長距離・夜行普通列車 ★2
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いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離・夜行普通列車のスレッドです。
マタリ語りましょう。
※前スレ
長距離・夜行各駅停車
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1221998814/ >>50
安心しろ
おまえ以上の鉄屑馬鹿はいないからw >>54
> 旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律
> 第一条 北海道旅客鉄道株式会社及び四国旅客鉄道株式会社(以下「旅客会社」という。)は、
> 旅客鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
> 2 日本貨物鉄道株式会社(以下「貨物会社」という。)は、貨物鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
> 3 旅客会社及び貨物会社(以下「会社」という。)は、それぞれ第一項又は前項の事業を営むほか、
> 国土交通大臣の認可を受けて、自動車運送事業その他の事業を営むことができる。
> この場合において、国土交通大臣は、会社が当該事業を営むことにより第一項又は前項の事業の適切かつ健全な運営に支障を及ぼすおそれがないと認めるときは、認可をしなければならない。
なのでまず国交大臣の認可が必要 >>54
次に運行する区間の第一種または第三種事業者に了解を取り、第二種事業者になることが必要
そしてここでも国交相の認可が必要
そして最後にJR貨物自体にやる気がないと駄目
おそらくここが最大の障害 夜行列車一般の話だけど、夜行列車の起終点となる操車場や操駅が今の日本ではほぼ絶滅してしまっている。アメリカでは今でも縦横無尽に長距離大編成列車が走ってるのに。また中国でも欧州班列なる長大列車が走ってるのに。
ただ、寝台列車となると、世界的に減少傾向が止まらないらしい。 「からまつ」「43レ/44レ」「441M/442M」「733M」「347M/344M」「南紀→はやたま」
「山陰」「731D/762D」「ながさき」が毎日走っていた頃が懐かしく思えてならない >>60
からまつが一番早い廃止で、青春18きっぷ利用で乗れる機会がなかったな。
からまつが走行してた富良野〜新得も、1年後に終了だし。 >>60
言うだけなら平成生まれでも可能だが
あなたは全部乗ってソレ言ってるの? 懐かしい、という言葉そのものです
「からまつ」→これだけ乗っていません
(ご指摘の方がおりますように一足早く廃止)
「43レ/44レ」→41レ/46レでお世話になりました
カーペット車増結の時もあり、ハが2両は少なかったように思えます(ハが3両や4両)
あまり空いている記憶がないです
「441M/442M」→一番お世話になった感じです(下りだけになっても使わせていただきました)
貧乏学生は当然として、社会人になっても頻繁に利用するとは思ってもいませんでした
「733M」→これは一度だけですね、赤羽→宮内ですが
新前橋か籠原で切り離しがあったような記憶です(大騒ぎしていた人たちもいました)
「347M/344M」→345/340も含めて定番ですね、ここに来る方なら何回もお世話になったのでは?
「南紀→はやたま」→旧型客車の頃は和歌山市発の附属の1両に乗車が一番印象的、この車両は空いていました
12系になっても一度ありました(165系は無いですね)
「山陰」→これも旧型客車で何回かありますが、途中区間の利用ばかりの記憶です
夜行区間ばかり乗りましたが、あまり空いていた記憶はないです
「731D/762D」→解放キロではなくて解放指定席車?すぐにこの車両からうまっていました
「ながさき」→2月か3月の利用ですが、寒い記憶、ナハ10など軽量客車は隙間風が多いと感じてPASS
蒸気暖房は前の車両があたったかいという都市伝説(列車伝説)で10系ではない前の車両に乗っていました
貧乏学生の記憶です
ちなみに学生時代の寝台車の利用は皆無で、
せめて旧型客車の普通列車の寝台車に1回くらい乗っておけばよかったと後悔ばかり、残念 自分もからまつ以外は世話になった
通勤客も含め混雑の天王寺発に比べ、和歌山市発は穴場中の穴場
今では考えられない設定だよね 国鉄時代は、意味不明な長距離鈍行が多かった。
旧客が活躍した線区の多くはそうだった。
荷物や郵便輸送も兼ねていただろう。
1984年2月改正の操車場合理化や、国鉄最後の1986年11月改正で荷物列車と旧客が消えて、夜行列車も相当消えた。 >荷物や郵便輸送も兼ねて
→荷物列車で、旅客輸送もかねて、もありました
末期では、41レ42レ43レ46レが良く知られておりました
函館⇔苗穂間なのですが、おまけで連結のハザは2両(多客時増結)函館⇔札幌間で旅客営業
北海道以外では、鹿児島本線や日豊本線で乗りました
時刻表には一部ですが荷物列車まで掲載もあり、同じ時間で普通列車の時刻も掲載があり、
それで旅客営業区間がわかりました
>旅客なんてついで
実際に九州の荷物列車は、本当にそう感じました(ハザは何と1両のみでした) おまけで連結のハザは通常は2両(多客時増結で3〜4両)
申し訳ございませんが修正させていただきます 夜行列車の衰退は日本に限ったことではないが、ただし海外の場合は夜行バスの台頭によるところが大きい。
例えば中国では寝台バスなんてのがある。
翻って日本では夜行バスも衰退傾向にあり、また夜行列車の衰退が旅客列車に限らないことから、もう少し根深い事情があるのでは。 >>71
最長距離鈍行824レの送り込みですね
あれって冬場の暖房どうしたんだろう?
関門間はEF30かEF81だから暖房用蒸気や電源無いし
自分が乗ったのは夏休みだったからか電機だったけど?確かDD51は関門トンネル走れた筈だから冬場はDD51?
それとも下関で予熱かけて出区?
トンネル内が殆どだから寒さは我慢してもらった? 真偽は確かめようが無いけど、
急行荷物列車で3等座席車を、
機関車の次位に1両だけ連結して、
普通はそれを旅客輸送にも使い、
時として受刑者の輸送にも供用したとか。
その時は別に荷物車編成の反対側に3等座席車を
何両か連結して旅客輸送に使用。
ありそうだと思える理由は、
昭和40年代から50年代にかけて、
東京から九州方面へ座席車だけの普通急行が残っていて、
その編成が機関車次位に3等座席車・2等座席車・以降が数両の3等座席車。
合計で6〜7両編成が2セット連結されて、
九州で分離されて別々の終着駅に向かう。
その普通急行列車に学割周遊券で旅行するのに、
機関車次位の3等座席車が空いている様子でホームで並んでいたら、
駅員から「受刑者(と後で意味が分かった)」専用だから乗れない、
と言われて後ろの3等の列に並んだ。
普通急行が需要の増加で定員しか乗車させない
「受刑者」輸送に使えなくなって、
ほかの刑務施設への移送も少なからず存在して、
急行貨物列車での移送になったらしい。と。 新幹線or飛行機とホテルより夜行列車で移動する方が効率良い場合もある
東京ー岡山のサンライズが良い例
バスは安いけど危険性が高いから一概に良いとは言えん
日本人は夜行列車を蔑ろにしすぎだわ >>77
何をもって「効率がよい」とするか次第だな
寝てる時間の間に移動できたら確かにその「時間」は有効に使えるけど
狭い寝台で車両の揺れや走行音、落としているとはいえ照明などに悩まされて睡眠の質が悪くなる、あるいは全く眠れない、とかだと翌日の仕事とかに差し支えるし 昭和59年2月改正で門司発福知山行き山陰本線824列車は、門司〜下関間が廃止されて
下関発出雲市行きとなり、出雲市で出雲市発福知山行き532列車と接続する列車となったが、
下関から福知山まで途中、出雲市での乗り換えがあっても普通列車で行けることには変わりなかった。
532列車はのち50系客車に置き換えられた。 >>79
そもそも門司発だった理由って何だったんだろう?
そして下関発に短縮された理由も
今現在だと福知山への山陰本線経由普通列車での日着は
門司だと不可、下関だと可だけど
このあたりの変遷がどうなっているかも興味があるな >>80
長距離ナンバー2の831レにも、対になる門司ー下関間の短距離列車がありましたよね
門司まで送り込んだのは荷物の関係かな?59-2で荷物扱いの整理進んだからわざわざ門司まで行く必要が薄れたとか? >>80-81
実態は区間列車の繋ぎ合わせだった。なので長距離利用は全く想定していない。
荷物輸送の絡みがあっただろう。国鉄時代は東北地方や北海道にもそんな列車が多かった。 福知山に到着した824レの客車は福知山駅で夜間滞泊後、翌朝一番の福知山発浜田行普通列車として
福知山を出発していたが、この福知山発浜田行普通列車ものちに福知山発米子行と米子発浜田行とに
系統分割された。 浜田発大阪行き726列車ものちに運転区間が米子~大阪間に短縮された >>84
寝台特急だけど長崎→大阪→青森(あかつき・日本海)という
運用があったな
車両基地を出たら5日間帰ってこれない 浜田まで折り返した後、再度別列車として下関まで向かってたんだろうか?
そうしないと再び福知山行きを仕立てることができないし 客車列車全部でローテを組むから凄い行程になるなのだろう
京都口、大阪口にも行ってたのだろうか
列車によって両数も異なるだろうし
やりくりが大変そう >>81
それだね。なんかで読んだと思ってみたらジャーナルの183号だった
大阪のスユニでだいせんで出雲市に来て、各停で下関、翌朝の631レ-824レで
福知山、翌日、大阪。これで郵便やってたんだからそりゃ廃れるわ
>>88
客車は4とか5両の基本編成があってその組み合わせ。それに付属の1両とか2両がつく
おなじジャーナルに米子の運用表あったけど京都も大阪も行ってるね 大阪発出雲市行き721列車は古市・南矢代は通過していた。
この列車は時折、鳥取から後藤車両所入場回送の気動車が連結されることもあった。 >>72
夜行バスも衰退傾向って何?
コロナ以外でそんな傾向あったっけ?? >>91
LCCなど航空運賃が実質下がったことや、格安高速バスの台頭で、高速バス同士の競争激化などだろう。 >>89
自分がこの運用知ったのはその183号をリバイバル掲載した623号の記事でした 民営化や6社化が無ければ、今より面白い事になってたな
今じゃムーンライト系すら全滅でクソだもの >>94
そうとは言えない。国鉄最後のダイヤ改正が緊縮財政で、かなり面白くなくなっていた。
北海道の函館〜札幌夜行廃止、天王寺〜新宮夜行が天王寺行きが廃止されて縮小気味。
ムーンライトシリーズの設定は民営化後。 オレも、少なくとも「今より」はそうだと思うが。
長距離と夜行は全滅状態ではなかったはず
社界というタガが無いからな。
今では社界どころか支社界すら跨げないレベルになってしまい
テツ的には大いにつまらん >>96
国鉄が天文学的な赤字で、末期10年程はお金がない大義名分で次々と縮小していった。
会社跨ぎの代わりに鉄道管理局の境目があったので、その調整もあった。
JR各社の支社なども旧鉄道管理局をベースで振り分けられ、バブル景気もあって、民営化数年間は会社間跨ぎもそのベースで融通が効いていた。
やがて各社の新型車両が、国鉄車両を置換えて跨ぎがだんだんと減っていったな。
そしてコロナ禍で、国鉄分割民営化時点で恐れていた路線の縮小などが、現実に直面している。 働き方改革?もでかいと思うよ
国鉄時代の長距離列車、夜行列車はそれこそ人を人と思わんレベルで酷使して成り立ってた部分があるだろうし
JRになって21世紀に入って、様々な技術革新があってもなお、長距離・終夜運行の人的コストは改善できない以上、取りやめていくという選択はやむを得なかったのでは 集団就職列車でお上りさんが乗った列車って普通長距離列車?
そのお上りさんも成功して寝台特急あけぼので帰省するのであけぼのは出世列車って呼ばれていたとか。 >>99
昭和40年代の集団就職では、
名だたる大企業が中高卒業生を首都圏の工場に連れて来るのに、
100人単位で上京手配をしていて、
毎年、旧国鉄がそのための臨時列車のスジを
予め用意してあった。
ワシが某企業の人事課にいて、
その時期になると手分けして各地方に
人事課の各部員が迎えに行くのが恒例行事に。
うちは製造業だったからお世話になる学校関係者などに、
「虎屋の羊羹」と言ったお土産もどっさり抱えて地方へ。 >>100
おまえのどーでもいいこそどーでもいいw 1969/05から
831D:長門市255始発→449下関
521レ:福島257始発→955盛岡
始発が早すぎる 1975/03から
盛岡発、539レ/927D
711発→736好摩739→539レ→752沼宮内
711発→736好摩742→927D→1039大館
よく知られた、客車気動車併結で両方とも営業あり、です 宮脇翁も興味をもった編成だね
最長片道切符の旅で乗る予定だったが、遅延で乗り損ねた >>105
この時代は、長門市や福島は24時間営業だったのかな >>111
福島は少なくとも深夜帯に東北・奥羽の夜行列車が多く発着していたので、24時間空いてただろう。
東北新幹線開業後にも残った急行津軽も、福島は深夜・未明だったし。
長門市も1984年1月までは夜行急行さんべが深夜帯に発着してたので、空いてただろう。 福島、3時台のやつって荷レに併結のやつだよね、荷1041レ。仙台まで末期まで残ってた
あづまくずれの仙台行もあった
花輪線で客車に併結してたキハ52、エンジン換装したとはいえ2000年代まで残ってたよな
そのあとミャンマーいったような 1969/05から
福島発下り2300以〜0630頃の定期+運転期間が長い季節
2307:101レ、急行八甲田2
2346:401レ、急行津軽1
0115:5M、特急はくつる1(ハザ1両あり)
0154:403レ、急行おが3
0233:103レ、急行北星(寝台急行)
0257:521レ、普通盛岡行き
0314:405レ、急行津軽3
0345:403D、急行出羽3
0403:107M、いわて4
0438:1101レ、急行新星(寝台急行)
0500:6403M、ざおう4、<季節列車>
0521:1521レ、仙台行
0614:421レ、上野発青森行(奥羽本線経由)
0624:1123レ、上野発急行あづま2号、福島から普通列車
ご参考 1969/05から
長門市駅発
下り夜間
2029:831レ、門司行
2212:859D、人丸行
0255:831D、下関行
0357:801レ、急行さんべ3、博多行
0426:841レ、門司行
0527:845レ、下関行き
0545:851D、人丸行
0613:821レ、下関行
0712:837D、下関行
長門市発着
上り夜間(下関方面からの終着含む)
2302着:850D、小倉発
0111着/0114発、802レ、急行さんべ3、博多発米子行
0211着:852D、下関発
0530発:822レ、鳥取行
852Dですが、下関2332発→211長門市着
これは遅い終列車です
もしかしたら、211着で255発831D折り返しの可能性
ご参考
>>111
>>112
福島駅は24時間開放していたしホームの待合室にも灯油ストーブが燈ってた
新幹線開業前は深夜でも急行八甲田、おが、津軽の旅客へホームで駅弁売りの
声が響いてこれは同じ福島県の夜行急行十和田が数往復走っていた頃は
平駅(現在のいわき駅)でも深夜の駅弁販売がされていました >>105
そのスジは、かつての京都発門司行の普通列車の深夜帯の浜田〜長門市間を廃止した残りの部分ですね。
1964年10月
普通811レ 京都9:38⇒23:44浜田23:50⇒2:44長門市2:49⇒4:55下関⇒5:11門司
1967年10月
普通837レ 京都9:25⇒浜田0:17
普通831D 長門市2:58⇒4:52下関
普通631レ 下関5:00⇒5:08門司
上りも同様に深夜帯の長門市⇒浜田間を廃止したようなスジがあります。
1964年10月
普通812レ 門司23:21⇒下関23:38⇒1:36長門市1:41⇒4:23浜田4:28⇒9:12米子
1967年10月
普通852D 下関23:51⇒2:09長門市
普通524レ 浜田4:19⇒8:46米子 >>117
素晴らしい回答ありがとうございます
なるほど、言われてみたら、納得してしまいました
そのうち、早朝や深夜の運転区間がだんだん短くなり、
夜行列車の廃止の痕跡がわからなくなるのかもしれません そもそも、このスレ的には
なにをもって「24時間営業」とみなすのかな。
きちんと改札係員が出改札業務を行う、ってことだよね? >>119
現在の駅ではそういう駅は一つもないんだからそういうことになるんじゃない?
あとはホーム上での運転扱いとかかな
とにかく、駅員が詰めていて、乗客が構内にいつでも入れるのなら24時間営業と言って良いだろう >>105
521レ:福島257始発→955盛岡
これも1967年10月の時刻表をみると
普通129レ 上野2048⇒243福島259⇒1030盛岡1115⇒1658青森
という、福島⇒盛岡間で1969年の521レとほぼ重なる便があります。
山陰本線同様、部分廃止の結果のように見えてきますね。 >>121
やはり521レも夜行列車の部分廃止、的な状態だったのですか
いや、いろいろ怪しい点がわかってきてありがたいです
もう少し最近になりますが
1987/06から
441M:新宿0001→557上諏訪
いろいろな利用でお世話になった115系ですが、これも記憶だけですが部分廃止的な要素があった?
1990年代の時刻表が手元にないためすぐには確定出来ませんが、
・最初に、新宿発甲府行となり、甲府で長時間停車後に松本行になった?(スキーで利用した記憶)
列車番号は変わるが、乗客は一度降りることなくそのまま乗車可能でした
・その後、大月/甲府間廃止?(この時から乗車経験なしです)
・その後、甲府/(茅野?)間廃止?
もしかしたら、似たような状態かもしれません
記憶だけで申し訳ございません >>122
長い間新宿〜長野の列車で1975年3月改正で、旧型客車から115系電車に置換えられた。
対向の上り列車も存在したが、1985年3月改正で上りが廃止され、下りは新宿〜上諏訪の運転に短縮。 >>120
正確さを期すなら、最重要な項目を忘れとる
「その駅で深夜未明に客扱いする列車がある」駅も追加 >0094回想774列車2023/04/06(木) 00:47:47.89ID:lwoUIe7p
>今じゃムーンライト系すら全滅でクソだもの
クソなのは、このようなこの板の無能おっさん爺さんのレスだっての
そもそも、1980年代になれば345M「大垣夜行」や731D「高知夜行」のような列車が
走っているのが、おかしいとも言えたわけ
「ムーンライトながら」なんかも、どうせ廃止するなら最初から走らせる必要も
無かったような列車だわ
まず、大垣夜行や「ムーンライト〇〇」は、青春18期間などは客のレベルが悪い
そうやって日本人の民度が1990年代、2000年代、2010年代と低下していったのを
表すような列車になってしまった
JRも指定席化するはいいが、「インターネット時代」との兼ね合いを把握してないから、
ネットで「ながら指定席の転売」なんかが、あたりまえのようにうじゃうじゃ出てしまった
高いものだと、指定券が3000円くらいで落札されているようなのもあったな
青春18きっぷを学生時代で卒業できず、それどころか、2000年代はおっさん爺さんの
年齢の利用が年々、目立っていった
いい歳して、新幹線に乗れるような旅行をしてない、おっさん爺さんが増えたということ
そんな日本の環境では、経済は衰退するのは当然のこと
また、宿泊するのも青春18きっぱーは、ネットカフェやファミレスで夜を明かすような
「せこい人間」も多く、そのような人間をつくる機会にもなってしまった
それでは、日本の旅館業は衰退してしまう原因
青春18きっぷは、若者なんかが使うと非常に良い切符ではあるが、
この20年くらいは、>>94のようなクソみたいなおっさん爺さんが
クソみたいな感想を言ってるような切符になってしまったな 昭和57年の、青春18のびのび切符からの利用者です
学生時代は1シーズン2さつとかありました
社会人になっても、結構重宝、スキーや夏の家族旅行でも使用
使わなかった年もありますが、定年すぎて給与激言語の最近では夏に1冊(いまは1枚)使いますね
>いい歳して、新幹線に乗れるような旅行をしてない、おっさん爺さんが増えたということ
>そんな日本の環境では、経済は衰退するのは当然のこと
60超えて悠々自適な生活ができるような状態ではないため、残念ではありますが利用してしまいます
日本が上り調子の高度成長期の延長ではなく衰退レベルであるのは、ご指摘の通り
成長期やバブルではない今と今後を想定したら、あまり無駄は出来ないですね
ただ、それ以上にビジネスではない場合限定ですが、熱海/甲府/高崎/宇都宮/水戸レベルなら普通電車往復が染みついてしまっています
もう少し先への往復でももちろん普通電車ですが、さすがに陽が落ちら帰りの夜は疲れがドッと出るようになりました 東北本線41レ
混合列車だけど人様より荷物優先青森まで乗りたかった >>130
> 混合列車だけど
混合列車ってのは貨物+旅客のことな
荷物+旅客は単なる旅客列車
荷物車は旅客車の一部だから もういい歳なのにまたくだらないことで喧嘩してんのか
41レはないけど1044レはあるな。ニユが6両なのに、ハザ3両
福島のスハフ32がよく繋がっててそれ目当てだった気がする
仙台福島が2時間くらいかかってた
41レ、仙台青森が10時間越えか。楽しそうではある
福島、3時台発の仙台行もあったな 荷物列車の番号をもつ旅客営業列車は、全国的にありましたね
北海道では末期では41レ43レ/42レ46レが有名(時代で番号が変わりますが)
函館⇔苗穂間の荷物列車にハザが2両(増結あり)下り側に連結
旅客営業区間は函館⇔札幌
夏冬とわず乗車率は記憶では結構高かったように思いました
時刻表1980/07から、東北線ですが
41レ:隅田川2330→838仙台907→1936青森、仙台青森間で旅客営業ありでした
42レ:青森738→1832仙台1846→312隅田川、同じく青森仙台間で旅客営業あり
旧型客車以外にも、50系客車もありました
同じく時刻表1980/07から
1044レ
仙台1036→1234福島、旅客営業あり、この後34レで福島1258→1814隅田川、の記載でした 自分が最初に乗った上野発の旧客普通列車は上野11:19発の
一ノ関行き123列車だったが終着の一ノ関に22時42分に到着
走行距離441.5km、運行時間11時間23分の昼行長距離普通列車
当時は青春18きっぷはまだ登場してなくて適当なミニ周遊券を
学割で乗ったよ 時刻表1971/07から
421レ:上野2241→557福島620→916山形926→1512秋田1558→2157青森
24Hはかからなかったようですが、丸一日です
123レ:上野1117→1956仙台2043→2300一ノ関、時期にもよると思いますが、多少変化があったかと思います 今421レのリバイバルを仮に実施しても、上野から青森まで乗車には耐えられるかな?
部分参加ならもちろんいいのですが >>145
主治医とでも相談してくださいって案件だな
年齢性別健康状態等全く分からんのに答えられるわけがない いや、ならんだろう
いま高くて話題になってる北陸線なにわみたいに
おそらく莫迦高いから 仮に421レのリバイバル列車を走らせるにも車両がない
それに福島駅 - 新庄駅間は標準軌なので仙山線迂回とか必要
宇都宮線を当時と同じ停車駅で運転されたら普通列車の迷惑かも 10年くらい前に旧客使った臨時で横浜ー郡山はやったよね 姫路〜下関間を113系でもOK ケツが痛くなりそう・・ 115系3000番台の瀬戸内色で下関岡山くらいなら復活可能じゃないの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています