【485系列】国鉄交直流特急型電車【583系列】
2017年に一般車が引退し、残っていた485系JT車も今月運行を終了。
両系列のスレも昨日までに埋め立て荒らしに潰されてしまったので、当スレを立ててみました
485系スレッド7
https://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/jnr/1481424066/
【月光型】581/583系スレ【寝台電車】
https://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/jnr/1504890975/ 485系と583系の併結は「シュプール」くらいかな
クハ481-200とクハネ581の貫通路使用
583系にモハ484/485ユニット増結
1編成内で座席と寝台、両方の需要に応えるなんていい時代だった >>563
485系、583系は7両に減車していたっけ? htps://youtu.be/XIO_6bcSdQU?si=bZmkAcVunb9nzvt9
貴重な映像ですね
異形式併結‥なんで記録しなかったんだと後悔
国鉄末期〜JR転換期なるまでなかなか柔軟に対応する事は難しかったんでしょうね‥労組問題含め >>564
7+7と8+6の2パターンあったみたい
583は国鉄色から水色に変わったばかり
サロ581-100設定されてましたね 上沼垂はボロい0番台が各地から寄せ集められていた。
シールドビーム改造されていたり珍車あった。
今は常磐線のお古とか昔から上沼垂は中古車の行き先。 カラフル485系の中で一番好印象な上沼垂色
新潟雷鳥で来阪していた 俺も好きだったなあ上沼垂色 関西でも人気があったのかな。 スーパー雷鳥のクロはフォルムにカラーリングにかっこよかった 581(583)系最盛期のダイヤグラム(‘73.10/’75.3)
by鐵ピク
ttps://imgur.com/a/oIOHxXt
‘75.3は山陽筋の昼光はなくなっても夜行は彗星(にちりん)も仲間入りしてまだまだ盛況ですね〜
あと‘73.10にて
きりしまの大阪→西鹿児島間
19:52→9:58(14時間6分)
485系なは(大阪→西鹿児島)
7:05→20:04(12時間59分)
所要時間が1時間も違うのは夜間線路保守かで減速制限あるのでしょうか?客車のダイヤに合わせているとか? スーパー雷鳥クロ481-2000
登場時は前面帯が側面とつながってカッコ悪かったけど短期間で修正されて良くなった 九州のクハ481-200とクハネ581は貫通扉の溶接跡が矢鱈と目立っていた。 >>579
そう
線路容量がたりないから規格ダイヤ化、電車寝台も客車寝台も高速貨物も同じ所要時間で
雁行させて本数を確保した
有名なのが53.10の東北や上越特急。それで特急が遅くなって賛否両論がでたんだよね 恐ろしく広域運用してたんだなw
今のJRの感覚でいうとサンダーバードの683系が九州に行くようなもの
もっとカオスだったのが門ハイの14系で青森まで行ってたが日本海側の雪害で車両繰りがつかずあかつきが運休なんてこともあった >>584
1Mなんて専用(?)ダイヤが規格ダイヤになって30分も遅くなりましたね
国鉄末期の暗黒時代
>>585
41レと5055レが旅客駅と貨物駅で抜きつ抜かれつしながら九州へ向かっていた話を
コロタン系の本だったかで読んだ記憶があります サロ481-500
だんらん乗りたかったなー
定期列車ジョイフルトレインの元祖といっても過言ではない 国鉄485系列の普通車の座席事情について
山陽昼光特急終末期(昭和49年)にT17系列回転式クロスシート(ロマンスシート)からR51系(初期型)簡易リクライニングシート(通称・バッタンシート)を装備した車両(300番台)が登場。
後に1000番台、北海道向け1500番台が新造されますが、旧来のロマンスシート車からの座席改善(リクライニングシート化)は早くてもJR化直前くらいになるのでしょうか? 追記
wikiより‘78年以降の新造車(1000番台)は
> 普通車の簡易リクライニングシートは背もたれが倒れた状態でロックが可能な「R-51BN形」へ変更した
と書いてありますね 更に補足すると
まず寒冷地特別仕様として1000番台が造られて『つばさ』に投入
翌年それを基に極寒地仕様の1500番台が製造されて『いしかり』に使用される
しかし1500番台は直流区間に入らない為、後に形式名を781系に改める
という歴史があるのだな >>592
> しかし1500番台は直流区間に入らない為、後に形式名を781系に改める
> という歴史があるのだな
嘘歴史じゃねえかw 製造順=番号順(1000番台→1500番台)ではなく
1500番台は‘74年製(‘75.3まで盛アオ貸出)、1000番台は’76年(秋アキ)‘78年(盛アオ)製と逆なんですね 訂正
> 1000番台は’76年(秋アキ)‘78年(盛アオ)製
↓
1000番台は’76年製(秋アキ配属)‘78年製(盛アオ配属) サロ+サシが編成中央というのは東北新幹線開業直前の頃だけ?
