リレー小説「中国大恐慌」
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2018年11月21日、中国東部を超巨大規模の停電が襲った。
北京周辺から上海周辺にかけて、地上から電気が消え、人々はパニックに陥った。
これはそんな架空の中国が舞台の物語である。
主人公の名前は李青豪(リー・チンハオ)。
29歳の青年である。通称は「ハオさん」。
愛称は「ハオ」。 街外れの地下倉庫にハオはやって来た。
案内役はズーランの舎弟でジェイという20歳のイケメンだ。
鉄の階段を降り、重い扉を開けるともう100人を超える人で賑わっていた。
周りには酒や料理を売る屋台がいくつか並び、様々な客層が取り囲む中心には金網が設けられていた。
ジェイが説明する。
「あの金網の中でファイトすんねん。ファイターは素人からプロまでピンキリや」
「方言きついな。出身どこ?」
「東京や」
「日本人!?」
「ファイターは勝てば相手の強さに応じたファイトマネーが貰える。相手がプロなら勝てる見込みは少ないけど勝てばガッポガッポや。
逆に素人なら勝ちやすいけど、勝っても1元ぐらいしか貰えへん。まぁ、それでもやる価値はあるからな」
「価値?」
「観客はどっちが勝つか賭ける。ファイターも自分にのみ賭けることが出来る。対戦相手に賭けることは出来んルールや。
自分に大金賭けて、頑張って勝てば、何倍、何百倍になるからウハウハや」
「へぇ……でも……」
「もちろん八百長は多い。ごっつ多い。半分ぐらいは八百長ちゃうか?
仲間に相手に賭けさせといてわざと負ける。おまけに対戦相手もグルやから痛い目にも遭わん。ま、やり過ぎるとシャオに目ェつけられるけど」
「なるほどね」
「そのシャオでも八百長はよくやる。素人相手にわざと負けたりする。相手のオッズがごっつぅ高くなっとると、儲け時やからな。
まぁ、賭けにならんほどシャオが強すぎるゆーのもある。これから行われる試合がガチか八百長か予想するのもこのゲームの楽しみ方や」
「あ、一戦目が始まるな」
金網の中にヘッドギアとグローブをつけた二人のオッサンが入った。どう見ても二人とも素人だ。
ゴングが鳴ると、二人とも猫のように相手を威嚇しはじめる。
「コノヤローッ!」
「ざけんじゃねーぞッ!」
「部長が何だボケのくせによー!」
「俺はお前の宿主じゃねーよ寄生虫がッ!」
ハオは少し呆れながらそれを眺める。
「明らかに目の前の相手に対する威嚇じゃねーな……」
「たぶん、ハゲのオッサンは会社の部長、ヒゲのオッサンは奥さん相手やね」
ハゲが仕掛けた。腰を引かせながらおっかなびっくりのパンチで様子を窺う。
ヒゲは必要以上にビビり、足で追っ払おうとする。
こんな試合でも観客は大盛り上がりだ。
「ハゲー! お前に70元賭けてんだー! かませー!」
「ヒゲー! 負けやがったら賭けた80元返して貰うからな!」
「ストレス解消でファイトに参加してる奴も多いの?」ハオが聞く。
「ま、素人はほとんどやね」ジェイは答えた。「こんな風に誰かと思い切り殴り合える機会なんてなかなかないしね」
ハゲが大振りのフックっぽいパンチを放つ。ヒゲはビビりまくって足を滑らせ倒れた。そのうえにハゲが馬乗りになる。
「あちゃー。ルールちゃんと聞いとんのかいな」ジェイが目を覆った。
金網の外からレフェリーがハゲの反則負けを言い渡した。
「倒れた相手への攻撃はすべて禁止や。特に馬乗りは一発負け」
「メモメモ」
「まぁ、基本的に散打ルールやと思っとったらええわ」
「ほう」ハオはちょっと乗って来た。「散打王を目指す俺様に相応しい舞台だな」 「にしてもメイファンとかいうちょっと微妙な見た目の子、最近見ないな」
とジェイが話題を振ってみる 「ま、参加登録しとこ。こっちへ」
ジェイについて行くと試合参加窓口があった。対戦相手はお任せにすることも、指名することも出来るようだった。
「えーと対戦相手にジンチンを指名したい」
「いきなりそいつぁ出来ねーよ」
狭い窓口の向こうをよく見るとシャオ・ホンフー当人が受付をしていた。片目でギロリと睨んで来る。
『大丈夫だ、俺の変装は完璧だ』
「初めてだろ? まずランクの低い奴とデビュー戦済ませてからじゃねぇと高ランクとの試合はやらせねぇ」
「あ、そうなの?」
「なんかそのマヌケな喋り方、聞き覚えあんなァ……」
「あああののの。じゃあ、お任せで」 4戦目、ハオのデビュー戦がやって来た。
「はいはい皆さん静粛に騒げー」シャオの舎弟の『爆発頭』がマイクを持つ。「4戦目、こいつが最後の素人バトルだー」
スキンヘッドのいかつい体格をした対戦相手が金網に入った。
「皆さんご存知、最強の素人ー! 本業は日雇い労働者、殺人チョップの柳! 雲平〜!(リウ・ユンピン)」
柳はリウ・パイロンの真似なのか、グローブを頭の上で何度も打ち鳴らした。
「はい、御愁傷様〜。対戦者は本日デビューのマスクマン、その名も……ブルー・リー〜〜〜!」
青い仮面をつけ、青いハンチング帽を被ったハオが金網に入る。面倒臭いので登場アクションは何もやらなかった。
「ハオはん、負けられまへんで」ジェイが呟く。「っていうかパンチ一発でも貰たら仮面も帽子も取れて、シャオにバレバレやでぇ」 『お兄ちゃん、合体後の初ファイトだねっ』ララがウキウキした声で言う。
『おう、しっかり操縦してくれよ』
『任しときっ!』ララは張り切って操縦桿を握りしめた。
ハオの全身を青い『気』が包み込む。
果たしてそれが見えた者が会場内に一人でもいたであろうか? 「お兄さん、マスクマンとは珍しいね」柳が言った。「何か顔出しできないワケが?」
「まーね。本当はすっぽり被れるマスクとかあればよかったんたけど」
ゴングが鳴った。
「ズズの部屋にこれしかなくて……。仮面舞踏会みたいなヤツ。まだストッキングでも被って来たほうが……あっ」
ハオはいつの間にか柳にタックルされ、腰を掴まれていた。
「ちょっとタンマ。お喋り中に攻撃して来るなんて卑怯だよぅ」
柳がハオを持ち上げる。
「ララ、ごめん。床に叩きつけられて終わりだわ、これアッハッハ」
柳がハオを床に叩きつける。
しかしハオは柔らかく身体をしならせると、床に手をつき、相手の力を利用して足で柳の身体を逆に投げ飛ばした。
「ぐへぇっ!?」
予想外の一発KOに会場はしんとなり、とうやらハオに賭けていたらしい女の子が喜んで騒ぐ声だけが響いた。
「万馬券出たかな?」ハオはしんとする会場へピースサインで応えた。「返し技、捌きのことならこのリー様にお任せ〜」 「ほらよ、ファイトマネーは2000元(約3万2千円)だ」
窓口に行くとシャオから直接金が渡された。
「なかなかいいファイトだったぜぇ」
「じゃあ、続けてジンチンと……」
「1日複数ファイトはやらせてねぇ。また明日、来な」 続いてプロが舞台に上がる。
現役格闘家、軍人、不良警察官、そして殺し屋などである。 「プロとか言っても2流3流ばっかだなぁ」
ハオは次々と出て来る怪しげな武術家や格闘家の試合をネギ餅を食べなから観戦した。
「しかもジェイの言う通り半分ぐらい八百長だな」
少林寺の拳士みたいな格好をした男が波動拳みたいなのを放つと、いかにも私殺し屋ですみたいなオッサンが吹っ飛ばされる。
しかしそういうインチキ臭い試合ほど観客は喜び、沸き上がった。
「さて」ジェイが言った。「メイン・イベントやでぇ」
金網の中にデブが入る。爆発頭がマイクを持つ。
「お待たせしましたぁ〜! 最強のデブ、ぶよぶよ戦士、このアホ面に騙されるな! 永遠のNo.2ファイター、ヤォバイ・ジンチン〜〜〜!」
「フルネームそんななんだ?」ハオは呟いた。
「ボクら日本人には『ヤバいちんちん』にしか聞こえへんですわ」ジェイが告白した。
「本日の可哀想な挑戦者はこのジジイだ! 飲めば飲むほど強くなる! 酔拳使いの老いぼれヒットマン、福山酒鬼(フーシャン・ジョウグェイ)〜〜〜!」
赤いマスクをつけた老人がおどけた踊りを躍りながら現れ、金網の中に入った。
「あれ?」ハオが驚く。「あれって、ジャン・ウーじゃ……?」
「ウーちゃんだー」ララが認める。「頑張れー」
「あのジジイ、メイファンが殺さなかったっけ?」
「ウーちゃんはそういう人なの。死んだと思ってたらいつの間にかまた一緒にご飯食べてる、みたいな」
ゴングが鳴った。
まずはジャン・ウーが腰につけた徳利の酒を飲む。それを眺めながらジンチンはポケットからベビースターラーメンを取り出し、口に流し込んだ。
「ふざけたメイン・イベントだな」ハオが不機嫌そうに言った。
酔っ払った足取りでジャンは相手の攻撃を待つ。ジンチンはぐるぐる飴を取り出し、舐めはじめる。
観客は大いに沸き上がった。
「これによく沸き上がれるな……」ハオはイライラしはじめた。
仕方ないという風にジャンは懐からウィスキーの小瓶を取り出し、あおる。負けじとジンチンは懐から2lペットボトルのコーラを取り出し、あおる。
「帰ろう……」ハオは上着を着ると、立ち上がった。
するとジャン・ウーが仕掛けた。ハイヨーと叫ぶとドラゴン・キックでジンチンの頭めがけて突進する。
しかし立っていると誰もが思っていたジンチンは実は座っていた。立ち上がったジンチンの胸にキックはめり込み、ジャン・ウーの姿はジンチンの体内にずっぽりと飲み込まれた。
「ぅぉー」
やる気のない掛け声とともにジンチンは前へ倒れ、ボディープレスを仕掛ける。
どぱーんという波のような音とともにジャン・ウーは潰れた。そのままジンチンは寝続け、やがてレフェリーがジンチンの勝利を告げた。
「は? ダウンした相手にのしかかるの、反則じゃ……?」
「ダウンした相手にボディープレスはあきまへんけど」ジェイが解説する。「ボディープレスで押し潰した相手にのしかかり続けるのは反則やありまへん」
「うーん……」ハオは少し悩んだ。「ま、俺がアレに負けることはないから、いいか」 「おい、お前」と背後から声を掛けられ、ハオが振り向くとそこにシャオ・ホンフーが立っていた。
ハオがビビって逃げようとすると首根っこを掴まれた。
「ななななんですかー?」
「明日、アレに挑戦するんだろ?」
「ははははい、そのつもりですが……」
「じゃあ明日、18時までに来い。話しとくことがある」
「わわわわかりました」
シャオは片目でニヤリと笑うと、低い声をさらに低くして、言った。「待ってるぜぇ」 その夜、ハオは夢を見た。
ララが自分の身体から抜け出て、夜なべをして何か縫い物をしていた。 死の腹巻である。
とある要人を倒し、彼が持つ鍵(解毒剤)を入手し呪いを解除しないともれなく死が訪れると言う品物なのだ。
タイムリミットはわずか1週間、どうする!? そんな夢から朝目覚めると、枕元に青いマスクが置いてあった。顔をすっぽり覆えるタイプだ。
「ララ……作ってくれたのか?」
ハオは聞いたが、ララはぐっすり眠っていた。
手に取り、よく見ると、目だけが出せるように綺麗に裁縫されており、鼻と口の部分には息苦しくないように薄いメッシュの布が当ててあった。
額にはパステルカラーで『豪(ハオ)』の一文字が刺繍されている。
「……これは……ちょっとなぁ……」 朝7時、ハオはまた昨日の公園にやって来た。
太極拳の套路を集まった皆で行い、終了後、食べ物を貰うのだ。
体操太極拳と違い、正しい型を正しい順序で行う伝統的な套路ゆえ、食べ物目当てのホームレスなどは来ない。
鳩も集う公園で、ハオはゆっくりと皆と同じ動きをする。
「やっぱりここのご飯が一番美味しいね」
ララは笑顔でモォー(中華バーガー)にかぶりついた。
「ララ、マスク、ありがとな」ハオは味覚も満腹中枢もララに全部預け、言った。
「いいってことよー」ララは肉汁を啜りながら答える。「あれ被って頑張って」
「ただ……」
「あの額の刺繍が一番苦労したんだよー」ララは得意そうに言った。
「あの額の刺繍は……」
「カッコいいでしょー? 自慢したくなるでしょー?」
「なんか……何て言うか……正体バレそうで怖いっていうか……」
「え」
「……」
「文句あるわけ?」
「……いえ。有り難くキン豪(ハオ)マンやらせていただきます」 本当は『施設』に帰ってシューフェンの葬儀に出席したいのに……そう考えながらハオがズーランの部屋へ帰ると、ズーランはまだ眠っていた。
そういえば昨夜帰った時、まだ仕事から帰ってなかったっけ。1時に寝たけど、何時に帰ったんだろう?
っていうかズズの仕事って何?
そう思っていると、ハオの気配でズーランは目を覚ました。
「おはよう、ハオ。早いのね」
寝起きのズーランは綺麗な顔をしているが、やはりスッピンだと男である。しかし寝間着はセクシーな紫色のランジェリーだった。
「朝ご飯、食べた?」
「うん。もうララと食べたよ」
「……ララって誰」
「ああ……。犬、犬。昨日知り合った野良犬」
「相変わらず動物の友達だけは多いのね」
ズーランは昨夜仕事帰りに買っておいたらしいサンドイッチを出すと、コーヒーを入れ、食べはじめた。
「アンタのも買ってあるけど、食べる?」
「おう」
二人はテーブルを挟んで黙々とサンドイッチを食べた。東向きの窓から爽やかな冬の陽射しが差し込んで来る。
「昨日何時に帰ったの?」ハオが聞く。
「朝の4時半だったかしら」
「何の仕事してんの?」
「歌手よ」
「歌手!?」
「夜のお店で歌ってんの。自分のお店でね」
「……え。男の歌?」
「歌姫に決まってんだろ」ちょっと男らしい喋り方になった。
「歌オネェじゃねーの……?」
「ハオも今度聞きに来なさいよ。失礼な口を黙らせてあげる」
「ファンとか多いの?」
「本当に失礼な幼なじみね」ズーランは思い出したように言った。「そうそう、口止めしとくわ」
「口止め?」
「アタシの元の性別のこと知ってるの、アンタだけなの」
「元とか言うな、サオあるくせに」
「舎弟も敵対勢力も、皆アタシのこと女だと思ってる」
「バラし甲斐があるな」
「バラしたら殺すわよ」ズーランは本気の目をしてハオを睨んだ。「アタシが女だからこそ今の力関係が保たれてるんだから」
「力関係?」
「特にシャオのところ。武力でいえばウチはシャオ一家にはとても敵わないわ。シャオとジンチン二人で簡単に全滅出来るわね」
「お前がルックス基準で舎弟選んでるからじゃね?」
「そう。だけど、それでもシャオがちゃんと縄張りを守って攻めて来ないのは、なぜだと思う?」
「まさか……」
「惚れさせてんのよ」ズーランは男の顔で色っぽくウインクをした。「こんなにいい女、滅多にいないもんね」 「操縦訓練、開始しまーす」
ララの掛け声とともにハオはロボットのようになる。
人通りの疎らな寺院の裏のひっそりした庭で、ララは操縦桿を引きながらボタンを連打した。
「誰が犬だーーー!」
ハオの身体は千切れるような動きを繰り出す。
「痛い痛い! 無理無理それムリ!」
「キャハハハ面白ーい!」
ハオは脚を高く振り上げながらもう片方の脚で回し蹴りをしながら掌打をキメた。
「おかしいおかしい! こんなの人間の動きじゃねぇ!」
中断して二人はバナナを食べながらミーティングを始める。
「ララさん」ハオが不機嫌そうに言った。「武術の経験はおありで?」
「うーん。格ゲーならそこそこ」
「言っとくけど俺、波動拳も昇龍拳も出せないから」ハオは釘を刺した。「パワーゲイザーもレイジングストームも無理だから」
「浮かせてからのコンボとかは?」
「あーのね……」ハオは頭を抱えた。「ララいないほうが俺、強い気がする」
「リウ・パイロンに勝てるほど?」
「うっ」
「ラン・メイファンに勝てる?」
「あいつらホラ、大怪獣みたいなもんだから……」
「メイが言ってたよ。ハオさんは素質は凄いけど、やる気、気力ゼロだって」
「そんなことはない」
「3分で最強になれる方法があるなら欲しい?」
「そりゃー欲しい!」
「ダメじゃん」
「何がダメなんだ??」
「とりあえず……初心に戻ろう」
「初心?」
「あたしがハオさんの身体を乗っ取ったのは、あたしに強い『気』があって、でも強い肉体がなくて……」
「あっ。そう言えば俺、ララに肉体乗っ取られたんだなぁ。ハハ……」
「あたしはハオさんの身体が欲しかったの」
「なんかイヤらしい言い方だな……」
「あたしの『気』の力と怨念パワーが、ハオさんの肉体に宿れば、最強の怨念戦士が産まれるはずだった……」
「ハハハ、そうなの?」
「なのに何よ、コレ!? どうやったら怨念戦士になれるの!?」
「ならなくてもいいと思うよ〜」
「あたしの怨念が弱まってるの? ハオさんに流されてあたしまでのほほんになっちゃってるの? いけない! このままじゃいけない!」
「まぁ、いいからバナナ食べようよ」
「キシャァーッ!」ララは吠えた。「まずは今夜あのデブ血祭りに上げて殺戮ショーの始まりじゃー!」
「ハハハ。元気がいい妹だなぁ」 18時ちょっと過ぎて地下倉庫に行くと、シャオ・ホンフーは中華鍋を振りながら待っていた。
「おう、来たかマスクマン」鍋を置く。「ちょうど青椒肉絲できたところだ。食うか?」
「遠慮しときます」
「まぁ、クソまずいからやめとけ」
「えっ」
「畜生。どうやったら料理うまくなれるのかなぁ……」
「クソまずい自覚、あったんだ……」
「まぁ座ってくれ」
シャオは煙草に火を点けると本題に入った。
「今日、ジンチンと闘りてぇんだよな?」
「はい」
「お前が勝て」
「もちろんそのつもりです」
「そうじゃねェよ」シャオは片目でハオを睨みつけた。「お前に勝たすって言ってんだ」
「は?」
「昨日の柳倒したんで客はお前の強さに注目してる。一気にスター戦士になってくれ。ジンチンに負けさせりゃそれが決定的なものになる」
「あの?……」
シャオは傍らのTVを点けた。
「いいから遠慮せずに勝たせて貰え」
「いっ、いや、俺はですね、本気でやって、本当に勝ちたい……」
「てめェが本気でやってジンチンに勝てると思ってんのかコラ?」シャオは少し声を荒らげた。
「……ごめんなさい」ハオは小さくなってしまった。「勝たせていただきます……」
「まぁ、詳しい段取りは後でジンチン本人としろ。たぶんコーラをぐい飲みしてるところを足を掬えとか言うだろうな」
「はぃ……」
「ジンチン倒せば1万元だが、八百長だから勿論ファイトマネーはなしだぜ」
「ええっ!?」
「自分にカネ賭けとけ。ジンチン人気になるのは間違いない。20倍にはなると思う」
「はぁ……」
「その代わり500元以上買うな。オッズが不自然になる」
「へぇ……」
「お前にはスターになって貰う」シャオは見ていたTVからハオへ振り向いた。「仲良くしようぜ」
「エヘヘ……」
「とりあえずまぁ、顔見せろや」
「えっ」
「お互い隠し事はなしだ。大体、なんで顔隠してやがる?」
「その……」
「見せらんねェのか?」シャオはこれで脱がなけりゃ殺すと言うように睨んだ。
ララが言った。「脱ぎます」
『おっ、おいララ!?』ハオは慌てた。
ララは躊躇いもなく青いマスクを脱ぎ捨てた。その時にはもう顔だけララが身体を交代していた。
「オゲッ……」ララの顔を見てシャオが言った。「オゲェェェェ……!」
ララはにっこりと笑った。
「いっ、いっ、いいから、わかったから、早くマスクを被りやがれ!」
ララはにっこりとしながらマスクを被り直した。
シャオは大きく息をし、吐き気を収めると、言った。
「なるほど……そりゃ、その顔じゃ被り物するわけだ」
ララはにっこりと笑って聞いた。
「お前、よくその顔でこれまでの人生、生きて来たなぁ」シャオが憐れみたっぷりの目でララを見る。「苦労したんだろうなァ……」
ララはにっこりと笑いながら、美少女と呼ばれて生きて来た21年の歳月がガラガラと音を立てて崩れて行くのを感じていた。
「まァ……人間、顔じゃねェよ」シャオはTVを見ながら言った。
TV画面には細面の美人女優が映っていた。
「美人なんて何の価値があるんだ? ツラの皮が整ってるだけのことに何の価値がある?」
「いえ、美人とは骨格のことだと……」ハオはどこかで聞いたうんちくを披露しようとしたが、シャオに無視された。
「美人なんて俺は興味がねェ。それより、歌だ。美しい歌には嘘がねェ。心動かす価値がある」
「あっ……」ハオは逃げたい気持ちでそれを聞いた。
「その上でその女が美人なら、俺にとって美人は初めて価値のあるものになる。なァ、今夜、ファイトが終わったら付き合え。最高の歌手のいる店知ってんだ」 「ところでその額の『豪』って文字、何だ」
「豪快の『豪』……かな。なんちゃってー」 ジンチンは打ち合わせ通り天井を仰ぎ、コーラを飲みはじめた。
ハオはテキトーに大袈裟なアクションの下段蹴りでその足下を掬う。
ジンチンはーざとらしく後ろにぶっ倒れ、なぜかそれで気絶してしまう。
「なんだかなぁ……」ハオは呟きながらガッツポーズをして見せた。 八百長試合だたアルよ。
しかしこれには男山根がだ黙っていない 山根会長「われ、デブ勝たさんかい、ボケ、カス、デブ」 「だっ、誰がデブだゴルァァ!!!」メイファンは激怒した。 西安の駅から少し歩いた路地裏にナイトクラブ『Purple Marble』はあった。
立ち飲み屋で既にいい気持ちになっているシャオは、マスクを被ったままのハオを連れてやって来た。
入口に立っていたズズの舎弟で23歳のワイルド系イケメンのティエンが、ハオを見て言った。
「お客様、被り物は困ります」
「おいテメェ、俺の顔を知らねェのか」
「いくらシャオ様のお連れ様でも、ルールですので……」
「この国でルールだマナーだぬかすのはお前ぐらいだ。入るぞ!」
強引に店に入ると、目が眩むほどのLEDと重低音にいきなり囲まれた。
「うきゃ、何コレ」ハオが慣れないサイバー空間にたじろぐ。
ステージではズーランの舎弟らしきイケメン5人組が揃いの衣裳で歌い踊っている。
「VIP席だ」シャオが注文すると、意外にもステージ最前列ではなく、袖の少し落ち着ける席に案内された。
ホステスが二人やって来て、それぞれの隣に付く。
「えー。お客さん、なんでマスクしてんの?」
「深ェ理由があんだよ」シャオが涙まじりに言う。「人間じゃねェ顔して30年、生きて来たんだコイツは」
「えー。見たい見たい」
「見たーい」
「見せてやってくれるかい?」シャオはハオに言った。「辛いだろうが……」
ララは拒否していた。ハオはシャオに顔が見えないようにマスクを脱いだ。普通にハオの顔をホステス二人は見た。
「あぁ……これはー……」
「うん。確かに可哀想……」
ホステス二人が絶対吐くだろうと思ってビニール袋を用意していたシャオは、意表をつかれた。
「強いな、お姐さん達……」 店内が静かになると、ピアノの旋律が静かに流れ始めた。
「来たぞ」シャオが興奮して身を乗り出す。
お姫様のような紫色のドレスを着てズーランが右袖から登場し、伸びやかな高音で歌いはじめた。
「どうだ? どうだ?」シャオが得意そうにハオに言い、はしゃぐ。「素晴らしいだろう!?」
アップテンポの曲になるとシャオは立ち上がり、率先して手拍子を打つ。
やがてまた美しいバラードになると心を奪われたように席に沈み込み、人目を憚ることなく涙をダバダバと流した。
「うーん……これ、口パクじゃないのかなぁ」と思いながらもハオは黙っていた。
歌い終えたズーラン・ママは、挨拶の言葉を述べ、お辞儀をするとステージから姿を消した。
「やっぱり最高だ」シャオはまだ泣いている。「女の中の女とはあのことだ」
「ふーん」
「ところでお前! えーと……名前何だったかな?」
「リーです」
「リー何だ」
「リー・ラーラァです」
「きゃりーぱみゅぱみゅみたいな名前だな」
「よく言われます」
「ところでリーよ。さっきの歌手、ズーランの部屋に最近、男が寝泊まりしているという噂を聞いたんだ」
「えっ」
「俺は縄張りを侵せねェから確かめようがないんだ。お前ならウチのファミリーじゃねェから自由に調査できる」
「えっ……と」
「どうやらその男、前に俺の店で食い逃げしやがった野郎っぽいんだ。捕まえて来て俺の前に差し出してくれねェかな」
「あの……?」
「大丈夫だ。殺すのは俺がやる」シャオは眉間に深く皺を寄せ、ニタァと汚い歯を剥いて笑った。「ギッタギタに引き裂いて殺してやる」 そこへズーランがやって来て、向かいに座った。シャオがズーランに赤ワインを注ぐ。
「今日も素晴らしかったぜ、ズーラン」
「ありがとうシャオ。あなたのお陰でお店も大盛況よ。あら?」
ズーランはハオに気づいたようだった。ハオは慌てて「言うな言うな! 何も言うな!」とジェスチャーでアピールする。
「ところでズーラン、お前の歌が素晴らしいのとは別の話として、この間の食い逃げ野郎、やっぱり引き渡してくれねェかなァ」
「彼は私の幼なじみなの。許してあげてってば」
「いくらお前の頼みでも許すわけにいかねェし、お前に立て替え請求したくもねェ。俺のメンツが許さねェんだよ」
「もぉっ……!」ズーランはシャオの隣に移動すると、逞しい腕を細い指でツンツンした。「お・ね・が・い」
シャオは一瞬流されかけたが、持ちこたえると言った。
「まぁ、いい。こちらのマスクマンが何とかしてくれるさ」ハオの膝をバシッと叩く。「なァ?」
「ハハハ……」
その様子を少し離れたところから色の黒い女性がじっと見ていたが、ハオもララもまったく気づいていなかった。 ズーランのアパートの屋上で、ララは星を見上げて呟いた。
「ぅぅ……帰りた……」
途中まで言って、言葉を飲み込んだ。
「なんだ? 遂に弱音が出たか?」ハオが突っ込む。「ララはシスコンだから辛いだろうなぁ」
「シスコンなんかじゃありませんよーだ……」
「いっつも思ってたけど、メイファンのほうがお姉さんみたいだもんな。ララはいっつもメイファンに頼ってばっかだもんな」
「メイは……」ララは星を見ながら言った。「優しくて、強くて、尊敬できる妹ですよ。でも……」
「でも?」
「メイの決めたことにどうして私まで従わないといけないの?」
「ララも主張すればいいじゃん」
「主張してる。でも私の思い通りになったことなんて、一度もない」
「一度も……ねぇ」
「だって私が表に出ていても、必ずメイが中から見ているから。私のすることを見張ってる。耐えられない……」
「逆もなんじゃねーの?」
「え?」
「メイファンが表に出てる時、ララにいっつも見られてるって思ってんじゃねーの?」
「でも、あの子は自由だから……」
「ララも自由になればいいじゃん」
「ハオさんにはわからないわ!」ララは怒り出した。「ハオさんなんかウンコになって消えてしまえばいいのに!」
「ウンコかよ……」
「フン」ララはそっぽを向いた。
「ララ……」
「ハオさんが帰りたいって言っても私が身体の操縦権持ってるんですからね」
ララは続けて言った。
「強くなって、リウ・パイロンを殺し、ラン・メイファンに思い知らせる。そうなれるようになるまで、帰りませんからね!」
「おっけ」
実はいつの間にかハオのほうが帰りたくなくなっていた。
昨日のジンチン戦では自分に金を賭け、1万元(約16万円)近く稼いでいた。わずか2日で1万2千元弱の儲けである。ハオはこのギャンブルに既にハマっていた。
また、自分の中にララがいることが何だか気持ちよくなりはじめていた。
自分を束縛するくせに自分に頼って来るララは、ハオにとっていつも側にいても全然構わない存在になりつつあった。 『しかし、エッチはしたいよなぁ……』
「えっ? お兄ちゃん、溜まってるの?」
「き、聞こえちまったか!」
「じゃあ明日、無差別レイプしに行こうよ。あたし射精がしてみたい」
「まっ、またなんか言い出したぞこの子!」
「そうだメイファンをレイプしよう! シュールなアイディアじゃない?」 「この子、自分がされて嫌だったことは他人にもしたくなるタイプだな」とハオは思った。 この主人公とか取り巻きはエロい事しか考えてないな。なんかダメだわ それを聞いてララははっとした。
『もしかして……ハオさんが素質は凄いくせに弱いのは、エロいことばかり考えているせい?!』 ララは閃いた。
『ならば、完全に支配下に置くか、最悪ちんちんを切除してしまおう』 そんなことも知らずにハオは、可愛い妹が出来た、可愛い妹が自分の中に住んでくれた、と喜んでいた。 とはいえ、かく言うララの頭の中もエロいことでいっぱいだ。
(男の人のカラダってどうなってるの?)
ハオもララも二人ともが遅すぎる思春期を迎えていた。 リウ・パイロンはシューフェンの葬儀後、ずっと遺影を前に項垂れていた。
無精髭が生え、その顔からは未来への希望が失われていた。
「そんなお前、シューフェンは望んでいないと思うぞ」
扉に立ち腕組みをしながら、黒いスーツをラフに着たメイファンが言った。
リウは項垂れたまま、「そうだろうか」と答える。
「未来だけを見るのがお前だろ」
「こんな風に」リウは少しだけ笑う。「惜しむ時間に浸るのも必要だ」
「らしくねーな……」
「時間が要る」
「ロン」メイファンは下手糞なシューフェンの物真似をして言った。「私はいいから、立ち上がって。前を見て」
「そういう奴だったよ」笑いながらリウの目から涙が零れた。「本当は側にいてほしいくせに、俺のことを考えて……」
「ずっとそこに座っているつもりかい」
リウは何も言わなくなってしまった。
「……ダメだこりゃ」
今のコイツなら簡単に殺せるな、と思いながらメイファンは踵を返した。
「さて、あのバカ共を連れ戻しに行って来るか」 「リー・チンハオか」リウが聞いた。
「あぁ」
「ヤツも俺と同じぐらいシューフェンの側に居たいだろうにな」
「あぁ。可哀想に。私のバカ姉に乗り移られて……」
「シューフェンも……俺と同じぐらい側にいて欲しがっていると思う」
「そうかもな」メイファンは同情した。「ハオ……今頃さぞかし帰りたがっていることだろう」
その頃、ハオはギャンブルに夢中になっていた。 ハオは危険を感じてズーランの部屋から引っ越していた。
スタイリッシュなマンションの一室、お洒落なジェイの部屋は落ち着かなかったが、気さくなジェイは嫌な素振り一つ見せずにハオを歓迎した。
ララは少し興奮していた。
『20歳のイケメンの部屋、一つ年下のイケメンの部屋……』
ララはスマートフォンが欲しかった。
習近平に連絡を取ってアパートか何かを手配して貰い、もっと落ち着けるところに住みたかった。
こんなところに居たら性的興奮の収まる暇がない。
しかしハオは社会的に死んだことになっており、身分を証明するものも何も持っていない。
ララ自身はそもそも社会的には存在しない人間である。
『こういう時、スマホってどうやって契約したらいいの??』 いちばん大切なのは、子供らしい子供に育ててあげることです
私のところに今でもたくさんの親御さんいらっしゃいますけど
今まで相談受けて何十年、元ヤンキーにニートは、日本型のいわゆるニートはただの一人もいません
イギリス型のニートは別ですよ。ああいうのは心配ないんです。行動力が有り余ってて、
放っといてあげたら勝手に自分で食べていけるようになります。
いい歳になる頃には社会の為になる方向にいつのまにか向かって行きますから心配ないんです
いわゆるヤンキーとかやんちゃ坊主、昔は不良とか非行少年なんていいましたけど
一度もそういう方に行ったことがない子、ずっと大人しいいい子でいた子がニートになるんです
友達よりもおじいちゃん、おばあちゃんに好かれるような、
学校の先生も手が掛からなくて助かるけど内心可愛げがないと思うような、そんなお子さんばっかりです
だから子供時代は子供らしく過ごさせる、家で勉強ばっかりしていたら
たまには外で喧嘩して友達を泣かせて来るような事も、もちろんその後は
一緒に相手の親御さんに謝りに行って、いつもよりちょっと厳しく小突いてやって
そうやって社会のルールを学ぶ大切な機会ですからそこは最後まできっちりやらないといけませんよ
そうやって色々やんちゃして痛い目に遭っていくていう、そういう経験も、自らの身体で体験することがね
子供の発達には絶対必要なんです。いいですか、子供らしくない子供さんは、
決して大人らしい大人にはなりません。子供は子供らしく、大人は大人らしく
役割を演じるってんじゃないのよ、本来の自然な、当たり前の振る舞いを心がけるってことが
子供だけじゃなくわれわれ大人の男女にとってもね、大切な事なんだろうと思います 何とかララはスマホを持つことに成功した。
習近平に電話をする。知らない番号なので出ない。
メールをすると、1日経ってようやく返信があった。
『ララちゃん、汚ならしいボディーに引っ越したそうだね。バイバイ』 「くっ……! エロ義父め。お前にとって愛娘ララとはフェロモンのことか!?」
頭に来たララはメールに返信をした。
『ララはお引っ越しのスキルを覚えました。ピンちゃんが望むなら、ファン・ビンビンにだって、林志玲にだって乗り移れるよ』
すると即時返信が来た。
『石原さとみがいい』
なるほど習近平ちゃんの頭の中では流暢な中国語を喋る石原さとみの唇に何かをされているに違いない。
ララは承諾し、新しいアパートの部屋をゲットした。 ワンルームの部屋に簡単な荷物だけを持って入った。
TVもない静かな部屋にいると、ハオは変な気持ちになって来た。
体は一つだが、確かにララと一つ部屋に二人きり。
自分の中でララが動く音すら聞こえるような気がした。
「何て言うか」ハオはララに言った。「ラブホに来たみたいだね」 ズーランはチャイムの音で起こされた。
すっぴんの顔を手で覆って出ると、黒いスーツをラフに着た17歳ぐらいの女の子が立っていた。
「ここにアホ面でそこそこガタイのいいハオがいるだろう?」
「出てったわよ。引っ越し先は知らないわ」 「クソッ。足取りを見失ってしまった」
黒いスーツ姿の女の子は聞き込みをしながら町を歩いているうちにお腹が空いてきた。
「辛いものが食べたいな」
そう思いながら歩いていると、目の前に四川料理の店を見つけた。
赤い看板に白い文字で『シャオ四川料理店』と書いてある。
「汚い店だが、ここにするか……」 「いらっしゃ……」
新聞を読んでいたシャオは顔を上げ、客の顔を見た。
「なんだガキ。ここはてめぇが来るような店じゃねェ。帰んな」
肌の黒い女の子の客は「ほう?」と言った。「そういう店か?」
「あ。いや、いかがわしい店じゃねェよ。金持ってんのか? 持ってんなら食わしてやる」
客は財布を取り出すと、1000元札を20枚、広げて見せた。
「ははは」シャオは嬉しそうな顔を隠しながら言った。「そんなにいらねェよ。いらねェんだけどな。さ、何にする?」
「黒麻婆豆腐とご飯で」
「あいよっ」
客はカウンターに座り、シャオが調理する様子をじーっと見ながら聞いた。
「人を探しているんだが、ランニングシャツにトランクス姿のアホ面の男を見なかったか?」
「知らんな。この寒いのにそんな格好で歩いてりゃ覚えてねェ訳がねェ」
「そうか」
「さァ黒麻婆豆腐に白飯だ。食え」
「真っ黒だな」
「黒麻婆豆腐だからな」
客はレンゲを持つと、麻婆豆腐を口に入れた途端、店主の顔めがけて噴いた。
「あっ、あちちち! 何しやがる!!」
しかし客は無視して白飯を口に運んでいた。その白飯も店主に向かって投げつける。
「このクソガキがァ!! おいっ! ジンチン! しっかり出口塞いどけ!」
「お前の料理で精神的な傷を受けた。慰謝料払え」
「んだこのクソガキアァ!!」
しかしシャオは体が金縛りにあったように動かなかった。元格闘家としての本能が告げていた、これ以上動いたら自分の命がない。
「さっきからお前の料理を見ていたんだが、なぜニンニクを真っ黒に焦がすんだ? ア?」
「くっ……黒麻婆だからに決まってんじやねェか!」
「香ばしく焦がすのと真っ黒焦げにするのとでは意味が全然違うだろうが……。あと、豆板醤をスープを張ってから入れるのにはどういう意味が?」
「何か悪ィのかよ!?」
「いいか。まず火を点ける前に油にニンニクを入れ、香りを油につける。豆板醤はスープを張る前に炒めて辛味を出すんだ。そしてそれが臭みに変わる直前にスープを張る」
客は厨房に飛び入りすると、釜のご飯をすべてゴミ箱に捨てた。
「なっ、何しやがる!?」
「飯もひでーもんだ。米を研ぐ時、一回目の研ぎをどうせゆっくりじっくり水を捨てているのだろう? 米にヌカが染み込んでしまっている」
「あ、あぁ確かにゆっくりじっくりしてるが。いけないのか?」
「一回目は特に素早く水を捨てるんだ。ヌカが染み込まないようにな。出来ればザルで洗うのがいい」
「ほう」
「ただし洗いすぎるな。やや白濁が残るぐらいが米の甘さを引き出す」
「へぇ」
「お前の炊いた飯はまるでウジ虫だ」
「すんまへん」
「蒸らしをしっかりやれ。ご飯粒を立てるんだ」
「はい」
「よし。では飯を炊いているうちに旨い黒麻婆豆腐を作るぞ」
「お願いします」
一時間後、客の作った黒麻婆豆腐と白ご飯をシャオとジンチンは並んで頂いた。
「これは旨い!」
「旨いだろう」
「老師と呼ばせてください!」
「よしよし」
「これは勉強代です。どうか受け取ってください!」
そう言いながらシャオは2000元を差し出したが、客は受け取らなかった。
「今度来た時、旨いの食わせてくれよ。それが一番嬉しい。じゃあな」
シャオとジンチンは涙を流しながら客の帰りを見送った。 その夜のハオの対戦相手は鬼鬼(グェイグェイ)という通り名の不気味な男だった。
長い黒髪で顔を隠し、白い汚ならしい着物を纏い、独自の形意拳『幽霊拳』を使う。
正直ハオが負ける相手ではなかった。
賭けファイト開始の一時間前、シャオはハオを呼び、言ったのだった。
「今日はお前、負けろな」
「了解です、兄貴!」ハオは快く従った。
今日のシャオはやたら機嫌がよく、ニコニコしていた。
「今日の黒麻婆豆腐は自信作なんだ。遠慮せず食べてみてくれ、リー」
「遠慮しまっす!」
ゴングが鳴った。
鬼鬼がまず大袈裟なアクションを決める。TVから這い出すような動作でハオに向かって間合いを詰めた。
ハオはわざとらしくビビり、金縛りに遭う。
そこを鬼鬼がハオの足から胸まで一気に這い上がり、恐ろしい顔を黒髪の間から覗かせ、ヒッヒッヒと笑うとハオは失神した。
レフェリーが鬼鬼の手を掴み、高く掲げる。
「うーん。うまく芝居できたなぁ」
達成感に浸りながら敗者ハオは観客席をにんとなく見渡した。
「んっ?」
なんだか覚えのある黒い『気』が客席の一点から立ち昇っている。
よく見ると、その袂に黒いスーツをラフに着たワイルドな髪型の女の子がいて、ハオをまっすぐ睨んで牙を見せて笑っていた。 「メ、メイファンさぁん!」
会場の壁際で、ハオは泣きながら土下座をした。
「私はお前にあんなふざけたファイトをさせるために特訓をしたんだっけな?」メイファンはハオの頭を踏みつけながら言った。
「すいません! すいません!」 そこへ間が悪くジェイが金を持ってやって来た。
「ハオはん、がっぽりや! ハオはん人気で鬼鬼に賭けた金が24倍や! これで今夜はパァーッと飲みまひょ……あら? こちらの美少女はどなた?」 メイファンは受付窓口へやって行った。窓口の内側にシャオがいた。
「おい」
「老師! よくぞいらっしゃいま……」
「あのマスクマンと闘りたい」
「すんまへん。1日2回以上の格闘はルール違……」
「この国でルールだマナーだ言う珍しいヤツか、お前は」
「ああっ! 確かに!」
「ところで変装したい。何か変装グッズはあるか」
「うーむ……」シャオは回りを見渡した。「これを」 メインイベントの後にもう一試合が加えられた。爆発頭がマイクで叫ぶ。
「連戦連勝を続けていたニュー・ヒーロー、今日の負けが気に入らないと再びの登場だぁ〜! マスクマン、ブルー・リー〜〜!」
ハオが嫌そうに金網の中に再登場する。
「対戦者はなんと女の子だぞ! だが美少女かどうかはさっぱりわからねぇ! でもすけべだ! 包帯ぐるぐる戦士、ミーラちゃん〜〜!!」
全裸に白い包帯を頭から足先まで巻き付けただけのメイファンが現れ、大喜びする観客達をくだらなさそうに眺めた。
「ララ、さっきから黙っているが」メイファンがハオを睨む。「何か喋れよ」
「……」
「フン、まぁ、いい」メイファンの身体を黒い『気』が大きく包むのをハオは見た。「お仕置きタイムだ」 『ハオさん』ハオの中でララが話しかけた。
『二人で死のう』ハオは心中を提案した。
『何言ってるんですか。これはチャンスですよ』
『チャンス?』
『メイは私達を舐めきっています。私達が合体でどれだけ強くなっているか、知りもしないで』
『あっ、なるほど』
『おまけに衆人環視の中でメイは本気を出すことが出来ない。あまりに強すぎると疑われます、(あれが裏のNo.1殺し屋、黒色悪夢なんじゃないか? って)』
『うーん』
『何よりメイファンなんて実はそんなに強くないです。ハオさん、本気でメイと闘ったことある?』
『ないけど……』
『だから知らないでしょ? あの子、ただ棒を速く突けるだけの棒術オタクよ。棒を持たないメイファンなんてハオさんの敵じゃないわ。姉の私が言うんだから間違いない』
『そうか……自信が湧いて来たぞ!』
ゴングが鳴った。
『行くよ、お兄ちゃん!』ララが操縦桿を握った。
『操縦任せた、ララ!』
ハオはそう言うとメイファンに向かって踵落としを出しながら下段蹴りを繰り出しながら正拳突きを食らわせようとする。
「メチャクチャだな」
そう呟くとメイファンは踵落としを手で受け止め、下段蹴りを蹴り返して退け、正拳突きをキャッチした。
「飛んでけ」
そう言うとハオを天井へ向かって投げ飛ばす。10m近く頭上の天井にハオは背中から叩きつけられ、ぐえっと言った。
落ちて来たハオを抱き止めるとメイファンは、今度は左側の金網に投げつける。金網がベキベキと音を立てて変形した。
『気』をロープのようにハオに結びつけていたメイファンはそれを手繰って引き寄せると、ミイラ・ラリアットを決めた。
「ね、姉ちゃん相手に容赦ねぇ……」それがハオの最期の言葉だった。
「まったく合体の意味がないな」メイファンは呆れてため息を吐いた。「もう少しまともかと思ったが……」
ララは何も言わず、勝ち誇りもせずに自分を見下す妹の姿を見ていた。
「大体、私の黒い『気』はあらゆるものを武器に出来、ララの白い『気』はあらゆる傷を治すというのに……」
『あっ』ララは心の中で声を上げた。
「お前の青い『気』には一体何が出来るんだ?」
『そうか』ララはこの時、確かに何かを掴んだのだった。 「老師! 料理だけでなく格闘までとは恐れ入ります!」
シャオがずずいとメイファンの前に出て来てファイト・マネーを差し出した。
「いらん。このボケ連れて帰るぞ」
「ええっ!? それは……」
「文句あるのか?」
「いえっ! いえいえどうぞどうぞ! そんなもの差し上げます! ただ……」
「何だ?」
「服を着てお帰りになったほうが……」
「あぁ、そっか。面倒くさ」
仕方なくメイファンは黒いスーツを包帯の上に着た。
メイファンは『気』のロープでハオを犬のように繋いで外へ出た。冬の冷たい空気が包んだ。
「こっから『施設』まで約15kmか。徒歩で3時間ぐらいかな」
メイファンはスマホを取り出し、車を呼んだ。
何も言わずに夜道を歩いて行く。
「しかし、(それ)だけは凄いな」メイファンが振り返る。「まったくの無傷だ。試合中から」
メイファンはララが中にいた頃、戦闘中に受けた傷を治すことは出来た。ただしそのためには『白い手』を出す必要があり、
『白い手』を出している間は手を戦闘に使うことが出来ない。ゆえにメイファンが自分を治療出来るのは実質戦闘終了後のみということになった。
しかしララと合体したハオは戦闘中に中からの『気』で自分を治すことが可能であり、これだけはメイファンを凌ぐ強力な能力であると言えた。
「ただ、それだけじゃなぁ」メイファンがため息を吐く。「やられっぱなしだ」
ハオは何も答えず、泣いている。
「まぁ、いくら虐めても傷つかないんだから、虐め甲斐は以前の数10倍になったかなぁ」
「おい、糞メイファン」いきなりハオの口がそんな言葉を発し、ハオは驚いた。
「あ?」メイファンが振り向く。「糞はお前……」
振り向いてメイファンは固まった。
駐車場の水銀灯の下、ロボットのように巨大化したハオが、真っ青な『気』を大きく発して立ちはだかっていた。
「は? でかっ……」
「ぬおぉ」とハオは叫ぶとメイファンの黒い『気』のロープをいとも容易く手刀で切断した。
「おいおい……」
目を白黒させるメイファンにハオは襲いかかった。音速で間合いを詰めると膝蹴りをぶち込む。
『気』の鎧で防ぎながらもメイファンは15m吹っ飛んだ。
「逃げるわよっ! ハオさん!」
ララがそう言うとハオはガシャガシャとメカメカしい音を立て走り去った。
「なんだ……あれは……」
メイファンはそれを見送るしか出来なかった。 アパートに逃げ帰った二人はドアを閉め、5分ほどハァハァ息を切らすと、話しはじめた。
「お兄ちゃん、あたし、掴んだよ!」
「……みたいだな」
「今までは私がお兄ちゃんを操縦しようとしてた。私の『気』の力と怨念でお兄ちゃんの身体を動かそうとしてた。でも、それじゃダメだったんだ!」
「実際ダメだったよね」
「私はお兄ちゃんの青い『気』を増幅させ、傷ついた時には治療する、それだけでよかったんだ。格闘素人の私が操縦なんかしようとしちゃダメだったんだ」
「つまり僕は自由ってことだね」
ハオはいつの間にかノートパソコンを開き、リアルラブドールの製品情報を閲覧しはじめていた。
「なぁ、ララ。お金結構貯まったからコレ、買おうよ。格闘の時以外はララはこのエロボディーに入って……」
「ううん。お兄ちゃんは自由じゃないよ」ララは厳しい口調で言った。「私はお兄ちゃんを操縦しないけど、支配する必要がある」
「へぇ〜。わっ、このドール可愛い!」
「お兄ちゃんは格闘スキルだけを残して消え失せるの。言わば私の命令に忠実に従う意志のないロボットのようになるのよ」
「でも巨大化はやりすぎじゃね?」
「うん。それは私も思ってた。あの設定はリセットしましょう」 「言わばこれはリー・チンハオ改造計画よ」ララは言った。「覚悟してね、お兄ちゃん」 リウ・パイロンは相変わらずシューフェンの遺影の前で座っていた。その横ではメイファンがずっと膝を抱いて踞っていた。
「リー・チンハオを連れ戻せなかったのか」
リウがそう聞いても膝に顔を埋めて黙っている。
「やはりララと合体し、強大になっていたのか?」
メイファンはようやく少し顔を上げると、目に涙が潤んでいた。
「バランスがうまく取れねーんだ、ララが中にいてくれないと」
リウは黙って聞いた。
「虐めて遊ぶ豚野郎がいねーとつまんねぇし……」
「寂しいのか?」リウが聞く。
「アイツらがどんどん変わって行きそうで嫌なだけだよ」
そう言うとメイファンはまた膝に顔を埋めた。
昨夜から13時間、もうずっとこうしている。
今のメイファンではスパーリングの相手にすらならんな、そう思いながらリウ・パイロンはようやく腰を上げた。 ララが眠るとハオは起き出し、ノートパソコンを開いた。
リアルラブドールのページを開くと、メンメンちゃんという名前のドールを注文した。
身長155cmでおっぱいはEカップ。顔も含めて実物のララの印象に近いドールだ。
約4万元(約60万円)の金額を確認し、支払いを完了する。
「凄いよなぁ。たった5日でこんなの買えちゃった」
注文を確定するとウキウキとした気分で布団に戻る。
ハオはララの言うことを信じていなかった。心優しいララのことだから、どうせ口だけだとたかをくくっていた。
「明日もきっと楽しい1日が僕を待っているさ〜」 その夜、ハオの枕元にシューフェンが立った。
「ハオ」
「シューフェンの幽霊だ。シューフェンなら幽霊でも怖くないよ」
「私のことは、忘れちゃったの?」
「違うよ、シューフェン」ハオはイケメン顔で言った。「シューフェンは残された俺の人生を灰色にしてしまうのが望みなのかい?」
「いいえ」
「そうだろ? 俺はシューフェンが悲しまないように、シューフェンを笑わせようと、強く楽しく生きているだけさ」
「さすがハオね」
「そうだろう? 俺ほどプラス思考な人間は世の中探してもなかなかいないぜ?」
シューフェンの霊は何か言いたそうにしていたが、やがて呆れたようにすうっと消えてしまった。 シューフェン……やはり僕のことをわかってくれるのは君だけだ。
ハオは永遠の愛を誓った。 するとどこからともなく
「私が本当に愛を誓ったのはロンなの。お前のような無職で弱虫のエロ親父なんかじゃない。」
とシューフェンの幻聴聞こえてきた 「なんだとぅ!?」そう叫びながら起きると、朝だ。ハオは違和感を覚えた。
「あれぇ?」
なせだろう、自分の体が自分じゃないようだ。
試しにパンツの中を見ると、自慢の如意棒が朝立ちしていないどころか子供のおちんちんのように小さくなっている。
「ハァァァ!?」
ベッドから身を起こそうとすると上手く体を動かせず、ベッドから転落してしまった。
「おい、ララ!? なんかおかしい。俺が自由に動けているでもなし、お前が操縦しているでもなし……」
「うるせぇ! 糞兄! 黙れ!」とララの声がやたら遠くから聞こえて来た。
「く、糞兄?」
「そうだてめぇは糞兄だ! 人間じゃねぇ! ウンコだ!」
「う、ウンコが好きな妹だな」
「言っただろ? お前は消えてなくなるんだ。これからは私がリー・チンハオだ!」
「いやいやリー・チンハオは俺のことですから!」
「いいから黙ってろ! 黙って支配されろ糞兄!」
「糞兄って呼ぶのやめて!」
「『兄』つけてもらえるだけ有り難く思え!」
「『兄』がなかったらただの糞!?」
「リー・チンハオは崇高な精神を持った誇り高き戦士に生まれ変わるのだ! 糞は死ね!」
「ララ……」
「死ね!」
「お前……なんか……無理してない?」
「死ねぇぇぇぇぇぇ!!」 ハオの言う通り、ララは無理をしていた。
ハオを罵倒する言葉はすべて自分に跳ね返って来た。
自分とハオさんはやっぱり似てる……ララはそう思うのだった。
それでいてハオに対する感情は同族嫌悪などではなく、むしろ嫌悪と尊敬の激しく入り交じった複雑な感情であった。
エロに対する子供じみた好奇心も、気弱なところも、他人の言いなりになりやすく、何も出来ない意気地無しなところも、すべて似ているとしか思えなかった。
ただ、何をされてもひたすら耐え、その後に相手を笑って許してしまえるハオの優しさは、ララにはないものだった。
その優しさをララは愛していた。
いや、それを優しさと呼んでいいのかすらララにはわからなかった。
すべてを包み込んで許すその大らかさ、そして身をもって見せたシューフェンへの一途な愛、その二つだけでララがハオを愛する理由は十分に足りた。
『ハオさんの優しさは、ただの優しさじゃない。これを何て呼んだらいいのだろう……』 ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
/:::::::::::::::::::::::T,;
|:::::::::/ ̄ ̄"'ヽ:i
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ヽ ヽ ..::__) | ララちゃん〜イクゥゥゥゥー!!
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\___!
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/ / ’ ヽ \ :,∴・゜・゜・:,∴・゜・゜・
/ /ヽ、 ヽ、 \ :,∴・゜・゜・:∴~・:,゜・∴~・:・∴・
/ / | ヽ \ ,.:∴~・:,゜・~・:,゜・ :,∴,゜・~・:,゜・・∴
/ / ,r つ~~‘∴・゜゜・・∴~・:,゜・・∴・゜゜・∴~゜゜゜
彡 cノ _ノ⌒| (:::):::)、 ドピュッ
`ー-、 | |―、ヽ、 \ ピュッ
ヽi | \ ヽ )
ヽ_ノ `ー―' 朝7時、ララは自分の足でいつもの公園へ行った。
到着した時にはもう太極拳の套路は始まってしまっていた。
鳩の羽音と人々の衣擦れの音が温かい音を立てる。
ララはそそくさと集団に混じり、適当に前の人の真似をして動きはじめた。
チラリとご飯のところを見ると湯気を立てている。
『エヘヘ、今日は何かな』
しかしすぐにリーダーの女性がやって来て、ララに言った。
「アナタ最近いつも来てる人よね? どうしたの? 陳派の基本型から××の簡単な流れよ? 忘れちゃったの?」
「えっ」
ララは自分の中のハオを見た。ちょうど心臓の少し下のあたりで茨に絡め、食虫植物にかかったように養分をチューチュー吸われている。
「しょうがないわね」リーダーの女性は言った。「散会後、あなただけ残って講習よ。今日は施しはないと思っておいてね」
彼女が背を向けるなりララは逃げ帰った。 仕方なくセブンイレブン似のコンビニで弁当を買うことにした。
弁当とお茶を買い、外へ出る。
公園のベンチに座って食べはじめる。
冷たいご飯がパサパサでちっとも美味しくない。
温めますか? って、そう言えばあの店員さん、聞いてくれなかった。
って言うか言わなくても温めてくれるのが当たり前じゃないの?
お茶もわざわざ冷蔵庫で冷たくなんてしなくていいのに、どうせ温めるんだから。
ララは少し泣きたくなった。
メイファンのせいだ、ララは思った。
メイファンが私に何もやらせず、過保護にしたせいで、私は何も出来ない大人になってしまった。
冬の寒風の吹く中、ララは弁当も冷たいお茶も半分以上残して公園のゴミ箱に捨てた。 それでもララはこうして直接寒さや飯のマズさを感じることにも喜びを感じていた。 ララはシャオの四川料理店へ出掛けた。
店の横の路地に入るとジンチンが巨体をゆすりながら、うまい棒を連続食いしていた。
その目にはうまい棒以外のものは何も入っておらず、ララがすぐ近くまで寄っても気づいていないようだった。
あれからシャオはジンチンとの勝負をやらせてくれなかった。
同じカードはなるべく続けないようにしているようだったが、それ以上にララとジンチンが仲良くなってしまったせいもあった。
「ジンちゃん」ララは話しかけた。
「あら、ララちゃん」ジンチンはようやくララに気がついた。
「うまい棒一本くれる?」
「いいわよ。1000本あるから一本ぐらい」
ジンチンは外では唯一ララの存在を知る人間であった。彼女も未熟ながら『気』を使える人間であり、それゆえハオの中に白い女の子がいることに最初から気がついていたのだ。
ララは手に持ったうまい棒に『気』を込めてみる。自分の青い『気』に一体何が出来るのか、まだ判明していなかった。
『気』を込めたうまい棒はふにゃりと柔らかくなると、ララの手をすり抜けて液体のようにこぼれ落ちてしまった。
「これは普通に……ララの白い『気』で出来ることだわ……」
隣を見るとジンチンは、うまい棒が一本もったいないことになったことにも気づかず、鼻息を荒くしてコンポタ味をバリボリいわせている。
本能だけで生きているジンチンのことが羨ましく思えた。
何の悩みもないんだろうな。
自分と同い年の女の子のくせに。
しかしジンチンのことを女だと知るのもまたララ一人だけであった。
秘密を守り合う二人の間には固い友情が確かに結ばれていた。
「ねぇ、ジンちゃん」
「なァに?」
「私と本気で闘ってみてくれないかな」
「やァよ。だるいし。ララちゃん傷つけたくないもの」
「よっちゃんイカ1年分あげるから」
「いいわよ」ジンチンは身を乗り出し、やる気を見せた。「どこでする?」
「あそこのお寺の裏に人通りのない広場があるの」 主な登場人物まとめ
・ハオ(リー・チンハオ)……主人公。習近平とメイファンにより謎の施設に軟禁され、謎の過酷な特訓を受けていたが、
ララに体を乗っ取られ、施設を脱走。現在は自分の体内でララに監禁され、その格闘スキルを吸い取られ中。太極拳の使い手。
・シン・シューフェン……ヒロイン。膵臓ガンにより逝去。ハオの恋人だったが、リウに取られた。
元々ハオにはもったいないほどの美人であり、リウの紹介で女優デビューする。
・リウ・パイロン……中国の格闘技『散打』のチャンピオンであり国民的英雄。シューフェンの夫であり、彼女の死に深く沈み、現在廃人中。
メイファンの元弟子だが、ボロボロに負かした上当時8歳のメイファンをレイプした上、彼女の元を去る。
・ラン・メイファン……17歳の美少女。国家主席習近平のボディーガードであり凄腕の殺し屋。
『気』を操り様々なことに使える武術家、というより超能力者。『黒色悪夢』の通り名で恐れられている。
・ラン・ラーラァ(ララ)……21歳の天然フェロモン娘。メイファンの姉。ただし身体を持たず、妹の中に住んでいた。
『気』だけの存在であり、メイファンの身体を抜け出しハオの中へ引っ越した。性格は妹と正反対で女らしく、お喋り好きだったが、発狂しはじめている。
・シャオ・ホンフー……42歳だが50歳代にしか見えないほど老けている、元散打王。新人の頃のリウに試合中、片目を潰され、散打界を去る。
現在は四川料理の店をやりながら殺し屋、地下ファイトの主催者等をしている。料理がヘタ。
・ヤォバイ・ジンチン……スキンヘッドのデブ。体を2倍に膨らませてあらゆる攻撃を吸収してしまう。
食べることにおいては意欲的だが、それ以外のことにはまったくやる気がない。誰もが男だと思っているが、実は21歳の女性。
・習近平……言わずと知れた中国国家主席。孤児だったメイファンを引き取り、殺し屋として育てる。ララのファン。
・ドナルド・トランプ……言わずと知れた(略)
・ジャン・ウー……メイファンの仲間の殺し屋。通り名は『酒鬼』。昔のカンフー映画に出てくるような見た目をしている。
メイファンに首をはねられ死去しとかと思いきや生きていた。 「行くよっ! ジンちゃん!」
ララは構えた。もう大分ハオを吸収し、構えが様になっていた。
「いつでもどっぞ〜」
ジンチンはうまい棒をひたすら齧りながら言った。
ララは自分を殺す。自分はひたすら『気』の発生源となり、ハオの身体が動くに任せた。
ハオの身体が動いた。素早い動きで間合いを詰め、連??を繰り出す。ジンチンの腹があっという間に10箇所へこむ。
「速いわねぇ、ララちゃん」
ジンチンは感心しながらうまい棒を食べ続けた。
ハオの身体は蹴りを繰り出す。めり込む。めり込んだ足を軸に、上へと駆け上がる。しかしまるでコールタールの海の上を歩くようにその動きは緩慢だ。
「のろいわよォ、ララちゃん」
そう言いながらジンチンはゆっくりと前へ倒れた。
「ぷぎゅ」
ララは肉の下敷きになり、勝敗は決した。 「ジンちゃん……」
「なァに?」
「本気出さなかったでしょ……」
「まァね」
二人は寺の裏の広場のコンクリートに並んで腰掛け、うまい棒を食べた。
「本気出すまでもないってこと?」ララは涙でしょっぱいうまい棒を齧る。
「そうねェ」
「何が足りないの? あたし」
「足りないと言えば、覚悟ねェ」
「覚悟?」
「えェ。闘いにすべてを捧げる覚悟」
「すべてを……捧げる?」
「ララちゃんには煩悩がありすぎるのよォ」
