とはいえ、東北の寒村で生まれ育ったうちの爺様は
戦後間もない時期の小学生だった頃、家の仕事を割り当てられて毎日ウサギや鶏に餌や水を与えて飼育していたのだが
ある日学校から帰宅していつものようにウサギ小屋に餌を与えに行ったら一羽足りず、脱走したのかと周囲を探し回っても見つからない
親にも言えずにさてどう切り出したら良いものかと思い悩んでいたところその日の夕食のおかずに久方ぶりの肉が出て来たのを見て、子供ながらに全てを察して泣きながら肉を食べたのだが、それ以来ウサギを見るとつらさを感じるようになったと言っていた
ウサギを見るたびに、子供の頃の在りし日の出来事がありありと脳裏に浮かんでくるのだと
それでも、生きる為には食わなければならない
生きるとはそういうこと