国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された >>88
キハ58の1号車は終始一貫して非冷房のままで一生を終えた EF81 400
酒田区等からかき集めたEF81をEF30の後釜として門司区及び大分区に配置
何故か全車日立製で統一されていた DD51 791
鷲別→美濃太田
二代目ユーロライナー専用塗装機ははるばる鷲別からやって来た キハ47 502
新潟→高松→高知→徳島→松山→徳島
新潟で生まれた後、四国全県制覇 100系G1~G7編成他 JR東海→JR西日本に譲渡 クハ455-55 金沢→仙台
クハ455-65 仙台→金沢
ほぼ同時期にトレードされているけど、なにか理由があったのか不明 EF65 1019
広島→下関→宇都宮→田端
呉線電化開業用として新製配置
昭和62年3月初代スーパーエクスプレスレインボー専用色になる EF81 81
富山第二→内郷→田端
日本海縦貫線輸送力増強用として新製配置
昭和60年3月御召列車牽引のため整備 105系4扉車
改造種車は常磐緩行線等から捻出された103系 381系
出雲→日根野
昭和61年に6両編成×3本=18両が移籍 国鉄時代は関西では国電は嫌われていたと想像した
何でも私鉄に客が流れていたとされている模様
JR西日本になって独自設計の221系が登場し、一気に客をJRへ取り戻したそうな >>107
117系の登場で国鉄にもある程度戻ってたけど、それでも1976年11月以降の
運賃格差は如何ともしがたいことから急速なシェア拡大にはならなかった。
JRになってから221系の登場に加えて運賃格差も縮小し、阪神大震災からの
復旧が私鉄よりも早かったこともあって、JRが一気にシェアを拡大した。 キハ180-23 米子→高松
キハ180-24 向日町→高松 クモハ475-40+モハ474-40
門ミフ→金サワ
交直流急行型は特急型に比べて広域転配が少ない DD54の置き換え用のために早岐・鳥栖などから米子機関区に転属したDD51 EF80の置き換え用のために酒田・富山などから田端機関区に転属したEF81 クロ481
1-2:仙台→南福岡
3-5:仙台→鹿児島(クハ481-600化も同時施工)
101-104:仙台→南福岡 583系→715系1000番台
向日町→仙台
小倉、郡山、土崎の各工場で改造 >>36
クモハ165-141(クモハ165のラストナンバー)
新潟→大垣→松本→日根野 クハネ581
盛アオ→門ミフ
定員の多いクハネ583を優先的に東北特急へ充当するため
クハネ581は玉突きで転属 119系
豊橋機関区→静岡運転所→大垣車両区
(近いっ) 583系ラストナンバー8M5T
南福岡→青森
九州特急全廃時、ほとんどは向日町に転出したがラストナンバーは青森へ >>113
1981年 ちょっと古臭い初期型24系や25形の
ゆうづるは見た限りいつもEF81牽引になってたな。一方でかろうじて残っていた旧客鈍行
は皆EF80だった。 EF80は初期型はもう見かけず、一番若いのは29だったかな。
北陸からやってきたEF81に全て置き換わるんだろうと思ってたが、1985年に302と301?が
関門に帰って行ったのは意外だった。
EF80は新金線通って新小岩まで顔出してたのが
面白いねえ >>121
門司区に301/302が帰ったのは先輩EF30淘汰の最適解ですからね
日本海縦貫線育ちも合流して民営化前後に重連仕様になった 昭和61年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で特急「まつかぜ」廃止により、
キハ181系12両が向日町運転所から米子運転所へ転属
キハ180を先頭車化改造したキハ181-101も含まれていた。 >>122
301と302は田端ではゆうづるも牽引してた
はずだけど、写真が見つからないね。
その後門司に帰ってからは同様に東京・関西と
九州間のさくらはやぶさみずほ富士あさかぜ
なはあかつき彗星全てマーク付きで引いてたはず。花形運用で東から西というのはかなり珍しいかも。まさに広域配転の醍醐味かな? >>124
EF81301
短期間ながら「ゆうづる」「さくら」画像ありましたよ
ヘッドマーク復活直後で良い時代でしたね
民営化後は重連で貨物仕業に従事することになりましたし DD50 4
DF40が改造工事中、土讃本線で使用された EF65 501-504
東京→下関→沼津→
ブルトレ牽引時代は毎晩約1000kmを走り続けていたから実際は書類上だけ下関へ移籍
PFに主役の座を渡してからは地味な貨物運用へ 128(σ・∀・)σゲッツ!!
128キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
128(・∀・)イイ!! キハ82-33+キハ80-39+キハ80-40+キハ80-41+キハ80-53+キハ82-37
鹿児島→函館 129と言えばEF58 129。
このスレの趣旨とは逆であるが
61 68 124 148らと共に新製以来ずっと東京機関区を離れなかったカマのひとつである。
お召や創臨含めて首都圏の臨時客車列車の旺盛な需要に蒸気暖房で柔軟に対応する為、或いは東京機関区持ちの台車検査の代車として程度の良いのを置いておきたかったという事か? キロ80 5→キハ82 902
尾久→秋田→[改造]→鹿児島→和歌山→秋田→札幌
「はつかり」のデビューから全国各地を転々とした
最後は「オホーツク」脱線事故にあい現地解体の廃車 一方でキロ80 3・4は改造されず終始一貫してキハ81と運命を共にした。 >>131
確か廃車までの走行距離がいちばん短かったんですよね
モッタイナイ >>131
そんな129も最後は下関移籍組になり荷レ運用で引退 オハネ14/スハネフ14の一部
早岐→尾久→[改造]→札幌
九州ブルトレとして走り始めたが
最終的には北海道を走り回ることに カニ24 3
向日町→品川→青森→秋田→向日町→鹿児島→熊本
北から南まで発電し続けてきた 千葉気動車区
1968年頃全国各地に配置予定の新車を海水浴臨に充当するために借り入れていた 本州から北海道に貸し出されたキハ55
急行「すずらん」で使用されて苗穂機関区に配置されたが、厳冬期になると本州に戻された モハ484/485-1501〜1507
青森→札幌→青森→向日町→上沼垂
1985年から1986年にかけて一時期だけ向日町に所属 EF65 1001
[新]→[宇]→[新]→[宇]→[宮]→[新]
国鉄末期、一時期だけ宮原に所属
サロンカーなにわなど団臨運用に充当 スハフ14 31(→スロフ14 703)
秋田→宮原
「サロンカーなにわ」展望車の種車
これ以外6両の種車は品川→宮原 DD51 1027
熊本→東新潟
転属時に旋回窓など耐寒耐雪仕様に改造、しばらくは九州独自の赤プレートのまま モハ112/113-219.230→クモハ112/113-813.814
千マリ→大船工場で改造→福フチ
福知山線城崎電化用として幕張から福知山へ
自力回送で西へ
クモハ113は民営化後さらに交直流化され
金サワへ移籍 >>76
>>79
名目は山手線/京浜東北線のATC化だけど
まさに国鉄の中央集権体制の弊害だよね。
東海道緩行線の105系(仮称)の却下、新快速の列車線禁止ともども大鉄局はぶちきれるわ。 EF30 1 米原機関区→門司機関区
昭和26年4月 スハフ126/16 オハ12-5 オハ12-7 オハ12-8 オハ12-9 オハ12-11 スハフ12-16 スハフ12-6 オハ12-5 オハ12-7 オハ12-8 オハ12-9 オハ12-11 スハフ12-16
サイエンストレイン エキスポ号
竜華の12系を土崎工場でパビリオンに改造
当時線路がつながっていない北海道と四国以外の全国を展示巡業
終了後、土崎工場で復旧、オハ12-11を除く6両は航路で高松に移籍 >>139
1970年代にもキハ55系が耐寒改造を受けて札幌に転属し、
冬季は札幌以南限定という条件で永続的に使用されたことがあったし、
キロ28の131と198も1973年に札幌に転属して急行ちとせ限定で使用された。 耐雪試験のため、長野機関区から夕張線に貸し出されたDF50-33 天オト→千マリ
モハ72(オレンジ)113系(ブルーライナー)
関東では斬新な感じに見えた 千マリのブルーライナー、
ゆびづめちゅうい のドアステッカーを貼ったまま走ったんかな >>96
大分所属機(後に九州所属)は転属、赤2号塗装変更、重連総括化と短期間で変化した 終戦前後 国鉄から東武鉄道へ貸出
昭和19年1月頃 貸出したまま譲渡
ナニ6051 戦災→昭和24 クハ435種車(うそ)
オニ9756 明治39年新橋工場3軸ボギー
→のち 熊谷線で使用
ナニ6050 明治35年新橋工場
ホニ5912 → のち熊谷線で使用
ホニ5914
進駐軍専用日光向け車両 昭和23年貸出24年返還
オロ31 7 (軍番号オロ23156 NEWTON)
オロ35 68 (郡番号オロ2345 HUNTS VILLE)
以上鉄ピク113
あと同じ頃、啓志線のキハ41000だったかと17m客車の貸出があったはず 大和路線の103系も本当に元山手線車だったみたいだね カニ22 53→カニ25 1
品川→向日町→青森→[改造]→長崎→向日町
パンタ付カニから24系電源車になった サハ165-1→クハ455-501
宮原→新潟→[改造]→鹿児島
山陽から上越そして南九州へ サハ455-1→クハ455-701
金沢→勝田→金沢→[改造]→金沢
サハ時代は直流、交流60Hz、交流50Hz区間を走行 クモニ143-2/3→クモハ123-2/3
長野→大垣→[改造]→広島
荷電から旅客用に変身
民営化後はさらに下関へ クモハ100-139→クモユニ147-2→クモハ123-43
池袋→中野→[改造]→豊橋→[改造]静岡
首都圏で満員の乗客、飯田線で郵便荷物、身延線でローカル輸送 クハ165-112
下関→宮原→神領→大垣→静岡
宮原時代は153系に混じって新快速ブルーライナーとして活躍
末期は大垣夜行などで東京まで乗り入れ これを言ってはおしまいだが、国鉄時代は
全国レベルで波状的に玉突きで車輌の転配が行われるのが当たり前だった。
以前どこかのスレで確か昭和38年高崎線への
115系新製投入が筑豊本線のC51の玉突き淘汰
する様子が書かれていて興味深かった。
曰く 115系→高崎→80系→山陽線広島→C59(C60に改)→鹿児島線熊本鹿児島→C55→筑豊線路若松直方?→C51→廃車
というような感じだったと思う。 今は国鉄時代みたいに中古車活用による全国転配ができなくなったため、
JR東日本は中古車を海外に譲渡してるぐらいだからな。
もしJRが全国一元だったら海外譲渡ではなく今でも地方(中京関西含む)に
たらい回しを続けてるのは間違いないだろう。 >>165
JRから私鉄への電車譲渡も意外と増えてきていますよ
上信電鉄(107系)
富士急行(205系、209系、371系)
三岐鉄道(211系)←NEW えちぜん鉄道(119系)
ハピラインふくい・IR・IT(521系)
IGR・青い森(701系) >>165
今も長距離の急行や普通列車残っていると思う サハシ455-18→クハ455-201
南福岡→金沢→[改造]→仙台
九州から北陸、姿を変え東北へ渡り歩いた元祖先頭車化改造車 EF65 513〜517
東京→吹田第二→新鶴見→広島→吹田第二→沼津→高崎第二
民営化後はずっと高崎なのも良き EF15 58
沼津→稲沢第二→宇都宮→新鶴見→竜華 昭和28年 稲沢、東海道名古屋電化
33年 宇都宮、東北線宇都宮電化
(EF58違って勾配のある山陽線向けには
EF60が開発されつつあって西には進まない)
43年 新鶴見、首都圏東西連絡運用見直し
(翌年のEF65PFの宇都宮投入も控えているため)
47年 竜華 阪和線EF52置き換え用
こんな感じ? スハフ14 1
秋田→沼津→名古屋→美濃太田→高松→東武
国鉄→JR東海→JR四国→東武
国鉄だけでなくJRも渡り歩き遂に東武鉄道まで進出 名鉄キハ8500形
名鉄→会津鉄道→マレーシア・サバ州鉄道
JR高山線や只見線・磐越西線、東武鬼怒川線にも乗り入れ実績あり サハネ581-14〜19,36
青森→札幌
民営化直前、つまり青函トンネル開業前に渡道
とりあえず貰ってみたものの有効活用されなかった 元京王2000系・5000系
京王→伊予鉄→銚子電鉄 オハネフ24 18→スハネフ14 103
青森→[改造]→早岐→尾久
東北〜九州〜北陸 EF64 40
甲府→岡山→米子→岡山→高崎→篠ノ井
伯備線電化開業時に岡山転属、米子に貸出 東海道山陽線のEF58
下関集中配置後の荷レEF62
東北高崎線のEF58
引退後の荷レのEF64
EF60や65と共に四角い機関車はこの先50年後だって100年後だって荷物引いて走ってるんだろうな、写真撮る価値なし、と思っていた時期がボクにもありました。。 キサシ180
名古屋、尾久→米子
「しなの」「つばさ」運転終了後は「やくも」へ集結したもののすぐに廃車 昭和50年前後、新幹線が西に驀進する一方で上野口の東北上信越方面は盆暮れは多客臨で
ごった返してた。
中でも名古屋局の客車までが奥羽方面への臨時列車に駆り出されていたのが面白い。
普通に尾久や品川に貸し出されたのかと思いきや、名古屋発の東北臨として米原北陸線経由で日本海を秋田青森まで北上、間合い的に上野行きで南下、折り返して北上、返しでまた日本海を西南に下る。
これなどは国鉄本社主導で各鉄道局を跨いで
季節臨を捌いた例と言えるだろうね。
同様に千葉局佐倉の客車が東北臨に駆り出さ
れたようだが、もちろん年末年始限定。
盆は逆に各局から海水浴臨で借りる側だったろう。 房総地区は電化されるまで気動車天国だった
メーカーから出荷されたばかりのピカピカの新車を夏の海水浴臨に使ってから各地に転属していたことも 十和田湖とか信州の国鉄バスも新車を投入して夏が終わると全国に散った 103系中央西線名古屋口
京浜東北・横浜・青梅・五日市線からの転属車両 EF60 104→EF67 1
高崎第二→[改造]→瀬野→広島
関東平野を走り回っていたがセノハチの後押し機関車に変身 EF58 36
高崎二区→浜松区→宇都宮区→長岡二区→米原区→下関区
箱型車体から流線形に設計変更された変形機
米原時代は関西ブルトレの先頭にも立った クハ115-551(旧モハ115-67)
クハ115-552(旧モハ114-67)
新前橋→小山→広島(ここまで改造前)→新潟→長岡→新潟
クハ115-553(旧モハ115-69)
新前橋→広島(ここまで改造前)→新潟→長岡→新潟
1984年越後線、弥彦線電化時にモハから改造された3両
1990年代前半までは新潟近郊中心の運用だったが
長岡転属以降信越本線柏崎以西を除くすべての直流電化区間に範囲を広げ
上越国境を越える運用も少なくなかった
2014年〜2015年にE129系投入により惜しまれながら運用離脱し廃車となった EF81 42[長岡]→[酒田]→[富山二]→[門司]〜EF81 407に改造
EF81 43[長岡]→[酒田]→[富山二]→[敦賀]〜トワイライト専用機
ほぼ同時に誕生した1番違いの機関車だが運命は大きく変わってしまった オシ14 1→オハ14 701
品川→向日町→早岐→品川→[改造]→下関
九州ブルトレの食堂車として転々とし、最後は20系と組んでホリデーパルの一員に オハ14 3→オハ14 701
秋田→尾久→名古屋→[改造]→美濃太田
ユーロライナー増結用ユーロピア
ホリデーパルと同姓同名になってしまったけど出会うことはあったのかな