□□□□チラシの裏 29枚目□□□□
■
■。・∴∵∵∴・。■
。゚∴※※◎※※∴゚。
■`。∴※◎☆★☆◎※∴。■
。・※◎★\川/★◎※・。
∴※☆\\V//☆※∴
■∴◎★三>*<三★◎∴■
∵※☆//∧\\☆※∵
∵※◎★/川\★◎※・゚
■`゚∵※◎☆★☆◎※∵゚■←この辺がチラシの裏
゚。∵※※◎※※∵。゚
゚・∵∴∴∵・゚
■
i
i
_ _
_ |ロロ|/\/\ _ |ロロ
田L|ロロ||ロロ||田||田L|ロロ
……………………………
前スレ
□□□□チラシの裏 28枚目□□□□
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1361175356/ 明日から職場休みだから、ピアス開けてみたわーピアッサーは簡単だった!
ポストが中空だからそこに着けるピアスは買ってある。正月開けには樹脂ピアスは取り払うかも?なので6日間の楽しみになるかもねー悔いはない! 文春の飛ばし記事が本当かどうかなんてどうでもいいこと。
付き合ってた女の作り話の可能性もある。
問題はこんな確かめようもない怪しげな話が真実であるかの如く政治問題化する情報環境にある。
たかが週刊誌のヨタ記事にそこまでのお墨付きを与えてしまう民度の問題だな。
こういう風潮はテレビが国民を煽り立てて作り上げたものだが
ジャニーズ、宝塚、裏金、松本と騒ぎ立ててるのは多分全部同じ人間だし
そこまで興味のない人間を押し切りながら火に油を注ぎ
疑わしきは全て罪にする社会を何のためにかも分からないまま引き寄せようとしてるんだろう。 人権侵害っていうのも社会の至る所で日常的に起こっておりそういうものありきで社会は回っている。
それで問題が起こらないのはその人権侵害のほとんどが常識の範囲内に留まっており
人々にとって許容可能なものでむしろそういうものが本能のはけ口となり生活にハリをもたらしたりする。
今までそういうものに焦点を当て問題にしようと思わなかったのだがその気になればいくらでもやれるわけで
悪意に対する感度を最大限に上げて許容する態度を可能な限り削ぎ落せば
どんな些細なできごとも犯罪に早変わりする。
過去の小さな悪事をしらみつぶしに見つけ出して追及する作業がマスコミを中心に行われており
偏狭なモラルの締め付けが桁外れに強くなり当たり障りのない生き方しかできない社会になるんだろう。 この時代の流れがどうやら不可逆であるらしいこと。
マスコミを初めとしたリベラルの扇動で人工的にもたらされたものであること。
海外にもないわけではないにせよ特に日本でのみ先鋭化しながら起こっている特殊な変化であること。
社会の無責任化に拍車をかけ少子化とも伴って日本社会の衰退と地盤沈下に繋がっていること。
これだけは押さえておかないと眼前で行われている文化破壊にどういうスタンスで臨むかが分からなくなる。
時代の流れに逆らうのは悪あがきなのかもしれんが
自ら進んで壊しにかかる連中に対する警戒感を投げ出すことはできない。 だからこういうのも騒いでいるうちが華で壊すものがあるうちはいくらでも騒げるが
完全に壊しつくして文化のポテンシャルが枯渇して低レベル化して
何も新しいものが生れないと大衆が気づいた時に
尚責任を他人に押し付ける勢力に対する結果責任ってものが
冷ややかな視線と共に浮上してくるんだろう。
ただそこまで行ってしまったら手遅れなので何とか歯止めを掛けようと。
そういう連中は永久機関みたいなもので止まることができないので
何かを為すということはそういう連中を敵に回すということであり
ただただ流され続けているだけってわけにもいかないよな。
マスコミ独裁の世の中でありネットが唯一の対抗軸なので
そこですら負け続けていたらどうにもならないからこういうことをやってる。 今日嫁と百貨店行ってそのあとレストランで記念日ランチしてきたわ
ブルガリで100万超えのジュエリーを着けされてもらって嫁どきどきしてたわ笑。
車の移動の途中で、ピアス開けたことがバレたけど怒られなかったわー
これで、アッシャーカット のダイヤピアス、買っちゃおうかな 【酒害の末路】「やんのかテメエ!」酔って妻を殴り殺したDVツーブロック男に懲役8年の判決…自慢のウッドデッキ付き自宅は競売に… [ごまカンパチ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1703929418/
夫婦げんかから揉み合いになり、警察官が駆けつける騒ぎを何回も起こしていた。
さらに大工の腕前を生かしてウッドデッキを作り、週末ごとに仲間を呼んでバーベキューを開いては泥酔してドンチャン騒ぎを繰り返す迷惑な「パリピ」として知られていた。
事件当時、近所の男性も取材にこう語っていた。
「酔っ払うと横を通りかかる近所の人を睨みつけたり、仲間同士で『てめえ、やんのかコラ!』とか口論になったりね。
みんなガラが悪いから怖くて注意もできないし、駐車場でバーベキューをやるときは車でやってきていたから、飲酒運転もバリバリやってたよね」 まあ最終的には悪は自分で背負うしかなく
大衆に理解を求めてもしょうがないし誰かに責任を擦り付けることもできない。
悪にも質ってものはあるので叩くべき悪かどうかは個人の判断だが
ちょっと叩かれたぐらいで心が折れて反省してしまうようなのは
どの道その程度のことしかできなかった人間ってことなんだろう。 おそらく大物ってものの生まれる土壌の終焉なんだろう。
でる杭は打たれるというがそんな生易しいものじゃなくて
もう突出した才能ってのものがそれに見合った待遇や尊敬を受けることもなく
勝ち組と負け組の違いは金の有無ぐらいでしかなく
人間の欲望の肯定に夢を見ることも許されなくなり全ての人間の価値が同質なものになる。
全ての人間が小粒化して弱者になるということで民主主義の当然の帰結なんだろう。
要するにつまらない世の中になるってことだが
だからと言って生きることを投げ出すことはできないし
時代に適応すると言っても何でもかんでも無批判に受け入れて流されているだけってのもな。
社会の左傾化って言うのはそういう時代だで済まされる問題ではない。 突出した才能は待遇や尊敬よりも嫉妬を多々受けますね。 新年会で初めて会った兄嫁「弟さん若いですね」→年齢言うと絶句、固まる
若い職長珍しいですね→えっ…俺(26)の2個上くらいかと…いって30前半にしか見えない
若い夫婦(嫁は28)いいですね→若いのは嫁だけでもう40ですよ→驚かれる
年末年始だけで4回も若いね→驚かれるがあって嬉しかった ジャニーズ、宝塚もそうだがこういうので騒いでる人間の数自体はそう多くはないんだが
その声がやたらと強くて誰も逆らえず無関心層が追認していくという構図になっている。
キャンセルカルチャーの根源は間違いなくマスコミにあるんだが
松本もテレビ権力の肥大化の片棒を担いでいた立場だということもあり
ますます批判する対象がぼやけてしまい国民全てを敵に回すという錯覚から逃れられない。
人間の心理の一番弱いところを突いて責め立ててくるので対抗する言葉ってものが構築できず
好き放題されてきたのがここ10年ぐらいの歴史なので数にビビってたら何もできないし
そういうことを言う連中はいつの時代もどこにでもいるぐらいに考えるしかないな。 だから神格化や過大な称賛っていうのはあって今そこまで松本を切実に必要としている人は
そんなに多くもないのかもしれんが、よく槍玉にあがる芸人の内輪ノリ感覚っていうのも
ブルーカラーにつながるヤンキー系の労働者庶民感覚を肩代わりしている感じで
その中心にいた象徴的存在がポリコレによって根こそぎ持っていかれるのだとしたら
いよいよテレビも庶民を抑圧しながら政治で支配していく装置に過ぎなくなっていくわけで
松本がいなくても変わらないと言っている人にしたって新しい選択肢をテレビに見いだせるわけでもなく
今叩いている連中も松本が陥落した後はもう叩くべき大きな存在がなくなって
ちまちま小物叩きに明け暮れて憂さ晴らしをし続ける日常が待っているだけなんだろう。
自分の願望を仮託する存在が社会からなくなるんだからテレビも色んなものを巻き込みながら自滅するだけ。 だから庶民はしたたかにたくましく生きるって側面も元来あったわけで
一方的に守られるだけの弱者なんかではなかったんだが
左派メディアは社会をそういう方向に持っていきたいらしくて
そうなると不平不満言ったもの勝ちの社会になって
地道に頑張ってる人が割を食って損をする世の中にしかならないわな。
とにかく人に隙を見せられず何でも他人事で済ます世の中になる。 文春のすっぱ抜き以降一度も表に顔を出してないのにこの盛り下がりなんだから
サヨクとアンチが手を組んで必死で燃やそうとしているだけで
その内どうでもいいって空気が国民に共有されるんだろうな。
別に擁護する必要もないしそれなりに動向に注目は集まるかもしれんが
メディアの思惑がどんなものであれ本人がどう動こうとも
もうそんなに煽りに乗せられる人もいなくなるんだろう。
いい加減やりだしたらキリがないってことに段々と気づいていくんだろう。 実名顔出しでカミングアウトだの海外一斉報道だの手垢のついた権威主義煽りでしかなく
今まで散々見させられてきた手前もうそんなに神通力もないしお腹一杯だわな。
はっきり言ってそういう使い古された手口ももう見抜かれている情報環境ではありどうでもいい。 多分だが自分で口説かずに手下を使ったって辺りに権力の傲慢さを感じたりするんだろう。
国民的スターから身軽さがなくなり体を張らなくなるっていう過程はあるのかもしれん。
だからどうということもなく嫌なら断ればいいだけでチンピラ芸人が多少脅したぐらいで
言いなりになる道理など何もないしこの件で責めるのであれば断った女が松本やその手下から
制裁を加えられた事例でも出してくるしかないな。 マスコミの暴走は至る所に報道被害をもたらし狼少年の如く信用を失っていく。
正義の名の下にあくどい金稼ぎをやるだけの集団だというのがバレてきており
印象操作、報道しない自由、党派性、ご都合主義の塊で共通して言えるのは
反撃してこない敵を袋叩きにして追い詰めて飯のタネにしているってこと。
他人に反省を求める癖に自分は絶対に反省しないのも特徴で自覚なき権力者であり
チェック機関も歯止めも何もないんだから正に裸の王様でもう取り返しがつかないな。 不祥事もやたらと細かいことを大仰に騒ぎ立てると同時に道義的責任の有無も0か100かに極端化する。
白でなければ黒、黒でなければ白、で黒かもしれんがそれ程の問題かといった中間的な留保がなくなる。
確かめようのない曖昧なことで騒いでいることがほとんどでそれでも悪いものは悪いと言われれば
まあそうですねえとしか言えないがそれを責め立てて救われる人間が一人でもいるわけじゃなし
むしろ心の傷をほじくり返して押し広げて加害者への憎悪を煽り立ててるだけ。
誰も得しないばかりか関わる人間すべてが不幸になるのは目に見えてるんだが止められないんだろうな。 まあこういうゴシップネタに食いつく人間っていうのは昔からいたんだが
何ていうか遊びがなくなっていって大真面目に大上段から振りかぶって断罪するのが増えた。
馬鹿馬鹿しいネタでしかないんだが全力で本気で真剣に叩いてるんだから
マスコミの作り出した空気が全てであって自分でも怒ってるのか楽しんでるのか判断がつかないんだろうな。
正義ってもののリアリティもどんどん手元から離れていって
理由さえ立てば何でもありの結論ありきの馬鹿騒ぎに踊り狂っていることにも気づかなくなるんだろう。 こんな流言飛語の類に対して是にしろ非にしろ立証など不可能であって
被害者の気持ちとやらが唯一の判断材料だからな。
それが何よりも最優先されるのであれば対抗手段など事実上ないに等しく
法治主義もへったくれもない世の中であり
火をつけて回る先鋭化したのが出てくるのはしょうがないとして
そういうのにいつまでもついていける程一般人がされるがままなのかどうかは疑問。 世間が松本を許さないのであれば世間が骨なしの無能の烏合の衆でそっちが間違ってるんだろう。
その世間とやらがそんなに偉いのなら日本の未来はさぞかし明るいんだろうな。 テレビも松本で打ち止めだろ。
もうやれることはやりつくしてそれもコンプラで尽く否定され
残ってるのは食レポとクイズとゲームだけ。
国民の為に真剣に体を張ってる芸能人などほとんどいないし自分のことしか考えてない。
テレビから型が崩れていって真面目さがなくなって久しいが
良識を押し付けたところで元に戻れるわけもなくただただパワーがなくなるだけ。
後は報道とワイドショーでモラルの締め付けを強化して体制を屈服させることだけがやれることで
もう歴史的使命と役割は終わっているんだろう。 だから事実かどうかなんてことには大して興味ないんだよなあ。
こんな扇動に易々と乗せられる世間に危機感を感じているだけ。
古臭い大きなものの崩壊で新しい時代の夜明けらしいが
ちまちまと小さなものが生れては消え生まれては消え
ちょっと大きくなって目立つと途端に袋叩きにあってどんどん淘汰されていくだけ。
許さないなんて偏狭な感情から生まれる文化なんてたかが知れてる。 絶対正義の無限適用、無限拡大に何の抵抗もできない問題だな。
被害者への同情とかをするのにも条件ってものがあってな。 【プロ野球】「岩瀬式」再び‥‥西武、山川のソフトバンク移籍人的補償に甲斐野央を指名。レジェンド・和田毅の指名にファンから批判殺到→直前で変更。最速160km/hのリリーフエースが電撃トレード★3 [征夷大将軍★]
ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1704965017/ 何かあるとすぐにそういう時代だからと何でも時代に責任を被せて
抗えない現実として全ての国民に突きつけるのがリベラルの手口だが
自虐史観による売国強要を見ても分かる通り最終的な目的は日本社会の解体であり
過去の過ちを繰り返さない、新しい時代の幕開けといったもっともらしい美辞麗句を纏ってはいるが
昨今のモラルの締め付けの強化にしても日本にあった活力や強さに対する憎悪が根源にある以上
政治的な反日工作と何ら変わりはない。
一見すると一般人の日常生活に支障はなく自分を殺しさえすれば持続可能な未来のようにも見える社会で
人々の諦めと無関心に付け込みながら上辺の優しさで平板で怠惰な無気力社会に国民を追い込もうとしている。
今の執拗な強者叩き、加害者叩きを見ても分かる通りただの政治闘争でしかない。 今回の松本の件に限ったことではなく何でもそうだが
強烈な非難と反論の応酬の向こうに消極的反感と無関心が広がっているような気がして
ますます心萎えるってのはあるんだろう。
まあそれは大衆なんて元々無責任の一言で済む問題であり
むしろこれ程の大炎上にも関わらず左程響いていないってことの証左なんだろう。
こんな問題より大事なことがあるってことでそういう形でしか世間の健全さは保たれないんだろう。
これ程の異常事態であってすら人間なんてそんなもんなんだから
平和ボケと言えばそれまでかもしれんがそんなに深刻に考える必要もないんだろうな。
興味の薄い人間は放っておくしかないってこと。
非難してくるようなのは十把一絡げに捉えて取り合わないこと。 結局は松本次第ではあるよな。
松本が完全に闘争心を失っているのであればリベラルアンチの勝利という形で終わるんだろう。
と言ってネット世論は二分されているしキャンセルカルチャーへの反感は松本信者だけのものではなく
はっきり言ってリベラルは見境なく喧嘩ばかり吹っかけて敵を作りすぎたよな。
ポリコレの美名の元に被害者感情を煽って成功者を袋叩きにして引きずり下ろす風潮にうんざりしてるのは
何度でも言うが松本信者に限ったことではなく一般人も他人事で片付けられない局面に差し掛かっている。
人間関係、特に男女間のもつれや諍いがすぐに糾弾沙汰に発展する社会の到来ともなれば
他人事では済まされないわな。 一つだけ言えることがあるとすればこの風潮が加速すれば一般社会においても
人間関係における相手の欠点に対する許容量が減っていくのは確実なので
人に弱みを見せたり甘えたりすることができなくなり容易に相手に踏み込めない
世の中になっていくであろうことは想像できる。 逆に、
「世間様に迷惑をかけない、許さない」社会は、それなりに過ごしやすいと思うよ。 要するにもう何も生まれないんだよ。
既存の者は全て壊す。
人間と人間の違いや差が可能な限りなくなっていき
人間の価値を測る指標は金だけになり
個人のやる気を支える枠組みが社会からなくなっていく。
今はまだ辛うじて機能してるものがどんどん機能しなくなっていくんだから
身の丈の幸せもいつまで続くか分からないし
ただただ生きること以外何も考えられなくなる世の中になっていくんだろうな。
今はまだそこまで行ってないしどこかで止まるのならいいがその気配もないと。 壊すことしかできない連中が幅を効かせる世の中だからしょうがない。
そういう連中は常に叩く側であって叩かれる側に回ることは絶対にないという確信があるんだろう。
圧倒的な安全圏を確保しながら人を攻撃しているわけで
そういう人間が善人なのか悪人なのかとか考える意味すらなく
ただ社会が生み出した集団病理なんだろう。 嫁の地雷を踏んだ
金曜日ハリポタ見ながら「バタービール好きだわ」ってぽろっと言ったんだけど昨日なんか嫁がそっけなくて今日起きたらライン来てて「ユニバのハリポタエリアは2014年オープン、我々が一緒にいったのは2012年です。バタービールが飲めるのはユニバだけです」
そっから今日一日寝室から出てこない育児家事放棄
と思ったらこどもにコンビニ行くって言ってかれこれ2時間帰ってこない ドンマイ
でもさ、それって結婚前?もしそうなら嫁さんが切れる筋合いないと思う
結婚後ならお前が悪い 週刊誌に書かれたってだけで全ての風説が既成事実になり糾弾されて当然の極悪人ってことになるんだからな。
これが通るのなら男なら誰でも犯罪者にして追い込むことが可能だよなってことを言ってるんだが
テレビも完全にその前提を疑う人間は一人もおらず物事の上っ面を撫でまわっているだけ。
鼻で嗤って放っておけば良かったんだよ、本当はな。
でも無理だったんだしもう後戻りできない所に自分を追い込んでしまったんだから
今まで積み上げたものをどういう形で守っていくのかっていうのを何らかの形で示していかんと
納得できない人も多いんじゃないの。 マスコミの最大の問題点は民意を代表する公的言論として客観性を国民に保証しながらやりたい放題することで
報道している主張や情報に批判を引き受ける個人の責任が全くなく拠ってたつ立場を明確にせず
絶対的な神の視座から他者を攻撃するところ。
国民にとって有益な情報が大半ではあるので国民も依存するしかなくその情報を組み替えたり
焦点の当て方を変えたりするのは個人の恣意的な主観なのだが客観であるかの如き錯覚を国民に与え
おそらく当事者自身が客観であるという無自覚な信仰を持っている。
特にテレビなどは言っていいことの範囲が厳格に決められておりその作法に沿って発言しているだけで
最終的には誰にでも言える綺麗事を自分から進んで言うか嫌々受け入れるかの二択しか残されていない。 昨今のテレビを中心としたマスコミの謝罪圧力っていうのは
本来罪悪感など感じえない事柄にも及んでおりとにかく社会から集団で圧力をかけて
罪悪感を創出し個人の心を折り自責の念に駆られるよう強要する。
まともな生き方の中に含まれる悪を謝罪するなどというのは魂の死に等しく
今まで報道やワイドショーがやってきた精神崩壊ポルノショーはどんな犯罪よりタチが悪い。
それは本当の犯罪であっても同じことで反省などというものの強要は厳罰とは無関係。 買い物スレで相手とトラブルになり、相手から心療内科に通ってる、って晒されたわ
とりあえず晒したければどうぞー!って伝えてやったら大人しくなったわ じゃあ昭和を知らない世代が現状に満足しているかと言えば微妙なところで
頼ることのできる大きくて強い存在が社会に全くいないんだから
自分を引き上げてくれる人もいないし心の支えは自分しかない。
社会から強制力がなくなれば逃避が加速し人間関係も希薄になるのは当然の流れ。
誰も得しない自分の首を絞めるムーブメントだということは押さえておく必要がある。 【プロ野球】ロッテ・佐々木朗希、MLB移籍志願で日本プロ野球選手会を脱退していた→関係者 「若手で加入していないのは彼だけ」 選手会長・會澤(カーブ)「NPBにもっと恩義を感じて欲しい」(週刊文春)★3 [Ailuropoda melanoleuca★]
ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1706147687/ 何でもかんでもお気持ちに押し切られる社会。
大人が子供に振り回され大人であることをやめていく。 裁判に関しては何度も言っているがかなり無理筋の裁判で勝ち目は相当薄いと言わざるを得ない。
特に今時の司法は性犯罪ともなると被害者に圧倒的に有利になるし。
俺は裁判なんてものは戦略にもよるが最終的には裁判官の胸先三寸で
あんなもので真実が究明できることはないと思っているが
今回の場合、その辺のエロ小説家なら誰でも書けるような曖昧でいい加減な記事が
国民的スターの足元を根こそぎ揺るがし国民全てを敵に回すと思わせる程の
精神的ダメージを与えるわけでその落差を損害賠償という金額で現わそうとしているのだから
植え付けられた罪悪感が無限に増幅していき何の抗弁もできない情報環境ってものをはっきりと言葉にして
読者への信頼ブランドを悪用した文春の無責任体質を追及するしかないだろうな。 ワイドショーもあの大人の対応と称賛された指原論法の二番煎じを延々と繰り返しているだけで
はっきり言えば松本を真綿で首を絞めているんだろう。
ここまで来るとMeToo運動の暴走に疑いを差し挟む段階に来ているんだが
先陣を切って音頭を取ってきた手前今更引っ込めるわけもないし
ああいう中途半端な擁護ともつかない忖度はむしろ松本に縛りをかけて動きにくくする
隠れた意図があるんだろうな。
テレビはテレビでそういう方向に突っ走るんだろうから別にあれに期待してる人も多くはないんだろう。
ああいうのに乗せられる人はいるとは思うが普通はどこかで止まるよな。 まあこういうのをギスギスした世の中っていうんだろうが確信犯だからどうしようもない。 まあそら誰もが最終的には負けるからな。
分かってて進むしかないしな。
死ぬ時までは生きるしかないからな。 本当は笑いでこの風潮そのものを破壊してしまうのがベストなんだが無理だっただろうな。
今後どうなるのか。
このままなす術もなく押し切られ続けるのかどこかで踏みとどまるのか。
踏みとどまるっていうのは道徳的追及に対する耐性を上げるしかないんだが中々な。 しきりに時代が変わったを連呼するのだがその時代とやらがそんなに魅力的なものに
誰の目にも見えないのは明らかで格差社会とも相まって勝ち組が世渡りを正当化する
呪文として弱者を救う振りをする為に使いまわしていくんだろうな。 まあ俺とは関係ないから別にどうでもいいっていったらどうでもいいのかもしれんが
こんなものを無制限に認めていけば細かいことに物凄く気ばかり使う最終的には何もできない社会
にしかならんのは目に見えてるからな。
それでいいのなら別に好きにすればいいが。 いくら時代の価値観が変わろうとも人間の本質ってものは変わらないからな。
俺は今の時代は人間の本質を過剰に抑圧しているようにしか見えないし
少しでも踏み外すと良識から袋叩きにあうから誰も踏み出さないわな。 遊び方がセコいとか小汚いとか言ってるのも頓珍漢っていうか的外れで
じゃあ豪快に遊べば叩かれなかったかと言えば猛烈に叩かれたに決まっているわけで
たけしだの梅沢だのが叩かれなかったのは運が良かっただけで
ご隠居さんってことでお目こぼししてもらってるに過ぎない。
素人と玄人の境目なんてとっくに社会からなくなってるし
集団でやろうが一人でやろうがいくら大金を払おうが
週刊誌に垂れ込まれたら終わりな構造は変わらないし
じゃあ警察に駆け込めばいいのかって言えばどうせメディアが報道するしやってることは同じだよな。
泣き寝入りなんて言葉自体が男への恨みを無限に増幅する言葉でしかなく
男女交際の一切のトラブルが許されない時代がそこまで来ているような感じもする。
浮気っていうのも男の本能には組み込まれているらしくそこまで罪悪視する程のものじゃないんだが
百歩譲って嫁には謝るとして何で世間様に謝る必要があるのかね。
ここまでくると結婚なんてリスクでしかなく少子化が進むわけだ。 こういうのを女の敵と見做す世間もあるらしくじゃあ垂れ込んだ女が男の敵と見る本音だってあり
とにかく圧倒的な力関係の差が前提になっているのだがそこまで思い通りに女を操ることなど可能なのかね。
男女の機微を支配関係に置き換えていくことはその気にさえなればいくらでもできるのだが
それが許されるのなら少しでも女を怒らせたら卑劣漢のレッテルを貼って葬り去ることは簡単で
実際にそんなことをする女はまだ少ないんだろうがこういう騒動を繰り返す内に当然のことになりそうでな。
そら本当の性犯罪とかもあるんだろうが大多数には関係ない話ではあったはずだよな。
男の女に対する信頼が足元から揺らいでいく流れではあり男女どちらにとっても良いこととは思えん。 もし大量にいるなら日本の危機なんだが
この国って頭悪いよな めちゃくちゃだ何もかも 俺が嫌いなのは正論リンチと死体蹴りだからな。
これらの全てに被害者の絶対化が絡んでいるし
火をつけ回っているのは明らかにサヨクなんだが一般人を巻き込むからタチが悪い。 要するに社会からネガティブなものを徹底的に排除して
楽しいことだけ考えて生きられる子供のユートピアをつくろうとしてるんだろうが
揉め事や面倒なことを極端に嫌がるようになり
乗り越える壁の存在そのものが意識できなくなり
無難に流されるように生きるのが一番コスパのいい生き方ってことになる。
人間なんて一皮剥けば弱いものだから支えるものがなければいくらでも落ちていくしな。 コスパを重視し過ぎると、人間の存在自体がコスパの悪い存在となる 分からないことを分からないで放っておくことができない社会。
真実なるものが確定しないと安心できない。
そんなものは当事者の中ですら移ろうものなのだが犯罪と不法行為の境目が曖昧になり
人に迷惑をかけないという絶対正義が少しでも踏み外す人間を容赦なく裁くようになり
悪の質と基準が無限に拡大するので誰もが犯罪者になるリスクと隣り合わせで
上辺だけの人間関係がデフォルトになっていく。
あらゆることが道徳の物差しで測られるようになるので世の中から遊びがなくなっていくのだろう。
犯罪が悪いことっていう建前が揺らぐことはないが
いくら締め付けを強化してもなくなることはないし生きにくくなるのは悪人だけじゃないからな。 私刑、集団リンチとも言われる昨今のキャンセルカルチャーの正体は「空気の支配」。
圧倒的大多数による共通認識という体裁をとっているので
「正しい」のではなく「自明」「当たり前」「当然」。
正しいと言葉にする必要すらなく間違っている可能性などハナから想定外。
他人を責めているという自覚すらなく当たり前のことを言っているだけなので
どれ程叩こうとも主体がなく批判されることのない聖域に自分をおいている。
こうしたネットで燃え広がる流れも元々はメディアの後追いであり
テレビの言うことを何でもかんでも鵜呑みにする大衆がリベラルの扇動の元に先鋭化しているだけ。
この流れが収束する気配はないにせよ乗せられるかどうかが個人の判断であり
当たり前の既成事実とされてしまったことが実際は人為的なものかもしれないという
疑問からの相対化の作業は必要。 全ては週刊誌やそれを拡散するメディアによって引き起こされる問題であり
被害者に無限の権力を与えることにより加害者に悪人レッテルを貼りつけ叩き
かつ自分好みの善人に矯正することで収束させようとする。
問題は物事の大きさが本来の大きさをはるかに超えて拡大し
正当化された悪意が無限に増幅し誰もそれに疑いを持たないことにある。
この構造が変わらない限り同じことはいくらでも起こすことは可能で
目をつけられた人間は何の抵抗もできないままひたすら追い込まれ
これまで積み上げたもの全てを失い赤子としての再出発を迫られる。
価値観のアップデートは必ずこういう問題を巻き起こすもので
能天気に世の中が良くなっていくなどと信じることのできる性質のものではない。 極左なんてのは誰も相手にしないし左派野党も国民から見放されつつあり
リベラルってもののイメージは下がる一方だがただ手をこまねいて何もしてないわけがなく
時代に適応する形でソフトタッチでイデオロギーを薄めた国民の口に合う甘口思想に衣替えしながら
マジョリティの世論ってことにして秩序破壊や体制弱体化工作を飽くまで合法的に行い
今や体制がリベラル化して合法的に日本人を日本人たらしめていた常識や美徳を抑圧し解体していく。
何といっても合法なんだからどうしようもなく人間の本能的な常識ってものの歯止めで対抗するしかない。
まだそこまで食い荒らされていない領域もあり法も完全にリベラルに支配されているわけでもなく
だからひたすら情緒で圧力を掛けてくるのだが恫喝以外に手口がないと分かれば惑う必要もない。 善と悪は対立概念ではなく善は悪の下地の上に成り立つという不文律がなくなったんだろう。
本能の否定、理性の万能化というのもリベラルの唯物論で
人間は進歩するらしいが本質を捻じ曲げてまで進化して生きるっていうのも歪んではいる。
本能は社会性で制御するものだったのだが社会性を支える規律を解体しながら
本能そのものを理性で管理統制するという心を粘土細工のようにこねくり回す直接的な内面への干渉社会であり
他人を傷つけないこと以上の価値は何もないという人工的な同調圧力への従属をあらゆる人間に強要するんだろう。 今でも嫌儲辺りでは弱男叩きみたいな風潮への恨みのようなスレが女叩きとセットで盛り上がってるよな。
弱男への蔑視っていうのも女には根強くあってそれは別にそんなにおかしなことでもないんだろうが
恋愛至上主義と若い女であることへの自惚れがそういうものを増幅させている気はしていた。
強い男への憧れの裏返しと思えば驚くようなことではないしいくらでも馬鹿にすればいいとは思うが
そんなに選り好みばかりしていられる身分なのかなってのは思わなくもない。
最近は男に求める条件も大分変ってきて優しくて謙虚な男が好きらしいが自分に都合のいいものを
求める姿勢自体は変わってなくてそれでも何とかなるようにできてるのかね。 巨悪は暴かないと悪い奴のやりたい放題になるなんてカビの生えた世界観で
強者には強者の自律的なモラルはあったし全体の幸福を守る責務を自覚していさえすれば
多少の強引な乱暴さは許容されていた。
上に立つ者が無能になって困るのは大勢の下の者たちなんだが
強者を引きずりおろせば弱者が浮かばれるという倒錯した理論で
目先の快・不快の為に将来の幸せ全てを切り崩し棒に振る朝三暮四の理論。 立場に見合った責任を果たしていることへの敬意が完全に欠落しているから
仮に問題があったとしてそれを汚物のように見做し排除すること以外の何も目に入らない。
問題が疑惑に過ぎないという留保は絶対的な真実によってねじ伏せられ
極悪人のレッテルがひたすら強度だけを上げていく。
謝罪・贖罪・体質改善と言った選択肢を与えることで社会改良の大義を手放すことはないのだが
それ以外の言動を許すことはなく純粋無垢な善人としての生き方以外認めない中での改善であり
組織であれ個人であれ生まれ変わる以外に生き残る道はなく
そんなことが可能だとしてもう生きるモチベーションは失われているだろう。 明治以降の欧米化は近代を受容したってことだな。
それにしたって伝統の否定の上に成立したものではないが必要だったんだろう。
昨今のポリコレ騒ぎは敗戦後の欧米コンプレックスからの同化願望によるもので
和魂洋才が洋魂洋才に変質しつつある現象で保守派が欧米追随に警鐘を鳴らすのは当然のこと。 何を以て反キャンカル側の勝利とするのか。
俺の今の感触ではキャンカルの猛威はかなりガタ落ちしていて
もうかつてのような破壊力が生れることはないと見ているが
こういう問題を起こすのは常にメディア側なんだから今後も起きるだろうし
逆らえない大人を無数に生み出していくのかもしれんが
自分を追い詰めているのが国民や社会や時代などといった漠然としたものではなく
思想に過ぎないということは明らかになっていく。
これを以て一応の勝利とは考えているが道徳的非難によって人が抹殺されるという事例が
後を絶たないのであれば意味はない。
その意味でも誰かが一度は踏みとどまる必要があるとは思う。 差別についても建前と本音の乖離が広がる一方でな。
俺は人を見下すとか馬鹿にするとかは全部差別意識からくるものと思っているから
そう考えたら今の世の中でも許容されている差別はいくらでもある。
総じて不潔でキモくて暗くて金がなかったり馬鹿だったりする人間は差別される。
別に障害者差別や在日差別が良いとは言わんがもうやる奴が一人もいない中で
なお差別が悪いと叫んでもどうにもなるまい。
差別語も言葉に政治性がびっしりとこびりついてしまいもう使いたくても使えない現状で
ネットや活字の世界でのみ生き残るものになるんだろう。
本来差別っていうのは人間の本質と骨がらみでだからこそ質で吟味されるものだったんだが
やりたくてもできない現状というものを踏まえれば
人々は故なき差別を憎む気持ちなどとっくに失っていて責められる恐怖ぐらいしか持っていないだろう。
見下す、馬鹿にすると言った蔑視が許さないと言う不寛容に置き換わっていく社会の流れもあり
差別が悪いという建前はもう完全に機能不全を起こしており弊害しか残っていない。 所謂リア充とやらに馬鹿にされることに対する抵抗とかもない。
それはされるだけの理由があるんだろうし羨ましいとも思わんし
