ネコリブ!
ここは犬人間の町。
犬人間達は何も疑わず、社会の定めに従順に生きていた。
しかしある日、主人公『中田ポチ』はひょんなことから不思議なサングラスを拾う。
そのサングラスを通して見た町は、猫のような姿のエイリアン達が犬人間に紛れて社会を支配していた。
ジョン・カーペンター「ゼイリブ」みたいな感じで、出来るだけほのぼのお願いします。 家へ帰るとポチはすぐに布団をかぶった。
「なな何かがおかしい。おかしいだわん」
今日は大好きな晩酌もせず、TVも観ずに早く眠ってしまいたかった。
「あんなもの……! あんなもの……!」
拾わなければよかったと思いながら、テーブルの上に置いたサングラスを見た。
しかし忌々しく思いながらも、それを捨ててしまうことはどうしても出来なかった。 コンコンと窓をノックする音がした。
びっくりして起きて見ると、さっき帰り道で出会った灰色の怖い顔をした男が窓から覗いている。
「ひゃうあ!?」
ポチは慌ててスマホを取った。
「けけけ警察! 警察!」
しかしあの目の大きな恐ろしい顔の警官の顔が今度は頭に浮かび、電話するのが躊躇われた。 窓を割って入り込んで来るんだろうか?
誰か助けてわん!
ポチが布団をかぶってそう考えていると、やがて男の気配が消えた。
恐る恐る覗いてみると、窓から灰色の男は消えていた。 次の朝、ポチは玄関の扉をなるべくそっと開けた。
あの男が待ち伏せでもしてるんじゃないかと思ったのだが、誰もいなかった。
ポチはほっと息をつくと、いつものように明るい顔で会社へ出かけた。 会社へ行くまでの道、ポチはずっとサングラスが外せなかった。
少ないが、犬人間に混じってあの目の大きな化け物はいた。
また、何かの広告や看板を見るたびに、そこにサングラスをかけていなければ見えない文字が浮かび出た。
求人広告の看板には『あなたの暇、潰します』。
道路標識には『犬人間の暇潰しのため、自然資源を使い尽くせ』と浮かび上がった。 しかし管理者側にしか目の大きな化け物はいないと思っていたら、意外にも庶民の中にも混じっていた。
ポチが満員電車に自分を詰め込むと、目の前の女性がスマホを見つめているのを見た。
女性は耳がとんがり、丸い顔をしていて、巨大な目でつまらなさそうにスマホを見つめていた。
『ひゃあ……こんなに近くで初めて見ちゃった』
ポチは思った。
『でもあれ……? 意外にかわいいかも……?』 鈴川タマは満員電車の中でぎゅうぎゅう押されながら、スマホの画面を見つめていた。
妄想実現シミュレーションゲーム『女のハーレム』をプレイしているのだ。
(あ〜。こんな国に行きたいな)
タマは寂しそうな目をして思った。
(私が人生の主人公、私は特別な犬人間で、イケメン達はすべて私の魅力にひれ伏すの) タマは怖くなってきた。
さっきからサングラスをかけた怪しげな人が自分の顔を上からじっと見つめているのだ。
『痴漢だ……!』
タマは逃げようとしたがここは満員電車、逃げられない。 「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
上から荒い息とともに男のヨダレが降って来る。
満員電車の中が暑いのだ。 ポタポタポタとタマの頭にヨダレの雨が降り注ぐ
ハァ、ハァ、ハァ……はだんだんと小刻みになり、ハッ、ハッ、ハッ……に変わる
ああ……死にたい……
タマは自分の存在をどんどん殺して行った 「どっ、どうもすみません!」
ようやく自分の無礼に気づいたポチは、鞄から雑巾を取り出すとタマのびちょびちょになった顔を拭いた。 タマは電車の扉が開くと、降りる駅でもないのに飛び出して行った。 ポチ「あっ……! あの……!」
タマは自分のスマートフォンを落として行った。 ポチはタマのスマホを持ち帰ると、中身をじっくりチェックした ポチ「はっ!? ボクは何をやってるんだわん!?」
ポチは我に返った。
「はっ、早く……一刻も早く交番に届けないと、ボクが中を覗き見たようになってしまう!」
しかし交番へ行こうとすると、あの警官の顔が浮かんだ。
怖いし、サングラスを着服しているせいで挙動不審になったらどうしよう。
そこへ突然、タマのスマホが聞いたこともないアーティストの曲の着メロで鳴り出した。 相手は番号だけで名前は表示されていない。
ポチは恐る恐る電話に出てみた。
(持ち主がかけて来たに違いないわん。どこかで待ち合わせて返すわん)
しかし電話の主はタマではなかった。 電話の主は言った。
「もしもし、おじさんだよ」
「えっ?」
ポチは思わず声を出した。
「その声……! タマちゃんじゃないね? タマちゃんの……お兄さんかい?」
「えっ? いえ……」
「まさか彼氏なわけないし……。じゃ、弟さんだね?」
「そっ……その……」
ポチは正直に答えた。
「赤の他人です」 「赤の他人がなんでタマちゃんの携帯に出るんだい?」
「その……ひろ……」
「広い世界にはそういうこともあるって言いたいのかい? ねーよ!」
「あの……。ひろったんです」
「あーーっ! てめぇ、もしかして俺達のファンだな?」
「は?」
「いーよ。聴きに来いよ。待ってっからよ。場所はスピッツ通りのミスアダムって店だ」
「えーと?」
「待ってっから。ケータイ持って8時までに来い」 電話を切り、ポチは行くべきか迷った。
しかしこれがスマホを返すチャンスなのには間違いがなかった。 ポチは夕方6時に家を出た。
出る時にあの灰色の男がいないかどうか確認したが、あれ以来付きまとって来てはいなかった。 指定された『ミスアダム』に行くと、日雇い風のおじさんがアコースティックギターを抱えて歌っていた。 良かった事だけ思い出して
やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で
今 動き出そうとしている
歯車のひとつにならなくてはなぁ
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ
出典: http://www.utamap. おじさんの熱唱するMr.Children『くるみ』にポチは涙した。 「染みるだろう?」
隣の客が話しかけてきた。
「ひでぇ声だし、うまい歌でもないし、汚ぇ50歳代のオッサンなのに、染みるだろう?」 「ええ……何でなんだろう」
ポチは涙を拭いながら答えた。
「ぼく、まだまだ若いつもりなのに……何であんなオッサンの歌がこんなに染みるんだろう」 「さぁな。たぶんだが、アンタはあのオッサンの歌に未来の自分を重ねているのかもな」
客は言った。
帽子を被り、サングラスをしているので顔も年齢もわからない。
「あのオッサンは自由が欲しいんだ。この管理社会の中で、個人になりたいんだよ」 「? はぁ……」
ポチは意味がわからなかったし、面倒臭そうだったので生返事で答えた。
ぼくは今、充分自由ですけど? 尾崎豊じゃあるまいし。 ポチはサングラスをかけて来たのだが、この店の中にはあの目の大きな化け物はいなかった。
それどころか不思議なことに、どの看板、どのポスターを見ても、あの変な文字は浮き上がらない。
「わかるかい?」
隣の客が言った。
「変なものが見えないだろう、この店の中は?」 はっとして客の肌の色をよく見た。
店の中が薄暗くて気づかなかった。
灰色だ!
