【485系列】国鉄交直流特急型電車【583系列】
広域転配時の牽引車両として485/583系は重宝された
異動対象車両自らが牽引するパターンも見られた
クハ481-1508が鹿児島まで遠征したのは有名な話 1980年代前半に編成単位での管理になるまでは電動車と付随車の検査周期が違っていて、頻繁に組み替えてはバラバラに検修していたので工場への入出場では異系列混結はそんなに珍しくはなかったな。
青森・向日町・南福岡だとクモヤ+485系+583系、金沢だとクモヤ+475系+485系とか。食堂車の簡易運転台も繋ぎ替え作業の便を図って設られたものだし。 >>452
特急形や急行形は仮に編成単位で新製されたとしても配置先に到着したら即効編成をバラして既存編成に振り分けられたみたいね
通勤形、例えば103系なんかは先頭車やサハ以外は実質的に新製時の編成のままということも多かったが >>453
車歴と配置の変遷を調べるとわかるが、かなりこまめに需要に応じて転属させてる
ので編成内の検査期限バラバラなのと
故障率の低い新車をなるべく各編成に入れて故障運休を防ぐためあたりかな 489系は489系だけで組成しないと横軽を走れないので編成をあまり崩さなかった印象がある。
サロ・サシは入れ替わりがあるものの、クハ上下とモハ3ユニットはきっちり14編成分で、半端の予備車は作られていない。 モハ484は集中式で番台区分されちゃったからな。600番台もあるし、言うほどバラけてないんでは 広域転配は機関車牽引した方が楽だったのに伴車を連れて行ったとか豪快だな
クハだけ転属する際にも転属しないモハを使って帰りは回送である 自連に交換したり、電磁直通ブレーキを切ったり、パンタを緊締して機関車に牽かせるよりはさすがに自力で走らせた方が手っ取り早い。
当時だったら山陽本線にも交直流電車の資格持ち運転士がゴロゴロいただろうし、新車の公試や配属先への回送はメーカーから基本自走だったからね。 >>449
クハ481-1508は結果的に国鉄の全電車の中で一番多くの都道府県を通過したことになりそう
もしかしたら天理臨で奈良県に入ってても不思議ではない
本州の電化路線がある県で到達してないのは山梨県、三重県、和歌山県、鳥取県、島根県あたりか クハ489
0/500 ボンネット
200/600 貫通
300/700 非貫通
クハ481のマイナーチェンジと同時期なのできっちり作り分けられた
100を欠番にしたのはクハ481に揃えるためか >>461
といっても一部の通勤車とかじゃなけりゃ新性能電車には自動ブレーキはあるからな
ただ繋げばいいだけ。連結器はアダプターでいけそうだし
まぁそんなことしなくても国鉄だし運転士はいるしで、電車は下松からでも自走だったんだよな
417も自走だったらしいし
417の交直切換、試運転とこの回送のときだけだった可能性 >>463
クハ489ボンネットはクハ481の100番台(ヘッドライトがシールドビーム化された方)に相当 青森から鹿児島とかの超遠距離転属もあった
2000キロ近くも走る事になるので回送が大変だったとか? >>468
ノンストップで長距離移動ではなくて途中の基地で
乗務員訓練も兼ねていた模様
スジ屋は大変だったでしょうね 秋田の485系が仙台に検査に入る際3セクに入ると線路使用料が掛かるので大宮経由とか凄まじい回送してた 青森の485が郡山だろ
E751もだったけど、さすがに土崎になったな
仙台の75はまだやってる
配給はたいていスジ引いてあるだろ
国鉄の頃の転配も工場入出場や季節のスジを組み合わせたりして回送してた スリット式のタイフォンはあまり好きじゃなかった
昔はクハネ581暖地向け程度だったけど先頭車化改造で増殖してしまった
クモハ485-0やクハ481-1100など >>474
ボンネットが勝田に転出して東北各地から200番台が転入してきた国鉄末期なら割と良く見られたと思う ボンネット型=北陸
貫通型=九州
1000番台=東北 >>476
南海がきのくに格上げ時に485中古か併結対応の新車入れてたらわずか1年半で撤退することはなかったかも 紀勢西線
165系はEF58+12系の普通運用置き換えのため
急行運用は想定されていなかった >>477
各地のボンネットが勝田に集結していた印象 ひたち=ボンネット
勝田に数量300番台しかないときの非貫通ひたちはかなりレア 福知山線城崎電化
全国からかき集めた485系と113系800番台を揃えたけど
予算が潤沢だったら381系と113系2700番台あたりかな? >>484
その場合、案外381系の代わりに185系あたりだったかも知れない。
距離も短いし、大して高速も出せなさそうだし。
さすがに普通車座席はリクライニング付きにしただろうけど。 特急は381系だろうけど普通はわからんね。
61-11時点ではもう205・211系に移行していたし、三田までの新線化は近畿圏の宅地不足を解消するため片福連絡線(JR東西線)建設と一体的に進めていた事業だから電化当初とりあえず中古というのは変わらなかった気がする。 >>482
民営化後に真っ先に新車投入されるのがわかってたからボロを集めた、とピクの485特集で当時の中の人が書いてる。
定員統一のためボンネットだらけに。
逆に九州は短編成でも定員確保できるようにモハの200番台を集めたとか。 >>487
確かに国鉄最末期のひたちに使われてる485系はボンネットだらけもそうだし中間車も見事にボロだらけ、483系ユニットも残ってるイメージが強いわ
他にボンネットが多いといえば何と言っても向日町だろう
幾度となく言われてるが向日町はボンネット先頭車の配置を強く要請していたほどボンネット好きだったらしい 向日町がそんなにボンネットを好んだ理由は何なのでしょう?定員も少ないのに。 ボンネットは電気釜より運転席が広いから
200番台は貫通扉からのスキマ風でも敬遠 それは向日町(検修)の好みというより走行線区(湖西・北陸)の運転士の好みだよね。
積雪地帯で長編成だから0番台よりMGが大きい100番台を向日町が好んだというのはあると思うけど。 能登も最後までボンネットだったな
コンプレッサーがC3000で床下じゃないから保守も容易でうるさくないとか
運用側の都合なんだろうな
>>487
ボンネットが勝田に行ったのも有明の短編成化での定員確保じゃないの
60.3の時点でJR化後のことを考えてるとは思えないんだけど >>>487
>60.3の時点でJR化後のことを考えてるとは思えないんだけど
あんたがどう思おうが当事者がそう書いてる
当時は表にはできなかったことも書いてる
ピク846のp41以降、特にp45末からp46あたりを声に出して何度も読んでみてくれ。 その当事者って誰?
分割民営化の本決まりは60.10なんだけど、60.3の時点で民営化後のことを考えて大規模転配することの出来る地位にいた人なんだよね?
まぁ本に書いてあること正しいよね 当該記事を読めば名前も当時の職掌も書いてある。
これだけ大きな組織が「本決まり」になってから動いてると思ってるならおめでたすぎる。春休みの子供なら仕方ないか。 >>492
いやコンプレッサーはボンネット内だよ。
MGが大容量化で床下移設。 >>492
あ、ごめん
コンプレッサーは床下じゃないと書いてあった
訂正は間違い済まぬ 勝田はサロ以外ボロ車だらけ。
それとクハの12,22の座席がバッタンコリクだった。 向日町のボンネットと言えば文字マーク
雷 鳥
RAICHO
雷 鳥
RAICYO もともとは長大編成前提の485が、短編成・高頻度運転の必要に迫られたとき
モハ・サロを先頭車化して4M1Tの強力編成を九州に与えて、ボロクハはタキシードまでの繋ぎで東日本へ
振り返ってみると実によく練られた策だよね(石井さんの発想だったりして)
北海道と四国には手切金代わりの新製キハを与えたり
37年前の今日を迎えるにあたり色々なドラマがあったのだなとしみじみ >>502
でも結局753系のほうが651系より先に登場しちゃうんだけどね 西日本は並行私鉄と勝負のため
近郊型221系を真っ先に出した 常磐線と九州は新車効果により増結・増発に転じたので651系と783系で老朽置換した485系族は意外と少ないのよ。
651系99両新製に対して483/485系が50両程度の廃車、783系90両新製に対して485系20両程度の廃車だったはず。 >>506
真っ先に廃車されたのは481系と483系ユニット? >>508
481系モハユニットは国鉄時代に消滅してる >>506
651系の99両はさておき783系の90両は思い切った投資ですよね
これもバブル景気の恩恵だったのでしょうか
そして生き延びた485系がKAMOME EXPRESSになった時は驚いた・・・ 民営化前後の485系のライバルは高速バス
若干狭くてもフルリクライニングシートなら快適
高速道路延伸や各都市高速の充実も要因 九州自動車道やら常磐自動車道やら北陸自動車道やら軒並み開通しているね 九州自動車道の全通が1995年に迫っていたのでJR九州の屋台骨が揺らぐ危機意識が強く、続けて787系118両を新製。この時も485系の廃車は46両にとどまりハウステンボスなど新規需要に充てられた。
西日本が出遅れたのは北陸では高速道路が渋滞や雪に弱く、山陽新幹線やアーバン線区に比べて競合脅威が低かったのもある。 >>471
>>472
遅レススマソ
そんな遠回りの運行にかかる費用以上に線路使用料高いんかね
まぁやってたという事は、そういう事なんだろうけど 天神のターミナルから働きバチのごとく飛び出してくる、にしてつバス&ハイウェイスターズは確かに脅威ですよね
京阪神の私鉄各社が脅威だった西日本との大きな違い
北陸路に遅くまで485が残ったのも納得 関西・名古屋〜金沢の高速バス
名神大渋滞&北陸道大雪で定時運行が厳しいからビジネスでは使いにくい 方向転換があった駅
新潟「白鳥」
米原「しらさぎ」
小倉「にちりん」 今思えば大阪白鳥が西日本持ちになった最末期だが使用車両がスーパー雷鳥編成だったら良かったのにと思ってしまった
大阪~富山間の停車駅はスーパー雷鳥と同じにして 最末期の白鳥西日本持ちはほくほく線乗り入れ車両との距離調整でしたっけ? 最末期の白鳥西日本持ちはほくほく線乗り入れ車両との距離調整でしたっけ? >>520
スーパー雷鳥のクロはかっこよかったな
大阪駅で編成写真撮らなかったのが悔やまれる パノラマクロの青しらさぎ時代は短期間だった
その後国鉄色になったのは衝撃的だった 「たざわ」ありましたね。国鉄最後の新設L特急だったっけ。 >>528
国鉄最後の新設L特急なら、福知山線の「北近畿」
現在こうのとりに改称されている。 >>529
ご指摘感謝。
「北近畿」も設定時は485系でしたね。
クロハ化、183系化と独自の進化を遂げた。 クハネ583-17って車籍あるんですか?
鉄博で展示しないですか? 「むつ」と「くろしお」
S60.3からS61.11まで485系短命特急 むつはいなほの区間列車だから別に驚かないが、485系くろしおは大々的に検修や乗務員訓練までして僅か1年半だからな。
和歌山機関区の気動車(急行きのくにで最後)60-3改正で全廃したかった。
城崎電化が61-11改正に迫っていた。
やくもは9連を持て余していたのでクモハ化改造で減車して一部の381系をくろしおに回すことにした。
こういう事情が絡んでの繋ぎだったようだが。 クハ480を大量投入したけど本来の目的は短期間でしたね
他路線では使われることなく一部は埋められてしまった クハ480の簡易貫通扉はその後381系で大流行したのは何かの縁
クロ381-0「しなの」
クモハ381「やくも」 583系は走行距離がキチガイじみてた
昼夜兼用で走行してた為に1日1500キロとか凄まじすぎw
すぐボロボロになって早期廃車が出た >>539
青とクリームは勇気のしるし24時間働きますか♪ さすがにそんな運用ないでしょ。青森の583だと3日で上野2往復、1日1000km
博多開業前の向日町の方がつらいのあるのかも知れないけど >>539
早期廃車なんてあったかな?