「煩悩? エッチなことってこと?」
「それに限らないわねェ。食べることにしても煩悩よォ」
「え。ジンちゃんは?」
「なァに〜?」
「ジンちゃんには煩悩がなくて、覚悟があるの?」
「オデの煩悩は食べることだけェ〜。でもって、食べれば食べるほど強くなるのがオデだからァ〜」
「強くなるために食べてるの?」
「わっがんねェ〜。エヘヘ」
「うーん?」
「ララちゃんさァ、オデのこと、悩みが何もなさそうで羨ましいって思ってない?」
「え! そそそそんなことないよ?」
「ないのよォ〜、本当に」
「え?」
「世俗的な悩みなんてなーんにもないの」
「まじでか」
「そーゆーのも煩悩だからねェ。オデは闘って、勝って、お金貰って、お菓子が食べれればそれで何ァんも要らね」
「ある意味ストイックなんだ?」
「わっがんねェ〜。エヘヘ」
とりあえずジンチンとの会話は今のララにとっては何の役にも立たなかった。
どうしたらジンちゃんに勝てるのだろう? ララの頭の中はそのことばかりだった。
ララはふと思い出した。昔メイファンと一緒に読んだ日本の漫画「北斗の拳」にそう言えば「ハート様」というジンちゃんみたいなのが出て来た。
北斗のケンシロウはあれをどうやって倒したんだっけ? 調べてみよう。
ふと自分の中のハオを見ると、幼児ぐらいの大きさになり、体に刺された管からもう相当の養分を座れていた。 その夜、マスクマン「ブルー・リー」は地下ファイト会場に来なかった。
シャオは怒るでもなく、ただため息を吐いた。
「まァ、そらなァ……。あそこまで完璧に負けたら嫌にもならァな……。あぁ、ミーラちゃん、また来ねェかな……」
ため息を吐きながら客席を眺めていたシャオは、ふと懐かしい姿を見つけ、愕然とする。
サングラスをかけ、無精髭なんか生やして、やたら洒落たナリをしているが、アイツは……間違いねェ。
シャオは舎弟に窓口を任すと早足でその男の元へ向かった。
「オイオイ、散打王様がこんな所に何のご用で?」
振り向いた男はシャオの顔を認めると、言った。
「あんたは?」
「あらら。この目の傷に覚えがない?」
「……悪いが知らん。あんたはここの主催者か?」
シャオの口元が歪む。お前の前に散打王と呼ばれていた男のことなんか覚えてもねェのかい。
「いかにも俺が主催者だが。ならば何の用だよ?」
「人を探している」
「ふん。誰をだよ?」
「リー・チンハオという男だ」
「知らねェな」
「先日、ここでラン・メイファンという少女と試合をしたと聞いたが?」
「少女? ミーラちゃん……老師のことかい?」
「老師……たぶんそいつだ。肌の黒い、愛くるしい顔をした……」
「そっ、その人にまたお会いしたい! どちらにいらっしゃる?」
「質問をしているのはこっちだ。まず答えてくれないか。その少女と闘ってボロ負けした男だ」
シャオは面倒臭そうに答えた。
「リー・チンコって言ったか? リー・ラーラァって名だと聞いたが……」
「そいつだ! どこにいる?」
「ふぅん……。教えてほしいのかい?」
「もったいつけないでくれ」
シャオはニヤリと笑うと、言った。
「教えてほしいなら、ここで一試合して行ってくんねェかな。リウ・パイロンさん」
「なるほど」
「お高いアンタだからこんな所で闘いたくないとは思うが」
「試合か」
「まぁ、無理にとは言わねェよ。リーの居所が知りたいなら他にも」
「面白そうだな」
「えぇっ!?」
「相手はどの戦士だ?」
俺が……やる……と言いたい気持ちを押さえ、シャオは言った。
「実質ここで最強の戦士……ジンチンって奴だ」
「強いのか」
「正直……俺の5倍は強いな」
「お前がどれくらい強いのか知らんぞ」
シャオのこめかみの血管がブチ切れた。
「アンタが勝っても当たり前なんだからファイトマネーはビタ一文払わん。その代わりアンタがもし負けたらファイトマネー30万元(約500万円)貰うぞ! いいか?」
「いいだろう。久しぶりの運動のつもりだ。金は要らん」
「キシャアアァ!」シャオは思わず威嚇した。「よし決まりだァア!!」 この会場で唯一行われないカードがあった。シャオ・ホンフーとヤォバイ・ジンチンの対戦である。
実現しない理由はもちろん100%ジンチンがわざと負けるからであり、勝敗の決まっている試合など賭けの対象にならなかった。
そして実際の強さにおいても元散打王であるシャオのほうが絶対に強いと誰もが思っていた、ただ一人、当のシャオ・ホンフーを除いては。 控え室で遠い目をしながらよっちゃんイカを食べているジンチンのところへシャオがやって来た。
「よう、ジンチン」
シャオの声でようやくジンチンは気づき、振り向いた。
「よう、兄貴〜」
「今日のお前の対戦相手、変更があった」
「ふ〜ん」
「お前のことだ、誰が相手でも動じねェんだろうけど……」
「そだね〜」
「リウ・パイロンだぞ。まぁ、お前にはどうでもいいか……」
シャオはゴゴゴゴと炎が燃え上がるような音を聞いた。振り返るとジンチンが燃えている。
「ジ……ジンチン!?」
「わはは。ようやく本気でやれる……」 リウは目の前で次々と行われる試合を観戦しながら、どんどん表情が険しくなっていた。
シャオが戻って来、隣に座って話しかける。
「どうだい? ふざけた試合ばっかりだろ?」
「不愉快になるぐらいにな」リウは腕組みをし、足を組んだ。「3流の芝居小屋か? ここは」
「八百長ばっかりでもないんだぜ?」
「それにしても人に見せるような闘いじゃない」リウは退屈そうに足を揺すった。「こいつらには何の情熱も感じない」
シャオは鼻で笑った。「それならなんでこんだけの観客が喜んで見に来てんだ?」
「確かにそうだな」リウは素直に頷いた。「俺にはわからん世界ということか」
「そうだ。ここは勝ったことしかないアンタにはわからん世界なのさ」
リウは黙った。
「俺の作った黒麻婆豆腐、持って来てやるよ。食べるかい? 旨いぜ」
リウはそれには答えず、聞いた。
「俺の相手というのもあんなのか?」
シャオは何やら楽しそうに意味ありげな笑い声を上げると、答えた。
「ついさっきまでは、あんなのだったよ。だが、アンタが相手と聞いて、今、劇的に変身中だ。ま、お楽しみに」 その頃、ハオの身体はアパートへ帰っていた。
スーパーの買い物袋をテーブルに置くと、ララは言った。
「ふふっ。水餃子セット買って来たよ」
ハオの身体にいそいそとエプロンを着ける。
「今、美味しいの作って食べさせてあげるからね、お兄ちゃん」
袋から食材を取り出し、コンロに火を点けようとして気がついた。この部屋にはキッチンがなかった。
ララは声も出さずに立ち尽くした。
部屋の冷たさが今更のように襲って来た。
ベッドの枕元にはハオの大好きな男性週刊誌が読む者もなく放置されている。
身体の中のハオを見ると、胎児の大きさになり、刺された管から養分をチューチュー吸われている。
窓の外に聞こえる若い集団の楽しげな声が、ひとりぼっちの自分を強く浮き上がらせた。
買って来た缶ビールを開ける。水餃子を生で一口齧る。あまりの生臭さに全部捨てた。
「明日こそ……」
ララは缶ビールを一口飲むと、あまりの苦さに顔を歪め、洗面所に全部捨てた。
「明日こそ、ジンちゃんに勝って、何かを掴んでみせるから……」
そのまま布団に潜り込んだ。
「安心して消滅してね、お兄ちゃん」 「さァ、お前ら! 震えてわめけ〜!」
爆発頭がマイクで叫ぶ。
「すすすすっげェのが飛び入り参加だぞォ! 俺もマジでビビっちまったァ!
「まずはお馴染み永遠のNo.2ファイター、永遠のデブ、永遠の食いしん坊の登場だ! ヤォバイ・ジ〜ンチ〜ン!!」
ジンチンが金網の中に現れる。その様子はいつもとまったく変わらず、よっちゃんイカの大袋を抱えての登場だ。
「そォ〜してェ〜! 信じられるか? こんな所に天下の散打王様が降臨だ!」
会場がどよめく。
「リウ・パイローーン!!」
それはまるでアマチュアロックバンドのフェスティバルに台湾のカリスマバンド五月天(メイデイ)が飛び入り参加したかのような大騒ぎだった。
悲鳴のような大歓声を受けながら、リウは着ていたスーツを脱ぎ、黒いスウェット・パンツ姿で金網に入った。
スウェット・パンツで腹の肉が少し盛り上がったリウを眺めてシャオが嗤う。
「正月太りか? ジンチンに勝機ありだな」
リウは相手を眺める。ジンチンは顔色も変えずによっちゃんイカをぱくぱく食べていた。
「なるほど……」リウはジンチンに言った。「これは手強いな」
ゴングが鳴った。
リウはどうしたらいいかわからなかった。
相手には仕掛けて来る気がまったくない。自分から仕掛けるにしても隙がなさすぎた。
超低空アッパーを仕掛けようにも腹が邪魔すぎる。腹をクリア出来たとしても、風船のような体の上にちょこんと乗っている頭まで距離がありすぎる。
足を狙うにもあまりに短く、また遠すぎる。おそらく上から超重量級の風船に圧し潰されるだけの結果に終わるだろう。
ならば、と足を使ってみる。背中に回り込もうとする。しかしデブのくせに何という素早さだ。チョコチョコと短い足を動かし、決して背後を取らせようとしない。
ならば、このすべてを吸収するぶよぶよの肉の海に攻め込むしかない。肉を掻き分ければ必ず骨がある。しかし、多くの者がそこへ到達する夢も虚しく、海に呑み込まれて来たのだろう。
ならば、どうする。相手が痺れを切らして攻撃して来るのを待つか? そして自滅を誘い……
リウははっと気づいた。
ジンチンはただよっちゃんイカを連続食いしながら相手が罠にかかるのを待っているだけのただのデブではない。
だらーんとだらしなくぶよぶよしているだけに見える全身の隅々に、黄色い『気』が繊細なまでに張り巡らされているのが見えた。
こちらが少しでも油断をすればその『気』を波立たせ、凄まじい速さで襲いかかって来るだろう。
今、この状態はジンチンの本気ではない。
本気で闘う前に、この状況を相手がどうするか、試しているのだ。
この散打王リウ・パイロンを試しているのだ。
「お前」リウはニヤケ顔で呟いた。「こんな所にゃもったいねぇよ」 「ならば乗ってやろう」
リウはそう言うなり仕掛けた。
軽やかにステップを踏むとサイドキックを一発、ジンチンの腹に叩き込む。
ジンチンの肉がたゆんたゆんと揺れる。
リウは軸足を変え、後ろ回し蹴りを再び腹へ叩き込んだ。
ジンチンの肉はさらに揺れ、大波のように寄せては返し、その揺れでジンチンはまともに立っていられなくなった。
三度サイドキックを入れようとしたところでリウの足が止まる。
ジンチンの体から黄色い『気』が炎のように立ち昇った。 「ハハハ。さすがは散打王だねェ」
そう言うとジンチンは抱えていたよっちゃんイカを放り出し、黄色い炎をさらに燃え上がらせた。
「久々に見せるよ! 第3形態だ!」
「むうっ!?」
近寄る隙もなく、リウの眼前でジンチンはみるみる変身して行く。
「キエエエェェッ!!」
凄まじい土埃がどこからともなく巻き上がる。
それが収まった時、リウは信じられないほど恐ろしいものを目の前にしていた。
「さすが中国は広い」
リウの頬を汗が伝う。
「こんなバケモノがいるとはな」
ぶよぶよだったジンチンの身体(カラダ)は1/10に引き締まっていた。肉に埋まっていた手足も長さを取り戻し、身長2m20cmの長身の上に鬼婆の長い顔が乗っている。
果たしてあの膨大な量の脂肪はどこへ消えたのか? 探すまでもなかった。
その胸には1m以上の長さの巨乳が2つ、まるで腕のようにぶら下がっていた。
「これぞ我が真の姿」
ジンチンは鋭い牙を見せてそう言うと、真っ赤な口から黄色い『気』を吐き出した。
「我が攻撃、果たして防ぎきれるかな!?」
「うおっ!?」
2本の腕と2本の脚、そして2本の乳房がリウに襲いかかる!
「手が4本あるバケモノと闘わされているかのようだ!」
リウはジリジリと後退を余儀なくされた。 次の朝7時、ララはまたあの公園に出かけて行った。
太極拳の套路はちょうど始まるところだった。リーダーの女性は今日もおり、ララの姿を見つけると首を伸ばして注視して来た。
ララは自分はまるで電池のようにエネルギーを発することのみに徹し、ハオの身体が動くに任せた。
ハオの身体は自然に動き、太極拳の套路を正しく美しく辿った。
リーダーの女性は安心したように注視をやめ、公園に揃った衣擦れの音が清々しく響いた。
身体の中のハオを見ると、もはやメダカぐらいの大きさになり、消えかかっている。
今朝の施しは水餃子と豆のおこわだった。
ララは笑顔で食べはじめたが、なんだか今朝のご飯は味気なかった。
もしこの調子でハオが完全にララに吸収されたら、自分は一体ララのままなのだろうか? それとも外見はハオなのだからハオになるのだろうか?
もし自分がララのままであるのならば、その時ハオはどこに行ったことになるのだろうか?
ララは美味しいはずのご飯を食べきれず、半分以上残して捨ててしまった。 ララがアパートへの帰り道を歩いていると、向こうからジェイがやって来た。
「やぁハオはん、おはようさん」
「おはよう、ジェイ君。ご飯食べた?」
「え。まだでっけど……何ならご一緒しまひょか?」
「え……w」
「はい?w」
「まだ中国に慣れないの? 『ご飯食べた?』は日本で言えば『いい天気ですね』程度の挨拶よ」
「あぁ! そかそか、そやった! ははは。もう3年も住んどるのに、なかなか慣れへん。1月1日が正月違うのも未だに変な感じやわぁ」
「今年の春節(正月)は2月5日ね」
「ははは〜。なんか色々やらかしてもてるわ、俺。中国では結婚しても女性の姓が変わらんのも知らんかったし……」
「リー・シューフェンが結婚してリウ・シューフェンになったとか、笑っちゃったわ」
「お恥ずかしい」
「大丈夫よ。中国人のチンハオって人なんか、中国人のくせに『俺、シューフェンに結婚されちゃった!』とかボケたこと言ってたから」
「それは恥ずかしなぁw」
「ところでどうしたの? こんな所で会うなんて珍しいわね」
「あっ! そうそう。ハオはん、昨夜なんで来はらへんかったんや?」
「えーと……」
「大変な事があったんでっせ! あのリウ・パイロンが試合に出て来よったんや」
その名前を聞いてララはぞっとした。こんな所まで自分を追いかけて来たに違いない。昨夜、本当に行かなくてよかった。
「へぇ……」
「『へぇ』やあらへん! ジンチンはんと試合して……」
「ジンちゃんと!?」
「はいな」
「それで……どっちが勝ったの?」
「そらまぁ、凄い試合でしたっせ。ジンチンはんの無敵の肉の装甲をリウ・パイロンがまず破って……」
「破った!? あれを……どうやって?」
「はいな。横からキックをすぱーんすぱーんとやったら、ジンチンはんの肉が大波立てて揺れはじめて」
「北斗のケンシロウとは違う攻め方だわ……」
「んでもって自分の肉の揺れで倒れそうになったジンチンはんが変身して」
「へっ、変身?」
「はいな。鬼ババみたいなポケモン……ちゃう! バケモンに変身して、オッパイ振り回して攻撃しはじめて」
「おっ、オッパイを?」 「なるほど、手技勝負がご希望か?」
リウ・パイロンはそう言うと受けて立ったのだった。
四本の腕の攻撃を二本の腕で捌くと、ロングフックをジンチンの両肩に食らわせた。
「うぉっ?」
腕を封じられたジンチンは重い乳房を振り回したが、もはやリウの敵ではなかった。
胸の谷間、その隙間を狙って超低空アッパーが炸裂した。ジンチンの死角から飛んで来た拳は顎を正確に捉えた。
浮き上がろうとするその両乳房をリウはすかさず手に持つと、マットに叩きつけた。
「おぎゃあ!!」
産声のような断末魔を上げ、ジンチンが立ち上がらないのを見届けると、レフェリーは勝敗を告げ、終了のゴングが鳴った。
ゴングが鳴るとリウはジンチンをお姫様抱っこで抱き起こし、囁いた。
「お前、本当にこんな所にいるにはもったいない女だぜ。散打は女性にも門を開いている。是非とも来い」 「ジンちゃんが……負けた?」
「はいな。あんなジンチンはんは初めて見た……っちゅーかあの人、女やったんですなぁ!」
「あたしが……倒すはずだったのに……」
「ハオはん? 俺、日本人やし、ようわからんのやけど、中国語に女言葉ないの知っててもなんか女っぽい喋り方になってまっせ?」
「ジェイ君……」
「はいな〜?」
「リウ・パイロンは昔、あたしをレイプしたのよ」
「ヒエーッ!?」ジェイはララの逞しい男のボディーを見ながら叫んだ。
「アイツにあたしの居場所を知らせないで、お願い!」
「え? え? リウ・パイロンはハオはんに会いに来たんでっか?」
「そうよ。あたしの体を奪いに来たのよ」
「キャーッ!?」 ララはジンチンに会いにシャオ四川料理店の横の路地へ行った。しかしそこに彼女の姿はなかった。
店に入るとシャオが一人いて、項垂れていた。
「よう、マスクマン。ジンチンなら寺の裏の広場にいると思うぜ。
しかしアイツでもリウに勝てねェとはな……。っつーか、ジンチンが女だったなんて……」
「女だったら何が変わると言うの?」
ララはシャオの言い方になんとなく腹が立ってそう言った。
するとシャオは少し寂しそうに笑うと、言った。
「行ってみな。見てみりゃわかるぜ」
寺の裏の広場に行くと、背の高い女性が一人座っているだけで、ジンチンの姿はなかった。
しかし女性は顔を上げるとララの名を呼んだ。
「ララちゃん」
「ジっ、ジンちゃんなの!?」
あまりの変わりようににわかには信じ難かった。サラサラの黒髪ロングストレートのウィッグを被り、化粧までしている。
今まではどんな時でも上半身裸だったのが、白地に赤い模様の入ったワンピースを着ている。
「あたし……恋しちゃったみたい」
ジンチンの言葉にララは後退りし、やがて駆け出した。
「リウ・パイロンには敵わないというの?」
ララは走りながら叫び続けた。
「リウ・パイロンにはどうしても敵わないというの!?」 映画館の前を駆け抜けようとして、ララはふと足を止めた。
入口の前には大きなポスターが貼ってあった。
『上海ゴースト・ストーリー 1月26日より公開』
シューフェンお姉さんの主演映画だわ……。ララが入口に近づいて行くと、モニターに映画の予告編が流されていた。
主演女優の死のニュースが手伝って、映画は公開前から全中華で大きな話題となっていた。
映画の場面が細かいカットで映し出され、ふいに画面にシューフェンの顔がアップで登場した。
自分が癌であり、余命幾ばくもないことを告白し、自分の死でこの映画の公開が中止にならないことを願うメッセージの動画だった。
シューフェンの声が聞こえているのだろうか、身体の中でカエルの卵ほどになっているハオがぴくりと動いた。
シューフェンが喋るたびに大きくなって来る。
「お兄ちゃん……」ララはそのハオをお腹の赤ちゃんのように愛しく感じた。「シューフェンお姉さんの……私の、お兄ちゃん」 「……もう、やめよっか?」
ララは呟いた。
「リウ・パイロンを殺すより……私はやっぱりお兄ちゃんを生かしたいや」
涙がぽろりと零れたと思ったら雨だった。
突然、ティティ、タータと鉄階段を叩いて降り出した雨にララは駆け出し、二人のアパートの部屋へと帰った。 暖房をつけた部屋でララは卵を温めるようにハオの復活を待った。
養分を吸っていたチューブからは逆に養分をハオに注いでいた。
「私達、負けたのよ」
ララはそう考えながらも目を閉じ微笑んでいた。
「闘いもしないうちから、負けたのよ」
ハオがだんだんと大きさを取り戻して行くのが身体の中に感じられて嬉しかった。
「やっぱり私、覚悟なんて持てない。そのためにお兄ちゃんを消してしまうなんて出来なかった」
ノートパソコンの画面には音量を消したTV番組が、中国の明るい未来を謳っていた。
「早く大きくなってね、私のお兄ちゃん」
ララはもうリウ・パイロンを殺すことは考えていなかった。メイファンの元に帰るつもりもなかった。
この部屋でずっとハオと二人で平和に暮らして行きたい、そう願うようになっていた。
しかしララの心には不安があった。こんなことをした自分をハオは果たして許してくれるだろうか? 嫌われて、追い出されてしまうんじゃないだろうか?
それでもいい、ララは思っていた。そうなっても仕方がないから、とにかくハオを助けたい。
そして叶うならば自分の身体を得て、ハオと兄妹のように、出来るならば恋人同士のように生きて行きたい、と願うのだった。
「やっぱり分不相応なことはあるの」
ララは自分の、ハオの身体を抱き締めた。
「私達はメイファンやリウ・パイロンのようにはなれないし、勝てない。平凡に生きて行くのがお似合いなの」 「私はリウ・パイロンに美しい過去を穢された」
ララは目を瞑り、思った。
「でも私はそれを憎んで生きるよりも、ハオさんを愛して生きる未来を選びたい」
そして強く願った。
「ハオさんとの子供が欲しい。その子は私の痛みなんて何も知る必要もなく、ただすくすくと、明るい未来へ向かって生きるの」 次の日の朝、ララとハオは同時に目が覚めた。
ララが目を開けると、口が「ふにゃ?」とハオの声で喋った。
「お兄ちゃん!」ララは喜びの声を上げた。
ふあぁと長いハオの欠伸が終わるのを待ってから、ララは言った。
「ごめんなさい、お兄ちゃん。ララがバカでした。お兄ちゃんを消滅させるなんて……バカなことをしようとしてごめんなさい」
ララが口の発言権を譲っても、暫くハオは何も言わなかった。
小さく縮こまりながらララが返事を待っていると、ようやくハオは喋りはじめた。
「……そうか、俺、ララに完全支配されようとしてて……」
「……」ララはただ頭を下げた。
「……なんで起こしたんだよぅ?」
「え?」
「俺……すんごい気持ちよかったのに!」
「は?」
「消えるのって気持ちいいなぁ、このまま永遠に眠るのサイコーって思ってたのに……! なんで起こすんだよぉ〜」
ララは笑いながら泣き出してしまった。
やっぱりこういう人なんだ、お兄ちゃんは。私のとんでもない過ちを、アホのフリをしてまで寛大に許してくれる。
この優しさに甘えちゃいけないんだ、私ももっと優しく、そして大人にならなければ。強くそう思った。
「お兄ちゃぁ〜〜〜ん!」
ララは激しくハオに抱きつきたかったが、無理だったので布団に抱きつき、ひとしきり頬を擦り寄せて泣いた。 いつもの公園の太極拳へ二人で行った。
身体は一つだけど、ララの中では二人で手を繋いで出かけた気分だった。
美しく緩やかなハオの動作を感じながら、ララはいつか自分も太極拳を覚えたいと思っていた。
今は信じられないほど何も知らず、何も出来ない自分だけど、ハオと助け合いながら、少しずつでいいから成長して行こう、
いつかは素敵な大人になって、自分を愛し、みんなを愛せるようになろう、そう思うようになっていた。
常緑樹の風に揺れる公園で、ララは青い空に希望で満ち溢れる未来を見た。
施しは羊のスープとちぎりパンだった。
二人は一口ずつ、味覚も満腹中枢も分け合って食べた。
「美味しいねぇ、お兄ちゃん」
「うん、こりゃ〜うまいな」
ララは昨日の食欲不振が嘘のように元気にレンゲを口へ運んだ。
ハオにはララの顔はもちろん見えないが、その幸せそうな笑顔が見えるような気がした。
一人で会話をしながらあまりにも幸せそうにパンをスープにつけて食べる30歳の男を、周囲は気味悪そうに見ていたが、
二人は静かで優しい時間に包まれて、いつまでもこうしていたいと心を繋ぎ合っていた。 アパートへの帰り道、ララは前々から気になっていた店に寄ろうと言い出した。
「いいよ、俺、服なんか興味ねーし」
ハオがそう言ってもララは頑なになって命令した。
「ダメダメ。お兄ちゃんはもっとお洒落になりなさい」
「お洒落な俺なんて俺じゃねーよぅ」
そう言いながら店に入って来る変な客を店員がニコニコと迎えた。
試着室に無理矢理入らせたハオのボロボロのジャンパー、グレーのトレーナーにグレーのジャージを脱がせると、ララは着せ替え遊びを始めた。
モノトーン基調のイケメン風ファッションをさせてみる。高級スイーツの上にジャガイモが乗っているようになった。
カジュアルな可愛い少年風を狙ってみる。ただの子供になってしまった。
「うーん。お兄ちゃん何が似合うんだろ……」
試しに白いTシャツとジーパンを穿かせてみるとやたらと似合った。
「えー! 格好いい! これいい!」
ハオはヘトヘトになっていたので適当に頷いた。
「でも寒いよねぇ。上に何かあと二枚は着ないと」
適当にトレーナーと革ジャンを着せてみると別人になった。
「わー! まるで映画俳優みたい! 昔のトニー・レオンみたいだよ! これにしよう!」
「ララサン、悪イケド」
「何、その喋り方?」
「オ金ガ無イノデス」
「え? だって地下ファイトで4万元(約60万円)ぐらい貯まってたじゃん」
「大キナ買イ物ヲシタモノデネ」
「はぁぁぁ!? 何買ったの!?」
「今日アタリ届クハズデス」
「しっ、信じられない!」
ララは出した服をすべてハオに片付けさせると、そのまま怒って店を出ようとした。
だが店の出口に可愛いハンチング帽を見つけ、思わず手に取り、鏡の前で被ってみるとよく似合った。
ディズニーのチップ&デールのチップの帽子だ。30元(約500円)だった。
「これだけでも買って帰ろうよ」
「ソノグライナラ買エマスネ」
汚くダサい格好に綺麗な可愛い帽子をひとつ乗せ、二人はアパートへ帰った。 ,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
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( ヽ /( ,_、)ヽ}
ヽ.. ィェエヲ; ぐはあ―――――!!
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γ´ \
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''´ ::::/ シャオ・ホンフーが店でチャーハンの練習をしていると、珍しい客がやって来た。
「おやおや、散打王様がこんな汚い店にまで何の用だい?」
リウ・パイロンは店に入って来ると、「先日はどうも」と挨拶をしてから1枚の写真を胸から取り出した。
「俺の探している男だが、どうやらマスクで顔を隠していたらしい。素顔なら知っているかと思い……」
リウはハオの写真を見せた。いつものハオの、何も考えていないような顔が写っている。
「おや?」シャオは怨恨のある相手に対してだけは物覚えがよかった。「コイツは……」
「知っているのか?」
「俺の料理を食い逃げしやがった奴だ! いや、でも、まさか、コイツが? マスクマン?」
「そうだ。本名はリー・チンハオという」
「ハオ……豪(hao)……なるほどあの額の一文字はそれか! あの野郎、騙してやがったな!」
「どこにいる? 一緒に取っ捕まえに行こう」
「あぁ……」シャオは少し嬉しそうにした。「ズーランという女なら知っているはずだ」
「よかった。手掛かりが出来た」
シャオはほっとしているリウを見ながら少し考えて、言った。
「ところでアンタ、本当に俺のこと覚えてないのかい?」
「知らん」
「シャオ・ホンフーという名前に聞き覚えは?」
「シャオ・ホンフーならよく知っている。尊敬すべき大先輩であり、誇り高き散打の戦士だ」
「そうかい」シャオは憎らしげに睨む。「アンタが選手生命を終わらせたんだよな?」
「シャオ・ホンフーならあれしきのことで未来を見失ったりはせん」
「何だと?」
「少なくともケチな賭けファイトやらボッタクリ料理屋などといった落ちぶれたことはしない男だ」
「てめぇ……!」
「俺の知っているシャオ・ホンフーはそんな男だ」リウはシャオを睨みつけた。「だからアンタのことは知らん」
シャオは体をわなわなと震わせながら、言葉が出て来なかった。
「今度、独立して散打のジムを作るんだが」リウはふいに切り出した。「協力して貰えないだろうか」
「俺にか?」
「新世代の散打の戦士を育てたい。経験豊かなアンタなら打ってつけだと思う」
「へっ」シャオは鼻を赤くしてそっぽを向いた。「黒麻婆豆腐作るが、食うか?」
「頂こう」
「いつか」シャオは調理をしながら言った。「俺と拳を交えてみてくれないか」
「あぁ」リウは水を飲み干すと、少し笑った。「『いつか』なんて言わず、いつでもいいぜ」 ズーランは玄関のドアを開けると知っているイカツイ顔が2つ並んでいるので思わず悲鳴を上げて人を呼ぶところだった。
「シャオ! アンタ! 縄張りを侵すんじゃないよ!」
「ズーラン、ぼっ、僕は。この人が君に会いたいというから連れて来ただけなんだ!」
グレーのスーツ姿に花束を持ったシャオはカチコチになりながらそう言った。
ズーランはもう1つのイカツイ顔を見る。TVでよく見知っているが、会うのは初めてだ。
「リウ・ハイロンさんだっけ?」
ズーランの間違いをシャオが慌てて正した。
「そっ、それは実在の元散打王さんだよズーラン!」
「リウ・パイロンです」と自己紹介してリウは申し訳なさそうに頭を下げた。
「何の用だい?」
部屋に上げる気もなさそうに聞くズーランにリウは写真を取り出し、見せた。
「コイツがどこにいるかご存知ありませんか」
「あら、ハオ。見事にアホ面を捉えた1枚ね」
「ご存知なのですか?」
「ずっ、ズーラン、散打王様がお客なのに部屋に上げないのは失礼だよ?」シャオは上がりたそうにしている。
「うーん」ズーランは暫く考え、「知らないわ」と言うなりドアを閉めた。 ハオとララがアパートに帰ると、宅配便のトラックがちょうどその前に停まったところだった。
「あっ」ハオがとても嬉しそうに声を上げる。「来た来た。届いたぞぅ」
ドライバーのお兄さんから直接荷物を受け取り、サインをするとウキウキしながら部屋に持って入った。
「何なのこれ」
部屋の大部分を占めて床に置かれたでっかい長方形の段ボール箱を見ながら、ララが不安そうな声で呟いた。
「これはね」ハオはウインクをしながら言う。「君へのプレゼントさ」
プラスチックのバンドをハサミで切り、ガムテープを破ると蓋が開いた。
中身があらわになる。
「ヒッ!?」
思わずララは小さく悲鳴を上げた。中には全裸の女性の死体が……
「ノンノン。死体じゃないんだ、これは」ハオが人差し指を揺らして言った。
「ななな何なのよ、これ……」
「リアルラブドールのメンメンちゃんさ」
ハオはメンメンちゃんをお姫様抱っこして箱の中からお迎えした。
身長155cmのボディーにEカップの豊満なおっぱいが柔らかく揺れている。
「凄い……」ララは興味深そうにメンメンちゃんを眺めた。「人形なの? これ、本物みたい」
「凄いだろう?」
「すごーい……」
「僕も初めて手にしたが、夢のような可愛さだ」
ララははっとして聞いた。
「もしかして……4万元したデカイ買い物って……」
「この娘さ」
「バカ!?」ララは激しくなじった。「バカなの!? 真性のバカ!? あんたバカ!?」
「バカじゃない!」ハオは顔の表情を引き締めた。「ララ、これはイヤらしい人形なんかじゃない。君の新しいボディーなんだよ」
「ハァ!?」
「見てごらん。よく見てごらん。君にそっくりな人形を選んだつもりだ。よく見てごらん」
ララはメンメンちゃんをまじまじと見た。確かに顔はメイファンを白くしたようだと言えなくもなかった。しかしおっぱいは大きすぎる。
「もしかして……あたし、これに入るの?」
「そうだよ。君は自分の身体が欲しかったはずだ。そうだろう?」
「……人間の身体が、ね」
「大丈夫。日本のエロマンガなんかでよくあるだろ? 魂が入った人形は変身して人間になるんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ! さ、早く早く! 中に入ってみて」 「うーん」
ララは激しく悩んだ。
確かに身体は欲しい。4歳で産まれてから、たぶんずっと欲しかったものだ。決して叶わないと思っていた夢だ。
でもこれは違う、なんか違う。身体と言うよりは、なんかの専用のオモチャだ。
「大丈夫なのかなぁ」
「大丈夫! 苦しかったらすぐに俺の中に戻って来ればいいんだから」
「うーん」
「きっと気に入るよ」
「まぁ、入ってみるけど」
「そう来なくっちゃ!」
「でもどこから入るのこれ?」
「口がね、開くようになってるんだ」
ハオはメンメンちゃんの可愛い口をぱっくりと開いて見せた。
「でもこれ、身体の中まで貫通してないよ?」
「そっ、そうか。バキュームを強くするためだな!? じゃあ、他に……穴は……」
「あー……」
ララとハオは同時に見つけてしまった。あからさまにベタな部分に打ってつけの穴が開いていた。
ハオはメンメンちゃんに大股開きをさせると、確認した。
「うん、大丈夫だ。ここからなら中まで入れる。骨まで見えるよ」
「そだね。じゃあ、入ってみる」
ハオは大きく口を開けると、メンメンちゃんのあそこにぴったりと吸い付いた。喉の奥から何か綿飴のようなものが出て来る。
それはずるずるとハオの口から出ると、すぽんと人形の穴に飛び込んだ。
ハオはニコニコ顔でメンメンちゃんの下半身から口を離すと、待った。
人形がぴくりと動き、顔を左右に振ってから起き上がり、可愛い口からララの声が出て来るのを待った。
しかし、人形はぴくりとも動かない。
「……ララ?」
人形はぴくりとも動かない。
「ラーラちゃんっ?」
人形はぴくりとも動かない。
何かヤバそうな空気を感じ取り、ハオは急いで人形の性器部分にまた口をつけた。
「おい! ララ! 戻れ!」
しかしララは戻って来ない。
「ララ! ララ! 戻って来い!!」
ララは気配すらなくなってしまった。
「あああアアーーー!!! ララ!?」 「メイファン……」ハオは思わずその名前を口にした。「メイファン……! 助けて!!」
そして震えの止まらない手でララのスマホを取り、電話帳を開いた。
登録されている番号は一つだけ、習近平だけだった。構わずかける。
『やぁ、ララちゃんっ』すぐに習は電話に出た。
「メイファンに代わってくれ!」
『あれ? ララちゃんじゃないな……。ハオ君かね? ララちゃんは』
「いいから早くメイファンに代わってくれ! 頼む!」
『いいのかね? そんな言い方をして。私は』
「たかが国家主席の分際で邪魔しないでくれ! いいからメイファンに代われ!」
『……切るよ』
「わわわわわかった! ごめんなさい! ララがピンチなんです! メイファンに代わってください!」
『それならそうと早く言ってくれればいいのに』
そう言うと習は電話の向こうで『メイファン』と呼んだ。すぐにメイファンが電話に出て来た。
『よう、ハオ兄か? どうしたことだ、私に電話など』
「ララララララがいなくなったんだ! どうしたらいいのかわからない! 早く来てくれ!」
『何だと? どこだ?』
「○○街の××番地のアパートだ。早く! 頼む!」 『施設』からそんなに近いわけもないのに関わらず、メイファンは10分もかからずにやって来た。
「何だ、これは……」メイファンは床に寝そべっている妙な人形を見ながら険しい顔をした。「もしや、ララをこれに入れようとしたのか?」
「入れたんだ!」ハオは答えた。「確かに入ったんだ! 入ってから、消えてしまった!」
メイファンは人形の中を見た。部屋の中の隅々まで気を張り巡らせた。そして、言った。
「ララが……どこにもいない」
「人形の中は?」
「いない」
「もっとよく探してくれよぅ!」
メイファンは恐ろしい目でハオを見、唇を噛むと、言った。
「貴様……こんな呼吸も血液もないものに入ってララが生きていられると思ったのか?」
「いいから探してくれ!」
「ララは……いない。恐らくこれに入れられた瞬間、即死した」
「そく……っ!」
メイファンはテーブルの上に置かれていたディズニーの帽子を力を込めて掴むと、『気』を込める。帽子のツバが鋭い刃物に変わる。
ハオの右手の指先が4本、揃って飛んだ。
「貴様などに大切な姉貴のことを任せたのが間違いだった」
メイファンはそう言いながら帽子のギロチンを振るった。ハオの左耳が根本から飛んだ。
ハオは悲鳴を上げて泣きながら、されるがままになっていた。
「返せ! 私の最愛の姉を!」
ハオの鼻が飛んだ。豚の鼻のようになった顔でハオはただ泣くしか出来なかった。
「返せ!」メイファンも大粒の涙を流し、噛みしめた唇からは血を流していた。 この時メイファンは初めて確信した。
リー・チンハオの本質は邪悪であると ハオはララに新しいボディをプレゼントしたのは
自分に都合が良いオナホと家政婦が欲しかったからで、ララに自由を与えたいわけではなかった。
ハオには愛というものを理解していなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています