輪るピングドラム187 STATION

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■僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ。 きっと何者にもなれない お前たちに告げる

@TVアニメ『輪るピングドラム』公式サイト及びツイッター
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@こっそりピングドラム(「輪るピングドラム」をスタッフがこっそり語る番組)
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・東京放送 (TBS)     毎週金曜日 26:25〜 7月8日より
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■前スレ
輪るピングドラム186 STATION
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「古い友人」は良い見方をすれば考察している視聴者に花を持たせようとした
或いは伏線なんだろうが
視聴者と違って運命日記という情報源を持っている&運命日記を信じ成就する事に執着している苹果が気づかない
のは不思議というかアホだよなぁ
別に気づいてたって大きな何かが変わるとは限らんかもだが。

というかこんなので花を持たせたとしても他は闇の中なのだから気が滅入る。
21話の熊のぬいぐるみを置き去りにする所と比べると遊びの部分なんだろうな。

0949名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 5d9b-1J2n)2024/04/01(月) 20:25:46.05ID:ULUXtzXA0
きっと何者にもなれないお前たちに告げるってマインドコントロールにあってどうしようもないって感じではなくて単純に犯罪者ジュニアだから詰んでるって解釈でいいのか

>>949
最終話の「乗り換え後の世界」で「兄妹の縁が切れる運命」だったと予め決まってたから、だろう。

運命「こどもブロイラー」が「兄妹が一緒に暮らしていた思い出」もすべて奪ってしまうのだから。

10年後の劇場版見て「箱の回想」の謎も解いてようやく理解したわ、長かった。

「犯罪者ジュニアだから詰んでる」ってのは別の側面でしかない

ようは高倉兄妹にとって「家族という関係性が無くなる運命」であり「兄妹という関係性も無くなる運命」だった。
ピンドラはそういう話。

「他者との関係性」が「自分を何者か」と位置づける、という事。
だから「きっと何者にもなれなくなる運命」


そして「箱の回想」は冠葉が晶馬に「林檎という生きる希望」を与え、関係性を結ぶ運命
つまり「二人が出会う前から決まっていた運命だった」という事。

だから1話アバンの晶馬の台詞
「『あの時』から僕たちに未来なんて無く、ただ『きっと何者にもなれない』って事だけがはっきりしてたのだから。」
の『あの日』とは「両親が犯罪者だと世間に暴かれ、かつ失踪した日」で晶馬はそこで一度「生きる希望」を失った。

しかし冠葉が晶馬に「高倉家のリフォーム」を行う提案をし
「二人で陽毬を笑顔にして家族をやり直そう!」と希望(林檎)を半分与えたから
晶馬もそこで初めて冠葉を「本当の兄」だと認め、「僕もまだこの世界につながって生きていられる!」と思えた。

最終話の晶馬の台詞通り、父が冠葉を養子にした日に
勝手に兄だと関係を言い渡された事は、晶馬にとって本当に気に食わなかったのだろうw

しかしそんな晶馬の嫌悪感とは裏腹に「箱の回想」の通り
それでも冠葉は後々晶馬に半分の林檎であり命を与え
本当の兄弟になる運命は出会う前から決まっていた、という事。

ピンドラは説明するのも本当にややこしい作品だw
10年間誰も理解しておらず
劇場版を見た私くらいしか理解者が居なかったのも頷ける

1/4の林檎が〜、とかそんなのはあくまでただの一解釈でしかなかった。
「運命とは何か?」を理解する方が大切だった。

「犯罪者ジュニアだから詰んでる」とか関係無い

「他者との関係性」が無くなれば
生き物は誰だって皆「世界から消えてなくなる運命」だ、とこのピンドラって作品では定義しているのだろう。

だから「きっと何者にもなれない」。
例えば、生物教師を辞めた多蕗だって「こどもブロイラー」によって「世界から消えてなくなる運命」に近づいたし
歌劇団のトップ娘を引退したゆりさんも、いつかファンから忘れられて世界から消えてなくなる運命」に近づいた。

しかし二人は結婚し
多蕗は「ゆりの夫」になり、ゆりは「多蕗の妻」となったので
その関係性が失われるまで「世界から消える運命」から一時的に遠のいたし
もしも二人に子供が出来たなら、例え二人が死んでも二人の遺伝子は未来につながっていく、愛とともに。

「「犯罪者ジュニアだから詰んでる」のではなく

「犯罪者ジュニアだから」と人生を諦めて
「自分という箱」に引きこもり他者と林檎を分け合うのも諦めるから「詰む」んだよ

でもこの兄東弟達は諦めずに「高倉家のリフォーム」に林檎を分け合っていた。
しかしそうやって運命を変え家族関係を延長しても限界が来た、そういう話。

だけどリフォーム時に手紙を残しておいたから
「乗り換え後の世界」でも陽毬は兄の記憶を思い出せた、かどうかは知らないけど
再び「他者と林檎を分け合おう」と思えるようになった。

そして、陽毬は「高倉夫妻の指名手配報道」と「ダブルHのデビューと離別」を経て
他者と林檎を分け合う事を諦めてしまっていた、「犯罪者ジュニアの自分には無理だ」と。

>>257から既に書いていたが。


「乗り換え後の世界」での陽毬は
池辺家の養子という境遇から周囲に遠慮していた所はあるのだろう。
「実親に捨てられた私は過去に誰かに愛されていたのだろうか?」という不安もあったのかもしれない。

それを払拭する為の「熊のぬいぐるみの中の手紙だった」という事なのだろうし
電車の中で偶然事故に巻き込まれて出会った苹果との運命も大切にしよう、と思ったのだろう。

「蠍の炎」とはやはり「他者の判断を変えるだけの熱意」なのだろうな、私の解釈通り
それは「運命を変える力」つまり「乗り換えの呪文」でもあるし罰も受ける。

冠葉で考えるのが一番分かり易い

22話回想の真砂子とマリオをテロ集団である自分の元に残す夏芽父の判断を変えた時の冠葉が
妹弟の運命を乗り換えた後に「お前を選ぶんじゃなかった」と罰を受けたように
あれは「蠍の炎と運命の乗換え」だったと分かる。

そして12話、すでに冠葉から一度命を分け与えられたので「もう無駄だ」と分かってるのに
それでも「やってくれ」と懇願する冠葉の中に「蠍の魂」を感じて判断を変えたプリクリと
矢張り「無駄だった」結末に「どうして俺じゃ駄目なんだ!」と冠葉はまた罰(トラウマ)を受けた。
つまりこれも「蠍の炎と運命の乗換え」



よって「蠍の炎」には「他者の判断」つまり「運命を変える力」がある。
しかし変えた結果、絶対に上手くいくとは限らず
特に「上手くいかなかった場合」は「蠍の炎」を発した者に罰が向かうのだろう、何故なら運命を変えた責任が伴うのだから。

「蠍の炎」と「運命の乗り換え」と罰の相関関係はユリ熊嵐で考えると分かり易いだろうな

私はイクニさんの創った「ユリ熊嵐」が一番スキなアニメだが
このアニメには一つの大きな「運命の分岐点」があった。


ユリ熊嵐は元々は'12年に「ピングベア」という仮タイトルで発表され
ピンドラのファン達は続編か?と大いに期待をしていた。

しかしイクニさんは途中で「新作が作りたい」と続編コースを捨て、結果「ユリ熊嵐」というアニメが生まれる運命になった。
これは一つの「運命の乗り換え」だったのだろう。
スタッフさんの中にもきっと「ピンドラ続編の方が良いはず」と思っていた人が居たかもしれない。

しかし、新作を推すイクニさんの「蠍の炎」という熱意に感化されユリ熊嵐が制作される事になった。


そして'15年、ユリ熊嵐は放映されたが結果的に円盤は800枚位しか売れず
多くのピンドラファンは「ピングドラムの続編の方が良かった」と監督のイクニさんを叩いていた、これが「運命を乗り変えた罰」

今でもユリ熊嵐はイクニさんの代表作から外されたりと不遇の作品となっている。



私はユリ熊嵐の方がスキだし名作だと思っているので「そんな事は無い」とこれからも言い続けるが
ピンドラの「運命の乗り換え」の設定を語る為にはこれが一番分かり易いだろう。

そしてピングベアの話を知らない人達には
世界の風景が変わった事には気づかない

知ってる人だけは気づく。
「運命の乗り換え」はそういう設定なのだ。

つまり12話の「蠍の魂」の下りをやらせた意味は
単に冠葉の熱意が「プリクリの正しい判断を変えさせた」ってだけなのだろう。

でも陽毬の命を生き長らえさせるには冠葉だけでは駄目で
晶馬と一緒に救わなければいけないのだろうな、最終話の通り
めんどくさいw

18話でもそんな感じだったのだろうな。
冠葉では「人生に希望は無いと思っている陽毬の運命」は変える事は出来ず陽毬は自ら命を絶とうとしたが
冠葉の蠍の炎に桃果と同じものを感じた「多蕗の運命」の方だけは変える事が出来た、だから陽毬は助かった。

では「何故、13話の眞悧のアンプル(林檎)は陽毬の命を一時的に救っていたか?」だが
眞悧が陽毬に「もう一度ダブルHと友達になれるかも?」と偽りの希望を見せる運命に変えたから、だ。

眞悧は「関係性が切れる運命になっている者達」に「偽りの希望」を見せる存在なのだ。

最終話の通り、「乗り換え後の世界」では陽毬とダブルHの縁は完全に切れてしまう。
その運命が分かっているので眞悧はダブルHにマフラーを届けたりして陽毬に「偽りの希望」を見せていた、と私は解釈している。
その希望が陽毬を一時的に健康にした、まるでアンプルを注射するかのように。

そうやって彼は「運命の乗り換え」をさせないようにする為のキャラクターなのだ。
「運命の乗り換え」を推奨する桃果とは真逆の存在。

また、乗り換えの呪文がダブルHから苹果に伝わったのは
冠葉という手駒を得た喜びから油断したうっかりミスだろう。
そうでもしないと眞悧がゲームに勝ってしまうからな。

ぶっちゃけアンプルの下りも演出的には何だって良かったのだろうな。
眞悧が「一時的にダブルHと陽毬の縁をつないで、陽毬に生命力を取り戻させました。」と表現出来れば。


でも眞悧は「絶対に陽毬とダブルHが友達に戻れない運命」だと知っている上で
陽毬に偽りの希望を持たせた後に裏切って絶望のどん底に叩き落します、というのをやりたかったのだろう。

眞悧はまるでピンドラ放送の1クール前にやっていたアニメ「魔法少女まどかマギカ」の
希望を持った魔法少女を絶望に叩き落してエネルギーを回収するキュウべえと似たようなもの。

眞悧の元々の色彩設定は「全身真っ白で瞳だけ赤」だったらしいが
おそらくキュウべえの色彩を意識していたのだろうな、と私は推測している。


他に兎カラーや「ガンバの冒険」の白イタチのノロイって可能性もあるが
時期的にはキュウべえ一択だろうなぁ。

運命の至る場所からやって来た眞悧は
過程は分かってないのだろうが未来がどうなってるかは知っているのだと思う。

・高倉兄妹がバラバラになってる事
・陽毬とダブルHが完全に縁が切れてる事


その2つの運命は眞悧は知ってる前提で最初から行動していたのだろうけど

・陽毬と苹果が友達になってる事
・熊のぬいぐるみの手紙

は知らなかったんじゃないかなぁ?おそらく。
ピンドラは眞悧がどこまで運命を知っていたのか分からんから
それも意味不明だと言われる理由だろう。

眞悧は「乗り換え後の世界」の陽毬のキャラや境遇だけはほぼ完全に理解していたのだろうな。

例え列車の事故によって陽毬と苹果が一時的に縁が出来たとしても
遠慮がちの陽毬では長続きしないだろうと陽毬は思っていた。

しかし熊のぬいぐるみから出てきた手紙が
陽毬の「苹果との不思議な運命を大切にしよう」という気持ちを強くさせたのだろう。

再放送が終わったが、私はピンドラ見ても泣けないんだよなぁ、意味不明な事が多すぎて。

最終話だって「え?なんでこのタイミングで熊のぬいぐるみが破れかけてるの?」って方が気になるし。
「なんで3号は熊のぬいぐるみを拾って乗り換え後の世界に届けたんだ?、3号は手紙が中に入ってるのを知ってたのか?」
というのも気になって都合良すぎだろと思ってしまう。

でも10年後の劇場版の追加シーンで「兄弟が3号に人形を託したのだしあれだけの出来事があったら破れても仕方ないよね」と
理屈の方は分かるようになってきた。
でも相変わらず「どうしてこれで泣けるんだ?」って感情の方が強い。

ピンドラは13話の高倉家の玄関に置いてあった3つのKIGA林檎といい
謎だけ置いといて回収を忘れた作品だな、と思っている。

小説版ではそのシーンは「林檎っぽい花」が代わりに置かれているがこれも意味不明。

数年後に出た漫画版でようやく玄関の林檎を回収してるし
「忘れてたんじゃないの?」と疑ってしまういい加減さ。


13話でKIGA林檎の置いてあった玄関には
元々アール・ヌーヴォー風のヒトヨタケのランプが置いてあった。

ヒトヨタケは毒がある茸だし、林檎で毒と言ったら白雪姫なので
毒によって幽霊とか見るようになったりしてしまう、と言いたかったのではないだろうか?

また、4話のKIGAマーク付きのスカンクの屁も毒のようなものだ。


つまり「毒性のものを内に秘めたもの」にKIGAマークは描かれていた的な事を表現する為だけに
高倉家玄関のキノコのランプをKIGA林檎に変えていた、と私は解釈している。

でも回収し忘れた、或いはアールヌーヴォー様式に聡いファンが気づいてくれる事を期待していたが
放送当時は誰も気づかなかったのだろう、ピンドラファンの知能はここを見ればお察しの通りだ。

ピンドラTV版は「これ位の表現なら視聴者も理解してくれるだろう」と見誤って
演出が極端に難解になった作品だ、と私は思っている。

小説版も読みキャラクターの置かれた心情も極限まで理解しなければ
「箱の回想」と「高倉家のリフォーム」の関連性も解けない。
そして解けたファンは過去一人も居なかった。

難易度調整が完全に間違っている、イクニさんも久々のアニメ制作で加減が分からなかったのだろう。


後々の「ユリ熊嵐」や「さらざんまい」でイクニさんの演出意図を読めるようにならなければ
ピンドラは読み解けない、そんな仕様になっているとすら思える。

だがそれでも「何者にもなれない」が何の事かは私にも分からなかったんだよなぁ、劇場版を見るまでは。

ピンドラは劇場版でようやく素人でも意図が分かるようになる、そんな作品。

イクニさん、エキサイトしてるなぁ。
視聴者の一人として私もエキサイトしてたのだから受け止めたい。

違う立場の者同士中々分かり合えない、でも気持ちは私なりになら分かる。



「何者にもなれない」はプリクリの台詞のように感じてしまうが
元々は1話アバンの晶馬の台詞なんだよなぁ。

そこがポイントというか>>951で書いてるけど。

ようはピンドラって作品はテロ犯の父母が子供達を置き去りにして
病気になった陽毬も余命宣告受けちゃった結果
晶馬は「僕達はあの日から何者にもなれない運命なんだ・・・」と1話冒頭から絶望してる所から始まるけど

紆余曲折を経た最終話で「箱の回想」で思い出した冠葉に半分の林檎を分け与えられた時の記憶の意味は
高倉夫妻失踪で泣いてる陽毬を笑顔にする為に冠葉がくれた希望を分け合って「本当の兄弟」になった「高倉家リフォーム」を暗示する運命だったのだ
と気づいたから
晶馬は「僕は『あの日』から『何者にもなれない』と絶望してたけど『冠葉の弟』になれてたし『陽毬の兄』にもなれてたじゃん」と気づき
「なら今度は冠葉から貰った林檎を返さないとな」と冠葉に「陽毬が幸せになる為の光り輝く希望の林檎」を返した。

それが次のシーンの陽毬の為に「乗り換えの呪文」を唱える苹果ちゃんに繋がる、と。
そういう風に私は受け取っている。

自分で書いたものを自分で読んでも何のこっちゃ分からんw

だがこのピンドラって作品は「予め決められた運命」である回想の演出が
他には無い独自の世界観を作り出してるんよ。そこを理解しないとね。

Xには「箱の回想の謎」を解けたファンは一人くらい居たのかしら?

なんかまた京アニの事件を基にしたアニメ映画やるらしいが
ピンドラもそうなんだよな。

サリン事件を扱ったのも
'95年と'11年に起きた震災に便乗して
「子供はテロ事件を起こした親に似る」という「運命」を口実にしていたから

・・・客観的に見ても中々あり得ないと思うが

また二人の兄に愛される陽毬に共感する女性ファンも多いだろう。
ピンドラはそんなファンが望む一つの夢・願望である。

妹の命を救う為にテロ事件を起こすドラマは
そんな女性ファンにとって嬉しいシチュなのかもしれない。


そんな女性ファンを喜ばせる為にサリン事件を扱ったのは
「夢を創る仕事」としてはクリエイターの命を繋ぐ為の生存戦略として正しいと思うが
喜ばせる以上の事はあったのだろうか?という疑問は付きまとう。


どれだけピンドラを見たファン達は地下鉄サリン事件の事や
その親の犯した罪に巻き込まれた子供達の事を考えたのだろう。



特に、ただ運命に翻弄され不治の病になった陽毬自身に過失は無かったのだろうか?
22話の水族館で自らの罪を告白し自殺したから無罪?

そもそも不治の病になった理由だって「友達のダブルHに捨てられたけど追いかけたい」という気持ちを封じたから。
そして封じた理由は二人の兄に迷惑をかけたくないから。

その気持ちは分かる、分かるけど結果的に陽毬が不治の病になったせいで冠葉がテロ事件を起こし
人殺しになったのだから救えない。

私は愛の物語ではなく反面教師としてこのピンドラという作品を考えている。

そして「テロ事件を起こして陽毬の命を救う」という運命以外にも
「ダブルHにもう一度陽毬と友達になって貰うように頼んで陽毬の命を救う」という運命もあったと思うんだよな、私は。

ピンドラの世界を創った神様ピングループが「子供が親と同じくテロ事件を起こす運命にしたい」から
このドラマになったと分かると視聴者の私としては頭が痛くなってしまうのだった、その為に地下鉄サリン事件を扱ったのかと。

そして'11年の震災の時期にサリン事件を扱ったアニメを創った理由も矢張り
「運命」を考えて欲しかったからだろう。

1話アバンの晶馬のモノローグ「僕は運命って言葉が嫌いだ。生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸不幸
それらが予め運命によって決められているのなら僕たちは何の為に生まれるのだろう?」

その晶馬の台詞の「別れ」の内にはきっと「大切な人の死別」も含まれる。

例えば、前兆はあるけど人類の知恵ではいつ来るか誰にも分からない大地震。
震災という「大切な人と死別した出来事」を「運命だ」と誰かに言われてしまう場合はある。

それは地下鉄サリン事件も同じで
イカれたテロ事件を起こすオウム真理教みたいな奴らと偶然一緒の地下鉄に乗っていただけで
死に別れたり後遺症を負ってしまった悲劇も「運命だ」と誰かに言われてしまう場合もあるかもしれない。

12話の桃果の葬儀でも「桃果の死と同じ日に生まれた苹果に何の因果が」と運命に関する噂話が出ていたし
冠葉と晶馬も13話の高倉父母の指名手配報道と失踪後に初めて自分達の誕生日とテロ事件のあった日が同じだったと知って
嫌な運命を感じてしまったのだと思う。

0972名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 978e-zpw4)2024/04/19(金) 08:47:29.56ID:9CvuG7qp0
それは高倉兄弟も同様で
1話の物語の始まりの幸せな朝食の団欒の時点から「陽毬との別れの運命」は頭の隅にあったはずだ。


またピンドラの「何者にもなれない」とは
20話や24話の通り運命「こどもブロイラー」によって世界から消えてしまう子供達の事だ。

「大切な人との別れの運命」によって世界との繋がりを全て失ってしまうと
透明になった子供は世界から消え、人々の記憶からも忘れられていってしまう。



つまりピンドラの「何者にもなれない」とは
運命によって消える事まで予め決められている世界で
「世界に何も残せず消えていってしまう人」の事だ。

ピンドラ世界の運命は残酷で、最終話の通り世界から消えてしまった高倉兄弟が存在した痕跡は全く見当たらない。

しかし劇場版の通り兄弟が「手紙の入った熊のぬいぐるみ」を「乗り換え後の世界」に行く3号に持たせ
それが池辺陽毬に届いたので
兄弟が消えた後の世界でも冠葉と晶馬は「陽毬を愛していた兄」という「何者かになれた」

桃果はその「乗り換え後の世界の運命」まで分かっていたので
「きっと何者かになれるお前達に告げる!」と言っていたのだ、と私は解釈している。

イクニさんは「何者かになれる」と「サクセスできる」は違うと言っていた。

高倉兄弟も物語の最初1話の通り
陽毬の「幸せだね」という台詞から
兄妹みんなでこの家で暮らし続ける為に頑張ってはいたけど結果的にそれは失敗、サクセス出来なかった。

しかし「大切な人に伝えたい言葉」というピングドラムを見つけ
そのミッションは「熊のぬいぐるみの手紙」の「大スキだよ」で果たしたので
「兄妹一緒に暮らす幸せ」の方はサクセス出来なかったが
「大切な人に伝えたい言葉」という「本当の幸い」の方ではサクセス出来たんだよ、と言いたかったのだろう。


プリクリが兄弟に探させたピングドラムとは「銀河鉄道の夜」の「本当の幸い」なのだ。

0974名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ d78e-zpw4)2024/04/20(土) 19:38:51.46ID:lYXqMGlq0
そして劇場版で「運命の乗り換え」を完了させた冠葉と晶馬は「有名になれる」どころか
名前を覚えてそうなのは多蕗とゆりの二人位だろうしな

つまり何者かになっても「ほぼ無名」


仮に、熊のぬいぐるみの修復時に手紙を入れた冠葉が
陽毬への恋愛感情を伝える為に
「大スキだよ!!、冠葉より」と書いていたら
その手紙も兄弟たちと一緒に運命によって消えていたのだろうか?
乗り換え後の世界の池辺陽毬には届かなかったのだろうか?


この世界を作ったイクニさんは先日ようなツイートを書く位だから消していたかもなぁ
「冠葉より」ではなく「お兄ちゃんより」だから「乗り換え後の世界」でも手紙は消えなかった、という事だろう。


冠葉が恋愛感情を隠し「3人兄妹で家族をやり直そう」と手紙に自分の名前を書かない選択をしたからこそ
「乗り換え後の世界」の陽毬に届いた、と考えるとピンドラ世界独特の浪漫があって
女性向けの兄妹ものがスキなイクニファンが泣いちゃうのも分かるなぁ。。。



私が泣く程スキなシーンは9話の病院のベッドのシーンと
13話最後の両親がテロ犯だと知って動揺する冠葉のシーンの2つだな。

高倉家のリフォーム時
熊のぬいぐるみの中に「大スキだよ」の手紙を書いたのは
或いはその手紙の内容にしたのは冠葉じゃないかなぁ?、と私は推測している。

仮に手紙を入れる提案をしたのが晶馬なら「大スキだよ」と書かないような気がするからだ。

晶馬はこの時点で陽毬を家族に選んだ事を後悔してるのだろうし
その上、陽毬の大切な人形を破いたら愛情表現より謝罪をするはずだ、と私は思うからである。

つまり冠葉が陽毬への恋愛感情を隠しつつ
晶馬と一緒に手紙を書いて熊のぬいぐるみに入れといたのだろう。

或いは晶馬にすら内緒で縫ってる最中に手紙を入れといたのかもしれない
21話で家を出てく陽毬に人形を届けようとしない点から察するに。


つまり晶馬は人形の中の手紙の事を知らなかった。
或いは知ってたとしても
「冠葉の陽毬への恋愛感情を隠した手紙」だとは察せられなかったのだろう。

言うまでもなく私の考察はオリジナルだ、見たとしても他者の考察には基本的に影響されない。
だから他に類は無い。

影響されてないから「りんごの計算」の不自然な点も気づく。
でもこのスレでは考察してる私は悪だと思われてるのかたまに排除されそうになるw


そして私だって最初からこんなにイクニさんの意図に近い考察なんて出来てなかった。
2年前のスレ見返すとプリクリの正体は「アイドルになれた世界線の陽毬」みたいな事も言っていたなw

まぁ現時点の考察だとプリクリの正体は
「22話の水族館で意識不明になった陽毬」が過去の時間に飛んで過去の陽毬の精神を一時的に乗っ取っていた。と考えてるけど。

陽毬とプリクリの大きな違いは「運命の乗り換え」に「消極的」か「積極的」かって所だからな。
陽毬の主張は「3人兄妹でずっと一緒に暮らしたい」
プリクリの主張は「運命の乗換えをしろ」

だけど消極的な陽毬の意識が変化するシーンが作中に一つだけある
それが22話の水族館で死ぬ場面。


つまり22話で意識不明になった陽毬は
'04年の洋画「バタフライ・エフェクト」の日記を読むと過去に戻れる能力を持つ主人公エヴァンみたく
色んな場面に飛んでプリクリという別人格を演じて兄弟を炊きつけていた。

そしてペンギン帽と桃果が23話で結びついたのは「単なる辻褄合わせでしかない」とも解釈している。

「バタフライ・エフェクト」の主人公エヴァンは運命を変える為に過去に飛ぶのだが
その過去は洋画「セブン」が放映されていた'95年なんだよな。

ピンドラの「運命の至る場所」である'95年につながってるとしか思えない。

そして大学生のエヴァンが小学生の自分の意識を乗っ取るから
「口の悪いプリクリ」みたいになるんだよなw


イクニさんもバタフライエフェクトを意識してプリクリの設定を作ってたんじゃないのかなぁ?、と想像している。

また「バタフライ・エフェクト」の主人公が運命を変える為に過去に飛んだ少年時代に放映されていた'95年の洋画「セブン」のテーマは「7つの大罪」で
それは9話に登場する杉並区立中央図書館の「7つの大罪」が刻まれた石碑とも繋がっている。

そう、つまり9話に登場する「3号を追いかけて7つの大罪の石碑のある図書館を訪れていた陽毬」は
「22話の水族館で意識不明になった陽毬」ではないか?という推測が成り立つ。

「22話の水族館で死んだ陽毬」がプリクリとなって運命を変えようとしていた、という推理だ。
「バタフライ・エフェクト」の主人公と同じく。

だから9話の最後「ペンギン帽を被ってプリクリとなった22話の陽毬」が病院の遺体安置室で死んだ陽毬の身体を乗っ取り
プリクリを演じていた。

つまりプリクリの正体は「22話という『運命の至る場所』で死んだ陽毬」なのだ。
彼女の自己紹介「妾は運命の至る場所からやってきた」の通り。


そして飛んだ過去で兄弟への助言(17話の部分まで)をすべて成した後にプリクリはその座を桃果に返した
だから23話の通りペンギン帽が桃果として喋るようになった。

そう私は解釈している。

つまり9話や劇場版の「7つの大罪の石碑のある図書館」を訪れる者は
運命を変える為、或いは運命の乗り換えを完了する為に
「未来からやってきた」という事だ。

洋画「バタフライ・エフェクト」の運命を変える為、
「セブン(7つの大罪)」が放映された'95年という過去の少年時代に飛んだ主人公エヴァンのように。

イクニさんもおそらく9話担当の武内さんも相当の映画好きだからなぁ
洋画モチーフを使った時間跳躍ネタが隠されていたとしても不思議ではない。

そしてペンギン帽=桃果としたオチは「素直じゃないなぁ」と私は思っている。
或いはこれも何かの元ネタがあるのかもしれないが。
それにしても「素直ではない」と思うが。

こんな事やって視聴者の「知りたい欲」に答えない作り方をしたから
TV版は意味不明と言われてしまうのだと思う。


私も「プリクリの正体は桃果ではない」と言い続けていたが
その度に「プリクリ=桃果」説の本編を馬鹿正直に受け取ってしまうファンに絡まれて
めんどくさい想いをしたのだった。

冠葉の箱にだけ林檎があった理由は
冠葉には高倉夫妻が失踪した『あの日』の後から高倉家のリフォーム中までに
「大切な人に伝えたい言葉」を言える機会が巡ってくると運命で予め決まっていたからだろう


冠葉にとって大切な人は絆創膏を貼ってくれた陽毬
もしも兄弟がリフォームせずバラバラになった場合でも
冠葉は陽毬との別れに「大切な人に伝えたい言葉」を恋愛感情と共に言っていた、と私は推測している。


また、晶馬にとっての大切な人は苹果だが
冠葉がリフォームを提案し3兄妹一緒の旅を延長しなければ晶馬は苹果と出会う事は無い、だから晶馬の箱には林檎は無かった。


冠葉がリフォームを提案し晶馬に半分の林檎を与えたから、「箱の中の運命」通り晶馬は生き延びて
苹果と出会い恋をして最終話の通り苹果「大切な人に伝えたい言葉」である「愛してる」を言えた。


そして3兄妹一緒に暮らすために恋愛感情を表に出せなかった冠葉も最終話の「乗り換え後の世界」に熊のぬいぐるみの中に入れといた手紙によって
池辺陽毬に「大切な人に伝えたい言葉」をようやく言えた、という事だろう。

しかし漫画版では冠葉は最終話の蠍の炎に包まれていく運命の列車の中で
晶馬と同時に陽毬に「ありがとう、愛してる」と言ってるんだよなw

まぁ意識を取り戻そうとしている陽毬には聞こえてないのだろうけど。
これは別パターンと思っておくか

つまり冠葉も晶馬も「箱の中」で林檎を分け合って一緒に生き延びる運命を選んだ時点で
「大切な人に伝えたい言葉」を言った途端に成仏する運命だと出会った時から予め決まっていた、という事だろう。

まるで「さらざんまい」10話のマブみたく。

そして「林檎は愛による死を自ら選んだ者へのご褒美」の意味は

22話の通り真砂子とマリオに普通の人生を与える為に
実父を説得し、彼女らの代わりに企鵝の会に残る事を選んだ冠葉だった。

しかし、21話の通り実父はご褒美をくれる所か罰を与え
冠葉は自信を失いそうになった。

だが出会ったばかりの陽毬が貼ってくれたおかげで冠葉は正気を保てた。

「その絆創膏が冠葉の箱にご褒美の林檎」となって現れた、と言った所かなぁ。


そして箱の中で、冠葉が晶馬にその半分の林檎を与えたから
最終話でそれが晶馬から返ってきた。

つまり真砂子やマリオの為に乗り換えをして希望が無くなった冠葉にとって
「大切な人」である陽毬に出会えた事がご褒美だった、と言った感じかな

後に高倉夫妻が失踪して晶馬と一緒に飢餓で死ぬ前に「大切な人」に出会えていたから「冠葉の箱」にだけ林檎が見つかった

「死ぬ」といっても身体(自分という箱)が死ぬって意味はなく
心の方(箱の中の本当の自分)が死ぬんだろうな。

「大切な人に愛を伝えたい」という心の方が死ぬ、という事だろう。
そして人は透明になる。

箱の回想と冠葉の関係が分かってくると
冠葉にとっては「大切な人に伝えたい言葉」を言える運命を晶馬に半分渡して
自身はその運命を封じたまま
晶馬と陽毬を養っていた、という事だったんだなぁ。。。

冠葉の陽毬への恋愛感情は作中で大々的に描写されていたのに
熊のぬいぐるみの手紙との関連は中々気づかなかった。


しかし、「陽毬への恋愛感情を封じた冠葉」といい「多蕗への恋愛感情を封じた桃果」といい
この作品は「自分という箱」に秘めた想いを持つキャラは視聴者に変人だと思わせるような描き方をしてたんだなぁ、と分かる。

冠葉は1話から寝ている妹にキスをする変態として視聴者にインパクトを与えたし
桃果も妹の苹果によって「多蕗と恋人になった妄想する日記」を遺した変態として視聴者に印象を刻み付けた。


二人とも度を越した変態だと視聴者に印象を植え付けていたが
視聴者とは違いピンドラ世界の中では「秘めたもの」で
ピンドラ世界に暮らす人々は本来なら誰も知らない気持ちなのだ。

変態行為を視聴者に見せ付けていた冠葉と桃果だが
冠葉は「兄妹3人で一緒に暮らす為に自身の陽毬への恋愛感情を封じて長男として二人を養っていた」訳だし
桃果もおそらく「多蕗の恋人になる運命をゆりに譲って自分は身を引き、書いた分の日記も封印しようとしていた」のだろう。


変態だが自己犠牲精神もある所がイクニ作品のキャラらしい。
そしてその欲望を「自分という箱」に封じていたから変態行為が視聴者に漏れたんじゃないかなぁ?、と推測する。
陽毬とマリオは自分の本当の気持ちを封じると不治の病になってしまうが
冠葉と桃果の場合は封じた変態が漏れる。



桃果は15話でゆりと出会う前から多蕗との妄想日記を書いていたのか
それともゆりと出会った後に妄想日記を書いてたのか分からんが
15話で日記を持ってるのでおそらく出会う前から日記を書いてたのだろう、と私は思う。
だからゆりが妄想日記に触れるのを止めた。

18話で多蕗を救った後に15話になった、と推測する。時系列的に。
だとすると15話の桃果は左手にバーナーに炙られた火傷跡があるはず、しかし火傷跡が無いのが不思議。

1話の陽毬が復活したシーンで
晶馬の方が陽毬に抱きつくのが一瞬早かったせいで割を食ったのは
冠葉の自制心を強調する為だったか。恋愛感情の有る無しの差だな。

そして晶馬が抱きついた後に二人とも抱きしめるのは
二人とも愛してるよと、という意思表示化。

どっちも高倉家のリフォーム時に長男役を引き受けた影響からか。


仮に高倉家のリフォームを冠葉が提案しなかった場合
彼は本当に陽毬に恋愛感情を伝えていただろうか?

陽毬は高倉夫妻が居なくなった事で泣いていたのだから
そんな時やそんな後で告白したとして
成功しようがしまいが冠葉の自己満足なのは間違いない。

そこで陽毬の痛みを察知しリフォームというほぼ正解な対応を叩き出す所が
冠葉の貧乏くじの始まりであるが素晴らしい。



では何故、両親失踪で泣いてる陽毬の痛みを的確に察知対応出来た冠葉が
ダブルHのデビューで凹んでるのに元気なフリをしてグッズをあれだけ買って応援してる様を見て
その後、不治の病にまでなってしまうまで
何故手をこまねいて放っといたんだよ、という話。

神の視点を持ってなければ「ダブルHとの絆の喪失=不治の病」には気づかないかもしれないし
陽毬は両親失踪時と違って負の感情を表に出さなくなったとは言え。

だが「ダブルHを応援する元気な陽毬が病気になっていく」という視聴者の視点では見る事が出来ない様を
冠葉は見ているのだぞ。
視聴者には見れないが、ピンドラ世界を創った神様ピングループには見える視点の話を。

変態も度が過ぎると目が眩むんだろうなぁ・・・
というか「熊のぬいぐるみの手紙が冠葉が書いたもの」ってのはファンのどれだけ気づいてたのだろうか。

これすらピンドラファンは私が初めてなのだろうか?
ピンドラファンは「ピンドラ見て泣いた泣いた」と書いてるのはよく見るけど
そこら辺に言及してる考察は見た事は無い。

まぁただの推測だが兄弟二人で書いたなら「お兄ちゃん達より」と複数形になるはずだしなぁ。

冠葉が抜け駆け、或いは自分の隠し続けなければならない恋愛感情を手紙で発散させた。
例え3人で暮らしてる最中に見つかっても誤魔化せるように名前を書かず。

しかし筆跡で冠葉と晶馬どっちが書いたかくらい陽毬には分かるだろと思うが。


放送当時、OPの影の手を解析して晶馬か冠葉かを見分けたファンが居たらしいから
世界を創った神様ピングループとそれにお願いして運命を変えられる立場のイクニさんは
箱の回想や熊のぬいぐるみの手紙の謎は13年間誰にも解けないくらい難しくした、としか思えない。

20話で熊のぬいぐるみを破いた足すら晶馬か冠葉か分からないしなぁ
わざわざ真っ白な靴下とジーパンと、下半身だけペアルックにして。

影じゃないか
しかしOP解析されて困ったであろう箇所は兄弟の見分け方ではなく
林檎を落とす手が苹果で林檎を受け取る手が陽毬って事だろうな。

その運命はOPから流石に変えられなかったのかもなぁ。
陽毬の命を救うのは真砂子ってパターンもきっと出来ただろうに
そうしなかった理由は。

運命は予め決まっている、という世界のルールは破りたくなかったのね。

しかし手と言えば劇場版OP最後のKIGA林檎を挟む手は誰のものなんだろうな。

結局ピンドラは
ピングループという「アニメを製作する神様たち」と
ピングフォース(企鵝の会)という「アニメを企画し制作する神様たち」の争いの話だったんだな、と私は考えている。

ピンドラはオウム真理教と地下鉄サリン事件だけの暗喩では無い。
荻窪はアニメ制作会社のある町でもあるし
例えば「機動戦士ガンダム」のサンライズ本社も荻窪にあるらしい。

また、ピングループとMBSは何故「製作委員会」ではなく「製作」なのだろう?
私はアニメ業界の仕組みが分からないただのアニメファンだからよく分からない。
だがイクニさんのアニメ全てのクレジットに製作委員会がほぼ無い事は見れば分かる。

分からんがピンドラをアニメ業界の話と気づいたのは放送されて十数年、私くらいしか居なかったようなので
思った事をつらつらと書いていく。
イクニファンは多いはずだがオウムの事件の印象の方が強いのと
製作ピングループが劇中に登場している事に気づいた人、更にそれが神様だと気づけたのは私くらいしか居なかったのだ。

さて、アニメとは「アニメ制作」と「アニメ製作」どっちの神様も協力しないと
アニメの世界もそこで暮らすキャラと彼らが辿る運命も世には産まれてこないものだ。

最近もイクニさんのピングドラムを創るまでのインタビュー記事が幾つか出ていたが
ウテナから10年以上干されてその間の鬱憤もあったのか意固地になっていた事は伺える。

また、アニメ製作委員会とは運命共同体のようなもので
皆でアニメを作るお金を出し合い
アニメの成功によって利益が出れば皆で分け合い
失敗してしまったらその被害も皆で分け合うシステムだ。

まるでピンドラ最終話の晶馬の台詞「僕たちの愛も、僕たちの罰も、皆分け合うんだ」そのものだと
アニメ業界の事を殆ど知らない私なりにそう思う。

このようにピンドラにおける林檎とは「アニメの商売で輪るお金」でもあると気づくと生々しい。
生々しいが欲望と愛は表裏一体、どっちも無いと社会では生きていけないのはこの世の真理だ。

0992名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0b8e-K+pl)2024/05/11(土) 22:14:00.10ID:SADD/3nA0
つまりピンドラは「アニメ業界に暮らす一部の神様たち」によって作られた世界とその子供たちの話だったのだろう。
「運命の子供たち」とは神様によって不幸な運命を背負って生まれてしまった者たち
そんな子供たちが運命と向き合ってピングドラムという「本当の幸い」を見つける事が出来るのか?
とそこら辺は「銀河鉄道の夜」と同じである。
井戸に落ち、自らの死の運命を受け入れてイタチに命をあげ損なった蠍が
「みんなの本当の幸いの為に」と神様に祈って夜空の赤く燃える星アンタレスになったという賢治の創り話。

「井戸に落ちた蠍が星に変わるなんてあり得ない」と読む度に私は思うが
創作の世界なら「何でも有り」である。

それはピンドラも同様で「ダビデ像が東京タワーに変わるなんてあり得ない」のと一緒だ。
しかし創作の世界だから「何でも有り」なのである。
「人類が初めて井戸を作ったのは新石器時代に対しアンタレスという星が生まれたのは・・・」
と真面目に考察し矛盾を探しても馬鹿馬鹿しいのである。

そして、銀河鉄道の夜の「蠍が星になった話」のように
ピンドラの世界でも自らの命を犠牲に「運命」や「世界の風景」を変える事が出来る設定になっているのは確かだ。

この点を考えると「願いを聞き届ける神様という存在は自己犠牲を凄く喜ぶんだな、その物語の企画ならアニメの制作費も出すんだろうな」と私は思い浮かべるし
多分イクニさんもそう皮肉って「銀河鉄道の夜」をモチーフの一つにしたのかもなぁ、とも私は思う。
ウテナも自己犠牲によってアンシーの運命を変えた、そしてウテナは皆の記憶からも消えた。

つまりイクニさんの作風を知ってる神様ピングループはそういう自己犠牲的な話が「世間受けする」と分かってるから
イクニさんも「輪るピングドラム」でも似たような設定を考えたのだろう、と私は推測している。

つまり神様である製作ピングループが自己犠牲をするキャラ、15話では桃果の願いを聞き届けるから
背景のアニメーターさんも「ダビデ像のある風景」から「東京タワーのある風景」を創るのだ。
そうやってピンドラの世界が変わる。
「運命の乗り換え」とは創作の世界だからこそ出来る神業なのだ、現実ではこうはいかない。
現在ある建物を壊し新たに建築して世界の風景を作り変えるのだから
アニメーターさんが背景を描くのよりずっと時間がかかるだろう。

だから同様に最終話の乗り換え後の世界になった時も
「高倉兄弟が存在する世界」から「存在しなかった世界」へと変わる。

そのロジックを我々の住む現実の世界の理屈と照らし合わせて考えてはいけない。
考えようと十数年間もがいていた私も馬鹿だったのだろうw

さらざんまいは「子供が将来なりたいものを夢見る話」で
「サッカー選手になりたい」という夢を持つ一稀たちが
面倒な繋がりによって悪戦苦闘するさまと
イクニさんの子供の頃に好きだった映像作品の「帰ってきたウルトラマン」がつながっていて
単純で笑えて愉しいのに対し

ピングドラムはアニメ業界で苦労してきたイクニさんの話だから
どうなってるのかを考えると面倒くささの方が半端無いんだよなぁ。。。
疲れる。

企鵝の会アジトで「この世界は間違ってる!」と血気盛んに演説する高倉剣山は
自分の思い通りのアニメ企画を通したいイクニさんでもあったんじゃないの?これ

企鵝の会はアニメーターさんなど搾取される現状に不満を持つアニメ制作者さんたちの集まりなんじゃないかなぁ?
と私は推測している。

キャラデザの西位さんも度々ツイッターでストライキの声を上げてる。
ピンドラの意味不明な内容をアニメ業界と繋げて考察するのは面倒だと思うけど
そうやって自分達の地位向上しようと声を上げるのは大切だよね、と私は思う。

私も好きなアニメはグッズを買って応援とかしないとな。

あぁ、最終話の冠葉と晶馬が引き受けた「運命の乗り換え」は
「銀河鉄道の夜」でいう所の「蠍が星になる」程度の世界の改変では無い、と私は解釈している。

ピンドラ最終話の運命の乗り換えは
「銀河鉄道の夜」でいう所の第3次稿から第4次稿へと物語が書き換わるレベルの改変が行われた結果だ。

銀河鉄道の夜において
第3次稿ではジョバンニとカンパネルラの関係は親友でも無い「ただのクラスメート」だが
第4次稿では「二人のは親ぐるみの友達」と関係性が変わっているのだ。

また、第3次稿に登場し、ジョバンニを導いていたブルカニロ博士の出番は
第4次稿では削られている。


そしてピンドラも最終話も苹果が陽毬の為に乗り換えの呪文を唱えた事によって
陽毬と苹果は友達の関係になっていて
冠葉と晶馬は最初から存在が消えている。


つまり冠葉と晶馬のモチーフは単にカンパネルラとジョバンニだけでなく
「存在が消滅する事で次稿に繋げている」という役割的にブルカニロ博士でもあった、と私は解釈している。


・・・ピンドラの考察は多いが
最終話の「運命の乗り換え」が「銀河鉄道の夜の第3次稿から第4次稿へと書き換えられた事がモチーフになっている」
という考察も'11年の放送後、私が初めての事なのだろう。るる賢〜い!

話は変わるが
現在放送中のアニメ「終末トレインどこへいく」では
物理法則が乱れた世界で西武池袋線で池袋を目指す女の子たちという
銀河鉄道の夜や999、そしてピンドラを彷彿とさせるような話をしているが
このアニメもおそらくアニメ業界の話を入れてくるのは1話や監督の時点で間違いないだろう。

「ピンドラはアニメ業界を描いた作品でもある」
と大体私が気づいた後にそのアニメが放送が始まったのは最早「運命」を感じてしまう。


終末トレインの水島監督によると西武池袋線も新宿線も中央線沿線もアニメ業界人の利用が多いという。
そして水島監督は'17年にアニメ業界の話を描いた「SHIROBAKO」を作ってるし
今作でも1話から劇中アニメ「練馬の国のアリス」なんてものを入れてくるし
今度の14日、監督が担当した8話の先行上映会もやるそうだし
その時に劇中アニメの方を用いたグッズをプレゼントするなんて
明らかに「SHIROBAKO的な話をやるだろう」という予感しかしない。

ピンドラへのある種の挑戦状だとしか思えないし
私はユリ熊嵐は大スキだがピンドラの方は思い入れはあるが左程では無いし気分は複雑だ。

だからアニメ業界の話も描いているピンドラの話を私の分かる範囲内で今の内に書かなければ!と
ある種の使命感に駆られてしまったのだろう。


例えば、一年ほど前の「水星の魔女」はガンダムブランドだが話の方はそこまで好きになれるものでは無かった。
ネットでは「ウテナのパロディだ」と揶揄され続けていたが
褐色のヒロインを巡って決闘するウテナもイメージ的には
イクニさんの好きな1stガンダム最終話のララァの愛を巡って決闘していたアムロとシャアの構図そのものだろう。
水星の魔女は22話の生身のフェンシングによる決闘でその事を視聴者に伝えている気が私にはした、ラストシューティング風な決め手にしてまで。

つまりウテナも1stガンダムが無ければあの様な出来にはなっていない、ピンドラにおける「画面越しの知恵の実の受け渡し」と一緒だ。
それは逆の向きもあってセーラームーンが無ければ'94年のガンダム作品「機動武闘伝Gガンダム」のノーベルガンダムのデザインもああはならなかっただろう。
アニメ業界では商売敵のクリエイターはお互いに影響を与える場合も受ける場合もあってアニメを創っている。

水星の魔女は百合的に私にはイマイチだった、決闘と婚約者という設定を見せてるだけに感じた。
百合よりも能登さん演じるプロスペラとの母娘の物語、それぞれの親子の物語としては良いものになっていたと私は感じている。

長々となったが
今度の終末トレインは水星の魔女みたいな見た目に分かり易いイクニ作品のパロディとは違った底知れぬプレッシャーを現時点で私は感じているのだ
人気が出るかどうかの方は神のみぞ知る、だが。

勝手にイクニさんの視点になったつもりで
神様ピングループを悪し様に言ってしまったが
神様だって身銭を切ってアニメ制作費を出すのだから
なるべく儲かりたい気持ちは当然だろうし
その為にアニメの内容に口を挟む権利はある。

つまりアニメ制作費を出す神様ピングループとは
いわば最終話の箱の中で晶馬に半分の林檎を渡す冠葉のようなものなのだろう。
晶馬に林檎を半分渡してもそれが自分たちの利益になるかどうかは分からない。
それでも渡すのは一緒に生きれば何か希望があると思ってるからだ。


そして劇場版では制作費を出していたのは記憶に新しい通り
クラウドファンディングに参加したピンドラファン達だ。

つまり劇場版における「製作ピングローブユニオン」とは
クラウドファンディングに参加したピンドラファン達の事でもあるのだろう。

みんなは参加して良かったと思ったのかな?
イクニさんはその事が不安だったから舞台挨拶で「緊張した」みたいな事を言っていたのだろう。

運命の乗り換えの
「神様にお願いして自己犠牲する代わりに現実ではあり得ない奇跡が起きる」って設定は
'11年の「魔法少女まどかマギカ」の影響かもなぁ

あれも普通の少女がキュウべえに自己犠牲を強いられる魔法少女になる契約をする代わりに
タイムリープ能力を手に入れたり「宇宙の理」すら書き換えられる。

>>961でも書いた通り眞悧は完成前はキュウべえのような色彩だった。

それにピンドラ5話のトラックに引っかかったペンギン帽を追いかけるシーンは
「魔法少女まどかマギカ」6話でも似たような事をやっていてオマージュした、と私は思っている。


つまりイクニさんは
「キュウべぇのような現実にはあり得ない願いを叶えてしまう設定のアニメが日本中の視聴者に受け入れられた今('11年)なら
これもいけるんじゃね?」
とダビデ像が東京タワーに変わるという「運命の乗り換え」の設定を作った、と私は推測している。

つまり「こどもブロイラー」のこどもシュレッダーで透明にされる子供たちってのは
スポンサーや製作側にNG出されて通らなかった物語の企画書とそのキャラクター達だったって事だろうなw

シュレッダーだしアニメの企画書も紙だしな

透明にされた後は社会にとっての都合の良い労働力にでもなるんだろうなぁ、とも思ってたが
企画書ごと消えたらそりゃこの世に産まれる事無く消えるわなw

つまり18話の多蕗は桃果が救ってなければ
銀河鉄道の夜第4次稿に出てこないブルカニロ博士みたく消えてたって訳か

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