在来線特急大決闘!雷鳥VSひばり
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北陸特急のエース481系雷鳥か?東北特急のエース483系ひばりか?
大ムコから敵陣の上野に殴り込むはくたかも忘れるな! 北川氏とあんなこんなになることがデビューの条件だと?
じゃあ今まで何百何千人もあんなこんなしたって言いたいのか?
ちょっとそこまで飛躍するには無理がありすぎだろ。
てかジャニを衰退させたところでそのままそっくりKに置き換わって
芸能界が奴らに浸食されつくされるだけだぞ? 雷鳥:グリーン車2両
ひばり:グリーン車1両
雷鳥の勝ちぃ! >>4
ひばりにも2両の編成(クロ+サロ)が1日3往復あったよ ひばり
東北新幹線開通に伴い廃止
雷鳥
1985年まで食堂車営業
85年以降もお座敷車改造時にビュッフェとして継続
民営化後はスーパー雷鳥パノラマグリーン車もデビュー
サンダーバード化130km/h運転で更なる飛躍
名実ともに日本を代表する在来線特急に
やっぱ雷鳥でしょう。
ただしこの栄光も来年には終焉を迎え、
地味な短距離の新幹線リレー特急に縮小される 雷鳥で自由席導入が遅れたのは何故、ひばりやしおじがⅬ特急化しても、雷鳥は中々Ⅼ特急にならなかった。本数多いのに。 でも、ひばり、雷鳥共に、それぞれはつかり、白鳥の補完で始まったのではなかったのか?本数は多いけどさ。 信州は上田育ちの俺が、名古屋駅で『しらさぎ』のヘッドマークを掲げた
クハ489-504を見ていたら何故か里心がついてしまった。
その数ヶ月後、一旦上京してから上田の実家に帰ったが、上野駅から乗った
『あさま』の1号車(自由席)はクハ489-504だったw 上野ー青森「はつかり」
上野ー盛岡「やまびこ」
上野ー仙台「ひばり」
大阪ー青森「白鳥」
大阪ー新潟「雷鳥」
大阪ー富山「雷鳥」
大阪ー金沢「雷鳥」
東北系と北陸系は命名基準が違うなーと思った 大阪ー新潟で「北越」もなかった?
新潟雷鳥と何が違うのか分からん >>12 >>13
53-10までは大阪・金沢~新潟は「北越」だった
53-10に金沢~新潟の1往復を残し、大阪~新潟は「雷鳥」に統合された 大阪から見ると「雷鳥」「白鳥」だけだが北陸地方から見るとバラエティ
関西に行く「雷鳥」「白鳥」
名古屋アクセス「しらさぎ」
新幹線リレー「加越」
東京への「白山」「はくたか」
森喜朗と田中角栄の友情物語「北越」 上野ー秋田「つばさ」
上野ー山形「やまばと」
上野ー会津若松「あいづ」
本線から支線に直通する特急が東北系の魅力だった 大阪も山陽新幹線開業前は、北は北陸の雷鳥、新潟への北越、裏東北・北海道アクセスの白鳥がある一方、
西へは二大王者つばめ・はとほか沢山の電車特急があったんよな 「こだま」以後の直流電車特急の代表、「とき」を忘れてないか?? 「雷鳥」は食堂車廃止後の『だんらん』に一度乗ってみたかったが
機会を得られぬまま「スーパー雷鳥」になってしまった 東の横綱「ひばり」ってよく言いますけど、列車本数の多さだけが優位ですよね
車両面で言えば特筆すべき点はなかったかなと思う 東の横綱ははつかりかなあ?
航空機がまだ大衆化していなかった時代、
北海道連絡を担う最優等列車だった。
経歴も華々しくて
東北初の「特別急行」であり、
西の151系こだまと双璧をなす日本初のディーゼル特急、
電化後も東北本線のスターであることには変わりなかった。 北陸系統はグリーン車の隣に食堂車って列車多いかったが
東北はある時期までグリーン車は上野寄りで食堂車から遠く離れているって編成ばかりだったな
ブルドッグはつかりの頃はグリーン車と食堂車は隣り合っていたのに ひばりの仙セン持ちの編成って先頭車とG車以外キノコクーラーのボロ車というのが多かったイメージ
盛アオ持ちは場合によって12両全てキノコクーラー車が居ないこともあった 雷鳥は大ムコ持ちは先頭車が大概ボンネットのイメージ(向日町運転所がボンネット車配置を強く要求してたかららしい)、金サワ持ちは先頭が300番代クハで中間車はキノコクーラー車が少ないイメージ
金サワ持ちは他に489系編成もあった はつかりはパイオニアだな
ひばりがエース
裏日本側も同様で白鳥がパイオニア
雷鳥がエース
どちらも最初は関西と北海道、東京と北海道を結ぶ長距離列車が各都市間の連絡も兼任していて、
その中で需要の高い区間に新列車が設定されるという例が共通だ 急行ゆのくに、立山の特急化で雷鳥増加、東北本線では急行まつしまの特急化でひばり増加と。
急行含めての中長距離優等列車本数は70年代年代以降、それほど増えていない。 L特急大増発の裏で急行がひっそり消えていきましたね・・・ >>26
昭和50年7月改正で新設された札幌~旭川の超ローカル特急「いしかり」は
7往復中5往復が急行「さちかぜ」「かむい」の格上げだった。
その5年後、室蘭本線・千歳線電化で新設された特急「ライラック」は
7往復全てが急行「ちとせ」の格上げだった。
同じ日、九州では鹿児島本線の昼行急行が根こそぎ特急に格上げされた。 まつしま+ばんだいの二階建て急行だったのが、まつしまの方が特急ひばりに格上げされ、会津若松方面に行くには郡山で乗り換えしなくてはならなくなった。
併結分離に時間がかかるし、二階建て特急を造りたくなかったからだろうけど。 >>29
国鉄の電車特急で最初に分割併合をやったのは「かもめ」「みどり」だった。
貫通型クハは1972年にはデビューしていたのに。意外と遅いんだね。 東北特急もTc481-200で分割併合する計画はあったのかな
実際はすき間風がひどくてTc481-300以降が好まれたらしいけど 下記編成なら東北特急も分割併合やれたろう。583系は夢の15両編成が実現
上野←クロ+モハ+モハ+モハ+モハ+クハ・クハ+サシ+モハ+モハ+モハ+モハ+クロ→仙台・喜多方・山形・秋田・盛岡
上野←クハネ+サロ+モハネ+モハネ+モハネ+モハネ+クハネ・クハネ+サシ+モハネ+モハネ+モハネ+モハネ+サロ+クハネ→仙台・山形・秋田・盛岡 前面電気釜の特急電車の運転士は分割併合やりたくなかったのでは?
特に併結作業、作業員からの指示に従って車両をゆっくり動かして併結するわけだが、運転台から連結器の辺りが十分見えるか?
運転台が低い所にある車両でも、分割併合作業は危険伴うからなるべくやりたくない、小田急の相模大野や西武の萩山のように、分割併合ほとんどやらなくなった所も少なくないのに。 絵入りヘッドマーク
「雷鳥」
シンプルに分かり易い
「ひばり」
いろいろごちゃごちゃしていて分かりにくい
仙台の七夕祭をイメージ、と聞いたら納得したけど 上野発東北系特急は実は東海道線を意識した列車名が多いとかなんとか
やまばと:はと
つばさ:つばめ
やまびこ:こだま
ひばり:ひかり 「雷鳥」の仲間
「白鳥」「しらさぎ」「加越」
「ひばり」の仲間
「はつかり」「やまびこ」「つばさ」「やまばと」 ひばりは最初、気動車特急だった。キハ82による不定期の架線下DC列車として。
で、雷鳥にも臨時だけど82系気動車だったのがある。
(ゆうとぴあ和倉は除く) で、臨時14系客車特急の雷鳥があったけど、客車特急のひばりって無かったような。 「ゆぅトピア和倉」は『だんらん』と同時期でしたっけ >>40
『だんらん』'85.3-'89.3
「ゆぅトピア和倉」’86.12-’91.8
両車の併結は存在していた
当初はTc481-200/300と連結の限定運用だった
ボンネットTc481-100の密連化改造は'89頃なので
「ゆぅトピア」+ボンネット〜『だんらん』は
実現していないと思う 「雷鳥」の仲間
「白鳥」「しらさぎ」「加越」「北越」「はくたか」「白山」
「ひばり」の仲間
「はつかり」「やまびこ」「つばさ」「やまばと」「いなほ」「ひたち」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています