□□□□チラシの裏 29枚目□□□□
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田L|ロロ||ロロ||田||田L|ロロ
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前スレ
□□□□チラシの裏 28枚目□□□□
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1361175356/ 俺はあの裁判ってものが勝っても負けてもどうも好きになれず
その理由は司法の判断って言うものが世間の本音や常識とかけ離れたものになる
可能性が高いことが一つと
あと公的機関の信用保証を使って勝者と敗者を決めるってやり方が好きになれない。
なければ社会秩序は維持できないがその必要不可欠な重要性を自己都合で曲解し
何でもかんでも裁判を利用して世渡りする人間に
何のリスクもないのではやったもの勝ち社会になるので
判決如何に関わらず批判することだけはサイレントマジョリティとしての責務と考えている。
何を言ったところで訴える奴は訴えるんだから思う存分好きにやればいいが
一般人を巻き込むのであれば自己満足に浸る横着な態度とは向き合わせるつもりでいる。 https://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=104/bid=1134/tid=11693290/
50代
25人以上常にいる。去年だけで40人以上の新規獲得。初回から必ず生。
高校生の娘と一緒に風呂に入る。
娘の同級生のママ友数人とも関係。嫁交えてスワップも。
今年に入って8人程度の新規獲得。
建設会社の元経営者。お客何十人も食いまくり。
一日数人とセックス当たり前。週10人以上がデフォ。
アプリやサイトは全く使わない。
外に不倫相手の子供を数人産ませ、旦那には自分の子供として育てさせている。
金はいくらでもある。競馬で毎年1千万負けてる。 >>0625
表層はポーズで、深層や背景は違う、シナリオに沿った駒だから 生き方の本質において真面目じゃない人間が他人にだけ人の道を求めても響かないわな。
本質において真摯な人間は他人を脅迫したりはしないし
どんなに道徳の衣を纏っていても肝心要な生き方は形で現れるし人も見ている。 見ている人々の見解が確かであれば、現在の日本社会は違った姿を表していた。 良くないことはするべきではない、と良くないことは絶対にしてはならない、
の間には天と地ほどの差があるからな。
絶対にしてはならないことっていうのも確かにあるが明らかにそうではないものにまで政治的に適用していく。
そういう教条的な良識派は他人にだけその基準を押し付け
自分の問題は全て相手の悪意に対する正当防衛だと主張し明らかに批判の域を超えた脅迫や人格攻撃も
道徳的非難の体裁を取っていさえすれば何の加害性もないと思っている。
また自分たちの批判は公益に適うもので相手の批判は私怨による言いがかりという
結論ありきの根拠のない印象操作が前提となっており
だから悪人に対しては何を言っても許されるし相手は無限に譲歩させる存在としてしか認識されない。
左右対立におけるリベラルのスタンスはこれで一貫しているのだが
マスコミ総がかりの思想宣伝にも関わらず左派離れが起こっている原因を直視できなければ
いかに圧力を強めようともどの道先細るだけだな。 日本の左派リベラルがルサンチマンにどっぷり浸かっていておかしいのは同感 文化サヨクっていうのがかなりいて進歩的だがポリコレに染まっていない小説・映画・アニメといった
娯楽コンテンツを創作したり消費して論評したりするんだがイデオロギーとの整合性は取れているのかね。
コンテンツを燃やしたり捻じ曲げようとするリベラルやフェミとどういう距離を取っているのか分からんが
ややイデオロギーの強度が低いってだけでサヨクはサヨクだからなあ。
絶対どこかに政治と文化の不整合を抱えているはず。 創かの在日犯罪者
通名:大山 大河 おおさかし 淀屋橋
創かによる
集団嫌がらせ(集団ストーカー はんざいこうい)実行犯
家鍵窃盗 家宅無断侵入
盗聴盗撮 闇バイト収入脱税
異性の私生活を 犯罪冒してまで 無断で覗き見て
それを本人の前でほのめかして
ニヤニヤしている変態ノゾキ魔 通報案件
職場でもおかまいなし まあ実際に女性差別主義者なるレッテルにはフェミへの批判を全て人格的劣等性の問題に繋げ
冷静な議論を全て強制的に打ち切り相手のあらゆる主張をその一語だけで無効化する効果があるからな。
だからそういうレッテルを貼るに値する合理的な理由などはよっぽど飛躍した論理が認められる場合が
ほとんどで、男女平等の建前は認めるにせよ女性差別への憎悪をテコにあらゆる事象に無限に適用させる
原理主義的な思想への対立軸である以上、論点は女性差別の有無ではなく原理主義批判の妥当性にある。 例えば市民団体が関電を原発マネー還流とやらで告発したり
民間ボランティアが動物愛護団体を虐待で告発したりしているが
あれで落ちる被告法人の社会的評価の低下による損害は
colaboなんかとは比較にならないレベルだろうが名誉棄損で訴えたという話は聞いたことがないな。
企業や民間団体に対する告発っていうのは枚挙の暇もないんだろうが不正の実体も曖昧な場合も多く
動機のほとんどはイデオロギーによるもので事実上やられたら泣き寝入りだよな。
原発の些細な利益供与に敏感に反応する割に
太陽光パネルの不正に切り込む市民団体ってのも聞いたことないしな。
民間団体への告発などありふれているんだが問題視して告発者を総がかりで叩くのがcolaboだけって時点でな。 古くは同和辺りまで遡るんだろうが野党や市民団体絡みの犯罪が闇から闇に葬り去られ
マスコミの追及する犯罪が隠蔽する過程も含めて全て可視化されしかも推定無罪の原則すら守られず
事実無根の虚報に対する報道責任も全く取らない現象との対称性というものがあり、
そういうジャーナリズムの党派性による機能不全にメスを入れる
という意味合いもあってかつてない盛り上がりを見せている。
形骸化したジャーナリズムへのアンチテーゼでありcolaboという一市民団体の不正という枠を離れた
ところに問題意識の中核がある。
言いがかりによるフェミ潰しなんてちんけな理由でここまで規模の支持が持続的に続くわけがない。 小林製薬「紅麹、他社にも提供してました」 宝酒造が日本酒回収 健康被害拡大の恐れ [323057825]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1711259667/
小林製薬は24日、健康被害の恐れがあるとして自主回収を決めたサプリメントに含まれる「紅麹(べにこうじ)」を、食品メーカーなど約50社に供給していたと明らかにした。
同社が生産している紅麹のうち、自社製品への使用は2割程度で、約8割は他社に原料として販売していたという。
同社によると、紅麹は2016年から国内の飲料や食品メーカー、酒造会社、台湾企業などに販売。
このうち宝酒造は同日、紅麹を使ったスパークリング日本酒の自主回収を発表。紀文食品も「塩辛」の回収に乗り出すなど影響が広がっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a7ea2094437be36df1525fe6471327acff549c7 善行の名の元に国民の罪悪感を刺激して過去からの現状を否定することがリベラルの真の狙い。
現状の否定をテコに積み重ねる善行ではあるので見返りの有無に関わらず
必ず打倒すべき敵が意識されており政治闘争に組み込まれた条件付きの善意であり
社会への感謝や恩返しといった前向きな動機に基づく善意ではない。
動機が不純なので言葉と身体が一致せず、である以上無償の善意なんて困難でしんどいことを
引き受ける覚悟もないと考えるのが自然ではあるんだろう。 不平不満や憎悪をテコにした善意が世の中の役に立つのかと言えば立たないから批判されている。
役に立たないだけなら放っておけばいいんだろうが人に押し付けるから周りからウザがられる。
ネガティブな善意の矛先は大抵社会秩序の維持に必要な立て付けを悪として解体するモチベーションに
向かうので善意であれば社会が良くなるというのは自己満足の幻想で現実においては衰退を加速する。 今後は復讐の正当化とかも司法の問題に浮上するんだとは思うわ。
被害者と言いさえすればどんな行為に対しても認定されるのなら誰でも被害者と主張するし
何を言っても無限に事情が斟酌されるのであれば事実上の言いたい放題の無法状態だからな。
世の中には明らかに過剰防衛ってものがあるのと無自覚な加害性って問題もでてくるわな。
これは一般論だが社会問題として何らかの判断の更新を求められる時がくるだろうな。
順法闘争ってのにはそういう側面もある以上司法判断の絶対視はできないし
まあリベラルが裁判沙汰ではしゃぐのは問題は常に相手にしかないという主観が
客観的であると社会に公認されているという万能感に支配されているんだろう。
勝った勝ったと浮かれてればいいし、ただやり過ぎればいずれボロを出すというのが個人的見解。 まあ裁判っていうのは極めて真面目な態度で臨むもので洒落や冗談が通じないので
他愛ない揶揄や悪口に悪質な悪意を見いだそうとすれば見いだすことは可能で
言葉が本人の意図から独り歩きして解釈の暴走が起きる可能性は否めない。
大体の場合侮蔑の意図をもって先制攻撃を仕掛けた場合や露悪的な表現を使った場合は
加害性が認定されやすい傾向にあるんだろうが
それが司法判断の全ての基準になってしまっては
良識の名の元に他者攻撃を行う人間のやりたい放題になってしまうので
攻撃に主体性のあるなしに関わらず加害性が社会通念上許容できるレベルを超えているかどうかや
そこに至る道筋に妥当な根拠があるかどうかで判断するべきもので
悪意の質や強度は道徳的性向や修辞で免罪されるべきものではない。 些細なことで被害を訴え相手を断罪したり正しさの元でやりたい放題する人間が
常日頃の振る舞いでも信用するに足る人間かどうかっていう疑問はある。
善行にしても体を張ったり欲得と絡まない規範を自分に課すことができるのかとか。
そういう人間の言うことを聞いていると一見まともなことを言っているようで
反論しづらい響きを伴っているんだが所詮それだけのことで
正しさの威圧の元で他人を黙らせる効果しかなく
つぶさに見ていけばいくらでも不整合を抱えているし
根っこにある動機が作為によるものである以上論理が不自然なものになるのは当たり前なんだろう。
今までの経験からこういう連中を納得させることは無理で
モラルの裏に隠れた言葉の暴力性を削ぎ落すしかない。 ポリコレ的価値観から逸脱した不正への集団叩きがネットのあらゆる場所に散見され
多数派であるかのような印象を与えるのだが
数万から数十万程度の規模の人数がいれば可能な工作ではあり
野党支持者が国民の1〜2割であることを考えても
声のでかいのが書き込んでるだけで一般人に大した意見はなく
面倒だから関わらないでおこうと自分を遠いところにおいているんだろう。
サヨクの対抗馬としてネトウヨが出てこないのはハラスメント系バッシングに対しては
保守派もサヨク程過激ではないにせよ容認しているのが多いのと
やりたい放題を批判しているのであって良いことではないという建前自体は共有している要素もあり
必要悪とか虚偽事実の断定とか微罪の巨悪視とかいくらでも言おうと思えば言えるが
イデオロギーが絡まないというサヨクの印象操作もあって明らかな扇動と分かっていても
反撃するモチベーションが湧かないという事情の中で一方的な世論工作が続いてきたという歴史がある。 ルッキズムなんて横文字にすると政治問題のような印象を与えるが
人間の美醜なんていうのも人の見方によって変わる問題である程度の共通認識はなくもないが
所詮は主観による表面的な悪態に過ぎず、人間は見た目より中身だと思っている人間なら大して効かないし
そんなに効いてしまうのは見た目が全てだと思い込んでるからなんじゃないの。 「オオタニはウソをついている?」大谷翔平(29)の会見後もアメリカ人がモヤモヤしてしまうニッポンでは報じられない“4つの理由”
https://bunshun.jp/articles/-/69880 体制・組織ってものがよっぽど傲慢で悪辣で個人の人権を抑圧しかしない
頑迷固陋な人間の縦の繋がりで運営されているという強固な固定観念があり
だからいくら叩いても反省しないような奴らは徹底的に叩き全ての悪を吐き出させ
完全に新しい組織として再生させるしかないという壮大な現実認識の欠落に基づく勘違いがある。
自分の問題は社会に合わせることで自分を変えることで解消するのではなく
社会を自分に合うように変えることでしか解消されないので
とにかく他責的攻撃性が全てであり異論はあるというだけで存在すら許さず
一点の妥協も許容も和解も落としどころすらなく自分の主観に基づく主張が絶対である。 自分の主張を力づくで通すこと以外何の興味もない連中だからどうにもならない。
まあゴリ押し、ゴリ押しで既成事実を積み重ねていって何も言えなくするのが狙いなんだが
自分たちがいなければ日本が滅ぶと言わんばかりの勢いで本当に日本を守ろうとしてる人間を
叩きに叩いてやる気をなくさせ最後には真面目に困難に立ち向かう人間が誰もいなくなると。
いや本当に上に立つ人間が自分のことしか考えない世の中になったんだが
それが誰のせいかっていうのも他にも理由はあるだろうけどな。 体制・組織が末端の一人一人の個人の事情をきめ細かく配慮していたら
組織として成り立たないというリアリズムもありそういう馬鹿丁寧な気配りは
全て周りの負担に跳ね返るし、いくら人権侵害に対する細かい手当てが為されても
組織全体としての底が下がり利益が目減りしていったら
最終的には全ての人間の人権侵害に直結するんだが木を見て森を見ずの類で
目先の些細な不正行為を許容しないことであらゆる人間にもっと大きな被害となって返ってくる。
他人に何か影響力を行使し負荷を与えるというのは多少の加害性が伴うのは避けられないことで
組織は全体の幸福を守る為に存在しているという建前の為にみんながある程度の不条理を許容し
自分を抑え我慢しているという事実は押さえておかなければ強い組織として責務を果たすこともできない。 他責的攻撃性ってものの倫理的問題とかは法的に十分な考慮の対象になっているとは言い難い。
被害者の救済というのが法の理念の根幹の一つにある以上、それを逆手に取った他者攻撃に
十分な手当てはされておらず事実上野放し状態で放置されている。
だから世間一般の面倒くさいから関わらないでおこうというデタッチメントを良いことに
やりたい放題を何でも通していく人間が社会問題として浮上し
それを敢えて批判の俎上に乗せることが被害者叩きの弱いものいじめという口実に使われるという
悪循環で被害者権力の先鋭化がますます進行していく。
世の中には本当に許しがたい加害行為ってものも確かにあるんだがそういうものに対する
法による救済の道筋は整備されており今時の糾弾沙汰はそういう本当の被害のリアリティまで
損なわせ疑念の目を向けさせる危険性を孕んでおり
問題意識の妥当性やアプローチの仕方に致命的な欠陥を抱えている。
何らかの手当をしなければ問題の拡大に歯止めがかからない段階に差し掛かっている。 くだらない嫉妬や誹謗中傷、嘘に扇動される大衆
やる気が無くなって当然だし、自分と身内だけ逃げようってなるよね 人間は平等ではないが価値は同じ。
これが本来あるべき民主主義社会だと思っている。
価値が同じなんだから差がついたところで大した問題ではない。
平等思想は差を認めないから厳然とある差は人間の価値の格差に直接結びつく。
この価値は金、能力、性格、性別、若さ、容姿などで選別され
同じ人間でありながら別の世界の人間かのような錯覚にリアリティを与える。
決して誰からも見ることのできない差別であり絶対的な真実である。
人間は平等ではないという事実を認め受け入れ差別という言葉の意味を希薄化し
差なんてあって当たり前で誰も気にも留めないという価値観を共有できない限り
人間の価値の格差は無限に広がり続けていくだろう。
まあ現実の前には無理筋の暴論だがまずはできるところから手をつけなければ
見えない差別の進行は止まらない。 暴対法にも言いたいことは色々あるが
ヤクザが裏社会にルールを与え犯罪者予備軍の受け皿として機能していたのは事実。
それを壊滅させようとしてきたのがこの30年の流れで
バブルの時にヤクザが経済活動で企業に食いついたことが引き金だとは思うが
自分たち以上の悪は許さないという悪の歯止めを社会悪として排除する風潮で
不可逆的なものでおそらくもう止まることはないし静観するしかないが
半グレや中国マフィアの台頭とかもあり抑えが効かなくなり
堅気と外れ物の境界が曖昧になっていく問題で諸手を上げて歓迎する正義の行動ではない。 俺はどこからどう見ても人のことを偉そうに言える程の魅力や厚みを持った人間じゃないって疑問はずっとあった。
ただそれを言い出したら過去の20年全ての全否定だからな。
これしかできん人間だがこれは俺にしかできず世界の崩壊をかなりの部分食い止めた。
俺並に何もできん人間ってのも珍しくはなくしかもそいつらは本当に何もできないだけだから俺にも価値はある。
ただそういう奴らも自分の感情の赴くままに生きるってことぐらいはしており
その意味で自分の言葉を持っているんだがそれは俺にはないんだよな。
意味のあることしか書けず意味のない他愛ない呟きは俺の中にはない。
正確には劣等感ではないんだがそれに近い欠落感は常にあり人に見透かされるのが恐かった。
しょうがないよな、そういう人間に生まれ育ったんだから。
先のことなんか考えんよ。考えてどうにもならんし疲れるだけ。
今やれることをやり流され続けいずれ自分の輪郭ぐらいは掴みたい。 承認欲求とかもあることはあってしかもそれはかなり強いんだが
思考や言動の基準や動機になることだけは一切なく
ただ後になって自分の言葉の力に酔いしれているだけ。
それは健全なことではなく病的なものだと思うが
俺の場合そもそも人から誉められたことがほとんどなく
肯定されることがあってもその一億倍否定ばかりされて育ったので
それぐらいのナルシズムはあっても責められる謂われはないと思う。
とにかく否定されるってことへの耐性だけは凄まじく高いので
他人の罵詈雑言とかはいくら浴びても耐えられるし恨みを含むこともなく
そういう被害に過敏に反応して反撃を正当化する連中への嫌悪感ってのが
思想の根幹にある。 他人からの悪意ってものも響くことは響くし堪えるんだが後に引くことは全くない。
怒りはその場だけで吐き出して終わり。
だからネチネチと後に引く私怨をもっともらしく正当化したり
底に悪意を隠した正論風味の綺麗事の臭いはすぐに見抜くし
そういうものへの怒りってのが原動力ではあった。
そういうものもないにこしたことはないんだが特に今の世の中なくなることはないよな。
苦しみは人一倍味わったが苦労はしたことのない世間知らずのボンボンなので
世間の現実の荒波に一人で向かい合うことへの恐怖心ってのが抜きがたくあり
親が死ねば強制的に向き合うことになるんだが腹を括りたくても括れず
分かっていてどうにもできない逃避に浸っている現状がある。
あといつも緊張しているのが当たり前で落ち着く、リラックスするというのが
どういう状態か分からずこれも現実逃避と連動している気はする。
こういう人にないものも持ってはいるんだが人間として見た時相手にされるような人間ではなく
環境病で昔はもっと酷かったので治癒する可能性もなくはないと思っているが現実には病根が深すぎる。
贅沢病と言われたこともあるがそんな生易しいものではなく
理不尽のレベルは常人の想像の及ぶところではない。 安倍晋三、能登半島地震、裏金。保守派潰しが続いているね。
より正しくは日本人潰しか。 俺はこういう問題で自分を曲げて思ってもいない非を認めて謝罪して火消しをするってのが好きではない。
これは強硬で頑なな態度とかいった次元の話ではなく悪いことをしたら謝るってのはごく普通のことだが
強要されてやる謝罪など本当の謝罪ではないし、それは俺にとっては精神の敗北でしかない。
相手の非を咎め謝罪を求める心理というものはあるし否定はしないがものには限度というものがあり
政治利用されたものに何の抵抗もできないのであればいずれプライドなんてものは全部溶かされてしまうだろう。 国民世論の正当性なんか一切信用しない人間にとってはまやかしはどこまでいってもまやかしで
流される人間の気持ちもわかるから別に弱腰を責める気もないが
当たり前だったことが当たり前じゃないことにされ別の当たり前に塗り替えられていくのが歯がゆくてな。
もうこれが悪いことで謝るのが当然ってのが当たり前になってしまったんだろ。
疑うこと自体が国民の共通了解に背く反社会的行為なんだろ。
こういう心理が見えるってだけのことで良いも悪いもないわ。
靡くのは自由だが当たり前ではないということだけは言っておく。 非難や謝罪要求を伴う批判にも質というものはありその批判が筋道だった妥当性があり
自分に明らかな非があることが明確に分かるのであればその部分において謝罪し相手の気持ちを宥め
その起こったことの責任に見合った範囲で自分の非を訂正することは一概に否定しない。
本当にその批判に穏当で筋の通った合理性があるのであればな。
そうじゃないんじゃないの?今時のは。 一度譲歩すれば無限に付け込んでくる。
認めた責任は永遠に晒され続けその基準を以てあらゆる不整合が糾弾の対象になっていく。
どんな歩み寄りも相手からは一切評価されないし弱みとして握られ続け更なる攻勢の燃料にしかならない。
このからくりが分からなければ永遠に強請り続けられるだけで身ぐるみ剥がされて
自分の言葉の領域はどんどん狭くなり最終的には何も言えなくなる。
強要された非を認めるというのは相手からの人格否定を受け入れるってことにも繋がるので
それをして尚相手との距離を取るのは至難の業で謝って尚批判の足場が崩れないのであれば態度は自由。 だから思想の左右はあまり関係ないってのも確かにその通りで
人間は一度相手に不信感を持つとその印象を払拭することができず
一事が万事その色眼鏡で人を見るものらしくてな。
そうなるともう客観性も糞もなく恨みの垂れ流しがとめどなく続き
相手の全否定が存在を抹消するまで続く。
まあ誰もがハマる可能性があることなので自戒を込めて。
この問題もこれで大体言い尽くしたしそろそろ終わりにするわ。
乱文失礼。 ※緊急通報〜
※緊急通報〜
大阪府吹田市江坂町2丁目12−29− 位置
創かの集団嫌がらせ犯人の家
創かの集団嫌がらせ犯人の家より
集団嫌がらせ・ストーカーチャリ婆
すごい勢いで 発進!!
赤の他人に犯罪そのものの嫌がらせして
闇バイト代をもらっておきながら〜
使用料も所得税も払わない!!
それって どうよォ〜
信者は課税対象やろォ〜 保守派が保守を名乗りたがらないのは保守という言葉にまとわりついている
時代に適応できない不満を社会に転嫁している時代錯誤な反動集団というレッテルのせい。
まるで江戸時代に巻き戻そうとしているかのような印象操作をサヨクは真剣になって行っており
そんなことは無理だし意味もないってことが分かっていない連中だと本気で思われるんだから
自分から保守を名乗るわけがない。
保守派の気分としては昭和と今の良いとこどりぐらいの感じで
伝統もそこまでこだわらないにせよ積極的に破壊する連中への警戒感ぐらいか。
昭和の頃にあった道徳のかなりが変質し今時のモラルに置き換わりつつあるが
そのモラルの先鋭化を食い止め本来あるべきモラルに修正しようとしているのが保守派と思っている。 政治のことをテレビの言うことだけを鵜呑みにして支持政党を決める人間っていうのが
どれぐらいいるのかは分からんがサヨクに近づくにつれてテレビへの依存度が高くなるのは確か。
無党派でも小石河なんかに期待しているのはテレビの影響かもしれんが
そういうのは大抵韓流なんかのファンとも層が被っていて
維新や国民民主にも言えるが左右対立にあまり興味のない人間ってのの受け皿は
イデオロギーを前面に出さない隠れサヨク。
そういう人間を保守派に引き入れるのはかなり難しいが
そもそもあまり政治に興味がない層なので選挙にもあまり行くことはなく
とにかく政治を他人事でしか見ない連中なので経済と人柄ぐらいしか取り込む要素がない。
安倍はそれで成功したがあまりそんな人間の顔色ばかり伺っていても仕方がなく
そういう意味でもテレビの偏向報道なんてものは何を今更案件で
テレビの斜陽が加速するのを静観する以外術はない。 勝ち組と負け組で待遇に差があるのは明らかなことだがそれは価値による序列を意味しない。
美人と不細工でも待遇には差があるが人間の価値に違いがあると言われれば抵抗はあるだろう。
リア充と陰キャは人間の価値が違うのかとか。
先天的な資質であれ後天的な努力であれ明らかに差は生まれるが
その差はごく自然に生まれるものでそこまで大きな普遍的な意味を持つものではない。
努力・経験・立場・才能といったものへの敬意とかは厳然とあるが
勝ち組の負け組への優越とかはそんなに真剣な意味見いだす程のものじゃないってこと。
そう考えれば差別なんてそんなに大した意味を持つものではなく
パワハラ・セクハラなんていうのも強者が弱者にそういう形でマウントを取ることを
人格を踏みにじられ全否定されたと捉えるのは短絡というもの。
差がつくことに敏感な人間は自分の価値を信じることができず
些細なことで自分を全否定されたと思ってしまうんだろう。
誹謗中傷もそうで少しぐらい悪口を言われたぐらいで自分を全否定されたと感じてしまうのは自分の問題。
だから結局は質や程度の問題で俺は執拗な人格全否定ってものは好きではなく
根拠があれば免罪されるものではない。
筋を通さない人間や性格の悪い人間は嫌われるが生きる権利がないわけじゃないからな。
人が人を否定するってことは極普通にあることだがそれを絶対的な価値観にしようという心理が嫌い。
断罪とか道徳的追及とかがまさにそれでそんなものに耐えられる程人間は強くないからな。 差別・ハラスメント・誹謗中傷もあれだけ必死になって封殺すればなくなるのは当たり前だよな。
ただ人間関係からネガティブな要素を一切排除した関係ってのがそんなに健全なことかって問題もある。
自分の中にあるものを抑えているのではなく元々なかったことにしているわけだからな。
人間関係から遊びや笑いがなくなり揉め事を小さく抑える知恵がなくなり
些細な揉め事が生き死にに関わるような遺恨の大喧嘩に発展するという関係性の脆弱化への変質という問題だな。 【一平×大谷賭博騒動】大谷、何も知らずに野球をしていた…スウォン一平(偽名ジェイ・ミン)が大谷の口座から盗んだ金額は24.5億円以上→負け金総額278億、純損失62億→大谷になりすまし銀行に送金を指示→勝ち分を自分の口座に入金していた★7 [フォーエバー★]
ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1712891410/ 基本的に保守派による体制の劣化叩きっていうのは本質を見誤っていることが多い。
上からの劣化と捉えるんだが実際は下からの浸潤であり
体制の弱体化によって起きる問題なんだからいくら語気を荒げて叩いてもどうにもならない。
巨悪と思って叩いていた上層部が実際は脆かったという問題で
そんなに強く叩かなくても勝手に瓦解していくだろう。
問題は弱体化した体制はいくらでもサヨクの付け入る隙があるということ。
そういう意味で保守派の自民叩きは暫定的な意味は認めなくもないがやっぱり本質ではない。
サヨクからあれだけ叩かれて劣化しないわけがないってのが本質にある以上
そんなに真剣に叩く動機を見いだせないってのが実際のところで
確かに劣化してるんだから免罪はできないが
じゃあ自覚的な保守派が取って代われば彼らを腐らせた理由も得心が行く
凄まじいバッシングを目の当たりにすることだろう。
まあこの国の場合特に戦後は元々そんなに体制が健全に機能していたと言えない面もあるが
強者であることの悪を繰り返し刷り込まれた連中が体制についたことで
失われた30年は静かに進行していった。 80年代に既存の価値観を全部古い、ダサいとぶち壊してしまったからな。
何となくクリスタルに始まって笑っていいとも、ひょうきん族、家族ゲームと全て真面目さの否定であり
ニュースステーションによる体制=悪という徹底した刷り込みと相まって
バブルの馬鹿騒ぎのピークでポストモダンという文化的退廃が左派によって主導されていった。
政治の劣化というが政治だけが社会の退廃から無縁でいられるはずもなく体制を背負う意志ってのも
個人の資質でどうなるものでもないしそれを許す情報環境でもなく資質自体が劣化して行った。
旧来の道徳を鼻で嘲笑ってきた連中が今更申し訳のように真面目ぶって
良識を人に押し付けても白々しいし世の中の何の役にも立たないどころが
社会の崩壊を加速させるだけなのは目に見えているからな。
これだけ壊されて尚世間の健全な常識ってのもまだ保たれてはいるし
昔より生きやすくなった面もなくはないので一概に今の世の中を全否定はできないが
日本の未来に希望を見いだしている若者がほとんどいないってのも理由があってのことだとよく分かる。
そういう根の深い問題なので自民がどうの政治がどうのだけで日本の衰退を論じても
マスコミや世間の風潮に振り回され逆らえないという事実があるのなら本質はそっちにある。 体制サヨクがスキャンダルで失脚するってことはいくらでも起こることで
本質じゃないから致命的ダメージにはならず代わりはいくらでも出てくる。
中道的な安定志向の国民の期待感をパフォーマンスでちょろまかす手口が
その中身のなさと共に批判の矢面で明るみにならなければ本質的な解決には繋がらない。