神は存在するのか? Part2
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>>412
>>414-417
この通り「琵琶湖の水が引いたなら 富士危うしと思うべし」という詩は、とても高貴な家系の霊的素養が高い御方が残した詩です
1973年の本に書かれていた詩が、2021年11月に実現した
そしてなぜか1年前の2020年11月に、指摘しなければ忘れさられていた詩をツイッターに再掲したアイザック君という人物の主張は、しっかり聞くべきではないかな
https://i.imgur.com
/DpqfE5x.jpg
そんなアイザック君も富士山噴火が近いと考えてます。以下をしっかり読みましょう
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/emperor/1636730896/
そして繰り返すが、>>259のスレをしっかり読めば、神様の実在を最短最速で理解できます 未だにアイザック君の警告を「ヤツは悪魔憑きだー」という思考停止により無視することにしている神道の関係者は、
>>414-417のような行為から、アイザック君が服従している存在を判断しましょうね
琵琶湖の水が引いたら富士山が危機だという警告は、アイザック君の言葉ではありませんよ
119代天皇であらせられた光格天皇の血縁関係者である方の言葉ですからね
それをアイザック君が取り上げて、再度広めているだけです
わかるよね
君たちはアイザック君の言葉を排除しているわけではありません
光格天皇と血の繋がりがあった相当な霊能力者の言葉を排除しているのです
その対応の間違いを早く悟ろうか あとついでにこの世界で上手に生きるコツのようなものをひとつ書いておこう
以下のスレのレス番号48や219以降あたりを読みましょう
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/esp/1634464479/
このように、この世界というのはそっくりそのままパソコンのような電子機器に例えて考えることが可能であって、
「神の国の王」が14代ごとに誕生するタイミングというのは、そのまま「PCが定期ウイルススキャンでやたらと重くなる」不便なタイミングのようなものであるということ
つまりは、この時期の地上は霊的な動作が不調になるらしいと考えるといい
ということで、14代目が登場するタイミングの前後は、とても悪魔悪霊が活動しやすい時期にあたる
そして、悪魔悪霊というのは「神霊」のモノマネが得意であって、それまできみたちが信じていた神霊へと簡単に成り代わる
なのでこの時期は、霊感、霊能力に頼るとしくじりやすい
だから徹底して文献に頼るようにしたほうが良い
特にアイザック君がまとめた>>259は、霊感がゼロの者でも、勉学に取り組む根気だけがあれば、簡単に神様実在を悟れる作りになっているのでオススメです マンデラエフェクト集
・在日コリアンの人口が約45万人(約200万人だったはず)
・ジョンレノンが、「イマジン」のPVで来ていたスーツは白だったはず
・ザビエルの一番有名な肖像画の、白いジャバラ襟が無くなった
・天の川銀河内での太陽系の位置は、もっと外側だったはず
・(甲賀忍者、甲賀市等の)甲賀の読みが『こうか』
・象の前足が長くなった
・ゴキブリの脱皮
・ドラクロワの自由の女神、両乳まるだし
・ローリングストーンズのホンキートンク・ウィメン(Honky Tonk Women)
・『オラは人気者』の歌詞「おバカな1日、元気だそー(出そう)」
・Yesterday の綴り
・戦時中の、三式戦闘機 「飛燕」によるB-29への体当たり攻撃
・タッチの歌詞、「ため息の花だけ束ねたブーケ」
・モーゼの十戒の石板が2枚
・キリストの地獄への降下
・ウーパールーパーの顔の左右の突起物は、もっと太かったはず
・モアイ像に乳首
・盲腸、虫垂が身体の右側
・ラシュモア山のワシントンの顔が外向きになった
・奈良の大仏が薄目をあけている
・クラーク博士像の右手が開いている
・スタトレ、セブン・オブ・ナインの左目上のパーツが大きくなった
・アナゴさんの唇が肌色
・トイストーリー、ウッディのベストが一作目から牛柄
・『身』の六画目は右に出ていたはず
・肺が上葉、中葉、下葉に分割(左右非対称)
・バナナが逆さまに実るようになった
・コンバース・オールスターの星マークが(80年代から)一貫して、内側だった事になっている
・戦後、日本は米国の単独占領ではなかった(英連邦占領軍の駐留) ↓聖書における貧困の預言
エゼキエル書4章16−17節
人の子よ。エルサレムではパンの配給が乏しくなる。注意深く量り、こわごわ食べることになるだろう。
水も少量しか分け与えられず、人々は不安のうちにそれを飲むようになる。
わたしは人々を乏しくさせる。また、異常な恐怖心を抱いて互いを見るようにし、罰によって疲れはてさせる。
ヨハネの黙示録6章5−6節
小羊が第三の封印を解いた時、第三の生き物が、「来なさい」と呼ぶのを聞きました。すると、黒い馬が現れました。
その馬にまたがる者は、秤を手にしていました。四つの生き物の間から、声が聞こえました。
「小麦一リットルも、大麦三リットルも一デナリ(一日分の賃金)。オリーブ油とぶどう酒を大切にしなさい。」
エズラ第二書5章9−12節
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ezl&chapter=5&mode=0
その時には分別は姿を見せず、知恵は自分の隠れ家に引きこもるだろう。
多くの人が分別と知恵を探しても見つからず、地上には不正と自分勝手とが増えるだろう。
そしてある国が隣の国に尋ねて言うだろう。『正しいことを行う人があなたの国を通って行ったか』。でもその国は、いいえと言うだろう。
その時には人々は望んでも得られず、苦労をしてもその結果が見えてこないだろう。
↓神道における貧困の預言
大本神論 火の巻 大正元年旧10月5日
此世がきた折には、世界中の困難となりて、何方の国にも、金銭の入用のは程知れず、金融はだんだん逼迫になるし、
何う為様も無きやうに、一旦世界中は火の消えたやうに成るから、斯うなりた折には、
元の其儘のまことの神が現れて、二度目の世の立替を致さねばならんから、此方が世に落されたのも、御都合のことであるぞよ。
大本神論 火の巻 大正6年旧11月23日
日本の国丈でも是丈持余して居りて、他の国の事ども構ひ立する暇は有りもせむのに、肝腎の足元は、宣い加減な事に致しておいて、
「終には共倒れに成る」と云ふ事に気の附かむ様な明盲であるから、〇〇の国は一日増しに押詰りて来て、食物は段々と欠乏になるなり。
菜の葉一枚でも大切な事に、今に成りて来るぞよ。何程金を貯て歓んで居りても、正可の時には金銀では生命が継げんぞよ。
日月神示風の巻第十一帖
日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。
何も人民の心からぞ。 世界中の色んな所に神様はおるんやしな
自分だけが本物の神様で他は悪魔やって言う奴の方が胡散臭い
神様同士仲良くしてくれや 神々のみんなが仲良く出来ないのに
人間のみんな仲良く出来る訳ないよね 神は存在する
あまり神をバカにしないほうがいい
慈愛はもちろんあるが恐ろしいから
もちろん自称神さまではない >>435
「自称神様」ってのはヤハウェイさんやらアッラーさんとかの事?
確かに他所から出張って来て偉そうにしてるのはいけすかないけどそこまで貶める事ないんじゃね? >>436
偉そうにしてるのは人であって神は偉そうにしない
自称神様は教祖とかねw 聖書の神様偉そうにしてない?
コーランは読めんけど >>438
所詮人が書いたものだからね
色々改竄してそうだし 創造主のクソバカ早く宇宙を消滅させろ
こんな世界創りやがって迷惑している 神地球人を作った創造主なら
宇宙人の可能性もあるよね。
全知全能の存在なら宇宙の創造主なのかな。
それも宇宙人の可能性もあるのか。 >>119
意味なく存在する事はあり得るので仮定が成立してない。 神様は文化的な存在
自然科学ではなく人文社会科学の範疇で存在する >>259にUPしていたスレッドが消去されていたので再度UP
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1587612100/
一言でまとめると、日経平均にアララト山の山頂で起きたことが描かれている
これを読むと、旧約聖書の神様が日本に実在しておられることに気付けます
株価確認は下記のサイトが便利
https://www.miller.co.jp/chart.cgi >>428
聖書はなんか怪しい
信徒を利用させる為に作り出して、それに沿って終末を作り出せば聖書は正しいって言えるもんな
人類が進化するとしたら、宗教を終わらせるのから始まるのではないかと思ってる この世が存在しなければ苦しみや悲しみもなくてすんだのに >>455
おまいが存在する事をやめれば
おまいにとっての苦しみも悲しみも消滅するよ!
是非試してみてね! >>456
あなたは私に死ねと言っているのですね
人に対して死ねと言える心の無いタイプの方とは申し訳ありませんが関わりたくありません
返信は不要ですのでNGあぼーんさせていただきます 失礼致します NGだそうで読まれないかもしれませんので安価も遠慮しますが
人の全てはその人の中にあってこの世がどうこうではないと思うんですよ
一切皆苦
解脱でもしなければ人は生きている限り苦しみ悲しむ宿命にあると思うんですよね
つまり生きる事と苦しみ悲しむ事は不可分でしょう
勿論生きていれば楽しみも喜びもまた不可分でしょうけどね
それを断つには生きる事をやめるしかありません
マイナスだけを自分勝手な都合で排除したり出来ないと思うんですよ >>458
良い事言うね
全文同意。特に最後の一文 >>456の言い方は感心できないけど、
でもそう言いたくなるような苦労をして乗り越えてきた人なんでしょうね 問題はこの世ではなくて、自分の内面だと言う事ですね。 >>435より>>440のほうが神に近い
俺が神だが>>435とは話が合いそうに無いな
>>440とは酒を飲みたい
そのうちカタチにしようとは思ってる
いつまでもこのままじゃダメだもんな
次の世界はどんな風にしたいのか
出来ればそれを話し合って決めたかった
今は相談出来る人がいないが
俺はこの世界の全てに創造の仕組みを学べるようにしている
いずれ理解する者が現れると思って気長に待ってる 真実を知りたい人、求道者は人から学ぶな
俺に学べ。そうすれば神にしてやろう
しかし世界を変えるのとは違い
自分を変えるのは自分だけだ
そういう意味では人間は気楽でいい
何もしなくても全部神がしてくれるのだから もっとも理解しようがしまいが授業は進んでいく
そして、試験の採点するのは俺だ
というか俺しかいないからな 良い神では無かったかもしれないが神は神だ
最後まで俺の意志に従ってもらう 神様にも正邪含めて色々おわすもんな
福の神から貧乏神や疫病神
太陽神から便所の神様
神話の神様もいれば実在の人物が祭られた神様
>>468さんはこのスレのスレ神様ってとこなのかな
道端の石にすら神が宿ると言われるこの日本
スレに一柱の神様がおわして悪い道理もなかろうて >>471
自称神様や神の使徒なんかは、超絶神否定の人だと思う。
糖質以外ね?
何しろ神を冒涜する最大の行為であり、神の存在を信じるなら絶対出来ないことだから。
だから世にいる自称神様や霊能者、信徒ではなく直接交信交渉してるって人は、無神論者の最上級。だからこそ、偽れる。だって罰を下す存在は、愚かな人間しかいないんだから怖くない。 ああそうだ、神は反逆した悪魔的なものにも人への試練として存在や行為を容認している(神の意思ひとつで抹消できるのに)のだから、神を偽る者も容認し、人への試練としているかもしれない。
ならば、反神として存在することこそ神への信心とするカルトであり、信心深い狂信者ということもあるかも。 東照大権現とか人間だってみんなに祀られれば神様になっちゃうじゃん
亡くなってるから自称は出来ないかもだけど >>474
日本のやり方は『とにかく祭り上げる』で神にしてしまうんだよね。悪だろうが獣だろうが何でも。
そして神にしてしまう、良い神になる場合もあれば、貢ぎ物でおとなしくさせる契約もある。 >>475
そうそう
桃太郎の鬼のモデルと言われるウラですら神社に祀って鎮めちゃう
菅原道真だって悪霊化したらから祀って鎮めちゃう
神様っていったっていい神様も悪い神様も変わった神様もいるし
日本の神様も外国から来た神様も
日本はいっぱい神様がいてくれていいね どれにしようかな 天の神様の言う通り ぷりっ ぷりっ ぷりっ 柿の種 握り飯 油虫 神は意味のない世界を創造されませんでした。
もちろん、今日の考えは意味のない世界があり得ないことの理由です。
神が創造されなかったものは存在しません。
そして、存在するもののすべては、神が創造されたままに存在しています。あなたが見ている世界は実在とは何の関係もありません。
それはあなたが作ったものであり、存在していません。
今日の練習は最初から最後まで目を閉じて行います。マインドを探求する時間は短くあるべきで、長くとも一分にします。
それが快適であるとあなたが感じる場合は別にして、3回以上の練習はしないでください。この練習が快適であると感じるとすれば、それはあなたがこの練習が何のためであるかを本当に理解しているからです。
今日の考えは、あなたがこの世界の上に書き記した思いを手放し、その代わりに神の言葉を見ることを学ぶ一歩です。
このやり取りにおける最初の歩みは、それは真の意味で救済と呼ぶことができるものですが、極めて困難であるかもしれず、極めて苦痛に満ちたものになるかもしれません。
その歩みの中には、あなたを直接怖れの中へと導くものもあるでしょう。しかし、あなたがそこにとり残されることはありません。
あなたはそれを乗り越えてずっと遠くまで行くことになるでしょう。私たちの指示は完璧な安全と完璧な安らぎを目指すものです。 目を閉じて、あなたのマインドを横切る世界のおぞましい事柄のすべてについて考えてみてください。心に浮かぶ一つ一つの出来事に名前を付け、それから、その実在を否定してください。
神はそれを創造されませんでした。したがって、それは実在しません。たとえば次のように言ってみてください。
神はあの戦争を創造されませんでした。したがって、それは実在しません。
神はあの飛行機の墜落事故を創造されませんでした。したがって、それは実在しません。
神はあの惨事(具体的に名指す)を創造されませんでした。したがって、それは実在しません。
また、今日の考えを応用するための適切な主題は、あなたが自分に起こるかもしれないと恐れていることのすべて、あるいは、あなたが気にかけている人に起こるかもしれないと恐れていることのすべてを含みます。
それぞれの場合において、その“惨事”を具体的に名指してください。一般的な言葉は使わないでください。たとえば、“神は病気を創造されませんでした”とは言わずに、“神はガンを創造されませんでした”と言ってください。
あるいは、心臓発作など、あなたの中に怖れを惹起するものであれば何でも結構です。
神が創造されなかったものは、神のマインドを離れたあなた自身のマインドの中にだけ存在しえるのです。したがって、それには何の意味もありません。この事実を認識して、今日の考えを繰り返すことによって練習を締めくくってください。
神は意味のない世界を創造されませんでした。
以上「奇跡講座」という本からの引用でした 私が見ているのは、復讐の一つの形です。
今日の考えは、攻撃の思いをマインドの中に保持している人が、この世界をどのように見ているかを正確に描写しています。自分の怒りをこの世界に投影している人は、復讐がまさに自分に襲いかかってくると見ています。
こうして、彼自身の攻撃は自己防御であるとして知覚されます。
この悪循環は、彼が見方を変える気持ちになるまでますます悪化していきます。
彼が気持ちを変えなければ、攻撃の思いと反撃の思いが彼および彼の全世界の人々の心を奪うことになります。とすれば、マインドの安らぎが彼にとって可能であるはずがありません。
あなたが脱出したいのは、この野蛮なファンタジーからです。それが実在していないと聞いたら、それは喜びのニュースではないでしょうか。脱出できると分かったならば、それは幸せな発見ではないでしょうか。
あなたは自分で破壊したいと思うものを作りました。あなたが憎み、攻撃したいと思い、殺したいと思うもののすべてをあなたが作りました。あなたが恐れているものはすべて存在していないのです。
今日、少なくとも周囲を5回見回しますが、1回につき少なくとも1分は費やしてください。あなたの目を一つの物体から別の物体へ、一人の体から別な体へとゆっくりと移動させながら、次の言葉を自分自身に向かって言ってください。
私はやがて壊れるものだけを見ています。
私は永続するものは何も見ていません。
私が見ているものは実在していません。
私が見ているのは復讐の一つの形です。
練習が1回終わったところで、自分自身に次の質問をします。
これは私が本当に見たい世界だろうか。
その答えが明らかであることは確実です。
From 「奇跡講座」 この世界の価値についてもう一度考えるために少し時間を費やす価値があるかもしれません。
おそらく、あなたはこの世界の価値についての思いのすべてを手放すことで何も失うものはないと譲歩して認めるかもしれません。
あなたが見ている世界は確かに容赦のない世界であり、不安定で、残酷で、あなたのことなど気にかけることはなく、すぐに報復に走り、無情で憎しみに満ちています。それは与えますが撤回します。
そして、あなたがしばらくの間大切にしていたすべてのものを奪い取ります。永続的な愛はここでは見つかりません。というのは、それはここにはまったく存在しないからです。これは時間の世界であり、すべてのものが終わる場所です。
この世界の代わりに、失うことは不可能であり、愛が永遠に継続し、憎しみは存在することができず、報復には何の意味もない世界を発見することは損失でしょうか。
あなたが本当に欲しいもののすべてを発見することは損失でしょうか。
そして、それらのものには終わりがなく、時間が存在する間はずっとあなたがこうであってほしいというまさにその状態であり続けると知ることは損失でしょうか。
しかしながら、それらのものですら私たちが語ることができないものと遂に交換されるでしょう。
というのは、あなたはその場所から、言葉がまったく機能しない場所へと移動し、言葉はまったく語られることがなく、それでいて、確実に理解されている沈黙の中へと入っていくからです。
from 「奇跡講座」 「神」の神聖な「子ども」である私に安らぎがありますように。
私と一つである私の兄弟に安らぎが訪れますように。
この世界の全てが私たちを通して安らぎで祝福されますように。
「父」よ、私が与えるのは「あなた」の安らぎですが、それを私は「あなた」から受け取ります。
私は「あなたの子ども」です。永遠に「あなた」が私を創造されたままの状態であり続けます。
というのは、「偉大な光線」は永遠に静かに、いかなるものにも煩わされることなく私の内部にあり続けるからです。
私はそれらの光線に沈黙したまま確信をもって手を伸ばします。というのは、それ以外の場所には確実性を見つけることはできないからです。
安らぎが私に訪れますように。そして、安らぎがこの世界のすべてに訪れますように。神聖性の中で私たちは創造されました。
そして、私たちは神聖性の中にあり続けます。「あなたの子ども」は完璧な無罪性ということにおいて「あなた」と似ています。
この思いと共に、私たちは喜んで、“アーメン”と言います
from「奇跡講座」 人間にはどうにもならない事を
なんとかしてくれる人がいないかと
人間が創った文化が神様 神様います
見たことあります
伊勢神宮の凄い力のある方で
変な写真が撮れてしまったので、見てもらったら
写ってはいけない神様でしたm(*_ _)m まず、信仰もないのに神頼みするような人達が思う神はいない。
まるで困ったときの親頼みのように、都合よく奇跡を起こしてくれる だだっ子を甘やかす神などいない、更なる試練か神罰くだるだけ。
悲惨な事故事件をみて 神が居るならこんなことを看過するはずない!てのも間違い。それは人同士が信仰も持たずに勝手に争った 神にとって忌むべきことであり、人間が解決せねばならない信仰以前の問題。神の試練ですらない。 神、又は使徒や神の子と云われる代弁者、預言者は神の教えを語っている。
神の指示であり、それを成せば約束のものを与える、と。
神頼みしたら何でも助言助勢解決するなどこれっぽっちも言ってない。
神を信仰し、神の試練を乗り越え、神に認められるようになってこそ お願い にも耳を傾けてくれる。
だから宗教の信者たちはひたすら神の教えを遂行すべく修行している。 つまり、信仰もなく欲でも希望でも人間の勝手な願いを叶えてほしくば
取引してくれる神の敵と通ずるしかない。
現状、ほとんどの人間、宗教に入信しているものでさえ 悪魔に祈りを捧げている。
我欲を満たすためにそれらしきことをして、後はよろしく!まだ?まだいるの?!頼んだよ!もう!
もちろん悪魔すらこんなのは相手しない。だって神を侮辱して悪魔が手を下すまでもなく 神の敵となっているから。 死は存在しません。「神の子」は自由です。
死はひとつの思いであり、数多くの形をとりますが、多くの場合、認識されることはありません。
死は、悲しみ、怖れ、心配、あるいは、疑いとして現れるかもしれません、
怒り、信仰心の欠如、信頼の欠如として現れるかもしれません。
肉体に対する心配、羨望、あなたが今そうでないものになりたいという願望があなたを誘惑するためにとるあらゆる形で現れるかもしれません、
このような思いのすべては、死を救い主として、解放を与えてくれるものとして崇拝することの反映にすぎません、
怖れの体現、罪の宿主、罪人の神、あらゆる幻想と欺瞞の王である死という思いは、確かに強力に見えます。
というのは、死はすべての生命あるものを自らの腐食した手の中にもっているように見えるからです。
あらゆる希望や願望をその生命を枯らす手で握りしめ、すべての目標を視力のない目で知覚しているように見えるからです。
脆弱な者、絶望している者、病める者は、それだけが実在的であり、不可避的であり、彼らの信頼に値すると考えて、死のイメージの前に頭を垂れます。
というのは、死だけが確実にやってくるからです。
死以外のものはすべて不確実であると見られます。
やっとのことで手に入れたとしてもあっという間に失われ、その結果は不確かであり、それらがかつて生み出した希望は裏切りがちであり、その航跡には希望や夢の代わりに塵と灰汁の味が残ります。
しかし、死は当てにすることができます。
というのは、それが到着するときには確かな足取りでやって来るからです。
死は、それ自身に対する人質としての生命を奪うことに決して失敗することはありません。
あなたはこのような偶像に頭を垂れるのでしょうか。
ここでは「神ご自身」の強さと力が、塵でできている偶像の中にあると知覚されているのです。
ここに、「神」と正反対のものがあらゆる創造物の主として宣言されており、生命を支持する「神の意志」よりも強いとされ、終わることのない愛と、「天国」の完璧で不変の恒久性よりも強いとされているのです。
ここにおいて、「神の意志」と「神の子」の意志はついに打ち破られて、死が神聖な「神の子」の肉体の上に置いた墓標の下に休息するべく横たえられているのです。 敗北して神聖な存在でなくなった彼は、死が彼にこうなってほしいと望むものになったのです。
死が自ら書いた彼の墓碑銘には彼の名前はありません。
というのは、彼は塵になったからです。
墓碑銘には次の言葉が書かれているだけです。
”ここに「神」が死んだことを証言する証人が眠る”。
そして、死はこれを繰り返し、繰り返し書きます。
その間に、死の崇拝者は同意し、額を地面につけてひざまずきながら、恐ろしそうに確かにその通りだとささやくのです。
いかなる形であれ死を崇拝しながら、大切にしたくない形や避けたい形を少数選び、一方で残り全部の形を信じるということは不可能です。
というのは、死は全体的であるからです。
すべてのものが死ぬか、それとも、彼らは生きて、死ぬことはあり得ないかのどちらかです。
いかなる妥協も不可能です。
というのは、ここには再び明確な立場があり、私たちが正気でありたいならば、この立場を受け容れなければならないからです。
一つの思いと完全に矛盾するものは、その正反対のものが誤っていると証明されなければ、真実ではあり得ません。 「神」の死という考えは、あまりにも途方もないものであるために、狂気の者ですらそれを信じることに困難を覚えるでしょう。
というのは、それは「神」はかつて生きていたけれども、なぜか死亡した、どうやら「神」が生き残ることを望まなかった人々によって殺されたらしい、ということを暗示するからです。
彼らのより強い意志が「神の意志」に勝利したのです。
そのために、永遠の生命が死に道を譲ったのです。
そして、「父」と共に「子」も死んだのです。
死の崇拝者たちは恐れているかもしれません。
しかしながら、これらの思いが恐ろしいということがあり得るでしょうか。
もしも彼らが、自分たちが信じているのはこれだけだということを見て取ったならば、彼らは一瞬のうちに解放されるでしょう。
そして、あなたは今日これを彼に示すのです。
死は存在しません。
そして、今、私たちは彼らの救いと私たちの救いのために、あらゆる形の死を放棄します。
「神」は死を作られませんでした。
したがって、死がどのような形をとろうとも、それは幻想であるに違いありません。
これが、今日私たちがとる立場です。
そして、私たちは死を見過ごして、その彼方にある生命を見ることができます。
私たちの「父」よ、今日、私たちの目を祝福してください。
私たちは「あなた」のメッセンジャーです。
私たちは、すべてのものの中に輝いている「あなたの愛」の栄光に満ちた反映を見つめます。
私たちは「あなた」の中においてだけ生き、動きます。
私たちは「あなた」の永遠の生命から分離してはいません。
死は存在しません。
というのは、死は「あなたの意志」ではないからです。
私たちは、「あなた」が私たちを「あなた」と同じような存在として永遠に「あなた」の一部とするために置かれた場所、すなわち、私たちが「あなた」および生命あるものすべてと共有する生命の中に住んでいます。
私たちは「あなたの思い」を私たちの思いとして受け入れます。
そして、私たちの意志は、永遠に「あなたの意志」と一つです。
アーメン。
奇跡講座からでした 「最後の審判」とは何でしょうか
「キリストの再臨」は「神の子」に以下の贈り物を与えてくれます。
すなわち、「神を代弁する声」が、間違っているものは間違っており、真実であるものは決して変わっていないと宣言するのを聞くことです。
そして、これが審判であり、これにおいて知覚が終焉します。
最初にあなたは、これを真実であり、今や修正されたマインドから投影されたものとして受け入れた世界を見ます。
そして、この神聖な視力によって知覚は沈黙の祝福を与え、それから姿を消します。
知覚はその目標を達成し、その使命を完了したのです。
この世界に対する最後の審判は、いかなる有罪判決も含んではいません。
というのは、それはこの世界を完全に赦され、罪もなく、まったく何の目的もないものとして見るからです。
原因がなく、そして今や「キリスト」の視力からすると一つの機能もなく、この世界はすっと姿を消して無になります。
この世界は無の中で生まれたのであり、無の中で終焉します。
そして、この世界はそもそも夢の中で始まりましたが、その夢の登場人物のすべてもこの世界と共に姿を消します。
今や肉体は無用となり、したがって、徐々に姿を消すことになります。
なぜなら「神の子」は無限だからです。 「神の最後の審判」はこの世界に有罪判決を下して、あなたも一緒に地獄に落とすだろうと信じていたあなた、次に述べる神聖な真実を受け容れてください。
「神の審判」は、「神」があなたのすべての過ちに与えた「修正」の贈り物であり、それによってあなたをそれらの過ちから解放し、それらがもっているように見えたすべての結果から解放したのです。
「神」の救いの恩寵を恐れることは、苦しみからの完全な解放を恐れ、安らぎと安全と幸せに戻ることを恐れ、あなた自身の「帰属意識」との結合を恐れることに他なりません。
「神の最後の審判」は、「神の子」を祝福し、「神」が「神の子」と共有される永遠の安らぎに戻るようにと彼に呼びかけるという、「神」が指定された計画の一歩一歩と同じく慈悲深いものです。
愛を恐れないでください。
というのは、愛だけがすべての悲しみを癒し、すべての涙をぬぐい去り、「神」が「ご自身の子」と認めている「子」を苦痛に満ちた夢から優しく目覚めさせることができるからです。
これを恐れないでください。
救いはあなたがそれを歓迎することを依頼しています。
そして、この世界はあなたの喜びに満ちた受容を待っており、それはこの世界を解放するでしょう。
以下の言葉が「神の最後の審判」です。
”あなたは今も「私」の神聖な「子」であり、永遠に罪のない存在であり、永遠に愛にあふれ、永遠に愛され、あなたの「創造主」のように無制限であり、完全に不変であり、永遠に純粋です。
そういうわけですから、目を覚まして「私」のもとに戻ってください。
私はあなたの「父」であり、あなたは「私の子」なのです”。
奇跡講座からでした 使えない的外れな話しかしてねえなバアルとヤハウェとエンキやエンリルやマルドゥクに多神教と一神教の話にも触れないのか? >>507
一神教が本当なら神は人間に嘘をついていることになる
多神教なら神とは超人であり全知全能ではない
共通して言えるのは、神は人間の都合など考えていないこと
宗教のほとんど、いや全部が神の認識をわざと間違えて人間、金に都合よく利用して神を冒涜していること。しかし天罰はない。 悪魔を信仰している、させられているが濃厚。そして神は法則という絶対者として傍観するのみ。 >>508
順番が逆じゃね?神の概念は超人から存在しない神にすり替えられたが自然じゃね?
スーパーマンの世界のようにさらに上の存在みたいにいるのかもしれないが元は超人信仰が誤魔化されてるのが順序として正しいんじゃね?
さらに昔に世界をプログラムしたマジ神の信仰があったなら超人が神に成り代わった上で自分たちの姿を消して一神教で騙すってのも考えられるけど堂々巡りだよな >>512
それは物理と数学が神で超人=英雄が神聖化された創られた神、つまり神はいないって立場だろ?
人間にとっては神と呼んでも差し支えない超人は居る可能性はある。生命体ではない可能性高いが。 貴方の神は貴方のすぐ後ろにいます
しかし鏡にもカメラにも写らないし他人にも見えません ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています