みんなの創作ノート Part1
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作品発表や創作についての話し合いをするスレッドです これ、小説を書く練習にもなると思うんだよね。
娯楽と練習を兼ねて一石二鳥だと思うんだけど 学園物とか異世界物とか、ラフな設定だけ決めて始めれば良いと思う。
TRPGスレが複雑すぎて全く機能していないでしょ。
まずは簡単なこちらから始めれば良いと思うんだよね。 どういうジャンルの物がやりたいか、リクエストがあったら提案してみて。
俺は何でも合わせるから。 ジャンルは何でもいいらしいので舞台設定と共にいきなりだが始める。
郊外にある某エネルギー研究所。実験棟を離れた研究者の集団は場所を講義室に移した。
各々の席に着くと早々と壮年の教授が問題を提起した。
「今回、色素増感太陽色素増感太陽電池の増感色素の飛躍的な効率化で実用の目途が立ったと思う。
そこで有機太陽電池に最適な利用法を君に聞きたい。素体への融合も考えられているが、
その部分の君の見解も今後を見据えて知っておきたいところだ。よろしく頼む」 TRPG、全く機能していないんでしょ?
一人が頑張っているだけで。
いきなりはムリだよね、複雑すぎて。 ちょっとややこしい、もうちょっと簡単な物にしてくれ。
何でも良いと言ったのは間違いだった、すまん。 カッコは省略しても良いと思うぞ。
設定の説明は別にした方が良い。 最初は細かい設定なしのラフ設定でやってみよう
ジャンル設定だけで 粗い設定のリクエストお願いします。
いきなり開始じゃなくて、やりたい内容の募集だけね。
子供のゴッコ遊びでもそうでしょ
まず「こういうのがやりたい」という提案があって、相手が同意したら始められる。 >>168
>>161
>俺は何でも合わせるから。 いや、そういうのムリだから。
ご自分でスレ立てして始められてはいかがですか?
学問好きの人が集まると思いますよ。 >>170
だから、それはあやまる
「すいませんでした、期待させて申し訳ありません」 だから「ロールプレイで哲学問答をするスレ」とか立ててやってみて下さい。
そしたら、プラトンとかソクラテスとかのコテハンで参加する人がいると思います。 >>173
君の能力を俺は知らない。
場を円滑に進められる技量や度量があるのかも分からない。
それでいて発起人になろうとする。匿名の掲示板ではあるが、
能力の開示くらいはしてもいいのではないか?
邪推をすれば君が持て余した時間を消化する目的でスレッドを立てて、
俺のように立ち寄った人間を利用して暇潰しに興じているように見える。
まずは君がジャンルと設定を決めて人を募るところから始めてみては如何かな。
話はそれからだ。 難しすぎるだろ
できるわけがないことを課題に設定するな 可能な人間もいる。
俺には何の足しにもならないスレッドのようなので失礼する。 新しい試みだからね
やり方自体を模索している段階だよ
君のリアクションによって、もう一つ派生アイデアが生まれた
「ロールプレイで哲学問答をするスレ」だ
小説家バージョンも出来そう
最初にガッチリ決めてしまうとこういうことは起こらない
ま、取り敢えずの実験だからね
設定の募集だけします、開始は未定
俺抜きで勝手に始めてもらっても結構です どういうゴッコ遊びをしたいか考えましょう。
このスレはそのためのテストスレです。
で、行けそうな企画を思い付いたらスレ立てをすればいい。 TRPGをやる場合でも、マスターはRPGマスターとして
コテハンで参加すべきだと思うけどな 哲学はやめよう
哲学書を何もかも読みつくした上でそれっぽい文章が書ける人が沢山揃うはずがない
ただ哲学書を齧っただけではダメだし、ましてや読んでないなら絶対に無理だ キャラクターのセリフと場面の説明は
一目で違いがわかるようにした方が良いかもな
例えば、こんな風に。 >>182
専用スレで哲学者のロールプレイは面白いと思う
凄いアホなニーチェとか まあ、美少女学園物とか、個人的にはやろうと思ったけど。
中身はオッサンだから、キモイことこの上ないがね。 ■RPN=ロールプレイング・ノベル
複数人でキャラクターを受け持ち、そのセリフのやり取りで進めて行くゲーム、
あるいはリレー小説のようなものです。
まだ、試案の段階なのでハッキリした形式は定まっていません。
みんなでやりながら、練り上げて行きましょう。 こっちに立てたのは失敗だったな
ロールプレイスレも文芸に立てるか ジャンルを提案してくれたら、そこから色々相談して広げて
主要キャラとか決めて試しにやってみようと思ったが、
あんな特殊なジャンルを言われると思わなかった。
やはり、こちらからザックリとした選択肢を出さないといけないな。 ジャンルと言うより、どういうキャラをやりたいかの方が良かったかな?
動かすのが得意なキャラは。 だが、最初の人の哲学者や研究者となると対応できない。 一行ずつ書いてスレを消費するのはやめよう。
誰も来ない可能性が高いんだから、黙って待っておこう。
現に意味がない書き込みが続いている。不本意じゃないのか? いや、俺とこだけだったら別に良いんだけどさあ、
酷評も人っ子一人こねーじゃん、107まで続いてるスレが。
それでしくったと思ったんですよ。
酷評がダメだったらこのスレなんて…。 で、昨日は重複してるのが原因だと思って前のスレを必死で埋めたけど、
結局それが原因じゃなかった。 >>200
今日は疲れたので、後日またゆっくり読ませてもらいます。 >>199
酷評する人は嫌われるし、ここは下手な人がそれを忘れていっぱしの書き手を演じる場だからね。
あなたみたいな人は要らないんですよ。誰も本気でやる気なんかないからね。 >>206
>>2
>あんまり酷評し合わずに、まったりとした作品発表、話し合いの場にしましょう。
酷評はしないスレにするつもりでたてたんじゃないのですか?
その点で酷評スレと住み分けしていると理解していたのですが…… そのつもりでしたが、思い通りにはいかないですね。
アクセルの踏み加減を間違えました。
以後、気を付けます。 つーか、酷評スレって中身については論評しないでしょ。
文章の細かいチェックをするだけじゃないですか?
その時点で差別化出来ていると思いますが。 ■批評する人へ
当スレは投稿者を育てるのが目的なので、
できるかぎり良い所と悪い所を具体的に挙げて
投稿者が納得する形で批評をしてあげてください。
こんなやり方で育てられるのでしょうか? ここの目的は切磋琢磨です。
互いが互いを磨き合うのです。
その為に、アクセルを踏み間違えました。
全力を出せば良いってものではありませんね。 このスレに書き込んだ人間って何人くらいなんだろう?
アイデアだけでとりあえず書き始めたネット小説みたいなスレだ 10人以下じゃない?
それより酷評スレが止まっていることの方が問題だ。
そのコバンザメでついて来たのに。 文学とエンタメ小説は、結局似て非なるもの。
それをごっちゃにしてはいけない。 エンタメは単純に娯楽のためにある。
文学の目的は難しいけれど。 そもそも三人称一元視点をどういうものと思っているのかを聞きたい。 うーん、創作に関する一般的なお悩み相談というのはこっち向きだと思うけどなぁ。
作品の評価なら酷評スレがあるわけだし。 良いと思う
何ならこの板でスレ立てして設定を考えてみたら?
「暗黒大陸の攻略の冒険活劇を考える」みたいな 暗黒大陸の冒険もので、キャラクターはオリジナルキャラとか漫画のキャラとかでどう?
ドラえもんファミリー+みんなのオリジナルキャラとかでさ 共通の設定でそこから各自が書くってこと?
前線に出るやつの話
そいつ等を支える話
待ってる家族とか? 書くのは本人だけだよ
それをみんなで色々広げてやるってことだ。
書かなくても、一緒に考えるだけで他の人にもプラスになる。
スレなんて使い切れなくても別に良いんだから気軽に立てるべきだね。
俺には才能が無いのか正直に判断して欲しいです。
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1519737307/
これだけで立ててる若いやつもいるからね。 とにかく何でも集客できそうなスレを増やすことだ
この板の過疎っぷりは悲惨だからね
「殺人鬼スネ夫」のやつの専用板と言っても過言ではない 有用なスレを増やして、板全体の生産性を上げることだ。
それに関わることで、自分の創作の生産性も上がる。
みんなで設定を考える、広げるっていうのは
一人で考えるよりも、良い練習になるんじゃないかな。 レベルの高い人のストーリーの練り方
創作法を一気に習得できる。 まあ、とにかくジャンジャンスレ立てして板全休を活性化しよう。
それが全員のためだ。
俺も立てるが、一人のアイデアには限界があるからね。 スネ夫スレはバランスがいいんだよな
厨二病軽く入る展開やら漫画太郎的な展開、他の漫画のパクリ展開やら、もともとドラえもんキャラがメインだからギャグに走らせてもリアルストーリーでも笑えるって強みがあるよな
あと、描写もややこしくなく適度で参加しやすい >>219
三人称一元視点でググったら、何かなろうのサイトが出て来たわ。
アレ読んで一生懸命勉強したのか?
