改番の思い出
俺は京阪3000系(初代)→8000系30番台が印象深い
‥‥というか許せなかった!
みなさんにとっての思い出の改番は? 本線で華々しく活躍していた形式がやがて老朽化して支線に追われると同時に
桁数が小さく改番させられて細々走っている姿を見ると胸が痛む 近鉄や南海や東武に実例あり 京阪
1650→630
1810→1900
700→1000(二代)
斯様に京阪の採番・改番はまことに興味深い 改造した場合に規模にもよるが別形式として番号を変える事があるがそこまで改番に含めるとややこしくなる罠 >>4
京阪は無秩序とは言わないが今ひとつ規則性に欠ける
社風だろうか
大手で逆に規則性が確立しているのは京成と相鉄 京成は都営・京急との乗り入れ協定で系列に使える番号が制限されてるんじゃなかったっけ? 国鉄の車両称号規程改訂は、作ったルールが行き詰まってまた変える、の繰り返し 京福は福井支社はホデハをモハに変えたが京都本社はデオ、モボのまま変えなかった 国鉄は規模が大き過ぎるから番号ルールを見直すことは仕方ない EF65-1000→2000
EF81-0/100→600/700
貨物所属機だけ改番して意味があったんかな 合併で車番がかぶるときは被合併側が改番させられる運命 >>6
相鉄も20000以降の3系列は一定の法則があるけど?(8両と10両の2パターン)
それ以前は系列ごとに違いがあって一貫性に欠ける
10000までは車種(形式)の役割ごとに附番する方式だったのが
11000では違うし、20000以降でも違う
←横浜・新横浜方面 海老名・湘南台方面→
<10000系>10連or8連の2タイプ
旧態依然とした役割別に形式を付与(附番)する方式、同一形式が連番で複数両組成されている
【10連】
クハ10700-モハ10200-モハ10100-サハ10600-モハ10300-サハ10600-サハ10600-モハ10200-モハ10100-クハ10500
【8連】
クハ10700-モハ10200-モハ10100-サハ10600-サハ10600-モハ10200-モハ10100-クハ10500
<11000系>10連のみ ※3〜8号車は割愛
車号の下2桁を編成毎で統一させて結びつける方式、百の位が号車とリンクしてないのがミソ
クハ11000(1号車)-モハ11100(2号車)…モハ11800(9号車)-クハ11900(10号車)
20000系以降の場合
車号の百の位は号車と結びつけて下2桁を編成毎で統一される方式
【10連】※3〜8号車は割愛
<20000系>
クハ20100(1号車)-モハ20200(2号車)…モハ20900(9号車)-クハ20000(10号車)
<12000系>
クハ12100(1号車)-モハ12200(2号車)…モハ12900(9号車)-クハ12000(10号車)
【8連】※3〜6号車は割愛
<21000系>
クハ21100(1号車)-モハ21200(2号車)…モハ21700(7号車)-クハ21800(8号車) クハ111
0→5000
300→5300
700→5700
750→5750
2000→7000→7500
2100→7100→7600
2700→7700
2750→7750
改造でだんだんインフレ化 インフレナンバー
キロシ47-9176(←キハ47-176)「或る列車」が現在の最大かな 総武線沿線民なので、
209系950番台 -> E231系900番台 EF901→EF66901
ナンバーの文字がぎゅうぎゅう詰め >>18
佐久間レールパークの元クハ64ですな
なんでそのナンバーにしたんだろう? 京都市電、熊本市電、ワンマン化された車は1000がプラスされた
若干法則にズレはあるけど 京都市電は連結運転対応車は2000が加算された番号になったが
連結運転が長続きしなかったので意味が薄かった 改造に伴う改番・改形式
ED73-0→1000
原番+1000
ED61→ED62
改造順でバラバラ 381系「こうのとり」向け改造車
+1000されたが、ステンレスナンバーはクリーム色で塗りつぶされ
横にペイントで書き足されたという超やっつけ仕事だった >>16
600・700番台は静岡のT編成が複雑怪奇だった
下2ケタのみ温存 >>33
湖西線草津線向けの700番台は5700番台に改番済だったから重複期間はなかったけど変な気分だった >>29
在来車で改造されたのは600だけでは?
連結運行や急行運転など衰退期にはいろいろ手を打ってはみたが大阪や神戸に比べていくらか長く延命した程度で市電の完全復権にはつながらなかった 異例なのが都電の終戦直後の改番で
空襲による焼損で廃車された欠番を詰めていく方式で改番しようとしたのは良いが
配列をメーカー毎で分けたため必ずしも製造順にはならなかったうえに
同番号の車両が一時的に併存する事態になったという。
混乱を避けるため改番済車は車号の下にマークを付けて区別した
現場の苦労がうかがえる 採番ルールを変えたらそりゃダブりも起きちゃうわな
なんでそんなことをやったんだろうね 車番の重複なんかあったら監督官署にお目玉食らわないか 鉄道線と軌道線でそれぞれ同一車号は存在していても良いと思う EF81-0から-400への改造改番は順番バラバラで法則がないみたいだった
強いて言うなら全機日立製を選んでいた 松本電鉄は鉄道線が奇数、軌道線が偶数を名乗っていた時期があった >>40
西鉄は鉄道線と軌道線だけでなく、軌道線内で北九州福岡も重複していて
社内で3両同一車号が存在した 豪快だな
運輸局に細かなルールを強制されていた東北各地の中小私鉄とは対照的 他地方でもやってたならまだ理解もできるがここだけだろ
答は明白 秋保電鉄や仙北鉄道は仙鉄局のお膝元ということもあってルールを守っていたが
同じ宮城県でも栗原電鉄なんか大手でも採用しなかったM・Cの記号使ったよな 栗原のように車体長を形式番号にしたり、富山地鉄のように出力を形式番号にしたり、
色んな考え方があるものだな 富士急は和暦製造年を採った
昭和31年 モハ3100
昭和50年 モハ5000 >>54
国鉄や小田急から買った中古にはそのルールが当てはまらないから新造車限定みたい
>>53
富山地鉄は14760形が増え過ぎて14770号まで行ってしまったので
同番号の既存車を14790形に改番するはめになった 花上館長の著作で東武旧型車の改番対照表を見たことがあるが
あまりの複雑さに驚くとともに
館長がいくら中の人といってもここまで緻密に追跡できるのは常人の為せる業ではないと感心したことを覚えている 東武は名鉄や近鉄に比べて吸収した小私鉄が少なくて付番や改番に苦労することはなかったはずだが 53系更新系が初め5000系を名乗っていたのに78系更新系に奪われて3070系に改番されたのは
子供心にザラザラしたものを感じ取った 683系2000番台→289系
651系は1000番台に変わっただけ 0番台から1000番台なら分かるが
形式まで変えるのは改造が伴ってるからと言ってみる 485系1000番台はいろどり改造時にモハ→モロにはなったが番号そのままで、
時期が遅れて+4000となった。このタイミングの違いもよく分からない。
社内事情ということだろうか