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>コナン
半村良の神州纐纈城の解説(初出は講談社文庫版)から抜粋。

――現場の声としてひとこと言えば、伝奇小説とはうまく終わらない小説であるようだ。
ストーリーの中核に自己増殖性がある。
たとえば、人跡未踏の秘境にこれこれの性質を持った一族がいて、その末裔が……となれば、
登場人物の血筋はどんどん入り組んでゆかざるを得ない。
私は、自己増殖をしないようなネタでは面白い伝奇小説にならないと思っている。

その意味で伝奇小説最大のキャラクターは、悪魔妖怪の類だろう。
生まれ変わり死に変わり、彼等の物語は今も続いている。 一度死んだはずのフランケンシュタインや
ドラキュラの物語が何時でも任意に再開できるのは、彼等のキャラクターとしてのネタが
それだけ優れているからである。

だから伝奇小説の面白さのひとつは、ストーリーが次々に膨れ上がって行く面白さである。
書き続ければ実際の社会と同じ規模にだってなりかねない。
伝奇小説が長いのも、登場人物などがむやみやたらに多かったりするのも、そのせいであろう。

したがって、「蔦葛木曽桟」「神州纐纈城」が未完の形で残っていることを、 私はさほど残念には思えない。
もし国枝さんが両作品の未完である事を残念に思って逝かれたとしたら、そのことのほうを私は残念に思う。
国枝さんはついに「終わることができぬほど面白い」伝奇小説をお書きになったのである――