無人駅の記憶(-ω-)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
厚岸から糸魚沢駅あたりの風景は日本でも屈指だとボクは思う(-ω-)
横浜市内で生まれ育った自分にとって、衝撃的だったのは、エゾシカの群れを何頭も目撃したことだった(-ω-)
ボクは、糸魚沢駅を何回か訪れたが、残念なことにこの駅は、もうない(-ω-)
好きな駅は多いが都会の駅よりも地方の駅が、より味わい深い感じがする(-ω-) そういえば、鶴見線って、
鶴見以外は全部、無人駅じゃないか・・・?
そういう路線も珍しいよな。 結構あるぞ
久慈線、宮古線、盛線、角館線とか
廃線前の根北線もそうだな
白糠線の上茶路は無人化後も簡易委託で乗車券販売してたらしいが 海芝浦駅は都会の中のローカル線の雰囲気で、わりと好き。目の前が海。 廃止が噂される地方私鉄が、無人駅化が最も先行してなかったか。
80年代初めの筑波鉄道、土浦と筑波の間で有人駅だったのは新土浦と常陸北条くらい。 名鉄美濃町線の専用軌道内の無人駅、一面一線のも結構あったが、ホームの高さは都電荒川線の専用軌道内停留所より低い。軌道法上ではどちらも停留場か。
荒川線の無人の停留所は無人駅と呼ばれないけど。 >>46
> ホームの高さは都電荒川線の専用軌道内停留所より低い
そりゃあ車両にステップ付いてるんだから当たり前 >>47 はあ、だから?
ちなみにwikiでは美濃町線、岐阜市内線の併用軌道区間内、路面上から直接乗降するのも「駅」としている。まあ、地域によって「駅」か「停留場」か言い方に違いがあるのだろうが。 >>48
> はあ、だから?
単に事実を指摘しただけだが 砂の器撮影時はまだあちこちで蒸機が走ってたんだよな 半家(はげ)駅。平家落人に因んだ場所。
留萌本線の増毛(ましけ)駅は残念ながら2016年に廃駅に。 北条鉄道 播磨横田駅
駅周辺は田畑が広がっていて、ホームからは農村がはるかに望めた。 >>54
無人駅から無賃乗車できると思って無賃乗車してたら車掌が切符を検札に来たり、
無人駅の手前で切符を回収に来ることもあったな 流山線の幸谷駅
移転前は無人駅で流山で「幸谷から」と言って運賃を払った 倉吉線上灘駅
倉吉線廃止前日には、駅員が昼間時のみ倉吉駅から派遣されてきて、
待合室で切符販売やホームに立って列車見送りを行っていた。 >>16>>20
国鉄時代の四国は隣駅が(括弧書き)してるのが多く見られたな 四国の駅名標はローマ字や所在地が入っていない簡易的なものが多かった 簡易駅はたいがいホーム長が2両分くらいしかなく、それ以上の編成だと
「後ろの車両の扉は開きません、前2両から降車願います」という車内放送。
ホーム脇すぐに踏切があると、停車中はみ出た車両が踏切上に鎮座したままというのが日常の光景。
地方私鉄とかだと有人駅でもそんな感じか。 野上電鉄の無人駅にはホーㇺの上屋の天井から駅名標が吊り下げられて取り付けられていたが、
「きたやま」などと書かれた無人駅の駅名標の隅っこに小さい字で「沖野々」と書かれてあったが、
何の理由があったのだろうか >>62
広告の一部
沖野々
木村医院
今でも盛業中 紀州鉄道学門駅
御坊行き列車はなぜか停車せず、通過した。
この駅は乗降客がいないときは、路線バスのように列車は通過してもよいことに
なっているのだろうか。 花咲線(根室本線)にも指宿枕崎線(折り返しまで時間がなく、ラーメンも食えなかった)にも
乗ったが、高田馬場あたりの混み合ったホームの横を通過すると、帰ってきた感でホッとする。 >>56
いや、出来るかって話じゃなくて、むかしは出来たよな、ていう
過去の思い出話だからべつにいいと思うよ。 かつて200人からの駅員がいて、給水施設や転車台まであって、駅前には旅館やタクシー
会社もあったのに今は無人駅、秘境駅、100円稼ぐのに25万円。 備後落合なら、保線とかもあったろう
駅員だけで200人はない 筑豊地区など鉱山あった所なら、かつては貨物の取扱いが多く相当数の職員が勤務していたが、JR化した頃にはもう無人駅というのが少なくないんでは。 指宿枕崎線は2回乗ったことがあるのだが西大山駅で下車したことがまだない。
まだまだ修行が足りないとボクは思う(-ω-)
無人駅とは関係ないがY浜線のN山駅が今月の15日を以て、みどりの窓口の営業を停止してしまった(-ω-)
18きっぷなどを購入する時は9割方このN駅だった。隣のK居駅もみどりの窓口の営業を停止している
ようだし、今後はN津田駅に行って購入することになるのだろうか(-ω-)
昔は根室駅とか名寄駅とか男鹿駅とか18きっぷの購入先も多彩だったのだが。名寄と男鹿の時はピンク色
のきっぷだった記憶がある(-ω-)
思えばあの頃は若かった(-ω-) 3セク移管目前でも金沢支社管内の無人化攻勢やまず
特急停車駅以外は次々とここに仲間入り 雄信内
30年以上も昔、当時も駅付近には住宅もほとんど無く
真冬は猛烈な寒さだったが、上り2番列車の到着が
近づくに連れて待合室は活気付き始めて
結局、20人くらいが乗り込んだ
駅付近はほとんど無人地帯だが、主な利用者は
3キロほど離れた天塩川対岸の雄信内から自家用車で
送り込まれ、天塩中川へと通う高校生である事を
この時、初めて知った >>10
米子空港が米軍基地だった当時、飛行機と蒸気機関車の接触事故があった。 >>54
函館本線の東森から乗った客が、砂原経由で大沼で降りた際に
大沼の駅員に『森からだよ』と自己申告して
森→大沼の運賃を支払っていた。 山陰本線中山口駅
無人化される前は駅舎が雑貨店になっていて、委託駅だったが現在は駅舎は無く、無人駅で
駅舎跡は駐輪場になっている。 駅舎改築前の月岡
平成3年のゴールデンウイーク、早朝6時台というのに
キヨスクが店を開き、国鉄OBらしい、Iさんも派出して切符を販売していて、すがすがしかった 4月に函館本線大沼駅に立ち寄ったら無人駅になっていて驚いたよ
2、3年前でも「保線区があるので、ここは無人にはならない」と、駅員も太鼓判だったし
昔は終日、結構な人数の駅員が詰めていて、売店もあったが 釧網本線茅沼駅
タンチョウの来る駅、というのに惹かれて、今月駅寝しました。
朝5時半、ホームのベンチに座って始発を待ってたら、近所の人が掃除に来てビックリ。
「昨夜泊まった?」
「(素直に)はい!」
「今シーズンは君が一人目だよ」
以前はライダーハウス代用みたいだったらしい う〜ん
おまえらみたいのは、日本の
「旅館業の客として役に立つ」
「日本の経済に役に立つ」
というのに、当てはまらない面が多々ある
1980年代やらに無人駅で駅寝しました・・・
2000年代にはネットカフェに泊まってます・・・
こんな若者、青年、おっさんやらがいるような日本になってたら、
そりゃ経済、国力は落ちぶれていくのはあたりまえ
おまえらに、これがわかるか?
それとは対照的な
「年に2回は、高級旅館に家族で泊まります」
おまえらのうちで、こういう人は一人もいないんじゃないのか?
この話を、死ぬまでには理解できるくらいに頭に入れろな 阪急の駅長不在駅がリモートになってて実質無人駅になってる件 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています