国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された DD51 0番代やEF58一次型もいらない子扱いされて真っ先に転出させられる事が多かった EF55 1
昭和61年国鉄最後の年に復活
高崎二区に所属したが生まれ育った沼津機関区まで遠征
二俣線遠江二俣機関区の転車台で方向転換と今では信じられないような活動をした夏 エキスポライナー583系
盛アオ車だけでなく大ムコから貸し出されたサロネ含む12連も充当された オロネ14 8→オハ25 553の華麗な歴史
品川「さくら」「みずほ」「あさかぜ」東京発着
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早岐「あかつき」「明星」「日本海」超広域運用
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尾久「北陸」「北星」「ゆうづる」上野発着
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宮原「きたぐに」急行格下げ
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出雲「出雲」特急返り咲き、民営化
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[改造]
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宮原「トワイライトエクスプレス」24系編入 国鉄時代の新製配置
これは末端の車輌区の要望は関係なく各管理局の車両課が本社に申請をしていた
既存車輌の移動
これは末端の現場からの要望をもとに、車輌区から各管理局に要望が出て
最終判断は管理局同士の間、もしくは管理局内で決まった
車輌の配属は各局であり、その中での配置は局が決めて末端の車輌区に伝えていた
しかし実際の運用や管理は現場がやるわけで上が決めた配置は机上の空論にすぎず、特に既存車輌の配転に関しては柔軟な対応が遅れがちであるため
現場は仕方なく貸し借りという方法での車輌のやりくりを解決策として生み出した
この貸し借りは局を飛ばして全国の各車輌区同士での了解だけで取りあえず必要な車輌を確保でき、後追いで局に連絡することで最終的に移動も返却も可能であった モハ112-69→モハ112-801→モハ414-801
大船→鳳→日根野→奈良→[改造]→福知山→向日町→[改造]→金沢
太平洋側、日本海側の両方を走った キハ65 502→キハ65 7001
松本→大分→[改造]→熊本
中央東線から九州へ異動、民営化後にジョイフルトレイン化