「なんかオレのことを怖がってくれたみたいだねぇ?」
客がサングラスと帽子を外すと、あの恐ろしい顔をした灰色の男だった。
「中田ポチくん……だよな?」 逃げ出そうとしたポチの襟を掴み、灰色の男は言った。
「タマのスマホを返しに来たんだろう? バンドのライブが終わるまでここにいろ」
ポチは灰色の男と並んで座りながら、暫くライブ演奏を聞いた。 「俺の名は大神イヅル」
灰色の男がおもむろに言った。
「お前の敵じゃあねーよ。むしろ味方、かな?」 ライブを終えるとギター兼ボーカルの日雇い風のおじさんがイヅルのところへやって来た。
「よう大神っち。ソイツかい?」
「あぁ、コイツだ」
大神イヅルは言った。
「タマのスマホを拾ったのも、あのサングラスを拾ったのも、コイツだ」 ポチはこれから何をされるのかと怯えるしかなかった。 「俺は星谷しげるだ」
日雇い風のおじさんは自己紹介すると、今までかけていなかったサングラスをかけた。
「これかけっと変なモン見えるだろう?」
「タマのこと……」
大神イヅルが言った。
「これ……かけて見たか?」 二人はお揃いのサングラスをかけて並び、ポチを見た。
「あう……」
ポチは怯えた、自分もお揃いのサングラスをかけながら。 「心配ねーよ」
星谷しげるは歩きながら言った。
「アイツら別にお前のこと殺したりしねーから」
外の空気はもやもやとしていた。
春の中に夏の鬱陶しさが混じっていた。
「あの」
ポチは思い切って聞いてみた。
「あれ、何なんですか。目のやたらと大きな……」
「ネコさ」
大神イヅルが答えた。
「俺達犬人間とは別の生き物だ」 「う……宇宙人とかなんですか?」
ポチが聞くとしげるもイヅルも「う〜ん」と考え込んだ。
「わからん」とイヅルが答えた。
「宇宙人……では、ないだろなぁ」しげるが答えた。 「とりあえずネコは何故か犬人間に紛れて暮らしている」
イヅルが話し始める。
「しかし犬人間に色んな奴がいるように、ネコにも色んな奴がいる」
「じゃあ、姿が違うだけで、ボクらと同じような生き物ってこと?」
「いや。微妙に違うんだな。奴らは総じて頭がいい。脳ミソの大きさに反比例して知能が高いんだ」 「そしてこれがオレらと違うネコの一大特徴だが……」
ポチはイヅルの話をSF物語を聞くように聞いた。
何だろう。あの大きな目からビームとか出したりするんだろうか?
それとも犬人間に寄生して操るとか……。
しかしイヅルの話は全然違っていた。
「ヤツらはルールに従わない。ワガママ勝手で自由なんだ」 「とは言えまったくの自由ってわけじゃなく、他人の言いなりにはならず、マイルールを持っていてそれを使いこなすんだ」
「はぁ……」
ポチはあまりのスケールの小ささに拍子抜けした。
「だから社会的に成功したネコは、他人とは違った自分のルールを称賛され、天才と呼ばれる」
「はぁ……」
「逆に成功しなかったネコは、社会のルールに順応できないただのバカと呼ばれるんだ」
「はぁ……」
「今から訪ねて行くタマなんかは完璧に後者。言わば社会の落ちこぼれさ」 「えっ!? 今からその、ネコ? のところに行くんですか!?」
「たりめぇーだろ」
しげるが巻き舌で言った。
「スマホ返さにゃーだろがボケっ!」 4度目の呼び鈴でようやくドアが開いた。
いかにも安そうな賃貸住宅の2階に鈴川タマは住んでいた。
おどおどと現れたその顔は、サングラスをしていないと普通にマルチーズだった。
一番地味な、ちょっと薄汚れた印象のある白いマルチーズだ。 「なっ、何? どうしたの、おじさん?」
タマは星谷しげるの顔だけを真っ直ぐ見ながら、聞いた。
「コイツがよぉ、おめーのケータイ拾ったっつーんだわ」
しげるの言葉にタマはポチの顔を振り向いた。
サングラスをしていないせいか、あの時の電車の客だとは気づいていないようだ。
ポチはぺこりと挨拶した。
「中へ入っていいか?」
イヅルが聞くと、タマは嫌そうな顔をしながら笑い、言った。
「どうぞぉ〜」 タマの部屋は滅茶苦茶だった。
ポチはこんなに汚い人間の部屋を初めて見た。
自炊しているらしく、ガスコンロの周りは油の層が出来ており、化石のようにゴキブリの死骸が埋まっていた。
風呂場の前には上着も下着もしっちゃかめっちゃかに絡まり合い、布の岩のようなものが積み上がっていた。
奥の寝室兼居間に進むと、コンビニ弁当のカスやら雑誌やら靴下やらで足の踏み場もない床になんとか隙間を見つけて3人は腰を下ろした。
ポチが座るところを開けるために手に取って退けたDVDは女性監督によるアダルトビデオらしかった。 「どうぞ」
と言ってタマが3個の紙コップにインスタントコーヒーを淹れて来たが、誰も口をつけなかった。
「あ……、これ……」
そう言ってポチが差し出したスマホをタマはぶん盗るように受け取った。
「ありがとうございます。……で、どこで?」
「ああ……。その、電車の中で拾いました」
「……そうですか」
会話は途切れ、部屋の中に沈黙が漂った。