国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された モハ484/485-1001→モハ182/183-1803
秋田→向日町→福知山→[改造]→福知山
耐寒耐雪強化型モハユニットトップナンバーは国鉄末期に向日町へ移籍、その後福知山へ
最終的に交流機器を撤去され直流化 クモヤ494/495-1→クモヤ192/193-51
水カツ→大ムコ→金サワ→名カキ→[改造]→海カキ
架線検測車。DC/AC50Hz/AC60Hzの三電源だったが最後は東海所属になり直流化。
車体色はローズピンク+クリームからブルー+イエロー。 >>200 それ面白いね。牽引は65 500だったんだろうけど、東京着後そのまま尾久に引っ張って
行ったのか、それとも北局からお迎えが来て
65 500は単機で東機に引き上げたのか?
当時の局報が残ってたらなあ。
便洗手配 尾久客車区長
とかなってたんだろう。 東京〜九州〜北海道と華麗な転属歴があるオハネ14-78の歴史
1972年9月5日に新製されて品川客車区に配置され、さくら・みずほ・あさかぜで使用
1975年3月に早岐客貨車区に転属されてあかつき・日本海・明星で使用される
1978年10月に尾久客車区へ転属され、北陸・北星・ゆうづるで使用される
1982年11月に北海道へ回送されて耐寒耐雪工事を受けてオハネ14-512となる
(耐寒耐雪工事と500番台付与後は1983年6月2日、札幌運転所へ正式転属)
1983年6月に札幌運転所へ転属したオハネ25-512は利尻・大雪・まりもに
使用されるが急行利尻の間合い運用として急行宗谷・天北の運用にも入る
寝台特急「北斗星3.4号」の北海道(札サウ)持ち編成の定期列車化と個室化の
ためにより、A・B個室合造車の増備車として改造されるために工場入場
1989年3月11日発の北斗星4号にオロハネ25-555「SA1/B1」を連結したが運用により、
オロハネ25-555は北斗星1・2号は勿論の事、臨時北斗星にも使われた 以上 スハネフ14 44
向日町→早岐→尾久→金沢→宮原→出雲
短期間で転々と移籍していたけど民営化後は「出雲」で落ち着いた モハ484/485→モハ188/189-500
青森→[改造]→長野
形式間改造車両
車体は載せ替えたがシートなどは流用 SL末期なんて広域転配だらけだけどな
北海道から九州、九州から北海道とか車検の関係でなんでもあり >>208
そのシートも数年後には載せ換えるんだなw 1985.3 高二 EF15 淘汰 EF60 竜華転出58を置換
旅客用に
*82.11 まで高二には上越仕様のEF58がいた
*80年代前半品川駅に行くと一つ目のDD13や
EF15貨物が普通に見られた
*EF60の旅客牽引は珍しい。500番台のブルトレ以来か? 84時点で紀勢東線はまだ旧型客車を使用。西線は12系に置換済。冬期暖房対応不要によりEF60で置換可能だった。 EF60+12系は長続きしませんでしたね
松本から転属してきた165系は長く活躍しました
たまに臨時急行で里帰りしていたし(笑) >>212
東海道山陽のEF62と一緒、敗戦処理だからね たまたま余っていたEG機を持ってきただけだもんね
セノハチ自力登坂のメリットはあったけれども
ゴハチ由来のスジにやっとこさ乗っかれた山男
哀れだったな(´TωT`) 左遷という表現がぴったりのEF70/ED74
北陸に特化した高性能なのに九州へ飛ばされ、たいして活躍しないまま長期休車後廃車解体 >>216
左遷、でもないかなあ、横滑りか
どちらも北陸ではありえなかった特急牽引機になっている
ED74は日豊本線の富士、EF70はみずほ、こちらは博多あさかぜも牽いていたかもしれん、誰か補足を
(EF70牽引のみずほは香椎で撮影) >>217
EF70はさくらや鳥栖辺りまでははやぶさ、鹿児島本線回りのあかつきも牽引していた気がする
特急ブルトレが14系や25形化されて以降の鳥栖以北の鹿児島本線や長崎本線のブルトレ牽引ではED72、ED73、ED75-300、ED76、EF70と特に分け隔てなく使われてたと思う
日豊本線でのED74は彗星も牽引していたと思う
EF70とED74の九州転用は左遷どころか実際には真逆でむしろ栄転と言えるかも DD54
米子→福知山
故障多発の欠陥機関車
末期はかかりつけの鷹取工場に近い福知山機関区へ集結 >>219
使い勝手の悪い少数派には丁度良い使い所なんだよ 九州の旧客はSGだったからEG搭載のEF70/ED74は貨物かブルトレ牽引しか出来なかったんですよ
軸重制限で南九州に入線不可だったのも短命理由のひとつでしょう ED74は単純にいらない子を押し付けた
EF70はED72、73の置き換え名目で押し付けた 「北陸トンネル用にEF70、それ以外の区間はED74」という当初計画だったけど
輸送量増大にするため結局EF70のみ増備という方針転換になった
60Hzで転用きくのは九州しかない DD51 0番代やEF58一次型もいらない子扱いされて真っ先に転出させられる事が多かった EF55 1
昭和61年国鉄最後の年に復活
高崎二区に所属したが生まれ育った沼津機関区まで遠征
二俣線遠江二俣機関区の転車台で方向転換と今では信じられないような活動をした夏 エキスポライナー583系
盛アオ車だけでなく大ムコから貸し出されたサロネ含む12連も充当された オロネ14 8→オハ25 553の華麗な歴史
品川「さくら」「みずほ」「あさかぜ」東京発着
↓
早岐「あかつき」「明星」「日本海」超広域運用
↓
尾久「北陸」「北星」「ゆうづる」上野発着
↓
宮原「きたぐに」急行格下げ
↓
出雲「出雲」特急返り咲き、民営化
↓
[改造]
↓
宮原「トワイライトエクスプレス」24系編入 国鉄時代の新製配置
これは末端の車輌区の要望は関係なく各管理局の車両課が本社に申請をしていた
既存車輌の移動
これは末端の現場からの要望をもとに、車輌区から各管理局に要望が出て
最終判断は管理局同士の間、もしくは管理局内で決まった
車輌の配属は各局であり、その中での配置は局が決めて末端の車輌区に伝えていた
しかし実際の運用や管理は現場がやるわけで上が決めた配置は机上の空論にすぎず、特に既存車輌の配転に関しては柔軟な対応が遅れがちであるため
現場は仕方なく貸し借りという方法での車輌のやりくりを解決策として生み出した
この貸し借りは局を飛ばして全国の各車輌区同士での了解だけで取りあえず必要な車輌を確保でき、後追いで局に連絡することで最終的に移動も返却も可能であった モハ112-69→モハ112-801→モハ414-801
大船→鳳→日根野→奈良→[改造]→福知山→向日町→[改造]→金沢
太平洋側、日本海側の両方を走った キハ65 502→キハ65 7001
松本→大分→[改造]→熊本
中央東線から九州へ異動、民営化後にジョイフルトレイン化 クハ111-110
南フナ→広ヒロ→広セキ→静シス→名シン→名カキ
クハ111-476
南フナ→広ヒロ→広セキ→天ナラ
クハ111-477
南フナ→広ヒロ→広セキ→名カキ
大船転出時、スカ色の塗分ラインで湘南色化された変形車両たち DD51796→DD181
岡山→米子→郡山→[改造]→郡山
山形新幹線の除雪機関車は西日本出身 >>165
逆に関西では今も私鉄に客が流れていたと想像
JR西日本になって周辺私鉄並に質を良くした221系が登場し、私鉄に流れていた客を一気にJR西日本に取り戻す事に成功した説があるため >>235
関西地方は国鉄末期にすでに117系が導入されていた、その後継は213系だったかもしれない。
関東は近郊型と通勤型を統合して4扉にするような事はなくて、近郊型3扉、通勤型4扉のままだっただろう。
東北は701系のような3扉ロングシート車両ではなく、417系、713系のような2扉ボックスシート車をステンレス車体にした車両で客車列車を置き換え
同等の車両を九州にも導入。配転可能にするため50Hz,60Hz両用 >>236
国鉄のままだったら、あるいは全国組織のまま民営化されていたら211系が関西にも導入されていて、逆に京阪旧3000系の早期廃車は無かったかもしれない(8000系も1本のみで終わっていたと思う)
史実で京阪旧3000系の8000系への置き換えが行われたのは、JR西日本が221系を投入した事による対抗策で「旧3000系のリニューアルじゃダメ」という判断がされたため
つまり221系が無ければ京阪特急の展開も違っていたと思う ちなみに京阪旧3000系は富山地方鉄道や大井川鉄道に譲渡されたが、逆に3扉化して京阪での続投とはならなかったのは同じ京阪の1900系の3扉化改造を行うのに苦労したためと想像する >>237
>211系が関西にも導入されていて
113系の置き換えで導入されていただろう
1990年代には新快速213系 快速211系 普通205系
N40リニューアル改造はなく、20-30年で廃車 >>239
実際の221系は、関西地区に211系が導入されなかった代替も兼ねている模様
(それで新快速/快速だけでなく大和路快速にも投入された) E217系のボックスシートも3ドア近郊型の後継というよりは、当時の関東私鉄/地下鉄のいくつかの車両(東急9000/相鉄8000・9000/営団9000/都営6300/横浜市営3000A)にボックスシートを導入していた影響という解釈で良さそうだし つまりJR東は近郊型は実質廃止され通勤型に統合されたと >>238
1900で苦労して懲りたというより、3000では1900以前と構造がかなり
違ったんじゃ?裾絞り軽量とか真ん中にドア開けちゃうと車端部が空く割に中央に3扉
が集中するとか >>243
横須賀線なんてついにセミクロス廃止だからそう言えるな。
混雑考えりゃ仕方ないが。 JR東海から大井川鉄道へ乗り入れ運転を再開しないかな! EF30は運用廃止後、撮影会で本州へ出張していた。
吹田、浜松、東大宮など。
正確には九州へ帰らない片道切符だったけど。 >>246
大井川鐵道に対応設備改造の費用も無いだろ 吹田の扇形車庫に集められたEF7070、ED772、ED78901などは
廃車後に持ってこられたのかな?
機関車博物館のためと噂されていたけど結局解体されちゃった >>251
早く全線復旧しないかな。
少しでもお役に立てればと、クラウドファンティングに応募した。 ナハネ20 136→ナハネ20 1136
品川→尾久→向日町→青森→秋田→[改造]→鹿児島
北は青森から南は鹿児島まで 1985.3.25-26
ブルートレインきらめく紀州路号
南シナの14系を天鉄局へ貸出、紀伊半島を一周
往復の回送はEF5861が担当
往路では交通科学館入りのナシ20 24もついでに回送