昭和の鉄道事故を語ろうや
ここ落っこちそうなんで使わせてもらうわ(笑)。
レスには一切反応しませんので悪しからず。
小説 ある鉄道運転士の死
鬼場は東都地下鉄の運転士。
あまり評判は良くない。
某駅で数十メートルもオーバーランした過去がある。
また、運転が下手なので車掌に組みたくない運転士
ナンバーワンに挙げられている。
だから今まで指導員にはなれなかった。
中途入社なのでもういい年だ。
本人も弟子を付けていないことを少し気にしている。
そんなある日、鬼場に弟子を付けるという話が出た。
なんでも研修所で抜群の成績の運転士見習いがいて、
彼なら鬼場でもなんとか師匠が務まるのではないかと
いうわけだ。鬼場もこの話に乗った。 …ま、実際は鉄道事故というよりは「鉄道災害」の範疇に属する「繁藤の山崩れ(要検索!)」だったわけだけど、
とにかく凄惨きわまる大事故だったんですよ。
とにかく、ときの国鉄土讃本線が1か月ほども不通のまんまとなってしまって。
やっとこさ復旧となって、繁藤(しげとう)駅を発車する上り列車が黙祷を兼ねて1分間にわたる汽笛を鳴らしていた情景を
地元テレビのローカルニュースでやっていたのを、当時は小学生だった誰ぞは意味も分からないままに見ていたもんだったんだけど、
今思い起こすと、とっても涙を誘う情景。
ちなみに当時、とにかく頭が悪くて閃きが鈍いことでいらだっていた誰ぞのオカンめが、
「アンタは本当に”蛍光灯”やね。 どうして神様は繁藤で61人もの人を犠牲にさせて、こういう馬鹿を生かし続けておくんやろうねえ?」なんてほざいた直後に、
誰ぞが咄嗟に「繁藤にも馬鹿が居ったんやろう?」と切り返すと、オカンめは少し慌てながら「そんなことあるかね!」と言うなり、
蛍光灯ばりに閃きが悪くて算数の答えが出せないバカ息子の次男坊を思いっ切りぶっ叩いたもんだった。
おー、イタタタタタ…