赤毛のアン第51章「マシュウ・カスバート驚く」
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クリスマスの朝にマシュウから袖が膨らんだドレスをプレゼントされて感涙していたアン
あれはもう4年も前のことなんだね サンテレビ再放送、アンの次は来週からハイジか
名作が続くな >>624
リンド夫人も取り乱してちょっと責めていたね
この時代、銀行が破産したら預金者は保護されないのかな
原作はこのへん駆け足でカスバート家の金銭面とかまったく触れられないからわからん >>628
日本も戦前はそんなもんだからねそれで4大財閥三井住友三菱安田台頭するんで
寧ろ赤毛のアンで学習しなかった戦前の日本人の方がアホちゃうかは言い過ぎか >>570
続編で、グリーンゲイブルスに来る前のことはあまり話したくないと語る場面があったような?
やっぱり原作者が違うといろいろ矛盾してくるな 村岡花子は戦中、空襲からカナダ人の宣教師にもらったアンの本(もちろん英語の)と翻訳中の原稿を守って逃げてたはず
グリーンゲイブルズ、預金はほぼなくなってしまうけど、家や農場は抵当に入ってない
その後は農場をダイアナ父に借りてもらい、賃料で生活していく
アンの教師の収入は基本貯金に回っているはず(大学へ行くお金になる) マリラはグリーンゲイブルズを売りに出す筈だったのをアンが進学を諦めて教員になるってやめた筈
アンのレドモンドの学費はミス・ジョセフィン・バーリーからの遺産で賄ったんじゃなかったっけ
手元に本が無いからうろ覚えだけど >>633
最初の2年は教師の給料を貯めたお金で進学
大学2年の半ばにミス・バーリーが亡くなって遺産の一部をもらい、3年生からの大学資金になっていたはず マシューだけじゃなく、ミス・バーリーもやっちまったのか 16歳のアン安産型にけつでっかくなったなあ、子供バンバン生みそう
ギルは果報者 あの冷静沈着なマリラの動揺を見ていたら自分がしっかりしないとと泣くに泣けなかったんだろうな
でも少し落ち着いていざマシュウを思い返すと思いが溢れだした
そしてその鳴き声に気付いたマリラが今度はアンを支える
良いシーン、流れだった MXはね、昨日ダイアナへの手紙っていう総集編だったんだw >>635
二人とも登場時点で当時の平均寿命超えてるからね 初期中期の作品が本当の名作
ただし、フランダースとアンを除く >>639
平均寿命は子供の死亡率で下がってるせいでしょ
だから孤児院に行く前のアンも多すぎる子供に手を焼いてた訳なんだし >>640
死んだマシュウの血色良すぎて通夜客が全員死んだような顔色のシーンあったのはあえてだろうか 今更ながら原作の知名度を自分なりにまとめてみた。
A(これは知らない人の方が珍しいかも)
・赤毛のアン(今年出版100周年の記念作品)
・トム・ソーヤーの冒険(これも児童文学の傑作)
・愛の若草物語(小さい頃抄訳で読んだ人も多いはず)
・ピーターパンの冒険(有名な理由はディ○ニーのおかげさ)
・レ・ミゼラブル 少女コゼット(ミュージカルも有名。来年もありまっせ)
B(上ほどではないけど知ってる人多し)
・小公女セーラ(アニメは有名だけど、原作は小公子に比べると知名度劣るかも)
・愛少女ポリアンナ物語(シリーズ2作とも本国では有名)
・小公子セディ(アニメはセーラ以下の知名度。原作はセーラ以上の知名度。Aでもいいかも)
・私のあしながおじさん(作者が『トム』作者の姪だってことは知らない人多い?)
・トラップ一家物語(映画は有名だけど、ノンフィクションだと知る人は意外と少ない)
・名犬ラッシー(よく映画化もされている。Aでもいいかもしれない)
・家なき子レミ(本国ではかなり有名。アニメは東京ムービー版の方が傑作か) 版権も切れている世界の名作文学腐るほどあるんだから
原作に使ったらいいんだよ
時間のテストを受けて生き残っている作品は確かだよ
それにしても、アンは声優陣の演技は質が高いよな
これは常々感じる
声優がダメだとマシュウの死のような悲しいエピソードも感情移入できなくなる それ大事よな、だからこそ名作は見れるところがある
今の大作アニメとか素人俳優なのが心底がっかりする とうとうマシュウが💧
でもアン最初泣けなかったけど
泣けて良かった
思い切り泣いた方がそりゃスッキリするもんね C(知ってる人は知っている。知らない人は…)
・フランダースの犬(日本『のみ』有名な作品。でもこれのおかげでベルギーと仲良くなった?)
・あらいぐまラスカル(上と同じく日本で有名。本国で映画はあるらしいが…)
・ペリーヌ物語(家なき子に比べるとやはり全てにおいて劣るか)
・若草物語 ナンとジョー先生(若草物語の続編だと言えばわかってもらえる?)
D(何それ?美味しいもの?)
・母をたずねて三千里(原作の部分はかなり少ない。絶版ではないので読もうと思えば読める)
・家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ(映画化されてる。TDLにモチーフのアトラクションあり)
・南の虹のルーシー(アニメもマイナーな上に原作も…)
・アルプス物語 わたしのアンネット(作者はクリスチャン文学家。そっちの世界では有名…なのかな?)
・牧場の少女カトリ(原作は本国でも読めるか難しい所らしい)
・大草原の小さな天使 ブッシュベイビー(この時代のアニメは原作のネタ切れだったのだろうか…)
・ロミオの青い空(ここでは有名だが、原作を読んでる人は少ないと思う)
・ポルフィの長い旅(一応児童文学大賞受賞作らしいが…早くもネタ切れの予感か…) 初期の名劇は実写畑の脚本家が多かったためか、セリフはリアリティがあるし深い。
でも、いわゆるアニメ的な面白さは後期の作品の方が優れているよう。
特にデジタルアニメ世代には初期作品のテンポ&作画はやけに古臭く馴染めないものに
感じられるだろう。ワクワクさせてくれるティコ・ロミオ・ブッシュの
人気が高いことも頷ける。 初期作品至上主義ってあるからなあ、名作劇場では。
それと後期作品のアンチ意見って監督や脚本家、あとファンに対しての
偏見でしかない場合も多いし。 あくまで5chの中でだけど、後期作品ファンが駄目な所は
どこが素晴らしいという事をまともに語ってないところかな ロミオは削られまくってて評価として厳しくなるわ
だから最後の方はかなり強引 ロミオヲタ『トムソーヤと比べてキャラがカッコイイ』
『友情を描くにはまず人物が美しくなきゃ見る気がしない』 ロミオは全体的に暗くてシビアなのにEDがノー天気なのはちょっとどうかと思う
最後ぐらいは明るくという意図かも知れんがちょっと違う アンの好きな人は、そもそも名劇マニアとかではない人が多い
名劇の中でアンの評価じゃなく、全ての映像作品の中でもアンが一番好きって人が多いから、名劇のアンでは論じきれない >>650
泣けなかったのは自分が男の子だったらマシュウは死なずに済んだのに
女の子である自分がマシュウを死なせたという罪の意識に苛まれたからか
夢の中で再びマシュウの言葉
「女の子だよ、わしの女の子だよ。わしの自慢の女の子じゃないか。アンはわしの娘じゃ」を聞くと自責の念は消えてマシュウへの喪失感に変わったと フィリップス先生ってなんで急に辞めたの?
生徒に手出そうとして失敗したから? そうよ
未成年でしかも教え子を妊娠させたって、PTAで大問題になって逮捕されたのよ >>659
原作にもアニメにもそんな解釈はないね
一人になる時間もないほど忙しく立ち回っていたせいで
マシュウの死を現実の事として受け止める時間がなかった
夜になってようやくマシュウの死を現実の事として受け止めることができた
「鈍い痛み」と言っているアンの心情については解釈の余地はあると思う
小さい頃両親を失った喪失感が、マシュウの死を通して甦った。これが「鈍い痛み」か、
もしくは
グリーンゲーブルズに来るまでは、孤児としての自分は誰からも必要とされない存在だったが、マシュウとの出会いでようやく自分をありのままを受容される愛情を注がれる。その愛情をお注いでくれたマシュウの死は、子供時代を苦い体験「鈍い痛み」を呼び起こした、か
あるいは両者が混在して「鈍い痛み」となったか、だな 単純にマシュウの死の重さを受け入れられないことが鈍い痛みかと
感覚的には何となく分かる気もするしマシュウ以外は出てこないからな ステイシー先生の声優って「鈴木れい子」と「鈴木弘子」とで
どっちが正しいの? そうなら「鈍い痛み」について「ずっと昔のこと」とは言わんと思うぞ
「前と同じ、なんとも言い難い鈍い痛みのような切なさ」とも説明されている
そうなら、「鈍い痛み」はずっと遠い記憶に関係すると思われるがね >>666
両親が亡くなったのは赤ん坊の頃だから記憶にあるはずない
身近な人の死別の記憶は預けられた飲んだくれの亭主と開拓一家の亭主だけだからその時の記憶が鈍く甦ってきたか
単にたらい回しのたびに何回も経験してきた人との今生の別れの感覚も含まれているのかもしれない
家族は亡くなってもすぐには実感がわかず葬儀をして送り出し家に物理的にいなくなってようやく実感がわくものだからその時に忘れていた人との別れの感覚が鈍く甦ってきたという解釈かな
喜怒哀楽がリトマス紙のようにはっきりしてるアンなのにじっと堪えてあとから静かに泣くことで本当の悲しみの深さが伝わるに >>668
両親の記憶はなくとも
両親がいない「鈍い痛み」は11歳まで背負って生きてきたわけで
マシュウが亡くなった昼間はバタバタと忙しくしてたし
気丈に振る舞うのとは違うのだけど、何か張り詰めたテンションがあって、静かな夜を向かえるまでは、それが感情を抑制していたのかもしれないね
いずれにしても、夜になってようやく悲しみに身を任せ、
号泣しているところにマリラが現れる。この時の2人のやりとりは名シーンだね >>669
それ鈍い痛みどころかなにかあるたびに激痛だったろ マリラの「アザミの効用」発言がわからなくてググったんだが、私の持ってる村岡訳では
「マリラは笑い、二人は昔のことを話したり、ジョシーたちやギルバートの噂をしたりした。」
の一行で終わってるけど他の訳本ではジョシーの赤毛に喪服は合わない発言が具体的に書かれているのかな >>670
ちゃんと考えれば親のいない寂しさが「鈍い痛みだったことは十分にあり得る アンは何千回も両親の住むスイートホームを想像してたんだぜ
>>671
直接的に両親を知らないし死の記憶もないのだから鈍痛でおk
>>672
あざみやいばらは棘がある。聖書の中では悪性なものの代名詞みたいに使われる。人に悪態をつくジョーシーをあざみに例えている。いばらやアザミがおい茂っている道なんかは、慎重に進むだろ。ジョーシーみたいな悪態ばかりつく者にも善意をもって接するなら、人生に訓練にはなるってことだろうね。 今日の回で人の死にまともに接したのは初めてと言っていたから両親の死は関係ない
それを体験していたらマシュウの死の悲しみも最初からもっと表現出来ていたんだろう
やっと家族になれたところでのマシュウの死は自分が家族のいない孤児の境遇であった過去を思い出させた
つまり鈍い痛みというのは孤児の頃の思い出であり、それを久しぶりに自覚するぐらいにアンはマシュウとマリラに楽しい思いをさせて貰っていたということになるんだろう >>673
> >>671
> 直接的に両親を知らないし死の記憶もないのだから鈍痛でおk
それなら痛みすら感じないだろ >>661
入れ込んでたプリシィがクーイン学園に行って町を出るからフィリップスも後を追った
正直異常だろ
フィリップスいくつなんだろう >>676
え?
普通に異動になっただけじゃないの?
異常というのは否定しないが >>676
アニメ版はそうだった
ルビーが聞いちゃったって言ってた
フィリップスが辞める回 >>674
自分でちゃんと答え出してるじゃないか
孤児の心の痛み=家庭がない=両親との死別
アンの鈍痛に、どうして両親の死別は関係ないと言えるんだい?
孤児の悲しみは、両親がいないことに起因しているのだから、この二つは切り離せないでしょ?
直接的に両親の死は経験していないし記憶もないとちゃんと前のレス673で書いているよ
だからと言って両親の喪失感から来る痛みがないわけがないじゃない
孤児の心の痛みとはそう言うものだろ
マシュウの死を通して
「愛する人がまた私を置いて去ってしまう!」
と言う心の痛みがが甦ったと取るのは、この場面では普通の読みだよ
「鈍い痛み」と言っているのはこれじゃないかね?
両親の死を目の当たりにしてトラウマになるほど記憶に残っていたら、それは激痛であって鈍痛とは言わない
普段は悲しみに沈まないように持ち前の想像力で前向きに生きてきた幼少時代だが、無意識のうちに、孤児としての長く引きずっていた心の疼きはあった。
過去にまつわる「鈍い痛み」とはまさにそれでは?
なぜ、その孤児の痛みから、直接的な経験ではなかったとは言え「両親の死」が排除されるのかわからない。 >>675
原作でもアニメでも「激痛」ではなく「鈍い痛み」があったと言っているんだが?
それじゃお前の意見ではこの「鈍い痛み」ってなんなのさ? >>676
20代じゃないかな?今なら立派なストーカーだけどw 「泣いてなんかやるもんですか!」
と言ってた生徒(名前知らない)が号泣したのは
やっぱりフィリップスよりも「別れ」という雰囲気に流されたのか。
多くの女生徒が号泣しながら帰る場面を見て
不謹慎ながら「みんな可愛いな」と思ってしまった。
同じ号泣でもマシュウの時とは真逆だよね。 アンは原作でも親を思慕する描写なんて一度もないのに最後の最後でなんで親をずっと思って悲しんでいたという解釈になるの? そいつにとって都合の良いシコシコが出来るから
まあそんな意見に価値はないわな >>673
ちゃんと考えれば
演出家が何回も描写し忘れて脚本ボロボロじゃない限り急に親への思いを差し込むミスをしない限り
唐突過ぎてそうはならんよ
お前が作りての意図から離れてそういう楽しみ方したってだけならわかるけど 親への思いがそこまであるならアンの心情としてもっと前に出てくるはず
そうならないのはそれだけアンは小さい頃から親というものを知らないから
だからマシュウもマリラも最初は知らない大人でしかなかったし、これまで出会ってきた大人も家族とはかけ離れた建前だけの関係でしかなかった
でもマシュウ、マリラに出会えて家族というものに気づき始め、そこが決定的になったのがマシュウの「アンはわしの娘だ」という言葉になる
だから両親の死を前面に出すのは不自然
物心つく前に半分本能の中でトラウマになっているところはあるかもしれんがそれは奥底に隠れているものであってアン自身もそこまで把握は出来ていない
だから前に出てこないし故のそうした脚色、そしてそれは鈍い痛みという言葉にもつながる >>651
「母を訪ねて三千里」はそんなに知名度下がったの!
幼稚園年長の頃、母が絵本を買ってくれて読んだ
水彩画っぽいきれいな挿し絵だった
タイトルは幼児向けに三千里は付いてなくて「ははをたずねて」だった 鈍い痛みとはボディブローのようにじわじわと悲しみがきたという意味でしょ
心の奥底の何かが引っ掛かっててそれが鈍い痛みをもたらしたと無理やり解釈する必要ない 無理矢理はお前もや
感覚だけではなくもうちょい論理的に書けや
それが出来る脳みそがあるならな プリシィが15歳くらいの時には既にフィリップス先生はメロメロだったよな
カナダはこういうの寛容なんだろうか 赴任が4年遅かったら15歳のアンにメロメロだったろうね
ほんまもんの屑やなフィリップス >>691
だから今まで経験してきた別れの痛みでしょ?
過去でアンが味わった辛い別れならトマス家のケティとハモンド家のビオレッタ
泣きながら別れを告げたその時の痛みが過去の記憶としてあるってだけのこと
トマス家とハモンド家の人たちとの別れを惜しんでいる様子は皆無だからこっちは痛くも痒くもないようだ マリラがギルの父親との昔のロマンスを話してたね
些細なケンカで意地を張ってそれきりて
ツンデレなマリラらしい
アンとギルはめでたく結ばれるけど
マリラも始めはまさかアンが
昔のロマンスの相手の息子と一緒になるとは
ビックリだったろうな
でもこれアンがもしマリラの腹を痛めた実の娘なら
ギルは好きにならなかったろうしな
だって当然アンではないしアンとは違うマリラに似て
大人しい優等生娘だったろうし
後にギルはアンに最初から石板で殴られた時から好きだったと白状してた
運命の綾というかマリラとおよそ正反対で
血の繋がりのないアンだからこそで
いや本当良く出来てるわ >>693
どう考えてもアンはフィリップスのタイプではないだろ
反発し合ってるよ 何かと生徒を殴ってた昭和のクソ教師に比べればフィリップスは聖人。
どのみち女受けはしないだろうけど。 ロミオいいよね。でもここでは何故か評判よくないんだよね。
ロミオが好きだっていうとすぐ「若者」「他を見ていない」と決め付けられたりするし。
でも他の板でたま〜に名作劇場のスレが立つと
ロミオに関する肯定的なレスが多くてびっくりするよ。 まずキャラデザが好みじゃないと見る気がしないんだよ
もちろん個人的な好みなことは分っているけど・・・
そりゃ「トムソーヤの絵が不細工に思える」ってのは俺の偏見か・・・ キャラデザが好みじゃないと見る気がしない
別にいいんじゃない、アンタの価値判断なんだから
そして表面だけで作品の判断をする人を軽蔑する
これも別にいいよね、ワタシの価値判断なんだから レベルの高い初期作品を好きな人格レベルの低いファンと
レベルの低い後期作品を好きな人格レベルの高いファン
まさしくこの通りになってきたな ロミオの設定書にロミオの全裸の設定もあって 股間部分に「かなり大きい
です」と注意書きがあった。ズボンを履かせた場合の基準をアニメーター
に指示したんだろうな エッダの全裸では「胸かなりあります」と書いて
あった。 そういえばハイジも1才の時に親と死に別れたけど親を恋しがるそぶりもなかったな >>707
でも駿も高畑もアン嫌いなんでしょ?
嫌いだから思い入れもなく原作に忠実にすることに専念したとか
彼らに嫌われたおかげで余計な演出をしなかったので神作になれたのかな 一体どこでそんな大嘘を目にしたんだか
>>711
アンタ、アンを見る資格ないよ >>698
フィリップスって鞭で生徒を躾ける場面はなかったっけ
原作の方に
トムソーヤと混じってるかな >>712
>松本正司氏著の世界名作劇場大全によると、赤毛のアンはアニメ化にあたり監督である高畑氏がどうしてもアンの心情を理解する事ができず、脚色せずにストーリーを忠実に追うしかなかったそうだ。しかしそれにも限界があったのか、赤毛のアンで作画を担当していた、かの有名な宮崎駿氏は第14話の途中で「アンは嫌いだ、あとはよろしく」と言い残して赤毛のアンを去り、ルパン三世カリオストロの城へ去っていったそうだ。
高畑は嫌いまでとは言ってないけどアンの心情を理解できずに淡々と原作をアニメーションにしただけのようだ
駿は途中で我慢できず投げ出したんだと 高畑さんがアンに思い入れがないってか心情がわからないから原作通りにしたとかいう話は当時のアニメスタッフが後年書いたムックにあったそうでそこから話が広がったみたいね
でも高畑監督本人のインタビューや著書を読めば決してそんなことはないと思うんだな
そりゃ近藤さんみたいに根っからの赤毛のアンファンではなかったとしても
というわけで毎度貼られる高畑監督インタビュー
http://www.ghibli-museum.jp/anne/kataru/takahata/ >>714
そうそうそれです
でもこういうのはやっぱり本人の言葉を受け止めたいと思うよ 一方の答えが全く正しいとは言えない
それは相互で話し納得しないと正しくはない >>714
その本、俺も持ってるけど大嘘書いてるよな
名作劇場の本の中では当てにしちゃいけない代表格だと思う 高畑監督本人が赤毛のアンについて語ったインタビューで
「理解できなかった」的な発言はしてないと思う
もしそういうインタビュー記事があるなら見てみたいわ どこかのサイトで宮崎氏は、アンは日常生活の作画ばかりだったのが嫌だったとあったよ
例えばお茶をポットから注いで飲むとか、そういうシーンの絵ばかりだったって どこかで見たとかどこかで聞いたみたいな書き込みを鵜呑みにする人のせいで
高畑はアンの面白さが理解できなかったみたいな大嘘が広まっていくんだろうな
あ、宮崎駿に関しては合ってると思う アンが名劇から浮いているのは認める
世界名作劇場に駄作が多いのも原因だが
アンのクオリティの高さはずば抜けている
同列に語れる作品は皆無 文学、絵画、陶芸・・・
文化にはどれも旬の時期というものがあり、
日本映画の黄金時代は昭和30年代、てことで評価が定まってるが
日本テレビアニメの黄金時代は昭和50年代が中心だと言いたい(広目にとると70〜80年代)
多分、異論はないだろう
その中のでも、一つの頂点に立つのが "アン"である
名作劇場シリーズとしても飛び抜けて異次元の作品だが、
それどころか、20世紀に日本が産出した、最も価値ある文化作品の一つだと断言しよう アンが優れた作品であると再認識するたびにとても誇らしい気持ちになるな
そんなアンを愛している自分自身も誇らしく思えてくる不思議 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています