【485系列】国鉄交直流特急型電車【583系列】
2017年に一般車が引退し、残っていた485系JT車も今月運行を終了。
両系列のスレも昨日までに埋め立て荒らしに潰されてしまったので、当スレを立ててみました
485系スレッド7
https://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/jnr/1481424066/
【月光型】581/583系スレ【寝台電車】
https://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/jnr/1504890975/ 何でサンスポの芸能ニュースはNHK関連ばかりずらりと並んでるんだ? 485系は駅から発車して行くシーンは何度も見たけど疾走してる場面は一度あるかないか
その点、583は発車して行くシーンは一度あるかないかだけど疾走してる場面は何度も見た
583系の大きな車体断面が全力で走ってくる迫力は今の在来線車両にはないね 疾走ですか。
沿線で撮影していると「シチサン」でもかぶり付き気味でも迫力は感じなかったですね。
駅で目の前を通過して行った181系は大迫力w 314 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2023/01/05(木) 20:37:56.56 ID:9OWPqqaY
洗練度は新鋭車両より劣るが、117系や485系の重厚感好きなんだよな
ロングシート車両や時代遅れのボックスシート車両はゴミ扱いで良いが、観光の記憶が残る117系や485系は永続的に走らせるべきだわ >>7
>>4ではないが、どうも285は583ほどの迫力は感じられない >>7
285系は車体が滑らかだから迫力と言う点ではやや劣る(気がする)よ 387 回想774列車 sage ▼ New! 2023/02/18(土) 18:34:47.01 ID:U67HY2N4 [1回目]
社畜運搬用の車両とは違うというイメージが強い 481系登場当初は側面方向幕が準備工事で方向幕の位置にサボがあったがドアから遠く交換作業が大変だった?
ホーム上なら兎も角ホームがない場所だとドアから手が届かず交換できないはず >>10
あったよ。電車化当初にまだ1000番台が落成してなかったので、200番台を使用した。
電車化翌年の昭和51年春に1000番台が落成し、それまで使ってた200番台は同年夏に
電化された長崎・佐世保線かもめ・みどり用に使用された。
>>12
折返しで別の列車に運用される場合は、作業中だけ非常用コックで反対側のドアを開け、
作業終了してドアを閉めていた。
その点は485系に限らず、急行型電車や気動車などでも同様だった。
折返し時間が長ければ、一旦側線か車両基地で作業してたけど。 ホーム反対側のドアも開けてサボ交換とか、ごく普通にやってたな
1980年前後の記憶 昔、金沢に居たO編成って北越専用の編成。
3本しかなく交番検査入るとよくK編成が入ったらしいけど、
489系K26編成だったか貫通型の北越見た人居る? 1975年3月改正で向日町の481/485系は鹿児島(481系世代の車両が殆ど)と南福岡(200番台クハ以降のほぼ中後期車ばかり)に多くが転用されたけどムコに残留した編成は殆どボンネットクハと中途半端に古い中間車の編成になってたのは九州側でのかもめ/みどりの分割編成対応の影響と考えていいんかな?
それと向日町運転所がボンネットクハを好んでいて極力残して欲しいという希望も考慮したとか?
似たような話で青森で200番台クハが隙間風や運転室の狭さで不評を喰らい300番台にある程度交換されたという話もあるね AU12形クーラーって一個一個スイッチでオン・オフさせるの?
AU13形みたいに集約されて一斉に操作出来るスイッチあるの? くだらんな、それはそうと九州鉄道博物館のクハネ581の中には入らん方がいい
近郊改造された造作に萎えるばい アレは悲しいね~
もう純正クハネは残ってなかったのか、西あたりから譲ってもらえなかったのか。 えっ、秋田のクハネってもうないの?
知らんかったまじで( ´△`) 絵入りヘッドマーク
「いなほ」
標準的なヘッドマークはLマークが左上が定位置だけど「いなほ」は途中でL特急入りしたから右下になった
「北近畿」
国鉄最後の絵入りヘッドマーク
なかなかいいデザインだったけど「こうのとり」に名称変更の際、味気ない地図に運行経路を模したデザインになった クハ481-3000のLEDヘッドマークは少し動きがあって面白かった
「雷鳥」羽根がぱたぱた
「いなほ」穂がゆらゆら あれだけ東北筋で昼夜頑張った583を鉄博に入れてやらないとは
東のやり方ってばないよ
かわいそ過ぎる 西日本のシュプールがなんでもアリで面白かった
・クハ481とクハネ581の貫通路使用併結
・583系にモハ484+モハ485を挿入 >>31
489系登場前に「はくたか」で上野まで乗り入れていた 交流区間で出力低下する現象は最後まで未解決だったな
主変圧器2次巻線の出力電圧を1800Vにするとかしてもよかったのに
E531系はインバータの制御プログラムで全く同一に出来るがやはり出力電圧を1800Vにしてる >>31
『はくたか』まで受け持ってた頃の大ムコに481系車両ってあったのかね
新幹線博多開業で全車門ミフ・鹿カコに移ってしまってたんじゃないかな
対する北日本483系が実際往来してたのは東北南部・太平洋側(上野―仙台/山形/会津若松/平)限定って感じか 481系のモハは国鉄時代に全廃されたが483系は1993年まで残ってた
よくオンボロなモハ残してたな
JR化以降は特急白鳥で使わない限り周波数が片方だけでも問題なくなってる >>35
訂正
1990年だった
651系に真っ先に置き換えられた格好 >>34
御指摘の通り、モハ481/480は1975.3に全車鹿児島へ転出ですね
60Hzエリアに閉じ込めて一安心
でもその鹿児島はあのクハ481-500直流区間進入不可事故がw 末期の九州車は交流側に固定してた
パンタも片方撤去してた
東日本は団臨で直流区間に入る可能性があったので温存してたみたいだが クハ481
0:新車ボンネット
100:新車ボンネットMG大
200:新車貫通型
300:新車非貫通型
500:種車クハ181/180編入
600:種車クロ481格下げ
700:種車サハ先頭車化非貫通型MG大
750:種車サハ先頭車化非貫通型MG小
800:種車クハ480簡易貫通型
1000:新車耐寒耐雪強化
1500:新車北海道仕様
クハネ581:581/583系先頭車
クハネ583:583系先頭車MG大 ひたちの7+7のボンネット同士の連結は始めてみたときは衝撃だったな
あれが485の最長だよね、14連
九州のボンと200を交換したらあれ 東北の583系列車は東京―北海道の航空路線が本格化する以前、輸送力増強の為に15両化が計画されていたそうだが、
それは従来の13両編成にモハネユニットを差し込む予定だったのか、それともサハネ2両だったのか 東北系8M4T
北陸系6M6T
東北系の方が電動車比率が高い 上野口の急行電車・特急電車は概して勾配がきつい&冬が厳しい地域を走るからね
10両編成以上で電動車ユニット3つだと1つダウンした場合に大変
だから平常時は過剰になってしまうが余力を持たせて電動車ユニットを4つにしていたんだろうな
元々『白山』『はくたか』は上野には来るものの実態は北陸系統だから6M6Tだったがやはり勾配&厳冬期対策から8M4Tとなった >>44
山陽特急はセノハチを抱えてたけど重い583系でも6M6Tでいけてたのを考えたらMT54のパワーのお陰か? 485-1000にサハが設定されなかったのは高い電動車比率のためか 長崎本線かもめがサハ込み8連だったのは峠らしい峠が無かったからか。 >>46
投入先がつばさ用の秋アキと東北特急や白鳥担当の盛アオの増備用だったからね
もっとも盛アオ配置のクハ481-1000は1982年頃に1両を残して全て転出してしまったが 指宿枕崎線谷山駅や吉都線京町駅の側線に481系の中間車の廃車体が留置されていた。 非電化区間に乗り入れた485系水前寺有明
当初はスハフ12を電源車として、後年ヨ8000改に変更
中間連結器を介してつないでいたのかな 非電化区間に乗り入れた485系水前寺有明
当初はスハフ12を電源車として、後年ヨ8000改に変更
中間連結器を介してつないでいたのかな 双頭連結器じゃね?
中間連結器だと速度制限かかる
169系ハッピー清里の電源兼ねていたスハフ12は知らないけど >>45
25‰までなら大丈夫
30‰クラスだと自力起動できずMT比2:1必須
183系はユニットカットで4M5Tになっても東京トンネルの急勾配を登れるよう限流値を580Aにブーストできるが板谷峠でやるとモーターが焼ける >>53
交流2万ボルト流した時点で遮断するからモーターは焼けないよ 七尾線電化の際、113系を交直流化したかったから
485系の使っていない交流機器を移設するというアイディア
485+113=183+415という前代未聞の大改造を実施 ボンネットクハは自連が標準装備だったけど
「雷鳥」のDCぶら下がり運用増加、
「ひたち」の7+7運用開始、
密連改造されスカート回りが賑やかになった >>43
「白山」は勾配が延々と続き冬も寒冷な信越本線を走るし「はくたか」は豪雪の新潟とやはり勾配がある上越国境を超えるからM車1ユニットダウンに備えて8M4Tにしたそうな
だた東北系と同じMT比でも編成は1サロ・1サシではなく2サロ
その時期の金サワのサシ489やサハ489は雷鳥・しらさぎ・北越に連結 時代によってサロの連結位置が異なっていた
常にサシの隣という訳ではなかったんですね クロ+サロ+モハ・・・という編成はグリーン区画に一般客を紛れ込ませないためか
スーパー雷鳥あたりが最後かな 北陸・山陽の西日本485系はグリーン車と食堂車を隣り合わせていた編成が多かった
東北系統は長らく食堂車は編成中央だがグリーン車は上野寄りに連結ってのが多かった 西武101系用の150kWモーターを積めば6M6Tでも板谷峠を登れるのに サロ+サシだと食堂車利用客がグリーン車内を歩くことになるから落ち着かないですよね 489系製造は丁度ボンネット→貫通→非貫通の過渡期だったので各車勢揃いしていた 中学の修学旅行で乗ったのがモハ482_2だった
リクライニングしない席。
帰りは青森所属の1000番台
青森車より仙台車の方がオンボロだった思い出 >>56
九州から来たオンボロ481のボンネット車が何両も仙台電車区に疎開
変わって300番台が九州へ大河原駅等に疎開
オンボロ481は勝田へ移動して最後の活躍 ボンネット型の運転室の背後に客室からの空気取り入れ口があったが、
客室冷房がんがん効いていれば少しは涼しかったんけ? 485系+DE10
JR九「有明」水前寺乗り入れが有名でしたが、実はJR東でも計画されていた
「ひたち」が非電化の鹿島臨海鉄道へ乗り入れ乗務員訓練まで実施されたが、
信楽高原鐵道正面衝突事故のせいで乗り入れ案件が全面中止に・・・ >>70
実際に試運転までやって、時刻表に載せた後に中止だったね。 該当編成のクハ481は密連を密自連に換装してやる気満々だった >>72
密連を自連
自連を密連にした京都のボンネットと逆パターンだな ボンネットクハだけ自連なのは機関車で救助を想定していたから?
200番台以降密連に統一されていった 国鉄末期、「ひたち」に全国のボンネットがかき集められた
赤スカート、ひげなしなどバラエティ豊かだった 3MG車はMG容量的に理論上21両編成まで組める?
583系でも将来の15両化を見越してMG容量を増やしてるが実現せず ひばり全盛時代のボンネットクハって北日本だと仙センにしか配置なかったよな
キノコクーラー車も同様 >>75
てかひたちの国鉄末期は全国からボロを集めまくった感じすらした
日本中の485系一族で一番ポンコツ車が多かったんでは?