581系は715系になり
583系は715系1000番台や419系になったし 転用できない食堂車などはともかく、余剰車のほとんどが近郊型として活用されたわな
良し悪しは別として >>539 >>541
s49.4 (581 583系運用)
山陽九州特急運用および距離
19運用 総距離17,808.3km
博-新644k/新-広-新-熊1445.6k/熊-京801.4k/京-西1000.1k/西-博317.1k/博-西-門712.4k/門-西-岡1176.1k/岡-西780.8k/西-岡-西1561.6k/西-博-岡780.8k/岡-熊582.1k/熊-岡582.1k/岡-熊-京1383.5k/京-博683k/博-名830.6k/名-富-名-博1462.4k/博-西-新1278.2k/新-熊762.4k/熊-岡-博1024.1k
※西→西鹿児島 新→新大阪 最長運用で西鹿児島6:45(つばめ6)17:31岡山20:43(月光1)7:52西鹿児島の1,561.6km 山陽・九州は43.10〜50.3まで、特急列車増発に583系を積極的に活用していたからな。 この二つの電車は世界に誇れる名車ですよね。いい歳したおっさんですが今もHOゲージ飾って酒呑んで眺めてます。 s49.4 (485系ムコ運用)
山陽九州北陸特急 運用表
←宮崎・西鹿児島
TcM'MTsTsTdM'MM'MTc×37
指指指ググ食指指自自自
32運用 総距離34,992km
大-富327k/富-名-富631.8k/富-大-富693k/富-名-富-大978.3k/大-富346.5k/富-大-富-大1386k/大-富346.5k/富-大-富-大1386k/大-金-上804.3k/上-金-大804.3k/大-富-名662.4k/名-富-大662.4k/大-富-大693k/大-分-岡-下1620k/下-岡-博848.4k/博-岡-熊1045.8k/熊-岡-下945.1k/下-新-広906.6k/広-新-下906.6k/下-岡-熊945.1k/熊-岡-博1045.8k/博-宮-博811k/博-岡-博947.4k/博-岡-下848.4k/下-新-下1130k/下-岡-下769.4k/下-岡-宮1124k/宮-新916.7k/大-宮912.9k/宮-大912.9k/大-下-大1122.4k/大-西957.3k/西-大957.3k
※大→大阪、分→大分、下→下関、宮→宮崎 ※訂正
> 大-分-岡-下1620k
↓
大-分705.9k
分-岡-下914.1k >>547
ええ趣味ですな
ワシは小学生時代地元を走っていた485雷鳥、583雷鳥、たまに白鳥に憧れてましたわ >>545
毎日、岡山の折り返し3時間で車庫に入って車内清掃して寝台セットして、って素人目にも大変な勤務ですね… S48.3改正時点で南福岡の583系が運用が一巡するのに25日掛かってたな
ダイヤ乱れでどっかでローテーションが狂うと車両繰りがつかなくなるので1日で完結させた方が扱いやすい
スレチだが飛行機ではPeachが夜に必ず関空に帰ってくるよう機体運用してて外泊は基本的にしない 485系の1車両当たり洗面台1・トイレ1
583系の1車両当たり洗面台3・トイレ2
夜行の場合、洗面台は就寝前と朝食後の歯磨きエリアとして混雑が予想されるから多いのは分かるんだけどトイレが多いのは謎だ 何でよ?
就寝時と起床時にトイレ行く人が多いからだろ >>554の新幹線博多開業まで581(583)運用で臨時2が加わると21
南福岡在籍が22編成‥カツカツですな
>岡-熊(つばめ2号582.1k)のところに臨時化された明星(上り4号•下り1号)が新大阪へ1往復が加わり
熊本22:50→新大阪10:41~向日町~新大阪18:58→熊本6:19 (+1,524.8km) さらに最終運用(月光2号/岡山23:43→博多6:36)終え南福岡に戻った後に、臨時つばめ51号で岡山へ1往復(博多8:50→14:50岡山15:38→博多21:55)運用追加で+884km
最初の運用の明星(上り1号)が博多20:05発なので残り1編成も出場するからフル稼働になりますね‥
酷使ではあるが、夜行昼行特急全盛期なのは間違いない!
長文ですみません 481系登場のときには
大阪・名古屋~富山ごときの距離で特別急行かとか思われていたのだろうか 新幹線岡山開業から博多開業までが583の本領発揮
3年で使わなくなるのがわかってたから583も岡山開業の年で生産をやめた
3年だから岡山に大きな車両基地も作らずに583はすぐに折り返しさせた
向日町から岡山に583の寝台と座席の転換要員を新幹線で送り込んでたって話もあった
>>545
瞬間を切り取れば青森も24時間で上野往復してたけど、それは続けないから
やっぱり3日で3000kmなんだよ
この時はまだ南福岡だったんだっけ。それにしても凄いよね
まぁ>>549の485の方が大変だったらしいけど
走行距離も485の方が走ってるもんな 山陽線時代481系は最長11両だったのに581系が12両と1両多いのは同じ名前の列車でも座席数の差を少しでも縮めておきたかったからか >>560
583系と485系の両数差は東北筋で同じですね
485系12連<583系13連
S50~51年に485系新製されてるので、東北上越新幹線開業後(地方向けに短編成化)を考えてサハ→クハ増備で中間併結して581(583)系に両数合わせるとか
