今も25人国医行ってるんだ。
じゃ当時は30~40人位行ってたかもしれないな。
埼玉には国立医学部が無いから、優秀な子は近場の医科歯科大 千葉大 あたりに何人かずつ入った。
偶に理Vもいた。
でも脅威だったのは熊谷。国医に毎年20人は受かってたようだし、同世代だと理V・京医輩出数は熊谷>浦和だったと思う。
熊谷は群馬医が近いから毎年ここで稼いでいた。後は地方に分散していた。
県北や秩父の開業医にとっては子や孫を熊高に入れて、どこでも国医入って跡を継いでくれたら御の字っていうのが結構いた。

もし埼玉大に医学部があったら、埼玉県立からは、浦和 熊谷 川越で占めていたと思う。