懐かしのスカ色電車
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現在では国内から壊滅、
わずかにE235系・E217系の帯色にその名残を留めるだけとなった「スカ色」こと横須賀色の電車について語り合いましょう。 宮城バス仙北鉄道もそう思うが、写真によってはもっと鮮やかな青のものもある 三鷹電車区から伯備線に転属したスカ色の115系は、スカ色のまま伯備線・山陰本線でしばらく使用されたのち、
湘南色に塗りかえられた >>22
まさにそのポジが出てきました
クモハ115-301(F01編成表示)が先頭の3両ですね
反対側は、クハ115-348のようです
伯備線ではなく、山陰本線でした 東海道・山陽線の新快速は運転開始当初は大船区から転属したスカ色の113系が使用されて、
そのスカ色113系も湘南色に塗りかえられた。
阪和線にも大船区から鳳電車区にスカ色の113系が転属してきて、阪和色とスカ色と湘南色の混色113系の新快速も見られた。 1990年代の甲府駅
身延線115系は湘南色
中央線115系はスカ色 身延線のスカ色62系のアコモ改造車は、旧型電車の台枠に115系並みの車体を載せた車両だったが、
車体裾の絞りが床から下は垂直になっていたり、モーターは釣りかけモーターで、台車も旧型電車のものだったが、
車体は115系などに流用されることなく、廃車された 御殿場線・身延線の115系にはなぜスカ色が受け継がれなかったのかな?
(身延線は一時期、ワインレッド+白線のオリジナル塗装があったけど)
結局、旧型時代にスカ色電車が走ってて、新性能化した後も受け継がれたのは横須賀線と中央東線だけか >>27
その旧型が淘汰される時代と、国鉄が地方路線の差別化に目覚めた時期が
重なっていたからね。 >>26
115系が投入された直後に富士宮の留置線に置いてあったのを見たわ >>30
あれって何で正面の塗り分けはV字形の113系仕様だったのかな 熊延鉄道ヂハ200型気動車
この気動車も全面は国鉄70系電車に酷似していて、スカ色に近い塗装だった 横須賀色の西限は福塩線
東限は房総各線、両毛線、というところか 福塩線の70系は全般検査は、福塩線の起点の福山に近い広島工場ではなく、鷹取工場で行われていた 青梅線沿線住民だった自分にとっては、
スカ色といったら、中央線の普通列車(高尾から西に行くやつ)だったな
あのころはまだ、新宿始発だったんだ。新宿出ると、次は立川だったかな。
中坊だった俺には、なかなか乗れる機会なかったものだ・・ >>41
いや、忘れる。ていうか、知らんもん、中京地区のことは。
中央東線の話をもっとしてほしい。
中央西線はすこしだまってろ。 スカ色電車が走ってればどこの線の話ししても構わんだろう 岡多線の70系って、神領〜名古屋〜岡崎、って回送してたんだよな
営業運転区間よりも回送区間の方が長いってなんだかなぁ 旧国で身延線、それに信越線高崎・横川間。前者は御殿場線同様、静岡地区のスカ色旧国。
後者は、高崎線に入ったスカ色の系統なんだろうけど、両毛線以外に上越線にも入ってたっけ? 上越線でスカ色と言えば、スカ色の115系が上越線を走っているシーンが
映ってる映画を見たことがある。 クモハ52は吹田に初期色があるので
名古屋は最後の姿で置いてほしかった。 サロ110-1300
サロ110-1350
通称化けサロ 日光線(鹿沼までかな?)にもスカ色の旧国が入っていたはず。
宇都宮駅で見たかすかな記憶。 70系が使用されてた時期はあったみたいだから、多分、両毛線経由で送り込まれてきた新前橋区のスカ色70系だろうね。
小山から宇都宮の間で客扱いしたんだろうか? 高崎から信越線に入っていたスカ色旧国が営業運転で、碓氷峠を経て軽井沢まで行ったことってあるのだろうか?
80系は軽井沢行き準急で走ったことがあるが。旧国重いから牽引する機関車にとって負担となるし協調運転もできない。
それと、東京周辺の115系で中央東線だけスカ色にしたのは何故だろう。逆に、こちらの方も東北・高崎線と同様、湘南色にしなかったのは?
スカ色の70系はどちらにも入っていたのに。 レス57ですが、旧国も地域によって色々な塗装があったし、115系にしても、その路線を所管する管理局と国鉄本社との相談次第だったのかも。 >>57
名古屋側の113系は千葉と同じ塗装にはならなかった 1995年頃の中央東線
当時スカ色の115系は3+3連と貫通6連がありました
モハユニットが1000番台になっている編成を見掛けたらラッキーと思っていました >>55
ttps://drfc-ob.com/wp/archives/4400 スカ色は3+3、長野色は6連貫通とばかり思っていたのでTOMIXの限定品でスカ色の6両貫通があると後で知って驚いた 中央東線115系
登場時はクモハ+モハ+サハ+クハの4両やクモハ+モハ+クハにサハ2両を挟んだ8両編成があった
国鉄末期の先頭車改造ブームの時、サハはクハ化の種車として真っ先に取り上げられてしまった
そのほとんどは湘南色になったからスカ色115系はかなり減った印象 >>61
おお、これは貴重な記事を!
こういうブログを書けちゃう人も(しかも鮮明な写真で)
パッと紹介できる61氏も凄!
当時の1番線、現5番線ですかな。
新幹線に向けての大工事が始まる前で、明るいですね。 新宿発上諏訪行(0:01)発上諏訪行
基本は115の6両
ただし連休で9両の時あり
横須賀色の9両になりました >>65
この列車って、立川とか八王子くらいまでは仕事帰りの客で激混みだったんだろうか 会社からの帰りとレジャーの両方でよく利用しました
・新宿発では、平日は座席が全部うまって、立客がそれなりに出る程度
・金夜(正確に言うと土曜ですが)は、結構混む時あり
夏は本当に山男と通勤客が混在
連休前は、レジャー客で満員
通勤客は敬遠気味(新宿始発の通勤快速もあったため)
冬はスキー客もいるが多くない
・立川や八王子では下車客が結構いる(ただしガラガラということはない)
・高尾で停車時間があり、東京発高尾止まりに接続→通勤客がまた乗りこむ
・相模湖や藤野、上野原で結構降りる、大月まで行くと、もはや夜行列車(減光は経験なし)
平日は空いてくる、座席に十分横になれる程度になる
なお、相模湖から半自動ドア扱い(そのうち、大月からになった)
・大月や甲府で長い停車(以前は日野春)、コンビニは繁盛
・富士見から通勤通学客が乗って来る
・上諏訪で165系に乗り換え
同行の友人(非一般人)は、こちらを夜行区間に使えばいいのに、と言っていた
こんな感じでした >>5
旧国にはスカ色がホントあっていました。
飯田線や身延線の電車は古さを感じない
ベストマッチな配色だった。 >>68
あの異常なまでの合い方はなんだったんだろうか スカ色は、甲信越路線のクハニ67なんかが味があったな
113系、115系でもいいが
>>65
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