じられるところの「セフィラ」
である、「ケセド」において開始される。

4) Until this process is accomplished, the Higher Self cannot be known to the
Personality.
4) この過程が完成されるまで、「高次の自我」は「人格」に知られることはできない。
--- ここまで ---

とりあえず、ざっくりとまとめてみました、という感じですが、「ティファレト」への
真の到達のためには、「ケセド」、そしておそらく、それと対になる「ゲブラー」への
理解が必要となってくることを示唆している感じですよね。
0222名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/11(火) 06:21:47.27ID:py8aRlQM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
The whole experience is one of preparation of the Personality, and the body in which
it is operating, to deal with an influx of Light which would be devastating to a
system unready to handle such energy.
全ての経験は、「人格」の準備の1つであり、そしてそれが動作している身体が、そのような
精力を取り扱うための準備ができていない組織にとって荒廃させるであろう「光」の流入に
対処するためである。

Most important here is the monitoring of progress, the continual testing from above.
ここで最も重要なことは、進歩の監視であり、上からの絶え間のない試験である。
--- ここまで ---

「ティファレト」へ到達するとすぐに、圧倒的な「ケセド」と「ゲブラー」の流れに直面
することになりますので、「14:節制」が防波堤となっていて、少しずつ弱めた流れを
下界に送っているということであり、我々は、その弱められたワクチン的な流れで、
体と精神を鍛えていかなければならないということですかね。

なお、「14:節制」は、見る角度によって、いくつか異なる性質を持っています。
大きくは、トート版に見られる「錬金術」という物質的進歩という表側の面、そして
「知恵の32の小径」に見られる「試験者」という霊的進歩という裏側の面なのですが、
どちらにしても、あまりにも漠然としているというか、基本的な概念すぎて、いまいち
掴み所の無いというか、「まあ、無理だと思うけど、とりあえず教科書を読んで頑張れww」
と言われてるような感じで、なんか面白くないんですよね。
そもそも「節制」というタイトルからしても、全くもって面白味に欠けるわけですよ。

要は、かなりの上から目線ということであるわけですが、それは、この「14:節制」を
陰で操る支配者が、この場にそぐわないほどの「上位者」であることを示唆しているわけ
であって、そういう面も、いまいち気にくわないわけなんですよね。(←単なる反抗期w)
0223名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/13(木) 06:13:53.87ID:tMK01GJo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
It is the angel here which is at once the Higher Self and the initiatory forces
of Nature, which pours the elixir from vase to vase.
それは、「高次の自我」であると同時に「自然」の最初の力であり、壺から壺へと万能薬を
注ぐ、ここの天使である。

This is an ongoing process of testing, measuring to see how much the physical
vehicle can bear.
これは、物質的な乗り物がどれくらい耐えることができるかを見るために測定している、
試験の進行中の過程である。

When it can handle the stress of the energy interchange here symbolized, the arrow
is released.
それが、ここで象徴される精力交換の重圧を取り扱えるようになった時に、矢は放たれる。
--- ここまで ---

この天使は、「ティファレト」もしくは「高次の自我」である「倫理的三角形」を象徴する
存在、すなわち、我々のような「肉体=物質的な乗り持つ者は、基本的には到達できない
領域の存在であり、その上位存在が、我々下等な存在を試して、合格した者だけに、それ
相応の施しをしているということであり、言ってみれば、人間は天界の奴隷的というか
隷属的な存在であることを示しています。

まあ、確かにそうなのですが、改めて面と向かってそういうことを言われると、やっぱり
反発してしまうのがワタシの性格ですので、そういう意味でも、「中央の柱」で偉そうに
全てを司る「14:節制」は、いまいち好きになれないポジションなわけです。
まあ、しょせんワタシは、脇道を歩く方が性格的にも合ってますしね。

逆に言えば、素直にここの教えに従える人は、この「4:節制」の天使から、それ相応の
「天からの御加護」を受けることが出来るということであり、それゆえ、魔術の本道を
歩む人にとっては、それなりに人気のあるコースということなんですよね。
0224名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/14(金) 06:36:01.69ID:dAck0gva
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
On the other hand, the Angel makes certain that no individual is allowed more
than it can handle.
その一方で、「天使」は、個人が、それが取り扱えるものより以上を許されないことを
確保する。

The result of taking on too much at once is an admonishing jolt, from this angel,
not soon to be forgotten.
一度に多すぎるものを引き受けることの結果は、この天使からの、すぐには忘れられない、
戒めとなる精神的動揺である。

The angels, described as sentinals at each inner gate, are there for our own protection.
各々の内なる門における監視員たちとして述べられている、天使たちは、我々自身の保護
のために、そこにいる。
--- ここまで ---

最後の文の「sentinals」は、「sentinels/監視員たち」の誤記ですかね。

さて、まあ何というか、我々は「常に天界から監視されている」ということなのですが、
実際のところ、だから何なの?という感じでもあります。
悪事に対する天罰というような、単純なものでもなさそうですし、天使からの戒めだと
言われても、なかなかそういう天罰っぽいものを実感として感じることは難しいです。
そもそも、天災というものは、誰にでも分け隔てなく襲いかかってきますからね。

ワタシ的には、「ここから先は通さないよ」とか、「これ以上は見せられないよ」という
ような、どちらかというと「18禁」のような検閲者としての存在のような感じが強いです。

要は、ワタシから見れば、この「14:節制」は、天使により「部外者(すなわち人間は)
通行止」となっている規制ポイントであり、現状では、人は、生きてここを通ることは
出来ないのではないかと考えているのでした。
0225名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/15(土) 07:40:57.02ID:HR/6795b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Some special insights may be derived by considering the description of the letter
Samekh in the Sepher Yetzirah, although the terms in this document lend themselves
to an extraordinary range of interpretation.
いくつかの特別な洞察たちは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』における、文字
「サメク」の記述を考慮することにより導き出せるであろうが、しかし、この文書における
用語たちは、解釈の特別な範囲に役立つのであるが。

The word anger ([zayin][gimel][vau][resh]) is referred to Samekh.
「怒り」([zayin][gimel][vau][resh])という言葉が、「サメク」に関連付けされている。
--- ここまで ---

おせっかいで過保護な母親みたいな「天使」像は、ひとまず置いといて、ここからは
ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』にある「サメク」の文字の
意味について、少々考察しようということです。

この「サメク」=「怒り」という関係は、第五章の本文部分にあるものですが、第五章の
補遺部分では「Sleep/眠り」となっていますし、何か客観的な根拠があるというものでも
ありませんので、そういう考え方もあるんだ、という感じでいいかと思います。

あくまでもメインは、「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、「あなたのタメよ」とか
言いながら、色々と難クセ付けてダメ出しする毒親、いやいや、我々のことを思ってくれる
ありがたくも偉大なる天使さまであって、決してワタシみたいに意味無く反発するような
存在ではないんですよね。

ちなみにワタシは、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」を、「メイド(冥土)の女神」、
「毒母の女神」、そして「ようじょの女神」という捉え方をしており、「15:悪魔」像
の中身は、実はツンデレかつツインテのようじょに違いないと、勝手に妄想して盛り上
がっていましたので、その後の「14:節制」以降についての考察は、なかなかヤル気が
出ないのでした。(←完全に趣味の世界w)
0226名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/16(日) 06:31:54.26ID:TE/d4Sds
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
However, Case states that this is a "blind," and that the original meaning of the
Hebrew word was quivering or vibration.(*145)
しかしながら、ケース氏は、これは「盲目的」であって、ヘブライ語の原初の意味は「震え」
もしくは「振動」であったと述べている。(*145)

Such an interpretation is entirely consistent with the alchemical symbolism, for
the interchange of Fire and Water is a control of inner vibrations.
「火」と「水」の交換が内なる振動の管理であるため、そのような解釈は錬金術の象徴主義
と完全に一致している。
--- ここまで ---

ちなみに、(*145)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
145. Paul Foster Case, The Tarot, New York, 1947, 147.
145. ポール・フォスター・ケース著、『タロット』、ニューヨーク、1947年、147ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、『セフェル・イェツィラー』にある「サメク=怒り」に対して、それは「blind/
盲目的」な解釈だと言われても、元々何かの客観的根拠があって「サメク=怒り」となって
いるわけではありませんし、しょせん、あくまでも「ネタ」なんですけどね。

とりあえず、ケース氏は、「サメク=震え」説ということなのですが、この「quivering/
震え」というのは、恐怖、怒り、緊張などによる「身震い」という意味がありますので、
「14:節制」が、そういう感情を引き起こすということは、やはりこれは「清純派」など
ではなく、本質的にヤバいもの、とてつもなく強大かつ制御困難なシロモノ、例えて言えば
核物質みたいなものを連想させるわけですので、そういうものを「節制」という精神論で
「管理」させようというのは、かなりヤバいヤツであると考えざるを得ません。
というわけで、そういう危ないものには近づかないのが一番なのでした。(←実はビビリw)
0227名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/17(月) 06:18:05.14ID:iGpO3Tsv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
But there are two other meanings of "anger" which might be appropriate to this Path.
しかし、この「小径」に適切であるかもしれない「怒り」の2つの他の意味がある。

First is the idea of anger in the sense of Divine rage, a passion so overwhelming
that its force draws the bow and releases the arrow of Sagittarius on the upward
Middle Pillar.
1番目は、「神の激怒」の意味での怒りの考え方であり、その熱情が非常に圧倒的である
ため、その力が弓を引き、「中央の柱」に沿って上向きに「人馬宮」の矢を放つ。
--- ここまで ---

「14:節制」に、「anger/怒り」という意味が含まれているということは、いまいち理解
しづらい考え方なのですが、そういう時は、とりあえず「Divine/神の」という便利な
接頭語を付けておけば何とかなる、というか、これ以上は詮索してはいけないというのが、
この業界の暗黙のお約束事なのです。

いずれにしても、我々のレベルでの「anger/怒り」という感情ではないことは確かです
ので、興味のある方は、この「Divine rage/神の激怒」について、色々と妄想を捗らせて
みても良いかと思います。

まあ、ワタシとしては、この「14:節制」の「小径」については、色々とヤバそうな感覚を
持っていますので、あまり近づきたくはないんですよね。
この「人馬宮の矢」なるものが、どっち向きに飛んで来るのかわかりませんというか、
どちらかというと、「16:塔」のように下向きに落ちてくる可能性の方が圧倒的に高いわけ
ですし、そもそも「憤怒する神」なんかに触りたくないというか、そもそも面倒臭いので、
これ以上は、お付き合いたくありませんというのが、本音のとこです。
ワタシにとっては、「15:悪魔」が、一番居心地の良いというか、お気に入りの場所に
なっていますので、これ以上先には進みたくないというのもありますしね。←怠け者w
0228名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/18(火) 06:34:14.93ID:uMVwhtX5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Second, is an aspect of the Mysteries only rarely discussed, and certainly germane
to the Twenty-Fifth Path: this is the very real hostility often felt by the student
toward the Path itself, as he works day after day and seems to be getting nowhere.
2番目は、ごくまれに論じられる「神秘的教義」の見方であり、そして、確かに「25番目の
小径」に確かに密接に関係している:これは、彼がどれほど来る日も来る日も勉強しても、
どこにも辿り着けていないように見えるにつれて、「小径」に向かう学徒により、しばしば
感じられる、とても現実味のある敵意である。
--- ここまで ---

まあ、こちらの方は、「Divine/神」ならぬ「Mysteries/神秘的教義」の「anger/怒り」
ということですので、ワタシにも何となく意味は分かります。

要するに、「14:節制」の「試験の知性」により「試されている」状態において、受験者の
出した答えが合格水準に達していない、つまりダメ出しをくらっていて、合格できずに前に
進めなくて、逆ギレの癇癪を出しているというシチュエーションですよね。

実際のところ、この「14:節制」は、その見た目とは違って、かなりキツい性格というか、
厳格すぎるダメ出しを行いますので、ほとんどの人は、この関門を通過できずに、別の道
に逃避する、すなわち、合格を諦めるか、もしくは自称合格者となる傾向があります。

ワタシ自身は、「14:節制」へのチャレンジは、そもそも時間の無駄であると思っています
ので、ハナっから挑戦する気はありませんし、それよりも「15:悪魔」のルートの方が気に
入っていますので、そっち方面には興味が無いというのが、本音のところです。

あ、決して強がり言っているわけではありませんし、そもそもワタシは、「14:節制」の
試験合格により「神のお墨付き」という箔付けされた権威を得る必要は全く無い、単なる
「15:悪魔」好きで妄想好きの現実主義者なわけですしね。
そもそも、上から目線の「神」から認められるのって、興味ないんですよね。←単なる反抗期w
0229名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/19(水) 06:06:33.26ID:nlB5sKGK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Such hostility and frustration is in itself a major test; it is part and parcel
of the work prior to the emergence of inner proofs.
そのような敵意と挫折感は、それ自身の中での主要な試験である;それは内なる証拠たちの
出現に先立つ作業の重要な部分である。

The anger, if it may be called that, is dispelled along this Path, as the Spirit
begins to fill the vessel in which the elements have been purified to receive it.
怒りは、もしそれが呼び出されたとしても、 「霊」が、元素たちがそれを受け取るために
精錬された容器を満たし始めるにつれて、この「小径」の途中で追い払われる。
--- ここまで ---

この「anger/怒り」という感情の解消法ですが、まあ様々な解消法があるわけでして、
真っ当に勉強して理解を深めて納得して解消できるのが一番なのですが、それ以外にも
様々な解消法があるわけです。
つまり、ワタシみたいに、「触らぬ神に、祟りなし」ということで、ハナっから避けると
いう手もアリだと思います。

危険なのは、こういう「負の感情」は、修行の足りない人々にとっては、「洗脳」とか
「欺瞞」とか「逃避」とかの、格好の標的になりやすい、つまり、この「14:節制」の
「小径」は、我々が道を踏み外しやすい、危険な場所でもあるわけです。

そもそも、低レベルの「イェソド」から、高レベルの「ティファレト」へと、一気に遷移
する、かなりの高難度かつ高傾斜であり、初心者向きではないルートですので、きちんと
両脇のルートで事前練習しておかないと、いきなりここを登るのは難しいと思うのですよ。
(まあ、最後まで登ったことは無いですけど・・・。)

ということで、ここまでくれば、後はあまり無理して登らなくてもいいかな、とは思います。
どうせ我々にとっては、この先はすぐに行き止まりになってしまって、後は妄想で補うしか
ない道ですからね。
0230名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/20(木) 06:02:23.68ID:GHyH4a67
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The relationship of this Path to three others provides one of the best interlocks
of Qabalistic symbolism, for the combined letters of the three lowest Paths,
[qoph], [shin], and [tau], spell the Hebrew word for bow.
この「小径」の3つの他のものとの関係は、「カバラ主義」の象徴主義の最も良い連動装置
たちの1つを提供する。というのは、3つの最も低い「小径たち」である、[qoph]、[shin]、
そして[tau]の結合された文字たちが、「弓」のヘブライ語の言葉を綴るからである。

The same word also means rainbow, a recurring symbol in the Tarot.
同じ言葉はまた、「タロット」において再発する象徴である、虹も意味している。

These three Paths are the forces which, when combined, send the arrow skyward
toward Tiphareth.
これらの3つの「小径たち」は、結合される時に、矢を「ティファレト」に向かって空へと
送る力たちである。
--- ここまで ---

いきなり、[qoph]=「18:月」、[shin]=「20:審判」、[tau]=「21:宇宙」の話に飛んで
しまいましたが、要するに、ヘブライ語の「[tau][shin][qoph]QST」が、「bow/弓」とか
「rainbow/虹」を意味する言葉であるということです。

ただちょっと気になるのは、「14:節制」「18:月」「20:審判」「21:宇宙」で形作られる
「arrow/矢」は、上方の「ティファレト」ではなく、下方の「マルクト」に向かっている
ようにしか見えないわけです。
本来の「14:節制」は、流量は少ないものの、その高低差のために高い圧力のある下降流
ですので、下向きの矢印というのであれば納得いくのですが、その強力な流れに逆らって
上向きに矢を放つのは、なかなかにしんどいのではないかと思います。

そもそも、山登りというのは、急傾斜の直線ルートではなく、ジグザグに緩やかなコースを
取るのが基本ですので、良い子は真似しない方が良いのではないかと思うのでした。
0231名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/21(金) 06:22:29.28ID:Ev8guEzU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
These are the three minor tests prior to the major testing of TEMPERANCE.
これらは、「節制」の大きな試験に先立つ、3つの小さな試験である。

To even approach the twenty-fifth Path one must have begun to temper the "Water"
of The MOON ([qoph]) with the "Fire" of JUDGMENT ([shin]) and ground the interchange
on the Path of THE UNIVERSE ([tau]).
25番目の「小径」に接近することでさえも、人は「月([qoph])の「水」を「審判([shin])」
の「火」で調節し、交換を「宇宙([tau])」の「小径」に基づかせることを始めなければ
ならない。

This work is suggested in THE UNIVERSE by the bi-polar rods carried by the central
figure.
この作業は、「宇宙」において、中央の人物像により運ばれる双極の棒たちにより示唆される。
--- ここまで ---

ここは、若干の無理矢理こじつけ感がハンパないのですが、とりあえず言えることは、
「21:宇宙」と「14:節制」は、「minor/小さな」試験と「major/大きな」試験という
関係にあり、どちらも両極のバランスと調整が鍵となっているということです。
そして、「21:宇宙」を伝って「イェソド」に到達した後でも、「21:宇宙」における
「月の水」と「審判の火」の交換という難しい課題をクリアしないことには、「14:節制」
には近づくことさえ出来ないということですよね。

まあ、そういうわけで、我々のような下々の人間は、そう簡単には、「ティファレト」への
ショートカット・ルートである「14:節制」には近づくことさえ出来ないという仕掛けです
ので、とりあえず指をくわえて、遠くから見ているだけにしておこうと思います。

要は、「14:節制」は、その見かけとは違って、難攻不落な関門であり、この天使像は、
人には優しくない、どちらかというとラスボス的な怖い存在だということですよね。
0232名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/22(土) 06:51:41.55ID:5efGCD+9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Golden Dawn and Waite cards are very similar in their symbolism, both following
tradition very closely.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードたちは、両方が非常に密接に伝統に従い、
それらの象徴主義においては、非常に.類似している。

The Golden Dawn vases are red and blue to symbolize an interchange between opposite
energies (Chokmah and Binah in their Atziluth colors).
ゴールデン・ドーン版の壺たちは、正反対の精力たちの間の交換を象徴するために、赤色と
青色である(「コクマー」と「ビナー」の、それらの「アツィルト界」での色たち)。

The vases on the Waite card are gold to show that all of this is an operation of
the Sun.
ウェイト版カードの壺たちは、これの全てが「太陽」の操作であることを示すために金色
である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」の基本デザインは、従来のマルセイユ版
を踏襲しており、そして、それぞれに独自のアレンジがされています。

ゴールデン・ドーン版の特徴は、壺の色が赤と青であって、それは「火」と「水」、そして
それは遠回しに「ビナー」と「コクマー」を象徴しています。
その一方で、ウェイト版の壺は、従来の金色(実際は黄色)を踏襲してはいますが、それは
「ティファレト」である「太陽」を象徴するものとなっています。

つまり、どちらかというと、ゴールデン・ドーン版の方が、その解釈が難しくなっている
わけであり、そこから派生したウェイト版では、マイナーチェンジで、過去デザイン風に
回帰し、そしてトート版は新解釈によるフルモデルチェンジになったということですかね。

まあ、どちらがいいのかは、人それぞれですが、ちなみにワタシはウェイト版が好みです。
0233名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/23(日) 07:22:45.99ID:7enwoINz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
That planet is also represented by the sign on the angel's forehead, and by the
sphere above the Golden Dawn angel's head.
その惑星は、また、天使の額にある記号により、そしてゴールデン・ドーン版の天使の
頭の上にある球体によって、表されている。

In both cases, also, the angel has one foot on solid water and the other on land
meaning solid matter and fluid consciousness.
どちらの場合においても、また、天使は、堅固な物質と流動的な意識を意味する、一方の
足を堅固な水に、そしてもう一方を陸地に置いている。
--- ここまで ---

ウェイト版の「14:節制」の「太陽」は「on」、すなわち、この天使像は「ティファレト」
を象徴しています。
その一方で、ゴールデン・ドーン版の「太陽」は「above」、すなわち、この天使像は
「ティファレト」の下にある「14:節制」の「25番目の小径」であると推定できます。

体の重心も、ウェイト版が「水」の上にあるのに対し、ゴールデン・ドーン版は「地」の
上にありますので、両者の立ち位置の微妙な違いというのが感じられます。

なお、文中に「solid water/堅固な水」という、よくわからない表現がありますが、
もしかすると、物質ではない「水」、すなわち「完全精製された水=純粋な精神」という
意味なのかもしれません。

まあ、いずれにしても、全体的に意味が漠然としすぎているというか、論点の定まらない
精神論的なカードというか、一体どっちの立場やねん!というツッコミを入れたくなるよう
なネタが満載ですので、あまり細かく詮索する必要はないかと勝手に思っております。

その点では、まあ何というか、修行中の若い人向けというよりも、全てをやり尽くした
寿命末期における「悟り」に近いものを、このカードからは感じるんですよね・・・。
0235名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/24(月) 06:26:25.05ID:uBCr3thn
>>234

絶妙なツッコミレス、ありがとうございます。(^_^)/

なるほど、この映像は、流れているのに凍って固まったように見える「水」ですね。

色々と見直してみたのですが、「14:節制」には、天使像の持つ壺から壺へと流れ下る
「Living Water/生ける水」という、もう一つの「水」の様相がありますので、それと
対比するために、足元にある「水」は、「solid water/固まったように見える水」という
表現になったのではないかと推察しています。

とりあえず、これからも色々とツッコミよろしくお願いします。 (^_^)
0236名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/25(火) 06:20:52.52ID:iDXWxyIH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Water is somewhat representative of Yesod, the lower source of this Path, the
Foundation which is the source of the dualities of our sensory condition and which
controls their ebb and flow.
「水」は、この「小径」の低い方の源であり、我々の感覚の状態の相対性たちの源であって、
それらの満ち引きを制御する「基盤」である、「イェソド」をいくぶん代表している。

These are the opposites which we seek to manipulate through the conscious use of
the Solar Fire shown in the background as a flaming volcano.
これらは、我々が、背景で、燃え上がる火山として表される「太陽の火」の意識的な使用を
通じて操作しようと努めるものの反対物たちである。
--- ここまで ---

「14:節制」は、その象徴が多岐にわたっているため、非常にわかりにくくなっているの
ですが、ここは、天使像の足元にある、低い方の「水」と「地」との関係性の話です。
つまり、「水(海)」と「地」のやり取りは、潮の干満であり、それは「イェソドの月」と
「ティファレトの太陽」の関係により引き起こされます。
そして、この低い方の関係性が、高い方の「ケセドの水」と「ゲブラーの火」と「ティファ
レトの太陽」の関係性に類似しているということですよね。

とはいえ、その関係性が、具体的に何に使えるのかと言われても、漠然としすぎていて、
ちょっと困ってしまいます。
強いて言えば、この壺の間を流れる水は、無限なる虚数空間のエネルギーが内包される、
「宇宙の卵」の状態であり、それをうまく孵化させる知恵と力と勇気が試されているといった
ところでしょうか。
でも、その作業は、我々とは関係ない上位世界の話ですので、下界に応用したいので
あれば、「上の如く、下も然り」という「ミソクソ理論」を適用していくことになるのですか、
なんか、ありきたりの結論しか出なさそうですし、いまいち面白味に欠けるというか、
もう当たり前すぎて、つまんないわけです。
そもそも、「節制」というタイトルが、真面目すぎてつまんないのですよ。←蒸し返しww
0237名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/26(水) 05:59:28.63ID:MG6AxPIw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley's symbolism is at once more complicated and more explicit, although the
meaning of the card which he calls Art is precisely the same as the others.
クロウリー氏の象徴主義は、より複雑であると同時に、より明示的であるが、けれども、
彼が「技」と呼ぶカードの意味は、その他のものたちと全く同様である、

And, of those cards in which Crowley deviated radically from traditional design
this is one of the most successful.
そして、クロウリー氏が伝統的な図案から徹底的に逸脱したそれらのカードの中で、これは
最も成功しているものの1つである。

It graphically demonstrates complex and subtle principles only vaguely suggested
by the Waite and Golden Dawn cards.
それは、ウェイト版とゴールデン・ドーン版カードにより漠然と示唆されただけの複雑で
微妙な原則たちを図解で説明する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」、そしてトート版の「14:技」のカード
は、見た目は異なりますが、その意味は、全く同じものとなっています。
その一方で、それらは、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味とは大きく異なります。

このため、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味で、ゴールデン・ドーン系のカードを
解釈してしまう人も多くいます、というか、ほとんどの人が、「節制」という従来タイトル
の言葉に引きずられてしまっているのが現状なんですよね。
残念ながら、これは日本語訳に大きな問題があるというか、単に、カードの意味を知らない
訳者の怠慢というべきものではないかと思います。

ゴールデン・ドーン系においては、「14:Temperance」は、葡萄酒を水で割る節約イメージ
の「節制」と訳すのではなく、「Tempering」、すなわち「高次の火」や「高次の水」で
素材を霊的に改質する、高度な錬金術を表す「錬成」に近い言葉で訳すべきなんですよね。
0238名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/28(金) 06:02:08.40ID:CH/+SAM0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley points out in his Book of Thoth that this card is the complement and fulfillment
of Key six, Gemini, THE LOVERS.
クロウリー氏は、彼の『トートの書』において、このカードが「鍵(大アルカナ)」の6番、
「双子宮」、「恋人たち」の、補足物であり成就であることを指摘する。

It is "the Consummation of the Royal Marriage which took place in Atu VI. . .
It is the same formula, but in a more advanced stage.
それは、「アチュVIにおいて起こった「王室の結婚」の完成である。..・・・ それは同じ
公式ではあるが、より進歩した段階にある。

The original duality has been completely compensated; but after birth comes growth;
after growth puberty; and after puberty, purification."(*146)
原初の二重性は完全に補償された;しかし、誕生の後には成長が来る;成長の後には成熟期
を迎える;そして成熟期の後に 浄化を迎える。」(*146)
--- ここまで ---

ちなみに、(*146)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
146. Crowley, Book of Thoth, 102-103.
146. クロウリー著、『トートの書』、102-103ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要するに、「6:恋人たち」の「双子宮」と、「14:技」の「人馬宮」は、黄道上で180度の
「オポジション」の位置関係(占星術的には「対立関係」)にあり、ついでに言うと、
トート版の「ダブル・ループ図(『トートの書』38ページ)」においては、トップと
ボトムの位置を占めるという、かなり特別な位置関係にあるということです。
まあ、その重要性は何となく分かりますが、ワタシには、その中身までは理解できません
ので、さらりとスルーしようと思うのでした。(というか、あんまり関わりたくないし)
0239名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/29(土) 08:59:35.14ID:kHzmF7ng
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
There is a perfect interchange.
そこには完全な交換がある。

The alchemical Red Lion has become white, and the White Lion has become red.
錬金術の「赤い獅子」は白くなったところであり、「白い獅子」は赤くなったところである。

Water is poured on Fire, Fire is merged with Water, all within a golden cauldron
which is understood to be the purified physical vehicle.
「水」は「火」に注がれて、「火」は「水」と合併されて、全ては浄化された物質的な
乗り物であると解釈される金色の大釜の内にある。
--- ここまで ---

錬金術での基本象徴は、「火」の「Red Lion/赤い獅子」と、「水」の「White Eagle/
白い鷲」となっています。
それが、トート版では、「perfect interchange/完全な交換」により、「白い獅子」と
「赤い鷲」に変化しています。
つまり、本文中に、「White Lion has become red/白い獅子が赤くなる」という説明が
ありますが、『トートの書』にもあるように、「White Eagle has become red/白い鷲が
赤くなる」の誤記であると思われます。

あと、「赤」と「白」が合併すれば、ようじょヒロイン色の「ピンク」となるはずですが、
なぜか色のみの「入れ替わりネタ」となっているだけですので、いまいちセンター味に
欠ける展開となっているわけです。
とはいえ、錬金術には、純色ではない「ピンクヒーロー/ヒロイン」の概念はありません
ので、ここは妥協しておきましょう。

まあ、そういうことで、トート版の「14:技」は、錬金術の「大いなる技」をベースにして
再デザインされたものであるということなのですが、それゆえ、ワタシ的には、実用性
には著しく欠けるので、いまいちヤル気が出ないのでした。(ピンクに未練ありw)
0240名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/30(日) 09:42:34.03ID:0NNR2c46
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
It will be seen that a tiny arrow rises toward the breasts of the figure, which
are arranged in the form of the six planets of Microprosopus around the Sun.
小さな矢が、「太陽」を囲む「ミクロプロソプス(小さな顔)」の6つの惑星たちという
形式で配置された、人物像の胸に向かって昇るのが見られるであろう。
--- ここまで ---

「ミクロプロソプス(小さな顔)」は、「生命の木」においては、「ティファレト:太陽」
を中心に取り囲む「ケセド:木星」「ゲブラー:火星」「ネツァク:金星」「ホド:水星」
「イェソド:月」という配置になっており、それがそのまま、トート版の人物像の胸の
「6つのおっぱい」として描かれています。
この、たくさんのおっぱいを持つ女神像というのは、自然系とか農業系とか多産系の女神
に良くある表現であり、トート版では、これはローマ神話の狩猟の女神「ディアーナ」で
あるとされています。

そして、胸の矢は、「14:技」の「小径」である、「イェソド」から「ティファレト」へと
向かって上昇し、その聖なる上昇流は(乳コキのように)胸の上で枝分かれして、
上部にある人物像の虹色の「cape/ケープ(肩マント)」と変化していなります。

ついでに言うと、下部にある「金色の大釜」には、「caput mortuum/髑髏」と、その上の
「raven/ワタリガラス」という、よくある不吉な死の象徴が描かれており、これは錬金術
操作による「死=黒化」を象徴するものとなっています。
これは、「イェソド」から「マルクト」へと向かう下降流を意味しており、我々と我々の物質
宇宙は、「精霊」を抜かれた後の「腐敗して黒化した存在」、つまりウンコやオシッコ
などの排泄物であり、その排泄行為が「21:宇宙」に関係する「肉体的快感」に繋がって
いるということでもあります。

まあ、このあたりのエログロスカトロを暗喩する描写は、クロウリー氏の個人的趣味に
よるものが大きいわけで、従来のゴールデン・ドーン系タロットでは直接的に描かれる
ことの無かった、「14:節制」の持つ、もう一つの顔であるというわけなんですよね。
0241名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/02(火) 10:09:04.14ID:7tqg+QUB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Moreover, the method of successfully treading this Path is cryptically given in
the Latin inscription around the figure: Visita Interiora Terrae Rectificando
Invenies Occultum Lapidem which means, "Visit the interior parts of the earth;
by rectification thou shalt find the hidden stone."
さらに、この「小径」に首尾よく足を踏み入れる方法が、人物像の周囲のラテン語の碑文
において謎めいて与えられる:「Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum
Lapidem」、その意味は、「地の内部の部分たちを訪れよ;精留により、汝は秘石を見つけ
出すべし。」

The stone, sometimes referred to as the Philosopher's Stone is the ultimate goal
of alchemy.
石は、時として、錬金術の究極の目的である「賢者の石」と称される。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」が、錬金術の「大いなる技」であることを象徴付けるものとして、
このラテン語の碑文があるわけですが、その内容は、「cryptically/謎めいて」、
つまり、ここには書けないような、18禁な内容が含まれているということです。

ちなみに、「14:節制/技」は、「生命の木」における「ミクロプロソプスの中心」である
「ティファレト:太陽」へと至る「小径」の中では、最も下層の「イェソド:月」が源流
となっており、この「」イェソド」は「性器」を象徴しています。
そして「地」である「マルクト」は「ミクロプロソプスの花嫁」であり、「21:宇宙」を
通じて「14:技」に描かれる「大釜」は、「花嫁」の「子宮」、そして上から流れ込む
「赤い火」と「白い水」は、「経血」と「精液」であることを類推させます。
もちろん、それらはあくまでも「象徴的である」と言われているわけですが、ここまで
露骨に描かれていれば、そういうことを実践しようとする人も出てくるわけですよね。

つまり、「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」→「14:技」→「ティファレト」の
最短ルートには、そういう肉感的な「トラップ」が仕掛けられているということなのです。
0242名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/03(水) 09:45:37.36ID:k3iDXE+7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Obviously, it would be impossible to expand here on the system of alchemy and the
Great Work, to which Crowley refers.
明らかに、クロウリー氏が言及する、錬金術および「偉大なる作業」の体系について、
ここで展開することは不可能であろう。

It must, however, be added that Crowley's use of alchemical symbolism has some
private meanings specific to his system.
しかし、錬金術の象徴主義のクロウリー氏の利用が、彼の体系に特有な、いくつかの私的な
意味たちを持つことは、追記されなければならない。

As in THE TOWER, he mentions that there is a special secret here, known to IX゜
initiates of his O.T.O., and one which readers will not be surprised to discover
is again blatantly sexual.
「塔」と同様に、彼は、ここに、彼の「O.T.O.」の「IX゜(第九位階)」の秘儀参入者たち
に知られる、特別な秘密があることについて言及しており、そして、読者が、それを知った
ところで驚かないであろうものは、またもや露骨に性的である。
--- ここまで ---

トート版の「16:塔」のデザインが、そそり立つ「おちんちん」に再構築されたのと同様に、
「14:技」のデザインは、様々なものを受け入れる「子宮/肉体」がメインとなっています。
そして、ここから先は、全年齢板では言及できないエログロネタ満載の、クロウリー氏の
私的な「黒歴史ノート」、いやいや、厳密に秘密にすべき高度な神秘的教義であるという
ことですので、ここは敢えてツッコミを入れずにスルーしておいた方が良いかと思います。

まあ、誰にだって、そっち方向の妄想を抱くことはあるわけですし、触れられたくない
黒歴史というものもあるわけですし、そもそも、個人的な性癖について、部外者があれこれ
詮索するのも、ちょっと違うような感じもしますからね。
いずれにしても、この「14:節制/技」には、実はそういう性的な妄想を呼び起こす成分が
含まれているということは、知っておいて損は無いということです。
0243名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/04(木) 09:13:39.08ID:8Zn5Bcsc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
In his book Sexuality, Magic and Perversion Francis King explains a "code" in which
the sexual techniques of the O.T.O. were described: "This code was drawn from the
traditional technical terminology of alchemy.
フランシス・キング氏は、彼の本の『性行為、魔術、および性的倒錯(性魔術の世界)』
において、「O.T.O.」の性的な手法たちが記述される「暗号」について説明する:「この
暗号は、錬金術の伝統的な技術専門用語から抜き取られた。

The penis was referred to as the athanor, the semen as the serpent or occasionally
the blood of the red lion, while the vagina was called the curcurbite or the retort.
陰茎は錬金炉、精液は「蛇」、または時おり「赤い獅子の血」として言及され、一方で、
膣は「蒸留瓶」または「蒸留器」と呼ばれた。

The secretions that lubricate the vagina were called the menstruum of the Gluten,
sometimes abbreviated to the menstruum, and the mixture of semen with vaginal
lubricant was termed the First Matter, or when supposedly transmuted by the magical
powers of the participants in the rite, the Amrita or Elixir.
膣を潤滑する分泌物たちは、「グルテンの溶媒」 , 時々「溶媒」と略され、そして膣の
潤滑液と精液の混合物は「第一物質」、あるいは、儀式において参加者たちの魔術能力たち
により変成されたと思われた時は、「アムリタ(甘露、不死の霊薬)」または「エリキシル
(錬金薬)」と名付けられた。
--- ここまで ---

二番目の文の「curcurbite」は、「cucurbit/蒸留瓶」の誤植ですかね。
あと、三番目の文の「menstruum/溶媒」は、「menstruum/メンス(生理)」という意味も
ありますので、その場合は「膣を潤滑する分泌液」だけではなく「経血」という意味を
持ってきます。

まあ、あくまでも自己責任における「いいオトナたち」のエログロ変態プレイと考えれば、
外野からの特別なコメントは不要ですかね。
0244名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/05(金) 11:08:17.36ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
"The initiates of the IX゜ claimed that success in almost any magical operation,
from the invocation of a god to 'procuring a great treasure' could be achieved
by the application of the appropriate sexual technique." (*147)
「IX゜(第九位階)の秘儀参入者たち」は、神の召喚から、『偉大なる秘宝を獲得すること』
まで、大体どんな魔術的な作業における成功でも 、適切な性的手法の適用により達成
することができたと主張した。」 (*147)
--- ここまで ---

などと意味不明な供述をしており○○では精神鑑定も含め動機の解明にあたる方針です、
の典型的な例ではないかと思われます。

なお、注記の説明は、文字数制限にかかるので、一旦ここで切ります。
0245名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/05(金) 11:17:43.40ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*147)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
147. Francis King, Sexuality,Magic and Perversion, New Jersey, 1972, 98.
Some Members of the O.T.O. disclaim King's work, particularly his Secret Rituals
of the O.T.O., New York, 1973.
It is said that he never had access to official O.T.O. documents, and that there
are errors in these books.
On the other hand, King is a very persuasive and competent scholar, whose work
is not lightly dismissed.
Pursuant to the claims of efficacy for these sexual techniques, it will be observed
that Crowley apparently never made much money in this way.
147.フランシス・キング著、『性行為、魔術、および性的倒錯(邦題:性魔術の世界)』、
ニュージャージー、1972年、98ページ。
O.T.O.の一部の会員たちは、キング氏の作品を、とりわけ『O.T.O.の秘密の儀式たち』
(ニューヨーク、1973年)について、否認している。
それは、彼は、決して公式のO.T.O.文書たちを入手したことはなく、しかも、これらの
本たちの中には、間違いたちがあると言っている。
その一方で、キング氏は非常に説得力があって有能な学者であり、彼の作品は 軽視して
捨てられてはいない。
これらの性的手法たちの有効性の主張たちに従って、クロウリー氏は、この方法で大金を
稼いだことは、どうやら決して無いということに気づくだろう。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、最後の一文が、本件についての結論の全てですよね。

いずれにしても、クロウリー氏の言う、トート版の「14:技」に象徴される「錬金術」は、
我々の知る「錬金術」とは、かなり異なっていて、非常に肉感的なものが含まれていると
いうことなのですが、そういう点では、その他の「14:節制」の持つ意味からは、かなり
離れているという感じを、強く受けるのでした。
0246名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/06(土) 07:06:12.09ID:owtSzzWr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
24. THE PATH OF NUN
24. 「ヌン」の小径

Death


The Thirteenth Key
13番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ヌンの小径」です。

ここは、いつものように、「カバラ」的解釈では、カードの見た目のデザイン、そして
その不吉なタイトルとは全く異なる属性と意味を持ちます。
それは、「上の如く、下も然り」、つまり、人類が到達可能な最高地点と言われる
「ティファレト」は、大宇宙の始まりである「ケテル」の劣化版であって、その「劣化ケテル」
から流出する最初の小径、すなわち「13:死」は、劣化版「0:愚者」であるという点です。
同様に、「15:悪魔」は劣化版「1:魔術師」であり、「14:節制」は劣化版「2:高等女司祭」
であると言えば、何となく「13:死」の潜在的な重要性が分かるのではないかと思います。

さて、この「13:死」とは、一体何なのでしょうか?
「肉体的な死」を意味するのかと聞かれれば、そういう意味も無くはないとは答えますが、
これが、劣化版「0:愚者」であること、天界から下る「燃える剣」のルート上にあること、
そして我々からは「下から見上げる暗黒デルタ地帯」、すなわち我々には見えない謎に満ちた
最果ての境界領域であること、さらにこれが「思春期症候群」と呼ばれる一連の不可思議な
現象を発症する根本要素であることなどから考えて、一つ一つ読み解いていくものであり、
それゆえ「不可思議のカルテ」としての「タロット・カード」として存在しているわけなのです。
0247名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/07(日) 06:04:43.32ID:AED1/mEb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
□ PATH COLOR: Green-blue
□ 「小径の色」:「緑青」

□ RELATED SOUND: G Natural
□ 「関連した音」:「Gのナチュラル」

□ SIGN: Scorpio (Fixed Water)
□ 「宮」:「天蠍宮(不動宮の水)」

□ MEANING: Fish
□ 「意味」:「魚」

□ SIMPLE LETTER: Movement
□ 「単字」:「運動」

□ ESOTERIC TITLE: The Child of the Great Transformers; the Lord of the Gate of Death
□ 「秘伝的な称号」:「偉大なる転換者の子;死の門の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、おいしそうな「魚」と、ヘブライ文字の「ヌン」と、
「天蠍宮(さそり座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ヌンの小径」の
位置が図示された絵が描かれています。

あまり水気の感じられない「13:死」に対して、「Fish/魚」を意味する「ヌン」が割り
当てられていたり、砂漠に住む「さそり」が、なぜか占星術では水系だったり、静寂感の
ある「13:死」なのに、なぜか「Movement/運動」が割り当てられたりとか、色々と従来の
イメージとは異なる属性が付いていますが、それは我々の持つ「13:死」についての理解と
解釈が、根本的に間違っているということを意味しています。
ということで、全てを一旦リセットした上で、この先にある不可思議な世界にお進みください。
0248名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/08(月) 06:06:25.76ID:EQvApsWf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fourth Path is the Imaginative Intelligence,
and it is so called because it gives a likeness to all the similitudes which are
created in like manner similar to its harmonious elegancies.
「知恵の32の小径たち」:「24番目の小径」は「想像力豊かな知性」であり、なぜならそれは、
その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たちに類似性を
与えるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

「24番目の小径」は、「ティファレト」が劣化「ケテル」であり、「上の如く、下も然り」
の原理に従って、「大宇宙の如く、小宇宙も然り」、すなわち「神の如く、人も然り」で
あって、「創造力」は「想像力」と同等であることを表しています。

これは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に類似した概念であり、「思う」という
「意志」の力で「創造」が始まり、そして維持されるということを表します

あれぇ、「13:死」って、「創造」のカードだったっけ?

