【485系列】国鉄交直流特急型電車【583系列】
2017年に一般車が引退し、残っていた485系JT車も今月運行を終了。
両系列のスレも昨日までに埋め立て荒らしに潰されてしまったので、当スレを立ててみました
485系スレッド7
https://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/jnr/1481424066/
【月光型】581/583系スレ【寝台電車】
https://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/jnr/1504890975/ 交直流車両で切替スイッチを搭載し忘れたのはクハ481の501か502どちらだったんだろう? デッドセクションで通過中にパンタを上げ下げするのか思っていたが、常磐線なら昔は上野―水戸ノンストップだから水戸で上げ下げだっけ?
他の路線だと郡山、酒田、糸魚川、敦賀、小倉かな? >>412
両方じゃね?
どうせ九州閉じ込めで使うんだし…
という改造だから。 あの元クハ181の車内の写真とか無いのかな?
貫通路の段差とかアコモデーションとか気になる
91年に早々と廃車されたような 84年のRFに載っていたが客室は元の汚れたまんま。
交直スイッチがないのも写真付きで載っていたからオタに知れ渡っていたわけで。
それにしても単なる運用担当のチョンボで2駅走れなかっただけなのに40年近くもネタにされ続けるとはなw 上越新幹線開業で廃車予定の181系を延命するほど国鉄の財政状況は厳しかった
種車2両はよっぽど状態が良好だったんだろうな シートも廃車されるまでR17シートのままだったの? 181系といっても最終製造の昭和44年製だから昭和59年の改造時点では新製後15年しか経っていない。151/161/181系は耐雪構造が未熟で20年もたない車両が殆どだったが、暖地の九州であれば全検1回分程度は使えるという判断だったのだろう。 耐寒耐雪対応は161系時点で採用済みで
2年後の485系と差があるとも思えないんだよなあ ま、最終増備車も道連れ廃車の予定が、
短編成化で命拾いしたんだろうなぁ クハ481はその後、クロ481格下げやサハ先頭車化などバリエーションが充実していった
電気釜+キノコクーラーという純正ではなかった仕様も登場 クハ181-109 1969.6.28製造 1984.1.29改造(クハ481-501) 1993.11.17廃車
クハ180-5 1969.6.28製造 1984.1.20改造(クハ481-502) 1991.8.19廃車
サロ180-101 1969.6.28製造 1978.6.13改造(サロ180-1001) 1983.4.13改造(サロ110-301) 1990.12.26廃車
モハ181-113
モハ181-114
モハ180-113
モハ180-114
モハ180-115
以上5両 1969.6.28製造 1986.3.31廃車 初期の新性能電車(や同世代の気動車・客車)は軽量化で鋼板が薄かったんだよ。車体だけでなく床下機器の筐体とかもね。
防水や水抜き対策も貧弱で、耐寒耐雪といっても最初から北陸/東北を想定した485系族と151系の設計を引きずる181系100番台とでは一世代分はやはり差があり、これが20年前後での早期廃車に繋がった。
その後711系の開発成果を応用した183系1000番台や485系1000番台では雪解け水が侵入しにくいよう機器箱の更なる堅牢化や、細々した機器を一つの箱にまとめて雪塊の噛み込みを防ぐユニット艤装化が進められたわけ。 艤装や機器箱の違いだから見りゃ分かるじゃん。
151系でバラバラにぶら下がってたものか183系1000番台では厳重に機器箱にまとめられ、同じ抵抗制御でも格段に雪に強くなっている。 急行車の457系は小数しか無かったのに485系は大量に作ったので急行が犠牲になった >>426
薄くない。ナハ10とオハ12の鋼板の厚さは変わらない。鋼体だけなら単位あたりの重さもほとんど変わらない
この間に耐候と高張力の鋼板が進歩したんだよ。10系客車や151や153の寿命が短い一因
181も183-1000の置き換え対象は初期車だったしな 末期のときはサロだけ凸編成だったけどサロ481化を視野に入れていた >>431
通勤型は機関車と同じ2.3ミリと厚いのは何で? 401系(常磐用)→421系(北九州用)、451系(東北用)→471系(西日本用)と常に50ヘルツ対応車が先んじて来たのに、
特急型は481系(西日本用)→483系(東北用)と逆転されてしまった DC/AC60Hz
481
581
DC/AC50Hz
483
DC/AC50Hz/AC60Hz
485
489
583 583系は「シャレー軽井沢」として信越本線西側を制覇
碓氷峠はギリギリ走らなかった 50/60H z両用変圧器の登場が1968年で、165系・457系・キハ58系の製造終了が1969年。急行形はそのあと12系とキハ65しか新製されていない。
山陽新幹線開通後も睨んで、もう急行形は新たには作らないとヨンサントウの頃に決めたんだろうな。 >>433
定員の何倍も押し込んで走るからじゃね? そういや103系って外板ベコベコにはなってなかったな サハネ581
格上げ→サロネ581
格下げ→クハ715-100/1100、クハ714、クハ418 >>434
山陽新幹線開通前かつQ州が交流電化されたからですかね
485系とひと括りにされていてもボンネットは大ムコの印象強し サロ481
近郊型へ格下げ改造
サシ481
客車化されたものの特急型食堂車は維持
サハ481
運転台取付で先頭車化 444(σ・∀・)σゲッツ!!
444キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
444(・∀・)イイ!! 583系 盛アオ
小倉工場出場715系1000番台の伴走する画像を見た
種車が583系だから理解可能な範囲
しかし驚くことに急行型改造近郊型717系もサンドイッチして回送していた
もはやなんでもアリの世界だったんですね、国鉄末期 419系は583系の交直流機器を残した車両だから
小倉工場出場分は金沢まで自力回送だった >>439 常磐快速103系の末期は外板べこべこ、塗装剥がれしている車両が見られたけどな。 まあ717系というのは違和感すごいけど、制御線とブレーキが繋がって動くんであれば編成中の故障車をユニット解放してるのと変わらんよな。おそらくトラブルに備えて工場職員も添乗してたと思うし。 広域転配時の牽引車両として485/583系は重宝された
異動対象車両自らが牽引するパターンも見られた
クハ481-1508が鹿児島まで遠征したのは有名な話 1980年代前半に編成単位での管理になるまでは電動車と付随車の検査周期が違っていて、頻繁に組み替えてはバラバラに検修していたので工場への入出場では異系列混結はそんなに珍しくはなかったな。
青森・向日町・南福岡だとクモヤ+485系+583系、金沢だとクモヤ+475系+485系とか。食堂車の簡易運転台も繋ぎ替え作業の便を図って設られたものだし。 >>452
特急形や急行形は仮に編成単位で新製されたとしても配置先に到着したら即効編成をバラして既存編成に振り分けられたみたいね
通勤形、例えば103系なんかは先頭車やサハ以外は実質的に新製時の編成のままということも多かったが >>453
車歴と配置の変遷を調べるとわかるが、かなりこまめに需要に応じて転属させてる
ので編成内の検査期限バラバラなのと
故障率の低い新車をなるべく各編成に入れて故障運休を防ぐためあたりかな 489系は489系だけで組成しないと横軽を走れないので編成をあまり崩さなかった印象がある。
サロ・サシは入れ替わりがあるものの、クハ上下とモハ3ユニットはきっちり14編成分で、半端の予備車は作られていない。 モハ484は集中式で番台区分されちゃったからな。600番台もあるし、言うほどバラけてないんでは 広域転配は機関車牽引した方が楽だったのに伴車を連れて行ったとか豪快だな
クハだけ転属する際にも転属しないモハを使って帰りは回送である 自連に交換したり、電磁直通ブレーキを切ったり、パンタを緊締して機関車に牽かせるよりはさすがに自力で走らせた方が手っ取り早い。
当時だったら山陽本線にも交直流電車の資格持ち運転士がゴロゴロいただろうし、新車の公試や配属先への回送はメーカーから基本自走だったからね。 >>449
クハ481-1508は結果的に国鉄の全電車の中で一番多くの都道府県を通過したことになりそう
もしかしたら天理臨で奈良県に入ってても不思議ではない
本州の電化路線がある県で到達してないのは山梨県、三重県、和歌山県、鳥取県、島根県あたりか クハ489
0/500 ボンネット
200/600 貫通
300/700 非貫通
クハ481のマイナーチェンジと同時期なのできっちり作り分けられた
100を欠番にしたのはクハ481に揃えるためか >>461
といっても一部の通勤車とかじゃなけりゃ新性能電車には自動ブレーキはあるからな
ただ繋げばいいだけ。連結器はアダプターでいけそうだし
まぁそんなことしなくても国鉄だし運転士はいるしで、電車は下松からでも自走だったんだよな
417も自走だったらしいし
417の交直切換、試運転とこの回送のときだけだった可能性 >>463
クハ489ボンネットはクハ481の100番台(ヘッドライトがシールドビーム化された方)に相当 青森から鹿児島とかの超遠距離転属もあった
2000キロ近くも走る事になるので回送が大変だったとか? >>468
ノンストップで長距離移動ではなくて途中の基地で
乗務員訓練も兼ねていた模様
スジ屋は大変だったでしょうね 秋田の485系が仙台に検査に入る際3セクに入ると線路使用料が掛かるので大宮経由とか凄まじい回送してた 青森の485が郡山だろ
E751もだったけど、さすがに土崎になったな
仙台の75はまだやってる
配給はたいていスジ引いてあるだろ
国鉄の頃の転配も工場入出場や季節のスジを組み合わせたりして回送してた スリット式のタイフォンはあまり好きじゃなかった
昔はクハネ581暖地向け程度だったけど先頭車化改造で増殖してしまった
クモハ485-0やクハ481-1100など >>474
ボンネットが勝田に転出して東北各地から200番台が転入してきた国鉄末期なら割と良く見られたと思う ボンネット型=北陸
貫通型=九州
1000番台=東北 >>476
南海がきのくに格上げ時に485中古か併結対応の新車入れてたらわずか1年半で撤退することはなかったかも 紀勢西線
165系はEF58+12系の普通運用置き換えのため
急行運用は想定されていなかった >>477
各地のボンネットが勝田に集結していた印象 ひたち=ボンネット
勝田に数量300番台しかないときの非貫通ひたちはかなりレア 福知山線城崎電化
全国からかき集めた485系と113系800番台を揃えたけど
予算が潤沢だったら381系と113系2700番台あたりかな? >>484
その場合、案外381系の代わりに185系あたりだったかも知れない。
距離も短いし、大して高速も出せなさそうだし。
さすがに普通車座席はリクライニング付きにしただろうけど。 特急は381系だろうけど普通はわからんね。
61-11時点ではもう205・211系に移行していたし、三田までの新線化は近畿圏の宅地不足を解消するため片福連絡線(JR東西線)建設と一体的に進めていた事業だから電化当初とりあえず中古というのは変わらなかった気がする。 >>482
民営化後に真っ先に新車投入されるのがわかってたからボロを集めた、とピクの485特集で当時の中の人が書いてる。
定員統一のためボンネットだらけに。
逆に九州は短編成でも定員確保できるようにモハの200番台を集めたとか。 >>487
確かに国鉄最末期のひたちに使われてる485系はボンネットだらけもそうだし中間車も見事にボロだらけ、483系ユニットも残ってるイメージが強いわ
他にボンネットが多いといえば何と言っても向日町だろう
幾度となく言われてるが向日町はボンネット先頭車の配置を強く要請していたほどボンネット好きだったらしい 向日町がそんなにボンネットを好んだ理由は何なのでしょう?定員も少ないのに。 ボンネットは電気釜より運転席が広いから
200番台は貫通扉からのスキマ風でも敬遠 それは向日町(検修)の好みというより走行線区(湖西・北陸)の運転士の好みだよね。
積雪地帯で長編成だから0番台よりMGが大きい100番台を向日町が好んだというのはあると思うけど。 能登も最後までボンネットだったな
コンプレッサーがC3000で床下じゃないから保守も容易でうるさくないとか
運用側の都合なんだろうな
>>487
ボンネットが勝田に行ったのも有明の短編成化での定員確保じゃないの
60.3の時点でJR化後のことを考えてるとは思えないんだけど >>>487
>60.3の時点でJR化後のことを考えてるとは思えないんだけど
あんたがどう思おうが当事者がそう書いてる
当時は表にはできなかったことも書いてる
ピク846のp41以降、特にp45末からp46あたりを声に出して何度も読んでみてくれ。 その当事者って誰?
分割民営化の本決まりは60.10なんだけど、60.3の時点で民営化後のことを考えて大規模転配することの出来る地位にいた人なんだよね?
まぁ本に書いてあること正しいよね 当該記事を読めば名前も当時の職掌も書いてある。
これだけ大きな組織が「本決まり」になってから動いてると思ってるならおめでたすぎる。春休みの子供なら仕方ないか。 >>492
いやコンプレッサーはボンネット内だよ。
MGが大容量化で床下移設。 >>492
あ、ごめん
コンプレッサーは床下じゃないと書いてあった
訂正は間違い済まぬ 勝田はサロ以外ボロ車だらけ。
それとクハの12,22の座席がバッタンコリクだった。 向日町のボンネットと言えば文字マーク
雷 鳥
RAICHO
雷 鳥
RAICYO もともとは長大編成前提の485が、短編成・高頻度運転の必要に迫られたとき
モハ・サロを先頭車化して4M1Tの強力編成を九州に与えて、ボロクハはタキシードまでの繋ぎで東日本へ
振り返ってみると実によく練られた策だよね(石井さんの発想だったりして)
北海道と四国には手切金代わりの新製キハを与えたり
37年前の今日を迎えるにあたり色々なドラマがあったのだなとしみじみ >>502
でも結局753系のほうが651系より先に登場しちゃうんだけどね 西日本は並行私鉄と勝負のため
近郊型221系を真っ先に出した 常磐線と九州は新車効果により増結・増発に転じたので651系と783系で老朽置換した485系族は意外と少ないのよ。
651系99両新製に対して483/485系が50両程度の廃車、783系90両新製に対して485系20両程度の廃車だったはず。 >>506
真っ先に廃車されたのは481系と483系ユニット? >>508
481系モハユニットは国鉄時代に消滅してる >>506
651系の99両はさておき783系の90両は思い切った投資ですよね
これもバブル景気の恩恵だったのでしょうか
そして生き延びた485系がKAMOME EXPRESSになった時は驚いた・・・ 民営化前後の485系のライバルは高速バス
若干狭くてもフルリクライニングシートなら快適
高速道路延伸や各都市高速の充実も要因