見下されようが同情されようが放っておかれようが自分の価値が変わるわけじゃないし
結局自分を救えるのは自分しかいないんだろ。
ただ俺の場合想像を絶する精神的虐待を空気のように受け続けて育ったので
今までの虚ろな人生が自分の自業自得とは思わないし
その代わりに他人にはできないことをやったとは思うが
こんなことをやる為だけに生まれてきたと思うのもそれはそれできついものはある。
自分の中に何もないという問題に悩まされてきたが本当に何もないのか。
それの答えも自分で探すしかないんだろう。 まあ5ちゃんなんてヒリヒリしてるぐらいでちょうどなんだろうが誹謗中傷にも質があって
やたら心にずっしり堪える重たい罵倒とかは書いてる人間の本気度が伝わってきて
そういうのは洒落にならんなあと思う。
真剣に傷つけようとしてるのは大体数を頼みに束になって襲い掛かってくるケースがほとんどで
とにかく真面目だから恐いってのが大きい。
で、開示とか訴訟で狙われるのはそんなのじゃなくて単なるストレートな悪口レベルのもので
本当に悪質なのはスルーされているんだろ。 本当に悪質な誹謗中傷は大抵上から目線。
簡単に言うと偉そうで批判対象の邪悪さ、醜悪さ、卑小さを言葉を尽くして罵倒する。
憎悪に常識の歯止めがかからずとめどなく暴走するのだが
公共の福祉の側に立っているという立場が揺るがないので事実上野放し。 精神的損害なんて曖昧で抽象的な概念で5億もの金が取れるのかね。
その精神的損害の背景には今まで築き上げた実績・地位・名声・人間関係の全てが
たかだか数人の記者の取材による創作との判別もつかない証言らしきもので破壊される恐怖にあり
テレビ界のみならず日本社会に与える影響は莫大なものでもある為
攻撃によるダメージもさることながらそれにより失われる背負っていた有形無形の価値が
損害賠償の目安となるのだろう。
文春の取材コストと松本側の被害は明らかに釣り合っておらず
放置していれば何事も起こらなかった被害者の苦しみという大義が
成功者のこれまでの全てを全否定し解体していく構造は松本個人の問題を離れていき
社会における成功という意味を根こそぎ無効化するモラルによるテロリズムとも言える。 加害者叩きの一方でキャンセルカルチャーは経済リアリズムによってシステマチックに決定づけられた
時代の価値観の流れであり逆らうのは無駄な足掻きって論調もある。
企業が価値観による企業イメージを気にして広告活動を判断し展開するというもの。
SDGsに取り組んでる意識高い企業がその理由でブランド価値が上がったりするものなのかね。
そういう表面的な企業イメージを重視することが消費者の購買意欲に繋がるものなのかどうか。
顧客や従業員への信頼価値の創造以外のものを優先しているわけでそのツケはいずれ結果として現れるだろう。
ポリコレディズニーの凋落を見ても分かる通り価値観のアップデートはむしろ企業に無益有害な事例も出てきている。
キャンセルカルチャーが主体なき一方通行の弱いものイジメっていうのは確かなことだが
確実に扇動している人間はいるということで不可逆論に誤魔化されたら駄目。 何でも思い通りになると思ってるからな、サヨクは。
あらゆる綺麗事の根底にはこの万能感・支配欲がある。
で、それで実際思い通りになってたんだと思うわ。
ただ力づくに圧し続けているだけなんだがやればやる程社会が崩れていき
それを政権や保守派のせいにしながら突っ走れば人心を失いイメージが悪くなるから
いくら思い通りになってもやればやる程不満が高まっていくと。 真偽の定かでない不祥事の拡散が名誉棄損だとしたらマスコミのやってることなんか
全部名誉棄損だよな。
公共性、公益性、真実相当性なんて突き詰めれば人間の主観でしかなく
立場によって価値が異なるもの。
マスコミはこの基準を満たしていると判断されているから問題にされないんだろうが
明らかに社会的地位や名声を根こそぎ剥奪されてる事例はいくらでもあるし
個人の意見や悪口なんかで受ける精神的ダメージなんか知れたもので
裁判なんかに頼らずとも回復できる機会はいくらでもある。
悪質な中傷を行う者は放っておいても信用を失うしその程度には世間は健全だろう。
誹謗対象者への怒りや憎悪を増幅し繰り返し扇動するような真に迫った悪質なものは仕方ないとして
ほとんどの場合はただの難癖、嫌がらせの恫喝復讐目的の訴訟。 そういう世の中なんだろ。
理屈が一切通じない力だけで押し切る社会。
正義マンだけが好き放題暴れまわり誰も近寄れなくなる社会。
ビビッて泣き言を言うのだけはやめにしよう。 大体サヨクなんて多数派でもなんでもなく少数のうるさい集団ってだけだからな。
多数派工作と政権叩きとネトウヨ弾圧と思想押し付けしかやらないし
他人の弱みに付け込むことだけは異様に鼻が利く連中がマジョリティなわけないよな。 まあ俺はサヨクの綺麗な言葉にくるまれた獰猛さを暴き虚飾をはぎ取ることしか興味はない。
それで何が変わるわけでもないだろうが外から見た見栄えが悪くなれば
ちょろまかされる人間も減るし付け狙われる人間の心の重しも軽くなるだろう。
人助けだな。 男女平等は女の人格を認めることでそれなりにメリットのあることでもあり
その意義を肯定することは過去を否定しないこととは矛盾しない。
そういう規範も唯一絶対神聖不可侵のものではないし
昨今のリベラルフェミの過去の全否定や性規範・性差の原罪視とは一線を画する必要がある。 俺は男女平等は肯定するが男尊女卑を殊更毛嫌いする連中は否定する立場。
女が自由に自己主張する社会っていうのが悪いものとは思わないが
そもそも人間が人間の人格を完全に尊重するなんて規範自体が間違っているのであって
対等とか尊重とかに異常に神経質になってるのは面倒臭い意識高い系で
少しぐらいマウント取られたぐらいでガタガタ言うなと。
また男女には性差ってものがある以上仕切りや待遇の違いができるのは当たり前。 リベラル著名人の犯罪・性犯罪の隠蔽ってのも犯罪そのものの悪質さとは次元の違う問題で
非リベラルに対する容赦呵責のない追及があった上でのお目こぼしだからな。
自分に甘いのはそこまで非難することかって疑問もあるが他人に異様に厳しい人間が
自分を棚に上げているのなら非難したくもなるってもの。
不寛容のパラドックスなどと言って糾弾沙汰を正当化している連中も一皮剥けば
本当の倫理観など欠片もない我が身可愛い自己保身の塊に過ぎないという証拠。 大体相撲なんて千代の富士から若貴ぐらいまでがピークで
小錦だの曙だのと言ったモンスターが暴れる中でまだ日本人は頑張ってたよな。
それは厳しい稽古もあるだろうし何より相撲取りの社会的地位が今より遥かに高かった。
仰ぎ見る存在だったわけで相撲取り自身も個性のあるのが多かったし貫禄もあった。
モンゴル人を入れだすと同時に激しい体罰叩きがマスコミを中心に巻き起こり
相撲は集中砲火で叩きに叩かれ権威もなくなったしまともに綱を張れる日本人もいなくなった。
白鵬なんかに良いようにされる国技も情けないとしか言いようがないが
あれだけ叩かれて締め付けられたらもう本気でやろうって気になる日本人力士もいなくなるわな。 上からの強制力の否定・解体っていうのも結果平等の建前を破壊する考え方で
未熟な人間ややる気の足りない人間を無理にでも引き上げようとする責任の放棄で
落ちこぼれる人間は落ちこぼれるにまかせ能力のある人間だけに機会を与える
新自由主義的な弱肉強食社会を推進するだけの思想。
実際そこまでやる気のある人間は極少数なので全体としての地盤沈下につながる。 女叩きっていうのも何の為にやってるのかよく分からんところもあるが
男下げへのカウンターであろうことは想像できる。
男下げそのものよりそれの正当化が問題なのであって
別に女がやってると限った問題でもないしやらない女が大半ではあるんだが
今の世の中が女尊男卑とまでは思わないが男の我儘に厳しい世の中になってるのは確かなので
弱男の僻みと切り捨ててどうなる問題でもないんだろう。
何かルーツは黒ギャルとかああいうものへの嫌悪にまで遡るんだろうが
調子に乗ってる勝ち組女ほど男のように振舞う一方で女を武器にして男を下げるので
ああいうのが全ての女の総意を代表していることになっている現状っていうのが
普通の女ってもののイメージを覆い隠し女を面倒臭いものにしていくんだろう。 別に裁判の判決が天の声ってわけじゃないからな。
あんなもので真実が究明されるのではなくそんな気になっているだけ。
人一人殺しても5年ぐらいで出てこれたり責任能力なんてもので免罪されたりする
司法の判断能力なんかを絶対視できないし世論とは結局は主観の集合体だからな。
何が正しいかは人によって違うし確実なものなど何もなく信頼できる支持の広がりだけが判断の基準。 正義の機能不全。
言葉本来の意味での正義などもうどこにもなくただ人を叩くためのツールに成り下がっている。
人を傷つけている自覚がないので歯止めが効かないのも特徴で
被害者ポジションに自分を置きながらの人格攻撃なので
自分のやってることが誹謗中傷ではないという強固な確信がある。
訴訟で脅して示談金をせしめるなんていうのも傍目には明らかな恐喝なんだが
合法でありさえすれば倫理的な問題も全くないと思っているんだろう。
政権叩きにせよ政敵・加害者叩きにせよ正当防衛というスタンスを崩すことはなく
自分が不快になった原因を全て他人に擦り付けることで
完全無害な人間として際限のない他者攻撃を空気を吸うように当たり前のこととして正当化する。 リベラルが弱者権力を無限に肥大させ社会規範を破壊し
自分たちの都合のいいものに塗り替えようとしているのは確かなんだが
彼らが必ずしも弱者ではないということは重要。
マスコミ特にテレビに出ている人間はほとんどが勝ち組だし
努力してその地位をつかみ取ったのは事実だしある程度社会に貢献しているのも確かなんだろう。
どんな破壊活動も社会改良という大義名分の元に行われており
実際百の害悪があったとして十ぐらいは世の中の役に立っていることもあるのかもしれない。
自由は勝ち取るものという規範を身をもって体現してはいるんだろうし
本能に対する忠実さや必要悪としての悪意や人を蹴落とす闘争心なども人並に持っているから
社会に影響力を行使できる立場につくことができたのだろうが
そういうことに対して無自覚で言葉と人格の乖離という問題が表面化している。
善意を持っていたとしてそれを帳消しにして余りある攻撃性を持て余しているから
言葉でいくら良いことを言っても責任を取ろうという気がないのなら信用できないしな。 善と悪は対立ではなく加減の問題であって悪を完全に排除する純粋善を目指すのがリベラル、
悪を包含した全体としての善を目指すのが保守と理解している。
純粋善は理屈の上でしか成立せず生身の人間が実践に移すと必ず独善と狭量を生み出すことは明らかになっている。 自分たちの批判は正しくて綺麗な批判。
対立者の批判は間違った汚い批判。
この構図をやたらと振りかざすのもリベラルの特徴。
自分たちが批判するのは当たり前のことで批判される側に回る
可能性など全く想定していないので
いざ批判されるととにかく道徳的な威圧で相手を屈服させる以外の対応はなく
出来ない場合は対象への憎悪を歯止めなく肥大させる。 リベラルって自由主義者の集まりとして保守派に対抗する存在だったのに
ここ最近は法規制に積極的だわ、弱者の排斥に熱心だわ、どうしちゃったの?