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海外に比べて所得税収が少ないのは、日本の富裕層の税負担が少なすぎるから
0051名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/04/08(月) 09:36:54.30ID:L6E3Vdwv0
10万部突破!「きみのお金は誰のため」田内学

「君たちはどう生きるか 吉野源三郎」の金融経済版。マクロ経済やお金の倫理学を分かりやすく教えてくれる教養小説 

お金自体には価値がない・お金で解決できる問題はない・みんなでお金を貯めても意味はない
未来には贈与しか出来ない・ぼくたちはひとりではない

問題を解決しているのは「お金」ではなく、お金を受け取って働いてくれる人
お金の力は運ぶ力。問題を解決してくれる人を選ぶことしかできない
お金によって、人々が支え合える社会が実現している
投資されたお金自体ではなく、お金を受け取って研究開発する人たち(または技術を社会に実装・普及させる人たち)が未来を創造する
現代において、税金は支配者の搾取ではなく、(国内の)再分配につかわれている
政府による再分配は、選挙による投票によって(間接的に)決められている
集めた税金を政府が使うこと(国内投資・再分配)で、お金が循環している
借金をする国ではなく、働けない(働く人がいない)国が破綻する
未来にむけて蓄えられるのは、社会基盤や生産設備、技術(教育)や制度など
格差のない豊かな(便利な)生活を提供する人(MATANAなど)が、結果的に金持ちになっている
働くとはお金を稼ぐことではなく、誰かの役に立つこと
お金は奪い合うことしかできないが、未来は共有できる

そして、(お金より大事なことは)人を愛すること

異色の経済小説
「人から人への贈与、過去から現在、現在から未来への贈与で社会はできている。愛する人を守ろうと思うと、社会が他人事ではなくなる」

作者インタビュー(日経新聞)
高校家庭科では金融教育も始まったが、投資を『お金を出す側の話』と教えていては、お金を増やすことが生活の豊かさであるとの狭い考え方しか持てなくなる
投資はお金が余っている人が出し、お金がない(お金を必要とする)人が受け取って、「社会の問題や不便さに挑戦すること」です
社会の問題を解決する『人』がいるから、みんなの生活が豊かで便利になるんです(=生産性向上)
若い人が(投資を受け取って)「新しい挑戦をする」(若い人は投資される側になる)のが健全なのです
0052名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/04/30(火) 09:52:01.49ID:LsNIFKt80
日本が「先進国脱落」の危機にある理由は、IT化に乗り遅れたため
先例がある衰退国家・アルゼンチンの二の舞いになるのか? 
https://diamond.jp/articles/-/295119
加谷珪一 経済評論家(2022年)

アルゼンチンは19世紀以降の世界で唯一、先進国から脱落した国家として知られる
農産物の輸出で成長したが、工業化の波に乗り遅れて、急速に輸出競争力を失なったことが要因だ

国民生活が豊かになったことで、高額年金を求める声が大きくなり社会保障費が増大したことや、既得権益者が諸改革を拒むなど政治的な問題も起きて、衰退につながった
競争力の低下に伴う国産化(国内回帰)への過度な期待、ナショナリズムの勃興など、時代背景は違うが、アルゼンチンと日本の共通点は非常に多い

アルゼンチンは世界第8位の広大で肥沃な国土をもつ
ペロン以降顕著になった、福祉のための放漫財政や労働組合の強さにより投資のしづらい国となり、1960年代以降に頻発した政変に加え、1982年の英とのフォークランド紛争と敗北、民政移管後も長年の放漫財政のツケで混迷する経済状況に、安易なポピュリズムで対処したため、国の累積債務(国債)は雪だるま式に増えていった

特に1988年から1989年の間には5,000%というハイパーインフレーションを記録、物品の価値は1年間で50倍に跳ね上がり、通貨ペソは紙屑同然と化し、国内経済は崩壊状態となった
結局、1989年に対外債務のデフォルト(国債の債務不履行)を宣言する。2度目のデフォルトで国内の貧困も拡大し、1980年代に国民の約60%を占めていた中間層は、2005年には国民の約20%となり、貧困率は2002年には53%に達した

この間の経済的混迷により、富裕層は没落、中産階級(医者や知識層)のスペインやイタリアなどへの海外流出が続いた
インフレ率が2桁に達したことも1回や2回ではなく、過去に8度のデフォルト(債務不履行)を経験している
国が破綻・破産すると、最初に打撃を受けるのは貧困層や高齢者や障碍者など社会保障で生活している人々である

(今後も少子化で現役世代が減少するが、低年金・生活保護の単身高齢者が増加する日本には、資源も肥沃な国土もない)
税で取られなければドルに変えたお金持ちだけが逃げきれるのかも
0053名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2024/05/01(水) 19:27:53.76ID:w8uYYMOM0
海外旅行の制限がなくなったのは1964年(昭和39年)
https://www.yomiuri.co.jp/column/chottomae/20210310-OYT8T50047/
編集委員 片山一弘(2021年3月)

第二次大戦前は、行政に届け出て海外旅行免状を受けた人だけが外国に出られた
戦後、独立を回復した後も、海外への渡航は公務員や商社マン、留学生などに限られていた

出国制限がなくなったのは1694年(昭和39年)4月1日。この日、日本は国際通貨基金(IMF)の八条国となった。

1964年3月12日の朝刊経済面に掲載された解説記事は、<八条国に移ることは、国際貿易の面で日本がようやく“戦後、過渡期”の段階に終止符を打つことである。(中略)これからは「外貨が足らないから」という理由では、輸入を制限できない>と説明している

つまり、海外旅行が制限されていた大きな理由の一つは、国全体で不足気味だった「外貨・ドルの流出を防ぐため」だった
個人旅行者が持ち出すドルが国家財政を左右する程度の経済力だったのかと思うと感慨深い
結局、海外旅行が解禁されても、当初は渡航者が持ち出せる外貨は年一回500ドルまでとの上限が設けられた

海外旅行が自由化した後も、観光収支が悪化すると外貨持ち出し制限論が再燃した

1968年(昭和43年)2月23日夕刊は<海外旅行自粛を 運輸相提案 外貨流出防止で>との見出しで、当時の中曽根運輸相が閣議で提案した内容を報じている<運輸相の提案の骨子は外貨流出防止のため(1)不要不急の海外旅行の自粛>と、見慣れた文言が目につく
制限する法的根拠がないので「自粛」を求める、という発想は今と変わらない

さらに1966年(昭和41年)1月1日以降はそれまでの「1人年間1回限り」という回数制限も撤廃され、1回500ドル以内であれば自由に海外旅行ができることとなった

日本は、1971年のニクソン・ショックまで1ドル=360円の固定相場制であったが、1973年から変動相場制に移行し、円が急騰した

現在、海外の銀行からの送金を日本の銀行の口座で受領する場合、又は日本から海外の銀行の口座への送金は、外為法第55条の規定により、送金額が3000万円相当額を超える場合に事後報告の必要があります


なお、アメリカは資産家の海外脱出を防ぐために「国籍離脱税・出国税」という制度を設けている
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