当時の国鉄本社は分割併合しないのにクハを中間併結する考えはなかったのかな 485系と583系の併結は「シュプール」くらいかな
クハ481-200とクハネ581の貫通路使用
583系にモハ484/485ユニット増結
1編成内で座席と寝台、両方の需要に応えるなんていい時代だった >>563
485系、583系は7両に減車していたっけ? htps://youtu.be/XIO_6bcSdQU?si=bZmkAcVunb9nzvt9
貴重な映像ですね
異形式併結‥なんで記録しなかったんだと後悔
国鉄末期〜JR転換期なるまでなかなか柔軟に対応する事は難しかったんでしょうね‥労組問題含め >>564
7+7と8+6の2パターンあったみたい
583は国鉄色から水色に変わったばかり
サロ581-100設定されてましたね 上沼垂はボロい0番台が各地から寄せ集められていた。
シールドビーム改造されていたり珍車あった。
今は常磐線のお古とか昔から上沼垂は中古車の行き先。 カラフル485系の中で一番好印象な上沼垂色
新潟雷鳥で来阪していた 俺も好きだったなあ上沼垂色 関西でも人気があったのかな。 スーパー雷鳥のクロはフォルムにカラーリングにかっこよかった 581(583)系最盛期のダイヤグラム(‘73.10/’75.3)
by鐵ピク
ttps://imgur.com/a/oIOHxXt
‘75.3は山陽筋の昼光はなくなっても夜行は彗星(にちりん)も仲間入りしてまだまだ盛況ですね〜
あと‘73.10にて
きりしまの大阪→西鹿児島間
19:52→9:58(14時間6分)
485系なは(大阪→西鹿児島)
7:05→20:04(12時間59分)
所要時間が1時間も違うのは夜間線路保守かで減速制限あるのでしょうか?客車のダイヤに合わせているとか? スーパー雷鳥クロ481-2000
登場時は前面帯が側面とつながってカッコ悪かったけど短期間で修正されて良くなった 九州のクハ481-200とクハネ581は貫通扉の溶接跡が矢鱈と目立っていた。 >>579
そう
線路容量がたりないから規格ダイヤ化、電車寝台も客車寝台も高速貨物も同じ所要時間で
雁行させて本数を確保した
有名なのが53.10の東北や上越特急。それで特急が遅くなって賛否両論がでたんだよね 恐ろしく広域運用してたんだなw
今のJRの感覚でいうとサンダーバードの683系が九州に行くようなもの
もっとカオスだったのが門ハイの14系で青森まで行ってたが日本海側の雪害で車両繰りがつかずあかつきが運休なんてこともあった >>584
1Mなんて専用(?)ダイヤが規格ダイヤになって30分も遅くなりましたね
国鉄末期の暗黒時代
>>585
41レと5055レが旅客駅と貨物駅で抜きつ抜かれつしながら九州へ向かっていた話を
コロタン系の本だったかで読んだ記憶があります サロ481-500
だんらん乗りたかったなー
定期列車ジョイフルトレインの元祖といっても過言ではない 国鉄485系列の普通車の座席事情について
山陽昼光特急終末期(昭和49年)にT17系列回転式クロスシート(ロマンスシート)からR51系(初期型)簡易リクライニングシート(通称・バッタンシート)を装備した車両(300番台)が登場。
後に1000番台、北海道向け1500番台が新造されますが、旧来のロマンスシート車からの座席改善(リクライニングシート化)は早くてもJR化直前くらいになるのでしょうか? 追記
wikiより‘78年以降の新造車(1000番台)は
> 普通車の簡易リクライニングシートは背もたれが倒れた状態でロックが可能な「R-51BN形」へ変更した
と書いてありますね 更に補足すると
まず寒冷地特別仕様として1000番台が造られて『つばさ』に投入
翌年それを基に極寒地仕様の1500番台が製造されて『いしかり』に使用される
しかし1500番台は直流区間に入らない為、後に形式名を781系に改める
という歴史があるのだな >>592
> しかし1500番台は直流区間に入らない為、後に形式名を781系に改める
> という歴史があるのだな
嘘歴史じゃねえかw 製造順=番号順(1000番台→1500番台)ではなく
1500番台は‘74年製(‘75.3まで盛アオ貸出)、1000番台は’76年(秋アキ)‘78年(盛アオ)製と逆なんですね 訂正
> 1000番台は’76年(秋アキ)‘78年(盛アオ)製
↓
1000番台は’76年製(秋アキ配属)‘78年製(盛アオ配属) サロ+サシが編成中央というのは東北新幹線開業直前の頃だけ?
クハ+サロ+サロ+・・・は青函連絡船を考慮して? 九州の485系は、そのほとんどが交流電化区間の九州島内で運用されて、下関発着の特急「にちりん」以外は、
直流機器を使用しなかったが、九州の485系の一部の車両は直流モーターは残したまま、直流機能を取り外して実質的には
交流電車になっている485系もあった。 >>597
いや逆に連絡船から離れた位置に連結されてた
上野地平ホームだと改札に近くて便利 >>598
> 直流モーターは残したまま
そりゃあモーター外しちゃったら走れないもの >>598
第2パンも撤去。
逆に長野の489系や福知山の485系は交流機器撤去。実質直流化したけど、651系スワローズみたいに番台区分はしなかった。 >>597
>クハ+サロ+サロ+
そんな編成あったっけ?
583はクハネ+サロで、東北の485でクロ+サロはあったけど
東北特急のボンネットは青森いってないし、白鳥もそんなのないでしょ 白鳥はあった
その頃は号車札も大阪特急に合わせてた
だから青森では上野特急とは逆に
後に他の上野特急と同じ1サロになり号車札も上野特急と同じになったので大阪特急とは逆に
その頃に1000番代が造られて翌年に1500番代が登場
そんな歴史だ なおボンネットが青森配置の時期もある
だから国鉄時代もボンネット白鳥はあった
まてサロやサシは581が代用されるのも多かった >>605
> まてサロやサシは581が代用されるのも多かった
意味不明w 盛アオ485は配属当初はクハは100番台ボンネットが新製投入(1972.5〜)
1972.8以降200番台新製投入
1973.1~2に100番台は大ムコ転出、200番台のみ在籍
1974.4~1975.3 札サウより1500番台を借入
1975.5より300番台新製投入
1975.9~1985.3 順次200番台が転出(→秋アキ・門ミフ・新カヌ・仙セン・金サワ・)
1978.8~9 1000番台新製投入
1980.6~9 札サウより1500番台転入
1986.11 秋アキよりクロハ等(1000番台)転入
↓
JR化
1987.10~1988.9 順次クハ(1000番台)のクロハ改造 1985.2 大ムコへモハ(1500番台)転出
1986.11 秋アキより(クロハと共に)クモハも転入
1986.9~ 新カヌへ順次クハ1500番台転出(1両のみJR後も在籍) >>604
白鳥は2サロ時代あったね
大阪では雷鳥と連結位置が違ってサロが京都側に集まっててモハの向きも逆だった
新潟で他の盛アオ編成同様に正規の向きに直ってた
ただ1500番台の後に1000番台が造られたという順だったと思ってたがやっぱり違うのか
確かに番号の若い方を後から造るとか変だもんね 北海道用が1500番台にナンバリングされたのは本来500番台にしたいところ既にモハ484-600が存在していたので機関車や客車の北海道仕様で使われがちの500に1000を加えた形なのかもね >>608
秋アキに200番台が在籍した時期があったんですね
奥羽南線の豪雪対策で1000番台オンリーだと思っていたので意外 クハネ581/583
クハ481-200
クハ489-200/600
クハ183-0
短期間で大量に製造された貫通扉顔 まず寒さが厳しい東北用として1000番代
それをベースに更に極寒の北海道向け1500番代
という流れと思っていた 政治的圧力かかったのが485の1500番台と1000番台でも183の方
計画に沿って増備しようとしたのが485の1000番台と189
おかげで奥羽の全線電化に間に合わなかった485の1000番台 クハ481-1500はクハ481-300の極寒地向け仕様
当初の変更点は上2灯のみだけだったけど運用中に外バメ尾灯仕様に追加変更 >>613
秋田は‘75.9に青森・南福岡より200番台(クハ・モハ・サシ)転入、サロは新製投入
’75.10 羽前千歳-秋田間交流電化
‘75.11〜 つばさ電車化(2往復)
←上野 秋田→
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×5 所要4
つばさ(2) 全車指定
予備 M'M×1 Tc×2 Ts×1 Td×1
’76.2~4 1000番台新製投入
200番台 南福岡へ転出
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 (予備0) 所要4
つばさ(2) 全車指定
’78.6~9 1000番台新製増備、サロ・サシ転入(南福岡・金沢)
※サロは100番台→1000番台化(耐寒耐雪)工事
‘78.10 いなほ・やまばと運用開始
※いなほ 青森2→青森•秋田各1 やまばと 仙台→秋田
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
※後部3両 自由席化
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
:
1年間のみ200番台使用してたみたいですね
1000番台投入までの繋ぎですね >>617
ttps://ameblo.jp/mohane5812002/entry-12488054014.html
たしかに このクハ485-1500は尾灯が出っ張ってないですね
極寒地の冬対策で生まれたものなんですね >>618
1000番台つばさ用のサシは当時から余剰気味のAU13クーラー装備の後期形から1000番台対応改造して使用されたけど一方で当時181系から183-1000番台に置き換えられる上越線ときの食堂車を存続させるためにこの余剰のサシ481後期形を183系化(恐らくサシ183-1000化か?)される話もあったらしいね >>618
秋田が事実上オール1000番台になって3MGによる冬季の安定運行に貢献することになったことで本来なら豪雪地帯での長距離運用が多い青森の編成も3MG化したかった所だろうな
1000番台の新製投入、そして1980年に1500番台転入時にクハ1500をクハ1000と同様にMG切替可能化してサロは1000番台投入と後期車を1050番代化、そしてサシは秋田と同じく後期車を1000番代対応化すれば秋田と同じような扱いが出来たかもね 特急「北近畿」の485系は、JR西日本になっても妻面に「郡山工」の全般検査表記が残っている車両や、
なかには車端部の側面に大きなへこみ傷がある車両も見受けられた。 485系の製造も白鳥での通し運用の為ではなく全国転配を容易にする為? 457系も明らか変圧器共通化によるコスト低減だな
システム的に急行しらゆきの電車化や東北↔︎北陸・九州の車両転属は可能だったが行われず >>620
その前には、新幹線博多開業で開店休業が増えてしまった大ムコのサシ581を編成から抜き取って、
新潟の冷害・雪害で損傷している『とき』181系の中でも特に痛みが著しいサシ181の後釜に改造…という計画もあったそうな
逆に『つばさ』は当時退潮傾向だった食堂車を連結せず従来サロ・車販基地付サロのコンビになる計画が、
理由は不明だが当時の他の東北特急と同様に1サロ・1サシへと変更になったとか
>>624
国鉄時代のEF81も『日本海』牽引機は富山で同種の交代、秋田でEF75(羽越用700番台)と交代していたから通し運用想定ではなかったんだろうな 475系でも地域をまたいで転属したのが九州→北陸で転属したクモハ475・モハ474-40しかなかった 485-1500が札サウに新製配置された当初盛アオに貸出された際に13両白鳥で暫定使用されてた当時の編成表はいくらググっても何故か出て来なかった >>627
こんな感じじゃないの?
Tc .M'MM'MTc (1500番台)
↓ ↓
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc ズレました‥
大阪方(Tc=1号車)(M'MM'MTc=9~13号車)青森方 >>618
ありがとうございます
それにしても200番台の正方形ヘッドに「つばさ」の文字がイメージできない(^_^ゞ >>624
485系きのこ型クーラーグループまで変圧器にPCB使われていたのかな? >>628-629
恐らくそのような組み方したんだろうね
或いは1500番代フル編成の6両編成を半分に割って両端3両ずつが1500番代車で中間に7両に在来車両を挿入する形だったのかも
当時編成を組んでた車両の車番などのデータが見つからないな
1978年の国鉄電車編成表の復刻版見たら13連白鳥用編成は完全体1本とサロが1両何らかの理由で抜けてるのが1本あるので所要2編成だったと思う
なので1500番代暫定使用当時は所要2編成共に白鳥専用として2編成は組んでた気がする
残るは10両だけど予備車だったのか、或いはもう1編成白鳥用予備編成として作って完全なバラ車はクハ2両とモハユニット1組にしてたのか興味深い 秋アキとつばさ関連の列車では485系キノコクーラー車はどうも一切使われたことが無かった感じだね >>628
昔『鉄道ナビ』という雑誌というかムックに載ってたイラスト付編成図では両端クハと青森寄り(大阪―新潟だと大阪寄り)のモハ4両が1500番台という事になってた
他が従来型 イカロス出版のさよなら白鳥に暫定使用当時の1500番台の写真が掲載されていてそれを見ると1~3号車、9/10号車と13号車が1500番台のような感じだった
(屋根やクーラーが他車と比べて綺麗に見えたので新車だと判断した、13連時代の白鳥は大阪寄りが1号車だった) 485が配置された基地の中で大ムコと盛アオは別格なイメージ 西日本の583が全車塗装変更後でもたまに国鉄色583が東日本から来阪していた
甲子園臨か多客臨 東日本は485系の塗装変更は積極的にしてきたけど583系は最後まで国鉄色のままだった >>638
金光臨だと思うがEF58牽引の客車列車と国鉄色583系を連続で見たことがあった気がする。
JR西日本カラー似合ってなくはないけど、やっぱ国鉄色の方が良いなと思った。
485系は個人的にはオリジナルを超えていると思った色もあった気がする。 >>637
北の485といえばボンネットも多い仙センだろうやはり
盛アオはやはり先に配置された583のイメージが強い 仙センは盛アオと比べボロい車両が多く、使われた列車をみても盛アオが上位。
そう考えたら最新型のみで揃えられた秋アキの立ち位置はどうなる? >>643
しかも秋アキは最初の投入から撤退までキノコクーラー車が一切投入されたことがない数少ない車両区かもな
他に新し目の車両が多かったのは金サワや門ミフ辺りか
ボロ率が高かった区所は1975年3月改正で481系が集結した鹿カコ、200番台世代を同じ75年3月改正で門ミフに大量放出させてボンネットクハやキノコクーラー車が多く残存した大ムコ、国鉄末期にのひたち用として481系世代のボンクハや483系ユニット等意図的にポンコツを集められた水カツが該当するな >>644
ムコも金サワもボンネットは100番台だったから昭和末~平成初期当時はまだボロではなかった >>633
いい歳して初見です正方形つばさ
ありがとうございます
私も北の485といえば盛アオをイメージしますね
車輌や編成のバラエティでは仙センですが
2M〜1M・4002M〜4001Mを持っていましたから >>647
485系の「くろしお」は軽快な381系の「くろしお」に比べたら鈍重な感じだったけど、
特急列車としての風格はあったな >>648
振り子王国の南紀特急に485系が‥と子供心に驚きましたが
クハ480のデザインに衝撃というか、せっかくクハ481-200が転属したのに併結時に開閉式ドアを使わないのなんでだろう?って当時は思っていました
先頭車不足、クハ200番台の乗務員からの不評などは後に知る事だった‥
結局四国とは違い振り子を捨てて汎用特急化される道になるとはね〜それほど需要は無くなったのかと >>649
485系の「くろしお」は早朝、夜間には間合い運用で串本〜新宮間の普通列車に運用されたり、
新宮〜串本間は普通列車となる485系の「くろしお」もあったな >>651
昭和60年の夏に天王寺〜和泉府中間で「ホームライナーいずみ」に乗車したとき、
その列車は381系で運転されているはずだったが、その日はなぜか485系8両編成で運転されていた。
381系の代走で485系が使用されたのかもしれないが。 485系くろしおは381系よりカーブで速度落として
所要時間もそれだけかかってたんですかね >>653
キハ58系の急行「きのくに」の格上げで増発された「くろしお」に485系が充当されたので、
停車駅も「きのくに」時代とほとんど変わらず、天王寺〜新宮間の所要時間も381系の「くろしお」に比べて
485系の「くろしお」は30分〜1時間以上の差があった 国鉄はなんで仙台までの短区間特急でしかない『ひばり』を15往復も走らせてたんだろ?
対して北海道連絡という大役を担う『はつかり』と『みちのく』が合わせてもたった7本って・・・
『ひばり』なんて全廃してもっともっと『はつかり』『みちのく』を増やしたら良かったのに 夜行も入れれば似たような本数だろ
というか需要の差だよ >>656
北海道連絡は他にも夜行のはくつるやゆうづるもあったからそれを合わせたら本数的に東青間はかなりの本数になるんでは? それら夜行と合わせて『はつかり』『みちのく』も15往復走らせればもっと本数増やせたやん
単なる途中駅でしかない仙台で折り返してそっから先どーせいっちゅーねん
『ひばり』は御堂筋線の中津行と同じ中途半端さ 訂正
『ひばり』は御堂筋線の中津行と同じ中途半端さ→『ひばり』は御堂筋線の中津行と同じ中途半端さやで 『ひばり』は仙台止まりだけでなく、ボンネットクハ、モハ482、キノコ型クーラー・モハ484、クロ481、非ブラインド窓のサシと
通常の485系より定員が少ない車両ばかりだったりと色々問題あり AU12型クーラーってドレイン排水ポンプが無いからシリカゲルで吸水していたって本当?
乗務員していた人の話では水漏れの苦情があったりと厄介なクーラーだったとか。 ひばりの15往復がすごいと思いきや
同時期のはつかり+みちのく+はくつる+ゆうづるで同じ本数なんですね
これにやまびこを足したら20往復近くに 福フチの485系成長物語
・天ヒネからの移籍+全国からかき集めでとりあえずモノクラス6連設定
・クハ→クロハ半室グリーン車化
・エーデル丹後と協調運転
・交流機器を113系に譲り直流化
・国鉄色赤帯に細帯を追加 >>665
そこで平経由や盛岡止まりまで含めてしまうのは変
純粋に福島経由の青森行だけで比較しないと >>665
そこで平経由や盛岡止まりまで含めてしまうのは変
純粋に福島経由の青森行だけで比較しないと 平経由と書くと平将門とか平清盛みたいで俺こと源義朝激怒 >>670-671
そうは言っても656の時点でみちのくが勘定に入っているからなあ >>656
今の東北新幹線だって2往復/hくらいは仙台折り返しだからなー。
当時も今もそれだけ仙台を境に需要の段差が大きい、というだけの話。 特急北近畿は初期の頃時刻表に「グリーン車を連結しない日があります」とあって連結の有無がガチャだった ゴーマルサン東北特急のランクはこんな感じかしら?
