輪るピングドラム187 STATION
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※ワッチョイはスレ立てるごとに消えるので適宜増やす
■僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ。 きっと何者にもなれない お前たちに告げる
@TVアニメ『輪るピングドラム』公式サイト及びツイッター
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■前スレ
輪るピングドラム186 STATION
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranimeh/1560793446/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) あんなふわっとした演説で信者がついてくるとは思えないが、
まああの程度だからカルトどまりなんだろうな。
ゲッベルスくらいのカリスマ性があったら実際に国を動かせる。 アニメ稼働がなくてもトリプルHのアルバム出してほしいわ
マクロスデルタみたいに声優ユニットだけで稼働させてほしい
AEBの曲をチョイスしてアルバム1、2枚あればお腹いっぱい 終わったアニメだから要らない。そんな金あるなら新作アニメ作れ 幾原邦彦改めボンソワール幾原のユニット
帝子ボンボン「君の青春は輝いているか」
こんなんあったのか
今Youtubeで聞いてみてるけどトリプルHには敵わんな
絶対運命黙示録・完全版は歌詞に続きあって驚いたけど 真砂子の事について考えている。
冠葉の箱に突然出現した林檎が22話で陽毬が死んで返した命なら
何故、真砂子の同話での自己犠牲は林檎となって冠葉の箱に届かなかったのだろうか?
その違いは「真砂子が"冠葉の運命共同体"への執着を捨てられなかったから」
だと私は思っている。
陽毬は執着を捨て死んだが、真砂子は執着が捨てられず死にきれなかったので23話でまた復活した。
その二人の妹の冠葉への想いの違いが
冠葉の箱に林檎として届いたか届かなかったかだ、とも私は思っている。
ユリ熊嵐にもゾンビのように執着を捨てられず復活するみるん王子が居たが
「ご褒美のキスが欲しい」という偽物のスキでは相手には林檎が届かないのだ。
「真砂子を復活させたのは眞悧じゃん、悪いのは眞悧!」と言いたいファンも居るだろうが
あれは「真砂子自身の問題だった」と私は推測している、或いはイクニさんがわざと仕込んだミステリーって感じだろうな。
混乱するし要らないので劇場版では真砂子復活のシーンは省かれたのだろう。
眞悧は「呪い」というより別れてしまう事が決定している現運命共同体に「偽りの希望」を見せる存在だからなぁ。
だから陽毬のマフラーをダブルHに届けたのだろう、彼女らはもうトリプルHには戻れない運命なのだから。 「陽毬は24話でプリクリの格好で復活したじゃん、なんで陽毬の林檎だけ冠葉の箱に届いたの?」
と疑問を持つファンはいるだろうが、クリスタルワールドは虚構の精神世界。
12話のクリスタルワールド内で自分の服を引きちぎった冠葉が現実の手術台のシーンでは服が元通りだった通り
クリスタルワールド内では例え死んでも現実には影響しないのだろう。
話は逸れるが最終話で高倉兄弟が燃えたり砕かれたのも一緒で、現実の兄弟二人には何も影響は無いのだ。
あれは「"陽毬たちがイメージする高倉兄弟"が燃え砕かれた」って事なのだから。
つまり24話の生き返った陽毬は23話の晶馬と潮干狩りの回想をした時の陽毬と同じく幽霊みたいなものなのだ。
描写から読み解くのも難儀な設定だが多分そういう事なのだろう。
そりゃ10年間の今までピンドラファンの誰も気づかなかった訳だ。 要らんって事は無いのか。
23話の真砂子復活も冠葉が運命の列車に乗る展開も
16話で真砂子が見た予知夢通りになってるようだし。
ピンドラの「予知夢は現実になる」という隠れ設定通りの展開をここでもやってた訳だ。
そして夏目家の者は男だけでなく女も死なないってのを
23話の真砂子復活でもやってたってだけなんだろうな。
脚本通り順当に23話の真砂子が復活するシーンを作ったは良いけど
24話の乗り換え後の真砂子のシーンと23話の復活シーンが綺麗に繋がらないので
結果的に混乱し易い内容になった、って考えるのが妥当かなぁ。
だから劇場版では16話ごと真砂子復活シーンはカットされたのかもなぁ。 >>754>>721
普段から妄想癖の強い妹の苹果や離婚した荻野目元夫妻の言動(6話と8話)を見てれば分かるが
荻野目家の一族は「妄想癖が強くて恋に溺れ易い遺伝子」を持ってるようだからなぁw
「子供は親に似る」というピンドラ世界に一貫してる法則が桃果にも適用されてるはずだから
桃果は多蕗に恋してあんな妄想日記を書いた、と私は考えている。
運命日記は実際にあった出来事も書いてるようだし
素の桃果はあんな日記を書くような感じの女子小学生だったのだろうw
小説版読み直して気づいたがデスノみたいな日記の隠し方してたんだなぁw
桃果もデスノートにはまってたんだろうなぁ・・・いやいや桃果が死んだのは'95年でデスノの連載開始が'03年なので
桃果にデスノの真似が出来るはずが無いしおかしいだろ!
まるで桃果の運命日記がデスノートの元ネタみたいな描き方してるな、脚本家さんやアニメーターさんの遊び心だろうとは思うが。
というか遺品として返って来た日記を両親が桃果の机に閉まっといたのだろうから
荻野目夫妻には日記の内容がバレてるんだろうなぁ、中二病的な隠し方まで。恥ずかしいw
15話や18話や23話などの桃果はそれぞれ誰かのフィルターを通した虚像の桃果つまり「イメージの桃果」だからなぁ。
特に23話の桃果は嘘くさいw
「桃果がテロ事件に巻き込まれて首謀者とともに死んだ」という客観的な情報なら私は信じるけど
「分裂してペンギン帽になった」という眞悧を通して語られる桃果像は嘘臭くて
話半分に「そうですか」と受け取っているw 桃果の日記を荻野目父が読んでるなら
8話の水族館でのプロポーズで乗り換えの呪文を唱えててもおかしくは無いよなぁ・・・、実際そんな場面だし。
そしてそれを聞いていた苹果がダブルHのアルバムと自分の記憶で聞いたものと一致してる事に気づいて
最終話で唱える。
やっぱイクニさんは私の想像通りロジカルに考えてるんだよなぁ。 >>755
多蕗を子供ブロイラーから助けた後に妄想未来日記を書いたのか
妄想未来日記書くくらい多蕗を好きだったので異変に気づいて子供ブロイラーから救えたのか
どちらにせよ運命の乗り換えが出来る自己犠牲を払ってまで他人を救う少女と妄想日記が一致しなくてw >>757
18話の桃果は日記持ってないからなぁ
自分の知る限り日記に多蕗のピアノの事は書いてないのでブロイラーの後に書き始めたんじゃないかなぁ。
BD購入特典だったらしい運命日記には一応全内容が載ってるらしいが。
多蕗のピアノを聞いてる事や多蕗が怪我してから無気力になっていった事
かなりの出来事なので仮に桃果がその頃から日記書いてたら記してあるはずだし
日記を読んだ苹果も多蕗の暗い過去を知ってそこから多蕗を攻略する手を考えたりしただろうしなぁ。
放課後に多蕗のピアノを立ち聞きしてた桃果と
多蕗の部屋を床下ストーキングで盗聴してた苹果は同じ血を分けた姉妹だけあって重なる部分があるし
本編どおり姉妹とも大切な人の為なら自己犠牲する覚悟を持った一面もあったんじゃね?とは思ってるw
日記も妄想ばかりって訳でもないのだし。
ただ桃果からゆりへと運命を乗り換えてる最中の本編の多蕗に対しては
運命日記の内容が乗り換えに割り込めるだけの予言書級の効果があったってだけで。
だが小学生当時の多蕗が桃果がスキだったとはいえ小学生が考えたような妄想日記で
大人の多蕗が苹果に乗り換えるのは胡散臭くなるので
肝心なとこは黒魔術の蛙とかギャグ展開にしたんだろうなぁ、とも思うw 「かえるくん、東京を救う」を久々に読んだ
昔読んだ時の感想はカエル君は主人公・片桐の善性でミミズ君は悪性で脳内で独り相撲する話だったかなぁと
そんな浅い印象を持った状態で再読していたが
もう少し深い話だったんだなぁ、と自身の読みが深くなっている事に感心した。
自賛していいものかそれとも恥じるべきなのかw
関連本のドストエフスキーの白夜とかは未だに読んだ事は無い。
かえるくん、1時間くらいで読めるのが良いわ。
相変わらず片桐の独り相撲の印象は一緒だが
カエル君は「未来からやってきた片桐」でミミズ君は「社会で生活する中で過去から積もりに積もった片桐の鬱憤」と解釈すると分かり易いなぁ。
何故「未来の片桐」か?だが本の知識の差と
結末で「カエル君に近づきたい」と読書欲を見せた片桐の変化がそう思わせた。
また、ミミズ君を時に機関車と表現していた所が「銀河鉄道の夜」を彷彿とさせるが
片桐のような社会生活を送っていたら
銀鉄の作中、死者か生者なのか判別出来なかった鳥捕りのようにある日突然、銀河鉄道に乗ってしまいそうだし
それで「かえるくんに出会った片桐は撃たれる妄想を経験し昏倒していた」のかなぁ?と想像してしまった。
とにかく銃で撃たれる片桐と鳥捕りのキャラが重なったように感じた。
そして現実では昏倒してる間のカエル君から聞かされた片桐が発光機で応援していたという夢の話は
片桐がジョバンニのように銀河鉄道に乗っていたかのように感じた。
かえるくんが死んだのでオチも未来も暗く感じるが
サリン事件が起きる一ヶ月前を設定した物語としては味があるなぁ。 夢と現実の境界線が分からん所がモヤモヤするなぁ、かえるくん
私が片桐の立場だったら物語後に先ず
かえる君が精神攻撃で解決してくれたっぽい借入金の話も夢だったのか確かめてくぞw 桃果の日記や世界観、物語の事を考えている。
桃果が15話でゆりに運命日記に触れさせなかった理由の代償云々が
何度見てもよく分からんままだったが
仮にゆりが日記を読むと桃果の多蕗への恋心がバレて
出来たばかりの関係性が壊れると思ったからでは?と一つ気づいた。
高倉3兄妹が作中でだんだんと恋愛絡みで関係がバラバラになっていったように
桃果はゆりを友達に引き入れた時点で
多蕗とゆりとの友達三人の関係の中で自身の恋心を表に出すと「私の大切なもの(友達関係)が壊れる」と気づいてしまったのではないかなぁ?
だからゆりが日記に触れようとするのを止めた。
そして桃果は自身の多蕗への恋心を胸の内にしまっていった。
それでも自分という箱に秘めた恋心は収まらず
日記に「多蕗君とこんな事をしたい」と小学生らしい過激な妄想を書くようになっていった。
で、テロ事件で桃果が眞悧と出会ったのは偶然かどうかは分からないが
世界(関係性)を壊してでも自分という箱の中の恋心を出すのが重要だと作中で語っていた眞悧と
自身の恋心を日記に封じてでも世界(関係性)を大切にする桃果は
「利己的な恋」と「利他的な愛」で良い感じに対照的になってるんだよなぁ。
つまり、桃果は眞悧と相打ちになって世界が壊れるのを防いだように見えるが
桃果の個人的な問題として
恋心を秘めた桃果自身を消す事で
多蕗とゆりの関係が続く事を願って身を引いたとも解釈出来るようにもなってるんだなぁ。ちょっと面白い。
ユリ熊嵐で紅羽に新しい友達が出来るのを願って身を引いた純花を少し思い出したよ・・・。 桃果と陽毬には接点が無いとずっと思っていたが
日記に書かれた桃果が真実だとするなら
他者の運命を壊さないように自分の本当の気持ちを箱に閉じ込めてしまったキャラとして共通点があるのか。
桃果は多蕗への恋心
陽毬はトリプルHへの未練
そしてマリオも本当は姉の真砂子を守れる男になりたいのに
真砂子が父や兄への承認欲求で過保護にするので
自身の本当の気持ちを箱にしまってしまった、だから病気になった。
だから時代を越えて三人はペンギン帽で繋がってたのかもなぁ。
となると桃果もテロ事件直前の頃には二人みたく不治の病になっていたと考えるのが妥当だが
その辺どうなのだろうなぁ?
また、桃果は15話でゆりの運命を乗り換えた時
ゆりが父親から桃果に乗り換えるように呪文を唱えたのか、と今まで考えていたが
まさか「桃果自身と多蕗が結ばれる運命」を「ゆりと多蕗が結ばれる運命」に乗り換えたとか
そんな自己犠牲をしていたのかなぁ?と考え直すようになった。 自身の本当の気持ちを隠しても
桃果みたくピングドラムを持ち
他者の本当の幸いの為に自ら行動をしている者は病気にならない、みたいな設定があるのかなぁ? しかし桃果には本当にテロ事件の未来が見えていたとして
何で十分な対策もせず眞悧と同じ列車に乗ったのかなぁ?
桃果には自分が勝つ未来しか見えてなかったから対策をせず一人で列車に乗り込んできたのかどうなのか
未来が見えていたなら何故両親や友達にもこれから起きる事を一言も伝えようとしなかったのか?
そもそもテロ事件は警察の案件だろう、何故通報しなかったのだろう?
子供の冗談だと片付けられてしまうと思ったからだろうか?
桃果が一人でテロ集団に立ち向かう行為は
細田監督の「竜とそばかすの姫」でヒロインが他所のネグレクト父親に一人で立ち向かう行為と似ていて
同映画に向けられた批判みたく視聴者から批判されてもおかしくない所ではあるが
'95年にサリン事件が起きるのはフィクションだろうと「運命」で
例え一人の少女が事前に気づいても止められないのであって
そこにマジで突っ込む私のような野暮な視聴者は殆ど居ないって事なのだろうなぁw、面白い。
みんな「運命だから仕方ない」と思考停止してるようなものなのだし
私も今まで考えた事は無かった。
何故桃果は一人でテロ事件に立ち向かったのだろう?
かえるくんのオマージュだからだろうか? かえるくんのオマージュなら気絶してる片桐みたいなのが夢で桃果を応援してるはずだよなぁ・・・ 最終話は陽毬が片桐みたく死に掛けていて
カエル君(晶馬)とミミズ君(冠葉)の戦いを仲裁してたようなものだよなぁ、そういや
そこら辺がかえるくんのオマージュか
では23話の'95年のテロ事件の回想ではどうだったのだろう?
誰かが見ていた夢なのだろうか? 私は23話の回想で描かれるテロ事件は
単に'95年の地下鉄サリン事件を再現したものではなく
妄想日記を書いてしまう桃果の内に秘めていた「今の世界(桃果の友達関係)を壊して多蕗君をヒトリジメしたい」という欲望を肯定し
ちょっと天使な桃果を欲望色に染めてしまう「欲望という名の幽霊」との戦いだった、と思っている。
まるでユリ熊嵐9話以降の幽霊蜜子さんと対峙していた銀子のように。
蜜子さんに迫られた銀子は一度「私は紅羽を食べる」と欲望に屈しクマダークしてしまったが
桃果は眞悧と相打ちになる事で世界がすべて壊れる未来は防いだ。
しかし両親が離婚してしまう運命は避けられなかったのだろう。
つまり桃果の内なる戦いだった、と私は解釈している。 運命の至る場所が「かえるくん、東京を救う」の地震で
かえる君とみみず君の戦いのようなものだとするなら
それは其の運命共同体が一緒に居る為に我慢し続けてきた個人個人の鬱憤とか、そのエネルギーなんだろうなぁ
'95年に桃果は自身の恋愛感情を我慢していた。
桃果は日記に書いてたような自身の本当の気持ちをゆりと多蕗には言えなかったので応援も頼めなかった。
でも桃果一人で何とか相打ちに持ち込んだが桃果は消滅した、かえる君のように。
そして高倉兄妹も最終話の通り運命共同体を続ける為に我慢してきたものが沢山あったのだろう。
でも自分たちのピングドラムを再確認し
陽毬の呪文を唱えた苹果に陽毬を任せて兄弟は消滅した。
陽毬を片桐とし、高倉兄弟をカエル君とミミズ君だとするなら乗り換え後の世界で
兄弟が居なくなったオチには違和感は無いが
一体何時から兄弟は居なかったのだろう? 最終話の最後、熊のぬいぐるみから手紙が出てくる所から私は「高倉家のリフォーム中に兄弟が居なくなった」と推理し
その説でも十分通用し、作品を読み解けるものだと
そうやって今までピンドラと付き合ってきた。
しかしイクニさんの意図は違うようだ。
何故なら最終話の池辺家の柱にある「陽毬の丈比べ」は陽毬が三歳の頃からある。
写真とか他は誤魔化せたとしても、これだけは細工が簡単に出来るとは思えない。
池辺の伯父が「高倉家の兄弟が居た残り香」を消したとしても
陽毬が三歳の頃の丈比べの跡を新たに創る事は不可能だ。
つまり乗り換え後の世界では「池辺の伯父は陽毬を三歳の頃に養子にした」事になってるのだろう。
私はそれは中々納得出来ない、なぜなら三歳の頃の陽毬と池辺の伯父との接点が作中で全く描かれてなかったからだ。
だが、日付の作画ミスを後々の漫画版と劇場版でも隠していたイクニさんが
丈比べの背景は堂々と描写しているのできっと真実なのだろう。
真実として考えると一つ納得出来る事はあるんだよなぁ。
20話のこどもブロイラーに行く陽毬が熊のぬいぐるみに置手紙をし
晶馬が熊のぬいぐるみを放置し、手紙だけ握り締めながらこどもブロイラーに走るシーンと
最終話の熊のぬいぐるみの中の手紙はつながってる感じはする。
紆余曲折を経て晶馬は熊のぬいぐるみも陽毬の大切なものなのだと気づいたって感じかなぁ?
晶馬は6話の苹果の引越しでもぬいぐるみを踏み潰そうとしていた、彼はそういうキャラなんだろうな。
つまり晶馬は20話で三歳の陽毬をブロイラーから救った時点で
世界から消えていたって事なのだろうなぁ、ついでに冠葉も。
そして最終話の晶馬がピングドラムを陽毬に渡すシーンで一瞬20話の回想の子供時代に戻るのも
現在と過去が時を越えて繋がっていたという事なのだろう。 どうして桃果が多蕗で妄想日記を書いてたのか?という疑問には
もう一つの仮説があるんだよなぁ。
「桃果は最初から多蕗とゆりを結ぶつもりで日記を書いていた」ってのがあって
陰謀論がスキな私ととしては今までそっちの方を考えていた。
でもガチ百合のゆりをノンケにする運命を桃果が書いていたなんて
ゆりの視点だと「大きなお世話」だし
桃果が途端に俗っぽくなって信憑性が強くなってしまうんだよなぁ。
まぁ荻野目母も恋バナ大スキっぽいから
カプ厨の母の性格が遺伝した、とも考えられはするが。。。
それに私はピンドラでは報われてなかろうと百合が大スキな視聴者なので
自分から好んでそんな桃果像を創りたくはなかったからなぁ。。。
日記の内容を素直に受け取って「桃果は多蕗に恋していた」と考えてくのもダメージが大きかったけど
桃果のように分け隔てなく皆に愛を与えるちょっと天使のようなイメージの女の子が
実は欲望を抱えていた、というのはイクニさんが創りそうなキャラだし
先のようなカプ厨桃果よりも本当の桃果に近い、と少なからずの自信はあるな。色んな事がつながってるし。
いやー、しかし盲点だったなぁ。桃果が多蕗に恋していたなんて。実際日記に書いてあるというに。
やっぱ描かれてきた「桃果の神聖なイメージ」が
ゆりそっちのけで多蕗との恋愛妄想日記を書いた娘と結びつかなかったからだろうなぁ。。。 もっと詳しく言うと桃果は多蕗に恋していたが
自分という箱から多蕗への恋心を出すと世界(友達3人の関係性)が壊れると思ったので
日記だけに書き残してたキャラ、だな。
そりゃ「姉の桃果の未練を私が叶える!」って次の妹の苹果のドラマにつながってく訳だ。
想いが適ったら離婚した親の関係も修復する、って普通に考えてもおかしいオプションが付いて来たがw
ピンドラはその内容から女性ファンが多いはずだが
日記に妄想を書き残していた桃果の気持ちに放送10年以上経ってもファンは誰も気づかなかったんだなぁ。。。
そりゃピンドラ世界は不可思議な事ばかり起きて脳が麻痺してしまうのは分かるけどさ。 私も運命日記の扱いについて疑問が幾つかあるんだよなぁ
例えば日記の内容には16話での偽物が燃えた時の描写とか多蕗だけでなく時籠ゆりも出てくる箇所もあったのに
何で日記を一通りすべて読んでるはずの苹果が14話まで「ゆりが桃果の同級生」って気づかなかったのだろう?
不思議で仕方ない。
日記を信じてる苹果なら4話辺りの多蕗からゆりを紹介された時に
「ゆり?まさか日記にあった桃果の同級生!?」って感づくもんじゃないのかなぁ? アニメでは桃果の日記は数日分の数分で読める程度の薄い内容だが
実際の日記は一年365日分の内容があって
桃果の文章力が上がって内容が複雑になっていたり
アニメ以上に桃果の交友関係が広くて友達の数が半端なかったりと
理解するのに大変なものだったのかもしれんが・・・
普通なら「古い友人」が気になった苹果は4話の後に日記を読み直して調べるもんじゃないのかなぁ?
何で14話でゆり自身がバラすまで後手後手にまわる展開になってしまったんだ。。。
せっかくの運命日記が体を成してないと感じるんだがw
それに桃果の死後に卒業アルバムが送られてきたりとか
生前の桃果の遠足とか学芸会とか運動会とか学校の行事で撮った写真とか
色々と荻野目家に残してあるはずなんじゃないかなぁ?
それにゆりの姿も載ってるはずだし。
苹果の多蕗愛が本物なら彼のショタ時代の写真を見て萌え転がってたり
ついでにゆりの姿も目に入っていた、と想像してしまうのだがなぁw イクニさんは15話の桃果初登場まで彼女をどう描くか棚上げしてたっぽいし
14話まで桃果を不思議な運命日記を遺したミステリーキャラのように描いてきていた。
その弊害で苹果が日記など有益な情報源を持っているというのに
ゆりの正体に気づけない間抜けキャラになってしまったのかもなぁ・・・
ちょっとピエロっぽいな。 劇場版も考慮した上で「高倉3兄妹の林檎のやり取り年表(仮)」を作ってみた
10年前の20話回想、晶馬はKIGA林檎(小説版では「事務所にあった林檎」)を陽毬に1個丸ごと与えた為に
陽毬も「高倉家の子」となり後々「高倉家の呪い」が陽毬に集中する事になる(20話回想より)
与えたので「晶馬の箱」から林檎が無くなる。
回想時、冠葉とはまだ友達ではない「飽きたんだろ?」
(注*しかし20話のKIGA林檎を渡すシーンは色々と不自然。
1個丸ごと与えた晶馬は陽毬に「高倉家の子」という自分の居場所を譲った事になると思うのだが、兄妹として本編中ずっと一緒に暮らしていた。
9話のKIGA林檎を投げ寄越した眞悧が関わっていて二人の運命を細工していた、と推測される。
そして晶馬が1個丸ごとあげたのは事実なので、乗り換え後の世界で陽毬だけ池辺家の養子として一人生き残った?とも解釈できる。)
10年前の22話回想、冠葉は自分の代わりに夏芽家に帰る真砂子に「夏芽家の跡継ぎになる林檎」を1個丸ごと与える(22話回想からの推測)
だから「冠葉の箱」からも林檎が無くなった。
また夏芽父が死ぬまでの間、冠葉は与えた林檎の縁を頼りに夏芽家に度々訪れ真砂子を励ます(16話)
10年前の24話回想、林檎が無くなった後の「何者にもなれない」晶馬と冠葉が箱の中で出会う。
餓死寸前だったが未来の陽毬が「冠葉に奪ったいのち」を返した為、冠葉の箱に林檎が突然出現する(22,24話)
そして林檎を分け合った兄弟は未来に「陽毬の双子の兄になる」運命となった。
(24話回想の葬式後に冠葉が高倉家の子になる出会いから3年前の高倉家のリフォームまでの暗示であり未来予知)
高倉家の妹となった陽毬はヒバリと光莉に乗り換えの呪文を教えたけど
高倉家の呪いが発動し両親が指名手配になって家族ごと社会から排除され、トリプルHにはなれなくなった。
後にダブルHのデビューを見た陽毬は「林檎を分けあってトリプルHになる」という夢どころか「誰かと林檎を分け合いたい」という欲望も諦め
その欲望を「自分という箱」にしまって凍りつかせてしまい不治の病となる。
1話、陽毬退院して死亡&復活。エネルギー切れのプリクリが冠葉から「いのち(蠍の炎)」を奪う。
プリクリは燃料として使い、陽毬が一時元気になる。
奪われた冠葉は「晶馬と分け合う事」の大切さを忘れ、恋愛脳になって「陽毬との関係」をヒトリジメにしたいキャラに変貌する運命となる。
(1話の「プリクリの命略奪と冠葉のキス」が後の21話で描写された10年前の夏芽家父の葬儀時の出来事「晶馬から貰ったKIGA林檎を冠葉に渡す代わりに絆創膏を貼った陽毬と冠葉の誓い」と連動) 2話〜 苹果と運命日記の登場、日記の乗り換えの呪文が最後に必要になっていく。
9話 眞悧の暗躍
高倉3兄妹の世界(関係性)が壊れて、冠葉にテロで世界を壊して欲しい眞悧は
陽毬に「私の運命の人」を意識させ、恋の三角関係が生じるように仕組んでいた。
12話、陽毬また死亡。(友達候補の苹果に高倉家の秘密がバレたから?)
二度目の元気注入は無理らしいのと眞悧の登場で薬で延命していく事になる。
13話〜 今までは兄弟仲良く一緒に陽毬を救おうとしていたが
後半は「冠葉は薬」で「晶馬は日記」と別々の方法で陽毬を救っていく事になる。
20話 10年前の記憶を思い出した陽毬が恋愛脳になる。
21話 眞悧による「高倉3兄妹仲違い作戦」が成功、高倉3兄妹の世界(関係性)は一度壊れる。
22話 薬が効かなくなったので唆された冠葉はテロに走り世界を壊そうとする。
陽毬が水族館で冠葉に「いのち」を返して死ぬ、10年前の冠葉の箱に届く。 24話 陽毬を日記で救おうとしていた晶馬のおかげで
運命の列車に「ダブルH経由の乗り換えの呪文を使う苹果」が乗る事になる。
冠葉が今までやってきた「眞悧頼りで陽毬を救う方法」は完全に失敗したが
晶馬が続けていた「日記で陽毬を救う方法」のおかげで陽毬は乗り換えられた。
冠葉ではなく晶馬の行動が陽毬の命を救ったのだが
その成功も10年前の冠葉が「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」がモットーのジャイアンみたく「陽毬の林檎」をヒトリジメにせず
晶馬も生き延びるよう利他的に林檎を分け与えていたからだ。つまり「情けは人の為ならず」
また「高倉家の罪は僕だけの罪だ!」と自身が抱えた罪の林檎を今まで誰とも分け合う事を拒否していた晶馬だったがついに観念し
冠葉と分け合う為にその林檎を胸から取り出し陽毬に渡した。
晶馬はKIGA林檎を陽毬に渡して妹にしてしまった運命をずっと後悔していたが、再び陽毬に林檎を渡す晶馬に迷いは無かった。「運命に無駄な事なんて無い」とでも言いたげに。
(陽毬は何に気づいて「はっ」としたんだろうなぁ?私は「迷いの無さに」だと思うけどこの瞬間の感情を色々と考えるのは面白いと思う。)
そして。陽毬を通して晶馬から林檎を返してもらった冠葉は「分け合う事」の大切さを思い出せた、世界の関係修復。
つまり、晶馬は最終話で初めて「冠葉と本当の関係性を結ぶ為の林檎」を自分の中から取り出したのだろう、22話の陽毬みたいに。
これにより晶馬が20話回想の「事務所にあったKIGA林檎」によって築いてきた陽毬との今までの運命が「無かった事」になった。
だから乗り換え後の世界では高倉3兄妹の関係が最初から無くなり陽毬は池辺家の養子になっていて
果実を分け合ったアダムとイブが楽園から追放されたように「自分という箱」から出た冠葉と晶馬は世界からも人々の記憶からも消えて別の世界に旅立っていった。 一先ずだが「高倉3兄妹の林檎」をメインとしたやり取りの年表はこんな感じかなぁ。
疑問点や「ここ違うんじゃない?」って箇所とか「これ追加した方が良いんじゃない?」ってのがあったら指摘してくれるとありがたい。 桃果の日記や回想から
自分という箱に「多蕗への恋心」をしまっていた生前の彼女のキャラクター像を考え
桃果の生前から死後に変わっていった各キャラクターとの関係性を整理している。
1.多蕗は'95年の小学生の時に桃果から告白されなかったし
'11年作中も桃果の恋心に全く気づかないまま物語は終わる。
根拠:多蕗は12話のくすぐり地獄の刑を普通に嫌がっている。
しかし桃果はどう思ってスキンシップしていた??
2.ゆりは8話で日記を半分奪った後に読んで確実に気づいてる、桃果が自分と違って本当はノンケだった事実に。
3.荻野目父は桃果の死後に返ってきた日記を読んで誰よりも衝撃を受けた筈
根拠:5話の苹果による日記朗読「パパにはまだ彼の事は言ってない。今の所、パパの大切な宝物でいたい。」より。
そして、桃果の死後に返ってきた日記の妄想部分を読んで驚いた事だろう。
荻野目父は桃果と多蕗が自分に内緒でつきあってたと誤解した「かも」しれない。
また、日記の何が真実か分からなくなっている「かも」しれない(実際、神の視点を持っている視聴者も何が真実か分からないしな)。
邪推かもしれんが荻野目夫妻の離婚は妄想日記が原因の可能性も?。
だが荻野目母と日記に関して話し合って、真実だけを読み解ければ離婚せずに済んだ?
4.荻野目母は生前の桃果の多蕗への恋心を見抜いていて、桃果に親身になってある程度相談を持ちかけていた?と推測される。
根拠:6話の晶馬とのやり取りで恋心を察知した荻野目母の見識眼、5話の日記「パパにはまだ彼の事は言ってない」
つまり「桃果はママには相談していた」と考えられる。
しかし桃果は結局、多蕗に告白出来なかった。
ゆりを加えた3人友達の関係を壊せなかったからだし、日記の通り「パパの宝物でいたかった」から。 そして'95年3月20日に桃果はテロ事件に遭遇し
眞悧に「自分という箱から秘めた恋心を出して『共に世界を破壊しよう』。僕の仲間にならないか?」みたく誘惑されそうになったが桃果は拒否。
眞悧を世界から排除しようとする。
しかし相打ちになって桃果は「自分という箱にしまっていた恋心」が呪いとなって噴出し、少なくとも「荻野目父母の世界が壊れる運命」になってしまった。
まるで「パンドラの箱」が開いて邪悪なものが世界に飛び出したように。
だが開いたパンドラの箱の底に希望が残っていたように、桃果の妄想日記にも希望「運命を乗り換える呪文」が残っていた、って物語にピンドラはなっていた。と私は考えている。 桃果の日記はさらざんまい5話の祖父の死に際の一言みたいになってたんだなぁ。
10年経った後も今までファンの誰も気づかなかった新たな解釈が出てくる所がピンドラの凄い所だなぁ。
「終わったアニメ」と思考停止したように決め付けられる作品だとは私には思えない。
イクニファンの一人として誇らしいが、今まで気づかなかった私もまだまだだわ〜。 ここまで考えるとピンドラの
'95年のテロ事件とは毒ガステロ事件でも
12話のような爆破事件でも無く
眞悧が荻窪線に同乗した乗客たちが「自分という箱」にしまった鬱憤を連鎖爆発させるよう誘惑していた事件、と私には思えてくるなぁ
まるで「かえるくん」の片桐の中に溜まった社会への鬱憤が震源地になって大地震を起こすかのように。
そしてセーラームーンやプリキュアの悪役が
毎話人々の弱い心を誘惑して戦闘員を作ったり、最後に世界規模の災害を起こすかのように。
結城翼が21,22話で企鵝の会みたいな黒服でゆりを襲ったのも
「眞悧の誘惑」に負けたんだろうなぁ。。。
とはいえゆりの行い、翼との付き合い方振り方も十分酷かった。と私は思ってるがw そういや'92年放送のセーラームーンの一期の最終決戦場は北極なんだよなぁ、惜しいw
まぁその点は南極が重要地点であるエヴァンゲリオンのオマージュにしてるんだろうな。
それにセーラームーン1話のルナがおでこの三日月マークに絆創膏を貼られて能力が使えないのも
眞悧にピングフォースシールを貼られる桃果と被ってる、気がする。
「トップをねらえ2」のトップレス能力かと思ってたセーラームーンともつながりがあったんだなぁ。 プリクリのセーラームーンRの変身バンクオマージュや
23話のピングフォースシール貼り付けに
9話のペンギン箱からピングフォースシールが剥がれるシーンからして
最後まで見るとピンドラ1話は月野うさぎがルナに出会うセーラームーン1話みたいな「物語の始まり」を演出してるような感じに受け取れるな。
つまり23話で桃果が2つに分裂して出来たペンギン帽は「セーラームーン1期の変身ブローチ」あるいは
「Rのクリスタルスターコンパクト」みたいなものと受け取ってくれ
ってイクニさんが暗に言ってるようなものなのか。
分かり辛いし何でそんなものが水族館で売ってるんだ?って感じだがw セーラームーンの変身アイテムが玩具売り場で売ってるようなものだ、と思っておけば良いのかなw 「映画:RE:cycle of the PENGUINDRUM」前後編一挙放送!
WOWOWプライム
9/13 (水) 10:50 〜 たかの友梨の叶姉妹CM「ファビュラスな魔法」に反応してしまったw 14話の荻窪線内の車両を走る真砂子のシーンで
車両のドアが確認出来る出来るだけで5箇所もあってワロタ、どんだけ長い車両だ。
実際の丸の内線は1両につきドアは三ヶ所
つまり疾走感を重視したはったり背景作画って感じか。
にしても真砂子が割った車両の窓はどうしたんだろ?弁償したんだろか?
監視カメラは?
こんな事件が起きたらこの後、乗務員が見つけて東京スカイメトロは警備を厳しくするとか対策するはずだよなぁ。
何故その傾向が見られない?
ピングループと企鵝の会は表裏一体だから揉み消したのだろうか?
15話の旅館・人鳥荘でのバトルにしてもガラスの弁償はどうなった?
18話の建設中のビルで無茶苦茶やった多蕗は何故罪に問われない?
これらもピングループと企鵝の会が表裏一体なので揉み消されたのかなぁ。 乱歩の「屋根裏の散歩者」を読んだ
推理小説は堅苦しいイメージがあったのだが落語か喜劇みたいに読みやすかった。
屋根裏を這い回る事がスキになった男の話で
床下ストーキングする苹果と被る所があるのかな?と読んでいたが
犯人が犯行後にとある理由で大好きな煙草が吸えなくなった事で犯行がバレたのが一番印象に残った。
そのとある理由は犯人も自覚して無かったのに。
陽毬が牛乳飲めなくなった理由も同じで猫が死んだ時のトラウマなんだろうなぁ。
猫の事も含め高倉家の妹になる前の記憶はすべて忘れてしまってるのに。
プリクリは陽毬の欲望そのものだろうが何故牛乳が飲めるんだろうなぁ?
少なくとも陽毬も猫が死ぬ前までは牛乳が好きで飲めたって事なのかねぇ。
高名な明智小五郎に気を許してる主人公なので死亡フラグ立ってるなぁとニヤニヤしながら読んでたが
明智は殺害現場の中から当事者の心理を見抜くのが得意だったんだなぁ、知らなかった。 こどもブロイラーと「銀河鉄道の夜」から読み解くピングドラムの考察
こどもブロイラーはすべての運命共同体が列車の旅で行き着く別れの場「運命の至る場所」に必ず備わっている施設である。
そこに辿り着くと今までの旅の記憶、スキだったもの、すべて消えてしまう。
「銀河鉄道の夜」の石炭袋、そらの孔の事だ。
銀鉄作中でカンパネルラはそらの孔の闇を怖がっていた、ジョバンニとの別れの時だからだ。
しかし列車の旅の意味もカンパネルラの運命も知らないジョバンニは
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
と元気だった。
何故ジョバンニが元気だったかと言ったら旅の途中で蠍の火を見て
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」と決意していたからだ。
この台詞通り、ジョバンニは列車の旅で自分の「本当の幸い」を見つけていた、列車に乗る前は辛い日々の生活に振り回されて生気が無かったのに。
それはピンドラ1話のプリクリが「ピングドラムを手に入れるのだ」と言い
立ち塞がる運命に呆然とした晶馬と苹果に対し「お前たちはピングドラムを失った!」と言ったり
23話のペンギン帽が「あなた達はあの列車で見つける、あなた達のピングドラムを!」と助言していたものと同じものだ、と私は解釈している。
つまりピンドラ作中でずっと探していた「ピングドラム」とは「銀河鉄道の夜」の「本当の幸い」と等質のものだ。
そして高倉兄妹にとってのピングドラム(本当の幸い)は
=u大切な人に伝bヲたい言葉」でbり「運命の果試タを一緒に食べb謔、」であり「�、してる」だっbスという事だろb、。
そうb竄チてアダムとャCブ 名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 6d8e-rTna) 西位さんがピンドラの話をしてたけど
現実に起こった事件を題材にしたピカレスクやって視聴者に受けるのが難しいだろうと思う。
ピンドラっぽいコードギアスは
あそこまでファンタジー世界の日本を描いたピカレスクだから最後も受けた。
またピンドラをブラッシュアップさせたユリ熊嵐もピカレスクだが最後は受けた。
ピンドラとの違いは透明な嵐の少女達が最後まで「熊を許さない」って熊側への怒りを見せた事だと私は思っている。
ピンドラは例えば警察っぽいのが冠葉と真砂子を追い詰めてはいたが
ピクトグラム人間と同じく現実感が無かったのが良くなかったのでは?と私は思う。 ピンドラのピカレスクを賞賛するファンは
おそらくオウム事件の被害者の悲惨さを知らない世代か
「親のやった事」だと親に全責任があると思ってる子供だけだろう。 加害者の子と被害者の妹の恋愛を主軸にして
他はピクトグラム人間にしちゃったのが不味かったかなぁ、と思う。
結果、印象に残るのは現実には中々あり得ない「恋愛」
ユリ熊嵐はその点改良して
ピクトグラム人間ではなく透明な嵐という個性は無いが皆血の通った少女にして人間らしさを持たせたのが
悪を断罪する側として良かった。
さらざんまいにもなるとピクトグラムはただの賑やかしで特に本筋には絡んでなさそうだったけど。 イクニさん誕生日おめでとう
今年本腰入れてピンドラを分析していた時に初めて気づいた。
1話のペンギンから渡された晶馬の定期券の有効期限に12月21日とあって
「何で12月21日なんだ?」って一時期考えちゃったよ。
ピンドラの放送終了予定日がその辺りだったからなのか?とか。
劇中時の24話が12月21日なのか?とか。(劇中に日付が出た最後の場面は19話の11月17日なので)
そしてある日ふとwiki見たら・・・という経緯。wikiって何でも載ってるんだよね〜ホント。
ちなみに定期券入れのデザインは色彩の辻田さんが当時使ってたもの、らしい。 最終話放送日の12月23日を機に
ピングドラムとは何か?を読み解く
ピングドラムとは何かを知るにはまず「作中の世界観はどうなってるのか?」を知らなければならない。
そして最終話の「箱の回想」とは何か?を考えなければならない。
「箱の回想」は10年前の家族ではなかった時期の晶馬が冠葉と仲良しになるきっかけとなった出来事だが
これは24話の晶馬たちの台詞どおり「彼らの運命」だったと解釈するのが妥当だろう。
運命とは因果、つまり原因と結果が繋がっている事だ。
例えば「親の遺伝子を継いでいる」から「子供は親に似る」のが運命なら
家族以外の異なる他者との出会いによって価値観や人生が変わるのもまた運命だし、「出会い」があれば「別れ」もあるのも運命。
地震が起きる場所に住んでたら、ある日突然被災するのも運命ならば
価値観の違う者達がそれぞれの自己主張を抑えて運命共同体として生活していたら、いつか爆発するのも運命だ。 運命とはこんな感じのもので
つまり箱の回想とは冠葉と晶馬が一つの林檎を半分に分け合ったから
後々双子の兄弟になる運命となった、と解釈するのが正しいのだろう。
その運命を経験した幼い晶馬はきっと「林檎を半分くれた冠葉は凄い!」と高倉父母に話していた事が容易に想像に浮かぶ。
だから葬儀後に剣山は冠葉を長男に選んだのだろうし、晶馬はその理不尽を認められずふて腐れてしまったのだw
そしてテロ事件を起こした高倉父母が指名手配され、両親が帰ってこなくなった時に
高倉兄弟は箱の中で経験した運命通りの「愛の飢餓」に襲われた。
だがそんな両親不在の飢餓の中だろうと冠葉の箱に出現した林檎を二人で分けたように
「陽毬を笑顔にする」という共通の願いを適える為に協力し、二人は「本当の兄弟」になったのだ。
10年前の冠葉の箱に出現した林檎とは何か?それは22話で陽毬が冠葉に返した命だろう。
運命とは原因と結果が繋がっているもの。
さらざんまい最終話で悠が切ってしまったミサンガを結び直して
過去の一稀に届ける事で「過去と未来のつながり」を保ったように
冠葉も陽毬が手放した運命の林檎に「大切な人に伝えたい言葉」を込め晶馬と分け合う事で兄妹の運命を保っていた、と解釈するのが妥当だと私は思う。
ピンドラで結局誰も分からなかった「箱の回想のヒント」は実はさらざんまいに込められていたのだ。
まぁ私含めさらざんまい放送当時は誰も気づかなかったようだが。 散々考えて結局1話の兄弟や2話の苹果の「運命ポエム」が真実を語ってると気づく辺り
この作品の脚本が「運命というもの」に関してかなり細かく作りこまれていたという証左なのだろう。
面倒なほど運命に関して作り込まれているから
例え意味不明でも視聴者を惹きつける不思議な魅力があるのだ、と私は推測している。
・・・まぁ何度も見ていたら見過ごせない粗も勿論ある訳だが。 また「親がテロ事件を起こすから子供もテロ事件を起こす」という
「現実では中々ありえない運命」を描いたピンドラの世界観をどう捉えるのが正しいか?だが
13話の眞悧の台詞通り「運命というルールに支配されている世界」と解釈するのが妥当だろう。
そして、この世界では特に「親の因果を子が継いでしまう」という運命になっていて
そのルールは血の繋がらない他者とピングドラムを分け合う行為「運命の乗り換え」によってのみ変えられる、みたいな設定になっているのだろう。
また「血の繋がらない他者」とピングドラムを分け合ういう点も重要なのだろう。
だから晶馬と冠葉が双子の兄弟になる運命となった「箱の回想」も「運命の乗り換え」だと言える。
とはいえアダムの肋骨から作られたというイブの二人が血の繋がりに関してどうなってるかは私にはよく分からないがw 陽毬を中心にピンドラの世界がどうなってるのかを考えると
「実母に捨てられ独りぼっちになって死ぬ運命となった陽毬」がどう救われるか?という話になっている。
陽毬は20話で晶馬にKIGA林檎を貰い高倉家の娘として生きる運命に変わった。
しかしその父母はテロリストである日突然失踪し、再び陽毬は独りぼっちになる運命を感じ泣いていたのだろう。
ついでに友達のダブルHからも捨てられた。
しかし高倉兄弟だけはそれでも陽毬を見捨てなかったが
最終話に至るまでの過程で彼らも陽毬の元から消える運命は変わらなかったのだろう、だが兄弟は陽毬にあるものを残していた。
最終話の「乗り換え後の世界」に変わると陽毬は10年前から池辺の夫婦の養子となっていて
不思議な出来事によって苹果と友達になっていたが
陽毬が出会った彼らと未来に別れてしまうのもまた運命なのだろう、出会いと別れは繋がっている。陽毬が心に抱える運命への不安は変わらない。
また陽毬の実母が可愛いが消費されたからと陽毬を捨てたように
最終話の陽毬も可愛いが消費された熊のぬいぐるみの存在をすっかり忘れていたのも「子は親に似る」という運命。
「人形と自分の子は違う、陽毬は悪くない!」とつまらない言い訳しても通らないのがイクニ作品だろう。
陽毬はそんな自分を捨てた実母の遺伝子を継ぐ自身を受け入れられるか?だが
兄弟が熊のぬいぐるみにメッセージを残してくれていたから
記憶は無くなっても「私は兄に愛されていた」のだと陽毬は自身の事も運命も受け入れられたのだ。 最終話の多蕗の台詞通りピンドラの世界は「予め失われた子供」が運命が支配する世界から
「運命の出会い」によって脱出する話なのだろう。
血の繋がりの無い者同士の出会い、結婚も同じ。
だからイクニさんは三宅さんの結婚時にも「運命の果実を一緒に食べて〜」みたいなツイートしてたのだろう。
そう考えると親から貰ってようと失われようと
運命の乗り換えは人生の何処かで経験するもので、命が長続きするには必須イベントなのだろう。 また20話で陽毬が晶馬から分けて貰った林檎が
箱の中で冠葉から貰った半分の林檎で
晶馬1/4で陽毬1/4になった、という根拠の薄い説がピンドラ考察の大勢だったが
もっとよく本編見るべきだ、と私は思っている。
「20話のKIGA林檎」と「24話の箱の林檎」が本当に同じものなのかどうか
そして20話で本当に林檎を分けたのかどうか
21話の葬式後の写真でも
13話のホテルでも陽毬のKIGA林檎は「一個丸ごと」なんだよなぁ。
つまり晶馬は陽毬にKIGA林檎を一個丸ごとあげた。
そしてその後、陽毬は一度もKIGA林檎を持たなくなる。何故か?
おそらく「高倉家のリフォーム時に割れたから」だろう。
つまり「陽毬のKIGA林檎」は兄弟が破った熊のぬいぐるみ、が化けたものではないだろうか?
13話のアンプル印の林檎がアンプルに変わった原理と同じように。 箱の回想にはまだ疑問点があるんだよなぁ。
晶馬の視点で語られるから晶馬と冠葉の二人が経験した出来事のように思えるが
小説板の冠葉の視点で語られる夏芽父の葬儀時のシーンでは冠葉は高倉一家の子供たちを見て「兄とは時々事務所で顔を合わせていた」という程度の事しか思ってなかったのが不思議である。
時系列的に「箱の回想」の後に「夏芽父の葬儀」があるのだから冠葉は晶馬を見てもっと思う事があるだろうに。
つまり「箱の回想」は「晶馬だけが経験し感じ取った運命」なのかもしれない。
最終話の「乗り換え後の世界」でマリオには真砂子が話す「乗り換え前の世界」の夢に全く心当たりがなかった、つまり真砂子だけが夢の世界に迷い込んでたように
晶馬だけが「箱の回想」に迷い込んでたのかもしれない。
最終話でも箱の回想を思い出していたのは晶馬だけで冠葉は高倉家のリフォームのみ
「箱の回想」は晶馬だけに見えた運命だったのだろうか? 晶馬もテロを起こした両親を蛇蝎のごとく嫌っていたが
父が冠葉を兄に選んだ時から「高倉家のリフォーム」時までずっとその上下関係に不満を抱いていた所は
20話回想の企鵝の会のアジトで剣山が演説していた「誰の方が上だとか下だとか」の内容と一緒だ。
つまり晶馬ですら実は父親と似た者同士だったって事だ。
しかも「冠葉に林檎を半分分けて貰った後」だと言うのにw
子供だろうと大人だろうと上下関係は気になるものだ、ユリ熊嵐のクマの世界と同じく。
ユリ熊嵐のヒトの世界なら皆平等に透明なのだが。
しかし熊や空気を読めない異なる他者を定期的に排除して連帯感を高める歪んだ社会だったなぁ。 ピンドラが「蛙の子は蛙」な話なら
15話の父親が消えたゆりは小学生時代からどうやって生きてきて舞台女優になれたんだろうなぁ?
その辺の描写が全く無いのは「怪しい」を通り越して「計画的な説明不足」と言わざるを得ないので
視聴者がそれぞれ勝手に補完しろって事なんだろうな。
そうなると陽毬みたく「時籠家の養子」だったと考えるのが妥当かもしれない。
15話のED通り、消えた彫刻家の父は「ゆりの父」であって時籠姓では無かったのかもしれん。
ゆりには別の両親が居るのかもしれない。
ユリ熊嵐では人の世界から熊の世界へと帰ってきた銀子が教会から追い出されて
数年間独りで生きてきたようだがこっちはファンタジーな熊の話だから考える必要もなく説得力もあるのだが
一応の現代日本で「父が消え家族が無くなった後のゆり」がどうやって生活を送って、成長したのか
何でファンの誰も気にしないのだろう。
「ゆりの身体の秘密」より先に解決すべき問題で余程私は気になってるんだけど。 ゆりの身体の秘密は妄想してるファンの性癖が透けて見えるような内容ばっかだったなぁ
触れる気も無いがw 放送当時ピンドラを見た視聴者が感じ取った解釈には
ある程度ピンドラ制作者や関係者が介入していて
「視聴者が作品を読む方向」をある一定の方向へと操作していたんじゃないか?
と後々感じられて気味が悪いんだよなぁ。
陽毬の病気にしろ、桃果とペンギン帽にしろ。
ゆりの身体の秘密にしろ。
私は陽毬の病気は呪いなどではなく
陽毬がダブルHのデビューを知ってグッズは買って応援してはいたけど
ある日心が耐え切れなくなって病気になったと思ってるし
そんな陽毬の心の痛みに気づかなかった高倉兄弟は抜けてるのか何なのか「もっと対処のしようがあったんじゃないか?」と考えてるし
或いはシスコンなら陽毬の痛みに気づくんじゃないか?とも考えるし
そんな陽毬の病気に気づけなかった冠葉が
物語の最後に「世界が間違ってる」とテロ事件を起こしてピカレスク気取っても
共感しにくいなぁ・・・と私は思ってしまう。
桃果とペンギン帽の関係性も強引だなぁって思う。
そもそも「水族館がおかしい夢の世界」だったのだから関係性に意味なんて無いのかもしれんが
「せっかく創った変身アイテムと桃果を何とか結び付けれないものか・・・
そうだ!眞悧と相打ちになった時にペンギン帽に変化させよっ!」と
修羅場なピンドラ制作現場の中あの分裂演出アイデアを思いついたとしか思えない。
そもそも桃果と水族館に関連性あっただろうか?という話である。
苹果が家族と行った場所なら桃果も行ってた可能性は十分あるが。 ピンドラは震災によって企画内容を変えたらしいが
その影響で制作が遅れてアニメ制作現場はきりきり舞いで
完成したアニメは一部が考察不可能、或いは内容に矛盾を抱えるほど完成度が低い箇所もあるのではないか?
と私は思っている。 とは言えせっかく創った「箱の中の回想」の謎だけは
誤解され謎のまま10年経った後でもどうしても視聴者に解いて欲しかったんだろうなぁ。
だから劇場版でも同じままだったのだろう。
でも「何者にもなれない」から劇場版では「何者かになれる」とキャッチフレーズを変え
「陽毬のお兄ちゃんになった」と答えも載せた上で
10年前と同じ箱の回想の謎々を出してきたのでその辺は割りと分かり易かった。
それでも解くのに一年くらいかかったからなぁ、ピンドラはホントに難しい。
私はイクニさんの意図したものをどこまで解けたのだろうか? とはいえ劇場版は謎解きだけじゃなく
そらの孔分室を再び使った話は子供向けアニメかと思うほど分かり易くなってたし
特にHEROESが流れるシーンはTV版を補う完璧な追加カットだったし
TV版で感じたモヤモヤから一部解放されたようで見る価値ある映画だった。 劇場版観たが、最後の最後愛してる連呼でキモかったわ あれだけこねくり回して最後セリフでゴリ押しするしかないってやっぱ失敗しとるわ 何者かになる=透明にすりつぶされる
だから何者にもなれなくていいんじゃないの
そこらへんのブレっていうか甘え、演出的にも誤魔化しが入ってくるのがつまんない原因なんだよな あけおめ
箱の回想の謎は去年解いちゃったし
今年は運命日記の仕組みとか記憶喪失の設定がどうなってるのか解けたら良いなぁ。
運命日記の方はおおよその見当はついてるけど
記憶喪失はパターンが多すぎて検討もつかんわ
イクニ作品に記憶喪失はつき物だがこれ程面倒なのはピンドラ位だな 物語が分かってくるようになると
19話からの真砂子がやらかしてる感が分かるようになるなぁ、苹果と比較すると特に。
冠葉の本当の幸いでありピングドラムは「陽毬を笑顔にする事」だから
3話で苹果が高倉家にやってきたのは驚きはしたけど嬉しかったのではなかろうか。
逆に19話で真砂子が対立しにやってきたのはショックだったろうな。
真砂子はあそこで「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」の精神で馬の陽毬から篭絡していけば
まだ平穏な日常が長続きする見込みはあったかもなぁ。
でも真砂子的にはマリオの命もかかってるから余裕は無いのか。
イクニさんは本当は「幻の3クール目」を心のどこかで期待してたんじゃないかなぁ?
ウテナの黒薔薇編みたくピンドラ放映時に人気が出て放送延長とか。
でもそうはならなかった。
だから2クールで完結したピンドラはペンギン帽の片割れを持つ重要人物マリオに関する物語が消化不良だった
もしかしたら3クール目はマリオの生存戦略バンクとか考えてたのかもなぁ。
延長で3クール目やるとしたら
やはり陽毬とマリオの「どっちの命を活かすか問題」に発展したのだろうなぁ。
「銀河鉄道の夜」の沈没するタイタニック号から救命ボートに子供のどっちが乗るのか?とか
井戸に落ちた蠍の話みたく。
そうやって銀河鉄道の夜に絡めて話を進めてけばピンドラももっと分かり易くなっただろうに。
22話で陽毬が「思い出の水族館」で自死を願うシーンでそれが聞き届けられるのは
「一体どういう世界なんだ・・・」と困惑したよ。 自分で考えといてなんだが
22話で陽毬が冠葉から奪った命(林檎)を返したから10年前の冠葉の箱に届いた。
という解釈は時空が歪んでて強引だなwとずっと思っていたのだが
そもそも「思い出の水族館」の存在自体が時の流れから外れて歪んでいたのだから
そこで陽毬が死んだら林檎が時を越えて10年前の冠葉に届いてもおかしくはないのかw
さらざんまいでも切れて結び直したミサンガが時を越えて届いたからなぁ。
それがイクニさんの作風だったって事なのだろう。
「思い出の水族館」の考察をやったのも私くらいのものだろうし
私がピンドラ考察の一番美味しい部分を味あわせて貰った気分だ。
ピンドラファンは沢山居たはずなのになんで誰も気づかなかったんだろうなぁ
・・・まぁ私の着眼点が特殊でイクニさんの意図に近かったって事なんだろな。 ピンドラの錯覚し易い所だがサリン事件とかサンシャイン水族館とか扱ってるから
現実と混同しそうになるが
私の解釈してきた通り「アダムとイブの話」や「銀河鉄道の夜」と同じく「創作の世界」の物語だからなぁ。
つまり区分的にはコードギアスのエリア11日本と一緒。
24話や劇場版の「乗り換え後の世界」は現実かもしれんが
劇場版の乗り換え後の世界でも「サンシャニー国際水族館」というプレートがあるので現実ではないのかもしれん。
現実では「サンシャイン水族館」と国際が'11年のリニューアル時に取れてるし。 なんで劇場版の「乗り換え後の世界」でも「サンシャニー国際水族館」って施設名のままだったのかなぁ?
そこは「サンシャニー水族館」と現実世界を踏まえて変えるべきだろって感じたのに。 そして乗り換え後の世界では現実と同じく
'11年3月11日に東日本大震災が起きたと臭わせる描写が旧高倉家の内部にあるんだよなぁ。
'95年の阪神大震災を扱った「カエルくん、東京を救う」を劇中で使っていた理由はここにあったのだろう、これも運命。 またピンドラ劇中開始日で「思い出の水族館」に久々に行った日は9話の図書館にある通り'11年10月15日で
劇の終わった最終話は'12年3月20日頃の桜が咲く頃。
つまり東日本大震災の約七ヵ月後から約一年後までの話である。 無駄に現実の事件を匂わせ、メインテーマには何も関係ないってのがイヤラシすぎてこの監督が一流になれない原因だと思う サリン事件を扱ったのに結局身内で罰も分け合おうってオチになった事ついては
私も初見の頃は肩透かしくらった気分だった。
それでサリン被害者の後遺症の痛みも分け合えるか?って感じだったし。
イクニさんは腕前はあるから後は世間が再び認めるかどうかだと思うなぁ、一流?の中に入れるかどうかは。
まぁ世間の評価はどうであろうと私がイクニ作品がスキだという気持ちは変わらないですよ。
ピンドラに関しては分析するのも面倒な作品だと思ってるが
9話の陽毬と母の話はスキなのも初見の時と多分変わらない、乗り換え後の世界では無かった事になってたのが分かって悲しいが。 本当にこの作品は「ありえない運命」ばかり起こる
例えば15話とか山内が福引で温泉旅行当てたから晶馬と一緒に旅館に行って
そこで偶然同じ旅館に来てた苹果の危機を救うとか「どんなありえない運命」「天文学的な確率のイベント」が起きたんだって感じだなw
私は「創作の世界だから」としか思えない。
「創作の世界」特に「日本のよくある街を舞台にしたアニメ」の主人公たちは
地元の商店街が催す地域振興イベントで買い物のおまけで貰える福引券を集めていて
それで福引機を回すとよく温泉招待券が当たる。何故か?
おそらく「イベントが欲しいから」であるw
またメタだが温泉でのキャラの裸は作画が楽ともよく聞くw
私は絵の才能が無いのでその辺の事情はよく分からないが
細かい装飾の服を着たキャラよりは裸の方が楽そうってのは想像がつく。
また同じ15話での桃果の台詞「この世界は『神様』が創ったんだって」や
「この日記にある呪文を言って、『神様』にお願いするの。そうすると運命を乗り換える事が出来るの」
そして22話の冠葉に命を返して死に掛けた時の陽毬の台詞「『神様』、お願いです」
と、ピンドラの世界には『神様』が居てどうやら「運命の乗り換え」も『神様』が行ってるようだ。 また1話にはよく神様の話題が出てくる。
「それらが全て運命だとすれば『神様』って奴はとんでもなく理不尽で残酷だ」
「もしこの世界に『神様』と呼べる者が居るならそいつに聞きたい、人の世界に運命は本当にあるのか?」
「君、医者は神様じゃないんだよ」「『神様』なんて居ないんだろ・・・」
どうも彼らの考えでは「神様が運命を決めてるらしい。」
そして医者は神様ではない。
しかし作中には「神様に近い存在」が登場する、桃果や眞悧だ。
でもきっと彼らは神様ではないのだろう。
では誰が神様なのか?
「企鵝の会」として地下の世界ではテロ活動をしているが
表の世界ではカレー粉から病院経営まで街の至る所でそのペンギンマークを目にする一大財閥「ピングループ」が『神様』だ
と私は推理している。
何故ならこの「輪るピングドラム」というアニメを制作しているのもピングループだからだw、MBSも制作してるようだが。
つまり『神様』であるピングループがピンドラの世界を創ってキャラの運命を操り「運命の乗り換え」の采配も決めていたのだろうw
・・・ピングループに属するイクニさんも神様なのかな? ここで15話での桃果の台詞「この世界は『神様』が創ったんだって」が効いてくる。
ピンドラ作中の街の至る所にあるペンギンマークはピングループが「街を造った証」
ピングループが「街を、世界を創った『神様』」と言い換えても違和感は無いだろう。
つまり「ピンドラの世界」は神様「アニメ制作ピングループ」が手がけた「創作の世界」なのだw ピンドラは「創作の世界」だから
22話で自分の命を擲ってでも冠葉を助けたいという陽毬の願いを叶え
小説版の陽毬の台詞「もしも神様が居ないなら私が作るのだ」という意思を受けて
桃果とペンギン帽を結びつけ、後の23話でペンギン帽が桃果声で喋るように世界を創りかえたのでは?
と私は推理している。
それで小説版23話でペンギン帽になった桃果は「あなた達の妹の力のおかげ」と言ったのだろう。
このピンドラ世界で「新たに何かを創り出す」には自らの命を犠牲にしなければいけない、みたいなルールがあるのかもしれない。
「銀河鉄道の夜」のみんなを照らす星になった蠍のように。 ちょっと前までは小説版の台詞から
「神様は22話の陽毬が作った」と考察には程遠い妄想で苦しんでいたが
まぁ「ピングループがピンドラ世界を作ってキャラの運命を決めていた神様だった」という解釈が
よりイクニさんの意図に近く妥当なのだろう。
本当に面倒な作品だ、ピンドラファンが沢山居るだろうが
私くらいしかこんなの見つけられんわw そりゃ世間ではタブー扱いの「サリン加害者の家族にフォーカスを当てたい」という創作欲を持った神様が創った世界だから
サリン被害者の痛みとか苦しみは蚊帳の外になる訳だ。 また、ピングループが創ったものは世界という物質的なものだけではないだろう。
人と人とをつなぐ「運命の輪」つまり「関係性」という精神的なものも
「ピングループが作ったもの」と私は考えている。
私が>>760以降から書いて証明してきた通り
桃果が愛し、眞悧が壊そうとした「世界」とは人と人とをつなぐ「関係性」の事でもある。
だから9話の回想で二人の強い絆でつながった友達と一緒にアイドルを目指していた陽毬はピングループのマーク入りのマラカスを持っていたのに
高倉父母の指名手配後、陽毬から「ダブルHとの関係性」がすっかり切れた1話ではマラカスからピングループのマークは消え
高倉家の居間で将棋盤と地球儀に挟まれ放置されていたのだろう。
つまりピングループという神様は世界を創り、複数のキャラを繋ぐ「運命の輪」も作っていたのだ。
そしてその神様が創った「運命の輪」とはきっとキラキラと輝いているのだろう。
桃果の台詞通り世界はみんな綺麗だ。
綺麗だと思うものがあって、その価値を分かち合える他者と出会い、運命を乗り換えられるから世界は輝いて見えるのだろう。ユリ熊嵐の「スキ」と一緒。
陽毬もマラカスを持って友達と一緒にアイドルになる夢を目指していた時、きっと世界はキラキラと輝いて見えていたはずだ。
だからこの時点まではマラカスにピングループのマークがあった。
また、そんな運命の輪でつながれた大切な人を喪うと世界の輝きも失われてしまうのだろう。
6話の多蕗の台詞「何が宝物だったかもう思い出せない」のように。
しかし桃果という「喪われたものに価値があった」とその価値を共有する相手が居れば
再び他者や世界とつながる事が出来るのだろう。多蕗とゆりみたいに。 そして世界を創ってるのはピングループだけでなく
神様の裏の顔である企鵝の会(ピングフォース)もピンドラ世界を創っているのだろう。
だから4話に登場したスカンクのキヨシ君は背中に企鵝の会の模様を持つ「ありえない」生物として
苹果と晶馬の運命を無理やり繋げる為に登場してきたのだw 私は9話の母親の話とか13話の最後の冠葉とかピンドラには今でもスキなシーンはあるが
イクニ作品では4番目にスキなんだよなぁ。
私はユリ熊嵐がイクニ作品の中で一番スキだ。
次にTV版のウテナ、さらざんまい、その次にピンドラ(劇場版込み)が来る。
ウテナの劇場版は情報が少なすぎて考察出来ないからその後だろうな、百合だけどw
考察馬鹿の考えなのかもしれない。
ピンドラは「創作の世界」だと分かってても
現実とのギャップで違和感を覚えて話に乗れない。
まぁ乗れないからこの通り
どのピンドラファンよりも客観的にピンドラを読み解く事が出来、イクニさんの意図に近づいてるのだろうが。 冠葉はジャイアンだ下手だとよく言われるが
「演技とは何か?」がよくわからんからか慣れたからなのかは分からんが
私はスキなんだよなぁ、特に13話は。
そもそもドラえもんを見てないからジャイアンがよく分からない。
3.11の震災の日に放送されるはずだったジャイアンの話をピンドラを理解する為に見た位で。
私には演技の上手い下手がよく分からない
コードギアスで芸能人が女学生役をやった時は下手だと思ったが一瞬なので何度も話題にする程気にならなかったし。
ただ'13年の「帰宅部活動記録」はメインだけでなくモブの演技も凄かった記憶だけは強烈に覚えてる。
メインだけなら可愛い女の子たちの演技がちょっとアレだな位にしか感じなかったのに
そこにモブの男の演技がトドメを刺しにきた感じがした。 そうか、18話アバンで音楽の譜面にもピングループのマークがあった理由は
音楽も人と人とをつなぐ「運命の輪」だからなのか、ようやく分かった。
「運命」、ベートーベンは自らの曲の始まりの音を「運命の扉を叩く」と表現していたという。
私は音楽にも疎いが18話の譜面は一体何の曲なんだろうなぁ。。。 イクニ作品のラパントラックは今度は小市民シリーズやるのか
米澤小説か、そういや「儚い羊たちの祝宴」まだ積んだままだなぁ。。。
前作のもアンファルも難しい小説らしいし
ラパンはなろうや鬼滅で分かり易いアニメに慣れた視聴者の知能レベルあげて
イクニ作品の新作を受け入れ易い土壌も作るつもりなのかもなぁ。。。
こっちはピンドラ読み解くだけで頭が壊れそうだからやめてくれー!って感じなんだが。
アンファルまだ見てないなぁ・・・その内見るか。
そして京アニの氷菓は面白かったなぁ・・・、特に長編の愚者のエンドロールとクドリャフカの順番は。
あぁいう群像劇の推理ものを理解出来るくらい慣れれば
「箱の回想」とかイクニ作品の演出も読み解けられるようになるかも?
しかし事件に遭った京アニに関係するアニメか・・・
イクニさんが裁判起こしてナーバスになってたのも分かるなぁ。。。 イクニ作品の新作が来るなら
ピンドラみたいな10年経って劇場版公開されても
誰も解けなかったような謎は作らないで(泣
視聴者目線での難易度調整もして、と心底願います。 イクニさん的には23話の箱の回想の表示文
「そこで僕たちは初めて出会った。その時から、僕たちの運命は予め決まっていたんだと思う。」
で「箱の回想の答え」を説明してると考えてたのだろうが
他にも高倉兄妹に関して細かいニュアンスまで理解しなければ解けない所とか要求キツすぎなんだよなぁ。
例えば冠葉が妄想で父母の幽霊を作り出し対話してたように
最後の高倉兄弟消失オチから逆算して「陽毬も妄想で兄弟を作ってた」と考えてもおかしくないシナリオだったし
一時期それで頭おかしくなってたわ・・・ それに「本当の兄弟」のニュアンスも細かい。
高倉父母と一緒に潮干狩りの回想で陽毬を見つける時でも冠葉と晶馬十分に「本当の兄弟」をしていたよ、と私には感じられたのに
その後の父母失踪後に始めて「本当の兄弟」になったような話にして
視聴者読者に理解を求めるのはレベル高すぎだ、と私は思う。
そりゃ父母失踪後の「愛の飢餓」時は
「通り過ぎない嵐なんかどこにも無い、でも通り過ぎるのを待ってたら大切な人は守れない」という剣山の教えを実行する機会ではあったが。。。
だから「本当の友達」とか「嵐」をテーマにしていたユリ熊嵐のファンの私としては
劇場版で「きっと何者かになれる」「陽毬の兄になった」というヒントを貰う前に
自力で「箱の回想」に気づくだけのチャンスはあったんだよなぁ。。。
でも熊のぬいぐるみも罠過ぎるんだよ。
どういう理屈でペンギン3号だけがそれが「兄弟の愛が詰まった陽毬の大切なもの」だと気づいて
夢の世界から現実へと持ってきたのかがTV版では全く分からなかったし、3号の思考パターンがそもそも分からない。
ピンドラ世界での「運命」の重要度に気づいてなかった時に
「銀河鉄道の夜」作中の「鉄道で旅するジョバンニ」とピンドラの「箱の回想」は似たものではないか?
そしてさらざんまいの「未来の漏洩」も同じではないか?と閃いたのは奇跡としか言いようが無い。 それでもピンドラはファンが多いから誰かが解いてくれるだろ、と半分他人任せにしてたが
結局ネットで初めて解いたのが私ってのは驚き〜って感じだよね。
ピンドラの理解者は一人も居なかったんだな。。。 長文書き込めなくなった
去年の12月初め頃なぜか>>790>>791にあったはずの三ヶ月間分のレスが消えたし
元の>>790は表示バグってて怪しいし
容量は470kbと限界が近いので
レス消失対策に次スレ立てて移動した方が良いかも知れんな ピンドラ世界は神様ピングフォースが創っていて
キャラクターの運命も操っているのだろう。
15話で山下が「すずらん通り」の福引で回したであろうガラポンにも
きっとピングフォースのマークが付いてたに違いないw
でも鈴蘭には毒があるって言うからなぁ
5話でも「すずらん通り」は苹果の心模様のように雨が降ってたし。
真砂子が食べた河豚やスカンクみたく企鵝の会の方がつながりが深いのだろうか。 ちなみにピンドラの「ピングループ/企鵝の会」という裏表のある財閥の元ネタは
イクニさんが初めて見たという'60年のアニメ映画「空飛ぶゆうれい船」に登場する巨大企業体「黒潮コンツェルン」だろう。
「黒潮コンツェルン」にも「ボア」という人間世界を支配しようとする裏の組織があって
ピングドラムの企鵝の会のように表裏一体だった。
「空飛ぶ幽霊船」見たけど
何処にでも居そうな男の子の主人公が凄い陰謀に巻き込まれ
自分の本当の出自を知るという、まぁ壮大な運命の物語だったなw
これを多感な時期に見たら世の中を疑ってしまいそうな話だったw
タイトルだけ見ると「洋風ファンタジーか?」って感じだったが
宇宙戦艦ヤマトの始まる前にこんな元ネタのような映画をやってたんだぁ・・・宮崎監督も参加してたようだし。
ちなみに'95年に放送され、'07年からリメイクされていた新世紀エヴァンゲリオンにも
「黒潮コンツェルン」がオマージュとして出てきて
エヴァでも「秘密組織ゼーレ」の表の顔としてエヴァの世界を創っていたらしい。
私はエヴァにはあんま詳しくないので「エヴァンゲリオン 黒潮」でググって
エヴァの考察サイトを参照して欲しい。
つまりイクニさんは「ゆうれい船」だけでなく「'95年のエヴァ」も考慮して
「ピングループ/企鵝の会」を創っていた、と私は解釈している。
ピンドラの中には探せばエヴァモチーフのものが沢山あるしね。 14話の人鳥荘で卓球をしていた苹果とゆりのシーンの背景に出たピングフォースの自動販売機とか
15話でペンギン2号が飲んでた矢の刺さったペンギンマークのジュース瓶は
「空飛ぶゆうれい船」のボアジュースかな?って感じで怪しいなぁ、今思うとw
ジュース飲んだら身体が溶けちゃう! 「空飛ぶ幽霊船」も一人の主人公の周りで起きる出来事としては
中々「現実ではありえない運命」の話だったなw
あれだけSFファンタジーの世界なら「創作の世界ならこんな事もあるよね」って納得できるけど
ピンドラの場合は「創作の世界」なのに荻窪の町とか現実っぽく見せてくるから脳が混乱してたんだろうなぁ。。。
「創作の世界」には運命、特に「運命の出会い」は付き物だけど
現実には「人と人とをつなぐ運命」なんてそうそう無いものである。
例えば14話とか
晶馬「サリン事件の加害者家族でした」
苹果「サリン事件の被害者家族でした」
二人「「なら私たちは二度と会わない方がお互いの為ですよね」」
で終わる話だろう、「現実の世界」だと。
でもピンドラは「神様ピングループ」が作った「創作の世界」だから
15話で二人は「現実ではありえないような偶然」で人鳥荘で再会してしまうw
何故ならそれが二人の「運命」なのだからw
輪るピングドラムとはそういう世界の物語なのだ。