あんなもん鵜呑みにしたらダメだぞ。
あいつ自身プロでも何でもないんだろ?
だったらアレが正しいかどうか証明できていない。
あの理論に基いて小説を書いて、立派な物が出来ているのなら信じたら良い。 悪いけど、表現の仕方については悩んだことはないなあ。
そんなもんは、出来て当たり前だから。
そんなことよりも、小説の価値や面白さについてずっと悩んで来た。
どうやったら、価値のある面白い物が書けるのかについてね。
大事なのはそこだろ?
一元か何か知らないが、そんなもん守ったところで良い物が書けるようにはならない。
そいつは、一番肝心のところを見てみないふりをしているだけだから。
「自分がまともな物を何も書けない」その事実をね。 表現の仕方について悩んでいないことも無い。
でもそれは、価値や面白さと関連しての話だ。
小学生のかきかた教室レベルの話でではない。 三人称一元視点というのは理論のことではない。単に三人称小説の一分類といったところに過ぎない。
ただ昨今は、三人称小説は一元視点で書くべし! という風潮なのでそれがなにかを知っておく必要はあるだろう。たぶん。
で、他スレを見ていると、
「三人称一元視点は一人称の「私」を人物名に置き換えただけにはならないということ?」
などというレスがあったので、よくわかってない人もいるようだ。
なにかを議論する上で言葉の定義があやふやでは、その議論もまた意味不明なものになりかねない。そこで、三人称一元視点の定義づけをうながすべく上記のような質問をしたのだが、ちょっとググればわかるようなものなので解決したのだろう。
ただちょっと気になるのは、それは「ルールではない」ということだ。
課題であったり、「今回は三人称一元視点で書くぞ!」と決めたのであれば自分ルールだが、三人称小説は一元視点で書くべき、というものでもないのだ。最初と言ってること違うやんけ! と思うだろうが、ホントだね!
そもそも、三人称小説は一元視点で書くべし! ではなく、三人称神視点はキラい! というのが風潮なのではなかろうか。誰が嫌っているのかはよくわからないが、大沢在昌は嫌っているようである。
となれば、三人称神視点を考察しなければなるまい。 一元視点について考える 作者:御衣黄
三人称の種類で、いわゆる神視点と三人称多元視点がありますが、
神視点は心情描写を一切しない、
多元視点は全員の心情描写をおこなう、という違いがあります。
主人公のみ心情描写をおこなう三人称一元視点と、心情描写を一切行わない神視点、
登場人物みんなの心情描写をおこなう三人称多元視点をくらべ
どれが一番、主人公に感情移入できるでしょうか? たぶん三人称一元視点だと思うでしょう。
例えば、恋愛小説を神視点で書けますか? 主人公の心情描写をせずに書くことは私の技術では無理です。
推理小説を三人称多元視点で書いたとします。容疑者の心情描写を書いた時点で犯人とばれてしまいます。
三人称一元視点はオールマイティでどのジャンルでも使えます。 > 例えば、恋愛小説を神視点で書けますか?
> 主人公の心情描写をせずに書くことは私の技術では無理です。
すげえなこいつ、自分が出来るできないが根拠なのか?
じゃあ、お前が一元で書いたその素晴らしい恋愛小説とやらを見せてみろよ。 三人称神視点の定義はネットで見ると意見が分かれていてびっくりするのであるが、ひとつは「登場人物の誰もの内面を描写できるもの」、もうひとつは「登場人物の誰もの内面を描写しないもの」というものだ。
まるっきり正反対である。
一般に神様は全知である。他にも理由はあるが、長くなるので前者を採用しよう。
登場人物の誰もの内面を描写するとなぜ嫌われるのか。よくないのか。
色々言われるのである。視点が混乱する。誰に感情移入すればいいのかわからない。内面を描写しない者が犯人。などなど。
神視点が嫌われたから一元視点が登場したのかといえば、そうではないだろう。一元視点、もしくは一人称が登場したので神視点は駆逐されたのだ。根拠はないし、どうでもいいことだネ!
というわけで、主人公に絞って描いていく三人称一元視点がちやほやされることになった。三人称なので主人公がいないシーンも描けるし、移行も自然にできるだろう。主人公の知らない情報も書ける。他の人の内面描写をしなければいいのだ。
いや、それは三人称一元視点じゃない! という人もいるかもしれない。主人公の知らないことは書けないし、いないシーンも描けない、というかもしれない。
そうだろうか? 神視点否定が一元視点隆盛の原因とするならば、注意すべきは内面描写ではないか。一元視点はかくあるべき、というのを「一元視点」という言葉によって縛るべきではない。感情移入、わかりやすさ、という点から「内面描写をひとりに絞った」、それが三人称一元視点の正体である。
しかし、それではオレの思うような世界が描けない! と世界の中心で叫ぶケモノもいよう。先人もそう思った。
となれば、どんな工夫をしてきたか、を考察せねばなるまい。 > 神視点は心情描写を一切しない、
これで謎が解けたわ。
一元の意味がどうしてもわからなくてその違いは何なのかと思っていたから。
俺には、一人称と三人称の区別しかなくて、
そのいずれにしろこいつの言う心情描写なんて必要ないからな。
つまりこいつの言うオールマイティの一元なんて全く必要ない訳です。
神様と自分とそれだけで十分てこと。 まず、なんでこんなド素人のなんちゃって理論を有難がるかだよな。
出されている例文が一元も含めてどうしようもなく古臭い。
例文だからという言い訳は通用しまい。 俺からすれば一元も神も似たようなもんだ。
こいつが問題と思っているような事は、
一元にしたからと言って、劇的に変わる訳ではない。 どんな工夫をしてきたか、と大上段に振りかぶってはみたものの、あまり大した考察はないのである。
一元視点といっても、章やシーンで視点人物を変える、という手法はまま取られるだろう。これが一元視点かと問われれば、多元視点かな? と答えるかもしれない。
多元視点とはなんぞやと問われれば、二通りの考え方があるだろう。
ひとつは、章やシーンではあるひとりの内面を描写するが、章やシーンで視点人物に変更がある場合。
もうひとつは、同一の章やシーンで複数人物の内面描写を行う場合。
後者は神視点とあまり変わらないので、前者を多元視点と呼びたいが、あまり意味のある言葉とは思えない。
使う人によって定義が変わるので注意が必要だ。
注意すべきは視点人物を変えるときは、章なりシーンなりを大きく変えるということだろう。そうすれば読者はあまり混乱することない。ハズ。もしそうしないと、神視点のマイナス点をそのまま引き継ぐことになる。
一人称と三人称のハイブリッドもあるだろう。これはなかなか難しそうだ。まず、語り手が変わったことを読者にはっきりわかってもらうにはどうするかだ。
一人称の語り口を独特のものにするか。最初に三人称視点の語りから入って、二通りの人称を使うとわかりやすくするか。他にもあるだろう。今ちょっと思いつかないが。
一人称だって章ごとに語り手が変わるものもある。これは一人称多元視点と言っていいのではあるまいか。
他にも色々あるだろう。ようは同一のシーンで視点人物を混乱させないことだろうか? しかし、それも絶対にダメとは言えないだろう。なにかの目的があってそうするなら誰に遠慮するものでもないし、神視点で書いてもいいのである。
小説は自由なのだ! とはいってもやっぱり最初は一元視点がいいんじゃないですかね?
さて、次は三人称語りのあれこれを見ていこう。 >>238
まあ、バカがこういうのに騙されるのは放って置いた方がいいかも。
方法について考えるのも作家の仕事だ。
それを他人のカンニングで楽しようとしてるやつなんざあね。 まったりと、はどこに行ったのだろう。
文章も晒さず、弾の飛んで来ないところで、ひたすらに知識だけ披露すると、
往々にして「論の為の論」になってしまう。
このスレを見て、結果何を得ることができるのか。
上がった作品をスルーして何の意義を主張するというのか。
スレ主はそこを考えた方がいい。 まず、圧倒的に板全体が過疎っているんだよ。
酷評につられて来てしまったが、今の状態でやれることは少ない。
まず、ここの人口を増やさないことにはどうにもならない。
そのためには新しい企画スレを立てること。
君も、他人のダメ出しばかりしていないで何かアクションを起こしたらどうだね? まあ、他の人の役には立っていないかも知れないが、自分の役には立っている。
ここに立てたことで、色んなことを考える契機にはなっている。
自分の中の生産性は間違いなく上がっている。 最初に提示した、
「三人称一元視点は一人称の「私」を人物名に置き換えただけにはならないということ?」
であるが、この中の「一人称の『私』を人物名に置き換えただけ」のものは「疑似三人称」と呼ばれるものだろう。「擬似」かもしれない。
そんな小説、あるわけないじゃん! と思われる人もいるだろう。あるのである。びっくりしたのである。
ミステリーだったが、冒頭が疑似三人称であった。
なんだか違和感があるのである。地の文は一人称のようだが、わたしがいないのである。あれ? と思ってよく読むと疑似三人称とわかったのである。
これがウワサの!?
次の章は普通の三人称一元視点だったかな? 視点対象は刑事だった。
その後もたまに疑似三人称は現れるが、同じ人物だった。視点対象はふたりだ。
つまり、一人称と三人称の混同を避けるために疑似三人称を用いたのであろう。なぜ普通の三人称ではなく疑似三人称だったのかまでは考察できていない。
他に驚いたのは、酷評スレのいくつか前のスレにあった「三人称一元視点憑依型」だったかな? 憑依型がつくものである。
憑依型!?
びっくりしたのであるが、他で見かけないので冗談だったのかもしれない。
当然、背後霊型もあるはずだ。確かあった。どこで見たかは忘れた。
他にもなんだか「自分ルール」を作っている人がいるようだが、本来「三人称はなんでもあり」である。登場人物の誰の心のなかも覗けるし、カバンやポケットのなかもわかるのである。体のなかの様子や宇宙の果てを描写しても構わない。
現実と違うことを描いてしまうかもしれない、というのは別の話である。
しかし、なんでもかんでも書くのがいいかというと、一元視点の例のように、面白さを損なう場合がある。そこで作品ごとの「自分ルール」を決めるのであろう。他人の三人称一元視点小説を読んで、「他人のポケットのなかがわかるのはおかしい!」というのは本来おかしいのだ。
なぜなら、それを制限しない「その人のルール」だからだ。でも、それが面白さを損なうなら「見えない部分は描写しない方がよくね?」くらいは言ってもいいのではないか。「犯人だけポケットのなかを描写しないのはズルい!」と言われないためには全員のポケットのなかを描写しないルールを設ける必要があるかもしれない。
つづく うーん、何でもありなら神視点と言い分ける必要がないような? 「ルール」というのは「制限」と置き換えても構わないだろう。
「なんでもあり」の三人称小説を、より面白くするために課す「制限」には、すでに名前がついているのもある。内面描写をひとりに制限する「三人称一元視点」、なにもつけない「神視点」、えーと、それくらい?
あとは必要に応じてそれぞれが制限したりしなかったりすればいいのだ。
一人称ならばおのずと制限がかかるのである。他人の心のなかは覗けないし、ポケットのなかも見えないし、知らないことは語れないし、語り手がいない場面は書けない。
三人称が難しいというのは、自由すぎるがゆえなのだろう。どこまで制限をかけるか。それを意識しないと、図らずも神視点になってしまったり、視点があちこちに飛んだり、説明過多の退屈な文章になってしまったり、感情移入が難しくなってしまったり?
三人称なんとかかんとかというのは、結局のところそういうことなのだ。たぶん。
三人称のいいところに制限をかけたり、登場人物の誰もの内面を描写しないというのはなんだか理解できないが、まあそのへんも自由なのだ。
だいたいこんな感じです。 おもしろい論旨でした
とどのつまり今後は
いかなる場合において
視点にどんな制限を付けるべきか
ひいてはその形式がどう別れていくか
こういう考察になっていくのではないでしょうか
第三者のポケットの中が覗けても、視点人物以外の心理は覗けない
そんな物理型・神視点があったとすれば、
それは古畑任三郎的な、犯人が先に分かっているミステリに向くかもしれません
誰の心理も覗けない表層型・三人称視点があったとすれば、
それは心理の探り合いとなる人間ドラマに向くかもしれません
また酷評スレの道化師さんのような語り部自身が判断を下すような物語口調もあります
こうなってくると語り部が何を知りどこまで語るかという分岐が、
かなりの枝分かれを起こしそうだという気がします スネ夫スレが漫画サロン板から移転してきたんだし、漫画サロンの住民をこちらにスカウトしてみたら?
みんな創作意欲ある連中ばかりじゃない? それより、バーチャルタウンの方から、今攻めようとしてるから 明らかにこの板が知られてないですよね
書籍サロンだと酷評スレがちらほら話題に上がりますけど
隙を狙って告知するチャンスを狙ってるんですがねえ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています