自閉症状がある人にとっては世界の中心に位置する自分だけが主観を持つ孤独な存在であり、
世界の他者も主観を持っているという認識が欠けている。

この為、自閉症状がある人にとって、
他者は自分にとって世界の登場人物であり、全ての人間を自分に関連付けた存在として認識する。

例えば自閉症者は、
「私がコンビニに入ったから、知り合いがコンビニに入ってきて、私の顔を見たんです。」
と他者を自分の世界の登場人物として見て、全て自分の世界に関連付けて解釈する。

しかし実際はその知人にも主観があり、
知人にとっては彼が世界の中心に位置しているという自然な感覚が当然あり、
彼から見ればその自閉症者の方が登場人物だ。
そして彼はその自閉症者の感覚については全く感知できないから、
自閉症者が
「私がコンビニに居たから、入ってきて私の顔を見ましたね」自分に関連付けて彼に言っても、
彼は「あなたの事は全く意識していないしあなたに興味はない」と言うでしょう。

人と会話する際、

自分が主観世界の中心に位置していると、自分の自然な感覚がそう言っているし、
相手は自分の世界の登場人物に見えるし、他者の感覚は自分には無感覚だ。

しかし実は相手も主観世界を持っており、
他人にとっては彼が世界の中心に居るという自然な感覚が当然あり、
相手にとってはあなたが世界の登場人物に見えるし、あなたの感覚は他者には無感覚だ。

互いに自分が世界の中心に居るという自然な感覚を持つ主観世界があるという、
双方の認識がある状態での会話を、相互主観性の認識を持ったコミュニケーションと言う。

このコミュニケーションにおける他者との相互主観性の認識を獲得することが、自閉症状がある人の最終的なゴールです。