クハ+サロ+サロ+・・・は青函連絡船を考慮して? 九州の485系は、そのほとんどが交流電化区間の九州島内で運用されて、下関発着の特急「にちりん」以外は、
直流機器を使用しなかったが、九州の485系の一部の車両は直流モーターは残したまま、直流機能を取り外して実質的には
交流電車になっている485系もあった。 >>597
いや逆に連絡船から離れた位置に連結されてた
上野地平ホームだと改札に近くて便利 >>598
> 直流モーターは残したまま
そりゃあモーター外しちゃったら走れないもの >>598
第2パンも撤去。
逆に長野の489系や福知山の485系は交流機器撤去。実質直流化したけど、651系スワローズみたいに番台区分はしなかった。 >>597
>クハ+サロ+サロ+
そんな編成あったっけ?
583はクハネ+サロで、東北の485でクロ+サロはあったけど
東北特急のボンネットは青森いってないし、白鳥もそんなのないでしょ 白鳥はあった
その頃は号車札も大阪特急に合わせてた
だから青森では上野特急とは逆に
後に他の上野特急と同じ1サロになり号車札も上野特急と同じになったので大阪特急とは逆に
その頃に1000番代が造られて翌年に1500番代が登場
そんな歴史だ なおボンネットが青森配置の時期もある
だから国鉄時代もボンネット白鳥はあった
まてサロやサシは581が代用されるのも多かった >>605
> まてサロやサシは581が代用されるのも多かった
意味不明w 盛アオ485は配属当初はクハは100番台ボンネットが新製投入(1972.5〜)
1972.8以降200番台新製投入
1973.1~2に100番台は大ムコ転出、200番台のみ在籍
1974.4~1975.3 札サウより1500番台を借入
1975.5より300番台新製投入
1975.9~1985.3 順次200番台が転出(→秋アキ・門ミフ・新カヌ・仙セン・金サワ・)
1978.8~9 1000番台新製投入
1980.6~9 札サウより1500番台転入
1986.11 秋アキよりクロハ等(1000番台)転入
↓
JR化
1987.10~1988.9 順次クハ(1000番台)のクロハ改造 1985.2 大ムコへモハ(1500番台)転出
1986.11 秋アキより(クロハと共に)クモハも転入
1986.9~ 新カヌへ順次クハ1500番台転出(1両のみJR後も在籍) >>604
白鳥は2サロ時代あったね
大阪では雷鳥と連結位置が違ってサロが京都側に集まっててモハの向きも逆だった
新潟で他の盛アオ編成同様に正規の向きに直ってた
ただ1500番台の後に1000番台が造られたという順だったと思ってたがやっぱり違うのか
確かに番号の若い方を後から造るとか変だもんね 北海道用が1500番台にナンバリングされたのは本来500番台にしたいところ既にモハ484-600が存在していたので機関車や客車の北海道仕様で使われがちの500に1000を加えた形なのかもね >>608
秋アキに200番台が在籍した時期があったんですね
奥羽南線の豪雪対策で1000番台オンリーだと思っていたので意外 クハネ581/583
クハ481-200
クハ489-200/600
クハ183-0
短期間で大量に製造された貫通扉顔 まず寒さが厳しい東北用として1000番代
それをベースに更に極寒の北海道向け1500番代
という流れと思っていた 政治的圧力かかったのが485の1500番台と1000番台でも183の方
計画に沿って増備しようとしたのが485の1000番台と189
おかげで奥羽の全線電化に間に合わなかった485の1000番台 クハ481-1500はクハ481-300の極寒地向け仕様
当初の変更点は上2灯のみだけだったけど運用中に外バメ尾灯仕様に追加変更 >>613
秋田は‘75.9に青森・南福岡より200番台(クハ・モハ・サシ)転入、サロは新製投入
’75.10 羽前千歳-秋田間交流電化
‘75.11〜 つばさ電車化(2往復)
←上野 秋田→
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×5 所要4
つばさ(2) 全車指定
予備 M'M×1 Tc×2 Ts×1 Td×1
’76.2~4 1000番台新製投入
200番台 南福岡へ転出
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 (予備0) 所要4
つばさ(2) 全車指定
’78.6~9 1000番台新製増備、サロ・サシ転入(南福岡・金沢)
※サロは100番台→1000番台化(耐寒耐雪)工事
‘78.10 いなほ・やまばと運用開始
※いなほ 青森2→青森•秋田各1 やまばと 仙台→秋田
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
※後部3両 自由席化
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
:
1年間のみ200番台使用してたみたいですね
1000番台投入までの繋ぎですね >>617
ttps://ameblo.jp/mohane5812002/entry-12488054014.html
たしかに このクハ485-1500は尾灯が出っ張ってないですね
極寒地の冬対策で生まれたものなんですね >>618
1000番台つばさ用のサシは当時から余剰気味のAU13クーラー装備の後期形から1000番台対応改造して使用されたけど一方で当時181系から183-1000番台に置き換えられる上越線ときの食堂車を存続させるためにこの余剰のサシ481後期形を183系化(恐らくサシ183-1000化か?)される話もあったらしいね >>618
秋田が事実上オール1000番台になって3MGによる冬季の安定運行に貢献することになったことで本来なら豪雪地帯での長距離運用が多い青森の編成も3MG化したかった所だろうな
1000番台の新製投入、そして1980年に1500番台転入時にクハ1500をクハ1000と同様にMG切替可能化してサロは1000番台投入と後期車を1050番代化、そしてサシは秋田と同じく後期車を1000番代対応化すれば秋田と同じような扱いが出来たかもね 特急「北近畿」の485系は、JR西日本になっても妻面に「郡山工」の全般検査表記が残っている車両や、
なかには車端部の側面に大きなへこみ傷がある車両も見受けられた。 485系の製造も白鳥での通し運用の為ではなく全国転配を容易にする為? 457系も明らか変圧器共通化によるコスト低減だな
システム的に急行しらゆきの電車化や東北↔︎北陸・九州の車両転属は可能だったが行われず >>620
その前には、新幹線博多開業で開店休業が増えてしまった大ムコのサシ581を編成から抜き取って、
新潟の冷害・雪害で損傷している『とき』181系の中でも特に痛みが著しいサシ181の後釜に改造…という計画もあったそうな
逆に『つばさ』は当時退潮傾向だった食堂車を連結せず従来サロ・車販基地付サロのコンビになる計画が、
理由は不明だが当時の他の東北特急と同様に1サロ・1サシへと変更になったとか
>>624
国鉄時代のEF81も『日本海』牽引機は富山で同種の交代、秋田でEF75(羽越用700番台)と交代していたから通し運用想定ではなかったんだろうな 475系でも地域をまたいで転属したのが九州→北陸で転属したクモハ475・モハ474-40しかなかった 485-1500が札サウに新製配置された当初盛アオに貸出された際に13両白鳥で暫定使用されてた当時の編成表はいくらググっても何故か出て来なかった >>627
こんな感じじゃないの?
Tc .M'MM'MTc (1500番台)
↓ ↓
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc ズレました‥
大阪方(Tc=1号車)(M'MM'MTc=9~13号車)青森方 >>618
ありがとうございます
それにしても200番台の正方形ヘッドに「つばさ」の文字がイメージできない(^_^ゞ >>624
485系きのこ型クーラーグループまで変圧器にPCB使われていたのかな? >>628-629
恐らくそのような組み方したんだろうね
或いは1500番代フル編成の6両編成を半分に割って両端3両ずつが1500番代車で中間に7両に在来車両を挿入する形だったのかも
当時編成を組んでた車両の車番などのデータが見つからないな
1978年の国鉄電車編成表の復刻版見たら13連白鳥用編成は完全体1本とサロが1両何らかの理由で抜けてるのが1本あるので所要2編成だったと思う
なので1500番代暫定使用当時は所要2編成共に白鳥専用として2編成は組んでた気がする
残るは10両だけど予備車だったのか、或いはもう1編成白鳥用予備編成として作って完全なバラ車はクハ2両とモハユニット1組にしてたのか興味深い 秋アキとつばさ関連の列車では485系キノコクーラー車はどうも一切使われたことが無かった感じだね >>628
昔『鉄道ナビ』という雑誌というかムックに載ってたイラスト付編成図では両端クハと青森寄り(大阪―新潟だと大阪寄り)のモハ4両が1500番台という事になってた
他が従来型 イカロス出版のさよなら白鳥に暫定使用当時の1500番台の写真が掲載されていてそれを見ると1~3号車、9/10号車と13号車が1500番台のような感じだった
(屋根やクーラーが他車と比べて綺麗に見えたので新車だと判断した、13連時代の白鳥は大阪寄りが1号車だった) 485が配置された基地の中で大ムコと盛アオは別格なイメージ 西日本の583が全車塗装変更後でもたまに国鉄色583が東日本から来阪していた
甲子園臨か多客臨 東日本は485系の塗装変更は積極的にしてきたけど583系は最後まで国鉄色のままだった >>638
金光臨だと思うがEF58牽引の客車列車と国鉄色583系を連続で見たことがあった気がする。
JR西日本カラー似合ってなくはないけど、やっぱ国鉄色の方が良いなと思った。
485系は個人的にはオリジナルを超えていると思った色もあった気がする。 >>637
北の485といえばボンネットも多い仙センだろうやはり
盛アオはやはり先に配置された583のイメージが強い 仙センは盛アオと比べボロい車両が多く、使われた列車をみても盛アオが上位。
そう考えたら最新型のみで揃えられた秋アキの立ち位置はどうなる? >>643
しかも秋アキは最初の投入から撤退までキノコクーラー車が一切投入されたことがない数少ない車両区かもな
他に新し目の車両が多かったのは金サワや門ミフ辺りか
ボロ率が高かった区所は1975年3月改正で481系が集結した鹿カコ、200番台世代を同じ75年3月改正で門ミフに大量放出させてボンネットクハやキノコクーラー車が多く残存した大ムコ、国鉄末期にのひたち用として481系世代のボンクハや483系ユニット等意図的にポンコツを集められた水カツが該当するな >>644
ムコも金サワもボンネットは100番台だったから昭和末~平成初期当時はまだボロではなかった >>633
いい歳して初見です正方形つばさ
ありがとうございます
私も北の485といえば盛アオをイメージしますね
車輌や編成のバラエティでは仙センですが
2M〜1M・4002M〜4001Mを持っていましたから >>647
485系の「くろしお」は軽快な381系の「くろしお」に比べたら鈍重な感じだったけど、
特急列車としての風格はあったな >>648
振り子王国の南紀特急に485系が‥と子供心に驚きましたが
クハ480のデザインに衝撃というか、せっかくクハ481-200が転属したのに併結時に開閉式ドアを使わないのなんでだろう?って当時は思っていました
先頭車不足、クハ200番台の乗務員からの不評などは後に知る事だった‥
結局四国とは違い振り子を捨てて汎用特急化される道になるとはね〜それほど需要は無くなったのかと >>649
485系の「くろしお」は早朝、夜間には間合い運用で串本〜新宮間の普通列車に運用されたり、
新宮〜串本間は普通列車となる485系の「くろしお」もあったな >>651
昭和60年の夏に天王寺〜和泉府中間で「ホームライナーいずみ」に乗車したとき、
その列車は381系で運転されているはずだったが、その日はなぜか485系8両編成で運転されていた。
381系の代走で485系が使用されたのかもしれないが。 485系くろしおは381系よりカーブで速度落として
所要時間もそれだけかかってたんですかね >>653
キハ58系の急行「きのくに」の格上げで増発された「くろしお」に485系が充当されたので、
停車駅も「きのくに」時代とほとんど変わらず、天王寺〜新宮間の所要時間も381系の「くろしお」に比べて
485系の「くろしお」は30分〜1時間以上の差があった 国鉄はなんで仙台までの短区間特急でしかない『ひばり』を15往復も走らせてたんだろ?
対して北海道連絡という大役を担う『はつかり』と『みちのく』が合わせてもたった7本って・・・
『ひばり』なんて全廃してもっともっと『はつかり』『みちのく』を増やしたら良かったのに 夜行も入れれば似たような本数だろ
というか需要の差だよ >>656
北海道連絡は他にも夜行のはくつるやゆうづるもあったからそれを合わせたら本数的に東青間はかなりの本数になるんでは? それら夜行と合わせて『はつかり』『みちのく』も15往復走らせればもっと本数増やせたやん
単なる途中駅でしかない仙台で折り返してそっから先どーせいっちゅーねん
『ひばり』は御堂筋線の中津行と同じ中途半端さ 訂正
『ひばり』は御堂筋線の中津行と同じ中途半端さ→『ひばり』は御堂筋線の中津行と同じ中途半端さやで 『ひばり』は仙台止まりだけでなく、ボンネットクハ、モハ482、キノコ型クーラー・モハ484、クロ481、非ブラインド窓のサシと
通常の485系より定員が少ない車両ばかりだったりと色々問題あり