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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net
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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
垢版 |
2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0290名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/24(日) 05:41:45.38ID:czK7cBjs
--------------- ここまで Part7 ---------------

おーぷん2ちゃんねるで、また原因不明で書き込みできなくなる不具合が発生しましたので、
またこちらに出戻ってまいりました。
またまた規制等でカキコできなくなったら、あっちに行くかもしれません。
あしからず、ご了承くださいませ。

前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part8
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1568581674/ (に→2に変換)

--------------- ここからPart 8.1 ---------------

それでは、またあらためて、みんなでマターリいきましょう(^^)/
0291名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/24(日) 05:47:41.87ID:czK7cBjs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 187) ---
There I am the object of every subject, in complete reversal of my ordinary
consciousness [author's italics] where I am always the subject that has an object.
(*157)
そこでは、私は、私が常に客観を持つ主観である「私の通常の意識の完全な反転した状態
においての」[著者のイタリック体]、全ての主観の客観である。(*157)
--- ここまで ---

ちなみに、(*157)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
157. C.G. Jung, Archetypes and the Collective Unconscious, New Jersey, 1977, 21.
157. C.G.ユング著、『元型と集合的無意識』、ニュージャージー、1977年、21ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、我々の通常の理解と思考を超える「完全な反転状態」が、この「12:吊られた男」の
フィールド上に在るということですが、話が全く理解できないのでスルーしてもいいですか。
しょせんは妄想の垂れ流し、いやいや「形而上学」的な世界の話であり、もはや何でもあり
の夢想、いや無双状態のネタですので、いちいちコメント付けるのも面倒臭いんですよね。

そもそも、人間が人間をヤメる、いやいや神の領域にアプローチしようとするのであれば、
まずは、人が人であることを放棄することが前提なわけですが、そちらの通常ルートは、
「13:死」の「小径」として、既に整備されているわけです。
そういう通常ルートではない、ショートカットの「12:吊られた男」の路上には、何が待ち
受けているかと言われれば、まあ通常ではないものしか残っていないのは明らかですよね。

一般人から見れば、単なる道化のアホにしか見えない「12:吊られた男」のカードには、
見える人が見れば、とても重要なことを示唆している(のではないか)ということですが、
そっち方面の修行が足りない、というか、そっち方面の修行はやりたくもない、怠惰な
ワタシには、まだまだ単なる裸の王様のようにしか見えないのでした。
0293名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/26(火) 05:58:50.02ID:CAMmRD/0
>>292
ただいま〜 (^^;

NGワードのせいで、あちこち放浪生活しております。

ネットを荒らす基地外たちのせいで、一般人のワタシまで
巻き添えを食らうというのは、何だかなぁ〜、と思ってしまうのでした。

まあ、慣れちゃったからいいんだけどね。←でもちょっとムカついてる
0294名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/26(火) 06:03:42.50ID:CAMmRD/0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Almost four hundred years earlier, in his Dark Night of the Soul, St. John of the
Cross recorded his own experience of THE HANGED MAN, though in Christian terms:
"With his gentle hand he wounded my neck and caused all my senses to be suspended
[author's italics]...I remained lost in oblivion.
ほぼ400年前、彼の『魂の暗い夜』の中で、十字架の聖ヨハネは、キリスト教の用語たち
ではあるが、「吊られた男」 の彼自身の経験を記録した:「彼の優しい手で、彼は私の
首を傷つけ、全ての私の感覚たちを「吊らさせる(停止させる)」[著者のイタリック体]
…私は忘却(無意識)の中で道に迷ったままであった。

My face I inclined on the Beloved.
私の顔を、私は、「最愛の人」の方へと向けさせる。

All ceased and I abandoned myself, leaving my cares forgotten among the lilies."
(*158)
全ては終わり、私は私自身を捨て、ユリたちに囲まれて私の心配事たちを忘れ去る。」 (*158)
--- ここまで ---

ちなみに、(*158)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
158. Saint John of the Cross, Dark Night, 34.
158. 十字架の聖ヨハネ著、『魂の暗い夜』、34ページ。
--- ここまで ---
とあります

ほぼ、どうでもいい文章というか、どう見てもアレな状態に陥ちた人の妄想文であり、
一般人の我々にとっては、有益な中身はまるで無い文章になっています。
その理由は、「12:吊られた男」が、我々が理解可能な「ホド」と、我々が理解不能な
「ゲブラー」の間にあるゆえに、我々の思考と言語は、これを越えることが出来ない
わけで、それゆえ文章が「竜頭蛇尾」的なシロモノになってしまうわけなのでした。
0295名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/27(水) 06:10:31.30ID:aerkcr17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This may be compared with another of Jung's statements: "There I am utterly one with
the world, so much a part of it that I forget all too easily who I really am.
これは、ユング氏の述べたことのもう一つのものと比較されるかもしれない:「そこで、
私は、世界と完全に一つになっていて、その部分が非常に多いので、私は、私が本当に
誰であるかを非常に容易に全て忘れてしまう。

'Lost in oneself' is a good way of describing this state. . .the unconscious no
sooner touches us than we are it - we become unconscious of ourselves." (*159)
『自分自身の中で道に迷う』は、この状態を記述する良い方法である。…無意識は、我々に
触れるとすぐに、我々はそれに『なる』−我々は我々自身に気づかなくなる。」(*159)
--- ここまで ---

ちなみに、(*159)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
159. Jung, Archetypes, 22.
159. ユング著、『元型』、22ページ。
--- ここまで ---
とあります

まあ、こういうのって、我々のような一般人にとっては、ほぼ何の役にも立たない経験
なのですが、いわゆる「自分探しの旅」で、高みに昇ろうとする人達にとって、こういう
「Lost in oneself/自分自身の中で道に迷う」、つまり「我を忘れる」、つまり、何かに
夢中になりすぎて「自分自身を見失う」という状態は、割と普通にあったりします。

その状態が、「12:吊られた男」の低次の象徴性に似ていると言えば、似ていなくもない、
という感じなのですが、「12:吊られた男」の高次の象徴性は、それとは次元の違うもの
である、すなわち「月とスッポン」であることは、重々認識しておく必要があります。
要は、我々には、この「12:吊られた男」の「小径」は、出口の無い袋小路になっている
ので、入れたり出したりのオナニー状態に陥りがちであるということなんですよね。
0296名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/28(木) 06:38:02.76ID:c7UqCEoa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Hindu mystics describe this state as Samadhi, referring to a condition where the
physical processes are literally suspended in trance, while the consciousness
affects a union with the Divine.
ヒンドゥー教の神秘家たちは、意識が「神」との結合に影響している間、肉体的な過程たちが
恍惚状態の中で文字通り宙づりにされる状態を参照して、この状態を「三昧(さんまい)」
と評する。
--- ここまで ---

宗教や神秘主義に限らず、洗脳的な行為のほとんどには、こういった「何かに夢中になって
自分自身を見失ってしまう」というものが、しばしばあります。

つまり、脳が何か一つのことに没頭すると、それ以外のタスクにはリソースが割り当てられ
なくなってしまうため、時間感覚や肉体感覚も含めて、ほぼ全ての感覚が麻痺してしまう
状態であり、例えて言えば、一種の無限ループというか、フリーズ状態というか、ハタから
見れば、身体が正常に機能していない無我状態に陥っているわけです。

ちなみに、ここでの「a union with the Divine/神との結合」とは、神との一体化であり、
つまり「神との結婚」を意図しているわけですが、現実には無理ですので、これは結局、
「神をズリネタにしたオナニー」であって、真の「神との結婚」と同一に論じることは
出来ないということに注意が必要です。

なお、この手の「エクスタシー」には、脳内麻薬が関係していることが知られていますが、
外的な麻薬投与によっても、似たような「trance/恍惚状態」を引き起こすということも
知られていますので、この「Samadhi/三昧(さんまい)」が神秘的現象かと言われれば、
そんなことは無いわけであって、こういったトランス状態というのは、あくまでも人間の
肉体的な現象の一つであると考えるべきです。

まあ、「オナニー」とか「薬物」というような手段で、「12:吊られた男」になれた気がする、
というのは、あくまでも個人の感想である、ということなんですよね。
0297名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/28(木) 20:34:21.54ID:3rRrFH5J
ズリネタというお前の解釈は狂っている
恥さらしになるだけだからこのスレに書くことをいい加減やめたほうがいい
0298名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 06:04:13.59ID:/Hwpmg3l
>>297
ズリネタという言葉に反応するとは、あなたもオナニー好きなんですね。 (^^;;

とりあえず、ワタシの文章が「恥さらし」であるならば、その根拠となる
あなたなりの解釈を、書いてみてもらえませんか。
根拠無しに、「やめろ」と言われても、はいそうですね、とは言えませんしね。
0299名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 06:06:22.40ID:/Hwpmg3l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This was a state with which Crowley was obsessed.
これは、クロウリー氏が取りつかれていた状態であった。

He wrote: "I was absolutely convinced of the supreme importance of devoting my life
to obtaining Samadhi." (*160)
彼は書いた:「私は、私の人生を『三昧』を獲得することに捧げることの最高位の重要性を
完全に確信した。」 (*160)
--- ここまで ---

ちなみに、(*160)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
160. Crowley, Confessions, 452.
160. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

この手の脳内オナニー、いやいや「三昧(さんまい)」による「トランス状態」と「エクス
タシー感」を得る修行は、その肉体的過程に脳内麻薬が関係していることで、どうしても
常習性が出てくるわけで、一旦それに取り憑かれると、一種の麻薬中毒状態になって、
禁断症状なんかも出たりするわけです。
ここでいきなり「オナニー禁止!!」などと言うつもりは無いのですが、こういう状態は、
決して「神との結婚」ではなく、ヲタクの「二次元キャラとの結婚」と大差無い状態である
ということは自覚しておく必要がある、ということを言いたいわけですよ。

まあ、沼にハマって、宗教業界にお布施をするか、オカルト業界にお布施をするか、
ヲタク業界にお布施をするか程度の違いですので、犯罪行為にならない限り、本人が
それで良いと言うのであれば、周囲の人間が、とやかく言うものでもないんですよね。

ということで、ワタシも生暖かい目で、ちょっと離れて見ていこうと思うのでした。
0300名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 07:50:17.16ID:8ORA2kDh
お前がキチガイだと書いているだけなのだが
タロットカードの解釈としてはお前のが一番狂ってる
日本の恥さらし
0301名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 06:22:03.57ID:uQ1DjCwN
>>300
あ、オナニー君、お久しぶり! (^_^)/

近頃、見なくなったので、もうどっかに行ったのかと思っていたけど、
まだこのスレを見ていてくれたんですね。 (^_^)

※オナニーネタと、クロウリーネタに噛みついてくるなんて、
 わかりやすいよなぁ。 (^_^;;
0302名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 06:26:46.67ID:uQ1DjCwN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In fact, when he came to believe that the so-called Secret Chiefs of the Order of
the Golden Dawn had chosen him to succeed Mathers, he wrote: "I made it a condition
that I should attain Samadhi; that is, that I should receive a degree of illumination,
in default of which it would be presumptuous of me to put myself forward." (*161)
実際に、彼は、ゴールデン・ドーン団の、いわゆる「秘密の首領たち」が、マサース氏の
後継として彼を選んだところであったと信じるようになった時、彼は以下のように書いた:
「私は、それを、私が『三昧』に到達すべき条件とした;すなわち、私は光明の階級を受け
取るべきであり、それが無ければ、私が私自身を前に出すことは、生意気となるであろう。」
(*161)
--- ここまで ---

ちなみに、(*161)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
161. Crowley, Confessions, 452.
161. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

このゴールデン・ドーンの「Secret Chiefs/秘密の首領たち」とは、元々は団の創設者
であるウェストコット氏が、神秘的な「魔術ネタ」の提供元であるとした「設定キャラ」、
すなわち、業界にはよくある架空の超人キャラ設定なのですが、魔術ネタの創作に行き
詰まったウェストコット氏が、そのキャラ設定を放棄した後に、マサース氏がその設定を
引き継いで、その後、クロウリー氏が、それを強引にパクったという経緯があります。
まあ、ネタはネタとして、仲間ウチで楽しくネタとして遊んでいるうちはいいのですが、
ネタに吊られてマジレスしてしまうと、とてもカコワルイ状況になるわけなんですよね。

まあ、その後も、色々な人が、そのキャラ設定ネタを真に受けて、場外乱闘的な魔術活動
に勤しむわけですが、クロウリー氏のマジレスの度合いは、少々度が過ぎるというか、
そういう意味でも、ワタシは、あまりお近づきにはなりたくないわけなのでした。
0303名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 08:51:41.03ID:4KgKng/L
都合が悪くなればネタ扱いではすまない
間違いの拡散の元はお前なのだから、トポケるんじゃないよ
永遠と投稿しているお前が間違ってんだよ
0304名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/01(日) 06:33:40.19ID:i8EGs+iF
>>303
都合が良くても悪くても、元々がネタであると明言しているんですけどね〜。

それはともかく、間違いであろうが無かろうが、拡散してもらえるのであれば、
色々な意見が集まってくるでしょうし、それはそれで有り難いんですよね。
元々、ここで一人で延々と投稿するつもりはなくて、それよりも、色々と異なる
意見が集まる場として、この公開されている掲示板を借りているわけですしおすし。

そもそも、ワタシの解釈が間違ってるというのであれば、ワタシが間違っている
箇所を指摘した上で、あなたなりの正しい解釈を述べて、きちんと反論すれば
いいだけのことじゃないのかなぁ、と。
0305名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/01(日) 06:35:03.44ID:i8EGs+iF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Crowley also makes it clear that Samadhi, which he defines with unusual simplicity
as "Union with the Lord," is a general term for a number of states, involving
different degrees of trance.
クロウリー氏は、また、彼がそれを「主との結合」であるとして異例の単純さで定義する、
「三昧」が、恍惚状態の異なる段階たちに関係している、いくつもの状態たちの総称で
あることを解き明かした。

In his Confessions he describes a devastating experience of the highest form of
Samadhi, on the Path of THE FOOL. (*162)
彼の『告白』の中で、彼は、「愚者」の「小径」で、「三昧」の最も高い形の圧倒的な
経験を記述している。 (*162)
--- ここまで ---

ちなみに、(*162)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
162. Crowley, Confessions, 840.
162. クロウリー著、『告白』、840ページ。
--- ここまで ---
とあります

クロウリー氏の説によると、「Samadhi/三昧」とは「Union with the Lord/主との結合」
すなわち「神との結婚」であって、これは性的な意味においても「異次元キャラ(二次元を
含む)」である『あなた』と合体したい」という、一万二千年前からの愛欲を説くような
ものであって、それゆえに、クロウリー氏の様々な性的な魔術実験の基本思想となっている
部分であるとも言えるわけです。
もちろん、個人的な興味で行う行為については、自己責任において、自由にやってもらって
構わないのですが、そこから得られた結果については、我々は冷静に判断する必要がある、
要するに、神をズリネタにした妄想オナニーにすぎないのでは、ということを理解しておく
必要があるということなんですよね。
0306名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/02(月) 06:21:14.70ID:cmRLtx0R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
From the standpoint of Tarot what is important is that the Path of THE HANGED MAN
is only the first entry into a sequence of states of union.
「タロット」の観点からの重要なことは、「吊られた男」の「小径」は、結合の状態たちの
一連のものへの、唯一で最初の入り口であることである。

While this experience may be one which we spend our lives seeking, it is only one
step along the Great Way.
この経験は、我々が我々の生命たちを捜すことに費やすものの一つであるかもしれないとは
いえ、それは「大いなる道」に沿った、唯一の一歩である。
--- ここまで ---

「タロット」というより「生命の木」の観点からですが、この「ホド」から「ゲブラー」に
至る「メム」の「小径」は、我々が生きたままで、「より上位」である「神の世界」を
目指す際の、唯一の「経路」になっているということです。
つまり、我々は、死ねば自動的に「霊」となって「ティファレト」へ、もしくはそれなりに
覚醒すれば、「ティファレト」の境地に至ることは可能なのですが、そこは人としての
「上がり」というか、そこから先は、また別の存在となってしまうため、下界からは完全に
縁が切れてしまいます。
まあ、普通の人でも普通に行ける「ティファレト」でも充分ではないかと思うのですが、
普通じゃ気が済まない自己顕示欲の強い人たち、いやいや、霊的な指導者となりたい
人たちは、「ワタシは、さらに上位の真の神に出会った」とか言いたいわけですかね。

それはともかく、この「小径」は、我々にとっては最難関というか、ほぼ誰も通過する
ことが出来ないレベルにあるわけで、それゆえ、無駄に「we spend our lives seeking/
我々が我々の生命たちを捜すことに費やす」、すなわち人生という時間を無駄遣いする
とか、生命そのものを無駄遣いするとかいう結果に陥りがちなわけで、そういうふうに
自らの人生全てを犠牲にしてまでも、真の神を追い求める行為が、本当に幸福をもたらす
ものなのかを、この「12:吊られた男」の姿を見て、考えてもらえたらなぁ、と思うのでした。
0307名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/04(水) 05:59:06.53ID:L2PIN2BF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In this regard, Crowley again offers excellent instruction.
この点において、クロウリー氏は再び、優秀な教えを提供する。

Writing of Alan Bennett's increasing desire to become a Buddhist monk, he says:
"The phenomena of Dhyana and Samadhi had ceased to exercise their first fascination.
仏教の僧侶になるというアラン・ベネット氏の増大する願望について書いて、彼は言う:
「『禅』と『三昧』の驚異的現象は、それらの最初の魅惑を行使することを止めてしまった。
--- ここまで ---

アラン・ベネット氏(Allan Bennett, 1872-1923)は、ゴールデン・ドーンに1894年に入団
してマサース氏の弟子となり、その後、1898年に入団したクロウリー氏の師となり、その後
仏教徒となって活躍したという、魔術界では割と名の知れた人物です。
元々が病弱なため、その治療のために、あっち系の薬物を常用していたので、その点でも、
クロウリー氏との繋がりが強いということもあったりします。
以下は、そういう麻薬常用者という上級者たちの、普通ではない話として、聞いてください。

まず、「The phenomena of Dhyana and Samadhi/『禅』と『三昧』の驚異的現象」という
のは、おそらく「悟りの境地」とか「解脱」とか呼ばれる精神的現象であり、トランス状態
に入ることで、最上級の「精神的エクスタシー」が得られるというものだと思われます。
そして、その「エクスタシー」が、「first fascination/最初の魅惑」であるということ
ではないかと思われます。

確かに、その「最初の魅惑」なるものは、人生において「良い経験」ではあるのですが、
それで本当に人生の「悟り」や「解脱」が出来るのかというと、実際問題として、そんな
ことは無いわけであって、しょせん「話のネタ」でしか無いわけです。

神秘家の究極の目的が、「神との合一」、すなわち「宇宙の神秘」を解き明かして「神の
力」を行使できるようになる、ということであれば、「禅」や「三昧」の「エクスタシー」
が、自己満足のオナニーで終わってしまってはならない、ということなのですよ。
0308名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/05(木) 05:39:51.22ID:jRG1ELtR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It seemed to him that they were insidious obstacles to true spiritual progress;
that their occurrence, in reality, broke up the control of the mind which he was
trying to establish and prevented him from reaching the ultimate truth which he
sought.
それらは、真の霊的な進歩にとって狡猾な障害物たちのように、彼には思われた;それらの
出来事は、実際には、彼が確立しようとしていた精神の管理を破壊し、そして彼が、彼が
捜し求めていた究極の真実にたどり着くことを防いだ。

He had the strength of mind to resist the appeal of even these intense spiritual
joys.
彼は、これらの熱烈な精神的な歓喜たちの魅力にさえも、抵抗する意思の力を持っていた。
--- ここまで ---

ここは、弟子であったクロウリー氏が、師であったベネット氏のことを書いているわけです
ので、しょせん綺麗事を述べているにすぎないという点は、考慮しておく必要があります。
つまり、ベネット氏は、ここで「熱烈な精神的な歓喜たちの魅力」と称するもの、とはいえ、
その実体は、薬物ブーストされた脳内オナニーの、しょせん刹那的であり肉体的な快楽で
しかないものに飽きてしまったということなんでしょうね。
いずれにしても、習慣性のあるトランス系ドラッグの使用は、そのうち薬物中毒になって
肉体を蝕みますし、霊的にも百害あって一利無しですので、避けておいた方が無難です。

そして、ベネット氏は、そういった危険で低レベルのドラッグ依存症状から脱して、
より上級者向けの脳内麻薬依存の「仏教修行」に移行したということなのですが、
そうであったとしても、それが「真の霊的な進歩」をもたらすものでもないわけですし、
それによって、ベネット氏が、「12:吊られた男」の「小径」を通過して「彼が捜し求めて
いた究極の真実にたどり着く」こともなかったと思われます。

まあ、「真の霊的な進歩を遂げ、自身が捜し求めていた究極の真実にたどり着いた」と吹聴
する人がいたとしても、ワタシとしては、「はあそうですね」としか言えないわけですけどね。
0309名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/07(土) 05:53:49.56ID:R6mWL2Rc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Like physical love, they persuade their dupe to put up with the essential evil of
existence." (*163)
肉体的な愛欲のように、それらは、それらの騙されやすい人に、存在の本質的な悪を我慢
するように説得する。」 (*163)
--- ここまで ---

ちなみに、(*163)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
163. Crowley, Confessions, 249.
163. クロウリー著、『告白』、249ページ。
--- ここまで ---
とあります

ここの「they,their/それら」とは、前文の「intense spiritual joys/熱烈な精神的な
歓喜たち」と記述されるけれども、その実体は「肉体的な快楽」でしかないものであって、
「12:吊られた男」の「小径」の経験とは何の関係も無いものです。

だからといって「physical love/肉体的な愛欲」を否定したり、「existence/存在」が
「essential evil/本質的な悪」であるなどと、安易に決めつける必要も無いと思います
し、そもそも、低次の肉体的なものを言葉上で否定するのも、オカルト詐欺の常套手段です
ので、ワタシとしては、そう簡単には納得できないというか、そもそも「オマエが言うな」
状態ですしね〜。

ワタシとしては、あくまでも「マルクト」の住人のまま、地に足が付いた状態で、色々な
経験を重ねていきたいわけですので、そういう「地に足が付いた存在」の状態のままでは、
「12:吊られた男」の「小径」を通過できないことは、重々承知しています。
でも、「小径」を通過して実際に内部を経験することは出来ないけれども、下界から
チラチラと秘所を覗き見する、いやいや「偉大なる神の秘跡」を仰ぎ見ることは少しだけ
可能ですし、その経験は、それなりに有益というか面白いことだと思っているのでした。
0310名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/08(日) 05:39:54.25ID:ooYEPtqX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
The idea is that we must move constantly upward on the Tree of Life.
考え方は、我々は常に「生命の木」に基づいて上方に動かなければならない、ということ
である。

It is not until one has experienced the next higher Sephira that the qualities of
the lower Sephira are completely understood, and can be directed.
人は、次のより高い「セフィラ」を経験し終わって初めて、下の「セフィラ」の品質たちは
完全に理解されて、導かれることができる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」である「メム」の「小径」の全てを経験することは出来ない、すなわち
「ゲブラー」にまで到達することは出来ないのですが、それでもテンプレート・マップと
なる「生命の木」に基づいて進むことで、ある程度までは知ることが出来ます。

なぜ、ある程度まで知ることが可能になるかと言うと、「生命の木」がネットワーク構造を
しているため、相互の知識には関連性があるからなんですよね。
つまり、ある特定の「セフィラ」や「小径」を知るには、周囲の関連する「セフィラ」や
「小径」も理解する必要があり、そして、周囲の関連する「セフィラ」や「小径」を知る
ことで、その特定の「セフィラ」や「小径」を、より深く理解することが出来るわけです。

とはいえ、「ゲブラー」は、「生命の木」において、人を象徴する「五芒星」に配属される
「マルクト」〜「ティファレト」の、5つの下位の「セフィラ」である「人」の領域の外に
あって、人が到達できない領域、すなわち、人が理解できない領域にあるため、安易に
従来の延長線上の考え方を適用すると、とんでもない勘違いをすることになります。
そもそも、従来の延長線上の考え方でいいのであれば、ワタシにも理解することは
可能なわけですし、こうしてダラダラと言い訳ばかり書き連ねる必要も無いわけですよ。

ということで、後は、「皆さん、それぞれに頑張ってみて下さい」というように、説明責任
を放棄するしかないのが実情なんですよね。←結局、何の役にも立たない人orz
0311名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/09(月) 06:01:49.90ID:6TrA5mD+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Here we see that the Path of Mem leads directly to Geburah, above Tiphareth.
ここで、我々は、「メム」の「小径」が、「ティファレト」の上にある「ゲブラー」に
直接に導くことを見る。

Geburah is the active part of the Higher Self.
「ゲブラー」は「高次の自我」の能動的な部分である。

It is the fiery energy on the Pillar of Water below Binah.
それは、「ビナー」の下にある「水の柱」の上の「火」の精力である。
--- ここまで ---

「Here we see/ここで、我々は、見る」、つまり、主観的に理解するとか経験するとか
ではなく、どんなに頑張っても、客観的に「見る」ということだけしか許されない、絶対
に触れることの出来ない禁断の秘所が、その先にある、ということですよね。
つまり、手や足は縛られていて、身動きできないけれども、目隠しはされていなくて、
赤い色の何かが、遠くにチラチラと見えるという、実にけしからん状態なのです。

とはいえ、そういうエロ成分は控えめというか皆無であって、シンプルなカードデザイン
ながらも、深遠な象徴が、さりげなく配置されています。
それらは、「十字」と、股間の「下向き三角形」と、頭の背後の「上向き三角形」、そして
それらを囲う「メム」の文字などです。
「下向き三角形」は錬金術記号の「水」であり、「上向き三角形」は錬金術記号の「火」
であり、そして「十字」と「上向き三角形」の組み合わせは、ゴールデン・ドーンを表す
シンボルとして用いられており、それら全体を「メム」が囲うという構図ですよね。

一切の無駄を排除した象徴主義の真髄とも言えるシンプルなデザインは、まさに「神秘の
奥義」を表現しているようであって、それはそれで素晴らしいのですが、我々のような
一般人にとっては、すこぷる難解というか、「だから何なの?」と言いたくなるような、
いまいち物足りないものなんですよね。(エロ成分が足りないww)
0312名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/10(火) 05:54:17.46ID:bnSjEWBM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It is that on which the feet of THE HANGED MAN rest.
それは、「吊られた男」の足が留められている場所である。
--- ここまで ---

この「It/それ」は、「ゲブラー」を指していますので、「吊られた男」は、「ゲブラー」
という「拠点」に足を置く存在である、すなわち、この世の住人ではない「神」そのもの
であるということを示唆しています。

要するに、「吊られた男」のように見える姿は、実は「直立した神」であるということで
あり、逆立ちしているように見えるのは、単なる視点の違いというか、住む世界が違うから
ということになりますかね。

さて、このカードデザインですか、中央の「神」を「メム」の壁が囲んでおり、上からは
「ゲブラー」の「火の精力」が、そして頭の後ろからは「上向き三角形」の「錬金術の火」
により炙られているという構図のようにも見えます。
そして、「火」によって「神」の体から抽出された「水」が大海の如くに溜まっており、
その「水」が、左下の「メム」の隙間から、下界に向けて、すなわち「ホド」に向けて
流出しているというようにも見えます。

つまり、我々は、この「神のあぶり焼きのオーブン」の現場に入ることは出来なくても、
そこから抽出される「神のエキス成分」を堪能することは可能であるということです。
そしてこの「神のエキス成分」こそが、ゴールデン・ドーンの成立に関係する「暗号文書
(by ウェストコット氏)」、そしてタロットの基本となる「"T"の書(by マサース氏)」
であるという暗黙の設定となっており、それゆえ、このカードは「神聖ニシテ侵スヘカラス」
的な特別マル秘扱いとなっているわけです。

まあ、とりわけ難解なカードであり、色々な解釈があるかとは思いますが、我々にとっては、
「ホド」の聖なる原動力に繋がる、非常に有り難い存在であって、世間一般に言われている
ような、不吉なものではないということぐらいは、知っておいた方が良いかと思います。
0313名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/11(水) 06:14:55.29ID:6tPzXGVb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The key symbol here is the Cross above the Triangle, which is also the emblem of
the Hermetic Order of the Golden Dawn, indicating that the principles of THE HANGED
MAN represent the essence of that Order's teaching.
ここの鍵となる象徴は、「三角形の上の十字」であり、それはまた「ヘルメス主義団体
ゴールデン・ドーン」の紋章でもあって、「吊られた男」の原則たちが、その「団体」の
教えの本質を象徴することを示している。
--- ここまで ---

一見すると、単なる奇妙なパフォーマンスをしている質素な変態男にしか見えないカード
ですが、その背後に「三角形の上の十字」という、ゴールデン・ドーンにとっては最上級の
神秘の紋章をさりげなく描くことで、このカードは、とんでもなく最上級の扱いを受ける
ことになりました。
どれくらい最上級かと言うと、トップクラスの「0:愚者」と肩を並べるぐらいに最上級の
扱いであり、その要因は何と言っても、「メム」が「母字」の「水」であるからです。

「ゴールデン・ドーン」にとって、「空気」でもなく「火」でもなく、なぜ「水」である
「12:吊られた男」が鍵なのかと言うと、それは「生命の木」において、天上界と地上界を
橋渡しする「要」の位置にあって、高すぎず低すぎず、そして団の機密を司る係と
しては、最もふさわしい地味な役回りであるからなんですよね。
そう、本当にスゴい人を見抜くためには、外見に惑わされてはいけないのです。

ちなみに、我々のような一般人が、外見だけ真似て、こんな逆さ吊りになる修行をした
ところで、何の意味もありません。
なぜなら、ここに吊されているのは「人」ではなく「見えざる神」であって、「御神体」
からしたたり落ちた「水」、すなわち「神秘のエキス」という「神秘の教え」を、
下界の我々が享受するというのが、このカードの本質であるからです。
とはいえ、「12:吊られた男」より上位の大アルカナは、多かれ少なかれ、同じように
「神秘の教え」を伝授する役割がありますが、それらの「要」であり取りまとめ役と
して存在しているわけですよね。
0314名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/12(木) 05:41:25.08ID:Qx+d8LNE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Moreover, this card represents a summation of the teaching of the entire Tarot;
the allegorical Book T, found in the hands of Christian Rosencreutz when his tomb
was opened, containing the most secret teachings handed down through the ages.
さらに、このカードは、「タロット」全体の教えの総和を表している;寓話的な「Tの書」、
彼の墓が開かれた時に、クリスチャン・ローゼンクロイツ氏の手の中で発見され、昔から
伝えられる最も秘密の教えを含む。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン理論によれば、「12:吊られた男」のカードは、「Tの書」そのもの、
そして「タロット」の思想の全てを完全に含んだ「ホログラム」であるということであり、
タロットについては「もう全部このカード一枚でいいんじゃないかな」的なノリになって
しまっています。

まあそれは言い過ぎかもしれませんが、「タロット」や「生命の木」や「カバラ」などの
最高機密レベルの「秘密の教え」は、「ティファレト」を通過する正規の「炎の剣ルート」
ではなく、この「12:吊られた男」の、選ばれた人のみが受け取ることの出来る「裏ルート」
の「小径」を通じて、秘密裡に下界にもたらされるわけです。

でもまあ、いわゆる「闇ルート」ですので、一般人である我々にとっては、何の関係も
無いのですが、間違って迷い込んでしまうと、そこは魑魅魍魎の住まうアブない世界に
なるわけですので、良い子は決して立ち入らないようにしましょう。
ちなみに、これの下位カードとして、「母字の火」の「20:審判」がありますので、もし
そっち方面の経験を積みたいのであれば、こちらの方を強くお勧めします。

ということで、この「12:吊られた男」は、「選ばれた者」限定で秘密を明かされる場所
ですので、我々のような「一見さん」から見ても、そういうふうには見えないように、
つまり「お宝が隠されているぞ」的な派手派手ではなく、極端なまでに質素なデザイン
となっているのは、必然的なことなのでした。
まあ、宝箱の中に何が入っているのかは知らんけど。(苦笑)
0315名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/13(金) 05:52:25.55ID:sqlFSVuX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It is not uncommon, as in the Waite card, for the figure to be hanged from a Tau
Cross.
ウェイト版カードにあるように、人物像が「タウ十字」から吊されることは、珍しいこと
ではない。
--- ここまで ---

ここには、「珍しいことではない」と書いていますが、当時のタロットにおいては、間違い
なく「レアケース」でした。
つまり、ウェイト氏の趣味、いやいや判断による、確信犯的な「改変」ですよね。

当時の「吊られた男」は、両脇の2本の縦棒に支えられた、上の1本の横木から逆さ吊りに
された人物が、基本形となっていました。
この3本の棒で作られる形は、間違いなく「絞首台」であって、それゆえ「不吉なもの」と
いう印象を、読者に与えるものとなっていました。
ゴールデン・ドーン版も、基本的には、その「絞首台」の形状を踏襲していますが、人物
の背後に「十字」と「上向き三角形」を、そして頭部に「後光」を描くことで、暗示的に
究極の神秘要素である「ゴールデン・ドーンの紋章」を追加していました。

一方、ウェイト版では、「絞首台」を「タウ十字」にしています。
これは、「イエス・キリストの受難」を象徴しているのは明らかであり、それゆえ、この
人物像は、「神」となった「イエス・キリスト」と同列の存在であることが推定できます。
ウェイト氏は、このカードは「神聖なる『死の神秘』の後に、栄光の『復活の神秘』が
あること」を意味していると言っていますので、「タウ十字」への改変は、キリスト教徒
である読者向けのウケ狙い的な意味もあったのではないかと思われます。

ちなみに、トート版においても、「絞首台」から「アンク十字」へと改変されています
ので、それらの元ネタであるゴールデン・ドーン版のデザイン研究において、つまり
マサース氏やミナちゃんによる試作版においては、伝統的な「絞首台」を改変した、
色々なバリエーションがあって、それらを参考にしたのではないかと推定しています。
0316名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/14(土) 06:20:21.04ID:6ixQHZVI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
In fact, the symbolic relationship between Tau and Mem is profound.
実のところ、「タウ」と「メム」の間の象徴的な関係は深遠である。
--- ここまで ---

「タウ(十字)」と「メム(水)」の関係は、一見すると何の関係も無さそうなのですが、
「12:吊られた男」を通じて、実は色々なところで密接に関連しているということです。

ウェイト氏の場合は、それを「イエスの死と、キリストとしての復活」の物語を通じて、
「タウ」と「メム」の関係が、「神」と「宇宙」の関係に関連していることを示唆して
いることになっています。
あー、まあ、一般人である我々には、何のことかさっぱり分かりませんけど、そういう
ことのようです。

いずれにしても、「13:死」の後に「12:吊られた男」が来るわけですので、この人物は
「生きた人間」ではなく、「復活した神」であることは容易に想像できます。
それゆえ、イエス・キリストと同様に、薔薇十字のクリスチャン・ローゼンクロイツ氏
を類推することも可能です。
そして、彼の手の中にあった「Tの書=タロットカード」は、この宇宙を創造し、全宇宙を
知る全知全能の「神」からの授かり物であって、それゆえ、この「12:吊られた男」とは、
「神」そのもの、もしくは「神」の仮の姿の一つであるということですよね。
我々が知る商業主義的な「神」は、けばけばしい姿をしていますが、この「12:吊られた
男」の「小径」を通じて「ホド」に降りてくる「神」の姿は、とてもシンプルであるため、
何だかよくわからないものになっていますが、そういうことのようです。

ということで、ウェイト版の「12:吊られた男」は、「メム(水)」であることよりも、
「タウ(十字)」との関連性の方を重視したデザインとなっています。
つまりこれは、ゴールデン・ドーン版やトート版ではキリスト教的なものを極力排除して
いるのに対して、キリスト教というかイエス・キリストが大好きなウェイト氏の趣味に
よるものですかね。(よう知らんけど)
0317名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/15(日) 06:44:19.35ID:4w7Kov3Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Tau is at the very center of the Cube of Space, and is crossed by the lines of
THE FOOL (Aleph), JUDGMENT (Shin) and THE HANGED MAN (Mem).
「タウ」は「宇宙の立方体」のまさしくその中心にあり、「愚者(アレフ)」、「審判
(シン)」、そして「吊られた男(メム)」の線たちが交差している。

But Mem final, the completely closed form of this letter used when it occurs at
the end of a word, is also attributed to this exact center point.
しかし、言葉の終わりにそれが起こる時に使われる、この文字の完全に「閉じられた」形
である「最終形のメム」は、また、この正確な中心点に帰属される。

The symbolism says, in essence, that the completion of Mem is Tau.
象徴主義は、本質的には、「メム」の「完成」が「タウ」であると述べる。

Both Mem and Tau are suspended at the center of the Cube of Space.
「メム」と「タウ」は、「宇宙の立方体」の中心において、吊られている。
--- ここまで ---

この「the Cube of Space/宇宙の立方体」の理論では、「タウ」を「中心=原点」として
「母字」である「アレフ」「メム」「シン」を「上下」「東西」「南北」の三次元の軸に
割り当てていますが、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』には、「タウ」が「中心」
であるという記述はありますが、「母字」である「アレフ」「メム」「シン」についての
記述はありません。
そして、「最終形のメム」が、「タウ」と同じように「中心点」に帰属される、という
記述もありません。

つまり、ネタ元がはっきりしないので、コメントのしようがないわけです。
ということで、ワタシとしては何とも理解不能というか、おそらく次元の違う話である
「宇宙の立方体」ネタは、華麗にスルーしておこうと思います。
(要は、二次元キャラの安易な三次元化に対して、拒否反応を起こしているわけです。)
0318名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/17(火) 06:19:10.96ID:qRwBMQCg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The reversed figure on the card represents the suspension of personal consciousness,
where a greater reality imposes a complete reversal of perspective.
カード上の逆さまにされた人物像は、個人的な意識の吊り下げを表しており、そこでは、
より大きな現実は、見方の完全な逆転を課する。

This has been described as the "human spirit suspended by a single thread."
これは、「単一の糸により吊された人間の精神」であるとして記述されている。
--- ここまで ---

とりあえず難しい話はそれくらいにして、もう少し具体的な話になってきます。
さて、このカードの解釈は色々とあるわけですが、そのデザインから、我々から見て
ポジティブな面と、ネガティプな面があることぐらいは、分かるかと思います。

まずは、ポジティブな面ですが、一つには、「a greater reality/より大きな現実」を
見るための手段として、ですよね。
ちなみに、「より大きな現実」というのは、我々が知覚可能な「reality/現実」を越えた
もの、言ってみれば「現実」を司る「見えざるもの=非現実的なるもの」となるわけです
が、そういう「現実を越えるもの」を見ようとするのであれば、視点を変えることが必要
という、ごく当たり前の教えです。

あ、いやいや、単に物理的な視点を変えて、普段では見えないものを、ローアングルで
見てみようということではないですよ。
自分自身の「spirit/精神」を縛り上げて逆さ吊りにするという「自縛行為」によって、
今まで自己中心的にしか見たり考えたりしてこなかったものの裏側が、何かのきっかけで
自然と本質が見えてくるかもしれないということです。
つまり「見たい!」と強く念じたり注視したりすることだけでは見えなかったものが、
それほど「見たい」とは思わなくなった時に、偶然に見えてしまったということもあるわけ
で、そういう時って、思わず「神キター!!」とか思ってしまいますよね。
え、そういうのとは違うって? ←やっぱりよく分かっていないw
0319名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/18(水) 06:08:36.94ID:r61/Wq08
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Yet this is a willing suspension, a sacrifice which is a baptism, but which is
also a crucifixion.
さらに、これは、自発的な吊り下げ、洗礼である生贄であるけれども、それはまた
「(イエス・キリストの)十字架刑(はりつけ)」でもある。

This, then, is a card of the Dying God.
これは、さらにまた、「死にゆく神」のカードでもある。
--- ここまで ---

このあたりの話であれば、カードを見れば、何となくわかりますよね。

そして、一般人にとっても、「a willing suspension/自発的な吊り下げ」という逆さ吊り
の修行というのは、見た目のインパクトもあって、とても「やっている感」があります。
あと、「baptism/洗礼」に使う「水」の修行、たとえば滝行なんかも、「やっている感」
が満載です。
そして、何かを得るためには、何かを犠牲にする、つまり自らの肉体を「sacrifice/生贄」
というか「依り代」として、神の世界に擬似的にアプローチするという手法もあります。
とはいえ、それらは全て「13:吊られた男」の下なる世界での話となります。

一方、上なる世界、つまり神界での話では、これは「人の子イエス」が「神の子キリスト」
として復活するための「crucifixion/十字架刑」を表します。
そして、それと類似した「Dying God/死にゆく神」の神話を含むことになります。
つまり、我々としては、指をくわえて見ているだけの世界の話であって、我々のような
下等生物の分際が、直接アプローチできるような世界ではないということですよね。

いずれにしても、そこには人類にとって、悪い意味は何も無くて、どちらかというと、
「神より賜る、知的な恩寵」に満ちた「ご褒美」であることは間違いないわけです。
ただし、あまりに「上級者向け」のハイレベルな恩寵であるがゆえに、我々のような
一般人にとっては、何とも理解し難いシロモノであることも、確かなんですよね。
0320名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/19(木) 06:01:51.55ID:Ke4491si
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One might well ask why this crucifixion should be on one side of the Tree.
人は、なぜこの十字架刑が、「木」の片側にあるべきなのかを尋ねるのは、もっともで
あるかもしれない。

The reason is that this is an essentially intellectual experience, as is implied
by the position of the legs of THE HANGED MAN.
その理由は、「吊られた男」の足たちの位置により暗示されているように、これは本質的に
知的な経験であるからである。

The cross above the triangle is the four above the three, the imaginative qualities
of THE EMPRESS (3) subordinate to the rational qualities of THE EMPEROR (4).
三角形の上の十字は、3の上の4であり、「皇帝(4)」の理性的な品質たちより下位の
「女帝(3)」の想像力豊かな品質たちである。

This is the ultimate sacrifice of desire to a rational principle.
これは理性的な原則についての欲望の究極の犠牲である。
--- ここまで ---

そういう疑問を抱く人は、ここにはいないと思いますが、ウォン氏は、この「12:吊られた
男」が、「生命の木」の「峻厳の柱」の上にあることについて語りたいということです。

まあ、「12:吊られた男」には、「イエス・キリストの十字架刑」とか「死にゆく神」とか
ネガティブな見方もありますが、本当の意味は、そういう「見かけのもの」ではなくて、
その本質とは「intellectual experience/知的な経験」すなわち「rational/理性的」
なるものの究極の姿であるということですかね。
まあ、我々には、とても「理性的」には見えないカードですし、超上級者向けというか、
超難解すぎて、どう説明して良いかもわからないのですが、安易に分かったような気に
なるよりは、その本質が分かるまでは放置しておくというのも一つの手だと思います。
そもそも、この領域に至ることの出来る人は、ごくごく限られていますしね。
0321名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/20(金) 05:47:57.99ID:w4Zp8yiZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
A balance to this experience is to be found in the WHEEL OF FORTUNE, directly
opposite THE HANGED MAN on the Tree of Life.
この経験との釣り合いは、「生命の木」の上で「吊られた男」の真向かいにある、
「運命の輪」の中で発見される。

THE HANGED MAN is rest, the WHEEL OF FORTUNE is activity.
「吊られた男」は安静であり、「運命の輪」は活動である。
--- ここまで ---

困った時の神頼みというか、「生命の木」の解釈で困った時は、対称となっているもの
との対比を考えてみるのが、定石となっています。

つまり、この「吊られた男」の「balance/釣り合い」の位置にある「運命の輪」について
考察しようというわけですが、この「生命の木」の「小径」の均衡状態というのは、以前、
大アルカナについて考察した時のように、かなり複雑な関係性を持っています。
それと、「知恵の32の小径たち」においては、「吊られた男」は「Stable Intelligence/
安定した知性」となっていますので、単純な「rest/安静」ということでもないわけです。

ちなみに、ワタシの持つ、これらの対比のイメージとしては、
・「運命の輪」:神の振るサイコロの目(ランダム性=非定常成分)
・「吊られた男」:神が与える宇宙の公式(非ランダム性=定常成分)
という感じがあります。
結果的に、「吊られた男」は「ホド」の理性に繋がり、「運命の輪」は「ネツァク」の
感情と本能に繋がるわけですので、「吊られた男」の神が理性的な人の姿であるのに対し、
「運命の輪」の神が獣の姿をしているのも、何となく納得できます。

とはいえ、この「12:吊られた男」が下界にもたらしている「宇宙の公式」は、我々人間に
とって、極めて貴重なものであることは確かなのですが、あまりにもレベルが高すぎて、
まだ誰もそれを解くことが出来ないというオチなのでした。
0322名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/21(土) 05:37:03.87ID:LLrAB0yk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Expressed in another way, THE HANGED MAN is what happens when the Wheel stops
turning: the suspension or Crucifixion in Space is the willful arrest of the WHEEL
OF FORTUNE.
別の方法で表現すると、「吊られた男」は、「輪」が回転を停止する時に起こることである:
吊り下げ、すなわち「宇宙の十字架刑」は、「運命の輪」の意図的な拘留である。

On the other hand, the WHEEL OF FORTUNE is the activation of that which is
inactive on the Path of THE HANGED MAN.
その一方、「運命の輪」は、「吊られた男」の「小径」で非活動的であったものの活性化
である。

As is written on the Emerald Tablet, this is multiplicity in unity, the activity
and passivity of the One Thing.
エメラルド・タブレットに書かれているように、これは、単一性の中にある多様性であり、
「一つのもの」の活動性と受動性である。
--- ここまで ---

もはや意味不明で支離滅裂な説明となってしまっていますが、そもそも、この世のものでは
ない「12:吊られた男」と「10:運命の輪」を、我々の世界における「対称性」で語ること
自体が無理なわけですので、実際のところ、どんな文章で説明したところで、理解する
ことは出来ないわけです。
まあ、元々、言葉ではうまく説明できないので、上級者にしか分からない象徴的な図像と
して表しているというのが、「タロット」ですので、我々が言葉で説明されても分からない
のは当然であると、割り切って考える必要があるわけですよね。

とはいえ、全く分からないなりに、何らかのキーワードぐらいは、事前に持っておく必要が
あるわけで、それが「12:吊られた男」と「10:運命の輪」の「対称性」である、宇宙と
いうか万物というか「神」というか、そういうもの全ての中にある、「回転」と「静止」の
関係性が鍵であるということですかね。(だから何?と言わないでくださいw)
0323名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/22(日) 07:11:09.28ID:JOV4gwU3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It has, hopefully, been demonstrated that the Path of THE HANGED MAN must be
approached very differently from the lower Paths.
それは、たぶん、「吊られた男」の「小径」が下位の「小径たち」とは非常に異なって
取り組まなければならないことを説明し続けている。

There is a reversal of conceptual framework which is at once a willful suspension
and a refinement of observation.
そこには、同時に、意図的な吊り下げと、観察の改善である、概念上の枠組の反転がある。
--- ここまで ---

ここは、「hopefully/たぶん、願わくば」という言葉で修飾されているように、あまり
確証的なものではないのですが、「吊られた男」の「小径」は、今までの「小径」とは
明らかに異なっていて、それをものにするには、従来の手法とは全く異なるものが必要と
されるということです。

その一つが、「willful suspension/意図的な吊り下げ」、すなわち、自身の精神的活動
である脳内妄想の数々を停止させることと、「refinement of observation/観察の改善」、
すなわち、全く異なるというか逆転した視点で見るという、「eversal of conceptual
framework/概念上の枠組の反転」が必要であるということです。

とはいえ、それが具体的にそれが何なのかは、「神のみぞ知る」わけであって、凡人が
いくら「吊られた男」のマネというか修行をしたところで、「頭に血が昇る」とか、もしくは
「○子のパ○ツが見える」ぐらいの恩恵しか無いわけですよ。

そういうわけで、ワタシからも、これといった有用な情報は何も提供できないのですが、
一つ言えることは、一般人である我々には、「吊られた男」を理解する必要は全く無い
し、そもそも、それを理解しようとすること自体にも、何の利益も無いということです。
ということで、無駄な悪あがきはせず、どちらかというと覚めた目というか生暖かい目で、
ヤル気の無い単なる傍観者として、「吊られた男」を観察してみようと思うのでした。
0324名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/23(月) 06:04:22.49ID:7pOap+5o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The meditator becomes the object of his own meditation.
瞑想者は、彼自身の瞑想の対象になる。

He becomes the "other" which had been the object of pursuit; the "other" becomes
him.
彼は、探究の対象であった「他」になる;「他」は彼になる。
--- ここまで ---

ここでは、一例として、「自」と「他」、すなわち「主観」と「客観」の入れ替えに
ついて説明しています。
とはいえ、その文字通りの理解であれば、従来の思考の延長線上であり、従来の手法とは
全く異なるものであるとは言えないです。
要するに、一般人の「meditation/瞑想」では、「自」であることから逃れられないわけ
であり、ここに発想の転換というか、「概念上の枠組の反転」が必要となるわけです。

例として、「自」は「自」から逃れられないということであれば、もう一つの「自」の
コピーを作って、それを「他」として観察するという手もあります。
また、この我々の「宇宙」が「自」であるなら、そのコピーを作って、それを「他」と
して観察するという手もあります。
そんなことが出来るのかと問われれば、現代のシミュレーション技術、すなわち数学と
計算機が、それを徐々に可能にしつつあります。
そして、その仮想空間においては、数値計算による、あらゆる仮想実験が可能となって
おり、実験者が望む「概念上の枠組の反転」を自由に試すことが可能です。
実際問題として、現代の宇宙物理学(マクロコスモス)や、医学や人工知能(ミクロコス
モス)の探究には、この手の高度なシミュレーション技術が不可欠となっており、そして
それが、「吊られた男」の深遠な意味を理解するための、重要な手段となるのではないか
と、勝手に妄想しているのでした。
さらに発想を変えれば、「吊られた男」こそ、マザコン、いやマザーコンピュータそのもの
であるという別ルートもあって、そういう妄想も、ネタとしては面白いと思うのでした。
0325名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/24(火) 06:13:12.86ID:ifNc/V2U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One of the primary qualities of this Path is that it is a Path of eternally
unresolved possibilities.
この「小径」の主要な品質たちの1つは、それが永遠に未解決の将来性の「小径」である
ことである。

It is openness without beginning or end, the exact opposite of the WHEEL OF FORTUNE,
which encloses in eternal motion.
それは、始まりも終わりも無い開放性であり、永遠の運動を取り囲む、「運命の輪」と
全く正反対のものである。
--- ここまで ---

謎の文章となっております。
ここでの「possibilities/将来性」は、未来における可能性たちという意味であり、
この「小径」から「ホド」へと流出するものの「将来における可能性」は、限りの無い
ものではあるけれども、誰もそれを正しく読み解くことは出来ないという解釈が可能と
なっています。
ということで、ここで、分からない問題は、とりあえず放置しておくというスルースキル、
いやいや、賢者の基本スタンスが発動するわけです。

その一方で、「運命の輪」については、「閉じた永遠の運動」ということであり、その
内部情報は流出しないため、やはり誰もそれを正しく読み解くことは出来ないわけです。
ということで、ここでも、分からない問題は、とりあえず放置しておくという、賢者の
基本スタンスが発動します。

結局のところ、オマエは何も分かっていないんじゃないか!というお叱りを受けても
しょうがないわけですが、まあ、わかったようなふりをして金稼ぎをするような連中の
言うことを受け売りするよりは、こうして「今は分からないこと」を、きちんと整理して
おいた方が、謎の解明には、後で役に立つことも多いんですよね。
まあ、永遠に解けない謎であるということですが、そのうち分かるかもしれませんしね。
0326名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/25(水) 06:10:02.12ID:QZSwdXbk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
When the Mem is closed, it becomes Tau.
「メム」が閉じられると、それは「タウ」になる。

Tau is Mem reversed.
「タウ」は、反転された「メム」である。

12 (THE HANGED MAN) is 21 (THE UNIVERSE) reversed.
12(「吊られた男」)は、反転された21(「宇宙」)である。
--- ここまで ---

またもや謎の文章となっております。
「12:吊られた男」は、「10:運命の輪」の「exact opposite/正反対」の関係であり、
そして「21:宇宙」とは「reversed/反転された」関係であるということです。

つまり、我々が住む「実宇宙」が生み出されると同時に、それと反転関係にある「反宇宙」
もしくは「虚宇宙」なるものが、この「12:吊られた男」で反作用的に生み出されていると
いうことであり、それはまさしく、この「12:吊られた男」が、宇宙を生み出す「種」の
流出源となっていることを示しています。
そして、その開いた未解決の将来性の「種」は、「生命の木」のフィルタを下りながら
選別され成熟していき、最終形として「タウ」で閉じられて完成することで、この「宇宙」
という「アッシャー界」が創造されるという話になっているわけですかね。

まあ、いずれにしても、我々の知らない高次元の話というか、この宇宙が生み出される前の
妄想話ですので、その真偽のほどは全くもって不明というか、現代科学では全く未解明の
分野ですので、これ以上の詮索は出来ないわけです。

とはいえ、こういう現代科学では語れないような「宇宙誕生前夜の妄想物語」を語れる
のも、「カバラ」ならではの魅力ですので、色々と妄想を膨らませるのも面白いですよね。
でもまあ、それは何の役にも立ちませんけど。ww
0327名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/26(木) 06:03:05.30ID:fNOqv84q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This is the Tarot secret of the Dying God on the Path of Water.
これは、「水」の「小径」の上で「死にゆく神」の「タロット」の神秘である。
--- ここまで ---

カバラ理論による「12:吊られた男」が反転された「21:宇宙」であるという前提から、
いきなりタロットの神秘の話題へと、話が振られています。

要は、「反宇宙」である「12:吊られた男」が「上流の神」であり、それが比喩的な死を
遂げることで、「正宇宙」である「21:宇宙」が「下流の神」として転生して復活すると
いうストーリーなのかな、と思われます。

いずれにしても、「地」である「マルクト」を生み出すためには、「火」「空気」そして
「水」の作用が不可欠なのですが、「生命の木」の「小径」における「火」「空気」「水」
の配置の解釈理論は、一筋縄ではいかない、というか、辻褄合わせすること自体に矛盾が
出てしまいますので、あまり深掘りしない方がいいと思われます。
まあ、タロットや「生命の木」についての大統一理論というものがあればいいんでしょう
けど、現状、そんなものは存在しませんし、将来も、作られることは無いんでしょうね。

それはそうとして、「12:吊られた男」は、割と重要な「母字の水」の相転移の象徴である
と考えることが出来ますので、その流れから「Dying God/死にゆく神」を考察することが
可能となっています。
そして、「死」の重要性は、と言うと、「死が次世代の糧となる」ということであって、
これは、現在の宇宙が、「星の死」により進化してきたということにも繋がります。
もちろん、地上にいる我々も、それまでに生まれた数々の生命の死により進化している
わけですし、それに何より、現在の我々の生命を維持するためにも、様々な生命が犠牲
となっていることからも、何となくわかるかと思います。
つまり、「普遍的に存在する母なるもの(遍在神)の生命」が「死にゆく」ことにより、
我々の生命が維持されているということも、現実としてあるわけなんですよね。
まあ、それが何の意味があるのかと聞かれても、ちょっと困るんですけど。ww
0328名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/27(金) 06:07:43.18ID:aUM0upI6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This mythology of the Dying God is very universal; every culture seems to have
some form of it, whether that be Christ, Osiris or a local deity.
この「死にゆく神」の神話は、とても普遍的である;あらゆる文明は、それがキリスト、
オシリス神、もしくは地方の神であろうとなかろうと、それの何らかの形式を持つように
見える。

THE HANGED MAN is one rather peculiar aspect of this cross-cultural myth.
「吊られた男」は、この異文化間の神話の、かなり奇妙な面の一つである。
--- ここまで ---

とはいえ、「死」が人間にとって普遍的であるのであれば、「神の死」という概念も、
割と一般的に受け入れられることのようにに思えます。
ちなみに、日本では、「国産みの神」である「イザナミ女神」の死が、これに当たります
し、それ以外にも、色々な神が、何かを生み出すために死んでいます。

「死にゆく神」の特徴として、その多くが「大地」を産み出して「自然」を司る役割を
持ち、四季の移ろいを演じるものが多いということです。
そういう視点で見ると、「10:運命の輪」が春から夏を、「12:吊られた男」が秋から冬の
季節を象徴しているようにも見えます。
そして、「12:吊られた男」の季節は、それまで育ってきた本体から、次世代へ向けての
種や実が成り、大地に落ちる季節でもあります。

つまり、「メム」の「母字の水」は、こうして「上位世界の見えない水」から「下位世界
の見える水」へと相転移して、我々に「水」なるものをもたらしてくれるという構図に
なっているわけですが、それはゴールデン・ドーン版のデザインが、まるで蒸留器のような
不思議な構図となっていることからも、何となく推察されます。
要は、この「12:吊られた男」は、その地味なデザインにもかかわらず、とてもありがたい
カードであって、何かを生み出す際には、非常に重要なひらめきを与えてくれるという、
どちらかというと、創造者、つまりクリエーター向けのものなのかな、とも思うのでした。
0329名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/28(土) 06:07:53.50ID:6W+Z7uHk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
In Norse mythology the God Odin sacrifically hanged himself from the branches of
the World Tree. (*164)
北欧神話では、神オーディンは、「世界樹」の枝から彼自身を犠牲的に首を吊った。
(*164)

In Greece, the Goddess Artemis was annually hanged in effigy, and at her sacred
grove in the Arcadian Hills was known as the "Hanged One." (*165)
ギリシアでは、女神アルテミスは、彫像となって首を吊られ、そして、アルカディアの丘の
彼女の聖なる林では、「吊られたもの」として知られていた。(*165)
--- ここまで ---

ちなみに、(*164)(*165)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
164. Larousse Encyclopedia of Mythology, 261.
164. 『ラルース神話百科事典』、261ページ。

165. James G. Frazer, The Golden Bough, New York 1958, 413.
165. ジェームズ G. フレイザー著、『金枝篇』、ニューヨーク、1958年発行、413ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、「神」が自ら上位神への捧げ物として生贄的に首を吊るのは、割と昔からある話と
いうか、まあ普通に誰でも思い付く「神の自己犠牲的行為」であるわけです。
ただし、「吊られた男」は、そういった良くある「首吊り」という自己犠牲的なものでは
なくて、「片足を縛られた逆さ吊り」という、かなり上級者的な性癖の持ち主、いやいや、
あまり一般的ではないというか、少々ふざけた形で吊られているのが特徴です。
つまり、どう見ても、ただ者ではない感じであって、「生命の木」の「小径」の位置からも、
かなり上位の存在であり、オーディン神やアルテミス女神を凌ぐ能力の持ち主であること
は、容易に想像できるわけですが、それが何者なのかは、全くわからないわけですよ。
0330名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/28(土) 06:11:53.01ID:6W+Z7uHk
そろそろ容量オーバーで、次スレ移行の時期となりましたので、予告しておきます。

次スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part9
0331名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/29(日) 06:46:58.11ID:CpZNWFdT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
Any number of such ritual hangings could be cited, none of which is a final death.
そのような儀式の吊るし物たちは、いくつでも引用できるが、そのどれも最終的な死ではない。

These are merely reversals where the feet of the God are planted in the Anima Mundi
and not on the earth.
これらは、「神」の足が地上ではなく「宇宙霊魂」に据えられた場合の、単なる反転である。
--- ここまで ---

オーディン神も、アルテミス女神も、儀式では首から吊されていましたので、そういう意味
では、これらの神は「足が地上にあるもの」、すなわち大地を統べる下位の神となります。
一方、「12:吊られた男」は、それらの二次生成物とは違って「足が宇宙霊魂にあるもの」、
つまり「下位世界を生み出す宇宙創造神」であるという見方が出来ます。
とはいえ、それは物質を生み出す神というよりも、物質の元となる「宇宙霊魂」からの
抽出物というか蒸留物というか、要は「母字の水」に象徴される、目に見えない神秘の
何かが、この逆さ吊りとなった神から流出しているということです。

ということで、オーディン神も、アルテミス女神も、この「12:吊られた男」を理解する
には役に立たないというか、それらを反転させる何かが、決定的に足りないわけです。
まあ、反転させるための「鍵」が、この「吊られた男」そのものの姿であって、その鍵の
形を象徴するのが、十字と三角形であるということぐらいは分かるのですが、だから何
なんだという感じなんですよね。

いずれにしても、このカードを見ているだけでは何も分かりませんし、前へと進むことも
出来ません。
とりあえず「上の如く、下も然り」の「上」の理解を保留したままで、「下」での応用を
考えることも出来るのですが、そもそも原理が全く理解出来ていないので、根拠の無い
「当てずっぽう」の応用となってしまうことは承知しておく必要があります。
だったら、「12:吊られた男」を無理に使わなければいいのでは、と思うかもしれませんが、
まあ、そう言ってしまうと、身も蓋もないわけですしおすし。
0332名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/31(火) 07:31:25.32ID:i1gwI+D+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death and resurrection of any God relates to this Path, and is described as
a Kabiric Death.
どのような「神」の死と復活であれ、この「小径」に関連し、「カベイロスの死」と評される。

In the myth of the Kabiri, one brother is slain by the three others.
「カベイロス」の神話においては、兄弟の1人が、その他3人により殺害される。

His dismembered body is discovered, and is, with great joy, resurrected for the
good of humanity. (*166)
彼の手足が切断された身体は発見され、大きな喜びをもって、人類の善のために復活する。
(*166)
--- ここまで ---

ちなみに、(*166)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
166. Larousse Encyclopedia of Mythology, 141-43; Oxford Classical Dictionary,
v. IV, 260ff.
166. 『ラルース神話百科事典』、141-43ページ;『オックスフォード古典辞典』、第4巻、
260ページ以降。
--- ここまで ---
とあります

ちなみに、「カベイロスの神話」は、ゴールデン・ドーンの「プラクティカス儀式」の
「31番目の小径=20:審判=シン=母字の火」の元ネタとなっており、殺される側の志願者
である「Kasmillos/カスミロス」が、殺す側の「Axieros/アクシエロス」「Axiokersos/
アクシオケルソス」「Axiokersa/アクシオケルサ」の声を聞くという設定となっています。

流れとしては、「母字の空気=0:愚者」が「神の誕生」、「母字の水=12:吊られた男」が
「神の死」、そして「母字の火=20:審判」」が「転生した神の復活」ですかね。
0333名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/31(火) 07:41:56.98ID:i1gwI+D+
ということで、今年はこれが最後のカキコになります。
今年も色々とありましたが、何とか一年間、カキコを続けることが出来ました。
これもひとえに、皆様からの声なき応援の賜物であると勝手に思っております。

それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/
0335名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/01(水) 21:29:27.05ID:gO/gGo5B
皆様、新年あけましておめでとうございます。(^^)

10年計画で始めたこのスレも、既に7年半近く経ちました。
残り2年半でゴールできるかはわかりませんが、今年もあせらず
ボチボチと、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>334
ありがとうございます。
本年もよろしくお願いします。(^_^)/
0336名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/02(木) 05:55:43.71ID:Gt85Ewr5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The parallel with the Osiris legend is clear.
オシリス神の伝説との類似は明らかである。

In that story the body parts of Osiris are scattered about the land, collected and
resurrected.
その物語において、オシリス神の身体の部分たちは、国のあちこちに撒きちらされ、集め
られ、そして復活させられる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」は、「死にゆく神」であり、それは天界の存在であった「神」が、
「神の死」と呼ばれる相転移によって、地上界の存在となり「神の死体=かつては神だった
ものの身体や精神や知恵の一部」へと遷移するという公式を象徴化しているわけです。
つまり、そのバラバラになった「神パーツ」のジグソーパズルとかクロスワードパズルを
組み立てることによって、神の能力を人類が得ることが出来るという筋書きですよね。
要は、「人」は「13:死」を通じて「天界」に昇天するのに対し、「神」は「12:吊られた
男」を通じて「地上界」に降臨して恩恵をもたらしているという、何かとても有り難い話
になっているわけです。
そういう意味では、「15:悪魔」も、天界から地上界へと恩恵をもたらすものでしたので、
「ホド」には、天界からの賜り物が蓄積されているということになりますかね。

さて、その「12:吊られた男」の恩恵なるものが何であるのかというと、それはカバラ的に
言えば「知恵」であるということになります。
そして、「生命の木」のレベル的に言うと、神が人間に与えることの出来る最上級レベル、
すなわち最上級者にしか分からない「知恵」である、ということになるわけです。

もちろん、最上級者ではない我々は、それが何であるかは知る由もありませんし、知った
ところで、何かの役に立つようなものでもありませんし、現状では、他人に誇れるような
ものでもないというか、間違いなく基地外扱いされるようなシロモノでしかありません。
つまり、ワタシも全く理解できていません、ということなんですよね。←開き直りw
0337名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/03(金) 06:55:51.54ID:oLCSK8QZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death of the God is a natural, continuing, event, and is symbolized by the
ritual formula IAO, meaning Isis, Apophis, Osiris, symbolizing fruition, death
and then resurrection.
「神」の死は、自然で、継続的な、事象であり、そして、結実、死、それから復活を象徴
する、イシス女神、アポフィス邪神、オシリス神を意味する、儀式の公式「IAO」により
象徴される。

This formula also relates to that of the Yod Heh Vau.
この公式はまた、「ヨッド」「ヘー」「ヴァウ」のそれに関係している。
--- ここまで ---

神話における「神の死」は、割と普遍的なものではありますが、それは「人の死」と同列に
語れるようなものではありません。
なぜなら、「人の死」には、その後の「復活」が存在しないからであり、この点において、
「上の如く、下も然り」が成立していないからです。

つまり、人は「復活」を手に入れることが出来れば、「神」になれるわけであり、それゆえ
古代より、人は「死」を克服するための様々な手法を開発してきており、それが「宗教」の
繁栄の原動力となっているということも、あながち間違いではないわけです。

ちなみに、「神の死」と「人の死」は、「生命の木」においては、「12:吊られた男」と
「13:死」という隣り合わせのカードでありながらも、かなり異なる次元に置かれており、
その意味も、アプローチの仕方も、全く異なるということが分かります。
つまり、我々にとっては、ここが「神」と「人」の分水嶺となっており、人間の力では、
決して越えられない壁があるというわけで、それゆえ人々には魅力的なものであって、
その結果として最も多くの「詐欺師」たち、いやいや「神となった人間たち」が目を付ける
場所でもあるわけですよね。

ということで、人間であることを続けたいワタシは、なるべく深入りしたくないのでした。
0338名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/04(土) 06:01:56.54ID:T6rt5P7H
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
As usual, Crowley's version of the card is more complicated than that of either
Mathers or Waite.
いつものように、カードのクロウリー氏の版は、マサース氏やウェイト氏のどちらのそれ
よりも複雑である。

His figure, which emphasizes the Cross and Triangle, is suspended from the Egyptian
Ankh, a form of Tau.
彼の人物像は、「十字」と「三角形」を強調し、「タウ」の形である、エジプトの「アンク
十字」から吊されている。

Behind it are the Elemental Tablets, (*167) summing up all of nature.
その背後には、「元素の銘板たち」(*167)があり、自然の全てを要約する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*167)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
167. The Enochian Tablets are described at length in Regardie's Golden Dawn,
v. IV, 260ff.
167. 「エノキアン・タブレット」は、リガルディ氏の『ゴールデン・ドーン』、第4巻、
260ページ以降に、詳細に述べられている。
--- ここまで ---
とあります。

トート版は、ゴールデン・ドーン版やウェイト版と比べると、かなり象徴が増えています。
でも、それらの付け加えられた象徴は、どれもが「蛇足」に見えてしまうというか、低次元
のものが混入しているみたいで、ゴチャゴチャ感というか低俗感が否めないんですよね。
要するに、ワタシの感覚が、このカードのデザインに、ワクワクするような「高い何か」を
感じることが出来ないためなのですが、その原因が、このカード自体にあるのか、ワタシ
自身のレベルによるものなのかは、今のところ不明なのでした。
0339名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/05(日) 06:41:22.83ID:eER02Nkw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
His left foot hangs from a coiled serpent which is the "creator and destroyer who
operates all change."
彼の左足は、「全ての変化を生み出す、創造者であり破壊者」である、巻き付けられた蛇
から吊り下がっている。

The lower serpent represents the effect of the work of God: "Through his Work
a Child is begotten, as shown by the Serpent stirring in the Darkness of the Abyss
below him." (*168)
下の蛇は、「神」の仕業の効果を表す:「彼の『御業』を通じて、彼の下の『深淵の暗闇』
の中でかき混ぜる『蛇』により示されるように、『子』は生まれる。」 (*168)
--- ここまで ---

ちなみに、(*168)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
168. Crowley, Book of Thoth, 98.
168. クロウリー著、『トートの書』、98ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「12:吊られた男」の人物像は、アダムやイヴ、そしてイエスを生み出した「主」
の化身であると推定できるのですが、その「主」の像に「蛇」が巻き付くというのは、少々
違和感があります。
そして、この「蛇」は、『トートの書』によると、「13:死」にも関係しているということ
なのですが、前に述べたように「13:死」と「12:吊られた男」は、近くて遠い関係にあり、
月とスッポンを、同じ「丸」で描くのと同じように「蛇」を描いていることについても、
かなりの抵抗感があります。
ワタシとしては、ここには「蛇」を書く必要は全く無いというか、書くことは「蛇足」で
しかないと思うわけですし、せっかくの「母字の水」の属性が、陸生の「蛇」が存在する
ことにより、うやむやになってしまっていますしね。
0340名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/06(月) 06:11:02.56ID:9drZgBkF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
22. THE PATH OF LAMED
22. 「ラメド」の小径

Justice
正義

The Eleventh Key
11番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ラメドの小径」です。

この「小径」は、我々が知覚可能である「星幽的三角形」から完全に離れた最初の「小径」
であり、もはや我々の知恵や知識、直観や感覚などは、全く通用しません。
つまり、大アルカナ自体が形而上学的(メタ)なものでしたが、さらに、ここから先は、
形而上学的なものの形而上学的なるもの、つまりメタメタなシロモノたちを考察していくと
いうメタメタな流れになっていくわけですよね。
つまりは、人智を越えるシロモノというか、誰も正解を導き出すことは出来ないわけです
ので、ここから先は、一種の頭の体操というか、酒の席でのホラ話に近いというか、要は
話のネタとしての「カバラ」や「生命の木」や「タロット」などの、魔ヲタ趣味全開の話
となってしまいますので、くれぐれも真に受けることのないようにお願いします。

さて、この「11:正義」ですが、天界から下る「燃える剣」のルート上にあることと、上位
世界から「劣化ケテル」であり要(かなめ)でもある「ティファレト」に最終的に流入する、
つまり上位世界の流れの取りまとめ役となる、極めて重要かつ影響力の大きい位置にある
ため、他の上位カードと比べると、我々のような下々の者にとっても、比較的その意味が
想像し易い、つまりメタメタな世界の入門者向け感のあるカードではないかと思います。
0341名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/09(木) 06:04:19.56ID:na0fMFG7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
□ PATH COLOR: Emerald Green
□ 「小径の色」:「エメラルドグリーン」

□ RELATED SOUND: F Sharp
□ 「関連した音」:「Fのシャープ」

□ SIGN: Libra (Cardinal Air)
□ 「宮」:「天秤宮(活動宮の空気)」

□ MEANING: Ox Goad
□ 「意味」:「牛突き棒」

□ SIMPLE LETTER: Work
□ 「単字」:「労働」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Lords of Truth; the Ruler of the Balance.
□ 「秘伝的な称号」:「真実の主の娘;天秤を持つ者(均衡の支配者)」
--- ここまで ---

最後の「the Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The Holder of the Balance
/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

この本の、この文章の右側には、「牛突き棒」と、ヘブライ文字の「ラメド」、および
「生命の木」における「ラメドの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

この「ラメドの小径」は、初めて出てくる「倫理的三角形」を形成する「小径」であり、
我々が今まで見てきた下位の「小径」と比べると、メタ度が一段と上がります。
つまり、ここに書かれている文章は、ほぼ「読むに値しない」ということになりますので、
あくまでも参考というか、ほぼ全てがネタであることを、ご承知おき下さい。
0342名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/11(土) 06:43:01.22ID:gMcS0vKo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-second Path is the Faithful Intelligence,
and is so called because by it spiritual virtues are increased, and all dwellers
on earth are nearly under its shadow.
「知恵の32の小径たち」:「22番目の小径」は「誠実な知性」であり、なぜならそれは、
それにより霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいるために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

まずは、この「小径」の「Faithful Intelligence/誠実な知性」という属性を、どう解釈
すべきか悩むところですが、はっきり言って、よくわかりません。
少なくとも、我々の人智を越えたものであるということは分かるのですが、それを何かの
言葉として例えるというのが難しいんですよね。

「生命の木」の構成要素である10の「セフィロト」と22の「小径」は、その全てが重要で
あり、どれか一つでも欠けると成立しないわけであり、そういう相互作用というか関係性
という点で、想像力を働かせてみると、どちらかというと「総受け」体質がある感じが
するわけで、「11:正義」という名前や、その剣を持つ姿の怖さとは裏腹に、かなり慈悲
に近い属性を持つ、つまり「ゲブラー」の「無慈悲さ」を中和して「ティファレト」に
導く作用をしていることぐらいは想像できます。
また、その手の剣や天秤は、静的な飾りではなく、動的な実用物であり、常に忙しそうに
何かを切り刻んだり、バランスを取るように計量している様子も想像できます。
そして、もし人が「ティファレト」から「ゲブラー」へと昇るのであれば、それに必要と
なる資質を教えてくれたりするのかもしれません。
とはいえ、我々にとっては「雲の上の存在」ですので、その本当の姿を知ることも、語る
ことも難しいわけですし、後は各人の想像力にお任せするしかないのかな、と思います。
0343名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/12(日) 06:44:45.18ID:7VlTT666
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The Path of Lamed, JUSTICE is between Tiphareth and Geburah.
「ラメドの小径」である「正義」は、「ティファレト」と「ゲブラー」の間にある 。
--- ここまで ---

「11:正義」は「9:隠者」と対称位置にあり、「生命の木」の位置的には今まで出てきた
「13:吊られた男」と「10:運命の輪」に似た関係性があります。
つまり、「9:隠者」が「13:吊られた男」と似た関係であるなら、「11:正義」は「10:運命
の輪」に似た関係があるということですよね。
あと、「11:正義」が「formative/形成的」で「天秤宮=活動宮の空気=金星」であるのに
対し、「9:隠者」は「Activating/活動的」で「処女宮=柔軟宮の地=水星」であることも
考慮しておく必要があります。
そして、単字の「Work/労働」であることが、この「11:正義」の方向性を示していると
いうことになるわけです。

ということで、ワタシには、この「11:正義」とは、「ゲブラー」によって一旦破壊されて
精製されたマテリアルを元に、「ティファレト」という「美」の「Work/芸術作品」を
生み出す「芸術家」に見えるわけです。
そして、右手にある「剣」はまた、「彫刻刀」や「ペン」や「絵筆」などのツールであり、
左手にある「天秤」はまた、「調合皿」や「パレット」に見えたりします。
つまり、「11:正義」は、「単一」の原初カオス宇宙を、様々な彩りに満ちた多様性の
存在する世界へと変える「芸術家」としての「創造主」の働きをしているのではないか
と推察するわけです。

つまり、「ケテル」は単一属性でしたが、「ティファレト」は、「劣化ケテル」ではなく
「進化ケテル」であって、その進化は「11:正義」によりもたらされる芸術的な「分化」
であって、「ゲブラー」の火で融解した後、再結晶化した「宇宙の原石たち」を、剣で
整形して、秤で計量した後、「ティファレト」に注ぎ込むという流れになってきます。
そうなると、カードタイトルの「正義」って何なの?、ということになるわけですが、
ワタシ的には、まあそういうこともあるよね、という感じですかね。←意味不明ww
0344名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/13(月) 06:24:22.16ID:MQKjY7/m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Lamed means ox-goad, the spear-like prod which keeps the ox moving down the road.
「ラメド」は、雄牛を道に沿って動かせ続ける、槍のような突き棒である、「牛突き棒」
を意味する。

This attribution points to the letter's special relationship with Aleph (ox) on
the Path of THE FOOL.
この帰属は、「愚者」の「小径」の上にある「アレフ」(牛)との、文字の特別な関係
を示す。
--- ここまで ---

「11:正義」と「0:愚者」は、「牛突き棒」と「牛」という関係にある、すなわち「0:愚者」
のエネルギーが道を外れないように、うまく制御する働きをしているということですかね。

例えるなら、強大なジェットエンジンやロケットエンジンの推進力の方向を制御するため
の補助翼や補助推進ノズルみたいな装置というか、そういった制御機構のような「11:正義」
の働きにより、「ケテル」から流出した強大なエネルギー流が、「劣化ケテル」である
「ティファレト」に、うまく収束して到達できるようになるという感じですかね。
まあ、全く地に足が着かない話ですので、しょせんネタと言えばネタなのですが、この
「牛」つながりの関係が、どこまでマジなのかもわかりませんし。

というわけで、「ケテル」から最初に流出する「0:愚者」と、「劣化ケテル」に最後に
流入する「11:正義」とは、「ハナ」と「トリ」の関係にあるわけですが、それが重要か
と言われれば、そもそも「生命の木」の流出ルートは複数あるわけですので、それ自体は
それほど重要ということでもありません。
それよりも、どんな働きをしているのか、ということに興味がありますよね。

ということで、この「Justice/正義」というタイトルと、手に「剣」と「天秤」を持つ
というエリート的な見た目にもかかわらず、「牛突き棒」と「労働」という、割と苦労人
的な文字の意味を持つ不思議なカードについて、もう少し妄想を膨らませていきましょう。
0345名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/14(火) 06:15:52.59ID:DPG14V0B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Their interaction is exceptionally complex, although the essential principles can
be simply stated: JUSTICE maintains the balance of the Tree, so that the outpouring
energy of THE FOOL (this has sometimes been called the "Holy Ghost") will operate
within the confines of a natural pattern.
それらの相互作用は、並外れて複雑ではあるが、けれども本質的な原則たちは簡単に述べる
ことができる:「正義」は、「愚者」(これは時々「聖霊」と呼ばれることがある)の流出
する精力が、自然な様式の境界たちの範囲内で作動するために、「木」の平衡を維持する。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」の上位にある存在は、そのどれもが「exceptionally complex/並外れて
複雑」、すなわち常人にはまともには理解できないシロモノではありますが、それでも、
「木」の基本的原則である「balance/平衡」は、絶対的なものであるということであり、
その最終的な責務を、この「11:正義」が負うということになっているわけです。

つまり、「木」のどの部分を見ても、すなわちフラクタル的な視点での「絶対的な平衡」が
あり、その平衡が崩れると、この宇宙が消滅しかねないということですよね。
まあ、このあたりの概念は、サイエンス・フィクションの世界に通じるものがありますが、
それが何であれ、「木の平衡」と「宇宙の平衡」の関係性を保つということは、とても
面白い概念ではないかと思うのでした。

とはいえ、この「11:正義」は、中間管理職の位置にあるため、上位存在のワガママを聞き
ながら、それらを取捨選択してアレンジし、下位存在にうまく伝達するという、なかなか
胃が痛くなるような激務をこなさないといけないわけです。

「11:正義」は、その見た目は少し怖いところはありますが、我々からは直接見ることの
出来ない、つまりこの世界の裏方として暗躍している、そういうとても有能な存在が、
我々の宇宙を陰からしっかりと支えてくれているということに、ちょっとだけ感謝したく
なるような存在ではないかと思うのでした。
0346名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/15(水) 06:06:28.61ID:kwJ5DVac
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
JUSTICE is the administrator of the laws of Binah, written by THE HIEROPHANT.
「正義」は、「法王」により書かれた、「ビナー」の法律たちの管理者である。

It is the "Ruler of the Balance."
それは「均衡の支配者」である。
--- ここまで ---

「秘伝的な称号」からの参照である「Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The
Holder of the Balance/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

さて、この「11:正義」の「the administrator of the laws/法律たちの管理者」の役割
ですか、この「administrator/管理者」というのは、司法における「裁判官」というより
は、行政における執行官のような役割になります。
ついでに言うと、「11:正義」の「小径」は、「生命の木」の上位構造である「ケテル」〜
「ティファレト」における最終の「小径」、すなわち最も下っ端の役人という地位にあり、
「5:法王」や「ビナー」に限らず、様々な上位役人たちが押しつけてくる無理難題を忖度し、
「ティファレト」の「美」にも配慮しなければならない上に、「炎の剣」ルートにある
メインエネルギーの流出制御という力仕事もこなさなければならないという、とんでもなく
ブラックな職場でもあるわけです。

そもそも、「ティファレト」には、流入ルートとしては、「2:高等女司祭」「4:皇帝」
「6:恋人」「9:隠者」「11:正義」という、最多の5ルートが存在するわけで、それらの
折り合いを付けるための重要な役として「11:正義」があることを忘れてはなりません。

ということで、我々には直接関係ない上位世界での話ではありますが、とても大変な仕事
を日々こなしてくれる「11:正義」のおかげで、この宇宙の平和が保たれているという
ことであり、そこには「善」も「悪」もなく、万能十徳ナイフを手にし、天秤棒をかついで、
日々の雑用と使いパシリに追いまくられている、下っ端役人の献身的な働きぶりに、
改めて感謝なのでした。
0347名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/18(土) 07:17:46.29ID:ES2CMdwj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
It is called the Faithful Intelligence "because its spiritual values are increased,
and all dwellers on earth are nearly under its shadow."
それは、「その霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいる
ために」、「誠実な知性」と呼ばれる。

This should not be interpreted to mean the Intelligence of faith.
これは、「信仰」の「知性」を意味するように解釈されるべきではない。

Rather it is the Intelligence which is faithful to that symbolized by THE FOOL.
むしろそれは、「愚者」により象徴されるそれに「誠実」である「知能」である。
--- ここまで ---

この「spiritual values are increased/霊的な美徳が増し」という部分は、「11:正義」
が、「霊的な美」である「ティファレト」に繋がるという点から納得できます。
そして、「劣化ケテル」でもある「ティファレト」は、地上の全ての住人たちにとっては、
ほぼ完全にその影響下にあるわけです。
そういう意味では、「0:愚者」と「13:死」、「11:正義」と「22:宇宙」は、「上の如く
下も然り」の関係にあると言うことも出来ますよね。

さて、「11:正義」が、「0:愚者」にとっての「誠実な知性」であるとのことですが、
これは何となく「愚者=子」と「正義=母性」というような関係性を想像します。
要は、権威的なもので下界を制すというよりも、血の繋がり的というか、何かこううまく
言えないけど、激輝光の「ケテル」で産み出された何かを元にして、「ゲブラー」の厳しさ
を通じて、「ティファレト」の輝くような暖かみのある「子」に育て上げるような、そんな
やさしさと慈愛に満ち、そして厳しさも兼ねたものを感じるわけです。
つまり、「11:正義」は、霊的な「育ての親」であり、「9:隠者」との関係を考えると、
少なからぬ母性もあって、「才色兼備」な存在であることも想像できます。
まあ、冷徹に見える「11:正義」とは少々イメージが違うかもしれませんが、カバラ的には、
かなり女性的なイメージの強いカードとなっているわけなのでした。
0348名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/19(日) 07:07:49.79ID:h3hfx1Ch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Without Lamed, Aleph could not function as it does.
「ラメド」なしでは、 「アレフ」はそれがするように機能することはできない。

Moreover, the entire Tree of Life is related to the Twenty-Second Path, the number
of which is the totality of all the Paths.
さらに、全体の「生命の木」は、全ての「小径たち」の総計である数である、「22番目の
小径」に関連している。

JUSTICE is not one solitary figure or force, it is an amalgam of all the Paths
which are self-focused.
「正義」は、1つの孤立した形態や力ではなく、それは、自己に焦点を合わせる、全ての
「小径たち」の合成物である。

The alignment of forces has been described as being within the essential life
force symbolized by THE FOOL.
力たちの提携は、「愚者」により象徴される本質的な生命力の内にある存在であると
述べられ続けている。
--- ここまで ---

「11:正義」=「ラメド」=「Ox Goad/牛突き棒」と「0:愚者」=「アレフ」=「Ox/牛」
という関係から、「11:正義」と「「0:愚者」の関係性が強調されていますが、それよりも、
「ティファレト」が「生命の木」の「セフィロト」全体の「要(かなめ)」であるように、
「11:正義」は「生命の木」の「小径たち」全体の「要(かなめ)」であることが重要です。
つまり、「11:正義」は、上からの無理難題と、下からの不平不満をソツなくこなす、
千手観音みたいに超有能な中間管理職という、とても有り難い存在なのです。

とはいえ、我々のような下々の者は、そのような有り難い存在を知るすべもなく、ごく
当然のように、一方的にその恩恵を享受しているわけですが、だからといって、何か
恩返しが我々に出来るのかと言われれば、特に何もないよね、ということなのでした。
0349名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/21(火) 06:15:03.63ID:EVcJBdOY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The activity of JUSTICE is at work continuously in the above and below, in the
Greater Universe and in the individual soul.
「正義」の活動は、上と下において、「大宇宙」において、そして個々の魂において、
継続的に働いている。

Taken to the most mundane, as we drive a vehicle down the road, JUSTICE is our
correcting of the wheel back and forth in either direction to keep the vehicle
centered.
最もありふれた例を挙げると、我々が道に沿って車を運転するように、「正義」とは、
車を中央に保つために、どちらかの方向に、車輪を前後するような、我々の修正である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、他の個性的なカードたちとは違って、どちらかというと受け身というか、
それほど押しの強くないタイプのカードです。
つまり、普段は目立たないというか、気づかれないというか、あまり気に留めてもらえ
ないタイプであって、どちらかというと、個性の強いみんなの陰に隠れて、こっそりと
活躍している苦労人のタイプなんですよね。

それは、「生命の木」の「ケテル」〜「ティファレト」間の上位世界においては、最も
下っ端であるということも関連しているのですが、そういう上位世界の舵取りが出来る
のは、この「11:正義」以外には無いというぐらい、適役となっているわけです。

ワタシは、どちらかというと個性の強い派ですので、こういう「11:正義」みたいな舵取り
役というか調整役の人が近くにいてくれると、とても助かるわけですけど、現実には、
そういう有能な人って、いないんですよね。
で、修正がうまく行かずに、暴走すると・・・・。

それはともかく、我々からは、なかなか見えづらい位置にあるのと、直接わかりにくい
機能であるため、結局のところ、よくわかんないよね〜、というのが結論なのです。
0350名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/22(水) 06:12:56.67ID:Xk/vMTFu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Such a purposeful equilibriating function occurs in our bodies, where nourishment
must be balanced and continual to keep them operating as proper repositories for
the Spirit.
そのような意図的な平衡化機能は、我々の肉体たちの中に存在しており、そこでは、それらを
「霊」のための適切な貯蔵所として機能させ続けるために、栄養は釣り合いが取れていて
継続的でなければならない。

And an equilibriating function occurs in our personalities, where no constant extreme
of behavior can be tolerated if we are to operate effectively in our environments.
そして、平衡化機能は、我々の人格たちの中に存在しており、そこでは、もし我々が我々の
環境たちの中で効果的に仕事をすることになるのであれば、行動の絶え間ない極端は、
全く許容することはできない。
--- ここまで ---

この「equilibriating」は、「equilibrating/平衡させる」が正しい表記ですかね。

ということで、「生命の木」の「小径」の「要(かなめ)」の位置にある「11:正義」の
発揮する「equilibrating function/平衡化機能」は、下位世界の「肉体」や「人格」
においても、バックグラウンドで効果的に発動しているということですよね。

逆に言えば、この「11:正義」以前の状態、すなわち「ティファレト」に至る以前の状態
は、大きくバランスが崩れていることが許容できるということでもあるわけです。
まあ、我々が知らない世界の話ですので、どうでもいいことではあるわけですが、極端な
存在たちがせめぎ合う状態って、あまりうまく想像できない世界ですよね。

つまり、「11:正義」は、バランスを取るという「調整弁」みたいな働きをしているため、
それゆえ、ここから先の世界は、さらに見え難くなっていることは否めません。
我々にとって、「ティファレト」より上位の世界は、こういった色々な関門があるので、
そう簡単には上がれないんですよね。
0351名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/23(木) 06:06:07.17ID:7QE47t03
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Justice works both through reason and through natural force.
「正義」は、理性を通じてと、自然の力を通じての両方で働く。

We may decide to bring something of ourselves into balance, but if we do not make
that decision, it will be made for us.
我々は、我々自身の何かを平衡に至らせることを決定することができるけれども、もし
我々がその決定をしないのであれば、それは我々のために為される。
--- ここまで ---

「11:正義」のある上位世界における「reason/理性」と「natural force/自然の力」が、
どのようなものなのかは推察することは難しいのですが、それらのバランスの取れたもの
が「ティファレト」へと流入した後、「自然の力」が「ネツァク」へと、そして「理性」
が「ホド」へと流出していくことが想像できます。
つまり、そういう下位世界における「理性」と「自然=感情と本能」のバランスを保つ
機構が、この「11:正義」にあり、我々が自らの意思、すなわち「理性や感情や本能」で
判断せず、「運を天に任す」というデフォルトを選択した場合は、この「11:正義」が
暗躍するというメカニズムになっているというわけです。

つまりこれは「人事を尽くして天命を待つ」ということに通じているわけであり、それは
単に「何もせずに人任せにする」ということではなくて、我々自身の能力を超えるもの、
つまり「上位世界」に属するものの判断は、上位存在である「11:正義」に任せてしまえば
良いということを言っているわけです。

とはいえ、我々からすれば、「神の判断」なんてものは矛盾に満ちたものにしか見えない
わけですし、こればかりは自らの意思でどうなるものでもありませんので、やれることを
やった後は「なるようになる」のを待つしかないのかな、と思います。

そして、思うような結果が得られなくても、それが「神の選択」であるのなら、神に対して
愚痴りながら、その後始末をするということになるわけですよね。
0352名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/24(金) 05:57:21.52ID:05zGo3Ww
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
If we deprive our bodies of sleep, we find ourselves forced to rest.
もし我々が我々の肉体たちから睡眠を奪うならば、我々は、我々自身が休むことを強制
されるのを見つけす出す。

We may simply collapse.
我々は単に衰弱するかもしれない。

The same process occurs at all levels of Justice (i.e., through the Four Worlds).
同じ過程が、「正義」の全ての段階たちで(すなわち、「四つの世界」を通じて)起こる。

We may make a conscious decision, or it may be made for us.
我々は意識的な決定をするかもしれないし、さもなければ、それは我々のために為される
かもしれない。

In any event, this Intelligence is "Faithful;" it guides and protects us.
いずれにしても、この「知性」は「誠実;」であり、それは我々を導き、保護する。
--- ここまで ---

「11:正義」とは、何かを強制するという感じのものではなく、どちらかというと、我々が
極端に走らないように、ごく自然な感じで、正しい方向に誘導したり、目に見えない力で
路線を修正してくれたりするようなものです。
つまり、我々の行動がよほど極端でない限り、上位世界の「11:正義」による修正圧力を、
直接感じることは無いわけですが、それでも、下界における様々な修正圧力の裏では、
「11:正義」から流出した修正パワーが、があまねく暗躍しているという話です。
とはいえ、あまりに普遍的すぎるというか、基本概念が宇宙創造の根幹に関わるほど遠大
であるため、我々は「11:正義」とは何かを決して知ることは出来ないままで、あーでも
ない、こーでもないと、無駄な議論を交わすことしか出来ないのが現状なのですよね。
え、これも無駄な議論なのかって?
あそらく、いや確実に無駄な議論だと思います。(キッパリ!)
0353名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/25(土) 05:37:50.65ID:oZScT9rb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Crowley's title, Adjustment, is appropriate.
クロウリー氏の題名である「調整」は、適切である。

This is a Path where whatever is necessary is done to bring the organism into
equilibrium, a process which, as the symbol of the sword suggests, is not always
pleasant.
これは、有機的組織体を、均衡をもたらすために必要なことが何でもされる「小径」で
あり、この過程は、剣の象徴が示唆するように、常に楽しいわけではない。

This is the sword of Geburah which cuts away all that which is unnecessary, the
extraneous dead wood of nature.
これは、余分なもの、自然の無関係の枯れた木を、全て切り落とす「ゲブラー」の剣である。

It is a severe experience, though no punishment is implicit.
それは容赦の無い経験ではあるが、けれども、懲罰が暗に含まれてはいない。

There is no question of good, bad, right or wrong.
そこには、良い、悪い、正しい、もしくは間違いという疑問は無い。
--- ここまで ---

トート版では、「Justice/正義」ではなく「Adjustment/調整」というカード・タイトル
となっていますが、これは、カバラ的には、「正義」よりも適切な用語となっています。
そもそも、この位置は、下々の訴えを裁く裁判官と言うよりは、上からの命令を忠実に
実行する行政執行官みたいなポジションであって、神々からの命令には、良い/悪い/
正しい/間違いとかも無く、黙々と上位世界より与えられた命題を解読しながら、矛盾の
無いように下位世界を管理実行していくというのが、中間管理職としての仕事なわけです。
つまり、この剣は、権威の象徴ということではなく、あくまでも業務遂行のための道具
であり、バリバリの実用品でもあるわけで、調理師や彫刻家のように、日々様々なものを
剣と秤を使って取捨選択しながら、形を作り上げていくわけなのでした。
0354名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/26(日) 06:10:50.33ID:V27EQP5R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
As Gareth Knight expresses it: "The point to remember in all this is that all the
God-Forms are aspects of the soul itself and not external agencies.
ガレス・ナイト氏がそれを表現するように:「この全てにおいて覚えておくべき点は、
全ての「神の形態たち」は、魂それ自身の様相たちであり、外的な代理者たちではない
ことである。

Thus the process may be considered psychologically as a condition of
self-assessment." (*169)
従って、過程は、心理学的には自己評価の状態と見なされるかもしれない。」 (*169)
--- ここまで ---

ちなみに、(*169)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
169. Gareth Knight, Practical Guide, v. II, 116.
169. ガレス・ナイト著、『実践的入門書』、第二巻、116ページ。
--- ここまで ---
とあります。
なお、この『Practical Guide/実践的入門書』は、『A Practical Guide to Qabalistic
Symbolism/カバラ主義の象徴主義に関する実践的入門書』のことだと思われます。

さて、このガレス・ナイト氏の言う「God-Forms/神の形態たち」とは、下界に住む我々が
想像により創造した神々のことを指していますので、この「11:正義」のあるレベルとは、
直接の関係は無く、あくまでも「月とスッポン」の関係でしかないことに留意しておく
必要があります。
つまり、「11:正義」は、本来は我々の外にあるものであって、何か我々の役に立つような
シロモノではないけれども、「実践的」という名目で、半ば強引に、それを現世利益的に
解釈するならば、もはや何でもありの「psychologically/心理学的」な手法と「上の如く、
下も然り」の原理を適用して解釈することにより、「condition of self-assessment/自己
評価の状態」であると見なしてみてもいいかもね、ということですかね。
0355名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/28(火) 05:43:22.80ID:aSkGTgOp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
The soul weighs itself on the scales in the left hand and then makes necessary
adjustments wielding the sword in the right.
魂は、左手に持つ天秤で、それ自身の重さを計り、それから、右手に持つ剣を振るって、
必要な調整たちを行う。

One will observe that when the Sephiroth are placed in the human body, Geburah
is at the right hand and Chesed at the left. (*170)
人は、「セフィロト」が人体の中に置かれた時、「ゲブラー」が右手にあり、「ケセド」
が左にあることに、気づくだろう。(*170)
--- ここまで ---

ちなみに、(*170)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
170. In the exercise of the Middle Pillar, they are visualized at the right and
left shoulders.
170. 「中央の柱」の行法においては、それらは右肩と左肩で視覚化されている。
--- ここまで ---
とあります。

こういう記述を見ると、なぜ「生命の木」全体のバランスにおいて、最も重要な要(かなめ)
である「11:正義」が、「中央の柱」には無いのかという疑問が湧くわけですが、それは
「2:高等女司祭」との力関係ということになるわけです。
つまり、「2:高等女司祭」は象徴的なバランスであり、バランスの実務というか雑用は、
「炎の剣」のルート上にある「11:正義」が、下僕として一手に担うという関係ですよね。
でも、何かあると、全ての責任を取らされるという、とてもプレッシャーのかかる位置
でもあるわけで、そういう面においても、中間管理職というのは辛いのです。

とはいえ、こういうのはあくまでも、下位世界での例え話、つまりネタ話でしかないこと
に留意しておく必要があるのは、言うまでもないことですけどね。
0356名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/29(水) 05:54:36.79ID:wTBd0vRU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
The sword of JUSTICE, the weapon of Elohim Gibor (God of Geburah) is fearful.
「正義」の剣である、「エロヒム・ギボール(ゲブラーの神)」の武器は、恐ろしい。

It can be swift and devastating in its cutting away of what is no longer needed.
それは、もはや必要とされないものを、それが切り離すことにおいて、迅速で破壊的である
ことができる。

It can make war; it can enforce peace.
それは戦争をすることができる;それは平和を強いることができる。
--- ここまで ---

「11:正義」は、上位世界の存在ですので、その手に持つ剣が、たとえ「ゲブラー」の剣で
あったとしても、我々には、もはや何の関係も無いわけですが、とりあえず「上の如く、
下も然り」の原理を適用して、例え話みたいな感じで語っている感じです。

とはいえ、下界における「正義」というシロモノは、とても胡散臭いものであることは、
皆さん、よくご存知ではないかと思いますし、そういう胡散臭いものに、この「11:正義」
を例えるというのは、かなり気の進まないことでもあるわけです。
そういう意味でも、クロウリー氏が、このカードのタイトルを「11:調整」に変えたのは、
正解だと思います。
ついでに、剣を、より実用的なナイフや包丁に変えてくれれば、もっとしっくり来るわけ
ですが、そこまで変えると、伝統的な「正義」派の人からはクレームが出てきそうですね。

いずれにしても、「war/戦争」は「ゲブラー」の属性であって、「11:正義」には、
ほとんど存在しませんし、武力という外力によって「enforce peace/平和を強いる」
こともありません。
要するに、上位世界の「剣」は、指揮棒というか、上から流入してくるエネルギー流たちの
調整弁のような働きをしているわけであって、下々の者たちを、「正義」だ「悪」だと
決めつけて、切って捨てるような、そんな陳腐な存在ではないと思っております。
0357名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/31(金) 06:21:11.41ID:GS2SYoAw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
But the sword has two edges, one of which destroys and the other of which consecrates
as in the conferring of knighthood.
しかし、剣は2つの刃たちを持っており、その一方は破壊を、そしてもう一方は、ナイト爵位
を授与する時のように神聖化する。

The cutting away of the negative aspects of body and soul is a return to purity,
a consecration.
肉体と魂の否定的な様相たちの切り離しは、純潔への回帰であり、神聖化である。

This idea of renewed purity is reinforced by the attribution of Libra and the
kidneys, which cleanse waste from the body system.
この復活された純潔の考え方は、肉体組織から老廃物を浄化する、「天秤宮」と腎臓たち
の帰属により補強される。
--- ここまで ---

「11:正義」の持つ「sword/剣」には、「破壊」と「神聖化」の両面があります。
そして、その「神聖化」とは、現世においては「悪霊退散」という意味を持つものですが、
あの世、いやいや上位世界においては、この「11:正義」は調理師や彫刻家ですので、
その刃は、作品にとっての不要なものの除去、という意味で作用します。

そして、「11:正義」に配属される「天秤宮」は、占星術においては、人体器官の「腎臓
たち」を支配しているので、それが「剣」の持つ「神聖化」と同列に論じることが出来る
という、少々強引なこじつけとなっております。

でもまあ、この下界においては、「腎臓」により浄化されたものは「waste/老廃物」など
ではなく、「聖なる水」であるという考え方も一部にはありますので、そういう見方も、
あながち間違いではないかと思いますし、それに何より「腎臓」は、人体内部のバランスを
保ち、そして人体と外界とのバランスを保つための、とても重要な「要(かなめ)」の
器官であることも確かですしね。
0358名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/01(土) 06:48:10.81ID:E9xZVvMV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Another parallel, suggested by some writers, is that this Path relates to Purgatory,
a condition of consciousness after death where the soul is cleansed of the dross
of its earthly incarnation.
何人かの作家たちにより示唆された、もう一つの類似点は、この「小径」が、死後の意識の
状態であって、そこでは魂がその地上での肉体化の不純物から浄化される、「煉獄(れんごく)」
と関連することである。
--- ここまで ---

カバラ的な解釈ではない、伝統的な解釈においては、この「11:正義」は、死者の魂を裁く
「閻魔大王」みたいな存在であって、死者の魂は、その天秤による裁きに従って、天国逝き
となるか地獄逝きとなるかが決まるという役割があると言われています。

もちろん、この下位世界の範疇での解釈は、カバラによる解釈、つまり上位世界での解釈
とは相容れないものですので、無視しても良いレベルのものです。

というか、たとえこの「11:正義」が「魂の浄化」に関係するにしても、「死者の魂」が、
「11:正義」の「小径」を通じて「ティファレト」より上位のセフィロトに到達することは
出来ませんし、それゆえ我々は、ほぼ一方的に「11:正義」の恩恵を受けるだけの存在、
すなわち善人であれ悪人であれ、等しくその恩恵を受けて浄化され再生されてリサイクル、
いやいや輪廻転生を繰り返すということになるわけです。

じゃあ、カバラ的に言うと、どのカードが「閻魔大王」っぽいのかと聞かれれば、
ワタシ的には、「ティファレト」の下流である「13:死」「14:節制」「15:悪魔」あたりが
適当ではないかと思います。
まあ、デザイン的には、さらに下流にある「20:審判」のような気もするわけですが、
こちらは、死ななくても経験できる「小径」であることと、そもそも「母字の火」という、
宇宙の根源的な属性が付けられていますので、色々と面倒なんですよね。
とりあえず、ワタシの「閻魔大王」候補のイチ推しは、「11:正義」とは真逆のタイトルを
持つ「15:悪魔」あたりですかね。←個人的趣味ww
0359名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/02(日) 06:22:47.24ID:pLXACmBk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Pursuant to the idea of incarnation and reincarnation, this card is said to represent
Karma, a principle generally understood as the reaping by a newborn soul of what
it has sown in past lives.
肉体化と輪廻転生の考え方に従って、このカードは、それが過去の人生たちの中でずっと
種を蒔き続けてきたことの、生まれたての魂による刈り入れとして一般的に理解されている
原則である、「業(カルマ)」を表すと言われている。

Paul Case, however, insisting that the term has been often misunderstood, states
that what Karma really means is action.
しかしながら、ポールケース氏は、この用語がしばしばずっと誤解され続けていると主張
して、「業(カルマ)」が本当に意味していることは「行動」であると述べている。

This is an action which is a continuous adjustment.
これは、継続的な調整である行動である。
--- ここまで ---

「Karma/業(カルマ)」は、一般的には、輪廻転生における因果応報を意味する言葉で
あると考えられていますが、この言葉の元来の意味は、「行動/action」てす。

つまり、過去の善行や悪行などの結果に対する裁きなどではなく、現在の行動に対して
継続的な「adjustment/調整」を行うという、極めて現実的な作用を司るということで
あり、カバラ的には、「閻魔大王」のような役割を担うことは無いということです。

そもそも、「11:正義」の存在する上位世界においては、過去・現在・未来という実時間軸
そのものが無いわけですし、常に虚数時空で動いているというか、とにかく我々の概念
の持つ概念では掴み所の無い想像上でしかない世界ですので、あまり真面目に考えない
方がいいと思うのですよ。
つまり、白無地のパンツのみOKで、それ以外は禁止みたいな風紀委員的な下界の校則を、
この上位世界に持ち込むことは、いささか的外れであるということなんですよね。
0360名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/03(月) 06:04:11.95ID:awbDIxuY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---

He also describes this key as related to education, insofar as Lamed means to
teach. (*171)
彼はまた、「ラメド」が「教える」ことを意味する限りにおいて、この鍵が「教育」に
関連すると述べる。 (*171)

This is an especially interesting observation, not found elsewhere.
これは、他の場所には見られない、特に興味深い観察である。

The conscious maintenance of balance is definitely a learning process.
平衡の意識的な維持は、明確に学習過程である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*171)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
171. Case Introduction to Tarot, Lesson 6,6; Tarot Fundamentals, Lesson 25, 1ff.
171. ケース著、『タロット入門』、第6課、6ページ;『タロットの基礎』、第26課、
1ページ以降。
--- ここまで ---
とあります。

「ケテル」から発散したエネルギーが、「ティファレト」へと最初に収束する流れの制御
において、「炎の剣」のルート上にある「11:正義」が、非常に重要な舵取り役を担って
いるということは間違いないわけで、それゆえ優秀なる中間管理職であるとも言えます。
そして、その中間管理職の職務として、部下たちの教育を担っているというのも、確かに
一理あるわけで、このケース氏の思いつきは、決して悪くはないな、と思えるわけです。

とはいえ、「11:正義」を、我々が見習うと言われても、全く次元の違うものですので、
何を見習ったらいいのか、いまいち想像がつかないというのが、難点なんですよね。
0361名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/04(火) 06:29:21.72ID:o5I13Hc4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
We learn, often slowly and painfully, how to analyze and re-balance ourselves as
necessary for different situations.
我々は、しばしばゆっくりと苦しみながらも、種々の状況たちにおいて、分析し、必要に
応じて我々自身を再び平衡させる方法を学ぶ。

The more we learn of the inner worlds, the more subtle and difficult this becomes.
我々が内なる世界たちのことをより多く学ぶほど、これはより微妙で困難になる。

Perfect balance is a formula so precise that the Egyptians symbolized its delicacy
as the human soul weighed against a feather.
完全な平衡は、とても精密な式であるので、エジプト人たちは、人間の魂が羽と天秤に
かけられるとして、その繊細さを象徴した。
--- ここまで ---

ここの記述は、あくまでも「下の世界」での話であって、「11:正義」のある「上の世界」
の話とは全く異なることに注意が必要です。

ちなみに、最後の文は、古代エジプト神話にある、マアト女神による「死者の審判」の
話であり、彼女は、天秤の一方に「真実の羽根」を、そしてもう一方に「死者の心臓」を
置いて、その軽重を判定するというものです。

とはいえ、「11:正義」は、今まで述べているように、「死後の世界における審判」という
結果論者とか、結果だけを見て物を言う評論家などではなく、我々の生きる世界において、
あまねく世界の平衡を「上なる世界」から見えざる力で支配する、現役のプレイング・
マネージャーとしての役割を担っています。
この辺りの解釈の違いは、しょせん上なる世界なんて、我々には知る由も無いわけで、
どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、あまり「死後の世界」にこだわる必要も
ないよね、というのが、ワタシの考え方というか生き方なんですよね。
そもそも、そういう死後世界の話には、胡散臭いものが、ゴロゴロしていますしね。
0362名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/06(木) 06:03:13.86ID:odF1FVIR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
These ancients had a concept of "right, truth, law and rectitude" expressed by
the single word maat.
これらの古代人たちは、単一の単語「マアト」により表現される「正当、真実、法、および
正直」の概念を持っていた。

This originally meant "that which is straight," but came to mean also a rule, a
measure of some kind, or a law. (*172)
これは元来、「真っ直ぐであるもの」を意味していたけれども、規則、何らかの尺度、
もしくは法も意味するようになった。(*172)

Maat was symbolized by the feather, against which either the heart of the deceased
or his whole body was weighed.
「マアト女神」は羽により象徴され、それに対して、死者の心臓もしくは彼の全身のどちらか
が秤量された。
--- ここまで ---

ちなみに、(*172)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
172. Budge, Gods of the Egyptians, v. I, 417.
172. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第1巻、417ページ。
--- ここまで ---
とあります。

古代エジプト神話では、このマアト女神の「死者の審判」の話が有名ですが、実はそれ
以外にも大事な役割を担っているという話があります。
それは最初の宇宙の創造において、カオスな原宇宙に秩序をもたらし、そして、この秩序
ある宇宙を維持している普遍的存在であるという話です。
ワタシとしては、葬式宗教のネタにされるよりは、こちらの方が、「上位世界の存在」で
ある「11:正義」にふさわしい役割であるように思えます。
0363名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/07(金) 06:04:08.20ID:qzNMPVoC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
In illustrations, we find this weighing administered by Anubis, and the results
recorded by Thoth.
図解たちの中で、我々は、この計量が「アヌビス神」により管理され、そして結果たちが
「トート神」により記録されことを見つけ出す。

Crowley relates both of these Gods to the Nineteenth Path, STRENGTH, which is the
balance between Geburah and Chesed.
クロウリー氏は、これらの「神たち」の両方を、「ゲブラー」と「ケセド」の間の平衡で
ある、「19番目の小径」である、「力」と関係づける。

The implication is that the adjustment which takes place on the Twenty-Second Path
is administered and recorded through the processes of the Nineteenth Path.
その意味は、「22番目の小径」の上で行われる調整が、「19番目の小径」の過程を通じて
管理され記録されることである。
--- ここまで ---

「11:正義」の持つ平衡作用は、一見すると、「ゲブラー」と「ティファレト」の間にある
「22番目の小径」よりも、「ケセド」と「ゲブラー」との間にある「19番目の小径」、
すなわち「Strength/力」(クロウリー氏によると「Lust/欲望」)の位置にある方が、
何となくふさわしいようにも見えるのですが、この「倫理的三角形」の完全なる平衡を
保つことは、そんな単純なことではないという感じなんでしょうね。

ということで、クロウリー氏も、「生命の木」においては、この「8:調整」を、「22番目
の小径」に置いて、「ラメド」を割り当てています。
伝統的に「正義」に割り当たられていたカードの番号は「8」ということもあって、この
カード番号の付け替えという点において、色々と妄想の膨らむカードではあるわけですが、
最後は、理屈うんぬんの話ではなくて、どちらが気に入っているか、ということですので、
そもそも我々が知ることの出来る範囲外のことですし、この辺りのややこしい話には、
あまり深入りしない方が良いかと思います。
0364名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/08(土) 08:03:46.53ID:yWtOtvVC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
As a Goddess, Maat represented moral law and truth.
女神として、「マアト」は道徳的な法と真実を表していた。

She was, in essence, the personification of the concept of maat.
彼女は、本質的には、「マアト」の概念の人格化であった。

It is this Goddess who is shown on the Crowley card, crowned with her attribute,
the ostrich feather.
それは、彼女の属性である、ダチョウの羽で冠されて、クロウリー氏のカードにおいて
示されている、この女神である。

The weighing of souls is, of course, also implied in the Golden Dawn, Waite and
Marseilles versions, the latter two being medieval in tone.
魂たちの秤量は、もちろん、また、ゴールデン・ドーン、ウェイト、およびマルセイユの
版たちに暗示されており、後者の2つは、 中世風の色調である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、占星術の「天秤宮」に配属されていますが、占星術では、この天秤は、
ギリシア神話の正義と純心の女神である「アストライアー」の持つ天秤とされており、
そして、「アストライアー女神」は、一説では「処女宮」の女神であるとされています。
「処女宮」は「9:隠者」に配属されており、それゆえ「11:正義」と「9:隠者」は「生命の木」
においては、左右対称の位置になっていて、両者は補完関係にあります。

ちなみに、神話では、「アストライアー女神」は天界神として、最後まで人間の住む地上界
に残り、そして最後に人間を見限り、地上を去って天界に戻ったということになっており、
「22番目の小径」が、もはや地上界との接点を失ったことを暗示しているかのようです。

つまり、我々は、この「11:正義」の上位世界には戻れないというか、見ることも触れる
こともできないほど、下の世界に墜ちきった物質的存在であるということなんですよね。
0366名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/09(日) 07:24:36.27ID:9YDXqP3B
>>365
お気遣い、ありがとうございます。(^^)/

まあ、物事には両面というか様々な面がありますし、
こういう騒動も、色々と考えさせられるものもありますよね。

個人的には、怖いというよりも、中国人観光客が減ったので、
これを機会に、国内での観光騒動というか観光公害が、
落ち着いてくれればいいな、と思います。

バブルの時も、文化の担い手である街が破壊されましたが、
観光騒動でも、あちこちで古きものが壊滅していますしね。

新しいものの方が、外来からの観光客は呼べるとは思うのですが、
古くからの住民としては、どうなんだろうな〜、とは思うのですよ。
0367名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/09(日) 07:26:17.17ID:9YDXqP3B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
In the Golden Dawn card the figure of a woman rests her feet on a jackal, the animal
attributed to Anubis who supervises the weighing of souls.
ゴールデン・ドーンのカードでは、女性の人物像が、 魂たちの秤量を監督する「アヌビス神」
に帰属される動物である、「ジャッカル」に彼女の両足を載せる。

She holds scales which, as in the Crowley card, are black as a reference both to
Binah and to Saturn.
彼女は、天秤を持っており、それは、クロウリー氏のカードにあるように、「ビナー」と
「土星」との両方の参照として黒色である。

This means not only assessment, but restriction, which is also time, an important
aspect of the administration of the law.
これは、評価だけではなく「制限」も意味しており、それはまた、法の管理の重要な面で
ある、「時間」でもある。
--- ここまで ---

「生命の木」の「要(かなめ)」である「11:正義」には、色々と付加属性が付いている
というか、そもそも上位世界においては、全ての「セフィロト」と「小径」が関連して
いるように見えるため、もはや何でもあり、言いたい放題の状態となっています。
それは、要するに「我々の人智の及ばない世界」であるからに他ならないというわけなの
ですが、そういう意味では、上位世界のカードを語るには、我々は、とにかく適当な
コメントを付けて、自身の知らないことも、知ったかぶりの評論家のように、それっぽく
語らないといけないということでもあるわけです。
もちろん、「上の如く、下も然り」であるので、占い師の如く、「下の世界での例え話」
に徹しても良いわけですが、それだと、このスレに書く意味が無くなりますので、
なかなか悩ましいところなんですよね。

というわけでして、とりあえず今後も淡々と翻訳は進めていく予定ではありますが、
一方で、ワタシの解説文は、今後も着々と劣化していくわけでした。←開き直りww
0368名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/10(月) 06:16:49.35ID:t7q/ASZ3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
By contrast, the Waite version, as well as that produced by the BOTA, shows golden
scales, meaning that the individual soul is measured as it stands within the pure
golden Light of Tiphareth.
対照的に、ウェイト版は、BOTAにより制作されたものと同様に、金色の天秤を表しており、
個々の魂が、「ティファレト」の純粋な金色の「光」の範囲内に位置したままで測定される
ことを意味している。

It is only under this Light that the sword of Geburah does its work, as is suggested
by the Maat legend.
この「光」の下でのみ、 「マアト女神」の伝説により示唆されるように、「ゲブラー」の
剣は、その任務を果たす。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン&トート版と、ウェイト&BOTA版では、この「11:正義」の持つ天秤が、
「ビナー」属性なのか、「ティファレト」属性なのかという違いがあるということです。
ついでに言うと、マルセイユ版の「8:正義」の持つ天秤も金色系ですので、ウェイト版は、
それを踏襲しているというか、あえてそういう改変には乗らなかったと考えた方が良いかと
思います。

まあ、普通に考えれば、個々の魂の秤量に、偉大なる「ビナー」が関与するということは
考えにくいわけですし、そもそも「ティファレト」と「ビナー」の間の「小径」である
「6:恋人たち」の都合もありますので、「11:正義」の持ち物としては、「ゲブラー」の剣
だけにしておいた方が無難だと思うわけです。
そもそも、「魂の秤量」という仕事は、宇宙の平衡を司る「11:正義」の本来の仕事では
なく、あくまでも下々向けのサービスとして行っているものですので、そこに「ビナー」
が関与するようなものではありません。
つまり、もし「ビナー」の天秤が関わるのであれば、それはあくまでも宇宙の平衡のため
であって、そこには、「魂の秤量」とか「生前の善行」とかいう下々の概念は、何の関係も
無いということぐらいは、理解しておく必要があるということですよね。
0369名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/11(火) 06:00:17.38ID:RlpptinX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
Maat relates to the Sun God, Ra.
「マアト女神」は、「太陽神」である、「ラー」と関連する。

She is, in fact known as the "Daughter of Ra," as she is Qabalistically named the
"Daughter of the Lords of Truth."
彼女は、彼女が、カバラ主義者的に「真実の主の娘」と名付けられたように、実際に、
「ラーの娘」として知られている。

The Egyptians also called her "Queen of Heaven."
エジプト民族はまた、彼女を「天の女王」とも呼んだ。
--- ここまで ---

「マアト女神」である「11:正義」の「小径」は、カバラの「生命の木」理論によれば、
「太陽」である「ティファレト」とは、極めて密接な関係があります。
つまり、太陽の輝きのエネルギーの大部分は、炎の剣ルートである「11:正義」の「小径」
を通じてもたらされるということであり、それゆえ「11:正義」は、「太陽神」よりも
上位の存在であると考えられるわけです。

ちなみに、「11:正義」の「小径」を通過して「ティファレト」に至ることが出来るものは、
理論上その全てが「Truth/真実」であるということになります。
少々見方を変えるため、「Truth/真実」を「True/真」と言い換えますが、それでは
「ティファレト」へと流出できない「False/偽」は、どこに行くのかと問われれば、
それは上位世界に留まるということになります。
つまり、上位世界の真偽が混沌とした世界から、様々なルートを通じて、純粋に「真なる
もの」が「ティファレト」へと導かれてくるわけですが、その中でも最大のものが、この
「11:正義」からの流れであるという話になるわけですよね。

ついでに言うと、似たような概念として、「Real/実」と「Imaginary/虚」がありますが、
こちらは、より下位の概念であり、下界においても混沌として不可分なものとなっています。
0370名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/13(木) 06:27:36.36ID:UDupXCcQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
Most important is that Maat is the regulator of the Path of the Sun.
最も重要なことは、「『マアト女神』が『太陽の経路』の調節者である」ことである。

The Egyptian texts suggest that it is through Maat that the Sun subsists, for Ra
is said to "rest upon Maat," and to "live by Maat." (*173)
エジプト語の原文たちは、「ラー」が「マアトで休む」、そして「マアトで生きる」と言わ
れているので、「マアト」を通じて「太陽」が存続していることを示唆している。 (*173)

In our terms this means that the principles of The Path of JUSTICE maintain
Tiphareth.
我々の用語においては、これは、「正義」の「小径」の原則たちが、「ティファレト」を
維持することを意味する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*173)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
173. Crowley, 777, 40.
173. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。
が、探してみたけど、そのような記述がありませんでしたので、未確認です。

とりあえず、古代エジプトの太陽神「ラー」と、真実の女神「マアト」の関係性は、
「生命の木」における「ティファレト」と「11:正義」の小径の関係性に相似していると
いうことですよね。
ちなみに、「マアト」は「ラー」の娘という扱いですので、成人した独身の娘に導かれて、
一日一回、天空の散歩道を介護されて歩く老父の姿を想像してしまうのですが、そもそも
「ティファレト」は「王子」扱いとなっていますので、どちらかというと、老父ではなくて
ヒモとしての扱いになるということで、いいんでしょうかね。←絶対に違うww
0371名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/14(金) 06:17:42.10ID:2m+4554l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
But insofar as Ra is the source of all Light, he is also THE FOOL.
しかし、「ラー神」が全ての「光」の源である限りにおいては、彼はまた「愚者」でもある。

Thus one can paraphrase, and say that Aleph rests upon Lamed and that Lamed is the
regulator of the Path of the Divine Life Force.
従って、言い換えれば、「『アレフ』は『ラメド』で休み、そして『ラメド』は『神の
生命力の経路』の調節者である」と言うことができる。
--- ここまで ---

古代エジプトの太陽神「ラー」と、真実の女神「マアト」の関係性が、いつのまにか
「0:愚者」と「11:正義」の関係に飛び火してしまいましたが、この辺りのネタの混乱、
いやいや密接な関係性については、クロウリー氏の『法の書』や『777の書』などにも、
色々と書かれています。

まあ、上位世界を直接語ることは難しいので、とりあえず「アレフ=牛」と「ラメド=
牛突き棒」という、分かりやすい関係性から、色々と想像を膨らませてみようということ
なのですが、この辺りは、理屈でうんぬんと言うよりは、言ったもん勝ちという面もあり
ますので、良い子は、あまり深く詮索しないようにしましょう。

いずれにしても、「11:正義=ラメド=牛突き棒」は、源泉である「ケテル」から噴き出す
エネルギー流を、きちんと中間チェックポイントである「ティファレト」へと集束させる
ための、制御弁というか姿勢制御弁みたいな役割を果たしており、それなくしては「生命の
木」の構造を維持できないという、非常に重要な役割を担っているわけですが、それは
どちらかというと「裏方の仕事」でもあるわけで、そのため、我々はあまりその働きを
直接知る機会は無いんですよね。
まあ、「11:正義」が何かのヘマをやって問題が起きれば、その働きを見ることは出来るの
ですが、そもそもヘマをやれば、この宇宙が消滅して、我々も消滅してしまいますので、
我々はそれを実際に経験することは、絶対に叶わないのでした。
つまりは、「11:正義」の真の姿は、誰も知らないということなんですよね。
0372名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/15(土) 06:37:39.53ID:SaRqDxiN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
The relationship between Aleph and Lamed conceals the greatest secret of the Tarot,
one which is, as Crowley said "beyond all planetary and zodiacal considerations,"
meaning Kether!
「アレフ」と「ラメド」の間の関係は、タロットの中で最も偉大なる秘密を隠しており、
その一つは、クロウリー氏が、「全ての惑星と黄道十二宮の考慮たちの範囲を超えて」と
言ったように、つまりそれは「ケテル」を意味する!

In his Book of the Law, [lamed][aleph] is the key to the entire Universe, revealing
a mystery of unspeakable profundity.
彼の『法の書』において、[lamed][aleph] は、「宇宙」全体への鍵であり、語ることの
できない深遠なる神秘であると明かしている。

On the Tree of Life, [lamed][aleph] is also the God Name of Chesed, the Demiurge
(Lesser Creator) from which Microprosopus is formed.
「生命の木」においては、[lamed][aleph]はまた「ケセド」の「神名」でもあり、そこから
「ミクロプロソプス(小さな顔)」が形成される「デミウルゴス(小さい創造主)」である。
--- ここまで ---

この「アレフ」と「ラメド」の関係性は、クロウリー氏が注目していて、彼の著作である、
通称『Book of the Law/法の書』、正式タイトルは『Liber AL vel Legis/ALもしくは
法の書』の中で語られています。(ワタシは読んだことは無いですけど。)

まあ、何が言いたいかと言うと、「アレフ=0:愚者」と「ラメド=11:正義(8:調整)」は、
互いに補完し合って、この宇宙全体を創造したということであり、そして、「ケテル」から
最初にカオス的に出てくる「0:愚者」の「小径」と、最後に整った形で「ティファレト」に
入ってくる「11:正義(8:調整)」の「小径」の位置関係というか、その機能性の関係という
のは、なかなかに良く出来た相互補完的な関係であるということですかね。

まあ、よくわかんないけど。
0373名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/16(日) 06:29:17.69ID:Vv9AFYZ1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
A great many planets are involved in this card.
非常に多くの惑星たちが、このカードに巻き込まれている。

First is Venus, which rules Libra, to which this Path is directly attributed.
1番目は「金星」であり、それは、この「小径」が直接帰属される、「天秤宮」を支配する。

Mars is related because this is an exercise of the purging energies of Geburah.
「火星」は、これが「ゲブラー」の粛正する精力たちの執行であるために、関連している。

The Sun is involved not only because the Path runs from the Sun to Mars, but
because Justice must take place in the clear bright sunlight of Truth.
「太陽」は、「小径」が「太陽」から「火星」に達するというだけでなく、「正義」は
「真実」の明瞭な明るい太陽光の中において行われなければならないというためにも、
巻き込まれる。

Saturn has already been mentioned, and is exalted in Libra.
「土星」は、すでに言及されており、そして、「天秤宮」においては高揚される。

Finally there is Jupiter, Planet of Chesed, and of [lamed][aleph].
最後に、「木星」は、「ケセド」の、そして [lamed][aleph]の「惑星」である。
--- ここまで ---

もはや何でもありのカオス状態ですが、そもそも上位世界の存在というのは、下界から
見れば、無敵というか、およそ意味わかんないほどの「何でもあり」の状態ですので、
ここで深く詮索する意味は全くありません。
そもそも、下界の我々が知る「惑星」の意味は、上位世界においては、何の意味も価値も
ありませんので、こういう関連付けは、宇宙の神秘を解き明かすというような学術的な
意味合いではなく、あくまでも妄想作品、いやいや神秘文学作品を生み出すための「ネタ」
としてのみ存在価値があるということに、留意しておく必要があるわけなのでした。
0374名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/18(火) 05:47:51.39ID:5Rq1DFZC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
To state that Libra is ruled by Venus is also to state that behind JUSTICE stands
THE EMPRESS, the primary Path of Venus which is the perfect balance between the
energies of Chokmah and Binah.
「天秤宮」が「金星」により支配されると述べることは、「正義」の後ろに、「コクマー」
と「ビナー」の精力たちの間の完全な平衡である「金星」の主要な「小径」である、
「女帝」が立っていると述べることでもある。

The reference is also to the nature forces of Netzach.
参照はまた、「ネツァク」の自然の力たちにも当てはまる。
--- ここまで ---

「小径」に配属された「宮」を支配する惑星は、それ自体が「小径」と「セフィロト」
にも配属されていますので、それらとの間の関係を妄想する、いやいや考察することは、
それなりに興味深いことでもあります。

とはいえ、それらの間には、「レベル(相)の違い」があるということを、常に意識して
おかないと、ミソクソになってしまうという懸念もあるわけですが、まあしょせん上位
世界は、何を言っても許されるミソクソ状態ですので、そこまで気にする必要も無いと
言えるのかもしれません。
というか、考慮しようとしても、何をどう考慮すればいいのかさえ分かりませんので、
各自が好きなように妄想を繰り広げるという方が、いいのかもしれませんしね。

ということで、「11:正義」は、「3:女帝」という後ろ盾を得て、もはや敵なしの状態
となってしまったわけですが、それらの無敵エネルギーは、「金星」という象徴として、
「ネツァク」を通じて、我々にもたらされるという構図になっているというわけです。
そして、この「金星」つながりという観点から見えることは、それが我々の「芸術」と
いう才能に繋がっているのではないかという点ですよね。
つまり、この「11:正義」が、美術家や舞踏家、そして音楽家などにも見えることは、
ある意味、正しいことなのかもしれないということなのでした。
0375名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/19(水) 06:11:01.23ID:gP3EpdKB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Having noted that Lamed in some way refers to all of the Twenty-Two Paths and Hebrew
letters, it is interesting to recall that Venus refers to all of the Sephiroth.
「ラメド」が、何らかの方法で、「22の小径たち」と「ヘブライ文字たち」の「全て」を
参照することに注目することで、「金星」が「セフィロト」の全てを参照することを
思い出すことは興味深い。

Venus is the only planet whose symbol encompasses every single Sephira on the
Tree of Life (see Figure 14), the implication being that love is the ultimate
power of the Universe.
「金星」は、その記号が、「生命の木」(図14を見よ)の全ての単一の「セフィラ」を
包含する唯一の惑星であり、愛が「宇宙」の究極の力であることを意味する。

Thus, to say that Venus rules Libra-Lamed is to say: That which encompasses all
of the Sephiroth rules that which encompasses all of the Paths.
従って、「金星」が「天秤宮」−「ラメド」を支配すると言うことは、以下のように言う
ことである:「『セフィロト』の全てを包含することは、『小径たち』の全てを包含する
ことである。」
--- ここまで ---

まあ、要するに「もはや何でもあり」ということですのて、細かい説明は、もはや不要で
あると思われます。
とはいえ、こういう「11:正義(8:調整)」の無敵補正は、クロウリー氏の『法の書』に
由来する独自の考え方が入っていますので、トート版を使う際には、その点に留意する
必要があります。

ちなみに、この「Figure 14/図14」は、この本の中には、それに相当するものはありま
せんが、これはおそらく、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識
講義」にある、金星の占星術記号と10のセフィロトの関係を表した図のことを指している
ものと思われます。
0376名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/21(金) 05:52:08.12ID:IQWAdNkB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
This may be understood by again considering the idea that the Sephiroth are
objective, while the Paths are subjective.
これは、「セフィロト」が客観的であり、一方で「小径たち」は主観的であるという
考え方を再度考慮することにより理解されるかもしれない。

Objectivity and subjectivity are complementary conditions.
客観性と主観性は、相補的な状態たちである。

One cannot exist without the other, any more than the color red can exist without
the possibility of green, or the energies of Mars can exist without those of Venus.
赤色は緑色の可能性なしで存在できない、もしくは、「火星」の精力たちは「金星」の
それらなしで存在できないのと同じように、一方は他方なしでは存在できない。
--- ここまで ---

「生命の木」の対称性と補完性は、今までさんざん言い尽くされてきた感がありますが、
その考え方は、今後の上位世界の詮索に対しても有効です。
とはいえ、我々の知る対称性と補完性というのは、低次元の下位世界の話であるので、
その感覚を上位世界に持ち込んだところで、何の役にも立たないというのが実情です。
つまり、下々の例え話は、上位世界の理解には、何の役にも立たないのです。

とはいえ、下位世界においては、それなりに役に立ちます。
つまり、占いなどの用途には、使おうと思えば使えるわけです。

これは、「カバラ」により宇宙を理解してみたい人にとっては、何とも悩ましい問題なの
ですが、今のところ、ここが人間の理解の限界というか、まあ、ワタシの個人的能力の
限界だと思うのですが、もはやワタシの「魂に届く」ものでは無くなっているわけです。
それゆえ、いいかげんというか、いまいちヤル気の無いフラット気味の文章になって
しまっているのは否めないわけですよね。
というわけで、これからも惰性だけで続けていこうと思っているのでした。
0377名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/22(土) 07:12:20.25ID:nlYfUvX2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Even the floor of the Golden Dawn card, on which lies the jackal of Anubis, refers
to a complementary condition, that of Greater and Lesser Creators: The white
(which actually represents pure brilliance) is Kether, while purple is the color
of Chesed in Atziluth.
「アヌビス神」のジャッカルが横たわっている、ゴールデン・ドーンのカードの床でさえも、
「大小の創造主たち」のそれである、相補的な状態を参照する:「白」(それは実際、
純粋な輝きを表す)が「ケテル」であり、その一方で、「紫」は「アツィルト界」での
「ケセド」の色である。

All of the symbolism here points to the idea that this figure is keeping opposites
in balance.
ここでの象徴性の全ては、この人物像が、平衡を保って反対する物たちを保持するという
考え方を示す。

It is a regulator of energy.
それは、精力の調節者である。
--- ここまで ---

この「アヌビス神」は、「マアト女神」の監督の下に、「死者の審判」を執り行うと言われ
ている、ジャッカルの姿をした冥界の神です。
ゴールデン・ドーン版カードでは、「11:正義」の足元に、横たわるジャッカルが描かれて
おり、その床には、白と紫のチェス盤のような格子模様が描かれています。
まあ、「アツィルト界」での「ケセド」の色は、「purple/紫」ではなく「Deep Violet/
深菫」じゃないのか、というツッコミはおいといて、このカードデザインのあちこちに、
相補的な状態を参照するものが見受けられます。
これは、「Greater Creator/大創造主」により創造された宇宙が、この「11:正義」により、
「ティファレト」までは、完全に平衡が保たれているけれども、「ティファレト」以降では、
その完全なる平衡が崩れ、その結果として、「Lesser Creators/小創造主たち」による、
平衡の崩れた物質宇宙が生み出されたという解釈でいいんでしょうかね。
0378名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/23(日) 07:26:41.57ID:EwyPGltX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Perhaps surprisingly, Waite emphasizes the Mars aspect of JUSTICE over its Venus
aspect by having the figure clothed primarily in red.
たぶん意外なことに、ウェイト氏は、主として赤色の服を着た人物像を持つことにより、
その「金星」の様相の上の「正義」の「火星」の様相を強調する。

And if his card is considered on the pattern of the Tree of Life (when the card
is placed on the Path of Lamed) it will be seen that the raised sword points to
Geburah while the scales are lowered in the direction of Tiphareth.
そして、もし彼のカードが「生命の木」(カードが「ラメド」の「小径」の上に置かれる
場合)の様式において考慮されるならば、持ち上げられた剣は「ゲブラー」を指し、一方で
天秤は「ティファレト」の方向に下げられていることがわかるであろう。

The same purple as in the Golden Dawn tile floor appears on the cloth of honor
behind the figure.
ゴールデン・ドーン版のタイルの床にあるのと同じような紫色が、人物像の背後にある
「名誉の布」に現われる。

The background itself is yellow, meaning Tiphareth.
背景それ自身は、「ティファレト」を意味する黄色である。
--- ここまで ---

ウェイト版のデザインは、ちょっと独特に見えるのですが、赤いガウンを着た上に、緑の
ケープを纏っているので、基本的には、ゴールデン・ドーン版の思想を踏襲しているもの
と思われます。
あと、ウェイト氏自身は、「11:正義」と「2:高等女司祭」の類似性について言及していま
すので、そちらの面から考察してみるのも、何かの役に立つのではないかと思われます。

まあ、後は、色々とありすぎて、というか、ほぼ何でもありですので、よくわからないと
いうのが実情ですよね。
0379名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/25(火) 05:54:33.13ID:m909mjoF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
The differences in the colors of the three versions of JUSTICE point out the
differing concepts of the designers.
「正義」の3つの版たちの色の違いは、図案家たちの異なる概念を指摘する。

The Golden Dawn emphasizes green, flashing against a red throne with a pale blue
background.
ゴールデン・ドーンは緑色を強調し、薄い青色の背景を持つ赤い玉座に対して際だっている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版は、ウェイト版とトート版の元になっているデザインですが、
見た目は、ウェイト版やトート版とは、少々異なって見えます。
つまり、マサース氏による「11:正義」の改変をベースにして、伝統的風なデザインに
戻したのがウェイト版であり、その一方、さらなる独自の改変を施したのがトート版で
あるということですかね。。

さて、その元となったゴールデン・ドーン版ですが、ぱっと見た感じとしては、
・上からの白い光=ケテル
・右の白っぽい柱=コクマー
・左の黒っぽい柱=ビナー
・背景の青=ケセド
・玉座の赤=ゲブラー
・服の緑(エメラルドグリーン)=22番目の小径
という感じで、上位世界の各種象徴が、幕の内弁当のように勢揃いしています。

つまり、下の地位にありながら、上位世界を監督する立場というか、統括者というか、
最終的な責任者としての役割を担わされていることを暗示しているわけです。
その場合、上位存在を、剣で威圧的に管理することなどは出来ないので、この剣は武力
などではなく、天秤と同じように、一種の道具として利用していると推定できるわけで、
ワタシには何となく、実務的な調理人や薬剤師にも見えたりするわけなのでした。
0380名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/27(木) 06:02:55.37ID:tY6sw0IX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Crowley's card relies on the blues and greens of the Twenty-Second Path in the
Four Worlds.
クロウリー氏のカードは、「四つの世界」における「22番目の小径」の青色たちと緑色たち
に依存する。

The blues are especially vibrant as a reference to the effect of Jupiter on the Path.
青色たちは、「小径」に対する「木星」の効果への参照として、特に鮮やかである。
--- ここまで ---

ウェイト版の特徴は「火星」の赤色で、ゴールデン・ドーン版では「22番目の小径=天秤宮
=金星」の緑色でしたが、トート版では、「木星」の青色が強調されているということです。

というか、トート版では、他の版にある火星の赤色が無いというのが特徴であり、それは、
カードの女性像が持つ剣の剣先が下を向いていることからもわかるように、火星的な暴力性
が全く感じられないということからもわかります。
つまり、この剣は、物理的な武力行使を示すようなものではなく、何らかの魔術的な道具と
いうか、エロ目線的に言うと、女性像の股間と胸に挟まれたタマタマ付きのイチモツになって
いるわけであって、要はそういう働きがあるという感じになっているわけです。
そして、他の版では、左右非対称の構図でしたが、トート版では、左右は完全な鏡像では
ありませんが、ほぼ左右対称と言えるようなバランスの良い構図になっています。
これは、彼女自身の姿で、「天秤」を体現しているということであり、剣の「火星」面を
彼女の「金星」面で、しっかりと受け止めているということですよね。

まあ、どちらが良いとか悪いとか言うものでもありませんし、どれが正解ということでも
ありませんが、こういう細かいところに、デザイナーのこだわりが見えているというか、
トート版においては、他の版とは異なる、かなり特殊な性癖、いやいや役割を負わされて
いるという点においては、とても興味深いカードとなっているわけです。
0381名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/28(金) 06:14:27.07ID:OwWIt9Sp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Crowley's Adjustment is among the most abstract of his Keys.
クロウリー氏の「調整」は、彼の「鍵たち(大アルカナ)」の中で最も抽象的なものの
一つである。

He calls the figure not only the Goddess Maat, but also Harlequin, "the partner
and fulfillment of THE FOOL."
彼は、人物像を「女神マアト」だけでなく、また、「『愚者』の協力者であり成就」で
ある、「ハーレクイン」と呼ぶ。

The figure stands within a diamond-shape which is the Vesica Piscis.
人物像は、「魚の浮袋」である、ダイアモンド形状の内に立っている。
--- ここまで ---

トート版の「8:調整」の複雑さは、クロウリー氏が、このカードの中に、無節操とも
思われるほど、様々な意味と役割を当てはめていることが原因です。

その一つは、この人物像に、「マアト女神」だけでなく、「ハーレクイン(道化者)」と
いう役を割り当てた上で、「0:愚者」を補完し成就させるという役割を持たせたことです。

これにより、「AでありLである(アレフでありラメドである)」の「8:調整」と、「Aで
ありTである(アルファでありオメガである)」の「21:宇宙」とは、相似した関係となり、
「0:愚者」と「21:宇宙」が、「ケテル」と「マルクト」を直接繋ぐのに対し、「0:愚者」
と「8:調整」が、「ケテル」と、「劣化ケテル」であり「未劣化マルクト」でもある
「ティファレト」を繋いでいるという関係が成立するため、それゆえ、「8:調整」は、
上位世界における「21:宇宙」であると見なすことができるわけです。

ちなみに、「Vesica Piscis/魚の浮袋」は、2つの弧が交差する魚の形のデザインのこと
なのですが、なぜそれを、人物像の外形の「diamond-shape/ダイアモンド形状」に適用
するのかは、いまいち不明となっております。
0382名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/29(土) 06:55:33.28ID:isLKXBzq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Behind her is a throne of spheres and pyramids, in groups of four, meaning "Law
and limitation."
彼女の背後には、「法と制限」を意味する、4つの集団たちになった、球体たちと角錐たちの
玉座がある。

This is another reference to Chesed.
これは「ケセド」への別の参照である。
--- ここまで ---

トート版の女性像の背後には、不思議な形をした玉座があります。
その玉座には、上に4個の球、下に4個の球があり、上下それぞれが双角錐で結合されて、
4つのグループを形成しています。
そして、それぞれのグループの球は、綺麗な青色と、少し濁った緑色のペアとなっており、
それぞれでバランスを取っています。
この青や緑の色は、「11:正義(8:調整)」の「22番目の小径」の色を反映しており、そして
「4」というグループの数は、「ケセド」に関連するということになります。

ちなみに、「22番目の小径」の色は、以下のようになっております。
・アツィルト界:Emerald-Green/エメラルド・グリーン
・ブリアー界:Blue/青
・イェツィラー界:Deep blue green/深青緑
・アッシャー界:Pale Green/薄緑

あと、カードの四隅のそれぞれにも球体があって、そこから光線のような何かが発せられて
おり、「21:宇宙」に似たデザインであることが分かります。
まあ、「21:宇宙」の方は、様々な分化が進んでいて、割とカラフルな色調である一方で、
「8:調整」の方は、まだまだ分化が進行していない状態であることと、「8:調整」の女神が
着衣姿であって、真の神秘を隠蔽しているのに対し、「21:宇宙」の女神は、もはや何も
隠すものがない状態であることが、大きな違いですかね。
0383名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/01(日) 06:28:41.24ID:OF7JqzuE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
As Maat she wears ostrich feathers, with the Uraeus serpent, Lord of Life and Death,
on her forehead.
「マアト女神」として、彼女は、ダチョウの羽毛たちを身に纏い、彼女の額に、「生と死の
主」である、「ウラエウス(蛇形記章)」のヘビを着けている。

She holds the Sword (a male symbol in this context) in such a way as to suggest
sexual union, and the "completion" of the female.
彼女は、性的な結合、および女性の「完成」を示唆するような方法で、「剣」(この文脈に
おいては男性の象徴)を保持する。

This is what is described in 777 as "The Woman justified. By equilibrium and
Self-sacrifice is the Gate." (*173)
これは、以下のように、『777の書』に記述されている。「正しいとされる女性。平衡と
自己犠牲により門がある。」(*173)
--- ここまで ---

ちなみに、(*173)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
173. Crowley, 777, 40.
173. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「8:調整」の女性像のデザインは、クロウリー氏の『トートの書』の記述とは
異なり、「有翼のマアト女神」をモチーフにして、肩からショールのような形をした翼を
纏い、頭には「ウラエウス(蛇形記章)」を模したものを被っています。
そして、乳首が透けるほどの薄い衣を着て、その豊満な胸に剣の柄を押し当て、さらに、
すらりと伸びた両足で、剣の刃を挟み込むという構図は、「金星」と「火星」の性的結合、
すなわち「生と死」を意味しているかのように、かなり妖艶なものとなっております。
0384名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/02(月) 06:19:09.84ID:ycKWu6/V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
A scale, springing from a point above her head, weighs all that is in creation,
the Alpha and the Omega.
秤が、彼女の頭の上の先端から湧き出ており、「アルファ」と「オメガ」である、創造の中に
「ある」ものの全てを秤量する。
--- ここまで ---

「11:正義」において、最も重要な象徴である「天秤」については、あまり多くは語られて
いませんので、少々補足しておこうと思います。

トート版の「8:調整」の「天秤」は、鎖で繋がれた皿が真下にぶら下がっていなくて、
斜めになっており、物理法則的に見ると、とてもおかしな姿になっています。
そもそも、こんな形状の天秤では、両方の皿がぶつかってしまい、まともに計量することは
出来ない欠陥品ですしね。
つまり、この天秤は、普通に重力で働いているわけではないということであり、重力とは
無関係の何かであり、すなわち物質を秤量するためのものではない、特殊な働きをして
いるということが推察されるわけです。

『トートの書』によれば、天秤の皿に載せられているのは、「アルファ」と「オメガ」で
あり、それはすなわち「アレフ=0:愚者」と「タウ=21:宇宙」であるということであり、
そしてそれらを「ラメド=8:調整」が秤量しているということになっているわけです。

これが何を表しているのかというと、要は「天地創造」という物質世界を創造するための
前準備としての「秤量」、そして下なる「顕在化」という作業であると推察できます。
つまり、この2つの皿で秤量された両極端にあるものたちが、女神像の、透けた両乳房と
隠された女性器、そして剣の男根作用により、新たな生命として生み出され、それが剣の
刀身を伝って、女神の足元にある下界、すなわちティファレトへと流れ出していくという
構図になっているという妄想が成立するわけです。
つまり、この女神像は、我々宇宙を生み出す、「原初の大母」としての働きがあるという
ことであって、やっばり、節操なしに何でもありのカードだと思うのでした。
0385名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/03(火) 06:09:22.38ID:LqmYmOUP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
She is total equilibrium, yet in constant motion: "She is the ultimate illusion
which is manifestation; she is the dance, many-coloured, many-wiled, of Life itself.
彼女は、完全な平衡であるが、さらにまだ絶えず動き続けている:「彼女は、顕在化
である究極の幻想である;彼女は、『生命』それ自身の、多色で、多岐の、踊りである。

Constantly whirling, all possibilities are enjoyed, under the phantom show of
Space and Time; all things are real, the soul is the surface, precisely because
they are instantly compensated by this Adjustment.
絶えることなく回転し、すべての可能性たちは『空間』と『時間』の幻想的な見せ物の
もとで楽しまれる;全ての物たちは現実であり、魂は見かけであって、なぜなら、まさに、
それらは直ちに、この『調整』によって補償されるからである。

All things are harmony and beauty; all things are truth: because they cancel
out." (*174)
全ての物たちは、調和と美である;全ての物たちは真実である:なぜなら、それらは
釣り合っているから。」 (*174)
--- ここまで ---

ちなみに、(*174)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
174. Crowley, Book of Thoth, 87.
174. クロウリー著、『トートの書』、87ページ。
--- ここまで ---
とあります。

前の節で、トート版の「8:調整」の「天秤」は、鎖で繋がれた皿が真下にぶら下がって
いないことについての考察を書いていますが、実はここにも、その要因となるものが
示唆されています。
(次に続く)
0386名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/03(火) 06:12:53.65ID:LqmYmOUP
(前の続き)

それは、「Constantly whirling/絶えることなく回転」しているという点です。
つまり、剣を駒の中心軸として高速回転することで遠心力が生まれ、その働きによって、
両方の皿が、外へと広がっているという構図になるわけです。
つまり、普通にスタティックなバランスを取っているのではなく、少し高度とも言える
ダイナミックなバランスを取っているということです

要は、トート版の「8:調整」の女性像は、一見すると静止しているように見えますが、
実は「回転運動」という激しい踊りを舞っているということなんですよね。

あと、「8:調整」が高速回転するということは、それ以前に「Space/空間」と「Time/
時間」が存在している必要があるわけですが、それについては難しい話になりますので、
避けておきたいと思います。

あと、クロウリー氏は、その他にも色々と述べていますが、そのほとんどは意味不明で
あるというか、ワタシには理解不能であって、そもそも何でそんなに「何でもあり」に
しなければならないのかも理解不能なのです。

そもそも「8:調整」の名札を付けているわけですし、あくまでも全体的な調整役ということで
いいんじゃないのかなぁ、と思うわけですよ。

ということで、属性テンコ盛りの「8:調整」の解説は、うやむやのままで終わりたいと思います。
0387名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/05(木) 05:51:37.41ID:AydUrsHn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
21. THE PATH OF CAPH
21. 「カフ」の小径

The Wheel of Fortune
運命の輪

The Tenth Key
10番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「カフの小径」です。

この小径は、前に出てきた「12:吊られた男」と対を成すカードであり、そして前に述べた
ように、我々は、この小径に入ることは出来たとしても、決して通過することは出来ない、
究極の「トラップカード」であることを思い出してください。

とはいえ、直前の「11:正義」のように、もはや地に足が着いていないシロモノではない
ので、まだ何と無くヤバそうな雰囲気を感じることが出来るわけですが、いずれにしても
我々の知恵が及ぶ範囲にある最後の地点であるわけですし、ちょっと気合いを入れ直して、
進みたいと思います。
そして、このカードが終われば、またもやグダグダのカオスに足を踏み入れるという
ことになるわけですよね。

そういえば、「Fortune」を「幸運」と勘違いして、「ラッキーカード」とか言っている
人も多くいるわけですが、このカードに描かれている怪しげな車輪やスフィンクスなどの
動物像は、どう見てもヤバそうな感じしかしないわけです。
それに、そもそも人の幸運というのは、こんなに高い次元にあるものでもないですしね。
0388名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/07(土) 07:36:59.31ID:oR2QsoD1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
□ PATH COLOR: Violet
□ 「小径の色」:「菫(すみれ)色」

□ RELATED SOUND: A Sharp
□ 「関連した音」:「Aのシャープ」

□ PLANET: Jupiter
□ 「惑星」:「木星」

□ MEANING: Fist
□ 「意味」:「握った手」

□ DOUBLE LETTER: Riches-Poverty
□ 「複字」:「富と貧乏」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Forces of Life
□ 「秘伝的な称号」:「生命の力たちの主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、固く握られた「拳骨」と、ヘブライ文字の「カフ」と、
「木星」の占星術記号、および「生命の木」における「カフの小径」の位置が図示された
絵が描かれています。

「10:運命の輪」に、複字の「Riches-Poverty/富と貧乏」が割り当てられているという
のと、秘伝的な称号に「生命」が関連していることは、ここが宇宙の生命の全てに深く
関わっているということを示唆しているわけで、深掘りしていくと、結構面白そうです。
まあ、我々にとっては、あれこれと詮索できる最後のカードですし、「ケセド=木星」に
アプローチできる最初で最後の「小径」でもあるわけですので、色々と妄想力を高めて、
頑張ってみようかな、と思わせてくれるカードなのでした。
0389名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/09(月) 05:59:24.40ID:/YdLnBcc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-first Path is the Intelligence of Conciliation,
and is so called because it receives the divine influence which flows into it from
its benediction upon all and each existence.
「知恵の32の小径たち」:「21番目の小径」は「調停の知性」であり、なぜならそれは、
全てと各々の存在の上のその祝福から、その中に流入する神の影響を受け取るために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

ちなみに、「Intelligence of Conciliation/調停の知性」の部分は、他の原本では、
「Intelligence of Conciliation and Reward/調停と報酬の知性」となっていましたので、
あまりメジャーでない版の引用か、もしくは誤記のどちらかだと思われます。
意味的には、単に「調停の知性」だけだと、上から単に受け取るだけで、下界には何もして
くれないのか、という疑問が湧きますので、ワタシとしては、「調停と報酬の知性」の方が、
やりがいがあるわけです。

とりあえず、「カフ」の文字の意味が「Fist/握った手」であることを考えれば、上からの
何かを受け取るという作用は、何と無くわかりますし、そして受け取ったものは、そう
簡単には下には開示されないというのも、何と無く分かります。
ちなみに、この「10:運命の輪」の「カフ」の「Fist/握った手」に対応するものは、
「9:隠者」の「ヨッド」の「Hand/(開いた)手」ということになりますかね。
要は、通常モードでは、この「小径」からの流出は固く閉じられているけれども、何かの
トリガがあれば、「Reward/報酬」として、下に流出する可能性がある、ということなの
ですが、それが何を意味するのかは、これからぼちぼちと探っていきたいと思うのでした。

なお、多忙ゆえ、書き込みペースが数ヶ月ほどダウンしますので、ご了承ください。m(_ _)m
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