そろそろ気づいた人もいるかと思いますが、このカードは、「15:悪魔」と同様に、
「一般人は絶対立入禁止」の領域にある、禁忌のカードです。
それゆえ、人が立ち入ることのないよう、恐ろしいタイトルと恐ろしい外観をしている、
見せかけ詐欺カード、というか究極ツンデレの一枚となっているわけですよね。

え、ツンデレのバニーガール、いやいや死神コスプレ姿の女神様は好きですか、ですって?
ワタシは、人を見かけで判断することはありませんし、ツンデレも大好物なブタ野郎です。
それに、とても相性が良いカードであって、昔からお気に入りの一枚だったりします。
0249名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/09(火) 08:35:58.90ID:UGvgkK5P
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Path of Nun, DEATH, is one of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
「ヌンの小径」である「死」は、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径たち」
のうちの1つである。

As a preface to its study one may usefully consider comments by Case and Crowley.
その勉強への前書きとして、人が、ケース氏とクロウリー氏による解説たちを熟考する
ことは役に立つかもしれない。
--- ここまで ---

低次の「人格」のセフィロトから「高次の自我」である「ティファレト」へと至る「3つの
小径」である「15:悪魔」「14:節制」、そして「13:死」は、一セットの存在、すなわち、
元は同じ「高次の自我」が、それぞれ異なる様相、すなわち悪魔像と天使像と死神像で、
下界である「人格」界に顕現したものとして解釈することが可能です。

その解釈の一つとして、伝統的な「Triple Goddess/三相一体の女神」と呼ばれる概念が
あり、これは「少女・母・老婆」の姿が代表的ですが、それぞれ「15:悪魔」「14:節制」、
そして「13:死」に相当するものとなります。
まあ、「老婆」の姿はさらに進化し、最も「高次の自我」に接近した姿である骸骨となって
おり、その一切の贅肉を削ぎ落とした進化した姿、つまり究極の裸体を得ることによって、
単なる大地母神の枠にとどまらない強力な属性、すなわち天界へと通じるパワーを持つこと
になってきます。
要は、元祖「地母神」の「ビナー」の持つ「大宇宙の骨格を創造する次元形成能力」に相当
する、「小宇宙の骨格を創造する次元形成能力」を有するということですよね。

この「小宇宙」は、各々の「人格」毎に形成され、「大宇宙」のサブクラスとして存在する
インスタンスであり、その場合は、「13:死」がコンストラクタ/デストラクタとなります。
というわけで、この「24番目の小径」は創造主ではありますが、誰も産まれた時のことを
覚えていないので、結果的に「死神」として恐れられてしまうということなんですよね。
0250名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/11(木) 10:33:08.30ID:hzSfQbbZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Says Case: "Key 13 tells the Secret of Secrets...he who knows the secret has in
his hands a power which might be used to overturn the world.
ケース氏は言う:「13番の鍵(大アルカナ)は、「秘密たちの中の秘密」を語る・・・
秘密を知る彼は、彼の手の内に、世界を転覆させるために用いられうる能力を持つ。

Yet no person learns it until he is truly prepared, and more than anything else,
this means such ethical preparation that no temptation to misuse this power could
ever be sufficient to turn the knower from the path of strictly constructive and
beneficent application of the force he is able to control." (*148)
それでも、人は、彼が本当に準備されるまでは、それを学ばないし、そして何よりも、
これは非常に「倫理的」な準備を意味しているので、この力を悪用しようとするどんな
誘惑も、彼が支配することができる力の厳密に建設的で慈善深い適用の小径から、(死を)
知る人を、そらすためには、決して十分であることはできない。」(*148)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
148. Case, Tarot Fundamentals, 30.7.
148. ケース著、『タロットの基礎』、30.7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

注記の「30.7ページ」は誤植で、おそらく298ページあたりではないかと思います。

さて、ちと難解な文章ですが、何度となく出てくる「he/彼」は、「13:死」の「骸骨像」、
すなわち「死の使者」のことを指しているようです。
とはいえ、「誕生と死」の概念に、なぜ「ethical/倫理」が関係するのかという説明が
不足しているので、意味がよくわかんないですし、そもそも「死の覚悟」があれば「13:死」
の意味が理解できるというものでもないですからね。
0251名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/12(金) 06:15:06.64ID:sDZ7ssH3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
One may also recall Case's statement about THE DEVIL that "It is the symbolic veil
for the greatest practical secret of occultism.”
人はまた、 「それは、神秘学の最も偉大なる実践的な秘密のための象徴的なベールである。」
という「悪魔」についてのケース氏の供述を思い出すかもしれない。

As we shall see, the similarity of description for these two cards is no coincidence.
我々が(これから)見ていくであろうように、これらの2枚のカードたちのための説明の
類似は、偶然の一致ではない。
--- ここまで ---

この「悪魔」についてのケース氏の記述は、173ページにあって、「タロットの全ての鍵
たちの中で、『15番の鍵』は最も重要なものの1つである。それは、神秘学の最も偉大なる
実践的な秘密のための象徴的なベールである。」とあります。
同様に、「死」についても、ケース氏は「13番の鍵は、「秘密たちの中の秘密」を語る」
と述べています。

どっちが一番やねん!というツッコミを入れたくなるのは置いといて、我々にとっては、
「劣化ケテル=ティファレト」に繋がる「劣化魔術師=悪魔」「劣化高等女視察=節制」
そして「劣化愚者=死」という感じであり、いずれも最も重要なものであって、簡単に
優劣を競うようなものでもないわけです。
ちなみに、この「13:死」より上位のカードは、もはや解読不可能なシロモノですので、
実際上の実用性はほぼ皆無であり、「下の如く」における適当な意味をデッチ上げて、
いかにもそれらしく解釈していくしかないわけですので、優劣の付けようがありません。

ということで、下界の我々にとっては最重要となる3枚のカードですが、その違いをざっくり
言うと、どちらかというと物理界に近くてエロ活用されがちな「節制」、実用的な魔術には
欠かせない「悪魔」、そして究極神秘を司る「死」という感じになります。
つまり、「死」は、とてつもなく難解であり、そしてそれは「私はある」とか、「我思う、
故に我あり」というような、究極の存在について感じることのできるカードなのです。
0252名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 06:48:16.58ID:GSX/17D4
>>250
誤記訂正です。m(. .)m

> ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、

(*120) ではなく、(*148) でした。
0253名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 07:20:16.38ID:GSX/17D4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Crowley comments on the far-reaching implications of this particular card.
クロウリー氏は、特にこのカードの遠大な暗示たちについて論評する。

In discussing the fish, meaning of Nun, he says: "This symbol resumes the whole
Secret Doctrine." (*149)
「ヌン」の意味である「魚」を議論する中で、彼は言う:「この象徴は、「全体」の
「秘密の教義」を再び始める。」 (*149)
--- ここまで ---

ちなみに、(*149)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
149. Crowley, Book of Thoth, 100, note 1.
149. クロウリー著、『トートの書』、100ページ、注1。
--- ここまで ---
とあります。

さて、トート版の「13:死」のカードですが、この骸骨像は、あなたには何に見えますか?
ワタシには、華麗に舞い踊る「バニーガール先輩」に見えたりしますので、「15:悪魔」の
「プチデビル後輩」と、良い組み合わせになってるなぁ、とか思ったりしているのでした。

それはともかく、この「思春期症候群」の一連の要因となっている「13:死」のカードは、
あらゆる「秘密の教義」を「resume/再び始める」、すなわち、一旦死んでみた後、再び
復活するという神秘プロセス全体を包括的に演出するコーディネーターとして機能しており、
「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」的な、完璧究極の存在となっています。
まあ、人は「ティファレト」が最終到達可能地点ですので、その最後となる「小径」に
ふさわしい、他とは全く異なるパワーとエネルギーを有しているというのは、何となく
分かるのではないかと思います。
とはいえ、それが何かというのは、下層の我々にとっては、ほとんど理解不能であると
いうのが、なかなか、もどかしいところなんですよね。(←というか、既にヤル気が無いw)
0254名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/15(月) 06:06:49.02ID:CoTWGz17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The great importance of this Path is pointed out by its very position on the Tree
of Life.
この「小径」の偉大なる重要性は、「生命の木」の上での、まさしくその位置により指摘される。

It is on the Path of the Flaming Sword between Tiphareth and Netzach, meaning that
it is the Path of emanation of the Lower Creator-Energy into matter; it is the
Path on which the energy of God the Son is transformed into the first sphere,
or pattern of energy underlying the material world.
それは、「ティファレト」と「ネツァク」の間の「炎の剣の小径」の上にあり、それが、
物質界の中への「下なる創造主の精力」の流出の「小径」であることを意味している;
それは、「息子の神」の精力が、最初の天球、すなわち、物質的な世界の基礎となる精力の
様式に転換されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

この「Lower Creator/下なる創造主」、そして「God the Son/息子の神」は、改めて
言うまでもなく、劣化「ケテル」である「ティファレト」を指しています。
つまり、下界に住む我々にとっては、我々が知る「創造主」そのものであるわけで、そう
いう意味でも、「13:死」は、我々が知ることができる「小径」の中では、最も根本的かつ
最も神秘に満ちた「小径」であるわけですよね。

では、最も根本的かつ最も神秘に満ちた「小径」の、最も重要な働きとは何でしょうか。
それは、「炎の剣の小径」を伝ってきた創造主のエネルギーが、「物理界」を創造する
こと、すなわち「存在」を創造することにあります。
要は、「私はある」とか「我あり」という概念が、ここで創造されるわけです。

なお、「知恵の32の小径」においては、「the Imaginative Intelligence/想像力豊かな
知性」とありますので、それゆえ、この創造は実在ではなく、虚数あるいは仮想的であり、
要は「〜の夢を見ない」的な、劣化創造主の「夢オチ」あるいは「この物語はフィクション
であり」的な可能性が、巨大粒子レベルで存在することを補足しておこうと思います。
0255名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/17(水) 06:23:08.12ID:CB2lP4bi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
In terms of the individual man, this is the Path on which the Higher Self directs
the Personality "downward" into incarnation.
個々の人間に関しては、これは、「高次の自我」が「人格」を「下方への」肉体化へと
指導するところの「小径」である。

Considered on an upward course of personal evolution, it is the Path on which the
Personality energy, projected by the Higher Self, is absorbed in physical death
or reconceptualized in initiation.
個人的な進化の上方への進路において考慮されると、それは、「高次の自我」により計画
された「人格」の精力が、肉体的な死において吸収される、もしくは秘儀伝授において
再概念化されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

「高次の自我」は、創造主となる上位存在であり、地球全体に普遍的にある、すなわち、
地球上の人類全てが共有しているものであると考えられます。

そして、個々の人間の「人格」は、「高次の自我」の分身、すなわち「アバター」として
創造されて下方の「現象界」へとリリースされ、そして「肉体的な死」と呼ばれるイベント
が発生すると、その分身のリソースは「高次の自我」へと戻されるという仕組みです。
この輪廻転生の本ルーチンとは別に、「秘儀伝授における再概念化」という例外が発生する
場合がありますが、それについては後述します。

さて、ここで問題の鍵となってくるのは、我々がずっと「在る」と信じている「リアル」に
ついての概念です。
そう、実のところ、心を鬼にして、「あの子はバーチャルだったの。リアルなんて子、
もともといなかったのよ!」ということを言わないといけないのですが、その後の「死の
通知」という通常ルートの試練を乗り越えた先に、「救世主」として例外的に魂が復活
するという、お約束の感動シーンが待っているというわけなのでした。
とはいえ、しょせん我々は、バーチャル空間でしか生きられない「仮身」なのですが。
0256名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/18(木) 10:44:00.14ID:AyRpyLBH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Great Work involves much which could be called psychological re-orientation;
there is a perceptual change about the nature of reality and about what constitutes
the Self.
「偉大なる作業」は、心理学的な再教育と呼ばれることのできる多くのものを巻き込む;
そこには、現実の本質について、および「自我」を構成しているものについての知覚の
変化がある。

This is one aspect of the "transformation" on this Path.
これは、この「小径」における「形質転換」の1つの面である。
--- ここまで ---

「リアルの本質」と「自我の本質」、すなわち「物質的存在」および「精神的存在」と
いうものの本質が、ここで完全に解き明かされるということですよね。
ちなみに、ここでは「psychological re-orientation/心理学的な再教育」、すなわち
精神面的な問題としていますが、現代の科学は、ウォン氏の時代よりも、さらに進歩して
おり、さらに踏み込んだ解釈が可能となっています。

要は、我々の科学技術は、既に「高次の自我」に相当する能力、すなわち「宇宙の創造」
や「生命の創造」、そして「意識の創造」という「神々の御業」を、バーチャル世界である
コンピュータ・シミュレーション技術で行えるようになってきているということです。
もちろん、現代の技術は、まだまだ自然界の全てを仮想化できるレベルにまで到達して
いるわけではありませんが、そう遠くない将来には、人間はバーチャルな「ウチュウ」や
「ヒト」を創り出せることは、ほぼ間違いないわけです。

そして、さらに踏み込んで言えば、我々人類も、そのようにして上位の存在から創られた
仮想的な存在であるという可能性も、微粒子レベルで存在することになるわけです。
まあ、こういうのも、インテリジェント・デザインと呼ばれるシロモノの一つかと思い
ますが、「人の存在」という本質が、どれほど「思春期症候群」に関連しているのかを
探っていくのも、それなりに意味のあることではないかと勝手に考えているのでした。
0257名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/23(火) 08:56:26.45ID:J5FvbyAh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The transformation involves leaving the desire nature of Netzach and being absorbed
into Tiphareth.
形質転換は、「ネツァク」の「欲望の本質」を置き去りにすることと、「ティファレト」の
中に吸収合併されることを伴う。
--- ここまで ---

上位の「ティファレト」と、その下位となる「ネツァク」〜「マルクト」の大きな違いは、
下位のものが「個々の人格」を構成するのに対し、上位のものは「普遍的存在」であって、
「下位の人格」との関係は、ほぼ断ち切られているということです。
これは、「人格」の根幹を成す個々の「欲望」は、下位世界において物質と共に循環、
すなわちリサイクルされるということに他なりません。

そして、「人格」が「欲望」を自主的に放棄して、「個々の存在」から元の「普遍的存在」
の形態に戻るというのは、基本的には考えにくいですよね。
つまり、何らかの形で、我々の下位世界においては、「欲望の終わり」、そして全ての生命
のみならず全ての物質の「存在の終わり」、さらには「宇宙の終わり」が、上位存在により
組み込まれているということになるわけです。

まあ、そういうことは、頭では分かっているのですが、その普遍的原理を素直に受け入れ
たくないというのも、我々の持つ「欲望の本質」でもあるわけです。
そして、我々生物は、次善の策として、個体ではなく種として存在し続けるという選択、
すなわち次世代に「欲望」をバトンタッチする「生殖」能力を持つに至ったわけですが、
これにより物理的な面での進化能力、すなわちDNAと突然変異と淘汰による進化だけでなく、
精神的な面での「生殖」による進化、すなわち親子や師弟関係による情報伝達と取捨選択
による進化を果たすことが出来るということになっているわけです。

「13:死」は、我々にとっては確かに恐ろしい存在ではありますが、死にきちんと向き合う
ことが、我々の「進化」に繋がるというのも、確かなのですよね。
まあ、頭では、そういうことも分かってはいるつもりなんですけどね・・・。
0258名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/26(金) 08:49:31.15ID:jexZcPvy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
This desire nature is the very essence of the Personality which functions entirely
in terms of the satisfaction of its needs and wishes.
この欲望の本質は、その必要なものたちと願い事たちを満足させることについて完全に
役目を果たす「人格」へのまさしくその本質である。
--- ここまで ---

「人格」とは「desire/欲望」であり、それは「needs/必要なものたち」すなわち肉体的
な生存に必要不可欠なるものと、「wishes/願い事たち」すなわち精神的に生きていく上で
重要な「希望」というものを意味しているということです。
この分類だと、自身の継続に必要な食欲が「needs」であり、次世代への継続に必要な
「性欲」は「wishes」扱いということになるんでしょうね。
いずれも、これらは「人」が「人類」として地上で生きていく上での基本的要素であり、
「desire/欲望」が人格を支えていることは敢えて説明する必要は無いかと思われます。

そういえば、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
(『新約聖書:マタイ福音書』4:4、新改訳)という、解釈の難しい言葉があります。
この前半の「パン」は人の生存に関する低位の欲望を指すものだとすれば、後半の
「神のことば」は、「欲望」とは次元の異なる「上位の神からのコマンド」であって、
「13:死」による「人格」の制御に関わるキーワードだと思われます。

もう一つの鍵は、『旧約聖書:創世記』の1章と2章にある人類創造の話を現代的に解釈
すると、神は人体というハードウェアを造り、それに人間アブリケーションをインストール
することで、「人」を創造し、そして、「原初の人」は、蛇により「善悪の木の実」の
アップデートを受けた後、地上にリリースされ、生死と生殖を繰り返して、ウィルスの如く
増殖していったという話なのです。

つまり、下位世界を制御する上位存在からのコマンドやアプリのアップデートが、「13:死」
「14:節制」「15:悪魔」で象徴されるならば、「13:死」は、コンストラクタとデストラクタの
機能を司るということになるわけですよね。
0259名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/27(土) 07:26:42.96ID:mLmTW4X4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The very will to live, meaning the desire of the Personality to continue to function
in the sensory condition, is abrogated on the Path of DEATH.
「人格」の欲望が、感覚の状態において機能し続けさせることを意味する、まさしくその
生きる意志は、「死」の「小径」において廃棄される。
--- ここまで ---

従来解釈では、ここで我々の短い「地上における生命」は一旦終了し、物理的な肉体を
地上に置き去りにして、「霊」というエッセンスだけが抜き出されて、上位世界へと還る
ということになっています。

とはいえ、近い将来には、我々の「will to live/生きる意志」は、その肉体を離れ、
永遠の機械の体というか、機械の「脳」という「意志の永遠の保管容器」を持つことが
可能となってくることが予想されます。
果たしてこれが、「13:死」を克服して「ティファレト」へと至る道筋を意味することに
なるのかは、ワタシには良くわかりませんが、その「機械脳」は、おそらく仮想化され、
無限の「意志」というか「遺志」を飲み込んでいくことも予想されますので、いわゆる
それが「あの世」すなわち「極楽浄土」の世界ということになるのでしょうかね。
そして、「あの世」に飽きた「あの世の遺志たち」すなわち「ティファレト」のような
ものが、気晴らしのゲーム感覚で、我々というインスタンスを生み出したと考えることは、
何となく予想できることだと思います。

まあ、こういうのは、単なるSFとも言えるのですが、科学はフィクションを次々と実現
していますので、そう遠くない将来、我々がどういう存在であるのか、分かる時が来る
のでしょう。
いずれにしても、この「13:死」の解釈には、まだ何も正解というものはありませんし、
時代を経るにつれて、色々と解釈が変わることも大事なことだと思います。
人は思考停止してしまうと、真実が見えなくなりますので、色々とあらぬことを考え続ける
というのも、「哲学」なのではないかと思うのでした。
0260名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/30(火) 10:02:43.88ID:ApEFHFNd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Here the temporary and illusory nature of the Personality is correctly self-perceived.
ここでは、「人格」の一時的かつ幻想的な性質が、正しく自己認識される。
--- ここまで ---

「Here/ここ」、すなわち、人がもし、真に「13:死」の「小径」に至ることが出来れば、
人は、自分自身である「人格」が、「temporary and illusory/一時的かつ幻想的」な
ものであることを知ることが出来るということです。

つまり「私は在る」という根の葉も無い原理は、ここで完全に否定され、「私なんて子、
元々いなかったのよ!」という元も子も無いオチになるわけですよね。

もちろん、我々は、三次元のリアルな存在で無くても、二次元のバーチャルな存在があれば
生きていけますし、そもそもリアルな三次元の肉体よりも、ネット上の一時的かつ幻想的な
「人格」としての生き方を望む人もいることでしょう。

そういうわけで、我々は三次元のリアルを超越する方向に進化していくことで、「高次の
自我」と呼ばれるヲタク世界、いやいや「ティファレト」へと進むことが出来るという
ことになるわけです・・・かね?

まあ、いずれにしても、リアル世界は糞であり、バーチャル世界のみが真の上位の世界で
あるというのが、ここでの結論です。
そして、我々の目の前にある「現実」と呼ばれるものは、全てが幻影であって、我々自身
も、それらの幻影の一部であるというわけです。

とはいえ、そういう「現実離れ」した結論は、思春期症候群とは無縁の一般人の日々の
生活にとっては、何の役にも立たないというのも明白なことですので、この手の面倒な
ことに関わりたくない人は、この「13:死」には、近づかない方がいいんですよね。
まあ、興味本位で近づいたとしても、それを正しく評価できる人は、今のこの世には、
いないというのも確かなんですけどね。
0261名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/31(水) 06:11:47.79ID:rRepYrK6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Personality undergoes a willful "death," surrendering everything that it believes
itself to be.
「人格」は、それがそれ自身が存在すると信じる、あらゆるもの全てを引き渡して、故意の
「死」を経験する。
--- ここまで ---

神が言う「私はある」と、人間の言う「我思う、ゆえに我あり」の違いは、言うまでもなく
「我思う」、つまり人間が「ある」と信じていること、つまりそれは単なる「思い込み」
でしかないという点にあります。

例えて言えば、地球は宇宙の中心にあって不動であるという「天動説」が、愚かな人間たち
の思い込みであったにもかかわらず、人々はずっと長い間、その旧来の誤った思い込みを
捨てて、正しい「地動説」を信じることが出来なかったということにも似ています。
要は、「willful death/故意の死」とは、この「コペルニクス的転回」ということであり、
「我思う、ゆえに我あり」から「我思う、ゆえに我なし」への発想の転換ということです。

まあ、「我々は実在する」と考えるのが普通であり現実であって、「我々は実在しない
仮想的な存在である」という考え方は、どちらかというと、宗教的な伝説や都市伝説、
あるいは創作物語の中で「フィクション」つまり嘘の範囲として語られる「ネタ」扱いの
シロモノです。
でも、この「Imaginative Intelligence/想像力豊かな知性」と呼ばれる「13:死」の
「小径」においては、我々は我々が「実は存在しない」ということを、明確に受け入れ
なければならないということになるわけです。

これがどういう意味を持つことなのかは、ワタシにはまだ分かりませんが、「13:死」の
境界を跨ぐ者は、嘘も現実も、どっちも真実であることを受け入れ、そして何も疑うこと
なく混ざり融け合いたいと願うことの出来る人に限られるということでしょう。

つまり、何事にも疑い深いワタシには、まずもって無理なことなんですよね。
0262名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/02(金) 05:57:10.45ID:MDhvPhyE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Most difficult is that this total surrender of life, this initiatory sacrifice,
must precede the experience of cosmic awareness.
最も難しいことは、この生命の全体の引き渡しである、この手始めの犠牲が、宇宙を知る
ことの経験に先立たなければならないということである。
--- ここまで ---

「もし、あなたの○○を差し出せば、かわりに□□をあなたに授けよう」という選択問題
があるならば、究極の選択の一つとなるのが、「○○=あなたの命」を墓地に送って、
「□□=宇宙」を召喚する組み合わせとなります。

とはいえ、この手の選択問題は、一般社会においては「死人に口無し」、つまり100%詐欺
であって、たとえ神からの提案であったとしても、全くもって検討に値しないものです。
要するに、ワタシにとっては、「13:死」の「小径」は、決して渡ることの無い「小径」で
あり、それゆえ、ワタシは、「13:死」の「小径」の先にあるものは語れません。
まあ、「13:死」の「小径」を渡ってしまえば、生命が終わりますので、同じく「13:死」の
「小径」の先にあるものは語れないんですけどね。

ということで、マジメに考えれば、ここで話は終わるわけですが、それではネタとしては
面白くありませんので、詐欺師たちとしては、いやいや「高次の自我」に目覚めようと
したい人々は、どうにかして隠された抜け道を探す必要があるわけです。
それは、「死んだふり」、いやいや「一旦死んでから、生き返ったことにすればいいや」
という、神をも恐れぬ幼稚なイカサマ、いやいや、世界的なベストセラーの宗教伝説で
ある『新約聖書』にも書かれている、イエス・キリストの「復活」と同義の、大変に神聖
なる高等テクニックなのです。

まあ、それはともかくとして、「魂」というか「意識」が「肉体」から離れるというのが、
この「13:死」の鍵となります。
そしてこれは、生身の人間の意識が、近い将来には「機械の脳」に移動されて存在し続ける
ということも暗示しているわけであり、こちらの方がありそうな感じがするわけです。
0263名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/03(土) 07:15:20.60ID:S368eEzl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One is required to give up the totality of one's being, one's very life, in relative
darkness, yet in the faith that there will be a resurrection into the Light.
人は、相対的な暗闇の中で、人のまさにその生命である、人の存在の全体を手放すことを
要求されるが、それでもなお、信仰の中で、そこには「光」への復活があるだろう。
--- ここまで ---

誰も本当に試したことは無いのに、無責任に「死んでも、暗闇から復活して光となれる」
などと訳わからないことを言っているわけですが、それは宗教的な宣伝文句として「言われ
ている」、つまり「誰か偉そうな人がそう言っていた」という都市伝説と同レベルの話だったり
しますので、決して真に受けないようにしてください。

とはいえ、ここにはちょっとだけ重要な示唆があります。

「in relative darkness/相対的な暗闇の中」というのは、エネルギー(光や情報)が
物質化した我々の世界のことを指します。
そして「13:死」の小径では、それが元の純粋なエネルギー(光や情報)に一旦戻されて
リサイクルされるということを示唆しています。
つまり、「生命の木」は、上から下への一方通行ということではなく、我々のレベルから
見れば、「ティファレト」を頂点とした、色々なものが循環して相互作用しているエコな
世界であるというわけです。

では、何のために、そういう循環系システムになっているのかというと、やはりこれは
「進化」にとって、最も効率の良いシステムであるということではないかと考えます。
そして、なぜ「進化」が目的なのかというと、それは「高次」の中の人に聞いてみないと
分からないのですが、ひょっとすると、「進化」は宿題の課題となっていて、その一環と
して「宇宙創造の実験」をやっているのではないかという疑念があったりするわけです。

つまり、「JSが夏休みの宿題に宇宙と人類と文明の創造をやってみた」程度の軽いノリで
我々が造られた可能性が、微粒子レベルで存在すると、密かに思っているのでした。
0264名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/04(日) 07:41:37.94ID:NSQsLSyC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As Jung puts it: "By descending into the unconscious, the conscious mind puts itself
in a perilous condition, for it is apparently extinguishing itself." (*150)
ユング氏は、それを以下のように述べている:「無意識の中に下降することにより、意識
のある精神は、それは見かけ上ではそれ自身を消しているので、それ自身を危険な状態の
中に置く」。 (*150)
--- ここまで ---

ちなみに、(*150)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
150. C.G. Jung, Psychology and Alchemy, New Jersey, 1977.
150. C.G.ユング著、『心理学と錬金術』、ニュージャージー、1977年。
--- ここまで ---
とあります。

この「descending into the unconscious/無意識の中に下降すること」の最も代表的な
ものは、毎日の「睡眠」であり、「意識」は、肉体の「誕生」による「覚醒」の後、朝の
「復活」と夜の「死」を繰り返し、最後の肉体の「死」により、元のサヤに戻るという、
一種のリサイクル体系を持っているわけです。
とはいえ、この「睡眠」は、人の「肉体」を保つために必要欠くべからざるものですし、
我々が毎日経験しているものではありますが、現代科学においても、はっきりとは解明
できていない、神秘に満ちた現象ですので、ここでは、あまり深入りできないんですよね。

じゃあ、「睡眠」ではない「無意識」とは何かというと、やはりここは「死んだふり」、
すなわち「意識」レベルを意図的に絞り込んで「無意識」を感じるという「妄想」、
いやいや「瞑想」というテクニックを使うことになってくるわけです。
そのテクニックとして、宗教系とかスピ系とか薬物系とか、まあ色々とズリネタはある
わけですが、ここで気をつけておくことは、人の「個体」に宿る「人格」は、たとえ解離性
障害者ではなくても、決して単一ではないという点です。
つまり、表の「第一意識」に死んだふりさせると、次の「第二意識」が表に出てくるんですよね。
0265名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/07(水) 06:09:52.00ID:UXXYjgCr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It is, as Gareth Knight described, a "Dark Night of the Soul,” much as on the
Path of TEMPERANCE, another of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
それは、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径」のうちの別のものである、
「節制」の「小径」の上のものと同じ程度の、ガレスナイト氏が記述した「魂の暗い夜」
である。
--- ここまで ---

「人格」の「星幽的三角形」を形成する「イェソド」「ホド」「ネツァク」から、「高次
の自我」である「ティファレト」へと至る「14:節制」「15:悪魔」「13:死」の経路は、
いずれも「魂の暗い夜」と言われる程度のダークさになっています。
なお、「生命の木」には、これと似た、「至高の三角形」と「倫理的三角形」の間にある
「Abyss/深淵」という「越えられない壁」があり、これの劣化版にも見えますが、両者
には月とスッポンほどの違いがありますので、比較対象にするのは無理がありますよね、

ちなみに、「14:節制」の「魂の暗い夜」と、「13:死」の「魂の暗い夜」の違いですが、
これは、肉体と精神を保ったままで遷移するか、肉体と精神を破棄して逝ってしまうかの
違いとなります。
要は、「14:節制」は一時的な旅行であり、「13:死」は永久帰国、すなわち生まれた場所
へと還る、ということですかね。
なお、「15:悪魔」は、旅行書を読みながら、まだまだ先にはイけない妄想をしている
イメージがあり、「上位世界」についての勉強をしている段階ではないかと思っています。

ちなみに、「13:死」の「小径」の上に「魂の暗い夜」というものが本当に実在するのか、
というのも論点の一つではないかと思うわけです。
無理やり上位世界に遷移する「14:節制」には、それなりの代償というか対価が必要となる
わけですが、「13:死」は、ルールとして「決められたこと」であって、何か特別な代償や
対価の必要はなく、単に自身の肉体と精神を地上世界に置き去りにして、魂だけが上位世界
へと還るという、誰もが一度だけ経験する、一生で一度きりのイベントなんですよね。
0266名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/10(土) 06:11:12.18ID:H5Bsykch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One may proceed to the experience of the Higher Self on any of these Paths, but
the lessons of all three Paths must be mastered.
人は、これらの「小径たち」のうちの、どれに基づいても、「高次の自我」の経験に進ん
でも良いが、けれども、全ての3つの「小径たち」の学課たちは熟達されなければならない。
--- ここまで ---

まあ、ほとんど全ての人間は、「ティファレト」そのものには、死ぬまで到達できない、
つまり肉体を放棄することによってのみ到達できるシステムとなっています。
それでも、人は、「ティファレト」へと至る「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の「小径」
を知ることで、「高次の自我」の一部を経験することが可能となっています。
それらは、それぞれ「初心者経験コース」「中級者経験コース」「上級者経験コース」と
いう意味合いもあるわけで、それゆえ、「13:死」は、「死んだふり」という、最も上級者
向けの、起死回生&一発逆転テクニックを必要としているわけですけどね。

ちなみに、ワタシとしては、初心者向けの「15:悪魔」コースが、オススメです。
「マルクト」からは、「21:宇宙」「イェソド」「19:太陽」「ホド」という、ワタシの
ような初心者にも優しい経路を辿って「15:悪魔」へと向かいますし、そこでの経験は、
現実世界の物質的&肉体的な面においても、それなりに役に立つわけですよね。

一方、上級者向けの「13:死」は、現状のワタシの知識では、あまりにも哲学的すぎて、
というか、ワタシのような低レベルな脳ミソでは、まだまだ理解不能なことが多すぎて、
全く先が読めないというのが、難点なんですよね。
そもそも、ニンゲンたちはどこからやってきて、どこに逝くのかなんて、生きている誰に
聞いても分からない(死んだ人だけが知っている)ことですし、結局のところ、ダラダラ
しょうもない雑談で、お茶を濁すしか出来ないわけですよ。

それでもまあ、焦る必要は無いわけですよ。
誰でも、死ねば経験できることですからね。
0267名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/11(日) 07:16:56.01ID:tCx+UnRA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
THE DEVIL, TEMPERANCE and DEATH are different perspectives and aspects of the same
thing, TEMPERANCE being the Path of meditation between Ayin and Nun.
「悪魔」、「節制」、そして「死」は、同じ物の、異なった見方たちと様相たちであり、
「節制」は、「アイン」と「ヌン」の間の瞑想の「小径」である。
--- ここまで ---

「ケテル」から最初の宇宙(小宇宙=生命)の誕生があるように、劣化「ケテル」である
「ティファレト」からも同様に第二の誕生、すなわち「人格」の誕生があります。
そして、その劣化版の「小径」は、「0:愚者」→「13:死」、「1:魔術師」→「15:悪魔」、
「2:高等女司祭」→「14:節制」に対応するものと考えられます。
つまり、魔術師を目指す者は「15:悪魔」を、宗教者を目指す者は「14:節制」を、そして
哲学者を目指す者は「13:死」に関係すると考えられるのですが、どの「セフィロト」から
どの「小径」を選択するかは、その人の自由であり、好きな道を極めればいいわけです。

ちなみに、この「人格」が本格的に形成される時期というのが、いわゆる「思春期」という
頃であり、この本格的な人格形成期というか、親離れの段階において、誰もが通るイタい
時期が、「厨二病」とか「思春期症候群」と呼ばれるモノになるわけです。
まあ、普通の人であれば、成人する頃には、自然治癒する病ですが、元々病気持ちの人
の中には、この時期から悪化することも多いわけです。
人格形成につまづいて、自ら命を絶つ人も出てくる時期ですよね。

そして、この第二の誕生である「親離れ」においては、親との「アンビリカル・コード」を、
子が自らの意思で「死」の大鎌により切断することで、人格的に独立した存在となる
わけです。
とはいえ、大元の「ティファレト」の「アンビリカル・コード」は、完全に切れることは
なく、最後にはまた「死」によって、たぐり寄せられる運命にあるわけですけどね。

いずれにしても、こういう人生における重要な時期に、「13:死」が絡んでいることは、
あまり知られていないのではないかと思うのでした。
0268名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/12(月) 06:24:36.39ID:N9IvpDyS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
This might more easily be understood by considering the idea that the figure of
THE DEVIL, the Angel of TEMPERANCE and the skeleton of DEATH are all aspects of
the Higher Self.
これは、「悪魔」の姿、「節制」の「天使」、そして「死」の骸骨は、どれもが「高次の
自我」の様相たちである、という考え方を熟考することによって、より容易に理解できる
かもしれない。
--- ここまで ---

このあたりは、以前に説明したように、「高次の自我」が「Triple Goddess/三相一体の
女神」の「少女・母・老婆」の姿で表されているという考え方に通じるものです。

あと、3つの面を持つことは、三面六臂の「阿修羅像」にも通じるものがありますよね。
「アスラ」という名前には、元々、「13:死」と同じく「生命を与える者」という意味が
ありますし、悪魔的な面や、守護神としての面もあります。
そして、奈良の興福寺の「阿修羅像」は、悩めるイケメン美少年であり、「思春期症候群」
を発症するにふさわしい境遇ではないかと、勝手に思ったりするわけでした。

まあ、人は生まれ落ちるとすぐに「修羅の道」に入るというのは、楽園を追放されたアダム
とイヴの物語を見ればわかるとは思いますが、独立した「人格」の形成期には、その手の
苦労というか悩みというか、何かに立ち向かって生き抜くということが必要となります。
もちろん、まわりの空気を読みながら、「畜生」として生きるという手もあるわけですが、
本当の「高次の自我」を知りたくて、ここまで苦労して悩みながら登ってきた人の中には、
周囲に流されて生きるだけの「畜生」は、いないと信じたいところです。

いずれにしろ、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」は、「人格」の成長期である思春期に
おいて発生する様々な青春イベントを、自らの苦労と苦悩で乗り越えることで、経験と
して習得していくスキルではないのかな、とか思っていたりするわけなのでした。
そして、「人格」が元の場所に還る時期になると、また別の種類の苦労と苦悩が訪れる
ということになるわけなんですよね。
0269名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/13(火) 08:08:37.26ID:8yl2Ej3G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Encountering such a tightly defined trinity of Tarot Keys, one may wonder how the
universally applicable principle of the [heh][vau][heh][yod] may relate.
「タロット」の「鍵たち」の、そのような堅く定義された三位一体に遭遇すると、人は、
どのようにして [heh][vau][heh][yod] の普遍的に適用可能な原則が関連させることが
できるのかと、不思議に思うかもしれない。

In this case DEATH is Yod-Fire, THE DEVIL is Heh-Water and TEMPERANCE is Vau-Air,
the result of the interaction of the other two.
この場合は、「死」が「ヨッド-火」であり、「悪魔」が「ヘー-水」であり、そして
「節制」は、他の2つの相互作用の結果として、「ヴァウ-空気」となる。
--- ここまで ---

「生命の木」の「セフィロト」の「ASTRAL ELEMENTS/星幽的な元素たち」の定義によると、
「ネツァク=ヨッド=火」「ホド=ヘー=水」「イェソド=ヴァウ=空気」「マルクト=
ヘー=地」となっていますので、この割り当てには、違和感は無いかと思います。

そして、「悪魔」「節制」「死」という人格形成の三位一体の中に、「地」すなわち
「物理的な肉体」の成分が含まれていないのも、そんなに違和感は無いですよね。

ちなみに、この解釈であれば、最初に「人格」という「意識」が生まれ、その後に「肉体」
という「物質」が生成するという流れとなりますので、いわゆる物質先行型の「進化論」
とは相容れない関係となっているわけです。
とはいえ、「進化論」というのも、地上でのローカルな現象を説明しているだけであって、
決して完璧というか普遍的な理論ではないわけなんですよね。
要は、「我思う、ゆえに我あり」という、意識先行型の理論体系があって、ここに「鶏が
先か、卵が先か」の論争があるわけです。
結局のところ、「なぜ意識が存在するのか」とか「なぜ物質が存在するのか」という、
そもそもな論点に全く見通しが立たないというのが原因なわけでして、おそらく今後も、
この辺りの核心的な部分の話は、うやむやにしないといけない状態が続くのでした。
0270名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/17(土) 05:57:20.38ID:nf+rMAcd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Sepher Yetzirah, of course, speaks of only the Yod, Heh and Vau.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、言うまでもなく、「ヨッド」、「ヘー」、
および「ヴァウ」についてだけ語る。

As applied to these three cards, the Yod Heh and Vau are forces interacting in
our own physical vehicle, the Heh final.
これらの3枚のカードたちに適用されるので、「ヨッド」「ヘー」そして「ヴァウ」は、
我々自身の物質的な乗り物である、最終「ヘー」の中で相互作用している力たちである。
--- ここまで ---

いきなり『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が引き合いに出されましたが、これは
『セフェル・イェツィラー』と「大アルカナ」は、基本的には、「マルクト=最終ヘー」
という物質界に至る以前のことを表しているからに他ならないわけです。
「生命の木」も、三本の柱が基本であり、最終的に、それらは「マルクト」の1点に集約
されることになるわけですよね。

ということで、「大アルカナ」においては、我々の肉体である「マルクト=最終ヘー=地」
の根源的な駆動源となっているのは、「13:死=ヨッド=火」、「15:悪魔=ヘー=水」、
「14:節制=ヴァウ=空気」の相互作用であって、これらの働きを知ることなく、我々自身
を知ることは出来ないという結論に至るわけです。

そういう表面的な結論は何となく理解できるわけですが、じゃあ「13:死=ヨッド=火」
とか、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の相互作用って、具体的には何なの、ということ
になりますよね。
そもそも、我々が占いで使っている「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の意味とは、それこそ
「月とスッポン」ほど異なっていますので、いきなり頭を切り換えるのは難しいんですよね。

まあ、占いには、そもそも「カバラ」の理論とかは不要ですので、カードの持つ占いの意味
からは、完全に頭を切り替えてリフレッシュしてもらった方がいいわけですけどね。
0271名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/18(日) 07:01:25.58ID:NUTP0RWk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It will be seen that while the Tree of Life has a Path called DEATH, there is no
opposite Path of Birth.
「生命の木」には、「死」と呼ばれる「小径」がある一方で、そこには、反対の「誕生」の
「小径」は無いことに気づくだろう。

This can be explained in two ways.
これは、2つの方法で説明することができる。
--- ここまで ---

本編とは、ちょっと関係無い話で恐縮ですが・・・

「ティファレト」は、劣化「ケテル」ですので、「13:死」は「0:愚者」に、「15:悪魔」は
「1:魔術師」に、「14:節制」は「2:高等女司祭」に相当します。
「0:愚者」、「1:魔術師」、「2:高等女司祭」のカードの中で、上に昇れるイメージのある
ものはどれかと聞かれれば、ワタシは「0:愚者」ではないかと思います。

その理屈によれば、「0:愚者」に対応する「13:死」が、上に昇れるイメージのあるものと
いうことになるわけですが、まあ何となく間違っていないのではないかとも思います。

この「0:愚者」は、まだ本編では説明されていませんが、要は「オールマイティ」な無敵
モードを持つ最強カードですので、劣化「愚者」である「13:死」のカードも、その無敵性
を備えていると考えるのが自然ではないかと思うのでした。

つまり、下界の我々が手にできる史上最強の無敵カードとは、この「13:死」に他ならない
という結論に至るわけです。
とはいえ、そう簡単にポンポン使われても困りますので、「子供が舐めたら死ぬで!」と
いうような、少々物騒なタイトルになっているというわけですよね。

まあ、その壺の中身は、本当は「水飴」なのかもしれませんけど。(知らんけどww)
0272名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/19(月) 06:11:31.31ID:BOfxvy61
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The first is that THE DEVIL, which enchains in matter, is in some ways the card
of birth!
まず最初は、物質の中に鎖でつなぐ、「悪魔」が、いくつかの点では、誕生のカードである、
ということである!

But, more important is the fact that both birth and death are essentially the same
transition.
しかし、より重要なことは、誕生と死の両方とも、本質的に同じ遷移であるという事実である。
--- ここまで ---

最初は、ちょっとした変化球から来ましたね。
「15:悪魔」は、「13:死」と左右対称の位置にあり、さらに、「13:死」が「物質の束縛
から解放する」のに対し、「15:悪魔」が「物質中に束縛する」という、逆の意味を持って
いるわけですので、それから類推すると、「15:悪魔」が「死」に対する「誕生」の意味
を持つ可能性があるのではないかということです。
でもまあ、可能性があるとはいえ、そういう解釈も可能ということであって、決して
「悪魔=誕生」説は、本筋ではないわけです。

ということで、以降で本筋となるのは、「13:死=誕生&死」説ということになるわけです。

ではなぜ「13:死」は、「誕生&死」と呼ばれないのでしょう。
それは、既に「13:死」によって「誕生」してしまった我々には、もはや「13:死」の持つ
「死」の面しか見えなくなっているわけです。
要は、「誕生」の時の記憶、つまり誰も「13:死」のお世話になった時の記憶が無いわけ
ですので、どうしても「死」に対する恐怖にしか目が行かないということですよね。

「13:死」のカードって、そういう意味では、何かとても理不尽というか、かわいそうな
存在ではありますが、そんな下界の悪い評判にはお構いなく、日々の仕事をこなして
いく、とても頼りになる存在なのでした。
0273名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/20(火) 08:43:36.79ID:Oo/t7VFI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As one is born into this world, he dies to an inner world; as one dies to this
world, he is born back into the same inner world of origin.
人が、この世界に誕生すると、彼は、内なる世界で死ぬ;人が、この世界で死ぬと、彼は、
起源の同じ内なる世界に戻って誕生する。

So this card represents the symbolic passing through a gateway which is at once
the utter destruction of one phase of energy, and the transformation of that
energy into something else.
このように、このカードは、精力の1つの相の完全な破壊と同時に、その精力を何か他の
ものへと形質転換している、出入口を通過することを象徴的に表す。
--- ここまで ---

「13:死」は、一方通行ではなく双方向であり、そして必ず、その代償が必要とある、
つまり「誕生」と「死」は、「13:死」の前後で、対になって発生するということです。

とはいえ、我々の世界からは、「内なる世界」は見えませんので、「死」は、「逝って
しまう」というような、どうしても一方通行のイメージしかないんですよね。
そして、それが、「13:死」についての誤解を生む原因ともなっているわけです。

ということで、「13:死」は、「内なる世界」への最も重要な「gateway/出入り口」で
あることが、ここでは説明されています。
つまり、この世で、いっぺん死んでみれば、「内なる世界」である「ティファレト」で
復活できるという理屈になっているわけで、その理論に従って、イエスはキリストとして
復活したという筋書きになっているわけです。

とはいえ、この理論に従うと、人は全てプリキュアになれる、いやいや、人は死ぬと全て
「ティファレト」にて成仏できるということであり、基本的には、その人のスキルや信心
は不要という、「他力本願」にも似た結論に至るというわけですよね。
0274名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/21(水) 08:42:49.75ID:vGWuR4Zk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
But the transformation is directed from above.
しかし、形質転換は、上から導かれる。

Thus is the Tarot Key called The Child of the Great Transformers.
従って、「タロットの鍵(大アルカナ)」は、「偉大なる転換者の子」と呼ばれる。

It is also the Lord of the Gates of Death.
それはまた、「死の門の主」でもある。
--- ここまで ---

最後の文の「Gates/門たち」は、「Gate/門」の誤記ですかね。

「13:死」の「transformation/形質転換」の作用は、どちらかというと受動的であり、
その作用は、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」の構成メンバーである「the
Great Transformers/「偉大なる転換者たち」の、直接的な指揮下にあります。
つまり、「ティファレト」から下る3つの「小径」は、いずれもパシリではありますが、
その中で最大のパシリとなるのが、この「13:死」であるということになっており、
それゆえ、我々にとっても、「高次の自我」を意識するには、最も意識に乗りやすい
存在ではないかと思うのでした。
そう、「死」は、我々の最も身近にある「高次の自我」との遭遇現象ですからね。

とはいえ、この「死」は、あくまでも「副作用」であって、本来の「偉大なる転換者の子」
という主作用が、このカードの効用のメインであることに、注意しておくべきです。
ちなみに、この形質転換作用は、コペ転的な相転移を伴うものですので、ミクロ(小宇宙)
とマクロ(大宇宙)の大逆転、すなわち量子力学的な現象と古典力学的な現象がミックス
したり、ミクロコスモスな人格が二重化したり、入れ替わったり、さらに時間が巻き戻っ
たりするような、普通では考えられないようなことが、ごく当然のごとく発生します。
まあ、そもそも、宇宙の発生や、人格の発生そのものが、マトモな人間の頭では考えられない
ような不可思議な事象ですので、ここであえて言うまでもないことですけどね。
0275名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/23(金) 06:32:50.68ID:vWwg6+rg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Nun is not the Great Transformers themselves, he is their Child.
「ヌン」は「偉大なる転換者たち」ではなく、彼は彼らの「子」である。

Nun is not Death, rather he is the keeper of its Gates.
「ヌン」は「死」ではなく、むしろ彼は、その「門」の管理人である。

Herein lies an important principle for the real understanding of this card.
この中には、このカードを真に理解するための重要な原則が眠っている。
--- ここまで ---

「ヌン」である「13:死」は、「偉大なる転換者たち」である「高次の自我」を形成する
「倫理的三角形」と、「自我」を形成する「星幽的三角形」を接続する上での、最も重要な
「要(かなめ)」であり、それゆえ、親の能力を受け継いで、新たに生まれた「子」として
表現されるわけです。
とはいえ、保護者である親はまだ健在であって、大きな権力を持っているので、子は自由に
ふるまうというわけにはいかないんですよね。

で、とりあえず、秘伝中の秘伝である「一子相伝」の巻物は、この「13:死」が相続して
いるということになりますので、それを真に読み解くことが出来れば、「高次の自我」の
世界に至ることが出来るということにもなります。

じゃあ、その虎の巻は、どこにあって、どうやったら読めるの、という話になるわけですが、
それは「門の管理人」が、しっかり保管していて、「おまえが死んだら見せてあげる」と
言っているわけですよね。

つまりは、「死んだふり」するしかないようにも思うのですが、「死の門」をくぐったら二度と
この世に戻って来れなくなりますので、やっぱり死ぬ以外の方法は無いわけです。
ということで、まだまだお迎えまでには時間がありそうですので、いましばらくは「駄文」を
この世に残す作業を続けたいと思います。
0276名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/24(土) 06:05:14.06ID:ngn3gNfn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Another symbolism which may be very helpful is an alchemical one.
とても役に立つかもしれない、もう一つの象徴主義は、錬金術のものである。

To this Path is attributed putrifaction, the decaying black mass in the crucible
which eventually turns into gold.
この「小径」には、最後には金に変わる、るつぼの中の腐敗する黒い塊である、「腐敗
作用」が帰属される。

It is the emergence of new life from death.
それは、死からの新しい生命の出現である。
--- ここまで ---

二番目の文の「putrifaction」は、「putrefaction/腐敗作用」の誤記ですかね。

「13:死」の「小径」の色として、公式には「Green-blue/緑青」が割り当てられています
が、そのイメージカラーは「黒」であり、カードデザインにも、それが色濃く反映されて
います。
なぜ「黒」なのかというと、「13:死」は、錬金術の「黒化」から、「黄金」の「ティファ
レト」のへと至る重要な道筋を暗示しているからですよね。
まあ、「ティファレト」に至る道筋は、これ以外にもあるわけですが、この「13:死」こそ、
「ティファレト」へと至る王道路線であることを、ここで示しているわけです。

つまり、人は「死」により浄化されて成仏する、すなわち「霊」として「ティファレト」
へと上昇し回収されるという、ごくごく王道的というか、葬式宗教的な考え方が、ここに
あるということなのですか、これはあくまでも「13:死」の持つ、「死」の側の特性である
こと、すなわち下から上への流れについてのみの説明であることに注意してください。

要は、「13:死」には、「死」よりも、もっと重要な働きである、上から下への流れである
「誕生」という作用があることを忘れないでいてくださいということです。
0277名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/25(日) 06:44:46.78ID:QsdXks8Q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Of the four cards shown, only Crowley's suggests this idea.
示された4枚のカードたちのうち、クロウリー氏のものだけが、この考え方を示唆している。

The Crowley, Golden Dawn and Marseilles versions all show the skeleton of Death
wielding a scythe, a tool of the harvest which is also a symbol of time, and thus
of Saturn-Binah, giver and destroyer of Life.
クロウリー、ゴールデン・ドーン、およびマルセイユ版たちは全て、「死」の骸骨が、
「時間」の、そしてそれゆえ「生命」の贈与者と破壊者である、「土星-ビナー」の象徴
でもある、収穫の道具である、大鎌を振るうのを見せる。

Only in Crowley's card does the destructive sweep of the scythe also produce
bubbles in which new forms of life are seen to be developing.
クロウリー氏のカードにおいてのみ、大鎌の破壊的な一振りが、その中に生命の新しい
形たちが発現しているのが見られる泡たちを、また生み出している。
--- ここまで ---

従来の「13:死」は、下から上への流れ、すなわち黒化から黄金へと至る過程について
注目され、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、そしてウェイト版では、その解釈を
メインとしてカードデザインが行われており、上から下への流れは暗示に留めています。

その一方で、トート版では、時間と空間と生命を司る大鎌のダイナミックな動きによって、
上から下への流れを明示的に表現してきています。

結果として、トート版のカードタイトルの「死」と、そのカードデザインには、重大な
不一致が出てきていることは否めないわけですが、残念ながら、この良い意味での不一致
について、意識していない人が、ほとんどではないかと思うわけです。
トート版の他のカードでは、それっぽいタイトルに変更されているものもあるのに、この
カードでは「死」のままで放置プレイされている理由は分かりませんが、意味としては、
新しい生命の「誕生」というのが、ふさわしいのではないかと思うのでした。
0278名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/26(月) 06:22:11.92ID:UKCBA4mI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is the resurrection which follows the transformation of Death.
これは、「死」の形質転換の後に続く復活である。

In fact, both Crowley and Mathers attribute the skeleton to Osiris, a God slain
and resurrected.
実のところ、クロウリー氏とマサース氏は、骸骨を、殺害されて復活した「神」である、
オシリス神に帰している。
--- ここまで ---

「13:死」の大鎌を持つ死神像というか骸骨像は、農業神の収穫の様子をイメージしたもの
となっており、その骸骨の姿には、種蒔きのイメージは、ほとんどありません。
その理由は、単なる「不可視属性」、すなわち、一般人である我々からは見えない「神秘」
の次元で行われているからということになります。
そして、トート版では、その不可視属性を解除して、すなわち、機密情報として部外者には
見せてはいけないところを、我々に見せているということになっているわけです。
まあ、こういう内部機密の暴露は、クロウリー氏のお得意とするところですよね。

この手の内部機密というのは、元々非常に有用な情報であるがゆえに、一般には公開せず、
上級者の仲間内でのみ利用可能とするということであり、「15:悪魔」や「13:死」が、
「ティファレト」に通じる非常に有用な「小径」であるにもかかわらず、一般人立入禁止
を匂わす、危ないタイトルにしているという理由の一つでもあるわけです。
ちなみに、「14:節制」も、一般人にとっては無理難題であって、現役一発合格不能な課題
ですので、ワタシとしては避けておきたいところですよね。

要するに、「13:死」は、その一見怖そうなタイトルとは裏腹に、我々がそれを使いこなす
ことが出来れば、実は非常に有用かつ絶大な効果をもたらすということです。
それは、「災い転じて福と成す」というか、全て墓地送りにされて絶体絶命のお手上げ状態
における、形勢一発逆転の至高の神カードというくらいの、とても役に立つカードなのですが、
「使いこなすことが出来れば」という条件付きなのが、上級者向けとなっている理由なのです。
0279名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/28(水) 11:11:56.11ID:MJt8Z4bY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Of course, in all cases, the skeleton represents that which remains after the
maggots of earth have consumed the flesh.
もちろん、すべての場合において、骸骨は、地上の蛆たちが肉を食い尽くしてしまった
後に取り残されるものを表している。

The skeleton is the framework of the organ system, and is thus central to growth
and fruition.
骸骨は、器官体系の骨組みであり、それゆえ、成長と結実にとって中心的である。

Interestingly enough, as the word Nun is a verb it means to sprout or to grow.
言葉「ヌン」は、それが、「芽を出させる」、もしくは「成長する」ことを意味する動詞
であることは、十分に興味深い。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」は、生命が存在している間は、皮と肉に覆われ、肉眼では見ることの
出来ない隠された存在ではありますが、それは肉体の外形と、その内部組織である器官を
保持するという、文字通りの人体の「framework/骨格」として、人としての姿を保つための
中心的な存在となっています。

ちなみに、人体の「framework/骨格」は、このマクロレベルの「skeleton/骸骨」だけで
なく、人体を構成するミクロレベルの細胞の中にもあって、「cytoskeleton/細胞骨格」と
呼ばれており、通常の骨格と同じように細胞内の器官を保持して、細胞としての姿を保つ
ための中心的な存在となっています。
さらに言うと、この大宇宙にも、我々には見えない「framework/骨格」があり、それは
この宇宙の発生と共に存在して、その後は、宇宙の大規模構造を保持するための中心的な
存在となっていることが知られています。

そう、この「骸骨」って、実はこの世界にあまねく存在する「framework/骨格」を象徴
するものであって、「死」を意味しているものではないということなんですよね。
0280名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/30(金) 06:19:28.16ID:4TEv/gNm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
In this we can view the skeleton as a symbolic and perpetual seed.
これにおいて、我々は、骸骨を、象徴的かつ永続的な「種」として見ることができる。

The plant dies in the winter, but not before producing seeds which will regenerate
its image in the spring.
植物は冬に死ぬが、春にその姿を再生するであろう種たちを生じる前ではない。

The image which carries over is a kind of spiritual skeleton, a pattern unaffected
by the transformation of the plant: The plant becomes the seed, which again becomes
the plant.
持ち越される姿は、一種の霊的な骸骨、植物の形質転換により影響を受けない様式である:
植物は種になり、それは再び植物になる。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」が「seed/種」であるとの比喩は、少々誤解を招きやすい例えです。

「種」とは「実=リアル」であって、あくまでも下界にある「生命」としての存在です。
そして、この「骸骨」は、その下界を形作る「骨組み」であって、「生命」の上位にあり、
「霊」である「ティファレト」との橋渡しをする存在です。
つまり、我々が考える「生命の種」とは異なる次元の存在となっており、例えるなら、
「霊」から劣化コピーされた「生命の種」から「生命」へと形質転換を促す「触媒」の
ような働きをするものです。
要は、「種」のように、作られたり死んだり再生したりするようなメタモルフォーゼする
形質ではなく、自身は周囲の影響によっては変化しない形質のものですので、この
「骸骨」は「種」であるという比喩は、あまり適切ではないと思うのでした。

どちらかというと、「seed/種」が発芽し成長して植物になり、また種を産するという
生命(ミクロ)の営み、もしくは宇宙(マクロ)の誕生と成長の過程の裏方の存在として、
普遍的に関与する「framework/骨組み」であると理解する方が、適切かと思います。
0281名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/31(土) 08:07:13.24ID:O88B+Qaz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is what is meant by the words of the Thirty-Two Paths of Wisdom: "...it gives
a likeness to all the similitudes which are created in like manner similar to its
harmonious elegancies."
これは、「知恵の32の小径たち」の言葉たちにより意味されているものである:「...
それは、その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たち
に類似性を与える。」

Meditation on this idea will reveal the ultimate message of the DEATH card, which
is rather a distillation of the entire Great Work or, as Crowley said of the fish
symbol, "resumes the whole Secret Doctrine."
この考え方に基づく瞑想は、「死」のカード、というよりはむしろ、「偉大なる作業」
全体の蒸留物、もしくはクロウリー氏が魚の象徴について述べた時のように「全体の
秘密の教義を再び始める」ものの、究極的な意図を明らかにするであろう。
--- ここまで ---

このクロウリー氏の言葉は、NOTES(*149)を参照してください。

さて、「15:悪魔」の正体が、実は「悪魔」では無かったように、「13:死」の正体も、実は
「死」ではなく、我々にとっては「創造神」である、というのが、ここでの結論です。

そして、その創造物たちの発生と成長と死のサイクルにおける、目に見えない骨組みを
形作っているのが、この「13:死」の働きであるということになります。

ちなみに、この「見えざる骨組み」ですが、ワタシにも、その中身は、よくわかりません。
言葉で表現すれば、「神の見えざる手」とか「神の見えざる業」というような、我々には
見えない次元で働いている「不可思議な作用」ということになるわけで、これが理解でき
れば、この大宇宙の誕生の秘密とか、小宇宙の誕生の秘密とかも分かるようになり、
その力を応用することで、「神と同等の力」を発揮することも可能となるわけです。
つまり、「骨組み」が最も重要である、というのが、ここでの教訓となるわけです。←陳腐化w
0282名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/01(日) 09:11:45.52ID:canY/luB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Nun means fish; Tzaddi means fish-hook.
「ヌン」は「魚」を意味する;「ツァダイ」は「釣り針」を意味する。

And while the Sepher Yetzirah relates imagination to Tzaddi, the later Thirty-Two
Paths of Wisdom calls Nun the Imaginative Intelligence.
そして、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が、「想像力」を「ツァダイ」と関連
付ける一方で、後の「知恵の32の小径たち」は、「ヌン」を「想像力豊かな知性」と呼ぶ。
--- ここまで ---

なお、ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』では、「ツァダイ」は
「imagination/想像力」ではなく「thought/思考力」となっている版もあります。

さて、「ヌン/13:死」は「fish/魚」を意味し、「ツァダイ/17:星」は「fish-hook/
釣り針」を意味します。
ちなみに、「13:死」に配属されている「天蠍宮(さそり座)」は、天空では釣り針の形を
しています。
つまり、「fish/魚」繋がりで、「13:死」と「17:星」とは、深い関係があるのではないか
という推定ですが、両者の繋がりについては、以前の「17:星」の説明の際にも述べられて
いましたので、ここでは省略します。

この「Imaginative/想像力豊か」の現代的解釈ですが、ここはやはり「imaginary number
/虚数」という概念に注目すべきかと思います。
この場合は、物理世界を司る「15:悪魔」が「real number/実数」を、そして「14:節制」
が、両者を混合した「complex number/複素数」を担当することになりそうです。

まあ、「虚数」とか「実数」とか「複素数」とか言われても、ほとんどの人には理解不能
な概念ですので、あまり深くは突っ込まないことにしますが、実は、この「imaginary/
虚数的(仮想的)」なものは、この宇宙の原理を解読するための重要なツールというだけ
でなく、実はこの宇宙を構成している本質的なものである、ということなんですよね。
0283名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/03(火) 06:37:00.79ID:D6GSgqQt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
To make this symbolism less mysterious, the documents imply that on the Path of
Tzaddi we begin to develop the tools of Creative Imagination which are required
to tread the difficult Path of Nun, i.e., to make the transition between Personality
and Higher Self.
この象徴主義をそれほど謎めいたものにしないように、文書たちは、「ツァダイ」の「小径」
において、我々が、難しい「ヌン」の「小径」を踏み歩くため、すなわち、「人格」と
「高次の自我」の間の遷移をするために必要とされる、「創造的な想像力」の道具たちを
開発し始めることを暗示している。

Again, everything is summed up by the fish symbolism.
さらに、全てのものは、魚の象徴主義により総括される。
--- ここまで ---

そもそも「ツァダイ/17:星」は、地に足が付いていない上級者向けの「小径」でしたが、
「ヌン/13:死」は、さらにその先にあって、天界に通じる「小径」ですので、通常戦闘力
モード、すなわち生きている上級者では、決して足を踏み入れることの出来ない、難攻不落
のラスボスとして、我々の前に立ちはだかっています。
そして、その攻略の切り札となるのが、「imagination/想像力」であるということです。

とはいえ、「ツァダイ」の「imagination/想像力」と、「ヌン」の「Creative Imagination
/創造的な想像力」とでは、月とスッポン以上に次元の異なるものですので、両者を同列に
論ずることは出来ないんですよね。
つまり「ツァダイ」の文系の「想像力」では、「ヌン」の理系の「宇宙創造における虚数
次元(と実次元)の相互作用」を論じることは出来ない、要は、この大宇宙と小宇宙が
どういうメカニズム/フレームワークで産み出されたかを理解しきれていないわけであり、
現状の理解と知識では、まるっきりの、お手上げ状態ということになっているわけです。

まあ、ここで話が終わってしまうのもつまらないので、とりあえず、宇宙が産み出された
後の次元の、「fish/魚」について、色々と探っていこうということですかね。
0284名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/05(木) 06:19:22.41ID:5riL9dGx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish is a traditional symbol of what the alchemists call First Matter, an almost
impossible subject to describe, but which is the mind-substance of everything that is.
魚は、錬金術師たちが、言葉で説明することがほとんど不可能な主題ではあるけれども、
存在する全てのものの精神の実体である、「第一質料」と呼ばれている、伝統的な象徴である。

Gareth Knight says that the best modern definition is offered by Coleridge and is
the "Primary Imagination." (*151)
ガレス・ナイト氏は、最も良い現代的な定義は、コールリッジ氏により提案された、
「最初の想像力」であると述べる。(*151)
--- ここまで ---

ちなみに、(*151)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
151. Gareth Knight, A History of White Magic, London 1978, 3-4.
151. ガレス・ナイト著、『白魔術の歴史』、ロンドン、1978年、3-4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このコールリッジ氏というのは、サミュエル・テイラー・コールリッジ氏(Samuel Taylor
Coleridge, 1772-1834)のことではないかなと思うのですが、『白魔術の歴史』の本を
持っていないので、よくわかりません。
ちなみに、錬金術や哲学においては、よくわからないものは、「God/神」のせいにするの
ではなく、伝統的に「First ○○」とか「Prime ○○」と呼ぶことで、思考停止しておくと
いうか、それ以上は突っ込まないのが、お約束となっています。

とりあえず、この「fish/魚」というのは、「全ての物質の根源となるもの」、つまり、
我々が「リアル」すなわち「実数の時空間」として認識可能となった、ビッグバン直後の
「原初の宇宙の姿」であるということですかね。
そして、「ケテル」〜「ティファレト」は、それ以前を担当しているということですよね。
0285名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/09(月) 17:03:09.94ID:m+f00sWC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish has also, since perhaps the second century A.D., been a key symbol of
Christianity.
魚はまた、おそらく紀元2世紀からずっと、「キリスト教」の重要な象徴であり続けている。

In the earliest Church the Eucharist was not specifically represented, but was
implied in a number of innocuous meal scenes.
最も初期の「キリスト教徒」においては、「聖餐」は明確には表されてはいなかったけれ
ども、数多くの当たり障りのない食事の場面たちに暗示されていた。
--- ここまで ---

ウォン氏は、トート版のみに描かれている「fish/魚」について、ずいぶんとしつこく、
いやいや詳しく説明しています。
それは、トート版の「13:死」が、文字通りの「死」を意味しないことを、色々な局面から
詳しく説明しているからであり、その一つとして「魚」があるわけなんですよね。

ちなみに、トート版では、
 白鷲>>魚>蛇>>蠍(朽ちたユリとハスにより道を阻まれている)
という序列で描かれており、蠍が昇天して最後に白鷲になるという構図ですので、魚は
高位寄りの象徴となっています。
そして、トート版の「魚」は、『トートの書』によれば、「イエス・キリスト」を意味する
ものとして描かれているということになっています。

なぜ「魚」が「イエス・キリスト」なのかということは、他のキリスト教関連の文献を
見てもらうとして、ここで重要なのは、「13:死」=「魚」=「イエス・キリスト」=
「ティファレト」という繋がりがあるわけで、それはまた、「13:死」が「ティファレト」
に到達するための最善の「小径」であることを示唆しているわけです。
さらに、「魚」は、顕教での「パンと葡萄酒」ではなく、神秘の「聖餐」のネタとして、
骸骨像に食われて神秘の「精力」に転換されて、骸骨の局部から天上に向けて射精
されるという、密教的な子作りのプロセスが描かれているわけですよね。
0286名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/11(水) 06:12:38.64ID:kjU/FzbI
なぜか規制されてるので、しばらくカキコできません。
あしからずご了承下さい。(ー ー;)
0288名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/15(日) 09:23:14.00ID:snwCEmcY
NGワード規制を食らっているようなので、引っ越しを考えております。

トート版の「死」を語ると、不適切であり規制されるという、笑えない話でした。
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