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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net
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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
垢版 |
2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0189名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/22(月) 06:29:10.42ID:uz8nCwnx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
He makes a further statement by having the tip of the male organ outside the card,
symbolically in the greater heavens, while the testicles contain the bound-up forms
of physical manifestation.
彼は、男性器官の先端を、象徴的に、より大きな天界の中である、カードの外側に置き、
その一方で、睾丸が物質的な顕在化の拘束された形状たちを包含することによる、さらなる
供述を行う。
--- ここまで ---

「male organ/男性器官」、要するに、おちんちんのことですが、トート版「15:悪魔」
には、「首領達人の棒」のおちんちんと、山羊の背後にある山のように見える「木の幹」の
おちんちんがあり、前景の「首領達人の棒」のおちんちんが、カード外の地下へと突き
挿さっている一方で、背景の「木の幹」のおちんちんは、カード外の天上に向かって突き
挿さっているという構図になっています。

そして、顕在化の子種を象徴するタマタマが、その間に在るという、まさしく「天地創造」
すなわち「我々の宇宙の誕生の神秘」を、このカードの中に表現しているということであり、
その意味では、この「三つ目の山羊」は、我々が住む物質的宇宙を創造した「創造主」を
象徴する存在となっています。

どうしても使っているネタがネタだけに、そっち方向に思考がバイアスしてしまいがちでは
ありますが、エロネタ満載の割には、なかなか奥深い意味と解釈を持つカードですので、
たまには肉体的なエロ目線ではなく、神秘奥義的なエロ目線で、このカードを見つめ直して
みるのも良いかと思います。
0190名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/23(火) 06:15:30.90ID:DxpbbiVm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Undoubtedly there are many who will be made uncomfortable by the recurrence of
pointedly sexual symbolism in the cards.
疑う余地なく、カードたちの中にある、あからさまに性的な象徴主義の再発により、嫌な
気持ちにされるであろう人が多くいる。

This symbolism has been understood by initiates of the Mysteries for centuries,
but it is only recently that our society has reached a stage of maturity where
such ideas may be discussed openly and in proper perspective.
この象徴主義は、何世紀もの間「神秘的教義」の秘伝伝授者たちにより理解され続けて
きたが、しかしそれは、つい最近になって、我々の社会が、そのような考え方が、公然と、
そして適切な見方において議論されることのできる、成熟の段階に達したところである、
ということである。
--- ここまで ---

とはいえ、肉体的なエロ目線も、神秘奥義的なエロ目線も、割と昔からあることであって、
今の方が昔よりも成熟した社会であるとも、一概には言えないのではないかと思っています。

現在でも、脊髄反射のヒステリックな「エロ目線禁止」主義者もいるわけですし、今でも、
オープンに議論できる場所というのは、ここのような匿名のネット社会ぐらいしか、あり
ませんしね。
そもそも、どごぞの大学の入学式の祝辞とかで、神秘奥義的なエロ目線のネタを話せば、
間違いなく炎上してしまうことでしょうしね。

いずれにしても、エロネタは両刃の剣であり、それに頼りすぎてしまうと、どうしても
下ネタ好きたちのオカズにされてしまい、結果的に「商業主義」に取り込まれてしまう
危険性もあるわけですので、ワタシとしては、どちらかというと、あまりオープン化を
強く主張しない方が良いのではないかと思うのでした。
つまり、トート版に対しては、色々な意味で、少々距離を置いているということであり、
基本はコールデン・ドーン版とウェイト版をメインに使っているのでした。
0191名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/24(水) 06:29:01.13ID:8xIMlXSI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Certainly, any adult will agree that orgasm is the most powerful natural force to
affect the human body, yet it is merely an indicator of a power of God so overwhelming
that our minds cannot begin to conceive of it. (*141)
確かに、成人なら誰もが、性的絶頂感が、人体に影響する最も強力な自然の力であることに
合意するであろうが、それでも、それは単に、我々の知性がそれを考えることができない
ほどに圧倒的である、「神」の力を示すものである。(*141)
--- ここまで ---

ちなみに、(*141)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
141. A work of particular interest is The Sacred Fire: The Story of Sex in Religion
by B.Z. Goldberg, New York 1958.
141. 特に興味深い作品は、『聖なる火:宗教における性の物語』、B.Z.ゴルドベルク著、
ニューヨーク 1958年。
--- ここまで ---
とあります。

「orgasm/性的絶頂感」が、「生命の木」における「15:悪魔」に関わる「a power of God
/神の力」であるかどうかは、それなりに議論があるところであり、それは裏を返せば、
「我々の知性がそれを考えることができないほどに圧倒的である」、つまり知性では
説明できないものであるという証拠でもあります。

「15:悪魔」自体は、どちらかというと知性に関わるものですので、「orgasm/性的絶頂感」
は、どちらかというと「13:死」の側にあるものであって、それゆえ、「死ぬぅ〜!」とか
「逝くぅ〜!」とか「クる〜!(come)」とか「オーマイガッ!」いう表現、すなわち
肉体という「悪魔のしがらみ」からの解脱を意味する言葉で表現されているわけですよね。

というわけで、最後に、「15:悪魔」は、基本的には、そういう「肉体的な性」の意味は、
思いのほか薄いということを述べて、このカードの説明を締めくくりたいと思います。
0192名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/27(土) 06:09:25.42ID:T7ostCb1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
25. THE PATH OF SAMEKH
25. 「サメク」の小径

Temperance
節制

The Fourteenth Key
14番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「サメクの小径」です。

ここは、人類が到達可能な最高地点と言われる「ティファレト」へと通じる「15:悪魔」と
「13:死」に挟まれた、「14:節制」と呼ばれている「小径」です。

さて、魔術ヲタク界における「15:悪魔」は、本当は「悪魔」ではなかったわけですし、
この「ティファレト」へと通じる高位の三枚のカードのタイトルを、額面通りに受け取る
ような愚直な人は、既にいないとは思いますが、そもそも自分で「節制」なんて自己申告
しているような「天使」が、本当に「節制」であるはずもないという「魔術界の裏設定」
については、きちんと深読みしておく必要があるわけです。

あと、「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の関係は、「嬲」に通じるものもありますよね。
つまり「15:悪魔」の抽象化された高位の「おちんちん」に対応するものが、この「14:節制」、
すなわち抽象化された高位の「おまんこ」であり、さらに「13:死」により二本挿しされて
いるのが「14:節制」のポジションなのですが、これらは高度に象徴化されている概念、
すなわち「魔術的な裏ネタ」ですので、決して俗世での肉体的な関係性を述べたものでは
ないということに、くれぐれも注意しておく必要があるわけです。
0193名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/28(日) 06:35:54.36ID:2eG1Z2wz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
□ PATH COLOR: Blue
□ 「小径の色」:「青」

□ RELATED SOUND: G Sharp
□ 「関連した音」:「Gのシャープ」

□ SIGN: Sagittarius (Mutable Fire)
□ 「宮」:「人馬宮(柔軟宮の火)」

□ MEANING: Prop
□ 「意味」:「支柱」

□ SIMPLE LETTER: Anger
□ 「単字」:「憤怒」

□ ESOTERICTITLE: The Daughter of the Reconcilers, the Bringer Forth of Life
□ 「秘伝的な称号」:「調停者の娘、生命を産み出す者」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、ヘブライ文字の「サメク」と、「人馬宮(いて座)」の
占星術記号(ここで描かれている記号は、一般的なものとは異なり、矢印のアタマが二つ
あるもので、これはいわゆる「二本挿し」を示唆している可能性があります)、および
「生命の木」における「サメクの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

なお、このカードの天使像は、女性か男性かという議論がありますが、ゴールデン・ドーン
系においては、これは女性像である、ということを強く示唆しています。
ちなみに、「人馬宮」は、ギリシア神話の半人半馬のケイローンがモチーフですので、
男性的なイメージがあるのですが、ゴールデン・ドーン系の「14:節制」のカード自体は、
女性的なイメージが強いということに注意が必要です。
0194名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/29(月) 07:24:23.42ID:F1YoATnh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fifth Path is the Intelligence of Probation,
or is Tentative, and is so called because it is the primary temptation, by which
the Creator trieth all righteous persons.
「知恵の32の小径たち」:「25番目の小径」は「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、
なぜならそれは、それにより「創造者」が全ての正義の人たちを試される、最初の誘惑で
あるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。
が、原文の引用にミスがあるようで、「or is Tentative」の部分は「or Temptation」と
修正しておいてください。

この「25番目の小径」は、現代宇宙論的に言えば、ビッグバン以前の話、つまり「宇宙
創造の神」なる存在が、「宇宙創造のための初期値パラメータの無限の組み合わせ」から、
我々の宇宙を創造するための「各種宇宙定数」を取捨選択する場面であり、我々の宇宙を
生み出すことが可能なパラメータ調整のための試行錯誤の過程であると言うことができます。
(とまあ、言うだけなら勝手ですしね。)

まあ、パラメータ・チューニングに失敗すれば、収縮して消滅するか、爆発して発散するか
ですので、うまい感じにオペレーション可能なウィンドゥに入れ込むことが必要なのですが、
この宇宙創造のバラメータ調整作業の謎解きは、かなり難しいようで、現代においても、
その神秘を解き明かすまでには、全然至っておりません。
結局のところ、神秘学者も科学者も、この時点においてはドングリの背比べ、つまり、
現代においても、人類の宇宙に関する認識レベルは、競うほどの価値も無いほどの
低レベル状態というのが現状なんですよね。
まあ、それほどまでに「人」と「神」のレベルは違うんだよ、ということを、改めて
認識させられる「小径」である、ということなのでした。
0195名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/04/30(火) 10:08:51.09ID:Uc1KH/9o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
The Path of Samekh, TEMPERANCE, leads from Yesod to Tiphareth, from the Moon to the
Sun, from the Personality to the Higher Self.
「サメクの小径」である「節制」は、「イェソド」から「ティファレト」へ、「月」から
「太陽」へ、「人格」から「高次の自我」へと導く。

It is among the most important and difficult Paths of the entire Tree, and one on
which the very enormity of the Great Work may be experienced.
それは、全体の「木」の中で最も重要かつ困難な「小径たち」に囲まれ、そしてその上で、
「偉大なる作業」のまさしくその極悪非道さが経験されるかもしれないものの一つである。
--- ここまで ---

いきなり「14:節制」には似つかわしくない「enormity/極悪非道」という言葉が出てきて
面食らっているかもしれませんが、これは「14:節制」自体の属性ではなく、ここを通って
上位世界に至るには、それなりの、いやいやトンデモな覚悟がいるよ、という意味です。
要するに、陰湿なるイジメや、様々なハラスメント行為とか、命を危険に晒すほどの悪質な
アレやコレやの行為が蔓延しており、この先生きのこるには、「鉄壁のバリア」すなわち
「A.T. フィールド」の展開が絶対的に必要な領域なのです。

どれくらいの鉄壁さが必要かというと、アンチグラビティ属性を備えた鉄壁のミニスカート
と同じくらいの絶対防御であって、一般人は、たとえコマ送りにしても、決してその奥に
隠されたものを見ることは出来ないというぐらいの完璧さが要求されるわけで、そして、
よく訓練された上級者のみが、「見えた!」というキーワードで、その限界を打ち破る
ことが出来るという仕掛けなんでよね。

というように、この「14:節制」は、その清楚な見た目にもかかわらず、トンデモなく鍛え
上げられた熟練能力者であるということを忘れてはならないわけで、そして、女神像の
ローブの中に隠された世界は、「21:世界」のようなオープンな姿とは違い、我々の
ような凡人には、見ることも触れることも出来ない異次元世界であることを示唆して
いるのでした。
0196名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/01(水) 06:31:28.36ID:eWBsiOck
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
It has been called a Path which is the "Dark Night of the Soul,"(*142) a Path on
which one enters a deep tunnel in the belief that the Light is to be found at the
end of it.
それは、「魂の暗い夜」(*142)である「小径」であると呼ばれ続けており、「光」がそれの
終わりに発見されるはずであることを信じて、人が深いトンネルに入ることに関する「小径」
である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*142)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
142. Gareth Knight, A Practical Guide to Qabalistic Symbolism, Toddington, 1965.
v. II, 69.
142. ガレス・ナイト著、『カバラ主義の象徴主義に関する実践的入門書』、トディントン、
1965年、第二巻、69ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Dark Night of the Soul/魂の暗い夜」の元ネタは、16世紀のスペインのカトリック司祭
である「十字架のヨハネ(Juan de la Cruz)」と呼ばれたカトリックの聖人の著作であり、
要するに、「信仰心を強く持ち、あまたの困難を乗り越えて、神の領域へと至る」という、
よくある宗教的なサクセス・ストーリーと言えばそうなのですが、「生命の木」においては、
そういう「茨の道」が、この「14:節制」に対応するのではないかということですよね。

とはいえ、ワタシ自身は、そっち方面の「信仰心」が欠けておりますので、あまり深入り
出来ないというか、できれば避けておきたいところですので、そっち方面に興味のある方
は、ご自身の責任において研究してもらえると助かります。
ということで、ワタシはワタシの分かる範囲で、道を進むことにしましょう。
え、無責任にもホドがあるって?
いやいや、ネットでのカキコに責任なんて必要ありませんから。←確信的責任放棄ww
0197名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/05(日) 07:10:34.96ID:UnGAQZJi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
This is a Path of trial and temptation, called the Intelligence of Probation.
これは、試みと誘惑の「小径」であり、「試験の知性」と呼ばれる。

It is also known as the "Daughter of the Reconcilers, the Bringer Forth of Life."
それはまた、「調停者たちの娘、生命を産み出す者」として知られている。
--- ここまで ---

「イェソド/基盤」に至る「14:節制」「17:星」「19:太陽」は、ゴールデン・ドーン版
では、いずれも「水」と「地」と「天空」と「天空にあるもの」という、割と似たような
モチーフが並んでいる姉妹関係のカードです。
もちろんこれらは、『旧約聖書:創世記』をイメージしているものですが、それぞれの
カードに役割分担があって、そしてそれらを総括するオバサマ、いやいや最年長である
「長女」としての役割が、この「14:節制」にあるわけです。

まあ、絵が似ているとはいえ、やっていることは、
「14:節制」>>[越えられない壁]>>「17:星」>>[越えられない壁]>>「19:太陽」
であることは確かであり、それゆえ、我々からは理解しにくく、とっつきにくいカード
ではあるわけですし、そもそも我々の日々の生活とは、ほぼ無縁のレベルなのです。

そもそも、ここから先は、ワタシの理解レベルを越えた存在となっていますので、
ワタシの解説そのものが、既に意味の無いものとなっている可能性も高いわけです。
というわけで、ここから先は、なるべくワタシのお気楽な独り言的な解説に頼らず、
できるだけ読者自身による理解に努めていただければと思います。
0198名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/06(月) 06:05:02.70ID:ON782OPN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In his 777 Crowley made this comment on the letter Samekh: It is "The Womb preserving
Life. Self-control and Self-Sacrifice govern the Wheel."(*143)
クロウリー氏は、彼の『777の書』において、文字「サメク」について、以下のような注釈を
作成している:『「生命」を保護する「子宮」。「自制心」と「献身」が、「車輪」を統御
する。』(*143)
--- ここまで ---

ちなみに、(*143)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
143. Crowley, 777, 40.
143. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここは、邦訳版『777の書』だと、76ページにあります。

「14:節制」は、場所的には、王子である「ティファレト」の下流であり、その男性的なる
精力エネルギー、ただしまだ物質としては未顕現の状態のものの受け皿として機能します。
つまり、物質的な妊娠状態ということではなく、非物質的な妊娠状態ということになる
わけですが、そのような状態が何を意味するのかは、なかなか解釈が難しいところです。

例えとして言えば、苦労を重ねた末に、何かアイディアが閃いた瞬間とか、まだよくわから
ないけど何かが掴めそうな予感とか、「あ、妊娠したな」という予感とか、いまだ形になる
前の根拠の無い閃きに似たものみたいな、何かそういう心の奥底にある直観めいたものが、
まあ全くレベルは違うのですか、これに似たものかもしれません。

いずれにしても、我々の想像力を越える何かを産み育てる機能が、この「14:節制」にある
ということは間違いないわけであり、そういう意味では、我々の世界からは決して見えない
「母なる創造主」としての位置付けではないかと思われます。
0199名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/07(火) 06:28:02.46ID:rGgd3XHn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
All of these phrases direct us to the idea that behind this card, ultimately, is
the Great Mother, the [mem][yod][heh][lamed][aleph] [heh][vau][heh][yod] (YHVH
Elohim) of Binah.
これらの語句たちの全ては、我々を、このカードの背後にあるものは、究極的には、
「大母」である、「ビナー」の[mem][yod][heh][lamed][aleph] [heh][vau][heh][yod]
(ヤハヴェ・エロヒム/主なる神)であるという考え方に導く。

For this reason the central figure of both the Golden Dawn and Crowley cards are
female.
この理由のために、ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏のカードの両方の中央の人物像は
女性である。
--- ここまで ---

元々の「14:節制」のデザインの多くは「女性像」であり、ゴールデン・ドーン系では、
基本的には、従来からの流れを踏襲しています。
その結果、「中央の柱」の「小径」は、「2:高等女司祭」「14:節制」「21:宇宙」と、
全て女性で占められるということになり、ヲタク思想によくあるヒロイン偏重の傾向が
見られます。

ウェイト版では、そういうヲタク的な女性キャラ重視、いやいや女性優遇傾向を嫌ってか
どうかは分かりませんが、「14:節制」を、どちらかというと「男性的」なものとして描写
することで、「女女女」から「女男女」という、より妄想が捗る方向に修正しています。
そしてそれは、「ビナー」という「峻厳の柱」に引きずられることなく、中立公正の立場で
「中央の柱」を構築するということを意図しているのかもしれません。
ちなみに、ウェイト版「14:節制」の人物像のチニックの胸元には、「聖四文字」が刻まれ
ており、これも、どちらかというと「中立的」な「創造神」であることを示しています。

まあ、どちらのストーリーが良いということではありませんが、そういう脚本の違いが
あるということを知っておくと、さらに妄想が膨らむということですよね。
0200名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/08(水) 06:17:54.83ID:3ubX6jvx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
Moreover the Twenty-Fifth Path is that of Sagittarius, the Archer who is also Diana
the Huntress, Goddess of the Moon.
さらに、「25番目の小径」は、「人馬宮(いて座)」のそれであり、「射手」はまた、
「狩猟の女神」であり「月の女神」である「ダイアナ女神」でもある。

This repeats the principle that all of the figures of the Tarot (except THE FOOL)
are Mother-Binah and Father-Chokmah under different guises.
これは、「(愚者を除く)タロット」の人物像たちの全ては、異なる外観たちを装う「母なる
ビナー」と「父なるコクマー」であるという原則を繰り返す。
--- ここまで ---

「14:節制」の女性像は、ゴールデン・ドーンにおいては、「射手座」のイメージに近い、
ローマ神話の「月の女神ダイアナ」であるという説ですが、多産の地母神系でもあるので、
見た目のイメージとは少々異なっているので、ちと強引な感じもしますが、この人物像の
キャラ設定は、妄想する上の重要な鍵となりますので、そういうことにしておきます。

まあ、こういうキャラ設定は、多分にご都合主義的なものもありますし、そもそも神話
体系によるキャラ設定は、その人物設定にブレが多い、いやいや多くのバリエーションが
ありますので、解釈上の自由度が高いというメリットもあります。

そして、さらなる拡大解釈のための「principle/原則」となっているのが、『全ての
人物像は、「母なるビナー」と「父なるコクマー」の変化形である』という点であり、
ここまでくれば、もはや何でもありの完全無敵状態ですよね。

ということで、今後の解説において、何か矛盾点があっても、「全ては許されている」
わけですので、変なツッコミは無しでお願いします。

※実に素晴らしい言い訳のネタだなぁ・・・(笑)
0201名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/09(木) 05:58:21.36ID:tp6iHHRS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In her function as Diana she governs the tides of earth, and the fluctuations of
the Astral Current.
「ダイアナ女神」としての彼女の機能において、彼女は地球の潮の干満、および「星幽的
流動」の変動たちを統治する。

She is the natural framework and support for the waxing and waning of the energies
of existence.
彼女は、存在する全てのものの精力たちの満ち欠けのための、自然な枠組みであり、
そして支える者である。

She is the Prop, the very meaning of the word Samekh.
彼女は、まさに「サメク」という言葉の意味である、「支柱」である。
--- ここまで ---

「14:節制」は、「中央の柱」の中央にある「小径」であり、地上の我々からは直接見る
ことは出来ませんが、我々の世界を司る上で、宇宙の屋台骨として、世界全体を支えると
いう役割を持っていることは、容易に想像できます。

そして、「支える」ということは、単なる受動的な「framework/枠組み」だけではなく、
積極的に干満という変化をもたらすことで、世界を更新し続け、新たな誕生と成長と死の
生命のサイクルを回し続けているということです。

つまり、恒久的な「ティファレト」の太陽エネルギーを源泉として、潮の干満や四季の
変化などで、エネルギーの流れを周期的かつリズミカルなものにアレンジすることで、
地上における多彩な生き物たちの繁栄をもたらすという作用があるということですよね。
要するに、「14:節制」は、アレンジャーであり、指揮者であり、さらに屋台骨を支える
運営者でもあるということであって、この作用が無ければ、「生命の木」は支えを失って
崩壊し、我々の住む世界は決して創造されなかったということでしょうね。
※結局のところ、「ダイアナ=何でもありの無敵状態」というのが結論なのでした。
0202名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/11(土) 05:48:19.88ID:4WW+7VvZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
The Great Mother is, thus, the "Womb preserving Life."
「大母」は、このように、「生命を保護する子宮」である。

She is restriction and control over natural energies; all of the energies of the
manifest universe are controlled and manipulated within specific bounds and restrictions.
彼女は、自然の精力を覆う制限と制御である;顕現化した宇宙の精力の全ては、明確な
境界と制限の範囲内で制御され操作される。
--- ここまで ---

このあたりの記述は、「峻厳の柱」のトップであり、最初の形成的な「セフィラ」である
「ビナー」、そして「ダイアナ女神」に関する説明になっています。

「14:節制」は、「中央の柱」にある「支柱」であるため、あまり「左傾化」することの
ないよう、うまくバランスを取る必要があるのですが、ここであまりにも「ビナー」の
存在を表立って意識してしまうと、調和が取れなくなってしまいます。

つまり、「14:節制」の「女神像」は、「背景的な想像物」すなわち「見えざる存在」で
あって、隠された根本的な部分を司る存在であり、我々が見ることのできる「前景」は、
あくまでも二つの壺だけであるということになってくるわけです。

そういう意味では、この「女神像」は、「15:悪魔」の「悪魔像(悪魔の皮を被った神)」
と似たような性質を持っているわけであり、「女神」であって「女神」に非ず、すなわち
「女神の皮を被った神」であるという、なんかもうどうでもいい話になってくるわけです。
そして、ウェイト版では、従来の「女神像」ではなく「高位の天使」として描かれている
理由も、何となく、このあたりにあるのではないかと思います。

いずれにしても、キーワードとなっているのは、「支柱」となる「境界と制限」であり、
この「小径」は、そのような「宇宙の原則(方程式)」が選択され試される場所である
という認識で良いのではないかと思っております。
0203名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/12(日) 06:22:31.98ID:+mpJMnPo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In their Voice of Isis, Hariette and Homer Curtis describe the Universal Mother
as the "power of bringing forth in humanity the Divine Child or the Christ."(*144)
ハリエット・カーティス氏とホーマー・カーティス氏は、彼らの『イシスの声』の中で、
「普遍的な母」を、「人類の中において、「神の子」もしくは「救世主」を生み出す能力」
として述べる。 (*144)

It is that which in every individual brings about the contact of the Personality
with the inner divine light.
それは、あらゆる個人において、「人格」の、内なる神の光との接触をもたらすものである。
--- ここまで ---

ちなみに、(*144)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
144. Hariette and Homer Curtis, The Voice of Isis, Washington. D.C., 1946, Introduction.
144. ハリエット&ホーマー・カーティス著、『イシスの声』、ワシントンD.C.、1946年、
序論。
--- ここまで ---
とあります。

とりあえず、そういう意見もあるよ、ということなのですが、要は、人類史上において、
「ティファレト」から生み出された「神の子」、すなわち「イエス・キリスト」は、
人ではなく、この「14:節制」の「Universal Mother/普遍的な母」の子宮により受胎し、
人の世に生み出されたという話になっているわけです。

そして、その人類史上における出来事は、現代に生きる我々一人一人の中、すなわち
個々の「Personality/人格」の中においても、「Universal Mother/普遍的な母」に
より、もたらされる可能性のある出来事であるということですよね。

まあ、よくわかっていませんが・・・。
0204名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/13(月) 06:13:54.21ID:RVD5RqHS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
This is, in Qabalistic terms, the knowledge and Conversation of the Holy Guardian
Angel.
これが、「カバラ主義」の表現においては、「聖守護天使の知識と会話」である。

Rising on the Path of TEMPERANCE leads to our bearing of the Child, which is ourselves
reborn.
「節制」の「小径」に沿って昇ることは、我々自身の生まれ変わりである、我々の「子」の
出産をもたらす。
--- ここまで ---

人類が、その歴史の中で、「神の子」であるイエス・キリストを生み出したのと同様に、
我々の一人一人は、「神の子」を生み出すことが可能という、いつものミソクソ理論、
いやいや「上の如く下も然り」の普遍的な原理です。

ここで問題となるのは、我々が「節制」の「小径」に沿って昇ることが可能なのか、
という点ですが、これはもう考えるまでもなく、「100%不可能」です。

もちろん、「微粒子レベルの可能性が存在する」という、量子力学的な解説をすることも
可能と言えば可能なのですが、それはシュレーディンガーの猫が針の穴を通るくらいの
微粒子レベルであって、普通に言えば「不可能」なのです。

まあ、「不可能」と言ってしまえば、話はこれで終わるわけですが、そう簡単には終わり
たくない人も中にはいるわけですので、そういう人向けに、無駄な努力をするための
「茨の道」という役割が、この「小径」にあるわけです。
そして、その「無駄な努力」は、「結果」を求めるためではなく、言ってみれば、ヲタクが
「二次元との結婚」を求めるのと同じくらいにド変態、いやいや崇高なる伝道者として、
その一生を捧げるくらいに、とても尊い行為ではあるわけです。
さらに、その報われない努力こそが、新たな価値の発見へと導くことも多々あるわけで、
ヲタクの一途さを、決してあなどってはいけない、ということにもなるわけでした。
0205名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/14(火) 05:59:48.00ID:bPWKxWba
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
Key 14 is the beginning of an awareness of the Higher Self of Tiphareth.
14番の「鍵(大アルカナ)」は、「ティファレト」の「高次の自我」の気づきの始まりである。

The card demonstrates not the experience itself, but how the experience is brought
about, i.e., through an exchange and balance of opposites which can only be
symbolically described.
カードは、経験それ自身ではなく、経験がどのようにして、すなわち、象徴的にのみ
説明可能な反対物たちの交換と均衡を通じて、もたらされることを説明している。
--- ここまで ---

我々にとっての「14:節制」の利用価値は、「聖守護天使の知識と会話」にあり、そのため
「the Holy Guardian Angel/聖守護天使」は、「14:節制」の人物像として象徴化されて
いるわけですが、この人物像は、高次の存在ですので、実際に見えるわけではありませんし、
見ようとしても見えるわけでもありません。
まあ、これが見えると言っている人は、間違いなく頭の病気あるいは詐欺師ですよね。

つまり、低次の存在である我々は、背景にある「しょせん見えざる人物像」ではなく、
前景にある「象徴的な二つの壺」に注目する必要があるということです。
まあ、象徴的すぎて、何が何やらわからない感じではありますが、しょせん究極奥義なんて
ものは、一般人にとっては「わけわからないもの」であるわけですので、余計な詮索は
不要ですし、理解する必要も無いものですし、役に立つようなものでもありません。

とはいえ、これが「生命の木」における「聖守護天使の知識と会話」のための「究極奥義」
のカードであることは間違いないわけですし、それゆえ物好きな連中、いやいや高位の
セカンド・オーダーを目指す魔術師にとっては、避けては通れない「関門」となっている
わけです。
まあ、その手のややこしいことは、ゴールデン・ドーンの儀式の中で、色々と象徴的に
説明されておりますので、無駄な詮索をしたい方は、そちらを参考にして頂ければと
思います。(説明責任を完全放棄)
0206名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/18(土) 05:43:23.99ID:lhUxljhJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The use of symbols here has nothing whatsoever to do with secrecy, but is merely
reflective of the inadequacy of language to describe the process.
ここでの象徴たちの使用は、何らかの秘密主義のためによるものではなく、単に過程を
記述するための言語の不十分さを反映しているにすぎない。
--- ここまで ---

「14:節制」の過程、すなわち我々が「ティファレト」の「高次の自我」へと至る過程の
説明においては、言語による記述は、ほぼ役に立たない、すなわち単純明快な論理化は
不可能であり、曖昧かつ本人の内なる理解に基づく「象徴表現」に頼らなければならない
ということです。

これはつまり、説明責任の放棄、いやいや「客観的な正解は無い」ということであり、
「あなたが理解できないのは、ワタシの説明が悪いわけではなく、あなたの○○力が
絶対的に足りないからである」と言っているのに等しいわけです。

残念なことに、ワタシは、その手の「○○力」なるものに欠けているので、おそらくこの
「14:節制」を理解できることは、ほぼ無いと思いますし、たとえ理解できたとしても、
それを誰かに伝えるということは、ほぼ無理であるということになるわけです。

そう、ここで「人」と「人」とのコミュニケーションは、肉体的にも精神的にも霊的にも
途絶えてしまうという場所であり、人は集団ではなく「個人」で、この「14:節制」の
「小径」を辿って、「高次の自我」へと至る必要があるということですよね。
つまり、「書かれた教義」に頼る組織的かつ集団主義的な宗教では、この「14:節制」を
辿ることは決して出来ないということであり、最後には、個人単位での「内なる理解」が
必要不可欠であるということになるわけです。

とはいえ、ワタシには、そこまで苦労して「上の世界」に到達する必要性も必然性もあり
ませんし、そもそも「下界大好き」な俗な人間ですので、「14:節制」とは、あくまでも
「話のネタ」程度の「お付き合い」に留めておこうと思うのでした。←いまいち興味なし
0207名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/19(日) 07:16:17.75ID:sk3ap188
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
Crowley's card is the most specific, showing the process in alchemical terms, where
Fire becomes Water and Water becomes Fire.
クロウリー氏のカードは、最も具体的であり、「火」が「水」になり、そして「水」が「火」
となるところの、錬金術の用語たちにおける過程を示している。

And, as we appreciate that the primary alchemy takes place within the body of the
alchemist himself, we can also appreciate that this card is describing an actual
physical effect.
そして、我々が、錬金術師自身の身体の内で、根本的な錬金術が起こっていることを認識
するにつれて、我々はまた、このカードが実際の物質的な効果を説明していることが理解
できる。

It is not nearly so symbolic as some might believe.
多少の人が信じているかもしれないほどの、象徴的なものでは到底ない。
--- ここまで ---

「14:節制」の「小径」が、上から下への一方的な流れであるとすれば、これは象徴的な
「生命」を生み出すための錬金術的な過程を描いたものであり、ある意味、物質的かつ
肉体的な効果を説明していると理解することが可能です。

つまり、トート版においては、赤い火と白い水は「大いなる父からの精子」と「大いなる母
からの卵子」であり、それらが受精して「子宮」へと注がれ、「イェソド」を経て物質的な
「マルクト」での生命誕生となる、最初の過程が示されているということです。

それはそれで、さほど問題無いのですが、その程度の肉体的な理解では、この「小径」を
遡って霊的な「ティファレト」に至ることは、到底不可能となってしまいます。
そして、その一方通行を解消する手段として、「霊的エクスタシー」なる概念が出てくる
わけですが、そこを物質的な俗的理解に基づいた論理拡張で済まそうとすると、エログロ
というか、ミソクソ的な論理破綻が生じることになってしまうわけなんですけどね。
0208名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/21(火) 05:58:22.70ID:fxp3ZMWy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The willful interchange of Fire and Water is the merging or tempering of energy
opposites within the body, here symbolized by a stream poured back and forth from
one vase to another.
「火」と「水」の意図的な交換は、身体の内にある精力の反対物たちの、融合または焼き戻し
であり、ここでは、1つの壺からもう一つのものへと、行ったり来たりして注がれる流れにより
象徴される。

This is the Living Water, consciousness vivified by being merged with the Fiery
Spirit.
これは、「生ける水」であり、「火の精霊」と融合されることによって生命を与えられた
意識である。
--- ここまで ---

この「Living Water/生ける水」は、『旧約聖書』や『新約聖書』のあちこちに出てくる
「聖書用語」であり、神より賜る「命を育む水」という感じのものです。
これを、神より賜る「命を育てる火」と混ぜ合わせて、ちょうどよい湯加減、いやいや
究極的なる万能薬「エリクサー」を調剤しているという感じですかね。

まあ、ここでいう「神の火」も「神の水」も、しょせん「象徴的」すなわち「抽象的」なる
ものですので、これが具体的に我々の何の役に立つのかと言われれば、特に何の役にも
立たないということになるわけですが、強いて言えば、物事をうまく進めるには「火加減」と
「水加減」が大事であるという程度の、いい加減な返事に留めておきたいと思います。

要は、この「14:節制」は、優等生すぎるというか、教科書的というか、建前メインの話で
あって、神ならぬ人には「出来ないこと」を参考にしろと言われても困るわけですし、
面白味に欠けるというか、そもそもバランスを欠いた思考回路を持つワタシにとっては、
全くもって無縁なる存在である感じがしてしまうワケですよ。

まあ、「節制」という説教的なタイトルに、ちょっと反発してるだけなんですけどね。(←反抗期)
0209名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/28(火) 06:27:40.49ID:TJB5oXQ7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The process is one of bringing the Spirit into the body so that it tempers the
consciousness, and is itself tempered by the consciousness, thus forming something
new, something which is "more than the sum of its parts."
過程は、それが意識を「鍛える」ために、身体の中に「霊」をもたらすことの一つであり、
そして、それ自身、意識により鍛えられ、従って、新しい何か、「その部分たちの合計
より多い」何か、を形成することである。

This is the personal application of the Yod (Fire) and Heh (Water) uniting in the
individual to produce Vau (Air) within the body which is Heh-final and Earth.
これは、「最終ヘー」と「地」である身体の内に「ヴァウ(空気)」を生み出すために、
個人の中で合体する「ヨッド(火)」と「ヘー(水)」の個人的な適用である。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」は、例えて言えば、個人の内にある「鋼=最終ヘー」というマテリアル
を鍛え上げる「鍛造」の過程において、「火=ヨッド」や「水=ヘー」で「焼き入れ」や
「焼きなまし」「焼きもどし」などの工程を経て、優れた名刀として「魂=ヴァウ」を
吹き込むという作業であり、それっぽい錬金術の象徴表現を使って説明されています。

もちろん、この「魂を入れる技術」というのは、我々のような下々の者が、見よう見まねで
使えるような技術ではなく、あくまでも上位世界の神々のためのものですので、良い子は
決して真似をしてはならないという禁断のテクニックであるわけです。
つまり、「14:節制」の適用は、我々にとっては、どちらかというと危ないシロモノである
ということを知っておく必要があるということです。

とはいえ、我々人類の科学技術の進歩は、この「生命と意識を生み出す」ための飽くなき
チャレンジを続けておりますので、そっち方面については、今後は何らかの期待は持てそう
な感じはしています。
でも、あっち方面の人々の、そういう話題については、決して近づかない方が良いという
ことなんですよね。
0210名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/29(水) 05:59:30.69ID:+toh9UVL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The process involves an inner manipulation of sexual energies.
過程は、性的な精力たちの内なる操作を巻き込む。

Indeed, the symbolism of the arrow released upward is one of spiritual orgasm.
実を言うと、上向きに放たれた矢の象徴性は、霊的な絶頂感の1つである。

Such an interpretation may appear extreme, but is actually well-accepted in
Christian iconography.
そのような解釈は極端であるように見えるかもしれないが、キリスト教の図像学においては、
実はよく受け入れられている。
--- ここまで ---

「the arrow released upward/上向きに放たれた矢」とは、「14:節制」に配属される
「人馬宮(いて座)」の記号のことであり、それゆえ、カード自体が、上昇する「火」の
エネルギー成分多めである、すなわちイキやすい体質であることを意味します。

そのため、「14:節制」には、そのタイトルのイメージとは違って、かなりの「上級者向け
エロ成分」が含まれているということになります。
もちろん、「上級者向け」ですので、我々のような下々の人間にとっては、見逃しやすいと
いうか、すこぶるどうでもいい象徴的な表現なのですが、それこそ、分かる人だけにしか
分からないという、身内ウケ狙いのものとなっているわけですよね。
とはいえ、薄めの衣装の女神が、二つの壺を持って水を出し入れしている姿は、何かエロい
ことを誘っているようにしか見えないわけですので、あまり隠す気は無いのかもしれません。

それはともかく、「14:節制」は、そういう上級者向けのプレイを暗示していることは確か
ですし、それゆえ魔術指向の人にとっては、それなりに人気のあるカードであるわけです。
ただし、「14:節制」の名が示すように、そっち系のプレイから得るものは何もありません
ので、あくまでも「霊的」なものである、すなわち何かの役に立つようなものではないと
いうことは、きちんと頭では理解しておく必要があるわけですよね。
0211名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/05/31(金) 06:08:23.38ID:ufM8EPEY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The ecstasy of Theresa, the sixteenth century mystic and Saint, is described as
an angel thrusting a flaming arrow into her heart.
16世紀の神秘家および聖人である、聖テレサの法悦は、燃え上がる矢を彼女の心臓の中に
突き刺している天使として記述される。

This symbolism of the piercing arrow which brings ecstasy and enlightenment appears
to be a universally applicable (indeed archetypal) description of a real process.
法悦と啓蒙をもたらす、この貫く矢の象徴的意味は、実際の過程の普遍的に適用可能な
(実に原型的な)記述であるように見える。
--- ここまで ---

この「心臓を貫く矢」の象徴が、よく知られた「キューピットの矢」と結びついている
ことは想像に難くないわけであって、そしてこれは、ローマ神話の「クピードー」であり、
さらにはギリシア神話の「エロース」、すなわち「エロ信仰」の総本山となる、とても
偉大なる神様へと繋がるわけです。

つまり、その「矢で心臓を貫くことでエクスタシーに達する」という原型的なる表現は、
どう考えてもセックスそのものであるわけです。
そして、肉体的なセックスにより得られるものが「次世代の誕生」であるならば、霊的な
セックスにより得られるものが「内なる高次の世代の誕生」と考えることも可能なのです。

いずれにしても、この「14:節制」を「聖テレサ」の○○系文学と結び付けて考えることは、
色々な意味、というか、薄い本系の話で妄想が捗るわけですが、そういう意味でも、一般の
人は、「14:節制」という清純系タイトルに惑わされることなく、あまり深入りしない方が
良いということなんですよね。

要は、なぜここでわざわざ「節制」が必要なのかを考えれば、この「14:節制」の立ち位置
というものが理解できるということであり、それゆえ、人類にとっては最大の難関であり、
一般人には決して攻略できない難攻不落の関門になっているということです。
0212名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/01(土) 06:36:14.04ID:Pf/od2sZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
What happens is the establishment of a rhythmic masturbatory motion of inner energy.
起きていることは、内なる精力のリズミカルなマスターベションの動きの確立である。

The mental control of this energy, its conscious manipulation, is symbolized by the
interchange of Fire and Water, or by the interchange of fluid between vases.
この精力の精神的な制御、その意識的な操作は、「火」と「水」の交換により、もしくは
壺たちの間の流体の交換により、象徴化されている。

The key to this actually simple process is the infinity symbol, the figure eight
which Waite uses above the figure of his MAGICIAN.
この実に単純な過程の鍵となるものは、無限の記号、ウェイト氏が彼の「魔術師」の人物像
の上で使う8の字の形である。
--- ここまで ---

「中央の柱」の女神たちって、エロ目線で見れば、とても魅力的な存在です。
「21:宇宙」の女神の持つ2本の棒、「14:節制」の女神の持つ2つの壺、そして「2:高等女
司祭」の持つ杯、そのいずれもがエロ目線で見れば、すなわちアレになるわけです。
とはいえ、エロ目線の解釈が通用するのは「21:宇宙」までですので、「14:節制」では、
より精神的なもの、つまりは脳内妄想、もっとはっきり言えば脳内マスターベションという
ことになっているわけです。

ややこしい話を抜きにすれば、この「14:節制」とは、我々は高次元のオナニーによって、
さらなる高次元のエクスタシーの次元に達することが出来るということであり、そして
逆に言えば、高次元の存在のオナニーによるエクスタシーにより、我々の住む次元が存在
しているということを説明しているカードであるということですよね。

要は、我々が存在する物質宇宙は、創造主の制御されたリズミカルなオナニーの無限の
動きにより生み出されたということであって、そのオカズとなっているのが「中央の柱」
の女神たちという話になってくるわけなのですよ。
0213名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/02(日) 06:35:10.40ID:/3SklQAj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
It is an ebb and flow which is confined, i.e., is used within very specific perimeters
(thus the womb symbolism) but which is taken in either direction at will.
それは、限定された潮の満ち引き、すなわち、非常に明確な周囲の範囲内(従って、子宮が
象徴するもの)で行使されるが、それは意のままに、どちらの方向にでも受け取られる。

As one changes the rate of vibration of this inner energy, one raises or lowers
the level of consciousness, i.e., moves from Chakra to Chakra or from Path to Path.
人が、この内なる精力の振動の速度を変更するに従って、人は意識の段階を上げたり下げたり
する、すなわち、「チャクラ」から「チャクラ」へ、もしくは「小径」から「小径」へと動く。
--- ここまで ---

まあ、子宮の中で振動するのか、膣の中で振動するのか、TENGAの中で振動するのか、
もしくは右手が振動するのかは置いといて、「14:節制」の脳内オナニーにおいては、
右の壺と左の壺との間の、リズミカルなエネルギーの交流振動として表現されます。
そして、このオナニーから副次的に得られたものは、「17:星」と「19:太陽」のエネルギー
として、下界の「イェソド」へと漏れ出してくるという流れになるわけです。

そういう意味では、この「14:節制」から漏れ出すもので我々の役に立つようなものは
少ないというか、あまりご利益が無いわけですが、それは、この効果が、神秘学的に言うと
霊的な次元、数学的に言うと虚数空間、一般人向けに言うと脳内オナニー、すなわち
スビ系ネタ(笑)に限定されてしまうからなのです。

要は、「高次の自我」の世界は、神々ならぬ我々の脳ミソでは到底理解できないシロモノで
あるため、如何なる言葉による説明も「的外れ」であって、ここから先は「各自、お好きな
ように脳内オナニーしてみてください」としか言いようのない、正解の無い領域なのです。

結局のところ、我々にとっては、理解しようにも理解できない領域での過程を象徴している
という程度の、開き直った理解で良いのではないかと思うのでした。
0214名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/03(月) 06:14:54.65ID:ZwGOSBYl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
To explain all of this in a more simple way: At the lowest level, Water (which we
have previously described as consciousness) being acted upon by Fire (the sexual,
Kundalini energy) produces the images of the astral, the pictures which form in
our minds.
より簡単な方法で、これの全てを説明すると:最も低い段階では、「火(性的、クンダリニー
の精力)」によって作用される「水(我々が以前に『意識』と述べたもの)」が、星幽界の
映像たち、我々の精神たちの中で生じる絵たちを創作する。

These are the Air (Vau) quality, as our minds are the grounding Earth.
我々の精神たちが地上に置かれた「地」であるので、これらは「空気(ヴァウ)」の品質
である。
--- ここまで ---

この説明が、「14:節制」の脳内オナニーの方法の直接の説明というわけではなく、ここは
あくまでも「At the lowest level/最も低い段階」での話です。
つまり、「21:宇宙」などの下層の「小径」によって、「地」から「空気」に達する手順の
説明であって、それ以上のレベルへのイキ方については、直接的な説明が不可能であると
いうことなんですよね。
とはいえ、「地/アッシャー界」から「空気/イェツィラー界」の段階まで登らないこと
には、その上の「水/ブリアー界」にも行けないので、何事も基礎は大事にしないと
いけませんよね。

ということで、我々の「地」の体内にある「水」の成分、すなわち「精神と意識」を、
「火」、すなわち「性的」な「クンダリニーのエネルギー」で活性化して上昇させること
から始めないといけないわけです。

つまり、これが「14:節制」へと至る第一歩ということですので、魔術界における「14:節制」
の立ち位置は、我々が勝手にイメージするような「純粋無垢の清純派」では決して無いと
いうことでもあるわけなんですよね。
0215名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/04(火) 06:17:12.13ID:rXHDvaab
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The principle is one of producing a consciously-controlled vision, one which is
limited by the will.
原理は、一つは意識的に制御された幻想を生み出すことであり、それは意志により制限
されるものである。

The important point to understand is that most of the word symbols of Alchemy,
Hermeticism, Qabalah, etc., describe processes to which anyone can relate.
理解しておく重要な点は、「錬金術」、「ヘルメス主義」、「カバラ主義」などの言葉の
象徴の大部分は、誰でもが関係することのできるものの過程たちを記述しているという
ことである。

They are neither remote nor complicated, especially at the level of Assiah.
それらは、特に「アッシャー」の段階においては、遠く離れたものでもなく、複雑なもの
でもない。

And, in some respects, this whole symbolic language has been totally superseded
by the language of psychology as established by Carl Jung and others.
そして、いくつかの点において、このすべての象徴言語は、カール・ユング氏と他の人々
により確立されたような心理学の専門用語により、すっかり取って代られてしまっている。
--- ここまで ---

「14:節制」に至る道の途中には、「21:宇宙」などの下層の道があり、そこでの経験は、
あくまでも「アッシャー」のレベルのもの、すなわち「脳内妄想」レベルのものであって、
そういうものは、現代の「心理学用語」で全て置き換えて説明できる、言い換えれば、
「14:節制」の真髄は、言語化できない、その先に存在するということになります。

要するに、「14:節制」は、我々が良く知っている「節制」という言葉のイメージとは
かけ離れたモノであるということなのですが、はっきり言って「TEMPERANCE」を「節制」
と訳した時点で、その翻訳が間違っているということなんですよね。
0216名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/05(水) 06:30:05.96ID:678cBRYd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
It should be added that the Metals described in Alchemical literature are the
same as the Seven Chakras of the Hindus, the Seven Planets and the Sephiroth of
Microprosopus.
「錬金術」の文献の中で述べられる「金属たち」は、「ヒンズー教の7つのチャクラ」、
「7つの惑星」、および「ミクロプロソプス(小さな顔)のセフィロト」と同じものである
ことは追加されるべきである。
--- ここまで ---

「錬金術」の金属と言えば、金、銀、水銀、銅、鉄、錫、鉛の7種ですが、数の一致(6つで
ある「ミクロプロソプス」は、その嫁であるマルクトと合算すれば7つ)は、単なる偶然の
一致なのか、もしくは元ネタが同一であるのかは、まあどうでもいいわけですが、基本的
には、我々の脳内妄想による、いやいや哲学的な分類方法によると、7分類あたりって、
素数ですし、細かすぎず粗すぎず、割と脳内では使いやすい値なんですよね。

そして、この「14;節制」の機能を使って、そういう7種の「マテリアル」を取り扱って、
宇宙の生命を司る「エリクサー」を合成していくわけですが、それはつまり「15:悪魔」
から「21:宇宙」までの7つの「小径」のマテリアルを操作するということでもあります。

この場合、「13:死」は、「14;節制」の対称パートナーもしくは監査役としての役割という
ことになり、そういう意味でも、「14;節制」から「ティファレト」へと遡る道は、そう簡単
には通れそうもないのでした。
0217名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/06(木) 05:51:37.24ID:lnjx5w4V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
These words have been used as codes over the centuries, meaning seven distinct
levels of objective consciousness.
これらの言葉たちは、何世紀にもわたって記号たちとして使われ、目的の意識の7つの
別個の段階を意味している。

Thus, when one speaks of a Planet ruling a sign of the Zodiac, what is meant is
the relationship of a Sign to a given center of energy both in the Greater
Universe and in the Human body.
従って、人が「黄道十二宮」の宮を支配している「惑星」について話す時は、意味される
ものは、「より大きな宇宙」と「人体」の両方における精力の与えられた中心と「宮」
との関係である。
--- ここまで ---

ここでいきなり「七惑星」と「黄道十二宮」の話に飛びますが、これは「14:節制」が、
「ミクロプロソプス(小さな顔)」と「マクロプロソプス(大きな顔)」の関係とか
「小宇宙(人体)」と「大宇宙」との関係性、すなわち「上の如く下も然り」という、
魔術にとって最も重要なミソクソ理論を展開するための「要(かなめ)」の位置にある
ということです。

まあ、「ティファレト」への到達という目的にとっては、この「14:節制」はイマイチ使い
にくいのですが、内なる魔術の実践という点においては、この「14:節制」という内なる
壺の中に、様々な魔術ネタを詰め込んで、それらをうまく調和させることで、何らかの
「内なるもの」を生み出せるという点においては、それなりに使い道のあるカードです。

とはいえ、我々のレベルでは、あくまでも「内なるオナニー」でしかありませんので、
言うほど実用的というわけでもありませんし、さらには、「節制」というキーワードが
邪魔をして、どうしても「器の中の世界」に留まってしまうという問題もあるわけです。
やっぱり最後には、「13:死」の「いっぺん死んでみる?」程度の破壊的なインパクトが
必要なのではないかと思うのでした。
0218名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/07(金) 06:16:10.72ID:K6KDHDwX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Sagittarius is the sign of the Zodiac related to TEMPERANCE.
「人馬宮(いて座)」は、「節制」に関連した「黄道十二宮」の宮である。

Its Planetary ruler is Jupiter, meaning Chesed, but also to some extent the WHEEL
OF FORTUNE, tenth key of the Tarot.
その「支配星」は「木星」であり、「ケセド」だけでなく、ある程度は「タロット」の
10番目の鍵(大アルカナ)である、「運命の輪」をも意味している。
--- ここまで ---

「いて座」は、占星術的には「男性的」「火」「柔軟」という属性を持ち、その支配星の
「ジュピター=ゼウス」という勇壮奔放な男性神のイメージとも相まって、タロットの
「14:節制」の持つ清楚な女神のイメージとは、少々というか相当に異なる感じがあります。

ここでちょっと気になるのは、「生命の木」のタロットの配属において、「14:節制」と
「15:悪魔」の配属に関する法則性に乱れがある、すなわち本来の位置と異なるというか、
元々の属性とは異なるのではないかという点なんですよね。

要は、「生命の木」においては、その感覚のズレを、支配星である「木星」が「ケセド」
と「10:運命の輪」という「慈悲の柱」に関連付けすることで、半ば強引に修正している
ような感じもあるわけです。
まあ、何が言いたいかというと、そもそも我々が持つ「14:節制」の清楚なイメージという
ものが、根本的に間違っている可能性が高いということなんですよね。

そう、「14:節制」は、「生命の木」のセンターの位置に、なりふり構わず押し入ってくる
ような、そういう「裏の顔」というか、かなり押しの強い一面があることは否めません。
つまり、「節制」というタイトルは、あくまでも営業上の表の顔であって、その裏には、
巧妙に隠された秘密というか、週刊誌向けのスキャンダルが山ほどありそうな、実に
魔術ヲタク向けな仕上がりとなっているわけなのでした。
0219名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/08(土) 06:58:21.38ID:9hLSEyKs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Chesed is suggested by the blue colored robe worn by the Golden Dawn angel, the
color of the Twenty-Fifth Path in Atziluth.
「ケセド」は、ゴールデン・ドーンの天使により着用される、「アツィルト界」における
「25番目の小径」の色である青で着色されたローブによって示唆される。

On the figure's breast is a golden square, a further reference to Chesed, to the
number four and to matter.
人物像の胸の上には、数値「4」および物質への、「ケセド」へのさらなる関連である、
金色の四角形がある。
--- ここまで ---

「ブリアー界(女王の位階)」における「ケセド」の「blue/青」は、「アツィルト界
(王の位階)」における「2:高等女司祭」および「14:節制」と同じ色です。
また、「金色」は「ティファレト」を示唆しますので、「ケセド」と「ゲブラー」を示唆
する左右の壺とのバランスを考えれば、この人物像のローブの「青」は、「14:節制」の
「青」がメインであると考えられます。

そして、全体的に見て「青みがかった」カードであり、「青の壺」が上位にあることからも
分かるように、ここはみだらな「青」ちゃんの領域であって、それゆえ色々とイケない妄想
が捗ることなるわけなのでした。

ちなみに、「青」には、元々が勉強熱心で理知的な固定イメージがあり、そういう指向の
人にとっては、「青いいよね」というような隠れファン的なものがあったのですが、近年
では、「青」とか「蒼」という分野で、色々と従来の固定概念を覆す、本来あるべき姿が
垣間見られるような人物像が見られるようになったのも、時代の流れなのだと思います。

まあ、何が言いたいかというと、「青いいよね」ということが言いたいわけですよ。
0220名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/09(日) 07:15:26.08ID:E3x0y776
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
In the Waite card the square is covered by a triangle, meaning that all of the
manifest Universe is governed by the Supernals.
ウェイト版カードにおいては、四角形は三角形により覆われており、顕在化した「宇宙」
の全てが「至高なるものたち(至高の三角形)」により統治されることを意味している。

Here we recall that Chesed is the architect of all manifestation, working with
the pure "potential to form" of Binah.
ここで我々は、「ケセド」が全ての顕在化の設計者であって、「ビナー」の純粋な
「形成する可能性」によって働いていることを思い出す。
--- ここまで ---

ウェイト版においては、ゴールデン・ドーン版の金色の四角形ではなく、白い四角形と
その内側にある金色の三角形として描かれています。

これが、本当に「4:ケセド」と「至高の三角形」、あるいは「3:ビナー」を意味している
のかは不明なのですが、ウェイト氏自身は、これは「3+4=7」であり、「7」を意味して
いると述べています。
つまり、以前に出てきた「錬金術の7種の金属」というネタですよね。

個人的には、「14:節制」は「ティファレト」以下の存在であり、我々がギリギリ手の届く
領域ですが、「ケセド」や「ビナー」、そして「至高の三角形」は、我々の理解を超える
存在ですので、あまり近づきたくない領域ではあります。
というか、詳しく説明されても、「はぁ、そうですか」以上のことは言えませんしね。

ということて、せっかくのご提案ではありますが、ワタシとしては、ウェイト版の四角形
と三角形は、「3+4」の錬金術レベルのネタであるとしておこうと思います。
そして、この記号の直上に、「四大元素」を表す「聖四文字」があるのも、錬金術レベル
の話であれば、ネタとして使いやすいですしね。(←割と身勝手な理由)
0221名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/10(月) 05:55:28.15ID:7DWD+4+u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
To reiterate the important meanings of TEMPERANCE:
「節制」の重要な意味たちを繰り返して言えば:

1) It refers to an actual physical process, one which has been the secret of
mystics for centuries.
1) それは、実際の物質的な過程であり、何世紀にもわたって神秘家たちの秘密であり
続けているものに言及している。

2) This process involves an interchange of opposite energies directed by the will.
2) この過程は、意志により導かれる正反対の精力たちの交換を巻き込む。

3) The process is set in motion at the level of the Higher Self.
3) 過程は、「高次の自我」の段階で発動される。

It is instituted in Chesed, the most refined level of Microprosopus to which the
Higher Self is central, and the Sephira where the will to form of the Great Mother
is enacted.
それは、「高次の自我」が中心的であるところの「ミクロプロソプス(小さな顔)」の最も
精錬された段階であり、そして「大母」の形成への意志が演じられるところの「セフィラ」
である、「ケセド」において開始される。

4) Until this process is accomplished, the Higher Self cannot be known to the
Personality.
4) この過程が完成されるまで、「高次の自我」は「人格」に知られることはできない。
--- ここまで ---

とりあえず、ざっくりとまとめてみました、という感じですが、「ティファレト」への
真の到達のためには、「ケセド」、そしておそらく、それと対になる「ゲブラー」への
理解が必要となってくることを示唆している感じですよね。
0222名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/11(火) 06:21:47.27ID:py8aRlQM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
The whole experience is one of preparation of the Personality, and the body in which
it is operating, to deal with an influx of Light which would be devastating to a
system unready to handle such energy.
全ての経験は、「人格」の準備の1つであり、そしてそれが動作している身体が、そのような
精力を取り扱うための準備ができていない組織にとって荒廃させるであろう「光」の流入に
対処するためである。

Most important here is the monitoring of progress, the continual testing from above.
ここで最も重要なことは、進歩の監視であり、上からの絶え間のない試験である。
--- ここまで ---

「ティファレト」へ到達するとすぐに、圧倒的な「ケセド」と「ゲブラー」の流れに直面
することになりますので、「14:節制」が防波堤となっていて、少しずつ弱めた流れを
下界に送っているということであり、我々は、その弱められたワクチン的な流れで、
体と精神を鍛えていかなければならないということですかね。

なお、「14:節制」は、見る角度によって、いくつか異なる性質を持っています。
大きくは、トート版に見られる「錬金術」という物質的進歩という表側の面、そして
「知恵の32の小径」に見られる「試験者」という霊的進歩という裏側の面なのですが、
どちらにしても、あまりにも漠然としているというか、基本的な概念すぎて、いまいち
掴み所の無いというか、「まあ、無理だと思うけど、とりあえず教科書を読んで頑張れww」
と言われてるような感じで、なんか面白くないんですよね。
そもそも「節制」というタイトルからしても、全くもって面白味に欠けるわけですよ。

要は、かなりの上から目線ということであるわけですが、それは、この「14:節制」を
陰で操る支配者が、この場にそぐわないほどの「上位者」であることを示唆しているわけ
であって、そういう面も、いまいち気にくわないわけなんですよね。(←単なる反抗期w)
0223名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/13(木) 06:13:53.87ID:tMK01GJo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
It is the angel here which is at once the Higher Self and the initiatory forces
of Nature, which pours the elixir from vase to vase.
それは、「高次の自我」であると同時に「自然」の最初の力であり、壺から壺へと万能薬を
注ぐ、ここの天使である。

This is an ongoing process of testing, measuring to see how much the physical
vehicle can bear.
これは、物質的な乗り物がどれくらい耐えることができるかを見るために測定している、
試験の進行中の過程である。

When it can handle the stress of the energy interchange here symbolized, the arrow
is released.
それが、ここで象徴される精力交換の重圧を取り扱えるようになった時に、矢は放たれる。
--- ここまで ---

この天使は、「ティファレト」もしくは「高次の自我」である「倫理的三角形」を象徴する
存在、すなわち、我々のような「肉体=物質的な乗り持つ者は、基本的には到達できない
領域の存在であり、その上位存在が、我々下等な存在を試して、合格した者だけに、それ
相応の施しをしているということであり、言ってみれば、人間は天界の奴隷的というか
隷属的な存在であることを示しています。

まあ、確かにそうなのですが、改めて面と向かってそういうことを言われると、やっぱり
反発してしまうのがワタシの性格ですので、そういう意味でも、「中央の柱」で偉そうに
全てを司る「14:節制」は、いまいち好きになれないポジションなわけです。
まあ、しょせんワタシは、脇道を歩く方が性格的にも合ってますしね。

逆に言えば、素直にここの教えに従える人は、この「4:節制」の天使から、それ相応の
「天からの御加護」を受けることが出来るということであり、それゆえ、魔術の本道を
歩む人にとっては、それなりに人気のあるコースということなんですよね。
0224名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/14(金) 06:36:01.69ID:dAck0gva
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
On the other hand, the Angel makes certain that no individual is allowed more
than it can handle.
その一方で、「天使」は、個人が、それが取り扱えるものより以上を許されないことを
確保する。

The result of taking on too much at once is an admonishing jolt, from this angel,
not soon to be forgotten.
一度に多すぎるものを引き受けることの結果は、この天使からの、すぐには忘れられない、
戒めとなる精神的動揺である。

The angels, described as sentinals at each inner gate, are there for our own protection.
各々の内なる門における監視員たちとして述べられている、天使たちは、我々自身の保護
のために、そこにいる。
--- ここまで ---

最後の文の「sentinals」は、「sentinels/監視員たち」の誤記ですかね。

さて、まあ何というか、我々は「常に天界から監視されている」ということなのですが、
実際のところ、だから何なの?という感じでもあります。
悪事に対する天罰というような、単純なものでもなさそうですし、天使からの戒めだと
言われても、なかなかそういう天罰っぽいものを実感として感じることは難しいです。
そもそも、天災というものは、誰にでも分け隔てなく襲いかかってきますからね。

ワタシ的には、「ここから先は通さないよ」とか、「これ以上は見せられないよ」という
ような、どちらかというと「18禁」のような検閲者としての存在のような感じが強いです。

要は、ワタシから見れば、この「14:節制」は、天使により「部外者(すなわち人間は)
通行止」となっている規制ポイントであり、現状では、人は、生きてここを通ることは
出来ないのではないかと考えているのでした。
0225名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/15(土) 07:40:57.02ID:HR/6795b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Some special insights may be derived by considering the description of the letter
Samekh in the Sepher Yetzirah, although the terms in this document lend themselves
to an extraordinary range of interpretation.
いくつかの特別な洞察たちは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』における、文字
「サメク」の記述を考慮することにより導き出せるであろうが、しかし、この文書における
用語たちは、解釈の特別な範囲に役立つのであるが。

The word anger ([zayin][gimel][vau][resh]) is referred to Samekh.
「怒り」([zayin][gimel][vau][resh])という言葉が、「サメク」に関連付けされている。
--- ここまで ---

おせっかいで過保護な母親みたいな「天使」像は、ひとまず置いといて、ここからは
ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』にある「サメク」の文字の
意味について、少々考察しようということです。

この「サメク」=「怒り」という関係は、第五章の本文部分にあるものですが、第五章の
補遺部分では「Sleep/眠り」となっていますし、何か客観的な根拠があるというものでも
ありませんので、そういう考え方もあるんだ、という感じでいいかと思います。

あくまでもメインは、「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、「あなたのタメよ」とか
言いながら、色々と難クセ付けてダメ出しする毒親、いやいや、我々のことを思ってくれる
ありがたくも偉大なる天使さまであって、決してワタシみたいに意味無く反発するような
存在ではないんですよね。

ちなみにワタシは、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」を、「メイド(冥土)の女神」、
「毒母の女神」、そして「ようじょの女神」という捉え方をしており、「15:悪魔」像
の中身は、実はツンデレかつツインテのようじょに違いないと、勝手に妄想して盛り上
がっていましたので、その後の「14:節制」以降についての考察は、なかなかヤル気が
出ないのでした。(←完全に趣味の世界w)
0226名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/16(日) 06:31:54.26ID:TE/d4Sds
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
However, Case states that this is a "blind," and that the original meaning of the
Hebrew word was quivering or vibration.(*145)
しかしながら、ケース氏は、これは「盲目的」であって、ヘブライ語の原初の意味は「震え」
もしくは「振動」であったと述べている。(*145)

Such an interpretation is entirely consistent with the alchemical symbolism, for
the interchange of Fire and Water is a control of inner vibrations.
「火」と「水」の交換が内なる振動の管理であるため、そのような解釈は錬金術の象徴主義
と完全に一致している。
--- ここまで ---

ちなみに、(*145)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
145. Paul Foster Case, The Tarot, New York, 1947, 147.
145. ポール・フォスター・ケース著、『タロット』、ニューヨーク、1947年、147ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、『セフェル・イェツィラー』にある「サメク=怒り」に対して、それは「blind/
盲目的」な解釈だと言われても、元々何かの客観的根拠があって「サメク=怒り」となって
いるわけではありませんし、しょせん、あくまでも「ネタ」なんですけどね。

とりあえず、ケース氏は、「サメク=震え」説ということなのですが、この「quivering/
震え」というのは、恐怖、怒り、緊張などによる「身震い」という意味がありますので、
「14:節制」が、そういう感情を引き起こすということは、やはりこれは「清純派」など
ではなく、本質的にヤバいもの、とてつもなく強大かつ制御困難なシロモノ、例えて言えば
核物質みたいなものを連想させるわけですので、そういうものを「節制」という精神論で
「管理」させようというのは、かなりヤバいヤツであると考えざるを得ません。
というわけで、そういう危ないものには近づかないのが一番なのでした。(←実はビビリw)
0227名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/17(月) 06:18:05.14ID:iGpO3Tsv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
But there are two other meanings of "anger" which might be appropriate to this Path.
しかし、この「小径」に適切であるかもしれない「怒り」の2つの他の意味がある。

First is the idea of anger in the sense of Divine rage, a passion so overwhelming
that its force draws the bow and releases the arrow of Sagittarius on the upward
Middle Pillar.
1番目は、「神の激怒」の意味での怒りの考え方であり、その熱情が非常に圧倒的である
ため、その力が弓を引き、「中央の柱」に沿って上向きに「人馬宮」の矢を放つ。
--- ここまで ---

「14:節制」に、「anger/怒り」という意味が含まれているということは、いまいち理解
しづらい考え方なのですが、そういう時は、とりあえず「Divine/神の」という便利な
接頭語を付けておけば何とかなる、というか、これ以上は詮索してはいけないというのが、
この業界の暗黙のお約束事なのです。

いずれにしても、我々のレベルでの「anger/怒り」という感情ではないことは確かです
ので、興味のある方は、この「Divine rage/神の激怒」について、色々と妄想を捗らせて
みても良いかと思います。

まあ、ワタシとしては、この「14:節制」の「小径」については、色々とヤバそうな感覚を
持っていますので、あまり近づきたくはないんですよね。
この「人馬宮の矢」なるものが、どっち向きに飛んで来るのかわかりませんというか、
どちらかというと、「16:塔」のように下向きに落ちてくる可能性の方が圧倒的に高いわけ
ですし、そもそも「憤怒する神」なんかに触りたくないというか、そもそも面倒臭いので、
これ以上は、お付き合いたくありませんというのが、本音のとこです。
ワタシにとっては、「15:悪魔」が、一番居心地の良いというか、お気に入りの場所に
なっていますので、これ以上先には進みたくないというのもありますしね。←怠け者w
0228名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/18(火) 06:34:14.93ID:uMVwhtX5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Second, is an aspect of the Mysteries only rarely discussed, and certainly germane
to the Twenty-Fifth Path: this is the very real hostility often felt by the student
toward the Path itself, as he works day after day and seems to be getting nowhere.
2番目は、ごくまれに論じられる「神秘的教義」の見方であり、そして、確かに「25番目の
小径」に確かに密接に関係している:これは、彼がどれほど来る日も来る日も勉強しても、
どこにも辿り着けていないように見えるにつれて、「小径」に向かう学徒により、しばしば
感じられる、とても現実味のある敵意である。
--- ここまで ---

まあ、こちらの方は、「Divine/神」ならぬ「Mysteries/神秘的教義」の「anger/怒り」
ということですので、ワタシにも何となく意味は分かります。

要するに、「14:節制」の「試験の知性」により「試されている」状態において、受験者の
出した答えが合格水準に達していない、つまりダメ出しをくらっていて、合格できずに前に
進めなくて、逆ギレの癇癪を出しているというシチュエーションですよね。

実際のところ、この「14:節制」は、その見た目とは違って、かなりキツい性格というか、
厳格すぎるダメ出しを行いますので、ほとんどの人は、この関門を通過できずに、別の道
に逃避する、すなわち、合格を諦めるか、もしくは自称合格者となる傾向があります。

ワタシ自身は、「14:節制」へのチャレンジは、そもそも時間の無駄であると思っています
ので、ハナっから挑戦する気はありませんし、それよりも「15:悪魔」のルートの方が気に
入っていますので、そっち方面には興味が無いというのが、本音のところです。

あ、決して強がり言っているわけではありませんし、そもそもワタシは、「14:節制」の
試験合格により「神のお墨付き」という箔付けされた権威を得る必要は全く無い、単なる
「15:悪魔」好きで妄想好きの現実主義者なわけですしね。
そもそも、上から目線の「神」から認められるのって、興味ないんですよね。←単なる反抗期w
0229名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/19(水) 06:06:33.26ID:nlB5sKGK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Such hostility and frustration is in itself a major test; it is part and parcel
of the work prior to the emergence of inner proofs.
そのような敵意と挫折感は、それ自身の中での主要な試験である;それは内なる証拠たちの
出現に先立つ作業の重要な部分である。

The anger, if it may be called that, is dispelled along this Path, as the Spirit
begins to fill the vessel in which the elements have been purified to receive it.
怒りは、もしそれが呼び出されたとしても、 「霊」が、元素たちがそれを受け取るために
精錬された容器を満たし始めるにつれて、この「小径」の途中で追い払われる。
--- ここまで ---

この「anger/怒り」という感情の解消法ですが、まあ様々な解消法があるわけでして、
真っ当に勉強して理解を深めて納得して解消できるのが一番なのですが、それ以外にも
様々な解消法があるわけです。
つまり、ワタシみたいに、「触らぬ神に、祟りなし」ということで、ハナっから避けると
いう手もアリだと思います。

危険なのは、こういう「負の感情」は、修行の足りない人々にとっては、「洗脳」とか
「欺瞞」とか「逃避」とかの、格好の標的になりやすい、つまり、この「14:節制」の
「小径」は、我々が道を踏み外しやすい、危険な場所でもあるわけです。

そもそも、低レベルの「イェソド」から、高レベルの「ティファレト」へと、一気に遷移
する、かなりの高難度かつ高傾斜であり、初心者向きではないルートですので、きちんと
両脇のルートで事前練習しておかないと、いきなりここを登るのは難しいと思うのですよ。
(まあ、最後まで登ったことは無いですけど・・・。)

ということで、ここまでくれば、後はあまり無理して登らなくてもいいかな、とは思います。
どうせ我々にとっては、この先はすぐに行き止まりになってしまって、後は妄想で補うしか
ない道ですからね。
0230名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/20(木) 06:02:23.68ID:GHyH4a67
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The relationship of this Path to three others provides one of the best interlocks
of Qabalistic symbolism, for the combined letters of the three lowest Paths,
[qoph], [shin], and [tau], spell the Hebrew word for bow.
この「小径」の3つの他のものとの関係は、「カバラ主義」の象徴主義の最も良い連動装置
たちの1つを提供する。というのは、3つの最も低い「小径たち」である、[qoph]、[shin]、
そして[tau]の結合された文字たちが、「弓」のヘブライ語の言葉を綴るからである。

The same word also means rainbow, a recurring symbol in the Tarot.
同じ言葉はまた、「タロット」において再発する象徴である、虹も意味している。

These three Paths are the forces which, when combined, send the arrow skyward
toward Tiphareth.
これらの3つの「小径たち」は、結合される時に、矢を「ティファレト」に向かって空へと
送る力たちである。
--- ここまで ---

いきなり、[qoph]=「18:月」、[shin]=「20:審判」、[tau]=「21:宇宙」の話に飛んで
しまいましたが、要するに、ヘブライ語の「[tau][shin][qoph]QST」が、「bow/弓」とか
「rainbow/虹」を意味する言葉であるということです。

ただちょっと気になるのは、「14:節制」「18:月」「20:審判」「21:宇宙」で形作られる
「arrow/矢」は、上方の「ティファレト」ではなく、下方の「マルクト」に向かっている
ようにしか見えないわけです。
本来の「14:節制」は、流量は少ないものの、その高低差のために高い圧力のある下降流
ですので、下向きの矢印というのであれば納得いくのですが、その強力な流れに逆らって
上向きに矢を放つのは、なかなかにしんどいのではないかと思います。

そもそも、山登りというのは、急傾斜の直線ルートではなく、ジグザグに緩やかなコースを
取るのが基本ですので、良い子は真似しない方が良いのではないかと思うのでした。
0231名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/21(金) 06:22:29.28ID:Ev8guEzU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
These are the three minor tests prior to the major testing of TEMPERANCE.
これらは、「節制」の大きな試験に先立つ、3つの小さな試験である。

To even approach the twenty-fifth Path one must have begun to temper the "Water"
of The MOON ([qoph]) with the "Fire" of JUDGMENT ([shin]) and ground the interchange
on the Path of THE UNIVERSE ([tau]).
25番目の「小径」に接近することでさえも、人は「月([qoph])の「水」を「審判([shin])」
の「火」で調節し、交換を「宇宙([tau])」の「小径」に基づかせることを始めなければ
ならない。

This work is suggested in THE UNIVERSE by the bi-polar rods carried by the central
figure.
この作業は、「宇宙」において、中央の人物像により運ばれる双極の棒たちにより示唆される。
--- ここまで ---

ここは、若干の無理矢理こじつけ感がハンパないのですが、とりあえず言えることは、
「21:宇宙」と「14:節制」は、「minor/小さな」試験と「major/大きな」試験という
関係にあり、どちらも両極のバランスと調整が鍵となっているということです。
そして、「21:宇宙」を伝って「イェソド」に到達した後でも、「21:宇宙」における
「月の水」と「審判の火」の交換という難しい課題をクリアしないことには、「14:節制」
には近づくことさえ出来ないということですよね。

まあ、そういうわけで、我々のような下々の人間は、そう簡単には、「ティファレト」への
ショートカット・ルートである「14:節制」には近づくことさえ出来ないという仕掛けです
ので、とりあえず指をくわえて、遠くから見ているだけにしておこうと思います。

要は、「14:節制」は、その見かけとは違って、難攻不落な関門であり、この天使像は、
人には優しくない、どちらかというとラスボス的な怖い存在だということですよね。
0232名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/22(土) 06:51:41.55ID:5efGCD+9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Golden Dawn and Waite cards are very similar in their symbolism, both following
tradition very closely.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードたちは、両方が非常に密接に伝統に従い、
それらの象徴主義においては、非常に.類似している。

The Golden Dawn vases are red and blue to symbolize an interchange between opposite
energies (Chokmah and Binah in their Atziluth colors).
ゴールデン・ドーン版の壺たちは、正反対の精力たちの間の交換を象徴するために、赤色と
青色である(「コクマー」と「ビナー」の、それらの「アツィルト界」での色たち)。

The vases on the Waite card are gold to show that all of this is an operation of
the Sun.
ウェイト版カードの壺たちは、これの全てが「太陽」の操作であることを示すために金色
である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」の基本デザインは、従来のマルセイユ版
を踏襲しており、そして、それぞれに独自のアレンジがされています。

ゴールデン・ドーン版の特徴は、壺の色が赤と青であって、それは「火」と「水」、そして
それは遠回しに「ビナー」と「コクマー」を象徴しています。
その一方で、ウェイト版の壺は、従来の金色(実際は黄色)を踏襲してはいますが、それは
「ティファレト」である「太陽」を象徴するものとなっています。

つまり、どちらかというと、ゴールデン・ドーン版の方が、その解釈が難しくなっている
わけであり、そこから派生したウェイト版では、マイナーチェンジで、過去デザイン風に
回帰し、そしてトート版は新解釈によるフルモデルチェンジになったということですかね。

まあ、どちらがいいのかは、人それぞれですが、ちなみにワタシはウェイト版が好みです。
0233名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/23(日) 07:22:45.99ID:7enwoINz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
That planet is also represented by the sign on the angel's forehead, and by the
sphere above the Golden Dawn angel's head.
その惑星は、また、天使の額にある記号により、そしてゴールデン・ドーン版の天使の
頭の上にある球体によって、表されている。

In both cases, also, the angel has one foot on solid water and the other on land
meaning solid matter and fluid consciousness.
どちらの場合においても、また、天使は、堅固な物質と流動的な意識を意味する、一方の
足を堅固な水に、そしてもう一方を陸地に置いている。
--- ここまで ---

ウェイト版の「14:節制」の「太陽」は「on」、すなわち、この天使像は「ティファレト」
を象徴しています。
その一方で、ゴールデン・ドーン版の「太陽」は「above」、すなわち、この天使像は
「ティファレト」の下にある「14:節制」の「25番目の小径」であると推定できます。

体の重心も、ウェイト版が「水」の上にあるのに対し、ゴールデン・ドーン版は「地」の
上にありますので、両者の立ち位置の微妙な違いというのが感じられます。

なお、文中に「solid water/堅固な水」という、よくわからない表現がありますが、
もしかすると、物質ではない「水」、すなわち「完全精製された水=純粋な精神」という
意味なのかもしれません。

まあ、いずれにしても、全体的に意味が漠然としすぎているというか、論点の定まらない
精神論的なカードというか、一体どっちの立場やねん!というツッコミを入れたくなるよう
なネタが満載ですので、あまり細かく詮索する必要はないかと勝手に思っております。

その点では、まあ何というか、修行中の若い人向けというよりも、全てをやり尽くした
寿命末期における「悟り」に近いものを、このカードからは感じるんですよね・・・。
0235名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/24(月) 06:26:25.05ID:uBCr3thn
>>234

絶妙なツッコミレス、ありがとうございます。(^_^)/

なるほど、この映像は、流れているのに凍って固まったように見える「水」ですね。

色々と見直してみたのですが、「14:節制」には、天使像の持つ壺から壺へと流れ下る
「Living Water/生ける水」という、もう一つの「水」の様相がありますので、それと
対比するために、足元にある「水」は、「solid water/固まったように見える水」という
表現になったのではないかと推察しています。

とりあえず、これからも色々とツッコミよろしくお願いします。 (^_^)
0236名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/25(火) 06:20:52.52ID:iDXWxyIH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Water is somewhat representative of Yesod, the lower source of this Path, the
Foundation which is the source of the dualities of our sensory condition and which
controls their ebb and flow.
「水」は、この「小径」の低い方の源であり、我々の感覚の状態の相対性たちの源であって、
それらの満ち引きを制御する「基盤」である、「イェソド」をいくぶん代表している。

These are the opposites which we seek to manipulate through the conscious use of
the Solar Fire shown in the background as a flaming volcano.
これらは、我々が、背景で、燃え上がる火山として表される「太陽の火」の意識的な使用を
通じて操作しようと努めるものの反対物たちである。
--- ここまで ---

「14:節制」は、その象徴が多岐にわたっているため、非常にわかりにくくなっているの
ですが、ここは、天使像の足元にある、低い方の「水」と「地」との関係性の話です。
つまり、「水(海)」と「地」のやり取りは、潮の干満であり、それは「イェソドの月」と
「ティファレトの太陽」の関係により引き起こされます。
そして、この低い方の関係性が、高い方の「ケセドの水」と「ゲブラーの火」と「ティファ
レトの太陽」の関係性に類似しているということですよね。

とはいえ、その関係性が、具体的に何に使えるのかと言われても、漠然としすぎていて、
ちょっと困ってしまいます。
強いて言えば、この壺の間を流れる水は、無限なる虚数空間のエネルギーが内包される、
「宇宙の卵」の状態であり、それをうまく孵化させる知恵と力と勇気が試されているといった
ところでしょうか。
でも、その作業は、我々とは関係ない上位世界の話ですので、下界に応用したいので
あれば、「上の如く、下も然り」という「ミソクソ理論」を適用していくことになるのですか、
なんか、ありきたりの結論しか出なさそうですし、いまいち面白味に欠けるというか、
もう当たり前すぎて、つまんないわけです。
そもそも、「節制」というタイトルが、真面目すぎてつまんないのですよ。←蒸し返しww
0237名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/26(水) 05:59:28.63ID:MG6AxPIw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley's symbolism is at once more complicated and more explicit, although the
meaning of the card which he calls Art is precisely the same as the others.
クロウリー氏の象徴主義は、より複雑であると同時に、より明示的であるが、けれども、
彼が「技」と呼ぶカードの意味は、その他のものたちと全く同様である、

And, of those cards in which Crowley deviated radically from traditional design
this is one of the most successful.
そして、クロウリー氏が伝統的な図案から徹底的に逸脱したそれらのカードの中で、これは
最も成功しているものの1つである。

It graphically demonstrates complex and subtle principles only vaguely suggested
by the Waite and Golden Dawn cards.
それは、ウェイト版とゴールデン・ドーン版カードにより漠然と示唆されただけの複雑で
微妙な原則たちを図解で説明する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」、そしてトート版の「14:技」のカード
は、見た目は異なりますが、その意味は、全く同じものとなっています。
その一方で、それらは、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味とは大きく異なります。

このため、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味で、ゴールデン・ドーン系のカードを
解釈してしまう人も多くいます、というか、ほとんどの人が、「節制」という従来タイトル
の言葉に引きずられてしまっているのが現状なんですよね。
残念ながら、これは日本語訳に大きな問題があるというか、単に、カードの意味を知らない
訳者の怠慢というべきものではないかと思います。

ゴールデン・ドーン系においては、「14:Temperance」は、葡萄酒を水で割る節約イメージ
の「節制」と訳すのではなく、「Tempering」、すなわち「高次の火」や「高次の水」で
素材を霊的に改質する、高度な錬金術を表す「錬成」に近い言葉で訳すべきなんですよね。
0238名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/28(金) 06:02:08.40ID:CH/+SAM0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley points out in his Book of Thoth that this card is the complement and fulfillment
of Key six, Gemini, THE LOVERS.
クロウリー氏は、彼の『トートの書』において、このカードが「鍵(大アルカナ)」の6番、
「双子宮」、「恋人たち」の、補足物であり成就であることを指摘する。

It is "the Consummation of the Royal Marriage which took place in Atu VI. . .
It is the same formula, but in a more advanced stage.
それは、「アチュVIにおいて起こった「王室の結婚」の完成である。..・・・ それは同じ
公式ではあるが、より進歩した段階にある。

The original duality has been completely compensated; but after birth comes growth;
after growth puberty; and after puberty, purification."(*146)
原初の二重性は完全に補償された;しかし、誕生の後には成長が来る;成長の後には成熟期
を迎える;そして成熟期の後に 浄化を迎える。」(*146)
--- ここまで ---