一流:はつかり、みちのく、つばさ、あおば、いなほ、やまびこ、ひたち
三流:ひばり、やまばと、あいづ
ひばりだけ鳥の名前でもなんでもなく歌手の美空ひばりから採用してるのも謎よな
しかもそれを三流特急に使ってしまう失礼さ 電動車が初の交直流特急型481系でもなければ三電源対応485系でもない謎の中途半端形式483系
ボンネットクハが100番台ではなく古いゼロ番台(しかもライトの上に不気味な『眉』)
グリーン車が定員の少ないクロ481
クロの冷房はキノコなのに次席のサロは最新鋭AU485と編成美が整っていない
食堂車の一部は窓がブラインドではなくカーテン
この辺りが仙セン配置車が三流扱いとされてしまう所以なのかねかな >>677
> ひばりだけ鳥の名前でもなんでもなく歌手の美空ひばりから採用してるのも謎よな
お前の脳内ではそうなってるのかw
酷えなあw 山陽・九州はそれぞれのターミナルである大阪側の大ムコに481系、博多側の門ミフと581系と綺麗に分けていたのに、
東北は上野寄りの北オクに483系、青森の盛アオに583系と分けなかったのが謎だな
中途半端な位置の仙台に特急車両を配してしまったせいで運用が難しくなり止む無く仙台折り返しの特急が増えてしまったんだな 「ひたち」は日立製作所から来ている( ・`д・´) >>680
それを理由は全く不明だが何故か全車クロに改造しちゃったよね
もともと北陸・山陽・九州より需要が少ないからサロ1両(但し食堂車の隣)だったのにそれを更に定員を減らし食堂車の間に普通車は数両挟む最悪の改悪 >>675
『みちのく』はいいのよ
元々『はつかり』のスジの列車だから >>682
『ひたち』は12両と9両の列車があったよね
9両列車は勝田や水戸で3両増結してた >>666
『北星』は分割・併合もないのになんで14系客車だったんだろう?
583系で『やまびこ』とのペアで充分だったろうに 『あけぼの』も『つばさ』の一部も583系、『北陸』も『はくたか』と583系で共用出来た筈だが・・・
『日本海』と『白鳥』は距離が長すぎて不可能 >>701
せっかく700で一旦区切ったんだから今日の23:00くらいまで書き込み控えてくれよーwww >>688
北星は10系ハネの急行から20系、14系に変わった正当派だからな
まぁ九州寝台の余りモノなんだけど
583を使うには距離が合わなかったんだな
583は700kmの夜行と400kmの昼行往復がセット 10系→20系→14系が正統派?
24系は25形とかだったのか・・・ >>709
485系一族は瀬戸大橋渡ったことなかったっけ? ttp://koppel1go.la.coocan.jp/20010513takamatu485.htm
高松駅新装記念列車に使われてる 臨時の特急「北近畿」にクハ481のボンネット先頭車が先頭の編成が使用されたことがある。
ただし、ボンネットクハ481のヘッドマークは白地で、その白地の板に「特急北近畿 大阪—城崎」と
書かれたシールが貼られていた。 485系は鳥取県・島根県に入った事が無かった
伯備線を走行した事がない 山陰や四国の路線は国鉄的センスだと交流電化になる筈なんだが技術の進歩などもあってどちらも直流電化だな
これは紀勢本線も同様 長野県には489系が入ったことがあるが
山梨県には本系列は定期で入ったことはない
東海道本線も神奈川、静岡、愛知、岐阜には本系列は定期で入っていない >>716
意外と奈良県に入ったことあるんだな
恐らく天理臨だと思うが >>718
愛知と岐阜はしらさぎで入ったことがある
すまん
神奈川、山梨、静岡の3県は本系列と無縁だよな 山梨は彩がパンタ交換と屋根上前照灯撤去で中央本線対応になって理論上入線可能だったがやった事例あったっけ? ビバあいづも理由は不明だが屋根上前照灯を撤去していたな 屋根上前照灯は切れたら交換作業が面倒だな
交流電化区間だと架線を停電させないと屋根に上ると感電する
3000番台は車内側から交換できるようにしてた 臨時も含むと(JTーお座敷等ジョイフル系全般、一般ー3000番台や489含む)
神奈川一般H元年位のシュプール上越の大船発着、JTは多数
静岡 一般?、JT熱海初日の出等
三重 一般?、JT?(鈴鹿F1団臨で河原田いったような?)
香川 一般高松迄団臨あり、JT?
電化線区ある所では鳥取、島根、愛媛はなしかな? 神奈川はシュプールよりわかりやすいので割と最近に
ぶらり鎌倉とか横濱ベイエリアとかの常磐方面からの急行があったな 3000番代って中間車からの改造でもないのに前頭構体を作り替えて、使い捨ての東らしからぬ魔改造だよな。
特急車は内装だけリフレッシュして一般車より早めに潰すのが多いんだが、485-3000に関しては製造後25年ぐらいで構体を丸裸にして抜本的に体質改善し、約40年まで延命。西と九にはこの種の更新車もJTも出なかった。 3000番代クハ、作りかえたのは屋根と前面パネルとライト周りでしょ
先頭全部じゃない
200系も似たようなことしたしな
東は地方特急は改造で時間稼ぎして通勤車に新車投入したけど、西は通勤車も改造でしのごうとしてN40で忙しかったんだろ 愛媛は物理的に不可
パンタ折り畳み高さ3900mm制限があるが余裕を持たせた数値で実際は中央本線と同等
それ以前に運転士がトンネル天井に運転室がぶつかるんじゃないかと恐怖に襲われる(キヤ191系が断面の小さい津山線箕地トンネルで15キロ制限になってる) >>727
側窓拡大したときに補強材も入れたの?
グレードアップ窓拡大車は幕板部が凸凹に歪んでいたけど、3000番台はピシっと平滑だった。 >>729
中央線だと、JT改造した485系(お座敷電車とか)だと狭小トンネル区間の入線実績あるけど、
その規格でも予讃線は通れないのか?
予讃線って、架線の張り方とかいろいろトリッキーなことしてるから、そういう面での特殊性も
あるのかもしれないけど。 予讃線の3900mmは将来土讃線や高徳線の電化を念頭に入れた数値
トロリ線高さ4250mm-離隔150mmの4000mmがパンタ折り畳み高さの許容範囲でPS23でも可能だが土讃線や高徳線は4150mmまで下げられるよう考慮してる
ソースは交通新聞社「振子気動車に懸けた男たち」より
車体そのものを下げないと架線と冷房装置が接触しそうだが >>725
三重県は入線実績ないと思いますよ
キハ80系を485系に見間違えたかと 民営化後に青森の583系が四日市まで団臨で入った写真なら雑誌の投稿で見たことある。
名古屋近辺ならしらさぎの運転で交直流車の資格持ちはそれなりにいるし、82年まで金星の定期仕業があったので経験者の講習程度でいけたのだろう。 末期の6両の583は今の上野〜東京の急勾配登れる能力はあったのかな 6M3Tで板谷をいけてたし、9両でも6両でも舞浜臨で京葉線を東京まで来てたから問題ないね 登れなかったら補機の連結が必要で、新たな被写体になるね。 583系、上東ラインをもし走ったなら40年以上の空白を経て新旧の
東京ー上野連絡線を走ることになったんだけどね
はつかり
..東 京
こんな方向幕とかだしたらもう漏らしちゃうよね >>737
そもそも上野東京ラインの高架に「補機」たる機関車は入れないだろw >>738
だから583の引退は、はつかり東京行き、はくつる上野発青森行き、で〆てほしかった 秋田の9両が毎週のように上京してきてたけど
本線で上野に向かうんじゃなくてトンネル潜っていくんだよね
で、東京にも行くけど、見たいのはそっちじゃないんだよな
>>739
PFで試運転はやったよ 485の終焉は、青函トンネル対応の国鉄色で、大阪発函館行き、なんて無茶をして欲しかったかもしれない >>694
日立の平仮名「ひたち」とローマ字「HITACHI」の間の漢字が「日立」ではなく「じょうりく」?なのが謎だな 特急は
ひたち→常陸
ときわ→常磐
だと思うけど、日立製作所が日立なのは分かんないなぁ 常陸と日立は別の話
常陸国の日立村にあった日立炭鉱が日立製作所のルーツ トンネルを通るには485系でも特殊設備が有る車限定だったと思う JR化後のグレードアップ
あずさ183-1000、あさま189に続き上沼垂485も改造対象に 東日本はグリーン車・指定席・自由席と実質3クラス制にした
自由席車のしょぼかったこと・・・ 自由席は簡易リクライニングシートにモケット変えただけ >>752
上沼垂のグレードアップ編成の自由席車で元が回転クロスの485系初期~中期形由来の車両はモケットを張り替えた簡リク座席に交換してたんかな? >>754
指定席はグレードアップ車。やや高い位置にフリーストップのリクライニングシート。
今の特急普通車と比べて勝るかは不明だけど。 >>756
フリーストップの簡易リクライニングですな 指定席は通路と段差があって見晴らしがいいってことだったね
あとシートピッチ広げて席と窓が合わなくなってたり まあ、あれだけでも乗り心地が改善した感が。
見た目の効能ってスゴい。 >>755
回転クロスってリクライニングしないあの座席?
ボンネット型は簡易リクライニングシートに交換されてた気がする >>761
そうそう
回転クロスはリクライニングしないヤツ
やっぱりボンネットクハなど自由席車のキノコクーラー世代の車両は簡リク化されてたか 新潟の改造車、指定席車の発生品(簡易リク)を自由席(ボンネット)に回したんじゃね?
と、適当な事を言ってみる 最後まで回転クロスシートだったのは勝田と青森の訓練車だったと思う。
南福岡の元181系ボンはどうだったかは分からない。 九州は赤くなってても回転クロスが残ってた。3連のきりしまの中間モハとかで。 >>766
200番代で183系っぽくなったけど座席だけ変わらなかったのよね >>767
485系で簡リクになったのはクハ300番台世代の1974年製以降だったな
1000番台の1978年製以降はロック可能の簡リクに改善された ないな。AU13転換クロスって改造車じゃないとないんじゃないの
海峡の50系とか
簡リクになったの、クハは分かりやすいけど、モハ485は続番だから207からなんだよな 回転クロス=リクライニング機能無しの二人掛けシートを向きだけ回転して変える。
転換クロスシート=座席の取っ手を持って背もたれを前後に転換。座面は固定。
簡易リクライニングシート=リクライニングできるが任意の位置に調整出来ない。
フリーストップリクライニングシート=簡易リクライニングシートの改良型。任意の位置にリクライニング調整出来る。 >>773
簡リクのストッパー付もあるぞ
フリーストップは全く別の座席 簡リクって言ったら体を浮かせると背もたれが元に戻ってしまうイメージ バッタンコシートだな、簡易リクライニング。R51
あまりにもうるさいからフルリクライニング位置でロックだけはするようにした
回転クロスがロマンスシートのT17
なにがロマンスなんだかさっぱりわからないけど
R51のバッタンコ、いまだに乗れるよな。恐ろしい r51でも改良型はストッパー付き
r52はストッパー付きの簡易リクライニングシート
簡易リクライニングシートは国鉄の言い方でリクライニングの角度がリクライニングシートよりも浅いシート
200系新幹線のD21のようなリクライニングと同時に座面を前に出すシートも国鉄内部では簡易リクライニングシート
r55はJRはリクライニングシートと呼んでいたが国鉄時代は改良型簡易リクライニングシートと内部では呼んでいた R52は新ニイのクハ481-3??、1027、1508、京キトのボンネット型126で使われていたのを覚えてる 車体は似たようなもんでしょ。耐寒耐雪で台車や通風孔に手が入ってるけど >>781
客室窓の大きさ、車体の高さなど結構違う
車体の高さがある一方で運転台を下げ丸みもあるから正面の印象はかなり異なる