483系モハユニットすらまだ居てたし
>>77
盛アオの12両編成にも大概キノコクーラーの中間車が混じってたぞ
12両全部がAU13クーラー車という編成もあったが >>78
国鉄末期になると分割民営化が確定的になり、古い車両を体力のある東日本に集中させる考えがあったものと思われる。
実際民営化2年で651系に置き換え開始にもなった。485系置き換えという意味では九州が先行(783系)したけど。 九州が短編成化するから定員が多い200や300番台を回したんでしょ
定員少ないボンネットを長編成のひたちに回した。で、ひたちはJR化後に7+7という荒業に
>>73
勝田は7+7のときそれやったけど、向日町ってなんだっけって思ったらゆぅとぴあか
あれだけのために12両のボンネットを密連にしてるのな >>80
あとはリゾート立山
DC側をオランダ村特急みたいに双頭連結器にしたほうが安上がりだったんじゃない?と思った ゆうとピアは当初クハ481-200/300の限定運用を組んでいた
でも運用の弾力性を持たせたい件と、リゾート立山・宇奈月の
追加設定が大きかったんでしょうな >>79
確か分割民営化前はJR各社の中には経営が苦しくてしばらく新型車を作れない所もあるだろうと予想されていたんだよね
そんなことはなく斬新な新型車がどんどん登場したけど 各社でカラフルになっていった485/583系
回り回って結局国鉄色が最高という認識に >>83
三島が体力ないから国鉄のうちにってのはその後のED79や121系、キハ54とか31の軽量気動車だね
このクハ481のボンネットと非ボンネットの交換は国鉄最後のあがきの広域転配
国鉄標準化が役に立った最後の例 >>79
681系登場まで
西日本が最後になるとは クハ481-1508
国鉄時代、広域転配の牽引車として鹿児島まで遠征 >>86
西日本は他のJR各社が民営化後初の車両に新形特急車を登場させる中221系を民営化後最初に登場させた程京阪神地区の競争が激しかったからな
>>87
クハ481-1508はそれに加えて通った都道府県が一番多そう
例えば奈良県にも天理臨で来た記録ありそう あの485系広域転配の流れを地図にしたのが当時の鉄ピクに載っていたけど、今見てもスゴイなと思った。 自分が鉄道趣味を始めた頃、全国で電車特急の食堂車不連結が盛んだった
今思えば全てスシ24に改造されるための準備期間だったのかなと クハだけ東北から九州に転属させるのにモハを伴車として連れて行ったとか凄すぎ
電気機関車牽引の方が楽だったはず 88両中14両だもんなあ
東北上越新幹線開業による余剰だけでお釣りが来る 国鉄時代の481系は後発485系の投入や新幹線博多開業などで最終的に最果ての鹿児島運転所に追いやられてしまったが、483系の方は仙台運転所を動かなかったな
新型は都会、旧型は地方という国鉄的発想なら青森運転所や秋田運転所に集結されられそうなもんなのに
やはり483系程度の耐寒耐雪設計では北東北の厳しい冬には耐えられないと判断されたのか >>96
青森や秋田は新しめの車両が集まった感じするけどな
秋田はつばさ電車化以降キノコクーラー車は1両もなかったし >>97
確かに
仙台車が1番古い。初期車はシートが転換クロスシート
秋田車は最初に1000番台入った所
青森車は300番台と200番台が主でボンネットは居なかった記憶
記憶違いだっあらスマン 奥羽本線の北の方は485-1000を直接投入しなければならないほどの豪雪地帯だから古いのを僻地へ回すという手が使えなかった。あと70年代は青函航路の全盛期で、はつかりには定員が多く少しでも雪に強い中後期車が好まれた。
481/483系より雪対策が貧弱な583系は上野青森で超酷使されていたわけだから、483系が青森に行けないわけではない。改良型が現れたから仙台以南に封じ込められただけ。 理由は良くわかりました。485も583共々青森車もひばり運用にも就いてたから仙台車も余裕は全く無かったのでしょうね
1000番台新製車青森所属になった事はあるんですかね?最初は秋田所属が殆どだったと思いましたが? >>100
モハ485+モハ484の1025〜1041、1054〜1068
クハ481の1013〜1020、1027 -1031
以上が青森新製配置みたいよ モハ188/189-500(←モハ484/485)
扉増設、車高調整と車体は徹底的に改造された
国鉄末期の先頭車化改造(クハ182など)
車高調整は省略されたので凸凹が当たり前になった >>98
実は青森にもクハ481-100が登場時ほんの僅かの間配置されてたことがあった
そのために電車化当初の13連白鳥に充当された記録あり
あと青森は1500番台が新製時札幌からの貸出という形で白鳥で暫定使用されたり1500番台が北海道撤退した後青森に転属して来たので1500番台も青森と縁が深い 上沼垂のボンネットで白鳥やいなほやってたしな
端っこの青森や秋田は長距離運用が多くて線区も過酷だから3MGの1000番台を優先的に
ポンコツは距離も短くてダイヤも緩くて勾配の少ない常磐にいれるのが東北のやり方
ED75もそうだった しかし3MGのサロは床下に騒音減のMG・CPがあるので居住性の点では良くなかった。食堂車不連結で12両編成から9両以下の短い編成が主流となって3MGの必要がなくなり、多くが先頭車化や格下げの対象になった。 >>106
そのくせサロ181からの改造編入車のサロ481-1500は改造配置された青森では9両編成グループで使われて3MGの威力を発揮しそうな大阪白鳥や鳥海用の12連グループでは使われなかったな そりゃ編成全車が1000番台で揃ってないとワンタッチ電源誘導機能が活かせないからな。 >>108
青森配置のクハ1000番台は1両を除き1982年頃に秋田に転属したな クハ481-1000番台って欠番多いのはクロ481のタネ車にされたから? 基本、東北は対首都圏だからな。故障して東北本線や首都圏のダイヤを乱したくないから3MG化して
冗長性をあげた。列車単位の話じゃない。そして新幹線が開通したらその必要もなくなった >>111
クハ481形1000番台からの改造車はクロハ481形1000番台
ちなみに9両 >>109
仙台車は全てじゃないけどクロとサロの2両組み込まれてる編成があった。逆向きはボンネットと300番台かな。200番台は記憶ないな。 >>105
オンボロ0番台と1500番台か。グレードアップ改造もキノコ型クーラーのボンネット型グループだけ未改造。
簡易リクライニングシートに交換とか最低限にしか施工。
その後勝田からの転属車に差し替えられた。 上沼垂のグレードアップ485系は3グレード制
<松>グリーン車(ゆったり1+2、側窓拡大)
<竹>指定席(ゆったり2+2、側窓拡大)
<梅>自由席(窮屈2+2、側窓未改造) 基本番台と200番台の混用が始まって以降クハ481とモハ484は定員が違うから「指定券を買ったのに席がない!」というトラブルが起きたりしなかったのかね
車両基地と乗車券販売部署が巧く連携してそういうトラブルは回避してたのだろうか 国鉄時代に製造された形式でフルモデルチェンジみたいなのがあったのは485系以外だと80系の電車と気動車だけか >>117
マルスの販売座席数は少ない方に合わせるのが基本かと。
実際の運用では200番台だと車掌が車内で補充席として活用する流れ。 >>118
国鉄特急電車の貫通→非貫通はフルモデルチェンジに入らないの? 「マルスの販売座席数は少ない方に合わせるのが基本かと。
実際の運用では200番台だと車掌が車内で補充席として活用する流れ。」
「それはマイナーチェンジだな」
会話になってねえw モハユニットは必ず同一番号じゃないところが興味深い
モハ484
0〜:キノコ+床置クーラー
200〜:集中クーラー搭載で200番台に飛番
600〜:車掌室設置
モハ485
0〜:クーラー変更でもそのまま進番
1500〜、1000〜で揃ったけどモハ485からクモハ485改造などで
またユニット相手の番号がバラバラになってしまった 小改良しながら量産してるうちにまずMGが、次いでクーラーと前頭形状が変わりました、ってだけだからマイナーチェンジだな。
485系だけでなく103系も113系も115系も415系も0系もみんなそう。 新幹線0系も0・1000番台と2000番台で座席数が違ってて調整席が出てたな
2000番台がシートピッチ拡大の代償で座席が減ったが各番台が混用されててカオスだった
一番少ないオール2000番台に合わせてた >>125
200番台→300番台と比べると100番台への変更は話題なる事は少ないな
MGを小型化してボンネット内から床下設置、前照灯を白熱灯からシールドビームに変更だったか
しかもクハ・クロ両形式でそのマイナーチェンジが実施 運転席のワイパー
シングルとダブルの違いは寒冷地仕様だから? MGは小型化ではなく大容量化(150→210)な。
青森583系の15両化を目指して開発したのを485系にも展開した。
15両化は昭和45〜46年に東北新幹線の建設が正式に決まったことでボツとなるが、電源容量アップは冷暖房の消費が多い特急電車の保安度向上に役立った。 >>126
モハ484-200は車掌室がないゆえに使いにくかった地域があったそうな
JR西日本でキノコクーラーのモハユニットが後々まで残ったのも西日本にはモハ484-600が少なく1500/1000番台がなかったからな
>>130
ダブルになったのはクハ183-0後期形やクハ381-100もそうだけどこれらはどちらかといえば温暖な地域で使われることが多いな サシ181の100番台は489系のへの編入を見越して製造されていたそうだが回送用運転台はサシ181が片端でサシ489は両端
サシ181からサシ489への改造の際に回送用運転台を増設したのか、それともサシ181の新製時から既に両端にあったのか 485系初期車はMG容量的に10両編成が限界だったっけ? >>134
雷鳥、しらさぎは登場時から11両編成だったよ >>131
大容量で大型化してボンネットに収まらなかったのか >>136
大容量だけど小型化したよ
元々103系の冷房用MGだからね Wikipediaのネタなので真偽不明だが山陽新幹線博多開業関連のダイヤ改正で余剰になったサシ481をサシ183に改造して183-1000置換え後のときに投入するという話があったらしい
最終的には実現せず史実の通りこれら余剰サシ481はつばさ用に485-1000番台対応改造されたとか 他系列に変身
サハ481→クハ182など特急型先頭車に
サロ481→サロ110-350など近郊型に
サシ481→スシ24-500など客車に
581系→近郊型715-0に
583系→近郊型419/715-1000に 東北上越新幹線の建設が6年遅れる間に181系の老朽化や雪害が深刻化するなど色々な計画変更があった。新幹線に翻弄されるのは宿命のようなものだろう。 あの頃は泥沼式
上越新幹線開業まで、何が何でも181を使わなきゃならん
趣味的には珍車オンパレードだったが、無い袖は振れないってヤツか
そういえば、583も新幹線に翻弄されたな
輸送力不足・車庫不足で急造したものの、短期間でお払い箱
ま、九州方面に限れば、新幹線開業よりも5割増の影響がデカかったか? サハ481の中には車販準備室付って車両もあるがその機能を如何なく発揮した事あったのかね サハ481は大量に先頭車化改造された印象
クロ481-2101は先頭車化に格上も追加された大出世車両 583系きたぐには北陸トンネルで130キロ運転はしなかったの? A寝台とグリーン座席を兼ね備えた車両は技術的には実現可能だったのかなぁ >>146
飛行機のビジネスクラス、ファーストクラスのような感じになるんじゃないか? サロネ581は昼間仕様で運用されていたことあるのかな >>148
衝立が残る
20系のA寝台も衝立が残ったままだった 残ったっていいじゃんw
答えになってないよ
まず質問自体に答えようぜ
答えを省略してその答えの理由だけ答えるのって良くないよ 末期の臨時雷鳥にサロネ581は普通車扱いで営業されていた >>138
上越線のサシ181が冬季に故障を多発していたので新幹線博多開業で実質休車状態になってしまった門ミフ→大ムコのサシ581を改造して181系にという計画もあったそうな
イカロス出版の特急ときか181系か583系を詳しく書いた本に載っていた サシ581は国鉄時代に全廃されたが各地でレストランになってたりしていた
片町線同志社前駅のサロ581駅舎もありましたな 食堂車は昼行で6時間、夜行で10時間以上の列車でないと食事時間帯に全く掛からない場合もあり、
ひばり・とき・雷鳥クラスは最初からなしでも良かったはずなんだが
当時の概念ではそこまで踏ん切れなかった。
181系は東海道時代、485・583系は山陽時代に最も多く新製されているから「作ったものは新幹線開通後に短距離特急に回っても活用しなければならない」という側面もあっただろうしね。 東京~九州列車に581系をあてなかったのは何か支障があったのでしょうか。 >>158
20系客車の数が足りていたから
走行時間が長いので寝台の組み立て解体が必要
A寝台の連結が必須
折り返し時間が短いので昼行列車での使用が難しい
等々 >>158
581系開発当時のコンセプト
列車を増発したいけど車庫が足りない?
じゃあ昼間も夜間も走らせたろ!
今風に表現すればバリバリのブラック企業体質
このコンセプトに最適だったのが関西対九州だったから 車内アコモの問題だけでなく、東海道線東京口には交流機器を検修できる基地もないしな。
田町電車区に配置すると、構内に交流2万ボルトを加圧して動作試験できる施設が必要になる。
直流区間でこれに対応してた基地は向日町運転所と田端機関区だけ。 >>161 車両ローテーションの問題になるが、田端又は向日町で交流機器検収やって、581の東京九州間運用を行えるダイヤが組めるか、そのために何編成必要になるかってことだな。72年以降、田端に回送するには東京上野間の連絡線使えないし。品川から山手貨物線経由で田端に入れるのは、ちとややこしいことになるのか? >>159
そのA寝台とグリーン車のリクライニングシートとの両立が出来なかったからどの道東京発着の寝台特急に581/583系を使うのはその時点で無理あるね
よくよく考えたら1967年の段階で2等車(普通車)でもリクライニングシートになってたら昼間のリクライニングシートと夜のB寝台を両立させるのは無理があると思うし当時の特急2等車が回転クロス、新幹線0系は転換クロスだったから昼間がボックスシート形態でも何とかなったという側面はあったかもな 構想段階では昼夜兼用急行型電車だったんだよな
それなら夜はプルマン式3段寝台で昼は固定クロスシートでいいだろうと
ところが「昼夜で新大阪―博多などを一往復、寝台・座席の転換は走行中ではなく車両基地で」とすると特急列車じゃないと間に合わないと判明
そこで急行型電車から特急用に仕様が変更になり581系誕生
昼間は固定クロスシートだけど従来急行の座席よりは足元に少し余裕があるからご容赦を相成ったと >>162
本当に導入するなら150両以上の配置になるから品川客車区を交直流扱える電車基地に大改修しないと処理しきれなかったと思うし、昭和40年代は日豊・長崎・佐世保線は非電化区間が残っていたのでどのみち無理筋。 最初の構想は153系に10系ハネの車体を載せた電車化だよ。プルマンではない
昼間の10系は評判悪かったからBもプルマンに。そうすると定員減るし
九州や全線電化が近かった東北で使うとなると交直流の高価な電車になるから早い段階で特急にした
高価な故に休ませる気がない。滞泊が長くなる東京発着は考慮してない
基地の交流設備とか関係ないな 史実の検討はそうだった、ってことでしょ。
こちらは「そうしようとしたらどうなるか」という仮定の話をしているわけで、
一にベッドを解体しないと中上段の客が就寝前後に居場所がないという長時間乗車に対する適性の問題、
二に当時の電化状況やインフラの問題でどのみち成立しないよね、と言っている。
中距離機織りでフル稼働させるといったって
京都─西鹿児島のように1000kmを超えるロングランもあったわけで、
東京─博多ぐらいなら検討されても別に不思議ではない。 485/583系の一番華やかな時代は人それぞれ違うと思うけど、昭和57年の東北上越新幹線開業がひとつの区切りかな
その後、引っ越し大作戦やひょうきん大改造時代へ進んでいった まさか特急型が近郊型まで格下げされるとは思わなかった
581系→715系、サロ481→サロ110-350などなど >>170 特急用客車だったのがローカル線の各停に使用なんてざらにあっただろ ザラにはないでしょ。スハフ43くらいしか思いつかない
14系の海峡や東武、20系の大社線とか男鹿線もそうなのかも知れんけど
大井川はえらいよね。485も583もなくなったのに、いまだ元祖はつかりのスハフ43に乗れるとか
向かい合わせだけど 国鉄赤字でやむ無しとはいえ583系の一般型改造は悲しかったな
ジョイフルトレインとかに改造ならまだ良かったんだが >>173 国鉄が大幅黒字だったら寝台客車停める留置線増やして、寝台電車造らなかったのでは? 山陽新幹線や東北新幹線が開通したら寝台列車をどうするかまで
当の国鉄が将来像を描けてなかったしな。 いくらなんでも、東北新幹線開業医の頃には寿命くるでしょ?って思ってたとか。 昭和40年代の年末の上野とか凄かったでしょ。テント村とかさ
航空機もそれほど発達してないし、クルマも性能悪いし高速も整備されてない
旅客も貨物も逼迫してとにかく目の前の人や荷物を輸送しなきゃいけないのに
10年後に新幹線できるから増備しないとかないでしょ
将来像とか言ってる人は自分の10年後は描けてますか? 181系・キハ80系・20系は20年もたなかった車両が多いけど、
583系の場合は交直両用・寝座両用で高価だったことは問題になったようだね。 583系は昼夜問わず走り続けたんだぜ
皆をたくさん輸送したいから頑張ったのに
お役御免になるや否や近郊型に改造って
あんまりだよ・・・ 3MGはフルに活用したら理論上21両編成を組めそう >>182
廃車になるよりはまし
北陸新幹線敦賀延伸でまた特急車両があまるね。 3МGは長編成化より少々の故障でも絶対運休にしないぞ!という国鉄設計陣の意地を感じる 東北の583系は編成両端にあるクハネMGが片方がダウンした際サシのMGで代用したそうだ
その際、食堂の営業は中止
鉄道ジャーナルの列車追跡にそんな状態で上野から青森へ向かう『はくつる』の話が載っていた 583はそれ出来るのかね。食堂車のMGが故障ならわかるけど
>>182
近郊型は憐れみたいにいうな
715良かったよ。旧客なくなって黒磯ついたらこれが停まっててつまんねーなって思ったけど
冷房ついてるわ、シートピッチ広いわ、エアサスで乗り心地いいわで最高だった
モーターがうるさかったけど 同じ交流440Vの発電機だから給電区分を切り替えるだけのこと。
ただしサシのMGは容量が小さいので調理器具を止めるだけでなく編成全体の冷暖房も半減以下にする必要がある。 その区分の切換でサシのMGで故障側の編成に給電が出来るのかって話ね
583とかMG故障のときは負荷減らして正常の方のMGで全体に供給すると思ってた
ジャーナルに載ってたならできるんだろうけど、それができるなら編成全体の負荷減する
必要ないよね。故障側だけでいい 13両編成で1号車のMGで1号車から6号車の電源を賄い、13号車のMGで8号車から13号車の電源を賄っていたわけだろ?
それを7号車のMGで1号車から4号車の電源を賄い、13号車のMGで5号車と6号車、8号車から13号車の電源を賄えたのかという疑問は残るね 381系はクハとサロに110kVAと165系みたいな構成
210kVAにすると重くなるので不利だったとか? 編成全体で給電回路を引き通しておかないと片方のMGが故障しただけで制御電源まで落ちて自走不能になってしまうんだが。 >>194
その引き通し線を13号車のMGからの給電に使ってたら
7号車からの給電はどこ通すんだよ? ツナギ図を見たらサシのMGは自車給電専用だったわ。
三相線はサシの配電盤で1-6と8-13に切り分けられているが、1号車MGが壊れた場合はサシの三相スイッチを扱って接続し編成全体に引き通し、13号車MGで1-6と8-13の12両分の面倒を見る。
これだと容量が足りないので8-13は冷暖房を半減して負荷を軽減する。
食堂が営業できなくなるのはサシのMGが壊れた時で、この場合スイッチを扱って13号車のMGから電源をもらうのでコンロやレンジの使用をやめ8-13の冷暖房を半減して対応する。 やっぱりそうだよね。ジャーナルの話はなんだろうね
つか、MG故障って編成全体の負荷を減らすんじゃね?
この構造だから東北特急、食堂車の営業終了してもサシがしばらく抜けなかったんだよな
>>193
そう。振り子のタイミングを同じにするために車両単位で重量を合わせた
MGの容量を減らしてCPをM’搭載にしてTcを軽く、TsにMGを積んで重くした
それで3両ユニットになったんだね >>197
> つか、MG故障って編成全体の負荷を減らすんじゃね?
一部車両の乗客だけ寒い思い、暑い思いするのはおかしいよね
負荷を3割減らせばよいだけだから実用上あまり問題は無さそうだし この時代の電車は各車両の配電盤やクーラーを1つ1つ入切して回って手動で応急措置を施す構造だったから規定外の状態も作れるのだが、
マニュアル上は確実な措置としてそう定めてあったということだろうね。
後年は電源誘導したらその給電区分内は全車空調半減と決めていたようだけど。
サシMGから他車への給電はよくわからん。
よっぽど状態悪くて裏の手だったのかも。 485系1500番台の失敗は1000番台に活かされたのかな >>200
小学生の頃コロタン文庫国電全百科で1500番台が1000番台より後に掲載されてたので1500番台が485系最新と思っていたアホな俺 北海道仕様だけど500番台を名乗らず1500番台を名乗ったのは謎
当時増備中は300番台でいずれ500に食い込むと予想したのかな 300番台は1000番台が開発されたら打ち止めでしたよね ED75や76はP型と基本型同時進行で製造していたな >>202
多分モハ484-600があったからだと思う
それで1500番台まで飛ばしたんだろう なんで『つばさ』電車化の時だけ耐寒耐雪を強化した1000番台を製造したのかね?
それまでも冷害・雪害が過酷な東北本線北部や日本海縦貫線には従来車を突っ込んで酷使していたのに >>207
それだけ奥羽南線の豪雪がすごかったということでしょう
北海道の粉雪とは違ったすごさ 485系1000番台は183系1000番台の耐寒耐雪強化設計を引き継いでいるんですよね >>207
まぁ483と違って485は583と同じく耐寒耐雪だから
白鳥なんかを走らせて、奥羽はそれじゃ足りないからって1000番台作ったんでしょ
東北はそれで足りてた。白鳥はユニットの方転したんだっけ? >>211
白鳥の場合新潟から西では編成の向きが逆転するよね
盛アオ時代は青森基準だから大阪側では雷鳥などの大ムコや金サワ編成とは向きが逆になる >>207
前任80系気動車や181系気動車は寒冷地仕様車という訳でもなかったのに電車になったら何故って不思議はあるな 何のための耐寒耐雪かと言ったら電装系のため
そこらへん内燃は強いよね キハ80系は北海道仕様ではなかったけど苗穂の匠が
極寒地仕様に育て上げたという印象
485系1500番台は尾灯の形状変更程度しか手を入れられず
結局後輩781系の登場までのつなぎでしかなかった 豪雪地帯で電車を走らせるようになって昭和50年時点で15年ぐらいしか経っていないわけだから、安定した構造に熟成されるまで1〜2世代の試行錯誤があるのはしょうがないんじゃないか。 ディーゼルはディーゼルで冬期は終夜アイドルして車庫に分割していれてたとかあるな
キハ181はともかくキハ80は基本的にキハ22やキハ56の延長だから応用が効いただろうけど
電車は電化して始めて走らせるし、冷却するのが変圧器や抵抗器やモーターみたいに高圧の
電気が通ってて、ラジエターみたいに単純じゃないから苦労したんだろ サロ581を桟敷席、だんらんみたいな感じに改造された夢を見た。急行八甲田に使用。 485系はボンネット、貫通、非貫通と長年に渡ったが
583系は貫通のみの短期集中製作だった 週間おもちゃランキング【総合 TOP10】9月25日〜10月1日
1位 NEW トランスフォーマー MPG-05 トレインボットセイザン(タカラトミー/22,000円/15歳〜)←
2位 NEW ゾイド AZ-02 ライガーゼロ(タカラトミー/14,300円/15歳〜)
3位 NEW ダイアクロン ガルダヴァーサルター<ジャイロリフターユニット>(タカラトミー/9,900円/15歳〜)
4位 NEW 仮面ライダーガッチャード DXヴァルバラッシャー(バンダイ/5,500円/3歳〜)
5位 NEW パウ・パトロール あそびもまなびもパウっとかいけつ! ワンダフルパウパッド(タカラトミー/19,800円/3歳〜)
6位 ↓ ポケットモンスター ポケモン テラスタルオーブ(タカラトミー/2,800円/6歳〜)
7位 ↑ BEYBLADE X BX-14 ランダムブースターVol.1(タカラトミー/1,400円/6歳〜)
8位 NEW ダイアクロン DA-99 グランドダイオン強化ユニットB:衝角/拡張甲板セット(タカラトミー/6,600円/15歳〜)
9位 NEW トランスフォーマー スタジオシリーズ SS-111 ダイノボットスナール(タカラトミー/8,250円/8歳〜)
10位 ↓ 仮面ライダーガッチャード 変身ベルト DXガッチャードライバー(バンダイ/7,920円/3歳〜)
羽越本線の脱線事故とJR京都線の列車が立ち往生の事も忘れてはならないが、大阪・京都方面から北陸以北の日本海側を走る在来線の特急がなくなった事を考えれば白鳥は廃止されて久しい。 581系作らずに485系、181系、80系ディーゼルカー、20系客車を昼夜問わず使い倒すという手もあったかもな 485、489系は湖西線内は離線対策で2丁パンタ走行していたけど、ほくほく線内はしてなかったんだな。
何でだろう? 何でだろうな。
東の3000番台は高速対応のPS26Hパンタに換装してたけど、西のは最後までPS16だったから今となってはよくわからん。 架線でしょ。ほくほく線、コンパウンドカテナリーだし 湖西線で第2パンタ故障は120キロ制限になる
鉄道ジャーナルにルポがある
無理して130キロ出したら離線でアーク損傷しそうだな クハネ581/583
運転席周辺、JNRマークの上方は青色に塗られている
上からのぞき込まない限り見えないところだけど
デザイナーの強いこだわりを感じる 週間おもちゃランキング【総合 TOP10】10月2日~10月8日
1位 NEW BEYBLADE X BX-16 ランダムブースター ヴァイパーテイルセレクト(タカラトミー/1,400円/6歳~)
2位 ↑ ちいかわ ゆめのむちゃでかおしゃべりプリンハウス(セガトイズ/7,700円/6歳~)
3位 NEW BEYBLADE X BX-15 スターター レオンクロー5-60P(タカラトミー/1,980円/6歳~)
4位 ↓ トランスフォーマー MPG-05 トレインボットセイザン(タカラトミー/22,000円/15歳~)←
5位 NEW ムービーモンスターシリーズ ゴジラ(2023)(バンダイ/3,520円/3歳~)
6位 NEW BEYBLADE X BX-17 バトルエントリーセット(タカラトミー/6,050円/6歳~)
7位 ↑ 仮面ライダーガッチャード 変身ベルト DXガッチャードライバー&ガッチャードローホルダーセット(バンダイ/10,450円/3歳~)
8位 ↑ ポケットモンスター カメラでリンク! ポケモン図鑑 スマホロトム(タカラトミー/10,990円/4歳~)
9位 ↑ 仮面ライダーガッチャード 変身ベルト DXガッチャードライバー(バンダイ/7,920円/3歳~)
10位 ↓ ポケットモンスター ポケモン テラスタルオーブ(タカラトミー/2,800円/6歳~) >>235
荒らしだよ
荒らしと認識できないならあなたがおかしいだけ
ちゃんと他人のいうことに耳を傾けて勉強しようね >>230
当初クリーム色だったが眩しいと運転士からクレームがついた
485系で実施されなかったのが意外 それは183系0番台やクハ481形200番代から
人間工学型のユニット運転台になったのが大きいと思う。
圧力計や電圧計が運転士から見やすいほぼ垂直に立てられ、文字盤も自光式になったので前方の反射が気にならなくなった。 初期のやつは速度計が独立してたな
記録式速度計の名残だとか
101系だけ独立してなかった クハ481の200番台はボンネット型よりも更に狭く貫通扉から入る隙間風で冬季は辛いという話だった筈
(その始祖であるクハネ581・583も同様に狭くて寒い)
次の300番台クハからは(飽くまで200番台との比較してだが)居住性が上がったと クハ480はゴムパッキンで隙間風対策してたはず
ほぼ同一な構造のクモハ381も同じ >>237-238
F-104とか昔の戦闘機もコクピット前上面を黒やグリーンで塗ってた。
F-15など新し目の機種では塗ってないから、改善があったのかも。
板違いだからここまでに。 貫通扉のシールゴム開発は115系300番台からだっけ?
しかし、今の新系列はそれが無いが気密性いいのか? 観音扉は複雑な構造だけどもっとシンプルな構造にしなかったのは
特急型のプライドがあったから? 最初のクハネ581を貫通路有で製造したのはどういう経路の列車を想定してたのかね
最初は博多への『月光』と大分への『みどり』だったけど、いずれは小倉で分割して半分は博多or熊本、残りは大分へみたいな計画でもあったのだろうか 具体的な想定はなく、なんとなく貫通路ありでダラダラと作って、活用されなかっただけなのかなあ。 山陽九州に関してはそんな感じ。
東北はクハ481-200を集中配備して今の山形新幹線のような福島での分併が考えられていたが、
当時豪雪による輸送障害が各地で多発していてとても無理だということで史実のようになった。 200番台クハ481を活用して『白鳥』が金沢―長岡は『はくたか』と連結、長岡から秋田までは『いなほ』なんて想定もあったそうな キハ82と比べるとクハネ581形状は運転室の位置が高くて死角が増えるから
連結・切り離しでの運転士からの目視も面倒って問題もあったかもな 1日1〜2往復の沿線の威信をかけた看板列車ならできることでも
それが6往復となると難易度は大幅に上がるのだよ。
どちらかが大幅に遅れて泣き別れになると福島─上野間で運転士を2倍調達しなくてはならない。過密の上野口に短編成で入って来られても困る。 キハ82をアレンジしたような貫通扉付きの前面のクハネ581やクハ481という妙なものを一瞬思い付いたがカッコ悪すぎる… カバーを付けて貫通幌を隠すのが特急形としての「化粧」だと考えられた。
同じ年に登場した近鉄スナックカーも同じ考え方で、JR化後はプラグドアに進化して253系や681系からE353系・273系まで特急車に欠かせないデザイン手法になった。 貫通路ありで不要なら使わないで済むけど、貫通路なしだったのに後で使う必要出てきた時に困るという理由もありそう。 新幹線博多開業で『かもめ』『みどり』が長崎ローカル特急に格下げになった際200番台クハ481を使っていたのに貫通路は使わなかった所を見るに、
同時期のキハ58&28・スハネフ14よりも連結・分割の手間が掛かるってのもあったからなんだろうな
手順が違えば事前に訓練も必要になって面倒だし 作業の手間だけでなく組合の手間もあったのかなと思ったり
あの時期の九州だし >>256
いやいや、キハはともかく、客車はメンドクサイだろ。特に併結
客車ごと引き上げて回すんだから
かもめみどりの485は面倒より時間的なものだろ。停車時間かけるのも嫌だし
貫通つなげたところで繋げて走る時間も短い 電化して特急化しても線形が悪くて大してスピードアップできなくて、体のいい値上げじゃないかと揶揄されてもいたからね。
分併作業時間を削りたかった、
組合問題が最悪の時期だった、
4+8の特急だからどちらの編成にも車掌が乗務してる、
食堂車がないので乗客を行き来させる必要もない。
全部関係してると思うよ。 クハ480は分割併合向きだと思ったけど
結局「くろしお」時代しか使用実績なし
末期には貫通路が埋められてしまうほど クハ481貫通型実用例
かもめ、みどり
スーパー雷鳥七尾線電化
しらさぎ
シュプール >>252
183系の設計時にはキハ82や急行型のような低運転台スタイルが考えられていたらしいが
特急型の風格にふさわしくないということで電気釜スタイルになったらしい
90年代のRFの183系特集の記事で書いてあった JR化後の北陸で開かずの観音開きが開いたのは、北陸トンネルの火災事故対策。
車掌の乗務人数も減ってきたので、走行中に運転士も車掌もいない編成を作らないようにするため幌を繋ぐ必要があった。 >>262
片側観音扉なら下記もありました
クハ481-200+クハ480
くろしお
クハ183-200(←クハ481-200)+クモハ183-200(元クモハ485-200)
北近畿ビッグX サロネ581は昼間営業の場合は普通車なんだから正確にはサロネハ581と付けるべきよな クハ481-200番台は両側が同時に開くが681系・683系などは片方ずつ開くようにしてる
両方一気に開けると空気消費量が大きくなってしまうとか? >>264
419系だと3編成併結の9連が短期間で中止された
真ん中にも車掌が乗る必要があったためとか
京急で4+4+4や総武線101系で3+4+3は真ん中の編成に運転士も車掌もアクセスできないことになるが長大トンネルが無ければ大丈夫なはず サシ481が客車改造されたスシ24は一応外観は他の24系車両と揃えられていたが、
サロ481からレガートシートになったオハ24は帯が25形の様な銀帯ではなく塗装された白線で何か少し気の毒だった >>270
スシ24-1〜3
落成直後は青い車体に銀色テープ帯でこちらも貧相だった
-1と-2はキノコ型クーラー搭載のサシ489が種車だったのでよりクラシックな印象 国鉄時代の113系や115系は編成中間にクハ同士の向かい合わせが有っても貫通路の幌は繋がない場合が多かった >>269
確かに機関車+客車もレチは運転室まで行けないな >>274
ハとハネは区別すべきだよね
設備として寝台と座席は違うんだから >>274
昔、マロネロ38ってあったらしいし、その例からするとハネハはありでは? 昭和60年のEXPO85つくば万博
エキスポライナーは青森車だけじゃなく向日町車も設定されていた
久々のクハネ581上京だった 9月の月間おもちゃランキング
【総合 TOP10】
1位 NEW 仮面ライダーガッチャード 変身ベルト DXガッチャードライバー(バンダイ/7,920円/3歳~)
2位 NEW 仮面ライダーガッチャード 変身ベルト DXガッチャードライバー&ガッチャードローホルダーセット(バンダイ/10,450円/3歳~)
3位 NEW ポケットモンスター ポケモン テラスタルオーブ(タカラトミー/2,800円/6歳~)
4位 NEW BEYBLADE X BX-14 ランダムブースターVol.1(タカラトミー/1,400円/6歳~)
5位 ↓ ポケットモンスター カメラでリンク! ポケモン図鑑 スマホロトム(タカラトミー/10,990円/4歳~)
6位 NEW トランスフォーマー MPG-05 トレインボットセイザン(タカラトミー/22,000円/15歳~)←
7位 NEW 仮面ライダーガッチャード DXガッチャージガン(バンダイ/5,720円/3歳~)
8位 ↑ くまのプーさん えらべる回転6WAY ジムにへんしんメリー(タカラトミー/14,960円/0ヶ月~)
9位 ↑ ヘッドセットではいしん?!カメラもIN!マウスできせかえ! すみっコぐらしパソコンMYLIVE(セガトイズ/24,200円/6歳~)
10位 ↓ ルービックキューブ ver.3.0(メガハウス/2,640円/8歳~)
>ライダーのが売上もでかいな
>キッズやママさん人気もあるし
>今となっては仮面ライダーのが全然知名度あるだろ
>平成ライダーは若手俳優の登竜門だし何人もスター俳優出まくっててママさんも見てるよ
如何に仮面ライダーが乳製品お菓子メーカー等の子供向け食品を扱うスポンサーや子持ち主婦向けのメーカーに評価されている事が窺えた。
>女児は見ないが男児のママが見てるわけで
>いつからか女性にウケそうな男優が選ばれるようになった
>イケメンで若いお母さんと女性の特撮ヲタを釣ってたね
>ライダー戦隊から出てきた俳優多いこと
やはり鉄オタは父と息子しかいないのか。 >>275
区別不要。寝台と座席どちらも結局「ハ」なんだから 車両にどんな形式や車番を付けようが、その鉄道会社の自由。
法令では何も決められていないし、国鉄自身が「モハネは2等寝台/2等座席両用の電動車である」と車両称号を部内定義したんだから
辻褄が合ってようが合ってなかろうが部外者には関係ない。 >>276
マロネロは合造車だから。半室が2等寝台で半室が2等座席。オハニやクロハと一緒
設備に対しての称号なんだからネだけなんでしょ。サロネ581だってナロネ21やオロネ14と
変わらんし
>>277
向日町のサロ581、狙って乗ったな。サロネ581もそのときに始めてみた
朝に上野発で昼は万博中央と我孫子を往復してた >>284
クハネ581/583、サロネ581の有無、MT比以外でアオ車とムコ車の差はあったのですか? サロ481は編成内に2両連結されている場合もあったがサロ581は常に編成中1両
『はつかり』はブルートレイン時代や80系ディーゼルカーの頃はロザが2両連結されていたのに583系になったら1両に
関西・九州方面の特急も同じ名前の列車でも481系はサロ2両なのに581系はサロ1両
謎のである 国鉄時代に製造された急行型や特急型の車両で2両連結となる事が終ぞ無かった孤高のグリーン車はサロ581、キロ180、サロ381、キロ183くらいかな?
クロ151やクロ481は先頭車だから編成に1両だが隣にサロが連結されている事はあったし 夜行 グリーン車なんて要らないよ
昼行 グリーン車2両ほしいなあ
の妥協の産物グリーン車1両なんじゃね? 客車の寝台列車でも1等や2等座席車が数両ずつあったから妥当な線なのでは。
後で座席車は無くなったけれど・・ さくら
←長崎
荷物-1寝AB-1座-食堂-2寝-2寝-2寝-2座-2寝-2寝-2寝-2寝-2寝-2寝-2寝
あさかぜ
←博多
荷物-1寝A-1寝AB-1寝B-1寝B-1寝B-1寝B-1座-食堂-2寝-2寝-2寝-2寝-2座2座 >>290
> 後で座席車は無くなったけれど・・
大事なのはここ
ナロ20ってサロ581登場の頃には3両除いて6両がナハネ20 500番台に改造されてるわな スシ24の種車にはサシ481/489が選ばれたけど、サシ581ではダメだったのかな >>293
ワイも思っていました
サシ581は営業休止期間がすんごく長かったから
調理室の什器がワヤになっていたとかでしょうか
放置期間が長くてGがすごかったとか・・・ サシ481はスシ24、サロ481はサロ110-350など華麗な変身を遂げたのに
サシ581、サロ581は715/419系化もされずに真っ先に廃車されてしまった つまんねーんだよ、おめーら
それよりおもちゃランキングについて語れや
仮面ライダーとかさ クーラーの機種の問題はあったかも。
AU12やAU13ならどこの国鉄工場にも予備品があったが、
AU15は583/419/715系を扱う土崎・郡山・松任・吹田・小倉でしか見られない機種。
青函ブルトレは苗穂・大宮・鷹取で検修するから、数両のためにAU15の予備部品や工具をもつのは避けたいと。 といってもサハネ581を使おうとしてたからな、JR北海道
サシ581、天井高くてよかったんだよな、オシ14も
サシ481とか使うなら出雲のオシ14を抜けば良かったのに
場末のスナックかよ、みたいな感じだったからな、スシ24 581系は夜行ではハネと食堂車だけの編成で運行し昼間は編成片方のクハネを切り離してサロ&クロを連結という案もあったそうな
だたそうするとクハネもロザ2両も動力がないので基地で留置されている間の移動も面倒という事で没になったとかなんとか 料金が客車よりも高かった
昭和42年登場時の1等A室/1等B室/月光号2等/それ以外の2等寝台
上段 1980円/1540円/1100円/800円
中段 -/-/1100円/800円
下段 2530円/1980円/1300円/1000円
個室 3080円
さらに電車寝台車は浴衣貸与が有った(1等は浴衣・ハンガー・スリッパ貸与)
ので電車寝台の位置づけは1等と2等の間。 >>300
自己レス
この案を知った時クハネとロザ2両の入れ替えではなくクハネの隣にクロ1両を連結するなら行けたかもと
最初の月光&みどりなら門ミフ→博多→新大阪→大ムコ(クロ連結)→新大阪→大分→新大阪→大ムコ(クロ切り離し)→新大阪→博多→門ミフ
クロも他の581系車両と同じく門ミフ所属だが普段は大ムコ常駐で検査がある際は月光に連結されて門ミフへと回送
ただ他の列車・他の線区ではこの様なローテは難しいが サシ581は山陽本線昼行全廃後の営業状況ってどうだったの?
東北方面はその後7年半は続いたけど。 「雷鳥」だけサシ581含め食堂の営業はS60.3改正まで続いた なぜか九州では581のサシだけ営業休止でしたね
懐かしや まーその頃の九州はサシ481も非営業または連結自体ナシだったからね
九州の各鉄道監理局は当時、食堂車営業せずの方針だったのだろう 「しらさぎ」食堂休止
「雷鳥」食堂営業
この差は需要や人員確保が理由かな 急行もたくさんあったのにあえて特急を使った人はいますか >>312
50年3月以降583の運用が雷鳥メインと九州方面メインに分けられて
雷鳥用は食堂車営業前提で整備
九州用は非営業前提(電源関連で連結継続)の整備しかしてなかったのでは
有明や金星間合いのしらさぎは非営業
しらさぎは53年10月で485に置き換えられて営業再開 >>314
なるほど、その考え方が有力ですね
「雷鳥」仕様は耐寒耐雪強化も行われたそうで もともと九州は山陽新幹線全通でほとんどのひかりに食堂車が付き、要員をそっちへ持っていかれたのが大きいと思うな。
熊本・大分以南は乗客の絶対数が少ないし。 485の赤帯に比べ583の青帯は太い
この絶妙な差がなんとも味わい深い
もし逆だったら違和感あるだろうな 湘南色の緑:橙:緑
スカ色の青:白:青
この比率も上手いんだよね。
583系とスカ色の共通点としては青が広い方がバランス良いみたい。 583系の食堂車、ポッポの丘に行くんだ?
見に行きたいけど、国吉駅からの送迎車なくなったんだよね?
上総中川駅が最寄り駅らしいけど、徒歩30分以上かかるみたいだし歩くのきついな
https://news.yahoo.co.jp/articles/16533e2b84be29c9b833ec038cd3ea5fa0268726 >>319
公式見ると土日祝日は国吉駅でいすみ鉄道応援団がレンタサイクルやってるらしい >>319 10年経ったら、583もここでスクラップ化するんだろ? >>318
赤系は目に入り易いからなんだろうかねえ?
デザイナーさんってすごいなと思う >>316
20系はやぶさ時代は分割せず西鹿児島まで食堂車連結していたっけ? >>318
初期の80系のオレンジは狭いし、0系の青は窓周りだけで狭いけど違和感ないから
見慣れてるかどうかでしょ
583は重く感じる。重厚感といえば聞こえはいいけど末期の6両だと青が目立ちすぎで
悲しくなったな サロ481/489改造のサロ110-350/1350も丁寧に湘南色・スカ色に
塗り分けてあっていたけどに似合っていたかビミョーだった あの改造サロを見て初めて一般型車両と特急形車両の断面や屋根の高さは違うのだなと知った
特急型の方は卵形断面・低屋根
583系や寝台客車の断面は一般型と同じ >>323
分割はしてた。付属編成は確か長崎行き?
食堂車つきの基本編成が西鹿児島まで行ってた。 25形化後の昭和53年に食堂車は熊本返しの付属編成に付け替えられた。
JR化後の787系つばめのビュッフェでも賑わってるのは博多─熊本間で、以南はガランとしていたからね。 とうとう千葉駅近くにまで熊って…
上総中川から長距離歩いてなんて相当やばいだろ。 非リクライニングシートはあらかじめ角度がついていたから
そんなに窮屈じゃなかったのかな
肘置きにもカバーがついていてむしろ高級感があった印象 というか、簡易リクライニングがダメダメ
アレはリクライニングシートじゃないし、
通路側はテーブルや灰皿を奪われた恨みだけが残った テーブルは座面にあるタイプと肘掛けに付いてる映画館の座席タイプがあったな 簡易リクライニングに関しては485-1000の最終ロットや381系のやくも投入分はストッパー付きになったんだが座り心地自体はバッタン時代と変わらんか? 座面が分厚くなった
新潟にいたT12やT14、18のTcによく乗ったわ 力を抜くとバッタンコ起きるので、何なんだこの椅子はと当初から言われていたな。
航空機も観光バスもマイカーもフリーストップだったから国鉄の時代錯誤ぶりが目立っていた。 「簡易」という単語は『簡易リクライニングシート』で覚えた
当時の国鉄の精一杯のサービスなんですよ 今の中華共産帝国がここまで伸し上がれたのはアメリカ民主党のお陰よな
トルーマンがルーズベルトの方針引き継いで国民党に肩入れしてれば中華は西側の仲間になったかも知れんのに手を引いたのがアホ 走行路線の殆どが交流電化区間だった東北の483系や583系と比べると、
大阪・名古屋から門司まで直流区間を長く走行する山陽特急時代の481系や581系は機器的には非効率だった? 交流区間での出力低下は最後まで未解決だった
E531系は制御プログラムで全く同一に出来るはずだが2次巻線の出力電圧を1800Vにしてる そのへんはRFの連載で宇田氏が色々書いてくれてるな。
直流区間の運転士も点検や応急措置で一通り覚えなくてはいけないし、
重量が重いし主回路に余計な機器がいろいろくっついているから応答性が悪く、
特に停車駅の多い急行形はストレスだったと。 青函トンネルの140キロもかなり苦労したはず
下り坂で助走を付けて140キロ出したとか無理矢理だった
上り勾配は110キロまで落ちる 主平滑リアクトルを通してるものの脈流成分が残っちゃって完全に平滑にならないのが出力低下の遠因か?
脈流対策しないと整流子からの火花が大きくなる >>347
MT54じゃ出力弱いし
12‰北陸トンネルも下り線は最高110だった(雷鳥33号パノラマグリーン車で確認) 485系は客室と洗面所・便所の間にデッキという配置だが、583系はデッキ→客室→洗面所・便所という並びなんだな
583系は従来の寝台客車や151系電車・80系気動車の方式を踏襲したのか
0系新幹線電車だと15形が同様 485系のレイアウトは車端から扉までの距離が全車揃えられ、配電盤や水回りを集約できるので安く上げられる利点がある。
583系は先頭車と中間車で扉位置が変わるものの、揺れる車端部を客室に充てない優等車の理想的な造り。
実際車端から必ず2枚の扉で仕切られるので静かだし。 一番はモハ484-1000番台だな
モハユニット毎に必ず車掌室と業務室が付いている モハ484はキノコ型クーラーとそれ以外を混用すると定員がキノコ型が8名少なく調整席が多発したはず
AU13搭載車を定員が多いのを利用してなるべく自由席車両にしてたとか? >>353
1500番台ユニットも全てのモハユニットに車掌室と業務室がある
>>354
JR西日本でキノコクーラーユニットが後々まで残って必ず1ユニットは編成中にあったのは西日本には1500/1000番台ユニットが殆ど存在しないゆえ車掌室付きの車両が必要という理由があったとか 車掌室というより車販準備室が必要だったんだな。
編成が12両になると巡回中に品物を切らすと食堂車まで戻るのは大変だからモハなりサハの車掌室が一定数必要だった。 781系みたいにドア増設車があったらどうなっていたか
あれはドアステップが枕梁を切らないようドア位置を決めてて8名分の小部屋が出来た車両がある >>354
重箱の隅をつついて恐縮ですがモハ484-200以降は集中式AU71ですよ
あと車掌室付のモハ484-600や1000もありましたし、ボンネットクハでも定員は変わってましたよね 定員の少ないボンネット型を揃えて最後まで残った489系
定員が少ないから離脱とは限らなかった 485系のトイレのない方の車端部にステップ付きのドアを付けるのは中間車はそれほど難しくない(床上にAU41が載ってるモハ484-0を除く)
先頭車の運転台次位はクモハ485-0の位置なら可というところ。 碓氷峠通過形式先頭車の内なぜクハ489・500とクハ180は自連だったのだろうwwww
ボンネットクハは故障で立ち往生した際に機関車に牽引して貰う事を想定して運転室側は非常用として自連を備えていたそうだが、クハ500番台の連結器は使用時間こそ短いが常用だしEF63も双頭連結器だったのに
先輩の169系も密連だしwwww
クハ489・500もクハ180も密連でも良かった気がするがwwww クモヤ193/192とクモヤ443/442の運転台回りは
クハ481-300とまったく同じ形状? 運転室後ろの冷房吹き出し口が冬になると蓋で塞がれていた しらさぎ号は12両だったのに今は半分になってしまった L特急 名 古 屋
―――
白詐欺 FOR NAGOYA 同じ485系12両編成でも山陽・北陸はサロ2両で特急らしい風格があったが東北側はサロ1両の場合が多くなんか格落ち感が否めなかった
はつかりの頃はロザ2両だったのに はつかりの頃ってのが何時か分からんけど
ロザの両数で言えば、客車時代のかもめ3両>客車時代のはつかり2両だったわな >>368
東北特急の場合MT比1:1がNGだから181系のようにモロユニットを設定しない限り12両編成で食堂車を有りにするならどうしてもロ車は1両にしか出来ない >>368
東北筋はロザ利用が少ないから減された訳だろ 東北:8M4T
北陸:6M6T
前者の方が路線状況は厳しかったはず 東北の583は8M5Tだったろ。485も一時期は13連あった
単に需要の差。まぁ北陸は山陽と共通なのもあったし
181のあずさやときもモロを使わざるを得なかったし
といってもやっぱり北海道と東北各都市は貧乏だったにつきる >>373
本当なら北陸と山陽は編成や運用分けたかったかもね
元々山陽は151系パーラーカーの利用者は殆ど居ずクロハにされる有様になったり通常の1等車(グリーン車)が減車されるわ寝台特急でも2段ハネ時代になるとモノクラスがデフォになるわ新幹線でもレールスターがグリーン車なしだったりするなど上級クラス不毛の地なのと急勾配のセノハチがあるので本当なら東北特急のような8M4Tにしても良かったかも
でも485系東北特急や181/183系「とき」の8M4T編成よりも381系の6M3T編成のほうがMT比は同じでもアルミ車体で軽量な分更に強力編成になるな 583系で8M5Tだと板谷峠登れるのか?
8M4Tでも辛そうだった
房総地区の183系みたいにユニットカット時580Aにするとたちまちモーターが焼損してしまう
上越線の183系は通常時でも500Aとか強気のセッティングだった 次は 葛
Next Kuzu
次は ク ズ
行先は 吉野 特急しらさぎはどうして漢字にしなかったのか気になる >>379
画数が多過ぎる
ぱっと見「白鳥」と「白鷺」が似ているから 鷺が常用漢字でないということもあるだろう。朱鷺も同様。
燕も常用漢字でないが、漢字表記だったのは常用漢字が設けられる前だったから。 >>381
そもそも列車愛称に平仮名を使うようになったのは戦後の話で本来は漢字表記こそ正式だと思う
新幹線は何故か平仮名愛称が絶対になってるけど(谷川がたにがわになったほど)日本を代表する鉄道だからこそ漢字愛称にして欲しいわ
将来北陸新幹線が大阪まで開業して雷鳥や白鳥が復活するとして「らいちょう」「はくちょう」と平仮名にするようなアホな真似はしないで欲しい
それならサンダーバードをそのまま新幹線移行させるほうがマシ >>381追加
気動車時代のひたちも「常陸」が併記されてたな
ついでに言えば電車には無縁で短命特急の代表格?のあすかも「飛鳥」が併記されてた
でも常陸も飛鳥も常用漢字でないんだろうか? 語ってるけど常用関係なく読めるかとかわかり易さだろ
外房内房でわかるだろうが お前ら常用漢字って言ってるけど
愛称名に関係しているかもしれないのは当用漢字な 特急雲雀 特急稲穂
特急常陸 特急常盤
特急緑 特急暁
特急翼 特急渦潮
オホーツクやカムイやおおとりはどう書くのか 望 光 木霊
桜 燕 瑞穂
隼 早手 山彦 那須野 翼
朱鷺 谷川 輝 浅間 鶴来(剣?) 上野ー青森 昼行/夜行
東北経由 はつかり/はくつる
常磐経由 みちのく/ゆうづる
東北新幹線開業前は選択肢が沢山あった もう無くなっちゃったから言ってもしょうがないんだけど、
583系の最後は、
はつかり青森発東京行き
はくつる上野発青森行き
で〆て欲しかったなぁ
上野東京ラインの勾配を登れたかはちょっとアレだけど… 第二パンタ故障で湖西線で120キロ制限になったルポが今月号の鉄道ジャーナルに再掲されてる
元々2010年6月号に掲載されてたもの 京都駅0番線で第二パンタが上昇、6or7番線で下降していましたな ボンネット型の連結器カバーが凹んでいる写真があるのだが、人を跳ねたのか車と衝撃したのか。 昔は直流電化区間は全区間で第二パンタを上げてたがいつのまにか湖西線以外で上げなくなってる
ほくほく線は架線の構造が異なるのか第二パンタを上げなくても130キロ出せた
381系は晩年のしなのと福知山では第二パンタを下げてた >>400
JR交直流電車も2丁パンタやめたのはなんで? >>401
すり板のばねが改良されたからと思われる
PS21みたいな感じにすれば離線しにくくなる 蒸し返しすぎだよ、お爺ちゃん
こういう適当な思われるってのがいつのまにか事実のように蔓延するんだよね
まぁいいけど 急行型や近郊型の交直流は1パンタだけど不具合は聞かない
特急型だけ2パンタ >>402
東日本は651系で開発したパンタを485系3000番台に採用
西日本は従来のPS16のまま 3000番台じゃなくて青函用じゃないの
特急が2パンタから1にできたほとんどの要因は架線側。設備の更新、ちょう架方式、架線の太さや材質の見直し
そんな積み重ね。なにか一つの単純なものじゃないから 九州のやつは第二パンタ撤去してるのあった
それどころか交流側固定されたの多数 パンダは事故の原因になりかねないから極力少ない方が良い 函館までなら485系でも使えたんだよな
札幌~旭川は無理 >>408
私鉄はアーク損傷対策でダブルパンタが多数
摩耗を取るかアーク損傷を取るかで事業者によって見解が分かれてる
近鉄特急だと10両編成でパンタ10個とか凄まじいのある 交直流車両で切替スイッチを搭載し忘れたのはクハ481の501か502どちらだったんだろう? デッドセクションで通過中にパンタを上げ下げするのか思っていたが、常磐線なら昔は上野―水戸ノンストップだから水戸で上げ下げだっけ?
他の路線だと郡山、酒田、糸魚川、敦賀、小倉かな? >>412
両方じゃね?
どうせ九州閉じ込めで使うんだし…
という改造だから。 あの元クハ181の車内の写真とか無いのかな?
貫通路の段差とかアコモデーションとか気になる
91年に早々と廃車されたような 84年のRFに載っていたが客室は元の汚れたまんま。
交直スイッチがないのも写真付きで載っていたからオタに知れ渡っていたわけで。
それにしても単なる運用担当のチョンボで2駅走れなかっただけなのに40年近くもネタにされ続けるとはなw 上越新幹線開業で廃車予定の181系を延命するほど国鉄の財政状況は厳しかった
種車2両はよっぽど状態が良好だったんだろうな シートも廃車されるまでR17シートのままだったの? 181系といっても最終製造の昭和44年製だから昭和59年の改造時点では新製後15年しか経っていない。151/161/181系は耐雪構造が未熟で20年もたない車両が殆どだったが、暖地の九州であれば全検1回分程度は使えるという判断だったのだろう。 耐寒耐雪対応は161系時点で採用済みで
2年後の485系と差があるとも思えないんだよなあ ま、最終増備車も道連れ廃車の予定が、
短編成化で命拾いしたんだろうなぁ クハ481はその後、クロ481格下げやサハ先頭車化などバリエーションが充実していった
電気釜+キノコクーラーという純正ではなかった仕様も登場 クハ181-109 1969.6.28製造 1984.1.29改造(クハ481-501) 1993.11.17廃車
クハ180-5 1969.6.28製造 1984.1.20改造(クハ481-502) 1991.8.19廃車
サロ180-101 1969.6.28製造 1978.6.13改造(サロ180-1001) 1983.4.13改造(サロ110-301) 1990.12.26廃車
モハ181-113
モハ181-114
モハ180-113
モハ180-114
モハ180-115
以上5両 1969.6.28製造 1986.3.31廃車 初期の新性能電車(や同世代の気動車・客車)は軽量化で鋼板が薄かったんだよ。車体だけでなく床下機器の筐体とかもね。
防水や水抜き対策も貧弱で、耐寒耐雪といっても最初から北陸/東北を想定した485系族と151系の設計を引きずる181系100番台とでは一世代分はやはり差があり、これが20年前後での早期廃車に繋がった。
その後711系の開発成果を応用した183系1000番台や485系1000番台では雪解け水が侵入しにくいよう機器箱の更なる堅牢化や、細々した機器を一つの箱にまとめて雪塊の噛み込みを防ぐユニット艤装化が進められたわけ。 艤装や機器箱の違いだから見りゃ分かるじゃん。
151系でバラバラにぶら下がってたものか183系1000番台では厳重に機器箱にまとめられ、同じ抵抗制御でも格段に雪に強くなっている。 急行車の457系は小数しか無かったのに485系は大量に作ったので急行が犠牲になった >>426
薄くない。ナハ10とオハ12の鋼板の厚さは変わらない。鋼体だけなら単位あたりの重さもほとんど変わらない
この間に耐候と高張力の鋼板が進歩したんだよ。10系客車や151や153の寿命が短い一因
181も183-1000の置き換え対象は初期車だったしな 末期のときはサロだけ凸編成だったけどサロ481化を視野に入れていた >>431
通勤型は機関車と同じ2.3ミリと厚いのは何で? 401系(常磐用)→421系(北九州用)、451系(東北用)→471系(西日本用)と常に50ヘルツ対応車が先んじて来たのに、
特急型は481系(西日本用)→483系(東北用)と逆転されてしまった DC/AC60Hz
481
581
DC/AC50Hz
483
DC/AC50Hz/AC60Hz
485
489
583 583系は「シャレー軽井沢」として信越本線西側を制覇
碓氷峠はギリギリ走らなかった 50/60H z両用変圧器の登場が1968年で、165系・457系・キハ58系の製造終了が1969年。急行形はそのあと12系とキハ65しか新製されていない。
山陽新幹線開通後も睨んで、もう急行形は新たには作らないとヨンサントウの頃に決めたんだろうな。 >>433
定員の何倍も押し込んで走るからじゃね? そういや103系って外板ベコベコにはなってなかったな サハネ581
格上げ→サロネ581
格下げ→クハ715-100/1100、クハ714、クハ418 >>434
山陽新幹線開通前かつQ州が交流電化されたからですかね
485系とひと括りにされていてもボンネットは大ムコの印象強し サロ481
近郊型へ格下げ改造
サシ481
客車化されたものの特急型食堂車は維持
サハ481
運転台取付で先頭車化 444(σ・∀・)σゲッツ!!
444キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
444(・∀・)イイ!! 583系 盛アオ
小倉工場出場715系1000番台の伴走する画像を見た
種車が583系だから理解可能な範囲
しかし驚くことに急行型改造近郊型717系もサンドイッチして回送していた
もはやなんでもアリの世界だったんですね、国鉄末期 419系は583系の交直流機器を残した車両だから
小倉工場出場分は金沢まで自力回送だった >>439 常磐快速103系の末期は外板べこべこ、塗装剥がれしている車両が見られたけどな。 まあ717系というのは違和感すごいけど、制御線とブレーキが繋がって動くんであれば編成中の故障車をユニット解放してるのと変わらんよな。おそらくトラブルに備えて工場職員も添乗してたと思うし。 広域転配時の牽引車両として485/583系は重宝された
異動対象車両自らが牽引するパターンも見られた
クハ481-1508が鹿児島まで遠征したのは有名な話 1980年代前半に編成単位での管理になるまでは電動車と付随車の検査周期が違っていて、頻繁に組み替えてはバラバラに検修していたので工場への入出場では異系列混結はそんなに珍しくはなかったな。
青森・向日町・南福岡だとクモヤ+485系+583系、金沢だとクモヤ+475系+485系とか。食堂車の簡易運転台も繋ぎ替え作業の便を図って設られたものだし。 >>452
特急形や急行形は仮に編成単位で新製されたとしても配置先に到着したら即効編成をバラして既存編成に振り分けられたみたいね
通勤形、例えば103系なんかは先頭車やサハ以外は実質的に新製時の編成のままということも多かったが >>453
車歴と配置の変遷を調べるとわかるが、かなりこまめに需要に応じて転属させてる
ので編成内の検査期限バラバラなのと
故障率の低い新車をなるべく各編成に入れて故障運休を防ぐためあたりかな 489系は489系だけで組成しないと横軽を走れないので編成をあまり崩さなかった印象がある。
サロ・サシは入れ替わりがあるものの、クハ上下とモハ3ユニットはきっちり14編成分で、半端の予備車は作られていない。 モハ484は集中式で番台区分されちゃったからな。600番台もあるし、言うほどバラけてないんでは 広域転配は機関車牽引した方が楽だったのに伴車を連れて行ったとか豪快だな
クハだけ転属する際にも転属しないモハを使って帰りは回送である 自連に交換したり、電磁直通ブレーキを切ったり、パンタを緊締して機関車に牽かせるよりはさすがに自力で走らせた方が手っ取り早い。
当時だったら山陽本線にも交直流電車の資格持ち運転士がゴロゴロいただろうし、新車の公試や配属先への回送はメーカーから基本自走だったからね。 >>449
クハ481-1508は結果的に国鉄の全電車の中で一番多くの都道府県を通過したことになりそう
もしかしたら天理臨で奈良県に入ってても不思議ではない
本州の電化路線がある県で到達してないのは山梨県、三重県、和歌山県、鳥取県、島根県あたりか クハ489
0/500 ボンネット
200/600 貫通
300/700 非貫通
クハ481のマイナーチェンジと同時期なのできっちり作り分けられた
100を欠番にしたのはクハ481に揃えるためか >>461
といっても一部の通勤車とかじゃなけりゃ新性能電車には自動ブレーキはあるからな
ただ繋げばいいだけ。連結器はアダプターでいけそうだし
まぁそんなことしなくても国鉄だし運転士はいるしで、電車は下松からでも自走だったんだよな
417も自走だったらしいし
417の交直切換、試運転とこの回送のときだけだった可能性 >>463
クハ489ボンネットはクハ481の100番台(ヘッドライトがシールドビーム化された方)に相当 青森から鹿児島とかの超遠距離転属もあった
2000キロ近くも走る事になるので回送が大変だったとか? >>468
ノンストップで長距離移動ではなくて途中の基地で
乗務員訓練も兼ねていた模様
スジ屋は大変だったでしょうね 秋田の485系が仙台に検査に入る際3セクに入ると線路使用料が掛かるので大宮経由とか凄まじい回送してた 青森の485が郡山だろ
E751もだったけど、さすがに土崎になったな
仙台の75はまだやってる
配給はたいていスジ引いてあるだろ
国鉄の頃の転配も工場入出場や季節のスジを組み合わせたりして回送してた スリット式のタイフォンはあまり好きじゃなかった
昔はクハネ581暖地向け程度だったけど先頭車化改造で増殖してしまった
クモハ485-0やクハ481-1100など >>474
ボンネットが勝田に転出して東北各地から200番台が転入してきた国鉄末期なら割と良く見られたと思う ボンネット型=北陸
貫通型=九州
1000番台=東北 >>476
南海がきのくに格上げ時に485中古か併結対応の新車入れてたらわずか1年半で撤退することはなかったかも 紀勢西線
165系はEF58+12系の普通運用置き換えのため
急行運用は想定されていなかった >>477
各地のボンネットが勝田に集結していた印象 ひたち=ボンネット
勝田に数量300番台しかないときの非貫通ひたちはかなりレア 福知山線城崎電化
全国からかき集めた485系と113系800番台を揃えたけど
予算が潤沢だったら381系と113系2700番台あたりかな? >>484
その場合、案外381系の代わりに185系あたりだったかも知れない。
距離も短いし、大して高速も出せなさそうだし。
さすがに普通車座席はリクライニング付きにしただろうけど。 特急は381系だろうけど普通はわからんね。
61-11時点ではもう205・211系に移行していたし、三田までの新線化は近畿圏の宅地不足を解消するため片福連絡線(JR東西線)建設と一体的に進めていた事業だから電化当初とりあえず中古というのは変わらなかった気がする。 >>482
民営化後に真っ先に新車投入されるのがわかってたからボロを集めた、とピクの485特集で当時の中の人が書いてる。
定員統一のためボンネットだらけに。
逆に九州は短編成でも定員確保できるようにモハの200番台を集めたとか。 >>487
確かに国鉄最末期のひたちに使われてる485系はボンネットだらけもそうだし中間車も見事にボロだらけ、483系ユニットも残ってるイメージが強いわ
他にボンネットが多いといえば何と言っても向日町だろう
幾度となく言われてるが向日町はボンネット先頭車の配置を強く要請していたほどボンネット好きだったらしい 向日町がそんなにボンネットを好んだ理由は何なのでしょう?定員も少ないのに。 ボンネットは電気釜より運転席が広いから
200番台は貫通扉からのスキマ風でも敬遠 それは向日町(検修)の好みというより走行線区(湖西・北陸)の運転士の好みだよね。
積雪地帯で長編成だから0番台よりMGが大きい100番台を向日町が好んだというのはあると思うけど。 能登も最後までボンネットだったな
コンプレッサーがC3000で床下じゃないから保守も容易でうるさくないとか
運用側の都合なんだろうな
>>487
ボンネットが勝田に行ったのも有明の短編成化での定員確保じゃないの
60.3の時点でJR化後のことを考えてるとは思えないんだけど >>>487
>60.3の時点でJR化後のことを考えてるとは思えないんだけど
あんたがどう思おうが当事者がそう書いてる
当時は表にはできなかったことも書いてる
ピク846のp41以降、特にp45末からp46あたりを声に出して何度も読んでみてくれ。 その当事者って誰?
分割民営化の本決まりは60.10なんだけど、60.3の時点で民営化後のことを考えて大規模転配することの出来る地位にいた人なんだよね?
まぁ本に書いてあること正しいよね 当該記事を読めば名前も当時の職掌も書いてある。
これだけ大きな組織が「本決まり」になってから動いてると思ってるならおめでたすぎる。春休みの子供なら仕方ないか。 >>492
いやコンプレッサーはボンネット内だよ。
MGが大容量化で床下移設。 >>492
あ、ごめん
コンプレッサーは床下じゃないと書いてあった
訂正は間違い済まぬ 勝田はサロ以外ボロ車だらけ。
それとクハの12,22の座席がバッタンコリクだった。 向日町のボンネットと言えば文字マーク
雷 鳥
RAICHO
雷 鳥
RAICYO もともとは長大編成前提の485が、短編成・高頻度運転の必要に迫られたとき
モハ・サロを先頭車化して4M1Tの強力編成を九州に与えて、ボロクハはタキシードまでの繋ぎで東日本へ
振り返ってみると実によく練られた策だよね(石井さんの発想だったりして)
北海道と四国には手切金代わりの新製キハを与えたり
37年前の今日を迎えるにあたり色々なドラマがあったのだなとしみじみ >>502
でも結局753系のほうが651系より先に登場しちゃうんだけどね 西日本は並行私鉄と勝負のため
近郊型221系を真っ先に出した 常磐線と九州は新車効果により増結・増発に転じたので651系と783系で老朽置換した485系族は意外と少ないのよ。
651系99両新製に対して483/485系が50両程度の廃車、783系90両新製に対して485系20両程度の廃車だったはず。 >>506
真っ先に廃車されたのは481系と483系ユニット? >>508
481系モハユニットは国鉄時代に消滅してる >>506
651系の99両はさておき783系の90両は思い切った投資ですよね
これもバブル景気の恩恵だったのでしょうか
そして生き延びた485系がKAMOME EXPRESSになった時は驚いた・・・ 民営化前後の485系のライバルは高速バス
若干狭くてもフルリクライニングシートなら快適
高速道路延伸や各都市高速の充実も要因 九州自動車道やら常磐自動車道やら北陸自動車道やら軒並み開通しているね 九州自動車道の全通が1995年に迫っていたのでJR九州の屋台骨が揺らぐ危機意識が強く、続けて787系118両を新製。この時も485系の廃車は46両にとどまりハウステンボスなど新規需要に充てられた。
西日本が出遅れたのは北陸では高速道路が渋滞や雪に弱く、山陽新幹線やアーバン線区に比べて競合脅威が低かったのもある。 >>471
>>472
遅レススマソ
そんな遠回りの運行にかかる費用以上に線路使用料高いんかね
まぁやってたという事は、そういう事なんだろうけど 天神のターミナルから働きバチのごとく飛び出してくる、にしてつバス&ハイウェイスターズは確かに脅威ですよね
京阪神の私鉄各社が脅威だった西日本との大きな違い
北陸路に遅くまで485が残ったのも納得 関西・名古屋〜金沢の高速バス
名神大渋滞&北陸道大雪で定時運行が厳しいからビジネスでは使いにくい 方向転換があった駅
新潟「白鳥」
米原「しらさぎ」
小倉「にちりん」 今思えば大阪白鳥が西日本持ちになった最末期だが使用車両がスーパー雷鳥編成だったら良かったのにと思ってしまった
大阪~富山間の停車駅はスーパー雷鳥と同じにして 最末期の白鳥西日本持ちはほくほく線乗り入れ車両との距離調整でしたっけ? 最末期の白鳥西日本持ちはほくほく線乗り入れ車両との距離調整でしたっけ? >>520
スーパー雷鳥のクロはかっこよかったな
大阪駅で編成写真撮らなかったのが悔やまれる パノラマクロの青しらさぎ時代は短期間だった
その後国鉄色になったのは衝撃的だった 「たざわ」ありましたね。国鉄最後の新設L特急だったっけ。 >>528
国鉄最後の新設L特急なら、福知山線の「北近畿」
現在こうのとりに改称されている。 >>529
ご指摘感謝。
「北近畿」も設定時は485系でしたね。
クロハ化、183系化と独自の進化を遂げた。 クハネ583-17って車籍あるんですか?
鉄博で展示しないですか? 「むつ」と「くろしお」
S60.3からS61.11まで485系短命特急 むつはいなほの区間列車だから別に驚かないが、485系くろしおは大々的に検修や乗務員訓練までして僅か1年半だからな。
和歌山機関区の気動車(急行きのくにで最後)60-3改正で全廃したかった。
城崎電化が61-11改正に迫っていた。
やくもは9連を持て余していたのでクモハ化改造で減車して一部の381系をくろしおに回すことにした。
こういう事情が絡んでの繋ぎだったようだが。 クハ480を大量投入したけど本来の目的は短期間でしたね
他路線では使われることなく一部は埋められてしまった クハ480の簡易貫通扉はその後381系で大流行したのは何かの縁
クロ381-0「しなの」
クモハ381「やくも」 583系は走行距離がキチガイじみてた
昼夜兼用で走行してた為に1日1500キロとか凄まじすぎw
すぐボロボロになって早期廃車が出た >>539
青とクリームは勇気のしるし24時間働きますか♪ さすがにそんな運用ないでしょ。青森の583だと3日で上野2往復、1日1000km
博多開業前の向日町の方がつらいのあるのかも知れないけど >>539
早期廃車なんてあったかな?
581系は715系になり
583系は715系1000番台や419系になったし 転用できない食堂車などはともかく、余剰車のほとんどが近郊型として活用されたわな
良し悪しは別として >>539 >>541
s49.4 (581 583系運用)
山陽九州特急運用および距離
19運用 総距離17,808.3km
博-新644k/新-広-新-熊1445.6k/熊-京801.4k/京-西1000.1k/西-博317.1k/博-西-門712.4k/門-西-岡1176.1k/岡-西780.8k/西-岡-西1561.6k/西-博-岡780.8k/岡-熊582.1k/熊-岡582.1k/岡-熊-京1383.5k/京-博683k/博-名830.6k/名-富-名-博1462.4k/博-西-新1278.2k/新-熊762.4k/熊-岡-博1024.1k
※西→西鹿児島 新→新大阪 最長運用で西鹿児島6:45(つばめ6)17:31岡山20:43(月光1)7:52西鹿児島の1,561.6km 山陽・九州は43.10〜50.3まで、特急列車増発に583系を積極的に活用していたからな。 この二つの電車は世界に誇れる名車ですよね。いい歳したおっさんですが今もHOゲージ飾って酒呑んで眺めてます。 s49.4 (485系ムコ運用)
山陽九州北陸特急 運用表
←宮崎・西鹿児島
TcM'MTsTsTdM'MM'MTc×37
指指指ググ食指指自自自
32運用 総距離34,992km
大-富327k/富-名-富631.8k/富-大-富693k/富-名-富-大978.3k/大-富346.5k/富-大-富-大1386k/大-富346.5k/富-大-富-大1386k/大-金-上804.3k/上-金-大804.3k/大-富-名662.4k/名-富-大662.4k/大-富-大693k/大-分-岡-下1620k/下-岡-博848.4k/博-岡-熊1045.8k/熊-岡-下945.1k/下-新-広906.6k/広-新-下906.6k/下-岡-熊945.1k/熊-岡-博1045.8k/博-宮-博811k/博-岡-博947.4k/博-岡-下848.4k/下-新-下1130k/下-岡-下769.4k/下-岡-宮1124k/宮-新916.7k/大-宮912.9k/宮-大912.9k/大-下-大1122.4k/大-西957.3k/西-大957.3k
※大→大阪、分→大分、下→下関、宮→宮崎 ※訂正
> 大-分-岡-下1620k
↓
大-分705.9k
分-岡-下914.1k >>547
ええ趣味ですな
ワシは小学生時代地元を走っていた485雷鳥、583雷鳥、たまに白鳥に憧れてましたわ >>545
毎日、岡山の折り返し3時間で車庫に入って車内清掃して寝台セットして、って素人目にも大変な勤務ですね… S48.3改正時点で南福岡の583系が運用が一巡するのに25日掛かってたな
ダイヤ乱れでどっかでローテーションが狂うと車両繰りがつかなくなるので1日で完結させた方が扱いやすい
スレチだが飛行機ではPeachが夜に必ず関空に帰ってくるよう機体運用してて外泊は基本的にしない 485系の1車両当たり洗面台1・トイレ1
583系の1車両当たり洗面台3・トイレ2
夜行の場合、洗面台は就寝前と朝食後の歯磨きエリアとして混雑が予想されるから多いのは分かるんだけどトイレが多いのは謎だ 何でよ?
就寝時と起床時にトイレ行く人が多いからだろ >>554の新幹線博多開業まで581(583)運用で臨時2が加わると21
南福岡在籍が22編成‥カツカツですな
>岡-熊(つばめ2号582.1k)のところに臨時化された明星(上り4号•下り1号)が新大阪へ1往復が加わり
熊本22:50→新大阪10:41~向日町~新大阪18:58→熊本6:19 (+1,524.8km) さらに最終運用(月光2号/岡山23:43→博多6:36)終え南福岡に戻った後に、臨時つばめ51号で岡山へ1往復(博多8:50→14:50岡山15:38→博多21:55)運用追加で+884km
最初の運用の明星(上り1号)が博多20:05発なので残り1編成も出場するからフル稼働になりますね‥
酷使ではあるが、夜行昼行特急全盛期なのは間違いない!
長文ですみません 481系登場のときには
大阪・名古屋~富山ごときの距離で特別急行かとか思われていたのだろうか 新幹線岡山開業から博多開業までが583の本領発揮
3年で使わなくなるのがわかってたから583も岡山開業の年で生産をやめた
3年だから岡山に大きな車両基地も作らずに583はすぐに折り返しさせた
向日町から岡山に583の寝台と座席の転換要員を新幹線で送り込んでたって話もあった
>>545
瞬間を切り取れば青森も24時間で上野往復してたけど、それは続けないから
やっぱり3日で3000kmなんだよ
この時はまだ南福岡だったんだっけ。それにしても凄いよね
まぁ>>549の485の方が大変だったらしいけど
走行距離も485の方が走ってるもんな 山陽線時代481系は最長11両だったのに581系が12両と1両多いのは同じ名前の列車でも座席数の差を少しでも縮めておきたかったからか >>560
583系と485系の両数差は東北筋で同じですね
485系12連<583系13連
S50~51年に485系新製されてるので、東北上越新幹線開業後(地方向けに短編成化)を考えてサハ→クハ増備で中間併結して581(583)系に両数合わせるとか
当時の国鉄本社は分割併合しないのにクハを中間併結する考えはなかったのかな 485系と583系の併結は「シュプール」くらいかな
クハ481-200とクハネ581の貫通路使用
583系にモハ484/485ユニット増結
1編成内で座席と寝台、両方の需要に応えるなんていい時代だった >>563
485系、583系は7両に減車していたっけ? htps://youtu.be/XIO_6bcSdQU?si=bZmkAcVunb9nzvt9
貴重な映像ですね
異形式併結‥なんで記録しなかったんだと後悔
国鉄末期〜JR転換期なるまでなかなか柔軟に対応する事は難しかったんでしょうね‥労組問題含め >>564
7+7と8+6の2パターンあったみたい
583は国鉄色から水色に変わったばかり
サロ581-100設定されてましたね 上沼垂はボロい0番台が各地から寄せ集められていた。
シールドビーム改造されていたり珍車あった。
今は常磐線のお古とか昔から上沼垂は中古車の行き先。 カラフル485系の中で一番好印象な上沼垂色
新潟雷鳥で来阪していた 俺も好きだったなあ上沼垂色 関西でも人気があったのかな。 スーパー雷鳥のクロはフォルムにカラーリングにかっこよかった 581(583)系最盛期のダイヤグラム(‘73.10/’75.3)
by鐵ピク
ttps://imgur.com/a/oIOHxXt
‘75.3は山陽筋の昼光はなくなっても夜行は彗星(にちりん)も仲間入りしてまだまだ盛況ですね〜
あと‘73.10にて
きりしまの大阪→西鹿児島間
19:52→9:58(14時間6分)
485系なは(大阪→西鹿児島)
7:05→20:04(12時間59分)
所要時間が1時間も違うのは夜間線路保守かで減速制限あるのでしょうか?客車のダイヤに合わせているとか? スーパー雷鳥クロ481-2000
登場時は前面帯が側面とつながってカッコ悪かったけど短期間で修正されて良くなった 九州のクハ481-200とクハネ581は貫通扉の溶接跡が矢鱈と目立っていた。 >>579
そう
線路容量がたりないから規格ダイヤ化、電車寝台も客車寝台も高速貨物も同じ所要時間で
雁行させて本数を確保した
有名なのが53.10の東北や上越特急。それで特急が遅くなって賛否両論がでたんだよね 恐ろしく広域運用してたんだなw
今のJRの感覚でいうとサンダーバードの683系が九州に行くようなもの
もっとカオスだったのが門ハイの14系で青森まで行ってたが日本海側の雪害で車両繰りがつかずあかつきが運休なんてこともあった >>584
1Mなんて専用(?)ダイヤが規格ダイヤになって30分も遅くなりましたね
国鉄末期の暗黒時代
>>585
41レと5055レが旅客駅と貨物駅で抜きつ抜かれつしながら九州へ向かっていた話を
コロタン系の本だったかで読んだ記憶があります サロ481-500
だんらん乗りたかったなー
定期列車ジョイフルトレインの元祖といっても過言ではない 国鉄485系列の普通車の座席事情について
山陽昼光特急終末期(昭和49年)にT17系列回転式クロスシート(ロマンスシート)からR51系(初期型)簡易リクライニングシート(通称・バッタンシート)を装備した車両(300番台)が登場。
後に1000番台、北海道向け1500番台が新造されますが、旧来のロマンスシート車からの座席改善(リクライニングシート化)は早くてもJR化直前くらいになるのでしょうか? 追記
wikiより‘78年以降の新造車(1000番台)は
> 普通車の簡易リクライニングシートは背もたれが倒れた状態でロックが可能な「R-51BN形」へ変更した
と書いてありますね 更に補足すると
まず寒冷地特別仕様として1000番台が造られて『つばさ』に投入
翌年それを基に極寒地仕様の1500番台が製造されて『いしかり』に使用される
しかし1500番台は直流区間に入らない為、後に形式名を781系に改める
という歴史があるのだな >>592
> しかし1500番台は直流区間に入らない為、後に形式名を781系に改める
> という歴史があるのだな
嘘歴史じゃねえかw 製造順=番号順(1000番台→1500番台)ではなく
1500番台は‘74年製(‘75.3まで盛アオ貸出)、1000番台は’76年(秋アキ)‘78年(盛アオ)製と逆なんですね 訂正
> 1000番台は’76年(秋アキ)‘78年(盛アオ)製
↓
1000番台は’76年製(秋アキ配属)‘78年製(盛アオ配属) サロ+サシが編成中央というのは東北新幹線開業直前の頃だけ?
クハ+サロ+サロ+・・・は青函連絡船を考慮して? 九州の485系は、そのほとんどが交流電化区間の九州島内で運用されて、下関発着の特急「にちりん」以外は、
直流機器を使用しなかったが、九州の485系の一部の車両は直流モーターは残したまま、直流機能を取り外して実質的には
交流電車になっている485系もあった。 >>597
いや逆に連絡船から離れた位置に連結されてた
上野地平ホームだと改札に近くて便利 >>598
> 直流モーターは残したまま
そりゃあモーター外しちゃったら走れないもの >>598
第2パンも撤去。
逆に長野の489系や福知山の485系は交流機器撤去。実質直流化したけど、651系スワローズみたいに番台区分はしなかった。 >>597
>クハ+サロ+サロ+
そんな編成あったっけ?
583はクハネ+サロで、東北の485でクロ+サロはあったけど
東北特急のボンネットは青森いってないし、白鳥もそんなのないでしょ 白鳥はあった
その頃は号車札も大阪特急に合わせてた
だから青森では上野特急とは逆に
後に他の上野特急と同じ1サロになり号車札も上野特急と同じになったので大阪特急とは逆に
その頃に1000番代が造られて翌年に1500番代が登場
そんな歴史だ なおボンネットが青森配置の時期もある
だから国鉄時代もボンネット白鳥はあった
まてサロやサシは581が代用されるのも多かった >>605
> まてサロやサシは581が代用されるのも多かった
意味不明w 盛アオ485は配属当初はクハは100番台ボンネットが新製投入(1972.5〜)
1972.8以降200番台新製投入
1973.1~2に100番台は大ムコ転出、200番台のみ在籍
1974.4~1975.3 札サウより1500番台を借入
1975.5より300番台新製投入
1975.9~1985.3 順次200番台が転出(→秋アキ・門ミフ・新カヌ・仙セン・金サワ・)
1978.8~9 1000番台新製投入
1980.6~9 札サウより1500番台転入
1986.11 秋アキよりクロハ等(1000番台)転入
↓
JR化
1987.10~1988.9 順次クハ(1000番台)のクロハ改造 1985.2 大ムコへモハ(1500番台)転出
1986.11 秋アキより(クロハと共に)クモハも転入
1986.9~ 新カヌへ順次クハ1500番台転出(1両のみJR後も在籍) >>604
白鳥は2サロ時代あったね
大阪では雷鳥と連結位置が違ってサロが京都側に集まっててモハの向きも逆だった
新潟で他の盛アオ編成同様に正規の向きに直ってた
ただ1500番台の後に1000番台が造られたという順だったと思ってたがやっぱり違うのか
確かに番号の若い方を後から造るとか変だもんね 北海道用が1500番台にナンバリングされたのは本来500番台にしたいところ既にモハ484-600が存在していたので機関車や客車の北海道仕様で使われがちの500に1000を加えた形なのかもね >>608
秋アキに200番台が在籍した時期があったんですね
奥羽南線の豪雪対策で1000番台オンリーだと思っていたので意外 クハネ581/583
クハ481-200
クハ489-200/600
クハ183-0
短期間で大量に製造された貫通扉顔 まず寒さが厳しい東北用として1000番代
それをベースに更に極寒の北海道向け1500番代
という流れと思っていた 政治的圧力かかったのが485の1500番台と1000番台でも183の方
計画に沿って増備しようとしたのが485の1000番台と189
おかげで奥羽の全線電化に間に合わなかった485の1000番台 クハ481-1500はクハ481-300の極寒地向け仕様
当初の変更点は上2灯のみだけだったけど運用中に外バメ尾灯仕様に追加変更 >>613
秋田は‘75.9に青森・南福岡より200番台(クハ・モハ・サシ)転入、サロは新製投入
’75.10 羽前千歳-秋田間交流電化
‘75.11〜 つばさ電車化(2往復)
←上野 秋田→
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×5 所要4
つばさ(2) 全車指定
予備 M'M×1 Tc×2 Ts×1 Td×1
’76.2~4 1000番台新製投入
200番台 南福岡へ転出
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 (予備0) 所要4
つばさ(2) 全車指定
’78.6~9 1000番台新製増備、サロ・サシ転入(南福岡・金沢)
※サロは100番台→1000番台化(耐寒耐雪)工事
‘78.10 いなほ・やまばと運用開始
※いなほ 青森2→青森•秋田各1 やまばと 仙台→秋田
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
※後部3両 自由席化
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
:
1年間のみ200番台使用してたみたいですね
1000番台投入までの繋ぎですね >>617
ttps://ameblo.jp/mohane5812002/entry-12488054014.html
たしかに このクハ485-1500は尾灯が出っ張ってないですね
極寒地の冬対策で生まれたものなんですね >>618
1000番台つばさ用のサシは当時から余剰気味のAU13クーラー装備の後期形から1000番台対応改造して使用されたけど一方で当時181系から183-1000番台に置き換えられる上越線ときの食堂車を存続させるためにこの余剰のサシ481後期形を183系化(恐らくサシ183-1000化か?)される話もあったらしいね >>618
秋田が事実上オール1000番台になって3MGによる冬季の安定運行に貢献することになったことで本来なら豪雪地帯での長距離運用が多い青森の編成も3MG化したかった所だろうな
1000番台の新製投入、そして1980年に1500番台転入時にクハ1500をクハ1000と同様にMG切替可能化してサロは1000番台投入と後期車を1050番代化、そしてサシは秋田と同じく後期車を1000番代対応化すれば秋田と同じような扱いが出来たかもね 特急「北近畿」の485系は、JR西日本になっても妻面に「郡山工」の全般検査表記が残っている車両や、
なかには車端部の側面に大きなへこみ傷がある車両も見受けられた。 485系の製造も白鳥での通し運用の為ではなく全国転配を容易にする為? 457系も明らか変圧器共通化によるコスト低減だな
システム的に急行しらゆきの電車化や東北↔︎北陸・九州の車両転属は可能だったが行われず >>620
その前には、新幹線博多開業で開店休業が増えてしまった大ムコのサシ581を編成から抜き取って、
新潟の冷害・雪害で損傷している『とき』181系の中でも特に痛みが著しいサシ181の後釜に改造…という計画もあったそうな
逆に『つばさ』は当時退潮傾向だった食堂車を連結せず従来サロ・車販基地付サロのコンビになる計画が、
理由は不明だが当時の他の東北特急と同様に1サロ・1サシへと変更になったとか
>>624
国鉄時代のEF81も『日本海』牽引機は富山で同種の交代、秋田でEF75(羽越用700番台)と交代していたから通し運用想定ではなかったんだろうな 475系でも地域をまたいで転属したのが九州→北陸で転属したクモハ475・モハ474-40しかなかった 485-1500が札サウに新製配置された当初盛アオに貸出された際に13両白鳥で暫定使用されてた当時の編成表はいくらググっても何故か出て来なかった >>627
こんな感じじゃないの?
Tc .M'MM'MTc (1500番台)
↓ ↓
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc ズレました‥
大阪方(Tc=1号車)(M'MM'MTc=9~13号車)青森方 >>618
ありがとうございます
それにしても200番台の正方形ヘッドに「つばさ」の文字がイメージできない(^_^ゞ >>624
485系きのこ型クーラーグループまで変圧器にPCB使われていたのかな? >>628-629
恐らくそのような組み方したんだろうね
或いは1500番代フル編成の6両編成を半分に割って両端3両ずつが1500番代車で中間に7両に在来車両を挿入する形だったのかも
当時編成を組んでた車両の車番などのデータが見つからないな
1978年の国鉄電車編成表の復刻版見たら13連白鳥用編成は完全体1本とサロが1両何らかの理由で抜けてるのが1本あるので所要2編成だったと思う
なので1500番代暫定使用当時は所要2編成共に白鳥専用として2編成は組んでた気がする
残るは10両だけど予備車だったのか、或いはもう1編成白鳥用予備編成として作って完全なバラ車はクハ2両とモハユニット1組にしてたのか興味深い 秋アキとつばさ関連の列車では485系キノコクーラー車はどうも一切使われたことが無かった感じだね >>628
昔『鉄道ナビ』という雑誌というかムックに載ってたイラスト付編成図では両端クハと青森寄り(大阪―新潟だと大阪寄り)のモハ4両が1500番台という事になってた
他が従来型