奈良電気鉄道について語ろう
大阪電気軌道と京阪電気鉄道の折半出資によって設立
昭和3年11月3日 桃山御陵前-西大寺間 開業
昭和3年11月15日 京都-桃山御陵前間 開業
昭和38年10月1日 近畿日本鉄道と合併し会社消滅
近鉄京都線の前身、奈良電気鉄道について語ろう。 みぱちょ似の美人と不倫って表現どうよ?
誰もみぱちょを美人だとは思わないだろうし
不祥事なのに勝手に名前を例示に使われて本人もいい気はしないだろう。 田原本線も大和鉄道とかいう会社で同じ頃近鉄になったんだよね詳しく知らないけど 正式名称のなかに略称が含まれてるから都合いいよね
検索のこと考えなくていい「奈良電 気鉄道」
(まあアルゴリズムで「電気」分割を撥ねる設定になってたら関係なくなるが) 国会図書館で奈良電気鉄道社史を読んだけど、金欠に苦しめられたことの記述が非常に多かった。 大阪電気軌道のwikiを見ると、1930年代の路線図が載ってるんだけど
なぜか京都西大寺間が他社線ではなく、大軌参急線になってるんだよね
この当時から、奈良電って近鉄グループだったのか?
同じく奈良電の株主だった京阪は文句を言わなかったのだろうか >>4 当時の電気鉄道は「配電事業と鉄道事業やってます」の意味だからな
いまと意味がちょっと違う
>>8 大軌参急に乗り入れてたのもあったんではないかな >>9
鉄道史だけでなく戦前モノ全般が好きだが
そういうニュアンスあったのは今まで知らなかった
勉強になったわ 社史と京都教育大の先生の論文で見たけど、開業当初京都から十条までの間は全部地平の軌道と駅設備だった。
京都市の都市計画道路と市電敷設に合わせて九条通との交差部を立体化。
その際京都市の強い要請で、戦時体制の資材不足にもかかわらず奈良電の東寺駅高架化と跨道橋架設を優先したため、一部市電の資材を融通してもらったそうな。
京都市は九条通と市電九条線の敷設のため、奈良電に交差部を高架にするか地下にするか早急に決断するよう迫ったとか。
資材の融通はその見返りとのこと。