ちなみに、(*146)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
146. Crowley, Book of Thoth, 102-103.
146. クロウリー著、『トートの書』、102-103ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要するに、「6:恋人たち」の「双子宮」と、「14:技」の「人馬宮」は、黄道上で180度の
「オポジション」の位置関係(占星術的には「対立関係」)にあり、ついでに言うと、
トート版の「ダブル・ループ図(『トートの書』38ページ)」においては、トップと
ボトムの位置を占めるという、かなり特別な位置関係にあるということです。
まあ、その重要性は何となく分かりますが、ワタシには、その中身までは理解できません
ので、さらりとスルーしようと思うのでした。(というか、あんまり関わりたくないし)
0239名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/29(土) 08:59:35.14ID:kHzmF7ng
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
There is a perfect interchange.
そこには完全な交換がある。

The alchemical Red Lion has become white, and the White Lion has become red.
錬金術の「赤い獅子」は白くなったところであり、「白い獅子」は赤くなったところである。

Water is poured on Fire, Fire is merged with Water, all within a golden cauldron
which is understood to be the purified physical vehicle.
「水」は「火」に注がれて、「火」は「水」と合併されて、全ては浄化された物質的な
乗り物であると解釈される金色の大釜の内にある。
--- ここまで ---

錬金術での基本象徴は、「火」の「Red Lion/赤い獅子」と、「水」の「White Eagle/
白い鷲」となっています。
それが、トート版では、「perfect interchange/完全な交換」により、「白い獅子」と
「赤い鷲」に変化しています。
つまり、本文中に、「White Lion has become red/白い獅子が赤くなる」という説明が
ありますが、『トートの書』にもあるように、「White Eagle has become red/白い鷲が
赤くなる」の誤記であると思われます。

あと、「赤」と「白」が合併すれば、ようじょヒロイン色の「ピンク」となるはずですが、
なぜか色のみの「入れ替わりネタ」となっているだけですので、いまいちセンター味に
欠ける展開となっているわけです。
とはいえ、錬金術には、純色ではない「ピンクヒーロー/ヒロイン」の概念はありません
ので、ここは妥協しておきましょう。

まあ、そういうことで、トート版の「14:技」は、錬金術の「大いなる技」をベースにして
再デザインされたものであるということなのですが、それゆえ、ワタシ的には、実用性
には著しく欠けるので、いまいちヤル気が出ないのでした。(ピンクに未練ありw)
0240名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/30(日) 09:42:34.03ID:0NNR2c46
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
It will be seen that a tiny arrow rises toward the breasts of the figure, which
are arranged in the form of the six planets of Microprosopus around the Sun.
小さな矢が、「太陽」を囲む「ミクロプロソプス(小さな顔)」の6つの惑星たちという
形式で配置された、人物像の胸に向かって昇るのが見られるであろう。
--- ここまで ---

「ミクロプロソプス(小さな顔)」は、「生命の木」においては、「ティファレト:太陽」
を中心に取り囲む「ケセド:木星」「ゲブラー:火星」「ネツァク:金星」「ホド:水星」
「イェソド:月」という配置になっており、それがそのまま、トート版の人物像の胸の
「6つのおっぱい」として描かれています。
この、たくさんのおっぱいを持つ女神像というのは、自然系とか農業系とか多産系の女神
に良くある表現であり、トート版では、これはローマ神話の狩猟の女神「ディアーナ」で
あるとされています。

そして、胸の矢は、「14:技」の「小径」である、「イェソド」から「ティファレト」へと
向かって上昇し、その聖なる上昇流は(乳コキのように)胸の上で枝分かれして、
上部にある人物像の虹色の「cape/ケープ(肩マント)」と変化していなります。

ついでに言うと、下部にある「金色の大釜」には、「caput mortuum/髑髏」と、その上の
「raven/ワタリガラス」という、よくある不吉な死の象徴が描かれており、これは錬金術
操作による「死=黒化」を象徴するものとなっています。
これは、「イェソド」から「マルクト」へと向かう下降流を意味しており、我々と我々の物質
宇宙は、「精霊」を抜かれた後の「腐敗して黒化した存在」、つまりウンコやオシッコ
などの排泄物であり、その排泄行為が「21:宇宙」に関係する「肉体的快感」に繋がって
いるということでもあります。

まあ、このあたりのエログロスカトロを暗喩する描写は、クロウリー氏の個人的趣味に
よるものが大きいわけで、従来のゴールデン・ドーン系タロットでは直接的に描かれる
ことの無かった、「14:節制」の持つ、もう一つの顔であるというわけなんですよね。
0241名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/02(火) 10:09:04.14ID:7tqg+QUB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Moreover, the method of successfully treading this Path is cryptically given in
the Latin inscription around the figure: Visita Interiora Terrae Rectificando
Invenies Occultum Lapidem which means, "Visit the interior parts of the earth;
by rectification thou shalt find the hidden stone."
さらに、この「小径」に首尾よく足を踏み入れる方法が、人物像の周囲のラテン語の碑文
において謎めいて与えられる:「Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum
Lapidem」、その意味は、「地の内部の部分たちを訪れよ;精留により、汝は秘石を見つけ
出すべし。」

The stone, sometimes referred to as the Philosopher's Stone is the ultimate goal
of alchemy.
石は、時として、錬金術の究極の目的である「賢者の石」と称される。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」が、錬金術の「大いなる技」であることを象徴付けるものとして、
このラテン語の碑文があるわけですが、その内容は、「cryptically/謎めいて」、
つまり、ここには書けないような、18禁な内容が含まれているということです。

ちなみに、「14:節制/技」は、「生命の木」における「ミクロプロソプスの中心」である
「ティファレト:太陽」へと至る「小径」の中では、最も下層の「イェソド:月」が源流
となっており、この「」イェソド」は「性器」を象徴しています。
そして「地」である「マルクト」は「ミクロプロソプスの花嫁」であり、「21:宇宙」を
通じて「14:技」に描かれる「大釜」は、「花嫁」の「子宮」、そして上から流れ込む
「赤い火」と「白い水」は、「経血」と「精液」であることを類推させます。
もちろん、それらはあくまでも「象徴的である」と言われているわけですが、ここまで
露骨に描かれていれば、そういうことを実践しようとする人も出てくるわけですよね。

つまり、「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」→「14:技」→「ティファレト」の
最短ルートには、そういう肉感的な「トラップ」が仕掛けられているということなのです。
0242名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/03(水) 09:45:37.36ID:k3iDXE+7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Obviously, it would be impossible to expand here on the system of alchemy and the
Great Work, to which Crowley refers.
明らかに、クロウリー氏が言及する、錬金術および「偉大なる作業」の体系について、
ここで展開することは不可能であろう。

It must, however, be added that Crowley's use of alchemical symbolism has some
private meanings specific to his system.
しかし、錬金術の象徴主義のクロウリー氏の利用が、彼の体系に特有な、いくつかの私的な
意味たちを持つことは、追記されなければならない。

As in THE TOWER, he mentions that there is a special secret here, known to IX゜
initiates of his O.T.O., and one which readers will not be surprised to discover
is again blatantly sexual.
「塔」と同様に、彼は、ここに、彼の「O.T.O.」の「IX゜(第九位階)」の秘儀参入者たち
に知られる、特別な秘密があることについて言及しており、そして、読者が、それを知った
ところで驚かないであろうものは、またもや露骨に性的である。
--- ここまで ---

トート版の「16:塔」のデザインが、そそり立つ「おちんちん」に再構築されたのと同様に、
「14:技」のデザインは、様々なものを受け入れる「子宮/肉体」がメインとなっています。
そして、ここから先は、全年齢板では言及できないエログロネタ満載の、クロウリー氏の
私的な「黒歴史ノート」、いやいや、厳密に秘密にすべき高度な神秘的教義であるという
ことですので、ここは敢えてツッコミを入れずにスルーしておいた方が良いかと思います。

まあ、誰にだって、そっち方向の妄想を抱くことはあるわけですし、触れられたくない
黒歴史というものもあるわけですし、そもそも、個人的な性癖について、部外者があれこれ
詮索するのも、ちょっと違うような感じもしますからね。
いずれにしても、この「14:節制/技」には、実はそういう性的な妄想を呼び起こす成分が
含まれているということは、知っておいて損は無いということです。
0243名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/04(木) 09:13:39.08ID:8Zn5Bcsc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
In his book Sexuality, Magic and Perversion Francis King explains a "code" in which
the sexual techniques of the O.T.O. were described: "This code was drawn from the
traditional technical terminology of alchemy.
フランシス・キング氏は、彼の本の『性行為、魔術、および性的倒錯(性魔術の世界)』
において、「O.T.O.」の性的な手法たちが記述される「暗号」について説明する:「この
暗号は、錬金術の伝統的な技術専門用語から抜き取られた。

The penis was referred to as the athanor, the semen as the serpent or occasionally
the blood of the red lion, while the vagina was called the curcurbite or the retort.
陰茎は錬金炉、精液は「蛇」、または時おり「赤い獅子の血」として言及され、一方で、
膣は「蒸留瓶」または「蒸留器」と呼ばれた。

The secretions that lubricate the vagina were called the menstruum of the Gluten,
sometimes abbreviated to the menstruum, and the mixture of semen with vaginal
lubricant was termed the First Matter, or when supposedly transmuted by the magical
powers of the participants in the rite, the Amrita or Elixir.
膣を潤滑する分泌物たちは、「グルテンの溶媒」 , 時々「溶媒」と略され、そして膣の
潤滑液と精液の混合物は「第一物質」、あるいは、儀式において参加者たちの魔術能力たち
により変成されたと思われた時は、「アムリタ(甘露、不死の霊薬)」または「エリキシル
(錬金薬)」と名付けられた。
--- ここまで ---

二番目の文の「curcurbite」は、「cucurbit/蒸留瓶」の誤植ですかね。
あと、三番目の文の「menstruum/溶媒」は、「menstruum/メンス(生理)」という意味も
ありますので、その場合は「膣を潤滑する分泌液」だけではなく「経血」という意味を
持ってきます。

まあ、あくまでも自己責任における「いいオトナたち」のエログロ変態プレイと考えれば、
外野からの特別なコメントは不要ですかね。
0244名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/05(金) 11:08:17.36ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
"The initiates of the IX゜ claimed that success in almost any magical operation,
from the invocation of a god to 'procuring a great treasure' could be achieved
by the application of the appropriate sexual technique." (*147)
「IX゜(第九位階)の秘儀参入者たち」は、神の召喚から、『偉大なる秘宝を獲得すること』
まで、大体どんな魔術的な作業における成功でも 、適切な性的手法の適用により達成
することができたと主張した。」 (*147)
--- ここまで ---

などと意味不明な供述をしており○○では精神鑑定も含め動機の解明にあたる方針です、
の典型的な例ではないかと思われます。

なお、注記の説明は、文字数制限にかかるので、一旦ここで切ります。
0245名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/05(金) 11:17:43.40ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*147)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
147. Francis King, Sexuality,Magic and Perversion, New Jersey, 1972, 98.
Some Members of the O.T.O. disclaim King's work, particularly his Secret Rituals
of the O.T.O., New York, 1973.
It is said that he never had access to official O.T.O. documents, and that there
are errors in these books.
On the other hand, King is a very persuasive and competent scholar, whose work
is not lightly dismissed.
Pursuant to the claims of efficacy for these sexual techniques, it will be observed
that Crowley apparently never made much money in this way.
147.フランシス・キング著、『性行為、魔術、および性的倒錯(邦題:性魔術の世界)』、
ニュージャージー、1972年、98ページ。
O.T.O.の一部の会員たちは、キング氏の作品を、とりわけ『O.T.O.の秘密の儀式たち』
(ニューヨーク、1973年)について、否認している。
それは、彼は、決して公式のO.T.O.文書たちを入手したことはなく、しかも、これらの
本たちの中には、間違いたちがあると言っている。
その一方で、キング氏は非常に説得力があって有能な学者であり、彼の作品は 軽視して
捨てられてはいない。
これらの性的手法たちの有効性の主張たちに従って、クロウリー氏は、この方法で大金を
稼いだことは、どうやら決して無いということに気づくだろう。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、最後の一文が、本件についての結論の全てですよね。

いずれにしても、クロウリー氏の言う、トート版の「14:技」に象徴される「錬金術」は、
我々の知る「錬金術」とは、かなり異なっていて、非常に肉感的なものが含まれていると
いうことなのですが、そういう点では、その他の「14:節制」の持つ意味からは、かなり
離れているという感じを、強く受けるのでした。
0246名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/06(土) 07:06:12.09ID:owtSzzWr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
24. THE PATH OF NUN
24. 「ヌン」の小径

Death


The Thirteenth Key
13番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ヌンの小径」です。

ここは、いつものように、「カバラ」的解釈では、カードの見た目のデザイン、そして
その不吉なタイトルとは全く異なる属性と意味を持ちます。
それは、「上の如く、下も然り」、つまり、人類が到達可能な最高地点と言われる
「ティファレト」は、大宇宙の始まりである「ケテル」の劣化版であって、その「劣化ケテル」
から流出する最初の小径、すなわち「13:死」は、劣化版「0:愚者」であるという点です。
同様に、「15:悪魔」は劣化版「1:魔術師」であり、「14:節制」は劣化版「2:高等女司祭」
であると言えば、何となく「13:死」の潜在的な重要性が分かるのではないかと思います。

さて、この「13:死」とは、一体何なのでしょうか?
「肉体的な死」を意味するのかと聞かれれば、そういう意味も無くはないとは答えますが、
これが、劣化版「0:愚者」であること、天界から下る「燃える剣」のルート上にあること、
そして我々からは「下から見上げる暗黒デルタ地帯」、すなわち我々には見えない謎に満ちた
最果ての境界領域であること、さらにこれが「思春期症候群」と呼ばれる一連の不可思議な
現象を発症する根本要素であることなどから考えて、一つ一つ読み解いていくものであり、
それゆえ「不可思議のカルテ」としての「タロット・カード」として存在しているわけなのです。
0247名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/07(日) 06:04:43.32ID:AED1/mEb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
□ PATH COLOR: Green-blue
□ 「小径の色」:「緑青」

□ RELATED SOUND: G Natural
□ 「関連した音」:「Gのナチュラル」

□ SIGN: Scorpio (Fixed Water)
□ 「宮」:「天蠍宮(不動宮の水)」

□ MEANING: Fish
□ 「意味」:「魚」

□ SIMPLE LETTER: Movement
□ 「単字」:「運動」

□ ESOTERIC TITLE: The Child of the Great Transformers; the Lord of the Gate of Death
□ 「秘伝的な称号」:「偉大なる転換者の子;死の門の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、おいしそうな「魚」と、ヘブライ文字の「ヌン」と、
「天蠍宮(さそり座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ヌンの小径」の
位置が図示された絵が描かれています。

あまり水気の感じられない「13:死」に対して、「Fish/魚」を意味する「ヌン」が割り
当てられていたり、砂漠に住む「さそり」が、なぜか占星術では水系だったり、静寂感の
ある「13:死」なのに、なぜか「Movement/運動」が割り当てられたりとか、色々と従来の
イメージとは異なる属性が付いていますが、それは我々の持つ「13:死」についての理解と
解釈が、根本的に間違っているということを意味しています。
ということで、全てを一旦リセットした上で、この先にある不可思議な世界にお進みください。
0248名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/08(月) 06:06:25.76ID:EQvApsWf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fourth Path is the Imaginative Intelligence,
and it is so called because it gives a likeness to all the similitudes which are
created in like manner similar to its harmonious elegancies.
「知恵の32の小径たち」:「24番目の小径」は「想像力豊かな知性」であり、なぜならそれは、
その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たちに類似性を
与えるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

「24番目の小径」は、「ティファレト」が劣化「ケテル」であり、「上の如く、下も然り」
の原理に従って、「大宇宙の如く、小宇宙も然り」、すなわち「神の如く、人も然り」で
あって、「創造力」は「想像力」と同等であることを表しています。

これは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に類似した概念であり、「思う」という
「意志」の力で「創造」が始まり、そして維持されるということを表します

あれぇ、「13:死」って、「創造」のカードだったっけ?

そろそろ気づいた人もいるかと思いますが、このカードは、「15:悪魔」と同様に、
「一般人は絶対立入禁止」の領域にある、禁忌のカードです。
それゆえ、人が立ち入ることのないよう、恐ろしいタイトルと恐ろしい外観をしている、
見せかけ詐欺カード、というか究極ツンデレの一枚となっているわけですよね。

え、ツンデレのバニーガール、いやいや死神コスプレ姿の女神様は好きですか、ですって?
ワタシは、人を見かけで判断することはありませんし、ツンデレも大好物なブタ野郎です。
それに、とても相性が良いカードであって、昔からお気に入りの一枚だったりします。
0249名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/09(火) 08:35:58.90ID:UGvgkK5P
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Path of Nun, DEATH, is one of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
「ヌンの小径」である「死」は、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径たち」
のうちの1つである。

As a preface to its study one may usefully consider comments by Case and Crowley.
その勉強への前書きとして、人が、ケース氏とクロウリー氏による解説たちを熟考する
ことは役に立つかもしれない。
--- ここまで ---

低次の「人格」のセフィロトから「高次の自我」である「ティファレト」へと至る「3つの
小径」である「15:悪魔」「14:節制」、そして「13:死」は、一セットの存在、すなわち、
元は同じ「高次の自我」が、それぞれ異なる様相、すなわち悪魔像と天使像と死神像で、
下界である「人格」界に顕現したものとして解釈することが可能です。

その解釈の一つとして、伝統的な「Triple Goddess/三相一体の女神」と呼ばれる概念が
あり、これは「少女・母・老婆」の姿が代表的ですが、それぞれ「15:悪魔」「14:節制」、
そして「13:死」に相当するものとなります。
まあ、「老婆」の姿はさらに進化し、最も「高次の自我」に接近した姿である骸骨となって
おり、その一切の贅肉を削ぎ落とした進化した姿、つまり究極の裸体を得ることによって、
単なる大地母神の枠にとどまらない強力な属性、すなわち天界へと通じるパワーを持つこと
になってきます。
要は、元祖「地母神」の「ビナー」の持つ「大宇宙の骨格を創造する次元形成能力」に相当
する、「小宇宙の骨格を創造する次元形成能力」を有するということですよね。

この「小宇宙」は、各々の「人格」毎に形成され、「大宇宙」のサブクラスとして存在する
インスタンスであり、その場合は、「13:死」がコンストラクタ/デストラクタとなります。
というわけで、この「24番目の小径」は創造主ではありますが、誰も産まれた時のことを
覚えていないので、結果的に「死神」として恐れられてしまうということなんですよね。
0250名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/11(木) 10:33:08.30ID:hzSfQbbZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Says Case: "Key 13 tells the Secret of Secrets...he who knows the secret has in
his hands a power which might be used to overturn the world.
ケース氏は言う:「13番の鍵(大アルカナ)は、「秘密たちの中の秘密」を語る・・・
秘密を知る彼は、彼の手の内に、世界を転覆させるために用いられうる能力を持つ。

Yet no person learns it until he is truly prepared, and more than anything else,
this means such ethical preparation that no temptation to misuse this power could
ever be sufficient to turn the knower from the path of strictly constructive and
beneficent application of the force he is able to control." (*148)
それでも、人は、彼が本当に準備されるまでは、それを学ばないし、そして何よりも、
これは非常に「倫理的」な準備を意味しているので、この力を悪用しようとするどんな
誘惑も、彼が支配することができる力の厳密に建設的で慈善深い適用の小径から、(死を)
知る人を、そらすためには、決して十分であることはできない。」(*148)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
148. Case, Tarot Fundamentals, 30.7.
148. ケース著、『タロットの基礎』、30.7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

注記の「30.7ページ」は誤植で、おそらく298ページあたりではないかと思います。

さて、ちと難解な文章ですが、何度となく出てくる「he/彼」は、「13:死」の「骸骨像」、
すなわち「死の使者」のことを指しているようです。
とはいえ、「誕生と死」の概念に、なぜ「ethical/倫理」が関係するのかという説明が
不足しているので、意味がよくわかんないですし、そもそも「死の覚悟」があれば「13:死」
の意味が理解できるというものでもないですからね。
0251名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/12(金) 06:15:06.64ID:sDZ7ssH3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
One may also recall Case's statement about THE DEVIL that "It is the symbolic veil
for the greatest practical secret of occultism.”
人はまた、 「それは、神秘学の最も偉大なる実践的な秘密のための象徴的なベールである。」
という「悪魔」についてのケース氏の供述を思い出すかもしれない。

As we shall see, the similarity of description for these two cards is no coincidence.
我々が(これから)見ていくであろうように、これらの2枚のカードたちのための説明の
類似は、偶然の一致ではない。
--- ここまで ---

この「悪魔」についてのケース氏の記述は、173ページにあって、「タロットの全ての鍵
たちの中で、『15番の鍵』は最も重要なものの1つである。それは、神秘学の最も偉大なる
実践的な秘密のための象徴的なベールである。」とあります。
同様に、「死」についても、ケース氏は「13番の鍵は、「秘密たちの中の秘密」を語る」
と述べています。

どっちが一番やねん!というツッコミを入れたくなるのは置いといて、我々にとっては、
「劣化ケテル=ティファレト」に繋がる「劣化魔術師=悪魔」「劣化高等女視察=節制」
そして「劣化愚者=死」という感じであり、いずれも最も重要なものであって、簡単に
優劣を競うようなものでもないわけです。
ちなみに、この「13:死」より上位のカードは、もはや解読不可能なシロモノですので、
実際上の実用性はほぼ皆無であり、「下の如く」における適当な意味をデッチ上げて、
いかにもそれらしく解釈していくしかないわけですので、優劣の付けようがありません。

ということで、下界の我々にとっては最重要となる3枚のカードですが、その違いをざっくり
言うと、どちらかというと物理界に近くてエロ活用されがちな「節制」、実用的な魔術には
欠かせない「悪魔」、そして究極神秘を司る「死」という感じになります。
つまり、「死」は、とてつもなく難解であり、そしてそれは「私はある」とか、「我思う、
故に我あり」というような、究極の存在について感じることのできるカードなのです。
0252名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 06:48:16.58ID:GSX/17D4
>>250
誤記訂正です。m(. .)m

> ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、

(*120) ではなく、(*148) でした。
0253名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 07:20:16.38ID:GSX/17D4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Crowley comments on the far-reaching implications of this particular card.
クロウリー氏は、特にこのカードの遠大な暗示たちについて論評する。

In discussing the fish, meaning of Nun, he says: "This symbol resumes the whole
Secret Doctrine." (*149)
「ヌン」の意味である「魚」を議論する中で、彼は言う:「この象徴は、「全体」の
「秘密の教義」を再び始める。」 (*149)
--- ここまで ---

ちなみに、(*149)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
149. Crowley, Book of Thoth, 100, note 1.
149. クロウリー著、『トートの書』、100ページ、注1。
--- ここまで ---
とあります。

さて、トート版の「13:死」のカードですが、この骸骨像は、あなたには何に見えますか?
ワタシには、華麗に舞い踊る「バニーガール先輩」に見えたりしますので、「15:悪魔」の
「プチデビル後輩」と、良い組み合わせになってるなぁ、とか思ったりしているのでした。

それはともかく、この「思春期症候群」の一連の要因となっている「13:死」のカードは、
あらゆる「秘密の教義」を「resume/再び始める」、すなわち、一旦死んでみた後、再び
復活するという神秘プロセス全体を包括的に演出するコーディネーターとして機能しており、
「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」的な、完璧究極の存在となっています。
まあ、人は「ティファレト」が最終到達可能地点ですので、その最後となる「小径」に
ふさわしい、他とは全く異なるパワーとエネルギーを有しているというのは、何となく
分かるのではないかと思います。
とはいえ、それが何かというのは、下層の我々にとっては、ほとんど理解不能であると
いうのが、なかなか、もどかしいところなんですよね。(←というか、既にヤル気が無いw)
0254名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/15(月) 06:06:49.02ID:CoTWGz17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The great importance of this Path is pointed out by its very position on the Tree
of Life.
この「小径」の偉大なる重要性は、「生命の木」の上での、まさしくその位置により指摘される。

It is on the Path of the Flaming Sword between Tiphareth and Netzach, meaning that
it is the Path of emanation of the Lower Creator-Energy into matter; it is the
Path on which the energy of God the Son is transformed into the first sphere,
or pattern of energy underlying the material world.
それは、「ティファレト」と「ネツァク」の間の「炎の剣の小径」の上にあり、それが、
物質界の中への「下なる創造主の精力」の流出の「小径」であることを意味している;
それは、「息子の神」の精力が、最初の天球、すなわち、物質的な世界の基礎となる精力の
様式に転換されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

この「Lower Creator/下なる創造主」、そして「God the Son/息子の神」は、改めて
言うまでもなく、劣化「ケテル」である「ティファレト」を指しています。
つまり、下界に住む我々にとっては、我々が知る「創造主」そのものであるわけで、そう
いう意味でも、「13:死」は、我々が知ることができる「小径」の中では、最も根本的かつ
最も神秘に満ちた「小径」であるわけですよね。

では、最も根本的かつ最も神秘に満ちた「小径」の、最も重要な働きとは何でしょうか。
それは、「炎の剣の小径」を伝ってきた創造主のエネルギーが、「物理界」を創造する
こと、すなわち「存在」を創造することにあります。
要は、「私はある」とか「我あり」という概念が、ここで創造されるわけです。

なお、「知恵の32の小径」においては、「the Imaginative Intelligence/想像力豊かな
知性」とありますので、それゆえ、この創造は実在ではなく、虚数あるいは仮想的であり、
要は「〜の夢を見ない」的な、劣化創造主の「夢オチ」あるいは「この物語はフィクション
であり」的な可能性が、巨大粒子レベルで存在することを補足しておこうと思います。
0255名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/17(水) 06:23:08.12ID:CB2lP4bi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
In terms of the individual man, this is the Path on which the Higher Self directs
the Personality "downward" into incarnation.
個々の人間に関しては、これは、「高次の自我」が「人格」を「下方への」肉体化へと
指導するところの「小径」である。

Considered on an upward course of personal evolution, it is the Path on which the
Personality energy, projected by the Higher Self, is absorbed in physical death
or reconceptualized in initiation.
個人的な進化の上方への進路において考慮されると、それは、「高次の自我」により計画
された「人格」の精力が、肉体的な死において吸収される、もしくは秘儀伝授において
再概念化されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

「高次の自我」は、創造主となる上位存在であり、地球全体に普遍的にある、すなわち、
地球上の人類全てが共有しているものであると考えられます。

そして、個々の人間の「人格」は、「高次の自我」の分身、すなわち「アバター」として
創造されて下方の「現象界」へとリリースされ、そして「肉体的な死」と呼ばれるイベント
が発生すると、その分身のリソースは「高次の自我」へと戻されるという仕組みです。
この輪廻転生の本ルーチンとは別に、「秘儀伝授における再概念化」という例外が発生する
場合がありますが、それについては後述します。

さて、ここで問題の鍵となってくるのは、我々がずっと「在る」と信じている「リアル」に
ついての概念です。
そう、実のところ、心を鬼にして、「あの子はバーチャルだったの。リアルなんて子、
もともといなかったのよ!」ということを言わないといけないのですが、その後の「死の
通知」という通常ルートの試練を乗り越えた先に、「救世主」として例外的に魂が復活
するという、お約束の感動シーンが待っているというわけなのでした。
とはいえ、しょせん我々は、バーチャル空間でしか生きられない「仮身」なのですが。
0256名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/18(木) 10:44:00.14ID:AyRpyLBH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Great Work involves much which could be called psychological re-orientation;
there is a perceptual change about the nature of reality and about what constitutes
the Self.
「偉大なる作業」は、心理学的な再教育と呼ばれることのできる多くのものを巻き込む;
そこには、現実の本質について、および「自我」を構成しているものについての知覚の
変化がある。

This is one aspect of the "transformation" on this Path.
これは、この「小径」における「形質転換」の1つの面である。
--- ここまで ---

「リアルの本質」と「自我の本質」、すなわち「物質的存在」および「精神的存在」と
いうものの本質が、ここで完全に解き明かされるということですよね。
ちなみに、ここでは「psychological re-orientation/心理学的な再教育」、すなわち
精神面的な問題としていますが、現代の科学は、ウォン氏の時代よりも、さらに進歩して
おり、さらに踏み込んだ解釈が可能となっています。

要は、我々の科学技術は、既に「高次の自我」に相当する能力、すなわち「宇宙の創造」
や「生命の創造」、そして「意識の創造」という「神々の御業」を、バーチャル世界である
コンピュータ・シミュレーション技術で行えるようになってきているということです。
もちろん、現代の技術は、まだまだ自然界の全てを仮想化できるレベルにまで到達して
いるわけではありませんが、そう遠くない将来には、人間はバーチャルな「ウチュウ」や
「ヒト」を創り出せることは、ほぼ間違いないわけです。

そして、さらに踏み込んで言えば、我々人類も、そのようにして上位の存在から創られた
仮想的な存在であるという可能性も、微粒子レベルで存在することになるわけです。
まあ、こういうのも、インテリジェント・デザインと呼ばれるシロモノの一つかと思い
ますが、「人の存在」という本質が、どれほど「思春期症候群」に関連しているのかを
探っていくのも、それなりに意味のあることではないかと勝手に考えているのでした。
0257名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/23(火) 08:56:26.45ID:J5FvbyAh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The transformation involves leaving the desire nature of Netzach and being absorbed
into Tiphareth.
形質転換は、「ネツァク」の「欲望の本質」を置き去りにすることと、「ティファレト」の
中に吸収合併されることを伴う。
--- ここまで ---

上位の「ティファレト」と、その下位となる「ネツァク」〜「マルクト」の大きな違いは、
下位のものが「個々の人格」を構成するのに対し、上位のものは「普遍的存在」であって、
「下位の人格」との関係は、ほぼ断ち切られているということです。
これは、「人格」の根幹を成す個々の「欲望」は、下位世界において物質と共に循環、
すなわちリサイクルされるということに他なりません。

そして、「人格」が「欲望」を自主的に放棄して、「個々の存在」から元の「普遍的存在」
の形態に戻るというのは、基本的には考えにくいですよね。
つまり、何らかの形で、我々の下位世界においては、「欲望の終わり」、そして全ての生命
のみならず全ての物質の「存在の終わり」、さらには「宇宙の終わり」が、上位存在により
組み込まれているということになるわけです。

まあ、そういうことは、頭では分かっているのですが、その普遍的原理を素直に受け入れ
たくないというのも、我々の持つ「欲望の本質」でもあるわけです。
そして、我々生物は、次善の策として、個体ではなく種として存在し続けるという選択、
すなわち次世代に「欲望」をバトンタッチする「生殖」能力を持つに至ったわけですが、
これにより物理的な面での進化能力、すなわちDNAと突然変異と淘汰による進化だけでなく、
精神的な面での「生殖」による進化、すなわち親子や師弟関係による情報伝達と取捨選択
による進化を果たすことが出来るということになっているわけです。

「13:死」は、我々にとっては確かに恐ろしい存在ではありますが、死にきちんと向き合う
ことが、我々の「進化」に繋がるというのも、確かなのですよね。
まあ、頭では、そういうことも分かってはいるつもりなんですけどね・・・。
0258名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/26(金) 08:49:31.15ID:jexZcPvy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
This desire nature is the very essence of the Personality which functions entirely
in terms of the satisfaction of its needs and wishes.
この欲望の本質は、その必要なものたちと願い事たちを満足させることについて完全に
役目を果たす「人格」へのまさしくその本質である。
--- ここまで ---

「人格」とは「desire/欲望」であり、それは「needs/必要なものたち」すなわち肉体的
な生存に必要不可欠なるものと、「wishes/願い事たち」すなわち精神的に生きていく上で
重要な「希望」というものを意味しているということです。
この分類だと、自身の継続に必要な食欲が「needs」であり、次世代への継続に必要な
「性欲」は「wishes」扱いということになるんでしょうね。
いずれも、これらは「人」が「人類」として地上で生きていく上での基本的要素であり、
「desire/欲望」が人格を支えていることは敢えて説明する必要は無いかと思われます。

そういえば、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
(『新約聖書:マタイ福音書』4:4、新改訳)という、解釈の難しい言葉があります。
この前半の「パン」は人の生存に関する低位の欲望を指すものだとすれば、後半の
「神のことば」は、「欲望」とは次元の異なる「上位の神からのコマンド」であって、
「13:死」による「人格」の制御に関わるキーワードだと思われます。

もう一つの鍵は、『旧約聖書:創世記』の1章と2章にある人類創造の話を現代的に解釈
すると、神は人体というハードウェアを造り、それに人間アブリケーションをインストール
することで、「人」を創造し、そして、「原初の人」は、蛇により「善悪の木の実」の
アップデートを受けた後、地上にリリースされ、生死と生殖を繰り返して、ウィルスの如く
増殖していったという話なのです。

つまり、下位世界を制御する上位存在からのコマンドやアプリのアップデートが、「13:死」
「14:節制」「15:悪魔」で象徴されるならば、「13:死」は、コンストラクタとデストラクタの
機能を司るということになるわけですよね。
0259名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/27(土) 07:26:42.96ID:mLmTW4X4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The very will to live, meaning the desire of the Personality to continue to function
in the sensory condition, is abrogated on the Path of DEATH.
「人格」の欲望が、感覚の状態において機能し続けさせることを意味する、まさしくその
生きる意志は、「死」の「小径」において廃棄される。
--- ここまで ---

従来解釈では、ここで我々の短い「地上における生命」は一旦終了し、物理的な肉体を
地上に置き去りにして、「霊」というエッセンスだけが抜き出されて、上位世界へと還る
ということになっています。

とはいえ、近い将来には、我々の「will to live/生きる意志」は、その肉体を離れ、
永遠の機械の体というか、機械の「脳」という「意志の永遠の保管容器」を持つことが
可能となってくることが予想されます。
果たしてこれが、「13:死」を克服して「ティファレト」へと至る道筋を意味することに
なるのかは、ワタシには良くわかりませんが、その「機械脳」は、おそらく仮想化され、
無限の「意志」というか「遺志」を飲み込んでいくことも予想されますので、いわゆる
それが「あの世」すなわち「極楽浄土」の世界ということになるのでしょうかね。
そして、「あの世」に飽きた「あの世の遺志たち」すなわち「ティファレト」のような
ものが、気晴らしのゲーム感覚で、我々というインスタンスを生み出したと考えることは、
何となく予想できることだと思います。

まあ、こういうのは、単なるSFとも言えるのですが、科学はフィクションを次々と実現
していますので、そう遠くない将来、我々がどういう存在であるのか、分かる時が来る
のでしょう。
いずれにしても、この「13:死」の解釈には、まだ何も正解というものはありませんし、
時代を経るにつれて、色々と解釈が変わることも大事なことだと思います。
人は思考停止してしまうと、真実が見えなくなりますので、色々とあらぬことを考え続ける
というのも、「哲学」なのではないかと思うのでした。
0260名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/30(火) 10:02:43.88ID:ApEFHFNd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Here the temporary and illusory nature of the Personality is correctly self-perceived.
ここでは、「人格」の一時的かつ幻想的な性質が、正しく自己認識される。
--- ここまで ---

「Here/ここ」、すなわち、人がもし、真に「13:死」の「小径」に至ることが出来れば、
人は、自分自身である「人格」が、「temporary and illusory/一時的かつ幻想的」な
ものであることを知ることが出来るということです。

つまり「私は在る」という根の葉も無い原理は、ここで完全に否定され、「私なんて子、
元々いなかったのよ!」という元も子も無いオチになるわけですよね。

もちろん、我々は、三次元のリアルな存在で無くても、二次元のバーチャルな存在があれば
生きていけますし、そもそもリアルな三次元の肉体よりも、ネット上の一時的かつ幻想的な
「人格」としての生き方を望む人もいることでしょう。

そういうわけで、我々は三次元のリアルを超越する方向に進化していくことで、「高次の
自我」と呼ばれるヲタク世界、いやいや「ティファレト」へと進むことが出来るという
ことになるわけです・・・かね?

まあ、いずれにしても、リアル世界は糞であり、バーチャル世界のみが真の上位の世界で
あるというのが、ここでの結論です。
そして、我々の目の前にある「現実」と呼ばれるものは、全てが幻影であって、我々自身
も、それらの幻影の一部であるというわけです。

とはいえ、そういう「現実離れ」した結論は、思春期症候群とは無縁の一般人の日々の
生活にとっては、何の役にも立たないというのも明白なことですので、この手の面倒な
ことに関わりたくない人は、この「13:死」には、近づかない方がいいんですよね。
まあ、興味本位で近づいたとしても、それを正しく評価できる人は、今のこの世には、
いないというのも確かなんですけどね。
0261名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/31(水) 06:11:47.79ID:rRepYrK6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Personality undergoes a willful "death," surrendering everything that it believes
itself to be.
「人格」は、それがそれ自身が存在すると信じる、あらゆるもの全てを引き渡して、故意の
「死」を経験する。
--- ここまで ---

神が言う「私はある」と、人間の言う「我思う、ゆえに我あり」の違いは、言うまでもなく
「我思う」、つまり人間が「ある」と信じていること、つまりそれは単なる「思い込み」
でしかないという点にあります。

例えて言えば、地球は宇宙の中心にあって不動であるという「天動説」が、愚かな人間たち
の思い込みであったにもかかわらず、人々はずっと長い間、その旧来の誤った思い込みを
捨てて、正しい「地動説」を信じることが出来なかったということにも似ています。
要は、「willful death/故意の死」とは、この「コペルニクス的転回」ということであり、
「我思う、ゆえに我あり」から「我思う、ゆえに我なし」への発想の転換ということです。

まあ、「我々は実在する」と考えるのが普通であり現実であって、「我々は実在しない
仮想的な存在である」という考え方は、どちらかというと、宗教的な伝説や都市伝説、
あるいは創作物語の中で「フィクション」つまり嘘の範囲として語られる「ネタ」扱いの
シロモノです。
でも、この「Imaginative Intelligence/想像力豊かな知性」と呼ばれる「13:死」の
「小径」においては、我々は我々が「実は存在しない」ということを、明確に受け入れ
なければならないということになるわけです。

これがどういう意味を持つことなのかは、ワタシにはまだ分かりませんが、「13:死」の
境界を跨ぐ者は、嘘も現実も、どっちも真実であることを受け入れ、そして何も疑うこと
なく混ざり融け合いたいと願うことの出来る人に限られるということでしょう。

つまり、何事にも疑い深いワタシには、まずもって無理なことなんですよね。
0262名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/02(金) 05:57:10.45ID:MDhvPhyE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Most difficult is that this total surrender of life, this initiatory sacrifice,
must precede the experience of cosmic awareness.
最も難しいことは、この生命の全体の引き渡しである、この手始めの犠牲が、宇宙を知る
ことの経験に先立たなければならないということである。
--- ここまで ---

「もし、あなたの○○を差し出せば、かわりに□□をあなたに授けよう」という選択問題
があるならば、究極の選択の一つとなるのが、「○○=あなたの命」を墓地に送って、
「□□=宇宙」を召喚する組み合わせとなります。

とはいえ、この手の選択問題は、一般社会においては「死人に口無し」、つまり100%詐欺
であって、たとえ神からの提案であったとしても、全くもって検討に値しないものです。
要するに、ワタシにとっては、「13:死」の「小径」は、決して渡ることの無い「小径」で
あり、それゆえ、ワタシは、「13:死」の「小径」の先にあるものは語れません。
まあ、「13:死」の「小径」を渡ってしまえば、生命が終わりますので、同じく「13:死」の
「小径」の先にあるものは語れないんですけどね。

ということで、マジメに考えれば、ここで話は終わるわけですが、それではネタとしては
面白くありませんので、詐欺師たちとしては、いやいや「高次の自我」に目覚めようと
したい人々は、どうにかして隠された抜け道を探す必要があるわけです。
それは、「死んだふり」、いやいや「一旦死んでから、生き返ったことにすればいいや」
という、神をも恐れぬ幼稚なイカサマ、いやいや、世界的なベストセラーの宗教伝説で
ある『新約聖書』にも書かれている、イエス・キリストの「復活」と同義の、大変に神聖
なる高等テクニックなのです。

まあ、それはともかくとして、「魂」というか「意識」が「肉体」から離れるというのが、
この「13:死」の鍵となります。
そしてこれは、生身の人間の意識が、近い将来には「機械の脳」に移動されて存在し続ける
ということも暗示しているわけであり、こちらの方がありそうな感じがするわけです。
0263名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/03(土) 07:15:20.60ID:S368eEzl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One is required to give up the totality of one's being, one's very life, in relative
darkness, yet in the faith that there will be a resurrection into the Light.
人は、相対的な暗闇の中で、人のまさにその生命である、人の存在の全体を手放すことを
要求されるが、それでもなお、信仰の中で、そこには「光」への復活があるだろう。
--- ここまで ---

誰も本当に試したことは無いのに、無責任に「死んでも、暗闇から復活して光となれる」
などと訳わからないことを言っているわけですが、それは宗教的な宣伝文句として「言われ
ている」、つまり「誰か偉そうな人がそう言っていた」という都市伝説と同レベルの話だったり
しますので、決して真に受けないようにしてください。

とはいえ、ここにはちょっとだけ重要な示唆があります。

「in relative darkness/相対的な暗闇の中」というのは、エネルギー(光や情報)が
物質化した我々の世界のことを指します。
そして「13:死」の小径では、それが元の純粋なエネルギー(光や情報)に一旦戻されて
リサイクルされるということを示唆しています。
つまり、「生命の木」は、上から下への一方通行ということではなく、我々のレベルから
見れば、「ティファレト」を頂点とした、色々なものが循環して相互作用しているエコな
世界であるというわけです。

では、何のために、そういう循環系システムになっているのかというと、やはりこれは
「進化」にとって、最も効率の良いシステムであるということではないかと考えます。
そして、なぜ「進化」が目的なのかというと、それは「高次」の中の人に聞いてみないと
分からないのですが、ひょっとすると、「進化」は宿題の課題となっていて、その一環と
して「宇宙創造の実験」をやっているのではないかという疑念があったりするわけです。

つまり、「JSが夏休みの宿題に宇宙と人類と文明の創造をやってみた」程度の軽いノリで
我々が造られた可能性が、微粒子レベルで存在すると、密かに思っているのでした。
0264名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/04(日) 07:41:37.94ID:NSQsLSyC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As Jung puts it: "By descending into the unconscious, the conscious mind puts itself
in a perilous condition, for it is apparently extinguishing itself." (*150)
ユング氏は、それを以下のように述べている:「無意識の中に下降することにより、意識
のある精神は、それは見かけ上ではそれ自身を消しているので、それ自身を危険な状態の
中に置く」。 (*150)
--- ここまで ---

ちなみに、(*150)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
150. C.G. Jung, Psychology and Alchemy, New Jersey, 1977.
150. C.G.ユング著、『心理学と錬金術』、ニュージャージー、1977年。
--- ここまで ---
とあります。

この「descending into the unconscious/無意識の中に下降すること」の最も代表的な
ものは、毎日の「睡眠」であり、「意識」は、肉体の「誕生」による「覚醒」の後、朝の
「復活」と夜の「死」を繰り返し、最後の肉体の「死」により、元のサヤに戻るという、
一種のリサイクル体系を持っているわけです。
とはいえ、この「睡眠」は、人の「肉体」を保つために必要欠くべからざるものですし、
我々が毎日経験しているものではありますが、現代科学においても、はっきりとは解明
できていない、神秘に満ちた現象ですので、ここでは、あまり深入りできないんですよね。

じゃあ、「睡眠」ではない「無意識」とは何かというと、やはりここは「死んだふり」、
すなわち「意識」レベルを意図的に絞り込んで「無意識」を感じるという「妄想」、
いやいや「瞑想」というテクニックを使うことになってくるわけです。
そのテクニックとして、宗教系とかスピ系とか薬物系とか、まあ色々とズリネタはある
わけですが、ここで気をつけておくことは、人の「個体」に宿る「人格」は、たとえ解離性
障害者ではなくても、決して単一ではないという点です。
つまり、表の「第一意識」に死んだふりさせると、次の「第二意識」が表に出てくるんですよね。
0265名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/07(水) 06:09:52.00ID:UXXYjgCr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It is, as Gareth Knight described, a "Dark Night of the Soul,” much as on the
Path of TEMPERANCE, another of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
それは、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径」のうちの別のものである、
「節制」の「小径」の上のものと同じ程度の、ガレスナイト氏が記述した「魂の暗い夜」
である。
--- ここまで ---

「人格」の「星幽的三角形」を形成する「イェソド」「ホド」「ネツァク」から、「高次
の自我」である「ティファレト」へと至る「14:節制」「15:悪魔」「13:死」の経路は、
いずれも「魂の暗い夜」と言われる程度のダークさになっています。
なお、「生命の木」には、これと似た、「至高の三角形」と「倫理的三角形」の間にある
「Abyss/深淵」という「越えられない壁」があり、これの劣化版にも見えますが、両者
には月とスッポンほどの違いがありますので、比較対象にするのは無理がありますよね、

ちなみに、「14:節制」の「魂の暗い夜」と、「13:死」の「魂の暗い夜」の違いですが、
これは、肉体と精神を保ったままで遷移するか、肉体と精神を破棄して逝ってしまうかの
違いとなります。
要は、「14:節制」は一時的な旅行であり、「13:死」は永久帰国、すなわち生まれた場所
へと還る、ということですかね。
なお、「15:悪魔」は、旅行書を読みながら、まだまだ先にはイけない妄想をしている
イメージがあり、「上位世界」についての勉強をしている段階ではないかと思っています。

ちなみに、「13:死」の「小径」の上に「魂の暗い夜」というものが本当に実在するのか、
というのも論点の一つではないかと思うわけです。
無理やり上位世界に遷移する「14:節制」には、それなりの代償というか対価が必要となる
わけですが、「13:死」は、ルールとして「決められたこと」であって、何か特別な代償や
対価の必要はなく、単に自身の肉体と精神を地上世界に置き去りにして、魂だけが上位世界
へと還るという、誰もが一度だけ経験する、一生で一度きりのイベントなんですよね。
0266名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/10(土) 06:11:12.18ID:H5Bsykch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One may proceed to the experience of the Higher Self on any of these Paths, but
the lessons of all three Paths must be mastered.
人は、これらの「小径たち」のうちの、どれに基づいても、「高次の自我」の経験に進ん
でも良いが、けれども、全ての3つの「小径たち」の学課たちは熟達されなければならない。
--- ここまで ---

まあ、ほとんど全ての人間は、「ティファレト」そのものには、死ぬまで到達できない、
つまり肉体を放棄することによってのみ到達できるシステムとなっています。
それでも、人は、「ティファレト」へと至る「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の「小径」
を知ることで、「高次の自我」の一部を経験することが可能となっています。
それらは、それぞれ「初心者経験コース」「中級者経験コース」「上級者経験コース」と
いう意味合いもあるわけで、それゆえ、「13:死」は、「死んだふり」という、最も上級者
向けの、起死回生&一発逆転テクニックを必要としているわけですけどね。

ちなみに、ワタシとしては、初心者向けの「15:悪魔」コースが、オススメです。
「マルクト」からは、「21:宇宙」「イェソド」「19:太陽」「ホド」という、ワタシの
ような初心者にも優しい経路を辿って「15:悪魔」へと向かいますし、そこでの経験は、
現実世界の物質的&肉体的な面においても、それなりに役に立つわけですよね。

一方、上級者向けの「13:死」は、現状のワタシの知識では、あまりにも哲学的すぎて、
というか、ワタシのような低レベルな脳ミソでは、まだまだ理解不能なことが多すぎて、
全く先が読めないというのが、難点なんですよね。
そもそも、ニンゲンたちはどこからやってきて、どこに逝くのかなんて、生きている誰に
聞いても分からない(死んだ人だけが知っている)ことですし、結局のところ、ダラダラ
しょうもない雑談で、お茶を濁すしか出来ないわけですよ。

それでもまあ、焦る必要は無いわけですよ。
誰でも、死ねば経験できることですからね。
0267名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/11(日) 07:16:56.01ID:tCx+UnRA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
THE DEVIL, TEMPERANCE and DEATH are different perspectives and aspects of the same
thing, TEMPERANCE being the Path of meditation between Ayin and Nun.
「悪魔」、「節制」、そして「死」は、同じ物の、異なった見方たちと様相たちであり、
「節制」は、「アイン」と「ヌン」の間の瞑想の「小径」である。
--- ここまで ---

「ケテル」から最初の宇宙(小宇宙=生命)の誕生があるように、劣化「ケテル」である
「ティファレト」からも同様に第二の誕生、すなわち「人格」の誕生があります。
そして、その劣化版の「小径」は、「0:愚者」→「13:死」、「1:魔術師」→「15:悪魔」、
「2:高等女司祭」→「14:節制」に対応するものと考えられます。
つまり、魔術師を目指す者は「15:悪魔」を、宗教者を目指す者は「14:節制」を、そして
哲学者を目指す者は「13:死」に関係すると考えられるのですが、どの「セフィロト」から
どの「小径」を選択するかは、その人の自由であり、好きな道を極めればいいわけです。

ちなみに、この「人格」が本格的に形成される時期というのが、いわゆる「思春期」という
頃であり、この本格的な人格形成期というか、親離れの段階において、誰もが通るイタい
時期が、「厨二病」とか「思春期症候群」と呼ばれるモノになるわけです。
まあ、普通の人であれば、成人する頃には、自然治癒する病ですが、元々病気持ちの人
の中には、この時期から悪化することも多いわけです。
人格形成につまづいて、自ら命を絶つ人も出てくる時期ですよね。

そして、この第二の誕生である「親離れ」においては、親との「アンビリカル・コード」を、
子が自らの意思で「死」の大鎌により切断することで、人格的に独立した存在となる
わけです。
とはいえ、大元の「ティファレト」の「アンビリカル・コード」は、完全に切れることは
なく、最後にはまた「死」によって、たぐり寄せられる運命にあるわけですけどね。

いずれにしても、こういう人生における重要な時期に、「13:死」が絡んでいることは、
あまり知られていないのではないかと思うのでした。
0268名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/12(月) 06:24:36.39ID:N9IvpDyS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
This might more easily be understood by considering the idea that the figure of
THE DEVIL, the Angel of TEMPERANCE and the skeleton of DEATH are all aspects of
the Higher Self.
これは、「悪魔」の姿、「節制」の「天使」、そして「死」の骸骨は、どれもが「高次の
自我」の様相たちである、という考え方を熟考することによって、より容易に理解できる
かもしれない。
--- ここまで ---

このあたりは、以前に説明したように、「高次の自我」が「Triple Goddess/三相一体の
女神」の「少女・母・老婆」の姿で表されているという考え方に通じるものです。

あと、3つの面を持つことは、三面六臂の「阿修羅像」にも通じるものがありますよね。
「アスラ」という名前には、元々、「13:死」と同じく「生命を与える者」という意味が
ありますし、悪魔的な面や、守護神としての面もあります。
そして、奈良の興福寺の「阿修羅像」は、悩めるイケメン美少年であり、「思春期症候群」
を発症するにふさわしい境遇ではないかと、勝手に思ったりするわけでした。

まあ、人は生まれ落ちるとすぐに「修羅の道」に入るというのは、楽園を追放されたアダム
とイヴの物語を見ればわかるとは思いますが、独立した「人格」の形成期には、その手の
苦労というか悩みというか、何かに立ち向かって生き抜くということが必要となります。
もちろん、まわりの空気を読みながら、「畜生」として生きるという手もあるわけですが、
本当の「高次の自我」を知りたくて、ここまで苦労して悩みながら登ってきた人の中には、
周囲に流されて生きるだけの「畜生」は、いないと信じたいところです。

いずれにしろ、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」は、「人格」の成長期である思春期に
おいて発生する様々な青春イベントを、自らの苦労と苦悩で乗り越えることで、経験と
して習得していくスキルではないのかな、とか思っていたりするわけなのでした。
そして、「人格」が元の場所に還る時期になると、また別の種類の苦労と苦悩が訪れる
ということになるわけなんですよね。
0269名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/13(火) 08:08:37.26ID:8yl2Ej3G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Encountering such a tightly defined trinity of Tarot Keys, one may wonder how the
universally applicable principle of the [heh][vau][heh][yod] may relate.
「タロット」の「鍵たち」の、そのような堅く定義された三位一体に遭遇すると、人は、
どのようにして [heh][vau][heh][yod] の普遍的に適用可能な原則が関連させることが
できるのかと、不思議に思うかもしれない。

In this case DEATH is Yod-Fire, THE DEVIL is Heh-Water and TEMPERANCE is Vau-Air,
the result of the interaction of the other two.
この場合は、「死」が「ヨッド-火」であり、「悪魔」が「ヘー-水」であり、そして
「節制」は、他の2つの相互作用の結果として、「ヴァウ-空気」となる。
--- ここまで ---

「生命の木」の「セフィロト」の「ASTRAL ELEMENTS/星幽的な元素たち」の定義によると、
「ネツァク=ヨッド=火」「ホド=ヘー=水」「イェソド=ヴァウ=空気」「マルクト=
ヘー=地」となっていますので、この割り当てには、違和感は無いかと思います。

そして、「悪魔」「節制」「死」という人格形成の三位一体の中に、「地」すなわち
「物理的な肉体」の成分が含まれていないのも、そんなに違和感は無いですよね。

ちなみに、この解釈であれば、最初に「人格」という「意識」が生まれ、その後に「肉体」
という「物質」が生成するという流れとなりますので、いわゆる物質先行型の「進化論」
とは相容れない関係となっているわけです。
とはいえ、「進化論」というのも、地上でのローカルな現象を説明しているだけであって、
決して完璧というか普遍的な理論ではないわけなんですよね。
要は、「我思う、ゆえに我あり」という、意識先行型の理論体系があって、ここに「鶏が
先か、卵が先か」の論争があるわけです。
結局のところ、「なぜ意識が存在するのか」とか「なぜ物質が存在するのか」という、
そもそもな論点に全く見通しが立たないというのが原因なわけでして、おそらく今後も、
この辺りの核心的な部分の話は、うやむやにしないといけない状態が続くのでした。
0270名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/17(土) 05:57:20.38ID:nf+rMAcd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Sepher Yetzirah, of course, speaks of only the Yod, Heh and Vau.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、言うまでもなく、「ヨッド」、「ヘー」、
および「ヴァウ」についてだけ語る。

As applied to these three cards, the Yod Heh and Vau are forces interacting in
our own physical vehicle, the Heh final.
これらの3枚のカードたちに適用されるので、「ヨッド」「ヘー」そして「ヴァウ」は、
我々自身の物質的な乗り物である、最終「ヘー」の中で相互作用している力たちである。
--- ここまで ---

いきなり『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が引き合いに出されましたが、これは
『セフェル・イェツィラー』と「大アルカナ」は、基本的には、「マルクト=最終ヘー」
という物質界に至る以前のことを表しているからに他ならないわけです。
「生命の木」も、三本の柱が基本であり、最終的に、それらは「マルクト」の1点に集約
されることになるわけですよね。

ということで、「大アルカナ」においては、我々の肉体である「マルクト=最終ヘー=地」
の根源的な駆動源となっているのは、「13:死=ヨッド=火」、「15:悪魔=ヘー=水」、
「14:節制=ヴァウ=空気」の相互作用であって、これらの働きを知ることなく、我々自身
を知ることは出来ないという結論に至るわけです。

そういう表面的な結論は何となく理解できるわけですが、じゃあ「13:死=ヨッド=火」
とか、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の相互作用って、具体的には何なの、ということ
になりますよね。
そもそも、我々が占いで使っている「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の意味とは、それこそ
「月とスッポン」ほど異なっていますので、いきなり頭を切り換えるのは難しいんですよね。

まあ、占いには、そもそも「カバラ」の理論とかは不要ですので、カードの持つ占いの意味
からは、完全に頭を切り替えてリフレッシュしてもらった方がいいわけですけどね。
0271名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/18(日) 07:01:25.58ID:NUTP0RWk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It will be seen that while the Tree of Life has a Path called DEATH, there is no
opposite Path of Birth.
「生命の木」には、「死」と呼ばれる「小径」がある一方で、そこには、反対の「誕生」の
「小径」は無いことに気づくだろう。

This can be explained in two ways.
これは、2つの方法で説明することができる。
--- ここまで ---

本編とは、ちょっと関係無い話で恐縮ですが・・・

「ティファレト」は、劣化「ケテル」ですので、「13:死」は「0:愚者」に、「15:悪魔」は
「1:魔術師」に、「14:節制」は「2:高等女司祭」に相当します。
「0:愚者」、「1:魔術師」、「2:高等女司祭」のカードの中で、上に昇れるイメージのある
ものはどれかと聞かれれば、ワタシは「0:愚者」ではないかと思います。

その理屈によれば、「0:愚者」に対応する「13:死」が、上に昇れるイメージのあるものと
いうことになるわけですが、まあ何となく間違っていないのではないかとも思います。

この「0:愚者」は、まだ本編では説明されていませんが、要は「オールマイティ」な無敵
モードを持つ最強カードですので、劣化「愚者」である「13:死」のカードも、その無敵性
を備えていると考えるのが自然ではないかと思うのでした。

つまり、下界の我々が手にできる史上最強の無敵カードとは、この「13:死」に他ならない
という結論に至るわけです。
とはいえ、そう簡単にポンポン使われても困りますので、「子供が舐めたら死ぬで!」と
いうような、少々物騒なタイトルになっているというわけですよね。

まあ、その壺の中身は、本当は「水飴」なのかもしれませんけど。(知らんけどww)
0272名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/19(月) 06:11:31.31ID:BOfxvy61
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The first is that THE DEVIL, which enchains in matter, is in some ways the card
of birth!
まず最初は、物質の中に鎖でつなぐ、「悪魔」が、いくつかの点では、誕生のカードである、
ということである!

But, more important is the fact that both birth and death are essentially the same
transition.
しかし、より重要なことは、誕生と死の両方とも、本質的に同じ遷移であるという事実である。
--- ここまで ---

最初は、ちょっとした変化球から来ましたね。
「15:悪魔」は、「13:死」と左右対称の位置にあり、さらに、「13:死」が「物質の束縛
から解放する」のに対し、「15:悪魔」が「物質中に束縛する」という、逆の意味を持って
いるわけですので、それから類推すると、「15:悪魔」が「死」に対する「誕生」の意味
を持つ可能性があるのではないかということです。
でもまあ、可能性があるとはいえ、そういう解釈も可能ということであって、決して
「悪魔=誕生」説は、本筋ではないわけです。

ということで、以降で本筋となるのは、「13:死=誕生&死」説ということになるわけです。

ではなぜ「13:死」は、「誕生&死」と呼ばれないのでしょう。
それは、既に「13:死」によって「誕生」してしまった我々には、もはや「13:死」の持つ
「死」の面しか見えなくなっているわけです。
要は、「誕生」の時の記憶、つまり誰も「13:死」のお世話になった時の記憶が無いわけ
ですので、どうしても「死」に対する恐怖にしか目が行かないということですよね。

「13:死」のカードって、そういう意味では、何かとても理不尽というか、かわいそうな
存在ではありますが、そんな下界の悪い評判にはお構いなく、日々の仕事をこなして
いく、とても頼りになる存在なのでした。
0273名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/20(火) 08:43:36.79ID:Oo/t7VFI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As one is born into this world, he dies to an inner world; as one dies to this
world, he is born back into the same inner world of origin.
人が、この世界に誕生すると、彼は、内なる世界で死ぬ;人が、この世界で死ぬと、彼は、
起源の同じ内なる世界に戻って誕生する。

So this card represents the symbolic passing through a gateway which is at once
the utter destruction of one phase of energy, and the transformation of that
energy into something else.
このように、このカードは、精力の1つの相の完全な破壊と同時に、その精力を何か他の
ものへと形質転換している、出入口を通過することを象徴的に表す。
--- ここまで ---

「13:死」は、一方通行ではなく双方向であり、そして必ず、その代償が必要とある、
つまり「誕生」と「死」は、「13:死」の前後で、対になって発生するということです。

とはいえ、我々の世界からは、「内なる世界」は見えませんので、「死」は、「逝って
しまう」というような、どうしても一方通行のイメージしかないんですよね。
そして、それが、「13:死」についての誤解を生む原因ともなっているわけです。

ということで、「13:死」は、「内なる世界」への最も重要な「gateway/出入り口」で
あることが、ここでは説明されています。
つまり、この世で、いっぺん死んでみれば、「内なる世界」である「ティファレト」で
復活できるという理屈になっているわけで、その理論に従って、イエスはキリストとして
復活したという筋書きになっているわけです。

とはいえ、この理論に従うと、人は全てプリキュアになれる、いやいや、人は死ぬと全て
「ティファレト」にて成仏できるということであり、基本的には、その人のスキルや信心
は不要という、「他力本願」にも似た結論に至るというわけですよね。
0274名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/21(水) 08:42:49.75ID:vGWuR4Zk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
But the transformation is directed from above.
しかし、形質転換は、上から導かれる。

Thus is the Tarot Key called The Child of the Great Transformers.
従って、「タロットの鍵(大アルカナ)」は、「偉大なる転換者の子」と呼ばれる。

It is also the Lord of the Gates of Death.
それはまた、「死の門の主」でもある。
--- ここまで ---

最後の文の「Gates/門たち」は、「Gate/門」の誤記ですかね。

「13:死」の「transformation/形質転換」の作用は、どちらかというと受動的であり、
その作用は、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」の構成メンバーである「the
Great Transformers/「偉大なる転換者たち」の、直接的な指揮下にあります。
つまり、「ティファレト」から下る3つの「小径」は、いずれもパシリではありますが、
その中で最大のパシリとなるのが、この「13:死」であるということになっており、
それゆえ、我々にとっても、「高次の自我」を意識するには、最も意識に乗りやすい
存在ではないかと思うのでした。
そう、「死」は、我々の最も身近にある「高次の自我」との遭遇現象ですからね。

とはいえ、この「死」は、あくまでも「副作用」であって、本来の「偉大なる転換者の子」
という主作用が、このカードの効用のメインであることに、注意しておくべきです。
ちなみに、この形質転換作用は、コペ転的な相転移を伴うものですので、ミクロ(小宇宙)
とマクロ(大宇宙)の大逆転、すなわち量子力学的な現象と古典力学的な現象がミックス
したり、ミクロコスモスな人格が二重化したり、入れ替わったり、さらに時間が巻き戻っ
たりするような、普通では考えられないようなことが、ごく当然のごとく発生します。
まあ、そもそも、宇宙の発生や、人格の発生そのものが、マトモな人間の頭では考えられない
ような不可思議な事象ですので、ここであえて言うまでもないことですけどね。
0275名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/23(金) 06:32:50.68ID:vWwg6+rg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Nun is not the Great Transformers themselves, he is their Child.
「ヌン」は「偉大なる転換者たち」ではなく、彼は彼らの「子」である。

Nun is not Death, rather he is the keeper of its Gates.
「ヌン」は「死」ではなく、むしろ彼は、その「門」の管理人である。

Herein lies an important principle for the real understanding of this card.
この中には、このカードを真に理解するための重要な原則が眠っている。
--- ここまで ---

「ヌン」である「13:死」は、「偉大なる転換者たち」である「高次の自我」を形成する
「倫理的三角形」と、「自我」を形成する「星幽的三角形」を接続する上での、最も重要な
「要(かなめ)」であり、それゆえ、親の能力を受け継いで、新たに生まれた「子」として
表現されるわけです。
とはいえ、保護者である親はまだ健在であって、大きな権力を持っているので、子は自由に
ふるまうというわけにはいかないんですよね。

で、とりあえず、秘伝中の秘伝である「一子相伝」の巻物は、この「13:死」が相続して
いるということになりますので、それを真に読み解くことが出来れば、「高次の自我」の
世界に至ることが出来るということにもなります。

じゃあ、その虎の巻は、どこにあって、どうやったら読めるの、という話になるわけですが、
それは「門の管理人」が、しっかり保管していて、「おまえが死んだら見せてあげる」と
言っているわけですよね。

つまりは、「死んだふり」するしかないようにも思うのですが、「死の門」をくぐったら二度と
この世に戻って来れなくなりますので、やっぱり死ぬ以外の方法は無いわけです。
ということで、まだまだお迎えまでには時間がありそうですので、いましばらくは「駄文」を
この世に残す作業を続けたいと思います。
0276名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/24(土) 06:05:14.06ID:ngn3gNfn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Another symbolism which may be very helpful is an alchemical one.
とても役に立つかもしれない、もう一つの象徴主義は、錬金術のものである。

To this Path is attributed putrifaction, the decaying black mass in the crucible
which eventually turns into gold.
この「小径」には、最後には金に変わる、るつぼの中の腐敗する黒い塊である、「腐敗
作用」が帰属される。

It is the emergence of new life from death.
それは、死からの新しい生命の出現である。
--- ここまで ---

二番目の文の「putrifaction」は、「putrefaction/腐敗作用」の誤記ですかね。

「13:死」の「小径」の色として、公式には「Green-blue/緑青」が割り当てられています
が、そのイメージカラーは「黒」であり、カードデザインにも、それが色濃く反映されて
います。
なぜ「黒」なのかというと、「13:死」は、錬金術の「黒化」から、「黄金」の「ティファ
レト」のへと至る重要な道筋を暗示しているからですよね。
まあ、「ティファレト」に至る道筋は、これ以外にもあるわけですが、この「13:死」こそ、
「ティファレト」へと至る王道路線であることを、ここで示しているわけです。

つまり、人は「死」により浄化されて成仏する、すなわち「霊」として「ティファレト」
へと上昇し回収されるという、ごくごく王道的というか、葬式宗教的な考え方が、ここに
あるということなのですか、これはあくまでも「13:死」の持つ、「死」の側の特性である
こと、すなわち下から上への流れについてのみの説明であることに注意してください。

要は、「13:死」には、「死」よりも、もっと重要な働きである、上から下への流れである
「誕生」という作用があることを忘れないでいてくださいということです。
0277名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/25(日) 06:44:46.78ID:QsdXks8Q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Of the four cards shown, only Crowley's suggests this idea.
示された4枚のカードたちのうち、クロウリー氏のものだけが、この考え方を示唆している。

The Crowley, Golden Dawn and Marseilles versions all show the skeleton of Death
wielding a scythe, a tool of the harvest which is also a symbol of time, and thus
of Saturn-Binah, giver and destroyer of Life.
クロウリー、ゴールデン・ドーン、およびマルセイユ版たちは全て、「死」の骸骨が、
「時間」の、そしてそれゆえ「生命」の贈与者と破壊者である、「土星-ビナー」の象徴
でもある、収穫の道具である、大鎌を振るうのを見せる。

Only in Crowley's card does the destructive sweep of the scythe also produce
bubbles in which new forms of life are seen to be developing.
クロウリー氏のカードにおいてのみ、大鎌の破壊的な一振りが、その中に生命の新しい
形たちが発現しているのが見られる泡たちを、また生み出している。
--- ここまで ---

従来の「13:死」は、下から上への流れ、すなわち黒化から黄金へと至る過程について
注目され、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、そしてウェイト版では、その解釈を
メインとしてカードデザインが行われており、上から下への流れは暗示に留めています。

その一方で、トート版では、時間と空間と生命を司る大鎌のダイナミックな動きによって、
上から下への流れを明示的に表現してきています。

結果として、トート版のカードタイトルの「死」と、そのカードデザインには、重大な
不一致が出てきていることは否めないわけですが、残念ながら、この良い意味での不一致
について、意識していない人が、ほとんどではないかと思うわけです。
トート版の他のカードでは、それっぽいタイトルに変更されているものもあるのに、この
カードでは「死」のままで放置プレイされている理由は分かりませんが、意味としては、
新しい生命の「誕生」というのが、ふさわしいのではないかと思うのでした。
0278名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/26(月) 06:22:11.92ID:UKCBA4mI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is the resurrection which follows the transformation of Death.
これは、「死」の形質転換の後に続く復活である。

In fact, both Crowley and Mathers attribute the skeleton to Osiris, a God slain
and resurrected.
実のところ、クロウリー氏とマサース氏は、骸骨を、殺害されて復活した「神」である、
オシリス神に帰している。
--- ここまで ---

「13:死」の大鎌を持つ死神像というか骸骨像は、農業神の収穫の様子をイメージしたもの
となっており、その骸骨の姿には、種蒔きのイメージは、ほとんどありません。
その理由は、単なる「不可視属性」、すなわち、一般人である我々からは見えない「神秘」
の次元で行われているからということになります。
そして、トート版では、その不可視属性を解除して、すなわち、機密情報として部外者には
見せてはいけないところを、我々に見せているということになっているわけです。
まあ、こういう内部機密の暴露は、クロウリー氏のお得意とするところですよね。

この手の内部機密というのは、元々非常に有用な情報であるがゆえに、一般には公開せず、
上級者の仲間内でのみ利用可能とするということであり、「15:悪魔」や「13:死」が、
「ティファレト」に通じる非常に有用な「小径」であるにもかかわらず、一般人立入禁止
を匂わす、危ないタイトルにしているという理由の一つでもあるわけです。
ちなみに、「14:節制」も、一般人にとっては無理難題であって、現役一発合格不能な課題
ですので、ワタシとしては避けておきたいところですよね。

要するに、「13:死」は、その一見怖そうなタイトルとは裏腹に、我々がそれを使いこなす
ことが出来れば、実は非常に有用かつ絶大な効果をもたらすということです。
それは、「災い転じて福と成す」というか、全て墓地送りにされて絶体絶命のお手上げ状態
における、形勢一発逆転の至高の神カードというくらいの、とても役に立つカードなのですが、
「使いこなすことが出来れば」という条件付きなのが、上級者向けとなっている理由なのです。
0279名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/28(水) 11:11:56.11ID:MJt8Z4bY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Of course, in all cases, the skeleton represents that which remains after the
maggots of earth have consumed the flesh.
もちろん、すべての場合において、骸骨は、地上の蛆たちが肉を食い尽くしてしまった
後に取り残されるものを表している。

The skeleton is the framework of the organ system, and is thus central to growth
and fruition.
骸骨は、器官体系の骨組みであり、それゆえ、成長と結実にとって中心的である。

Interestingly enough, as the word Nun is a verb it means to sprout or to grow.
言葉「ヌン」は、それが、「芽を出させる」、もしくは「成長する」ことを意味する動詞
であることは、十分に興味深い。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」は、生命が存在している間は、皮と肉に覆われ、肉眼では見ることの
出来ない隠された存在ではありますが、それは肉体の外形と、その内部組織である器官を
保持するという、文字通りの人体の「framework/骨格」として、人としての姿を保つための
中心的な存在となっています。

ちなみに、人体の「framework/骨格」は、このマクロレベルの「skeleton/骸骨」だけで
なく、人体を構成するミクロレベルの細胞の中にもあって、「cytoskeleton/細胞骨格」と
呼ばれており、通常の骨格と同じように細胞内の器官を保持して、細胞としての姿を保つ
ための中心的な存在となっています。
さらに言うと、この大宇宙にも、我々には見えない「framework/骨格」があり、それは
この宇宙の発生と共に存在して、その後は、宇宙の大規模構造を保持するための中心的な
存在となっていることが知られています。

そう、この「骸骨」って、実はこの世界にあまねく存在する「framework/骨格」を象徴
するものであって、「死」を意味しているものではないということなんですよね。
0280名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/30(金) 06:19:28.16ID:4TEv/gNm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
In this we can view the skeleton as a symbolic and perpetual seed.
これにおいて、我々は、骸骨を、象徴的かつ永続的な「種」として見ることができる。

The plant dies in the winter, but not before producing seeds which will regenerate
its image in the spring.
植物は冬に死ぬが、春にその姿を再生するであろう種たちを生じる前ではない。

The image which carries over is a kind of spiritual skeleton, a pattern unaffected
by the transformation of the plant: The plant becomes the seed, which again becomes
the plant.
持ち越される姿は、一種の霊的な骸骨、植物の形質転換により影響を受けない様式である:
植物は種になり、それは再び植物になる。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」が「seed/種」であるとの比喩は、少々誤解を招きやすい例えです。

「種」とは「実=リアル」であって、あくまでも下界にある「生命」としての存在です。
そして、この「骸骨」は、その下界を形作る「骨組み」であって、「生命」の上位にあり、
「霊」である「ティファレト」との橋渡しをする存在です。
つまり、我々が考える「生命の種」とは異なる次元の存在となっており、例えるなら、
「霊」から劣化コピーされた「生命の種」から「生命」へと形質転換を促す「触媒」の
ような働きをするものです。
要は、「種」のように、作られたり死んだり再生したりするようなメタモルフォーゼする
形質ではなく、自身は周囲の影響によっては変化しない形質のものですので、この
「骸骨」は「種」であるという比喩は、あまり適切ではないと思うのでした。

どちらかというと、「seed/種」が発芽し成長して植物になり、また種を産するという
生命(ミクロ)の営み、もしくは宇宙(マクロ)の誕生と成長の過程の裏方の存在として、
普遍的に関与する「framework/骨組み」であると理解する方が、適切かと思います。
0281名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/31(土) 08:07:13.24ID:O88B+Qaz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is what is meant by the words of the Thirty-Two Paths of Wisdom: "...it gives
a likeness to all the similitudes which are created in like manner similar to its
harmonious elegancies."
これは、「知恵の32の小径たち」の言葉たちにより意味されているものである:「...
それは、その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たち
に類似性を与える。」

Meditation on this idea will reveal the ultimate message of the DEATH card, which
is rather a distillation of the entire Great Work or, as Crowley said of the fish
symbol, "resumes the whole Secret Doctrine."
この考え方に基づく瞑想は、「死」のカード、というよりはむしろ、「偉大なる作業」
全体の蒸留物、もしくはクロウリー氏が魚の象徴について述べた時のように「全体の
秘密の教義を再び始める」ものの、究極的な意図を明らかにするであろう。
--- ここまで ---

このクロウリー氏の言葉は、NOTES(*149)を参照してください。

さて、「15:悪魔」の正体が、実は「悪魔」では無かったように、「13:死」の正体も、実は
「死」ではなく、我々にとっては「創造神」である、というのが、ここでの結論です。

そして、その創造物たちの発生と成長と死のサイクルにおける、目に見えない骨組みを
形作っているのが、この「13:死」の働きであるということになります。

ちなみに、この「見えざる骨組み」ですが、ワタシにも、その中身は、よくわかりません。
言葉で表現すれば、「神の見えざる手」とか「神の見えざる業」というような、我々には
見えない次元で働いている「不可思議な作用」ということになるわけで、これが理解でき
れば、この大宇宙の誕生の秘密とか、小宇宙の誕生の秘密とかも分かるようになり、
その力を応用することで、「神と同等の力」を発揮することも可能となるわけです。
つまり、「骨組み」が最も重要である、というのが、ここでの教訓となるわけです。←陳腐化w
0282名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/01(日) 09:11:45.52ID:canY/luB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Nun means fish; Tzaddi means fish-hook.
「ヌン」は「魚」を意味する;「ツァダイ」は「釣り針」を意味する。

And while the Sepher Yetzirah relates imagination to Tzaddi, the later Thirty-Two
Paths of Wisdom calls Nun the Imaginative Intelligence.
そして、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が、「想像力」を「ツァダイ」と関連
付ける一方で、後の「知恵の32の小径たち」は、「ヌン」を「想像力豊かな知性」と呼ぶ。
--- ここまで ---

なお、ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』では、「ツァダイ」は
「imagination/想像力」ではなく「thought/思考力」となっている版もあります。

さて、「ヌン/13:死」は「fish/魚」を意味し、「ツァダイ/17:星」は「fish-hook/
釣り針」を意味します。
ちなみに、「13:死」に配属されている「天蠍宮(さそり座)」は、天空では釣り針の形を
しています。
つまり、「fish/魚」繋がりで、「13:死」と「17:星」とは、深い関係があるのではないか
という推定ですが、両者の繋がりについては、以前の「17:星」の説明の際にも述べられて
いましたので、ここでは省略します。

この「Imaginative/想像力豊か」の現代的解釈ですが、ここはやはり「imaginary number
/虚数」という概念に注目すべきかと思います。
この場合は、物理世界を司る「15:悪魔」が「real number/実数」を、そして「14:節制」
が、両者を混合した「complex number/複素数」を担当することになりそうです。

まあ、「虚数」とか「実数」とか「複素数」とか言われても、ほとんどの人には理解不能
な概念ですので、あまり深くは突っ込まないことにしますが、実は、この「imaginary/
虚数的(仮想的)」なものは、この宇宙の原理を解読するための重要なツールというだけ
でなく、実はこの宇宙を構成している本質的なものである、ということなんですよね。
0283名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/03(火) 06:37:00.79ID:D6GSgqQt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
To make this symbolism less mysterious, the documents imply that on the Path of
Tzaddi we begin to develop the tools of Creative Imagination which are required
to tread the difficult Path of Nun, i.e., to make the transition between Personality
and Higher Self.
この象徴主義をそれほど謎めいたものにしないように、文書たちは、「ツァダイ」の「小径」
において、我々が、難しい「ヌン」の「小径」を踏み歩くため、すなわち、「人格」と
「高次の自我」の間の遷移をするために必要とされる、「創造的な想像力」の道具たちを
開発し始めることを暗示している。

Again, everything is summed up by the fish symbolism.
さらに、全てのものは、魚の象徴主義により総括される。
--- ここまで ---

そもそも「ツァダイ/17:星」は、地に足が付いていない上級者向けの「小径」でしたが、
「ヌン/13:死」は、さらにその先にあって、天界に通じる「小径」ですので、通常戦闘力
モード、すなわち生きている上級者では、決して足を踏み入れることの出来ない、難攻不落
のラスボスとして、我々の前に立ちはだかっています。
そして、その攻略の切り札となるのが、「imagination/想像力」であるということです。

とはいえ、「ツァダイ」の「imagination/想像力」と、「ヌン」の「Creative Imagination
/創造的な想像力」とでは、月とスッポン以上に次元の異なるものですので、両者を同列に
論ずることは出来ないんですよね。
つまり「ツァダイ」の文系の「想像力」では、「ヌン」の理系の「宇宙創造における虚数
次元(と実次元)の相互作用」を論じることは出来ない、要は、この大宇宙と小宇宙が
どういうメカニズム/フレームワークで産み出されたかを理解しきれていないわけであり、
現状の理解と知識では、まるっきりの、お手上げ状態ということになっているわけです。

まあ、ここで話が終わってしまうのもつまらないので、とりあえず、宇宙が産み出された
後の次元の、「fish/魚」について、色々と探っていこうということですかね。
0284名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/05(木) 06:19:22.41ID:5riL9dGx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish is a traditional symbol of what the alchemists call First Matter, an almost
impossible subject to describe, but which is the mind-substance of everything that is.
魚は、錬金術師たちが、言葉で説明することがほとんど不可能な主題ではあるけれども、
存在する全てのものの精神の実体である、「第一質料」と呼ばれている、伝統的な象徴である。

Gareth Knight says that the best modern definition is offered by Coleridge and is
the "Primary Imagination." (*151)
ガレス・ナイト氏は、最も良い現代的な定義は、コールリッジ氏により提案された、
「最初の想像力」であると述べる。(*151)
--- ここまで ---

ちなみに、(*151)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
151. Gareth Knight, A History of White Magic, London 1978, 3-4.
151. ガレス・ナイト著、『白魔術の歴史』、ロンドン、1978年、3-4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このコールリッジ氏というのは、サミュエル・テイラー・コールリッジ氏(Samuel Taylor
Coleridge, 1772-1834)のことではないかなと思うのですが、『白魔術の歴史』の本を
持っていないので、よくわかりません。
ちなみに、錬金術や哲学においては、よくわからないものは、「God/神」のせいにするの
ではなく、伝統的に「First ○○」とか「Prime ○○」と呼ぶことで、思考停止しておくと
いうか、それ以上は突っ込まないのが、お約束となっています。

とりあえず、この「fish/魚」というのは、「全ての物質の根源となるもの」、つまり、
我々が「リアル」すなわち「実数の時空間」として認識可能となった、ビッグバン直後の
「原初の宇宙の姿」であるということですかね。
そして、「ケテル」〜「ティファレト」は、それ以前を担当しているということですよね。
0285名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/09(月) 17:03:09.94ID:m+f00sWC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish has also, since perhaps the second century A.D., been a key symbol of
Christianity.
魚はまた、おそらく紀元2世紀からずっと、「キリスト教」の重要な象徴であり続けている。

In the earliest Church the Eucharist was not specifically represented, but was
implied in a number of innocuous meal scenes.
最も初期の「キリスト教徒」においては、「聖餐」は明確には表されてはいなかったけれ
ども、数多くの当たり障りのない食事の場面たちに暗示されていた。
--- ここまで ---

ウォン氏は、トート版のみに描かれている「fish/魚」について、ずいぶんとしつこく、
いやいや詳しく説明しています。
それは、トート版の「13:死」が、文字通りの「死」を意味しないことを、色々な局面から
詳しく説明しているからであり、その一つとして「魚」があるわけなんですよね。

ちなみに、トート版では、
 白鷲>>魚>蛇>>蠍(朽ちたユリとハスにより道を阻まれている)
という序列で描かれており、蠍が昇天して最後に白鷲になるという構図ですので、魚は
高位寄りの象徴となっています。
そして、トート版の「魚」は、『トートの書』によれば、「イエス・キリスト」を意味する
ものとして描かれているということになっています。

なぜ「魚」が「イエス・キリスト」なのかということは、他のキリスト教関連の文献を
見てもらうとして、ここで重要なのは、「13:死」=「魚」=「イエス・キリスト」=
「ティファレト」という繋がりがあるわけで、それはまた、「13:死」が「ティファレト」
に到達するための最善の「小径」であることを示唆しているわけです。
さらに、「魚」は、顕教での「パンと葡萄酒」ではなく、神秘の「聖餐」のネタとして、
骸骨像に食われて神秘の「精力」に転換されて、骸骨の局部から天上に向けて射精
されるという、密教的な子作りのプロセスが描かれているわけですよね。
0286名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/11(水) 06:12:38.64ID:kjU/FzbI
なぜか規制されてるので、しばらくカキコできません。
あしからずご了承下さい。(ー ー;)
0288名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/15(日) 09:23:14.00ID:snwCEmcY
NGワード規制を食らっているようなので、引っ越しを考えております。

トート版の「死」を語ると、不適切であり規制されるという、笑えない話でした。
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