夜行列車総合スレ★25
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日本の夜行列車も2021年7月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍などの影響で正式に運転終了とされ、
残るサンライズもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※前スレ
夜行列車総合スレ★24
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1634029733/ いや貨物が急激に減って、経年の浅いやつが残っただけやぞ >>796
タップ間制御ないのはEF70も一緒だから、機関士の問題だろうね
ED75でも酷いのはいたから
上手い人は本当に上手いのに 労働運動が激しくなったあたり
1970~80年代が運転が酷かった気がする。
ただ東北・北陸はそこまで酷くなかったと思う。 >>800
もう40年近く昔ですが下りの博多あさかぜに乗っていて
門司を出るときの引き出しが本当にスムースで驚いた記憶が鮮明に残っています
客車列車初体験で下関までは「これが客車の発射かぁ」と思っていたので 日本海廃止直前に大阪から全区間
乗ったけど、直江津までは発車ショックはほぼ皆無だったなぁ!
…しかしそれ以東はカマは一緒なのにここまで変わるかというくらい発車が荒くて眠れず。 >>804
機関士にもよるだろう。
ただ俺もトワイライトに乗った時の羽越本線区間以北が、乗り心地悪くて眠れなかった。何か共通するのかな? >>805
直江津から交代の機関士だけかと思ったら、終点青森までそんな調子だったよ。線路状態も悪くなった感じがした。別にJREを目の敵にしてるわけじゃないんどけどね。ちなCは嫌いだけど。 羽越線は単線だから振り回されるからね
あとトワイライトの西の運転士は直江津到着前にえげつないことをしてたw Cは会社としてはあれだし運転士もあんま期待できなかったけど
名古屋近辺の担当運転士にすげえうまい運転士がいたな
あさかぜ乗車中に名古屋地区の人身事故に当たってしまったんだが
先行電に引きずられて何度も加減速を繰り返してるのに
スルスルと減速してクイッと加速し連結器のガッシャンやガクガクが一度もなかった 東日本はEF510を旅客運用していたくらいだったのに引き出し下手な機関士多いのか。 >>805
>>806
8001レと8002レの運転担当は新津運輸区と南秋田運転所が担当 >>813
>>811の記述はあながち間違えではないよ 1993年は下記が担当
8001列車の新津〜酒田間と8002列車の酒田〜新津間派は新津区が担当
8001列車の酒田〜秋田間と8002列車の秋田〜酒田間は秋田区が担当
新津運輸区は新津運転区、新津運転所と現業機関の名称が変わった事も
南秋田運転所は秋田運転所、秋田車両センターと名称は変わっているけど >>814で述べたのは運転士であって機関車は敦賀のEF81だけど >>814
8001レのハンドルを握ったのは敦賀、金沢、金沢、直江津、新津、秋田、大館、青森、青函、函館、室蘭の乗務員だったな >>814
もう一度言う
適当なことを言わないように 走ってる時のブルートレインから発する走行音こそ生きてるブルートレインの証だと思う。
線路の繋ぎ目を渡るときの台車から出る音、カーブ区間に台車や連結器や車両から奏でる音に
連結部の渡り板同士から出る金属音と歪音・軋み音に牽引機が時おり鳴らすホイッスルの音など。
更に踏切を通過する際に聞こえる警報機のドップラー交換音や貫通路の扉を開け閉めする時の
音に14系ならスハネフ14やスハネフ15に搭載してあるディーゼル発電機を回すエンジン音。
ブルートレイン全盛期はそれが当たり前だと思って気にもとめなかったけど夜のじじまをゆく
青い流れ星列車がいじらしく思えて乗る楽しみと朝を迎える儀式みたいな夜汽車の夜明けが
特別に感じて機会があれば夜行列車に乗るのを目的に特化した旅をするようになって自分の
人生を見つめなおす機会にも触れた事のあるブルートレイン。走らないブルートレインには
そのような夜行列車のドラマがないんだよね。
1975年から多くのブルートレインに乗ったから今から乗りたいとは思わないけど・・・ 少し駅に止まったなと思って発車したら、下手くそなウテシになっててドゴーンとショックで体が揺れて近くのオヤジがチッと舌打ち。こりゃー一晩寝られんわいと思ったが、そのまま寝入って、朝起きたら普通のウテシになってて昨晩のひどいウテシの事なぞすっかり忘れ。寝台車あるある。 >>820
8001列車は敦賀〜金沢と金沢〜直江津をそれぞれ金沢運転所(のちの金沢総合車両所)の乗務員が運転していたから >>818
線路の繋ぎ目ぢゃなくて線路の継ぎ目
ドップラー交換音ぢゃなくてドップラー効果の音
他にも訂正箇所あるぞ 「夜のじじま」w
静寂をしじまに読ませる人は稀にいるけど 先進国首脳会談が日本で開催されるような場合は、警備上の都合から通常は昼間運行される「佐川急便電車」が夜行列車になる、って噂。 サミットとか一住民にとっては糞迷惑しか無いからやめてもらいたい 先進国首脳会議は沖縄県でやってくれ
今年は沖縄本土返還50周年の節目なのでちょうどいいや >>828
それ逆だろ
サミットで日中の大阪市内でトラックの集配に支障があるから
夜間にトラックを出すために
普段夜行で運行していたSRCが昼間に走った >>834
そんな騒ぎがありましたね。思い出した。 もう一度山陰に乗りたい
夜中のホームに降りてうろついたのが思い出 上野→長岡夜行の733Mは一番乗りたくない普通・快速種別の夜行だった
上野から熊谷までは完全に帰宅するサラリーマンの足だったし、
車両も不人気の115系11連(先頭4両は籠原切り落とし)で減光もなかったと記憶する
それでも只見線の始発に接続するのと宮内から長岡始発米原行き522レに連絡して
長岡から新発田まで乗り継げば赤谷線のキハに繋がるから4回くらい乗った >>839
上野からは後続の普通電車に乗って、高崎で間に合ったなw
後のムーンライトも、高崎長時間停車で、後続の普通電車が追いつくダイヤだったし。 夜行高速バスが凄い賑わいだ(JRバスも凄い)
新宿の夜のバスタ見てると、別にどこにも行かなくても、見てるだけでも楽しい^^
JRも対抗できる料金設定と、寝台じゃなくても、
バスよりリラックスできる様な仕様の新車開発/投入して、
バス会社に対抗すれば良いんじゃね?
JRバスとも競い合って、いい結果が出るかと... >>841
ここは懐かしい夜行列車を語るスレ
板違いなのだからバス板やバススレに行きなさい >>842
いや、だから、夜行列車復活させてって事 スペイン語会話集の本を買ったら、未だに「下関まで2等寝台の切符を一枚」
フレーズがあって笑った。非鉄のロートルが編集しているようだ。 新宿駅から最大8本の松本方面行きの夜行列車が発車してた1970年後半が懐かしい
新宿22:30発 急行アルプス6号(6413M=j 信濃森上行bォ「165系」
新宿23:00発 急行アルプス52号(8403M) 松本行き「165系」
新宿23:20発 急行アルプス7号 (417M) 信濃森上行き「165系」
新宿23:30発 急行アルプス53号(8405M) 信濃森上行き「165系」
新宿23:45発 急行アルプス8号 (419M) 南小谷行き「165系」
新宿23:50発 普通−−−−−− (9431レ) 岡谷行き「品川客車区の旧客」
新宿23:55発 普通−−−−−− (441M) 長野行き「115系」
新宿00:30発 急行アルプス54号(8401レ) 松本行き「品川客車区の旧客」 >>850
1978年10月以前か
そのあたりは時刻表を眺めてると何となく興奮してくるんだよなw >>854
列車の号数からある程度の察しは付いてた
言うなれば「あずさ2号」の再末期ってことだな >>856
1978年夏・上野発信越線夜行
上野20:51発 急行越 前(603レ) 福井行き 10系A寝台+10系B寝台+60系G車+旧客+荷
上野23:35発 急行信州54号(9307M) 長野行き 169系
上野23:47発 急行妙高4号(6301M) 直江津行き 169系
上野23:58発 急行妙高5号(301レ) 直江津行き 10系A寝台+10系B寝台+旧客+荷+〒
上野00:22発 急行信州6号(6303M) 長野行き 169系
上野00:32発 急行信州53号(9309M) 長野行き 169系 客車の編成おかしいな。荷物車と寝台が上野寄り
上野発着は荷物車が上野側で、115系にくっついてたクモニクモユもそうだったけど
地平に止まってるときはなんでこっちにつなげるんだよって思ってた
荷役用のホームとかエレベーターがそっち側なんだよな。いまの13.5番線
ターレットがガシャガシャ走ってたな。懐かしい >>859
手元にある1978年8月の時刻表を見た限り、時刻は完全に合致してる
但し越前と妙高4号は当分の間全区間運休、妙高5号は妙高高原止まりとされていた
信州54号は8/13・9/24運転、信州6号は9/11を除く9/30まで運転、信州53号は8/5・12・13・9/15・25運転 >>861
> 但し越前と妙高4号は当分の間全区間運休、妙高5号は妙高高原止まりとされていた
何で一番大事なところを省略するんだろうねえ >>856-862
今のえちごトキめき鉄道の区間が、地滑りが起きて不通だった。
特急白山は1往復が上越線迂回で、残2往復が上野〜妙高高原の運転で急場を凌いでいた。 1978年夏号って記述は2種類の意味合いがあると思われ
・国鉄内部で使っていた時刻表「交通公社の時刻表と同じ内容で広告や宿案内は無い」を営業部や旅セが
特定の顧客に進呈していた時刻表に1978年夏号とか冬号という区切りの時刻表があったのでその時刻表を指してる。
・老朽化というか、経年劣化でボロボロになって表紙がなく、背表紙も破けている時刻表なのかも知れない。
自分なんて1975年の交通公社時刻表は表紙どころか東海道山陽新幹線の頁まで脱落して東海道線から見れる状態。 https://ascii.jp/elem/000/000/311/311704/
『北斗星3号』
1990年代後半にたくさんでた鉄道ソフトの1つでしょうけれど
やった人はいるでしょうか。 北斗星と言ったら
上野〜札幌のノーカット前面展望
フジだったかな
ビデオなら残ってる、多分 特急日本海2往復のうち片方は函館まで行っていましたが
もう1往復増やして札幌まで行くのは難しかったのでしょうか。 青森−大阪間なら1往復増やせられるけど、札幌発着はもう1編成必要しかも3編成分を専用編成にしなければならない
トワイライトと客の取り合い
食堂車が足りない
食堂車以外の車両は285系化した時に「瀬戸」往復の2編成分が使えるけど、結局老朽車両の廃車に使っただけに終わった
あとは「銀河」の583系化で2編成分を抽出することだが、どちらにしても食堂車がない
オハ25 300番台はオハ12を改造すればどうにかなるけど、それを食堂車代わりに繋ぐのが精いっぱい
函館着が11時台だから、気動車特急少なくとも2本に抜かれるし、札幌着はおそらく16時台
車両改造が必要で札幌乗り入れ専用編成となる(折り戸から引き戸。耐寒強化。電源車を含めて3編成分の改造が必要)
むしろトワイライトを団体旅行扱い(マルスから外す)に戻したほうがネットダフの標的から外れるため、金になる >>868
寝台特急日本海の三往復化は難しいと思うよ
日本海1号の大阪発が17時台発車で函館着が11時台到着なのでその時刻に見合うスジで
走らすなら大阪発の時刻を3時間以上早めないと札幌行きの時間に見合うダイヤにならない
そこで登場したのがニュー日本海ともいえるトワイライトエクスプレスの登場だ >>869
"トワイライトエクスプレス"を走らせるに至って全車両を新規製造して個室も全車A個室化(7割は2人個室)でよかったと思う
出来たらスイートの下位に2人専用A個室のジュニアスイートクラスが欲しかったけどマルスから外して団枠での発売は賛成だ
極端な話、1999年から開業したカシオペアも全個室マルス収容はせずに団枠発売でよかったと思えるよ 他社が新型形式の特急をデビューさせたのに対し、西日本は既存の485系を改造したスーパー雷鳥だったからなぁ。
新車は無理だったかも。 個室の高い部屋から売れていくなんて現象は
北斗星やトワイライトエクスプレスが企画されたころは
想定すらされてなかったろ
簡易個室化された車両もあったとはいえB寝台すら残されたし
増備は個室化が進んだけど
A寝台志向はカシオペアでようやく完全にフィードバックされた 西日本の中では青函トンネル開業で日本海の函館延伸にあわせて食堂車をつけるプランが出たけど、もっと派手な案をということでトワが出来たそうだから、日本海を札幌延伸は案にもなかったのではないか。 寝台特急「日本海」の札幌行きが走ればそれなりの需要はあるけど下り日本海の場合はどうしても青森が終着駅との固定観念が強く、
一時期の日本海1号の一部函館延長はオマケみたいなもので青森止まりでも良かったのだろうけど日本海1号に接続する快速海峡がないため、
一部の編成のみ延長したのかも知れない。
日本海1号の青森到着に都合のよい時間に合わせると札幌着は午後2時くらいになるため到着時間的には使えない。逆に札幌到着を朝にすると
青森着が未明になってしまい肝心な青森駅で客扱いが出来ないなどの不具合が生じるから日本海の札幌延長を根本から切り離して
新規に出た案件がTWILIGHT EXPRESSなのだと思う。
しかし中古ポンコツ列車のかき集めに昔の電車食堂車だったものだから(閑話休題)・・・せめて新製車両だったらまだどこかで走っているかも知れない? 鉄ヲタの「需要はある」ほどあてにならないものはない そもそも日本海の主要顧客は庄内~秋田~津軽のエリアであって、青函ブームが終わった後の弘前以北の需要なんて
乗り鉄以外は誤差の範囲でしかない そしてトワイライトは採算を端から考えていないと西が株主総会で明言した列車である そりゃTiSと日本旅行でツアーやパックを売るために運転してたようなもんだからな
ツアーにあまり組み込まれなくてオタ需要にマルス売りが多めだったシングルツインはともかく
ツインやBコンパートはパックツアー募集締め切りを過ぎたあたりから空席がぼこぼこ出て来てた 毎日運転のパックツアーは2000年くらいには難しいから、
99年7月のカシオペア運転からはその反対側として団体トワイライトを入れ、
これまでのトワイライトには一般トワイライトを入れる
函館発着の日本海はこの一般トワイライトで一応置換するため、青森発着化
団体トワイライト スイート・ロイヤル・食堂車・サロンカー・Bコンパ
両端がスイート&ロイヤル(中間スイート&ロイヤルはロイヤル1室減)
その間を電源車、食堂車、サロンカー、ツイン1両、Bコンパ2両で挟む
電源車は客用通路付となるため、団体トワイライト専用車
一般トワイライト ラウンジカー・シングルツイン・ツイン・デュエット
片方の編成端は全室ラウンジカー(売店付)
シングルツイン・ツイン・デュエットを合わせて9両
電源車は青函トンネル対応車であり、北斗星用・旧西日本日本海用がほぼそのまま使える
車両は瀬戸置換車と彗星置換車を用いる
瀬戸は285系化
彗星は285系になった出雲3・2用14系化 >>871
確かに現在のカシオペア紀行は「落ち着くべき処に落ち着いた」感がありますね
いよいよ[田]も無くなったし、あと何年くらい使うのかは分かりませぬが 大阪~<東海道本線>~東京~(以降北斗星と同じ)
で名古屋や静岡の乗車を拾うのも有ったと思う 東海が機関車列車削減に動いていた頃だからそれは実現しなかっただろう
それに当時は上野東京ライン開業前で東京以北が繋がっていなかったからな 上野〜東京が繋がってなくとも新宿湘南ラインがある
昔風にいえば山手貨物線ー埼京線ー東北貨物線ルート
国鉄末期時代は山貨(山手貨物線)して使っていたルート そこでなんで埼京線がでてくるのかわからん
昔でいうと湘南新宿は品鶴-山貨-東北貨。東北からくる甲子園臨なんかはそれで走ってたな >>886
少し前に都心に出た時に、西武新宿駅付近で見かけたなぁ>山貨を走るコンテナ列車 >>882
田端運転所の車両所属及び検修部門は尾久車両センターに移管したけど
[田]札を刺す機関車が全て消えたり他区所へ移動になりましたね
国鉄末期はEF80とEF81にDE10くらいしか居なかったので地味でつまらない機関区でした
夜行列車関連ではあけぼの・北星・新星・八甲田・津軽の直流機を担当する宇都宮運転所や
越前・能登・鳥海・北陸・天の川などを担当していた高崎第二機関区、長岡運転所などの
EF62、EF58、EF64が人気あったし、田端はゆうづると十和田と常磐線貨物がメインの
機関区であった。 >>889
昭和57年4月現在では[田]のEL受け持ちはEF80が32、EF81が15の合計47台
東京三局管内では北の玄関口・上野駅の近くにしては少なくて[宇]が69台、
[高二]が90台、[新]が61台、「東」が42台、昭和60年には[宇]のPFと
EF58が[田]に転属して合計93台の大所帯となるが一部のPFは[高二]へ流出 昭和59年頃EF65PFは田端に配置なかったかな? 入換中か正面ぶつけて凹んでる写真があるんだが あけぼの と はくつる が田端のEF81から青森のEF81に切り替ったのって何年ごろだっけ? >>894
97年じゃないかな、秋田新幹線開業のとき
鳥海をあけぼのにしたときだじゃなかったっけ?長岡から青森に6両転属したの
はくつるはもう少し遅いかもしれない
>>892
配置なくてもPFはいくらでもいたからな、田端や尾久の機留線
国鉄末期やJRの初期には田端に配置あっても新鶴見というか元東京のはまったく来てなかったけど
田端運転所のところ、久しぶりに通ったらPF2両とDE10が1両だけだったな
あとは変な東海顔の事業車だけだった >>896
あけぼのは97年の羽越線経由に変わったと同時だったか?
陸羽東線経由時代に変更があったような気がするけど。 >>897
青森はね
陸東経由のときは小牛田まで最初はPFと75で、そのあと田端の81のスルーになった
そのころにはくつるも客車化。最初は田端の81。同じく鳥海が長岡の81でスルーするようになって
秋田新幹線のときに、鳥海があけぼのになって、青森に81が配置されて、はくつるもそれを使うように
そんな感じだったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています