幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその28 [無断転載禁止]©2ch.net
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幽霊はいるのかいないのかを議論してるようなしてないような、罵りあってるだけの気もするようなしないような、そんなスレです
リターンズ略してRにしてますw
ルールは今のところ1つ
・ 基本的に幽霊や霊に関する話をしてください
脱線し過ぎて何のスレか分からなくならないように
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※前スレ
幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその27
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1500400362/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>977
NHKスペシャル 超常現象 科学者たちの挑戦とか、
スイス工科大学 幽霊 気配 実験でググるとか。
人魂は全てプラズマだっていうのは馬鹿馬鹿しいのと同じで
これで幽霊の正体が解明されたわけでもないが
単純に読み物、番組として面白いよ。 >>974
確かに、幽霊は「本当にいるのか(いないのか)」なのですが。
それならば、「本当に居るのか」の「居る」とはどういう意味な
のですか? 「本当の幽霊は存在するか、しないか」と言った
ほうがよさそうな気もします。 >>979
それは触れてはいけないw スレをどうやって伸ばすかという戦略。
当初は、物理的に存在するといえるか?みたいな感じだったけど
そうすると、肯定派の方々を呼び込めないから曖昧に後退させる戦略w
だったと思う。 >>980
そうなんですか。か学的に考察スルスレでは、幽霊は”いる”なんて書くと叩かれそうだった様な? >>979
議論の帰着点をこのスレでは「社会的な合意」と定めているわけですから
「本当に居る」の定義も、社会通念に照らして「=現実的に存在する」と考えるべきでしょう。
その意味では、「本当の幽霊」以外は「幽霊」とは言えないわけですから
「本当の幽霊は存在するか、しないか」というテーマは成り立たないと思います。 幽霊は文化的に怪談や芝居、ホラー映画などの中に存在する
あと「幽霊」というと難しくなるが、霊魂の概念はお盆とか墓参りとかにみるように
宗教的、社会学的に存在する・・・まあここまでは異論のある人は少ないだろう
では幽霊は科学的に存在するか・・・やっぱり異論が出るのはこの部分だろうな
まあ、幽霊は科学とはまったく別の原理で存在しているという人もいるが
それだと青い猫みたいに他人を説得できるような論は組み立てられない 見たり感じたりして幽霊と認識できるならそれは幽霊って事で良いのでは 幽霊が見えるって目で見るときと違って
脳が情報捉えて映像作り出しそれを見てるって感じだからなあ
国によって幽霊のテンプレ映像が違うのも興味深い ここの肯定派は辞書にある一般的な幽霊の定義
「幽霊とは、 ・死んだ者が成仏できず姿をあらわしたもの ・ 死者の霊が現れたもの」(Wiki)
まず、これに賛同しているのかどうか? それとももっと別の定義を持っているのか? まあでも同じ事を体験しても国によって見えたり感じ方も違うしなあ
幽霊以前に世界中の生きてる人間がわかりあえる道のりすら遠そう >>988
>死んだ者が成仏できず
ここだけ同意しかねる
成仏できる人など稀でしょう >>990
成仏は仏教用語で、同じWikiではこんな定義になってるね
「無上の悟りを開くこと、死んでこの世に未練を残さず仏となること、または死ぬことを指す」
ただし仏教にはさまざまな宗派があるので、各派によってこの定義は微妙に異なるだろうし
仏教徒ではない日本人もいる
だから「成仏」についてはそうこだわらなくてもいいのかもしれない
ただ「死者が姿を現した者」という点は動かせないように思うね
ここを動かすとなんでもありになってしまう >>967
違うな。科学として受け入れられないではなく、
科学が捉えられないだ。 あと残り10レスくらいなので、少し「日本の文化的な幽霊」の話をしてみようか
まず「幽霊」という言葉はそんなに古いものではない
室町あたりの本では「亡魂」となっている場合が多いし、平安時代だと「怨霊」と呼ばれている
例えば、菅原道真が左遷された恨みによって雷と化して祟りをなした話は有名だが
この場合は「怨霊」であったものが、神に祀られることによって「御霊」と呼び名が変わった
ここで昔の文化的な幽霊の大きな特徴は2つあると考える
1つめは「生きていた人が死んでから幽霊になる」ということ
上で書いた菅原道真もそうだし、お岩さん(四谷怪談) お菊さん(皿屋敷) 累(累ヶ淵)など
生きて実在していた人が幽霊になる
もちろん無名の戦死者などの霊も出てくるが、それらの幽霊もかつて生きて実在した人という前提がある
2つめは「幽霊になる理由」があるということ
幽霊は恨みや未練、執念などをこの世に残しているのということだ
お岩さんであれば夫に惨殺された恨み
飴を買いにくる幽霊であれば、墓場で生まれた子どもに対する気がかりとか
なんらかの理由があって幽霊になるわけだな ところが現代の怪談話ではこの2つの特徴が大きく崩れてきている傾向にある
例えば、怪談では心霊スポットに行って人型の白い影などを目撃すると
「きゃー幽霊だ〜」と叫んで逃げf出したりする
しかし出てきたその白い影は本当に「幽霊」と呼んでいいものなのかどうか
まず、その白い影がかつて名前を持っていた個人であるかどうかが不明である
さらになぜその幽霊がその場に出現するのか、という理由も不明な場合が多い
(その心霊レスポットがかつての古戦場であったり、そこで一家心中があったなど
幽霊が出る理由がある程度説明されているものもある) だからもし「夜道を歩いていたら半透明に透けた人型のものがふわふわ宙に浮いていた」
というような話があったとして、それを「幽霊」と呼んでもいいのだろうかという疑問が当然出てくる
また、「去年死んだおばあちゃんが今年のお盆に仏壇の前に座っていた」というような話だったら
これは生前の名前がわかるので、「幽霊」であると呼んでもよさそうである
この場合、幽霊が出てきた理由としては、お盆なので里帰りしてきたというところだろうか
ここまでで何が言いたいのかというと
一口に「幽霊を見た」といっても、それが「本当の幽霊かどうか」については
昔の基準に照らして信頼度の濃淡があるということだ
だから自分はよくこんな質問をする
この中で「幽霊」と言っていいものはどれですか?
@ 心霊スポットで見た人型の白いもや
A ビルの隙間にはさまっている半透明の人間に見えるもの
B 修学旅行の記念写真に移った、人物の肩に乗った誰のものともしれない手
C 監視カメラに写った、誰もいないのに椅子だけが動いている映像
D 仏壇の前に座っていた、去年死んだはずのおばあちゃん
E 終戦記念日の皇居前に出現した東条英機にそっくりな人物
まあこんなのはいくらでも挙げることができるが
肯定派はこの@〜Eのうちの、どれが幽霊でどれが幽霊ではないと言えるのだろうか
全部の肯定派の意見は一致するのだろうか
もし一致していないのなら議論にならないのではないか
こういう危惧を持つわけだ ここまでは文化的な話であることをお忘れなく
現代の怪談話では昔に比べて幽霊の範囲が大きく広がっている
「あれもこれもみんな幽霊」と言ってもいいくらいだが
こうなった原因で一番大きいのは、なんでもかんでも幽霊や心霊にしてしまうと
話のバリエーションが広がるということじゃないかと思う
幽霊の話はともすれば類型的になりがちである
どっかで聞いたことがあるような話が多くなってしまうので、
だんだんに「幽霊」の範囲が広がっていったと考えられるのではないか
これは怪談の作者にとってはたいへん都合がいいことだな
その他にも理由はいくつか考えられるが、まあここらへんにしておこう レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。